自分を、信じて…

PHASE_00 [プロローグ 〜終局と始まり〜]

November 23 21:31 p.m.

「待って! お願いだから!! 話を聞いてよ!」
「もう俺にはカンケーねぇよ!! いい加減にしろよ!」
「ねぇ!! お願いだから……待ってよ!」
「もう別れるって言ってんだろーが! しつけぇんだよ!!」
「そんなぁ!! お願いだから待って! 待ってよぉ!…………ひぃっ!!」

 キィィィィィィッッッッ!
 ……バンッ!

「がはっ!……」

「ぁ……お、オレは知らねえからな!! 勝手に飛び出したんだからな……オレは知らねえぞ!!」

「おい! 女のコが轢かれたぞ!」
「何で飛び出してくるんだヨォ……」
「なに、事故ぉ!?」
「やだー! 人が轢かれてるー!」
「うわー、ちょっとヤベんじゃねえの? これぇ……」
「だれか、救急車は呼んだか?」
「今、運転手が電話ボックスに……」

……血が……血が出ちゃう……だめ、死ねないよぉ……

「……ぶこ……ぶく……ぐぶ………」

「おい、なんか言ってねえか?」
「わかるかヨォ……口から血の泡吐いてんだぜ!?」
「きゃー! 見てみて!! アレ腸とか飛び出してんじゃない!?」
「うぇ……マジかよ! エグイもん見ちまったぜ……」

……おなかが痛い……おなかが……わたしの………赤ちゃんが…………

「ぶっ……ぐぶっ………………………。」

「おい! なんか動かなくなったぞ!? 救急車はまだかよ!?」
「もうダメなんじゃねえの、こいつ……」
「あ、来た来た! 救急車よ!」
「もうおせえって……死んでるよ、こいつ。」
「女もこうなっちゃ、おしまいだよな……」

November 23 21:33 p.m.

「……はぁ……はぁ……はぁ……」
 男の吐息が、部屋の中に響いている。
 それはもちろん、運動の後の呼吸数増加などでは無い事は明らかだ。
 部屋の中心。
 照明を消し、保安灯のみによって得られる薄暗がり。
 その中で一人の青年が、まだ幼さの残る己の男性自身をしごいている。
 コソコソという音、快感によって発せられる彼の吐息、そして、喉の奥から絞り出される様な短い喘ぎ声。
 それらが静かに、そして正確なリズムで発せられていた。

PHASE_01 [裕一 1]

7 Months Ago.
 April 29 16:25 p.m.

 その日は、山野裕一の高校時代の友人達が卒業後に集った、一番最初の同窓会だった。
 彼は高校時代のクラスメートらに誘われるがままに、その同窓会に出席していたのだ。
 場所は、とある商店街の飲み屋である。
 若者達に受けそうな、広くて明るい開放的な店内。
 同窓会は、そんな店内のコーナーに設けられたテーブルを2つほど占領して、賑やかに催されていた。
 しかし、元クラスメートらが大騒ぎをしている中、裕一は彼らの会話には参加してはいなかった。
 元クラスメート達から離れて座り、彼は会の最初に配られたままで、中身の全く減らないコップの中身を、ただじっと見つめていた。
 少なくとも、他の人間からはそう見えたのだ。
 けれども実際、彼はずっと自問自答を繰り返していた。
……なんで、僕はここに来たのだろう?
 と。
 高校時代のクラスに、彼には特別仲のいい友人が居たわけではなかった。付き合っていた女子も、全く居なかった。
 ならばそんな彼が、なぜ同窓会などに来たのか。
 強いて理由を挙げるとすれば、高校時代に、彼には片想いの女子が一人居た事くらいだろう。
 その子は髪が長い、いつも明るい女の子だった。
 大きなリボンで纏めたポニーテールが、彼女のトレードマークであった。そのさらさらな髪は、風が吹くといつも光り輝いて見えた。
 5月初旬の暖かい風の中、教室に吊ってあるカーテンと共になびく、長く美しい髪の毛。
 そして、彼女の輝く白い肌。
 淡く、緩やか日差しを満たした教室で、快活に他の女友達と戯れる彼女の姿。
 その屈託の無い笑顔。
 誰とでも気軽に話し、ともに笑いあう。
 裕一はそんな彼女の姿を、何気なく眺めていただけなのだ。
 しかし、彼自身が気付かない内に、彼女は、彼にとっての特別な存在となっていた。
 彼女以外の女子とは、ほとんど口を利いた事が無かった高校時代。
 彼女と話をする時には、彼はいつも緊張していた。
 言いたい事も良く言えず、また、自分から声を掛ける事もはばかられたのだ。
 初め、彼は女子と口を利く事に馴れてい無いからだろうと考えていた。
 だが、そのうちある事に気が付いたのだ。
 彼女と話す時だけ、気分が高ぶる事に。
 ……裕一の、初めての恋だった。

  一向に中身の減らないコップを見つめながら、裕一は自分がかつての抱いていた、淡い恋心を思い出していた。
 そしてようやく、ここに来た意味を見つけたのだ。
 ただ、彼女をちょっと見てみたい、そんな好奇心があっただけなのだ。
 現在、裕一は志望校に合格する事が出来ず、一人暮らしで予備校に通っている。
 彼のクラスでは、彼は珍しい存在だった。
 進学を希望した彼以外の人間は、すべて大学に進学していた。
 同情、慰め、そして、ほんのちょっとの軽蔑、好奇心。
 それらは、今行われている同窓会という名の、いわば進学先の自慢大会の最初に、彼に向けられた元クラスメート達の感情であった。
 そして、焦燥、嫉妬、自信喪失。
 これが、その時彼の抱いた感情だった。
……来なければ良かったかもしれない……。
 未だ中身の減る事の無いコップを見つめ、裕一はそう心の中で呟いた。
「キャハハハハッ!」
 不意に、女子の笑い声が聞こえた。
 裕一は反射的に顔を上げる。
 そして、彼の視線の先には、高校時代と全く変わりなく、いまだ男子にも女子にも人気のある美由紀の姿があった。
 彼女こそ、裕一の高校時代片想いの相手だった人だ。
 そんな彼女の顔を見ながら、裕一はもう一度呟いた。
 来なければ良かった、と。
 今の美由紀は、高校時代トレードマークであったポニーテールはしておらず、現代の標準的な若者らしく茶パツに染め、その長い髪は彼女の背中にゆったりとかかっている。
 服は、赤いタイトのミニスカートに、同色のブレザーを羽織っている。
 しかしその服は、10代の女が着る様な雰囲気のものでは無い。
 どう見ても短すぎるスカートや、極端なほどに胸の谷間を強調するブラウス。
 そしてそれらの服を飾り立てる、自己主張の強いアクセサリー達。
 もちろん、それらは皆ブランド物だろう。
 裕一が美由紀の格好に抱いた第一印象は、『けばけばしい』である。
 それに対して彼の高校時代の彼女に対する印象は、明るく清純という事だった。
 実際、美由紀が本当に清純であったかは分からない。
 しかし、化粧する事などは全く無く、いつも輝いた素顔を見せていた事は、紛れも無い事実なのだ。
 けれど今、裕一の視線の先にいるものは、まるで別人の様な様相をしている美由紀であった。
 不自然につり上がった眉毛に濃いアイシャドー、耳にはピアス、そして色の濃い口紅。
 けれどもその彼女の格好は、都会などでよく見かける女達と何ら代わりは無い、ある意味平均的な格好だ。特に目立つ事は無いだろう。
 けれども裕一にとっては、極めて異質に感じられた。
 汚い。
 裕一の言葉を借りれば、美由紀はその一言で表現出来る様なものだった。
「あれ? 裕くん、何で飲まないの? せっかくみんなで集まってるんだから、もっと楽しくやろうよ!」
 不意に声を掛けられ、裕一はまるで何かが弾けたように顔を上げた。
「あっ……え……うん。わかってる……。」
……声は、やっぱり変わらないよね……。
 そう思う裕一の心は、より沈んでいく。
 昔惚れていた、変わってしまった女。しかし、声はあの時そのものだった。
 裕一の好きだった頃の、優しい、よく通る声。笑顔とともに、可愛い笑い声が教室によく響いていた。
 そのあまりに大きすぎるギャップで、裕一はとっさに返事が出来なかったのだ。

April 29 21:32 p.m.

 裕一らの同窓会は、2次会へとその場を移していた。
 今度の店は、1次会の様な商店街ではなく、飲み屋の並ぶ繁華街に店を構えている。店内は薄暗く、ある意味落ち着ける雰囲気を持った場所だ。
 彼らはまた2つほどテーブルを占拠し、まだ20を迎えていないにも関わらず、日本酒やウィスキーなどを飲み、大学や新しい職場の話しに花を咲かせていた。
 そして、その話の輪からはみ出た所、裕一はまたもや端の方で、一人うつむきながら座っていた。
 彼は1次会のみで帰ろうとしたのだが、たまたま帰りの駅とこの店の方角が同じだったため、元クラスメートらによって無理やり連れて来られたのであった。
 もっとも、一番強く彼を誘ったのが美由紀であったため、裕一もあまり強く断ろうとはしなかったのだが。

 2次会が始まってから30分くらい過ぎた頃であろうか。
 裕一の隣に、かつての数少ない友人の一人が腰掛けた。
 ずっとうつむいたままで居た裕一は、実際彼が座ってきてから初めて気づき、あわてて顔を上げた。
「よう、なんかしけたツラしてんなー、お前。……元気にやってるかぁー?」
 すっかり酒が回り、陽気に問いかける彼の態度とは正反対に、裕一はうんと首を縦に振るだけで、あとは愛想笑いを浮かべている。
「なーにが『うん』だよぉー、だったらもっと賑やかにいこうぜぇー!」
 元友人の変わり果てた酔い様をまざまざと見せつけられ、裕一はよけいに萎縮していた。そんな裕一の様子を見て、その友人は何とか話題を見つけようと、店内をきょろきょろ見渡していた。
 元々この友人は生来の面倒見の良さで裕一以外の友人も多く、いつも教室で一人でいた裕一の話し相手になっていたのが、その交友のきっかけの様なものであった。
「そうそう、ほら、お前が高校時代に好きだった美由紀、だいぶ変わったよなー!」
 裕一のとなりに座った友人は、やっとの思いで話題を見つけたのだろう。
 片方の手で美由紀を指さし、もう片方の手では裕一の肩を抱きながら、友人はやたらと大きな声で言い放った。
「え、違うよ! なに言ってるんだよ……」
 決して人は知らないであろうと思っていた、裕一の高校時代唯一の大切な思い出。
 それをあっさりと、この様な場で公言され、彼はあわてて否定する。
「えー、美由紀悲しいー!」
 元クラスメート達がニヤニヤしながら裕一に注目する中、皆と同様酒の回った美由紀は自分の頬に両手を寄せて、ぶりっこのそぶりをしながらそう返した。
「あ、ごめん! そんなつもりじゃ………」
 美由紀のふざけ半分の言葉に、裕一は本気に相手をしている。いくら美由紀が様変わりしたとはいえ、彼にとっての彼女は、まだまだ高校時代のままなのだ。
「じゃあ、ホントはどーなんだ!? 言っちゃえよー!」
 裕一のとなりに座る友人が、彼の両肩を揺さぶりながら、わざと皆に聞こえる様な大声で質問を続けた。
「だから、その………」
 返答に困る裕一をもっと追いつめたいのか、美由紀も調子に乗って答えをあおる。
「裕くーん、私のコト嫌いなのね!?」
「ち、違うよ! そんな事はないよ!」
 反射的にそう返した裕一を指さし、その場に居合わせた元クラスメート達は皆これ見よがしに笑い出す。
「あの、だから、好きとか嫌いじゃなくて……」
 今更懸命に弁解を試みたところで、全く無駄であろう。
 皆、裕一の言葉などには耳を貸さず、それぞれの話題に戻っていった。
「まったく、何であんな事言っちゃったの?」
 全くピエロを演じてしまった裕一ではあるが、彼も皆が酒の回った状態である事を重々承知していたので、諦めながら隣の友人に愚痴をこぼす。
「あんなコトって言ってもさ、みんな知ってんじゃないかなー。」
 未だニヤニヤしながら、その友人はそう返してくる。
「それ、どういう事?」
 全く予想していなかった友人の言葉に、裕一はあわてて問い返した。
「だからさぁ、お前が美由紀が好きだって事はな、クラスじゃ有名だったって事!」
 立てた人差し指を口元に近づけ、ちっちと横に振る友人。
「だから、どうしてそんな事が分かったの?」
「だって、お前いつも美由紀の事見てたじゃん。」
 真剣な目で問いかける裕一に、友人は笑いながらそう答えた。
「僕、そんなに見ていたの?」
「そりゃ、ホントかどーかは知らんけど、クラスの中じゃ、そーなってるみてーだなぁ。まぁ、普通なんじゃねぇの、あいつ昔からヤラシー躰してたしなぁ。お前も、美由紀のでっかいオッパイ見てたんだろ?」
「そ、そんな事はないよ!!」
 裕一にとってその友人の言葉は、高校時代に思い出を汚される様なものだった。だから、彼はついつい本気で言い返してしまったのだ。
 けれど、友人の言葉は続いた。
「そーいえばよぉ、お前知ってるかぁ? 美由紀ってさぁ、結構サセコってこと……」
 さすがにこれははばかられたのだろう。裕一の耳元で、その友人はコソコソ語りかけてきた。
「っ!!!…………」
 その、美由紀に対する印象を全て破壊する様な友人の言葉に、裕一は胸が締め付けられる様な感覚に襲われた。
 息もできず、むろん何を言い返す事も出来ない。
 体中から血の気が引いて、指先が冷たくなってゆく。
 目の前も真っ暗だった。
 そんな裕一の態度に若干の罪悪感を覚えたのだろうか、友人はいそいそと元の席に戻っていった。

April 29 22:13 p.m.

「そんじゃあー、また今度なー!」
「おーう、またの飲もーぜー!」
 裕一にとっては異様に長かった同窓会が、やっと終わったのだ。
 元クラスメート達が飲み屋の店先で、別れの挨拶やナンパじみた女子へのチョッカイを出している。
 そんな彼らの様子を、裕一は離れた所から一人で眺めていた。
「裕くん、どうしたの? そんなところで……」
 不意に、背後から声を掛けられた。
「え!? あの……あっ……」
 振り向いた裕一の頬には、派手なマニキュアをした美由紀の指が突き刺さっている。
「あはは、大成功!」
 指を彼から離し、美由紀はにっこりと微笑む。
「美由紀さん……」
 高校時代、裕一がずっと見ていた美由紀の笑顔が、そこにはあった。
 確かに美由紀の姿は変わっていた。
 しかしその彼女の笑顔は、その彼女の変化がたんなる上辺だけのものであると言い切れるほどに優しく、そして裕一の心を落ち着かせた。
……やっぱり、変わって無い。
 裕一は、そう心の中で呟く。
 しかしそれは単純な彼女に対する評価では無い。
 今も彼の胸の奥に大切に仕舞っている、清らかな美由紀の思い出を壊さないが為に、彼が彼自身に言い聞かせている様なものでもあったのだ。
「ねぇ、裕くん、まだ時間ある?」
 不意に、美由紀が聞いてきた。
 彼女は腰を曲げ、上目遣いで彼を見ている。
 美由紀の大人っぽい笑みと、その強調された胸の谷間に、裕一の視線は無意識に吸い寄せられていく。
「裕くん?」
「え?! ……あ……あの、それってどういう意味……?」
 裕一はあわてて視点をずらし、ほとんど反射的に返事を返した。
 もちろん、裕一には予定などというものは存在しない。彼は家に帰ってただ寝るだけなので、時間は十分にある。
 しかしこんな遅くに、美由紀といったい何をするというのであろうか。
 彼には、何がなんだか分からなかった。
「だからさぁ、久しぶりお互い会ったワケだしぃ、もう少しおしゃべりしたいじゃない?」
 美由紀は甘えた様な声で、裕一の腕にしがみつきながらそう言った。
「……あの、お酒飲み過ぎちゃったんじゃないの?」
 そんな美由紀の姿を、彼は酔っぱらったが上の行動であろうと思ったようだ。もたれ掛かってくる彼女の体をどう扱えば分からず、なされるがままになりながら裕一はそう返した。
「……あれくらいで酔うわけ無いでしょ? だから、二人だけでもうちょっと飲みに行かないかって言ってるのよ。」
 もたれ掛かるのをやめ、美由紀は普段通りの口調でそう言った。
「あれ位って……結構飲んでなかった?」
「別にぃ。いつも飲んでるし、大した事無いわよ。」
 そう言い放つ彼女の言葉に、裕一は若干の不安を感じざるを得なかった。しかし、これ以上どうこう言う事はくどいと感じられ、彼はそれ以上酒の事を言及する事はやめにした。
「あの……、時間ならあるけど……」
「そう? じゃあ、行きつけの店があるのよ。今から行かない?」
 そう言い終わるが前に、美由紀は裕一の手を引いて歩き出す。
「あ、行くから、手を……」
 裕一はそこで言葉を止めた。
 美由紀の柔らかい手が、直接彼の腕をつかんでいる。
 そのほんのりとした暖かさとしっとりとした感覚が、彼の彼女への想いを徐々に強くしていったのだ。

 とあるバーの中。
 2次会よりも、もっと暗い店内。
 煙草の煙がうっすらと立ちこめ、テーブルやカウンターを照らし出す数少ない照明からは、ゆらゆらとした煙による光の筋が広がっている。
 他の客は皆、サラリーマンやホステスなどと言った『大人』達だ。むろん、未成年者は裕一達しか居ない。
 いかがわしさとでも言うのか。そんなものが、若干立ち込めていた。
 二人はぴかぴかに磨き上げられたカウンター席に腰掛けている。どう見ても二十歳を超えていそうにもない容姿をした裕一について、そのカウンター越しでカクテルなどを作っている店のマスターは、何も言って来やしない。
 もちろん、裕一にとってそんな雰囲気の店は初めてだった。
「ね、ここイイ感じでしょ? 私けっこー気に入ってるんだ!」
「う、うん。そうだね……」
 先ほど注文したカクテルをあおりながら、美由紀はさも楽しそうに問いかける。が、当の裕一はどうも雰囲気になじめなく、なんだかよく分からない色と味をしたカクテルをその手でもてあそびながら、反射的にそう答えた。
「あ……やっぱりつまんなかったかなぁ?」
 美由紀はカクテルグラスをカウンターの上に置きながら、申し訳なさそうに裕一に問う。
「え、あ、違うよ! その、こういう所は初めてで、あの、だからちょっと緊張しちゃって……だから、つまんないなんて事はないよ、本当に。」
 あわてふためきつつ、そう答える裕一。
 むろん、彼の答えはすべて真実だ。
 実際、彼は美由紀と二人で居られる事自体、かなり嬉しく思っていたのだ。
「ならいいけど……。そういえば、彼女出来た?」
 体を裕一の方に寄せ、意地悪な笑顔を浮かべながら、美由紀は彼の顔をのぞき込む。
「え……予備校に行ってるから、そんな事、考えられないよ……。」
 お互いの額がくっつきそうになるほど、美由紀は顔を寄せてくる。
 そんな彼女の視線に耐えられないのか、裕一はカウンターの奥の方を向いたまま、顔を赤くしてそう答えた。
 そして、彼女のつけている香水だろうか、ほんのりと漂う甘い様な匂いを感じながら、裕一は自分の鼓動が速さを増している事に気が付いていた。
 訳もなく、あちこちを見渡す裕一。
……フフフッ……かわいい……。
 美由紀は心の中で、彼をそう評した。
 初めての大人の雰囲気に、落ち着きを失いモジモジする裕一。
……ちょっぴり、いじめちゃおうか……?
 そう思う美由紀はにっこりと、小悪魔的な笑みをこぼした。
「じゃあ、まだ女のコとHしたことないんだ?」
 彼の頬に両手を寄せ、美由紀はそっとつぶやいた。
「えっ!?……なに言ってるの、美由紀さん……」
 ドクンッ! ドクンッ!
 思いも寄らない美由紀の言葉に、裕一は体中の血が逆流する様な感覚を覚える。
 鼓動はより強く、速く。
 そして、冷たくなる手先とは対照に、股間がじんわりと暖かくなっていく。
「だから、した事ないの?」
 真っ赤な顔で、驚いた様な表情のまま彼女を見続ける裕一に、美由紀はもう一度問う。
「あ、あの……まだ、無いけど……」
 うわずった声で、裕一がそう返す。
 ゴクッという唾を飲み込む音も、一緒に聞こえた。
「興味ない? そういうコト……」
 ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ!
 美由紀の仕草やその言葉一つ一つが、裕一を刺激する。
 店の怪しげな雰囲気、そして吐息すら感じられそうなほどに躰をよせる美由紀とで、裕一の精神は混乱していた。
 そして、妙に心臓の音だけが響く。
「そりゃあ、興味はあるけど……て、何言ってるんだろ、僕……」
 裕一は体をもぞもぞさせながら、一人焦ったように返事をした。
「そうだよね、男の子だもんね……」
 不意に美由紀の手が、裕一の股間に触れる。
「ああっ!」
「だめ、静かに……」
「っ!………」
 彼女が触れた所は、もうすでに堅く大きく膨らんでいた。
 裕一は為すすべもなく、羞恥と緊張で潤んだその目を美由紀に向ける。
「ス・ケ・ベ……」
 さすり、さすり……
「ぅっ………」
 もはや裕一の体は、美由紀が軽くさするだけで、敏感に反応するようになっていた。
 彼は他の客や目の前にいる店のマスターに気づかれないよう、懸命にその快感に流されそうになる体を抑えている。
「さ、もう出ましょ?」
 すっと手をどかし、いきなり立ち上がりながら、美由紀がそう言った。
「あっ………。あ、出るんだね、うん、分かった………。」
 何とか返事をするものの、そう簡単にいきり立つ男性自身を抑えられるわけがない。裕一は服の裾を整えるふりをしながら、何とか己が努張を抑えようと試みる。
 そして、誰にも聞こえないように、深呼吸を繰り返す裕一。
「ここは、私のおごりね。」
 そう言って美由紀はウインクした。
……何もかも、見透かされてる……。
 彼女の顔を見ながら、裕一はそう思った。

「裕くん、さっきはゴメンね。」
 先ほどのバーを出て5分くらい歩いただろうか、それまで無言で歩いていた二人であったが、美由紀の方から話を切りだした。
「え……あ、別に謝る事なんて無いよ、ホントに……でも、なんか、美由紀さんがあんな事するとは思わなかったから、びっくりしちゃったんだ……」
 未だ顔を赤らめさせたまま、裕一はそう答える。
「フフフッ……私だって女のコだよ、男のコにも、興味あるし……」
 そういう美由紀は、再び裕一の腕に己の体をすり寄せる。
「あ、あの……」
「ねぇ、裕くん、女のコの事、興味あるでしょ?」
 また美由紀にすり寄られ、何か言おうとした裕一の言葉は彼女によって遮られてしまった。
……こんな時、なんて言えばいいんだろう……。
 女の子の体には、とても興味がある……これが彼の本音。けれどもシラフの彼には、彼女にそんな事を言える訳がなかった。
「ねぇ、どう? 興味あるよね……」
 さらに追い打ちを掛けるがごとく、美由紀は上目遣いで裕一の顔をのぞき込む。
 いつまでも答えないわけにはいられない。
 ならば、美由紀さんには本当の事を言おう。……それが、彼の下した一つの答えだった。
「えっと……やっぱり、女の子の事、興味あるよ。」
 そう言った裕一は、照れ隠しに自分の頬をポリポリ掻いている。
「……私で、いいよ。」
 唐突に、そんな言葉が美由紀の口から発せられた。
「えっ!?」
 反射的に、裕一は隣にいる美由紀の顔を見る。
「私なんかじゃ、だめ?」
 再び美由紀が口を開いた。ニコニコと、誘う様な口振りだ。
「あ、あの……そんな……でも、なんで僕なんか……」
 あまりにも衝撃的な美由紀の提案よりも、なぜその相手が自分であるのか。
 裕一の頭の中は、そんな疑問で一杯になっている。
 今まで、美由紀以外の女子からは全く相手にされた事の無かった彼にとって、彼女からの提案は、到底信じられない事だったのだ。
 立ち止まって悩んだ表情を浮かべている裕一に、美由紀は肩をポンポン叩きながら言う。
「だって……裕くんけっこー顔可愛いし、クラスの女子達の評判ソコソコ良かったのよ?」
「まさか……」
 にわかには信じがたい彼女の言葉に、思わずそうつぶやく裕一。
「ホントだって……ねぇ、だから、これからイイこと、しよ?」
 裕一の返事を待たずして、再び彼女が動き出す。
 彼を引っ張る美由紀の行き先、それは町外れのラブホテルだった。

