赤城山 鈴ヶ岳 

豊富な残雪を踏んで登れば、山々の大展望が待っていた

2014年4月15日


 
鍬柄山山頂より大沼の背後に黒檜山を望む
鈴ヶ岳山頂より谷川岳を望む
                            
 新坂平(800)→鍬柄峠(830〜835)→鍬柄山(850〜900)→大ダオ(920)→鈴ヶ岳山頂(955〜1010)→大ダオ(1030)→鍬柄山(1110〜1120)→新坂平(1205)

 
 桜の花も散り、ハナミズキが咲きだしている。春も後半である。今日は一日穏やかな春日和との天気予報である。久しぶりに山に行ってみる気になった。この冬はもっぱらマラソンの練習に費やしたため、山からは久しく遠ざかっている。

 行く先をいろいろ考えたが、赤城山の鈴ヶ岳に行ってみることにした。この山には昭和61年5月に、当時5歳の長男を連れて登っている。岩場混じりの急登が連続するハイキングにしては少々ハードな山であるが、山頂からは上信会越国境の山々の素晴らしい展望が得られる。

 ただし、気掛かりな点が一つある。鈴ヶ岳の標高は1、500メートルを越えており。未だ雪が相当残っていると思われる。このため、夏道は出ていないだろうし、今時登る人もほとんどいないからトレースも期待できない。ルートがうまく得られるかどうかーーー。ザックの中に軽アイゼンとロングスパッツを詰め込んだ。

 5時50分、車で家を出る。既に夜はすっかり明けており、予報通り快晴の空が広がっている。関越自動車道を前橋I.Cで降り、前橋市内を抜け、大鳥居を潜って赤城山に向う。シーズンオフの平日、他に山に向う車の姿はない。

 標高1000メートルを越えた姫百合駐車場を過ぎると、道路脇に残雪が現れだす。更にヘアピンカーブを繰り返し、標高約1400メートルの新坂平に到る。ここが鈴ヶ岳の登山口である。ところが当てにしていた駐車場は残雪に塞がれ使用不能、近くのエネルギー資料館の駐車場も入り口がゲートで閉ざされている。ちょっと困った。道路端の空き地に車を停める。どうせ、人も車も一日めったに現れないだろう。

 支度を整え、8時、出発する。白樺牧場の柵に沿って進み、鍬柄山より南に伸びる尾根に登り上げる。尾根は厚い残雪に覆われ、登山道は雪に隠され不明である。数日前に登ったと思われる2〜3人の足跡が雪上に微かに残る。樹林の中の緩やかな尾根を辿りながら不安が増した。登山道がまったく不明の中、帰路、無事にルートをたどれるだろうか。雪上に残る微かな踏跡も切れ切れで、辿り続けるのは難しそうである。迷わないうちに、登山を諦め、引き返すべきだろうか。

 不安に駆られながらも前進する。周囲の景色を頭に叩き込みながら。下地は雪に埋もれた隈笹の密生である。幸い雪は氷結していないのでアイゼンは必要ない。小ピークで若干右に曲がり、緩やかに下ると、そこが鍬柄峠であった。小休止する。初めて左側に小さく視界が開け、遠くに雪山の連なりが見える。どこだろう。よく分からない。写真を撮って帰ってから調べてみよう。(帰宅後調べてみると、草津白根山から横手山に続く山稜であった)。

 ルートの状況ががらりと変わった。潅木に包まれた明るい尾根となり、雪もほとんど消えた。潅木は未だ木の芽も出しておらず、冬の装いのままである。鍬柄山への本格的な登りに入る。所々露石も現れるが、夏道が露出しており、手間取ることもない。

 途中まで登ると、実に展望のよい露石の上にでた。小休止し、大展望に見とれる。眼下に今日のスタート地点・新坂平の白樺牧場が雪原となって広がり、何と、道路端に我が愛車が見えるではないか。背後には、山頂に何本もの巨大な電波塔をそそり立たせた地蔵岳がどっしりした山体をそそり立たせている。その右には昨年の8月に登った荒山が形よい三角形を青空に突き上げている。

 眼を左に振ると、全面真っ白に氷結した大沼が目に飛び込む。その背後には赤城山の主峰・黒檜山が山体を残雪で斑に染めながらそそり立っている。さらに眼を左に振ると、遠くに山頂部を真っ白に染めた形よい山並みが見える。奥日光の主峰・日光白根山である。しばし景色に見とれる。

