前日光 禅頂行者道縦走

紅葉のもと、日光修験回峰の尾根道を辿る

2001年10月21日


左より男体山、大真名子山、女峰山を望む(夕日岳の登りより)
 
茶ノ木平(1020〜1025)→明智平分岐(1040)→送電鉄塔(1110)→雨量観測所(1120 )→細尾峠(1125〜1130)→薬師岳南肩(1200)→薬師岳(1205〜1220)→三ツ目(1315)→夕日岳(1325〜1345)→三ツ目(1400)→地蔵岳(1410)→ハガタテ平(1425〜1430)→林道(1500)→車道(1530)→古峯ヶ原バス停(1540〜1550)

 
 足尾から日光にかけての山々はいわゆる日光修験の活動の舞台であった。日光修験は男体山を開山した勝道上人(735〜817)を祖とする。彼等は現・鹿沼市の奥、大芦川源流の古峰ヶ原に鎮座する古峯神社を本拠地とし、そこから峰峰を回峰して中禅寺湖畔に入った。この回峰ルートは禅頂行者道と呼ばれ、幸いに今も登山道が開かれている。一度は辿ってみたい縦走路である。
 
 今年は秋の訪れが早い。1昨日は12月並の寒い1日であった。山々の紅葉もずいぶん進んでいるだろう。禅頂行者道縦走は案内書を読む限り特段難しいコースでもないのだが、問題は交通の便である。中禅寺湖畔着が最早でも9時となる。これとて大宮から宇都宮まで新幹線を使ってである。案内書の多くも、途中の細尾峠までタクシーで入って、後半部分のみの縦走となっている。古峯ヶ原発の最終バスは17時15分だが、できればその前の15時50分に乗りたい。時間との競争になりそうである。
 
 日光駅発8時15分の中禅寺温泉行きバスに乗るが、紅葉の時期とあって道路が大渋滞、中禅寺湖に着くのは何時になるか解らないとの運転手の話に絶望的気持ちになる。いろは坂の紅葉は真っ盛りで、すばらしい景色なのだが、動かぬ車にいらいらして見とれる余裕もない。中禅寺湖畔着10時10分、何と1時間10分の遅れである。すぐにロープウェイで茶ノ木平に登る。高度差300メートル強、歩けば1時間の行程である。いささか後ろめたいが、遅れた時間を取り戻すには仕方がない。この地点は標高1600メートル、なんと今日の縦走路における最高地点である。
 
 10時25分、茶ノ木平ロープウェイ駅を出発。予定のバスに乗るには5時間半で踏破せざるを得ないが、我が快足をもってすれば可能な時間である。すばらしい秋晴れを期待したのだが、予報に反し、空は厚い雲に覆われどんよりとしている。道標に従い、半月山へのルートと分かれて細尾峠への縦走路に入る。一面に低い隈笹に覆われた大地がゆったりとうねり、ミズナラ、ブナ、白樺などの広葉落葉樹の森が大きく広がっている。色づいた葉を散らし始めた木々の間から男体山、女峰山の大きな山体が切れ切れに望まれる。辺りは人の気配もせず、落ち葉を踏むカサカサという音のみが聞こえる。何とも気持ちがよい。
 
 すぐに明智平からの道と合流する。地面を覆い尽くす低い隈笹が細い踏み跡までも覆い隠すようになる。どこまでも続く原生林はすべて黄色く染まり、時折楓の赤が混じる。前方を単独行の男性が行く。追い抜くと「ずいぶん速いですねぇ」と一声。小さな祠の祀られた露石を過ぎるとやや急な下りに変わる。行く手木々の合間にこれから辿る薬師岳、夕日岳などの山並みがうっすらと霞んでいる。やがて傾斜が緩み穏やかな尾根道に変わる。夫婦連れとすれ違う。「もう行って来たんですか?」「え? 古峰神社までの縦走ですが」「あ、失礼しました」。何ともとんちんかんな会話であった。どうやら細尾峠から茶ノ木平往復なのだろう。小さな送電線鉄塔を過ぎ、緩やかな尾根道を足早に進む。雨量観測所の小さなコンクリート小屋を見ると、細尾峠は一足長であった。細い車道が切り通しとなって小さな鞍部を越えている。旧国道122号線である。今では新道がこの山稜の下をトンネルで貫いている。路肩には登山者のものと思える数台の車が駐車していた。小休止を取る。
 
 初めて、登りらしい登に入る。狭い山稜の登りである。再び木々の合間に男体山と女峰山がちらりちらりと姿を現す。小さなガレの縁にでると、初めて山々が全貌を現した。男体山、大真名子山、女峰山が各々独立峰となって灰色の空を鋭く切り裂いている。天気がよくない割には北方の視界は透明度が高い。下ってきた中年の男性が「今朝方はもっと凄かったですよ」と付け加える。この人も細尾峠から薬師岳往復だという。コースは尾根筋をはずれ山腹を斜行するようになる。犬をつれた夫婦連れを追い抜く。支稜に達し、急登すると薬師岳の南の肩に達した。縦走路は右だが、山頂は左である。気持ちのよい雑木林の中をわずか5分も緩やかに登ると山頂に達した。
 