……何で、僕はここに居るんだろう……。
 裕一は、再び自問自答を繰り返していた。
 美由紀に引っ張られ、初めてくぐるラブホテルの玄関。
 何も分からず途方に暮れる彼をよそに、美由紀はなれた感じで部屋を借りた。
 そして裕一にシャワーを浴びさせ、今は彼女自身がシャワーを浴びている。
 バスローブに身を包み、ベッドに腰掛ける裕一。
 心臓の鼓動は高鳴る一方で、手足は冷たい。
 これから起こるであろう事を予想し、より、彼は落ち着きを無くしていった。
[ガチャッ]
「っ!!……」
 美由紀がシャワールームから出る音に、裕一は弾けるように顔を上げた。
「おまたせ!」
 ゴクッ………
 初めて見る美由紀の素肌。いくらバスタオルを巻いているとは言え、数分後にはそれは取り払われるのだ。
 一段と、彼の心臓の音が大きくなる。
「どうしたの? ……あー、そんなに私の躰に見とれてくれた?」
「あ……」
 そう言われて、裕一はまじまじと美由紀の顔を見る。
 昔のままだ……
 シャワーを浴びた事により、もちろん美由紀の化粧は落ちている。
 そしてそこには、高校時代、彼の心を惹き付けて止まなかった美由紀の綺麗な素顔がある。
 色白で、笑うとかわいい彼女の顔が。
 それと同時に、かつて彼女に抱いた純粋な『想い』もまた、じんわりと彼の胸に満たされていった。
「ねえ美由紀さん……さっき聞いたんだけど……あの……、こういう所って、いつも来るの?」
 裕一は同窓会の時に友人に聞かされた事を、無意識のうちに問うていた。
 あの時の『想い』を汚したくなかったから、美由紀の口から否定の言葉を聞きたかったから。
「……それ、どーいうこと?」
 彼に対して後ろ向きの姿勢で、タオルで濡れた髪を拭きながら、美由紀は問い返す。
「あの……さっきの同窓会で、なんか、美由紀さんがいつもこんな事してるみたいな事言ってたヤツがいたから………」
 裕一は座ったまま、髪を拭く美由紀の後ろ姿を見つめている。
「ふーん……」
 そんな彼の詮索を疎ましいと思ったのか、美由紀はつまらなそうな返事をした。
「……まぁ、いつも来てるってわけじゃないけどね……」
 髪を拭き終わり、美由紀は裕一の方を向く。
「あの……もしもそういう事してるんだったら、やめた方がいいと思うよ……。」
「どうして?」
 美由紀の表情がこわばる。
「どうしてって……心配だから……」
「何が心配だって言うの?」
「だって……あんまり、不特定多数の人と、そういうコトするのは……」
「だから何だって言うの!?」
「っ!!」
 持っていたタオルを床にたたきつけ、急に声を荒げる美由紀。
「あんた人の事言えるの? あんただって私みたいな女連れて、こんなホテルに来てんじゃないのよっ!!」
 予想もしなかった彼女の豹変ぶりに、裕一は驚きを隠せないという様子だった。
 息をするのも忘れ、唖然とした顔で美由紀を見ている。
「それは………」
「何よ、なんか文句あるって言うの!?」
 裕一はすっかり気圧され何も言えず、ただ首を横に振るだけで精一杯だった。
「……どーせあんただってヤリたいんでしょ!? だからこんな所まで付いて来たんじゃない……だいたい、私が何をしようとあんたには関係ないでしょ!」
 ずっと清純だと思い込んでいた彼女の口から、ヤルだのヤらないなどという汚い言葉が出るとは、今まで裕一は一度たりとも思わなかった。
 しかし今、目の前にいる現実の美由紀は彼の思い描いていた彼女とは違っていた。
 そんな、あまりにも過酷な現実をまざまざと見せつけられ、裕一は混乱する。
「もう、ヤらないんなら帰るよ!?」
 さらに追い打ちをかける様な彼女の言葉。
「だから、その……」
 何とか混乱を収めようと、裕一はいろいろ考えてみようとする。しかし、それはは全くの無駄骨であった。
 考えれば考えるほど、よけい頭がこんがらがってくる。
「もう、僕、何していいんだか分かんないよ!」
 そう叫んでも無駄な事はよく分かっているつもりであった。しかし、裕一にはこうする事位しか、何の手段も残っていなかったのだ。
「だったらね、そーいうコトは、ヤっちゃってから考えればいいのよ……お金払うんだし、ここでこんな事しててもソンだよ?……裕くん初めてなんでしょ、焦ってるだけだって。」
 まるで小さな子供をなだめるがごとく、一言一言優しく言う美由紀。そして裕一の隣に腰を下ろす。
「ね? しようよ……」
 そう言い終わらんが内に、美由紀の唇が裕一のそれと重なった。
「んむぅっ!……」
 しっとりとした手で両頬を優しく包まれ、その舌は彼の口腔で妖しく蠢く。
 そんな初めてでいきなりなディープ・キスに、裕一より混乱する。
 ベッドの上に乗り、自分にもたれ掛かるようにしている美由紀の体を、彼は反射的にどけようとする。
 しかし舌を絡めてくる美由紀の顔で何も見えず、彼は闇雲に手を動かしたのだ。
 裕一の手が美由紀の体、そう、脇の下あたりをまさぐった時だった。
 するりとバスタオルがほどけ、それを巻いていた彼女の素肌が露わになる。
「んんっ!!!」
「あっ……こらぁ、いきなりなのぉ?」
 彼から唇を離し、美由紀は恥ずかしそうに、そのもたれ掛かるようにしていた姿勢を元に戻した。
 彼の口には、ついさっきまで蠢いていた彼女の舌の余韻が未だに残っている。離した時にすぅっと糸を引いた唾液が下に垂れ、ちょっと冷たい。
 裕一はそんな垂れた唾液も気にせずに、呆然と彼女の全裸を見ていた。
 恥ずかしそうに微笑む美由紀の顔、そして緩やかな曲線を描く細い首に、肩。
 片手で隠されているが、その丸く、大きな二つの乳房が彼女の呼吸によって、ゆっくりと上下している。ちらっと見えた彼女のかわいらしい乳首が、妙に彼を引き寄せる。
 視線を下に移せば、きゅっと締まった腰に、そこから伸びる両脚。
 あくまで白く、女を感じさせる優雅で柔らかな脚線に、はっと息をのむ思いだ。
 そして最後に彼の視線を釘付けにしたのは、その美しい両足が交わる中心、つまり、彼女のもっとも女である部分であった。
 ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ!!
 裕一の心臓が、再び激しく鼓動を打ち始めた。
「ねぇ、私の躰、きれい?」
 美由紀はゆっくりとベッドにあがって膝立ちで裕一近づくと、彼の片手を自分の胸にあてがう。
 そして彼女のもう片方の手は、バスローブの上からでもはっきり分かるほどの大きく張った、彼の男性自身を優しくさすった。
「ぁっ!……ああっ……」
 裕一の美由紀の胸にあてがわれた手が、わなわなとその乳房を握る。
 ふんわりと、彼が望むがままに形を変え、そして手の握ろうとする力を抜けば、優しく彼の手を押し返し、元の形に戻る。
 そんな一連の動作がこれ以上無いくらい心地よい事の様に思われたのか、裕一はまるでとり憑かれたかのように、ずっとずっと美由紀の胸を揉んでいる。
 一方では、美由紀によって解かれたバスローブの間からのぞく、裕一の欲望が具現化した様な赤黒い肉棒が、彼女によってゆっくりとしごかれていた。
「ねぇ……我慢しなくていいんだよ……」
 美由紀の掠れた様な声が、裕一の耳のすぐ近くで聞こえた。そして彼の耳に吹き込まれたなま暖かい彼女の吐息が、彼の背筋に電気の様な痺れを起こさせた。
「はぁ、はぁ、……ぅっ……あ……あ、あの、いいの?」
 ほんのちょっとでも、美由紀に男性自身をさすられただけで敏感に反応するようになっていた裕一が、乱れた呼吸のままにそう彼女に問う。
「いいよ……」
 美由紀は体の力を抜き、その全体重を裕一に預けた。
「はあッ、はぁッ……ぅっ……美由紀さんっ!!」
「きゃっ!」
 彼女の両肩をつかみ、そのまま彼女をベッドに押し倒す。
 荒い息のまま、まず彼の目に映ったものは、美由紀の息とともに上下する乳房。
 まるでそうするのが当然だ言わんばかりに、裕一は美由紀の乳首にしゃぶり付く。
「はあっ、はあっ……んむぅっ………んんっ………ぅんっ……」
「あ、ヤだ、そんなに強くしたら痛い! ねぇ!!」
 しかしそんな彼女の声は耳に入っていないのであろう、裕一は口に含んだ乳房を握る、もう一方の手でも、彼女の乳房を強く揉み始めた。
[ぴちゅっ……じゅるっ……ちゅっちゅっちゅっ……]
「ねぇ、痛いってば!! もう、ちょっとやめてよ!!」
 美由紀の制止の声と当時に、裕一は彼女によって突き飛ばされた。
 そしてようやく我に返った裕一は、自分をにらみつける美由紀の視線に気づき、あわてて彼女から離れた。
「さっきから痛いって言ってるのに!! なんでやめないのよ!」
「あ、あの、ごめん!! あの……つい、ムキになちゃったっていうか、その……」
 美由紀の非難の声に、泣きそうな顔になりながら謝る裕一。確かに、彼女の胸はうっすらと赤くなっている。
「べつに急いでんじゃないんだから、もう少し優しくしてよ……」
「うん……あのホントにごめん……」
 今にも泣き出しそうな裕一を前にして、美由紀はため息を付く。
「……もういいわよ。初めてなんでしょ? こっちも調子に乗っちゃったかもしれないし、おあいこよ……さ、続きをしよ?」
「……いいの?」
 怖ず怖ずと顔を上げる裕一。
「いいって言ってるでしょ?……早くしようよ……」
「あ! うん……」
 再びトーンの落ちる美由紀の声に、裕一はあわてて彼女の胸に手をおく。
「もう、そっちはいいわよ……ねぇ、ここもさわって……」
 美由紀は再びベッドに身を横たえると、自分の股間に生えたヘアをゆっくりとさする。
「えっ……あ、うん……」
 ゴクンッ とのどを鳴らし、裕一はふるえる手をゆっくりと、美由紀の股間に近づけてゆく。
 その彼の手の動きに合わせるように、美由紀もまたひざを曲げ、それが裕一によく見えるように脚を広げてゆく。
[ちゅくっ……]
 開かれた両足の中心から、そんな水っぽい音がした。
 裕一はおそるおそる、そのわれめに指を添える。
「あんっ……」
 さっきのとは全く違う、鼻にかかった様な美由紀の声。
 裕一はもう一度唾を飲み込むと、ゆっくりその指を上下に動かし始める。
「あっ………そ、そんなかんじ……あっ……んっ……」
[くちゅ………ぷちゅっ……ちゅくちゅく………]
 美由紀のそこは、裕一が触り始めたとたんに熱くなり、そして湿り気も格段に増してくる。
 そしてほんの10秒位触っていただけで、彼の指には彼女の愛液がびっしょりと纏わりついていた。
「すごい……女の子って、こんなに濡れるんだ……」
 再び早くなる鼓動とともに、裕一の指の動きも速く、そして大胆になってくる。
「あっ……くぅっ……あっ、あっ……はぁんっ!」
 美由紀もまた、彼の指の動きに合わせて喘ぎ声をあげている。
 そんなだんだんと乱れてくる美由紀の声に、裕一の下半身もまた、徐々に堅さを取り戻してゆく。
[ちゅくっ ちゅくっ くちゅくちゅ……ぷちゅっ……]
「はぁ! ああっ! あんっ……あぁ………ああっ!」
 指の動きに合わせていやらしい音が響き、官能的な美由紀の喘ぎ声がそれに続く。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 無意識のうちに美由紀の覆い被さり、裕一はその鼓動とともにうずく男性自身を彼女のふとともに押しつけ、腰をすりつける。
「はぁっ! はぁっ! はあっ!!……」
 彼は美由紀のあそこを指でかき回し、そして己が腰を、彼女の柔らかい太股にこすりつけている。
 しかし、この行為がいささか無駄な事に気が付いたのだ。
……早く美由紀のアソコに入れたい! 美由紀の中を感じたい!!
 彼の全身を、どす黒い感情が覆ってゆく。
 次の瞬間、彼の意志とは無関係に、体は勝手に動いていた。
 彼女の股間から指を離し、その中に体を割り込ませる。
「あっ!! ちょっと、ダメ!」
 身をよじらせ、それを振り切ろうとする美由紀の肩を、ビショビショになったままの裕一の手がベッドに押さえつける。
「ねっ、いいでしょ!? していいんでしょ!?」
 半ば無理やりに、そして半ば闇雲に。
 彼はその欲望に満ちた肉棒で、彼女の中に割って入ろうとした。
「だめぇぇぇぇっっっっ!!」
「バンッ!!」
 悲痛な叫び声とともに、再び彼は美由紀に突き飛ばされた。
「なんで!? イイって言ったじゃないか!」
 さすがに2度も突き飛ばされ、今度ばかりは裕一も気分を害したようだ。
 しかし、美由紀の怒りはそれを越えていた。
「あんた、調子に乗るのもいい加減にしなさいよ!!」
「それって、どういう意味さっ!」
 美由紀の剣幕に気圧されそうになりながら、裕一も負けずに言い返す。
「全く、あんた分かんないの?……」
 ふぅっ……
 ため息を付き、半ばあきらめた様な美由紀。
「……コンドーム、付けてよ……」
 美由紀はベッドの棚に置いてあるカゴから一つコンドームを掴みみ取ると、それを裕一に投げ渡す。
「あっ!!」
 あわててそれを受け取り、すまなそうな顔をする裕一。
「あの、ごめん、気づかなくて……もう、さっきから何やってるんだろ、僕……」
 コンドームを握りしめ、彼はまたうつむいてしまった。
「あんたねぇ……あのままやったらニンシンしちゃうじゃない……早くそれ付けてよ……」
 めんどくさそうに美由紀はそう言うと、上体を起こして髪をいじり始めた。
 そんな彼女に、コンドームを乗せた彼の手が、おそるおそる差し出された。
「……あの、これ、どういう風に付けるんだっけ……?」
「……ったくっ!!」
 ひったくるように彼の手からコンドームを奪い、その袋を破り捨てて中身を取り出す。裕一が呆然と眺める中、美由紀は自分の唾液を取り出したコンドームの液溜に垂らし、そしておもむろに彼の前に座り込んだ。
「!?」
 え? と意表を突かれた様な彼の顔を美由紀は睨み付ける。
「早く出してよ。」
 一瞬、彼女が何を言わんとしているのか分からず、裕一は呆然と彼女の顔を見る。
「もう!」
 美由紀は裕一の胸を押し、彼の上体を崩す。
 そして無防備に彼女の前にさらされた裕一の男性自身をつかむと、するするとコンドームを巻いていった。
 美由紀がそうする間、裕一何も言えず、彼女のなすがままになっていた。
「できたわよ……ほら、早くしてよ……」
 乱暴に、どすんと座り込む美由紀に、言われたとおり裕一は覆い被さった。
「あ、あの……もう、その、入れてもいいんだよね……?」
 美由紀の顔色をうかがうように、おそるおそる裕一は訪ねた。
「……大丈夫よ……もう……そんなにおびえた顔しなくてイイじゃない……」
 すでに怒る事さえばかばかしく思えたのか、美由紀は笑みを浮かべながら、裕一の背中をゆっくりと手で撫でる。
「そ、それじゃあ、入れるよ……?」
 再度了解を求める裕一ではあったが、彼の男性自身はその堅さを失っていた。
「入れるのはいいけど……大きくしてあげようか?」
 上体を起こしながら、美由紀は裕一のだらんと垂れたそれに、顔を近づけていく。
「あ、あの、そんな事しなくても!……あ……うくぅっ!!」
 美由紀の開いた口に、コンドームをかぶせた裕一の肉棒がヌルリと吸い込まれていった。
 今、裕一の肉棒には彼女の口腔の暖かさがねっとりと広がってゆく。
 そして彼女の舌が、それを優しく刺激した。
「ぁうっ!」
 喉の奥から絞り出された様な裕一の喘ぎ声。それとともに、美由紀の口に差し込まれた彼の男性自身は、その大きさと堅さを爆発的に増していった。
 美由紀はその肉棒の根本にある、コンドームの端をしっかりと両手で押さえる。そして口をすぼめて吸うように、ゆっくりと顔を後ろにずらしていった。
[ちゅぼっ!]
 彼女の口から抜き取られた裕一の男性自身、それは、まるで天を向くかのごとく反り返り、彼の鼓動とともに脈動を繰り返していた。
「大きくなったじゃない……今度こそ、入れてイイよ……」
 そう言って、美由紀は再びベッドに体を横たえる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
 裕一は美由紀の両足を脇に抱えるようにして、彼女のわれめに自分の堅く大きく張ったそれを擦り付ける。
 数回、入り口をまさぐるように腰を左右に揺り動かした後、彼は腰を前に突き出した。
 しかし彼の欲望は行き先を見失い、美由紀の花びらの上を滑って上に突き抜ける。
「痛ぁっ!」
「あ、あれ!?」
 未だ味わった事のない快感に包まれるはずだったのに、しかしそれは美由紀の小さい悲鳴に変わっていた。
 あわてた裕一は、何遍も挿入を試みるが、全く成功しない。
「……場所が分からないの?」
 何度も見当違いな場所を突かれ、その痛みで涙目になった美由紀がそう言った。
「……うん……」
「最初だから、仕方ないわよね……あーあ、なんかもう疲れちゃったなぁ……」
 そう言う彼女の言葉。最後の方は、愚痴っぽくなっていた。
「ごめん、美由紀さん……」
 そう謝る裕一に、美由紀は何も言わず彼の男性自身を自分の中心へ導く。
「……このまま、入れて。」
「う、うん……」
 彼女に言われるがまま、裕一は腰を前につきだした。
[ぬるっ……]
まさに、そんな感覚だった。
「あ………」
「………。」
 初めて感じる女の味に、思わず声に出す裕一。しかし、美由紀は目を閉じただけで、何も言わない。
 裕一は美由紀の脚を自分の方に引き寄せ、より深く挿入を試みる。
 彼が思ったよりも簡単に、それはうまくいった。
 男性自身が、やっと美由紀によって包まれたのだ。
 裕一は反射的に、美由紀の背中に手を回し、彼女にしがみついていた。
「あっ……はぁはぁ……美由紀さん、気持ちいいよ!」
 美由紀の中は、思っていたよりも柔らかく、そして熱かった。
 腰をほとんど動かしていないにも関わらず、じんわりと快感が襲ってくる。
 裕一の頭は、すでに真っ白になっていた。
 美由紀の唇に夢中に吸い付き、そして、むちゃくちゃに腰をたたきつける。
「はあっ! はあっ! はあっ! はあっ! はあっ!」
[ぐちゅっ ぐちゅっ ぐちゅっ ぐちゅっ ぐちゅっ!]
 美由紀も、うっすらと感じてきた快感に、ようやくその身を預けようとしていた。
 しかし……
「はあっ! はあっ! あ、あうっ うううう うう うっ うう………」
[びくんっ びくんっ びくんっ!]
 美由紀の腹の中で、急に何かが脈を打つ。
 彼女にしがみ付く裕一が、己の欲望を吐き出したのだ。
「ええーっ!! 冗談でしょ!? あんたもう出しちゃったの!?」
 裕一がだらしなく覆い被さってくるのもかまわず、美由紀は上体を起こす。
「ねぇっ!! 私全然気持ち良く無いじゃない!! 何一人でイッてんのよ!!」
 いい加減我慢しきれなくなった美由紀が、自分の胸に顔を埋め、未だ息を切らせている裕一に向かって怒鳴りつけた。
「はぁ、はぁ……ご、ごめん……はぁ、はぁ……もう我慢できなくって、つい……」
「はあぁぁぁ………。」
 大きなため息を付きながら、美由紀は頭をポリポリ掻く。
「いいわよ、どーせそんなに期待してなかったし……大して大きくない無い上にソーローなんてねぇ……」
 そんな美由紀の愚痴に、一瞬ドキリとする裕一。
 大して大きくない……。
 彼女の言葉に、裕一は美由紀の男性経験の多さを改めて思い知らされたのだった。
 そして自分の男性自身を『大きくない』と言われ、男としての自信も消え失せた様な感覚に襲われる。
「ごめん……」
 しかし、美由紀の愚痴に対しても、彼は謝った。
 美由紀の無思慮な言動に対しての憤りよりも、満足に彼女を悦ばせる事の出来なかった事に対する申し訳なさが、彼にとっては遙かに大きかったからだ。
 裕一は上体を起こす。
 すべてを吐き尽くしたかのようにだらんとした男性自身が、コンドームと精液をまとわりつかせたまま、美由紀の中からずるりと抜け出た。
「……ねぇ、でもまだ出来るでしょ?」
 じろりとにらみ、まるでそれを強要するかのように、美由紀は問うた。
「えっ、あの、でもまだ……」
 じんじんと痺れてだらりとしたままのそれを見つめ、裕一は申し訳なさそうに返事を返す。
「ダメよ! まだ、私が気持ち良くなってない!! 早く大きくしてよ!」
 そう強く言われ、裕一はあわてて自分のそれをつかみ、しごきあげる。
 しかし、未だにコンドームをはめたままの男性自身はしぼんだきり、いっこうに大きくなる気配を見せなかった。
「はぁ……はぁ……だめだ……大きくなんないよ……」
 焦り、そして困り果てた裕一は、美由紀の顔を見る。
「まったく……仕方ないヤツね、あんたって……」
 まるで吐き捨てるように言いながら、美由紀は裕一のそばにより、めんどくさそうにコンドームを取り去る。
 そしてそのコンドームをくず入れに投げ捨てると、精液のべっとりと付いたままの男性自身にいきなりしゃぶり付いた。
「あっ! 美由紀さん、汚いよ!」
「うるさい!」
 そう言いながら、その周りに付いた精液を全て舐めとり、まだそれでも足りないのか、まるでストローのように中にたまった精液を吸い取ってゆく。
 そしてその舐めとられた精液は、彼女がすべて飲み込んでいった。
 ごくっ………ごくっ………
 彼女がしゃぶるチュッチュッという音に混ざり、そんなのどを鳴らす様な声が、裕一の耳と、彼女の口にすっぽりと埋まった男性自身により感じ取れた。
 美由紀の舌が、じっくりと、そして着実に彼に刺激を加えてゆく。
 彼女の膣の中とは違うが、それでも柔らかく暖かい口腔で、裕一は再び堅さを取り戻してゆくのを感じていた。
[くぷっ くぷっ ちゅばっ……ぐぷぐぷ……ちゅっ]
 いつしか彼のそれは果てる以前の堅さと大きさを取り戻し、彼女の口いっぱいに広がっていた。
 美由紀は口と片方の手を使って裕一を悦ばせ、もう片方の手を使って自らを刺激していた。
「うむっ……ん………ん……んっ……むぅっ……ん…う……」
 時折発せられる、美由紀の唸る様な喘ぎ声。その微少な振動もまた、裕一の男性自身にとって、とても心地のよいものであった。
 その快感を得る事により、彼はやっと落ち着きを取り戻す事が出来たのだ。美由紀の頭に手を乗せながら、彼は彼女の口の動きを味わい続ける。
 そして、今だ股間で顔を動かし続ける彼女の唇が、不意にきゅっとすぼまった。
 その時である。
[びゅっ! びゅっ! びゅっ!]
「あっ!」
「うぶっ!!」
 それは本当に唐突だった。いきなり強い射精感がわき出て、それを抑える時間は全く無かった。気づいた時は既に遅く、彼は射精してしまっていたのだ。
 喉の奥に精液を注がれ、美由紀は弾けるように顔を上げると、その場で激しくせき込み始めた。
[がはっ! げぇっ! げぇっ!……げはっ げはっ!!]
 苦しそうに喉をおさえる美由紀の口から、彼女の涎と裕一の精液が、激しく吐き出される。
 そして大量の精液と唾液がシーツの上に飛び散り、大きなシミを作った。
「あの……大丈……」
[バチンッ!!]
 心配そうにのぞき込んだ裕一の頬に、美由紀の平手打ちが飛んだ。
「イタッ!」
 一瞬何が起こったか分からず、唖然とする裕一。
「はぁ、はぁ………ごめん。」
 ようやく咳が止まった美由紀は顔を上げ、口の周りについた唾液やにじみ出た涙を振り払った。
「……ホントにごめん。でも、出すんなら、言ってくれなきゃわかんないじゃない!!」
 顔を真っ赤にし、美由紀は裕一を見る事なくそう言い放つ。
「あの、でも、こっちも急だったから、気づいた時には出ちゃったっていうか!……その………ごめん……。」
「はぁぁぁぁ………。」
 両足を抱えるように座る美由紀は、溜息とともに膝に自分の額をくっつける。
……何なのよ、今日はいったい……
 口に広がる、精液の苦い味を感じながら、美由紀はそう心の中で愚痴る。
 楽しいはずと思っていた懐かしい級友との情事は、思いもしない程の失敗の連続だった。
……いったい、私の何が悪いのよ……
……裕一ばかりが気持ちいい思いをして、私は……?
 自問自答を繰り返す美由紀は、だんだんと怒りと欲求不満がこみ上げて来るのに気が付いていた。
「ねえ裕くん……私、全然気持ち良くない。」
 下を向いたままの美由紀が、はれた頬を押さえる裕一に言う。
「あ…………」
 そう言われた裕一は頬から手をはずすが、いったい何を言っていいのか分からない。
「だから、気持ち良くしてよ。」
 顔を上げ、横目で美由紀は言う。
 そんなきつい視線の先、裕一は困惑する。
「あの……さすがに、もう立たないよ……」
 短時間に2回も射精し、彼の男性自身はだらんと垂れ下がったままだ。
「だったら、舐めてよ。」
「舐めるって……何を?」
「アソコにきまってんじゃない! 私のアソコを、あんたの舌で舐めろって言ってんのよ!!」
 ぐっと歯を食いしばり、目に涙をためた美由紀はそう言って、自ら足を開く。
「早く……」
 しかし裕一は、凍り付いたように動かず、ただ、彼女を見ているだけだ。
「早く!!」
 半分泣きそうになりながら、再び美由紀の罵声が飛ぶ。
 彼女には、精神的な余裕が無くなっていた。
 さっきから、何度何度も刺激を与えられるが、決して最後まで登り詰める事は出来ない躰。
 そんな状況に、彼女は我慢しきれなくなっていたのだ。
……早く気持ち良くなりたい! 早くいきたい!!
 ただそれだけしか考えず、美由紀は自分の愛液でぐしょぐしょになっている秘所を、単なる昔の級友に晒していた。ほんの気まぐれで、ちょっと抱かれれみたかった男にだ。
 一方、裕一はそんな彼女のバックリと開いた割れ目をまざまざと見せつけられ、途方に暮れていた。
 すすり泣く彼女の声に合わせ、そこはまるで別の生き物のようにゆらゆらと蠢いている。
 全体的に褐色を帯びた肉のひだが、幾重も重なっているように見える。
 そしてそれらが白っぽい分泌液によって、びしょびしょに濡れている。
 どう見てもそのグロテスクな様子に、裕一は生理的嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
 しかし、それでも彼が射精をする前ならば、それにすぐにでもしゃぶり付く事が出来ただろう。
 だがしかし、彼は2回も射精を行い、すでに性欲というものは消滅している。
……汚い……。
 完全に正気を取り戻した彼の、正直な感想だった。
「……ねぇ、早く舐めてよ! 自分だけ気持ち良ければ、それでいいと思ってるの!?」
「あ……ごめん!」
 そんな美由紀の言葉に、裕一はあわてて彼女に近寄る。
 ベッドの横たわる美由紀の両太股を上に押し上げ、裕一は彼女の割れ目が自分の目の前に来るようにする。
 近くで見れば見る程嫌悪感がひどくなり、終いには吐き気すら催しようになりながら、彼は陰毛をかき分け、肉のひだに舌を合わせる。
「ふあっ!」
 美由紀の喘ぎが聞こえる。しかし、裕一にとってそれは、何の意味も無いものだった。
[ぺろ……ぺろ……ぴちゃ………ぴちゃ………]
 いまいち要領を得ず、ただアイスクリームか飴をなめているかの様な裕一の行為に、美由紀は不満を表す。
「もっと、ちゃんと舐めてよ……激しくして!」
 激しくと聞いて、裕一は舌の動きを速める。
「そうじゃなくて……もっと他の場所も……」
 そう言われ、裕一は場所を変えて再度試みるが、決して美由紀は満足しない。
「違うってば……そうじゃないよ……」
 何をやっても良いとは言われず、次第に裕一の心に焦りが生じてくる。
 舌だけでは満足させられそうにもないと感じた裕一は、指も使って愛撫を始めた。
 しかし……
「痛いッ……そんなに力を入れないで!」
「ちょっと……いきなり指なんか入れたら痛いよ……」
「そんな所さわっても、全然気持ち良くないんだけど……」
 いろいろと手を尽くすも、全くと言っていい程彼女を悦ばせる事は出来なかった。
 ずっと美由紀の秘所をいじり続ける裕一とは対照的に、いい加減体の疼きも消え失せ、ただぼぉと横たわる彼女は、ふと時計を見る。
「あ!……もう時間よ。私これから用事あるし、もういいよ。やめにしよ……」
「でも、まだ美由紀さん気持ち良くなってないし……」
 困惑気味の裕一が、懸命に秘所をいじっている。
「もういいってば。それより早く出ないと、延滞料金とられるよ。」
 美由紀はそう言うと、裕一が退くのを待たずにベッドから降り、さっさと服を着始める。
 そんな彼女の様子に、ベッドの上の裕一は呆然としている。
「ほら、早く服着てよ、ぼぉっとしてないで!」
「あ、うん……」
 美由紀のそんな言葉に、裕一はあわてて自分の服をたぐり寄せる。しかし、彼女の態度の意味がいまいち掴めず、彼は服を持ったまま彼女の方を向く。
「ちょっと、早く……いいや、もう私先行くけど、お金払っとくから。」
 すでにあらかた服を着終わった美由紀は、香水を体のあちこちに振りかけている。
「待って、どうしたの?」
 彼女のそんな様子に、裕一はあわてて訪ねた。
「だから、用事があったの忘れてたのよ。ごめん、急かしちゃって……」
 美由紀はそう言いながら、バックを肩に掛けた。
「……じゃあね、今日は楽しかったよ。また今度会いましょうね。」
「あっ、待って、美由紀さん!」
 彼の呼びかけにも答えず、美由紀はさっさとドアへ向かってゆく。
 裕一は何とか彼女を引き留めようとするが、それは無駄に終わった。美由紀は振り返る事すらせず、ドアをくぐってゆく。
「あ………」
[ガチャンッ!]
 呆然と立ちつくす裕一の目の前で、ドアが閉まる。
 そのとたん、シンとする室内。
 もはや、ここには美由紀の姿はない。
 ただうっすらと、彼女の掛けていった香水のにおいが漂っているだけであった。
 裕一は、自分が抱いていた美由紀に対する想いが、音を立てて崩れてゆくのをしっかりと感じていた。
 服を着終え、彼は部屋を出る。そして一人、ゆっくりとホテルの廊下を歩いてゆく。
 来た道とは反対方向、ホテルの玄関に向かって。
 そして、彼の気分も来た時とは反対だった。
 緊張と好奇心、そしてほんのちょっとの優越感とともにくぐった玄関を、
 絶望と羞恥心、そして大きな悔恨の念とともに、たった一人でまたくぐる。
……やっぱり、こなければ良かった………!!
 今一度、裕一はそう思う。
 進学に失敗し、自信を失った今日という日に、美由紀という女性までも失ってしまったのだ。
 ホテルからの帰り道、裕一は泣いていた。
 一人誰もいない道を歩き、涙を流しながら……
 そのこぼれた涙とともに、自分を支えるいろいろなものが無くなっていった。

 裕一には、もう、何も残されてはいなかった。
 彼の『自信』、つまり自分を信じる理由が、すべて失われたのだった。

PHASE_02 [裕一 2]

7 Months Later.
 November 22 16:48 p.m.

 秋。
 これから冬に向かうこの季節、もはや命の尽きた葉木々の葉が、冷たい風にその身をゆだね、飛ばされてゆく。
 地元ではちょっとしたイチョウ並木も、もはや枯れ木同然となっていた。
 まだ4時過ぎだというのに、あたりはだいぶ暗い。
 黄昏時。夕日が町を染めている。
 冷たい風が、より、冷たく感じられた。

 そんな商店街の、ひなびた古本屋。
 予備校の帰りの裕一が、一人本を読んでいた。
 もはや目標もやる気も消え失せ、ただ惰性で予備校に通う毎日。
 講師の言葉も、彼には理解の出来ない外国語の様にしか聞こえていなかった。
 毎日毎日繰り返される、何の抑揚もない日常。
 取りたてて趣味も特技も持たない裕一にとっては、これ以上の仕打ちはないだろう。
 自宅に戻ってからは何もする事はなく、彼は自慰にふけっていた。
 ひたすらに、快感すらも求めずに、彼は男性自身を刺激し続けた。
 いくら白濁の液を吐き出そうとも、彼は尽きる事はなかった。
 何度も何度も、彼の男性自身がその堅さを失うまで、彼の自慰は続けられたのだ。
 人は、そんな彼を『壊れた』と形容するかもしれない。
 志望校に合格できず、予備校通い。
 そして美由紀という一人の女性との初体験で、彼は完全に失敗してしまったのだ。
 そんな彼には、もはや『自信』という、彼を形作るべき殻が失われていたのだ。
 自分が行うすべての事象に自信を持てず、ともすれば、自分自身の存在すらも自信がなかった。
 けれど、彼にはそんな自分という存在を思い切って消す勇気などは、もちろん持ち合わせていなかった。
 毎日が、つまらないのだ。
 彼はこの辛すぎる現実から、逃れる事ばかりを考えていた。
 自分が何かの物語のヒーローならば、どんなに良かっただろうか。
 もしも超能力を使えたなら、どんなに楽しい日常が送れただろうか。
 そんな事ばかり、彼はひたすら考えていた。
 もはや現実から逃避し、妄想にその心を置く彼にとって、この古本屋での立ち読みだけが、唯一の楽しみであったのだ。
 その虚ろな目は、もはや現実を捉えてはいなかった。

 古本屋に入ってから30分ほどした頃であろうか。
 ここ2,3日ほどかけて読んでいた本が読み終わり、裕一はその本を本棚に戻そうとしていた。
 そんな時、ふと移した彼の視線の先には、見慣れない本が置いてあった。
 『思考と、その具現化について 上巻』
 それが、その本のタイトルであった。
 彼はいつも、SFやファンタジー物の小説が置いてあるコーナーにいる。
 しかし、その本はどう見ても実用書の類だ。
 彼は無意識のうちに、その本を手に取る。
 パラパラとページをめくると、古い本特有の、甘い様な香りがする。
 裕一は、その本の目次を見た。すると、そこには彼の興味を引く様な内容が書かれてあった。
 ”自分の思い通りの人間を、実体化させること”
 裕一は本を閉じる。
 そして次の瞬間、彼はレジに向かっていた。
 どうしてなのかは、彼には分からなかった。しかし、その本をどうしても買わねばならないという衝動が、彼を動かしたのだった。
 彼がレジの前に来ると、新聞を読んでいた古本屋の主はきつい視線を彼に送った。
 裕一は、今まで散々立ち読みをしていながら、一度たりとも本を買った事が無かったのだ。
「お前さん、初めてだな。……本を買うのが。」
 そう主にイヤミを言われた裕一は、怖ず怖ずと本を差し出す。
「あの……これ……」
「ああ……。」
 そう相づちを打ちながら、主は裕一から本を受け取った。が、その瞬間、
「っ!……こりゃあ……」
 普段は気難しそうにし、きつい目つきで立ち読み客を威嚇していた主は、まるで死んだ人間を見たかの様に青ざめ、その細い目をまん丸に見開いている。
 そんな主の不自然な態度に疑問を感じた裕一は、おそるおそる問いかける。
「あの……どうしたんですか?」
 心配そうにその顔をのぞき込む裕一の言葉に、主ははっと我に返る。
「あ……ああ……これは、その……。」
 本の表紙をじっと見つめながら、主は一人口篭もる。
 しかしそんな様子を不思議そうに見ている裕一の視線に気が付き、
「む………560円だよ。」
 何か焦った様な主は、いそいそとその本を紙袋に入れると、それを裕一の方に突き出す。
「はい、これ……」
 裕一は財布から金を取り出し、レジを済ませた。
 彼が古本屋から出る時もう一度レジを見ると、店の主は何事も無かった様に新聞を読んでいた。が、それを持つ手が、少し震えていた。
 大丈夫なんだろうかと、裕一は店の主の事を思うが、それ以上にこの本の内容が気になっていた。
 彼はその他の買い物を済ませると、いつも通りにすぐ自宅に戻った。

November 22 22:12 p.m.

 裕一は、今日買った本を開く。
 夕飯や入浴を済ませ、もはや寝るだけとなったこの時間。
 あたりはシンと静まり返り、外を走る車すらない。
 遠くを走る列車の音が、とても大きく感じられる。
 部屋にはエアコンの静かな音と共に、裕一の本をめくる音が響いていた。

 彼が今日、町の古本屋で買ってきた本、『思考と、その具現化について』には、自分の思い通りの『ニンゲン』を創り出す方法が載っていた。
 それは、創り出したいニンゲンの体となる物、血となる物、命となる物を用意し、それに特殊な呪文と名前を与える事により実体化させるというものであった。
 つまり、体となる物とは肉であり、これは何の動物の肉でもいい。
 そして命となる物は卵子と精子である。これもまた、何の動物の物でもよく、卵は鶏卵、精子は鱈の白子でもいいのだ。
 それらを用意した後、すべての生命の源である『土』にそれらの材料を入れ、太陽を表す『暖かい光』を当てながら呪文を唱える。そして最後に命名を行うのだ。
 初めは半信半疑で読んでいた裕一であったが、本の内容があまりにもリアルなため、彼は少しずつ、本当の事の様にに思えてきたのだった。
 そして本を軽く一読し終わった頃には、彼はそれを実行に移す事を決めていた。
 彼は本を閉じ、部屋の電気を消すと布団に潜り込む。
……明日、自分の思い通りの『ニンゲン』を創ろう。
 その事だけを、考えながら……。

November 23 21:24 p.m.

