東筑波連峰 愛宕山→難台山→吾国山 

 低山なれどタフな縦走路 

2011年11月13日

  
       愛宕山より難台山を望む                  
            
岩間駅(810)→愛宕神社(900〜910)→乗越峠(925)→見晴らしの丘(935)→ススキヶ原(950)→展望台ピーク(955〜1000)→団子石峠(1020〜1025)→団子山(1045)→大福山(1100)→屏風岩(1115〜1120)→難台山(1135)→道祖神峠(1230)→吾国山(1310〜1320)→福原駅(1445) 

 
 茨城県の山は、幾つかの名山はあるものの、概して小さな低山ばかりで、登山対象として価値のある山はほとんど存在しない。いわんや、基本的登山形態の一つである縦走が可能なコースなぞ皆無に近い。こんな茨城県の山々にあって、ほとんど唯一と言ってよい縦走コースが愛宕山(あたごさん)〜難台山(なんだいさん)〜吾国山(わがくにさん)と続く東筑波連峰の連なりである。標高こそ主峰の難台山ですら553メートルと低いものの、縦走コースは本格的で、案内書には「全山縦走するためには中級以上の脚力と経験が必要」と記されている。やはり一度は歩いておく必要があるだろう。足の負傷も大分回復した。足試しにはちょうどよさそうである。

 朝一番の高崎線上り列車で上野に向い、上野発6時31分の常磐線普通列車に乗り込む。日の短いこの季節、出来うるかぎり出発を早めたい。日曜日とあって車内はガラガラであった。8時7分、岩間駅着。数人下車したが登山者は私一人のようだ。駅前に広がる小さな街並みの背後に、これから登る愛宕山が頭を覗かせている。

 人影もまばらな駅前の商店街を山に向って歩き始める。今日はのんびりとはしていられない。下山が日没との競争になるのはいやである。ただでさえ不安な足を抱えている。街並みを抜けると愛宕山がその全貌を眼前に現した。愛宕山の頂には、その山名からも分かる通り、愛宕神社が鎮座している。標高300メートルにも満たない小峰だが、全山緑に覆われ、神奈備山らしい優雅な姿である。愛宕山の山頂直下まで今では車道が開通している。案内書には「時間を稼ぐために駅から山頂までタクシーを利用するのも一案」とある。歩くと駅から山頂まで50分〜1時間掛かる。私はもちろん歩きである。

 麓に達し、山腹を大きくうねりながら登って行く車道を進むと、すぐに小さな道標があり、直登していく登山道を「愛宕山山頂」と標示している。鬱蒼とした樹林の中の薄暗い小道を登る。老人福祉センターの裏を抜けて、10分ほどで回り込んできた車道に出た。この地点には立派なトイレと小さな休憩舎がある。中年の登山者が一人休んでいたが、私と入れ違いに出発していった。

 車道をしばらく登り、小さな駐車場のところから道標に従って再び登山道に入る。確りした道だがそれほど歩かれてはいない気配である。先ほどの登山者はそのまま車道を進んでいった。しばらく登ると、再び迂回してきた車道に出た。車道は山腹を斜登していくが、眼前には山頂に向って一直線に登り上げる恐ろしく急な、恐ろしく長い石段が現れた。愛宕神社の参道である。

 約300段あるという石段に取りつく。手摺りを掴んだ腕で半ば身体を引き上げるようにしてゆっくりゆっくり登って行く。危険を感じるほどの急勾配である。上を眺めると視界の限り石段が続いている。下の方から遅れて石段に取りついた先ほどの登山者の荒い息遣いが聞こえる。しばしの格闘の後、山頂に鎮座する愛宕神社本殿に到着した。立派な社殿である。境内に人の気配はまったくない。この愛宕神社は大同元年(806年)創設と伝えられ、日本三大火伏神社の一つといわれる古社である(他の二社は不知である)。愛宕信仰は京都愛宕山の愛宕神社を総本社とする火伏せの神にたいする信仰であり、江戸時代に修験者により全国に広められた。

