酉谷山から熊倉山へ降雨の中、踏み跡薄い薮尾根を必死に縦走 |
2002年5月19日 |
小黒山頂付近のアズマシャクナゲの群生
演習林入口ゲート(825〜830)→登山道入口(900〜905)→大日向分岐(1045〜1100)→小黒(1130〜1140)→大血川峠(1150)→酉谷山(1210〜1225)→大血川峠(1235)→小黒(1240〜1250)→大日向分岐(1305〜1310)→1451m峰(1350〜1400)→熊倉山(1455〜1505)→笹平(1525)→水場(1535〜1540)→林道(1625)→武州日野駅(1710) |
G.Wの後、不順な天気が続いている。今日は雲が多いながらも何とか晴れるとの予報である。奥武蔵の典型的なバリエーションコース・酉谷山―熊倉山の縦走にチャレンジしてみることにする。このコースは前々から気になっていたのだが、酉谷山は長沢背稜上の奥深い山、どちらから縦走するにしても日帰りでは無理であった。ところが、埼玉県側の大血川奥から酉谷山へ登るルートがあることを知った。もちろん、このルートとてバリエーションルートであるが。このルートを利用すれば何とか熊倉山までの縦走が日帰りで可能のようだ。熊倉山まで達すれば後はハイキングコース、日が暮れても懐電で歩ける。
熊谷発6時40分の秩父鉄道に乗り、終点・三峰口着8時9分。すぐにタクシーで大血川奥の大日向に向かう。バスと徒歩では大日向まで2時間以上掛かり、時間不足となる。車は大血川沿いの道を猛スピードで奥へ進む。1993年4月、霧藻ヶ峰から太陽寺に下り、この道を延々と歩いた記憶がある。8時25分、観光釣り場の50メートルほど先でタクシーを降りる。2420円の散財である。コースは左に分かれる林道を進むのだか、ここから先は東大演習林となっているため入り口には鉄のゲートがあり車は入れない。林道分岐には何の標示もない。支度を整えていたら営林署の車が止まり、「熊が多いから注意するように」との忠告を受ける。もちろんその覚悟で、今日は熊避けの鈴を持参している。しかし、熊にも出会ってみたい。 ゲートをくぐり、林道を進む。雲は多いが薄日が射し天気は好天に向かいそうである。辺りに人影はなく、新緑がまぶしい。道端には不気味なマムシ草が目立つ。林の中にはレンガ色のヤマツツジが咲いている。沢沿いの林道を30分も歩くと、左より流入するクイナ沢を渡ったところで林道は尽きた。ただし、橋の手前で新しい林道が戻り気味に山腹を登っていく。新しい林道を進みかけて、胸騒ぎがして地図を確認してみると、橋を渡ったところが登山道取り付き点のはずである。探ってみると、林道終点の先に細い踏み跡が続いている。これが登山道と思えるが、道標はおろか赤布一つない。ジグザグを切ってグイグイ高度を上げる。踏み跡はしっかりしているが、相変わらず赤布一つない。15分ほど登り、尾根筋が現れたところでひと休みする。右手に見える長沢背稜上の峰々の山頂部は雲の中である。酉谷山での展望は期待できそうもない。 さらにジグザグを切っての急登が続く。時々蜘蛛の巣が顔に掛かるところを見ると先行者はいない様子である。夕べの雨で緩んだ登山道には動物の足跡が続いている。熊だろうか。所々にヤマツツジを見るが、その他の山野草はない。ときおり鶯の鳴き声が聞こえる。いい加減登ったところで、道は尾根の右側のトラバース道となった。相変わらずしっかりした踏み跡で不安はないが、テープ一つないのも奇異である。ガレ場を危なっかしくトラバースすると、尾根上部に向かう踏み跡が分かれる。ここで初めて消えかけた小さな道標を見る。ジグザグを切って尾根に急登する。林床が猛々しいスズタケで覆われるようになり、踏み跡の両側から覆い被さる。 