突先山から牛ヶ峰へ

夏草茂る安倍川・藁科川分水稜を縦走 

1994年6月11日

              
 
奥長島集落(805)→メガネ橋(830〜835)→釜石峠(940〜950)→突先山(1020〜1030)→大山(1100〜1115)→水見色峠→牛ヶ峰(1205〜1220)→八十岡分岐(1300〜1315)→内牧集落(1520)→西ヶ谷総合運動場(1620)

 
 山へ行こうと思うのだが、この時期適当な山がない。ただでさえ手入れの悪い静岡市近郊の山々の登山道は、梅雨のこの時期では夏草が生い茂りとてもではなかろう。考えあぐねた結果、突先山から大山を経て牛ヶ峰まで縦走してみることにする。もし状況がよければ、稜線ぞいに長駆、安倍城址まで縦走したい。突先山、大山、牛ヶ峰は静岡市の西北にそびえるポピュラーなハイキングの山であり、少々夏草がうるさいとしてもなんとかなるであろう。ただし、大山と牛ヶ峰の間の稜線は縦走案内も見当たらないし、二万五千図にも登山道の記載はない。しかし、大山山頂から牛ヶ峰との鞍部までは東海自然歩道が通っており、いくらなんでも、この鞍部から牛ヶ峰までの稜線上に道はあるであろう。一方、牛ヶ峰から安倍城址まではまったく自信がない。地図を見るかぎり、一応稜線は続いているのだが、四分五裂した複雑な稜線であり、コースサインでもないと地図とコンパスだけでこの稜線を辿ることは相当困難に思える。

 センター発7時15分と思った奥長島行きバスの時刻がいつのまにか変わっていて7時5分発になっていた。しまったと思ったら、バスが2〜3分遅れでやって来たので何とか間に合う。いつもの通り最後は私の貸し切りとなって、8時、奥長島に着く。「突先山かい。展望はあいにくだなぁ」。運転手の声に送られて、勝手知った林道を奥に進む。天気は今日一日なんとか持ちそうであるが、梅雨時特有の水気をたっぷり含んだ空気が重く立ち込め、周囲の山々は霞んでいる。実は昨年の12月にもこの林道を辿って今回と同じ計画を目指したことがある。この時は不覚にも途中ルートを間違え、大棚山山稜に迷い込んでしまったため、大山で時間切れとなってしまった。今回はその復讐戦も兼ねている。

 約30分で釜石峠登山口であるメガネ橋に着く。釜石峠へは山腹ルートと沢ルートがあるが、今回は沢ルートを採る。ある程度の覚悟はしていたが、登山道は夏草が生い茂り、なんともうっとうしい。この時期は登山者もめったに来ないと見えて蜘蛛の巣が至るところ張りめぐらされ、じめじめした草の間だから蛇でも這い出しそうである。持参したストックを振り回しながら恐々進む。所々に薄紫の小紫陽花の花が咲いている。30分ほど進み、道が沢から離れる地点で水筒に水を満たす。杉林の急斜面をジグザグを切って登る。いつも思うのだが、植林地帯は生物相が極端に薄くなる。いくら木が植えられていても、やはり自然破壊であることはこのことからもよくわかる。おかげでここでは蜘蛛の巣の心配もない。やがて山腹コースからの道を合わせ、トラバース気味に登っていくと釜石峠に達した。

 峠の石仏・歯痛地蔵さんとの4度目の対面である。誰もいない静かな峠で一休みの後、突先山を目指す。ハイキングコースゆえ道型ははっきりしているが、覆い被さる夏草がうるさい。鎖場の急登を経てなおも登ると、足元に珍しい生き物を見つけた。まず蛙が現われ、続いて蟹を二匹見つけた。沢筋にいる蛙や蟹がなぜこのような尾根筋にいるのか不思議である。釜石峠から30分で突先山山頂に達した。大棚山方面にわずかに展望が開け、霞んだ山稜が見える。昼食をとってすぐに大山を目指す。思い掛けず下から人声がし、中年の夫婦が登ってきた。おかげでここから先は蜘蛛の巣を気にすることはない。5分の下りで荒れた林道に出る。大山まではこの林道を辿ることになる。盛りを過ぎてはいるがツツジの花が道端に点々と咲いている。 NTTの大きな中継塔の立つ大山山頂は静岡市内を一望できるが、今日は初めから展望を期待していない。山頂には人の気配はまったくない。前回はここから「愛郷の道」を大原集落に下った。道の入り口には藁品中学校の「山の命を守ろう」との標語が刻まれている。なんとも心地よい言葉である。この道のすばらしさは今も心に焼き着いている。今日はここから稜線沿いに牛ヶ峰を目指す。鞍部までは東海自然歩道となっているのでルートに不安はない。スズタケの切り開きを抜けると、杉桧の平斜面のものすごく急な下りとなる。500メートルもの一本調子の下りである。この道を水見色小学校の生徒達が集中登山すると見えて、それを示す標示がある。静岡市近郊の山々は小中学校の集中登山が今でも定期的に行なわれているようで、龍爪山や十枚山はおろか滅多にハイカーの姿を見ない七ツ峰にさえ楢尾小学校の登った痕跡があった。すばらしい行事だと思う。

