迷い迷って釜石峠から突先山へ

藁科中学の生徒が守る登山道「愛郷の道」

1993年12月12日

              
 
奥長島集落→足久保川源頭→大棚山西方1,036m峰→中村山→釜石峠→突先山→大山→愛郷の道→大原集落

 
 安倍東山稜の山々を登り尽くした現在、安倍川の支流・足久保川奥の山々が気になる。これらの山々は、オフィスの窓から毎日眺めているのだが、いまだ正確には山名が同定できずに前々から気になっていた。大棚山、突先山、大山、牛ヶ峰などの千メートル前後の山々である。突先山、牛ヶ峰はハイキング対象の山で案内も多い。大山は突先山とセットで登られるが、山頂に大きな電波塔が立ち自動車道路も登っているのでこの山自体は登山の対象とはならない。一方、大棚山は登山対象外の薮山である。ただし、突先山へのガイドブックに「途中に大棚山への登山道が分岐する」との記載もあり、登れないこともなさそうである。
 
 センター発7時10分の奥長島行きのバスに乗る。今日は移動性高気圧が広く上空を覆い、一日穏やかな晴天が続きそうである。きっと南アルプスの展望がすばらしいであろう。途中から7人連れのハイカーがにぎやかに乗り込んできたが途中で下りていった。牛ヶ峰に向かうようである。いつもの通り最後は私の貸し切りとなり、8時奥長島に着く。「突先山かい。ハイキング日和だなぁ」との運転手の声を背に林道を奥に歩き出す。空は真っ青に晴れ渡り今日一日すばらしい山歩きが期待できそうである。奥長島集落は思ったよりも大きく、開けた谷間に家々が立ち並び、周りはすべて茶畑である。
 
 今日の計画は明確には決めていない。大棚山への登山道を見定め、登れそうならば大棚山へまず登って釜石峠から突先山、大山と縦走するのもよい。まっすぐ釜石峠に登って突先山、大山と縦走し、時間に余裕があれば、さらに牛ヶ峰まで足を伸ばしてみるのもよい。時間とルートを見定めながら、臨機応変に対処するつもりである。バス停から30分ほどでメガネ橋に達した。ここが釜石峠への登山口である。ヤッケ、セーターを脱ぎ、軍手をはめて登山に備える。
 
 右側斜面を5分ほど急登すると、旧登山口からの道を合わせてトラバース道となる。さらに10分ほど進むと、Y・K氏の道標があり、右に大棚山への道が分岐する。思いのほか確りした道である。どちらの道をたどるか考えたが、初めての山域であり無理することもあるまいと考え、まっすぐ釜石峠に行くこととした。さらに5分ほど進むと、谷が開け茶畑が現れる。ここで、沢ルートと山腹ルートが分かれる。注意書きがあり、「沢ルートは危険のため、山腹ルートを登るように」とある。ところが、山腹ルートを示す指示板には「伐採中に付きルート不明」との張紙がある。いったいどっちのルートを推奨しているのやら。
 
 山腹ルートを進む。斜面を登ると、案の定、伐採地に出た。瞬間、これは大変なことになったと思った。伐採されたばかりの枝の付いた檜の大木が斜面を一杯に埋め尽くしている。ルートが不明などというものではなく、そもそもとてもが歩けたものではない。いまさら戻るのも癪なので強引に進んでみる。跨ぎ、乗り越え、潜り、回り込み、サーカスもどきの前進となった。急斜面なので相当危険を感じるが、いまさらどうしようもない。泣きたい気持ちである。ルートはまったく不明であるが、勘で斜面を斜行する。30分ほどの悪戦苦闘の末、どうにか無事伐採地を抜けた。
 
 ルートは山腹のトラバース道となる。いくつかの沢を越えながら次第に高度を上げる。1時間ほど進み、そろそろ足久保川本谷に出る頃と思っていると、ようやく沢に出会った。沢沿いには確りした道が登ってきている。沢コースの道であろう。水筒の水を入れ替え、沢に添った道を登る。結果的にここで重大なルートミスをしたことなど知る由もない。この沢沿いの道を詰めれば釜石峠に出るはずと思っている。道が今までに比べいくぶん細くなったのが何となく気にはなったが、まさか間違ったルートを進んでいるとは思いもよらなかった。そろそろ釜石峠と思う頃、道は沢から離れて、左斜面を緩く登り出した。そのまま進むと作業小屋が現われ、何と道はここで途絶えた。ここに至って、初めてルートがおかしいと気づいた。
 
 どこでどうルートを間違えたのかわからない。本来ならば、ルートのはっきりしていた沢出会の地点まで戻るべきであるが、たかだか千メートル程度の山、道が無くてもどうにかなるわいとの気持ちがある。迷うのもおもしろいとの意識すらある。方向感覚としては、西に進むべきところを右にずれて北西の方向に進んだことになる。このまま高みを目指せば、釜石峠に続く稜線に出るであろう。後で考えると、この時すでに方向感覚は90度も右にずれていたのだが。幸い、小屋から先も微かな踏み跡が山腹を巻くように続いている。踏み跡をたどれば稜線に出そうである。10分ほど進んでみると、尾根を一つ巻き終わった後、踏み跡は下り出した。ここに至って方向感覚も自信を失った。やはり戻るしかないか。小屋の手前まで戻ると、高みに登っていく新たな踏み跡を見つけた。こうなれば、一番高いところに登ってみればなんとかなるのが藪山の常識である。正しいルートでないことは百も承知で新たな踏み跡をたどる。
 
