奥武蔵 前坂から伊豆ヶ岳へ縦走

踏跡薄い山中で鹿の角を拾い

2004年4月17日

          
堂平山で拾得した鹿の角
 
吾野駅(745〜750)→ 前坂(820〜825)→ キワダ坂(840〜845)→ 522.1m三角点(905〜915)→ タカソリ山(930)→ 堂平山(950〜1005→ 六ツ石ノ頭(1020〜1025)→ スルギ(1045〜1050)→ 子ノ権現(1115〜1135)→ 天目指峠(1210〜1220)→ 中ノ沢ノ頭(1245〜1250)→ 高畑山(1310〜1315)→ 古御岳(1350〜1405)→ 伊豆ヶ岳(1430〜1435)→ 長岩峠(1455)→ 小高山(1500)→正丸峠(1515〜1525)→ 正丸駅(1605〜1610)
 先週、高麗川右岸稜を最末端の天覧山から天覚山、大高山を越え、前坂まで辿った。今日はその続き、前坂から伊豆ヶ岳を越えて正丸峠まで歩いてみるつもりである。ただし、前坂から途中の子ノ権現までは一般ハイキングコースとはなっていない。登山地図をみても、難路を示す赤い点線標示となっており、また案内の類いも見当たらない。いわばこの高麗川右岸稜縦走の核心部である。

 いつもの通り、北鴻巣発5時24分の上り一番列車に乗り、大宮、川越、東飯能と乗り換え、吾野着7時44分。降りたのは私一人であった。勝手知った道を前坂へ向かう。初めはかなりの急登であるが、一段登りきれば、緩やかな実に歩きやすい峠道となる。わずか30分で、前坂に着いた。当然誰もいない。ここから縦走開始となる。セーターを脱ぎ支度を整える。今日も暑くなりそうである。

 西に続く稜線に踏み込む。稜線上にははっきりした踏跡があり、また峠の道標も「スルギ、子の山」と示している。それほどの難コースでもなさそうである。しかも、途中のキワダ坂までは、今年の1月、山中放浪の際、心ならずも辿ったルートである。1峰に登るとすぐに、稜線は右から迫った石灰岩採掘場のため通行禁止。踏跡は左に下り、程なく一軒家の上部で林道に下り立つ。林道を数分上部に辿るとそこがキワダ坂である。標示は何もないが石の祠がある。ここで、林道と別れ、再び稜線上の踏跡を辿る。すぐに赤い帽子とチャンチャンコを着た懐かしい地蔵様に出会う。今年の1月、ルートを失い、遮二無二踏跡なき山中を歩いて前坂を目指した際に、偶然この地点に出てルートを得た。元々はこの地点がキワダ坂であったのかもしれない。

 左から張り出す支尾根を右から捲くように進み尾根筋に戻ると左側に墓地を見る。この支尾根を1月に辿った。すぐに岩場のかなり悪い急登となる。登りきると、522.1メートルの三角点があり、ここまでのルートの正しいことが確認できる。「板谷ノ頭」との標示がある。周りを低い潅木に囲まれていて割合展望がよい。正面には奥武蔵山稜とも呼ばれる高麗川左岸稜の特色のない山並みが春霞に霞んでいる。左にはこれから向かう子の山がくっきり見える。山頂付近に見える人家は子ノ権現なのだろう。ひと休みする。だいだい色のヤマツツジがきれいである。

 この頂でルートは90度左に曲がる。樹林の中の1峰を越える。時々蜘蛛の巣が顔にかかり鬱陶しい。相変わらず踏跡ははっきりしており、また赤テープが頻繁にあるのでルートに不安はない。次の平頂に達すると、小さな道標が左に分かれる細い踏跡を「タカソリ山」と示している。地図上の532メートル標高点峰のことだろう。行ってみることにする。ほんの2〜3分薮道を辿ると、山頂に達した。樹林の中で、立木に小さな山頂標示が打ち付けられているだけ。証拠写真のみ撮ってすぐに戻る。このルートはハイキングコースではないので、念のため二万五千図を手許におき、現在位置を確認しながら歩いている。

