鉄塔の建つ不粋な山頂 谷倉山登るよりも麓から眺める山 |
2020年9月22日 |
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星野遺跡駐車場(650〜710)→山口林道コース分岐(715)→地層探検館(719)→-芳姫の墓570m標示(746)→芳姫の墓400m標示(753)→芳姫の墓250m標示(802)→芳姫の墓150m標示(811)→芳姫の墓125m標示(818)→稜線(923〜928)→谷倉山山頂(1018〜1040)→493m峰(1112)→梵天山見晴台(1151)→キャンプ場(1207)→星野遺跡駐車場(1215) |
新型コロナが世界中を席巻し続けている。日本政府も「外出を控えろ」と言ってみたり、「go
to travel」を実施してみたりと政策は定まらない。小生も家に閉じこもって、家庭菜園の土をこねる毎日である。そろそろ山にでも行ってみようか。山ならば感染の危険もないであろう。と、思いつつハイキング案内書をめくっていたら「谷倉山」なる山が目に止まった。聞いたことのない山だが、栃木県の栃木市郊外にある標高599.4メートルの山で、一応、「栃木百名山」にも選ばけている。案内によると、通常コースを登る限り大きな危険はないが、道標は不備で地図とコンパスは必要とある。まぁ、少しは手ごたえのある山らしい。案内によると、登山コースは三つである。いずれも麓の「星野遺跡公園」が登山基地となる。
一つ目は、遺跡公園から小沢に沿って北へ登り、谷倉山から西に伸びる主稜線に登り上げるルートである。登り上げた稜線直下に「芳姫の墓」なる歴史的遺跡があり、、ここを目指して登った後。稜線を東に辿って山頂を目指す。二つ目は山口沢林道に沿って北東に登り、ダイレクトに山頂に至るルートである。ただしこのルートは相当荒れており、現在はほぼ通行不能らしい。三つ目のルートは遺跡公園から尾根通しに東に向かい、山頂から南に延びる主稜線に登り上げるルートである。このルートが谷倉山登山の最も一般的ルートらしく、インターネットに記された多くの登山記録はこのルートである。 同じルートを往復するのも芸がないので、「芳姫の墓」ルートを登り南尾根ルートを下る計画を立てた。もし早々に登山が終了したら、永野川を挟んで対岸に対峙する三峰山に登るつもりである。早朝5時21分、車で家を出る。ちょうど朝日が広がる田んぼの彼方から真っ赤な姿を現した。今日一日天気はよさそうである。東北自動車道を栃木インターで降り、家から66キロ、1時間半走って、星野遺跡公園の大きな駐車場に到着した。数十台駐車可能と思われる広大な広場であるが、先着の車はゼロ。支度を整え、7時10分、登山を開始する。 登山道を示す標示の類いは一切ない。さてどっちへ行ったらよいのやら。広大な遺跡公園内の道を手持ちの地図と見比べ、進むべきルートを特定する。沢に沿って奥に進む林道を辿る。5分も進むと分岐があり、道標が「右 山口沢、左 地層探検館」と示している。山口沢ルートとの分岐である。予定通り左にルートを取る。すぐに、地層探検館の小さな施設が現れる。辿っている林道は次第に草深くなる。歩行に不安を感じる程ではないが、足下の雑草と両側から伸びる潅木の枝がうるさい。この林道はあまり使われてはいない様子である。 進むに従い林道はますます荒れ出す。道型ははっきりしており、道幅も軽自動車なら通れる程あるが、雑草が繁茂し、蜘蛛の巣が道を塞ぐ。最近利用された痕跡はない。「夏場に踏み込む道ではない」とブツブツ言いながら持参のストックで蜘蛛の巣を払い、蛇はいないかと足下の草をかき分けながら進む。やがて雑草や潅木の雑然とした林道跡らしき道型は終わり、杉檜林の中の細い山道に変わる。ただし、「歩きやすくなったわい」と思ったのも束の間、道は怪し気な踏み跡に変わる。平行する谷川を何度も渡りかえし、倒木が行く手を塞ぐようになる。突然、「芳姫の墓まで570メートル」と記した確りした標示が現れた。踏み跡さえ怪しいこの場にはいささか不似合いな立派な道標である。この道標のおかげで現在辿っているルートが、目指すルートから外れていないことだけは確認できた。少々元気づく。 さらに、もはや踏み跡さえ確認できなくなった急斜面をよじ登る。すると、「芳姫の墓まで400メートル」の標示、続いて「芳姫の墓まで250メートル」の標示、さらに進むと「150メートル」の標示が現れた。これらの標示により進んでいるルートは間違っていないことは確認できる。しかしここで座り込んでしまった。ルートは間違っていないものの、もはや進んでいるルートは踏み跡の痕跡も皆無。