「ええっと……肉は、この豚肉でいいかな……?」
 裕一が冷蔵庫から、以前買っていた豚肉を取り出す。
「そして、卵は……っと……」
 先に取り出した豚肉を皿に敷き、その上に卵を一つ、殻を割って中身を落とした。
 こんな状況を見れば、他人は単に料理を作っているように見えるだろう。
 しかし、彼は『ニンゲン』を創っている。
 昨日買った本に書いてあるとおり、材料を用意して。
 そもそも、なぜ裕一はニンゲンなどを創ろうなどと思ったのか。
 それは、彼は他人が苦手であるからだ。
 出来る事なら、一人でいたい。彼は、常々そう思っていたのだ。
 元々、裕一は人付き合いは好きな方ではなかったが、苦手と言うほどでもなかった。
 しかし7ヶ月前の同窓会の日、彼にとってその後の人生を変えてしまう様な出来事が起こったのだ。
 初恋の相手、美由紀とのセックス。
 しかし、それは大失敗に終わる。
 その時彼は童貞だったのだから、ある意味失敗は避けられなかっただろう。
 けれども、その失敗と共に彼は自信を失ってしまったのだ。
 美由紀に男性自身を小さいと言われたばかりか、彼女を満足に悦ばせる事すら出来なかった。
 そしてホテルからの帰り道、彼はずっと泣いていた。
 その時から、彼は極端に他人を避けるようになっていた。
 もう二度と、他人から苦痛を受けないために。
 そして、他人からこれ以上壊されないために。
 それが彼の採った、最大限の自衛であった。
 しかし、彼は思うのだ。
 時々は、話し相手が欲しいのだと……。
 他人との接触を断つという事は、他人からの攻撃を受けずに済むすという事でもある。がしかし、それは他人からの癒やしも受けられないという事でもあろう。
 実際、裕一は一人暮らしを始めてから、ほとんど人と話をした事が無かった。
 たとえ、普段の生活で楽しい事や新たな発見があっても、誰にもその話をする事は出来ない。
 彼の両親は仕事で忙しく、ほとんど家には居ないのだ。
 実家へ電話をしようとも、その呼び出し音が途切れる事は無かった。
 だからといって、彼は他人と話をするのは嫌なのだ。
 だから、彼は自分の思い通りの『ニンゲン』と創ろうとしている。
 思い通りのニンゲンなら、どんな事でも気兼ねなく話せるだろう。
 何を言っても分かってもらえるだろう。
 そして、自分の好きな様にセックス出来るだろう。
 そんな事を考えながら、裕一は豚肉と卵の載った皿をこたつの上に置いた。
「今度は、血がいるんだっけ……」
 本を片手に、彼はカッターを探す。
 ニンゲンを創るのに必要な血液は、自分の物を使うのだ。
 彼は机の引き出しからカッターを取り出した。
 そしてその刃を親指の真ん中にあてがうと、ゆっくりと力を入れていく。
「……っ!」
 カッターの刃が角質を貫通し、内皮に届く。傷口からは、彼の血液がじんわりとわき出してきた。
 しかし、その量はあまりにも足りない。彼は意を決すると、カッターをより深く突き立てる。
「うぅ………」
 痛さが、手の先から腋、胸、そして全身へと伝わってゆく。
 親指の先に全血液が集中しているかの様な感覚がして、ずくんずくんと痛さが脈を打つ。
 あまりの痛さに目をつぶっていた裕一が、自ら創った傷口を見る。
 今度は、血液が筋を作って流れるほどの量が出ていた。
 彼はあわてて手を皿の上にかざす。すると、親指から出る血が、雫を作って皿の上に降りかかる。
 卵の黄身の上に、赤い血液がぽたりぽたりと落ちてゆく。血液の作る赤い円が、裕一には綺麗に見えた。
 そして5,6滴血の雫が落ちたころ、彼の指からの出血は自然に止まった。
 裕一は未だ痛む親指を口に含みながら、本を読み進めてゆく。次に用意する物は、命の元となるもう一つの成分、精子だった。
 彼はおもむろに、ズボンのベルトをはずす。精子は血と同様、自分の物を使うのだ。
 ズボンとパンツをおろし、シャツの裾を少し持ち上げる。
 すると、すでに勃起した彼の男性自身が跳ね起きた。
 彼は今、豚肉や卵に自らの精子を振りかけるという異様なシチュエーションに、奇妙な興奮を覚えていた。
 触りもしない内から、彼のそれは大きく張り、そして脈打っている。
 彼はそれを掴み、ゆっくりとしごきだした。
 が、いつもとあまりにも違う状況の為だろうか、彼は落ち着けずにいた。カーテンはしっかりと閉まっているが、外からは絶対に見えないであろうその視線が、彼にはとても気になっていたのだ。
 裕一は部屋の電気を消す。唯一己の精液を振りかけるべき皿を映し出す物は、部屋の照明に付いている保安灯だけだった。
 彼は再び自慰を始める。
 優しく男性自身を掴み、その手を上下にゆっくりと動かしてゆく。
 握られたモノがよりその堅さを増し、じんわりと痺れる様な感覚を伝えてくる。
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
 彼は、いつの間にか手の動きに合わせて吐息を出していた。そして、次第に手の握る強さが強くなり、動きは速くなってゆく。
「はぁっ……はぁっ………んっ!……」
 ふさがりかけていた、親指の傷口が開いてしまった。
 じんわりと、再び血液がしみ出してくる。しかし、それが潤滑油代わりとなり、彼の手はよりスムーズに動くようになっていった。
[くちゅっ……ぐちゅっ……ぐちゅっ……ぐぢゅっ………]
 血液と彼の尿道から出る粘液により、男性自身をしごきあげる彼の手はびしょびしょになっている。
 それが、一段と快感を引き出す元となり、裕一はより強く、速く手を動かしてゆく。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!!」
 彼の吐息が一段と大きくなる。射精が間近となってきていた。
 彼はこたつに片手をつき、限界が近いの己の肉棒を肉や卵の載った皿に向ける。そして、未だ刺激し続けるもう片方の手を限界まで動かし、自らを絶頂へと導いていった。
 そして、
「はあっ! はあっ!……あっ……うっ! うっ! くぅっ!!」
[びゅっ! びゅっ! びゅっ!!]
 日頃では考えられないほどの勢いと量が、血塗れの男性自身から絞り出されてゆく。皿の中には、大量の精液が注がれていった。
 最後の一滴まで皿に落とし、裕一は部屋の電気をつける。
 血塗れの手、それに男性自身。
 その先には精液が大量に降りかかった肉と卵。
 興奮が冷め、冷静を取り戻した彼には、息の上がった体と敢然とした後悔だけが残っていた。
……僕は、いったい何をしているんだろうか………。
 裕一は、つんとしたにおいを発する皿を見つめ、そう思う。今から考えれば、卵や肉に精液を掛けるなんていう、異常なシチュエーションに興奮していた自分が馬鹿のように思えてならなかった。
 彼は台所へ行き、手を洗う。そして、血のべっとり付いた男性自身をウェットティッシュで拭き、ズボンをあげた。
 そして皿からこぼれ、こたつの上に飛び散った精液をティッシュで拭き取り、じっくりと皿の中を見る。
 肉の上に、血と精液の降りかかった卵が乗っている。
 果たして、これが本当に人間になるのだろうか。
 疑問に思う裕一であったが、今更止める訳にもいかない。もしもここで止めてしまえば、肉や卵を変態的な自慰の為だけに使った事になってしまうのだ。
 本当にニンゲンが創り出されるかどうかは別にして、とにかく最後までやらなければと、彼は思う。
 彼は再び本を取りだし、次の説明の項に目を通す。
 本には、彼が作った材料を『土』に入れ、その近くに『暖かな光』を置けと書いてある。
 裕一は、土の入った植木鉢を取り出した。
 その鉢には、元々花が植えてあったのだが、彼の日当たりの悪い部屋には合わなかったのだろう。彼のきめ細やかな世話にも関わらず、たったの1週間で枯れてしまったのだ。
 植木鉢をのぞき込む裕一に、その鉢を買った時の情景が思い出された。
 初めての一人暮らしで、気分が滅入っていた時。柔らかな日差しと初夏の優しい風が、彼の部屋にうっすら入る頃だっただろうか。
 近所のスーパーでの、買い物の帰り道。店の前には、色とりどりの花が並べてあった。ちょうど彼が買い物をしたスーパーでは、鉢物のバーゲンが行われていたのだ。
 裕一はその中から、彼が一番好きな色、美由紀のリボンと同じ、薄い藍色のチューリップを選んだ。
 そのチューリップはつぼみではあったが、あともう少しで花が開くといった頃だった。
 たった一つの同居人。
 たとえ花でも、彼には良かったのだ。
 これから毎日水をやり、予備校に行く前には必ずその綺麗な花を見ていこう。そして、花が枯れ、新しい球根が出来たらもっと大きな鉢を買ってその球根を植えよう。
 彼はそんな事を考えながら、チューリップを抱きかかえ家路についたのだった。
 しかし、現実は違った。
 彼はなるべく日の当たる場所を選び、そのチューリップを育てたのだ。しかし、それでも日光は足りなかったのだろう。
 チューリップは次第に元気を失い、その花を咲かせる事もなく枯れていったのだ。
 鉢から枯れたチューリップを取り除く時、裕一は泣いていた。
 他人からは、たかが花一つと笑われるかもしれないが、裕一にとっては友を失った事と同義であったのだ。
 たった1週間の共同生活であったが、彼はそのチューリップから、生き物の世話の大変さを教えて貰ったのだと考えている。
 だから、主の枯れた後も、鉢はその記念としてとってあったのだ。
 鉢を眺める裕一の目に、再び涙が溢れてきた。
 いつも、何をやっても上手く行かない自分に、憤りを感じたのだ。
 もしも、このチューリップが他の人間に買われたのなら、きっと枯れる事はなかったろう。そして、ちゃんと多くの球根を残す事が出来たのだろう。
 そう思えば、より悔恨の念が大きく広がってゆく。
 だから、今度こそは何が何でも成功させてやる。
 裕一はそう心の中で言うと、鉢の中の土に窪みを作り、そこに材料を流し込む。
 そして鉢を部屋の隅に置き、その横に大きなロウソクを3つ立て、火をつけた。
 ロウソクを、『暖かな光』としたのだ。
 そして彼は本を取りだし、ゆっくりと呪文を唱え始める。


迷える汝よ。
助けを乞う魂よ。
我ここに、汝を闇より救う。
我、肉をもって汝の『体』となる物
血をもって汝の『血』となる物
男の精、女の卵をもって汝の『命』となる物を与える。
我ここに命ず。
汝が名、汝が形、汝が齢 我が命をもって定める。
汝、それらを魂の器とし その姿我が望む形にならん。
すべての生命を生み出せし赤き『土』。
その命はぐくむ『暖かな光』。
そして、神世の時より約束されし 聖なる7日をもって 汝その姿を形作らん。
迷える汝よ、今ここに降り立たん!

 裕一が呪文を唱え終わった直後であった。
 ロウソクの炎が、一瞬ぱっと燃え上がったのだ。
 ゴクリと、裕一ののどが鳴る。
 あわてて植木鉢の中をのぞき込むが、何の変化もなかった。彼が材料を入れたあと、土を被せた時そのままであったのだ。
 裕一はもう一度、ロウソクの炎を見る。
 芯の先から出る、細長い紡錘形の炎が、ゆっくりと揺らめきながら燃えている。
 特に、変わったところはなかった。
 しばらくロウソクの火を見つめ続けていた裕一ではあったが、変化が起こる様子もなかったので、彼は部屋の片づけを始めたのだった。
 ロウソクは、静かに燃え続けている。
 しかしその炎からは、熱が全く発せられてはいない。
 彼は、その事実に、全く気が付いてはいなかったのだ。

PHASE_03 [覚 醒] 〜めざめ〜

6 Days Later.
 November 28 23:51 p.m.

 裕一は、部屋の明かりを消した。
 予備校で出た宿題をやり終え、後は寝るだけとなったこの時間。
 裕一はいつも枕元に置いてあるスタンドで、買ってきた本を読んでいるのだ。
 今日も、いつもと変わらない日常。
 部屋の隅では、未だロウソクが3つ、静かに燃えている。
 彼はあの日から毎日ロウソクを継ぎ足し、一週間ほど火を絶やさずにいたのだ。
 植木鉢は、何の変化もなかった。
 形が変わる事も、土が異常に盛り上がる事も無い。材料を入れた時から、全く変化が無いのだ。
 逆に、彼にはそれが異常な事の様に思えてならなかった。
 普通、生ものを一週間も放っておけば、必ず腐敗臭がするものだ。けれども、その鉢からは一切の匂いも発せられてはいないのだ。
 彼は思った。
 もしかして、何かが起こるのかもしれない、と。
 そして今日が、その日だった。
 正確に言えば、まもなく迎える明日の午前0時にだ。
 朝から降り続く雨。時折雷の音と共に、近所の犬が鳴く声も聞こえる。
 窓がガタガタ鳴る度に、彼は身を震わせる。
 肉や卵で人間が出来るわけがないと思いながらも、裕一は、それを期待していたのだ。未知なる出来事との遭遇に、彼は緊張していたのだ。
 まもなく、日付変更線が彼をまたいでいく。
 その時、いったい何が起こるのか。
 裕一は、気を落ち着かせるため本を読んでいた。いつもの通り、布団の中で寝そべりながら。
 視界の端には、ロウソクが見えていた。
 いつもと変わらず、その3つロウソクの中心には、植木鉢が置かれている。白い煙がすうっと立ちのぼっている。
 彼は再び、本に視線を戻した。
 どうせ、何もおきやしないさ。
 冷静な彼はそう考える。
 ……が。
 何かがおかしい。彼の直感が、そう告げている。
 裕一は、再び植木鉢を見る。
 良く見れば……いや、良くなど見なくても、植木鉢の真上に、白い煙の帯が立ちのぼっている。
 一瞬、彼は我が目を疑った。今まで、煙など出た事は、一度たりとも無いのだ。
 裕一は何度も目を擦る。が、煙は依然とそこにあるのだ。
 何かを思い出した様に、彼はあわてて時計を見た。
 11時59分。
 まさか。
 彼は言う。
 しかし、声は出ない。
 本能的な恐怖により、彼は硬直状態にあったのだ。
 手はおろか、眼球さえ彼の制御を離れている。
 流れ落ちる自分の汗のみが、動きを持っていた。
 そして、彼の見つめるその先で、白い煙は動いたのだ。
 ゆっくりと、何かの形をかたどってゆく。
 音もなく、ただ緩やかに。
 そして、煙が何かしらの形を象った時、
[ガアァァァァンッッッッ!!]
 雷の光束が一筋、家の近くに落ちていった。
「っ!!!」
 裕一は、声にならない悲鳴を上げる。
 それと同じ瞬間、光が彼の部屋の内部を照らし出した。
 そして、裕一は見たのだ。
 雷が落ちた瞬間、スタンドが作る薄暗がりの中に、浮かび上がる裸の女の姿を。
 煙はすでに、消え失せていた。
 ただ、裕一の目の前には、女が一人立っていた。
「あ……あっ………まさか………!!!」
 カッと見開いた目で、裕一は女を見る。その開け放たれた口からは、ただ驚きの声が垂れ流される。
 女は、一糸まとわぬ姿で立ちつくしている。
 その目は閉じられ、顔は軽くうつむいている。
 しかし、下から見上げる裕一からは、その顔はよく見えたのだ。
 美由紀さん……?
 直感的に、彼はそう感じた。
 その女の顔は、彼の初恋の相手、そして初めての女である美由紀の顔を彷彿とさせる顔立ちだ。美由紀を幼くした様な、そんな感じだ。
 落ち着きを取り戻した裕一は、部屋の照明をつける。
 明るい光の元で、彼は女の容姿を改めて見る。
 長く綺麗な髪、童顔の顔、控えめな胸の盛り上がりに柔らかな脚線。
 彼が以前思い描いた理想の女性が、今まさに目の前に立っていたのだ。
「すごいや………」
 彼はそう賛美する。
 彼の目には、その女の清らかな美しさのためか、うっすらと涙が浮かんでいた。
 彼はより近くで彼女を見るため、その身を起こそうとした。
 その時だった。
「……私の名前は?」
 唐突に、女が声を発した。
 飛び上がるように彼女を見上げた裕一の前で、その女はうつろな目を開き、彼に問いかけてきたのだ。
 裕一は返事すら出来ず、生気の感じられない彼女を凝視する。
「……私の名前は、なに?」
 女は、何の抑揚のない声で再び問いかける。
「え、あ……あの、その………」
 とまどう裕一。
「私の名前は……?」
 女が一歩、歩みを進める。
「あ、あの、だから……その、ええと、……ユ、ユキ……」
 無意識のうちに、彼はその名を口に出していた。
「ゆき?」
 女は聞き返した。
「う、うん。そう、ユキだよ、君の名前……」
 うわずった声で、裕一もそう返す。
 彼の目の前に、唐突に現れた女。それだけでも十分パニックになる原因でもあるが、加えて彼女は全裸だ。
 その女、裕一によってユキと名付けられた彼女は、一歩、また一歩と彼に近づいてきていた。その度に、そのかわいらしい胸がフルフルとふるえている。
 そんな、あまりにも常軌を逸した現実に、裕一は少々混乱していた。
「貴方の名前は?」
 そう問いかけるユキは、いつの間にか彼のすぐ目の前に立っていた。
 そして、それを見つめる裕一目の前には、彼女のもっとも女らしい部分が、無防備な状態でさらされていたのだ。
「貴方の名前は?」
 再び問いかける、ユキ。そう改めて問いかけられ、彼女の股間に釘付けとなっていた裕一は、はっと我に返った。
「あっ……あ、あの、僕の名前は、裕一……」
 ぼっこりと張った我が身を押さえながら、裕一はそう返す。
「ゆういち……」
 ユキがそう呟いたとたん、彼女の体から力が失せ、裕一の方に倒れ込んできた。
「危ない!」
 裕一はあわてて立ち上がり、彼女の体を抱き留める。
「ねぇ、どうしちゃったの!?」
 彼女の顔をのぞき込むようにし、彼は問いかける。
 が、彼女は目をつぶったままで、何の返事も返してこなかった。ただ、彼女のうっすらとした温もりが、彼の手には感じられていた。
「ねぇ、大丈夫なの?」
 裕一の問いに対する返事か、ユキはその腕で、ふわっと彼の体に抱きついた。
「あ、あの……ああっ……」
 ユキを正面から抱き留める彼の胸には、2つの柔らかなものが感じられている。そして彼女を支える手は、彼女の柔らかな尻を押さえている。
 そして、それらに敏感に反応した彼の男性自身は、ユキの腹に我が身を押しつける事によって、その存在を誇示していたのだ。
 それが分かった裕一は、あわてて体を離そうとする。しかし、それではユキがずり落ちてしまうのは明らかだった。
 仕方なく、裕一は彼女を自分の布団に寝かせる事にした。
 彼女をしっかりと抱き留め、布団の上まで連れてゆく。そして、彼はひざを曲げ、上体を低くしながら、ユキの体をゆっくりと布団に寝かせようとする。
 との時、彼の手が、彼女の幼さを残す乳首に触れたのだ。
「んぁ……」
 彼女の口から、何ともつかない声が漏れる。
 裕一の背筋に、寒気に似た何かが走った。彼女の乳首が触れた所が、妙にムズムズする。
 次の瞬間、彼の手はユキの胸に押し当てられていた。
 それは、ほとんど無意識のうちに行われていたのだ。
 裕一は、それがいけない事だと分かっていた。しかし体は、彼の意に反していた。
 手をどけなければ、と彼は思うが、その手はユキの慎ましい乳房を揉みしだく。
 もしここで、ユキが拒否の態度を示せば彼は止めただろう。しかし、彼女は浅い息をするのみで、体をぴくりとも動かさない。
 ただ、彼のなすがままだった。
 そして、彼を何かが覆ってゆく。
 裕一の理想そのままであるユキの躰は、彼を異常なまでに反応させたのだ。
 そして再び、彼は黒い衝動に駆られたのだった。
 裕一はユキに襲いかかる。
 その口は彼女の唇を吸い、その手は彼女の胸をもみ、その足は彼女の秘部を無理矢理押し開く。
 ユキの弛緩しきった体は、彼の行為をすべて受け入れているかのように思えた。
 少なくとも、裕一はそう思ったのだ。
 彼の手が、ユキの股間に触れる。
 ぴくりと、彼女の体が反応する。
 彼の指には、彼女の暖かさと湿りが感じられた。
 裕一は自らのズボンに手を掛ける。
 そして、その欲望に満ちた男性自身を取り出そうとしたその瞬間、
「いやああああああああああああああああああああっっっ!!」
 激しい衝撃と共に、耳をつんざくかの様な悲鳴。
 裕一は、ユキに突き飛ばされたのだ。
 彼は上体を起こし、打った頭を押さえながら数回頭を振る。
 そして、我に返った裕一が見たものは、変わり果てたユキの姿だった。
 自らの体を抱きしめ、恐怖に引きつった顔で打ち震えている。
 目からは大粒の涙があふれ、その喉からはうなり声を発している。
 あまりの恐怖の為なのか、ユキは泣くのを通り越して、精神に異常を来したかのように声をあげ続けていたのだった。
「あ、あの……」
 裕一が声を掛ける。
「あっ!…ひゃああっ………いやぁ……あ!!」
 まさに、それが彼女にとっての最大の恐怖だといわんばかりに、ユキは裕一の顔を見ている。
 可愛らしい顔が恐怖によって、無惨な程に歪んでいた。
「ねぇ、もう、何もしないから、もう、怖がらなくてもいいから……」
 まるで、怖がる子猫をなだめるかのように、彼はゆっくり語りかける。
「あっ……が………あ……っ……やぁぁ………」
 しかし、彼女の怯えは無くなるどころか、より酷いものになってゆく。
 このままだと、本当に精神に異常をきたしてしまうかもしれない。
 精神の事など、全く分からない裕一ではあったが、彼女のその異常な怯えは、彼にそう思わせるほどに強いものであったのだ。
 裕一の体が、動いた。
「もう、何にもしないから! 落ち着いて!!」
 いきなり彼女を抱きしめる裕一。
「!!……ひゃあぁああっっっ!!……あ…あぐぅ……やああっ!」
 手足をバタつかせ、必死に彼から離れようとするユキ。しかし、裕一はより強く彼女を抱きしめる。
 ただじっと、彼はユキを抱きしめていた。
 ………。
 部屋には、外で降り続く雨音が響いている。
 そして時折、ユキの小さな悲鳴が聞こえていた。
 裕一は、ずっとユキを抱きしめている。
 やがて、静寂が訪れた。
 雨は止み、雷も鳴ってはいない。
 ユキの嗚咽も聞こえない。
 彼女は、裕一の腕の中で、安らかな寝息を立てていた。
 彼が無意識のうちにとった行動。しかしそれは、ユキに落ち着きを取り戻どさせたのだった。
 裕一は改めて、彼女の顔を見る。
 涙を拭ってやり、そして乱れた髪をすっとなでる。
 本当に、可愛い顔だった。
 彼は自分の胸に、何か熱い物がこみ上げてくるのを感じていた。
 それが彼女、ユキに対する想いであると、彼はすぐに理解する。
……当たり前だ、ユキは、僕が望んだ形をしているんだから。
 彼の理性がそう告げる。
 しかし、心の底から沸き上がる、この愛しさと安らぎは、そんな事実を打ち消すほどに確かだった。
 裕一は後悔していた。
……なぜ、僕はこの子を無理矢理モノにしようと思ったのだろう……
……見ているだけで、こうして触れているだけで幸せなのに。
 彼はユキを寝かせ、一枚しかない布団を掛けてやる。
 そして、自分自身はその隣に寝ころんだ。暖房をつけたままにしておけば、毛布一枚の彼でも風邪を引く事はない。
 裕一は、明日からの生活を、ユキとの暮らしに明るい希望を抱く。
 そして、来るべき明日へ向かい、彼は目を閉じた。

PHASE_04 [ユキ 1]

November 29 2:13 a.m.

……くるしい……。
……息が……息が出来ない……。
 裕一は苦痛を感じていた。
 突然彼を襲った息苦しさ。
……夢であるならば、早く覚めてくれ!
 彼はそう念じるが、夢が覚めるどころか息苦しさは次第に酷く、現実なものへとなってゆく。
 彼は必死に、夢からの解放を念じていた。

 まどろみから、一転して現実へ。
 やっとの思いで、裕一が目を覚ます。
 切望していた目覚め。しかし、彼の息苦しさは、消えてはいなかったのだ。
 そして首筋に巻き付く何かを、彼は感じる。
 暖かくて柔らかく、しっとりとしたもの。
 そう、人間の手だ。
 彼に覆い被さるようにし、何者かが首を絞めている。
 部屋の暗さのため、それが誰なのか、裕一には分からない。
「や……やめてよ……」
 やっとの事で絞り出した、あらがいの声。
 しかし、手はその声に応じてより強く、よりきつく握られていった。
「うぅっ………くっ……」
 彼は己の首を絞め続ける手を掴み、何とかそれを首から離そうとする。けれども体勢の不利で、手を振り払う事は出来なかった。
 ぎりぎりと、自分の首から悲鳴が聞こえてくるのを、裕一は感じていた。
 もはや呼吸は全く出来ず、手も痺れてきている。
 このままでは、死ぬかもしれない。
 裕一がそう思った時だった。
 より強い力が、彼の首を襲う。
「ぁっ!!」
 そんな断末魔が、彼の喉から発せられる。
 まもなく訪れるであろう確実な死を、どうやって回避するのか。
 もうろうとする意識の中で、裕一は考える。しかしそれより前に、体が動いていた。
「っ!!」
 彼の足が、彼に覆い被さる人間の腹を、思い切り蹴り飛ばしたのだ。
[バァンッッ!!]
 何者かが、壁に激突する音。
「きゃうっ!」
 それと同時に聞こえた、か細い女の悲鳴。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
 絞められた首を手でさすり、裕一は精一杯空気を吸い込む。新鮮な空気が、彼の肺にどっと入っていった。
「あ……ユキさん!」
 あれた息を整える間もなく、隣で寝ていたユキの事を思い出し、彼はあわてて部屋の明かりをつけた。
 しかし、彼の布団の中にはユキの姿は無かった。
 そして部屋を見渡す彼の目に、先ほど蹴り飛ばした人間がいたのだ。
 ……ユキだった。
 壁にもたれ掛かりながら、彼女は腹を押さえ、苦しそうに息をしている。
「ユキさん!!」
 あわてて駆け寄り、裕一はユキを抱き起こす。
「ぁぅ……あ………!!」
[がはっ!]
 ユキの口から、大量の血があふれ出る。
「うわあっ!」
 突然の吐血に、危うく彼はユキを取り落としそうになる。
「けほっ! けほっ!」
 喉に溜まった血でむせたのか、ユキは小さな咳を繰り返す。それと同時に、彼女の口から吐き出された血が、部屋の中に飛び散っていった。
「ユキさん! ねぇ、大丈夫!? ユキさん!!」
 彼女の飛び散る血を浴びながら、裕一は何度も彼女の名を呼び続ける。
 しかしユキは返事をする事はなく、小さい咳を繰り返すのみだった。
 救急車を!
 裕一はそう思い、受話器を取る。しかし彼は、重大な事に気づいたのだ。
 ユキを、どのように説明すればよいのかという事に。
 一糸まとわぬ彼女を見て、救急隊はどう思うのか。
 そして、彼と彼女の関係は?
 ユキは、裕一が創り出したニンゲンだ。国籍どころか、保険証もない。
 たとえ病院へ入院したとしても、それにかかる治療費など、とうてい払える訳がない。
 そしてそれ以前に、彼女は本当の人間ではないのだ。
 医者がこの事実を知れば、一体どの様な事が起こるのか………。
 裕一は、受話器を置く。
……本当に、情けないヤツだ。ユキの事が大切ならば、なぜ救急車を呼ばないのか。
 彼の理性がそう告げている。
 けれども裕一には、ユキの事を他人に言う事などは、決して出来やしなかったのだ。
 彼は再びユキを布団に寝かせると、その汚れた口元をタオルで綺麗に拭き取ってやる。
 乱れた髪を、整えてやる。
 そして布団に寝ている彼女の手を、その隣に座った裕一はずっと握り続けていた。
 それが彼に出来る、最大限の癒やしだったのだ。
「ユキさん、元気になって……」
 彼はずっと、彼女の横に座っていた。
 彼女の手を握りしめ、精一杯に回復を念じていたのだ。

November 30 7:22 a.m..

