父不見山から塚山へ

踏み跡薄い上武国境稜線を長駆縦走

2001年3月18日


 


 杉ノ峠上部より父不見山を望む
 
小平集落の登山口(645〜700)→林道坂丸線(730〜735)→坂丸峠(815〜830)→長久保ノ頭(900〜910)→父不見山(920〜940)→杉ノ峠(1000〜1010)→990メートル峰(1025)→岩峰(1045〜1050)→土坂峠(1125〜1140)→978メートル峰(1215〜1230)→塚山(1305〜1325)→林道竹のカヤ線(1335)→林道合流点(1355)→群馬テレビ中継所(1405)→県道(1425)→国道462号線(1505)→小平集落(1600)

 
 この冬は雪が何度も降り数年ぶりの寒い冬であったが、それでも春は確実にやってきた。梅が満開となり、庭の福寿草も咲いた。昨日はジャガイモの植え付けも行った。しかし、通勤途中眺める秩父の山々はいまだ雪で真っ白である。

 この冬私のコンパスは北秩父に向いている。二万五千図「万場」を眺めると、上武国境稜線の最末端に「塚山」という953.9メートル三角点峰が記載されている。南西から続いてきた国境稜線が神流川に没する直前の最後のピークである。この山の存在は前々から気になっているのだが、登山ルートがまったく不明なため、未踏のままとなっている。地図にも山頂に至る破線の記載はないし、登山ハイキング案内に紹介されたのを見たこともない。しかし、そろそろアタックを仕掛ける頃合いである。このような登山ルート不明の山に登る一番確実な方法は稜線伝いに山頂に達することである。稜線上には踏み跡があることが多いし、最悪でも獣道は期待できる。山頂に達すれば里山だけに麓の集落に下るルートが見つかる確率も高い。
  
 塚山から南西に続く国境稜線を目で追うと、父不見山に行き当たる。尾崎喜八の「父不見 御荷鉾も見えず  星ばかりなる  万場の泊り」の詩により知られた山である。案内の類いも多いが、交通不便なこともあり人影薄い山でもある。私は1993年3月に杉ノ峠―父不見山―長久保の頭―摩利支天と縦走した。しかし、この時は秩父側の山稜直下を走る林道から登ったので、杉ノ峠までわずか15分で登りあげるという至って容易な登山であった。父不見山ももう一度麓からじっくり登ってみたい。
  
 こんなことを考えながら地図を眺めているうちに、父不見山から国境稜線を縦走して長駆、塚山に達するルートがなんとも魅力的に思えてきた。地図を読むかぎり尾根筋も明確だし、岩記号も見当たらない。早速、具体的に計画を検討してみる。しかし、父不見山から塚山までの距離がかなり長く、しかも状況不知の稜線の縦走であること。また塚山からの下山路が不明なこと。さらに、早朝に登山を開始するためにも車で行かざるをえないのだが、下山後車までどう戻るかの問題。等々を考え ると、この計画を日帰りで一気に成し遂げるのはちょっときつそうである。2回に分けてこの計画を実行してみることにした。
  
 まず第1回目は土坂峠までである。神流川筋の小平集落から坂丸峠に登り、長久保ノ頭、父不見山を越え、杉ノ峠を経て土坂峠までの縦走する。その上で、その先、塚山までのルートを見定めたうえで峠越えの県道を歩いて万場に下る計画である。杉ノ峠までは一般ハイキングコースであり、万場町のホームページにも案内が載っている。杉ノ峠から先は未知の稜線縦走となるが、土坂峠までは行けるであろう。
  
 夜明け前の5時10分車で出発する。今し方まで雨が降っていた気配であるが、今日は晴れる予報である。本庄インターで高速を降り、児玉町を抜けて鬼石町に入る。天気の回復が遅れているとみえて所々まだ雨が降っている。神流川沿いの国道462号線、通称、十国峠街道を奥へ奥へと進む。万場の町並みを過ぎ、小平集落で国道と別れて神流川を渡って右へ100メートルほど進むと、案内の通り登山口があった。6時45分、道脇の空き地に車を停める。
  
