笠山から都幾山へ 

 比企の名峰も林道でずたずた

2002年1月4日


 笠山山頂より上越国境を望む
 
皆谷バス停( 830)→萩平集落(855)→笠山山頂(955〜1015)→七重峠(1030)→堂平山山頂(1050〜1105)→七重峠(1120)→林道(1130)→七重集落(1205 )→慈光寺分岐(1215)→霊山院(1245〜1255)→慈光寺観音堂(1310)→都幾山(1320〜1335)→慈光寺(1345)→西平バス停(1420)

 
 慈光寺は白鳳二年の創設と伝えられる関東最古の寺である。鎌倉時代には幕府の厚い保護を受け、山中に75坊の僧坊を有する関東屈指の大寺院として栄華を極めた。しかしその後、戦乱の中でたびたびの焼き打ちに遭い衰えた。江戸時代、幕府の保護を受け一時は勢いを得たが往時の復興をみるには至らなかった。現在残る塔頭は霊山院のみで、その他の多くの僧坊は山中に跡地のみ確認される。
 
 この慈光寺の拠る山が標高450メートルの都幾山で、二万五千図にも山名が記載されている。しかし、この山は踏み跡さえ定かではない薮山で、よほどの物好き以外登らないという。私はその「よほどの物好き」とみえ、こういう山を知ると心がうずく。栄華の跡をとどめるであろう古刹・慈光寺もぜひ訪れてみたい。比企の名峰・笠山と結んで歩けばちょうど一日コースになりそうである。
 
 小川町駅着7時30分。駅前のコンビニで食料を調達してバスを待つ。8時5分発の白石車庫行きバスには他に3組のハイカーが乗り合わせたが、いずれも手前で降りて、皆谷バス停で降りたのは私一人であった。萩平集落に向け細い車道を登っていく。正月のためか通る車もない。空は真っ青に晴れ渡り、今日一日の晴天を約束している。日陰には、昨日降ったのだろうか、うっすらと雪が見られる。笠山には過去3度登っているが、このコースを登るのは初めてである。所々ショートカットの小道を辿り、高度を上げる。槻川を挟んだ大霧山山稜中腹に展開する集落が目の高さに並んでくる。犬の散歩をしていた娘さんから丁寧な朝の挨拶があり、新年早々気持ちがよい。25分で萩平集落に達する。笠山中腹の緩斜面に展開する山上集落で、ブドウの栽培が盛んである。
 
 人影のない集落を横切り、笠山登山道に入る。ここからは外秩父7峰縦走ハイキングコースである。この40キロを超える超長距離コースを8時間余で歩ききったのはもう15年も昔である。新たに開削された林道御堂笠山線を二度横切る。笠山周辺はしばらく遠ざかっている間に林道が縦横無尽に開削されてしまっている。やりきれない気持ちである。明治13年銘の二十三夜供養塔を見、冬枯れの雑木林の中を登っていく。さらに林道を横切ると山頂に通じる急登が現れた。初めて一息入れる。開けた視界の先には朝の光に輝く筑波山がはっきり見える。今日は視界もよく、山頂での展望が楽しみである。
 
 しばしの急登に耐えると西に視界が開け、両神山が現れた。いつ眺めても惚れ惚れする姿である。その右には西上州の御荷鉾山の双耳峰が見え、背後に真っ白な浅間山が確認できる。すぐに笠山西峰山頂に達した。15年ぶりの山頂である。誰もいない。北方に視界が開け、上越国境から日光連山にかけての山並みが白く連なっている。仙ノ倉山、万太郎山、谷川岳、朝日岳、赤城山、男体山を確認する。あとは写真に撮って帰ってからゆっくり同定しよう。ここ西峰に837メートルと記された山頂標示が建てられているが、正確に言うと間違いである。笠山山頂は軽い双耳峰となっていて、837メートルの最高地点は東峰である。山頂標示にその旨の落書きがされている。すぐにカメラだけを持ってほんの2〜3分の距離である東峰に行く。笠山神社の鎮座する山頂は樹林の中で展望はない。笠山の神に新年の挨拶をして西峰に戻る。白き山並みを眺めつつ朝食のサンドイッチを頬張る。ここまで朝から何も食べずに登ってきた。
 
 七重峠に向け下る。登山者とすれ違った。どこから登ってきたのだろう。林道を一度横切り、山頂からほんの15分で峠に達した。覚悟はしていたが、15年前の気持ちのよい峠は無惨に破壊されていた。正月早々にもかかわらず重機が動き、林道開削工事がなおも続けられている。悲しいことである。東に視界が開け、目の下に年末に登った雷電山がゆったりした姿で横たわっている。ここから七重集落に下る予定であるが、ここまで来たからには一等三角点の山・堂平山に登らないわけには行かない。目をつぶるようにして破壊の進む峠を通り越し、堂平山の登りにはいる。
 
 杉檜の植林の中を緩やかに登る。さらに雑木林の中の急登を経ると天文台のドームの建つ山頂に達した。しかし、この山頂もすっかり変わってしまっている。昔は、山頂の東面が芝生の広場となっていて、お弁当を広げる絶好の場所となっていた。しかるに、この堂平山最大のセールスポイントと言うべき広場が新たな林道に削り取られて姿を消してしまっている。さらに、天文台の周りが真新しい鉄柵で囲まれ、山頂部は完全に立ち入り不能となっている。がっかりするやら情けないやら。それでも、新たに北面に芝生の大きな広場が設けられていて大展望が得られる。奥武蔵の山々の背後に奥秩父主稜線の山々が連なり、その右には両神山、さらにその右には浅間山から上越国境の山々、日光・足尾連山の白い山並みが真っ青な空にスカイラインを描いている。この堂平山山頂には昔、慈光寺の奥の院があったという。山名の由来でもある。
 
