未来からのメッセージ

 「……今日は勉強、明日はテスト。ついでに言うなら金もない。人生色々楽しいなっと。」
 ………。
 「ちっとも楽しくなんかねえやバカヤロー!! だいたい、なんで大学生になってまで、シコシコテスト勉強なんぞをせにゃあならんのだ!! ええいっ! まったく腹の立つ!!!」
 ………止めよ、いくら叫き散らしても虚しいや。
 俺はもう少しで砕け散ったであろう、力一杯握られていたシャーペンを机の上に転がした。ちなみに、左手は先ほど机を思いっきり叩いた所為でやや痛い。
 にしてもだ。いい加減、自分の『進路』と言うものを、マジで考えねばならん時期が来ているような気がするのは、やはりそのものズバリ、気のせいなのだろうか?
 確かに今、俺は大学3年だったりするわけで、ぼちぼち俺のねぐらにも、企業からのお誘いのDMが送られてくる。
 俺は正直迷っていた。
 これといって取り柄のない自分が、これから先どうやって食い扶持を稼いでいくのかを……
 このまま大学の電気科で勉強し続けたとして、俺は将来何をやるんだ? 何が出来るようになるんだ??
 うむむむむ……
 このところ、自分の将来に対する不安か、はたまたテスト勉強から逃れたいが為の単なる現実逃避か、こんな調子でいっつも背景に雨雲を背負っている気がする。
 このままではいけないとは思う。しかし現時点では、この状況を打開するためのナイスでグーな方法は、何も思いつかなかった。
 という事でだ。
 こーんなモヤモヤした気分はさっさと吹き飛ばそう! と、俺は休憩をとろうなどという、実に非生産的な事を考えた。
 とことん自分に甘いヤツである。だがしかし、人間なんて所詮そんなモンだ。
 「さてと……」
 しかもだ、俺は何をトチ狂うたのか、明日テストが控えているというのに、到底人様の面前では広げられないような、『ないすばでぃー』なおねーちゃん達がいっぱい載った、豪華週刊写真集なんぞを取り出してしまったではないか!
 やはり所詮は俺も男。フッ……背中に哀愁が漂ってるぜ。
 ……まぁいいや、とにかくお気に入りの女のコが載っているページをパラパラめくってだな……

 [うどわあああああああああああああああんっ!!!!!]