 急登となった痩せ尾根を息を切らして登る。鍬柄峠から15分ほどの頑張りで鍬柄山山頂に達した。小平地となった山頂は雪もなく、明るい春の日差しを一杯に受け輝いている。そして、期待通り、これ以上望めないような大展望が待っていた。一体どこから手をつけようか。四方八方山だらけである。

 先ず目が釘付けとなったのは南方彼方である。真青に晴れ渡った空の中空に真っ白な小さな点が浮かび上がっている。何と、紛れもなく富士山である。日本人は富士山が見えるととてつもなく嬉しくなる。帰宅後、富士山から赤城山までの距離を測ってみると約138キロある。今日は何と視界がよいことか。

 その富士山の右手に、同じくらい微かな白点が浮かび上がっている。しばし目を凝らす。南アルプスの北岳、間ノ岳、塩見岳だ。あの形は間違いない。もはや跳び上がらんばかりに嬉しくなってきた。その更に左手彼方には八ケ岳連峰も見える。ただし、これらの山々はあまりにも微かすぎて、写真には写らないだろう。確り目に焼き付けておこう。

 露石に腰を下ろし、握り飯を頬張りながら、今度は北方に目を向ける。白き山々の切れ目のない連なりが私を取り囲んでいる。言わずと知れた上信会越国境の山々である。さあ、腰を入れて山岳同定を試みよう。一番右、北東方向に見える山は、一目、日本百名山の皇海山である。その左手の格好いい白い山は同じく日本百名山の日光白根山である。いずれの山にも我が足跡が残されている。更に、高度を落とし左に続く山並みを目で追うと、双耳峰の山が盛り上がっている。迷うことなく、尾瀬の燧ヶ岳と同定する。従って、そのすぐ右の平坦な山は会津駒ヶ岳であろう。燧ヶ岳の左には同じく尾瀬の名峰・至仏山の三角形の山容が確認できる。

 その左手にひときわ大きく盛り上がっているのは同じく日本百名山の一つ・上州武尊山である。昭和55年5月、私は吹雪をついてこの山の頂に立った。思いで深い山である。「武尊」と書いて「ほだか」と読む。知っている人以外読めないであろう。白き山並は更に左に続くが、足下から鈴ヶ岳へと続く尾根が視界を遮る。続きは鈴ヶ岳山頂で楽しもう。

 樹林に包まれた恐ろしく急な痩せ尾根を鈴ヶ岳との鞍部である大ダオを目指して大下りする。途中、ザイルを張り巡らした難所も何ヶ所かある。下るに従い、木の間越しに見えている鈴ヶ岳の高度がぐんぐん増していく。精神的に何ともいやな下りである。鈴ヶ岳へ登るには、ほぼ同じ標高の鍬柄山を越えて行かざるを得ないのだ。幸い、積雪は薄く夏道が出ているが、所々氷結した雪道も現れる。

 下り切った大ダオは樹林の中の薄暗い鞍部で、べっとり雪がついている。左右に下る踏跡があり、道標がどちらを下っても「赤城キャンプ場」へ行けることを示している。私は休むこともなく、目の前に現れた急斜面に取りつく。鈴ヶ岳山頂に続く最後の急登である。

 岩角、木の根を踏んでの凄まじい急登である。危険というほどではないが、フィックスされたザイルに頼る場所もあるし、足がかりもなく、越すのに苦労する岩場も多い。おまけに、トレースが幾つも付けられていて、本道を捜しあぐねる場所もある。こんなハードなルートを、今から28年前、わずか5歳の幼児が登ったとは信じられない。時折、息が上がって立ち止まる。これは歳のせいである。

 大ダオからもがき続けて35分、ついに鈴ヶ岳山頂に登り上げた。標準時間が30分であるからやっぱり遅い。山頂はツツジなどの潅木に囲まれた小平地で、幸い積雪はない。もちろん無人である。一角に、見覚えのある「鈴嶽山神社」「赤城山大神」「愛宕山大神」と刻まれた三つの大きな板碑が立つ。

 山頂は潅木の枝が少々邪魔ではあるが、少し移動すればほぼ360度の大展望が得られる。先ずは腹ごしらえだ。座り込んで握り飯を頬張る。陽春の太陽が燦々と輝き暖かい。セーターを脱ぎ捨てる。

