新雪の筑波連山縦走路 

御嶽山→雨引山→燕山→加波山→一本杉峠 

2012年2月18日

雨引山より筑波山(右)と加波山(左)を望む
                                                         
JR水戸線岩瀬駅(743)→貯水池(755)→登山道入口(800)→御嶽山神社(820)→無線中継塔(900)→雨引山(915〜920)→燕山(1155〜1205)→加波山神社親宮(1220〜1225)→加波山神社中 宮本殿(1240)→加波山山頂(1245〜1250)→北筑波稜線林道(1310)→一本杉峠(1330〜1340)→弁天前(1435)→県道41号線(1515)→真壁町バス発着場(1550〜1600)

 
 昨年11月の東筑波連峰縦走の際に山日記に次のように記した。「茨城県には縦走が可能なコースなど皆無に近い。ほとんど唯一と言ってよい縦走コースがこの東筑波連峰の連なりである」。しかし、よくよく考えてみると、茨城県にはとっておきの、そしてものすごい縦走コースがあることに気がついた。筑波連山縦走路だ。筑波山から北へ、きのこ山、足尾山、加波山、燕山、雨引山、御嶽山、JR水戸線岩瀬駅と続く35キロ、10時間〜12時間にもおよぶ長大な縦走路である。ネットを検索すると誇らしげな完走記録が幾つもヒットする。

 この縦走路の困難さは単に長距離であるだけではない。途中で縦走を中止することが出来ないことである。すなわち、縦走の途中で時間切れやアクシデントで山を下っても、麓には交通機関が皆無なのである。以前、筑波山神社〜岩瀬駅の間を結んでいた筑波鉄道も1987年に廃線となり、その後通っていたバス路線も昨年廃止されてしまった。従って、いったん縦走路に踏み込んだならば、何が何でも終点まで行き着かなければならない。また、何度かに分割してこのコースを完歩することも交通事情を考えると困難である。

 ということで、この縦走路に踏み込むことはとうてい無理と決め込んでいた。たとえ朝一番の列車で出発しても岩瀬駅着7時43分である。どう頑張っても筑波神社発17時前後の最終バスに間に合うわけがない。ところが、グッドニュースを得た。縦走路の西麓に位置する旧真壁町(2005年周辺町村と合併し現在は桜川市)で2月4日〜3月3日にわたって「真壁のひなまつり」が行われ、この期間、真壁町とTXつくば駅およびJR岩瀬駅の間に臨時のシャトルバスが運行されるという。このシャトルバスの利用を前提とすればこの縦走路に踏み込むことができる。

 実は、2月12日にこの縦走路に踏み込まんと計画し、一番列車に乗るべく早朝5時前に起きて駅に向ったのだが、何と、車両故障とかで列車はやってこない。空しく家に引き返した。今日2月18日、改めての出直しである。大宮駅で高崎線から宇都宮線に乗り換え、北に向うに従い夜が明けてきた。何と、車窓の外は真っ白である。どうやら昨夜雪が降ったようだ。きっと山は積雪も多いだろう。どうやら新雪を踏んでの山登りになりそうである。小山駅で水戸線に乗り換え、今度は東に向う。北へ来た為か窓外の積雪は大分その量を増している。

 7時43分、岩瀬駅着。下車したハイカーは私一人であった。空は雲一つなく真っ青に晴れ渡っているが、上空を風が音を立てて吹き抜けている。家々の屋根や庭は雪で真っ白であるが、車道はうっすらと白く染まっているに過ぎない。今日はここからまず御嶽山に登り、筑波山を目指して縦走を開始しする。もちろん、筑波山まで行き着くことはあり得ないが、できることなら雨引山、加波山、足尾山を越えて、きのこ山まで行き着ければ大成功である。まあ、常識的には加波山を越えて一本杉峠から真壁町へ下ることになるだろうが。

 駅前には御嶽山を示す道標が建てられていた。線路に沿って少し東に進み、踏み切りを渡って細道を北へ歩く。周りの田圃はただ一面真っ白で朝日にまぶしいほど光輝いている。周囲の山々も白く染まっている。今日は新雪を踏んでの素晴らしい登山となりそうである。左に貯水池が現れ、すぐに御嶽山登山口に達した。数台の駐車スペースがあり、「ご自由にお使い下さい」と手作りの杖が用意されている。またトイレもある。

 杉林の中の丸太で階段整備された登山道を緩やかに登って行く。ここから始まる縦走路は「関東ふれあいの道」でもある。辺りに人の気配はまったくないが、不思議なことに、薄く積もった新雪の上に、二人分の下りの足跡が見て取れる。こんな早朝にいったい何処から下ってきたのだろう。大きな竹樋から水が落下する不動滝に突き当たる。柄杓がおいてあり水を飲めるようになっている。禊をする行場でもあるようだ。ちょっとした急登で左の尾根にルートを移す。