 「なんじゃあ!?!?」
 なんと、俺の後ろの方から閃光が走ったかと思えば、目の前が煙で一杯になったじゃないか!
 俺は反射的に後ろを振り向いた。
 案の定、そこには爆発かなんかの余波であろうか、焦げたカーペットからフローリングが顔を覗かせ、未だ煙に包まれていた爆発地点には、人間らしきものが立っているのが確認できた。
 「なんだこりゃあ……」
 俺の脳味噌は完全にハングアップしていた。Macなら爆弾が出ていたとこだろう。そういえば、部屋が爆発して爆弾が出たんだから、都合がいいなぁ……
 「えへへ……驚かしてごめんね。」
 唐突にそんな声がした。
 目を凝らすと、煙の中からなにやらニヤけた顔をしたコスプレ女が出てきた。
 「きさまあ! いったい何処から湧いて出た!?」
 俺はハングしたままで動いてない脳味噌に気合いを入れつつ、なんとか状況の把握に努めようと試みた。
 「まぁまぁ、あんまり気にしないでよ。」
 などと女は手をパタパタ振っているが、
 「これが気にせずにいられるかあああ!!」
 それが当たり前だと思う。
 だいたい、こいつは何者なんだ?
 やはり、こんな三流アニメのような登場の仕方と言えば……
 「そうか、解ったぞ!! お前は宇宙人で、俺の頭かなんかに金属の玉ころぶち込む気だろう!! やめとけ! これ以上バカになったら困るだろうが!!」
 我ながら、クリティカルな洞察だな。決まった!
 ……しかし己のバカさ加減を、若干さらけ出したような気もするが……?
 「宇宙人っていうのは、あってるよ。」
 女は妙にニコニコしながら、そう答えた。
 それに、女はゆっくりと、しかも着実に俺の方に向かって歩いてくるじゃないか。
 ……金属の玉は違った……!! ならば、考えられる可能性はもう一つ!
 「おらああああ!! 近寄るなあ! 貴様さてはキャトルミューティレーションだなあ! 俺の内臓なんて抜いても面白くないぞ!! 血なんか一滴もやらんぞ!」
 これでどうだ……!?
 俺は自信に満ちた笑みを、その女宇宙人に向ける。
 「何? そのキャトル何とかって?」
 なんとぉ!?
 これはショックだ!! 宇宙人のクセに、なぜキャトルミューティレーションを知らんのだ!? さてはこいつ、自分が宇宙人という自覚がないなぁ! このままではいけない!
 「落ち着け、落ち着くんだ!! お前は今、自分が何をしているのか分かってないだろう!!」
 俺は女を指さしながらそう叫んだ。
 「………落ち着かなきゃいけないのは、貴方の方でしょ?」
 何だか呆れたような顔をして、その女はボソッと言った。
 「え?……その通りだああああああっっっ!!!!」
 負けた。俺は負けた。目の前にいるワケの分からん女に負けた。
 「あのね、私、貴方の子供を作りにきたの。」
 もう終わりだ。俺はもうすぐ殺されるんだ………。
 ほら、映画やアニメでよくあるだろう。
 こんなワケの分からんヤツが出てきたら、きっとロクでもない事しか起こらず、終いには悲惨な最期を遂げるという『お約束』が……
 「あのー、私の話、聞いてる?」
 絶望に暮れる俺をよそに、女は呑気にそんなことを言っている。
 「やかましいなぁ。俺は今悲劇に浸っとるんだ!!」
 まったく、セオリーというものを理解してないヤツは困る。
 「はぁ……」
 あきれ果てたような、または疲れたような顔をしている女はどうでもイイとして、俺は今、悲劇のヒーローだったはずだ!
 「うおおおおおおおっ!!」
 「なになに!?」
 「我が人生に悔いなーーーーし!! 日の丸ばんざーーーーい!!」
 うぅっ……
 もう、何も言い残すことはない……!!
 今俺の心には、日本海の荒波をバックに、帝国海軍旗(日章旗)を風にはためかせつつ自沈してゆく戦艦が描かれていた。
 「あのさぁ、子供を作って欲しいんだけど……」
 ところが、今まさに男の花道を突っ走る俺の肩を、事もあろうに例の女がツンツンしている。
 「うわっ! 触るな!! 変なバイ菌移ったら困るだろーが!!」
 「ひっどーい!! これでも私は綺麗好きなんだからね!」
 ……あ、怒った。しかし、ここで負けては地球人の誇りと尊厳が……!!
 「やかましい!! お前のような悪の宇宙人には、触っただけで手が溶けちまう様な凶悪なバイ菌が付いてるに決まっとる!! この前映画で見たぞ!!」
 そう、確かその映画のバイ菌とは、触った途端まるでアルカリが如く人間を骨だけにしてしまうような、超過激なシロモノだった。
 「悪なんかじゃないもん!! ただ、私は貴方の子供が欲しいの!」
 「子供だぁ……?」
 女は手を腰に当てて、怒った顔でこちらを睨んでいる。
 こしゃくな……。住居不法侵入+俺に逆らうという重罪を犯した分際で!
 「そーか、もう解ったぞ。もう何も言うなよ。お前は俺をUFOだかなんかに連れていってだな、そこで俺の血と他の宇宙人の血を入れ替えて、そして股間に斑点のあるおかちめんこな女宇宙人と(ぴーーー)させる気だろー! この前、矢追純○のTVでやってたぞー!! お前だって宇宙人なら、矢追○一くらい知ってるだろーが!!」
 「はぁ……? あのね、UFOなんか無いの。ここでね、私と子供を作るの。」
 女の顔が、再び呆れ顔に戻った。
 それにしても、コロコロとよく表情の変わるヤツだ。
 ところで、よくよく思い出してみれば、さっきからこいつ、子供を作るなんて言ってるが……
 「子供を作るって……なんで俺がそんな事しなきゃならんのだ?」
 「説明、聞いてくれるかな……?」
 「ふっ……苦しゅうない、申せ。」
 俺は落ち着きを取り戻すために、少々の間くらい女の話でも聞いてやろうと考えた。それにこの場合、話を聞いてやらんと先に進まない。
 女はニコッと微笑むと、手振り身振りを交えて30分以上しゃべり続けた。
 それにしてもまぁ、ホントよく喋るヤツだ。何処で日本語覚えてきやがったんだ?
 「……というわけなの。解ってくれた?」
 「ああ、だいたいな。」
 女の話を総合するとこうだ。
 彼女の惑星では、ある種の病原菌が流行り、全ての生物がDNAに変調を来した。そこで彼女の惑星の人類は、自分たちに似た格好をした我々地球人類との混血を作り、DNAのそれ以上の劣化を阻止する計画を作成したのだ。
 という事は……
 「やっぱり、キョーアクなバイ菌持ってるんじゃねえか!!」
 まったく、DNAがおかしくなるようなワケの分からんバイ菌なんぞに感染したら、俺のバラ色の人生(?)が失せ飛んでしまうじゃないか。
 俺は、女が再び妙な言い訳を唸り返してくるだろうと見越して身構えていた。しかし、なぜか彼女(なぜ呼び方が変わるんだ?)は寂しそうな表情をしながら、
 「大丈夫。私はバイオ・ヒューマノイド体だから、バイ菌は付いてないよ……」
 と答えた。
 「何だそりゃ? 貴様人間じゃないのか?」
 「生物的には人間かも知れないね……。私はDNAシンセサイザーで合成された人造遺伝子から、無菌培養されて生まれたの。だから、まだ生まれてから5年も経ってないわ。」
 なんと、宇宙にはDNAすらも作り替えてしまうほど凄い音を出すシンセサイザーがあるのか……
 果たして、GSやXGで再現できるんだろうか? 一応、その辺を聞いてみよう。
 「何だ、そのDNAシンセサイザーって?」
 「ほら、アナログ電子楽器は色々な発信回路や積分器なんかで音の波形を作るでしょ? それと同じ風にして、アデニン、シトシン、グアニン、チミンをつないでいく機械なのよ。この時代にもあるわよ……あ! ちなみにシンセサイザーって言っても、音を聞かせてDNAを作るワケじゃないからね。」
 う……試験管に音を当てるんだと、一瞬でも考えてしまった自分が憎い……。
 「宇宙には、とんでもないモンがあるんだな……」
 俺は、照れ隠しに明後日の方を向いて黄昏ていた。
 「あのー……」
 女は呆れ顔のまま、しばし立ちつくしていた。
 まぁ、ここで呆けていても仕方ない。いろいろと話を聞いてみよう。
 そういえば、女は自分はバイオなんとかだと言っていた。どっかのSF映画では、大抵その様な生き物は特殊能力を持っている。しかし、目の前に立ってるこいつは、そういったモンがあるのだろうか?
 「あのさぁ……そのバイオなんとかつーのは、なんか妙な力でも持ってるんか?」
 俺は半分期待混じりに聞いてみた。一度で良いから、そういったたぐいのモノを見てみたいからだ。
 「へ? そんなの無いよ。私は基本的にあなた達人間と同じだモン。だから子供だって産めるの。……違いは、私には赤ちゃんの時代がなかっただけ。」
 女の返事を聞いて、少々がっかりしてしまった。
 何だ、普通の人間と同じか。……て、ちょっと待てよ? 
 子供も産めるって言ってたよな。
 という事は、それは『人間』を意味しているんじゃないのか?
 別に、いちいち俺の遺伝子を使う必要が無い気がするが……
 「ふーん……あのさぁ、あんたの星の人間は、あんたみたいなの造りきるクセに、どうして自分らのDNAを作り替えたりしないんだ?」
 俺は率直に、頭に浮かんだ疑問をぶつけてみた。
 「え…それは……あのさ、やっぱり自分たちの遺伝子を作り替えるって言うのは抵抗があるんじゃないかしら……私はこの計画のためだけに造られたから、よく分からないし……」
 女はしどろもどろに答えている。
 遺伝子を作り替えるねぇ……
 なんかある一線を踏み越えてんじゃねえのか、こいつの星の連中は……
 はっきり言って、俺はまじでムカついてきた。
 「だから、俺の遺伝子が欲しいってか?」
 「そう。私はここで、貴方の子を授かることが役目なの。」
 役目はよく分かった。
 しかし、今までの話を総合してみると、どうも腑に落ちない部分がありすぎだ。
 どうやら、何か裏がありそうだ。俺は自然にそう思えてきてならなかった。
 「……あんたは役目が終わったらどうなるんだ? 産まれてきた子供は?」
 「え……あの、そういう事は教わってないし……。」
 女はまるで、考えもしなかったような事を聞かれたかように、きょとんとしている。
 何か、とっても無責任なものを感じる。
 「ふーん、そんなテキトーな事に関わってられっかよ! 俺は知らねーぞ!」
 「そんなこと言われても……」
 「やなこったい!! 帰ったらなぁ、お前を造った奴らに言ってやれ! 命を弄んだ分際で、今更他人の遺伝子なんぞは欲しがるなって!!」
 「命って……?」
 「お前のことだ!!」
 女は、あからさまに動揺している。そりゃそうだろう。こいつの仕事は俺の遺伝子を持って帰ることだからだ。
 しかし、俺はそんな無駄な事に協力する気はない。彼女を造れるような技術を持った連中に、今更俺の遺伝子なんか要らないからだ。
 きっぱり言い放った俺の隣で、呆然と立ちつくした女は目に涙を溜めている。
 「困るよぉ、私帰れない……」
 あ、しまった!!
 女の子を泣かせてしまったじゃないか……
 これは俺の主義に反することだ。
 ……しかし、世の中どうしても譲れないモノはあるってもんだ。
 仕方ない、ここは屁理屈こねてでも追い出すしかないな。
 そういえば、思い出したが明日はテスト!! もう寝なきゃならん。
 「あのなぁ、ねーちゃん。子供を作るってのは、どーいう事をするか知ってるのか?」
 「知ってるよ、勉強したもん!」
 女は腫れぼったい目をグシグシ擦りながら、突っかかるように答えた。
 「……何だよ、その勉強ってのは……」
 「この計画の前に、ちゃんと医学書読んで全部覚えた。」
 ちょっと待て。何だその医学書ってのは……?
 「お前……した事あるのか?」
 「……なにを?」
 こいつ、本当に何も解ってないんじゃないか?
 「そーいうことだ!!」
 「あ……まだ経験ない……でも、子供は産めるもん。帰ってからちゃんと勉強するから……」
 「ふざけるな! 何が勉強するだ!! お前は、なんで人が子供を作るような事するのか分かってないだろう!! 俺はなぁ、好きでも何でもないヤツの子供なんか、絶対にいらないんだよ!! 他のヤツの所でも行ってくれ!」
 俺は窓の方を指さし、ついつい唸り付けてしまった。
 別に、この女に対して頭に来てるわけではない。こいつは懸命に、与えられた仕事をこなそうとしているだけだ。
 ただ、俺はこんな子にそんな仕事をさせた奴らに対して憤りを感じていた。
 別に俺は生命の尊さがどうのと言うつもりはない。しかし、こいつの星の連中は、ただ闇雲に命を弄んでいるようにしか思えなかったのだ。
 「そんな言い方……しなくても良いじゃない!」
 女は具体的に泣き出してしまった。
 くっそー!! 俺だって泣きたいぞ!
 勝手に押し掛けてきて泣きだしやがって……勉強が出来ないじゃないか……!
 ……しかし、元々勉強する気なんてなかったな、俺……
 「悪かったよ。俺が言い過ぎた。何もお前が悪いんじゃないからな。そうそう、お前にこんな事させた奴らが悪いんだ、そうに決まってる。」
 女は目も擦らずに、上目使いで俺を見る。
 「みんないい人だよ。……私は自分で選んだの。私がみんなのために出来るのは、こんな事くらいだったから。……ね、だから抱いて、私のこと……それが私の仕事だから。……私は、それが自分の存在理由だと思うから……」
 真剣な目で訴えられ、俺は戸惑っていた。
 女の目は、真剣だ。彼女の一途な気持ちは、本当によく分かる。
 存在理由、か……
 俺が社会に出て出来る事、社会に出てやりたい事、社会に対してやらなきゃいけない事……即ち存在理由。
 俺が近頃ずっと考えていた事、求めていたものは、まさにこのことだったわけか……。
 彼女は俺よりも前に、自分の存在理由を見つけたという事だ。
 俺は、こいつにものを言える立場では無い気がするなぁ……
 「存在理由、か……。確かに、お前の言い分はよく分かったよ。」
 「じゃあ……?」
 女の顔が、急に明るくなった。もしかして、今までの涙はウソ泣きか……??
 「それとこれとは関係ない!!」
 「えー!!! やだー!!」
 急に駄々っ子のようになってしまった……こいつ、面白い奴だなぁ……
 「やだじゃない!! あのなぁ、お前にとっての自分自身の存在理由と俺の存在理由は確かにある。しかしな、俺にとってのお前さんの存在理由ってのが無いんじゃないか?」
 「え?……そうかも……」
 「だからよ、ねーちゃん。10日間、俺につき合え。この部屋で、10日間ずっと俺の奴隷にでもなったらな、好きなだけ俺の遺伝子持っていけ。後は好きにしろ。……さ、どうすんだ? 俺にとってのお前の存在理由はつくってやったぞ?」
 自分で言うのも何だが、結構めちゃくちゃな理論展開だ。それに10日間奴隷ってのも、よくよく考えてみりゃあ、結構地獄だよな。
 ま、到底受け入れるはずは……
 「……10日間、よろしくお願いします。」
 女は頭をぺこっと下げた。
 ……なんと!! いや、実際照れるな、こんな事されると……
 なんて感じてる場合では無い気がするのはそのものズバリ……止めよう。
 いいのか? 奴隷だぞ? やっぱり、ちょっと虐めすぎたかと自責の念まで出てきたりする。俺ってとことん気の弱いヤツだ。
 しかし、言ってしまった以上、10日間奴隷にするしかないようだ……
 ホントにいいんだろうか……?
 うーん、まぁ、いいか! じゃあ早速、ご主人様としての命令を……
 「んじゃあよ、そのわけの分からんマニアックな服脱げや。」
 「え?……いきなり??」
 女はポッと顔を赤らめ、顔の前で両手をイジイジしている。
 「ちがーーーーう!! うっとーしんだよ、その服! なんか安っぽいアニメのコスプレみたいで! 俺はそういうの嫌いだ!!」
 「なによ……机の上に置いてるエッチな本、何なの?」
 女はジト目で、机の上に鎮座している豪華写真集を指さした。
 「あ、う、こ、これはだな、日々女体の神秘を、いや、違う、己の精神修業にだな!……って、そんな事はどーでもいい!! 早く脱げ!」
 「ホントに脱ぐの?……替えの服なんてないし……」
 女は困った顔で、あたりを見渡している。
 「そこらに俺のが転がってるから、それでも着とけ。」
 「えー、これ着るのー?」
 んな、ゴミを見るかの様な視線を投げかけるんじゃねえよ。
 「……そうか、テメエは未だ自分の身分を理解してないようだな……」
 俺は、いかにも『殺しちゃうよ?』みたいな感じのする視線を女に向けてやった。
 「解りましたあ!! 着ます、着させて貰いますう!!」
 奴隷は奴隷、さすが主人には逆らえんな。
 「フッ……この俺様の服を着られることを名誉と心得るがよい!」
 ……クセになりそうな自分が、コワイ。
 「はいはい……にしても、いつまでも私のこと『お前ー』だの、『テメー』だの呼ばないで欲しいな。」
 女は呆れたような返事をして、なにやらご主人様に注文を付けている。
 「ほーお、宇宙人のクセに、いっちょ前に名前があるのか。」
 俺は生意気な奴隷に、ワザと意地悪っぽく言ってやった。
 「あるわよ! 私の正式名称はTheta−00526VH。シータって呼んでくれれば嬉しいな。」
 「なんか、どこかの飛行石持ってた女のコみたいな名前だなぁ……。俺の名前はタカユキだ。タカちゃんと呼んでくれ。」
 「フフフッ……自分で言ってて恥ずかしくない?」
 「何をほざく奴隷が! おとなしく呼べば良いんだ!」
 「私のことも、シータって呼んでよね!!」
 「なんかヤダなぁ……パズーと重なるぜ……」
 「はぁ? よく分かんないなぁ……」
 そりゃそうだろうな。今度、ラピュタでも一緒に見よう。
 「まあいいや。……シータ、早く部屋を片付けてくれ。お前が吹っ飛んできたんで部屋がメチャクチャだ。」
 そう、この俺のビューティフルな部屋には、一面チリや灰がぶちまけられている。
 「はいはい、元々汚れてたのにね。」
 「やかましい! さっさと掃除せい! 俺は布団を持ってくる!」
 俺はシータ用の布団を持ってくるため、隣の部屋の押入に向かった。
 布団かぁ……めんどくせーな、確かこの押入のいちばーん奥にお客人用のがしまい込んであるはずだ。いくら奴隷だからって、こんな寒い時期(今は2月だよ)に布団無しで寝かせるほど俺は鬼じゃない。
 俺は10分も掛かって押入から布団を掘り出した。これだから一人暮らしはいかん。かーちゃんが居ればさっさと出してくれるのに……。
 ……うぅ!!
 一瞬、俺の脳裏にかーちゃんの顔が映し出された。
 そのとたん、背筋に冷たいモノが走る。
 俺は、なんて短絡的なことを考えてしまったのだろうか……!
 もしもこんな状態で、かーちゃんがいたらどうなるか。
 そんなの、考えたくも無いことだが、
 『タカユキぃぃぃっっっ!! あんたいつの間に女のコ連れ込んだのぉぉぉっ!! 男だったらちゃんと産ませるのよぉぉぉっっっ!!』
 ……なんていう、かーちゃんの雄叫びが聞こえてくるようだ。
 なんせヤツめ、俺が中学生の時に部活の後輩を連れて来ただけで、そのコの目の前でさっきのセリフをまくし立てたんだからな。
 それ以来、俺の家に行くと子供を作らせられるという、親公認の恐ろしい噂が立って二度と女は来なくなった。若干、ベクトルの違う男は来たが……
 ちくしょー! クソババアめ! 俺の青春をどーしてくれるんだ!!
 このまま女運が無くては、男に生まれてきた意味が無いー! いい加減写真は飽きたよぉぉ! 生身がいいー!!
 「ハァ、ハァ、ハァ……」
 いかんいかん、俺は布団を抱えたままなにやら妙な思考をしていたようだ。大体、あそこにいるワケの分からん女はもっとヤだぞ。
 据え膳喰わぬは男の恥と言うが、妙な据え膳は食わない権利だって持ってるはずだ。
 そんなことを考えつつ、カーペットの焦げ跡が眩しい俺の部屋に戻ってみると、シータはもそもそゴミを拾っていた。
 「おらおら、布団敷くから手伝え。お客さん用の高級羽布団で寝かせてやるんだ、ありがたく思えよ。」
 俺がそう言うと、
 「わー、羽布団!! すごーい、これ高いんでしょう!?」
 シータは慌てて寄ってきて、俺が持ったままの布団をツンツンしている。
 「フッフッフ、驚くなよ! バーゲンで5,800円もしたのだ!!」
 「へーぇ、お金の価値がよく分かんないけど、高いんだろうね。私の時代なんか水鳥は居ないからなぁ……」
 「あ? 時代だぁ?」
 「あ、違う違う、星よ星。まだよく言葉覚えて無くて……ごめんね。」
 シータは手をパタパタ振りながら、照れ笑いをしている。
 いちいちリアクションの面白いヤツである。
 「まぁそんな事はどうでもイイや。という事で、今何時だろ?」
 俺はふと時計を見た。……げぇ! もう1時過ぎてるじゃないか!
 「寝不足になっちまうよ! 明日テストがあるんだ! 俺はもう寝るぞ!」
 そう言って、俺は自分の布団をさっさと敷いた。
 そしてふと隣を見ると、
 「じゃあ、私も寝ようっと。」
 シータは布団に入ろうとしている。しかし……
 「あのなぁ、おのれはいい加減にその変な服脱がんか!」
 「はいはい、解りましたよ。」
 いちいち突っかかる返事するヤツだ。
 それにしてもだな……いやホントにマニアックだ、シータの格好。
 関節には全部プロテクターみたいなの付けて、おまけに肩パットにマント。頭には妙な形の飾り付けて、腰にはワケの分からん機械いっぱい下げてるしなぁ……
 「まるで、ガキ向けのSFアニメかどこぞの魔法少女みてーだな。そのくせ妙に躰のライン出しやがって……その服作った奴らはそーとーのマニアだろ?」
 俺は率直にそう感じた。こいつの星の奴らって、何考えてるんだろ?
 シータと言えば、その服を見ながらブツブツ文句言っている。
 「結構便利な服なんだから……それにマニアじゃないもん。……にしても、貴方その露骨な言い方どうにかならないの?」
 俺の言い方が露骨だと?
 「なんだぁ!? お前は俺の生き様を否定するってのか?」
 「生き様ねぇ……」
 シータは何かケーベツしたような目で俺を見ている……
 「れっきとした生き様だ!! もう寝るぞ!」
 「はいはい。それじゃ、お休み。」
 全く、最後まで突っかかる言い方する奴だ。
 まぁいいや。
 よーやく眠れる。睡眠こそ我が命の糧。
 寝る子は育つんだ。実に良い事じゃないか。
 シータの野郎……いや、女だっけ。ヤツもようやくワケの分からん飾り外したみたいだしなぁ……うーむ、結構胸が良い形しとるな。……ち、あほらし。さっさと寝よう。
 そして、俺はいつもの通り、心地よい夢の世界へと落ちていった。

 ・・・・・
 ・・・・
 ・・・
 ・・
 ・

 『私はバイオ・ヒューマノイド体だから……』
 『私の星では、DNAが……』
 『ここって、ホントに良い時代ね……』
 『それが、私の存在理由だもん……』
 『勉強するから……』

 俺の目の前では、シータが何か訴えていた。
 その顔は悲しそうで、しかし、使命感に溢れていた。
 俺は何が彼女をここまで突き動かすのか、解りかねていた。
 彼女の言葉には、何らかの重要なメッセージが含まれているのかも知れない。
 しかし今の俺には、それがなんであるのかも解らなかった……