 神前に今日の無事を祈り、社殿の裏に廻る。短い石段を登ったところに飯綱神社の小さな社が鎮座している。さらにその裏手に柵で囲まれた一角がある。愛宕山の真の山頂と思われる場所である。真ん中に飯綱神社の本殿である銅製の六角形の小さなお堂があり、その背後に「13天狗祠」と記された13個の小さな石の祠が並んでいる。実は、この愛宕山には天狗伝説が色濃く残されている。昔13人の天狗が住みつき修行に励んでいた場所だと伝えられている。どうやら、元々、天狗信仰を宿した山であったのが、愛宕神社に乗っ取られてしまったのだろう。山名も古くは「岩間山」であったらしい。

 山頂を辞そうとしたときになって、先ほどの登山者がヒィーヒィー言いながら登ってきた。ずいぶん差がついたものである。道標に従い愛宕神社左手の小道を下るとすぐに大きな駐車場に出た。右手奥にこれから向う難台山がすっきりと見えている。道標に導かれて駐車場奥から続く舗装された細い車道に入ると、道はすぐに二分した。「難台山」を示す道標に従い左に分かれる細道に入るが、後ろから来た単独行の女性ハイカーは真っすぐに進んでいった。不安になり地図を確認すると、二つの道はしばらく先で一緒になるようである。

 「スカイ・ロッジ」というログハウス・タイプの宿泊施設を左から巻くようにして進む。今日の天気予報は晴れなのだが、見上げる空は雲で覆われている。ただし、気温は妙に生暖かい。数分進むと、分かれた車道と再び合流した。この場所が乗越峠で、休憩舎と駐車場がある。暑いのでセーターを脱いでいる間に、先ほどの女性ハイカーが追い越して行った。

 すぐに車道と別れて縦走路となる登山道に入る。この登山道はどうやら防火帶にもなっているようで、幅の広い切り開きが忠実に稜線上に続いている。道標があり、左手に分かれる踏み跡を「見晴らしの丘」と示している。先ほどの女性ハイカーがちょうど踏み跡から戻ってきて「下界が見下ろせますよ」と告げる。地元の人で毎月のようにこのコースを歩いている由。すぐそことのことなので私も行ってみたが、淀んだ空気の中に下界が霞んでいるだけであった。

 幅広の縦走路を進む。樹林の中で、展望は一切得られない。時折、ジョギング・スタイルの若者が走ったり速足で追い越していく。また反対側からもやって来る。よく整備された低山の縦走路のため、山岳ジョギングの格好の練習コースとなっている様子である。しかし、辿っている縦走路は防火帶を兼ねた切り開きゆえ、相当な急斜面でも稜線上を忠実になぞっている。このため、爪先立ちで登らざるを得ない急な登りやずり落ちるような急な下りが現れる。登山道なら歩きやすいようにジグザグに切って開削されるのだろうが。

 そんな急坂の一つを登りきると「ススキヶ原」との標示があった。ただし、樹林の広がりがあるだけで、ススキなど一本もない。急坂をヒィーヒィー言って次の小ピークに登り上げると、思わぬことに、櫓を組んだ展望台が設けられていた。2万5千図上の382メートル標高点ピークである。案内書には「南山展望台」と記されている。誰もいないので櫓の上に登ってみる。周りを囲む木々の頭越しではあるが展望が得られた。無料の望遠鏡も設置されている。来し方を眺めると愛宕山の頂が見え、その左右奥に関東平野が霞んでいる。今日は空気が淀み、視界が余りよくない。

 幾つかのピークを越えて進むと山稜を乗っ越す林道に下り立った。団子石峠である。朝から何も食べおらず、さすがに腹が減った。ベンチとテーブルがあったので持参のパンを頬張る。岩間駅を出発して以来、初めての休憩である。林道を横切り反対側の山腹を登って行くと、「団子石」と標示された岩が現れた。どう見ても団子には見えないがーーー。さらに登ると、右側が小規模な伐採地となり、展望が開けた。辿ってきた山稜とその左端に聳える愛宕山が見える。すぐに地図上の432.0メートル三角点峰に登り上げた。「団子山」との標示がある。

