福士川奥の孤峰 篠井山

地蔵峠を越えて、長駆、篠井山を目指す

1995年4月15日

              
 
地蔵峠登山口(540〜545)→マサキ峠(605〜610)→地蔵峠(645〜705)→細ガレ(805)→月夜ノ段(815〜820)→剣抜大洞林道(835)→篠井山取付点(845〜850)→篠井山北峰(1040)→篠井山南峰(1045〜1100)→大岱集落跡(1230)→釜の口集落(1315)→成島集落(1325〜1333)

 
 富士川の支流・福士川の奥に篠井山という孤峰がある。富士川河畔から眺めると、山頂付近を鋭い岩壁で武装し、圧するごとく立ち塞がる姿は登山意欲を著しく刺激する。言い伝えによると、「昔、甲斐の地に赴任した従四位の臣・大凡河内躬恒が望郷の念止みがたく、この山の上から京を眺め嘆き悲しんだのでシノイヤマと言われるようになった」とのことである。この山は、安倍川東山稜の仏谷山から東に派生した支稜上の一峰ではあるが、この尾根の接続は極めて弱く、完全な独立峰の体をなしている。安倍奥の山々から眺めると、根張りの大きなよく目立つ山である。福士川流域は著しく交通不便であり、よほどの物好き以外登る者はいない。まともな登山道は南面の福士川最奥の集落・徳間から登る一本のみで、東面の御堂集落からと北面の成島集落からのル−トは踏み跡程度のようである。山村光正氏の「甲斐の山旅・甲州百山」によると、氏は仏谷山との鞍部を通る剣抜大洞林道から取り付いて西面を登っている。このルートは作業道を拾い時には藪を漕ぐとのことで、かなりのバリエーションルートである。

 車で行ってピストンする以外ないと考えていたが、地図を眺めていたらとんでもない計画が頭に浮かんだ。安倍川筋の有東木集落をスタートして、地蔵峠で安倍川東山稜を越えて剣抜大洞林道に下る。ここから篠井山の西面を登り北面を成島集落に下る。さらに身延線の内船駅まで歩くとなると、歩行時間は12時間は掛かる。呆れるほどの長距離ルートである。常識的には日帰りはとても無理と思えるが、もし、このコースを走破できるなら、独立峰の篠井山と安倍川東山稜を結ぶことになり、地図上の赤線も連続する。なんとも魅力的なルートである。やってみたくなった。

 早朝4時50分、車で出発する。有東木集落までバスで行ったのでは到着が8時半頃、時間不足である。車ならば集落から歩いて1時間掛かる地蔵峠の登り口まで行けるので、さらに時間を短縮できる。乗り捨てた車は、明日バスで回収に行けばよい。この超長距離ル−トを走破するにあたって考えぬいた計画である。未明けまで激しく降り続いていた雨もなんとか止み、天気は急速に回復に向かっている。まだ人影もない山上の桃源郷・有東木集落を抜け、5時50分、葵高原端の地蔵峠登山口に着く。バスで来るより3時間半は時間を稼げた。下界では既に散り始めた桜もここではまだ蕾であり、鶯が盛んにさえずっている。

 勝手知った登山道に踏み込む。山葵田を過ぎ、ジグザグの急登を経るとマサキ峠に達した。まだ山頂を残雪に覆われた山伏が朝日に輝いている。つい1ケ月前に、この山を南アルプス深南部の蕎麦粒山山頂から眺めた。小休止の後、地蔵峠に向かう。昨年の3月には豊富な残雪に埋め尽くされていたこの道も、木々の芽吹きこそまだであるが、もう雪はまったく見当たらない。念のため持参した軽アイゼンはまったく必要なさそうである。緩やかに峠道を登っていくと、木々の枝越しに大無間山が盛り上がってきて、その背後に真っ白な山々が姿を現す。聖岳と上河内岳である。周囲の谷間を埋めていた雲がどんどん上昇し、青空の中に溶け込んでいく。すばらしい天気になりそうである。朝日がようやく足下まで届くようになり、行く手に地蔵峠が見えてくる。

 地蔵峠は三度目であるが、いつ来てもすばらしい雰囲気の所である。しかも今回は、最近西面の木々の枝を払ったと見えて、すばらしい展望が用意されていた。朝の弱々しい光の中に荒川岳、赤石岳、上河内岳、茶臼岳、光岳が白銀をきらめかし、山伏の背後には美しい双耳峰の笊ヶ岳も見える。空は真っ青に晴れ渡り、風の音さえしない。時間の経つのも忘れ、草原に腰を下ろして全ての景色を独り占めにする。この峠は一日座り続けていても飽きないだろう。しかし今日は先が長い。甲斐側の一段低いところに安置されている赤い前掛けを着けた峠のお地蔵様に再会の挨拶をした後、峠を甲斐側に下る。