 口長島集落への下山道を分けるとようやく尾根筋が現われる。小さなコブを幾つか越えて進むと牛ヶ峰との鞍部に達した。この鞍部を水見色峠というらしい。足久保川流域の谷沢集落へ東海自然歩道が、反対側には水見色集落への道が下っている。ここから牛ヶ峰までの稜線上に道があるか一抹の不安があったが、例のY・K氏の道標があり、明確な踏み跡が牛ヶ峰に続いている。道はさすがに細くはなったが、それでも途切れることはない。ストックを振りつつ時々現われる蜘蛛の巣を払いながら藪っぽい道を進む。562メートル峰を越えると牛ヶ峰への最後の急登となり、同時にルートも判然としなくなる。所々につけられた赤テープを頼りに平斜面のものすごい急登をひたすら登る。登り切ると山頂部の一角に達した。植林の中の平坦地で、八十岡集落と水見色集落への分岐となっている。道標に導かれて左へ進むと、すぐに草原となった丸い頭の牛ヶ峰山頂が現われた。

 噂に聞いた通りのすばらしい頂である。緩やかに傾斜した草原が広がり、360度の大展望である。眼下には静岡市街が霞み、その左手には賎機山から龍爪山に続く山稜が墨絵のようにうっすらと浮かんでいる。空気の澄んだ秋から冬に掛けての展望はさぞかしすばらしいであろう。この頂は秋には萱との原となり、早春には蕨が萌え出るという。誰もいない山頂の草原に一人座り込み広がる景色をぼんやりと眺めていたら、ふと、我が故郷の山・奥武蔵の棒ノ峰を思い出した。ちょうど30年以上前の棒ノ峰の頂がこんな感じであった。今の棒ノ峰頂はすっかり泥の広場と化して見る影もないが。

 人の気配にふと後ろを振り向くと、いつのまにか中年の男性がたたずんでいた。下のほうで「おぉい」と呼ぶ子供の声が聞こえる。どうやら谷沢集落から家族連れで登ってきたらしい。山頂がにぎやかになる前に出発することにする。今日はまだ先が長い。先ほどの分岐まで戻り道標にしたがって八十岡集落へのルートを辿る。樹林の中のしっかりした道である。山腹を大きく右にトラバースした後、尾根筋に乗る。尾根を5分も下ると、右に「高山の池」への踏み跡が分かれる。池まで3分との標示なので行ってみることにする。小紫陽花の咲き乱れる道を進むとすぐに高山の池に達した。現在は池とは名ばかりの小さな湿地帯に過ぎないが、この池には有名な伝説がある。

 「昔、水見色集落の長者の一人娘のところに、夜な夜な通ってくる立派な若者がいた。心配した親が若者の服に糸を結び、その後をつけると、糸はこの高山の池に続いていた。若者はこの池に棲む龍の化身であったのだ。怒った父親は多くの焼石を池に投げ入れた。龍は耐え切れず桜峠麓の鯨ヶ池に逃げ込んだという」。

 分岐に戻ってさらに尾根を下る。遠くで犬の激しく吠える声が聞こえる。やがて八十岡分岐に出た。八十岡ルートはここから尾根を離れて下っていく。私の計画は、可能であるならさらに尾根を辿って安倍城址まで行くつもりである。ただし、最終判断はこの地点で状況を見てするつもりでいた。尾根上に何らかのコースサインでもない限りここから先の入り組んだ稜線の縦走はとても無理である。尾根上には細いながらも踏み跡が続き、「牧内」との標示がある。期待していた「安倍城址」の標示はない。どうしようかしばらく考えたが、行けるところまで行ってみようと、尾根上の踏み跡に踏み込む。2〜3分進むと545メートル峰に達し、牧内へのルートが左に下って行く。稜線上には微かな踏み跡が残され、行く先の標示は何もない。ここから先は地図とコンパス頼りの困難な縦走である。ここまで見ることもなかった二万五千図をポケットに移し、現在位置を確認しながらの手探りの縦走となる。

 ピークを二つ越え、急な下りとなる。次のピークとの鞍部に達すると、ここまで続いていた微かな踏み跡が右手に下っていってしまった。もはや稜線上には踏み跡の痕跡すらない。細長い平頂の433メートル峰への登りに掛かると、植林が途絶えて灌木の猛烈な藪となった。視界はゼロだし、蜘蛛の巣は到る所に張り巡らされているし、冬場ならまだしも夏場の激しい藪漕ぎはたまったものではない。泣きたい気持ちで必死に藪を漕ぐ。藪を抜けて深い植林地帯に入る。このまま尾根を進むと支尾根に乗ってしまう。ルートは左に90度曲がらなければならないのだが、この屈折地点は尾根筋がまったくないので勘に頼るほかない。ここでルートが発見できなければ遭難ものである。見当をつけて左の急斜面を下る。100メートルも下ると尾根筋が現われた。我ながらこのルートファインディングはまさに神業と感心する。藪尾根を下ると送電線鉄塔に出た。目指した通りの地点である。現在位置が確認でき、当面の危機は脱出である。いざとなれば、どこへ導くかは別として、しっかりした送電線巡視路もある。ほっとして小休止をとる。

 ちょうどいい具合に、巡視路が目指す稜線上につけられているのでこの小道を下る。やはり道は歩きやすい。次のピークとの鞍部に達すると巡視路は稜線から外れて左に下って行く。稜線上は再び灌木の猛烈な藪である。少し稜線上を進んでみたが、時間的にとても安倍城址までは行けそうもない。今回はここで打ち切り冬場にもう一度挑戦しよう。戻って巡視路を辿る。すぐに茶畑に出て、さらに下ると林道に出た。舗装された林道をどんどん下って行くと集落に達した。内牧集落である。バスはあるのだが、2時間半待ちである。安倍川河畔まで行けば多くのバスがあるだろう。歩け歩けである。1時間もひたすら歩くと西ヶ谷総合運動場に達し、発車寸前のバスが待っていた。

 今回の反省。やはり夏場に藪山を歩くものではない。