掻き分け掻き分け尾根を登ると、10時45分、ようやく酉谷山から熊倉山に続く尾根に登り着いた。広々とした平坦な尾根の一角で、背を没するスズタケが小さく切り開かれている。三叉路となっていて、尾根を右に行けば酉谷山、左に行けば熊倉山である。ただし、ここにも道標は一切ない。今日はここから酉谷山を往復したのち熊倉山に向かうことになる。座り込んで握り飯を頬張る。周りは鬱蒼とした原生林で、薄くガスが流れている。ときおり鋭い鳥の鳴き声が聞こえるだけで、風の音さえしない。 酉谷山に向け出発する。ここからはかなりの藪漕ぎが予想されるので軍手をはめる。原生林の若葉が美しい。最初はゆったりしていたスズタケの切り開きも次第に狭まり、両側から覆い被さるようになる。それでも踏み跡はしっかりしており、藪漕ぎというほどでもない。しかも分岐からは赤テープが頻繁に現れだす。ただし、スズタケの壁の中で視界が利かないため、熊公との出会い頭が心配である。熊の真新しい糞もある。薮の中にはときおり鮮やかな紫のミツバツツジを見る。原生林の中はしんと静まり返り、熊避けの鈴の音だけが響く。しばらく緩やかな登りを進むと、ルートは左に折れ、壁のような急斜面の登りに転じる。小黒と呼ばれる1650メートル標高点峰への登りである。スズタケを掴んで一歩一歩身体を引き上げる。すぐに上部の開けた緩斜面に出る。スズタケは消え、山毛欅の原生林の中にアセビなどの潅木がまだらに生えている。踏み跡が乱れ、ルートを失わないよう気を使う。 小黒山頂に達した。山頂には何の標示もなく、一本の大きなアセビの木が満開の花を付けている。薄暗い樹林の中をガスが薄く流れる。これから向かう酉谷山の別名は「大黒」である。そしてその一つ北側のこのピークは「小黒」と呼ばれる。名前は鬱蒼と山肌を覆う黒木の原生林に由来するのだろう。小休止し、握り飯を一つ頬張る。山頂の20〜30メートル先にシャクナゲが群生している。ピンクというより赤に近いあでやかな大柄の花を付けている。アズマシャクナゲである。モノクロームの原生林の中でそこだけが華やいでいる。シャクナゲのところでルートを失った。テープはあるのだが、踏み跡は極端に薄くなりルートとも思えない。山頂まで引き返すと、にわかに人声がして、中年の男女3人パーティ登ってきた。こんなバリエーションルートで人に会うとは思っていなかったが。 正規のルートを見つけ、笹のトンネルの急坂を下ると、すぐに痩せ尾根上の小さな鞍部に達した。何の標示もないが、ここが大血川峠である。昔、奥多摩の日原地区と秩父の大血川流域を結ぶ峠道がこの峠を越えていた。今は深い笹原に隠され痕跡もない。酉谷山への最後の登りに入る。疎林の中の平斜面の急登である。踏み跡が乱れ、ここもルートがわかりにくい。12時10分、ようやく酉谷山山頂に達した。実に22年振り、2度目の頂である。1980年の2月、芋の木ドッケから雪の長沢背稜を縦走してこの頂に立った。この奥深い山に2度と登ることはないと思っていたが、こうして再び戻ってきた。 山頂は無人であった。南面の雑木が切り払われ視界が確保されているが、今日はガスが渦巻き何も見えない。大規模にゴミを埋め立てた跡があり、雰囲気はあまりよくない。ベンチ代わりの丸太に腰掛け握り飯を頬張っていたら、小黒で出会った3人連れがやってきた。早々に山頂を辞す。いよいよここから熊倉山までの縦走の開始である。時刻はすでに12時25分、遅くても3時半までには熊倉山に着くであろう。ただし、これとてノートラブルの場合、ルートミス等した場合時間的余裕はない。「熊倉山まで行く」と聞いて、3人組が「すごいわねぇ」と感心している。下りは早い。行きに1時間10分要した大日向分岐まで40分で戻り着いた。途中男性3人パーティとすれ違う。 分岐でひと休みしたのち、いよいよ熊倉山に向け未知のルートに踏み込む。