奥武蔵 伊豆ヶ岳南東尾根 

奥武蔵屈指の難ルートを踏破

2014年10月18日


 
     南東尾根上の石仏       伊豆ヶ岳山頂
                            
西吾野駅(745〜748)→高麗川に架かる橋(756)→森坂峠(820〜824)→下久通集落(834)→琴平神社下(839)→上久通集落地蔵堂(847)→林道子の山線分岐(849)→観音堂(852)→林道大桜線分岐(859)→八坂神社(901〜903)→伊豆ヶ岳南東尾根(920〜927)→竹林(942)→石仏の祠(950〜955)→岩場(1030)→山頂の見えた727m地点(1044)→急峻な尾根に前進不能(1106)→東尾根(1112〜1115)→子の権現への縦走路(1121)→伊豆ヶ岳山頂(1132〜1145)→古御岳(1203〜1205)→高畑山(1237〜1240)→天目指峠(1317〜1326)→子の権現(1421〜1427)→吾野駅(1548〜1604)

 
 5月に奥久慈の男体山に登って以来、既に5ヶ月も山に御無沙汰している。1日秋晴れが続くとの天気予報に誘われて、久しぶりに山に行ってみる気になった。目指すは前々から気になっている伊豆ヶ岳南東尾根である。伊豆ヶ岳は奥武蔵でもっとも人気のあるハイキングの山で、その山頂は春夏秋冬常に多くのハイカーで賑わっている。私も過去5度もその頂きを踏んでいる。また、登山ルートも山頂から四方に延びている。

 こんなポピュラーなハイキングの山なのだが、実は、密かなバリエーション登山ルートを二つも隠し持っている。東尾根ルートと南東尾根ルートである。もちろん、登山ハイキング地図にも登山ハイキング案内書にもこのルートの記載はない。すなわち熟達者だけに許される登山道のない登頂ルートである。それでもインターネットを検索するとこのルートに関す幾つもの登頂記録がヒットする。私は2005年の10月に東尾根ルートを踏破した。取り付きから山頂まで一切人声を聞かない、山を独り占めにしたような登山であった。しかし、まだ、南東尾根ルートが未登のまま残されている。こちらのルートの方が難しいと言われる。ずっと気にかかっていたが、なかなか踏ん切りがつかずにいた。ようやくその機会が訪れたようである。

 北鴻巣発5時23分の一番列車に乗り、大宮、川越、東飯能と乗り換え、西武秩父線の西吾野駅に着いたのは7時45分であった。電車内には多くのハイカーが乗っていたが、この駅で降りたのは中年の単独行者と私の二人きりであった。南東尾根取り付き点の上久通集落に行くには、ここから森坂峠という小峠を越えなければならない。9年前、東尾根を登ったときにも辿ったルートであり、おぼろげな記憶はある。駅から取り付け道路を少し下って国道299号線に出る。好天の休日とあって、正丸峠方面に向う車の列が途切れることなく続いている。国道を南に下る。自転車で追い越していった娘さんが丁寧に朝の挨拶をする。朝から何とも気持ちがよい。

 すぐに沿っている高麗川に架かるコンクリートの橋が現れる。橋は渡った先は鉄扉で閉ざされ、通せんぼとなっている。9年前の記憶ではこの橋を渡るのが森坂峠道と思えるのだが自信が持てない。道標の類いは一切ない。少し先を歩いていた駅で見かけた単独行者はそのまま国道を先に進んでいった。少々オロオロしていたら向いの家から女性が現れたので聞いてみる。やはりこの橋が森坂峠へのルートだという。安心して橋を渡り、鉄扉の隙間を抜ける。

 鉄扉の先はセイタカアワダチ草やススキなどの雑草が繁茂した荒れ地で、その中に微かに林道の跡らしき道型がある。ただし、その道型も半ば雑草に覆われ、人の通った痕跡はほとんどない。雑草をかき分け道型を追う。いやなところだ。ここは、途中で開発が中止されたまま放棄された住宅造成地らしい。荒れ地を抜けると、鬱蒼とした杉檜林の中の確りした山道の登りとなった。やれやれである。杉の木に結わい付けられた小さな道標が現れた。登って行く先を「本陣山、森坂峠、イモリ山」と標示している。9年前にはなかった道標である。道標があるということは、この森坂峠道をたどるハイカーがいるということなのだろう。

 橋から20分ほどで森坂峠に到着した。杉檜林の中の暗い小さな鞍部である。人の訪れた気配はほとんどない。ここにも木に結わえた小さな道標があり、稜線を左に行く踏跡を「イモリ山」、右に行く踏跡を「本陣山」、登ってきた方向を「西吾野」と示している。ただし、私がこれから辿る、反対方向に下る弱い踏跡については、何も示していない。イモリ山も本陣山も9年前に寄り道した。今回はパスである。小休止の後、下りに掛かる。道型ははっきりしているが、かなり荒れている。谷上部のトラバース道などは足下が崩壊しそうで怖い。

