戸倉三山縦走

人影薄い奥多摩の縦走路

2000年11月19日


 
荷田子(815)→荷田子峠(835〜850)→戸倉茱萸御前の碑(910)→737メートル標高点付近(940〜945)→臼杵神社(1005)→臼杵山頂(1010〜1025)→市道山(1120)→送電鉄塔(1235〜1245)→森久保分岐(1250)→入山峠(1320)→刈寄山(1330〜1340)→今熊山(1435〜1445)→金剛ノ滝分岐(1500)→堰堤(1510)→沢戸橋バス停(1535〜1537)

 

 
  11月も半ばを過ぎ、ようやく我が登山シーズンがやって来た。薮山の季節である。今日は薮山ではないが、戸倉三山に行くことにする。戸倉三山とは奥多摩の秋川の支流・盆掘川を馬蹄形に取り囲む臼杵山、市道山、刈寄山の通称である。縦走路は良く整備されているようであるが、展望もなく、また縦走コースがかなりハードな事もあり、奥多摩にしては人影の薄い静かな山々である。三山を一挙に縦走するとなると距離も長い。どの案内書にもかなりの健脚コースとある。1年で1番日の短いこの季節若干の不安はあるが、私の足はいまだ健在である。

 北鴻巣発5時24分の1番列車に乗り、高崎線、埼京線、武蔵野線、中央線、五日市線と乗り継ぐ。西国分寺駅も立川駅もハイカーの群れで大混雑である。しかし、いずれも徒党を組んだ中高年、若者の姿はない。武蔵五日市駅着7時55分、鴻巣からだと何とも遠い。8時1分発のバスに乗り、荷田子バス停で降りたのは私一人であった。あれほどいたハイカーの群れはどこへ行ってしまったのだろう。

 8時15分、登山を開始する。天気は快晴であるが、北海道に今年初の本格的な雪を降らせた第一級の寒波が入り込んでおり寒い。セーターにヤッケを着、手袋までしての出発である。畑には霜が降りている。畑と山林の間は大きなネットで仕切られている。イノシシ避けだろうか。 ネットを潜り、鬱蒼とした桧林の中の急登に挑む。登山道は確りしていて不安はない。 20分のアルバイトで荷田子峠に登りあげた。臼杵山から北東に延びる尾根末端の小さな鞍部である。桧林の中で日も差さず休むと寒い。

 小休止の後、いよいよ臼杵山を目指し尾根道をたどる。この尾根はグミ尾根と呼ばれている。小峰を右、左と巻きながら次第に高度を上げる。おおよそ桧林の中であるが、所々落葉広葉樹の林がある。まだ落ちきらぬ黄色く色づいた葉が朝日に輝く。右側には木の葉隠れに大岳山が見える。独特の山容のため一目で同定できる。左側、刈寄山の斜面は大規模な採石場となっていてガラガラと作業の音が朝の静寂を破る。時々蜘蛛の巣が顔に掛かるところを見ると、今日この尾根道をたどるのは私が最初のようだ。ひょっとしたら昨日も誰も歩いていないのかもしれない。どこまでたどっても林の中で展望は得られない。深い桧林の斜面を登っていくと小さな石の祠があり、「戸倉山茱萸御前」と刻まれた石柱が立っている。「御前」とは「貴い女人」あるいは「女神」を意味する言葉ゆえ、「戸倉山のグミの女神」という意味だろう。いま辿っているこの尾根もグミ尾根と呼ばれている。

 単調な登りに少々飽き飽きする頃、臼杵山のひとつ手前のピークでようやく展望が開けた。盛りを過ぎたススキの向こうにこれから辿る市道山から刈寄山へ続く稜線が広がっている。刈寄山の斜面はすっかり採石されて痛々しい。いったん鞍部に下って、最後の急登に挑む。息せき切って登りあげた頂きは臼杵山北峰で、樹林の中に臼杵神社が奉られている。もとは臼杵権現と呼ばれた養蚕の神様である。社殿前の狛犬は犬ではなく猫あるいは狼といわれている。ここで元郷集落からの登山道が合さる。臼杵山三角点峰である南峰はここから2〜3分の距離であった。誰もいない。樹林に囲まれ展望もない頂きは寒々としている。今日はここまで誰にも会っていない。奥多摩にもこんな静かな山があったのか。山頂の一角に座り朝食兼昼食の握り飯を頬張る。

 市道山を目指す。ここから1時間強の行程である。しばらくは潅木の茂る痩せ尾根を進む。木々は黄色く染まり、静岡の山には多い楓の赤は少ない。やがて尾根は広がり深い桧林の中の緩やかな道となる。市道山への最後の急登にはいると、上方から1人下ってくる。今日初めて見る人影である。しかし、すれ違いに挨拶するも知らぬ顔。ハイカーとも山仕事の人ともみえない不気味な人だ。すぐにまた1人下ってきた。この人も何やら一人ぶつぶつつぶやきながら目もあわせずにすれ違っていく。山には時々正常な精神とも思えない人種がいる。急斜面が終わり低い笹原の緩斜面となる。6人パーティが下ってきた。今度は友好的な挨拶がある。登りあげた頂きで笹平からの登山道が合流する。市道山山頂はここからほんの一足長であった。しかし、到着した山頂は何と! 十数人のおじちゃんおばちゃんの大パーティに占拠されている。せっかく静かな頂きを期待していたのにがっかりである。座る場所もないし、展望もないので証拠写真だけ撮ってそのまま通過する。すぐに醍醐山、陣場山へのルートが右に分かれる。このルートも何時か辿って見たい。二つ目のピークでようやく腰を下ろす。

