天子ヶ岳から思親山へ天子山塊の二つの山稜を結ぶ超長距離ル−ト |
1995年5月18日 |
佐折集落より天子ヶ岳を望む
白糸の滝レストハウス(750)→登山道入口(820〜825)→天子ヶ岳(1015〜1030)→佐野分岐(1045)→長者ヶ岳(1100〜1115)→小草里(上佐野バス停)(1310)→佐野峠(1425〜1440)→思親山(1510〜1515)→八木沢(源立寺バス停)(1635)→井出駅(1705) |
新富士駅近くで新幹線の車窓から北西に目をやると、富士川の向こうにひときわ目を引くド−ム状の山が見える。前々から気になっていたのだが、なかなか同定できないでいた。先月、天子山塊に初めて足を踏み入れたさいに、この山こそが天子山塊の名主・天子ヶ岳であることを知った。さっそく、登るべく計画を練った。この山は普通その北隣の長者ヶ岳とセットで登られる。田貫湖畔から長者ヶ岳、天子ヶ岳を経て白糸の滝に下るコ−スは、手軽なハイキングコ−スとして案内も多い。しかし、一般コ−スを辿るのは気が進まない。他に考えられるル−トとしては、毛無山からの縦走であるが、このル−トは10時間に及ぶ超ハ−ドな藪漕ぎを強いられる。チャレンジしてみたいが、いまだ踏ん切りはつかない。地図を眺めてあれこれ考えていたら、おもしろいコ−スが頭に浮かんだ。白糸の滝から天子ヶ岳、長者ヶ岳に登り、反対側の佐野川流域に下る。ここから再び佐野峠に登り思親山を経由して身延線の井出駅に下る。歩行時間は10時間以上に及び、本来2日を要する超長距離ル−トではある。しかし、コ−スのほとんどが東海自然歩道となっており技術的な問題はない。1年で日が一番長いこの時期が実行するチャンスである。
ある案内書に「登るには登山靴は不要。この山にはジョギングシュ−ズとコットンパンツがよく似合う」とある。私も今日はジョギングシュ−ズである。富士宮駅からのバスは、終点「白糸の滝レストハウス」に7時50分に着いた。午後6時まで行動できるとすると10時間ある。平日ということもあり、他に登山者の姿は見えない。今年の5月は天候不順で毎日雨ばかりであった。ようやく今日は優勢な移動性高気圧が広く本州を覆い、すばらしい五月晴れが約束されている。この日を待ってわざわざ休暇をとってやってきた。見上げる空は快晴無風、期待通りである。ただし、春霞が非常に濃く、仰ぐ富士山の中腹から下は土色のベ−ルに包まれている。登山口までのアプロ−チがわかりにくい。地図を見い見い目の前に聳える天子ヶ岳に向かって進む。天に突き出たまぁるい頭のこの山は実によく目立つ。右手に見える天子山塊の最高峰・毛無山が捉え所のない間延びした山容であるのに比べ、はるかに格好いい。標高において、毛無山はおろかすぐ北隣の長者ヶ岳にも及ばないが、この山塊には天子ヶ岳の名が付けられている。国道と分かれ、集落を抜け、白山大権現社を左に見て杉檜の植林の中を進むとようやく登山口に達した。 石のゴロゴロした何とも歩きにくい道を登り、沢と化した薄暗い登山道を辿る。思ったより道はよくない。林道を横切ると本格的な登山道となった。いきなり植林の中のものすごい急登である。いつものようにグイグイ登っていく。倒壊した休憩舎を過ぎると傾斜が緩み、薄暗い植林から明るい雑木林の道に変わる。春の陽に誘われてシマ蛇がにょろにょろと這い出している。驚いたことに、桜並木が出現した。登山道を桜並木にするなど愚の骨張である。自然の雑木林のほうがはるかにきれいだ。再び傾斜が増す。薄赤紫のツツジがあちこち咲いている。振り返ると、木々の合間に7合目から上を白く染めた富士山が青空の中に溶け込むようにそそりたっている。上方で物音がし、何とカモシカが登山道に飛び出した。天子山塊にカモシカがいるとは知らなかった。 いつしかすさまじい急登となった。地図で見ると、びっしり詰まった等高線を登山道が一直線に貫いていて、いかに急登であるかが理解できる。アプロ−チの長さとこの急登を嫌って、ほとんどの登山者がこの道を下りにとる。今日は時間との競争なので、山頂まで休止をとらないつもりで登っている。さすがに息が切れ、立ち止まることが多くなる。天子山塊に登るからには富士山の大展望を期待しているのだが、どこまで登っても雑木林の中ですっきりとした展望は得られない。地図にない西沢分岐を過ぎると、ようやく傾斜が緩やかとなり、バイケイ草が芽を出した広場に達した。ひと登りすると、そこが山頂であった。 まったく山頂らしからぬ山頂である。天子ヶ岳の山頂部はほぼ平坦な尾根となっていて、山頂がどことも決めかねる地形になっている。周りは、山毛欅、楓、リョウブ、ツツジ、ヒメシャラなどの木々に囲まれ、萌えいでた若葉がなんとも美しい。東側には木々の間に富士山がちらちら見え、西側には南アルプスの白い山並が、これも木の間隠れに見える。小鳥のさえずりのみが響き、辺りは静寂そのものである。まだ萌えいでぬ枯れ草の上に一人座し、登山口以来の休息をとる。 10時30分、長者ヶ岳に向け出発する。自然林の中のすばらしいプロムナ−ドである。見上げると白ヤシオの花がたくさん咲いている。この花はつい5日前に岩岳山でながめた。チラリチラリ見える南アルプスの山並が気になる。どうやら、聖岳、赤石岳、荒川岳が見えているようである。