宇津ノ谷峠から徳願寺山へ 

宇津ノ山並から丸子川左岸山稜を縦走

1995年1月21日

              
 
宇津ノ谷入口(755)→宇津ノ谷峠(815〜820)→278.4メートル峰(845)→300メートル峰(900〜905)→鉄塔ピーク(1010〜1030)→象山(1035)→大鑪山(1130)→駿河峰(1210)→歓昌院坂(1240〜1255)→徳願寺山西峰(1320)→徳願寺山東峰(1350)→手越河原(1430)

 
 宇津ノ山並の主稜線から大きな支尾根が分岐し、丸子川と藁品川の分水嶺稜線となって手越の街並まで張り出している。この支尾根の末端は盛り上がり、350メートルを越える顕著な山を形成している。市街地からいきなり盛り上がる山であるので、常にオフィスの窓から見えており、この時期ちょうど夕陽がこの山の端に沈む。気になる山であるが、地図を見ても山名の記載はない。これだけの山に名前のないのもおかしなことだと思い、この山の麓の向敷地に住む奥島嬢に山名を訪ねたところ、「地元では徳願寺と呼んでいる。単に徳願寺で徳願寺山とはいわない」との答えである。後で気が付いたのだが、川崎文昭氏著の「静岡市歴史散歩」にも同様なことが記載されている。この山の中腹には曹洞宗の名刹・徳願寺があり、寺名も山名も一色単になっているのだろう。やはりこの山は「徳願寺山」と呼ぶのが相応しい。

 宇津ノ山並から支尾根を辿って徳願寺山まで縦走してみようと思った。もちろん登山案内はおろか縦走記録も見当たらないし、支尾根上には踏み跡があるかどうかも分からない。しかも、この支尾根は一本の稜線とはなっておらず、四分五裂しながら東に続いている。うまく徳願寺山まで辿りつけるかどうか、かなりのルートファインディングが要求されそうである。しかし、高だか300〜500メートルの低山、迷ったところで大怪我はないし、藪を漕いでもなんとかなるであろう。

 新静岡センター7時10分発の藤枝行きのバスに乗る。国道1号線は大渋滞で、宇津ノ谷入口までなんと45分もかかった。今日の計画は、宇津ノ谷峠から主稜線に取り付き北上し、支尾根とのジャンクションであるロンションと呼ばれる地点から徳願寺山を目指すつもりである。天気予報は真冬には珍しく、移動性高気圧が日本の真上に位置し、降水確率はゼロである。ただし、このような晴天は空気の透明度が悪い。宇津ノ谷部落を抜けて、勝手知った道を宇津ノ谷峠に向かう。部落から10分ほどで峠に到着。
 
 まず峠の切り通しをよじ登る。登り切ると気持ちのよい照葉樹林となった。意外にも踏み跡があり、所々にコースサインもある。すぐにススキの藪の中のキレット状の所にでた。岩が脆く嫌なところだ。茶畑の縁を急登する。視界が開け、先週登った高草山がよく見える。279.4メール三角点峰への檜の樹林の中の急登に入る。踏み跡も絶え、遮二無二高みを目指して息を切らす。登り着いた三角点峰は樹林の中で展望はない。再び踏み跡が現われ、次の300メートル峰を目指して藪っぽい尾根を進む。左側に荒れた茶畑が現われる。お茶の木も放置すると3メートルにもなる。二つ目の300メートル峰に達すると左側が伐採跡となっていて視界が大きく開けた。志太丘陵の低い山並が、モヤの中に霞んでいる。この下りがものすごかった。雑木の中の逆さ落としのような下りである。木々にぶらさがり、なんとか下る。294メートル標高点ピ−クに達すると、今度は右側が伐採跡となっていて再び視界が大きく開けた。先週辿った丸子富士から満願峰に掛けての稜線、これから辿るロンショウから象山に掛けての稜線がよく見える。ひと休みして展望を楽しむ。

 樹林の中の稜線を辿る。割合確りした踏み跡があるのは、この稜線を辿る物好きが私以外にもいるのだろう。痩せ尾根を経て、鞍部に達する。確りした小道が稜線を乗っ越している。道標はないが、丸子川西沢から朝比奈川流域に通じる道であろう。ここに初めて小さな道標があり、来し方を「宇津ノ谷峠」と示している。ただし、これから辿る方向には何の標示もない。少し登ると、踏み跡が左に分かれ、「朝比奈」との小さな標示がある。すぐに樹林の中の平斜面のものすごい急登となった。踏み跡も消え、ただ高みを目指す。ようやく尾根筋に登り着き左に90度曲がる。この地点は、反対側から来た場合、そのまま尾根筋に添って通りすぎてしまう危険がありそうである。