 市道山から刈寄山までのルートは2時間半ほどの道程であるが、案内書によると幾つもの小ピークを越える相当ハードなコースとある。なるほど、次々と急峻な小ピークが現れる。この尾根は「峰見通り」と呼ばれている。調子は上々でリズムカルにピークを越えていく。中年の夫婦に追いついた。今日初めて会う同方向に進むパーティである。ノンストップで1時間も歩き続けると送電線鉄塔が現れた。私の持参した昭和50年発行の二万五千図にはこの送電線はまだ記入されていない。鉄塔の周りは刈り込まれて展望が良いので休憩とする。目の前に陣場山から醍醐丸に続く稜線が連なっている。この稜線は20年も前に踏破ずみである。特徴の無い稜線で、個々の山を同定するのはとても無理である。

 秋の日は釣瓶落し、4時には暗くなる。のんびりはしていられない。「トッキリ場」と呼ばれるピークで森久保集落への道を右に分け、ルートは直角に左に曲がる。右側、稜線直下に林道が上がってきている。再び送電線鉄塔に出る。越えてきた臼杵山、市道山が逆光の中に霞んでいる。「盆掘林道を経て沢戸橋へ」の道を右に分けると。すぐに車道の乗っ越す入山峠に飛び出した。ランニング姿の若者が一人休んでいて「今何時ですか。市道山までどのくらい掛かりますか」と聞く。「無理だからやめておきなさい」と言い捨てて刈寄山へのルートに踏み込む。今熊山への巻き道を右にわけ、稜線に達する。右に行けば今熊山への縦走路、刈寄山は左に行く。1峰を越え、最後の急登に挑む。太り気味の若者が一人のろのろ登っている。一気に登り切った山頂は無人であった。小広く開け四阿が立っている。しかし、潅木に囲まれ展望は得られない。がっかりである。今日はついに展望の開けた頂きには巡り合わなかった。

 これで無事戸倉三山の縦走は果した。山頂直下から盆堀林道に下るルートで下山するのが普通であろうが、どうもまだ歩き足らない。時刻もまだ1時40分、日暮れの4時までに余裕がある。さらに今熊山まで縦走を続けてみよう。今熊山分岐まで戻り、縦走を再開する。幸い道も確りしている。幾つもの小峰を足早に越える。ここまで来るともはや人影はない。どこまでも深い樹林の中で静寂そのものである。いつしかルートは小道といえるほど確りし、ピークを越えることもなく巻き道の連続となる。どうも本来登山道ではなく昔の生活道路のようである。時間に追われるせいか足は自然と速まる。

 今熊神社の参道に飛び出した。前方の小高い頂に社がみえる。参道の石段を登る。さすがに疲れを覚える。登りあげた頂きが今熊山山頂であった。平成11年建立の真新しいコンクリートの社が鎮座している。今熊神社の奥社である。社の前の広場に座り込んで残りの握り飯を頬張る。これですべて終了である。しかし、ここで下山路に迷った。尾根伝いに続く参道を下っていけば今熊のバス停に出られるはずであるが、バスの便は悪そうである。山頂の一角に立派な道標があり、社の裏手に続く道を「金剛ノ滝」と示している。地図にはない道であるが、このルートを採れば金剛ノ滝を経て逆川沿いに沢戸橋バス停に下れそうである。道は小道といえるほど確りしている。しばらく下ると、尾根を外れ右斜面を下りだす。しかし、道標は「今熊バス停」とあり、スタート地点の「金剛ノ滝」の標示はない。いったいこの道はどこへ導くのだ。混乱する。しばらく下るとベンチのある小平地に達し、新たな標示があった。左に細い踏み跡が分かれ標示は「金剛ノ滝」、そのまま尾根を巻くように進む道は「今熊バス停」とある。これでようやく了解である。ただし、別の看板が「金剛ノ滝へのルートは崩壊のため通行止め」と標示している。やはり今熊バス停に下るしかないようである。

 しばらく緩やかな巻き道を下ると、またも標示があり、左の急斜面を谷底に向かって下る細い踏み跡を「五日市」と示し、「堰堤から金剛ノ滝を往復できる」と注記してある。少々迷ったが、この道に踏み込む。危険を感じるほどの細い急な下りである。堰堤のある谷底に下りきる。道標があり、上流に向かう踏み跡を「金剛ノ滝」、下流に向かう踏み跡を「五日市」と示している。金剛ノ滝に寄ってみようかと思ったが、時刻は既に3時過ぎ、無理する事もあるまい。下流に向かう。道はいつしか小道となる。更に進むと、刈寄林道に合わさった。やれやれである。すぐに沢戸橋のバス停に達した。幸運な事に1分も待たずに満員のハイカーを乗せた五日市駅行きのバスがやってきた。

 久しぶりの山行きであったが、私の健脚は衰えていないようである。静けさだけが取り柄の特徴の無い山であったが、1日歩き続けた事に満足であった。ただし、地図を読む事のない山はやはり物足りない。

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