宇津の山を越えて高草山へ

朝鮮岩、丸子富士、満観峰、高草山

1995年1月14日

              
 
丸子三丁目(740)→井尻部落→小野寺(800)→朝鮮岩(830〜840)→丸子富士(945〜1000)→満観峰(1020〜1035)→鞍掛峠(1105〜1110)→高草山山頂(1210〜1215)→高草山三角点峰(1220〜1235)→林叟院(1325〜1330)→焼津駅(1410)

 
 再び宇津ノ山に向かう。この山並には主稜線から外れた二つの気になる山がある。丸子富士と高草山である。丸子富士は主稜線上の満観峰から北東に派生した顕著な支稜上の一峰である。この支稜の末端には朝鮮岩と呼ばれる好展望台もあり、満観峰から丸子富士、朝鮮岩を経て丸子に下るルートはよきハイキングコースとなっている。一方、主稜線の南に位置する高草山は主稜線との尾根の接続が弱く、また、高草山の標高が主稜線上のどのピークより高いこともあり、完全な独立峰の態を為している。高草山は焼津市を象徴する山で、静岡県の百山にも選ばれた名山である。志太平野から眺めると、全山茶畑に覆われ、山頂にひときわ大きな鉄塔の建つこの山はよく目立つ。

 今日はこの二つの山を結んで歩いてみるつもりである。いわば宇津ノ山並の横断である。ただし、コースの取り方が実に難しい。丸子の街並から丸子富士を越えて満観峰までは問題ないが、満観峰から高草山まではコースの取り様がない。いろいろ地図で検討したが答えがでない。たかだか400〜500メートルの山、いざとなれば藪を漕げばよい。

 新静岡センター8時15分発の丸子営業所行きのバスを終点一つ手前の丸子三丁目で下りる。5分ほど歩き、井尻橋で丸子川を渡ると、山里に入った。井尻部落の中を進む。天気は予報通り快晴であり、好展望台と聞く朝鮮岩や高草山からの展望が楽しみである。部落を抜け、山中に入るが、幅1.5メートル程の舗装された道路が続く。ただし、実に急な登りである。登るにしたがい木々の合間から、丸子川を挟んだ徳願寺山が盛り上がってくる。送電線鉄塔に至ると安倍川東山稜の山々が見えだす。展望を楽しむのは朝鮮岩でと先を急ぐ。すぐに小野寺に達した。無住であるが割合大きなお寺である。一服して、寺の裏手より山道に入る。樹林の中の急登を続けると尾根にでた。293メートル峰を越え、少しの急登を経ると朝鮮岩に達した。尾根の末端の岩場である朝鮮岩は、期待に違わずすばら展望台であった。眼下に静岡市街地が広がり、その背後には雪を被った富士山。駿河湾の向こうには伊豆の山々。まさに第一級の展望台である。

 次の目標、丸子富士を目指す。小さなピークを幾つも越えながら次第に高度を上げる。辺りは静寂そのもので風の音さえしない。突然右側に茶畑が開け、今日初めて西側の展望が開ける。雪を被った南アルプスの南部から深南部の山々が朝日に輝いている。一番奥の真っ白な山は光岳だ。大無間連峰は一目でわかる。ただし、深南部の山は分かり難い。黒法師岳は確認できるのだが、その手前の三角形の山は前黒法師であろうか。その右奥の白い山はどこだろう。立ったまま目を凝らすが、とても同定しきれない。作業小屋や木材運搬用の架線が現われる。ハイキングコースだというのに人の気配は全くしない。静岡市近郊の山はどこもこうだ。

 荒れた茶畑の縁を登り416メートル峰を左から巻に掛かる。踏み跡があるので山頂に登ってみた。茶畑の真中に作業小屋があり、行く手に丸子富士が見える。コースに戻って樹林の中をさらに進む。突然道が二つに分かれた。尾根通しに進む道は「Aコース満観峰」、右側から尾根を巻くように進む道は「Bコース満観峰」と標示されている。これでは何のことか全然分からない。尾根道を選択する。ピークを一つ越え尾根は右に90度カーブする。次のピークが丸子富士のはずである。道は予想通りピ−クには登らず左側から巻に掛かった。注意深く進むと、小さな道標があり、右に登る踏み跡を「丸子富士」と示している。樹林の中のものすごい急斜面を息を切らして登る。辿り着いた山頂には小さな石の祠があり「金光山蔵王大権現」の石碑が立てられている。丸子富士の別名は金光山である。樹林の中で展望もなく休むと寒い。

 証拠写真を撮って満観峰へ向かう。何の標示もないが、山頂から尾根通しに先に向かう踏み跡がある。勘としては満観峰との鞍部付近で巻道にでるはずである。急な踏み跡を下ると過たず巻道にでた。茶畑の縁を満観峰へ登る。花沢山がよく見える。すぐに茶畑に囲まれた満観峰の頂きに達した。一ヶ月ぶりの山頂である。前回と違ってすばらしい展望が待ち受けていた。安倍川東山稜の山々、富士山、愛鷹山、駿河湾と伊豆の山々。ただし残念ながら南アルプス方面は樹林が邪魔して展望が得られない。カメラを持って山頂を走り回っていたら、日本坂方面から中年の登山者がやってきた。今日初めて会う登山者である。車で来たので丸子富士まで行って元の道を引き返すという。ずいぶんもったいないコースの取り方である。

