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深山橋バス停(940)→二段の急登を登りきる(1010)→森林再生間伐事業の看板のある鞍部(1043)→ナイフリッジ(1047)→大寺山(1110〜1120)→鴨沢分岐(1137)→鹿倉山70分の道標(1205)→大マトイ山(1229)→林道と出会う(1240)→鹿倉山(1311〜1320)→林道と別れ檜の森林地帯に入る(1346 )→林道と出会う(1355)→大丹波峠(1409)→マリコ橋(1445)→丹波バス停(1509〜1546) |
昨年の12月以来、山に御無沙汰している。春になったら登山を再開しようかと思っていたのだが、その春があれよあれよというまに過ぎ去ってしまった。今年の気候は異常である。我が熊谷地方においても3月中に早くも桜は終わり、まだ4月だというのに今日の予想最高気温は30度である。春はあっという間に去り、一気に夏がやって来た気配である。どうやら新緑の山を堪能する機会を逃してしまったと思われる。
遅まきながらようやく山へ行ってみる気になったが、どうも登りたい山が浮かばない。登山地図をひっくり返してあれやこれやと考えた末、奧多摩最奧の山「鹿倉山(ししくらやま)」が目に留まった。奧多摩と呼ばれる山域は多摩川及びその支流を囲む山々である。多摩川は奧多摩湖より上流は「丹波川(たばがわ)」と名前を変えるのだが、鹿倉山はその丹波川のずっと奧、東京都と山梨県の県境を越えたさらにその先の丹波川右岸に聳える山である。即ち、奧多摩の山と言えども山梨県に属する山である。このため、アプローチに要する交通の便が著しく悪く、また標高1288.2メートルの三角点峰ではあるが、これといったセールスポイントのある山でもないので登る人は極めて少ない。 インターネットで調べてみると、バスの便は極めて悪いが、何とか日帰りで行ってこられる目処が立った。ルートは鹿倉山と峰続きの稜線をたどるコース、即ち丹波川に架かる深山橋から入山し大寺山→大マトイ山→鹿倉山→大丹波峠と辿って、丹波川最奧の集落・丹波に下ることにする。このコースは一応ハイキングコースとなっていて危険はなさそうであるが、大丹波峠から丹波集落に下るルートが崩壊により現在通行禁止になっているとの情報が少々気になる。 「今日は一日晴天、予想最高気温30度C」との予報の下、早朝5時30分家を出る。既に夜は明けている。北鴻巣駅発5時40分の上り列車に乗る。以降、浦和、南浦和、西国分寺、立川、青梅の各駅で乗り換え、8時49分、ようやく奧多摩駅に到着した。所要3時間、乗り換え5回、何と遠いことか。ただし、まだ終わりではない。ここから今度はバスに乗らなければならない。 駅舎から駅前広場に出てびっくりした。多摩川奧へ向うバスの停留所に、100人を越えると思われる大行列ができている。次のバスは9時30分の鴨沢西行き、私の乗るつもりのバスだがこんな大人数乗りきれるわけがない。このバスに乗れなければ今日の登山は絶望である。行列を整理している係員に「どういうことか」と聞くと「いいから並べ」という。どうやら臨時便が出るようである。すぐに、鴨沢西行きと丹波行きの2台の臨時バスが超満員の乗客を載せて発車した。ただし、それでも10数人は積み残されたがーーー。私は丹波行きに最後の一人として飛び乗った。やれやれである。 これら満員の乗客は一体どこに行くのだろうか。「奧多摩湖」バス停で半分ほど降りた。湖畔探索か御前山登山だろう。さらに「「小河内神社」バス停で多くが降りた。三頭山に登るのだろうか。バスに残った乗客はほんの数人となった。 「深山橋」バス停で降りたのは私一人であった。どうやら今日も孤独な登山になりそうである。