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霊山たけやま道の駅駐車場(732)→一の木戸(735〜739)→標高634m(744)→五合目の東屋(752〜756)→休石(759〜807)→天狗の広場(813〜816)→小天狗(820〜825)→不動岩(833)→天狗の広場(845〜851)→三社神社(855〜858)→中天狗(901〜903)→無情の平(910)→大天狗(921〜928)→経塚(939)→烏帽子岩(944)→五郎岩(951〜959)→経塚(1009)→駐車場(1038) |
天気予報が「明日は冬型の素晴らしい晴天」と告げている。久しぶりに山にでも行ってみようかと思ったが、さてどこへ行ったものか。近郊の山々は粗方登りつくした観があり、登りたいと思う未踏の山が少なくなった。
思案した揚げ句、上州の嵩山へいってみることにした。「嵩山」と書いて「たけやま」と称す。中之条町の北に聳える小さな岩山である。1時間半もあれば山頂を往復できてしまう小さな山だが、一応、「日本百低山」や「ぐんま百名山」にも名を連ねている。前々から気にはなっていたが、あちこちに鎖場のある岩峰のため行くのをためらっていた。どうも歳をとると、腕力は衰えるし、バランス感覚は悪くなるしで、急峻な岩場は怖じ気つく。おまけに、躓きやすくなった。岩場で躓いたら一巻の終わりである。 早朝5時30分、車で出発する。夜明け前で、未だ真っ暗である。こんなに早く行くこともないのだが、山登りはさっさと片づけて、帰りに近くの温泉場で一風呂浴びてこようとの魂胆がある。関越自動車道を渋川インターで降り、国道353号線を西に向う。中之条町が近づくと、行く手に奇怪な姿の岩山が見えてくる。一目、目指す嵩山である。 7時24分、自宅から110キロ走り、嵩山の登山口となる「霊山たけやま道の駅」の駐車場に到着した。見上げる嵩山の山頂付近には、男岩と呼ばれる巨大な岩塔が朝日に輝いている。空は真青に晴れ渡りまさに快晴である。支度を整え、道標に従い登山口に向う。周囲に未だ登山者の姿はない。 嵩山は山全体が戦国時代の山城「嵩山城」の城址である。越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が北関東の覇権を激しく争っていた時代、この嵩山城は上杉方に属する岩櫃城主斎藤氏の支城として存在した。しかし、永禄8年(1565年)、武田方に属する上田城主・真田氏に攻められ落城する。18歳の斎藤城虎丸を大将とする城方勢は、落城に際し、「大天狗」の岩場から飛び降り自決したと伝えられている。 道の駅のすぐ西側が表登山道入り口である。鳥居を潜り、石段を登ると「一の木戸」との標示がある。嵩山城の大手門跡である。ここの大岩の陰に「一番」と記された小さな観音様の石像が安置されている。この嵩山山中には全部で33体の観音像が岩陰に祀られている。これらは、嵩山城の落城から140年後の元禄15年(1702年)、嵩山の合戦で悲惨な最期を遂げた犠牲者を供養するために、江戸の僧・空閑が建立した石仏である。嵩山登山はこれらの観音像を訪ねる山歩きでもある。 いきなり急なつづら折りの登りとなる。5分も登ると道端に標示があり「ここは標高634メートル、スカイツリーと同じ高さです」とある。御親切なことである。更に5分も登ると「五合目」との標示があり、その先の岩場に東屋が建っていた。眼下に大展望が開けている。未だ息も切れていないが、ひと休みする。真青に晴れ渡った大空にスカイラインを画くのは榛名山である。大きな山体の上部に幾つものピークをそそり立たせている。相馬山、榛名富士、烏帽子ヶ岳、掃部ヶ岳などのピークである。その榛名山の前面には吾妻川の河川平野が開け、その両岸に中之条町の街並みが広がっている。いい景色である。 更に3分も登ると「休石」との標示のある露石があり、小さな道標が右に分かれる細い踏跡を「2番へ」、左への踏跡を「3番へ」と示している。いずれも山中33体の観音像への案内である。観音像を見学し、少し登ると今度は8、9、10番の案内があった。 