榛名山 氷室山から相馬山へ 

外輪山を縦走して山岳信仰の岩山へ

2002年7月14日


湖畔より相馬山を望む
 
榛名湖畔(740)→関東ふれあいの道入口(750)→氷室山(805〜815)→天目山(840〜900)→七曲峠(915)→松之沢峠(950)→磨墨岩(1015〜1030)→磨墨峠(1035)→相馬山登山口(1055)→相馬山(1115〜1135)→相馬山登山口(1150)→ヤセオネ峠(1205)→ユウスゲの道→榛名湖畔(1300)

 
 梅雨明け宣言は出ないのだが、梅雨前線は北上したままで、連日35度前後の猛暑が続いている。今日も暑くなりそうである。この時期、登る山の選択に苦労する。近郊の薮山はダメだし、二千メートル級の山は遠い。今日は妥協して榛名山のハイキングコースを歩いてみることにする。季節柄展望は期待できないが、コースはよく整備されていて薮もなさそうである。初夏の山野草も咲いているだろう。榛名山は1999年10月に一度、掃部ヶ岳から杏ヶ岳へ歩いたことがある。このときは猛烈な濃霧の中で周囲の山々どころか榛名湖さえ見えなかった。今日は天神峠から外輪山を縦走して相馬山まで歩いて見るつもりである。
 
 5時45分、車で出発する。雲は多いが、奥武蔵の山並みがくっきり見え、この季節にしては視界がよさそうである。山頂からの展望が楽しみである。7時30分、榛名湖畔の無料駐車場に車を停める。観光客はまだだが、釣り人がすでに活動を始めている。支度を整え、スタート地点の天神峠を目指す。天神峠越えの車道をほんの2〜3分辿ると、「関東ふれあいの道入り口」との標示があった。入り口は踏み込むのを一瞬躊躇するほど夏草が繁茂している。しかし、樹林の中にはいると、下草も消えしっかりした踏み跡となった。5分ほど登ると、尾根に出て天神峠からのルートと合流する。
 
 ここからは完璧に整備されたハイキングコースである。「関東ふれあいの道」と名付けられたこの道は、天神峠から相馬山の裾を巻いてヤセオネ峠まで続いている。今日は気楽な山稜散歩、地図もコンパスも必要なさそうである。最初のピーク・氷室山に向かう。登り坂は二本の丸太と木板で作られた梯子状の階段である。歩きやすいとも云えるが、歩幅は決められるし、何とも味気ない。結局、このコースはちょっとした坂道は全てこの梯子状階段が敷きしめられていた。山に来たからには、やはり地面の上を歩きたい。多額の費用をかけ、こんな整備をするのは山を知らない役人の浅知恵だろう。この道を整備したのは環境庁である。ただし、周りは広葉落葉樹と潅木の自然林。人の気配もせず気持ちがよい。
 
 登り上げた氷室山山頂は展望もない樹林の中で、山頂標示すらない。ひと休み後、次のピーク・天目山を目指す。梯子状階段を下っていくと、正面に榛名湖が見えた。その背後にカッコウイイ鋭鋒が見える。地図で確認すると、烏帽子ヶ岳である。なるほどその山容は烏帽子に似ている。いつか登ってみよう。鞍部に下ると、またもや梯子状階段の長い登りとなった。ヘキヘキしながら一歩一歩登る。天目山山頂は氷室山と同様展望のない雑木林の中で、山頂の一角だけ小さく開けている。備え付けのベンチに腰掛け朝食とする。ここまで何も食べずに登ってきた。鶯の鳴き声と風の音のみが支配している。
 
 梯子状階段を下り、緩やかとなった尾根を進むと、何と! 前方から2匹の犬がやってくる。犬も私に気がつき、身構えて激しく吠えたて始めた。サー困った。山で出会う動物の中で、熊の次に厄介なのが犬である。昔、数匹に取り囲まれ格闘となったこともある。対応方法は二つある。一つは威圧的に脅して中央突破をする方法。この場合は格闘となる可能性も強い。二つ目は平和的に解決する方法。ただし、相手が合意するかどうかはわからない。今日は平和的解決を試みる。しゃがんで手を前に出して、おいでおいでの意思表示をする。そのうち犬も数メートル先で座り込んで吠えるのを止めた。目からも敵意が消えた。平和解決の合意である。暫くして、私が立ち上がって歩き始めると、犬も立ち上がって道脇の薮の中に身をかわし道を譲る。ただし、5メートル以上の距離を常に保ち、私の動きに細心の注意を払っている。野生世界で動物と動物が出会った際の一つの行動パターンである。
 