 すぐに踏跡が二分した。小さな道標が山稜を捲くように進む右のはっきりした踏跡を「スルギ、捲き道」と示し、左の稜線上を進む弱い踏跡を「堂平山」と示している。当然尾根道を選択する。堂平山に寄るつもりである。次の1峰に登る。地図を確認すると、このピークから北西に分岐する尾根が主稜線で、南西に真っすぐ進む尾根は堂平山へ続く支稜である。しかし、踏跡は、主稜線上にはなく、支稜上に真っすぐ続いている。地形はかなり複雑で地図を読みきらないと現在位置が確認しにくい。

 鞍部に下ると、尾根を乗っ越す明確な踏跡に出会う。ただし道標もテープも一切ない。尾根上の踏跡は細まるが、それでも明確に先に続いている。地図にない小峰を越え、登り上げるとそこが堂平山山頂であった。広々とした樹林の中で、うっかりすると方向感覚を失いそうな場所である。立木に「南堂平山」と標示されている。おそらく、比企三山の堂平山を意識して「南」を付けたのだろう。この山は二万五千図には山名記載はないが、昭文社の登山地図には載っている。ひと休みする。辺りは静寂その物で、小鳥の声さえしない。

 山頂付近をふらついていたら、鹿の角を見つけた。分岐が四つもある素晴らしい角だ。こんな植林地帯にも鹿がいるのかと驚く。持ち帰って家宝にしよう。山頂を辞し、先ほどの尾根を乗っ越す踏跡まで戻る。私の山勘としては、この踏跡は主稜線に続いていると思える。辿ってみることにする。現在位置は明確なので、だめなら戻ればよい。踏跡を辿る。道形は明確だが、ひとが歩いた痕跡はかなり薄い。踏跡は下ることなくしばらく山腹を捲いた後、予想通り主稜線に登り上げ縦走路に合わさった。私の山勘もいまだ健在である。

 急登を経て540メートル峰に登り上げると「六ツ石ノ頭」との標示がある。ひと休みする。尾根は細かく、枝尾根も多いのだが、辿る踏跡は明確で迷いようがない。要所要所には私製の道標やテープも豊富である。どこまでも樹林の中で、板谷ノ頭以来展望はまったくない。小峰の上に祠が見えたので行ってみたが、うち捨てられたような壊れた祠があるだけだった。単独行者とすれ違った。今日初めて出会う登山者である。こんなルートを辿る物好きが私以外にもいる。これで蜘蛛の巣を気にしないですむ。久久戸集落への踏跡を左に分けると、すぐにスルギに付いた。吾野への下山路との分岐である。立派な道標があり、完全にハイキングコースの趣である。しかしどういうわけか、この下山路は昭文社の登山地図には記載されていない。

 ひと休み後、立派な登山道を進む。すぐに長い登りに入った。子ノ権現はまだかまだかと、いらいらするころ、ようやく子ノ権現山門前の車道に飛びだした。やれやれである。仁王の立つ山門をくぐり、参道を進むと、本堂に到着した。今日の前半の部終了である。本堂前のベンチに腰掛け握り飯をほお張る。真昼の太陽が燦々と輝き暑い。

 この子ノ山山頂に展開する子ノ権現(ねのごんげん)は、正式には天龍寺という天台宗の寺院である。二万五千図には「子ノ権現」として、神社記号が記されているのは御愛嬌である。もとより修験系の寺院であり、寺でも神社でもよいのだろうが。延喜11年(911年)に子ノ聖により開山されたと伝えられる。足腰の神様として有名であり、境内には巨大な鉄の草鞋が置かれている。

 ここから伊豆ヶ岳までは奥武蔵のポピュラーなハイキングコースである。もはや地図を読むこともない。子ノ権現の裏手に出ると、目の前にこれから向かう伊豆ヶ岳が隣の古御岳と双耳峰になり高々と聳えている。すぐに竹寺へのルートと別れ、ものすごい急坂を祠のあるピークへ登り上げる。周りは気持ちのよい雑木林。所々にヤマツツジの花が見られる。伊豆ヶ岳方面から多くのパーティが三々五々とやって来る。天目指峠までは一息と思ったが意外に距離がある。2〜3ピークを越え、急降下すると車道の乗っ越す天目指(あまめざす)峠に達した。アマメとは天然の甘柿のこと、サスとは焼き畑のことである。小休止後、小峰を乗っ越すとそこが旧天目指峠、車道開削前の本来の峠である。小さな祠が祀られている。

