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平山集落→旧道登山道→穂積神社→無線中継基地→高山北峰→高山南峰→北沼上集落 |
静岡市内から目を北東に向けると、常に二つの双耳峰が見える。一つは、いわずと知れた静岡市のシンボル・竜爪山である。そして、その右隣に見える端正な双耳峰が高山である。竜爪山は、左右のピークの形も崩れ、その姿はあまり美しいとは云えない。一方、高山は、高度こそ竜爪山に劣るが、その姿は実に優美である。ほぼ同高度の二つの山頂部が吊り尾根で結ばれ、しかも山全体が左右相似形をなしている。頂から裾を引く傾斜は緩やかで、その姿は双耳峰独特の優雅さを持っている。私は静岡市に赴任した際にこの高山を眺めて、この山こそが双耳峰で名高い竜爪山だと思い違いをしたほどである。
高山は、その美しい姿にもかかわらず不遇である。まともな登山道もなく、その頂に人影を見ることは希である。しかも、静岡市郊外には高山という山がもう一つある。ふつう高山といえば、牛が峰の別名を持ち、ハイキングの山としても親しまれている足久保川流域の高山をさす。双耳峰の高山は、誰でもその姿は知っていても、名前まで知っている者は希である。 静岡市近郊の山々はあらかた登り尽くした。そろそろ高山に登ってみるタイミングである。2年8ヶ月も毎日この山を眺めて暮らしてきたのだから。高山は竜爪山から派生し、静岡、清水の市境として南に延びる稜線上の一峰である。調べてみると、登山道はないものの市街地のすぐ背後に位置する山だけに、静岡市側、清水市側の各集落から踏み跡程度は幾つかあるようである。山頂を極めるだけなら、そう難しそうもない。しかし、せっかく一日を割くのであるから、高山を経て市街地の瀬名川まで長々と延びている高山山稜を完全に縦走してみたい。藪山を縦走するには季節は少し早いが、尾根上に踏み跡ぐらいはあるであろう。 三松発7時23分の則沢行きのバスに乗る。本来なら竜爪山頂から縦走を始めたいのだが、時間的に無理と思えるので竜爪山の東の鞍部にある穂積神社から縦走を開始する計画である。何時もの通り最後は私の貸し切となり、バスは七時五五分、平山集落に着く。勝手知った林道を三本桜に向け緩やかに登っていく。今日の天気予報は、曇り一時雨。空はどんよりしている。昨年の4月に竜爪山に登ったときは、新登山道から穂積神社に達したが、今日は旧登山道を辿るつもりである。竜爪茶屋で新登山道へのルートを見送り、そのまま急となった林道をさらに辿る。7時45分、旧登山道入り口に達する。側に冷たい清水が湧き出ている。 旧登山道はすばらしい道であった。新登山道のように人工的に整備された道と違い、昔から多くの人に踏まれ続けて確りと人の足に慣らされた道であった。周りは気持ちよい照葉樹林に包まれている。一丁毎にそれを示す昔からの石の標示があり、古い参道の面影を残している。道は尾根の中腹を巻くように進み、途中、3丁目の滝、5丁目の滝、竜走の滝、肝冷やしの滝などの見所がある。滝など見学しながらのんびりと登っていく。登るに従い、どんぐりが足元に見られるようになる。広葉落葉樹が混ざってきたのであろう。19丁で支尾根にて出て、26丁で新登山道と合流した。 ちょうど10時、34丁目である穂積神社に到着した。ここからいよいよ縦走開始である。まず穂積神社に今日の無事を祈る。登山者が二人登ってきた。竜爪山に向かうのであろう。林道端から、東に延びる尾根に取り付く。取り付き点には「888.8メートル三角点に至る」との小さな標示があり、尾根上には意外にも確りした小道がある。松の木の目立つ尾根を緩やかに登っていくと、桧の植林の中の薄暗い848メートル峰に達した。小道はそのまま東に進んで888.8メートル三角点峰へと向かっている。私の向かう高山山稜はここで90度右に曲がり南に向かう。標示は何もないが、尾根上には微かな踏み跡がある。展望のない樹林の中の尾根を時々現われる蜘蛛の巣を払いながら進む。踏み跡は切れ切れであるが、尾根筋は割合はっきりしており、ルートファインディングに問題はない。樹林の切れ目に現われる藪もたいしたことはない。さらに進むと、右手に林道が登ってきて、尾根の直下を並走する。そろそろ高山が近いと思われる頃、踏み跡は小ピークを右から巻いて鞍部に達する。小さな道標があり、左に吉原集落への踏み跡が分かれている。