 前日の雨模様とはうって代わり、裕一の部屋には朝日が射していた。
 空は一面に晴れ渡り、その中を小鳥が飛び回っている。
 彼らの心地よい歌声が、窓の外から聞こえてくる。
 点けっぱなしのエアコンのおかげで、部屋の中は暖かい。
 そんな柔らかな日差しと小鳥の声で、彼女は目を覚ましたのだった。
「ん……」
 目を擦りながら、ユキは起きあがる。ぱさっと落ちた布団から、彼女の可愛らしい乳房が現れた。
「あっ、やだ……裸……」
 自分のそんな状況を把握し、顔を赤らめるユキ。
 彼女の瞳には、昨日の夜とは違い、自分の存在を主張する生気に溢れた光が宿っている。
 彼女は胸を隠すため、あわてて布団をたぐり寄せようとした。
 その時き、彼女の手が何かによって引っ張られる。
 正確に言えば、彼女が何かを引っ張ったのだ。
 ユキは我が手の先を見る。すると、そこには彼女の手を握ったままで、座り込んでいる裕一の姿があった。
「え?……あ、あの……」
 彼女は、裕一を軽く揺さぶる。しかし彼は、座ったまま寝込んでいたのだ。
「あの……裕一……?」
 彼を起こそうと、ユキは再び裕一を揺さぶる。しかし、彼女はその手を止めた。
 どうして、裕一は私の手を握ったままで、こんな所で寝ているのか。
 ユキは疑問に思う。
 彼女の手をしっかりと握る裕一の手からは、暖かさがじんわりと感じられる。
 理由はよく分からない。しかし、裕一は自分の事を想ってくれている。
 ユキの確かな直感が、そう告げていた。
「んっ………」
 とその時、裕一が目を覚ました。
 しばらく目を擦り、寝ぼけていた彼であったが、昨日のユキの事を思い出したのだろう、はっと息をのむように彼女の方を見る。
「あっ!……ユキさん、もう大丈夫なの!? おなか痛くない!?」
 彼はユキの顔をのぞき込むようにしながら、心配そうな表情を浮かべる。
「えっ……あ、うん……別に、おなかなんて痛くないけど……?」
 裕一の言った意味がよく分からないと言った感じで、ユキは返事を返す。
「よかったぁ……。昨日、僕が、思いっきりユキさんのお腹蹴っちゃったんだ……ごめん。」
 すまなそうな顔で謝る裕一を見て、ユキはより疑問を感じる。
「ねぇ……私、蹴られた記憶なんてないし、何で貴方は私の事蹴ったなんて言うの?」
 昨日の夜の出来事を全く覚えていないのか、彼女は再び彼に問う。
「え……あの……昨日の夜、ユキさん、僕の首絞めた、覚えてない?」
 なるべくユキを責める様な口調にならないように、裕一はゆっくりと言う。
 しかし唐突にそんな事を言われ、ユキの表情は複雑だ。
「……どういう事、それ……?」
「あの……僕が寝てたら急に息苦しくなったんだ。それで目が覚めて、誰かが僕の首を絞めてたのが分かって……何とか手をどかそうと思ったんだけど、出来なくて……そのうち、ホントに苦しくなってきて、……その、気が付いた時には、思いっきり蹴り飛ばした後だったんだ……。」
 必要以上に緊張しながら説明している裕一を前にして、ユキの顔は呆れ顔に変わっていた。
「……それが私だって?……夢でも見てたんじゃないの?」
「そんなワケ無いよ! だって、ユキさんあの後に血を吐いて……もう、そこら辺が真っ赤になっちゃったんだよ!? ほらっ!……え?」
 彼女の言葉をあわてて否定をし、昨日の夜片づけられなかった血だまりを指さす裕一。
 けれども、その指先にはなど一滴もなかった。昨晩までは、少なくとも裕一が寝るまでには、部屋には血だまりどころか、彼女が吐き出した血が、あちこちに飛び散っていたのだ。
「どこに血があるの?」
 なんだか楽しそうに微笑むユキとは対照的に、裕一の顔は真剣だ。
「何で、血が消えちゃったんだろう……?」
 彼は昨晩、ユキの倒れ込んだ場所に行き、カーペットなどを調べている。
「あのさぁ……貴方、そんなコトしてていいの? 学校とかあるんじゃないの?」
 裕一の言っている事を完全に信じていないユキは、半分笑いながらそう言った。
「あ! そうだ、今何時だっけ……?」
 裕一はあわてて時計を見る。時刻は7時25分だ。
「……朝ご飯作らなきゃ。」
 そう言う裕一であったが、その前に布団を片づけなければならない事に気づく。
「あ、ユキさん、布団を片づけるから……」
「うん……」
 ユキは胸を覆っていた布団を、無造作に畳もうとした。
「あっ!……」
 あわててそっぽを向く裕一。
 そんな彼の様子を、彼女は布団を畳みながら不思議そうに見ている。
 が、しかし、彼女は胸に感じる布団の感覚が、いつもとは全く違う事に気が付いたのだ。シーツと乳首の擦れる感覚が、少し痛かったという事に……
「あっ! ちょっと、ヤダぁ!」
 ユキは自分が裸だという事に改めて気づき、あわてて布団に潜り込む。
「裕一! 何か着るもの持ってきて!」
 そして掛け布団から顔だけ出して、彼にそう頼んだ。
「あ、あの、どんな服着るの!?」
 依然そっぽを向いたまま、裕一は問う。
「何でもいいって!」
「何でもって言っても……」
 彼はそう呟きながら、タンスの置いてある部屋へ行く。
 実際タンスを開けてみても、彼女に何を着せればいいのか、全く見当が付かなかったのだ。自分の服の中から、彼女が着ても不自然でないものを見つける事は、すぐには出来ずにいた。
 いつも見慣れた服がまるで別物のように、彼は思えていならなかった。
「裕一、まだ?」
 必死にタンスを漁る裕一に、そんな彼女の催促が追い打ちをかける。
 女物服に関して何の価値基準も持たぬ彼には、彼女の服を選ぶ事は出来なかったのだ。彼はおそるおそる聞き返す。
「あ、あの……だから、どんな服がいいか分からなくて……」
「……別に、どんなのでもいいわよ!」
「だから……よくわかんなくて……」
「だから何でもいいってば!……もういいよ、私自分で探すから……」
 布団の裾から顔を出したユキは、そのままマントのように布団を羽織り、彼が呆然と立ちつくすタンスの前にやってきた。
「ええっと……」
 ユキは彼のタンスの中をのぞき込む。
「……この中で、私が着ていいのってどれ?」
 そう聞くために、彼女が裕一の方を向いた時だった。裕一はユキを見ていたが、その視線の先は彼女の顔ではない事に気付く。
 視線を辿ったその先は、布団の裾の隙間から見える彼女の裸だったのだ。裕一の無意識が、彼の男がそうさせたのだ。
「スケベ!! あなた、まさかこれが目的で、わざと呆けたフリしていたの!?」
 キッと彼を睨み付け、ユキはきつい口調で文句を言った。
 びくんとその身を震わす裕一。。
「っ!……その、ごめん、そんな事無いよ、ホントにわかんなかったんだよ!」
 顔を真っ赤にし、ユキから視線を外した彼は、あわてて言い訳を述べた。
「ったく……男って、最低よ……」
 そう愚痴をこぼす彼女は、裕一のタンスからYシャツやセーター、ジーンズを取り出した。
「裕一、これ、借りるわよ。」
 依然としてユキから視線を外していた裕一に、彼女は服を突き出しながら了解を求める。
「え、あ……う、うん、いいよ、使って……。」
 ちらっと服を見、あわてて視線を元に戻す裕一。そんなおどおどした様子の彼を、ユキはつまらなそうに見ていた。

「あ……そう言えば、下着が無いじゃない……どうしよう?」
 彼から借りた服を着るため、裕一を部屋から追い出したユキは、ジーンズを持つその手を止める。
 下着をはかないままジーンズを履く事は、さすがに躊躇われたのだ。
「……裕一、何か、パンツの代わりになるものってある?」
 部屋を隔てるふすまに向かい、彼女はちょっと大きな声で言う。
 しかし、彼からの返事は無かった。裕一は台所で調理をしているために、彼女の声が聞こえなかったのだ。
 仕方なくユキはふすまを少し開け、裕一を呼んだ。
「裕一、ちょっと来てよ!」
「……え? あ、わかった、ちょっと待ってて!」
 彼はそう返事をすると、ガスを止める。そして手を洗ってから、ユキのいる部屋の前までやってくる。
「あ、あの、どうしたの?」
「……パンツの替わり、何かある?」
 不機嫌そうに、彼女は言う。また、隙間から裕一に覗かれないようにするために、彼女はまだ着てないYシャツで、そのかわいらしい胸を隠していた。
「え……わかんない………パンツって、……僕のしかないし……」
 なるべくユキに視線を合わせないように、裕一はわざと横を向いていた。
……また何か言われるのはたまらないよ。
 そう考える彼の目には、彼女が隠しているはずの乳首が見えていたのだ。
「……お願い、何とかしてよ……」
 そう言うユキの言葉に、裕一は再び考え込まざるを得なかった。普通の男所帯に、女の下着の代わりになるモノなど、あるわけはないのだ。
「あの……僕の下着ならあるけど……」
「そんなのヤダよ………」
 憮然とした返事が、彼女から返ってくる。
「あの、まだ下ろしてないのもあるんだけど……」
 すぐには返事はなかった。ユキは、ふすまの向こうで考え込んでいるのだ。
 Yシャツの隙間から見える彼女の乳首を気にしながら、裕一は彼女の返事を待っていた。
「……じゃあ、その下着貸して。」
 唐突な、ふすまの向こうからの声。彼はあわててユキの方を向く。
「あ、うん。ちょっと待ってて……」
 そう言って、彼は脱衣所に向かう。そしてそこに置いてある棚の中から、まだ袋に入ったままの下着を取り出し、ふたたび部屋に戻る。
 なるべく彼女を見ないようにし、裕一はそれをふすまの隙間に差し入れた。
「はい、これ……」
「……ありがとう。」
 裕一の持ってきた下着を受け取り、ユキはふすまをぱたんと閉める。持っていたYシャツを床に置き、下着の袋を開けて中身を取り出した。
 袋の中には、派手な色の、若者向けのトランクスが入っていた。
……裕一が、こんなの履いてる……?
 そう思い、自然に笑みがこぼれるユキであった。
 彼のおどおどした態度とは、全くイメージの違うトランクスの柄。ともすれば、湘南などで見かけるであろう、ノリの軽い若者が履いていそうな海水パンツによく似ている。
 そんなトランクスを履いている彼を連想し、彼女はおかしくてたまらなかったのだ。
 依然ニヤニヤしたままのユキは、そのトランクスを履く。女物とは違うその感覚に若干の違和感を覚えるが、今はそれで良しとした。
 そしてYシャツを着、ジーンズを履いて、最後にセーターを着た。
「……着終わったわよ。」
 そう言いながら、ユキがふすまを開け、裕一が朝食の準備をしている部屋、元々布団が敷いてあった部屋に戻ってきた。
 そんな彼女を、裕一は見る。無意識のうちに手が止まっていた。
 いつも自分が着ている服が、それを纏う者がユキとなるだけで、全く別の服のように見える。
 男物であるはずの服が、彼女の着こなしがうまいのか、全く違和感は感じられなかった。
 裕一は、感動に近いものすら感じていた。
「……なに? どうしたの??」
 自分をじっと見つめる裕一に、ユキは首を傾げて問いかける。
「あ……あの、なんかまるで僕の服じゃないみたいだから、すごいなって思って……」
 あわてて止まっていた手を動かし、視線を彼女から外す裕一。
「……ヘンかなぁ……?」
 ふたたび首を傾げ、着ているセーターの裾を摘みながら、彼女はぼそっと言った。
「え、あ、全然ヘンじゃないよ、すごく似合ってる!」
 そんな彼女に独り言に、鍋を持ったままの彼はあわてて反論する。
「そう……? ありがと。」
 裕一の目の前で、ユキが優しく微笑んだ。
 そしてそれが、彼が初めて見た彼女の微笑みだったのだ。
 裕一の胸には、遙か昔に感じた『熱さ』がこみ上げてきていた。
 それは、かつての憧れの人に抱いた、彼の一途で純粋な『想い』。
 彼が求めて止まなかった、美由紀という女性に感じたものと同じだ。
 彼には、自分の胸の高鳴りが分かっていた。
 彼の理性は、ユキは美由紀とそっくりだから当たり前だと言っているが、裕一にとってそれはどうでもいい事であった。
 改めて、彼はユキに惹かれてゆく自分を認識していた。
 そしてそんな彼には、ユキの微笑みはまぶしく感じられたのだ。
「あ、あの、向こうに置いてある布団、持ってきてくれないかな……?」
 裕一は照れ隠しに、彼女にそう頼んだ。
「うん。」
 ユキは返事をすると、自分が羽織っていった掛け布団を畳み、裕一の方へ持ってゆく。
「あ、ありがとう。」
 彼女から布団を受け取った彼は、その手に暖かみを感じた。
 そしてそれがうっすらと残るユキの体温だと分かったとたん、彼自身の体温が上がってゆくのも感じていた。
 自分がいつも羽織っていた何でもない布団が、なぜかいとおしくも感じられるのだ。彼は布団から手を離すのが躊躇われたのだが、いつまでもそうしている訳にもいかないので、敷き布団がすでにしまわれていた押入のふすまを開け、そのまま掛け布団も仕舞おうとする。
「ねぇ、お布団干した方がいいんじゃないの?」
 唐突に、声を掛けられた。
 布団を仕舞おうとした彼の行動に対する、ユキの提案だった。
「でも……いつ天気が変わるか分かんないし……」
 裕一は窓から身を乗り出し、若干雲がかかりつつある空をのぞき込む。
「いいよ、私が見ておくから。」
「うん、じゃあ、お願いしてもいい?」
「ええ。」
 ユキが布団の番をしてくれる事になったので、彼は持っていた布団をベランダに干す事事にした。
「そういえば……あ、あの、ユキさんの下着、どうしようか……?」
 毛布や敷き布団などを手すりに掛けながら、裕一は彼女に尋ねた。
「あ………裕一、帰りに買って来てよ。」
 彼が布団を干すのをぼんやりと眺めていたユキは、何気ない様子でそう答えた。
「ええっ!? ………あ、あの、それは………」
「何でもいいよ。普通のだったら……」
「で、でも……!」
 顔を真っ赤にした裕一は、うつむいたまま黙り込んでしまった。
「……ねぇ……もう下着はいいよ。学校遅れちゃうよ?」
 そう諦めたように言うユキは、ふたたびつまらなそうな顔をしていた。彼女は用意している途中であった朝食の準備を、彼に代わって始めた。
「あ……あの、もう、今日は予備校行かなくて、ユキさんの服とか、買いに行った方がいいと思うんだけど……」
 裕一は顔を上げ、茶碗を並べているユキに問う。
「……服を買ってくれるのは、うれしいよ。でも、そう言う事は、あなたが決めてよ。」
 持っていた茶碗をテーブル置き、彼女はそう返した。
「え? あの、それってどういう意味……?」
 干した布団を固定するための、布団ばさみを持っていた彼の手が止まる。
「だから! 買い物行くなら、学校休むんでしょう?! それは自分で決めなきゃいけない事じゃない!……そんな事、何で私があれこれ言うの!?」
「え……?」
 ユキが何が言いたいのか分からず、裕一は彼女の方を向いたまま立ちつくす。
「……だから、もうちょっとハキハキしてよ! 何でいっつも人の顔色伺う様な事ばかりしてるわけ!? 予備校休むのはあなたが決める事でしょう? 私には決められないわよ!」
「あ、あの……だから……」
 うっすらと涙を溜めた裕一の、だらんと垂れた手が震えていた。
「ぁ……ごめんね、滅茶苦茶言っちゃって……。でもね、これはあなたが決める事なのよ……私は、それに従うだけなんだから……」
 立ちつくす裕一に気づき、ユキはあわてて語調を改める。しかし、彼女の歯がゆい感じは消えなかった。
「あ、あの、ユキさんの言う事は分かったよ。……じゃあ、今日は学校休むよ。……だから、あの、一緒に買い物行かないかな……?」
 おそるおそる顔を上げながら、上目遣いで彼は問う。
「もう!! だからそんな態度しないの!!」
「ご、ごめん!!」
 ビクッと身を震わせ、あわてて謝る裕一。
「はぁぁぁぁ……わかったわ……。今日は、一緒に買い物行こうね。」
 溜息混じりの、彼女の返事。しかしその顔には、笑みがほんの少しだけこぼれていた。

November 30 10:13 a.m.

 朝食をとり若干の休憩後、彼らは街の商店街に来ていた。
 もはや枯れ木同然となったイチョウ並木がずっと続いている、そんな風景。
 師走が近づいた街は慌ただしい。たくさんの人が行き交う中、1ヶ月後に迫ったクリスマスのために、作業員がイチョウの木に電飾をつけている。
 あちこちに店にも、クリスマスにちなんだディスプレイが増えてきていた。
 それらは裕一にとっては、通慣れた道である。予備校帰りによく立ち寄る古本屋も、その商店街にあるのだ。
 普段、彼はその道を一人で歩いていた。裕一は実家を離れて一人暮らしのため、もちろん近所に知人などはいない。
 だから今日のように他の人間と一緒に歩く事を、彼は新鮮に感じていた。
 それに、隣にいるのはユキなのだ。端から見れば、恋人同士のデートのようにも見えるだろう。
 裕一の顔からは、以前の様な陰鬱さは感じられなくなっていた。

「ねぇ、どれがいいと思う?」
 とある洋品店の、女性下着売場。
 ユキがいろいろな下着を見ている中、真っ赤な顔の裕一は、ずっと俯いていた。
「ねぇ、裕一、聞いてる!?」
 パンティーをその手に持ったまま、ユキは彼にふたたび声を掛ける。
「え!? ……あ、あの……僕、よく分かんないし………」
 周りをパンティーやブラジャーに囲まれ、完全に萎縮してしまった裕一の、ぼそっとした返事が聞こえてきた。
「あのさぁ、別に恥ずかしがらなくてもいいじゃない……結構男だって買って行くんだよ、パンツとかって……。」
 選ぶのを一時中断したユキは、溜息混じりにそうこぼす。
「だって……、こういうところに来るの、初めてだし……。」
「だからって、そんな態度じゃホントに変なヤツに思われるよ!? もっとシャキッとしなさいよ!」
「でも……」
「はぁぁぁぁ………裕一、もういい加減にしてよ……。何であんたっていつもいつもウジウジしてるの?」
 持っていたパンティーを元の場所に戻し、厳しい表情のユキは、裕一の目の前にやってきた。
「あなたがそんなんじゃ、私選べないでしょ? あなたが買ってくれるんだから、一緒に選んでよ……」
 そう彼女に言われ、裕一はあわてて顔を上げた。
「ご、ごめん、そんなつもりじゃなくって……あの、恥ずかしくって………ああっ!?」
 裕一が全て言い終わる前に、ユキは彼の腕をつかんで下着売場に引っ張ってゆく。
「だから! そんなところに突っ立ってる方が恥ずかしいのよ!! こっちに来て一緒に選んでた方が、恥ずかしくないんだってば……」
 呆れ半分、諦め半分といった感じで、ユキは苦笑しながらそう言った。彼女に無理矢理引っ張られ来た裕一も、ようやく一緒に品定めを始めたのだった。

「これ、なんか可愛いと思わない?」
 小さなフリルの付いたパンティーを、ユキが手に取り裕一に見せる。
「あ、あの、これなんかは……?」
 やや露出の多いパンティーを、彼は指さした。
「うわ……あなたホントにスケベねー、そんなの普通履かないよ。」
「え? そ、そうなの? 同じクラスだった人が、こういうの履いてたけど……?」
「何それ? あなた覗いたわけ?」
「違うよ、ホテルで………ぁ!!」
 一瞬、裕一の顔が引きつる。そんな様子を見て、ユキは怪訝そうな顔をした。
「……それって彼女?」
「違うよ!……そんなんじゃ、無い……」
 軽い調子のユキに対し、それに対する裕一の態度は真剣だった。
「………ごめんね、聞いちゃいけなかったみたいだね。」
 お互いの間に、気まずい雰囲気が流れた。
 しばらくの沈黙。ユキが見た彼の表情は、とても辛そうだった。
 自分の無思慮な言動が彼を落ち込ませてしまったと、ユキは後悔する。
 しかしその沈黙は、すぐ裕一によって取り払われた。
「あ……そんな事より、早く決めちゃおうよ。他にもいろいろ買わなきゃいけないでしょ?」
 ぱっと表情の明るくなった裕一は、微笑みながらユキに言う。
「え、ええ……じゃあ、裕一が選んだこれにしようかしら……?」
 そんな彼の様子に呆気にとられながらも、ユキは例の露出の多いパンティーを手に取る。
「え、あ、あの、やっぱりこっちの方がいいと思うよ、ユキさん……」
 裕一はあわててユキが先ほど見ていた、フリル付きのパンティーを差し出した。
「……じゃあ、これ、両方とも買ってよ。」
 にっこりと微笑みながら、ユキは自分の持っていたパンティーを裕一に渡す。
「う、うん、もちろんいいけど……ホントにこれでいいの?」
「いい! 裕一が選んだんだから!!」
 そう言い放ったユキは、さっさとブラジャー売場の方に向かっていった。
「早く、裕一! 一緒に選ぼうよ!」
「あ、うん、わかった!」
 裕一はあわててユキの後を追う。その後約2時間少々、ユキの買い物につきあった。彼にとって、もちろん初めての経験であった。

「どうしたの? そんな疲れた顔しちゃって……」
 大きな買い物袋を抱えながら、笑みを浮かべたユキは言った。
「あ、別に疲れていないけど………その、女のコって、すごいなーって……」
 裕一もまた、、同じように大きな袋を抱えている。
「何がすごいの?」
 不思議そうな顔をしたユキが、裕一の方を向いた。
「えっと……その、なんて言うか、一生懸命品定めしてたって言うか……」
 ユキとの買い物の事を思い浮かべながら、裕一はそう返す。
「えー? だって、せっかく買うんだから、一番いいのを選びたいじゃない。それに、裕一にお金出して貰うんだから、失敗なんてしたくないし……」
「うん……。そうだよね。」
「そうそう。お金は大切に使わなきゃイケナイのよ……」
 師走の商店街。相変わらず激しい人通りの中、彼らは一時の会話を楽しんでいた。
 冬も間近なこの季節、若干低めの太陽が、裕一にはいつもより明るく感じられる。
 彼が初めて感じた、幸せのひと時であった。
「裕一、昼御飯どうするの?」
「あ……あの、レストランに行く?」
「どっか美味しいとこでもあるの?」
 二人は歩きながら、昼食について話し合っていた。
 そんな彼らの歩く道の先には、占い師か何かであろう、小さな机に一見してなんだかよく分からない小物や水晶玉を並べ、道行く人々を眺めながら、一人の老婆が折り畳みのいすに座っていた。
 そんな彼女を裕一達は、全く意識せずに通り過ぎようとしていた。
「ちょっと坊や、お待ち。」
 唐突な、老婆が呼び止める声。ほぼ反射的に、裕一は彼女の方を向く。
「死んだ女を連れて、いったい何をしてるんだい?」
「え………!?」
 そんな老婆の言葉に、彼はその歩みを止める。
 ぎりぎりと、胸を締め付けられる様な感覚が、彼を襲う。
 ドクンドクンと心臓が鳴る度に、彼の手の先からは体温が失われていった。
「やーね、何言ってんのあの人……? 裕一、早く行こうよ!」
 老婆の言葉にショックを受け、呆然と立ちつくす裕一とは対照的に、彼女は何の事か分からないといった様子で平然としている。
 ユキには、老婆の言った言葉の意味が全く分からなかった様だ。彼女は裕一の手を引き、その場より立ち去ろうとする。
「あっ……うん……」
 ユキに手を引っ張られ、あわてて歩き始める裕一。顔こそ何もないように振る舞っていたが、彼の心の中は複雑だった。
 老婆の言った言葉、死んだ女というのはユキを表しているのだという事を、彼は直感で理解した。未だユキには告げていないが、彼女は彼が創り出したニンゲンなのだ。
 しかし、なぜ老婆は彼女の事を『死んだ』女だと言ったのか。
……たぶん、普通の……ちゃんと生まれてきた人間ではないから、そう言ったのだろう……
 裕一には、そうとしか考えられなかった。
「……裕一、どうしたの?」
「っ!………え、な、なんでもないけど……?」
 老婆の言葉の意味を考えている内に、思い詰めた様な表情にでもなっていたのだろう。ユキの心配そうな問いかけに、彼は努めて平然を装った。
「それならいいけど……そういえば、お昼どうする?」
 老婆の言葉で中断していた話題が、ユキによって再開される。
「あ、うん、駅前に新しいファーストフードのお店ができたんだけど、みんな結構美味しいって言ってるから………そこに行かない?」
「うん、いいよ。」
 駅前に向かって歩き出す二人。そんな様子を、老婆は何も言わずに眺めていた。

November 30 3:47 p.m.

 駅前のファーストフードで昼食をとり、その後裕一のアパートに戻った彼らは、特にする事も無く、お互い自由な時間を過ごしていた。
 ユキはテレビを見、裕一は参考書を広げて勉強をしていた。しかし彼に頭には、知識は全く入っていかなかったのだ。
 隣の部屋でユキがテレビを見ている事も、若干ではあるが、関係あるだろう。
 しかし彼にとっては、そんな事は些細なものだった。
 彼の思考を占拠し続けるもの。それは、昼間の老婆の言葉だった。
 彼には『死んだ女』という言葉が、ずっと引っかかっていたのだ。
 今にして思えば、なぜユキは言葉をしゃべり、それに、ちゃんとした常識を身につけているのだろうか。
 それが、裕一の疑問だった。
 今も彼女はテレビを見、一人でくすくす笑っている。
 つまり、彼女にはテレビ番組で笑うだけの、予備知識があるという事だろう。
 元々スーパーで売ってる豚肉や卵、そして裕一の血や精液で出来ているはずのユキが、なぜその様な知識を持ち合わせているのか。
 そして、彼女が初めて現れた日の夜、何故裕一の首を絞め、彼を殺そうとしたのか。
 そんな疑問が、彼の勉強に対する集中力を無にしていたのだった。
 彼は参考書を閉じる。そして、おもむろに『思考とその具現化について』を取り出し、もう一度読み始める事にした。
 『思考と〜』は、基本的に筆者である山本 充蔵(やまもとじゅうぞう)という民俗学者が、自己の体験記や実験日誌をまとたものとなっている。
 全部で5章より成り立ち、1から3章までは反魂や生まれ変わりといった事象を題材とした、世界各地の民話や伝承がまとめられており、4章はそれらを総合し、『ニンゲン』を作るための科学的な説明を行い、5章には彼が実際に『ニンゲン』を創った時の体験談がまとめられている。
 その本に書かれている『ニンゲン』の作り方は、筆者が各地に伝わる反魂の秘術を学術的にまとめたものであり、結局は筆者オリジナルの方法である。
 そして、その方法によって創られた『ニンゲン』についての研究結果は、『思考と〜』の下巻に載っているという事であった。
 つまりユキについては、下巻を入手しない限り何も分からないという事である。
 そこまで分かった彼は、本をぱたんと閉じて、大きな溜息をついた。
 軽く、武者震いをする裕一。
 ふと窓から外を見れば、すでに真っ暗になっていた。しっかりとした暖房器具のない彼の部屋は、少しずつ冷えてきている。
……明日、本屋を回って下巻を買わなきゃ……
 そう考える裕一は、ぼうっと上巻の表紙を眺める。
 まっさらなクリーム色の上に、『思考とその具現化について』とだけ書かれてある極々シンプルな本。
 しかし中身は図解が入っていたりと、結構凝った作りになっているのだ。
 裕一はその本を、元あった場所にふたたび戻す。ユキには絶対見つからない様な、押入のずっと奥に。
 彼は、その本をユキには決して見せられないと思っていた。もし見れば、彼女は自分をどうやって創ったのか聞いてくるだろう。
 そして裕一には、その様子を語るだけの神経は持ち合わせていなかったのだ。
『君は、僕の精液や豚肉で出来ているんだよ。』
 それは彼の口からは、決して言えないセリフだ。
 本をしまい終わった裕一は、そっと押入のふすまを閉じた。
「裕一、そろそろお腹空かない?」
 ユキのいた部屋と、彼のいた部屋を隔てていたふすまが急に開け放たれ、ユキが覗き込むようにそう言った。
「!……あ、うん、そうだね、今から用意をするから……」
 あわててふすまから手を離し、裕一は何事もなかったように返事をする。
「なんか妖しいわねぇー。……エッチな本でも見てたの?」
 部屋に入ってきたユキは、軽蔑する様な視線を彼に向ける。
「ええっ?!……そ、そんなの持ってないよ……何でもないってば……」
「ふーん……まぁいいけど……。」
 彼女は再び、テレビのある部屋に戻っていった。
 裕一もその後を追うように台所へ向い、夕食の準備を始めたのだった。

December 1 2:08 a.m.

 夕食を食べ終え余暇をそれぞれ過ごした二人は、既に別々の部屋で床についていた。
 裕一は初め二つの布団を並べて敷いていたのだが、ユキがそれを嫌がったため、お互い別々の部屋で寝る事になったのだ。
 タンスの置いてある部屋にユキが、テレビの部屋に彼が、それぞれ布団を敷いて寝ている。
 この頃は寒くなった所為もあり、外はとても静かだ。
 気温が暖かければ、近隣住民の迷惑も考えずにやたら大きな音を立てて走り回る、無軌道なバイク少年達が出没する様な時間だろう。
 しかし今の時期、彼らもさすがに外出を控える様な寒さである。
 遠くで、犬の鳴き声が聞こえている。
 部屋はあくまで、静かだった。
 寝ているはずの、裕一のくぐもった悲鳴が聞こえるまでは……。
「うぐっ……うぅ………ぁ………ぅあっ………」
 昨日の同時刻に見られた状況が、今夜も再現されている。
 裕一が、彼に馬乗りになっている人間に首を絞められている。
 もちろん、その人間とはユキだった。
 天井に据え付けられた照明器具に付属する、保安灯の薄く柔らかな光のもと、生気を失いうつろな瞳の彼女が、渾身の力を振り絞るかの如く、その手に握られたものに力を込めている。
 その力の強弱が、裕一の悲鳴に変化を付けていた。
「……っぁ……ゆ、……ゆ…き……さん……やめ……て……よぉ……!」
 彼女の手首を握りしめ、息も絶え絶えの裕一。
「………!」
 そんな彼の命乞いの答えようとしたのか、意志のない瞳が彼を睨み、彼女の手に篭る力が増した。
「ぅぁっ……ぐぅあっ……!!」
 口から涎を垂れ流し、必死に抗う裕一。そのむき出しになった目は、彼女の顔を映し出す。
 彼は、ユキの手首を握る。まるでその中にある骨を折らんが如くにだ。
「ううっ………うわああああああああっ!!」
 腹の底から絞り出した様な叫び声と共に体をひねり、裕一は彼女を横に振り落とす。そして間髪入れず、彼女の手首を床にたたきつけるようにして、今度は彼がユキに馬乗りになる様な格好となった。
「はぁ! はぁ! はぁ!」
 全身で息をする裕一。
 口からは、だらだらと涎が流れ出ている。
 足りない酸素を補うため、息をするだけで手一杯なのだ。
 それを舐めとる余裕は、未だ彼には無かった。

「はぁ、はぁ、はぁ………」
 しばらく続いた荒い呼吸も止み、やっと彼の息も落ち着いていった。
 口元にべったり付いた唾液を舐めとり、それだけでは取れなかった部分は手で拭い去る。
 手には、かなりの唾液が付いていた。彼はそれを、自分のズボンに擦りつける。
 そして大きな溜息にも似た息を、一回。
 ふと、ユキの顔が、彼の視界に入った。
 それに微妙な違和感を感じ、裕一は改めて自分の状況を見渡した。
 仰向けの女の子に馬乗りになり、そして彼女の手を床に押さえ付けている。
 それはまるで、すぐにでも彼女を強姦する様な体勢だった。
「ああっ!?」
 彼はあわてて手を離し、彼女の上から身をどかす。
 そしてほぼ反射的に、受けの体制に入った。
 ところが、何か反応があると思った彼の予想に反して、ユキはぴくりとも動かない。
 既にその躰は弛緩しきっており、小さな寝息をたてるのみとなっていたのだ。
「ユキさん……?」
 心配そうに彼女の顔をのぞき込む裕一。
 ふと彼に目に、ユキの胸元が濡れているのが見て取れた。
 昨日買ったばかりの、新品のパジャマ。
 その若干はだけた胸元に零れていたのは、彼の唾液だった。
 彼女の両手を床に押さえ付けていた時、彼の口から流れ出たものだ。
「拭かなきゃ……」
 裕一はティッシュを数枚取り、彼女の胸元に寄せる。
 ユキの胸は、彼女の呼吸によって上下している。
 唾液を拭き取る彼の手に、ふんわりとした胸が当たった。
 そしてその手に胸を感じた場所が、彼には妙に熱く感じられたのだ。
「ユキさん……」
 軽く呼びかける裕一。しかし、彼女に何の反応もない。完全に、熟睡している様子だ。
 ごくりと、裕一ののどが鳴る。
 彼の手が、そっとユキの胸に置かれた。
 暖かさと柔らかさが、彼の手にじんわりと伝わってくる。それだけで、ついさっきまでの首を絞められていた苦しみが、まるで水に溶けて消えてゆく様に感じる裕一。
 そっと手を離し、彼女のはだけた胸を整える。
 彼はユキを抱え上げ、彼女の布団に寝かせた。
「ユキさん、お休み。」
 裕一はそう呟き、自分の布団へと潜り込む。
 彼の手にはユキの暖かさが、そして彼の心には、若干の不安が残っていた。
 再び、部屋に静けさが訪れる。
 そしてつかの間の休息が、彼らを包んでいった。

December 1 7:52 a.m.

