牛ヶ峰から安倍城址へ 

安倍川と藁科川の分水山稜最南部を縦走

1995年2月25日

              
 
谷沢集落(800)→林道終点(810〜815)→敷地分岐(900〜905)→牛ヶ峰山頂(930〜940)→八十岡分岐(1005〜1010)→送電線鉄塔(1100〜1115)→340メートル峰(1135〜1140)→360.4メートル三角点(1200〜1205)→送電線鉄塔(1250)→内牧分岐(1305〜1310)→安倍城址(1335〜1350)→洞慶院(1500)→羽鳥バス停(1520)

 
 静岡平野は三方を山に囲まれており、その山並からまるでアメーバーの足のようにいくつもの支稜が市内に張り出している。その一つ、安倍川水系と藁科川水系を分ける山稜が羽鳥の街並に張り出している。山稜の末端は標高435.4メートルの三角点峰となって盛り上がっている。この三角点峰を安倍城址という。南北朝の昔、南朝方の雄・狩野介貞長がこの頂に山城を構え、後醍醐天皇の皇子・宗良親王を迎えるなどして激しく北朝方に抵抗した。城は1433年に今川氏によって滅ぼされる。市街地から直接盛り上がる山だけに、オフィスの窓からもよく見える。気になる山ではあるが、麓から1時間半もあれば登れる山であり、わざわざ登りに行く気にもならない。やはり、尾根づたいに縦走してこの山に達するのが適当であろう。

 牛ヶ峰から安倍城址まで縦走してみることにする。牛ヶ峰も安倍城址もポピュラーなハイキング対象の山であるが、その間を結ぶ稜線は複雑に入り組んでおり、もちろん縦走記録も見当たらない。実は、昨年の6月にも突先山から牛ヶ峰を越えて、長駆、安倍城址を目指した。しかし、季節柄藪も深く、稜線に踏み跡もないことから内牧集落上方で時間切れとなってしまった。冬枯れの季節を待っての再挑戦である。牛ヶ峰山頂は気持ちのよい草原が広がり、大展望が得られる。前回は夏霞で良好な視界が得られなかったので、今度こそはとの期待もある。

 静岡センター発7時10分の奥長島行きバスに乗る。今日は敷地集落から牛ヶ峰に登るつもりでいたが、バス停アナンスがずれており、あっという間に敷地のバス停を過ぎてしまった。仕方がないので、急きょ、計画を変更してその先の谷沢集落から登ることにする。足久保小学校前で通学の児童たちが下車すると、いつもの通りバスは私の貸し切りとなった。8時、谷沢で下車。50メートルほど戻って谷川ぞいの林道に入る。5分ほど進み、道標に従って左に分かれる細い林道に入る。すぐに林道終点となり、小沢ぞいの登山道となる。ひと登りで茶畑にでた。今日の天気予報は「曇り、夕方から雨」である。振り返ると、どんよりした空気の中に、大棚山が霞んでいる。樹林の中をモノレールに沿って登ると再び茶畑に出る。さらに樹林の中を登ると、茶畑から植林に転換中と思われる開けた場所にでた。大きな梅の木が一本あり、満開の花をつけている。谷ぞいの道から尾根道に変わる。大きな作業小屋が現われ、敷地分岐に達した。もう山頂は近い。一休みの後、放置され延び放題の茶の木の間にカヤトの混じった藪っぽい道を辿る。樹相が変わり、落葉樹の灌木の中の急登となる。

 9時30分、ついに山頂に達した。昨年の6月以来二度目の山頂である。前回は青々としていた草原も、今は一面枯れ野原となり、人影のない山頂は寒々と静まり返っていた。いっぱいに開けた視界の先には、黒く淀んだ空気の中に竜爪山が霞み、静岡の街並がぼんやりと沈んでいる。光線の加減なのだろうか、遠く駿河湾だけが異様に白く輝いていた。