右、尾根直下に真新しい無線中継基地が建てられていて、林道はそこまで来ている。この鞍部で珍しいものを見つけた。半ば土に埋もれた平たく楕円形の自然石があり、表面には「右 吉原」、裏には「竜爪山」と彫られている。どうやらこの鞍部を、昔、吉原集落からの穂積神社への参道が通っていたと思える。樹林の中を登ると高山北峰の肩で踏み跡が二つに分かれる。一つは尾根通しに山頂に向かい、道標の標示は「吉原 伊佐布」。右から山頂を巻く道は「柏尾 平山」。 11時50分、ついに山頂に達した。頂は欝蒼とした桧の植林の中で、朽ちた山頂標示がめったに人が来ないことを示している。三角点のそばには、傾いた航空測量用のポールがぽつりと立っていた。展望も全くない薄暗い山頂は、下から眺めるあの優雅な高山の姿とは程遠いものであった。ちょうど12時、下界から聞こえる正午のサイレンを合図に山頂を発つ。山頂から稜線通しの踏み跡はなかった。二万五千図とコンパスで方向をよく確認して、樹林の中のやや急な斜面を下る。誤らず、すぐに肩で分かれた巻道に出た。ひと登りで南峰に達する。ここも薄暗い樹林の中で、何の標示もない。踏み跡が消えたのも構わず、そのまま山頂を通過して下りに掛かる。と、私の第六感が危険信号を鳴らした。再び地図とコンパスを出してルートを検討する。やはり南東尾根に引き込まれている。南峰から稜線は右に大きく曲がらなければならないのだ。山頂に登り返しルートに沿って下る。微かな踏み跡が現われ、ルートに乗ったことがわかる。相変わらず樹林の中で、踏み跡は消えたり現われたりする。時々小さな標示が現われる。かなりの急坂を木々に掴まりながら下る。下り切ると右側の尾根直下の樹林の中に一軒家が現われた。 すぐに視界が開け、地図の記号通り茶畑が現われた。右下に平山集落が見える。やれやれと思った瞬間、植林が切れ、ものすごい藪に突っ込んだ。踏み跡に覆い被さる灌木やすすき。そこには隙間のないほどびっしりと蜘蛛の巣が張り巡らされている。しかも、藪山に多い豆粒ほどの小型の蜘蛛ではなく、家の軒下などによく見られる大型の蜘蛛である。ここはもう高度300メートル台、蜘蛛の種類も下界並みである。単なる藪漕ぎなら覚悟の上なのだが、これは余りにひどすぎる。蜘蛛の巣は鳥肌が立つほど大嫌いだ。ストックで蜘蛛の巣を一つ一つ払いながら、のろのろと前進する。蜘蛛は近づくと巣を揺すって威嚇する。払い損ねた巣が顔にべちゃりと張り付く。逃げ遅れた蜘蛛が私の頭から糸を引いて垂れ下がってくる。もう拷問である。すっかり闘志も萎え、一刻も速く逃げ出したい。この踏み跡は、春以降一人も通ったことはないのだろう。数百メートルにわたる地獄を抜け、茶畑の縁をたどると、すぐに右から登ってきた農道に出た。やれやれと思わず座り込む。茶畑では農作業をしており、一匹の犬が激しく吠えかけてくる。 極楽に思える舗装された農道を進む。尾根は左に緩やかにカーブする。このまま尾根上の農道が続いてくれればよいと、祈るような気持ちで百メートルほど進む。しかし、すぐに期待はうらぎられた。「柏尾峠へ」の小さな道標が現われ、農道は右に下り、尾根上には茶畑の中に続く踏み跡が残された。踏み跡は悪い予感通り、ふたたび地獄の道となった。短い間隔で植林と藪が交互に現われるが、藪は先ほど以上に深く、時にはしゃがんで歩かなければならない。しかも、先ほどにもまして、すさまじい蜘蛛の巣地獄である。這うような前進速度となった。これでは、高山山稜の完全縦走は時間的にとても無理である。今日はもう十分に健闘した。何も計画の完遂にこだわることもなかろう。藪尾根は小さな上下を繰り返す。現在地点もわからない。時刻はすでに2時半、どこか下山の踏み跡はないものか。小さな道標が現われ、尾根に続く踏み跡を「柏尾峠」、右に下る細い踏み跡を「静岡」と示している。どこに下るかわからないが、待望の下山道である。 藪を抜けると、蜜柑畑にでた。夏蜜柑がたわわになっている。下界が見え、現在地が北沼上集落の上部であることが確認できた。蜘蛛の巣と最後の格闘をして次第にはっきりしてきた踏み跡を下る。3時、人家の裏庭を通って竜爪街道とバス道路が分岐する集落の上部に出た。北沼上小学校前のバス停に出ると、うまい具合に5分も待たずにバスがやってきた。 下山しても、あの蜘蛛の巣地獄は夢にまで現われる。完全に登山季節を間違えたようだ。また、真冬に再挑戦をしよう。 |