秋天の奥武蔵縦走路鳥首峠→大持山→武川岳→伊豆ヶ岳 |
2002年11月4日 |
浦山大日堂バス停 (835〜840)→鳥首峠分岐(855)→林道終点(900)→冠岩廃村(910〜920)→鳥首峠(1005〜1015)→ウノタワ(1050〜1055)→大持山(1130〜1150)→妻坂峠(1225〜1230)→武川岳(1255〜1310)→前武川岳(1320)→山伏峠(1350〜1355)→伊豆ヶ岳(1425〜1440)→馬頭尊(1515)→正丸駅(1535〜1615) |
季節は一足飛びに冬となった。真冬並の寒波が押し寄せ、北国に雪を降らせている。関東平野は空っ風が吹き荒れ、今日も一日寒そうである。先週、奥武蔵の金比羅尾根から蕨山に登り、鳥首峠から名郷集落に下った。鳥首峠からさらに→大持山→妻坂峠→武川岳→伊豆ヶ岳と続く奥武蔵縦走路が気になる。紅葉も見頃となっているだろう。
実は、昨日支度を整えて家を出たのだが、高崎線が事故で不通。今日改めての出直しである。列車が進むに従い、奥武蔵の山々が次第に近づいてくる。車窓から山々を同定するのは山行きの楽しみの一つである。空は真っ青に晴れ渡り、山々が朝日に輝く。秩父盆地に入ると、行く手に奥秩父主稜線の山々が見えて来る。和名倉山が大きく盛り上がり、その背後に雁坂嶺、破不山、甲武信ヶ岳、三宝山、と続く山並みが、くっきりとスカイラインを描いている。 今日は縦走開始地点の鳥首峠に先週とは反対の浦山側から登って見るつもりである。8時、浦山大日堂行きのマイクロバスはたった一人の乗客を乗せて秩父駅を出発した。平成11年に完成した浦山ダムサイドを抜け、ダム湖に沿って奥へと進む。浦山川流域に入るのはダム完成後初めてである。道路は見違えるほど立派となっている。道端に猿がいる。突然集落が現れ、その奥が終点・浦山大日堂であった。真新しいトイレがあり、川を挟んだ反対側に大日堂の社が見える。最初から最後まで乗客は私一人、鳥首峠に裏側から登るものなどいないようだ。 通る車とてない車道を奥へ進む。さすが寒さは厳しい。セーターにヤッケを着込み、手袋までしての出発である。15分も歩くと、鳥首峠を示す道標があり、左に林道支線が分かれる。数分進むと、林道は終点。沢を渡って薄暗い植林の中の山道を緩やかに登っていく。突然、樹林の中に廃屋が現れた。冠岩廃村である。3軒の家が確認できる。1軒はいまだ作業小屋として利用されている気配だが、もう1軒は完全につぶれている。廃村に出会うと心が痛む。先祖代々続いてきた集落が失われ、生まれ育った家が荒れ果てていく。住人の気持ちはいかばかりであろうか。先週は白岩廃村を見た。鳥首峠を挟んだ二つの集落が廃村となってすでに10年以上経つ。車道も通じぬ山奥ではもはや生活できないのだろう。 鬱蒼とした杉檜林の中を斜登する。さすが昔からの峠道、緩くもなくきつくもなく、実に歩きやすい。沢を横切り、支尾根を越え、確実に高度を上げていく。人の気配はまったくしない。やがて広葉樹が混りだし、上方に青空が見えてくる。10時5分、鳥首峠に登り上げた。わずか1週間ぶりの再訪である。腰を下ろして、朝食の稲荷寿司を頬張る。名郷側から単独行者が登ってきたのを潮に大持山に向け出発する。 いきなりの大急登である。登り切ると、南、西側に展望が開けた。濃紺の空をバックに、長沢背稜の山々がくっきりとスカイラインを描いている。正面に見える一番立派な山は大平山である。いまだ登山道もない奥武蔵の孤児であるが、その山容は他を圧している。その左には三ッドッケ、右には酉谷山が確認できる。目を右に振ると、甲武信ヶ岳、三宝山を中心とした奥秩父主稜線が、手の届きそうな近さで連なっている。視界の一番右には、両神山の独特の山容も確認できる。 