守門岳豊富な残雪を踏んで越後の名峰へ |
2001年5月4日 |
ガスに煙る守門岳の登り(山頂付近にて)
大平橋(610〜630)→猿倉橋(655〜710)→登山口(715)→尾根(735〜740)→891.6メートル峰(815〜825)→標高千メートル地点(905〜910)→大岳分岐(1015)→守門岳山頂(1050〜1130)→標高千メートル地点(1215)→891.6メートル峰(1240〜1245)→登山口(1310)→猿倉橋(1315〜1320)→大平橋(1345) |
長岡、三条、燕、加茂などの中越平野から東を眺めると、ゆったりした大きな山が二つ目に留まる。山に興味のない人でも、思わず「あの山は何という山」と尋ねてしまうほどの存在感のある山である。左側が粟ヶ岳、右に聳えるのが守門岳である。いずれも中越の名峰として知られた山である。特に守門岳は日本200名山に列している。いつ眺めても惚れ惚れする山であるが、春の眺めが特にすばらしい。田植えの進む田圃の向こうに、あるいは白い花の咲き誇る梨畑の向こうに、豊富な残雪を白く輝やかす様は神々しいまでの美しさである。
守門岳に登ってみようと思った。しかし、日帰りはちょっと無理。車で行って、長岡に一泊することにする。連休で混雑する関越自動車道を抜け、やっと到着したホテルの窓から、夕闇の空に白く輝く守門岳の姿が眺められた。 5時起床。窓のカーテンを開けると、予報に反し空はどんよりと曇り、目指す守門岳の姿は見えない。せっかく遠路はるばるやってきたのに残念である。上杉謙信縁の地・栃尾市を抜け、さらに国道290号線を南下する。たいして標高が上がったとも思えないのに、道路端に残雪が現れだし驚く。国道を離れ、二分集落に達するともはや田圃は一面の雪の下である。集落を過ぎるとじきに、道は橋を渡る。この地点で道端に数台の車が止まっており、登山者が三々五々と100メートルほど上部の雪に覆われた林道に向かって行く。どうやらここが登山口となっているようである。橋には大平橋と記されている。案内書によると、車道は登山口である猿倉橋まで通じており、ここに駐車場もあることになっているのだが。おそらく残雪のため、そこまで車は入れないのだろう。私も車を止めて支度を整える。ピッケルにするかストックにすか判断を迷ったが、皆ストック持参なのでそれに習う。 6時30分、先行者のトレースを追って田圃の畦道を上部の林道に向かう。林道は完全に雪に覆われ、雪害を防ぐためかガードレールも外されている。平坦な雪道は意外に歩きにくい。行く手に見えるはずの守門岳は低く立ちこめた雲に覆われ姿を現さない。30分も林道を歩くと、本来の登山口である猿倉橋についた。これでようやく位置関係がはっきりした。座り込んで朝食のサンドイッチを頬張っていたら同年輩の単独行者が追い越していった。ここで林道は2分する。左の道は保久礼小屋経由の登山口へ向かうものだがトレースはない。トレースの続く右の林道を5分も進むと、登山道入り口に達した。ここにテントが1張り張られていた。
10時50分、ついに山頂に達した。三角点を中心とした10メートル四方ほどの山頂部はそこだけ雪がなく、鐘の付いた立派な山頂標示と小さな石の祠が二つ置かれている。すでに10人ほどの登山者が思い思いに休んでいる。私も山頂部の一角に陣取る。相変わらずガスが渦巻き視界は得られない。せっかく遠路はるばるやってきたのに残念である。案内書によると、天気さえよければこの山頂から越後三山を始め、遠く佐渡まで見通せるという。それでも握り飯を頬張るうちに、いくらかガスは薄らいできた。目の前に聳えているはずの浅草岳が中腹まで見える。登り来し方向を眺めると、巨大な雪庇の続く稜線の向こうに大岳が真っ白な山容を霞ませている。
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