 しばらく登ると左手に神社が現れた。二万五千図に神社記号が記されている御嶽山神社である。山中にしては立派な社殿だ。参拝をすませて登山道に戻ると、数十メートル先を一人の登山者が先行している。参拝しているうちに追い抜かれたようだ。それにしても私以外に登山者がいたのも意外である。すぐに緩やかなピークに登り上げる。このあたりが御嶽山山頂で三角点があるはずなのだがーーー。目を凝らしながら進むが、何の標示もなく、また積雪のためか三角点を確認することも出来なかった。

 「採石場注意」の看板が現れ、登山道は左側に現れた金網に沿うようになる。すぐに「通行禁止」の立て札により尾根上の道は通行止め。右への急な下り坂に導かれる。採石場により登山道が付け替えられてしまったようだ。ブツブツ言いながら階段整備されたやや急な道を下る。その時ふと気がついた。先ほどまであった先行者の足跡がないのである。先行者はいったい何処へ消えたのであろう。足下はまっさらな新雪である。何とも気持ちがよい。我が足跡を確りと刻みながら進む。いい加減下ると沢を渡って今度は登りに転じる。かなりの急登であるが、まだまだ元気である。

 再び稜線に戻ると、何と、通行禁止エリアから踏跡が現れたではないか。しかも二人分である。どうやら通行禁止地域は通行可能であったようだ。先行者はそのことを知っている地元の人なのだろうか。少し進むと、辿っている尾根のすぐ下に林道が現れ、登山道はその林道に下っている。しかし、先行者の二つの足跡はそちらへは向わず、辿ってきた尾根をそのまま直進している。先行者を信じ、その足跡を追う。すぐに大きな無線鉄塔の立つピークに登り上げた。地図上の341メートル峰である。横から先ほどの林道が登り上げている。先行者の辿ったルートが正解であることが分かる。

 すぐに雨引山への登りにかかる。標高差70メートルほどなのだが、意外に急な登りである。男の人とすれ違う。作業服姿であり登山者ではなさそうだ。後ろを振り返ると、女性が一人素晴らしいスピードで追いかけてくる。すぐに山頂に達した。四阿と幾つかのベンチが置かれ、先行足跡の主二人が休んでいた。南西方向に大きく視界が開けている。眼下に広がる下界はただただ白一色で、陽の光を浴びて光輝いている。その背後に筑波山とこれから向う加波山が青空をバックにすっくとそそり立っている。絶景を眺めながら握り飯をほお張る。ここまで朝から何も食べずに登ってきた。

 追い上げてきた女性は先行した男性の一人と知り合いらしく、何やら言葉を交わし、休むまもなく二人して登ってきた道を引き返していった。よく分からない行動である。もう一人の先行者である男性は、中腹にある雨引観音にお参りに来たついでに登ってきたとのことで、すぐに下山していった。私一人が山頂に残された。雲一つない晴天だが、風が唸りをあげて上空を吹き抜けている。今日はまだまだ先が長い。早々に出発する。

 鞍部で、先ほどの男性の足跡の残る雨引観音への下山路を右に分ける。ここから先は一切足跡のない処女雪の道となった。やはり新雪の上に最初に足跡を刻むのは気持ちがよい。幾つもの小ピークを越え、或いは右から巻きながら雑木林の中の単調な尾根道を進む。いずれも350メートル前後のピークで高度はいっこうに上がらない。次の目標・燕山までは意外と遠い。それでも、「関東ふれあいの道」ゆえ頻繁に建つ道標が、目標までの距離が刻一刻と近づいていることを教えてくれる。

 いよいよ燕山への登りに入った。標高差約350メートル、今日最大の重労働である。最初は緩やかだった傾斜も次第に増し、苦しい登りが延々と続く。登るに従い積雪も増し、途中でスパッツを着用する。雪のついた急斜面は足下が不安定で足場の確保に苦労する。

 突然目の前に大急斜面が現れた。雪がべっとりと張り付き、いったいどうやって登ればよいのかと、しばし立ち止まって呆然と斜面を見上げる。上空から人声がして、斜面上部に女性3人連れが現れた。彼女らもどうやって下ったものかと、立ち止まって思案している。意を決し、ルート脇に張り巡らされたロープを頼りに斜面に突入する。同時に彼女たちも下りだした。雪のため、まともな足がかりがなく、そうかといってキックステップが切れるほどの積雪もない。危険きわまりないルートである。途中で彼女達とすれ違う。感心なことに一人はアイゼンを着用している。互いにこの先同様な難所のないことを確認しあう。何とか無事に登りきった。ただし、見上げる先に聳える燕山はまだまだ高い。急な登りがさらに続く。