倒木や岩のむき出しの急斜面で、見るからに危険の匂いのするルートである。これ以上進むのは余りにも危険だ。引き返すべきではないか。ただし、引き返すにしても、そのルートは危険一杯である。思案しながら上方を見上げる。目指す稜線が見える。がんばれば行きつけそうな距離だ。もう少し進んでみようか。 朽ちた倒木と岩の折り重なる急斜面をもがきながら登る。またも「芳姫の墓まで125メートル」の標示が現れた。目指す目標はもうすぐと思われるが、もはやどっちに登ったらいいのかさえも分からない。見上げる稜線はすぐ上空にある。もはや行くっきりない。両手両足で斜面に這いつくばって登る。と、突然林道が現れた。もはや使われてはいないらしいが、道型も確りしている。ホッとするやら嬉しいやら。稜線直下にこのような林道跡があるとは案内書や登山記録には一切記載されていなかった。どう言うことなんだろう。分岐や行き止まりをくり返す林道をいいかげん選びながら稜線を目指す。「芳姫の墓」は結局どこにあるか分からず到達することはできなかった。 稜線直下まで林道跡を辿り、道脇の2〜3メートルの絶壁を登ると目指す稜線に達した。時に9時23分。所要時間は駐車場を出発してから2時間15分である。案内書に記載された所要時間はわずか35分であるから、あの超悪路でいかに苦労したかが伺える。辿り着いた稜線はゆったりした鞍部で、道標の類いは何もないが、微かな踏み跡が確認できる。この稜線を忠実に東に辿れば谷倉山山頂に行き着くはずである。稜線は樹林の中で展望は一切ない。もはや危険な山場は越えた。安心して、人の気配皆無の稜線をのんびり辿る。小さなピークを幾つか越えるが、急登急坂は現れない。またルートを間違えるような複雑な地形も現れない。ただし、道標の類いは一切現れない。赤テープが時折見られるだけである。 稜線を辿ること50分、何ごともなく谷倉山山頂に辿り着いた。しかし、ホッとする一方、大きな落胆を覚えた。目の前に現れたのはなんとも情緒のない山頂であった。頂きの南側は深い樹林に覆われ、北側は大掛かりに伐採がなされており、見下ろす派出する尾根上に切り株が列をなして並んでいる。そして山頂の真中には場違いのような巨大な鉄塔がデンとそそり立っている。その周りは薮で覆われ、山頂標示も、また、あるはずの599.4メートル三角点も見当たらない。普通どんな山頂でも、せめて私製の山頂標示が木の枝にでも架けられているのだがーーー。当然人影は全くない。それどころか、周囲にははっきりした踏み跡も見当たらない。インターネットで見た登山記録によれば、南尾根ルートからは少ないと言えども登山がされている様子なので、山頂までくれば登山者の痕跡が多少ともあると期待していたのだがーーー。これでは、下山予定の南尾根ルートは自分で見つけなければならない。地図とコンパスを取り出し、南尾根を確認する。やっと一息ついて切り株に腰を降ろし握り飯を頬張る。朝から何も食べずにここまでやってきた。下山ルートも確認でき、どうやら無事に下山できそうである。幸い空は真っ青に晴れ渡り、天気の心配は一切ない。 20分ほどの休憩の後、腰をあげる。いよいよ下山開始である。薮をかき分け、地図とコンパスで確認した方向に進むと、踏み跡が現れた。道標の類いはないが赤布がある。どうやら目指す南尾根コースに間違いなさそうである。小ピークを下った地点が山口沢林道コースとの分岐点、何の標示もないが赤テープが立ち木に巻き付けられている。樹林の中の尾根道を辿り、次の493メートルピークを越える。ルートは大きく右に曲がり、西に向きを返る。割合はっきりした踏み跡があるので、注意すれば間違わないが、そのまま南に続く尾根に踏み込んでしまう危険はある。 樹林の中の単調な緩やかな尾根を下り続ける。時寄り道を塞ぐ蜘蛛の巣がうっとうしい。少なくとも、今日このルートを通るのは私一人である証拠である。山頂から約一時間下り、339メートる峰まで来ると、山道は林道に合わさった。右側に「梵天山見晴台」と記した標示があるが、枝葉の茂った樹木に囲まれ視界はない。さらに少し下ると、キャンプ場に下りついた。ただし人影はない。民家が現れ、集落の中を下ると、我が愛車の停まる駐車場に下りついた。12時15分、無事の下山である。 駐車場より改めて下ってきた北方を眺める。緩やかに続く稜線の中央に谷倉山のゆったりした姿を望むことができた。何やら心和む姿である。どうやら、この山は登る山ではなく、眺める山のようである。時間に余裕があればと思っていた三峰山登山は諦め、少々早いが帰路につく。今日は4日連休の最終日、高速道路は混雑していた。 |