「いい加減にしてよ! 何で私が貴方の首締めなきゃなんないのよ!!」
 薄曇りの空。暖房は未だ効いておらず、寒さが射すように伝わってくる。
 昨日は聞こえた小鳥の声は、今日は聞こえて来ない。
 そんな冬にに突入したばかりの灰色に彩られた様な部屋に、ユキの怒鳴り声が響いた。
「ねぇ、ユキさん、本当に覚えてないの!?」
 いつもは弱気な裕一も、今日は違っていた。
 彼を睨み付けるユキの目を、しっかりと見据える裕一の眼差し。
 そんな彼のまっすぐな瞳が、よけいユキの怒りを大きくしていた。
「知らないわよ!! さっきからそう言ってるじゃない!」
「ユキさん、本当に………
「うるさい!! もう貴方なんかと口利かない!!」
 怒りが頂点に達したユキは、タンスの置いてある部屋に入る。
 そして、
[バーンッ!!]
 ありったけの力を込めて、部屋を隔てるふすまを閉めた。
「ユキさん……」
 いつもの、気弱な裕一の声。
「………」
 ふすまの向こうからは、何の返事もなかった。
「ユキさん………」
 ほとんど呟きにも近い声。彼はしばらくの間、ふすまの前に立ちつくしていた。
 しかし点けっぱなしのテレビから聞こえる時報の音に、彼ははっと顔を上げる。そしてあわてて時計をのぞき込む。
「もう時間だ……ユキさん、僕予備校行くから、留守番よろしくね。」
 彼はふすまをじっと見る。たぶん向こうにいるであろう、ユキの位置を思い描きながら。
「………」
 返事は、無かった。
「ユキさん、行って来るよ!」
 最後にそう言い残し、彼は用意してあった鞄を持ち、部屋を出ていった。
[バタン]
 あわてて予備校に行く裕一の後ろに、玄関の閉まる音が響く。
「バカ………。」
 ユキの呟きが、その後に聞こえた。
 白々しく響く、電源の入ったままになったテレビの音。
 まるでその音につられるように、ユキはふすまを開け、テレビの前に座り込む。
 まだ食べかけの、彼らの言い合いの前まで食べていた朝食があるテーブルの上。
 無造作に置かれたテレビのリモコンを、ユキは手に取る。
 そしてボタンを押し、次々にチャンネルを変えていった。
 しかしその画面に映るのは、ニュースかドラマだけだった。彼女の好きな、バラエティー番組はやっていない。
 12個あるチャンネルを数回めぐるが、面白そうな番組は見つけられない。
 溜息と共に、彼女は電源ボタンを押した。
 ぷつんと、何も言わなくなるテレビ。
 ユキはおもむろに立ち上がり、テーブルの上に残る朝食を片づけ始めた。

December 1 11:23 a.m.

「つまり、数学の問題というものは、最短の方法で解かなくては意味がないんだ。回りくどいやり方では、たとえ答えが合っていたとしても点は付かない。だから君たちには、問題を最短の方法で解くやり方を………」
 壇上では、数学の講師が熱弁を振るっている。
 その老練さを感じさせる教師に、視線を送る生徒達もまた、受験というハードルに対して、熱い思いを再確認していた。
 しかしその中には、予備校の中でも人気のある講師の言葉が、全く意味をなさない者もいた。
 受験で勝ち抜く事を既に諦め、単なる惰性で通って来ている者。
 親や世間体に押しつぶされ、予備校のみが存在場所となったしまった者。
 そして勉強の疲れからか、既に寝入っている者等々……。
 そんな授業放棄にも等しい連中の中に、裕一も含まれていた。
 普段なら、彼は惰性で通っている者たちの部類に入るだろう。彼は宿題こそやってはいるが、授業中ぼんやりしている事が多いのだ。
 そんな時、たいてい彼は妄想に耽っている。
 自分が何かのヒーローになった事や、どこかの女とセックスしている様な事をだ。
 だから彼は講師に指されても、答えられた事はほとんどない。
 彼にとって、もはやその事は恥でも何でもなく、当たり前の事となっていた。

「つまりだ、この放物線の接線を求めるには微分するわけだが、問題にもあるとおり、条件は2点を共有する接線であるわけだ。これは、微分した式に………」
 講師は手慣れたように図を描き、説明を続けている。
 カツカツという黒板に当たるチョークの音が、うっすらとざわめきのある教室に響いている。
 それを皆、必死にノートに書き写している。
 しかし裕一はシャーペンをもてあそびながら、ぼおっと前の女生徒の頭を眺めていた。
……ユキさん………
 彼はずっと、ユキの怒鳴り声やふすまを叩き付けるように締められた音、そして、彼女の怒りに満ちた顔を思い浮かべていた。
 頭の中に、ふすまの閉まる音が何度も響く。
 ユキの顔も、一緒に思い出される。
 その度に、彼の胸は締め付けられるようだった。
 家に帰ったら、まず謝ろう。そして、何とか許して貰おう。
 彼はそう心の中で呟いた。
 そしてまた、ユキの怒った顔やふすまの閉まる音が、彼の頭の中に再現される。
 家に帰ったら、謝ろう。そして、許して貰おう………
 今日何度目か、彼は何回も、何回も、同じ事を考えていた。

December 1 16:32 p.m.

「ただいま。」
 大きな音を立てないように、玄関のドアをゆっくり閉じる裕一。
「ユキさん、今帰ったよ。」
 そう玄関から声を掛ける彼には、ユキからの返事は聞こえない。その代わりに、テレビから発せられるにぎやかな笑い声が聞こえてきた。
 裕一は一応安心した。テレビの音が聞こえてくるという事は、ユキはこの部屋にいるという事を意味しているからだ。予備校での授業中、彼はユキが自分の部屋にいてくれているのか、ずっと心配していたのだ。
 実際に部屋に上がると、テレビの前で膝を抱えて座っているユキの姿があった。
 にぎやかなテレビ番組とは対照的に、ユキの表情は硬い。
 裕一が帰ってきたというのにも関わらず、ただじっと、うるさいTVの画面を見ていた。裕一には、そう思えた。
「あの、ユキさん……」
 相変わらず振り向きもしないユキの後ろに立ち、彼は再び声を掛ける。
「………」
 ずっと座ったまま、彼女は返事をしない。そんな状況に若干に気まずさを覚え、裕一はなんと無しに部屋を見渡した。
「……あ、テーブル片づけてくれたんだね。今日、学校行ってから気になってて……あの、それに部屋も片づいてるし……」
「うるさいっ!!」
 『ありがとう。』裕一が続けようとしたこの言葉は、ユキの鋭い罵声によって消されてしまった。
 裕一は呆然と立ったまま、ユキは抱えた膝に顔を埋めたまま、何も言わない。
 人の声の途絶えた部屋には、白々しいテレビの笑い声が響くだけだった。

December 1 19:44 p.m.

 裕一はぼんやりと、TVのニュースを見ていた。
 バスルームからは、ユキのシャワーを浴びる音が聞こえてくる。
 彼女の「うるさいっ!!」という一言から、お互い全く口を利いてはいなかったのだ。
 夕食もおのおの勝手に摂り、逃げ出したくなる様な雰囲気の中、彼らはなすべき事を事務的にこなしていた。
 彼の見ているテレビでは、季節の話題が取り上げられている。月末にはクリスマスを迎えたこの時期、ニュースもそれにちなんだ街の出来事を流していた。
 そんな画面を見ながら、彼にはユキと一緒に行ったショッピングの光景が、ふと思い出されたのだった。
 しかし、それは昨日の出来事なのだ。
 今でも部屋を見渡せば、その時荷物を入れた袋や包装紙が転がっている。
 けれども、彼には遙か昔の出来事のように、思えてならなかった。
 もう、二度と帰ってこない、安らぎの時間(とき)。
 ほぼ直感的に、彼はそう思った。そして、それではいけないと、彼には同時に分かっていた。
[ガチャッ]
 風呂場のドアの、開かれる音が聞こえた。
 ユキが風呂から上がったのだろう。脱衣所で、体を拭く音が聞こえてきている。
 裕一の心臓が、ドクンドクンと強く脈を打つ。彼女に謝る事に対して、彼は強い緊張を覚えているのだ。
 ……もしかして、よけいに怒らしてしまうかもしれない。
 彼の脳裏に、そんな考えが浮かぶ。
 ユキがパジャマを着ているであろう、布の擦れる音を聞きながら、彼は逃げ出したい様な気分に襲われた。
 彼女が怒った時の剣幕に、裕一は恐怖すら覚える事がある。普通の人とは違う、何か殺気めいたものが彼女から感じられるのだ。
 だから、裕一はユキに対して臆病になっていた。出来る事なら、怒った彼女に近づきたくはないのだ。
[ガタッ]
 唐突にふすまが開き、脱衣所からユキが出てきた。
 うっすらと濡れた髪に、ほんのりと上気した肌。
 未だ残る水分で、しっとりとしたパジャマが彼女のボディーラインを浮き立たせていた。
 思わず、裕一は彼女に見とれてしまった。
 歩く度、彼女の胸はふるふると揺れている。ブラジャーをしていないからだ。
「あ………あの……」
[ゴクンッ!]
 とっさに何か言おうとしたが、声がうわずり言葉にならない。そしてのどを鳴らしている内に、ユキは隣の部屋に入っていってしまった。
 あわてて彼は、閉まったばかりのふすまの前に行き、再び彼女に声を掛ける。
「あ、あの……ユキさん、今日はごめん、もう、あんなコト二度と言わないから……あの、悪かったって思ってるから……。」
 おどおどした裕一の言葉に、ユキからの返事はない。
 ふすまの向こうからは、布団を敷く音だけが聞こえてくる。
 そんな無言の圧力に気圧されたのか、裕一はしばらくの間、声を出せずにいた。
……ユキさん、どうしたら機嫌を良くしてくれるんだろう………
 ふすまを見つめる裕一の顔には、疲れと若干の絶望感がにじみ出ていた。

 数分の時が流れた。
 裕一はずっと、ふすまを見つめたままだった。足が、少しだけ痺れていた。
 自分を無視するユキは放っておいて、さっさと寝てしまおうかという考えが、彼の頭をふとよぎる。
 しかしそれは、なんとしてでもユキの機嫌を直したいという、彼の気持ちを変えるほどのものではなかった。
 彼は再びユキに向け、言葉を発する。
「あの……ユキさん、僕に気に入らない事があったら言ってよ。そしたら、直すように努力するから……それに、して欲しい事でも良いから……あの、だから、どんな事でも……」
[バンっ!!]
「っ!!」
 あまりに唐突な、激しい音。
 ふすまに向かって話し掛けていた彼の目の前で、そのふすまが、向こうから激しい衝撃を受けたのだ。
 反射的に身を屈め、顔を手で覆う裕一。
 先のショックで、彼の心臓は早鐘を打つが如く脈を刻む。
 おそるおそる目を開け、彼はふすまを見る。
 別段、何も変わったところはなかった。
 それを確認して、彼は自分の布団が仕舞われている押入へと向かう。
「はぁ………」
 あきらめと、若干の憤り。
 布団を敷いている時、向こうの部屋から枕を拾う音が聞こえてきた。
 その時ようやく、彼は先ほどの音の正体を知ったのだ。
 ユキは裕一を黙らせるため、ふすまに枕を投げつけたのだと。

December 2 2:04 a.m.

 部屋を、静寂が満たしていた。
 本来なら、人々の寝息のみが聞こえる闇の中を、ある目的のため歩く足音が聞こえてくる。
 裕一は心配だった。
 この足音の主が、自分の首を絞めに来るユキではないかと。
 2日連続して首を絞められ、さすがに彼もゆっくり寝ているなど、出来なくなっていたのだ。
……お願いだから、僕の近くに来ないで! ただ、トイレに行きたいだけなんだよね!!
 そう心から念じる裕一の首に、柔らかく暖かい何かが、ふっと添えられた。
「……!!」
 気が付けば、ユキは再び馬乗りになり、裕一の首を絞めている。
……何で、僕は気が付かなかったんだろう?
 そんな疑問の答えを論じる前に、彼にはやらねばならない事があった。
 彼女が体重を掛けてくる前に、彼に巻き付く手を何とかしなければならないのだ。
「ユキさんっ!! 目を覚まして!」
 そう叫んだか否か、彼の首には理不尽な力が加わる。
「うあ゛ぁっっっ!」
 ギリギリと、ユキはうつろな瞳に彼の苦悶に満ちた顔を映し込んだまま、手に加える力を増していった。
「ユキさんっ! ユキさんっ!!」
 肺に残った空気が続くまで、裕一は何度も彼女の名前を呼び続ける。
 しかし、そんな彼の声も、次第に小さく、かすかになってゆく。
「ユキさんっ……ゆき……さ……ん……!」
 視界もぼんやりとしてきていた。
 自分の首をつかむユキの手を握る、彼の手はぶるぶると震えている。
……もう、ダメかもしれない……
 さっき名前を呼び続けたが為、肺にはほとんど空気は入っていない。
 ユキと出会った最初の日のように、彼女を蹴り飛ばせばいいのだろうが、彼はそんな事は、決してしたくはなかったのだ。
……これ以上、ユキさんに嫌われたくない。
……ユキさんを蹴るくらいなら、このまま死んでもかまわない。
……生きてても、もう楽しい事なんてあるワケ無いんだ………。
 そんな感情が、代わる代わる彼の頭をよぎってゆく。
 けれども、最後に残った一息で、彼女の名前を呼ぶまで諦めない。
 彼の生きようとする本能。
 その最後の感情が、死に急ぐ彼を突き動かした。
「っ……ユキ……!!」
 初めてだった。裕一が、彼女の事をそう呼んだのは。
「はっ!?」
 声と共に、彼の首から圧力が消えた。
 ぼやけた視界で、次第に合ってくる焦点の先には、未だ首に手を掛けたまま、呆然と彼の顔をのぞき込む、ユキの顔がある。
 自然にあふれ出る涙を振り払う事もなく、激しく息をする裕一は、何とも言えない罪悪感を感じていた。
 少しずつ、彼の首から震えが伝わってきていた。
 あれほど激しく否定していたユキが、自分の所業をいきなり認識させられたのだ。
 そんな彼女の事が、彼にはとても痛々しく感じられた。
 ぶるぶる震え、冷たくなったその手を、ユキは目の前にもってゆく。
 怯えと嫌悪、そして恐怖。
 未だ裕一の感触が残るその手を、彼女は異質なものとして見ていた。
 だんだんと、ユキの顔が引きつってゆく。
 そして裕一に荒い息のみが聞こえていた部屋に、彼女の悲痛な叫び声が響いた。
「私って……いったい何なのよ─────っっ!!」

PHASE_05 [裕一 3]

December 2 2:08 a.m.

「うわあああああああっっっ!!」
 まるで叫んでいるかの様な、激しい嗚咽が続いていた。
 為すすべもなく押し黙り、うつむいたままの裕一の隣で、ユキはひたすら泣き続けていた。
 それは恐怖の為だった。
 自分が、たとえ全く覚えていなくとも、人を殺しかけていたのだという潜在的な恐怖に、彼女は耐えきれなくなっていたのだ。
 そんなユキが泣き始めた時、裕一は彼女を再び抱きしめようとした。
 しかし彼女は、そんな彼を激しく突き飛ばした。

 だから、裕一はただ黙って、側にいてやる事にしたのだった。
「うっ……っ………ぐすっ………」
 泣き始めて30分ぐらいたった頃か。ようやく落ち着きを取り戻したのであろう、ユキの泣き声はほとんど治まっていた。
「裕一……私って、いったい何なの? 何であんたの首締めてたの、私……」
 時々鼻をすすり、真っ赤に目を腫らしたユキが、下を向いたまま問いかける。
 そんな彼女の声に、裕一の体はびくんと震えた。
 彼女が泣き続けている間、彼はずっと考えていたのだ。彼女がここにいる理由を、どう説明すべきかを。
 到底、彼には事実を言うだけの度胸は無かった。
 古本屋で見つけた本と、あの変態的な自慰行為。
 その事実は彼女だけでなく、裕一にとっても重すぎるものだった。
 無意味に握り拳を作りながら、彼は考えあぐねいていた。
「裕一!! 答えてよ!!」
 ユキの鋭い声が、彼に耳に突き刺さる。
……もう、これ以上黙っている事は出来ないよ。
 裕一は覚悟を決めた。
 たとえユキに嫌われようとも、真実を言うしかない。
 これが、彼のたどり着いた、最後の答えだった。

「ユキさん、僕の家に来る前の事って、覚えてる?」
 ユキを正面に見据え、裕一は問いかける。
「え……?」
 唐突な彼の言葉に、彼女は意味を理解できなかったようだ。
「だから、ユキさんがこの家に来る前。……何か覚えてる?」
 裕一は彼女がなるべく分かりやすくなるように、ゆっくりと言った。
「この家に来る前……? え……? ええっ……??」
 裕一を見ていたユキの瞳が、下を向く。
「うそ……ちょっと待ってよ、……やだ、どうして? 私、思い出せない?」
 彼女の体が、再び震え出す。
「何か覚えてないの?」
 心配そうに問いかける裕一の声に、彼女はより深い恐怖を覚えた。
「うそ……これって、記憶損失ってヤツ!? ねえ、裕一、私、誰なの!? どうしてここにいるの!? ねえ!!」
 半ばつかみかかるように、半ばすがりつくように。
 ユキは言いしれぬ恐怖を、裕一に精一杯叩き付ける。
「ユキさん……どうして僕の名前を知ってるの?」
 悪いとは思いつつ、彼はずっと抱いていた疑問を彼女に投げつけた。
「それは!! だって、知ってるんだもん、裕一だって! 知ってるから……知ってるんだから……!!」
 裕一は、彼女に自分の名前を言った事はもちろん覚えていた。だから彼は、あえて聞いたのだ。
 ユキが身に付けている一般常識が、いったいどこから来るのか確かめるために。
 そして彼女の返事から、ユキという人格が、あの日、あの時創られたものではない事に、彼は確信を得た。
 それと同時に、彼女は気付いたのだった。
 あの日、初めて裕一と出会った日より、前の記憶が無い事に。
 そして、なぜか彼の事、彼が裕一という名であり、何事にも弱気であり、いつも人の顔色ばかり伺っている事は、”彼に会う以前から”知っていた事に。
 ついでにこの家には、無条件で居て良いという事も………。
 冷たい床に座り込み、真っ青な顔で自分の体をきつく抱きしめるユキは、あの日彼に犯されかかった時と同じ様に、とても弱々しく見える。
 裕一にとって、そんな彼女の姿を見る事はとても辛い事だった。
……何とかして慰めてあげたいけど、まだ、本当の事を言ってないんだ。
 つい出そうになる慰めの言葉をこらえ、彼は彼女をじっと見る。
 さらに追い打ちをかけるであろう事実を述べる事は、彼女によりひどいショックを与える事になるのだ。
 けれども、裕一は語りだした。
 このまま黙っている事の方が、彼女にとって、よりひどい仕打ちになると思えたからだ。
「……あの、今から9日前、僕は古本屋で『思考とその具現化』っていう本と買ったんだけど……その本には、自分の思い通りの人間を作る方法っていうのが載ってて……」
「……それが、私?」
 未だ自分の体を抱きしめながら、ユキそう言った。今にも消え入りそうなその声は、彼女の絶望を表しているようだ。
「……うん。……僕がユキさんを作ったんだよ………。」
「………」
 無言のまま、ユキは裕一の方を向く。
「……植木鉢に材料を入れて、1週間ロウソクをつけて……そして、ユキさんが出てきたんだけど……。」
「材料って、なに?」
 裕一が一番言いたくなかった事を、彼女の掠れた声が問うている。
「……どうしても、言わなきゃ駄目……?」
 おそるおそる、彼女の顔色を伺う裕一。
「当たり前でしょ……私、いったい何で出来てんのよ………」
 そう淡々と語る彼女の声は、冷たく彼の心に突き刺さる。
「……でも、それだけは聞かない方がいいと思うけど……あの……」
「言いなさいよ!! 今更何を隠すっていうのよっ!」
 今までシンとしていた部屋に、いきなり響くユキの声。裕一は、反射的に背中を丸める。
「あ、あの! あの……肉と、卵と、血と、精液………」
「……なによそれ……詳しく説明してよ………」
 彼女の冷え切った視線が、裕一の顔をじっと捉える。天敵に牙をむかれた生き物のように、彼はガタガタ震えだしていた。
「……に、肉は僕が昔買って、冷蔵庫に入れてたやつで、卵も僕が買ってきたやつで……あの、血は、僕がカッターで指を切って出して……その……精液も、僕が出したやつで………!」
 極度の緊張、羞恥、そしてユキの対する恐怖。それらのいろいろな心理的圧迫によって、顔を真っ赤にした彼の声は、変にうわずっていた。
「……ふーん……じゃあなに? 私って、そこら辺に売ってる肉と卵? あんたの血!? 精液なんかで出来てるっていうわけ!?」
 徐々に声を荒げてゆくユキ。それに気圧されるように、ますます裕一は縮こまっていく。
「あの、本にそう書いてあって……!」
「そんな事どうでもいいわよ……なんなのよ私って!! あんたの精子だって!?……なんなのよいったい………ッ!!」
 怒りを露わにし、悲鳴に近い声で彼をまくし立てるユキは、ついには立ち上がって裕一に詰め寄った。
「どうして! どうして私を作ったのよ!! 精液まで出して、何の為に!!」
 裕一の肩を壁に押さえつけ、彼女はおびえる裕一の目をのぞき込む。
「あ……あの……落ち着いてよ、ユキさん………」
 彼女から目を背け、そんな事を言う裕一の態度に、彼女の怒りは余計に増した。
「うるさいっっっ!! 答えてっ!!」
 涙をぽろぽろ流し、渾身の力を振り絞って彼の肩を掴むユキ。
 強く握られた裕一の肩が、悲鳴を上げている。彼自身も、そんな彼女の重圧に耐えられなくなっていた。
「……一緒にいてくれる女の子が欲しかったんだよ! セックスもしたかったんだよ!!」
 言ってから、彼は後悔した。
 ぶるぶる震える手で彼を掴む、ユキの顔が引きつっている。
 そんな彼女に言える答えではなかったと、彼の理性が言っている。
 しかし、ずっと心に留めていたどす黒いモノを吐き出してしまった安堵感も、同時に感じていた。
「フフフフフ………」
 不意に、ユキが笑い出した。
 彼の肩を掴んでいた手を離し、すっと一歩、後ずさりする。
「あの、ユキさん……?」
 彼女を見上げる裕一に、辛く、そして否定できないユキの罵声が浴びせられる。
「近寄らないで!! 変態ッ!!」
「へん……た…い?」
 呆然と、その言葉を繰り返す裕一。
「……いつもあなたはつまらなそうにしてたよね……その暇つぶしに、私を作って抱こうとしたわけ………全く笑っちゃうわよね。あんたみたいな変態に、セックスさせられるだけに作られたってンだから………」
 自虐的に微笑む彼女に、裕一は何の言い訳もできない。
「あの………その……」
 そんな意味のない声を出すだけが、彼に出来る精一杯の自己主張だった。
「いったい何よ。あんたに何の権利があって私を作るっていうのよ! ただの人間がやっていい事じゃないわ!……そういえば言ってたわよね。私が抱きたいの!? ねえ、裕一!」
 ユキは裕一に向かって手を伸ばし、しゃがみ込んでいた彼を無理矢理立たせる。
「あっ!」
 急に手を引っ張られ、ふらつきながらも裕一は何とか立ち上がった。
「……そういえば、あんたは私をいつもイヤらしい目で見てたわよね。あんたがそーいう理由で私を作ったんなら、それも肯けるわ。どうなの? 裕一、あんた私が抱きたいんでしょう!?
 だったら!
 さっさとやればいいじゃない! あんたなんかに作られたんなら、私こんな体欲しくないわよ! あんたの好きに使ったらどうなの!? 裕一、あんたその為に作ったんでしょうが!!
 ……結局、男なんて女の事とをオナニーの道具としか考えてないのよ! あんたがそのイイ見本よ!!」
「……違う……違う!!」
 立て続けに彼女の罵声を叩き付けられ、裕一も黙っていられなくなっていた。
「何が違うってのよ!!」
 くってかかる彼女の目を、裕一はしっかりと見据えて言った。
「僕は、ユキさんが好きだ……一目見た時から、ずっと好きだったんだよ!! だから、ユキさんを大切にしたいんだ! 無理矢理なんて絶対にしたくない!!」
 腹の底から絞り出した様な、彼にしては珍しく強い声だった。
「何が大切にするよ! そんな調子のいい事マトモに信じられると思ってんの!? きれい事言ってないで、さっさと抱きなさいよ! さあ! 押し倒して、無理矢理レイプでも何でもすればいいのよ!!」
 そしていきなり、ユキは裕一の手を自分の乳房に押さえつけた。
「っ!」
 いきなりの彼女の行為に、彼は反射的に手を引っ込めた。そんな彼の様子に、ユキは改めて怒りを覚える。
「あんた何考えてるのよ!? 抱くために私を作ったんでしょう! それを、何今更逃げてんのよ!!」
 さっきまで彼の手を掴んでいたその手をぐっと握りしめ、憎悪の視線を裕一に向けるユキ。
「だから、僕はそんな事ユキさんにはしたくないんだってば……」
 初めて彼女と会った時の過ちを思い出しながら、彼はその時感じた彼女に対する愛情を確かめるように、自分に言い聞かせる様に言った。
「調子がいいわね……裕一、私が何も知らないと思ってたら大きな間違いよ。最初の日、あんたが私の事レイプしかけたの、ちゃんと知ってるのよ。なぜか体の力が抜けて立ってらんなくなった時、あんた私に覆い被さったわよねぇ……人が体を動かせないのを良いコトに、散々イヤらしいところ弄ってたじゃない………。」
 裕一の顔からは、血の気が失せていた。
 彼は今まで、ユキはあの時の事を知らないと思っていたのだ。最初にユキと口を利いた時、彼女は何も言わなかったからだ。
「そこまでしといて、何が大切にするよ!!
 いつも人の顔色ばっかり伺ってて、自分じゃ何にも決めらんない!
 嫌な事があれば、すぐに小説だか何だかに逃げてる!!
 そんな自分が嫌になれば、オナニーして自分をごまかす!!!
 あんたはいつも逃げてんのよ! そんなヤツに、人の事大切になんか出来るわけないわよ!!」
「………」
 裕一が認識している自分のコンプレックスを、他人には触れられたくない自分の嫌いなところを、ユキは次々に言い放つ。
 何も言わない裕一は、拳を握りしめながら震えていた。
 彼女の一言一言が、彼の心に突き刺さる。
 その痛みが徐々に、彼の彼女に対する愛情を変化させていった。
 憎しみ。
 彼の心にわき出した、愛情の裏返しだった。
「何とか言ったらどうなのよ! あんた、これから私をどうする気よ!! 勝手に私を作って、レイプして! その後どうする気だったのよ!!」
 そんな彼女の質問にも、裕一は答えられなかった。
 彼女を創り出した後、いったいどうするのか。そんな事は、裕一は一度も考えていなかったからだ。
「……あんたって本当に最低な男よね。自分が何したか分かってんの? 抱きたいからって私を作ったくせに、言い訳作って出来やしない! 今さらカッコつけてんじゃないわよ! あんたいつも風呂場でオナニーしてんじゃない! どうせ私の事でも考えてんでしょ!?
 だったら何で私の事抱かないのよ!!
 抱きもしないんだったら、私の事殺してよ! あんたみたいに最低なヤツ、近くになんて居たくないわよ!!」
 ”近くになんて、居たくない。”
 その最後の言葉が、彼の理性を吹き飛ばした。
「うわああああああああああああっ!!」
 裕一が、動いた。
 握りしめられていた手が、まっすぐユキの首へと向かってゆく。
 そのままの勢いで、彼女をその手に掴んだまま、彼は壁に突っ込んでいった。
[バンッ!!]
「うあ゛っっ!!」
 喉に溜まった唾液と共に、彼女の断末魔が絞り出された。
 喉を捕まれたまま壁に叩き付けられ、ユキの躰に痛みが走る。
 何とか彼の手に抗おうと、彼女は彼の手首を掴むが、力は入らない。
 息苦しさの中、彼を睨み付けるのが、精一杯の抵抗だった。
「よくも……ッ! よくもそこまで言ったな………!!」
 涙に濡れ、しかしその奥に憎悪の炎を満たした瞳で、裕一は彼女の首を握り潰そうとする。
「さっ……さっさと、やればいいの……よ! 自分で作っといて……用が無くなれ、ば、……殺すんだもんね……! 自分勝手の……変態……!!」
 呪いの言葉を吐きながら、ユキは死を覚悟した。ただ裕一の性欲を処理するためだけに作られた自分など、生きていたくはない。そう思う彼女の手から、すうっと力が抜けてゆく。
……死んだら、どうなるのかしら……?
 そんな、考えてもどうしようもない疑問が、彼女の頭の中をぐるぐる駆けめぐる。

 目をつむり、ユキは意識が無くなるのを待っていた。
 30秒が、過ぎた。
 ただじっと死を待っていた彼女の鼓動は、今も鳴り続けている。
 首を絞められているはずなのに、意識が飛ぶどころか、息も全く苦しくない。
「うっ……ううっ……うっ………!」
 鳴き声をあげる裕一の手は、ぶるぶると震えたまま力が籠もっていない。
「早く殺しなさいよ!!」
「殺してやる……殺して……やるっ!!」
 彼女の叱咤に答える裕一ではあったが、その言葉に反して手の力は抜けていった。
「うわああああああああっ!!」
 ついに首から手は除かれ、彼はそのまま座り込む。そして弾けるように泣き出し、その声は部屋を満たしていった。
 ユキへの憎しみ、ユキを憎んでしまった事、ユキへの殺意、ユキを殺してしまいそうになった事。そして、ユキがどうしても好きだという事。
 いろいろな感情が、彼の心を揺り動かしていた。
 悲しいのではなく、悔しいのでもなく。
 ただ、泣いていた。彼の心が泣いていたのだった。
「惨めね………。」
 ユキはぼそっと呟いた。
 そして彼が泣きやむまで、彼女はずっと見つめていた。

December 2 2:21 a.m.