 [ピロピロピロピロ……]
 「んー、朝か……」
 俺は目覚ましを止めた。今日もいい天気だ。実に美しい。
 なんか妙な夢でも見てたらしく、少々寝覚めが悪いのが、やや勿体ないところだ。
 「さてと……」
 俺は横を見た。
 昨日の夜、俺が豪華写真集を見てると後ろで何か爆発したような感じがして、振り向いたらヤツが居た。なんかのドラマのタイトルみたいだな。
 横に寝っ転がってるヤツはシータだ。良くは分からんが、こいつの星では俺の遺伝子を欲しがっているらしい。
 俺は俺の遺伝子をシータにやる代わりに、ある条件を出した。10日間、一緒にいてくれと。
 なんでそんな約束したんだっけ……。さっさとする事して、外におっぽり出せば良かったんじゃないのか……?
 違う……な。
 俺は、何か寂しかったんだ。だから、学校から帰ってきたら迎えてくれるヤツが欲しかったんだ。
 そういえば、俺はこいつ自身のことはよく知らない。
 俺は無意識に、シータの身に付けていたいろんなガラクタ(にしか見えない物)を手に取った。
 その、彼女が躰に羽織っていたマントだかローブだかの後ろには、なにやら製品番号と品質保証の札が付いていた。なんか妙に親近感が湧く雰囲気だ。
 その札には、『R.A. ACTIVE SHIELD SYSTEM』という文字と、いつもの放射能危ないよのマークが書いてあったりする。
 という事は、R.A.とはRADIO ACTIVIT、放射能と言うワケか。俺の英語力も大したモンだな。照れるぜ。
 その他のマニアックなオプジェも色々いじくってみたが、あんまりシータの事が解るようなのは無かった。
 ……それにしても、だ……。
 こいつ奴隷のクセに、いつまで経ってもすぴょすぴょ寝てやがって!!
 「おきんかぁい!!」
 [ぼこっ!]
 俺はシータのケツぺたをけっ飛ばした。
 「きゃうんっ!」
 シータは妙に抜けた悲鳴を上げた。
 「おらー、おきろー!! 俺は奴隷と違って忙しいんだ!!」
 「あー?! あ、おはよ。」
 シータは幸せそうな顔をしながら、大あくびをこいている。
 ……こうしてみると、結構可愛い奴かも……
 いや、奴隷の主人がそんな事でどうする! 世の中、役割分担とそれに対する責任が大切なんだ。よし、主人としての命令を……
 「メシはどーした? 奴隷が作るモンだろうが!」
 「めしぃ? あ、そうか、ここは機械が作ってくれないんだ。……で、どうやって作るの?」
 可愛くクビなんて傾げやがってぇ……!!
 「ああああああああっ! もういい! 俺が作る!!」
 やはり押し掛け奴隷に作らせようなんて、甘いこと考えた俺がバカだった。
 もう、主人として失格だ。
 あーあ、そういえばこいつのエサ代の面倒まで見なきゃなんないのか……。あんまり金がないのに……
 仕方なく、俺はいつもの通りに朝飯を作った。
 2人前……ああ、俺の2日分の貴重なご飯……

 「いっただーきまぁーすっ!……がつがつ。」
 「おお、食え食え……ってなぁ……」
 シータは「いただきます」と言いおわらんが内に飯を食い始めた。
 いや……食うと言うより、口に押し込んでいるという方が、正しい表現だが……
 うーん……なんてすげえ食い方……そこまで腹が減ってたんかおのれは……?
 「あのなぁ、もう少しゆっくり食えよ。そんなに急いでるワケじゃねえからよぉ……」
 俺が呆気にとられながらにそう言うと、シータは牛乳で口の中のモノを強制的に流し込み、
 「だって、おいしいんだもん! やっぱり食べ物が違うわー!! この時代の食べ物ってば、ホントなんていうか、その生きてたーっていうか、食べてるーって実感出来るというか!」
 などと言ったそばから、メシを押し込み始める。
 「だぁほ! 作った俺の腕がいいんだ! あとな、いい加減『時代』と『星』の区別付けろよな。」
 「え?……あ、また間違ったの? ごめんね、ご飯がおいしくて……。それと、まだおかわりある!?」
 などと言いながら、お茶碗を俺に向かって突き出している。……奴隷か、これが……?
 それに、そこまでこんな飯が旨いのかねぇ?……こいつの住んでる星ってのは、そんなにロクでもないメシしかないのか?
 「……俺の食え。」
 俺はまだ箸を付けていなかった俺の茶碗をひっくり返し、シータの持っている茶碗の中にメシを入れた。
 「そんなぁ……」
 何か気まずそうな顔をしながら、シータは茶碗の中身をじっと見ている。
 「いいよ、俺は朝飯抜いても平気な体質だから。普段もあんまり食わねえし。」
 「あそう? じゃあ、いただくね。ありがとう! がつがつ!」
 シータの表情は、ぱっと明るくなった。そして、俺の飯までさっきと同じペースで食っている。
 ……この変わり身の速さには、いつもながら驚かされる。
 少しは遠慮しろよな。勧めておいて思うのも何だが……。
 はぁ……学校行く途中にパンでも買って食わねば……。
 俺は朝飯抜けないんだよ、ホントは……。
 でも、あそこまで旨そうに食ってるヤツに、それ以上食うなっていうのもなんだし……
 なぜ俺はウソをついてまで、シータに飯を食わせているのか……?
 良くは分からん。しかし、これだけは言える。
 二人で食べる朝飯は、とても旨かった。(ちょっとしか食ってないけどね……)

 それから俺は、学校に行った。もちろん途中でパンを買って行ったことは言うまでもない。そして帰る途中、俺は学校近くのデパートに寄っていた。
 ちなみにテストの結果は……聞かんでくれたまえ。人として。

 「お客様……あの、どういったご用件で……?」
 女子店員が、なにやら神妙な面もちで声を掛けてきた。
 「あのな……ここに居て、俺がキャベツでも買いに来たとでも思うんか?」
 「いえ、その様なことは……しかしですね、ちょっと男性のお客様がじっと御覧になるというのも、私どもの方でも困っちゃたりするんですけど……」
 ワケの分からん敬語は話すな。
 「とにかくな、大きさがよく分からないんだよ。」
 「はぁ……そうでしょうね……」
 店員は、何だか呆れたような顔をしている。
 なんで女のパンツって、こんな小さいんだあ!?
 そーだよ、俺はずぅっとパンツを見てるんだよ!!
 シータのパンツを買いにきたんだ!
 何が悪い!!
 奴隷の世話は、主人がして当たり前だろうが!!
 みんなぁ、俺をそんな視線で見ないでくれーーーーっ!
 「ハァ、ハァ、ハァ……」
 「あの、お客様、溜まってらしているなら、東口にその様なお店が……」
 「やかましい! 俺はパンツを買いに来たって言ってるんだろうが!!」
 「しかし、これは男性用ではありませんが……」
 「わかっとる!! 女物を買いにきてんだよ!!」
 「はぁ……あの、ご使用目的は?」
 「てめぇ、まさか俺が頭から被るとでも言って貰いたいとか??」
 「いえ! 滅相もございません! ただ、女性用の下着をお召しになる殿方というのも、若干いらっしゃいますので……」
 「だああああっ! 女が履くの!! そうに決まってるんだろうがっ!!」
 「あ、そうですよね! そうです!! 彼女にですか!?」
 女子店員は、手をパンなどと叩きながら、思いっきり作り笑いをしている。
 止めろ……今更フォローを入れてももう遅い。
 「まぁ、彼女みたいなモンだ……しかしねぇ、サイズがどうもわからん……」
 そりゃそうだ。会って1日も経ってないのに判る方がおかしいんだ。やはり、今日買いに来たのは失敗だったかな?
 そんなことを考えてると、店員がフォローを入れてくれた。
 「そうですねー、彼女の見た感じを仰って下さい。」
 見た感じか……そんなんで判るんだろうか……??
 「そうだなぁ……ねーちゃんのケツよりも、若干小ぶりだったような……」
 「ハァ……」
 店員の顔が、少々引きつった。
 俺は、正直に言ったまでだぞ?
 「胸はな、それよりも、もう少し上を向いてたっつーか。ま、大きさはもう少しあったかな?」
 俺は店員の胸を指しながら説明を続けた。
 「アハハハハ……そうですねー、だいぶ具体的ですねー!!」
 なんかとっても怖いような気がする。俺は何かしら怒らす様な事でも言ったか?
 「後は、腰のラインはもう少し引き締まって様な気がするんだが……」
 「……どうせ私はペチャパイで寸胴ですよぉ……いいもん、顔は可愛いんだから……」
 「自分で言ってて恥ずかしくないか?」
 「これ以上虐めないでぇぇぇっっっ!!」
 店員はしくしく泣き始めてしまった。
 災難だ……
 なんで下着売場で女に泣かれなきゃいけないんだ……
 俺の主義って、一体何処に行ったの……?
 「……あのなー、ねーちゃん、俺は急いでるんだよ。」
 あたりからの視線がチリチリ痛い中、俺はどうにかこの場を振り払おうと話を先に進めた。
 「しくしく。いいもん、人生にはいろんな試練があるんだから。」
 「おいおい……」
 「ということで、ブラはBカップ、パンティーはウエスト55センチのでも探して下さい!」
 店員は急にニコニコ営業スマイルに戻った。
 この変わり身に速さ……女って、化けもんだ。
 それにしてもだ。モノの大きさは解ったが、女ってどんな下着が好きだかよく解らない。
 ここはこの店員に聞くのが良いだろう。
 「なんか適当なの選んでくれない?」
 俺は店員に尋ねた。
 「はぁ……その彼女って、どんな感じですか?」
 「そうだねぇ、年の頃は17から18、一見バカっぽい。髪の毛は長めのショートカットで、ちょっとウェーブが掛かってる。」
 「……じゃあ、若者向きと言うことで、この辺がお薦めですよ。」
 店員が俺に示した下着は、快活な女のコが似合うであろう、うっすらとピンク色をした、うるさい柄のないシンプルなものであった。
 「うーん、結構いい感じ。じゃあこれと、似たようなモンあと1組。」
 「ハーイ、かしこまりました。」
 店員はお揃いのブラとパンツを棚から2組外し、レジに持って行った。
 ……下着買うのに、こんなに苦労するなんて……
 それから服や靴を買うのに、似たような手間が掛かった事は、言うまでもないだろう……。
 はぁ。

 色々買ってふと空を見上げてみれば、もうすでに夕闇である。
 あたりは日が落ちたせいで、風が冷たくなっている。
 気づけば時間は4:30。財布には、服やらを買ったおかげでゼニがほとんど入っていない。しかも銀行口座のもさっき全部下ろした。
 まずい……これは、実家に電話しなくては。食費が全く無いじゃないか。
 俺は急いで電話ボックスに駆け込んだ。そして、家に電話する。
 [プルルルルル……プルルルルル……けちょ!]
 電話が繋がった。
 「かーちゃんか? 俺だよ、おれ。タカユキだってんだよ、耳がイカれてんじゃねえのか!?……ちがーーう!! 今すぐ銀行にゼニ入れてくれ! ……んなモンはどーでもいいだろうが!! こちとらゼニが足りねぇんだよ! はよせんか! 銀行閉まるんだよ!! 後30秒以内に入金してねえと、テメェあとでブチ殺すぞ!! ごたくは後で全部聞いてやる!! いそがんかあああ!!」
 [ガチャ。……ぴーぴーぴー……]
 受話器を置くと、俺はさっそうと歩き出す。電話ボックスを出るときに、さっと髪を掻き分けるのも忘れない。
 フッ……キマったな。
 薄暗い夕闇の中、コートを身にまとい夕陽の赤に映えた俺の姿もなかなかのモンだ。ガラスに映る自分の姿に惚れ込むようだぜ。
 しかしだ……。
 このダンディーに決めた俺の方をチラチラ見つつ、あたりの人間が何かヒソヒソ話をしているのもよーく聞こえる。
 ……こんなモンにはもう慣れた。
 初心者には一見、超弩級の親不孝者か、それとも誘拐犯の脅迫電話とも採れるであろう会話ではあったが、事実は違うのだ。
 なんせ俺の母親の場合、俺が名乗った瞬間に『あんたぁぁ!! 警察に捕まったのねぇ!?』と聞いてくるし、ゼニを入れろと言ったらいきなり利子計算始めやがるし(利率が60%越えてたぞ……信じられん)、終いには『家には保釈金なんて払うよーな余裕はない!』なんぞと言ってやがった……。
 いつもだ。あいつは俺のことを犯罪者としか思ってないらしい。
 それなのに、俺がここまでマトモに成長したのは、まさに奇跡だな。
 さて、銀行に行くか。なんせ、実家は銀行の目の前にあるのだ。冗談ヌキで30秒で入金を済ませることは出来る。
 そして、俺はおもむろにCD機にキャッシュカードを突っ込んだ。
 なになに……残金は1013円……
 野郎、確かに30秒以内という目標はクリヤーしていたが、1000円しか入れてねえ……
 どうやら、マジで殺されたいらしいな……
 まぁいい、楽しみは後でとっておくことにしよう。
 とにかく、1000円で今日の晩飯と明日の朝飯の材料を買わなくてはならない。
 米はまだまだ十分にあるから、おかずを1000円分買って行くか。