 すぐに車道の乗っ越す七曲峠に下り着いた。防火帯となっているのだろうか。大きく切り開かれた道を緩やかに登っていく。大きな虫取り網をもった中年の男性とすれ違う。山中初めて見る人影である。緩やかなピークに達すると、周囲の樹林も薄れ、道端に多くの野の花が現れる。一番多いのはシモツケソウである。ピンクのミニチュア細工のような無数の花の集まりが何ともかわいらしい。一番目立つのはアヤメである。ぽつりぽつりであるが、大柄のあでやかな紫色の花はよく目立つ。ユウスゲの大柄の黄色い花も目につく。その他、オカトラノオの穂状の白い花も多い。ヤマオダマキを見つけた。珍しい花である。備え付けのベンチでひと休みしながらぼんやりと野の花を見つめる。
 
 急な一直線の下りにはいる。例の梯子状階段がはるか下まで延々と敷きしめられている。これでは登山道ではない。正面に、これから向かう相馬山のドーム型の岩峰がくっきりとそびえ立っている。なかなか登り甲斐がありそうである。小さな草原に下り着く。急ぐこともない。草原に寝ころぶ。雲間から漏れる日の光が暖かく、吹き付ける風が心地よい。辺りに人の気配はない。
 
 ルートは左に折れ、樹林の中を緩やかに下ると車道の乗っ越す松之沢峠に達した。ぽつりぽつりと登山者に行き会うようになる。稜線を左から巻き気味に樹林の中を進むと、右、稜線に向かう細い踏み跡が分かれる。小さな手製の道標が「磨墨岩」と示している。寄ってみることにする。立木、岩角を掴んで急登し、最後は鉄の梯子を登ると岩峰に達した。誰もいない。二つの大岩があり、北の岩上には烏天狗の石像が建っている。南の大岩の方が高いので、登頂を試みる。足場がなく相当悪い。岩上で悠然と握り飯を頬張る。東側を除き大きく展望が開けている。眼前には榛名湖と榛名富士が絵葉書のような景色を見せている。「磨墨」と書いて「スルス」と読む。「スルス」とは磨り臼のことである。大辞林には次の通りある。
   
  すりうす 【磨り臼】
     籾(もみ)磨り用の臼。上下に二つの臼を重ね、下臼を固定
     し、上臼を中央の心棒を軸として回転させる。土臼。唐臼
     (とううす)。するす。
 
 ふと、北側の岩上を見たら、何と! 大きな蛇がいる。実に大きい。2メートルは超えているだろう。ということは青大将なのだろう。みていると、蛇は垂直に近い岩壁を巧みに下っていった。縦走路に戻り、ひと下りすると、磨墨峠に達した。一段上に休憩舎が建っている。前方からものすごい大パーティがやってきた。おじちゃん、おばちゃん百人は越えている。こんな大人数で山に来て楽しいのだろうか。鳥居をくぐると、長い長い石段の登りとなった。息せき切って登り切ると、大きな赤い鳥居の前にでる。ここが相馬山の登り口である。辿ってきた関東ふれあい道から分かれ、一筋の踏み跡が右の急斜面を登っている。相馬山への登山道のはずである。ただし、不思議なことに、相馬山を示す道標がない。
 
 休むことなく、相馬山登山道に踏み込む。ここまではいわばアプローチ、いよいよここからからが登山である。道の状況は一変する。岩角、木の根を踏んでの激しい急登である。相馬山は修験の山である。今でも講登山が盛んらしい。道脇には板碑や祭壇が多い。絶壁に近い岩場を二段にわたる鉄梯子で越える。別に危険を感じるほどではないが、子供や年寄りにはちょっと無理かも知れない。樹林の中の急登をさらに続ける。11時15分、ようやく目指す山頂に達した。標準登頂時間40分のところを20分で登ったことになる。
 
 山頂部は細長い平頂で、真新しい籠もり堂と大きな石像、板碑などが多数建てられている。先着していた夫婦連も私の到着と同時に下っていき、山頂は私一人となった。周りは雑木に囲まれ展望はよくないが、南側にわずかに視界が開けている。重なり合う山並みを眺めているうちに解けた。目の前に連なる山並みは御荷鉾山、その背後に連なるのは奥武蔵から奥秩父の山々である。雲取山が同定できた。武甲山も見える。今日はこの季節にしては何と視界のよいことか。
 
 下山に移る。突然すぐ下で、若い女性の絹を引き裂くようなすさまじい悲鳴。岩場から落ちたのかと思い、駆けつけてみると、女性二人連れが立ちすくんでいる。聞けば、「大きな蛙がいた」との答え。「蛇もいますよ」と脅すと、青ざめていた。わずか15分で登山口に下り着く。再び遊歩道をヤセオネ峠に向かう。15分で、伊香保温泉から榛名湖に通じる車道の越える峠に下り着いた。今日の終着地である。ただし、ここから車のある榛名湖畔まで戻らなければならない。バスもあるが、最初から歩くつもりでいる。途中、車道を外れ、ユウスゲの咲く草原の遊歩道を辿る。振り返ると、登ってきた相馬山がその鋭い山容を空に突き上げている。約1時間歩き、ちょうど13時、無事愛車に帰り着いた。

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