「結局あなたにとって、私はいらない存在なのよ。」
 未だ鼻をすすり上げる裕一を前にして、ユキは冷たく言い放った。
「私を作った理由は最低。それを出来なかった事も最低。そして私を始末できないあなたも最低。……だから、出ていく。」
 彼女は昨日彼に買って貰ったジャンパーを纏い、そのまま玄関に向かって歩を進める。
「待って! ユキさん!!」
 流れる涙もそのままに、裕一はあわてて彼女を引き留めようとする。
「私、あなたと居たくないの。近づかないで。」
 事務的にそう言い放つと、ユキは部屋を出ていった。
「でもっ!!」
 そう叫ぶ彼の目の前で、玄関のドアは閉じられた。
 外からは、彼女は走り去る足音が聞こえてくる。
「こんなに寒いのに!」
 裕一はあわてて部屋に戻り、彼女が帰って来た時の為にエアコンのスイッチを入れる。
 そしてコートを羽織ると、急いで部屋を飛び出していった。
「早く見つけなきゃ………!」

 裕一が部屋を飛び出していった頃、ユキは彼のアパートの裏手で隠れていた。
 あわてふためき、乱暴にコートを羽織った裕一を見送ると、彼女は繁華街を目指して歩き始める。
 吐く息が、白い。
 空気まで凍ったように、寒さが突き刺さる様な冬の夜。
……手袋、欲しいな……
 手に息を吹きかけ、勢いに任せて飛び出した事を、ほんのちょっぴり後悔する。
 しかし、その考えはすぐに吹き飛んだ。
……私を、単なるオモチャにしようとした裕一。絶対に、許せない。
 彼女が裕一の元にやって来た時、彼によってレイプされかけた。
 その時の裕一の手の感触が、ユキの躰に染み付いている様だった。
 荒い息を吐き掛け、胸や唇をねぶり、そして彼女の女の部分を、指で犯した。
 その感触を、彼女は無意識のうちに思い出す。
 彼の手が胸を揉みしだき、乳首は執拗に舐められ、指が陰部をなで回す。
 背筋に激しい悪寒が走り、息が詰まりそうなほどに恐怖が沸き上がる。
 そして股間に一筋、冷たいものが伝っていった。
 「……!!」
 彼女はあわてて股間に手を当てた。
……私、濡れてる!?
 嫌なはずなのに、躰は悦んでいた。
 彼の陵辱を愛撫と受け取り、彼女の女が疼いていたのだ。
 心臓が、トクントクンと鳴っている。股間が、妙に熱い。
「……何でよ!……何でなのよ……!!」
 ユキは、自分の女を呪った。
……あんな最低の男に、何を求めているのよ!
 朝起きた時の、裕一の温かい手の感触を思い出しながら、ユキは自分が裕一をどう思っているのか、よく分からなくなっていた。
 あいつは最低な男だと、彼女の理性が激しく主張している。しかし、なぜかそんな裕一の元に居たいという彼女も、また同時に存在している。
「………」
 何も言わぬまま、ユキは商店街に向かって歩いてゆく。
 思考が混乱して、もはや彼の事を考えられなくなっていた。
 静かに輝く街灯の光を見つめながら、ため息を一つ、吐く。
……私、これからどうしよう………。イザとなれば、死んじゃえばいい、か………。
 そんな絶望を身に纏いながら、彼女は歩き続けていた。

December 2 2:28 a.m.

「ユキさん、どこ行ったんだろう………」
 裕一は家から飛び出してから、ひたすら近所を歩き回っていた。
 早足で息を弾ませ、道という道を探し回る。
 けれども、ユキを見つける事は出来なかった。
 夜の商店街は、昼間とは全く別の印象を受ける。規則正しく設置された街灯が、幻想的な雰囲気を創り出していた。
……この光の先には、いったい何があるんだろう。
 直線にずっと続く商店街は、先が見えない程に店がある。
 終点が見えない光のアーチ。
 普段の裕一ならば、そんな空想に浸っていたのだろう。
 しかし今はユキを見つけるため、街灯は光源以外の何物でもなかった。
 視界の隅に、つい昨日買い物をした、洋服屋の看板が映っている
 二人でパンティーを選んでいたのが、遙かに昔のように思われてならなかった。
……絶対にユキさんを見つけて、一緒に買い物をするんだ。
 そう自分に言い聞かせ、彼は商店街を走ってゆく。

December 2 2:49 a.m.

 アパートを飛び出してから、30分くらい過ぎた頃だろうか。
 体も冷え切り、疲れ切ったユキは、まるで虫が光に吸い寄せられるかのように、まだ灯の灯る歓楽街を歩いていた。
 少しでも暖かい所を。
 彼女はほぼ反射的に、ここにやって来たのだった。
 真冬の午前3時。彼女の服装は、パジャマの上にジャンパーを羽織っているだけだ。到底、この寒さに耐えられるものではない。
 血の気も失せた唇は、小刻みに震えている。
 ちょっとでも誰かに突き飛ばされようものなら、もう二度と立ち上がる事は出来ないくらい、ユキの体力は失われていた。
 壁に取りかかりつつ、おぼつかない足取りで、それでも裕一に対する怒りを持って、彼女はひたすら歩いてゆく。
 そんなユキの様子を、町ゆく人々は奇異の視線で眺めている。
……私、何やってるんだろうね………。
 そんな彼らの眼差しに、彼女は自虐的な笑みをこぼす。
……今の時代に凍死………? 笑っちゃうよね。
 ふと、空を見上げる。
……星が、綺麗だ。こんな中で死んだとしても、別にいいかもしんないね。
 どこまでも澄んだ空気は、星の輝きを余す所無く人々へと伝えていた。
……こんな星空見たのって、なんだか久しぶりだ………。
 溜息をつきながら、視線を元に戻す。
 白い息が、すぅっと消えてゆく。
 そんな様子をぼんやりと、彼女は眺めていた。
 息が、完全に消えた。すると彼女の視線の先には、他人が何人か見て取れる。
 それは、寒いのにも関わらず、コンビに前の駐車場に溜まる不良達だった。
……目、合わさないようにしよう。
 そう、彼女が考えた矢先だった。
 彼らはめざとくユキを見つけ、あからさまに笑い、蔑んでいる。声が、彼女までハッキリ聞こえてきているのだ。
「……バカじゃねーの、あの女、こんなクソさみーのに、パジャマで歩いてるぜ!?」
「……なんかよぉ、どっかの施設から逃げ出してきたんじゃねーの? 大脱走! なんちゃって!!」
「……けどかわいーじゃん、お前、ちょっとからかってこいや。」
「!」
 嫌な予感がした。
 バカにされるだけなら、どうという事はないだろう。
 けれども彼らは、イヤらしい笑みを顔に張り付け、ユキの方に近づいてきたのだ。
 逃げなければ。
 彼女はそう思う。けれども、足が言う事を利かなかった。
 あまりの寒さの為に、筋肉が強張っていたのだ。
 体中に、恐怖が走る。
 懸命に足を動かそうとするが、そうすればする程、余計に足が動かない。
 早く逃げなければ!
 氷のように冷たい壁に爪を立て、必死に来た道を戻ろうとする。
 町を歩く人々は、彼女の恐怖を知る事もなく、軽い足取りで目的地へと向かう。
 ユキには、それがとても恨めしく思えた。
 早く! 早く逃げないと………!!
「よー、ねーちゃん!」
「っ!!」
 声にならない悲鳴。体がビクッと痙攣する。
 単なる若者の、ふざけた呼びかけが、死刑宣告に聞こえる。
 なんとしても逃げなければ……!!
 そう思うユキの退路を、男の腕が遮った。
「まぁ、そう急ぐんじゃねぇよ。」
「こんな時間に、何やってんの?」
「お前さぁ、パジャマで寒くねぇ?」
 続けざまにそう問われ、相手の顔を見るユキ。
 一様に、下衆な笑みを浮かべている。
 そして気が付けば、3人の不良達に囲まれていた。
「……退いてよ……」
 やっとの思いで、声を出す。しかしそれは掠れて小さい。
「あァ? なぁに? 聞こえねえヨォ。」
 一人の不良がからかうように、わざと自分の耳を彼女に近づけた。
 そんな彼の行動が、ユキの怒りに火を付けた。
「っ………退いてって言ってるのよ!!」
 耳元で大声を出され、彼はあわてて耳を押さえる。
「っせぇなあ! 何すんだこの野郎!」
 つばを吐き散らし、凄みをきかせる彼を見て、他の二人は腹を抱えて笑っている。
「バカかおめぇー! 耳近づけンのがワリぃんだヨォ!」
「ンだヨォテメェ! 笑い事じゃネェよ!」
 そんな言い合いをしている彼らから、ユキは逃げだそうとした。
 気が付かれない様に、そぉっと彼らの輪から抜けようとする。
「ちょっと待てよ、ネェちゃん……」
 言い合いを眺めていた不良の一人が、彼女の腕を掴む。
「離してよ!」
 そう声を張り上げるユキであったが、声量はあまり大きくなかった。
「テメェ、ダチの耳潰しといて逃げンのか?」
「あんた達が突っかかってくるのが悪いのよ!」
 腕を振り払おうとするが、男の力にはかなわない。それに、彼女の体力は尽きかかっているのだ。
「とにかくヨォ、こんな時間に外うろついてるヤツには、お仕置きが必要なんじゃネェの?」
 何がとにかくかは到底彼女には理解出来なかったが、一人が提案をした。
 要は、ユキに対して乱暴する理由をこじつけただけだ。
 必死に逃げようとする彼女を押さえつけ、彼らはビルの裏路地へと引っ張り込んでゆく。
 それを見る通行人も、素知らぬ顔で立ち去っていった。
……誰も、助けてくれないんだ………。
 ユキの目から、涙が一筋流れていった。

 人目に付かない裏路地の突き当たりで、彼女は突き飛ばされた。
 そのまましりもちを付き、凍った地面に座り込む。
 彼女の足はガタガタ震え、もう立つだけの体力は残っていそうにない。
 そして、彼女の前には不良が3人。股間を膨らませている者もいる。
 もはやユキには、絶望しか残されてはいなかった。
「さぁて、どーいうお仕置きがいいんだろうね?」
「ひーちゃん、俺先にヤリてぇよ! いいだろ?」
「テメェこの前やっただろうが! 今日は俺だ。」
「そんナァ……じゃ、俺次ね!」
 未だ地面に座り込み、うつむいたままのユキ。
 彼女の意志も聞かぬまま、彼らは乱暴する順番を決めていた。
……私が、何をしたって言うのよ………。
 そう考えるのが、精一杯だった。
 地面についた手から、冷たさが駆け上ってくる。
「さーてと。」
 不良の一人が、彼女のジャンパーを剥ぐ。
 とっさに抵抗出来ず、ユキはされるがままだった。
 そしていきなり、その可愛らしい胸をパジャマの上から、力一杯握りしめた。
「きゃああっ!!」
 あまりの痛さに、口から悲鳴がこぼれる。
「お? なんだぁ? まだ結構硬ェじゃねえか! お前男に何回揉ましたんだ? あ〜?」
 耳元でイヤらしく、男は問いかける。しかしユキは答えない。
 歯を食いしばり、痛さを必死に我慢している。
「反抗的じゃん……まぁ何言っても、結局はヤラれちまうんだけどなぁ……」
 そういい終わらない内に、彼女のパジャマは引き千切られる。飛んだボタンが虚しい音を立てて、地面に転がってゆく。
「何だオメェ、ノーブラじゃん!」
 男達の目の前に、ユキの愛らしい胸がはだけた。
「っ!」
 目をきゅっと結び、ひたすら羞恥に耐える彼女。
 絶望が、彼女に抵抗するのを止めさせていた。
 けれども、体は逃げようと勝手に動く。身をよじり、何とか男から逃げようとする度、その胸はふるふる揺れている。
「ひーちゃん、俺もうたまンねェよ! 俺もヤラしてくれよ!!」
 そんな彼女の姿に欲情したのか、勢いよくズボンをおろし、その毒々しく色づいた欲望の塊を、彼女に向けて歩き始めた男がいる。
「ったくしょーがねェヤツだなぁ! 口ならヤラしてやるよ!」
 ユキのパジャマを剥いだ男は、彼女の髪を掴んで前に突き出す。
「うおおおおっ!!」
 鼻息の荒くし、どくどくと男根をヒク付かせた男は、それをユキの顔に近づけてゆく。
「ひぃっ!」
 そんな恐怖に顔を引きつらせたユキの乳房が、いきなり彼女を掴むの男の口に咥えられたのだ。
 れろれろと、小さな乳首をなめ回す舌。
 ゴツゴツした手で、もう片方の乳房が乱暴に揉まれる。
 そんな激痛の中、目の前に迫った肉棒の異臭が、彼女の鼻腔を刺激する。
 ドクンッ! ドクンッ!!
 言い様のない恐怖が、ユキの躰を包んでゆく。
「あっ……ああ………いや………いやああ……」
……怖いよ…… 誰か助けてよ………
 彼女の視線が、宙をさまよう。けれども見えるのは、壁、壁、壁。
 人など居やしない。万が一居たとしても、助けてはくれないだろう。
 そして、肉棒がひたりと、彼女の頬に宛てられる。
「っっ!!」
 あわてて避けようとするが、結局それは男根を自ら刺激する事になってしまっていた。
「はぁっ、はぁっ! 見ろヨォこの女ぁ、テメエから擦ってくれるぜぇ!!」
 男の嬌声が、上から振ってくる。
 そんな声に後悔を感じた次の瞬間、乳房にしゃぶり付いていた男の手が、彼女のズボンを引きずりおろす。
 そしてあっという間にパンティーをもずらし、その手を股間に当てた。
「何だコイツ、マジでバージンなんじゃねえの? 見ろやコレ、まんまガキだぜ!?」
 嬉しそうな声で、仲間に声を掛ける。
 男達の視線が、一斉にそこに集中する。
「ナァ、もっと開いてくれよお!」
「俺も見せてくれヨォ!!」
 さっきまでユキの顔に男根をなすりつけていた男もその場を離れ、彼女の股間をのぞき込む。
「いやあっ!! ヤだあ!!」
 抵抗する彼女を振りきり、男達は彼女の脚を広げ、その中心をより開こうとする。
「いやあっ!! やめてえ!! お願いだからあ!!!」
 さっきとは比べものにならない様な大きな声で、必死に抗うユキ。
「うるせえ!! いい加減諦めろよ!」
「別に死にゃあしねんだからヨォ! まぁ妊娠したって知らねぇけどなぁ!」
 男達はイヤらしい笑い声立てながら、彼女を見下ろしている。
 その内の一人は自分の指に唾液をまとわりつけさせ、ゆっくりと彼女の最も女らしい部分に近づけていった。
「指入れるぞぉ?」
 わざわざそう呼びかけると、指をその秘部の周りで蠢かす。
「いやっ……いやっ!……いやあああああああああああっ!!」
 首をぶんぶん振り、必死に抵抗するも、男達に体をがっちり抑えられたユキは、身動き一つ出来ずにいた。
「助けてぇ!……助けて裕一っ!!!」
 そして男の指がゆっくりと、彼女の秘部に差し込まれようとしていた。

December 2 2:55 a.m.

 彼が家を飛び出してから、30分くらい過ぎた頃か。
 裕一は、ずっと町中を探し続けていた。
 もう一度商店街を歩いてみて、それでも居なければ他の場所に行こう。
 彼がそう考え、もう何度目だろうか、商店街を訪れた時だった。
 遠くから、女の悲鳴が聞こえてくる。
 もしかして。そんな思考が出てくる前に、彼の足は動いていた。
 直感が、その声の主はユキだと告げていたからだ。
 彼は声のした方を歓楽街と見定め、全力で走っていった。
「ユキさん………!!」
 裕一向かう先に、コンビニが見えてきていた。

「裕一っ!!! お願いだから助けてぇぇっっっ!!」
 必死に叫びながら、ユキは後悔していた。
……何で、アイツのこと呼んでるの? いくら呼んでも来やしないのに……
 あれほど彼の事を嫌っていたにもかかわらず、なぜ彼女は彼に助けを乞うているのか。
 それは、ユキ自身にも分からなかった。
 足をばたつかせ、彼女の貫こうとする指を必死に避けようとする。
……こんな事だって、アイツにやられたじゃない。
[ガツンッ!!]
「がっ!」
 不良の内の一人が、ユキの顔を殴りつける。
「いい加減におとなしくしろよ……殺すぞ?」
 にやけた笑みでなく、殺気を漂わしていた。ふとその男の手を見れば、ナイフが握られている。
「っ!!」
 ナイフを乳首に当てられ、足を動かすのを止めるユキ。
……もう、駄目だ………!!
 目をキュッと瞑り、男達の欲望を受け入れようとしたその時だった。
「ユキさーんっ!!」
 裏路地の入り口の方から、裕一の叫び声が聞こえてくる。
「ゆういちーっっっ!!」
 その声は、ほとんど反射的に出ていた。
 ナイフで脅されているのも省みず、ユキの心がそうさせたのだった。
「テメェ! 静かにしろって言ってンだろうがッ!!」
 そうナイフを突きつける男の後ろに、もう一人の人影が現れた。
「何やってんだお前らっ!!」
 男達を見据えた裕一が、そこには立っていた。
「裕一!!」
 ユキの手が、彼の方に伸ばされる。
 裕一は拳を握りしめ、それをぶるぶる震わせている。
 ほぼ全裸にされたユキが、男達に囲まれているのだ。
 いくら大人しい裕一でも、正気でいられるわけはなかった。
「うああああああああっ!!」
 そう叫びながら、男達に向かって走り込んでくる裕一。
 彼の鬼気迫る勢いに、ユキは恐怖すら覚える。普段の彼からは想像も付かない程、彼の怒りはすさまじかったのだ。
「おーらよっと!」
[ドグッ!!]
「あ゛っ!!」
 勢いよく走り込んできた裕一の鳩尾に、回し蹴りがたたき込まれた。
 そのまま腹を抱えるように、裕一は倒れ込む。
「裕一!!」
 ユキの悲鳴にも似た呼びかけの声に、彼は体を起こして応じる。
「お前らなんかに、誰がこんな事させるかっ!!」
 そう言うが早いか、ユキの足を掴む男に殴りかかる。
「うわあああっ!!」
[ガツッっ!!]
「ぐわっ!!」
 男は彼の突きを真っ正面から喰らい、そのまま後ろに倒れ込む。
 裕一は立ち上がると、着ていたコートをユキに投げた。
「何なんだよテメェはヨォ!! ぶっ殺すぞ!!」
 はじめに裕一を蹴り飛ばした男が、月並みな脅し文句を張り上げる。
「うるさい…………お前らこそ殺してやる……」
 怒気をはらんだ声で、そう返す裕一。
「うらうらうらうらっ!!」
 後ろから、ナイフを手に持ち、不良の一人が走り込んでくるのがユキの目に留まる。
「あぶないっ!!」
 彼女の悲鳴が轟く中、彼は身を捩ってそれを受け流す。
「ンのヤロォぉぉぉぉっっっ!!」
 逆上した男は、闇雲にナイフを振り回し始めた。
「死ねやコラ!!」
 一旦ナイフを振り上げると、それを裕一の頭めがけて振り下ろした。
「うわあっ!!」
 慌てて避けるも、ついてで顔を覆ってしまい、腕をナイフで切り裂かれる。
「あぐっ!」
「裕一!!」
「あひゃひゃひゃひゃっっ!! ざまぁみろ!」
 ユキの悲鳴が再び響く中、彼の腕からしたたり落ちる血に満足したのか、男はナイフを振り回してフザケ始めた。
「おらおらおらおらっっ!! 今度こそマジに死ねや!!」
 男は素早くナイフを持ち替え、その切っ先を裕一に向け、そのまま突進して来る。
 彼の腹を狙ってだ。
「くっそぉ!!」
 ナイフの先が彼の腹を突き破る瞬間、裕一は再び身を捩って受け流す。
 そして、男が再びナイフを構えようとした瞬間、その一瞬の隙を突き、その男の足を思いっきり払ってやった。
「うわぁっ!!」
 情けない悲鳴を上げ、男はそのまま倒れ込む。その拍子に、ナイフは遠くまで飛んで行ってしまった。
[ガスッっ!!]
 間髪入れず、倒れ込んだ男の顔に、裕一の蹴りが喰らわされる。
「ぎゃああああっ!!」
 前歯を何本か折られ、男は口から大量の血を吐き出した。
「てめえ!! なんて事しやがる!!」
 それまでニヤニヤしながら彼らのケンカを見ていたもう一人の男が、裕一に近寄ってくる。彼の腹に、蹴りを入れた男だ。
「何を言うんだ……お前らだって、僕を殺そうとしたじゃないか……」
 肩で息をつく裕一は、それでも男を睨み付けている。
「へっ!」
 そう、男が吐き捨てた瞬間だった。
[ガツンッ!!]
「がッ!!」
 裕一には、自分の顔を殴りつけた拳が見えなかった。
 あっという間にストレートパンチを喰らい、彼はユキに方に倒れ込む。
「きゃっ!……裕一、裕一!! 大丈夫!?」
 ユキがあわてて彼を揺する。
[ドグッ!!]
「う゛あ゛あ゛っ!!」
 顔を起こしたばかりの裕一の横腹に、鋭い蹴りが入れられた。
「オラ、はよ立てや!」
[ドカッ! ガシッ!!]
 男は続けざま、容赦のない蹴りを幾度も彼に喰らわせる。なすがままの彼は、立ち上がる事はおろか、顔すら上げる事が出来ない。
「畜生! テメエの目の前で一発ブチぶち込んでやるぜ!」
 先ほど彼に殴りつけられ、そのまま後ろにひっくり返っていた男は意識を取り戻し、蹴られ続ける裕一の下にいたユキを、無理矢理引っぱり出そうとする。
「誰が! お前らなんかに!!……ぐああっ!!」
「何やってんだよ! 早く立てよ! オラオラっ!!」
[ガッ!! ドガッ! ガシッ!!………]

 何度も何度も不良達に蹴られながらも、裕一はずっとユキに覆い被さっていた。
 決して緩む事のない、彼女を抱きしめる腕の力。
 その身を呈して、裕一は彼女をずっと守っていたのだ。
 彼が蹴られるのを間近で感じながら、ユキには彼の体温が無性に悲しかった。
 あれ程までに酷くなじった彼が、どうしてここまでしてくれるのか。
 彼にずっと抱かれながら、彼女は自然に涙を流していた。
 裕一は蹴られたり、踵で踏みつけられても、ずっとユキを抱く力を緩めなかったのだ。
 はじめは面白がって何度も蹴りを入れていた不良達も、そんな彼の態度に飽きたらしく、蹴るのを止めてしまった。
「……ッたくヨォ、なんか冷めちまったぜ……」
「ほっとこうぜ、こんな奴ら………」
 口々に文句を良いながら、ユキに覆い被さる裕一の背を、彼らは踵で蹴り、つま先で踏みにじったりしている。
 けれども裕一は、ユキに覆い被さったまま体をぴくりとも動かさない。
「もー行こうぜ、つまんねぇなぁ……」
「クソっ! また歯医者いかねぇと……」
 そんな捨てぜりふを残しながら、男達は消えていった。

「ははは……やっと行ったね、ユキさん……」
 彼らがいなくなってから数秒後、全身怪我だらけになりながら、裕一はそう微笑んだ。
 彼はさっきまで、ずっと気絶を装っていたのだ。辛そうな息をしながらも、余裕のある素振りを見せている。
 そんな彼の笑顔を、ユキは正視する事が出来なかった。
 ユキは何も言わず、裕一を立たせる。
「あくっ……!」
 苦痛にゆがむ彼の顔を見た彼女は、涙をぽろぽろ流していた。
 そして二人で支え合いながら、裕一のアパートに戻ってゆく。
 おぼつかない足取りで帰るその道のりを、ずっと彼女は泣いていた。
 自分に対する悔しさと、彼に対する申し訳なさと。
 そして、嫌いな彼と、どうしても離れられない自分の運命を呪って………。
 アパートに帰り着いたとたん、裕一は気を失ってしまった。彼女を連れて帰れたという安堵感が、そうさせたのだ。
 ユキは傷の手当をし、そして彼を布団に寝かせる。
 体中に擦り傷や青あざをつくり、絆創膏だらけになった裕一の顔見ながら、彼女は一人呟いた。
「……バカよ、貴方………。」
 それがユキにとって、彼に対する精一杯の気持ちだった。

December 2 8:46 a.m.

 エアコンの静かな動作音が、部屋を満たしていた。
 小鳥の鳴き声も、風の音も聞こえて来ない。
 そんな中、裕一は目を覚ましたのだった。
 横目でビデオの時刻表示を見る。時刻は、8時半を過ぎていた。
 予備校は、とっくに始まっている。そんな時間だ。
 彼はあわてて体を起こそうとする。
「っ!? くぁっ!!」
 体中に、激痛が走る。ふと自分の腕を見ると、包帯や絆創膏だらけだった。
 湿布のメントールの香りや、消毒液の匂いもする。
「……そうか、昨日、ケンカしちゃったんだっけ………。」
 昨日の夜、正確に言うと今日なのだが、コンビに近くの路地裏で、不良達に殴られた事を思い出す裕一。
 その内の一人は、ナイフを持っていた。
 今から思えば、よく刺されずに済んだものだと、今さらになって恐怖が沸き出してくる。
 彼は大きな溜息を吐きながら、窓に目をやる。
 何の音もしないから、彼は何となく外は曇りだと思っていた。
 がしかし、空には太陽が出ていて、冬の空なりに晴れていた。
 柔らかな水色にひと時の感動を覚え、精一杯のびをする。
 体のあちこちから激痛が沸いてくるが、それはそれで気持ち良く思えた。
……今日は、予備校は休もう。
 今すぐ家を出ても既に遅刻であるし、そもそも怪我で町中を歩く事は出来そうにもなかった。
 彼は何とか起きあがると、ユキが居るであろう部屋の前に立つ。
 その部屋は、昨日と同じくふすまが閉められていた。中からは、ほとんど音は聞こえない。
 一瞬、またユキは出て行ってしまったのではないかと思う裕一であったが、玄関に彼女の靴がある事より、それはないと確信を持つ。
「あの……ユキさん……」
 彼はそう呼びかけながらも、彼女から返事が返ってくる事に、あまり期待は持っていなかった。
 けれどもそんな裕一の予想とは裏腹に、ふすまはすぐに開いた。
「……怪我は痛くないの?」
「え!?」
 ユキから心配して貰っているという事実に、彼の心は沸き踊る。
「あ、あの……まだあっちこっち痛いけど、でも包帯とか湿布とかしてもらちゃって……あの……ありがとう! ユキさん。」
 そうにっこり笑う裕一の顔に、彼女は複雑なものを感じた。
「……お礼なんか要らない。貴方に助けて貰ったんだから、それ位するのが当たり前だと思うし………腕の怪我、傷が深くなくてよかった。」
 彼から視線を外し、事務的な口調でそう返すユキ。
「でも……昨日は僕が嫌な事言ったから、ユキさんがあんな目にあったわけだし……その……大切にするなんて言ってたのに、ちっとも実行できなくて……ごめん……」
 そう言い頭を垂れる彼を見て、彼女の表情は険しくなる。
「……何で謝るわけ?……私が勝手に飛び出したんだから、貴方は謝る事は無いのよ。
 ……それに、そのせいで貴方は傷だらけになったのよ?……それで謝られたら、私どうすればいいのよ。
 ……そうそう、昨日も言ったけど、私の事抱きたいなら、いつでもいいのよ……。結局、私はそれしか役に立たないみたいだし………。」
 募るイライラを紛らわそうと、彼女は自虐的な言葉を吐く。そんな彼女に対し、裕一は強い調子で答えた。
「……だから! 僕はそんなコトしたくないって言ったじゃない! ……ユキさんは、そばに居てくれるだけでいいんだよ……それ以上の事は、望まないから……」
「……そう……私は、結局貴方のオモチャなのね………。」
 溜息と共に、ユキはそう言った。
「違うよ! そう言うんじゃなくて……」
「何が違うのよ!! ……私だって人間よ!? 女よ!? あんたに作られたって、私はそう思ってる!!
 一人前の人間が、ずっと居るだけでいいなんて耐えられるわけが無いじゃない!
 ……私だって役に立つ事したいのよ!……それを『居ればいい』なんて、お前は能無しだって言われてる様なもんじゃない……!!」
 いつしか、彼女は泣いていた。ふすまにもたれながら、涙をぽろぽろ流し……
「ユキさん、僕はそんな事言ってるんじゃないよ……」
 裕一は幼子を諭すように、優しくそう言った。
「……僕は、ユキさんと一緒に暮らしたい。一緒にご飯を食べて、一緒におしゃべりして……そういう事を言ってるんだよ。だから、ユキさんがやりたい事があれば、いつでも言ってよ。出来る限り協力するから……だから、泣きやんでよ、ね、ユキさん……」
 真剣な眼差しを、精一杯彼女に送る裕一。
 そんな彼をちらっと見て、ユキは話し出す。
「……だから、私はそんな貴方が嫌いなのよ……協力なんて、絶対要らない。……私は、私だけで出来る事しかしないもの……結局、貴方は何が何でも私を縛り付けたいのよ……男なんて、みんなそんなもんなんだろうけどね……。
 だけど、私はそんなの嫌。自分の都合がいい時だけ縛り付けといて、後はほったらかし。こっちが助けてって言っても、全然助けてはくれないもの……」
「でも! 昨日は何とか助けたじゃない!」
 そんな彼に、ユキはよりきつく当たる。
「一回くらいで、何なのよ!! ……そりゃ、助けて貰ったのには、感謝してる。これは、ホントだからね。……でも、それは肉体的なものだけよ……。精神的には、私ちっとも助けられてないよ……。いつも優柔不断な貴方見てると、ホントにイライラする。
 ……だから、私ずっと考えてた。貴方と一緒にいると、お互いにイイ事にならない。でも、私が出ていくと、どうせ昨日みたいな事になる。……だから、私ここに居させて貰うわ。……貴方が私を作ったんだから、それは責任もって貰う。……でも、ここに居るからって、馴れ合うのは止めよう。お互い、相手に干渉しないようにして、自分の好きな様にすればいいのよ。それが一番いい方法だと思う。
 ……でも、貴方は私の事好きにしていいよ。……それが、私がここに居られる理由だと思ってるから。」
 そんな彼女の言葉に、裕一はずっと耳を傾けていた。
「……ユキさんがそれでいいって思うんなら、それでいいと思うよ……。でも、ハッキリ言っておく。……僕はユキさんに嫌な目にあって欲しくない。……だから、自分の事を好きにしていいなんて、絶対言わないでよ。」
 それが、彼の最大譲歩であった。
 裕一は、ユキをレイプしかけた事を非常に悔いている。それに彼女がその事を覚えていた事も、非常なるショックを覚えたのだ。
 ましてやその事をユキに責められ、彼女の首に手を掛けた事まである。
 彼にとって、彼女にそういう行為をする事は、ほとんど禁忌となっているのだ。だから、彼女が自棄的に自分を抱けと言っても、彼はそれに応じる事は決して出来ないのだ。
「……分かったわ。じゃあ、私は好きな様ににさせて貰う……。」
 彼女は涙を振り払うと、そのまま部屋を出、TVの前の座り込む。
 そしておもむろに電源を入れると、好きな番組を探し始めた。

 TVからは、にぎやかな笑い声が響く。
 けれども、部屋は静かだった。
 お互い口も聞かず、各々の為すべき事を、黙々とこなしていた。
 外は依然晴れていたが、部屋の中は寒かった。
 その日以来、彼らの部屋から話し声は、ほとんど聞かれなくなっていった。

PHASE_06 [ユキ 2]

7 Days Later.
 December 9 7:23 a.m.

 ユキが飛び出した日から、一週間が経った。
 既に傷の癒えた裕一は、2日前から予備校に通い始めている。
 あの夜、ユキが毎晩彼の首をしめていた事実を知った日から、裕一は息苦しさに苛まれる事は無くなっていた。
 初め、彼女は寝る前に、自らの手を紐でぐるぐる巻に縛っていたのだ。
 しかし数日たってから、紐などしなくても、裕一の首を絞めに勝手に歩く様な事がなくなっているのに気がついた。
 今はもう、ユキも裕一も、普通に睡眠をとる事が出来る様になっていた。
 それがなぜだか、誰にもわからなかったが………。

 寒さが本格的になりだしたこの頃、エアコンはほぼ一日中点いている。
 そんな気温だけの暖かい部屋で、彼らは黙々と朝食を摂る。
 ユキはずっとTVを向きながら、裕一は彼女をずっと見つめながら、それぞれ何も言わずに食物を口に入れていた。
 TVから聞こえる明るい声も、そのきらびやかな色を失ったかのように、空々しく聞こえるだけだった。
 あの日以来、ユキは裕一の事を無視し続けていた。
 無視とはいえ、問いかけには答える。しかしそれ以外、全く口を利こうとはしないのだ。
 それが、裕一には耐えられない事だった。
 内容のある返事をほとんど得られ無いながらも、彼は一日数回、必ずユキに挨拶をしたり、話し掛けていた。
 本当は、裕一は彼女に話し掛けるのが怖いのだ。
 けれども何かにこじつけてでも、敢えて話し掛けなければ、お互い死ぬまで一言も話す事が無いのではないかと、そんな恐怖にも似た懸念が彼を支配しているのだ。
 だからなるべく彼は機会を見つけて話し掛けていた。それが、くどくならないように気を付けながら。
 そしてその事が、ユキには耐えられない事でもあったのだ。
 おどおどした彼が、彼女の顔色をうかがうように、いつも意味のない事を話し掛けてくる。
 ユキが不快に思わないようにと、彼が気を付けているその態度が、全く逆の効果を生む事になってしまっていたのだ。
 けれども、彼女はそれに対して不満を示す事は無かった。ただ一回、返事をするだけだった。
 それだけ、彼女は裕一と口を利きたくなかったのだ。
 そして、その日の朝。
 彼らの送る無言の生活に耐えられなくなった裕一は、ユキに話し合いを求めたのだった。
「ユキさん、もう止めようよ。昔みたいに、一緒にお話ししようよ。」
「……話す事なんか無い。」
 彼の方を見る事もなく、そう返すユキ。
「でも! こんな、いつも無視し合うなんて、絶対意味がないよ……せっかく二人で暮らしてるんだから、お互い何かしないと……」
「……セックスでもするの?」
 からかう風でもなくそう返すユキに、彼は苛立ちを覚える。
「っ!……違うよ!……そうじゃなくて、その……」
「……結局、する事なんて無いのよ。……TVが聞こえないから、静かにして。」
 声をやや大にする裕一に対して、彼女は淡々と答えていた。
 彼は口をつぐみ、リモコンを手に取る。
 そして、おもむろにTVを消した。
「……人が見てるのに……勝手ね。」
 ようやくユキは、裕一の方を向いた。
「僕は、大事な話をしてるんだよ。」
 ハッキリそう言う彼の前で、ユキは再びTVの方を向く。
「TVの方が大事よ。」
「……何で、僕の事無視するの?」
「返事してるじゃない。」
「僕は、ユキさんの意見が聞きたいんだよ。……相づちなんか、どうだっていいんだ……」
 彼の真剣なまなざしを見る事もなく、ユキはずっとTVの方を見ている。
「……意見なんて無いよ。……好きにすればいいじゃない。言ったでしょ? 貴方は私の事好きにしていいって。抱きたくなったら、いつでも言ってよ。……男と女がする事なんて、そんな事しかないのよ………。」
 溜息混じりの、彼女の意見。
 けれども裕一には、到底理解出来るものではなかった。
「止めてよ! 何でいっつもそんな事ばっかり言うんだよ! 僕はしたくないって言ってるじゃないか!!」
 声を荒げる彼を、ユキは疎ましそうに見る。
「私の意見を言ったのよ。……不満なら、初めから聞かないでよ。」
「くっ!!」
 ユキの、淡々としながらもきついその一言に、彼は返す言葉を見つけられなかった。拳を握りしめ、じっとテーブルをにらみつけ、こみ上げてくる怒りをとにかく沈めようとする。
「……学校、行かなくていいの?」
「行かない!!」
 ユキの問いかけを一言で返し、彼は再び視線を上げる。
「とにかく、このまんまじゃいけないと思う。……ユキさん、何かして欲しい事があれば言ってよ……そしたら、僕もユキさんに何か頼むから……」
 そんな彼の妥協案を、ユキはむげに退けた。
「じゃあ、私に話し掛けないで。」
「………。」
 言い返す気力すら無くし、裕一は黙って立ち上がる。
 そして鞄を持つと、何も言わずに部屋を出た。
「………。」
 ドアの閉まる音を背後で聞きながら、ユキはTVのスイッチを入れる。
 チャンネルを次々に変え、見たい番組を探す。
 彼女はリモコンをテーブルの上に置いた。
 頬杖をつきながら、ぼおっと画面を見る。
 TVから流れるにぎやかな歌声は、しかしながら、彼女の耳には入っていなかった。

December 9 18:56 p.m.