送電線鉄塔を過ぎひと登りすると、広葉樹林のすばらしい尾根道となった。まさに心に描いていた情景である。黄色く色づいた木々の間から、行く手に大持山の鋭鋒がちらちら見える。露石の積み重なる岩場に出た。木々の隙間から初めて武甲山が姿を現す。傷一つない昔のままの姿である。目を背けたくなる北面を見慣れているせいか、心が和む。いやな岩場を下り、緩急をまじえながら雑木林の尾根道を登っていく。奥武蔵のすばらしさは広葉樹の雑木林にある。この辺りがその極致であろう。奥武蔵の主稜線を歩いているというのに、相変わらず誰とも会わない。 窪地状の地形が大きく広がる場所に出る。ウノタワと呼ばれるところである。横倉林道を経由して名郷に下る道が右に分かれる。何回目かの急登を経ると、右側に小さな伐採地があり、初めて東側の視界が開けた。今日の終着地となる予定の伊豆ヶ岳が、ふた瘤ラクダのような独特の山容を見せている。その前には、捕らえどころのない武川岳の大きな姿が望める。さらに急登を続ける。妻坂峠から大持山に突き上げる尾根が次第に近づく。ようやく尾根分岐に達した。東、南に大きく視界が開け、武川岳、伊豆ヶ岳の右に先週登った金比羅尾根から蕨山、有間山と続く稜線が姿を現した。数人が休んでいる。鳥首峠以来はじめてみる人影である。 分岐から数分、雑木林の痩せ尾根を緩やかに登ると、大持山山頂に達した。雑木林に囲まれた痩せ尾根の一角である。単独行者が一人いたが入れ替わりに下山していった。無人の山頂に座り込み握り飯を頬張る。この山頂は実に20年振り、4度目である。1982年7月、当時66歳の父を連れて妻坂峠から登ってきた。木の間隠れであるが、南、西に展望が得られる。高く登った昼の陽に、朝方に比べいくらか寝ぼけはしたが、長沢背稜、奥秩父主稜線の山々が望まれる。強風が時折頭上を通り過ぎていく。 尾根分岐まで戻り、妻坂峠を目指す。広々とした尾根を緩やかに下る。この尾根も、20年前の記憶では雑木林が美しかった。しかし、今下る尾根は片側が常に桧の植林で記憶に残る美しさは半減している。下るにしたがい、傾斜が次第に増す。登山道が水流によって深くえぐれ、それを防ぐために、布袋の土嚢を敷き占めている。仕方がないのだろうが、何とも情緒がない。大持山からワンピッチで妻坂峠に下り着いた。懐かしい峠である。20年振り、5度目のはずである。誰もいない。峠のお地蔵様だけが迎えてくれた。昔に比べ、木々が鬱蒼とした感じはあるが、それでも正面に、武甲山の大きな姿を望むことができる。ここから眺める武甲山が一番美しい。 武川岳を目指す。息もつかせぬものすごい急登が続く。露石の上に岩屑が薄く積もったいやな登りである。ただし、一気に高度は稼げる。木の間からちらちら見える背後の大持山がぐんぐん目の高さに近づいてくる。周りは鬱蒼とした植林で20年以上前の記憶とは大分異なる。今から25年前の1977年7月、当時4歳の長女を連れてこの道を登った。当時この道は裸地のものすごい薮道だった。二人とも手足はおろか顔までも傷だらけとなり、帰路はおそれをなして山伏峠に下った思い出がある。急登を一気に突破して、雑木林となった緩やかな尾根を右に進むと、そこが武川岳山頂であった。案内書では50分とあったが、わずか25分で登り切った。足はまだ衰えていない。 山頂は10人ほどの子供たちが飛び回ってにぎやかであった。先着の単独行者二人が隅の方で肩身を狭くしている。この山頂も20年振り、4度目であるが、昔と印象が大分異なっている。昔は南面に草地が大きく広がり、眼前には大展望が開けていた。しかし、今見る山頂は、草地も小さくなり、眼前の展望も繁茂した木々によって著しく狭められている。片隅に陣取り、握り飯を頬張る。足下から低い山並みが折り重なるようにどこまでも続いている。そのはるか彼方に、目を引く二つの山が見える。