残雪の白砂山

白銀に輝く上信越国境の名山を目差す

2000年5月5日


 
野反湖(735)→最初の沢(755)→地蔵山(900)→堂岩山(1050〜1055)→白砂山山頂(1215〜1250)→堂岩山(1405〜1415)→地蔵山(1515〜1530)→最初の沢(1550〜1530)→野反湖(1620)

 
 1月2日に奥武蔵の大仁田山に登って以来既に5ヵ月も山から遠ざかっている。どうも最近登山意欲が湧かない。おまけに丹沢での滑落事故で足の靭帯を切断したため日帰り以外山に行けない足になっている。G・Wの連休、昔なら大きなザックを背負って雪山に跳んでいったものだが、雪山は平成7年3月に南アルプス深南部を縦走したのが最後となっている。「たまには山へでも行ってきなさい」と妻にせき立てられて、白砂山へ行ってみる気になった。白砂山から稜線沿いに三国峠までの縦走に憧れたのはもう遠い昔である。何度も何度も地図を眺めていた日々があった。結局はかなわぬ夢まま現在に至っている。もうこの夢を追い続ける体力も気力もなくなったが、それでも白砂山の頂を踏んで見たいという憧れだけはいまだ残っている。

 前の晩、久しぶりにピッケルを押し入れから出して眺めていると、忘れていた血が騒ぎだした。今や骨董品の部類に属する木製シャフトのピッケルで、もう30年以上使っている。4時起床、4時半車で出発する。登山口となる野反湖までは何とも遠い。本来なら、前日入って湖畔にテントでも張れば楽なのだが。渋川インターで高速を降り、中之条、長野原と過ぎ、通る車とてない早朝の国道405号線を奥へ進む。行く手に白き山々が朝日に輝いている。ヘアピンカーブを繰り返し野反峠に登り上げると、眼下に待望の野反湖が現れた。湖はいまだ氷結しており雪をかぶって真っ白である。取り囲む山々も豊富な残雪に彩取られている。雪山に戻ってこれた喜びが心の底から湧いてきた。

 ちょうど7時、湖畔の大きな駐車場に車を止める。既に20台ほどの車が止まっているが大半は釣り人のようである。傍らには立派な休憩舎、売店も設置されている。夏には行楽客で賑わうのだろう。支度を整え、7時35分、道標に導かれて白砂山への登頂を開始する。最初から雪道である。空は真っ青に晴れ渡り、今日一日の晴天を約束している。素晴らしいと聞く山頂からの展望が楽しみである。湖畔からは目指す白砂山は見えない。この山は途中の堂岩山に至って初めてその姿を仰ぎ見ることが出来る。ひと登りすると、ルートは下りのトラバース道となる。危険を感じてピッケルをザックから下ろして鞘を抜く。相前後して3人の単独行者が出発したが、そのうちの1人が、「ピッケルを持ってこなかった」と、へッピリ腰で下っていった。ハンノキ沢を左岸に渡り、取水口のところで右岸に渡り返し、地蔵峠に向け急登する。山毛欅の大木が真っ青な空をバックにそそり立っている。あまり格好いいので写真を撮る。このとき、どうやら手袋を片方落としてしまったらしい。後で気がつき、帰路探してみたが見つからない。静岡の山々をともに歩き回った愛用品だけに残念であった。ただし予備の手袋を持参しており、行動に支障はない。

 堂岩山から派生する尾根に登り上げる。地蔵峠と呼ばれる地点であるが、何の標示も見当たらない。秋山郷に通じる古道が越えており、地蔵尊があるとのことだが、すべては豊富な雪の下とみえる。ひと登りすると左手に小さな作業小屋を見る。緩やかに、急に、疎林の中の登りが続く。振り返ると、眼下に野反湖が白く輝き、その背後に斑模様の浅間山が濃紺の空を切り裂いている。やがて、地蔵山と呼ばれる小ピークに達した。単独行者が1人休んでいたのでそのまま通過する。いったん下ると目の前に八間山から続く稜線が立ちふさがる。ルートはこの山稜を堂岩山で越えなければならない。登るに従い背後に視界が広がる。浅間山の左手には真っ白な本白根山、草津白根山、横手山が現れる。本白根山山頂付近にはいくつもの噴火口跡がみられる。体調が悪いわけでもないがピッチが上がらない。最初は前後していた私を含めた4人も、2人が先行し、次第にその差が開いていく。絶好の好天気の中の久しぶりの雪山、そうあくせく急ぐこともあるまい。明るい雑木林の中の雪面に腰を下ろし、輝く山々を眺めながら稲荷寿司を頬張る。

 登るに従い背後の視界はますます広がる。前山の向こうに岩菅山から裏岩菅山に続く稜線が現れる。浅間山から続くこれら上信国境の山々を眺めるのは昨年の十月、十二ヶ岳山頂から眺めて以来である。未知の山域でありいつか登ってみたい。前山である堂岩山などひと登りと思ったが、この山とて二千メートルを越えている。登りはなかなかきつい。11時には白砂山に着けると思っていたが10時半になってもまだ堂岩山さえ越えられずにいる。少々焦る。ルートは次第に傾斜をまして疎林から針葉樹の密林に入る。トレースがあるのでルートは認識できるが、赤布の類が一切ないのが気になる。尾根筋もはっきりせず荒天の時にはルートファインディングに手間取りそうである。前後していた単独行者が雪面に座り込んで「時間的にとても白砂山までは行けそうもない。堂岩山で引き返す」と弱音をはいている。彼は結局白砂山までやって来なかった。