 夕食を食べ終え、いつもの様に、自分のなすべき事をしている二人。
 もちろん、会話はない。
 ユキはTVを見、裕一は机で宿題を片づけていた。
「………。」
 唐突に彼は立ち上がると、そのままユキの方へ歩いて行く。
 そんな裕一の行動に、彼女は身を硬くした。
「ユキさん………。」
 ユキは、呼びかけには答えない。ただじっと座り、彼のここへ来た真意を探ろうとする。
……もしかして、私を抱きに来たのかもしれない。
 そんな考えが、彼女の頭に交錯していたのだ。あるわけ無いとは理性で分かっていながらも、やはり、ユキは女であった。
「あの……ユキさん、何かして欲しい事、無い?」
 いつも通りの、おどおどとした声。
……なんだ、いつものか。
 いちいち身を硬くしていたのですら馬鹿馬鹿しく思え、ユキはクスリと笑う。
 もちろん、真後ろにいる彼からは、彼女のそんな様子を見て取れるわけは無い。ユキからの返事を待ち、彼はずっと立っている。
「無いよ。」
 彼女の返事で、裕一は机に戻っていった。
 そしてそんな彼の態度に、ユキは不満を感じていた。
……なぜだろう。
 彼女自身、なぜそう感じるのか、良くは分からなかった。
 もっとしつこくせがまれるのは、もちろん嫌である。文句をぐだぐだ言われるのは、もっと嫌だった。
 ならば、自分の返事通りに帰っていった裕一に、なぜ不満を覚えるのだろうか。
 TVを見ながら、彼女はずっと考えていた。
 けれども、その答えを見出す事は出来なかったのだ。

December 9 1:32 p.m.

 裕一は布団に入り、ただ眠くなるのを待っていた。
 部屋は、エアコンの動作音だけが満たされている。
 そんな、冬の静かな夜。
……ユキさん、寒くないかな?
 エアコンの無い彼女の部屋を思い、彼は何気なく聞き耳を立てていた。
 普通であれば、安らかな、ユキの寝息が聞こえるはずだった。
 もし彼女が震えている様子なら、彼は部屋を替わろうと思っていたのだ。
 けれども、彼は耳を疑う。
 ユキの荒い息が、エアコンの音に混ざって、うっすらと聞こえてきていたからだ。
「……はぁ……んっ……ん………ぁ…………」
 そんな音が彼の耳に入った瞬間は、ユキが夢にうなされているのかと考えた。
……だったら起こしてあげよう。
 彼は起き上がろうとした。
 しかし、次の瞬間、それは間違っている事に気が付いたのだ。
 どきりと、彼の心臓が脈を打つ。
 彼女のしている行為に気づいた彼は、息を潜めて彼女の発する音を聞く。
「んっ……んぁっ……あ………んん……うっ………」
 隣の部屋からは、くぐもった声が断続的に聞こえてきていた。
 どくんっ! どくんっ!!
 裕一の心臓は、激しい鼓動を発している。
 極度の緊張と、罪悪感。そして、異様なまでの興奮。
 心臓がうるさく聞こえる程に鳴っているにもかかわらず、彼に耳はユキの喘ぎを聞き逃さない。
 裕一はそっとふすまに手を添え、音を立てないように、わずかに開いた。
「んっ………んっ……ぅぁ……ぁ………んっ………」
 より鮮明に、ユキの声が聞こえてきた。
 じっと布団に寝たまま、彼は息を潜めて声に聞き入る。
 しばらくすると布ずれの音が数回聞こえ、より直接的な音が彼に耳に飛び込んできた。
[……ちゅく………ちゅっ………くちゅ………]
[ごくんっ!]
 同時に、彼の喉も鳴った。
 裕一はその行為を見ているわけではないが、ユキが自分の股間に手を添え、潤いに満ちた最も女らしい部分を、自らの指で刺激している様子が鮮明に想像出来た。
「んっ………んぁ………ぁ………っ………あ………」
[……ぴちゅ…………ちゅ………くちゅくちゅ………]
 実際、ユキは声を立てまいと必死のこらえ、顔を枕に押し付けていた。しかし、そうしても漏れるその声は、より一層裕一の劣情を刺激していたのだ。
 気がつけば、裕一の男性自身は硬く、どくどくと脈打っていた。
 彼には、どうしても抑える事が出来なかった。
 気づかれないようにゆっくりズボンを下ろし、己が欲望を握り締める。
……ユキさん……ごめん………。
[こそこそ……こそこそ……こそこそ………]
 一定のリズムが、部屋に静かに響いている。
 ユキはその音を聞きながら、より自分を高めていった。
「んっ………んぁ………うっ………んんっ………」
 お互いの性器を擦る音が、一段と激しくなってゆく。
「んっ……んっ……んっ……んんんんんーーーーーっ!!」
 一際甲高い、啜り泣きの様な声がし、
「うっ!!」
[びゅっ! びゅっ! びゅっ!!]
 喉の奥から絞り出した様な声と共に、激しく放たれた液が、ティッシュの中に撒き散らされてゆく。
 その後には、2つの部屋で荒い息がずっと続いていた。
 裕一はいまだ納まらない激しい鼓動の中、若干の後悔とけだるさを感じつつ、白濁の液を吐き出した己が欲望をティッシュで拭いていた。
……なんで、こんな事しちゃったんだろう………。
 不意に眠気を覚え、ティッシュをゴミ箱に捨てながら、彼はそんな事を考える。
……けれど、すごく気持ちが良かった。
 しかしそれが、彼の本音だった。
 ユキが来て以来、彼は今まで数回、風呂場で自分を慰めていた。もちろん、それはユキが言ったように、彼女をネタにしてだ。
 けれども実際に彼女の喘ぎを聞いての自慰は、今までのものとは格段に違っていたのだ。
 吐き出した液の量も、今までよりはるかに多い。彼のそれもより硬く、大きくなっていた。
 ふうっとため息をつきながら、裕一は布団にもぐりこむ。
 いろいろな感情や思考が彼の頭を支配していたが、それを整理するのも億劫に感じた。
 顔を枕に押さえつけ、目をぎゅっと瞑る。
……早く寝よう。
 明日の事を考えながら、いつしか彼は眠りへと落ちていった。

 それより数分前。
 隣の部屋にいるユキは、愛液で濡れた指や秘所を、ティッシュでゆっくりと拭いていた。
……隣で、裕一もしてた。
 指に纏わりつく愛液をふき取りながら、ユキはその事を考えていた。
……別に、嫌じゃなかったな。
 あれほどまでに嫌っている裕一が、彼女の自慰をネタにしていたという事実。
 普通なら、彼が物音を立てた瞬間に止めるか、文句のひとつでも言っていたのかもしれない。
 けれども彼女は、裕一が懸命に己が性器を擦る音を聞き、自慰を止めないばかりか、それに合わせるように自分を高めたのだ。
 それはまるで、自分の自慰を裕一に聞かせる様なものだった。
 確かに、あの時ユキは自分で止められるだけの正気を保っていなかったのかもしれない。
 身体が疼き、手が股間に添えられるのを、どうしても我慢出来なく時があるのを、彼女は知っている。
……そんなに我慢出来なかったのかな。
 そう考えても、今となっては分かるわけはないのだ。
 布団にもぐりこみ、目を閉じる。
 ひとしきりの快感、その後の心地よい眠気。
 彼女はゆっくりと、まぶたを閉じる。
……自分もしてたんだ。人の事なんて、言えないよね。そういう事よ。
 それが彼に抱いた気持ちに対しての、彼女の出した結論だった。

December 10 19:32 p.m.

「あの……ユキさん、何でもいいから……して欲しい事があったら言ってよ……」
 昨日同様、裕一の、ユキに対する唯一の言葉。
「……TVが聞こえないよ。あっちに行って。」
 ひざを抱えてTVの前に座るユキの返事も、いつもの通りだった。
 自分の机に戻ってゆく彼の後姿をチラッと見て、ユキはまたもや納得いかない気持ちを抱く。
……なんで、もっと突っかかって来ないのよ。
 苛立たしさのあまりそう考え、彼女ははっと気が付いた。
……裕一に、いったい何を期待してるのよ!!
 彼女の理性が、さっき抱いた自分の思考を懸命に否定しようとする。
 けれどもその思考が、自分の本心であったという事実が彼女を混乱させる。
 昨日の夜でさえ、ユキは自分の自慰を、裕一に知られながらも続けていたのだ。
 ともすれば、それは彼を誘っていた事にもなるだろう。
 彼女はいつも、裕一が何か言うたび自分を抱けと言っている。それはもちろん、彼を困らせようとしているだけなのだ。少なくとも、彼女はそう考えている。
 けれどもユキは、そんな自分の言葉に、自分自身が感化されているのではないかと、そう感じたのだ。
 しかし、それは単なる逃げではないのかと、そんな考えもユキの頭に浮かんできた。
……実際、私は裕一に抱かれたいのかもしれない。
 試しに、そう考えてみる。
……あんまり、嫌って気がしないんだ………。
 自分自身の思ってもみない反応に、彼女は驚きを隠せなかった。
……だったら、裕一に抱かれてみればいいじゃない。そうすれば、きっとスッキリするよ。
 自分に言い聞かせるようにそう考えてみたものの、裕一は決して彼女を抱こうとはしないだろう。
 その事は、ユキは十分承知している。
 だから彼女は、想像してみる事にしたのだ。
 抱えたひざに頭を乗せて、目を瞑る。
 裕一に抱かれる事を考えながら。

「……ユキ、おっぱい触ってもいい?」
 裕一の事だから、必ずそう聞いてくるだろうな。
 私は「うん」って首を動かすだけ。
 おどおどしてるくせに、あいつは絶ヤらしく私の胸を触ってくるだろう。
 そして、闇雲に乳首に吸い付いてくる。
 私はされるがまま、時々可愛らしい声を出してあげる。
 そうすれは裕一は調子に乗って、あそこに手を伸ばしてくる。
 そんな時、私はちょっとだけ嫌そうな顔をする。目で訴えるのだ。
「ユキ、触っていいよね?」
 まるで叱られた犬のように、おどおどしながら許しを請う。
 そうしたら、私は再びこくっと返事をする。
 そのとたんだ。
 裕一の指が、私のあそこを掻き回すように弄りまわすのよ。
 乱暴に、闇雲に。人の気持ちの良いとこなんて、お構いなしよ。
 いくら私が痛いって言っても、指を止めずに弄り続ける。
 どうせ、そんな私の声が、男達にはいいものに聞こえるのよ。
 そして私の気持ち良さなんて考えないで、いきなり足を広げる。
「ユキ、いいよね!?」
 いかにもそうするのが当たり前って感じで、形式的な問いかけ。
 私は「うん」って言うの。
 すると裕一は私にのしかかって、一気に貫くだろうな。
 まるで壊れた人形みたいに、馬鹿みたいにカクカクって腰を振る。
 その時私は、痛い痛いってすすり泣くんだ。
 濡れてないのに入れられるのは、とても痛い。
 女のコは本当に痛くて泣いてるのに、男は全然分かってない。
 まるで泣き声が喜んでるようにでも聞こえるんだろう。
 激しく、何度も何度も私を突く。
「気持ちいよぉっ! ユキ!」
 そんな嬌声をあげながら、私の事を只の道具みたいに扱うんだ。
「出るぞ! 出るぞぉっ!!」
 そしてイヤだって言ってるのに、顔めがけて汚いものを降り掛ける。
 挙句の果てに、それを口にねじ込んで、舐めろなんて言い出すんだ………。
 私は泣きながら、裕一の望む通りにする。
 あいつのあそこを咥えて、べっとりとついた愛液や精液を舐めとる。
 そしてそれをゴクンゴクンと飲み込む。
 自分の愛液なんて、絶対口には入れたくないのに、男は平気でそういう事をさせるんだ。
 そして、もうイヤだって言ってるのに、再び私を押し倒して、何度も何度も犯すんだろう。
 その時は、私は気持ち良いって言ってやろう。
 黙ってれば、人が声を出すまでしつこくし続けるもの……。
 そして出すだけ出して、スッキリした顔しながら、
「ユキ、どうだった?」
 なんて言ってくるだろうな。
 ……何がどうだった、よ。
 気持ち良かったとでも、言ってもらいたいわけ?
 初めから人にそう言わせたくて、馬鹿みたいな質問するのは止めて欲しいわ。
 でも、私は微笑みながら、「気持ち良かったよ」って言うのよ。
 内心で、誰が!って軽蔑しながら。
 そんな事も気づかずに、裕一はニタニタするんだろう。
 フフフ……どうせ私たちがセックスしても、こんなモンでしょうね。

 微笑みながら、ユキは顔を上げた。
……馬鹿な想像しちゃったわ。
 そう思いながら、裕一の方をそっと向く。
 彼は机に向かい勉強していた。
……テレビでも見よっと。
 そう思い、ユキはリモコンを取ろうとしテーブルに手を伸ばしたその時だった。
「!」
 股間に、冷たいものを感じた。
 彼女は慌てて、裕一には見られないように、スカートの中を覗き見る。
 股間から、下着が透けるくらいの愛液が流れていた。
「!!」
 彼女は慌てて立ち上がり、そのままトイレに駆け込む。
 急いでスカートを下ろし、パンティーを脱ぐ。
……なんで! なんでこんなに濡れてるのよ!!
 乱暴にトイレットペーパーを引き出し、股間に手をやる。
「うっ!」
 身体に、しびれる様な快感が走る。
 彼女の秘所は赤くほてり、少しずつだが蜜を流していた。
 便座に座り、スカートを調べる。
 幸い染みは出来ていなかったが、パンティーはグショグショになっていた。
……ヤらしい想像をしてたからって、こんなになっちゃうなんて………。
 ティッシュでパンティーの水気をふき取りながら、彼女は涙を浮かべていた。
 想像如きで感じてしまった事が悔しくもあり、自分の女が悲しくもあり………。
 そんな折、彼女はふと思う。
 裕一だから、感じたのかと。
 もしそうなら、ユキは自分が裕一に抱かれたいという気持ちを、自覚せざるを得なくなってしまうのだ。
 彼女自身、それは最も嫌な事だった。
 彼には何がなんでも抱かれたくないという事を確認するために、わざとああいった想像をしたのだ。
 しかしながら、その想像が彼に抱かれたいという事を証明しそうになっている。
……冗談じゃない! どうして裕一なんかに!!
 手で顔を覆い、涙をぽろぽろ流す。
 そんな時、彼女の鼻腔を愛液のにおいが刺激する。
 反射的に、男に抱かれてる時を思い出すユキ。
 トクン……トクン………
 体温が上昇し、脈も速くなってくる。
 彼女の秘所が、刺激を欲している。
……冗談じゃないよ! こんな時にっ!!
 彼女はぶんぶんと頭を振る。
……外に出れば、少しは落ち着くだろう。
 ユキはそう考えた。トイレットペーパーを引き出し、愛液で濡れた股間をぬぐう。
「うんっ!」
 思わず出る声。彼女は慌てて口を押さえる。
……馬鹿みたい、私……こんな時も我慢できないの?
 涙が頬を伝ってゆく。手からトイレットペーパーが落ちる。そして、指が彼女を摩り始める。
[くちゅ……]
「んっ!」
 じわっと、愛液が流れ出てくる。
 それを指に撫で付け、割れ目に沿ってゆっくりと動かす。
「はぁっ……!」
 思わず出そうになる声を抑え、それでも指を止めずに、彼女は必死に自分をむさぼる。
[くちゅ、くちゅ、くちゅ、くちゅ……]
 指で掻き回される音が、トイレの中にいやらしく響く。
 唇を噛み、声を出さないように必死に耐える。
 胸が切なく感じる。
 その瞬間、彼女は自分の胸を揉みしだく。
「……!!………っ!………っ!!」
 彼女はすでに、快感に支配されていた。
 理性が止めろといくら言っても、身体は言う事を聞かないのだ。
 少しでも指を止めると、恐ろしいほどの切なさが彼女を襲う。
 だから、決して指を止める事が出来ないのだ。
 止めたら最後、切なさに押しつぶされ、どうなるか分からない。
……イヤだよ、こんなのって……なんでトイレなんかでしなきゃいけないのよ……!!
 再び涙が流れるが、それを振り払うほどの余裕も無かった。
……こんな事なら、裕一に抱かれたい! 裕一! 裕一ぃっっ!!
「はぁ!……はぁっ!……ぁ!……ぁぁっ!!………あぅっっっっっっ!!」
 ビクンっ!!
 彼女の身体は一瞬痙攣し、そして深い息とともに果てる。
 息苦しさとけだるさが、一気に彼女を襲う。
 指は今だ蠢き、快感の余韻を作り出している。
 荒い息をつきながら、彼女は絶望を感じた。
……やっぱり、私は裕一が欲しいんだ。
 認めたくない事実を自ら証明し、後悔する。
……でも、私はあいつが嫌いなのよ。ウジウジしてる人間は、一番嫌いだ。だからあいつに抱かれたいのも、好意を持ってるからじゃないのよ。
 今だ股間に添えていた手を離し、愛液で濡れた手をじっと見る。
……ただ、あいつが男だからよ。それだけなのよ……
 無理矢理、自分にそう言い聞かすユキ。
 股間を再び拭き、パンティーを履く。冷たさが、ジンと火照った身体に響く。
 スカートを履き、水を流す。
 そして彼女は、何食わぬ顔で外に出た。
 裕一は先ほどのまま、机に座って勉強している。
……あいつは、私の事どう思っているんだろう。
 再びTVの前に座り、スイッチを入れる。
 そして番組を見る振りをしながら、ずっとその事を考えていた。
……あいつは、私をどうしたいんだろう。
……私は? ……私はあいつに抱かれたいだけ。
……だってあいつは男だから。それだけよ。あいつのあそこが欲しいだけよ。
 ユキはほんの少しだけ、気が楽になった様な感じがした。

December 10 23:49 p.m.

 ユキは布団の中で、自分の気持ちを整理していた。
 夕刻にした、馬鹿馬鹿しい自慰の事を、再び思い出す。
……実際、裕一が私を抱いたら、どんな風になるんだろう。
 その前に想像した事を、もう一度考えてみる。
「ユキ、おっぱい揉んでもいい?」
 そんな彼の声を想像してみる。
 先ほどまでは分からなかったが、若干違和感があるのに気がついた。
……あ、ちょっと違う。裕一は、私の事『ユキさん』って呼ぶんだっけ……。いいかげん止めてもらいたいよ。そんな呼び方するから他人みたいなのよ。
 そこまで考えて、彼女は急に可笑しくなった。
……他人? そんなの当たり前じゃない。あいつと私は他人よ。ただ、私があいつの家にいるだけ。……そういうの、下宿って言うんだっけ?
 ごろんと寝返りをうつ。
 布団の隙間から、冷たい空気が入ってくる。
……この部屋って寒いな。裕一の部屋はエアコンついてるから暖かいだろうけど。……そうだ、今度部屋を変えろって言ってやろうかしら。
 そう言った後の、彼の返事を想像する。
 けれど、想像するほども無い事が、すぐに分かる。
……あいつなら、喜んで部屋を変えてくれるだろうな。少しは逆らってくれた方が、余計に困らせられるから良いのに……
「ふぅ………」
 ため息を、一つする。
……私、いったい何考えてるのよ。そんなに人を困らせて楽しいの? いくら裕一でも、そんなの事するのは絶対嫌よ。私はそこまで下らない人間じゃない。
 目を開け、保安灯の明かりをじっと見る。
……じゃあ、いつも裕一が困る事ばかり言うのはなぜ?
……なんで、もっと素直に返事できないの?
 そんな自分自身に対する疑問が、次々へと出ては消えてゆく。
 ユキには、どれも答える事は出来なかった。
……私は、裕一に何をしたいの?
 目を瞑り、その答えを見つけようとする。
 耳鳴りがして来そうなほどの静寂。隣の部屋からは、彼の寝息すら聞こえてはこない。
……今日は、しないのかな?
 無意識のうちに、彼の自慰を期待する。
 やんわりと、股間が熱くなってくる。
……また私がしたら、裕一もしてくれるかな?
[ばふっ!]
 勢いよく寝返りをうち、枕に頭を叩き付ける。
……裕一に、何を期待してるのよ!!
 目をぎゅっと瞑り、もう寝ようと心に決める。
 次第に薄らいでゆく意識の中で、ユキは答えを見出せなかった。
 裕一は、自分にとって何なのかと。
 それからしばらくの間、ユキは心のもやもやを消す事はできなかった。

7 Days Later.
 December 17 18:52 p.m.

「ユキさん、何でもいいから、したい事があれば言ってよ……」
「ユキさん、何でもするから、して欲しい事があったら言ってよ……」
「ユキさん、どんな事でもいいから、僕に出来る事なら言って……」

 このところ毎日、裕一はそんな事を言っていた。
 気力も失せ、いつも抑揚無くそう言うだけだった。
 そんな彼をユキは痛ましく思うも、決して普通に話す事は出来ずにいた。
 どうしても、突き放す様な事ばかり言ってしまうのだ。
……もしあいつと口を利けば、混乱しきっている自分が何を言い出すかわかったモンじゃない。
 感情に任せて、それこそ犯してくれなんて、馬鹿みたいな事も口走るかも……
 彼女の理性が、そう告げている。
 そしてこの日も、TVに前に座る彼女の後ろで、抑揚の無い声が聞こえる。
「ユキさん、僕はユキさんの役に立ちたいんだ……だから、なんでもいいから言ってよ……」
「じゃあ、2度と私に話し掛けないで。」
 ズキリ……
 ユキの心に痛みが走る。
「ごめん………」
 裕一はそんなセリフを残し、また机に戻ってゆく。
 そんな彼の足音を聞きながら、涙が零れるのをユキは止められなかった。
……私、何泣いてるんだろう。……いいのよ、あいつとは馴れ合わない。そう決めたんだから。
 必死に自己弁護を重ねる。必死に自分にそう言い聞かせる。
 必死に、そうだと決め付ける。
 そうしないと、彼女は自分を保てなくなってしまいそうだったのだ。
……ごめんね裕一………。
 涙の一滴とともに、彼女の心がそう言った。

PHASE_07 [それぞれの、想い]

December 18 14:42 p.m.

 予備校帰り。この日裕一は、いつも通う古本屋が休みだったので、駅前デパートの本売り場に来ていた。
 古本屋とは違う、明るい雰囲気。人もたくさんいて、上品な音楽がかかっている。
 棚には綺麗に並んだ本や、きらびやかな雑誌が沢山置いてある。
 古本屋の陰気な感じは、これっぽっちもしない。
 立ち読みするのに、ちょっと恥ずかしい気のする、そんな本屋だった。
 彼は小説コーナーにいた。
 並んでいる本はみなきれいで、量も豊富だ。
……あ、この作者(ひと)、こんな話も書いてたんだ。
 新たな発見で、普通の本屋も時々来ないといけないな。彼はそう思った。
 棚の端から端まで、じっくりと背表紙を見る。彼は古本屋にある本はほとんど読み尽くしていたので、たいがいの作者は知っている。
 だから、今まで読んだ事無い作者の本を読んでみようと探していたのだ。
 そんな彼の目に、ふと一冊の本が目にとまる。
 他の同じ種類の本と比べて、表紙が妙に焼けている。あからさまに、売れていない証拠だ。
 彼はおもむろにその本を取り、立ち読みを始める。
 本からは、古い紙独特の匂いが沸いてきた。なんとなく、懐かしい香りだと彼は感じた。

 裕一がその本を読み始めて、30分位した頃か。
 彼は本を読みながら、「調子のいい話だな」と感じていた。
 その話の内容は、主人公の家に突然現れた女の子が、彼女の用件と引き換えに、10日間主人公の奴隷になるという様なものだった。
 その10日間の間に、主人公と女の子は相思相愛となる。しかし彼女の用件とは、主人公の遺伝子を自分の世界にもって帰る事だったので、彼女を引き止めておくために、主人公は女の子を最後の日だけ抱いたのだ。
 そして無事に遺伝子を貰い受け、女の子は自分の世界に帰っていった。けれども主人公はその出会いで自分の生き方を見出し、それに向かい歩き続けるのだ。
……たった10日間で、生き方なんか変わるわけ無いじゃないか。
 裕一はそう思う。
……大体こんな女のコなんて、居る訳無いよ。
 物語に出てくる女の子は、いつも明るく純粋で、自分の成す事にしっかりと責任を持っていた。そして、主人公に対してとても良く接していた。
……ユキさんなんか、いつも機嫌が悪そうにしてるじゃないか。奴隷でもなんでも無いのに。……ただ一緒に住んでるだけなのに。
 彼は自分の境遇と、その小説の主人公とを重ね合わせてみる。
……ユキさんもこの話の女のコと似た様なモンなのに、性格が正反対じゃないか。……やっぱり、これが現実と小説の違いってヤツだろうな。リアリティーが無さ過ぎるよ、この話。こじ付けだらけだし、キャラクターの性格も変だ。
 こんな出来すぎた性格した女のコなんて、どこ探したっていやしない。
 それに、女のコに10日も手を出さない男なんか、信じられないよ。
 自分がユキと会った時、1日はおろか、たった1時間も我慢出来なかった事を思いだし、裕一は違和感を感じずにはいられなかったのだ。
 そんな自分の過去を振り返り、ひとしきりの悪口を考えるも、ある意味うらやましい話だなと、本心では思っていた。
……ユキさんも、この女のコみたいだったら良かったのに。僕が家に帰ったら、『おなかすいたー!』なんて言ったら、きっと面白いだろうな。
 そこまで考えて、くすくす笑いがこみ上げてきた。
……合わないな、ユキさんじゃ………
 小説の女の子の行動を、ユキがしたらどうなるか。
 彼女が食卓の前に座って、茶碗を箸でチンチン鳴らす光景を考えるが、そのあまりにミスマッチングな雰囲気に、彼は思わず笑ってしまったのだ。
 けれど、彼は笑みを顔に貼り付けたまま、ある事に気がついた。
……なんで、僕はこんな小説と比べてるんだ?
 急に、恐怖が襲ってくる。
……なんでこんな小説と、同じシチュエーションなんだ?
 体中から血が失せてゆく様な感覚を、彼は覚える。
 冷たくなった手から、本がポロリと落ちる。
 慌てて拾い、本棚にきちんと戻す。
 だが、手が少しだが震えている。
……ユキさん……僕が創ったんだっけ………。
 周知の事実を思い出す。
 その事を今、実感として、彼はようやく理解したのだろう。
 自分の置かれた奇妙な立場を、改めて考えてみる。
……ユキさんは、普通の人間じゃないんだ………。

 裕一はずっと、小説の主人公になりたがっていた。
 日常では考えられない事になれば、僕はきっとなんでも出来る。今は、世界が僕に合っていないだけなんだ。だから、日常から逃れたい。
 彼はいつも、そう考えていた。そうやって、いつも逃げていた。
 けれども、ユキという非現実的な事象が現れても、結局彼はいつもの裕一だった。
 今も、ユキという非現実の具現から、逃げて本屋で脅えている。
 彼は欲していた非現実を、しっかり手に入れていた。
 ユキを、手に入れていたのだ。
 裕一はやっと、その事に気がついたのだ。
……僕は今、日常で無い世界にいるんだ………。
 ユキさんは、僕がどうにかしなくちゃいけないんだ………!
 じんわりと、少しずつだか、彼の何かが変わった。
……僕は今、日常には居ないんだ。
 その事実を改めて認識し、裕一は歩き出す。
……今こそ、何かを、ユキさんを何とかしなきゃいけないんだ!
 ふつふつと、熱いものがこみ上げてくるのを彼は感じる。
……夢が、叶ったんだ……!!
 久しぶりに、彼の瞳に輝きが生まれた。
……僕が、やらなきゃいけないんだ!!
 拳をぐっと握り締め、彼は自宅へ、ユキの元へと歩いてゆく。
 今までは、彼女を恐れて寄り道ばかりしていたのだ。
 確かに、今でも彼はユキを恐れている。けれども、それから逃げようという気持ちは、完全に消えていた。
 ようやく彼の目は、現実を捉えたのだった。
 黄昏の街の中、夕日が彼を照らし出す。
 枯葉を含んだ風が今、彼の横を通り過ぎてゆく。
 コートが風ではためき、寒さが身を切り裂いてゆくようだった。
 人々が身を縮めて歩く中、彼は胸をはって歩いてゆく。
 彼の顔には、気力がみなぎっていた。

December 18 17:53 p.m.