 右にカーブしながら緩やかに登ると、伐採地に出て、左側にすばらしい展望が開けた。南アルプス深南部の山が一望である。ただし、今日は透明度が悪く残念である。それでも、前黒法師岳、黒法師岳、丸盆岳、不動岳等を確認する。志太丘陵の主峰・高根山もすぐ目の前にそそり立っている。近々登ってみたい山である。今日は藪尾根の縦走で展望は期待していなかったが、この尾根は至るところ伐採地があって実に展望がよい。この辺りが宇津ノ山並の主稜線と徳願寺山に通じる支尾根とのジャンクションで、静岡市岳連編の「静岡市の三角点100」によると、ロンショウと呼ばれるところである。宇津ノ山並とは、志太郡と安倍郡の郡界尾根南部の呼称であるが、この郡界尾根はこの地点で尾根筋を失い、尾根筋はそのまま徳願寺支稜に続く感じとなっている。「宇津ノ山並」の呼称もこの辺りまでであろう。

 ロンショウの412.3メ−トル三角点も郡界尾根に通じる踏み跡も確認せずに通過してしまった。北から西に向きを変えた樹林の尾根を緩やかに登るとススキの密生したピークに達した。踏み跡の定かでないススキの藪をかきわけて少し進むと、送電線の鉄塔に出た。鉄塔の周りは刈り払われていて左右の展望が開けている。芝生の上に座って昼食とする。ここまでは迷うことなき一本の稜線であったが、この先は尾根は複雑に分岐しており、うまく辿れるかどうか。地図読みと山勘の試しどころである。

 暗い樹林の中を五分も進むと481.5メートル三角点ピークに達した。今日の縦走での最高峰である。上記「静岡市の三角点100」によると、このピークを象山というようだが、一般的な呼称でないと見え、山頂には何の標示もなかった。証拠写真を一枚撮って先に進む。急に踏み跡が薄くなる。樹林の中をどんどん下っていくと、明確な踏み跡にでた。小さな道標が、下ってきた方向を「481メートル峰」、左に進む道を「飯間」と示している。確りした踏み跡をさらに下る。再び踏み跡が分岐し、そのまままっすぐ進む確りした踏み跡を「宇津ノ谷」、左に分かれる細い踏み跡を「大鑪」と示している。一瞬迷ったが、左の踏み跡に踏み込む。判断は正しかったようで緩やかな登りとなって南北に続く尾根に登り着く。T字路となっていて、左への踏み跡は「大鑪山」、右への踏み跡は「赤目ヶ谷」の標示。地図によって辿るべきルートは左の北上する尾根であることはわかるのだが、「大鑪山」とは初めて聞く名前である。どこを指すのであろう。

 ルートが複雑なので、二万五千図をザックからヤッケのポケットに移して頻繁にチェックする。植林と雑木の入り混じった尾根を進む。地図では真っ直ぐなはずなのだが、尾根が幾分左にカーブ気味になるので一瞬不安となる。地図通り痩せ尾根が現われ、ルートに間違いはない。右側に伐採地が現われ、これから進む駿河峰と徳願寺山がよく見える。すぐに今度は左側に伐採地が現われ、ダイラボウがよく見える。郡界尾根の主峰であるこの山に、今度はロンショウから稜線を辿って登ってみよう。短い登りを経ると356メートル峰に達した。何と、ここに「大鑪山」との標示がある。ル−トはここで右に90度カーブして西に向かう。左、北側斜面がちょうど伐採中で何度目かの展望が得られる。