 いよいよ安倍城址に向けての縦走に移る。牛ヶ峰の山頂部は緩やかに二つのピークに分かれている。山頂標示は北東側の草原のピークにあり、南西のピークは樹林に覆われている。三角点を探すと、南西ピークの登山道から外れた暗い樹林の中にひっそりと設置されていた。道標に従い八十岡、内牧への下山道に入る。山腹を巻くようにして下り、高山の池分岐を過ぎると痩せ尾根に乗る。545メートル標高点ピークとの鞍部で八十岡集落へ下る道を左に分け、登りに掛かるとすぐに内牧集落への道を分ける。ここから先は登山道ではないが、稜線上にはなお確りした踏み跡が残されている。545メートル峰を越え、次の約560メートル峰を目指す。昨年の6月に一度辿ったルートなので地図を見なくてもわかると思ったが、どうも記憶が曖昧である。慌てて二万五千図をザックから出してヤッケのポケットに移す。藪山では一瞬といえども現在位置が確認できなくなるとルートの判断ができなくなる。560メートル峰の下りは岩場をまじえた急坂である。藪椿の赤い花が一輪だけ咲いている。次のピークの下りもものすごく急で嫌なところだ。左側がアセビを中心とした灌木の藪で右側が植林である。433メートル標高点ピ−クとの鞍部に達すると、ここまで続いていた稜線上の踏み跡も右側に下っていってしまった。433メートル峰への緩やかな登りは灌木の密生したものすごい藪である。踏み跡はもはやなく、遮二無二藪を漕ぐ。前回は夏場によくぞこの藪を突破したものだと感心する。藪をようやく抜けると平頂の山頂部にでる。ルートは尾根筋を離れて左の急斜面を下るのだが、この下る地点を見つけるルートファインディングはまさに神業である。前回の記憶を頼りに樹林の中を急降下すると次第に尾根筋が現われ、目標の送電線鉄塔に達した。

 一息ついて昼食とする。空は相変わらずどんよりとしており、休むと寒い。尾根上の送電線巡視路を下ると、すぐに前回の最終地点に達した。巡視路はここから左に下り、目の前には灌木の藪が立ち塞がっている。いよいよここからは未知のルートである。覚悟を決めて藪に突入する。前回は歯が立たなかった藪も、微かに踏み跡らしきものもあり、漕いでみるとそれほどでもない。藪を抜けると、再び踏み跡が現われた。確りした小道が乗っ越す鞍部を経て約340メートル峰への急登にかかる。二万五千図を読んで、山頂でルートを右に90度折れる。次の約350メートル峰で緩く左に曲がり気味にルートを取り、約370メートル峰の急登にかかる。展望もなく、尾根が複雑なので頻繁に二万五千図を読む。尾根に添って緩やかに下ると、360.4メートルの三角点を見つけた。ここまでのルートに間違いないことが確認でき、やれやれである。

 次の約360メートル峰の山頂手前で左に分かれる尾根に入る。緩く下ると右側がまだ幼い植林となっていて、牛ヶ峰以来初めての視界が開けた。2週間前に登ったダイラボウが霞んでいる。361メートル標高点ピークの登りにかかる。少々判断を迷ったが、二万五千図を読み切って山頂手前で左に直角に曲がり東に向かう尾根に踏み込む。左側が伐採されており、視界が大きく開けた。牛ヶ峰から続く複雑な稜線がまるで墨絵のように霞んでいる。はるけきも来たかなとの思いが募る。眼下には内牧川に沿って広がる内牧集落の家並が見える。ここで大休止を取る。

 ここから先、稜線は緩やかに右にカーブしながら安倍城址に続くのであるが、もう稜線は明確であり、迷う心配はなさそうである。地図の通り送電線鉄塔に達した。行く手に今日初めて安倍城址が見える。確りした踏み跡を緩く下っていくと、茶畑が現われ、内牧集落からの登山道が合流した。ここからは登山道であり、もう何の心配もない。安倍城址に向かい最後の登りに挑む。山頂まで約200メートルの登りである。何と、雨が降ってきた。すぐに西ヶ谷分岐を過ぎ、きれいな竹藪の中を登る。次第に傾斜が増し、欝蒼とした杉檜の樹林の中の急登となる。増善寺分岐を過ぎると、ついに待望の山頂に達した。1時35分、牛ヶ峰から安倍城址までの縦走が成功したのだ。

 樹林に囲まれた小広い山頂は、東側にすばらしい展望が開けている。眼下に安倍川が悠然と流れ、その先に静岡の市街地が小雨の中に煙っている。展望台としては第一級である。晴天の日に眺めたらさぞかしすばらしいであろう。山頂には四人連れのパーティが休んでいた。今日初めて出会う登山者である。山頂の片隅に美和幼稚園卒園記念登頂として20人ほどの園児の名前を書いた板切れが立てられている。園児が集団で登ったとは驚きである。

 山頂を辞し、洞慶院への下山道を辿る。急な下りを過ぎるとすぐに急登となる。ザイルが張ってあるが、幼稚園児にはかなりハードな道である。増善寺を示す道を左に分け、送電線鉄塔を過ぎると気持ちのよい緩やかな尾根道となる。道々、仏像を繊細な線で彫った石碑が立てられている。やがて洞慶院に下り立った。この寺は15世紀半ばに再興された曹洞宗の名刹である。梅園で名高い。広々とした梅園には少し盛りを過ぎたとはいえ赤や白の梅が咲き誇り、梅見の行楽客でにぎわっていた。小雨の中、久住谷川ぞいの道をのんびり歩き、羽鳥のバス停に達した。