 ついに燕山山頂に達した。だらしなくも、へなへなと倒木の上に座りこむ。この頂きは昨年の10月1日以来二度目である。展望もない雑木林の中の平凡な山頂である。握り飯をほお張っていたら、中年の男性が私と同じ方向から登ってきて、写真一枚撮っただけですぐに加波山方面に進んでいった。しばらくすると、また一人若い男性が登ってきた。彼は登山者というよりランニングスタイルである。この長大な縦走路は山岳ランニングのコースでもあるのだ。それにしても、この積雪の中を走るとはご苦労なことだ。いつの間にか、あれほど晴れ渡っていた空はびっしりと雲で覆われてしまっている。その代わり、吹き荒れていた風がぴたりと止んでいる。やはり休むと寒い。

 ここから先は勝手知ったルートである。何となく気分も楽だ。下って緩く登るとNHKの電波塔の下に出る。ここに休憩舎があり、先ほどの男性が休んでいた。ここからは電波塔管理道路である砂利道を辿ることになる。新雪を蹴立てて足早に進む。長岡集落への親宮路下山口を経て加波山神社親宮に達した。先ほどの男性登山者が追いつき、二人前後しながら加波山山頂に向けての急な岩場の道を登る。

 たばこ神社の祠を過ぎ、加波山神社中宮本殿が祀られたピークに達する。前回、同行となった若者にここが加波山山頂と教えられ、その気になったピークである。今回は、同行となった男性がここが山頂と思い違いしている。その旨指摘して、もう一つ先のピークに向う。すぐに加波山神社本宮本殿の祀られたピークに達した。ここが加波山山頂である。ただし山頂標示は何もない。同行男性はここが本当に山頂なのかと少々不安がっていたが、祠の前の三角点を指摘するとようやく納得したようである。彼は、下に自転車を置いてあるのでここから本宮路を下るとのこと。車と自転車を組み合わせて入山下山の足を自ら確保したようである。

 ここから先はまた一人となった。雪上の足跡も消え、再び処女雪を踏んでの行進である。禅常の宿泊施設、自由民権運動の旗立石、自衛隊飛行機事故の殉職碑を過ぎ、長く急な丸太の階段をひたすら下ると、舗装された北筑波稜線林道に達した。目の前に巨大な発電用風車が2基そそり建っている。道標の指し示すルートは稜線を右から巻いて下る林道なのだが、あえて風車の根本から続く山道を辿って一本杉峠に向う。

 13時半、ついに林道の交差する一本杉峠に達した。腰を下ろし、最後の握り飯をほお張りながら次なる行動を考える。気持ちとしては、さらに縦走を続け、足尾山の先のきのこ山から下山したいのだが、その場合、真壁の町までここから3〜4時間かかるだろう。最終シャトルバスの発車時刻が17時、かなり危険である。乗り遅れたらそれこそ帰宅できない。この一本杉峠で縦走を打ちきるのが正解のようである。

 荒れ果て、もはや車の通行は不能な林道を下る。昨年の10月にもこの林道を途中まで下ったので勝手は知っている。タイヤの跡からすると、オフロード用のバイクがこの林道を走ったようだ。案の定、途中で爆音を響かせて登ってくるバイクと2台すれ違った。昨年下った長岡集落へ向う林道を分岐し、さらにひたすら歩く。峠から1時間も下ると、突然道脇に場違いのような立派な石の鳥居が現れた。鳥居の奧は薮で、馬頭観音の石碑が建っているだけである。案内書に「弁天」と記されている場所と思われるが不思議な光景である。

 いい加減歩き疲れるころ白井集落に達した。集落の背後に私の足跡の残る燕山から加波山と続く稜線が屏風のごとくそそり立っている。遥か彼方の田圃の向こうには雨引山の姿も望むことができる。

 峠から休むことなく1時間半歩き続け、ついに県道41号線に達した。県道をひたすら南に歩く。疲れた足にはここからが長かった。街道沿いには石細工の店が点々と続く。旧真壁町は日本有数の御影石の産地であり、また加工地でもある。おかげで加波山の山腹は採石場だらけとなってしまったがーーー。15時50分、ついに旧真壁町のシャトルバス発着場に到達した。岩瀬駅行きのワゴン車は16時発であった。
   
登りついた頂  
   御嶽山  230.9 メートル 
   雨引山  409.3 メートル 
   燕山   701  メートル 
   加波山  709.0 メートル 

  

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