 10時50分、ようやく堂岩山山頂に達した。と同時に、行く手眼前に目指す白砂山が高々とその姿を現した。端正な鋭角の山容が真っ青な空を背景に白く浮き上がっている。素晴らしい姿だ。ただし、目で追うルートはいったん大きく下った後、いくつもの小さな瘤を越えながら鋭い山稜となって山頂に突き上げている。まだまだかなりのアルバイトが予想される。時刻は既に11時近い。12時までにはとても着けそうもない。私も果たして山頂まで行き着けるのか。多いに焦る。

 山頂には大きな荷物を持った中年の女性単独行者が悠然と煙草をくわえながら休んでおり、3日掛かりで佐武流山まで行ってきたとのことである。ひと休みの後、覚悟を決めて白砂山を目指す。鞍部まで大きく下る。キックステップが利き下りは楽であるが、帰路はかなりのアルバイトになりそうである。右手南側に視界が大きく開け、榛名山の背後に奥秩父の山並みがうっすらと続いている。目を凝らして山並を追う。この山域を同定する際の一番の目印は破風山である。特徴のある山容が確認できた。続いて雲取山、甲武信ケ岳を確認する。これらの山々を同定できる者はまずいないだろう。八ヶ岳らしい白い山並みもうっすら見える。富士山は見えないものかと懸命に目を凝らすが確認できない。

 堂岩山から先は植相が変わりもはや樹林はない。ハイマツとシャクナゲの痩せた岩稜である。このため、積雪は薄く、所々地肌がむき出しになっている。左側には崩壊した雪庇が続く。幾つかの瘤を越えて最低鞍部に達する。いよいよ白砂山に向けた最後の登りである。見上げると山頂付近の雪稜を先行した2人が小さな点となって登っていく。昼近い太陽が真上から照し、暑い。既に手袋も外し、カッターシャツ一枚で登っている。帰路の時間を考えると、最悪でも午後1時までには山頂に着かなければならない。2パーティとすれ違う。いずれも荷物の大きさからして佐武流山往復だろう。最後の急な雪稜にステップを刻む。ようやく山頂部の一角に達した。二つ小さなピークを越えた先が山頂である。全身雪に覆われた頂に先行した2人の姿が望める。

 12時15分、ついに山頂に達した。その瞬間、思わず感嘆の声が漏れる。見よ! 見渡すかぎり360度、白き峰々が幾重にも重なりながら続いているではないか。ただぼう然としばし立ち尽くす。ようやく腰を下ろして、先着の2人と山座同定を始める。同年配のこの2人もなかなか詳しい。西に広がる山並みは登りながら何度も眺めた山々。浅間山、本白根山、草津白根山、横手山、岩菅山塊である。北方の山々も同定はたやすい。秋山郷奥の秘峰・鳥甲山が端正な三角錐となってすっくと聳えたっている。この山は初めて眺めた。いつか登ってみたいが日帰りでは無理だ。その左手遥か遥か彼方に白い山群が微かに見える。妙高連山だろうということで3人の意見は一致した。鳥甲山の右には足下から続く山稜が佐武流山を大きく盛り上げている。そしてその左奥には見慣れた苗場山の平頂が白く輝いている。白砂山から苗場山までの縦走を夢見た時期もあった。この稜線を辿ることはもうなかろう。

 一番凄まじいのは東の展望である。上越国境の山々が幾重にも重なり、解きほぐすのは難解である。まず、尾瀬の燧ヶ岳が同定できた。最遠景の小さな点に過ぎず双耳峰は確認できないが、形からして間違いない。そうするとその右隣りが至仏山。燧ヶ岳から左に展開す中景の山々は谷川連峰のはずだが複雑すぎて解きほぐせない。しばし後回しである。ずうっと左に目を移すと、新潟平野から最初に盛り上がった遠景の山が三つが見える。間違いなく越後三山である。となると、至仏山から中景の山々に隠されながらも越後三山までとぎれとぎれに続く特徴のない白い山並みは平ヶ岳を中心とする奥利根の山々である。あの稜線の縦走を目指したのももう遠い昔のことである。越後三山のさらに左の遥か遥か彼方に霞と見紛うような微かな白い染みが見える。どこだろう。2人は守門岳辺りではないかと言っているが。

 至仏山から目をずっと右に振ると、これも最遠景にひときは高い白き山が見える。この山は一目、日光白根山である。そうすると、その右手の黒い山は男体山。さらにその右手には足尾の山々が黒く続いている。日光白根の前に中景となって盛り上がるのは上州武尊山である。

 南に目を移すと、逆光の中、赤城山と榛名山がぎざぎざした山頂を黒く浮き上がらせている。その前に横たわる小さな山塊は昨年の秋に登った子持山と小野子三山である。遠景は秩父の山並みであるが、高まった午後の陽に霞み、もはや個々の山は同定できない。

 さあぁ、後回しにした東側中景の山々の同定を試みよう。3人で議論を重ねる。何とか平標山と仙ノ倉山は確認できたが後は同定できない。巻機山や朝日岳、谷川岳も見えているのだろうが。帰ってからゆっくり検討しよう。写真を撮りまくる。

 あっという間に時間が過ぎた。もう1時近い。下山しなければならない時刻である。結局、今日この山の頂を踏んだのは、佐武流山往復パーティを除けば我々3人だけであった。3人一緒に下山に掛かる。山稜を辿るのはもう我々だけ、午後になっても空は澄み渡り雲一つ現れない。

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