期待に反し、天気は悪化の方向に向かっているようで、原生林の中は濃いガスが渦巻きだしている。背を没するスズタケの密生の中に一筋の踏み跡が続いている。果たしてこの先にいかなる困難が待ち受けているのか。踏み跡は意外にしっかりしているものの、酉谷山へのルートに比べ明らかに人の足に馴染んでいない。赤テープもない。ときおり踏み跡に被さる笹を押し分け足早に進む。笹とガスで一切視界が利かないため、熊公との出会い頭が怖い。ザックを揺すって熊避けの鈴を一段と鳴らす。4つほど小さなピークを越えると、尾根は大きく広がり、まさに笹の海となった。広々とした原生林の中、背を没する笹原が一寸の隙間もなく何処までも続いている。ときおり顔に掛かる笹はうるさいが、それでも通行困難と言うほどではない。むしろルートファインデングの必要がなく助かる。 緩やかに下り、次の露石のある小ピークに達すると、笹から解放される。細まった薮尾根を進むと大きな登りとなった。右側が檜の植林、左側が自然林の急斜面をあえぎあえぎ登る。尾根は右にカーブし、さらに左にカーブして顕著なピークに達した。ひと休みする。地図で確認すると、1451メートル標高点ピークである。熊倉山まではまだまだである。天気は一層悪化し、ガスが黒く渦巻き今にも降り出しそうな気配である。急がなければならない。 ルートの状況が一変した。ガリガリに痩せた岩稜となる。結果として、この岩菱の通過が、今日最大の難関であった。小さな岩峰が次々と現れる。その登り下りは危険ではあるが、困難と言うほどではない。問題はルートファインディングである。黒いガスが視界を閉ざし、しかも岩場ゆえ踏み跡がないのでルートがさっぱりわからない。岩峰に立つたび、下る方向を死にものぐるいで探る。視界は数メートル、稜線の続きが見通せない。まさに神に祈る思いである。突如、ザーと云う音とともに雨が降り出した。慌てて雨具をつける。雷鳴が轟き、激しい雨である。状況はまさに最悪である。濡れた岩が滑り、雨具のフードは視界をさらに奪う。一刻も早く熊倉山山頂に達しなければならないと焦るが、逆にルートミスでもしたら遭難ものである。全神経を集中してルートを探る。 いくつ岩峰を越えたことだろう。突然、注連縄の張られた磐座が現れ、その数メートル先が目指す熊倉山山頂であった。ほっとして土砂降りの雨の中、露石に座り込む。やっと安全圏に達した。ここまで来ればハイキングコース、もう心配はない。当然のことながら山頂は無人であった。三角点とさび付いた山頂標示が雨に濡れている。私にとって14年振り、3度目の頂である。ただし、雨を避けるものもなく、感傷に浸っている暇はない。早々に下山に移る。 寺沢コースを武州日野駅に下ることにする。鬱蒼とした杉檜の樹林の中を大きくジグザグを切りながら緩やかに下る。樹林の中は相当薄暗いが踏み跡ははっきりしており、今までとは雲泥の差である。やがて笹平と呼ばれる平坦地に出る。バイケイソウがたくさん芽を出している。再び深い植林に入り、急斜面を細かくジグザグを切りながらグイグイ下る。前方で人声がして、女性を交えた4人パーティが2組、相前後してのろのろと下っている。三又からは寺沢沿いの道である。雨は小降りとなった。14年前、この沢沿いの道を当時8歳の長男を連れて登ったが、何ともすばらしい道であった。しかし、今日は雨に濡れ、夕暮れにせかされ、景色を楽しんでいる余裕はない。一の橋を渡るとすぐに小さな山ノ神の祠があった。今日の無事を感謝する。 16時25分、車道に下り着いた。しかしここから駅までの里道が長かった。夕闇迫る里道をただひたすら歩く。17時10分、ようやく秩父鉄道の武州日野駅にたどり着いた。幸運なことに、雨具を脱ぐ暇もなく、待ち時間ゼロで上り電車がやってきた。 |