 俺が自分の小汚いアパートに戻ると、部屋の電気がついていた。
 普段なら、電気を消し忘れたと言ってしょげるものだが、あそこには俺の帰りを待ってる奴が居ると思うと、なぜだか走っていきたくなるものだ。
 「ただいま。」
 俺は、冷静さを気どりつつ部屋に入った。
 そこは暖房が入っており、実に暖かい。
 やはり、迎えてくれる人間がいるのはいいもんだ。
 「おかえりー! おなかすいたー!」
 ………
 こいつ、いきなり俺のダンディーな雰囲気をすっ飛ばしやがった!
 「テメエはそれしか言えんのか!!」
 「だってぇ、昼御飯食べられなかったしぃ……」
 「ん……? しまったあ! 昼飯を忘れてたか……」
 「おなかすいたー!」
 「解ったよ、今からすぐに作るからな。」
 ホントはカレーでも作るかと思っていたが、ここは肉入り野菜炒めに変更をするか。ま、その方が時間はかからんしな。
 にしても……昼飯うっかり忘れてたなー。明日から気を付けないと……家に帰ったら、飢えた顔したシータが箸握ったまま枯れてたらヤダし……
 俺は米を炊く準備を始めた。それにしても、俺の炊飯器が一般家庭用であるという事が嬉しかった。これなら10人分くらいの飯は軽々炊ける。大メシ喰らいが居ると、3人前も炊けない独身用に炊飯器では悲惨な思いをしただろう。
 高速炊飯モードの炊飯器が、元気良く湯気をモクモク噴いてる間、俺は買ってきた野菜を切り、そして炒める。味付けは、塩とコショウと若干の味の素である。コショウを多めに入れ、ピリリと辛い大人の味にしよう。
 そんな風にして、俺が一生懸命メシを作ってるというのに、シータのヤツは箸でお茶碗チンチン鳴らし、腹減った腹減ったとしか言いやしない。まったく、奴隷の分際で生意気な。
 しかし、部屋がとんでもないくらいに綺麗になっていたのは驚いたぞ。
 自慢ではないが、俺の部屋はダチのよりもかなり綺麗だ。
 ひどいヤツは、部屋の隅や布団の中にポテチのかけらや空き袋、ゴミ箱の周辺には男の飛沫を拭いたティッシュなどが山のようにあり、とてもじゃないけどバイオハザードが起こっても不思議ではないようなのもある。
 そんなのに比べれば綺麗だったが……いや、ここまで綺麗になるとは考えもつかなかった。さすがに焦げたカーペットはどうにもならないが、可能な限り綺麗になっている。
 やはり、女は化けもんだ。
 そうこうしている内に、飯も炊けたようだ。炊きあがりを知らせる圧電ブザーがピコピコ鳴っている。
 「メシ炊けたぞー!!」
 「うわーい、おなかすいたー!」
 「ったく、役にたたん奴隷だな!」
 俺は既に作り終えていた、野菜炒めタカちゃんスペシャルを皿に盛りつけ、メシをつぐ。
 ちなみに、シータにはどんぶりにメシをよそってやった。
 「おいしそー! いっただっきまーす!!」
 「ああ、食え食え。」
 シータは朝同様、凄い勢いでメシをカッ込んでいる。見れば、どんどん野菜炒めが無くなってきているじゃないか。これはまずい。俺も負けずに食わなくては……
 俺とシータは競い合うように飯を食う。にしても、やはり人と一緒に飯を食うのはいいもんだ。
 それから30分後、目一杯平らげたシータは満足な顔をしながらニコニコこっちを見ている。
 「なんか、私達新婚さんみたいだね。」
 「どーこが新婚だあ? 嫁はメシも作らず腹へったー、腹へったーってね!」
 ワザと意地悪っぽく言ってやったが、予想に反してシータの表情は沈んでしまった。
 「そんなぁ……私だって、自分の所じゃ料理は造れるけど……ここじゃ物の使い方が解らないし、それに材料だって、全然違うもの……」
 「そうなのか?」
 材料が違うとは、一体どういう事なのか。俺は考えつかない。
 「そう……。ここみたいに、天然の食材なんて一つもないわ。みんな機械で化学薬品から合成されたペーストだもん。それを、どうおいしく食べるかって工夫するのが、私達のとっての『調理』よ。ここの人たちは羨ましいよ。煮たり焼いたり炒めたり……私達の材料で、そんなコトすればすぐに成分が分解しちゃうから……タダの粘土細工と同じよ。」
 「そうか……」
 いつものシータとは、どこか違う。とても悲しそうな表情をしている。
 返す言葉もなかった。
 10日間、こいつにはおいしい飯をたくさん食わせてやろう。
 俺は、ただただそう思った。
 「あ……ごめんね。変な話しちゃって……私奴隷だモンね、一生懸命働らかなきゃ。」
 シータは急に、取り繕うが如く明るく喋べりだした。
 俺も話題を切り替えよう、そう思って、なんか喋ることはないかと部屋を見渡した。
 「あ、そうだ、買いもんしたんだっけ。」
 学校帰りに、とんでもない苦労をして、シータのために服を買ってきたんだっけか。
 「おら、お前にこれやる。」
 俺は、その辺に放っていた荷物をシータに渡した。
 「え? なにこれ……??」
 「まぁ、開けて見ろ。」
 シータはごそごそ包みを開けた。
 「わぁ! 服ー!! それに下着もあるじゃない!……どうしたの、これ……」
 「買ったに決まってんだろうが。ま、着たきゃ着ろ。」
 うーん、ここまで嬉しそうな顔をしてると、照れるなぁ……
 「ありがとー! わー、この下着シルク!! すっごーい、こんなの大金持ちじゃなきゃ履けないよぉ! それに、服はウール100%!?!? きゃーーーーっ!! こんなの勿体ない! 私なんかが着れないよぉ!!」
 「お前が着ないと、もっと勿体ないだろうが。」
 「これ高かったんでしょー!? どうしてそんなにお金持ってるの?」
 「あのなー、そんなモン5万もあれば全部買えるんだよ。大した金じゃねえよ。」
 ま、1ヶ月適当にバイトして十分稼げる程度のモンだからな。
 シータの笑顔で十分元は取れた。大したことはないぜ。
 「そうなの? やっぱりここっていい時代よねー!! こんな貴重な物が買えるなんて!!」
 「ま、せーぜー羨ましがれ!」
 「うん! 羨ましがる! 明日から着るんだーい!」
 「パジャマも買ったから、ちゃんと今晩から着ろよ!」
 「嬉しいよぉ!!」
 シータは俺の買ってきた服を見て、大喜びしている。
 大した服じゃないのにな。しかし、ここまで喜んでくれると俺も嬉しいぞ。
 そこら辺のバカ女に高いバッグやらくれてやるよりも、遥かに良いゼニを使ったと言えるだろう。

 そのうち、時計が寝る時刻を告げだした。
 「さぁーて、もう寝るか。」
 「そうだね。うふふ。新しい服だ、嬉しいな!」
 シータは風呂に入ってから、俺の買ってやったパジャマをじっと見ている。こうしてみると、こいつなかなか可愛いな。
 布団に入りながら、俺はシータをぼおーっと見ている。
 うーん、パジャマの中身も少々見てみたい気がするが……。
 もしも本当の奴隷だったら、(ぴーーー)な事でも何でも出来るんだが……
 しかし、こいつの場合、
 『もう遺伝子は貰ったわ。これでさよならね。』
 とか言って、さっさとこいつの世界に帰って行きそうな気がする。やはり、あと9日間は我慢しよう。
 それにしてもだ……明日、また電話して金を振り込んでもらわんと……
 そして俺は、夢の世界へと落ちていった。

 ・・・・・
 ・・・・
 ・・・
 ・・
 ・

 [ピロピロピロ……]
 目覚ましが鳴り、いつもの通りの朝が来た。
 天気もいいし、部屋も綺麗だ美しい。
 そして今日もまた……
 「おきんかい!!」
 俺は昨日と同じように、シータのケツぺたをけっ飛ばした。
 「きゃうんっ!」
 「おーきーろー!!! 奴隷の分際でー!」
 「あうー……むにむに……あ、おはよー。」
 今日も奴隷という職務(?)を完全に無視し、大あくびをこいている。
 「てめえ! 今日を何と心得とる!!」
 「え?……何の日??」
 シータは眠そうな目をグシグシ擦りながら、なんか一生懸命考えている。
 「今日は日曜日じゃい!! オラ、さっさと出かける用意をせんか!!」
 俺はシータの布団をはぎ取った。
 「え、私も出かけるの? ……何処に?」
 「えーがじゃ映画!! 昨日、デパートで券を貰ったんだよ!」
 「映画ねえ……どんなの?」
 「えーっと……」
 俺は財布にしまってあった、映画のチケットを取り出した。
 「お、あったあった……『16日の月曜日』だって。なんか、すんげぇエグイ、スプラッタな映画らしいな。」
 俺はどっかで聞いたことあるような感じのする、変なタイトルの映画のチケットをシータに渡した。
 「スプラッターねぇ……面白いのかな?」
 「まぁいいさ。どーせタダなんだから、面白きゃあめっけもんさ。」
 「そうだね。」

 そして、俺とシータは映画館に向かったわけだが……
 [んぎゃりゅぐりょべちゅああああっ!!]
 ………。
 エグイ。これはかなりエグイ。
 何なんだこの映画は……
 ただひたすら人間が惨殺されまくるじゃないか……
 それに死に方がハンパじゃないぞ。
 道路ローラーで潰されるの有り、アルカリで溶かされるの有り、水族館用のでかいガラスに押しつぶされるの有り……
 どれもこれもが、やたらとリアルに再現されている。
 たとえば道路ローラーで潰されるのは、口から雑多の内臓や血、それにゲロなんかが吹き出すし、ガラス挟みに至っては、体中の穴って穴からいろんなモンをグチューっと吹き出して、厚さ3センチになる様子がよーく分かった。
 はっきり言って、一週間ぐらい食欲湧かないぞ。子供が見たら、きっと曲がった大人になるに違いない。絶対18禁だ、この映画。
 俺は持っていたジュースコーラすら、飲む気が失せていた。男の俺でもこんなんなら、シータはどうだろう……
 俺はふと横を見てみた。
 バリボリむしゃむしゃ……
 食ってるよ……
 特にやな顔一つせず、逆に笑みすら浮かべて映画を見とる。
 なに考えとんじゃ、この女は……
 「お前さぁ、良くこんなエグイもん見てお菓子が食えるな。」
 俺はヒソヒソ話しかけた。
 「そぉ? 私のとこの映画なんて、培養人間使ってホントに殺すから、すんごい迫力よ。こんな作り物っぽくないわ。」
 …………………
 イヤだ、そんな映画見たくない。

 それから9日間、俺とシータはヒマがあればいろんな所に遊びに行った。
 遊園地、水族館、動物園にレストラン……
 シータはまるで子供のように色々見たり食っては、元気一杯はしゃぎまくっていた。しかしそれが過ぎると、必ずと言っていいほど悲しそうな表情を浮かべていた。
 彼女の世界に比べて、ここは本当に良いところらしい。
 こんな、大気汚染だ、オゾン層破壊だ、人口爆発だ等といわれているような、この世界に住んでいれば決して良いところではない、いや、むしろ住みにくい世界であっても、ほんとうに良いところなのだろうか……
 このまま環境破壊が続けば、俺達もこんな排ガスまみれの汚い世界が、パラダイスの様に感じる様になるのかも知れない。
 そんなのはごめんだ。俺はもっと、綺麗な世界で生きていたい。
 そして、シータと共にいた10日間で、俺は将来自分のなすべき事、つまり自分の存在理由を見つけたような気がする。
 俺は、この世界を守る。
 決して、今よりも悪い環境にしてはならないのだ。
 俺は将来、環境破壊をくい止める研究をしよう、そう思い始めていた。

 「きょうで10日目だね。タカちゃん。」
 「そうだな……あれから早かったな……。」
 10日目、シータと遊園地に行った帰りに、俺達はレストランで食事をしていた。
 シータはいつもの通り、おいしそうに飯(お子さまランチ2人前)を食っている。
 俺はジュースを一杯だけチビチビやりながら、シータが飯を食ってる様子をずっと見ていた。
 「今日は、してくれるよね。」
 フルーツのプリンを食べながら、唐突にシータがそう言った。
 「ああ、そうだな……。」
 急に問われたので、俺は殆ど反射的に返事をしてしまった。
 俺は自分の気を落ち着かせるために、一気にジュースを飲み干す。
 ……美味しくなかった。
 こんな時、何を食っても味なんか感じやしないだろう。
 さっき、シータは『してくれるよね』と尋ねていた。
 もちろん、それはお互いの躰を重ねることを意味している。
 ……シータを抱かなければならない。今日は、約束の日なのだ。
 でも、正直言って俺は、シータを抱きたくなかった。
 抱いたあと、シータは自分の世界へ帰って行く。それはシータとの別れを意味するのは当たり前だ。
 そしてもう2度と、シータは俺の目の前には現れない気がしてならない。
 俺の直感が、そう告げていた。
 「シータ、俺達はまた逢うことが出来るのか?」
 俺は、黙々とお子さまランチを食べているシータにそう尋ねた。
 「え? 何が??」
 きょとんとした顔で、シータは俺の顔を見る。
 ……どうせ、質問の意味が分かってないんだろうな。シータが飯を食ってる最中は、人の話をあんまり聞いてない事はよく分かっている。
 ……シータらしくて、とてもいい。
 俺は、シータの大きな瞳をじっと見ながら、もう一度言う。
 「お前がお前の世界に帰った後、また俺達は逢えるのか?」
 「それは……」
 フォークやスプーンを持ったまま、シータは何も言わなくなってしまった。
 ただ、ずっと下を見ているだけだ。
 「メシ、冷めるとまずくなるぞ。さっさと食って、早く帰ろう。」
 「うん……」
 シータの無言で、俺は確信を得た。俺達は、もう二度と逢えないのだと。

 帰り道、お互い一言も喋らなかった。
 喋れなかったのだ。
 喋れば喋るだけ、別れにくくなるような気がして……
 馬鹿馬鹿しいことだ。これから俺達はお互いの躰を重ね合わなければならないというのに……
 そんな事に比べれば、喋ることぐらい、どうって事ないだろうが……!!
 俺もシータも、黙々と歩いている。
 いつもより、長い道。ずっとずっと長い道のりだ。
 普段なら、何も考えずにさっさと歩いているこの道が、こんなに長く感じるなんて……
 俺は、シータの横顔をちらっと見る。彼女の顔は、固く、こわばっているように見える。そして俺の顔も、彼女から見ればそう見えるのだろう。
 いつの間にか、俺の生活の一部になっていたシータの存在。
 俺はもう、元の生活には戻れない。戻りたくはない。
 毎日ダラダラと、将来のことも考えず、その日楽することばかり考えていた下らない毎日は、もうこりごりだ。
 俺をたったの10日間で、こんなに変えてしまったシータ。
 彼女は今、俺の隣を歩いている。
 シータは今、いったい何を考えているのだろうか。
 お互い、どの程度理解し合えたのだろうか。
 俺は、今シータが何を考えているのか解ることは出来ない。しかし、俺にはたった一つだけ、解ったことがある。
 シータが好きだ。
 好きなんだ。どうしても……
 もう、理由なんて関係ない。一緒にいたい。これからもずっと。
 独りは、イヤなんだ……。
 俺と一緒にいてくれる人が、どうしても欲しいんだ……!!
 俺は出そうになる涙を、泣きたくなるのを必死にこらえながら、ただひたすら歩いていた。

