高草山西尾根と蔦の細道 

薮尾根を縦走し、歴史を秘めた峠道を辿る

1998年6月26日

              
 
坂本バス停(810)→林叟院(820〜825)→最初の農道(845〜850)→石脇分岐(925)→高草山東峰(935 〜950)→高草山西峰(955〜1000)→富士見峠(1010)→送電鉄塔(1020)→池ノ平(1025〜1045)→林道終点(1215〜1225)→二度目の林道終点(1245)→登山口の林道(1305〜1310)→廻沢入り口バス停(1345)→坂下集落(1405〜1415)→蔦の細道鞍部(1440〜1455)→宇津ノ谷入り口バス停(1515)

 
 梅雨前線が日本海まで北上し、各地に大雨を降らしている。もう梅雨末期の状況である。昨日は1日穏やかな天気であったが、前の晩深夜のワールドカップ観戦のため動けず。今日は「曇り時々 雨、降水確率40%」の予報であるが、私の予想では晴れそうである。この時期登るに適当な山もないので、半分やけっぱちで冬季に登ろうと考えていた高草山西尾根縦走をやってみることにした。高草山たかくさやまは焼津やいづの名峰である。この山は山域としては宇津の山に属するが、主稜線との接続が弱く、しかも主稜線上のどの山よりも標高が高いため、完全な独立峰の態をなしている。私は3年前に一度登っているが、この時は宇津の山から道なきルートを目茶苦茶に登った。やはり一度は丁寧に登っておかなければ山に失礼である。高草山は西方向に唯一尾根を派出している。尾根というより稜線に近い。この西尾根を末端まで縦走し、さらにプラスαとして宇津の山を蔦の細道で越えて静岡市内に戻る計画である。

 焼津発8時の玉取行きのバスに乗る。窓いっぱいに広がる高草山が見る見る大きくなって、バスはわずか8分で麓の坂本集落に着いた。小流に沿った集落の中を行く。天気は期待通り高曇で、次第に晴れてきそうである。集落最奥の林叟院に着く。焼津の名刹である。墓参りに来た婦人が丁寧に挨拶していく。境内はひっそりし、人の気配も感じられない。お参りをすませて、裏手より始まる登山道に入る。この坂本登山道は高草山への最も整備されたルートであるが、雑木林の中の登山道はすでに夏草が繁茂していて快適とはいえない。叢には蛇が潜んでいそうだし、道には蜘蛛の巣が張り巡らされていそうで気持ちが悪い。一本調子の急登が続く。高草山は平野から直接盛り上がっているため、途中綏斜面がない。500メートルを一気に登らなければならない。20分登ってようやく陰鬱な林を抜けて茶畑の広がる農道にでる。足下に待望の大展望が広がった。眼下に焼津市街が広がり、その後ろに駿河湾がどこまでも続いている。御前崎が見えそうで見えない。志太平野の向こうに山々が連なっている。目を凝らすと山頂に鉄塔が見える。粟ヶ岳である。その右隣の耳を立てたウサギのような山は岳山、さらにその右隣のどっしりした山は経塚山のはずである。今日はこの季節には珍しく視界がよい。

 農道を5分ほど歩いた後、道標に従い茶畑の中の急登に移る。振り返ると先程より東に視界が開け、眼下に焼津港が見える。あちこちで機械を使った茶摘みが行われている。今では農道が縦横に走っていて車で登ってこられるが、一昔前までは大変な農作業であったろう。二本農道を横切りさらに登ると視界がますます開け、右奥には八高山も見えてきた。左奥には宇津の山の南端・花沢山と1週間前に登った虚空蔵山が見える。さらに農道を横切る。傍らに静岡テレメッセイジ高草無線呼出局の小さな建物がある。雲が薄れ、薄日がさしてきて暑い。4本目の農道を横切ると、放置された茶林の縁の薮っぽい登りとなる。普通なら無数の蜘蛛の巣が張り巡らされている状況なのだが、今日は林叟院を出てから一つも蜘蛛の巣に出会わない。高草山には蜘蛛がいないのだろうか。まさか。石脇登山道が合流する。山頂は近い。朝飯抜きでここまで登ってきた。腹が減って力が入らない。茶畑は終り、辺りは雑木とスズタケの密叢となる。3年前、この背を没するスズタケをかき分けてこの辺りに飛び出したはずだ。満願峰を示す道標が現れ、確りした小道が右に分れる。3年前私が切り開いたルートに、最近登山道が開削されたらしい。すぐに見覚えのある高草山東峰山頂に達した。誰もいない。