 ちょうど7時、登山を開始する。登山口には立派な道標があり「坂丸峠2.9キロ 170分、父不見山 4.4キロ 230分」と示している。道端にはまだ残雪が見られる。北面のコースだけに上部は雪が多そうである。今日の予定は土坂峠までであるが、心の片隅には、もしも可能であるならば一気に塚山まで突っ走ってしまおうとの野望も持っている。天気予報はこの春一番の暖かさとなる事を告げており、早朝であるにもかかわらず空気が生暖かい。墓地の脇を通りジグザグをきりながら高度を上げる。登山道は昔の坂丸峠道そのものと見え、深くえぐれた確りした道である。おそらく昔は荷駄を積んだ馬が歩いたのだろう。しかし、最近は通る人も少ないとみえ、少々薮っぽい。どこでもそうであるが、昔の峠道は傾斜も適当で実に歩きやすい。約15分も登ると、すでに使われていないと思われる地道の林道に出、さらに5分も進むと再び峠道となった。鬱蒼とした杉桧林の中で静寂そのものである。登山口から30分で舗装された立派な林道坂丸線に出た。一休みする。
  
 高度が上がり、さすがに寒くなった。ヤッケを着、手袋をして出発する。塹壕のように深くえぐれた峠道は林道をそのまま横切っているが、倒木と薮が覆い歩かれていない。道標の示すコースは林道坂丸線を50メートルほど上部に辿り、右に分かれる地道の林道を登る。地道林道分岐には四方向を示す立派な道標があり、「坂丸峠70分、小平55分」、林道坂丸線の方向は「青梨」と「生利〈志賀坂峠〉」と示している。ここまで登り30分で来たことを考えると、下り55分はいささかオーバーである。地道林道を10メートルも進むと、先ほど別れた峠道が合流する。林道はすぐ終点となり、再び峠道となる。ここからは完全な雪道となった。送電線鉄塔の下を通り、左に斜高する。林相も植林から雑木林に変り、木々の間から神流川を挟んだ御荷鉾山がちらちら見える。細い林道を横切ると送電線鉄塔の上に出る。
  
 8時15分、坂丸峠に登りついた。峠は小さな鞍部で一段高いところに石の小さな祠がある。道標が峠の両側を「万場町小平」「森戸」、尾根の西を「矢久峠」東を「父不見山」と示しているが、不思議なことに、「坂丸峠」との標示はいっさいない。峠は上州側が雑木林、秩父側が杉桧の深い植林となっていて、両側とも展望はない。静まり返った峠に座し、一人朝食のパンを頬張る。ここまで朝食抜きで登ってきた。
  
 いよいよ父不見山、あわよくば塚山に向かって縦走を開始する。ルートは稜線を行かず秩父側を巻き道となって進む。深い杉桧の樹林の中で、登山道には所々薄く雪が氷結している。10分も進むと谷状のところに出、一転して稜線に向かっての急登となる。氷結した登山道は滑って登れないので道脇にルートを取る。アイゼンをつければよいのだろうが。少々ルートがわかりにくいが要所要所に赤布がある。登りあげた稜線は二重山稜の複雑な地形となっている。すぐに長久保ノ頭に向かっての急登となった。第一級の急登である。
  
 ちょうど9時、ついに長久保ノ頭に登りあげた。8年ぶりの頂きである。前回はここから南に派生する支稜を下った。隣の父不見山にかけて南東斜面が大きく伐採されていて大展望が開けている。幾重にも重なる山並みの背後に武甲山が端正な三角形を際立たせている。無残にも削り取られた前面を残雪に 白く染め、光線の加減であろうか、まるで墨絵のように見える。足元から東に続く稜線の右には、つい1ヶ月前に登った城峯山がその鈍角三角形の山容をひときわ高く突き出している。しかし、1ヶ月前にはあれほど豊富にあった残雪が見られない。山にも春が急ぎ足でやってきていることがわかる。
  
 小休止の後、父不見山に向かう。鞍部まで急降下である。登山道は氷結しているので、残雪豊富な伐採跡をキックステップで駆け下りる。 わずかな急登を経ると、9時20分、長久保ノ頭からわずか10分で父不見山山頂に達した。山頂南面はすべて伐採され、じつに展望がよい。武甲山、城峯山の展望は長久保ノ頭と変わりないが、両神山が左端に見えている。ただし、山頂が未だ雲に覆われているのは残念である。北側は雑木が茂っているが、木の間隠れに、東西の御荷鉾山が並んでいる。山頂に座し、眼前に広がる大展望に見とれながら握り飯をほお張る。明るい山頂には薄日が差し暖かい。
  
 20分もの長居の末、杉ノ峠に向かい出発する。大展望に見とれながら緩やかな稜線を下る。ふと、斜面に並ぶ伐採された切り株を見て驚いた。どれも真っ黒に焼けただれているではないか。どうやら伐採跡と思ったのは大きな山火事の跡のようである。すっかり跡方付けされていて、幼苗まで植えられているため今まで気がつかなかった。注意してみると、稜線上の立ち木にも焼けた跡が残っている。火は南面の植林をすっかり焼き払い、稜線で延焼が止まったようである。どこまで下っても黒焦げの切り株が続いている。
  