 男体山、大真名子山、女峰山のビッグスリーが眼前にその全貌を晒している。ただし、山頂の雰囲気はあまりよくない。視界を確保するため、北から東にかけての木々をむりやりに刈り払っているため、何となく雑然としている。これならば、自然のままにして、木の間越しの展望の方がはるかに好ましい。狭い山頂に座り握り飯を頬張る。すぐに2人と1匹も登ってきた。今日はゆっくりもしていられない。夕日が岳を目指す。ここから1時間30分の行程であるが一気に行く覚悟である。南の肩まで戻り、縦走路を北に辿る。すぐに小さな石の祠と不動明王の石像を見る。宝暦14年(1764)の銘がある。いまから237年も昔、修験道はなやかりしころのものである。ここから何ともすばらしい道となった。黄色く色づいた木々に覆われた尾根が、緩やかに起伏しながらどこまでも続く。足下は脛ほどの隈笹である。木々の合間からは常に男体山、女峰山が見え隠れしている。秋の山稜の美しさがここに極まった感がある。前方にはこれから向かう夕日岳が木々の隙間に霞んでいる。疲れも感じず、うっとりしながら一人山稜を辿る。もはや出会う人影もない。
 
 最低鞍部まで下ると一転して、木の根岩角を踏んでの急登となった。途中の岩場で振り返ってみると、相変わらず男体山、大真名子山、女峰山が静にそそり立っている。男体山の左奥にはドーム型の白根山が確認できる。さらに左に続く山並みを目で追うと、皇海山が見慣れぬ姿でそそり立っている。さらに急登を続けると、「三ツ目」との標示のある小ピークに登り上げた。目指す夕日岳は主稜線から外れているため、ここから往復することになる。片道15分の行程である。ひと休みしたいところだが、そのまま夕日岳に向かう。いったん鞍部まで下り、やや急な登りを足早に辿ると夕日岳山頂に達した。誰もいない。
 
 山頂は西側に展望が開けていて、男体山、女峰山が湧き出した雲を中腹に纏いながら、今朝方からと同じ姿でそそり立っている。その姿は何とも神々しい。古の人々もこの姿を眺め、神の座す山と認識したのだろう。男体山頂には、勝道上人開山以前の祭祀遺跡が発見されている。天気は朝方から良くも悪くもならず、灰色の空のままである。握り飯を頬張っていたら中年の単独行者が登ってきた。変わった人で、一人で大声を出しながらはしゃぎ回っている。単独行者はふつう無口なものなのだが。
 
 三ツ目まで戻り、穏やかな山稜を辿る。先行する中年の女性2人連れを抜く。この女性とは帰りのバスで再会し、同じバスで入山し、同じコースを辿ったことが解った。ただし、時間がなくて夕日岳は割愛したとのことである。すぐに、今日最後のピーク地蔵岳に達する。ピークとも云えないような雑木林に囲まれた稜線上の盛り上がりで、小さな石の祠が祀られている。そのまま通過し、急な平斜面を大きくジグザグを切って下る。初めて自然林が絶え、カラマツの植林となる。途中崩壊地があり、今日初めて緊張を強いられる。やがて紅葉の美しい雑木林の尾根となり、ハガタテ平に到着した。雑木林に囲まれた静かな鞍部である。
 
 ここから稜線を離れて、いよいよ古峯神社への下りである。バスの時間まで1時間20分あるので、何とか間に合いそうである。緩やかで明るい雑木林の中を何本もの小流がせせらぎ、ゆっくりとくつろぎたいようなすばらしい斜面である。下るに従い、小流は次第に合わさり、水量を増す。やがて鬱蒼とした杉林となった。のろのろ歩く4人連れを追い抜き、30分も下ると、荒れた林道に達した。後はこの林道をひたすら歩けばよい。
 
 3時40分、お土産物屋の並ぶ、古峯神社バス停に到着した。発車まで10分の余裕である。時間があれば、是非、古峯神社を見学したかったが、残念である。この古峯神社は天狗信仰で有名である。天狗とは神の眷属であるが、修験者(山伏)もまた天狗に擬らえる。ともに超能力を持って山々を駆けめぐったのである。古峯神社は日光修験の溜まり場であった。まさに天狗の住処であったのである。
 
 発車寸前、例の女性2人連れが駆け込んできた。最後は懸命に林道を走ったとのことである。彼女等から「あっという間に追い抜き、視界から消えていった私の歩きはまるで天狗のようであった」とお褒めをいただいた。今日の私は天狗である。
 
 何ともすばらしい縦走路であった。若葉萌え出づる頃、再び辿ってみたいものである。

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