 次の小ピークでいささか迷った。細い踏み跡が左に戻る感じで分かれている。真っ直ぐ進む尾根上の確りした踏み跡は「誓願寺」、辿ってきた方向は「吉津」の標示があるものの、左に分かれる細い踏み跡は何の標示もない。藁品川流域に下っている感じである。そのまま尾根道を10メートるほど進むが、例によって私の第6感が警告を発する。分岐に戻って地図ともにらめっこするが、やはり真っ直ぐな踏み跡が正しそうだ。再び真っ直ぐ進むが、やはり10メートルも行くと、足がばったり止まる。自らの超能力を信じて半信半疑で左の細い踏み跡に踏み込む。何と、この道が正しかった。すぐに尾根筋が現われ、350メートル峰の登りとなった。朶が密生し、じめじめした感じの嫌な登りだ。
  ピークを右に曲がって、今度は410メートル峰を目指す。このピークはよく目立つピークで、一般的ではないと思うが、「駿河峰」との名称があるということを何かで読んだ。登り着いた樹林の中のピークには何の標示もなかった。ただ服織小学校5年5組と書かれた板切れがあった。小学生が集団でこんな踏み跡薄い藪山に登ったのだろうか。西へ向かって下る。踏み跡がまた薄くなった。二万五千図にある南に分かれる破線に引き込まれないよう注意するが、この踏み跡はなかった。313.2メートルの三角点を見つけ、ルートが正しさを確認する。

 薄い踏み跡を辿ると、にわかに私の第6感がまたもや警告を発した。尾根は真っ直ぐ下っているのだが、辺りを注視すると、左に微かに尾根が分かれているようである。ただし、この尾根らしき方向には踏み跡もない。どう考えても、ルートは真っ直ぐ進む尾根道だ。そのまま進むが、10メートルも進むと、やはり足がばったり止まる。不思議な現象だ。赤テープ一つなく、どう考えても左にルートをとるのは無茶と思うが、本能の指示にしたがってみる。まさに奇跡である。これが正しかった。この分岐を選択できる人はまずいないだろう。いつしか細い踏み跡が現われ、地図の通り登りとなってル ートの正しさを確認する。小ピ−クを越えて一気に下ると、歓昌院坂に達した。ここまで来ればもう安心である。まさに計画通り、複雑に入り組んだ尾根を走破したのである。我が地図読み能力の高さと、それにもまして山勘のすごさに自分でも驚く。

 この歓昌院坂は、象山から徳願寺山に続く稜線に深く食い込んだ鞍部で、丸子の泉ヶ谷部落から藁品川流域の牧ヶ谷部落に通じる小道が乗っ越している。この鞍部のために、徳願寺山は稜線から切り離されて独立峰の趣がある。この峠道は東海道の間道でもあった古道である。また、駿河観音霊場13番の泉ヶ谷歓昌院から14番の牧ヶ谷耕雲寺に至る巡礼道でもあった。いよいよ最後の行程、徳願寺山へ向かう。緩く登ると送電線鉄塔に出て、すぐに樹林の中の一本拍子の急登に掛かる。踏み跡も定かでないが、最後の登りと、疲れた体に鞭打つ。ようやく登り着いたピークは、深い樹林の中でまったく展望はない。375.8メートルの三角点がぽつんとあり、側に「大久保山」との小さな標示がある。大久保山とは聞いたことのない名称である。おそらく徳願寺の山号「大窪山」から採ったのであろうが、山号は「だいわさん」と読む。この徳願寺山は、東西二つのピークからなっている。静岡県高体連登山部編「しずおか 私たちの山々」によると、西の三角点ピークを牧ヶ谷地方での呼び名を採って「高山」、東の352メートル標高点ピ−クを「徳願寺山」としている。ただし、どう見ても一つの山であり、全体を「徳願寺山」とすべきであろう。

 樹林の中の吊り尾根を緩やかに辿ると、東峰に達した。山頂部は南北に長く、一切の山頂標示はなかった。はるばるこの山を目指して藪尾根を縦走してきた身としては、何となく寂しい感じがした。何の標示もないが、深い樹林の中の確りした小道をジグザグを切ってどんどん下る。20分も下ると蜜柑畑の縁に出て、すぐに林道に達した。この登山道の入口には何の標示もなく、これでは知っている人以外わからないだろう。すぐに徳願寺に達した。この徳願寺山の中腹にある徳願寺は、今川義忠の夫人である北川殿の菩提寺である。なかなか立派な寺である。寺に人影はなく、静まり返っていた。

 時刻はまだ2時前である。ずいぶん早い下山となった。行きがけの駄賃にここから稜線ぞいに「手児ノ呼び坂」を経て佐渡山まで行ってみようと思い、蜜柑畑の縁を強引に辿るが行きづまってしまった。林道を向敷地の町並に下る。手越ヶ原でのバスの待ち時間ゼロであった。

 辿る人とてない藪山の縦走であったが、地図読みと山勘を発揮しての山歩きは、充分に冒険心を満足させてくれた。しかも、至るところに展望が開け、空気の透明度さえよければすばらしかったであろう。今日も一日、まったく人影を見ることもなかった。