 高草山の山頂部は軽い双耳峰となっていて三角点は西峰にあるが、この東峰の方がわずかに高い。東峰の山頂はNTTの大きな鉄塔によって占領されているが、山頂部の一角に高草山大権現の小さな社が鎮座しており、またいくつかのベンチとテーブルが設置されている。Tシャツ一枚だが何しろ暑い。ザックを放り出してベンチでひと休みである。この山頂は周りを桜などの植樹が囲んでいて展望は余りよくない。ここから5分ほどの西峰は展望がよいはずだ。朝食兼昼食はそこまで我慢しよう。西峰に向かう。ラバウル戦没者の慰霊碑と501.4メートルの三角点がある山頂は、何と、シャベルカーが登ってきていて土木工事の真っ最中で山頂も立ち入り禁止。期待していた展望も静かな雰囲気もおじゃんである。握り飯を一個頬張っただけで先に進む。いよいよ高草山西尾根の縦走開始である。

 案内書や案内図には記載がないが、この西尾根に登山道があることは前回確認している。道標は「富士見峠」と行く先を示している。しかし、富士見峠がどこなのか、また登山道がどこに通じているのかは不明である。私は登山道があろうとなかろうと、この西尾根を末端まで縦走するつもりである。雑木と杉桧の植林の中の尾根道を下る。道は確りしており、この道にも蜘蛛の巣はない。茶畑の広がる小さな鞍部に達するとそこが富士見峠であった。説明板があり「この地点で満願峰の奥に富士山が眺められる」とある。目を凝らすと目の前の満願峰の奥に微かに富士山が見える。うれしくなった。登山道は尾根上になお続いており、道標は行く先を「池ノ平」と示している。池ノ平とはどこなのだろう。地図にも案内図にもない地名を示す道標は質が悪い。茶畑の縁を登り樹林の中を行く。小ピークをいくつか越えると尾根の一段下に茶畑に囲まれた小平地が現れ、登山道は尾根を離れてこの小平地に向かう。行ってみると、そこが池ノ平であった。公園風に整備されていて、敷き占められた芝生の中にいくつかのテーブルとベンチが設置されている。説明板があり「この地点に湧水があり、茶畑の灌水に使われている」とある。ベンチに腰を下ろして握り飯を頬張る。空は晴れ渡り、注ぐ太陽が暑い。

 登山道はこの地点から農道に沿って山腹を下っている。行く先の標示は「一本杉」となっている。西尾根を末端まで縦走するつもりの私はこの登山道を下るわけにはいかない。尾根に戻り縦走を続ける。登山道は絶えたが、尾根上にはなお微かな踏み跡が続いている。しかし、夏草で覆われ、辿るにはかなりの勇気がいる。暗い樹林の中を右から巻き気味に進む。ここにいたって、蜘蛛の巣が頻繁に道を塞ぐ。ストックを振り回して巣を払い、叢の中の蛇を警戒してののろのろの前進となった。送電鉄塔を過ぎなお薮道を進む。何を好んで夏場にこの薮漕ぎをしなければならないのか。茶畑に出る。小さな共同アンテナがある。茶畑の中は薮がなく歩きやすいが、踏み跡は絶えるのでルートファインディングが難しい。茶畑の狭い畦をジグザグに進む。いくつかのピークを越えると、一面茶畑に覆われたピークに達した。頂上まで登るが、下る方向がわからない。尾根筋もはっきりせず、茶畑とその先の薮の間にルートを探がわからない。強引に杉桧の鬱蒼とした斜面をしばらくうろうろしてみたがどうも方向が違う。苦労して戻って再びルートを探す。