 しばらく歩き、俺のボロアパートに着く。俺はおもむろに鍵を開け、ドアを開いた。
 電気は点いていない、真っ暗な部屋。
 これから、毎日帰ってこなくてはならない部屋……
 今度このドアを開けるときには、もうシータは居ないのだ。
 俺はドアを閉め、電気を点ける。
 シータが綺麗に片付けてくれた部屋が、そこにはあった。
 「……シータが来てから、部屋が綺麗になったよ。」
 今更、俺は何を言っているんだろうか……
 もう少し、気の利いた言葉でもと思うが、そんな言葉は見つからない。
 とにかく、俺はシータと話がしたいんだ。
 「ごめんね……ジュータン、焦がしちゃって……」
 「新しいのを買ったんだから、そのことはもういいさ……座ろうぜ?」
 「うん。」
 俺とシータは、ベットに腰掛けた。
 俺はため息を付く。
 シータはこちらを見ながら、何だかすまなそうな顔をしている。
 「お前、なんでそんな顔してるんだよ。」
 「うん……色々、迷惑掛けちゃったなと思って……。ご飯、とってもおいしかったよ。」
 シータはニッコリ笑った。
 この10日間、俺は可能な限り旨いものをシータと一緒に食べたつもりだ。
 でも、まだまだ食べ足りない。この世界には、もっと旨いものが幾らでもあるんだ。
 シータと一緒に、もっと色々な料理を食べたい。
 「あんなもん、いくらでも食わせてやるよ……。なぁ、シータ……俺と、一緒に暮らさないか?」
 ……ついに言ってしまった。
 すっげぇ恥ずかしい言葉だが、実際それが俺の本心だった。
 これからも、ずっとシータと一緒にいたい。
 俺が今、望むことはそれだけだった。
 「………」
 シータは、何も言わずに下を向く。
 「シータ……」
 「ごめん……私、どうしても帰んなきゃならない……」
 シータの目から、涙がぽろぽろ落ちている。
 「すまん……。お前も仕事で来てるんだったよな……俺も解ってるのにな……」
 「………」
 それっきり、お互い何も言えなかった。

 シータの仕事は、俺の遺伝子……俺とシータの子供を、彼女の世界に連れて帰ること。
 彼女の世界では、正常な遺伝子が無くなっているという。
 そう、彼女の世界。
 こんな俺達の、環境汚染で行き詰まった世界を『美しい』と言うほどの世界。
 彼女は、そんな世界に帰るのだ。
 俺は地獄みたいなそんな処へ、シータを行かせたくはない!
 シータ……お前の世界は、一体どんなところなんだ……?
 今までずっと疑問だった、シータの世界。
 ……いや、疑問なんかじゃないよな。……聞くのが怖かったんだ、本当は。
 俺は、シータの世界が何なのか、だいたい解っているんだ。
 「お前、地球から来たんだろ……?」
 俺はシータの横顔を見ながら、そう言った。
 「え……!!」
 はっと目を見開き、シータは俺の顔をじっと見る。
 髪を振り乱すが如く向き直った彼女の顔は、次の瞬間、すぅっと青ざめていった。
 「そうなんだろ? シータ……」
 「う………」
 シータは再び下を向き、目をぎゅっと瞑っていた。
 「今更隠し事は無しにしようぜ……。お前が何を言っても、俺はお前に俺の子供を産ませる。……それでいいだろう……?」
 俺は、シータの肩に手を置く。ビクッと震えた彼女の肩は、何だか弱々しく思えた。
 「……何時から、知ってたの……?」
 恐る恐るこちらを向くシータ。
 「おら、今更奴隷がご主人様にするような真似はするな!」
 俺は精一杯明るくそう言いながら、シータの頭にげんこつをした。
 「あいた!……もう、叩いちゃヤダよぉ……」
 何となく、シータの表情が軟らかくなった。
 そんな彼女の顔を見てると。何だか俺の心も少しは晴れる思いだ。
 「初めからな、おかしいとは思ったんだよ。だいたい、お前は日本語上手すぎるんだ。ここに来たばかりの宇宙人が、あんなに上手く日本語話せるワケ無いだろうが……。」
 俺はシータが来た日、30分もぺちゃくちゃ説明を垂れていたのを思い出し、思わず笑ってしまった。
 「アハハ……そうだね。私っておしゃべりだから……」
 シータもつられて一緒に笑う。
 「それにな、お前が来たときに着てた変な服には、どれにも R.A. ACTIVE SHIELD SYSTEM なんて書いてたしな……。地球の言葉だぞ、あれは。」
 俺は壁に掛けてあった、例のマニアックな服を指さす。
 「あ……私ってドジね……そういえば、全部管理用のタグが付いてるんだった……」
 「そうだよ。おまけに放射能のマークまで書いてるし。この時代にもあるんだぞ、あのマークは。」
 「そうだよね……この時代にも……って!?」
 再び目をまん丸にして、シータは俺の方を向く。
 「そう、この時代。お前な、ここに着てから何度もこの時代は羨ましいって言ってたよな。」
 「……そうかも知れない……」
 シータは雑多の失敗(?)を思い出したのだろうか、顔を真っ赤にしている。
 「マヌケ! 人を騙すんなら、もう少し感情を抑えろよ。……いったい何時の時代から来たんだ?」
 「それは……そういうのは、言っちゃいけないのよ……」
 シータは、また俯いてしまった。
 「俺がそんなこと知るか!! お前の話は、確かお前の星で病原菌が流行って、DNAがおかしくなったから俺の遺伝子が欲しいって事だったよな!」
 「うん……」
 「じゃあ、本当はどうなんだ!? お前のいた未来で、地球で、放射能かなんかで人類がおかしくなりかけてるんじゃないのか!? どうなんだ、これからいったい何が起こるんだ、この地球で!!!」
 俺はいつの間にか、シータの両肩をつかんで喚き散らしていた。
 「痛い……そんなに力を入れないで……」
 「あ……すまん……」
 俺は慌てて、彼女の両肩から手を離す。
 シータは一呼吸置くと、ゆっくりと語りだした。
 「貴方の言ったことは本当よ……。放射能が、私達人類のDNAを破壊した。……幸い、私はDNAに損傷を受けてない、一部の人間の遺伝子をを掛け合わせて生まれてきたから、身体に異常はないの。」
 「という事は、お前はそのバイオなんとかじゃないのか?」
 「ごめんね、あれはウソなの……。私はれっきとした人間。でも、培養槽から生まれてきたっていうのは本当よ。……だから、ある意味人間じゃないかも知れないわね……」
 シータは悲しそうな表情のまま、口だけクスリと笑っていた。
 「シータ、お前はちゃんとした人間だよ。」
 「……ありがとう。」
 シータは嬉しそうに言った。
 そして俺は、彼女の正体を今ようやく知ったわけだ。
 どうせなら、初めから本当の事を言ってくれればよかったのに……
 俺は一瞬そう思った。
 が実際、『貴方たちの未来がこうなるんだ』なんて言われても、全く信じなかっただろう。
 それに信じたとしても、ただ俺が悲壮感に暮れるだけじゃないか。
 そんなつらい事実を敢えて言わなかったのは、シータの優しさだったのだと俺は考える。
 たとえ培養槽から生まれたんだとしても、シータはシータだ。
 とても立派で可愛い女のコだ。
 「……ところで、お前の本当の名前はなんて言うんだ?」
 今までずっと彼女のことをシータと呼んできた。
 でも日本語話してるんだし、それなら姓とかだってあるはずだろう。
 俺はそう考えて質問をした。
 「言わなかった? シータって。Theta-00526VHがホントの名前よ。」
 シータの答えは以前と全く同じだった。俺は、若干違和感を覚える。
 なんでそんな変な名前になってしまったんだろうか?
 「……味気ない名前だな。なんでそんな識別コードみたいなんだ?」
 「実際識別コードだからよ。私の固有識別コードはTheta、シリアルナンバーは00526。そしてランクはVery High。つまり、526番目に生まれた、一番人間に近いシータちゃんって事かな?」
 シータの言葉を聞いて、俺は言い知れぬ不安を覚える。
 『一番人間に近い』……今の時代に生きる我々には無縁なこの概念に、言い知れぬ恐怖を覚える。
 そう、これから起こるなにかしらの災厄を示唆しているようで、イヤな感じだ。
 「なんかすげえ世界になってるんだな……いったい、何が起こるんだよ……」
 「……じゃあ、教えてあげるね……」
 シータは、これからの地球の歴史を淡々と語り始めた。
 ……この聞くにも耐えない惨劇の有様は、以下の通りだった……。

 西暦2022年、現在で言うところの日本と、今のアメリカが分裂した片方(これを仮にA国とする)が戦争を起こした。
 それから3年後の2025年、もう片方のアメリカ(これを同様にB国とする)が、日本とA国に宣戦布告を行った。原因は、A国と日本の戦争でとばっちりを喰いすぎた報復だ。
 そして戦線は全世界に展開され、とうとう第3次世界大戦へと拡大していった。
 2029年には、戦争は泥沼化していた。どの国も、既に戦略兵器と呼べる物は使い果たしていたらしいし、核のような抑止兵器は全て廃棄されていたそうだ。
 しかし、その中、旧日本だけは違っていた。その時の日本の軍隊、帝国自衛隊は極秘にある兵器を開発していた。
 建物はいっさい壊さず、生き物だけをひたすら殺す兵器。そう、今の世にもあるが、中性子爆弾を使ったのだ。
 帝国自衛隊の目標は全てクリアーされた。
 全世界の人間は、アッというまに死に絶えたのだ。
 しかし、当たり前なことだが、強すぎる放射能はやがて日本をも覆い始めた。帝国自衛隊は慌てて放射能バリアーを展開したそうだが、まったく間に合わなかったらしい。
 そして事実上戦争が終結したのが2030年だった。その時生き残っていた人類、その数5000人余りは、世界中にまき散らされた放射能が少なくなるのを待つ為、地上に放射能バリアーとディフェンスシステム、それに管理員数名を残してコールドスリープを行った。
 30年後、放射能防護服でなんとか生きられる程度まで放射能が弱くなった地上へ、人類は再び戻ったのだ。しかし、そこで見たものは『死』だった。
 地上には、瓦礫と放射能、そして腐りもしなかった死体しかなかったのだ。
 人類は、己の犯した罪に恐怖した。
 そんな地上で、自分達がどのように生きて行けばいいのか、絶望したのだ。
 そして、不幸は続いた。
 老朽化したバリアーシステムの故障から、生き残った人々にまで、放射能が襲いかかったのだ。
 全ての活路を失った人類は、もう過去に縋るしかなかったのだろう。
 人類が目覚めてから18年後の2078年、遺伝子補完計画なんて言う、どこかで聞いたことありそうな名前の計画が作成された。
 つまり、放射能で失った人間を遺伝子を、時空移送装置によって過去から取り寄せるなどと言う、実に安直な計画だ。
 そして2082年、時空移送装置の完成と同時に、シータが1997年に飛ばされてきたのだ。

 ふざけるのも大概にしろってんだ! そんな人類なら、さっさと滅びてしまえばいい。
 自分勝手にやりたい放題やって、そしてしっぺ返しを喰らうのだ。
 実に自然じゃないか。
 シータの話を聞いて、俺は当然の如くそう思った。
 「シータ、そんな話聞くと、思いっきりお前を抱きたくなくなったな。」
 「そんなぁ……」
 シータが、心配そうな目で俺の顔を見る。
 「そもそも、戦争の原因ってなんだったんだ?」
 俺がそう聞くと、シータは小さくため息を付きながら答える。
 「……環境破壊よ。両方の国が、お互いの環境管理の悪さを非難し合ったのが、そもそもの原因だって聞いてる。……元々は、両方の国とも環境破壊には気を使っていらしいけど……それがね……」
 「それで余計に環境をぶっ壊したってかい?……バカにも程があるな。」
 「そうね……でも、私達はそのバカさに気づいたの。だからこそ、今私達は自分たちを作り直そうとしているの。」
 そう言うシータの目には、使命感というものがしっかりと現れていた。
 しかし俺には、そんな彼女の使命感がとても悲しく思えてならなかった。
 「ふーん……作り直す気があるんなら、DNAを自分らで変えればいいだろうが……なんでそれをいちいち過去に来てまで……」
 ついつい、俺はシータの仕事を否定するようなことを言ってしまった。
 シータはそれに気付いたのか、俺の方を見て、悲しそうに微笑む。
 「クローン体はね、いくらでも造れるわ。しかし、私達の必要としているモノは、放射能に汚染されていないDNAなのよ。」
 「じゃあ、この前言ってたDNAシンセサイザーって言うのは……?」
 「もちろんDNAシンセサイザーでDNAを作ること、そしてそれを培養して肉体を作ることは出来たの。しかし、そこから『命』を作ることは、どうしても出来なかったわ。……意志や感情を持った生き物を作ることは、私達には出来ないのよ……所詮、それが科学の限界よ……。」
 シータは辛そうな表情をしていた。
 命を創ること……
 それが出来るのは、神だけという事か。
 「違うな、シータ。それは人としての限界だ。人間は、神になってはいけないんだよ。命を創ってはいけないんだ。」
 「そうだね……。人は人だモンね……ヘタに命なんて創っちゃたら、それこそ我を忘れて好き放題を始めるでしょうね……。」
 「そういうことだ。」
 「あの……だから私のこと、抱いてくれるかな……」
 シータは訴えかけるような目で、俺をじっと見ている。
 その澄んだ大きい瞳に、俺の顔を映し込んで……
 彼女の一途な想いを、俺に精一杯ぶつけるようにして……
 こいつも、政府だかなんだかの権力のおかげで、こんな過去に独り飛ばされて来たんだろう。
 未来の人間は、あまりに多くの罪を作りすぎた。
 何が人類を作り直すだ!
 こうして今、大切な人類の一人の人生を台無しにしているじゃないか。
 所詮、何時の世も愚行は止まらないんだな……
 俺はつくづくそう思った。
 「なあシータ、そんな未来のことは放っておいて、この時代で一緒に住もうぜ……」
 俺は再び言う。彼女の目から、涙がこぼれ落ちる。
 「それは出来ないよ……私はこの時代の人間ではないのよ……」
 「そんなこと関係ないだろうが!」
 俺は我慢できなくなり、声を荒げてしまった。しかし、シータも驚くくらい大きな声で想いをぶちまける。
 「でもね、私にはあっちの生活もあるのよ……確かに、私だってこの世界でずっと住みたいよ! こんなに綺麗で、ステキで、自然がいっぱいあって、みんなもいっぱいいて、シールドも張らないで外に出れて……それに、食べ物だっておいしい……私だってこっちにいたいよぉ!! でも、でもね、私が貴方の子供を連れて帰らないと、私の世界の人たちだって困るの!! お願い、解って!!」
 シータは両手で顔を覆いながら、ずっと嗚咽を漏らしている。
 そんな彼女を見ていて、俺も涙がこみ上げてきた。
 「俺達はな、はっきり言って今のこの世界を綺麗だの、自然がいっぱいあるなんてちっとも思っちゃいないよ。いい加減、環境破壊がどーのでみんな絶望しきってるのによ! それを綺麗だなんてなぁ! 俺は、お前にそんなセリフ言わせたヤツが本当に憎いぜ!! 今すぐぶっ殺してやりてぇ!!」
 俺は拳を思いっきり壁に叩き付けた。
 膝の上には、俺の頬を伝って涙がぽろぽろこぼれ落ちている。
 涙なんて、見るのは久しぶりだ……
 シータのひたむきな意志が、俺をここまで揺さぶっているんだ。
 俺の横で小さく震えながら泣くシータ。
 未来の人間は、こんなにも弱々しい彼女に、なんという重荷を背負わせたのだろうか……

