父不見山

 上武国境稜線上の名峰

1993年3月21日


杉ノ峠
 
杉ノ峠登口(820)→杉ノ峠→父不見山→長久保ノ頭→摩利支天→林道→杉ノ峠登口(1100)

 
 父不見山はどうと云うことのない藪山なのだが、いわくありげな名前と、かつて尾崎喜八が、
  「父不見、御荷鉾も見えず神流川、星ばかりなる万場の泊り」
と歌ったためか、最近藪山党に人気が高いようである。

 もう10年も前から一度は登ってみたいと思っていたが、ル−トがうまく取れない為、延び延びになっていた。この山域は公共交通機関が非常に不便であり、日帰りとなるとどうしても車で行かざるを得ない。この場合、元の地点まで歩いて帰ってこざるを得ないので、ルートが制約される。しかし埼玉県の山であり、いつまで放っておくわけにはいかない。意を決して行ってみることにした。最初は、長久保川ぞいの林道を車で行き、杉の峠−父不見山−坂丸峠と縦走して長沢に下り、ここから、長久保ノ頭から南に派生する長大な尾根をどこか適当なところで横切って元の場所に帰るル−トを考えていた。所が調べてみたら、何と、いつの間にか父不見山の南面を巻く林道が完成している。このため、長久保ノ頭から南に尾根を下り、この林道に達した後林道を歩いて元の場所に戻るル−トで行ってみることとした。ただし、長久保の頭から南に延びる尾根には登山道はない。距離も短いのでなんとか下れると見当をつけた。

 6時40分、鴻巣の自宅から車で出発する。国道140号線から見る秩父連山は雪で真っ白である。数日前にかなりの雪が降ったと思える。ザックの中にスパッツを忍ばせておいてよかった。上吉田の塚越で土坂峠道と分かれると、谷いっぱいに何やら大工事が行なわれている。ダムが造られるようだ。長久保川ぞいの道路に入ると、すぐに長久保集落である。谷間の割合大きな集落で、なんとも云えない風情がある。この辺りより日陰に雪を見るようになる。そのままヘアピンカ−ブを繰り返して、程なく父不見山南麓を巻く新らしい立派な舗装された林道にぶつかった。ここで車を止める。8時20分である。

 支度を調えて、林道を百メ−トル程西に進むと、杉の峠登り口があった。杉の植林の中のやや急な登りをジグザグを切って進むと、息が切れる間もなく、約15分で杉の峠に着いた。峠には2〜3本の杉の大木がそそり立ち、小さな祠が鎮座している。峠を越えて、万場方面へ峠道が下っている。展望は全くない。

 峠からは完全な雪道となった。雪の上に昨日のものと思える、行きと帰り、各一人分の踏み跡がある。尾根の左側は杉と檜の植林であり、展望は全く得られない。右側は唐松の植林であり、木々の間から御荷鉾山が見え隠れする。小さなピ−クを一つ越え、少し登ると、あっさり父不見山頂に達した。杉の峠から30分も掛からない。「三角天」と刻まれた三角形の石が置かれている。北側正面には御荷鉾山が大きく見えるが、木々が邪魔してすっきりとはしない。雪の中の全く平凡な山頂である。

 そのまま稜線を西に向かう。雪が大分深くなって20センチ近くあるだろうか。踏み跡は、同じ方向に向かう一つだけとなる。急な下りが終わると、長久保ノ頭への急な登りとなる。20分も行くと、ここもあっさり山頂に達した。三角点があるが、ここの展望も父不見山と同じでさえない。山頂に最近建てられたと思われる立派な道標がある。ところが何と、間違えているのである。真っ直ぐ進む稜線の道を「魔利支天・寺平」と標示し、南に向かう尾根を「坂丸峠」と標示してある。登山者がマジックペンで小さく間違いである旨を落書きしてあるからまだよいが、ここまであからさまに間違えた道標は犯罪的である。建てたのは小鹿野町観光協会である。その隣に、古びてはいるが、藤倉中学校の建てた同じような道標があり、これは正しくル−トを示している。

 ここから、南に延びる尾根を下る予定であるが、尾根上にル−トはあった。しかし道標の示す「魔利支天・寺平」とはどこを指すのか地図を調べてもわからない。尾根に踏み込む。勿論トレ−スはない。細い踏み跡はあるのであろうが、雪があるためはっきりしない。尾根を踏み外さなければいいので構わず進む。杉と檜の混成林の尾根であり、藪はほとんどない。そのかわり、展望も全く利かない。ピ−クを二つ程越えると、尾根が広がり、尾根の方向がわかりにくい。ル−トを間違えたところで、山は浅いし、大したことはないのでいい加減に進む。痩せ尾根となって小さなピ−クに達すると、意外なことに石の小さな祠があった。鉄の剣が奉納されていて、「魔利支天」と書かれている。長久保ノ頭山頂の道標が示した魔利支天とはこれのことであったのだ。そのまま尚も尾根を進むと、簡単に林道にぶつかった。10時半である。林道をのんびりと歩いて、11時には車に戻った。

 展望も、スリルも何もないつまらない山行きであった。山中誰にも会わなかったことぐらいが救いである。

                 
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