 茶畑の続きにようやくルートを見つけ、下っていくと小さな鞍部に達した。尾根のすぐ下が農道終点となっていて、踏跡はこの農道に下る。農道に下ってひと休みする。再び尾根にはい上がる踏跡を見つけて樹林の中を辿る。再度農道の終点に出て、茶畑の広がる緩斜面に達する。畔道が入り組み、どっちへ進んでいいのやらさっぱりわからない。いいかげんに緩く下って行くと茶畑は終り、行く手を濃い薮に阻まれた。茶畑の縁をぐるっと回って踏跡を探す。薮の中にわずかな切れ目を見つける。ルートと思える。細い踏跡は尾根の左側をジグザグを切ってどんどん下る。竹薮が現れる。倒竹が多く、文字通りの竹「薮」である。さらにジグザグに下ると最後は小さな石段となって農道に下り立った。高草山西尾根縦走の終点である。すぐ目の下に藤枝バイパスが見える。曲がりくねり、かつ、いくつも分岐する農道を下へ下へと辿る。ようやく高架となっているバイパスの下に達した。

 いよいよ今日の第2ラウンドである。蔦の細道の登り口・坂下集落に行くにはこのバイパスを歩かなければならない。山側に回り込んで、ガードレールを乗り越えてバイパスに入り込む。この道路は自動車専用道路で、歩行者は通行禁止と思われるが仕方がない。ガードレールにくっつくようにして路肩を歩くが、大型トラックがビュービュー追い越して行くので怖い。真上から太陽がぎらぎら照り、舗装道路は強烈な暑さである。岡部トンネルを抜け、さらに歩くとようやく岡部市街地からの旧国道との合流地点に達した。ここからは国道1号線で歩道もある。自販機を見つけてやっとひと息つく。さらに炎天下の国道1号線を歩く。今日の暑さは相当なもんだ。宇津ノ谷トンネル入口手前で、国道を離れて坂下集落に下る。蔦の細道の岡部側の登り口にある小さな集落である。道路端に腰を下ろして休憩である。いいかげん消耗した。これからさらにひと峠越すと思うとうんざりである。

 集落の奥で蔦の細道と宇津ノ谷峠道が分岐する。蔦の細道は平安時代の東海道、宇津ノ谷峠道は鎌倉時代から明治9年に宇津ノ谷トンネルができるまでの東海道。どちらも歴史を秘めた古街道である。道標に従い、流れに沿った蔦の細道に入る。周囲は「蔦の細道公園」としてきれいに整備されている。立派な休憩舎やトイレがあり、流れは渓流公園として子供たちの遊び場になっている。何組もの家族が休日の午後を楽しんでいる。ザックを担いでフゥフゥ歩いている私が奇異だ。公園が終り、峠への登りに入る。細い山道である。小さな流れに沿ってやや急な道を登る。もうバテバテで50メートルも登ると道端に座り込んでしまった。残り少ない水筒の水はお湯になっている。小さな茶畑の縁を登る。よく踏まれた道ではあるが季節がら羊歯が両側から迫り出して道を隠しかけている。

 よたよた登って、ようやく見覚えのある峠に達した。誰もいない。ベンチに座り込んで最後の握り飯を頬張る。伊勢物語の中でこの峠を歌った一首が刻まれた石碑がある。
 「駿河なる 宇津の山辺のうつつにも 夢にも人にあわぬなりけり」
千年もの昔、多くの旅人が、軍勢が、この峠を越えて西国へ、東国へと向かったのだ。歴史を秘めた峠は心に感慨を沸き立たせる。しばしの休憩の後、ようやく重い腰をあげる。後は峠を下るだけである。小流に沿った樹林の中の細道をたどる。途中筧で引かれた冷たい水にのどを潤す。ヤマカガシが慌てて薮に逃げ込む。今日初めて蛇を見た。わずか15分ほどで国道1号線の「宇津ノ谷入り口」バス停に達した。待ち時間ゼロで静岡行きのバスがやって来た。車内の冷房が実に心地よい。この日、静岡市の最高気温は実に34.8度であった。