蕎麦粒山から高塚山へ原生林の中、幽玄に咲く白ヤシオの大群生 |
1995年6月11日 |
蕎麦粒山の白ヤシオ
山犬の段(715〜745)→蕎麦粒山(815〜820)→五樽沢のコル(850)→三ツ合山(930〜945)→高塚山(1020〜1045)→三ツ合山(1115)→五樽沢のコル(1140)→林道(1150)→山犬の段(1220) |
京丸牡丹の伝説を秘めた隠れ里・京丸を包み込むように聳える京丸山塊。主峰・高塚山を中心に右に竜馬ヶ岳と岩岳山、左に京丸山が峰々を並べる。高塚山は日本三百名山に列する名峰である。この山には深南部の山には珍しく確りした登山道が開かれている。山犬ノ段から蕎麦粒山、三ツ合山と稜線沿いに縦走して山頂に達することができる。山犬ノ段までは南赤石幹線林道を車で行くことができるため、登山は比較的容易である。竜馬ケ岳からも稜線沿いに達することができるが、このルートは藪が深く、バリエーションルートである。京丸山からの縦走はスズタケの密叢のため不可能といわれている。
今年の三月、私は寸又峡温泉から沢口山、板取山を越えて蕎麦粒山まで縦走した。高塚山まで行くつもりでいたが、ここで力尽きた。先月にはヤシオ咲き乱れる岩岳山から竜馬ケ岳まで縦走した。竜馬ケ岳山頂からは一つ北隣りの高塚山に向かってスズタケの中に微かな踏み跡が続いていたが、やはりここで引き返した。こんなわけで、高塚山はその稜線の両側から今一歩のところまで追りながら、未だに未踏峰として残っている。どうも気になる山である。ちょうど今頃、白ヤシオが満開の花をつけているだろう。 朝4時半起床。雨がつい今しがたまで降っていた気配であるが、なんとか上がっていた。しかし上空は厚い雲に覆われている。今日の天気予報は「曇り一時晴れ、午後から時々雨」。梅雨期のこの季節としては仕方がない。今日はどうせ展望の利かない原生林の中を歩くのであるから、少々雨が隆っても行くつもりでいた。5時10分、車で出発する。国道362号線で千頭に抜け、上長尾集落から南赤石幹線林道に入る。今年の3月、延々と歩いて下った林道である。ガードレールもない末整備な林道にはガスが深く立ち込め、運転が恐い。天気さえよければ左手に三ッ合山、高塚山、竜馬ケ岳、岩岳山と続く稜線が見えるはずなのだが残念である。7時15分、見覚えのある山犬ノ段に着く。3ケ月前には一面の雪原であった広場はガスが渦巻いていた。すでに3台の車が止まっている。前回ここから田野口駅まで歩いたので、今回距離を測ってみたら、19.2キロあった。 勝手知った登山道を蕎麦粒山に向かうが、10分ほど登ってから車のライトをつけっぱなしにしてきたような気がして慌てて戻る。7時45分、あらためて出発。山毛欅、シナノキ、シラピソなどの原生林の中を進む。やはり雪がないと楽である。前回に比べてずいぷん傾斜が緩やかに感じる。鴬が盛んに鳴いている。山頂がそろそろと思う頃、足元を白い落花が染めた。見上げると満開の白ヤシオが濃いガスの中に咲き誇っている。期待通り白ヤシオの花に会えて嬉しくなった。すぐに誰もいない山頂に達した。天気さえよけれぱ、安倍奥の山々が一望なのだが、今日は濃いガスが全ての視界をシャットアウトしている。早々に高塚山に向け出発する。 ここからは末知のルートであるが、登山道は確りと整備されている。五樽沢のコルに向かって少し下ると、思わず目を見張った。何と! 白ヤシオの大群生が現われたのだ。すさまじいぱかりの大群生である。濃いガスに煙る原生林の中を白一色に染めている。白ヤシオは、岩岳山や天子ケ岳でも眺めたが、これほどの大群生には初めてお目にかかった。どこまでも大群生が続く。思わず「すげえなあ」と大声を上げてしまった。案内書にもこんなすごい群生があるなどとは記載されていなかった。まったく予想外の驚きである。1人の登山者が大型カメラを据えて撮影に余念がない。下るに従い、白ヤンオは満開を過ぎ、そのため登山道には落花が白いジュータンのように敷き占められている。私が先頭となったようで、時々蜘珠の巣が登山道を塞ぐ。ふと気がついて、慌ててズポンの裾を靴下の中に入れる。ここは深南部、山蛭に対する防備を忘れていた。見たところ、ここまでは大丈夫なようである。