 反対側からやって来るハイカーと度々すれ違うようになる。今朝、どこを出発したのだろう。時間的に考えると、吾国山からだとは思えないが。次の450メートルピークには「大福山」との標示がある。難台山はもう少し先のようである。きつい登りが続く。「獅子ヶ鼻」と標示された岩を過ぎる。おしゃべりをしながらのんびりと行くおばちゃん二人連れを追い抜く。すぐに「天狗の庭」との標示が現れるが、付近にそれらしきものは何もない。さらに登る。山頂まではもうすぐと思うのだがーーー。いい加減くたびれた。腹も減って力が入らない。「屏風岩」の標示に左側奥を覗くと垂直の大岩がそそり立っている。思わずその前に座り込んでパンを頬張る。

 11時35分、ついに難台山山頂に到着した。愛宕山を出てから2時間25分、標準コースタイムが2時間30分であるからほぼイコールである。山頂は、展望はないものの、雑木林の中の気持ちのよい広がりで、小さな石の祠が置かれている。その山頂に、湧き出たごとく大勢のハイカーが休んでいる。10パーティー、20人はいるだろう。急に現れた大人数に恐れをなし、一瞬立ち止まっただけでそのまま通過する。

 難台山を過ぎると、何やら雰囲気が変わった。人の気配がまったく絶えたのである。結果として、以降一人のハイカーとも出会わなかった。おまけに空模様までおかしくなった。いつしか厚い雲が広がり雨の心配すら感じられる。展望のまったく利かない樹林の中の急降下、急上昇の尾根道をひたすら歩き続ける。「スズラン群生地」への道を右に分けると、急な長い長い下りとなった。こんなに下っていいのだろうか。下った分は確実に次の吾国山の登りとなって跳ね返ってくる。

 突然、砂利を轢いた真新しい細い林道に飛びだした。一瞬、道祖神峠かと思ったが、そうではなさそうである。道標がなく、どっちへ行ってよいのやらさっぱり分からない。地図を睨んでみてもこの林道は記載されておらず判断不能である。さて困った。聞こうにも人影は絶えて久しい。仕方がないので、林道を左に進んでみた。200メートルも進むと、立派な車道に飛びだした。ここは紛う事無く道祖神峠である。ピンチ脱出、やれやれである。道祖神峠と書いて「どうろくじんとうげ」と読む。難しい名前の峠である。この峠を乗っ越す車道は県道42号線である。

 通る車もない県道を横断し、奥に続く細い車道を辿る。左手には「洗心館」という茨城県の運営する青少年健全育成を目的とした宿泊施設があるが、すでに平成21年3月末をもって閉鎖されている。この施設を回り込んだところから吾国山への登山道が始まる。樹林の中のただ一直線の急登である。足裏をフラットに置くことさえ出来ない急斜面が続く。疲れた身体にはかなりきついが、今日最後の登り、頑張る以外ない。時々息を整えながら急登に耐える。

 さしもの急登も、25分の頑張りで吾国山山頂に登り上げた。この縦走最後の頂である。山頂は無人であった。石造りの田上神社社殿が建ち、その脇に518.2メートルの一等三角点が設置されている。社殿の後ろに回り込むと、展望が大きく開けた。ただし、午後の深まりもあり、空気の透明度は極めて悪い。正面には越えてきた難台山が大きく聳えているが、その背後左右の山並みは濁った空気の中に消えている。眼を90度右に移すと、筑波山と思える大きな山が微かに輪郭を描いている。設置されたベンチに腰掛け、最後のパンを頬張る。後は福原駅に下るだけである。

 13時20分、最後の行程に出発する。駅まで約1時間半の道程である。山頂直下の雑木林の林床はカタクリの自生地とのことで、柵で囲んで保護されている。落ち葉に覆われた登山道をドンドン下る。1丁目ごとに設置されている丁目石がよき目印となる。登山道は今までの縦走路に比べ格段に歩きよい。極端な急坂もない。田上神社の参道であるためだろう。途中、細い舗装道路を横切り、さらに樹林の中を下っていくと、ようやく畑の畦道となった。いったん車道歩きとなるも、再び畑中の畦道となる。振り返ると下ってきた吾国山が大きく聳え立っている。行く手には高架となって連なる北関東自動車道が見える。集落に入り、北関東自動車道を潜ってさらに田圃の中を進む。14時45分、ついにJR水戸線の福原駅に到着した。東筑波連峰縦走山行の予定通りの終了である。小山行き上り列車は15時6分であった。
                                       以上
 
登りついた頂
  愛宕山  293 メートル
  難台山  553.0メートル
  吾国山  518.2メートル

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