 長い登りに入る。さすがに疲れた。反対方向からは絶えることなく登山者がやって来るが、私と同じ方向に進む登山者は皆無である。登りが多く不向きなのだろう。ガイドブックもすべて伊豆ヶ岳から子ノ権現への案内になっている。この縦走路を辿るのは26年ぶり2度目である。1978年2月、当時4歳の長女を連れて伊豆ヶ岳から子ノ権現に縦走した。かなり上り下りの激しいこのコースをよくも幼児が歩いたものだと感心する。急登を経て左に折れ、しばらく登ると、道は二つに分かれる。道標が右を捲き道、直進する尾根道を中ノ沢ノ頭と示している。当然尾根道を選ぶ。すぐに622.7メートル三角点のある山頂に達した。山頂は狭く、樹林の中で展望もない。どういうわけか、二万五千図はこのピークを高畑山と表記している。明らかな間違いである。高畑山はこのひとつ先の695メートル標高点ピークである。

 緩く下ると捲き道に合わさった。大多数の登山者は捲き道を選べようである。送電線鉄塔を過ぎ、何回目かの急登に息を切らすと、高畑山に達した。雑木林に囲まれた気持ちのよい頂きである。新緑の木々の合間から、これから向かう古御岳が天を衝くがごとく聳え立っているのが見える。目指す伊豆ヶ岳はそのさらに先、この縦走路もかなりハードである。古御岳の登りは凄まじいほどの急登であった。岩を混じえた足場の悪い登りで、こんな道を4歳の幼児が歩いたとは信じられない。初めて同じ方向に向かう登山者に追いつく。ただし最後の5メートルほどの距離が縮まらない。もはや息絶え絶えで山頂に達した。雑木林に囲まれた小広い頂で、傍らに休憩舎も建っている。ベンチに腰掛け最後の握り飯をほお張る。目の前には、伊豆ヶ岳が、ここまでおいでとばかりに立ちはだかっている。

 子ノ権現に向かう登山者の列も絶えた。今日最後の急登に挑む。2時30分、何とか頂上に登り上げた。子ノ権現から3時間も掛かった。コースタイムは2時間半である。歳をとったものである。この頂きは2年半ぶり3度目である。2002年11月、武川岳から縦走してこの頂を踏んだ。狭い山頂の折り重なった岩の上に腰を下ろす。昼前後は相当混みあったと思われるこの山頂もこの時間には誰もいない。周りを囲む潅木の間から武川岳、大持山、武甲山などの奥武蔵核心部の山々が見える。見渡すかぎりの山々に私の足跡が残っている。

 ここから下山してもよいのだが、正丸峠まで縦走を続けることにする。女坂を下る。二年前には通行禁止の処置がとられていた鎖場の男坂も、通行可能となっていたが、わざわざ危険なルートを採ることもない。五輪山で正丸駅への下山路と別れ、尾根道を直進する。ここからは、今までの上り下りの激しい道とは打って変わって穏やかな尾根道となる。気持ちのよい雑木林の道を鼻歌混じりで走るように下る。樹林の中の小さな鞍部に達すると、「長岩峠」との標示。小道が乗っ越しており、右に下ると正丸駅、左に下ると「名栗げんきプラザ」と標示されている。ちょっと登ると小高山である。正丸峠まではもう一足長である。

 3時15分、茶店の裏から正丸峠の車道に飛びだした。この峠はずいぶん久しぶりである。昔は秩父盆地に入るためによくこの峠を車で通ったが、1982年に正丸トンネルが開通してからは通ることもなくなった。昔は2〜3軒あったと記憶する峠の茶屋も1軒だけであった。しばしの休憩の後、正丸駅に向け下山する。最初は大急降下であるが、すぐに沢沿いの歩きやすい道となる。大蔵山集落で伊豆ヶ岳からの下山路を会わせ、舗装道路となった里道をのんびりと正丸駅に向かう。今日もよく歩いたものである。今日の収穫は、何と言っても背中のザックの中の立派な鹿の角である。

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