最悪の山 岳ノ山 

 薄い踏み跡、凄まじい倒木、危険な岩場

2020年10月31日


 
岳ノ山山頂
岳ノ山山頂より男体山を望む

 
市営駐車場(643〜652)→林道終点(708〜712)→五条の滝0.4kmの標示(715)→五条の滝観瀑台(728〜731)→滝見の松(743)→休憩(843〜850)→山頂に続く尾根(928)→岳ノ山山頂(936〜950)→下山途中で休憩(1122〜1131)→滝見の松(1204)→市営駐車場(1228)

 
 我が居住地・埼玉県鴻巣市から一番近い山域は奥武蔵の山々である。その次に近いのは奥多摩や西上州の山々だろう。これらの山々はすでにほぼ登りつくした感がある。ところが、地図を眺めていて気がついたのだが、栃木県南部の安蘇・足尾地方の山々が意外に近い。両毛線の北側に位置する山々である。しかし、これらの山々は如何にも地味であり、ハイキングの山として紹介されることも少ない。そのためか、私にとって未踏の山々も多い。
 
宇都宮ハイキングクラブ編集の「栃木の山150」というハイキング案内書をぺらぺらとめくっていたら「大鳥屋山」と「岳ノ山」という二つの山が目にとまった。ラーメンで有名な佐野市北部に位置し、尾根で繋がった隣り合った山である。普通、二つの山は同時に登られるようである。大鳥屋山は栃木百名山にも名を連ねている。岳ノ山の麓には「五条の滝」という名所もあるらしい。行ってみることにした。
 
5時20分、車で出発する。まだ夜は明けてはいない。走るほどに真っ赤な太陽が地平線から登ってきた。今日は一日晴天が約束されている。羽生インターから東北自動車道に乗り、岩舟ジャンクションから北関東自動車道に入る。佐野田沼インターで降り、佐野市内を抜け、秋山川に沿った道を奥へ奥へと進んでいく。「五条の滝」への案内板に従い前沢沿いの狭い林道に入る。600メートルほど進むと市営の駐車場に行きついた。10台分ほどのスペースがあり、トイレも併設されている。おそらく、登山者のためではなく五条の滝の見学者用の施設なのだろう。駐車場に先着車はなかった。支度を整え6時52分、イザ出発する。先ずは岳ノ山に登り、続いて、大鳥屋山へ縦走する計画である。

 駐車場を過ぎたところで、林道は三つに分岐する。岳ノ山を示す標示はないが、前沢沿いに奥へと続く一番右の道を「五条の滝」と標示している。ただし、「土砂崩れのため通行禁止」とも表示されている。さらに、「熊出没注意」と「ヤマヒル注意」の標示も掲げられている。熊の出没は理解できるが、「ヤマヒル注意」は驚きである。20数年前、南アルプス深南部を歩きまわったころ、散々出会った恐怖の軟体動物である。まさか栃木の山に出没するとは思わなかった。あわててズボンの裾を靴下の中に入れる。「通行禁止」の標示に若干不安を感じながら前沢に沿った林道を進む。と、枝沢から大量の土砂と倒木が押し出され、林道を遮断している。「通行禁止」とはこのことかと理解し、突破を試みる。ここまでやって来て、引き返すわけにはいかない。乗り越え、潜り、何とか突破する。

同様な障害は、この先も繰り返し現れる。よほど登山を中止しようかとも一瞬考えた。何時の大雨によって生じた災害か知らないが、復旧作業は全く行われていない。登山はおろか、五条の滝見学さえ不可能な状況である。ぶつぶつ言いながら林道を辿る。左右の山肌は感嘆するほど素晴らしい杉の美林である。しっかり間引き、枝打ちがなされている。分岐から15分ほど進むと、小さな広場に出て、林道はここが終点。山道に代わる。道は沢筋を離れ山腹を巻くように登っていく。「五条の滝 0.4km」の標示を過ぎ、さらに行くと「五条の滝観瀑台 0.2km」の標示が沢筋に下っていく細い踏み跡を指し示している。せっかくだから滝見物をしていこうと、踏み跡をたどる。谷を見下ろす絶壁の上に出たが、木々が邪魔して結局滝は見られなかった。もとの山道に戻る。