 状況がガラリと変わった。今までのしっかりした登山道が嘘のように細い踏み跡となった。ルートはほぼ水平のトラバース道となって月夜ノ段へと続いているのだが、シノダケが両側から道を覆い、しかも到る所で崩壊している。安倍川東山稜の甲斐側は一枚板のような急な平斜面となって切れ落ちている。この急斜面のトラバ−ス道は手入れを怠ればすぐに崩壊するのは当然である。甲斐側の峠道はもはや登る人とてなく、荒れるに任されているようである。笹をかきわけ、慎重にステップを確保しながら進む。この調子ではかなり時間が掛かりそうである。目の前には五合目付近より上を真っ白ろに染めた富士山がそびえ立っている。昨日の雨が雪であったと見える。

 落石の音にギクリとして立ち止まると、眼の前の急斜面を二匹の鹿が駆け降りていった。すぐにガレ場に達した。このガレは地図にも記載されており、天津山南の1,682メートル峰山頂付近から一直線に落下している。真っ白な石に埋め尽くされ、まるで石の滝のようである。「白ガレ」とも「細ガレ」とも呼ばれている。傾斜が緩やかとなり、踏み跡も確りしだす。どうやら月夜ノ段は近そうである。物音に左斜面を見上げると、鹿が三匹飛び跳ねるように斜面を駆け抜けていく。安倍奥の山で鹿の姿を見たのは今日初めてである。駿河側と違い甲斐側はほとんど登る人もいないので、それだけ自然が多く残されているのであろう。

 傾斜が一段と緩やかとなり、月夜ノ段に達した。この天津山東面に広がる緩斜地は、戦前までは欝蒼とした原生林に覆われ、昼でも月夜のように薄暗かったので月夜ノ段と呼ばれるようになったとのことである。戦後開拓団が入ったが、すぐに放棄され、今は雑木と萱との茂る広々とした台地となっている。展望が実によい。目の前にはこれから向かう篠井山のどっしりした山体が逆光の中に黒くそそり立ち、右手には青笹から続く興津川奥の山々が連なっている。高ドッキョウも、貫ヶ岳も見える。何れも私の足跡が残っている。踏み跡はここで地図の破線から外れて、南部町と富沢町の町界線に沿って篠井山との鞍部に向かい緩やかに下っていく。所々にすっかり崩壊した小屋跡がある。やがて林道に降り立った。剣抜大洞林道である。降り立った場所には丸太作りの休憩舎がある。この林道はいまだどの地図にも記載されていない。地蔵峠道はどこかでこの林道に降り立つはずであるが、どこで降り立つか事前にはわからず一抹の不安を抱いていたが、地形から判断すると現在地は篠井山との鞍部の北数百メートルの地点である。林道を5分ほど南にたどると、目標の鞍部に達した。この地点は大きな広場となっていた。

 いよいよここからが今日の本番である。時刻はまだ9時前、この先トラブルさえなければもう時間の心配はない。しかしここからはバリエイションコース、うまく篠井山に登れるかどうか一抹の不安はある。取付点を探すと、尾根に這い上がっていく踏み跡を見つけた。もちろん道標はおろか赤テープ一つない。雑木の中の小ピークを越したところで、ギクリとして立ち止まる。目の前に1メートル以上ある全身真っ黒な蛇が悠然と寝そべっている。まだ冬眠から覚めたばかりと見えて、突っついても逃げない。なんという蛇だろう(帰ってから調べてみると、シマヘビの変種で「カラス蛇」というらしい)。蛇が現われるようになったら、もう藪山の登山シーズンは終わりである。

 地図上の1,172メートルの平頂への登りに掛かる。たどってきた踏み跡は左に離れていって稜線上の踏み跡は絶える。これでは先が思いやられるなぁと思いながら構わず稜線を忠実にたどる。下りに掛かると先ほどのものと思える踏み跡が左から合流した。ナイフリッジ状となった尾根をたどり次の1,119メートル峰に達する。ルートはここから一つ北側の尾根に乗り換えなければならない。この付近は地形が実に複雑で、今回の山行きで最も神経を使う場所である。踏み跡に従って下ると小さな沢に出た。と同時に踏み跡が絶えた。仕方なく沢を渡って小さな支尾根に取り付く。支尾根上には踏み跡らしき気配はある。やがて気配も消えて、シノダケの藪に行く手を阻まれた。右手の樹林に逃げて上方に見える尾根に這い上る。期待に反しこの支尾根にも踏み跡はなかった。展望が利かず、現在位置はよくわからないが、それほどルートを外れてはいないはずである。急な支尾根をたどると再びシノダケに行く手を阻まれた。上方に明確な尾根筋が見える。強引に這い上ると尾根上には確りした踏み跡があった。どうやら目指した尾根に乗ったようである。