 俺は悩んでいた。
 シータは、俺の遺伝子を持ち帰ることを望んでいる。
 しかし、俺はシータを未来へは帰したくはない。
 結局、シータの望むようにすれば、俺はシータを失うことになるのだ。
 出来れば、そんなことはしたくない。しなければ、シータはずっと俺と一緒にいるだろう。
 しかし、シータはそんなことは望んではいないのだ。
 二律背反……俺の頭には、そんな言葉がよぎっていた。
 「ごめんね……私なんかが来たせいで、変な事で困らせちゃったりして……」
 シータは目を擦りながらそう言った。
 「何が変なことだよ……」
 「だって、私達の未来はもうどうしようも無いけど、まだ、あなた達ならなんとでもなるわ。私にとっての現在は、あなた達にとって、仮定の一つに過ぎないんだから。」
 「俺はお前が仮定なんて思っちゃいないよ! お前は俺が愛する唯一の女だ!」
 「じゃあ、私の最後のお願い、聞いて……!」
 俺は、何も言わずにシータを抱きしめた。
 何時も腹減った腹減ったと言って、大メシを喰らっていたシータ。一見たくましい感じさえあったのに、なんて弱々しいんだろう。
 俺の体を抱き返してくるシータの力は、やはり守らねばならない、一人の女のコのそれであった。

 しばらくの間、俺達は抱き合っていた。
 部屋には、シータの息づかいのみが聞こえている。
 シータの体温を感じる。耳を澄ませば、彼女の心臓の鼓動だって聞こえそうだ。
 俺はシータの暖かさと柔らかさで、感情が爆発しそうになっていた。
 だから、このまま……とも思った。
 しかし、その前に聞いておかなきゃならないことがあるんだ。
 俺は、シータの体をゆっくりと自分から離し、シータの赤みを帯びたその可愛い顔を見つめ、言った。
 「俺達は、なんでもう二度と会えないんだ?」
 一瞬、ビクッと体を震わせ、シータは俺から視線を逸らす。
 「シータ、答えてくれ。」
 俺はシータの顔にそっと両手を当て、俺の方に向けさせる。
 「それは……貴方の記憶を消すからよ……」
 かすれたような小声で、シータはそう言った。
 「そう……か……。」
 分かっていたさ、そんな答えが返ってくるのは……。
 体から力が抜けてゆくような感じがする。
 絶望感ってヤツだろうな……
 俺は、冷たくなった自分の手を、シータの頬にそっと寄せる。
 「……正確に言えば、貴方の私に関する記憶をね……未来を変な風に変えないために、必要な作業なの……」
 シータは、自分の手で俺の手を優しく包みながら、事務的にそう述べた。しかしムリしてるのが、とてもよく分かる。
 「じゃあ、俺が今こうしてお前を愛しているのも、全て忘れちまうって事なのか?」
 自分自身で、声が上擦っているのがよく分かる。
 でも、到底元には戻せそうにもない。俺の心は、そんな余裕すらも消え失せていた。
 「そうなるね……。時空移送装置は、この時代には早すぎるもの……兵器に転用されたら困るでしょ?」
 シータは、まるで子供に諭すような優しさで、俺に語りかけてくる。
 「そんなことあるワケが無い! 俺はなんも言いやしない!!」
 しかし俺はシータの手をぎゅっと握りながら、自分の感情をそのままぶちまけるが如く叫んだ。
 もしここで、シータを論破できれば記憶を消されないだろう、そんなつまらない勝手な思い込みでも、俺は縋りたかったのだ。
 「でもね、この時代の軍隊って、今までの歴史の中でも、一番質が悪いのよ……今上空に軍事衛星が飛んでいるのは知ってるでしょう? その衛星で、あなた達のことはずっと監視されているのよ。もしも貴方が未来から来た人間と接触を持ったなんて知ったら、きっと貴方はとんでもないことになるわ……そのためにも、貴方は私のことを忘れた方がいいのよ……」
 シータはキュッと目を瞑り、視線を俺から外したままだった。
 「俺はお前のこと忘れない!! 何があっても忘れないぞ!!」
 俺はまた、シータの両肩を持ってそう叫ぶ。
 シータはゆっくり俺の方を向く。
 「でもね、明日の朝には貴方は何も覚えてはいないよ。……だけど、今は貴方と二人で同じ記憶を分かち合うの……私の世界の為にね、貴方が欲しいの……」
 シータは自分の感情よりも、与えられた仕事に対して強い責任感を持っているのがよく分かる。俺は、そんな一生懸命なシータが大好きだ。
 しかし俺は、自分の感情を抑えきれなくなっていた。
 「いい加減、今は世界だの、人類を救うだのは忘れろよ! 今は、お前個人として、一人の女として俺という男に抱かれろ! 俺はお前を愛してる!! お前もそうしろよ、今くらいは!!」
 心の壁が完全に破れ、俺は想いを全てぶちまけた。
 『愛してる』なんて言ったのは、シータに対して言ったのが初めてだった……。
 そして、これが本当に人を好きになる事なんだと、今初めて解った気がした。
 「ごめんね……私も、貴方のこと愛してるよ……ホントだから……いろんなステキな所連れていった思い出、大切にするからね……」
 シータは再び泣き出した。俺は再び彼女を抱き寄せる。
 「俺はお前のことは忘れない! 俺がお前の記憶にある限り、決して忘れないぞ! お前が俺の子供産むのなら、俺の記憶もずっとお前と共にあり続けるんだ。 俺の遺伝子と共にあり続けるんだ!」
 シータはずっと俺の胸に顔を埋めている。
 服を通して感じる彼女の体温が、とても愛おしい。
 「ごめんね、せっかくいろんなコトして貰ったのに、辛い思いばかりさせて……」
 「もう何も謝らなくていい! 今はお前も、俺という人間を感じるんだ!」
 「そうだよね、せっかく初恋の人に抱いて貰ってるのに、なんにも感じないなんてバカだよね。」
 「俺もお前を精一杯感じて、忘れないようにしてやる。たとえお前に記憶を消されても、絶対に思い出してやるからな!」
 「んっ………」
 俺は、シータの唇に自分の唇を合わせる。
 初めはビックリしたようなシータも、俺を抱く腕の力が増していった。
 初めて感じるシータの唇。それはとても柔らかで、それでいて全てを受け止めてくれるような、強さと安らぎがあった。
 そして唇を離し、改めてシータの顔を見る。
 頬を赤く染め、潤んだ瞳のシータ。俺はその愛おしい女性に、ゆっくりと優しく語る。
 「シータ、俺とお前が一緒にいるこの瞬間は永遠なんだ。俺とお前が愛し合ったという事実は、決して神にも変えることは出来ない。そうだろ、シータ?」
 「うん……そうだよね。貴方と私は愛し合っているんだもん。歴史の教科書には書いてないけど、貴方と愛し合った過去は、私にとってもステキな過去だよね。貴方と一緒に居た、ステキな過去だよ……」
 「そうだ……俺は、お前に俺の記憶を消すなとは言わない。でも、俺はいつかお前のことを思い出してやるからな。絶対にだ! それに、お前の生まれる時代まで生き残ってやる。何が何でも、お前に会いに行ってやるからな!」
 「うん……待ってるよ……」

 俺は、シータの体をベットに横たえた。
 さあ、これで最後だ。
 俺の愛するシータの望んだことを、シータとの別れを意味することを、今するのだ。
 シータ、俺はお前を忘れない……この、俺の目の前にいる、愛するシータを……
 忘れない、決して忘れない………

 そして俺は、シータのぬくもりを感じながら、夢の世界へと落ちていった。

 ・・・・・
 ・・・・
 ・・・
 ・・
 ・

 [ピロピロピロピロ………]
 目覚ましが鳴っている。いつもの朝がやってきた。
 今日の天気は曇りか……不思議と気分が沈むなぁ。
 にしても……なんかやたらと眠たいぞ……?
 昨日、そんなに夜更かししたっけかなぁ……??
 ……うーん、目覚めは最低。なんか、変な夢見てた気がするが……
 今日も学校か。
 さてと、今日も頑張ろう。俺の夢を実現するために。
 そう、俺の夢は、世界を守ること。
 これ以上、俺ら人類が環境破壊を続けないように、なんかしらの方法を得るために、研究をするのだ。
 ……へんだな……
 俺、何時からこんな夢持ってたんだっけ??
 何か頭に引っかかるものを感じるが、どうもよく分からない。
 まぁ、イイや。どうせさっきまで見てた夢の影響だろう。
 でも、なんの目標もなく、ダラダラ学校に通い続けるよりはマシかな?
 朝飯食って、学校に行かなきゃな……

 あの日以来、そう、何だか変な夢見て将来の夢を決めた日から、俺の生活は確実に変化していた。
 朝起たら飯を食い、そして学校に行き、帰ってきたら寝るという、実に単調な毎日である。しかし、見た目は変わってはいないが、中身は違っていた。
 毎日が、とても充実しているのだ。
 やはり人間は夢に向かい、歩き続けている時が最も輝くのだろう。
 今までは、何だか惰性でダラダラ学校に通っていた。ただ大学出てりゃあ、なんとかなるとしか考えていなかったのだ。
 しかし、大学なんて出ても、いったい何があるのだろうか。俺という人間の意味が、無くなってしまうじゃないか。
 俺がこの世界にいるための、存在理由が解らないじゃないか。
 以前、俺はテスト勉強をしている時なんかにも、そのことについて考えたことはあった。
 が、所詮それはただの現実逃避でしかなかった。
 だが、今の俺が求めている存在理由は、もはや現実逃避などではない。
 俺は具体的に、自分がこの世界にいる意味、そして将来について考えるようになっていた。
 例えば、俺は将来自分が社会の歯車になるのは、別に悔しいとは思ってはいない。
 しかし、歯が折れたり、外れてもまったくシステムに影響のない様な、容易に交換可能な規格品のような歯車にはなりたくはない。
 俺は、何としてでも俺が必要とさせるように生きていたい。
 タカユキという人間が必要とされるようになりたい。
 ……俺は、あの日以来変わったのだ。
 いったい、何があったかは解らない。
 貯金が10万近く減っていた事や、ジュータンを取り替えた事と関係あるのかも知れないが、まったく思い出せなかった。
 なんか、とても悔しい気持ちだ。
 それがどうしてなのかも、解らなかった。

 俺は今、電車の中にいる。
 俺の座っているのは、セミクロスシートだ。
 大学4年になって、急に進路を変えた。今までの電気工学から、環境工学に変えたのだ。もちろん留年などは覚悟の上。でも、そんなこと関係あるか。
 博士号をとってやる。
 そして、今の環境を無視した社会を、もっとマシ方向へ向かわせるのが目的だ。たとえば、何らかの排ガスを除去するような、触媒装置の開発でもいいだろう。
 そういえば、この前部屋を掃除していたら、変な髪飾りのような物を見つけたっけ。
 それには R.A. ACTIVE SHIELD SYSTEM と書かれてあり、隣には放射能を表すいつものマークが付いていた。何の物だか良くは解らないが、放射能防御装置ではないのだろうか。なぜか、俺はそう感じた。
 そして俺はそれを見た瞬間、目から涙がボロボロ出てきたのを覚えている。
 体の奥底から吹き出さんばかりの『何か』が、俺に思い出せと言っていた。
 そしてその髪飾りを持っていると、不思議と気分が落ち着くような感じがした。
 それ以来、俺はその髪飾りをお守り代わりに持ち歩いている。

 とある駅で、俺の向かいの座席に、赤ん坊を連れた女性が腰掛けた。
 3年までは、学校のすぐ近くのアパートに住んでいたのだが、学科を変えた為に校舎まで変わってしまったのだ。
 今は、毎日2時間もかけて自宅から通っている。毎日かーちゃんとの戦いの日々だ。
 俺はちらりと、目の前の親子連れを見た。
 俺の小さかった頃は、あのかーちゃんも愛おしそうに、俺を抱いていてくれたのだろうか。今のヤツのツラを思い出すと、まったく想像できないなぁ……
 ふと、目の前の母親と視線が合った。俺はすぐさま、目を逸らす。
 しかし……
 何なんだ、この気持ちは……?
 俺は目の前にいる女性の事が、とても気になっていた。
 以前、どこかで彼女を見たような気がする。
 これが、デジャ・ヴュというヤツだろうか。
 しかし、それは電車なんか乗っていなかった気がする……
 そして一瞬、俺と彼女が一緒に飯を食っている様子が頭に浮かんだ。
 なぜ、初めて見た女に対してそんなことまで感じるんだろう……
 そうだ、ついこの間、変な夢を見たんだっけ。

 『俺はお前の事を忘れない!! 何があっても忘れないぞ!!』
 『俺がお前の記憶にある限り、決して忘れないぞ!』
 『俺の遺伝子と共にあり続けるんだ!』

 ……なぜか、夢の中で俺は叫んでいた。
 良くは解らない。しかしどうしても、いや、結局は逆らえないのかも知れないが、俺は忘れないんだという気持ちで一杯だった。
 忘れない……。
 一体、何を忘れないというのだろうか。
 とても、大切な事のような気がしてならない。
 前に座っている彼女の顔を見て、何故かその夢を思い出した自分に気付く。
 なぜだろう。さっきから、分かんない事ばかりだ!
 そして俺は、ずっと彼女の顔を見ていたい、そんな気持ちで一杯になっていた。
 何を考えているんだ、俺は……
 相手は子連れだ、たぶん人妻だぞ。しかし、年はそんなにいってない。むしろ、俺より若いかもな……
 今は10代の母親とかいうのが流行だからな、16や17で子供を産むヤツも珍しくはない。
 はぁぁ……俺は、人妻に興味があるのか?
 もう一度、ちらっと母親の顔を見る。
 すると、何だか悲しそうな顔をしている。目を少々潤ませているが、一生懸命作り笑いをしているみたいだ……。
 おかしい、何だか俺まで悲しい気分になってきたじゃないか。
 そして、情けないことに、涙までポロポロと出てきた。
 冗談じゃない、ここは電車の中だ。目の前に人がいるのに、一人で泣き出すなんてバカ丸出しじゃないか……
 しかし、この感情には覚えがある!
 そうだ、あの髪飾りを見た時と同じだ。
 なぜなんだ、俺は、目の前にいる女性を見て、なんで涙を流すんだ?
 そして何かが、再び俺に思い出せと言う。
 思い出せ! 思い出すんだ!!
 何かがそう、俺に叫び続けている。
 頭が痛む。吐きそうだ。自分が今、いったい何処にいるのかも解らない気分だ。
 思い出せ! 思い出すんだ、絶対に忘れるな!!!
 忘れるな……?
 忘れない……俺は絶対忘れない……
 何をだよ、一体、俺は何を忘れちゃいけないんだ?
 解らない、何だか、記憶がすっぽり抜けたみたいだ……
 思い出せ! 思い出すんだ、絶対に忘れないぞ、お前のことを!!

