| こんなにも自転車をこぐ事が、きついことだったのか? 改めてそんな事を感じるほど、その時の私は疲れていた。日ごろの車での生活にすっかり慣らされてしまった私にとって、ちょっとした上り坂も足腰にこたえてしまう。自分で自分が情けなくなるほどだ。そう言えば、この当たりは佐伊津や五和方面の生徒達の自転車での通学路だ。 「生徒達は毎日、ここをこうやって自転車をこいで登校してるんだな。たまにはこうや って自転車で出てみるもんだ。」 そんな事さえ頭の中でチラチラ考える私であった。 その時私は、自転車をこいで広瀬の自宅から五和方面へ向かっていた。その道は、私にとって、決して珍しい道ではない。今の教職員住宅に引っ越して一年余り経つが、その間、車で幾度となく往復している。広瀬−茂木根−五和を結ぶ道路がアップ・ダウンに富んだコースである事はもう熟知していた。しかし、それは、車の運転という経験を通してのみ得た「単なる知識」であって、同じコースを自転車で通る、という新たな体験をしてみると、そのアップ・ダウンの激しさが、いかに凄いものかという「実感を伴った知識」が得られるものだ。その時の私は、何故かそんな抽象的な事さえ頭の中で考え始めていた。ひょっとしたらそんな思考をすることで体の疲れを紛らわしていたのかもしれない。・・・・ともかく、日頃の運動不足がたたって、その日のサイクリングは、大変きついものになっていた。 新緑の候、五月の光がまぶしいその日、実は、私はちょっとした写真の撮影旅行(もちろん、日帰りだが)を思い立ったのだ。 「五和方面へ行ってみよう。何か面白い被写体に出会えるかもしれない。・・・・そうだ、 天 気もいいし自転車で出かけてみよう。」 車だと、これはと思う場面に遭遇したとき、駐車の場所に気を使わなければならない。それでついついシャッターチャンスを逃してしまいがちである。たとえば、すれ違った行商のおばさんに、なんとなく「被写体性」を感じて「写してみようかな?」と思ったとしよう。車だと、そう思った瞬間にもどんどん先へ進行している。写すそうか、写すまいか、ちょっとでも迷った時はなおさら進む。さらに、駐車にちょっとでも気を使わなければならない時など、「えい、もういいや、撮らんどこう。」・・となってしまう。その点、同じ場面に遭遇した場合でも、その時もし自転車に乗っていたら、その後の話の筋書きが変わってくる。 「こんにちわ。天気の良かですね。」 「あー、こんにちわ。ほんなこつですなー。」 まずこんな挨拶から始まる。そして、 「リヤカーば、押して歩くとも大変でしょう。なんば売りよんなはっとですか。」 てな会話になって、写真に撮っていいかどうかという話に行き着く。こと写真撮影が目的の外出に限っては、徒歩、あるいは自転車を使った方が絶対よい。そんな考えが頭の中にあり、春の陽気にも誘われて、久しぶりに自転車でわが家を出発した私だった。しかし、日頃の運動不足がたたって、たびたび出くわす上り坂には、少々閉口している私でもあった。 「もう少し、あそこまで登れば、・・・・。」 フウフウ言いながら、茂木根の坂を登りきると、目の前の景色はたちまち一変する。今まで視界を妨げていた路面は、足元からスッと一直線に下方に消え、変わって目の前には佐伊津の真っ青な海と空が広がる。 「うん、いい写真が撮れそうだ。」 自転車で坂を下りながら、私は春の空気を汗のにじんだ頬で切る心地よさを満喫していた。これもまた、車で出掛けていたら決して味わうことのできなかった事だろう・・・・。 |
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