 山頂は陽はよく当たるが風があり寒い。大展望の中、昼食にする。さて、問題はここからのルートの取り方である。どうやって高草山まで行くか。二万五千図を見ると、山頂から南西に70メートルばかり下った鞍部を破線が乗っ越している。この破線は高草山東面の花沢部落から続き、この地点で宇津の山並を越えて丸子川流域に下っている。登山道ではなく峠越えの古い生活道路のようである。前回主稜線を縦走したとき、この破線と思われる踏み跡が、現在も痕跡を残していることを確認している。この破線を南に辿ると、高草山と宇津の主稜線とを繋ぐ弱い尾根の鞍部に行ける。この鞍部までまずは行ってみよう。山頂から茶畑の畔を下る。道標もなく前回は緊張したが、今回は勝手知ったル−トである。茶畑の貯水槽には厚い氷が張っていた。少し下ると山頂では見えなかった西方の展望が大きく広がった。茶の木の上に二十万図を広げて、南アルプス深南部の山岳同定を試みる。黒法師岳とその右の丸盆岳を確認する。その前に立ちはだかる三角錐の山は前黒法師岳だ。その右奥に白く輝く山は不動岳。大無間連峰は一目である。ようやく安心して、破線の乗っ越す鞍部に下る。

 破線の道は思い掛けず確りしていた。おそらく作業道として今でも使われているのだろう。道は主稜線の中腹を巻きながらほぼ水平に続く。照葉樹林と杉檜の植林の中の気持ちのよい道である。行く手木々の合間に高草山が見え隠れする。足音に驚いて大きな鳥が慌てて飛び立つ。15分もこの道を辿ると、主稜線上の434メートル峰と高草山との鞍部に達した。鞍掛峠との標示がある。この地点を岡部川流域の廻沢部落から登ってきた車道が乗っ越している。いよいよ高草山への登りル−トを決めなければならない。頭の中に二つのルートを描いていた。一つは破線の道をさらに辿って高草山東面まで下り、登山道のある石脇部落なり坂本部落から改めて登る案。もう一つは、この鞍部から、踏み跡があろうがなかろうが尾根通しに強引に山頂に登る案である。峠で一休みしながら最後の思案をする。高草山に続く尾根の登り口は茶畑となっており畔道がある。ただし茶畑の先に踏み跡があるかどうかわからない。意を決してこの尾根を強引に高草山に登ることにする。たとえ踏み跡がなくても、ピークを二つ越えれば、山頂の無線中継塔まで続く車道に出るはずであり、そこでルートをもう一度考えればよい。

 茶畑を過ぎると期待に反し、尾根上には全く踏み跡はなかった。方向をよく確認して、手入れの悪い杉檜の植林と照葉樹の灌木の茂る藪の中に突入する。下草に笹がないので歩くのはそれほど困難ではないが、枝を押し分ける度に枯れた檜の葉が襟元に入ってかなわない。尾根筋がはっきりしないので方向感覚に気を遣う。視界のない藪漕ぎをする場合、歩きやすいところを拾って進むので、どうしても方向が狂いがちである。藪漕ぎを続けると過たず車道に飛び出した。二万五千図の276メートル地点で、まさに目指した地点に寸分の狂いもなく達したのだ。このNTT専用の車道は少し尾根上を走った後、尾根の西側を通って山頂に向かっている。いざとなれば、この車道を辿って山頂に達することができる。しかし、それでは余りにも高草山に失礼である。車道は少し上部にゲートがあり、一般車は入れないようになっていた。

 車道が尾根を離れる地点で尾根上にルートを取る。幸運なことに、尾根上には割合はっきりした踏み跡がある。ところが、踏み跡はしばらく登ると尾根をトラバースし、作業小屋で行き止まりとなってしまった。改めて尾根上に踏み跡を探ると、微かな気配を見つけた。踏み跡ともいえないこの微かな気配を辿る。気配は切れ切れであり途中幾つも分岐する。尾根を外さないように気を配り、半分藪を漕ぎながら気配を辿る。藪越しに垣間見える山頂が次第に近付いてきた。もう少しと思う頃、気配も全く消えてスズタケの猛烈な藪に突入した。背よりも高いスズタケの密生である。ここまで来たら強引に突破する以外にない。遮二無二藪を漕ぐと、突然立派な登山道に飛び出した。石脇部落からの登山道である。ほんの2〜3分で山頂に達した。ついに「新道」を通って高草山登頂に成功したのだ。

 山頂は完全にNTTの巨大な無線中継塔に占領されている。山頂脇には小さな社が祀られており、この山がもともと信仰の山であったことが知れる。山頂には先着パーティがいた。父と脳に障害があると思われる子供の二人連れであった。この親子に幸あらんことを祈る。高草山の山頂は東峰と西峰の二つに分かれている。現在いる東峰のほうが少し高そうであるが、501.4メートルの三角点は西峰にある。すぐに西峰に行ってみる。山頂の三角点はその上に鉄骨の櫓が立てられ、さらにその周りを金網が取り囲んでいた。取り囲む金網は何とも無粋である。三角点の前にはラバウル戦没者の立派な慰霊碑が建てられいる。ベンチに腰掛けて、改めて昼食を取る。東峰より西峰のほうが展望がよい。眼下に焼津の街並が広がり、白く光る駿河湾の向こうには御前崎も見える。その右には志太平野が続き、その中を大井川が流れている。

 どちらの山頂にも山頂標示はおろか道標さえもなかった。石脇部落に下ると思われる立派な登山道を下る。すぐに道標があって、右に分かれる小道を「林叟院」と示している。かなり急な小道は茶畑の縁をどんどん下る。どこまで下っても茶畑の中なので、実に展望がよい。農道を何本も横切りさらに下る。高度計が200メートルを切ると感じのよい照葉樹林に入った。ジグザグを切ってさらに下ると、ついに林叟院の参道に飛び出した。無事下山である。坂本の部落を抜け、焼津郊外の道を駅に向かう。振り返ると、高草山が大きくそびえ立っていた。