新四国南葛八十八ヶ所曼荼羅

善紹寺に保管されている、掛
中心に南無大師遍照金剛の文字、その下には大窪寺槇野恵旭、高野山案養院大原智乗を初め昭和三年三月の大供養会の主席者と思われる名前。

世話人
右上から四国の掛け軸の並びで一番から八十八番までの世話人の名前があります。
一番下には開創縁起
書はへんろ同行会会長、後の真言宗豊山派館長富田教純

新四国南葛八十八ヶ所霊場開創縁起
新四国南葛八十八ヶ所霊場の発願主恵心和尚は我高祖弘法大師に宿緑深厚の仁也
玆に其発願の由来を案ずるに大正八年仲秋、和尚偶々構内の樹木を手入れしたる際過って樹上より落ち其刹那小枝に激しく左眼を衝きたり為に苦痛甚しく直に家に入りて先ず四国霊場曼茶羅を拝し我平素大師を信仰し奉りし所以のものはかゝる変事なからしめんが為なり何ぞ図らん今日此の災禍に會す大師我を捨て給ふかと一心不乱に大師の宝号を唱名し薬水を以て眼を浸せり、夜に入りて痛み聊か薄らぎ覚えず眠に入れり、翌朝思ひらく昨夜の痛みの去りたるは一に薬水効にして決して大師の功徳にあらざるなりと其夜不意に再び痛みを生じ前日より層一層甚し依て是れ大師の冥罰なるべしと信じ只管前非を懺悔せり奇もなる哉翌朝頬に二つ腫物を生じ毒液を排出すること一日両三回月餘にして何等の痕越留めず恵心和尚この尊き体験に感激して報謝の涙止め難く遂に北相馬新四国霊場を巡拝し一大法悦を感じ自家の構内に一小堂を建立し、いろは大師と称し、大正八年十一月二十一日入佛供養を修行せり、今の元大師是れなり。大正十二年五月二十三日二十一ヶ所の霊場を建立すべしと御夢告を蒙り其八月十日成就し翌十三年八月再び二十四ヶ所霊場建立の正夢を感じ十一月五日完了し拾四年三月更に第三回の霊告を受け四十二ヶ所の霊場を七月五日完備す。玆に於て南葛五十一村に亘りて新四国八十八ヶ所の霊場は完成せられたり。大正十五年三月遠く四国の大師の古蹟を巡拝し其の御土砂を拝受して南葛新四国霊場に散布せり。是より先四国巡拝中第八十八番大窪寺僧正は南葛新四国霊場の本尊彫刻材として同山内の老霊木を授けられたれば此材を以て百餘の霊像を彫し昭和三年三月五日大窪寺僧正高野山安養院僧正を始め各流の諸徳を請じ其大供養会を修したり、和尚一農夫の身を以て一朝の因縁に依り宿善開発し此の新四国霊場を完成也るは、大師の冥護の然らしむる所なるべしと雖も亦各霊場所屬の善男善女の信心堅固和協一致の法界なり。依て以上の大綱を録し以て新四国南葛霊場曼茶羅となし主尊に高祖大師の宝号を安じ脇侍に信心施主の実相名字を列ね往昔佛在世の十六羅漢並びに五百羅漢の因縁に擬わせんとす。不肖教純會て父母の菩提の為に四国霊蹟を巡拝す偶々恵心和尚と邂逅し同行となりし、故後相会すること十余度此の勝因に依りて特に此の曼茶羅を作らんことを嘱せらる悪筆不文固よりも器にあらずと雖も喜んで此浄業を賛せり。
仰ぎ願くは高祖弘法大師、宗祖興教大師三国傳灯の諸大阿聞梨耶並びに護法の諸天善神総しては一切の三寶此の大功徳を照鑑して世界平和萬民豊楽、佛日増輝、常転法輪、家内安全、二世安穏の加護を垂れ給ひと言成り。

昭和四年一月二十一日

             新義眞言宗豊山派
             宝仙寺第五十世住職

             一等可教中僧正 富 田 教 純 日