 登るに従い尾根は緩やかとなり、地図の地形と一致する。もう安心である。杉檜の植林を抜けると明るい灌木地帯となる。枝越しに北岳の尖がり帽子が見えるではないか。その奥には八ヶ岳と思える白い山も見え隠れする。草原に腰を下ろして昼食とする。ますます緩やかとなった尾根道をたどると、尾根は東から南にカーブする。もう山頂は間近である。成島コースと合流したはずなのだが、合流点を確認できないまま通過してしまった。すぐに篠井山北峰に達した。杉の大木が茂り展望は利かないが、北、東、南を向いた物置きのような建物が三棟建っている。中には祠が鎮座していた。麓の成島、楮根、御堂の各集落がそれぞれ祀った四ノ位大明神である。いったん鞍部に下って、泥んこの急登を経ると1,394.4メートルの三角点のある南峰に到着した。ついに篠井山登頂に成功したのである。

 最近人が訪れた気配さえない山頂は東側に展望が開けている。いつのまにか上空に雲が広がり、見えるはずの富士山や天子山塊はまったくその姿が見せない。眼下には富士川の河川平野が大きく広がり、点々と集落が見える。山頂は陽が当りぽかぽかと暖かい。11時、再び訪れることもなかろう山頂を辞し下山に掛かる。成島集落まで2時間ほどであろうから時間はたっぷりある。先ほどから気になっているのだが、山頂付近にいっさい道標がない。これでは登ってきたコースをピストンする場合以外、経験の浅い登山者は戸惑うであろう。南峰と北峰の鞍部から右に下る踏み跡は御堂コースと思われる。北峰から尾根を北にたどる。2〜3分で尾根から外れて左に踏み跡が分かれる。これが徳間コースと思われる。私はさらに緩やかな尾根を北にたどる。成島コース分岐を確認できないと、このまま登ってきた尾根に引き込まれてしまう。注意深く7〜8分下ると、踏み跡の分岐を見つけた。道標はおろか赤布さえないが、成島分岐であろう。やれやれである。

 尾根というよりリッジという感じの狭い岩尾根の急な下りとなる。所々に色あせた赤布があるが、コースは相当荒れている。このコースを歩く人はほとんどいないのだろう。時々踏み跡は不明となりルートファインディングに神経を使う。岩や立ち木に掴まりながら逆さ落としのような急坂を下る。スリップでもしたら谷底に一直線である。空を雲が厚く覆い、朝方あれほどはっきり見えた周囲の山々もまったく見えない。やがてコースは北から西にカーブする。山頂から一時間も下ると、杉檜の植林地帯へ入った。同時に踏み跡は確りしだす。薄暗い樹林の中をジグザグを切ってグイグイ下る。沢を二つ横切り、さらに下ると案内にあった大岱集落跡である。人家の跡はまったくないが、墓地と、神社跡の石燈籠が寂しく建っている。

 ここから林道となる。登山道への入り口にこのコース唯一の道標があった。10分も下ると南俣川ぞいの道となる。絶壁に幾筋もの細い滝が掛かり、木々の幼い芽が薄緑色に煙っている。ピンクのやまつつじが岩肌を染め、足下には黄色いたんぽぽと紫色のすみれの花が咲き誇っている。すさまじいまでの早春の渓谷美である。林道歩きは思いのほか長かった。最初の集落・釜の口に達し今日初めて人影を見る。剣抜大洞林道に出て成島集落の中を進むと、十枚山登山口のバス停があった。南部町営バスが一日数本身延線の内船駅まで通じているのだ。バスはまったく期待していなかったが、時刻表を見ると何と8分待ちである。やってきた小さなバスはわずか15分で駅へと運んでくれた。

 篠井山は登ってみると案外平凡な山である。しかし、地蔵峠からの南アルプスの大展望、月夜ノ段辺りの広々とした風景、南俣川の渓谷美は印象に残るものであった。鹿に会えたのもうれしかった。悔いのない山行きであった。