 山頂から20分で杉ノ峠に下りついた。何と! 峠の大杉が無残にも焼けただけているではないか。すさまじい山火事の痕跡である。一本の大杉は枯れてしまっているが、いちばん大きな杉は、表面を黒焦げにしながらも、それでも緑の葉を茂らせている。驚くべき生命力である。この山火事によって、峠の雰囲気は8年前とは一変していた。薄暗く展望のなかった峠は、今では明るい大展望の峠と変じている。鎮座する小さな祠がわずかに昔の記憶をよみがえらせてくれるだけである。
  
 しばし峠で感傷にひたった後、いよいよ土坂峠に向けての縦走に移る。ここから先は未知のルート、ハイキングコースも杉ノ峠で終わりである。稜線は途端に薮っぽくなるが、それでも薄い踏み跡が続いている。相変わらず秩父側は山火事跡、上州側は潅木の自然林である。すぐに痩せた岩稜となる。ひと登りして振り返ると、背後に視界が開け、越えてきた父不見山がよく見える。その左手には両神山がようやくその全貌を現した。何度見ても惚れ惚れする山である。北側には御荷鉾山が今日初めて、木々に邪魔されることなく全身を眼前に晒している。それにしても山頂直下を真一文字に横切る林道の跡が生々しい。地図上の約990メートル峰の急登となる。続いてきた秩父側の山火事の跡も終わり、稜線の右側は鬱蒼とした杉檜の植林となる。天気は急速に回復してきたが、風が強まり、上空で唸りをあげている。
  
 小峰をいくつも越えながら、展望もない単調な尾根を進む。踏み跡は切れ切れであるが尾根筋は明確であり、地図を読む必要もない。どこまでも右側は杉檜の深い植林、左側は雑木林である。所々潅木の薮と、打ち枝がルートを妨げる。行く手に、木の間越しに鉄塔の立つピークが見える。土坂峠の先の978メートル標高点峰であろう。小さな岩峰に達した。展望もよく、陽が燦々と射して暖かいので小休止とする。北秩父の山中我一人という感じである。
  
 そろそろ土坂峠が近づいたと思われるころ、雑木の茂る小峰を下ろうとしてルートに行き詰まった。尾根筋が消え、前面は絶壁に近い大急斜面となって切れ落ちている。展望も利かず、進むべき方向もはっきりしない。しばし右往左往してルートを見つけようとしたが踏み跡もないしテープもない。現在位置は地図上の848メートル峰であることは確かである。どうやらこの絶壁を下る以外なさそうである。今日最初の試練である。まばらに生える潅木を支点としながら、全神経を集中して慎重に下る。露石もあり、相当危険な下りである。ようやく下りきると過たず再び尾根筋に乗った。ほっと一息つく。未知のルートは何が現れるかわからない。だからこそ面白いのだが。さらに緩やかに下っていくと、左側が伐採跡となって視界が大きく開けた。すぐ下に土坂峠をトンネルで越えている県道が見える。しかし、土坂峠はもう一つ小峰を越えた先のようである。
  
 11時25分、ついに土坂峠に達した。峠には道標はおろか土坂峠を示す標示は何もない。ただ、一段上に鎮座する小さな石の祠のみが、土坂峠であることを示している。意外なことに、峠を小道とも言える確りした踏み跡が乗っ越している。峠真下をトンネルで貫く県道が開通している現在、この峠を越える人がいるとも思えないのだが。北側は大きく伐採されていて展望がよいが、南、秩父側は鬱蒼とした植林である。強風が吹き抜け寒い。さて、ここでこれからの行動を決めなければならない。計画としては、ここから神流川筋に下るつもりである。しかし、まだ正午前、もう少し行動できそうである。塚山へのルートを探る意味でももう少し進んでみよう。しかし、この先下山路が確保できるか不安がある。
  
 薄い踏み跡を辿り、目の前の急登に挑む。登りあげると小さなテレビアンテナがあった。背後に大きく展望が開けている。山並みの一番奥にどこかで見たような山が見える。一瞬間考えて思い当たった。何と、奥秩父の破風山ではないか、となると、その右は木賊山、甲武信ケ岳、三宝山である。左隣は雁坂嶺。奥秩父の主稜線が見えているのだ。うれしくなってしまった。目の前には、辿ってきた稜線が続き、その奥に父不見山と長久保ノ頭が双耳峰となって高くそびえ立っている。さらに稜線を辿る。小峰を二つほど越え、微かな踏み跡を頼りに約920メートル峰を左から巻く。この920メートル峰で太田部峠ー城峯山と続く山稜が分かれる。いつかこの山稜を城峯山まで縦走してみたいものである。
  