大群生地は過ぎても、点々と白ヤシオは続く。ガレの浸食ため登山道を付け替えてある痩せ尾根を過ぎ、緩やかに上下しながら進むと、五樽沢のコルに出た。家族連れが休んでいる。山腹を走っている赤石幹線林道からこの地点に直接登ってきて、これから蕎麦粒山へ行くという。「白ヤシオも盛りを過ぎてしまって残念ですね」というので、「いや、蕎麦粒山へ行けぱ、びっくりするほどの大群生が満開ですよ」と教えてあげる。 三ツ合山に向かって進む。原生林の中をガスが流れ幻想的である。林床はスズタケの密生であるが、確りと下刈りがしてある。山犬ノ段にあった解説板には「この辺りは山毛欅を中心とした原生林で、林床は通行不可能なほどのスズタケの密生となっている。このような植生を、山毛欅ースズタケ群生と言い、高温多雨な高山の特徴である」とある。所々に銀竜草が咲いている。葉緑素を一切持たない寄生植物で、何となく無気味な感じがする。白ヤシオの花がまた多くなってきたなと思ったら三ツ合山に達した。山頂というより、三つの尾根の合流点という感じで、単に「三ツ合」というほうが相応しい。南ア深南部主稜線はここから右に直角に曲がり黒法師岳へと続いている。稜線上には割合確りした笹の切り開きが続いているが、この切り開きも千国平までのはずである。山犬ノ段の案内板には「黒法師岳方面への縦走は背を没する笹でルートが判然としないところがあるので十分に注意」とあった。いつか辿ってみたいルートである。私は高塚山への道、左のまっすぐ進む登山道を辿る。どこまでも深南部特有の原生林が続く。所々にびっくりするほどすばらしい白ヤシオが現われる。白く濁った原生林に小鳥の甲高い声のみが響きわたる。道は高塚山への緩やかな登りとなる。痩せ尾根を過ぎると、足元に赤紫の落花が現われる。見上げるとすっかり盛りを過ぎた三つ葉ツツジが数えるほどの花を枝にぷら下げている。傾斜が緩やかとなり、笹が薄れてバイケイ草が現われるとすぐに高塚山の山頂に達した。 山頂は小さな草原となっており、二等三角点がぼつんと置かれている。ガスの立ち込める山頂は誰もいず、風の音さえしない。濃いガスの中、白ヤシオに見とれて歩いているうちにあっさりとこの高塚山山頂に着いてしまった。登山道はここまであるが、山頂からはスズタケの密生の中に微かな踏み跡がなおも続いている。竜馬ケ岳へのルートである。時間的には竜馬ケ岳まで行けないこともなさそうだが、展望の利かないこの濃いガスの中で無理することもない。昼食をのんびりととった後、もと来た道を引き返す。帰路は蜘珠の巣を気にする必要がないので楽である。三ツ合山の手前まで来ると子供連れの夫婦と擦れ違った。母親が「京丸山まではまだ大分ありますか」と聞いてきた。一瞬びっくりする。「京丸山ですか。高塚山までなら登山道があるが」といぶかしげに聞き返す。「あ、高塚山です。この子を連れているんですが行けそうですか」と不安げである。見ると小学校4・5年生ぐらいの女の子が不安そうにたたずんでいる。「道も確りしているし、たいした登りもないし、ゆっくり行っても40分でしょう。もう少しです」。 三ツ合山を越えて、五樽沢のコルに達する。元の道を丸々引き返すのも気が利かないので、ここから林道経由で戻ってみることにする。ジグザグの急坂を10分も下ると南赤石幹線林道に出た。林道をのんびりと山犬ノ段に向かう。この林道は実に展望がよくガスさえなければ目の前に黒法師岳が大きく見えるはずなのだが。突然右の山肌で落石の音がした。見上げると、カモシカが急なガレ場を走っていく。一時薄れたガスが再び濃くなり、霧雨状となってきた。岩肌に見事なレンゲツツジが一株咲いている。ヤブウツギの群生も現われる。黒みを帯びた赤い花がガスに濡れている。 12時20分、7〜8台の車が駐車する山犬ノ段に帰り着いた。濃いガスで一切の展望は得られなかったが、思いもかけず白ヤシオの大群生にであえ、南ア深南部を満喫できた。静岡県の県の花はツツジである。岩岳山の赤ヤシオの大群生、愛鷹山のアシタカツツジの大群生、そして今日、白ヤシオの大群生をながめた。天城山のシャクナゲ(シャクナゲもツツジの一種である)の大群生もすぱらしいと聞く。なるほど、静岡県の花はツツジである。 |