 それでも約10分で麓の下久通集落に下りついた。家々がまばらに点在する集落に人影はない。降り立った林道・日用線をわずかに右に下り、左に分かれる県道395号線(林道・南川上名栗線)に入る。前回、この部分で農家の軒先を通ってショートカットして、住民に怒られたことが思い起こされる。久通川に沿った細い県道をのんびりと奥に進む。通る車とてない。約五分も歩くと右手に続く山稜の中腹に鳥居が見えてきた。琴平神社である。東尾根ルートはここが取り付き点となる。ただし、それを示す道標はない。そのまま通り過ぎる私を見て、道端にいた婦人が慌てて呼び止める。「伊豆ヶ岳に行くなら、ここが取り付き点ですよーーー」。 私が東尾根に向うものと思ったようだ。南東尾根に取りつくものなどめったにいないのだから。丁寧に御礼を言って県道を更に奥へと進む。

 数分進むと、川沿いに家々が点在するようになる。上久通集落である。道路右側の1段上に立派な地蔵堂があり、その斜向かいには不動明王を祀った祠を見る。そのすぐ先が子の権現に向う「林道・子の山線」分岐であった。更に数分進むと右側に沿っている久通川の向こう岸に立派な観音堂があった。更に右に分かれる「林道・大桜線」を見送ると、左手の高台に立派な神社が現れた。目指す八坂神社である。この神社の道路を挟んだ反対側付近が南東尾根の取り付き点のはずである。先ずは神社に参拝して今日の無事を祈る。山間の小集落の神社にしては立派な社殿である。
 
 いよいよ登山開始である。ただし、まずは今日1番の難問を解決しなければならない。南東尾根への取り付き点を見つけることである。道路の右側は久通川が流れており、その向こう岸から南東尾根に登り上げる斜面が続いている。川を渡る橋はないので、どこかで徒渉しなければならないだろう。その向こうは鬱蒼とした杉檜の急斜面が尾根に登り上げている。しばし、ルートを見つけるべく道路端を行き来しながら目を凝らす。しかし、川を渡るルートも、斜面を登り上げる踏跡らしきものも見当たらない。困った。

 しばし逡巡した後、意を決する。徒渉は足を濡らしそうだが命の危険はなさそうである。また、尾根に登りあげる斜面はかなり急だが、遮二無二登り上げれば尾根上には何らかのルートがあると思える。先ずは道路から2〜3メートル下の沢面まで潅木を頼りに下る。沢の深さは膝下程度であるが、水面に幾つかの岩が顔を覗かせている。この岩をうまく利用すれば大きく足をぬらさずとも渡れそうである。思い切って川に飛び込む。足首から下が少々濡れた程度で何とか渡れた。先ずは第一関門突破である。反対側の岸を這い上がり、登り上げている尾根斜面の下に立つ。登るルートはないものかと再度探るが、踏跡らしきものの痕跡もない。意を決して斜面に取りつく。

 杉檜林の中の急斜面をただただ遮二無二登る。下草や潅木がないので助かるが、積もった枯れ枝や落ち葉に足を取られる。足場を確保し、木々に掴まりながら懸命に身体を引き上げる。15分ももがき続けると尾根に登り上げた。尾根上には上部に続く微かな踏跡も確認できる。万歳である。座り込んで持参のパンを頬張る。ここまで今朝からなにも食べずにやってきた。しかし、この地点に登り上げてくる踏跡の起点はどこにあったのだろう。

 尾根上を上部に向って歩を進める。地図で見るかぎり、尾根は平凡であり、迷うところはなさそうである。忠実に尾根筋を辿ればよい。どこまでも手入れのよい杉檜林が続く。人の気配はまったくない。2度ほど急登を経ると左側に竹林が現れた。更に登り続ける。いったん少し下ったのち、現れた急登に息を弾ませ標高500メートル圏に入る。すると、何と、木の祠に安置された石仏が現れた。この南東尾根上で見いだした唯一の人造物であった。しばし腰を下ろしてひと息入れる。

 四度目の急な登りを経、標高550メートルを越えると、所々自然林が現れるようになる。更に登り続ける。尾根上は陽も射さず、物音一つしない。ただただ、落ち葉や小枝を踏みつける私の足音のみが静寂を破る。標高670mに達するとアセビの群生が現れた。くねった枝を四方に伸すこの潅木のジャングルを通過するのは少々厄介である。標高690mで岩場が現れた。危険というほどではないが、積み重なった巨岩を縫って登る。再び現れたアセビのジャングルを少々苦労して抜け、標高720mを越えると、木々の間から目指す伊豆ヶ岳の山頂がちらりと見えた。意外に近い。もう少しの頑張りである。