 しばらく進むと踏み跡は分岐した。左手上方に向かう踏み跡をたどる。ところが、5分も進むと踏み跡は完全に消えてしまった。えい、ままよ! と、灌木の急斜面を強引に高みを目指して登ってみたが、ザレた急斜面に行く手を阻まれた。仕方なく先の分岐に戻り、今度は右の踏み跡をたどる。踏み跡は微かながらも続く。もはやどっちへ進んでいるのか、ここはどこなのかさっぱりわからない。しかし時間も充分あり、迷うのも楽しいと思う余裕がある。樹林地帯を抜けると萱との藪に出た。何と、微かながら、萱とに切り開きがある。どこかに必ず出そうである。踏み跡を拾いながら、上に上にと強引に進む。すでに高度計は1,020メートルを指している。この高度からすると、どうやら大棚山稜に迷い込んだようである。ようやく稜線に出た。稜線上には切れ切れではあるが踏み跡らしきものがある。左は檜と杉の深い植林、右は藪の稜線である。そのまま緩やな稜線を進むと広々とした樹林の中のピークに到着した。高度計を見ると1,040メートルを指している。
 
 大木に白いペンキで文字が書かれており、登ってきた方向を熊平、反対方向はよく読めないが、○○ミ沢と書かれている。聞いたことのない地名である。ここでようやく地図とコンパスを出して位置確認をすることにした。果たしてどこに迷い込んだのか楽しみである。現在位置は視界が利かずはっきりはしないが、高度計が示す高度と山頂付近の地形から考えると大棚山の西方の1,036メートル峰であるらしい。とんでもないところに迷い込んでしまったようである。帰ってから地図をよく検討して、どこをどう登ったのか確認するのが楽しみである。稜線をまっすぐこのまま進むと大棚山に、反対に行けば樫ノ木峠分岐を経て釜石峠へ行くことになる。どちらへ行こうか迷ったが、当初の目的通り釜石峠に行くこととする。
 
 平坦な樹林の稜線を進むと、藪の深い下りとなる。踏み跡はかなり薄く、ルートファインデイングに気を使う。赤テープすらない。スズタケの藪を抜け、狭い稜線を30分ほど進むと小さな鞍部に達し、ここに思いがけずY・K氏の道標があった。道標は三方向を示しており、来し方向は大棚山、まっすぐは樫ノ木峠、左方向は中村山、釜石峠となっている。まさにここは樫ノ木峠分岐である。私の位置認識が正しかったことが証明された。時計を見ると11時半、現在位置が確認できるとにわかに空腹を覚えた。昨夜作った稲荷寿司を頬張りながら、滅多に人も来ないこの山稜に期せずして迷い込んだことに一人苦笑した。
 
 釜石峠へのルートは入口が藪に隠されちょっとわかりにくいが、随所に赤テープがあり迷う心配はない。中村山はどこかわからないうちに通りすぎてしまった。ちょうど12時、釜石峠に到着した。何と遠回りをしてこの峠に来たことか。峠は大木の生える落ち着いた雰囲気のところで、可愛らしい歯痛地蔵が安置されている。杉の大木に張られていたポスターを読んでびっくりした。行くえ不明者の捜査なのだが、不明者が何と78歳の女性ハイカーである。11月中旬に栃沢集落から一人で釜石峠を目指したらしい。それにしても、78歳にして単独行をするとは驚きである。
 
 12時、突先山を目指して出発する。ここからはハイキングコース、今までとは異なり立派な道が続く。山頂直下はザイルを張り巡らした思いのほかの急登である。約30分で山頂に達した。案内書にはすばらしいと書かれていた展望も、植林が育ったせいか得られず、がっかりする。何の特徴もない狭い山頂は平凡である。
 
 すぐに次の目的地、大山を目指す。4〜5分下ると林道に出た。北方に視界が開け、目の前に大棚山の稜線が大きく広がる。迷い込んだ1,036メートル峰もよく見える。その奥には、真っ白に雪を被った南アルプスの巨峰・聖岳、赤石岳、荒川三山がそびえ立っている。今日初めてカメラが活躍する。林道を進む。それにしても今日は誰にもあわない。左に分岐した林道に踏み込むが行き止まり、慌ててもとの林道に戻る。約30分で大きな無線中継塔の立つ大山山頂に達した。この山は静岡市内からもよく見える。自動車道が山頂まで上がり鉄塔の立つ山頂はつまらないが、展望はよい。南アルプスの巨峰がよく見え静岡市内も一望できる。
 
 時刻はすでに14時少し前なので、牛ヶ峰に行くことは諦め、藁科川流域の大原集落に下ることとする。2時間半ほどの道程だが急げば日暮前には下りつけるであろう。この大原集落への道は「愛郷の道」と名付けられ、地元の藁科中学の生徒たちが整備し続けている道である。この道は緩やかではあるが10キロにもわたり、いくつものピークを越えながら藁科川に向け尾根を延々とたどる。至るところに藁科中学生徒会の手による「愛郷の道」を示す道標があり、生徒たちのこの道に対する愛情がひしひしと感じられる。また生徒一人一人による「自然を大切に」とか「ごみを持ち帰ろう」とかの標語を刻んだ木柱が道々立てられている。最高傑作は「やめようぽい捨て、男と空缶」。木柱の裏には生徒の名前が刻まれている。ゴミ一つない道は実にすがすがしい。生きた教育とは、こういうものであろう。ちょうど16時、神社の石段を下り、藁科川沿いの道に降り立った。この「愛郷の道」のおかげで後味よく今日の山歩きを終わらすことができた。
 
 家に帰ってから迷った地点を検討してみた。足久保川本谷と思った沢は、どうやら一つ手前の沢で、本来トラバースすべき沢であった。沢を登ってきた沢コースの道と思ったのが、実は進むべき道の続きであったようである。思い込みとは恐いものである。