 七重集落へは登ってきている新たな林道を辿るのが現在のルートのようであるが、予定通り七重峠まで戻る。この峠は最近の登山地図には笠山峠と記されている。22年前、当時4歳の次女を連れて七重峠から七重集落に下ったことがある。ヒメタケのトンネルの続くすばらしい峠道であった。もうあの道は望むべくもない。工事中の雑然とした峠の隅に「七重」を示す道標がうち捨てられたように地面に横たわっている。ほぼ完成している峠越えの林道とは別に、昔の峠道に沿って道型が作られている。新たな林道の工事の前準備のようである。道型はすぐに終わり、伐採あとの雑然とした急斜面が現れる。怪しげな踏み跡を追うと、小沢に下り着き、そのすぐ下の真新しい立派な林道に降り立った。このルートは登山ルートではなさそうである。
 
 二車線もある地道の林道はくねくねとほぼ水平に続く。昔の峠道の痕跡がどこかにないものかと左右を見守るが、山肌に生い茂るヒメタケがわずかに昔を思い出させるだけである。やがて上方から下ってくる林道が合流する。道標が「堂平山」と標示している。この林道を下ってくるのが本来のルートであったようである。ヘアピンカーブを繰り返しどんどん下ると、再び林道と合流し、すぐに七重集落上部の三叉路に達した。懐かしい場所である。昔の峠道もここに下り着いた。道標があり、来し方を「堂平山」、真っ直ぐ進む道を「赤木」、右に下る道を「七重橋バス停」と示している。何の気なしに右に5分も下って、あわてて地図を確認する。「赤木」への道を進むべきであった。七重集落は堂平山の東面の緩斜面に広がる山上集落であるが、過疎化が進んでいるようで、大きな古い家は戸が閉まり生活の気配がない。そのかわり新しい小さな家が何軒か見られる。都会から移り住む人もいるようである。
 
 三叉路に戻る。道は堂平山から都幾山に続く稜線に向け登って行く。22年前はこの道を赤木集落に下った。稜線手前で右に古い林道が分かれ、道標が「慈光寺」を示している。この林道はすでに使われていない様子で、夏は藪がうるさそうである。林道は稜線の右側を巻きながらどこまでも続く。人の気配は全くせず、陽が燦々と差して暖かい。途中、西平への道を分け、12時45分、ようやく霊山寺に達した。慈光寺の塔頭として今に残る唯一の寺である。なかなかの雰囲気を持つ寺で、臨済宗の禅寺らしく凛とした空気に包まれている。勅使門があり、格式と歴史を感じる。ここまで堂平山頂よりノンストップで歩き続けて来た。ようやく腰を下ろして握り飯を頬張る。
 
 車道を慈光寺に向かって緩やかに下っていくと、すぐに左山腹を斜行する山道が別れ、道標が「観音堂」を示している。観音堂は一見の価値のある立派なものであった。慈光寺は板東観音霊場第九番札所でもある。さて、いよいよここからが今日最大の目的・都幾山へのアタックである。情報では、この観音堂の裏手から山頂に通じる微かな踏み跡があるはずである。ルートを探る。山頂に続く斜面は手入れの悪い杉檜林で、林床は潅木の藪である。切れ切れの踏み跡らしき痕跡を追って上部に進む。もちろんテープ一つない。もう少しはっきりした踏み跡があると思ったが。ただし、地形は単純なのでルートファインディングは容易である。約15分も薮を漕ぐと山頂に達した。藪っぽい樹林の中で、山頂標示も何もない。これでは証拠写真の撮りようもない。私はこれまでに約600の山に登ったが、これほどつまらない山頂も記憶にない。せっかく来たのだからと思い直して、座り込んで握り飯を頬張る。日も射さず薄ら寒い。微かに藪の間から笠山が見える。
 
 元の踏み跡を戻ったつもりであったが、右にずれて観音堂手前の車道に降り立ってしまった。少し行くと楽しみにしていた慈光寺に達した。しかし、がっかりである。イメージとはほど遠い田舎寺で、まともな本堂とてない。初詣客もなく閑散としている。庭先の樹齢1100年以上といわれるタラヨウジュ(多羅葉樹)の大木と一段下の鐘楼が、わずかに昔の栄華を感じさせる。早々に下山に移る。ここからはひたすら車道を西平のバス停に下ることになる。左側に年末に登った雷電山がよくみえる。しばらく下ると山門跡にでた。昔はここから先は女人禁制であった由。観音堂に直接登る女人道が残されている。傍らには歴代住職の墓と県指定文化財である数基の青石塔婆が残されていた。
 
 時折現れるショートカットの小道も混じえ、通る車とてない車道をひたすら下る。慈光寺から35分で、西平集落に下り着いた。都幾川村の中心となる割合大きな集落である。15分待ちで都幾川村役場行きの小さな村営バスがやってきた。乗客は私一人である。しかし、役場からJR駅までのバスは一時間待ち。明覚駅まで歩け歩けである。田圃の向こうに年末に辿った愛宕山―堂山―雷電山の稜線が続いている。たどり着いた駅から来し方を眺めると、薄い街並みの向こうに越えてきた笠山、堂平山そして雷電山が傾いた逆光の中に黒く浮き上がっていた。明覚駅での待ち時間は一時間であった。

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