 しかし、この付近よりルートは急速に悪化した。尾根上はアセビの密生となったり、また危険な岩屑のナイフリッジとなったリで、しばしば通過が困難になる。その度に、右側の急斜面に逃げるのだか、この斜面のトラバースもかなり危険である。少々泣きたい気分で前進を続けと、目の前に壁のごとくそそり立つ大急斜面が現れた。高度計が標高770mを示す地点である。この大急斜面は危険すぎて登れない。事前の調査で、この地点では右隣の東尾根に逃げることと承知している。幸い、ピンクのテープが一つ、木に巻かれている。東尾根へのトラバース地点であることを示しているのだろう。多いに助かる。

 ここまで辿ってきた南東尾根を離れ、隣りの東尾根に向う。見通しも利かない深い樹林の中、方向感覚が狂えば現在位置不明となり、大事となる。いったん南東尾根と東尾根の鞍部に下り、踏跡なき急斜面を遮二無二東尾根に登り上げる。11時12分、ついに東尾根に登り上げた。高度計は標高787mを示している。尾根上には確りした踏跡が確認できる。この尾根は9年前に辿った尾根、土地勘も十分にある。もう安心である。ようやく今日最大の試練を乗り越えた。ほっとして腰を下ろす。

 東尾根を山頂に向い前進する。急登を経ると尾根は山頂直下の壁にぶつかり消滅する。ルートは左に斜登して 南東尾根の最上部に登り上げる。南東尾根もこの地点で山頂直下の壁にぶつかり消滅する。この壁を要ザイルで山頂まで登るルートはあるが、そこまでの冒険をするつもりはない。赤テープに導かれて山腹を左に巻く踏跡を辿る。11時21分、ついに伊豆ヶ岳から子の権現に続く縦走路に出た。伊豆ヶ岳南東尾根踏破の無事完了である。急な縦走路をヒィーヒィー言いながら登り上げ、11時32分、無事に伊豆ヶ岳山頂に達した。万歳!!

   山頂は予想通り次から次へと到着するハイカーで賑わっていた。幼稚園生ぐらいの幼児も登ってくる。私も1978年2月、当時4歳であった長女を連れてこの頂きに立った。以降、何度もこの頂きを訪れた。今回が6度目の頂きである。賑わう山頂の片隅に腰を下ろし、昼食のパンを頬張る。燦々と降り注ぐ秋の陽が暖かい。36年前には素晴らしかった山頂からの展望も、周囲の木々が生長したため、今ではほとんど得られない。さて、これからどうするか。このまま下るには少々歩き足らない。子の権現まで縦走してみることにする。36年前に幼児とともに歩いた典型的なハイキングコースである。

 11時45分出発。あちこち岩の露出したものすごい急坂の悪路を下り、そして古御岳へ登り上げる。よくぞこんな悪路を36年前に4歳の幼児が歩いたものである。約20分で古御岳山頂着。小休止する。この古御岳と伊豆ヶ岳は別々の山というより山体を一つにする双耳峰の各々のピークである。古御岳の下りもかなり悪い。突然、足下でうごめくものが目に入る。蛇かと思い飛び退くが、よくよく見ると巨大なミミズである。下りきるとようやく杉檜林の中の落ち着いた山道となった。何組ものパーティが前後する。

 次のピーク・高畑山で小休止。さすが少々疲れを覚える。上り下りを繰り返し、次のピーク・中ノ沢の頭は左より巻く。山頂を通る踏跡もあるが、もはや登ることを身体が拒否し始めている。13時17分、ようやく小さな祠のある天目指峠に到着した。へなへなと座り込み、最後のパンを頬張る。もはや疲れ果てた。歳を取ったものである。そのわずか先が車道の乗っ越す現在の天目指峠であった。すぐ下には休憩舎も建っている。

 緩急を混ぜえた登りが延々と続く。耐えきれずに立ち止まる回数が増える。それでも前後するパーティーとは抜きつ抜かれずである。やがて遠くから鐘の音が聞こえてきた。子の権現の鐘だろう。目的地は近い。最後の力を振り絞って祠のあるピークに登り上げる。そして、このピークが最後のピークであった。14時21分、ようやく子の権現に到着した。この寺に詣るのも何度目であろうか。今日の無事を感謝して本堂に参拝する。

 ただし、行程は未だ終わってはいない。ここから吾野駅まで約1時間20分の長い長い道程が残されている。杉檜林の中の山道を20分も下ると降魔橋を渡って細い車道に出る。点々と人家が現れるが大半が廃屋である。すれ違う集落の人が皆丁寧に挨拶する。何とも気持ちがよい。15時48分、延々と歩き通してようやく吾野駅に到着した。無事の下山である。明日はさぞ足が筋肉痛であろう。

 
登りついた頂  
   伊豆ヶ岳  850.9 メートル
   古御岳   820  メートル
   高畑山   695  メートル
                               

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