一つは、その形からして奥多摩の大岳山だろう。そのさらに左奥の三角形の山はどこだろう。地図でざっと確認すると、方向としては丹沢山塊である。となると、大山であろうか。今日はずいぶん視界がよい。 山伏峠に向け下山を開始する。いよいよ山旅も後半である。緩く下って、ちょっとした登りを経ると前武川岳山頂に達した。小さな山頂標示があるだけの平凡な頂である。ここで天狗岩経由名郷への下山道が右に分かれる。緩やかな下りが続く。樹相は杉檜の植林に変わる。この道を25年前に下ったときはかなりの薮道であった。今では見違えるようにしっかりしている。ただし、展望もない単調な道である。いい加減飽き飽きした頃、左手に林道が見えだし、すぐに峠を越える車道の切り通しの上に出た。道は、切り通しに沿って暫く左に進んだのち、ようやく車道に降り立った。ここが山伏峠なのだが、峠を示す標示は何もない。通る車もない車道を横切り、反対側の山腹に取り付いてひと休みする。 いよいよ今日最後の山・伊豆ヶ岳への登りである。地図を読む限りかなりの急登が予想される。少し右に水平移動したのち、いきなり急登にはいる。鳥居があり真新しい石の祠が安置されている。この道を辿るのは初めてである。道は弱い尾根筋に沿って、何段にも分かれた急登を繰り返す。さすがにいい加減くたびれた。前武川岳以来誰にもあわない。息は切れるが高度は確実に増す。上空に見える稜線が次第に近づいてくる。やがて人声が聞こえ、稜線に飛び出した。その一段上が、伊豆が岳山頂であった。 露石の目立つ狭い山頂には10組ほどの登山者がひしめき、また、下るもの、登ってくるものが次々に入れ替わり大にぎわいである。さすが、奥武蔵随一の人気を誇る伊豆ヶ岳である。しかし、登山者の状況は他の奥武蔵の山々とは大いに異なる。子供連れも多く、登山者の服装や装備を見ても、ハイキングというより遠足の雰囲気である。単独行者にはどうも居心地が悪い。この頂は二度目である。今から24年前の1978年2月、当時4歳の長女を連れて、正丸峠から登り、子の権現まで縦走した。寒い一日であった事を覚えている。山頂は360度の大展望台と記憶していたが、現実は少々がっかりであった。狭い山頂の周りを雑木が取り囲み、西方に切れ切れの展望が得られるだけである。それでも越えてきた大持山、武川岳が午後の陽にぼやけながらも、眼前にそびえ立っている。その右には、武甲山、二子山も見える。辿ってきたルートを目で追うのは何とも楽しい。 居心地のよくない山頂を早々に出発する。時刻はすでに2時半過ぎ。あわよくば、旧正丸峠まで縦走しようかとの気持ちもあったが、明日は会社がある。無理することもあるまい。正丸駅に下ることにする。山頂直下でルートは二つに分かれる。尾根筋をそのまま進むのは鎖場コースである。ただし、現在は危険なため通行禁止となっている。伊豆ヶ岳のセールスポイントの一つであっただけに残念である。左側の巻き道にはいる。稜線に戻り、鎖場コースと合流すると、正丸駅へのコースが右に分かれる。稜線上を真っ直ぐ進む道は正丸峠への縦走路である。弱い尾根筋を暫く下ると、ルートは左に折れて、二段にわたる裸地の大急降下となる。ザイルが張りっぱなしで、かなり悪い。幼児連れが悪戦苦闘している。沢の源頭に降り立ち、流れに沿った道を足早に下る。やがて細い車道に飛び出した。大蔵集落上部の正丸峠分岐である。角には立派な馬頭尊の祠が祀られている。 集落の中をのんびりと下っていく。実に風情のある山村である。古い大きな家の間に真新しい近代的な家が混じる。どうやら都会から移り住む人が多いようだ。何と、分譲地の幟がはためいている。3時35分、正丸駅にたどり着いた。山旅の終着である。電車は40分待ちであった。ベンチに座り、暮れゆく山々をぼんやりと眺め続ける。 |