岩場を混じえた急な下りとなる。人声がして、男女4人の老ハイカ−が登ってきた。今日、私以外の登山者がこの山にいるとは驚きである。鞍部に達すると、これから辿ることになる東海自然歩道が佐野集落に向け下っている。相変わらず美しい自然林の中を緩やかに登っていくと、長者ヶ岳山頂に達した。ここも期待に反し、展望はあまりよくない。それでも東側と北側の雑木は背が低く、富士山と毛無山の山頂が見える。毛無山に向かって細い踏み跡があり、「毛無山方面縦走注意」とある。いつか辿ってみたいル−トである。 鞍部まで戻って、佐野集落への下山道に踏み込む。杉檜の中の急な下りを経るとトラバ−ス道となる。自然林と植林が交互に現われる。今日この道を辿るのは私一人と見えて、時々蜘蛛の巣が顔に掛かる。右側に相変わらずチラチラと南アルプスの白い山並が見える。どこか1ヶ所でいいから展望が開けてほしいものである。所々道が崩壊している。桟道も腐ったり土砂に押し流されたりしている。東海自然歩道はどこも最近は荒れだしている。お役所仕事は建設は熱心であるが補修を考えない。どこまでもどこまでもほぼ水平なトラバ−ス道が続く。木の間越しではあるが、ついに右側の展望が得られた。塩見岳が見える。ようやくカメラが活躍する。「佐野まであと3キロ」の標示を見ると、道はようやく下りになった。やがて美しい沢ぞいの道となる。苔蒸した岩に木漏れ日を浴びた水流がキラリキラリと光る。 茶畑が現われ、佐野川を栃広橋で渡ると小草里の集落であった。草里(ソ−リ)という地名は焼き畑に因む名称であり、埼玉にも中双里、小双里などの地名がある。茶畑の中の舗装道路を進むとすぐに上佐野の集落である。本来、このコ−スはこの集落の民宿に泊まって2日に分けて歩くのが普通である。佐野川沿いの道と別れ、斜面に沿った集落の中を登っていく。道標は既に朽ち果てていて道が分かりにくい。山中では見ることもなかった地図をたびたびチェックする。相変わらず快晴ではあるが、午後に入りもやはますます深まり、周囲の山はぼんやりと霞んでいる。遅くとも1時までに佐野集落を通過したかったのだが、既に時刻は1時半である。いい加減疲労も覚え始めた。 茶畑の中の道を登っていくと山道となった。佐野峠道である。この峠道は佐野川流域と富士川流域を結んでいる。さすが昔から使われてきた峠道だ。実に登りやすく作られている。ただし、この道を利用するのは今では登山者だけである。疲労の色は濃いのだが、道にだまされ、登りのピッチは上がる。登るに従い、佐野川を挟んだ天子山塊主稜線がぐんぐんせり上がっていく。ようやく佐野峠に登り上げた。富士川流域の南部町から林道が登ってきている。疲れ果てて、通る車とてない林道端に座り込む。こんなときのために一つ残しておいた握り飯を頬張る。 林道から一段高いところに、昔の佐野峠がそのまま残されていた。時刻は既に2時半、行程はまだ3分の2である。弱気の虫が頭を持ち上げ、よほどここから峠道を内船駅に下ってしまおうかと思ったが、自分を叱りつけて思親山への道に踏み込む。いきなり、丸太で整備された階段状の急登である。どういうわけか、登りに入ると調子が出る。木の間隠れに天子ヶ岳から長者ヶ岳の稜線がもやの中に霞んでいる。午前中は見えていた南アルプス方面は深いもやの中に完全に隠されてしまっている。この道も蜘蛛の巣が時々顔にあたる。思親山も今日登るのは私一人と思える。小ピ−クを3、4越えて丸太の階段を登ると思親山山頂に達した。 山頂には、意外なことに、2人の中年女性がいた。聞けば、井出駅から登ってきて今日は佐野に泊まり、明日天子ヶ岳に登るという。ちょうど私と逆コ−スである。「天気がいいのでお絵描きしているの。もう佐野に下るだけですもの」と屈託がない。私が白糸の滝からやってきたと聞くと目を丸くして驚いていた。この山頂は小さな草原となっていて、東側に展望が開けている。案内ではすばらしい展望が得られるとなっていたが、木々が育ってきて、展望を邪魔し始めている。それでも目の前には大きな富士山が霞みの中に溶け込むようにそそりたっている。思親山の名付け親は日蓮聖人と言われている。身延山から国に残る両親を思い、故郷安房の国の方向を眺めると、目の前に横たわってたのがこの山であったという。 いよいよ今日最後の行程に出発する。5時半までには井出駅に辿りつけるだろう。佐野峠から井出駅までの東海自然歩道は、最近南部町が整備し直したとみえて、真新しい道標やベンチがいたるところに設置されている。植林と自然林が交互に現われる道を駆けるように下る。内船への道を右に分け、さらに下るとベンチがあり、西側の展望が今日初めて開ける。ハンググライダ−飛び台跡といわれるところであろうか。午前中ならばさぞかし南アルプスがきれいであったろうが、今は篠井山が霞んでいるだけである。すぐ下で細い林道を横切る。3度目の内船分岐を過ぎ、建設中の立派な道路に絡むように下っていくと、ようやく八木沢集落に達した。さらに井出駅へ向け八木沢峠越えの細い車道に入る。もう足は棒のようである。眼下に見える富士川が次第に近づいて来る。ついに無人の井出駅に達した。時刻は5時5分、ついに、この超長距離コ−スを予定通りに踏破したのだ。私の足も、まだ捨てたものではない。上りの列車は5時58分であった。 |