目の前に奧多摩湖が広がり、足下から湖を跨ぐ深山橋が対岸へと伸びている。対岸に連なる山並はいまだ新緑の気配が濃厚で山肌を薄緑色に染めている。時刻は既に9時40分、あまりのんびりとはしていられない。 橋を丹波川右岸へ渡る。川岸に陣屋と称する立派な蕎麦屋があり、その手前に「鹿倉山・大寺山」と記した立派な道標があった。示された踏跡を辿って蕎麦屋の裏に回り込む。と、「鹿倉山・大寺山登山口」と記された道標があり、そそり立つ急斜面を登り上げていく踏跡を指し示している。いきなり檜林の中の凄まじい急登が始まる。急登は二段になって続いていた。その一段目を登りきったところに、意外にも、若い男女の登山者がへたり込んでいた。まさか山中で人影を見るとは思っていなかったので少々驚いた。 息を乱しながらも、何とかこの急斜面を登りきる。ただし、その後も傾斜は少し緩むものの登りは続く。どうも今日は調子がいまひとつである。ようやく尾根筋が大きく開けた緩斜面に出た。身体は楽になったが、開けた雑木林の中は尾根筋もはっきりせず、また踏跡も厚く積もった落ち葉に隠されている。時々現れる赤布を頼りに慎重に歩を進める。 再び尾根筋は明確となり、今度はシャクナゲの茂る痩せ尾根となった。小さな鞍部に出ると、「森林再生間伐事業」と記した東京都環境局の看板を見る。尾根は再び痩せ、ナイフリッジ状態となった。危険というほどでもないが、人一人がようやく歩けるほどの狭さである。すると、何と向こうから単独行の男性がやってきたではないか。尾根上ではすれ違えない。一瞬見合ったが、相手がすれ違い可能な場所まで後戻りしてくれた。 鞍部に下る。前方に高く聳えているピークが大寺山だろう。山頂に建つ巨大な仏舎利塔が木の間隠れにちらちら見える。大寺山への最後の登りにかかる。たいした登りではないのだが、もはや息が上がって疲労困憊である。腹も減って力が入らない。朝から何も食べていない。また、気温が上がったせいか暑くて仕方がない、長袖のカッターシャツを脱ぎたいのだがーー。山頂まで何とか我慢しよう。 11時11分、何とか大寺山山頂に到着した。登山口から1時間20分も掛かっている。案内書によると標準時間は1時間5分なのでかなり遅い。辿り着いた山頂は広々と造成された平坦地で、その真ん中に巨大な白亜の仏舎利塔が建っている。それを囲む広場には多くの桜の苗木が植えられている。掲げられた説明板により、この仏舎利塔は高さ36メートル、昭和49年に日蓮宗系の日本山妙法寺によって建立されたことを知る。日本山妙法寺によって建立された同様の仏舎利塔がネパールのポカラのフェワ湖湖畔、ネパールのルンビニ、及びインドのオリッサ州ダウリに建っていたことを思いだした。それにしても人里から遠く離れたこんな山の中に、これほどの仏塔を建てる意義は理解に苦しむ。 設置されたベンチに腰掛け、持参の菓子パンを頬張る。陽が燦々と降り注ぎ暑い。Tシャツ一枚となり、水をがぶ飲みする。辺りに人の気配はない。しかし、あまりゆっくり休んではいられない。丹波集落発15時45分のバスにはどうしても乗らなければならない。乗り遅れると、次は18時20分の最終便きりない。この便では帰宅が夜中になってしまう。 10分ほどの休憩で腰を上げる。道標に従い舎利塔の裏手より樹林の中の踏跡を辿る。小さな鞍部に道標があり、鴨沢集落への細い踏跡が右に下っている。尾根を左より巻いて杉檜の鬱蒼とした深い森林の中に入る。再び雑木林の明るい尾根道となり、「鹿倉山約70分、仏舎利塔約35分」の道標を見る。 一峰を大きく右側より巻く。男の単独行者とすれ違う。こんな山域を一人辿る登山者が私以外にもいるようだ。長い登りに入る。相変わらず足取りは重い。尾根が大きく右に曲がる地点に「大マトイ山」と示す道標があり「鹿倉山約30分」と示している。