 山道を数分進むと「滝見の松」に出る。滝を見下ろせる沢に面した絶壁だが、ここも樹木の枝葉が茂り、滝を見下ろすことはできない。傍らに枯れた樹木が1本立っている。これが「滝見の松」なのだろう。再び山道は前沢沿いに続くが、いたるところ倒木に行く手を阻まれ苦労する。沢は二俣となる。右俣の薄い踏み跡を選択する。道標の類は一切ない。進むに従い次第に傾斜は増し、踏み跡は薄くなる。やがて、沿うて来た前沢の水流も尽き、見上げるばかりの急な平斜面が山頂に向かって突き上げている。もはや踏み跡は切れ切れで、時折現れる赤テープを探しながらの前進である。急斜面のため、踏み出す足はずり落ち、息は切れ、時折倒木は現れ、−−−。踏み跡さえはっきりしないあまりの急登に途中座り込んで握り飯をほおばる。辺りは静寂そのもので、人の気配はおろか、鳥の声も、風の音さえしない。

 さらに40分、樹林の中の平斜面の急登に耐える。ようやく上空に青空が見通せるようになる。もう一息である。ついに山頂から東に延びる尾根に登り上げた。山頂直下である。石の小さな祠を見ると、すぐに山頂に達した。もちろん無人である。小さな石の祠と山頂標示が置かれている。樹木が茂り展望はあまり良くないが、その隙間から北方に男体山が見える。また、位置を少しずらすと南西方向にこれから向かう大鳥屋山が見える。なかなか格好いい山である。

 15分ほどの休憩の後、大鳥屋山に向け出発する。ところが、大鳥屋山に続く南東尾根が見つからない。一旦は南西に延びる尾根に引き込まれるが、違うと気付き、山頂に引き返す。コンパスを取り出し、慎重に方向を定め、どうやら無事に南東尾根に乗った。薄い踏み跡と赤テープがあるのでルートに間違いはなさそうである。しばらく、尾根を緩やかに下っていくと、絶壁となった岩場に突き当たった。ここにおいて、我が登山史上最悪の事態が生じた。

 2段にわたりザイルが垂らされている。このような悪場があることは案内書で事前に承知していた。ただし、それほど危険な場所との指摘はなかった。ザイルを利用して岩場を小さな岩棚へと下る。そして、おそらくここでルートを間違えたのだろう。今から考えると、本来のルートはそこから岩場を横に移動し、尾根に戻るものだったと思われる。私は、ザイルに続く絶壁に近い急斜面を苦労してさらに下ってしまった。狭い谷の源頭に降り立ち、「しまった」と思った時はすでに遅かった。もはや身動きできないのである。岩角、潅木を利用して登り返し、元の地点に戻ろうと試みるも、歯が立たない。左右も絶壁で登れるようなルートは見いだせない。谷をずり落ちながら下ることはわずかに可能と思われるが、未知の谷を下るのは大いに危険である。「遭難」の2文字が脳裏に浮かぶ。

 なんであんな無茶をしたのだろう。元の位置に戻るべく、何度目かの危険な登攀を試みる。岩角とわずかな潅木を頼りに、絶壁に近い急斜面に張り付く。今から考えると、もはや正気の沙汰とは思えない。前進が行き詰まる。次の手掛かりを探る。そのとき足が滑った。あっという間に全身が絶壁を転がり落ちた。一度止まりかけたが、再び転がり、ようやく止まった。どれほどの傷を負ったかと怖々手足を動かしてみる。奇跡に近い。手足に何ヵ所かの血の滲んだ擦り傷・切傷はあるものの、手足は支障なく動く。
  
 もはやここを脱出する選択肢はただ一つ。足元から続く谷を運にまかせて下る以外にない。途中、滝等の障害のないことを祈って。半ばずり落ちるようにして、急な谷の源頭を下る。幸い足には何の障害もなく、歩くことに支障はない。下るに従い水流が現れる。また、倒木帯が何度も行く手を阻む。乗り越え、潜り、谷を下り続ける。やがて、流れの岸に沿って、切れ切れではあるが、踏み跡の気配が現れる。そして、赤テープも。どうやら、登山ルートに乗った気配である。これで無事に下山できる。やれやれと、道端に座り込み、握り飯をほおばる。

 前方から一人の若者が現れた。登山者である。「駐車場に停めてあった車の人ですか」と話しかけてすれ違っていった。今日、山中で初めて出会った人である。さらに、倒木に苦しみながら流れに沿って下ると、五条の滝の上部に出た。滝を回り込むため左側の山腹に大きく逃げると、登りに通った登山道に出た。やれやれである。帰り着いた駐車場には、私の車と並んで、先ほどの男性のものと思われる車の2台だけが並んでいた。

なんともさえない、かつ、危険この上もない登山の終焉である。 
 

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