| 天草五橋を一号橋から五号橋まで全て渡り、天草上島の国道を車で約四十分走ると、やがて下島が見えてくる。上島から下島へ渡るために現在最もよく利用されているのは瀬戸大橋、通称ループ橋である。そのループ橋の上から眺められる本渡市の町並みは、人家の少ない寂しい国道を運転し続けて来たドライバーの目を奪う。・・・・が、それとは別にもうひとつドライバーの目を引く物がある。それはループ橋の頂上付近で、視線を進行方向に対して左に向けたとき、さっと目に飛び込んでくる真っ赤な橋である。ちょうどループ橋と並んで上島−下島間にかけられている。ループ橋に較べると、大きさはずっと小さい。だからループ橋の上のドライバーからは下に見降ろす格好になる。だがループ橋を渡って下島に入ってくる人で、その橋を見逃す人はまずいない・・・・、そう言って良いほどその赤い橋の「赤」は鮮やかである。本渡市の人達は、この橋を「赤橋」と呼んでいる。 本渡市に住む人達は、不断の生活の中でのちょっとした上島−下島の行き来には、ループ橋よりも「赤橋」の方を良く利用する。ループ橋では車の往来が主であるのに対し、「赤橋」は徒歩、自転車、バイク(押して渡らなければならない)での往来が主である。それからもう一つ・・・・、「赤橋」を通るのは、そう言ったものだけではない、船も通る。漁船、フェリー等様々だ。ただ「赤橋」は小さいため、通る船の大きさによっては下をくぐれない場合がある。潮の満ち引きの加減によっても違う。満潮のときは小さな舟でも通れなくなることがある。そんなとき、「赤橋」の橋げたは一時的に上へ持ち上げる構造になっている。もちろんその時は、人が橋を渡ることはできない。一時、通行禁止になる訳だ。だから「赤橋」の渡り口には信号と、遮断機がついていて、船が近づくと、サイレンが鳴るとともに信号が赤に変わって、遮断機が降りる。まるで「海の交差点」である。 私は、時々カメラをもって、徒歩でループ橋の上に行く。「赤橋」を撮影するためだ。ループ橋には一応歩道はついているが、それを通る人はほとんどいない。車のみがザーッ、と通るだけである。その車の音を背中に聞きながら、「赤橋」の方に向かってカメラのレンズを向ける。満潮で、しかも大型の船が「赤橋」を通る時、「赤橋」はその橋げたを最高に持ち上げて船を通す。そうやって通過して来た船も、橋げたの高いループ橋の下は、なんなく通ってしまう。「赤橋」と「ループ橋」。並んでかかった二つの橋・・・・。私には何となく対照的なキャラクターを持ったものに見えてならない。船の種類、潮の状態等その時々によって橋げたの高さを変える「赤橋」。船を通すのにおおごとする「赤橋」。本渡市の人達が歩いたり、自転車に乗って渡る「赤橋」。そんな「赤橋」の方が、何となく人間的な暖かみを持ったものに見えてならない。 私の勤務する県立天草工業高校はそんな「赤橋」のすぐそばにある。ループ橋の上からは、「赤橋」とちょうど並んで見える位置にある。そして私が授業に行く電気科一年A組の教室の教壇は、この「赤橋」が最もよく見える位置にある。授業をしながら時折「赤橋」を取り巻く風景に心が和む。授業を受ける生徒もそんな「赤橋」に似て明るく素朴でかわいい。この四月に転任して来たばかりであるが、私にとって今や天草を代表する橋は「赤橋」である。こんな「赤橋の見える教室」で授業することなんて、天草工業高から転出したらもう無いだろう。「赤橋」は天草工業高校の校歌の中では「虹の開閉橋」と謳われている。 〜平成3年9月〜
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