身延山地 身延山から鷹取山へ 

降雪の中、踏み跡なきすさまじい藪尾根を辿り

1998年4月3日

              
 
久遠寺下(700)→久遠寺(715〜720)→身延山(755〜800)→追分(825)→1,085m峰(910〜915)→丸尾(1025〜1030)→鷹取山西峰(1115〜1125)→鷹取山三角点峰(1135〜1155)→道路(1310)→国道(1325)→久遠寺下(1355)

 
 今年は春の訪れが早く、桜前線が足早に日本列島を駆け抜けている。駿府公園の桜も既に満開である。3月14日、羽衣から門野越経由で鷹取山を目指したが、門野越への峠道が痕跡もなく敗退した。雪辱戦として今度は身延山から稜線を南に縦走して鷹取山を目指すことにした。平成8年7月、身延山に登ったさいにこの稜線上に微かな踏み跡があることを確認している。鷹取山までは何とか行けるであろうが、問題は鷹取山からの下山路が不明なことである。鷹取山は案内も記録も一切ない。行き当たりばったり、何とかなるだろう。

 5時30分、車で家を出る。勝手知った国道52号線を一路北上し、7時、身延山久遠寺の下に着く。平日の早朝というのに、この日蓮宗の総本山は既に人の動きが激しい。駐車スペースも既に満車である。天気予報は今日一日すばらしい晴天を告げていたが、見上げる空はどんより曇り今にも降りだしそうである。まずは久遠寺に参拝して今日一日の無事を祈ることにする。前回は車道を登ったが、今回は表参道を行くことにする。山門を潜ると目の前に天を衝く急な石段が現われた。さすがにこの石段を登っている者はいない。横には緩やかなバイパスが設けられているが石段に挑戦する。すさまじく急で、また一歩の段差が大きい。普通の人ではちょっと無理である。息せき切らして登り上げた境内は、既に白装束の信者の団体でにぎわっていた。

 前回は、山頂の思親閣まで二時間掛けて参道を登った。今回は先に不安もあるのでロープウェイで登りたいのだが始発が8時30分とある。歩くつもりでいたが、信者の団体が続々と駅に向かっているので念のため駅に行ってみると、臨時便が出るとのこと。しめたとばかり、白装束の信者の団体に便乗する。わずか7分で山頂である。少々後ろめたいが、これで今日の行動に余裕ができた。日陰に雪の残る山頂部はさすがに寒い。ヤッケを着込んでまず思親閣にお参りし、山頂に向かう。寒々とした山頂は無人であった。目の前に南アルプス連山が広がっているのだが、あいにくすべて雲の中である。何と雪が降ってきた。

 勝手知った車道を追分に下る。うっすらと雪化粧した道路に人の気配はない。25分で身延山の南西の肩である追分に着く。ここに感井坊があるが無人のようである。いよいよ藪尾根の縦走開始である。羽衣に下る車道と分かれ、墓地の裏より稜線に取り付く。前回確認した通り微かな踏み跡があるが隈笹の藪が深くしかも雪が薄く積もっていて歩きにくい。ただしスズタケの藪よりはましである。最初の小峰を左から巻き、雑木林の急登となる。踏み跡は切れ切れで赤テープ一つないが、尾根筋は明確でルートの心配はない。1,025メートル峰を右から巻き、1,090メートル標高点峰の北の肩への急登に入る。唐松の植林の中の笹藪の登りである。右手に身延山が高々と霞んでいる。登り上げた1,085メートルピークは雑木と笹の雑然とした場所で、どういうわけか空缶が散乱している。

 ここからは先は1,090メートル峰から伸びてきた確りした踏み跡がそのまま稜線上に続く。気持ちのよい雑木林の広々とした尾根を行き、1,062メートル標高点峰との鞍部に緩く下るとナイフリッジとなった。両側が崩壊し稜線はわずか30センチ程度。しばらくしたら通行不能になるだろう。再び尾根が広がり1,062メートル標高点のあるほぼ平坦な尾根が続く。左側が雑木、右側はまた若い檜の植林である。緩く下ると、右側が崩壊したナイフリッジとなった。今度は稜線は通れない。灌木に掴まりながら左側より巻く。前方にようやく鷹取山が現われ、灰色の空に高々とそびえている。鷹取山への分岐となる1,169メートル峰への登りに掛かる。雪が4〜5センチ積もっていて急斜面は滑りやすく閉口する。左足首が痛いため、キックステップもままならない。雪上には鹿をはじめ小動物の足跡が無数にある。相変わらず小雪が舞っている。続いてきた確りした踏み跡も次第に怪しくなり、最後の急登に入ると完全に消えてしまった。雑木のまばらに生える急斜面を縦横に走る獣道を利用して登る。この1,169メートル標高点峰は地図に山名の記載はないが「丸尾」と言うらしい。到着した山頂は雑木とスズタケで座る場所とてないつまらない場所で、山頂標示はおろか人の登った気配もない。