あっちこっち寄ったのにも関わらず、登山口からわずか30分ほどで山頂部の一角に登り上げた。何とも小さな山である。登りついたところは「天狗の広場」との標示のある小平坦地で、東屋と幾つかのベンチが設置されている。道標が西に続く稜線に沿った踏跡を「小天狗、不動岩」、東に続く尾根道を「中天狗、大天狗」と示している。 嵩山の山頂部は南西から北東にかけて半円を描くように稜線状となっている。古い火山の火口壁ではないかと思えるのだがーーー。そして、この稜線上に幾つもの岩峰、岩塔がそそり立っている。不動岩、小天狗、中天狗、大天狗、烏帽子岩、五郎岩等である。このうち「大天狗」と呼ばれる岩峰が一番高く、嵩山の山頂とされている。 先ずは「小天狗」に向う。「天狗の広場」からわずか5分ほどの距離である。岩峰の上には小さな石の祠が安置されていた。案内図には大鳥神社と記されている。岩峰の上は、期待通り、実に展望がよい。南方に大きく視界が開け、榛名山が視界いっぱいに広がっている。登ってきた真下には今日の出発点「霊山たけやま道の駅」が手の届くような近さで見える。 「小天狗」の先に「不動岩」があるのだが、稜線沿いに進むのは不可能である。いったん「天狗の広場」に戻り、道標に従い、「小天狗」を右から巻く踏跡を辿る。踏跡は大分細い。途中6番と7番の観音像を見て、「小天狗」を巻き終わると「石門」と標示されたアーチ状の岩がある。その先に目指す「不動岩」がそそり立っていた。不動明王の立つ山頂に向って鎖が設置されているが、登るのは少々危険な匂いがする。周りに人の気配もなく、無理することもあるまい。岩場の細い踏跡を「天狗の広場」に戻る。 小休止の後、「大天狗」を示す道標に従い尾根道を東に進む。意外にも男とすれ違った。ただし、挨拶もろくに返さず、登山者とも思えない。5分も進むと東屋があり、側の岩陰に「三社神社」と標示された小さな石の祠が祀られていた。右に細い踏跡が分かれ、「中天狗へ」と標示されている。行ってみることにする。 南側から回り込むと、岩場もなく、「中天狗」のピークに登り上げた。「石尊社」と標示された小さな石の祠がある。山頂は雑木が茂りすっきりした展望は得られないが、一段下がったところから東方に向って大きく視界が得られる。視界の先には十二ヶ岳、中ノ岳、小野子山の小野子三山が折り重なり、その左手背後には子持山が姿を見せている。満足して「三社神社」まで戻る。 道標に従い主峰「大天狗」を目指す。途中26番観音像を見て、「中天狗」のピークを左側(北側)から巻き終わると、平坦地にでた。嵩山城の本丸跡と言われる「実城の平」(別名「無情の平」)である。71体の小さな石仏がコの字型に並んでいる。設置された説明書きによると、これらの石仏は、嵩山城落城の戦いの犠牲者を供養するため、元禄15年(1702年)に安置されたとのことである。 そのすぐ先が東屋やベンチのある小広く開けた場所で「経塚」との標示がある。ここは「大天狗」の基部に当たる地点であり、いよいよ嵩山最大の岩峰へのアタックである。樹林の中を進むと、目の前に、山頂へ一気に突き上げている20メートルほどの長大な岩の斜面が現れた。斜面には一本の鎖が長々と設置されている。斜面の傾斜はそれほどきつくはないが、その長さゆえに少々びびる。慎重に登って山頂に達する。 山頂はもちろん無人であった。789.0メートルの三角点が確認できる。そして、「女岩」と標示された高さ3メートルほどの球形の大岩が鎮座している。岩上には小さな石の祠が安置され、一本の鎖が垂れ下がっている。無理すれば岩上に登れるようだが、わざわざ危険を冒すこともなかろう。女岩に関しては小林泰彦氏著の「日本百低山」には次のようないささか艶めかしい記載がある。 『案内には「女岩」とあり、別名「サ××××岩」と、ここに書くのがはばかれる名称が記してある。ある方向から見るとたしかにそんな感じだ』 さすが嵩山の頂き、360度の大展望が広がっている。東を眺めれば、先ほど「中天狗」で眺めたのと同じ景色、すなわち小野子三山と子持山が青空の下、くっきりと聳え立っている。