 俺は頭を抱えて、ひたすら耐えていた。
 しかし、実際に頭を抱えているかどうかなんて、既に解らなくなっていた。
 俺の体が、俺のものでなくなったかの様な感覚。それは、まるで魂だけを強い力によって握り潰されるようなものだった。
 俺の中にある二つの心。
 一つは頭を抱えて必死に耐える俺で、もう一つは『思い出せ』としきりに叫ぶ《俺》……
 そのもう一人の《俺》が、必死に耐える俺の心をまるで狂わんがばかりに揺さぶっている。
 両方のせめぎ合いで、俺はどうにかなりそうだった。
 俺は何も思い出せない。しかし、もう一つの《俺》は忘れるな、思い出せと言う。
 そしてその《俺》の『思い出せ』という想いで、俺が潰されそうになったその時だった。
 既に外界との接触を拒んでいたもう一人の《俺》が、何故か前に座っている彼女の言葉だけを受け入れたのだ。

 「綺麗な空……ホントにこの時代は羨ましいね……」

 この時代は羨ましいね……
 羨ましい……
 時代が……

 彼女の言葉が、何度も俺の心に響く。

 ……『私の時代には、水鳥なんか……』
 ……『この時代の食べ物ってば、ホント……』
 ……『やっぱりここっていい時代よねー!! こんな貴重な……』

 そして、声は次第に現実の記憶へと繋がっていった。
 目の前に、かつて俺が愛した女性が元気一杯に笑顔を浮かべている、そんな様子が次から次へと、浮かんでは消えてゆく。

 ……『シータって呼んでくれれば、嬉しいな……』
 女性は可愛い微笑みを浮かべながら、自分の名を名乗った。

 ……『うわーい、おなかすいたー!』
 女性は幸せを顔いっぱいに浮かべながら、飯を食っていた。

 ……『……私だってこっちにいたいよぉ!!』
 女性は泣きながら、自分の想いを精一杯ぶちまけていた。

 そして、
 『シータ、俺とお前が一緒にいたあの時間は永遠なんだ……』
 もう一人の《俺》が、そう囁く。

 弾けた。
 何かが。
 闇に覆われていた俺の心が、今まさに晴れ渡ったのだ……!

 「シータあああああああっ!!」
 「はいっ!?」
 立ち上がりざまに、俺は叫んだ。
 他の乗客がちらっと俺を見ているが、そんなことはどうでもいい。
 目の前の女性……今、俺の呼びかけに答えたはずだ!
 「シータ、お前シータだろう!? そうだろう!!」
 俺は、目の前に座って、俺の顔をその大きな瞳に映し込んでいる女性に、そう問いかけた。
 「私を、覚えていたの?」
 彼女は驚いたように、そう呟いた。
 間違いない! この声、この顔、この感じ……
 全部シータだ!!
 「違うよ。……今、思い出したんだよ……思い出すって言ったろ……」
 笑いながら、俺は自分の頬に涙がボロボロ流れているのを感じていた。
 そうだったんだ……
 俺は、こんなになるまで愛していた女がいたんだ。
 今までずっと心の片隅にあったしこりが、すっと消えていった。
 俺の将来の夢を決めた理由が、今、ようやく解ったのだ。
 「……ごめんなさい……何にも言わないで、出ていちゃったりして……」
 シータは涙の溜まった目を擦っている。
 「いいさ。それがお前の大切な仕事だったんだから。お前のことを責めたりはしないよ。」
 「ありがとう……」
 そう謝るシータの姿は、昔の彼女とは違う、なんだか大人になった様な感じであった。
 そうだよな。
 もう、シータには子供がいるんだ。
 赤ん坊を抱くシータの姿は、子供っぽかったあの頃とは違い、既に母親のそれになっていた。
 「その子、俺の子か?」
 シータが抱えていた赤ん坊は、俺が叫き散らしたおかげで泣いていた。実に元気な泣き声だ。
 「そう……貴方と私の子供よ。可愛いでしょ? 名前は貴方と同じ、タカユキにしたの。」
 「そうか、俺の名前と同じか……」
 俺はそっと、赤ん坊、つまりは俺の子の頭を撫でた。すると、赤ん坊は泣くのを止めて、ケラケラ笑いだした。
 「やっぱり、お父さんが解るのかしら……?」
 「そうかもな……お前も、立派な母ちゃんになったんだな。」
 「まだまだ勉強中よ。この子の為にも、一生懸命がんばらなきゃいけないもんね。」
 「そうか……。もう立派な母ちゃんだよ、お前は。」
 俺は、以前のなんにでも一生懸命だったシータの姿を思い出した。そう言えば、最初にあった日も、勉強したなんて言ってたなぁ……
 あの時の一途なところは、今でも全然変わっていなかった。
 それに、よく見ればシータは俺が買ってやった服を着ている。今の時代にはちょっと遅れた、ある意味ダサイ格好だ。でも、俺はシータのそんな心遣いがとても嬉しかった。
 「そうそう、お前の忘れもんだよ。」
 俺はそう言って、いつもカバンに突っ込んでいたシータの髪飾りを取り出した。
 「あ、そうそう、忘れて行ったのよね、これ……」
 「まったく間抜けなヤツだな。」
 俺はそう言いながら、髪飾りをシータに渡した。
 「そうだね……」
 シータは懐かしそうに、髪飾りを見ている。
 ………
 本当に懐かしい思いだ。
 今から半年くらい前だったっけ……
 テスト勉強に嫌気がさして、ウダウダふて腐れてる時に、急にシータが現れて……
 それからの10日間、俺の生活は本当に充実していた。
 今まさに、シータの笑顔や悲しそうな顔、そして彼女と躰を重ねたあの日の夜が、鮮明に思い起こされる。
 記憶を封じられていた数ヶ月間を取り戻そうとでもしているのか、瞼を閉じるだけで、あの時のシータが次々に現れては消えてゆく。
 そして今、目を開けば俺の前にはシータが居るのだ。
 あの日俺の事を心配して、俺から自分の記憶を全て消したシータが。
 「……シータ、俺達はもう、逢えないんじゃなかったのか?」
 俺はシータから記憶を消すと言われて、青くなった時の事を思い出した。
 「そのつもりだったわ……。」
 シータは申し訳なさそうに微笑んでいたが、
 「でもね、この子が生まれてから……どうしても、この子には自分の父親を見せてあげたかった。……こんな時に見せても、結果的には忘れちゃうだろうけど、一度は見せないとって……それは、単なる独善かも知れないけどね……」
 そう言った彼女の顔には、いつも一生懸命だったシータの、あの使命感にも似た強さが現れていた。
 「そんな事は無いさ。お前は、母親として、凄く良い事をしていると思うぞ。ちゃんとこの子に言ってやれよ、お前の父ちゃんはちゃんといるんだって。」
 「違うでしょ? この子じゃなくて、我が子よ。」
 「そうだな、そうだよな……。こいつは、俺の子供か……」
 俺は改めて子供の顔を見た。よく見れば、俺の小さい頃にそっくりじゃないか。
 「こりゃあ、相当な美男子になるな。うん。俺の若い頃にそっくりだぞ。」
 「あららぁ、それじゃあ、その変な性格にならないように気をつけなきゃ。」
 「それを言うなら、お前みたいにマヌケにならない様にだろうが!」
 「フフフッ!」
 「アハハハハ!」
 俺とシータは、お互いの顔を見ながら笑いあった。
 なんか、こういうのって夫婦みたいな会話かも知れない……

 「それにしても、よくまたこの時代に来れたな……」
 笑いが一段落した後、俺はずっと考えていた疑問を投げかけた。
 「それはね、私が計画の主任だからよ。だから、いろんな難癖付けて来ちゃった。」
 シータはニッコリ笑いながらそう言ったわけだが……
 「なにぃ!? お前が主任だぁ!?!?」
 俺は、心底ビックリした。
 あの頃のシータなんて、はっきり言って、のーみそをどっかに忘れてきたとしか思えないほど頼りなかったというのに……
 「そんなに驚かなくてもいいじゃない……」
 シータは頬ぺをぷーと膨らませて、俺を睨んでいる。
 「心配だなぁ! 良くお前なんかがそんな大層な役を……他にもっとしっかりした女のコはいなかったのか?」
 俺は昔のように、ワザと意地悪っぽく言ってやる。
 「ひどいなぁ……もちろん、私なんかよりしっかりした人はいるけど、みんなそんな事したがらなかったし……」
 シータも昔と同じように、むくれながら返事を返す。そんなやりとりも、今となっては素晴らしい思い出だ。
 俺は、話を続けた。
 「じゃあ、なんでお前はこの仕事を選んだんだ?」
 「……逃げたくなかったからよ。」
 そう言ったシータの顔は、いつもニコニコしていた時とは違い、真剣そのものだった。
 俺は意味深なシータの答えに、再び質問をする
 「逃げたくないって、何からだ?」
 「……色々な、事からよ……。……私って記憶力は無いし計算だって苦手だし、あんまり研究とかに向いてるって思えないし……。それなのに、クラスがVHだからって、強制的に研究所で働かされてるし……。」
 そう元気なく答えるシータの表情は、何となく疲れているようだった。
 確かに、俺はシータには研究職なんかは似合わないと思う。
 もちろん、それはシータが頼りないとかそういった問題じゃない。どっちかというと、保母さんみたいな職業が似合ってるんじゃないかと思う。
 「でも、お前主任なんだろ?……そういうのって頭良くなきゃなれないだろうが……」
 俺は彼少しでも女を元気づけようと、笑いながらそう言ったが、
 「……それだけ、正常な遺伝子を持った人が少ないっていう事。」
 ボソッと言ったシータの表情は、余計に沈んでしまった。
 俺は自分の思慮の足りなさに、心底情けなく思った。シータから、未来の話は聞いていたのに……
 「……ごめんな、考え無しに変な事聞いて……」
 謝るしかなかった。
 「いいのよ、だって本当の事だもん。」
 シータは手をパタパタ振りながら、明るく答えた。
 「……ムリ、しなくてもいいよ、シータ……」
 俺はそう言った。シータが無理して明るく振る舞っているのが解るからだ。そんなシータの心遣いが、とても痛々しく思えた。
 「……本当は、研究所なんて働くのはイヤだった……」
 そう語るシータの表情は、再び沈んでいた。
 「……毎日、人類の復活なんて綺麗事を言って、ひたすら遺伝子をいじり回すだけ……そして、生まれてくるのは人の形をしていなかった……そんな子達を、生きたまま高熱炉に放り込むのよ……。……私は、そんな時いつも逃げていた。見たくなかったの、せっかく生まれてきた子供が、その存在を認められない内に焼かれていくのが……。……でも、このまま逃げているばかりじゃいけないとも思っていたの。だから、開発されたばかりの時空移送装置で過去に行って、直接遺伝子を採取する計画に、私は自ら志願したの。…………他にだれも志願なんてしなかったし、アッという間に私に決まっちゃったけどね……。」
 「………………」
 シータは、初めて俺に自分の未来の様子を語ってくれたのだ。
 とてもショックな内容だった。
 俺は今まで、シータの仕事はただ子供を産んで育てる事だと考えていた。しかし、それは全く違っていたようだ。
 彼女は、毎日地獄を見ていたのだ。
 高熱炉に、生きたままの赤ん坊を放り込むとは……
 再度、俺は未来に生きる人類の罪、そして余裕の無さを実感していた。
 そしてシータはその罪と余裕の無さの中で、必死に生きているんだ。
 けれど、シータは笑顔を失わない。俺はそのシータの笑顔で、どれだけ助けられてきたことか……
 以前、テスト勉強くらいでウジウジ言っていたのが、とても恥ずかしく思える。
 そんな事を考えていて、俺は暗い顔でもしていたのだろう、
 「でもね、私は研究所にいて、本当に良かったと思う事が出来たの。……どんな事だと思う?」
 シータは急に明るい口調で質問を投げかけてきた。
 しかし俺はさっきの事もあり、迂闊な返事をする訳にはいかなかった。
 「……すまん、わかんないよ……」
 頭を掻きつつ、そう言うのが精一杯であった。
 「……それはね……あぁん、はずかしいナ……」
 シータは顔を赤くしながら、なにやらモジモジしている。
 「何が恥ずかしいんだ?」
 「……私が本当に良かったと思えたのは、貴方に知り合えた事。……初恋だったの、貴方を好きになったのが……」
 そう言って、シータは俯いてしまった。
 ………
 うーん、改めてそう言われると、なんかマジで恥ずかしいぞ??
 あの日も、『初恋の人に抱かれてるんだもん……』なんて言ってたっけ。
 男にとって、最高の言葉だよなぁ……。
 「じゃあさ、具体的に主任っていうのは、どんな仕事をするんだ?」
 俺は照れ隠しに、そんなどうでもいいような質問をした。
 「それは、計画の全時間設定やサンプリング対象……貴方の事ね……とそれにかかる物資や機械の開発と収集かなぁ。あと、実際過去に行ってその人に抱かれてくる事と子育てね。」
 そう答えたシータ言葉に、俺は一つの疑問が浮かんだ。
 ……という事は、シータが俺を選んだのか?
 いったいどんな理由があって俺が選ばれたのか。考えてみれば、これは結構重大な問題かも知れない。
 「じゃあ、どうして俺を選んだんだ?」
 俺は慌てて聞く。
 「……あ、それを決めたのは私じゃないのよ。私の上司の人が、こいつにしろって……そう言えば、理由は教えてくれなかったなぁ……」
 シータは首を傾げながら、なにやら考え込んでいる。
 「誰だ、その上司って? それに、俺のことを『こいつ』なんて呼ぶとは……」
 俺はそんな台詞を呟いていたが、シータが俺を選んだワケじゃないという事実を知って、ちょっとガッカリしていた。
 「私が小さい頃から、とっても可愛がってくれてる人よ。いい人だもん。」
 そう言うシータの顔は、何だか嬉しそうだった。
 ………。
 「うーん、妬けるなぁ……」
 「うふふ、そう言って貰えると嬉しいな……でも、私はその人をそういう感情で見られないなぁ……尊敬してる人だから……。」
 「そうなんだ……。お前が尊敬してるんなら、いい人なんだろうな。」
 心がほっとしたような感じだ。
 なんか、さっきからシータの一言一言で心が揺れっぱなしかも知れない……。
 やっぱり、惚れた女にはかなわないってのは、ホントだろうな。
 「うん。……あー、そういえばあの時私が来てた服、アレ私が作ったんだからね。」
 シータは唐突に思い出したのだろう、またふくれた顔でそう言った。
 ふっと、シータのコスプレ姿が俺の頭をよぎる。
 「はぁ? あの変なマニアックな服をお前が?」
 「そうよ。」
 「お前、センス悪いぞ。」
 俺は意地悪っぽくそう言ってやった。
 「ひっどーい!! これでもね、私美術の成績は良かったんだから!!」
 「んなもん関係ないって……」
 そういえば、初めてシータの会ったとき、バイ菌の話の時も同じ顔して怒ってたっけ……
 俺は、自然に笑いがこみ上げてきた。
 「そんなに笑わなくてもイイじゃない……確かに、昔のアニメをちょっとは参考にしたけどぉ……」
 シータは赤ん坊の顔を覗き込みながら、ブツブツ文句を言っている。
 こうしてみると、本当に母親になったんだなと改めて感じさせる。
 やはり、女は化けもんだ。