 辿ってきた主稜線を離れ、鷹取山へ向かう。結果として、この支稜はナイフリッジの連続でおまけにスズタケの密叢するすさまじい尾根であった。丸尾山頂から少し戻って、急斜面をずり落ちるように鞍部に下る。下り立った鞍部は背を没するスズタケの密叢のナイフリッジで、スズタケの中に微かに獣道がある。絡み付く笹をかき分けかき分け進むと、尾根が切れ通行不能。左側になんとかルートを確保して1,090メートルの小峰を越える。鞍部に下るとまたもや稜線上は通行不能。再び左より巻く。地図を見るかぎり何の変哲もない尾根で、これほどガリガリとは思わなかった。それでも尾根筋ははっきりしているのでルートの心配がないだけ助かる。藪を漕ぎながらふと「下山路が見つからなくっても、もはや引き返すことは不可能だな」との思いが頭を過る。

 鷹取山の登りに入るとスズタケの藪は嘘のように消え、尾根も広がってヒメシャラの大木の目立つ気持ちのよい自然林となった。やれやれである。左に曲がり気味に登って欝蒼とした檜林の中の鷹取山西峰に登り着いた。鷹取山は西峰と東峰の二つのピークを持っており、1,036.1メートルの三角点は東峰にあるが、地図を読むと1,070メートルを越えている西峰のほうが高い。藪は消えたが、鷹取山山頂部は尾根筋もはっきりしないなだらかな地形で、今度はルートファインディングが難しい。深い檜の樹林の中はどこでも歩けるが、踏み跡らしきものはいっさいない。慎重にコンパスで方向を確認して東に向かう。西峰と東峰の間は大きな窪地となっている。窪地の左右どちらでもルートが取れそうであるが右側から進む。緩く下ってうねる高みに緩く登るとそこが鷹取山三角点峰であった。一面の樹林の中で三角点以外にはなにもない。地図に山名の記載まである山でありながら山頂標示の一つもないとは珍しい。座り込んで握り飯を頬張る。

 いよいよ下山なのだが、赤テープも踏み跡もなく下山路は見出せない。自ら切り開くより仕方がない。幸い時刻はまだ12時前、精神的余裕はある。地図を読むと山頂から二本の大きな尾根が張り出している。この尾根にルートをとらざるを得まい。まず北東に伸びる尾根を偵察する。大きな尾根でどこでも歩けるが人の歩いた痕跡はない。この尾根は、最初は尾根筋が明確だが下部では尾根筋が消えて身延川に急斜面となって落ち込む。下るには今一つ不安である。もう一本の南東に伸びる尾根を下ることにする。緩やかな大きな尾根だが、入り口は尾根筋がはっきりしない。地図で方向を確認し、大きくジグザグに下ると尾根筋に乗った。この尾根にも踏み跡は全くないが、樹林の中はどこでも歩ける。実に緩やかで広々とした尾根で、所々尾根筋が解かりにくい。うまく下れるかどうか不安があるので自然足は早まる。尾根は次第に急になる。高度計が750メートルを指し、再び尾根が緩やかになると、突然、いくつかの赤テープが現われた。しめたとばかり周囲をよく観察すると、辿ってきた尾根の左側斜面を一筋の深く掘れた溝が下っている。そして、溝に沿って確りした踏み跡が下っている。この溝は昔の木ぞり道と思われる。ついに下山路を見つけた。やれやれである。

 踏み跡を辿る。踏み跡は溝に沿ってジグザグを切りながら、それでも確り続いており、もう途切れる心配はなさそうである。どこに下り着くかは別にして、無事下界に降りれることは確かである。安心すると同時に左足首の痛みが増す。樹林の中の急斜面をどんどん下る。13時10分、ついに細い林道に下り立った。今日一日、山中小鳥の声一つ、虫の一匹も出会わなかった。さらに5分も下ると、細い車道に出、畑が現われ、人家が現われ、国道52号線に下り着いた。地図で現在地を確認すると久遠寺入り口の総門から500メートルほど南西のところであった。

 久遠寺参道は観光バスや自家用車で大渋滞となっていた。もはや早朝の聖地に相応しい稟とした空気はなく、久遠寺も一般観光地に成り下がったかと少々がっかりした。