そして子持山の左、遥か遥か彼方にうっすらと一筋の山並みが見える。同定しようと目を凝らす。どうやらあの山の形からすると皇海山と袈裟丸山ではなかろうか。更にその左に続く山並みは日光連山か。何やら嬉しくなってきた。 南方には、朝方から何度も見た通り、榛名山がどっしりと聳えている。女岩の裏側に廻って北方を眺める。山頂を白く染めた一筋の山並みが見事にスカイラインを引いている。上越国境の山々だ。おそらく白砂山を中心とした山並みだろうが、同定はできない。写真を撮って、帰ってからゆっくり同定を試みよう。眼下にはゴルフ場(美野原CC)が広がっている。登ってくる登山者もなく、大展望の山頂は私一人が独占である。 鎖場を慎重に下って「経塚」にもどる。「大天狗」の北側に聳える「烏帽子岩」と「五郎岩」に行ってみることにする。道標に従い、「大天狗」の左側(西側)を巻く踏跡を辿る。巻き終わって稜線に戻ると、そこが「烏帽子岩」の基部であった。眼前にまさに烏帽子の形をした岩峰がそそり立っている。ただし、この岩峰は登れないようである。27番観音を拝んで、更に狭い岩稜を5分も先に進むと「五郎岩」の基部に達した。ここに28番観音が鎮座していた。 「五郎岩」は容易に登れる。頂きは小平地となっているが、北側、西側、東側は大絶壁となっていて少々怖い。この岩峰も実に展望がよい。東側には小野子三山と子持山、北側には雪を頂く上越国境の山々、そして西側にはすぐ目の前に薬師岳、吾嬬山が聳え、その左手遠くに山肌を新雪で真っ白に染めた浅間山が確認できる。ただし、どういうわけか、浅間山の山頂部だけは雲に隠されている。南側を眺めると、「烏帽子岩」の背後に「大天狗」の岩峰がニョキリとそそり立っている。 「五郎岩」の背後に29番、30番、31番の観音像があるはずなので行ってみようと試みたが、踏跡もなく、危険な岩場となっていたので諦める。「烏帽子岩」まで戻ると、60年配の単独行の男性とすれ違った。更に「経塚」まで戻ると2〜3パーティ、数人がベンチで休んでいた。ようやく登山者が登ってきたようである。ただし私はもう下山である。 「経塚」から東登山道が「霊山たけやま道の駅」に通じている。この登山道を下ることにする。数分下ると左手に、オーバーハングをした大絶壁が現れた。この大絶壁の下に「一升水」と呼ばれる場所があるはずである。大絶壁の上から水が半ば霧状に落下してくる場所で、小林靖彦氏がその著書「日本百低山」の中で「嵩山一番の見所」と記している。私も楽しみにしていたのだが、何と、絶壁の下に到るルートは通行止めの柵が設けられ、「落石の危険があるため立ち入り禁止」との標示。この絶壁の下には21番から25番の観音像もあるはずであり、残念至極であった。 更に下ると「弥勒穴」の標示があり細い踏跡が左に分かれる。絶壁の中腹にある19番観音を見て更に行くと、垂直に近い絶壁の中腹にぼっかり開いた洞穴がみえる。どうやらこれが「弥勒穴」で、中に20番観音が安置されている模様。穴に向って鎖が張り巡らされているが、行くとなるとまさに命懸け。諦めて登山道に戻る。途中寄り道をしながらも、「経塚」からわずか30分ほどで道の駅に下り着いた。時刻は10時38分、何とも早い下山である。 道の駅と道路を挟んだ反対側に親都(ちかと)神社がある。嵩山を御神体とする古社で、立派な拝殿と神楽殿を有するなかなか雰囲気ある神社である。参拝し、今日の無事を感謝する。境内には御神木とするケヤキの巨木がそそり立っている。樹齢700年、根回り15.1メートルの恐ろしいほどの巨木で、天然記念物に指定されている。一見の価値がある。 道の駅の敷地内に「そば処けやき」がある。藁葺き屋根の古民家風建物で、なかなか味わいのあるそば屋である。時刻は11時、腹も減ったので入ってみる。天麩羅そば850円、なかなか美味であった。 帰路、小野上温泉駅前の日帰り温泉施設「小野上温泉さちのゆ」に寄る。2時間400円。素晴らしい施設であった。満足して帰宅する。 登りついた頂
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