 さて、いよいよ周囲を取り囲む山々の同定作業開始である。先ずは南方を眺める。鍬柄山からははっきり見えた富士山も、陽が高く登ったせいだろうか、もはや青空に溶け込み、わずかに確認できるだけである。北岳、間ノ岳、塩見岳などの南アルプスの巨峰は目を凝らしてみてももはや確認できない。全山真っ白に輝く浅間山だけが青空から浮きでている。 

 北方を眺める。こちらは連なる白き山々が輝きを一層増している。一番右端は皇海山である。二段となった独特の山容は一目で同定できる。実はこの山は鴻巣の我が自宅からも見える。その右奥に小さく見える山々は、男体山や女峰山などの奥日光の山々だろう。眼を左に移動すると大きく盛り上がった白い頂きの山が現れる。この山も一目同定である。日本百名山の名峰・日光白根山である。昭和56年5月、その頂きに我が足跡を残した。

 ここから左はしばらくの間、木々に邪魔されて視界が遮られる。燧ヶ岳、至仏山と尾瀬の名峰が続き、その更に左には上州武尊山ヶ聳えているはずである。この方面は先ほど鍬柄山の頂から眺めたので我慢しよう。巻機山、朝日岳は潅木の枝越しにちらちら見える。

 次ぎにはっきりと見えだすのは谷川連峰である。清水峠から続く低い平坦な尾根からむくむくと白い山塊が盛り上がる様は迫力がある。さすが天下にその名を轟かせる谷川岳である。更に左に続く山稜は万太郎山の小さな盛り上がりを経て、仙ノ倉山と平標山の重なりあった大きな盛り上がりを迎える。谷川岳から平標山に続く谷川連峰主稜線。あの白く輝く稜線を縦走したのは昭和53年4〜5月、今から36年も昔のことである。

 更に眼を左に転じると、緩やかな傾きを持った平坦な頂きの山が二つ向き合っている。この特徴的な山容は容易に同定できる。神楽ヶ峰と苗場山である。その左には特徴のない山並みが続く。赤倉山、上ノ倉山、佐武流山などの上信越国境の秘境の山々である。中で、白砂山は確り同定できた。この山の頂には我が足跡が残されている。平成12年5月、野尻湖畔から長駆山頂を往復した。私にとってピッケル、アイゼンを使用した最後の山行でもあった。そして、裏岩菅山と岩菅山の双耳峰を最後として続いてきた白き山並は青空の中に溶け込み消え去る。

 山々を同定し、その山との関わりを思い起こす。まさに至福の一時であった。日差しは暖かく、快晴無風。人の気配はまったくせず、山中まさに我一人である。もう一度、周囲を巡る山々をゆっくりと眺め、下山にかかる。

 岩場混じりの少々危険な急降下であるが、やはり下りは早い。20分ほどで大ダオに下りついた。当初の計画ではここから北面を沼尾川に下り、更に、出張峠に登り上げ、出張山、薬師岳、陣笠山などの大沼北岸の外輪山を縦走するつもりでいた。しかし、このルートは人影薄いバリエーションコース、この積雪の下ではルートファインディングは相当困難と思える。無理することもあるまい。もとの道を戻ることにする。

 休むことなく鍬柄山の登りに挑む。鈴ヶ岳を下った分だけ登り返さなければならない。まったくもーーー。40分もかかってようやく鍬柄山を登り返した。再び大展望が眼前に現れる。ひと休みして、最後の握り飯を頬張る。山々の最後の展望を楽しみ、ついでに眼下に点となって見える我が愛車を確認する。重い腰を上げて、鍬柄峠めがけて潅木に包まれた明るい尾根を下る。

 鍬柄峠を過ぎ、鬱蒼とした樹林の中の雪深い尾根を辿る。懸念した通り極めてルートが分かりにくい。記憶を思い出し、雪上に残る微かな足跡を追うが、時折ルートを踏み外す。「正しいルートが確認できるところまで戻って、改めてルートを探す」という基本作業が何回か繰り返される。ただし、大枠の方向感覚は掴んでいるので、迷ってしまう心配はない。

 12時5分、ようやく愛車に帰り着いた。往復4時間の小さな山行の終了である。山中でただ一人の人間にも会うこともなかった。そして、素晴らしい天候のもと、残雪の山々の展望を十二分に楽しむことができた。満足な山行であった。
 
登りついた頂  
   鍬柄山  1560  メートル
   鈴ヶ岳  1564.7 メートル
 
                             

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