 978メートル峰との鞍部に達すると、左手より地図に記載されている通り細い林道が上がってきていた。これで、下山路の一つが確保された。ひと安心である。ここから978メートル峰への登りは大変であった。深い樹林の中の尾根筋も消えた大急斜面で、おまけに踏み跡の痕跡さえもない。枯れ葉枯れ枝の積み重なった急斜面にひたすら耐える。何の目標もなく、もし帰路この斜面を下ることになった場合、正確に方向が確保できるか不安さえ覚える。高度差80メートルを登りきると、ついに大きな電波塔の立つ山頂に達した。
  
 山頂から南面にかけては大きく伐採され、じつに展望がよい。目の前には今日初めて塚山が姿を現した。神流川を挟んだ向かい側には御荷鉾山が全身をくまなく晒している。この山頂部は裸であるため雪が深い。露石に腰掛け、次なる行動に大いに迷う。さらに進むべきか。ここで戻るべきか。問題は下山路の確保である。目の前の塚山までは小1時間もあれば行けるであろう。しかし、下山路が見つからなければ、先程の林道まで戻らざるを得ない。そうなると時間的に苦しい。
  
 前進することを決断する。目の前に目標を捉え、引き返すことなどできるものか。この山頂から塚山との鞍部にかけての北面は大規模な伐採跡で、雪がべっとりついている。キックステップを利かせて斜面を駆け降りる。雪はかなり深い。時々膝上まで潜る。軽登山靴の中はすでに水がぼちゃぼちゃいっている。鞍部から樹林の尾根となった。尾根が痩せ、小岩峰が現れた。尾根上の通過は無理なので左から巻に入るが、絶壁に突き当たり前進不能となる。ピンチである。斜面に生えるアセビなどの潅木を頼りに絶壁に近い急斜面を稜線によじ登る。冷や汗の出るような危険な登攀である。小鞍部に下ると、うれしいことに、林道が直下まで上がってきている。心配していた下山路の確保ができたことになる。小峰を越え、塚山への最後の急登に挑む。踏み跡も絶え、潅木の薮の登りである。目差す山頂が目の前だと思うと、自然と足は速まる。
  
 13時5分、ついに山頂に達した。父不見山から長駆塚山までの縦走が成ったのである。山頂は広々とした穏やかな地形で、北側は植林、南側は自然林となっている。木の間隠れに、隣の978メートル峰の背後に両神山が見える。山頂には登頂記念の小さなプレートが一つあり、物好きにも私以外にもこの山に登ったものがいることを示している。山頂の三角点に腰掛け一息つく。しかし、期待していた下山路を示す標示は何一つない。山頂を通りすぎるように微かな踏み跡の気配があり、太田部集落方面に下れるとも思えるが、赤テープもない。下るには今一つ不安である。先程確認した林道が、978メートル峰の北面を巻ながらほぼ水平に西に続いているのが見える。勘として、978メートル峰手前で確認した林道と合流して、土坂峠道に通じていると思われる。この林道に下山路を求めることを決断する。
  
 三角点を撫で、再び訪れる事もないであろう山頂に別れを告げる。鞍部まで戻り、登りに確認した林道に下り立つ。どこへ導くかわからないが、後はひたすらこの林道を歩こう。林道は雪が深い。脛まで潜りながら水平に続く林道を進む。振り返ると、塚山がゆったりした山容を真っ青に晴れ上がった空に浮かべている。978メートル峰を巻き終わると、見込み通り978メートル峰の北の鞍部に上がってきていた林道と思われる細い林道が合流した。林道は緩やかに下っていく。雪の上には鹿の足跡がいくつも続いている。やがてNHKテレビ中継所が現れ、続いて群馬テレビ万場中継所が現れた。ここからは舗装道路となり雪も消えた。さらに20分も歩くと、予想通り、土坂峠道である県道に出た。なんという勘のよさであろう。もう安心である。辿ってきた林道は「林道竹のカヤ線」と示されてあった。
  
 時折車の通る程度の県道を40分歩き、神流川を渡ってついに十国峠街道に下りついた。生利のバス停でバスの時間を確認すると、残念なことに、5分差でバスは出てしまっている。次のバスは1時間半後である。歩く以外になさそうである。万場の町並みを過ぎ、ひたすら国道を歩く。1時間歩いてようやく愛車に巡りあった。なんとも満足な1日であった。

 
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