地図上の1178メートル標高点地点である。ピークとも思えぬこの地点を登山地図では「大マトイ山」と表示している。 休むこともなく先を急ぐ。長い登りに入る。右側に地道の林道が現れ、登山道と平行する。そして共に緩やかに左にカーブしながら顕著なピークに登り上げていく。目指す鹿倉山だろうか。林道右側には網が張りめぐらされている。おそらく、植林した苗木を獣の食害から守る処置なのだろう。ひぃーひぃー言って登り上げたピークは鹿倉山ではなかった。その手前の1250メートルピークと思える。残念。 ちょっと下って、再び長い登りに入る。鹿倉山への最後の登りだろう。平行する林道は鹿倉山山頂部を巻くようで、右に離れていった。樹林の中の登山道を懸命に登るが、もはや疲労困憊、数十歩歩いては立ち止まって一息入れるていたらくである。それでも次第に山頂は近づいてくる。 上方からにぎやかな人声が聞こえ、木の間隠れに山頂に憩う人影が見えた。13時11分、ついに今日の最終目的地・鹿倉山山頂に辿り着いた。山頂は落葉樹の林に囲まれた小さな裸地で、展望はない。「鹿倉山」の山頂表示と1288,24メートルの三等三角点「獅子倉」が確認できる。
彼らが賑やかに出発して行き、私一人が残された。ゆっくり休みたいところだがバスの時間を考えるとそうもしていられない。15時45分のバス発車時刻まであと2時間半。バス停までの標準下山時間は案内書によると約2時間、余裕はほとんどない。急がなければならない。 少し下ると山頂を巻いている先ほどの林道にでた。ここからしばらくは林道を歩くことになる。平行して林の中に登山道もある気配だが、もっぱら林道が歩かれてる様子である。右から大きく一峰を巻いて、足早に下る。さすがに下りの足取りは快調である。やがて道標があり、林道と別れて左手の樹林の中に入って行く踏跡を「登山道、大丹波峠」と示している。杉檜の深い植林の中をジグザグを切りながらグイグイ下っていく。踏跡は明確であり、不安はまったくない。しばし下ると林道にでた。先程分かれた林道と思えるがーーー。 2時9分、大丹波峠に到着した。鹿倉山山頂からの所要時間は50分、標準所要時間は1時間なので、快調な歩みである。この峠でルートは二つに分かれる。道標が左側に下っていく林道を「小菅村(川久保)」、右に向う山道を「丹波山村」と示している。ただし、その山道の入り口には「崩壊により危険のため通行禁止」の警告が掲示されている。とは言っても、ここを突破しなければ下山できない。先ほど鹿倉山山頂で出会った人に通過可能なことを確認してある。休みもせずにそのまま通行禁止の登山道に踏み込む。 しばし、山腹をトラバースしながらほぼ水平に進む。道は確りしており、危険個所は皆無である。やがてジグザグを切って、遥か下方のマリコ川に向って一気に下りだす。少々崩れた箇所もあるが、危険というほどではない。川に下り切ると、川の右岸沿いに下る。ここに到って、道は険悪となる。所々高巻きとなるが、川面への登り下りルートはあちこち崩壊が激しく、ズタズタで逃げ場もない。細心の注意をもって、だましだまし崩壊地にステップを確保する。鹿倉山山頂で聞いた話とは大違いである。ルートは右岸から左岸に移り、再び右岸に移る。しばらく進むと人家が現れ、けたたましい犬の吠え声が響き渡る。危険地帯の無事突破である。 ここから鋪装道路となった。マリコ川をマリコ橋で渡り、尾根を右より巻くように進むと畑の広がる人里にでた。道標がバス停の方向を示している。15時09分、丹波村役場前のバス停に無事到着した。バスの通過時刻にも余裕をもって間に合った。やがてやってきたバスに乗ったのは私一人であった。
登りついた頂き
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