 「……そういえば、今日は何時までいられるんだ? また、前みたいにしばらくいられるのか?」
 しばらくの間、俺とシータは自分たちの身近な話題で話に花を咲かせていた。
 そして、電車が俺の降りる駅の半分くらいまで差し掛かった位であろうか。
 もし、このままシータが俺の家に来るといったら、あのかーちゃんとの接触は免れないであろう。
 それは非常にマズい。
 もしもシータの抱いてる子供が俺の子なんぞと知れようものなら、俺は再び朝日を拝む事が出来ないのは確実だ。
 だから、その辺をしっかりとしようと尋ねたのだ。
 「え……!!」
 シータは慌てて腕時計を覗き込む。
 「ぁ……ごめんなさい……今回は、すぐに帰らなきゃいけないの……」
 シータの表情が、アッという間に沈んでしまった。
 「じゃあ、せめて家で飯を食ってから……」
 俺はなんとか、シータが帰る時間を引き延ばそうとした。
 しかし、シータは首を横に振る。
 「ダメなの。後10分もいられないよ……」
 「そんなバカな……」
 折角、こうして再び逢えたというのに……
 手が冷たい。それに、冷や汗で手がしっとりしている……。
 あの日、俺の記憶を消すと言われた時の事を、また思い出してしまった。
 ……絶望感。
 まさに、その言葉が一番よく似合うだろう。
 「だって、この子に貴方の顔を見せるだけだったから……」
 シータは申し訳なさそうに、俯いている。
 「……今度、何時来れるんだ?」
 俺はどうにかして、希望が欲しかった。シータと再び合う希望が……
 「もう、ダメかも知れないね……。今回でも、かなりムリ言って来たから……前の時も、ホンの30分くらいで帰るつもりが10日もいたし……」
 「タイムマシン使ってるんなら、そのくらい関係ないだろう?」
 俺はなんとか食い下がる。
 例え帰る時間が決められていても、タイムマシンはいつの時代でも行けるはずだ。帰る時間だって、例えここにどのくらい居ようとも関係無いではないか。俺はそう考えたからだ。
 「……時空移送装置はね、私達の管轄ではないのよ……こっちにいた時間は、1000分の1秒単位で計測されてるわ……。私達の世界では、過去と接触する事を極度に避けているの。歴史が変わってしまうかも知れないから……」
 シータは俯いたままだ。
 「どうしてもダメなのか?」
 俺はどうにかならないのかと、まるで祈るかの様に続ける。これが、俺に出来る最後の懇願だった。
 「ごめんなさい……前回、帰還時間をずらしたのがバレちゃったとき、時空移動装置の管理局と私達の研究所が凄いケンカしちゃって……今度何かしたら、二度と使わせないなんて言われちゃって……」
 シータの声が震えていた。
 俺は絶望感に苛まれながらも、彼女の言っている妙な事実に疑問を感じた。
 「何かしたらって、シータ達がやってることが一番大切なんじゃないのか?」
 「私達はそう思ってる。でもね……時空移送装置の管理局にも思惑っていうのがあるわ。……彼らは装置を使わせて利益を得てるからね……。」
 人類の未来を賭けた計画を、エサにしてる連中がいるのか!?
 全く信じられない……
 そこまでして私腹を肥やしたいのか? 人間というものは……
 「……バカじゃねえか、そいつらはよ!」
 俺はそう言うのが精一杯だった。こんなに一生懸命なシータを、バカ呼ばわりする奴らがいたとは……!!
 俺は、自分がそう言われた以上の怒りを感じていた。
 「……彼らにしてみれば、私達こそ馬鹿者だって言ってるわ。……全て流れに任せれば良いんだ……ですって……。」
 シータは、まるで無感情な人間が喋ってるような言い方をしていた。
 やはり、彼女も怒りを感じているのだろう。しかし、彼女が抱いている赤ん坊を怯えさせないよう、自分の感情を押さえ込んでいるのだ。
 俺は理解に苦しむ。
 なんで流れに任せろなんて言ってる連中が、タイムマシンなんて持ってるんだろうか……。それこそ、本当の流れを変えるものだと思うが……
 俺は、もっとシータの世界の話が聞きたいと思う。
 しかし、それは出来ない。
 シータとの別れの時間が、すぐそこに来ているんだった。
 「シータ……俺はもうお前を無理に引き留めないよ。……でも、これだけは言わせてくれよな。もう、俺の記憶を消しても無駄だぞ。」
 俺がそう言うと、シータはニッコリ微笑む。
 「そうだよね、結局思い出しちゃったんだもん。もう、私は貴方の記憶の操作なんてしないよ。……でも、私達の事、他人に言っちゃダメだよ。」
 「分かってる。お前と分かち合った記憶は、俺の胸の中に大切にしまっておくさ。」
 「ごめんね、この前は色々迷惑かけて……私は、貴方に何にもお返しが出来ないよ……」
 シータの表情が沈む。俺の心もそれに同調して、沈んでいく思いだ。
 俺は懸命に、笑顔を作る。たぶん、顔が引きつっているんだろうな……
 「お返しは十分貰ったよ、シータ。俺の子供の顔を見せてくれたので、おつりが来るほどだ。」
 「ありがとう……」
 [ピピピピピピピピ……]
 その時、シータの付けていた時計から、アラーム音が聞こえてきた。
 「!……もう時間だ……」
 シータは悔しそうに、アラームを消す。
 俺はいたたまれなかった。もう、シータとは別れたくない。
 しかし、彼女を引き留めるわけにはいかない。俺の子や、シータ達の未来のためにも。
 俺が今出来る唯一の事は、シータが少しも辛くならない様に送り返してやる事だけなのだ。
 結局、自分が辛い思いをしたくないだけなんだろうが……
 だから、俺は精一杯明るく振る舞う。
 「最後に、お前の顔を良く見せてくれよ。」
 「うん。」
 シータは微笑みを浮かべた可愛い顔を俺の方へ向ける。そしてその瞬間、俺はシータに軽くキスをした。
 「唇は貰ったぞ!」
 「あんっ……急にするなんて……」
 シータはほっぺを真っ赤にしながら、俺に微笑み返してくれた。
 そんな中、電車がブレーキをかけ始めた。
 具体的に、別れが近づいてきたのだ。
 「もう、二度と逢えないんだな……」
 俺は、まるで自分自身に言い聞かせるように言う。
 「そうね、そう考えた方がいいね……。」
 そう答えるシータの目からは、涙が再びポロポロ零れ落ちる。
 ついさっき、明るく振る舞って送り出してやろうなんて考えたばかりなのに、それはもう実行出来そうになかった。俺の心には、急に悲しみが襲ってくる。
 「今度は、きっちり別れの言葉を言わせてくれよ。もう、知らない内にいなくなるのはごめんだ……」
 俺の声は、掠れていた。
 「うん……」
 電車が駅のホームに滑り込む。
 「シータ、元気でな……! 俺は絶対、お前に逢いに行くからな! お前の生きてる時代に!」
 「うん、待ってる……」
 電車のドアが開く。
 「じゃあ……それまでのお別れだ……」
 俺が見送る中、シータが電車を降りる。
 俺も、一緒に電車を降りたい。でも、それだけは絶対出来ないのだ。
 俺は必死に、唇を噛み締め堪えている。
 「85年……85年よ……貴方が迎えに来るの、私、待ってるから!」
 赤ん坊をぎゅっと抱きしめ、シータは涙声でそう言った。
 「解った! 絶対、何があってもお前に逢いに行くからな!!」
 俺は最後の最後に、シータの顔に触れようと手を伸ばす。しかし、無情にも閉まるドアが俺とシータの間を隔てた。
 俺は、ドアを思いっきり叩きながら叫んだ。
 「シータ!! 絶対にまた逢おうな!!!」
 シータは、懸命に頷いている。こぼれ落ちる涙を、必死に振り払っている。
 シータ……
 もう、二度と逢えないかも知れない、俺の愛した女。
 電車が動き出す。シータも、それと一緒に俺の方へと歩き出す。
 本当に、お前と一緒に暮らしたかった……!!
 しかし、それは俺にとっても、彼女にとっても破滅を意味するんだ。
 ……そんな事は解っているが、どうしても割り切る事が出来ない。
 知らぬ間に、目から涙があふれ出ていた。
 俺はドアにもたれ掛かり、シータを見ている。
 別れがこんなに辛い事だったなんて、今まで思いもよらなかった。
 今はまだ、手を伸ばせば届く距離にシータはいるんだ。
 出来ることなら、いますぐにでもこのドアを叩き破り、シータに帰るなと言っやりたい。そして、ずっとずっと抱きしめてやりたい。
 しかし、それは絶対に出来ないのだ。俺とシータは、生きる時間が違うのだ。
 俺は、自分の無力さを思い知った。
 もう、シータを抱くことはおろか、見ることすら出来ないなんて……!!
 電車は既に、シータが追いつけないほど速度を増していた。
 それでもシータは、懸命に電車を追いかけている。
 俺は、シータに色々な事を教わった。
 あいつのおかげで、俺はつまらない人生を送らずに済んだんだ。
 シータにお返しをしなくてはいけない。
 これはしばしの別れなんだ。たったの85年なんだ。
 窓に顔をへばり付けさせ、俺はずっとシータを見ている。
 だんだんと小さくなってゆくシータの姿。しかし、彼女が一生懸命手を振っている様子は、何時まで経ってもくっきり見える。
 たとえ涙で視界が歪んでいても、彼女だけはしっかり見える。
 85年間、俺は生き抜いてやる。そして、シータに再び出逢う。
 たとえ戦争が起こったとしても、絶対に生き延びてやる!
 そして、再び出会えたときは、前と同じように、俺が作った旨い飯をしっかり食わしてやるんだ。また、二人で旨い飯を食うんだ。
 そのためにも、俺はこの環境を、世界を守り続けてやる。
 再び、シータと旨い飯を食うんだ!
 二人で、綺麗な世界で生きてゆくんだ!!

 俺は涙を振り払い、じっと外の景色を見つめる。
 この木を、草を、真っ青な空を、シータが綺麗と言ったこの世界を、俺は決して忘れない。
 何としても、この世界を未来へと受け継ぐのだ。
 そしてもう、二度とシータに悲しい表情はさせない。
 俺はそう心に決めたんだ。
 シータに出会うその日まで、俺は世界を守ってやる。
 この世界を、地球を守っていくんだ……

 終わり

★あとがき

 エー、読んで下さって、ありがとうございます。とりあえず初めて公開したお話です。
 ところでこの話、知ってる人はわかったでしょうが、シルキーズの『フェルミオン〜未来からの訪問者〜』にそっくりですよねー。
 一応はっきり言っておきますが、パクリではありません。
 似ちゃったんです。というより、気付いたら似たような話だったと…。
 だからシルキーズのファンだとかいう人、不幸のメールなどを送りつけてこないように!
 でも、感想は下さいね。ヒマだったらでいいから。

 ちなみに、この話には続きがあります。
 シータさんが未来に帰った後のお話です。
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