「ただいま、ユキさん。」
 いつも通りの声が、部屋に響く。
 裕一は靴を脱ぎ、部屋に上がる。
 TVの前にはユキがいて、つまらなそうに番組を見ていた。
「ユキさん、今帰ったよ。」
 彼はコートを掛けながら、そう言った。
「………おかえり。」
 小声でボソッと、返事が聞こえた。
「すぐにご飯作るから、待っててね。」
 彼はエプロンを着、台所に立つ。最近ようやく手に馴染んだ包丁を持ち、冷蔵庫から出した野菜を切り始める。
 そんな彼の後姿を、ユキはぼんやり眺めている。
……今日は元気がいいけど………なんかいい事でもあったのかな?
 裕一とは正反対に、彼女は最近元気が無い。
 それは彼女が裕一にどう接したら良いのか、さっぱり分からなくなっているからだ。
 いつも通り接すればいい。彼女の理性はそう言うが、心はそう割り切れないでいた。
 しばらくの間、ユキはずっと彼の後姿を見ていた。
 裕一は野菜炒めを作っている。そのジャージャーという音が部屋に響き、ゴマの香りがうっすらと漂っている。
 そんな時。ユキの腹が、グーと鳴った。
「きゃっ!」
 顔を真っ赤にしながら、慌てて彼女は腹を押さえる。
……裕一に、聞こえたかな?
 そんな彼女の心配をよそに、彼は野菜を炒めつづける。
 ユキは照れ隠しにTVの方を向き、やっている番組に目を向ける。
……そうか、もうじきクリスマスなんだ。
 気の早いTV局が、2週間先の行事の特集をしている。
「……去年は、雪が降ったんだっけ………」
 何気なく窓から眺める景色を見、彼女は無意識の内に呟いた。
……え!?
 慌てて、彼女は自分の言った事とを思い出す。
……どうして私は『去年』なんて知ってるの!?
 心臓が、トクントクンと脈をうつ。その音が、より大きく耳に響く。
……私は今月、裕一に作られたんでしょ?……だったらなんでよ……
 心臓はドクドク鳴っているのに、血は体内で凍りついたように感じた。そして冷たくなった手に、フウッと息を吹きかけるユキ。
 その顎も、少しだが震えている。
……昨日のヤらしい想像……なんで、私は男の裸を知ってるんだろう。裕一のなんか、見た事無いのに。
……それにどうしてあの苦い味を知ってるんだろう……私、精液なんか飲んだ事無いのに……それなのに、なんで味は知ってるの……?
 いろいろな記憶の断片。
 彼女は無意識に、知るはずの無い記憶を思い出していた。
 今から約10日前、彼女は裕一に叫んだ。
『それは!! だって、知ってるんだもん! 知ってるから……知ってるんだから……!!』
 そんな彼女自身の声が、ユキの頭に何度も響く。
……そうよ、知ってるのよ……私はいろんな事を………
 ならば、その基となる知識は何なのか。彼女がその事を考え始めた時、
「ユキさん、料理が出来たよ。」
 裕一の声とともに、野菜炒めの盛られた皿がテーブルに置かれた。
「あっ、うん………」
 考え事をしている最中に、急に声を掛けられたのだ。
 そんないきなりの事に、彼女は無意識に返事をしていた。
 たいてい、彼女は軽く返事するだけで、あとはほとんど無視している。彼が家に帰った時も、いつもは返事をしないのだ。
「じゃあ、食べようよ。」
 彼女の前に、ご飯と味噌汁が置かれる。
「いただきます。」
「あ……いただきます………」
 そのまま裕一のペースに乗せられるように、ユキは茶碗と箸の手に取った。
 空腹感が、いきなり増す。
 裕一に乗せられたとはいえ、すでにつかんだ箸や茶碗を再びテーブルの上に置く事は躊躇われたので、彼女はご飯を食べる事にした。
 ご飯を口に持っていくその手を、彼女はじっと見る。
……箸の持ち方だって、私は知ってるんだ………
「あの……ユキさん、オカズおいしい?」
 彼の問いかけに、ユキは顔を上げる。
「裕一……私、どうしてお箸の持ち方知ってるの?」
「え!?………」
 彼女が久しぶりに話し掛けてくれた事。彼女の質問の意図が、さっぱり分からない事。
 少々の混乱で、裕一は即座に答える事は出来なかった。
「……裕一、私あなたに作られたのよね。」
 ユキは再び問い掛ける。
「う、うん………。」
 いきなりのつらい事実の確認に、彼の返事は鈍る。
「私、お箸の使い方知ってるでしょ?」
 彼女は箸を持ちながら、それを閉じたり開いたりさせる。
「……あ、そうだよね……。」
 彼は持っていた茶碗と箸を、テーブルに置いた。
「……何で、私がお箸を使えるの?……裕一、貴方分かる?」
「え………」
 彼女の顔を見ながら、裕一は答えを必死に探そうとする。
「ユキさん……あの、僕がユキさんを創った責任は、ちゃんとするつもりなんだけど……だから、質問にも答えなきゃいけないって思うんだけど……僕も、それはホントに分からないんだ……ごめん………。」
 しばらくの間悩んだが、彼は答えも得る事は出来なかった。彼の本屋での決心が、いきなり実行できなかったのだ。
 すまなさそうな彼はそれっきり、下を向いたまま押し黙る。
「あ……裕一、別にいいよ、気にしなくてもっ! ご飯食べよう!」
 彼のつらそうな顔を見て、ユキはいたたまれなくなったのだ。まるで取り繕うかのように、慌てて茶碗を持つ。
「うん……ご飯食べちゃおう……」
 裕一も再び食べ始め、彼女一応安心する。けれども、疑問はより大きく膨れ上がる。
……私、何で裕一と喋ってるんだろう……
 確かに、今日の彼女はいつもと違っていた。
 ここ数日間、ユキはずっと裕一について考えていたのだ。
 その間に、彼女は彼を求めている事も分かった。そしてその事実に気がつき、ユキは裕一の事を、非常に意識し始めたのだ。
 初めのうちは今まで通り、彼を無視し続ける事で自分を保とうとしていた。
 けれども、もうそれは限界だったのかもしれない。
 やるせない気持ちが、彼女の心を押し潰そうとする。
 だからといって、彼女は裕一と話をしたいとは思っていない。ただ、彼に対して辛く当たるのが、我慢出来なかったのだ。
 それゆえユキは、彼に対して無意識に相槌を打ってしまったのだ。
 彼女はそんな心の変化を、自分では気づいていない。気づかないように、しているのだ。
 もしそれを認めると、彼に対して好意を持っている事になる。ユキはそう考えていたし、また、それは決して認めたくもない事なのだ。
 彼女の理性は、今でも彼を嫌っている。

December 18 19:53 p.m.

 夕食後は、いつも通りの光景だった。
 ユキはTVの前に、裕一は机に、それぞれ自分の為すべき事をしていた。
……裕一、今日は来ないのかしら……?
 いつもなら、彼女の後ろで裕一の声がするはずだ。
 けれども、今日は聞こえてこない。
……何やってるんだろう、裕一……
 彼女は振り返り、彼の居る机の方を向く。
 裕一は机の前に座り、読書か何かをしているようだった。
 そんな彼の後姿を、ユキは期待しながら見ている。
 早く、裕一にきて欲しい。無意識のうちに、そう想っている。
 けれども次の瞬間、彼女は我に帰る。
……なんで裕一が来るのを、期待なんかしてるのよ……
 再びTVの方を向き、番組を見る。
 けれどもTVの声は耳を通り抜け、心は裕一ばかりを見ていた。

 その頃裕一は、『思考と、その具現化について』を再び読み返していた。
 書いてある内容は、もちろん『ニンゲン』を創る方法だ。
 そしてその本が、ユキを知る唯一の手がかりなのだ。
 けれど何度読み返しても、以前得た知識以上のものは、得る事が出来ない。
 なぜなら、具現化した『ニンゲン』についての記述は、その本の下巻に載っているからだ。
「ふぅ……」
 彼は本を閉じ、それを押入れの奥にしまい込む。
……ユキさんは、僕が何とかしなきゃいけないんだ。
 横目でTVの前に座り込んでいるユキを見ながら、彼は決意を新たにする。
 最近の彼女の変化は、もちろん裕一にも分かっていた。
 あるはずの無い過去を思い出し、それをどう納得すれば良いのか。
 ユキはそんな問題にとり憑かれ、以前の様な気力は感じられなくなっていた。
……明日は本屋さんに行って、『下巻』を見つけよう。
 時計を見ながら、彼はそう思う。
 ユキを救うには『下巻』必要だ。それは裕一の出した結論だった。
 彼は風呂に入るため、ユキの居る部屋を通り過ぎる。
 そんな彼を、ユキは反射的に見上げる。
「ゆういち……」
 無意識に、彼の背中に呼びかける。
「ユキさん、お風呂先に入るね。」
「あっ……うん………」
 慌てたように、返事をするユキ。
……何で裕一を呼んだのかしら………
 彼の背中を見送り、ユキはため息をひとつ、ついた。

The Next Day.
 December 19 15:12 p.m.

「あの……『思考と、その具現化について』っていう本の下巻はありませんか?」
 薄暗い古本屋の店内。
 その主はいつもの通り、レジ前で新聞を読んでいた。
 静かな店内に、裕一の声が聞こえる。
「!!っ……な、無いね。そんな本は、聞いた事も無い。」
「えっ……?」
 店の主の態度は、裕一の予想とは全然違っていた。
 主は彼の言葉を聞いたとたん、その顔を険しいものにしていたのだ。
「あのっ……で、でも、その本の上巻は、この前ここで買ったんですけど……?」
 裕一は反射的に、感じた疑問をぶつけてみる。
「そんな本、扱った記憶はないね……。何かの間違いだろう。」
 ぷいと視線を彼から外し、主は再び新聞を見る。
 そんな主の態度に若干の不満を感じるも、裕一はもう一度問うた。
「あの、思い出し下さい………どうしても欲しい本なんです。」
 しかし彼の声に、主は返事をしない。ただじっと、新聞を見ている。
 裕一は一瞬諦めようかと思ったのだ。しかし、それでは下巻を入手するどころか、本について何の情報を得られない事に気が付いた。
「じゃあ、その本について、何か知ってる事はありませんか??」
 そう質問を投げかけるが、主は一向に相手をするそぶりを見せない。
 そこまで来て、裕一の感じだ不満は疑問へと変わったのだ。
 客に対して、この態度はあまりにも酷すぎる。特に彼自身、これといって失礼な態度をとっていないのだ。
 何か隠している。
 彼の直感が騒いだ。
「おじさん、お願いだから教えて下さい! ほんの少しの事でも良いですから……
 だって、ここで買った本なんですよ?」
 彼が感じた疑問を確かめるために、裕一は敢えてまた問うたのだ。
 すると、
「だから、そんな本は知らんと言ってるだろう!」
 きっと裕一の方を向き、主は声を荒げてそう答えた。
「……でも、あそこの小説コーナーに……」
「わしはそんなとこに置いた覚えは無い! ……すまんが、もう帰ってくれんか?」
 主はそう言い、再び視線を新聞に戻す。しかし、それを持つ手はぶるぶると震えている。
 主の不自然な態度を目の当たりにし、裕一抱く疑問は、だんだん確信へと変わって行く。
 主の言った言葉を反芻し、裕一は質問を投げかける。
「……おじさん、今『そんなところに置いた覚えは無い』って言いましたよね……?」
「!!……それがどうした! 知らん本は知らんといってるんだ! 早く帰ってくれ!!」
 [バンっ!!]
 主は新聞をテーブルに叩きつけ、裕一に一喝する。
 普段の彼なら、きっとすごすごと逃げ帰るだろう。けれども裕一は逃げなかった。
 主の目を正面から見据え、大声で言い放つ。
「帰りません!……おじさん、僕は何としてでも下巻が欲しいんです!」
 そんな彼の様子に一瞬たじろぐ主だが、裕一を睨み返して答えを返す。
「だから、そんな本は無いって言ってるんだ!……なぜ分からんのか?」
「……あの……失礼な言い方かもしれませんが、なんでそんなに怒るんですか?」
「む……」
 主は言葉を続けられず、押し黙る。
「あの、別にこの店に無い本を売れなんて言ってるんじゃなくて……でも、どうして僕に売った本を知らないなんて言うんですか?……普通、『忘れた』って言うんだと思うんですけど……」
「……忘れたんだよ、それで良いだろう? もう早く帰ってくれ。そして二度とこの店に来るな!」
 そんな主の様子から、裕一は自分の感じた疑問に、それなりの確信を持てたのだった。
 彼は何か隠している。しかし、どうもそれを聞き出すのは不可能のようだ。
 頑なな主の態度に、残念ながらこれ以上の情報を得る事は出来ないように思われ、彼は仕方なく店を出ようとする。
「じゃあ帰ります……ほかの本屋さんに行けばあるかもしれないし、無ければ注文すれば良いんだから……。」
 主は店から出ようとする裕一の袖を引っ張り、その歩みを止めた。
「ちょっと待て! 無い本を注文なんかしても来るわけないんだ。だからそんな事事するんじゃない!」
 そんな主の言葉から、裕一は彼の言動にかなりの矛盾がある事に気がつく。
「……おじさん、さっきから変だけど……どうして無いなんて言うんですか?」
「うっ……無いものは無いんだよ!」
 彼の袖から手を離し、主は裕一を見据えたままそう返す。
「じゃあ、どうして『無い』って知ってるんですか!? 『思考とその具現化』って、上巻しか出てないんですか!!」
 いつしか、裕一の声も大きくなってゆく。レジの台に身を乗り出し、主を見据えて話していた。
「何であんたもそんなにこだわるんだ、たかが本くらいで!」
「僕には必要なんだ!! どうしても下巻を読まなきゃ……!!」

 そんな問答が、しばらくの間続いた。
 二人の声は、外にも大きく響いている。
 古本屋の前を歩く通行人も、何事かと店内の覗き見る。
 そんな様子に号を煮やした主は、裕一を店の奥に引っ張り込んだ。
「あんた……『思考と、その具現化について』を読んで、何をしたんだ!?」
「えっ………」
 主はいきなり小声で言う。そんな唐突な質問に、裕一は即答できない。
「あの本は、たしか人間を作るとか何とか言う話だろう?」
 主の言葉に、裕一は目を見張る。
「そ、そうですけど……」
「あんたもしや、やっちまったのか!?」
「えっ……あの、何を……?」
「……人間を作ったのか!?」
 主は裕一の両肩を掴み、その顔を覗き込む様にして問うた。
「あっ!!……あ、あの……」
 裕一は主から視線を外し、うつむいた。
 そんな裕一の振る舞いは、主の疑問に肯定を示した様なものだった。主はため息をひとつ、吐く。
「……あの本はな、『禁書』になってるんだよ……」
「きん……しょ?」
 聞きなれない言葉に、裕一は一瞬戸惑う。
「ああ、禁書だ。」
「あの、それっていったい……」
 疑問を顔に浮かべた裕一は、主に答えを求める。
「くだらん事が書いてる本は、売れなくなるのさ。」
「それって、検閲ですか!?」
「そうだ。」
「でも、この国には検閲なんて……」
 率直に疑問を投げかける裕一とは反対に、主は苦笑いで返す。
「すまんが、これ以上は言えないんだよ、わしらにはな……」
「それは……」
「言えないんだ。」
 そう断定され、裕一はも口をつぐむ。
「さあ、これで満足だろ?……すまんが、諦めてくれ。」
 背中を押され、出口に追いやられそうになるのを、裕一は何とかかわす。
「あ、あの!」
「もうこれ以上は、言えないんだよ。」
「あの、禁書って、どこにあるんですか!?」
「それも悪いが、言えないんだ!」
 再び声を大にする主に、裕一も必死で食い下がる。
 ここでせめて下巻の所在を聞かなければ、ユキを救う事は出来ない。
 彼の本能が、そう言っている。
「お願いです!! そうしないと、ユキさんが……!!」
 不意に出たその言葉に、主は手の力を抜いた。
「……女の、名前か?」
 真剣な目で、主は裕一に問う。
「あっ……あの、そうですけど……」
 一瞬の、間。
 主は裕一の目を見る。
「……国会図書館………」
「えっ!?」
「そこにしか無いんだよ。さあ! もう帰ってくれ!」
 背中を強く押され、裕一は店の外に追い出される。
 入り口の段差で転びそうになりながらも、裕一は何とか体勢を整える。
[ピシャっ!]
 ガラス戸を強く閉め、主はそのまま店の奥に消えていった。
「……あんだぁ、つまみ出されてるじゃん、あいつー……」
「万引きでもしたんじゃねーの? ばっかみてぇ……」
 近くを通りかかった高校生たちが、大声で騒いでいる。
 それを聞いて通行人たちも、裕一をぶしつけな視線を投げかける。
 裕一はそんな声を無視し、デパートに向けて歩き始めた。
「……おじさん、ありがとう。」
 小声でボソッと、すでに見えない古本屋の主に感謝する。
 これで、求めていた下巻のある場所が分かったのだ。
……明日、国会図書館に行かないと……
 彼は再びデパートの本屋に寄り、国会図書館までの地図を買った。そして夕食の材料もついでに買う。
 当たりはだいぶ暗くなり、寒さも一段と増していた。
 帰り道、ユキが襲われた路地の近くのコンビニを見る。
……ユキさんを守れるのは、僕だけだ……
 改めて、彼はそう感じた。
 あの日、ユキを助けに行った日の事。
 コンビニからも、ユキの悲鳴は聞こえていたのだ。
 それなのに、誰もそれを助けに行こうとはしなかった。
 ただ悲鳴のする方を見るだけで、誰もがそのまま通り過ぎていく。
 裕一はそんな光景を目の当たりにし、少なからずショックを覚えたのだった。
 彼女を守れるのは自分自身しか居ないのだと、彼は改めて認識させられた。
 ユキを嫌な目に合わせる様な事は、何がなんでも排除する。
 これが、裕一の全てだった。

December 20 8:45 a.m.

 翌朝。
 天気は曇り。寒さはこの冬一番などと、TVの天気予報では言っていた。
 裕一は出かける準備を終え、玄関にしゃがみ込む。
「ユキさん、今日は国会図書館に行ってくるから……」
 彼は靴をはきながら、彼女にそう告げた。
「へ? 国会図書館!?」
 あまりの唐突な彼の言葉に、TVを見ていたユキは、思わず聞き返した。
「うん……」
「何しに?」
 興味津々といった表情で、ユキは彼を見る。
「えっ……あの、ちょっと調べものがあって………」
 彼女に『思考と〜』の事を言うのははばかられ、裕一は適当に誤魔化そうとする。
「……調べものなら、街の図書館でも良いんじゃないの?」
 そんなユキの問いに、彼はどぎまぎしながら答えを返す。
「あ、あの、その!……街の図書館じゃ、無いから………」
「ふーん……気を付けてね。」
 何か怪しい。
 そんな表情を、露骨に顔に貼り付けながらも、ユキは再びTVの方を向く。
「うん、じゃあ、行ってくるよ。」
[バタン]
 ドアが閉まり、部屋にはTVの音のみが響いている。
 ユキは窓から身を乗り出し、裕一の後姿を眺めている。
 冷たい風が、彼女の頬をかすめてゆく。
 温かい室内に慣らされた、彼女の体に震えが走る。
「さむ………」
 慌てて窓を閉め、再びTVの前にしゃがむユキ。
……ヒマだし、いっしょに行けば良かったかな?
 一瞬そんな事を考えるも、彼女は慌てて首を振る。
……裕一となんか行っても、面白いはずが無い! いつもいつも私の顔色ばっかり見てるのよ、あいつは!
 前に二人で買い物をした時の事を思い出し、その場で感じたイライラを必死に再現しようとする。
……そうそう、あいつはいつも私にばかり決めさせようとしてるのよ。少しは自分で決めればいいのに…………。
 ユキの胸に、何やら熱いものが込み上げてくる。
 裕一の不甲斐なさを必死に思いだし、晴れてイライラを再現できたのだ。
 そんな自分に、満足をするユキ。
 けれども、
……私、何やってるんだろう。
 そう思う彼女もまた、存在していた。

December 20 10:56 a.m.

「……こんなに一杯あるんだもんなぁ………。」
 本棚に囲まれた空間を、裕一は独り彷徨よっていた。
 彼はこの1時間ばかり、国会図書館と呼ばれる本の海から、求めるべき一粒の真珠を探す為、ひたすらに歩きつづけていたのだ。
 けれどもその本は、一向に見つからなかった。
 日本の本が、全てあると言われる国会図書館。
 その膨大な蔵書の中から、自力で本を見つけるのは、そう簡単な事ではなかった。
 彼は疲れた足を引きずり、検索コーナーまでやってきた。
 今まで本の事ばかりに頭を使っていた為、こういった設備があるのを忘れていたのだ。
「初めから、これを使えば良かったんだ………。」
 焦るあまり、余計な苦労をしてしまったとクスリと笑い、彼はパソコンの前に座る。
「………。」
 検索ソフトの説明書を見ながら、彼は本のデーターを入力していった。

作者名−−>山本 充蔵
作者名ヨミ−−>ヤマモト ジュウゾウ
書籍名−−>思考と、その具現化について
書籍名ヨミ−−>シコウトソノグゲンカニツイテ
出版社−−>日本民族伝承研究社
出版社ヨミ−−>ニホンミンゾクデンショウケンキュウシャ
巻数−−>2
雑誌/書籍−−>書籍
ジャンル−−>実用書
和書/洋書−−>和書
ISBN−−>
定価−−>1950
出版年度−−>1969
検索ワード−−>ニンゲン 生まれ変わり 反魂

 入力が終わり、検索開始のキーを打つ。
 裕一はその結果を今か今かと待ちわびる。
 数秒後、ディスプレイに表示された結果は、以下の通りだった。

作者名 登録件数 0件 作者名 該当無し/未登録☆
書籍名 登録件数 開架/閉架  0/ 0件☆
出版社 登録件数 開架/閉架 12/ 0件☆
検索ワード該当項目
ニンゲン (人間)   21363件
生まれ変わり       6858件
反魂            258件

「……無いじゃないか!」
 無意識にそう言葉に出した彼は、大きな落胆を感じる。が次の瞬間、それは疑問へと変わっていった。
……なんで『思考とその具現化について』が無いんだ? せめて上巻や、作者名くらい出てもいいじゃないか!
 彼はその後、知っている本を片っ端から入力してみるも、それらのデータはすぐに表示された。唯一、『思考と〜』だけが表示されなかったのだ。
 彼は席を立ち、検索コーナーの近くに設置されている、受付カウンターへと歩いてゆく。
 その中には数人の職員が働いていたが、裕一は他の客の応対をしていない女子職員を見つけ、彼女の席へと足を運ぶ。
「あの、ちょっと良いですか?」
「はい、何でしょうか?」
 彼の問いかけに、職員は笑顔で応対する。
「あの、『思考と、その具現化について』っていう本を探してるんですけど、あそこのパソコンじゃ出なくて……」
 裕一は検索コーナーを指差しながら、説明を続ける。
「で、あの、やっぱりここにも無い本っていうのはあるんですか?」
 彼の質問に、女子職員は首を振りながら答える。
「いいえ、この図書館には日本で出版された本が全部あるんですよ。……あ、でも戦前の本だと焼けちゃったものとかありますので、そういった本はありません。でもデータベースには登録してあるので、そういう本でも大概出てきますよ。」
「じゃあ、1969年に出た本っていうのは、全部あるんですよね?」
 裕一は心ばかし声を弾ませ、彼女に質問を投げかける。
「はい、もちろんその年代なら漫画雑誌から百科事典まで全部あります。」
 そんな彼女の答えは、先ほど彼が検索した結果とは違っている。
「でも、さっき調べたけど、無いって出たんですけど……」
 裕一は、その疑問を女子職員にぶつけた。
「では、こちらでもう一回調べましょうか?」
 彼女は検索用の端末を取り出す。そのノート型パソコンの液晶ディスプレイを開けると、ハードディスクの甲高いスピンドル音が聞こえてくる。
「あ、お願いします。」
 裕一はルーズリーフに書き出した『思考と〜』の諸々のデータを、そのまま彼女に渡した。
 それを受け取った女子職員は、手馴れた手つきで入力してゆく。
 すべての入力が完了し、彼女は検索開始のキーを押した。
[ピー!]
 ビープ音と共に、すぐさま検索結果が表示された。カウンターのネットワークは応答が速いのだ。
 ところが、その結果を見た女子職員の顔色が変わった。彼女は慌てて備え付けの受話器をとり、誰かを呼び出していた。
 そんな様子に、裕一は若干の不安を覚える。
「あの……どうしたんですか?」
「えっ!?……あ、すいません、あの、ちょっと操作を間違っちゃって……」
 慌ててニコニコしだした職員の不審な態度に、裕一は納得出来ないものを感じるも、敢えてその事は言わないでいた。
 しばらくすると、カウンターの奥から若い男が一人出てきた。
 彼は女子職員の肩を叩き、席を開けさせる。
 そして、裕一に一礼した後、こう続けた。
「申し訳ありませんがお客様。この本はどういった経緯でお知りになられたのですか?」
 その男の不敵な態度に若干不信感を抱くも、裕一は答えを返す。
「あの、近くの古本屋さんで上巻だけ買ったんですけど……」
「では、その書店の名前は?」
 男はすぐに質問を返してきた。
「……あの、家の近くのですけど……」
 直感的に即答するのを避け、裕一はわざとあやふやな答えを返す。男の問いが、あまりにも不自然であると感じたからだ。
 けれども、男は再び問うて来る。
「その店の名前は?」
 態度こそ先ほどのまま温和であるものの、その男の問いには若干の脅迫地味た雰囲気があった。
「あの、どうして本屋さんの名前を聞くんですか?」
 裕一は疑問をそのまま投げかけてみる。
 男の表情は、まったく変わらない。
「ハハハ……イヤ、すみません。お客様がお求めになられている本は、当図書館にはございません。ですからその入手経路を調査し、早急に買い揃えるため、質問をさせてもらったわけです。」
 笑いながらそう答える男の言い分には、まったく矛盾は無かった。少なくとも裕一はそう感じた。
 けれども、それは古本屋の主の言った事とは違っている。
「でも!……その古本屋さんのおじさんが、ここにあるって……」
「そうですか? 確かに普通の書店で見つからなくとも、国会図書館ならばあるといった意味なのでしょう。」
 真剣な裕一とは対照的に、男は笑顔のままだ。
「あとお客様。その本の事は他の人々には言わないで貰いたいのです。」
 男はそう続けながら、裕一の持ってきたルーズリーフを自分の背広のポケットに押し込んだ。
 そんな様子に、裕一の疑問はより大きくなる。
「あの、それはなんでですか?」
「はい。……国会図書館は日本の本が全あると言われております。ですがお客様……ここだけの話ですが、当図書館にも無い本はあるのです。それを他の人々に知られるのは恥ずかしい。……ですから、私はお願いしているのです。」
 そう言いながら、男は再びうやうやしく一礼した。
 彼の言わんがする事は、もちろん裕一にも理解できる。
 しかし、裕一の疑問は無くならなかった。
「けど……店のおじさんはその本が禁書だって……だからここにしかないって言ってたんですけど……」
 最後の疑問を、彼は口にした。
「!」
 男の表情が、一瞬険しいものになった。そして隣にいた女子職員の表情は、露骨に困惑していた。
 気がつけば、カウンターにいた職員が、すべて裕一に注目している。
「あ、あの……?」
 そんな妙な雰囲気に、裕一は一歩後ずさりする。
「お客様、たしかにその本は禁書と言う種別に入っております。」
 笑顔の男は説明を続ける。
「そもそも、当図書館に書物にはいくつかのランク分けがなされております。皆様に自由に閲覧していただける開架図書、貸し出しに証明が残る閉架図書。そして学術目的等、特別な理由以外で閲覧する事の出来ない閲覧禁止図書。
 当図書館には、以上3つのランク分けがなされております。お客様がお求めになられた本は当図書館にも無いため、便宜上閲覧禁止図書、すなわち禁書として登録される事になっているわけです。
 ……ご理解いただけましたか?」
 一通りの説明を終え、男は裕一に微笑みかける。
 その説明をずっと聞いていた裕一には、返す言葉は見つからなかった。
「あの……その禁書っていうのをどうしても見たい場合には、どうしたら良いんでしょうか?」
 最後の淡い期待を胸に、悪あがきを試みるも、
「禁書は先ほども述べましたとおり、学術関係などにおいてのみ閲覧を許されるものです。そもそも禁書は希少価値の大変高いものがほとんどですので、一般のお客様はすべてお断りさせていただいております。
 もしも閲覧を希望なされるのであれば、大学ならば総長、研究所ならその最高責任者の委任状、そして当図書館長の許可が必要となります。」
 何の研究機関にも所属していない裕一には、絶対不可能であると太鼓判を押される結果となってしまった。
「……あの、ありがとうございました………。」
 落胆した裕一は、カウンターを後にする。
 そして大量に陳列されている本を横目で見ながら、国会図書館を出る。
……下巻、どうやっても手に入れられないのかな……
 帰りの電車の中で、黄昏に光る町並みを見ながら、彼は幾度もため息をついていた。
 ユキさんは、僕が何とかする。
 その漠然としながらも純粋な想いを成就出来ず、裕一は焦りと憤りを感じずにはおれなかった。
 ずっと、彼は外を見ている。
 街は今、夕暮れを迎えていた。

「主任、今日の高校生くらいの客ですが………」
 国会図書館で裕一の応対をしていた女子職員が、彼に禁書の説明をした男に問い掛けた。
「ああ、今晩踏み込む。」
 彼は数枚の書類を見ながら、無造作にそう答えた。
「しかし、禁書をバラした書店の特定は……」
「あの彼の入館記録から割り出したさ。」
「でも、それだけじゃどこの書店かは……」
 腑に落ちない表情の彼女を前に、男はくすくす笑い出した。
「彼が言った言葉を良く思い出してみたまえ。『家から近い古本屋。』彼はそう言っただろう? この彼の住所からすると、ここ一軒しか見当たらない。つまり、この古本屋だ。」
 裕一が国会図書館に来た時、彼は利用者カードを作るため、住所や予備校の学生証のコピーを残していたのだ。
 男はその記入用紙のコピーを、裕一のアパート周辺の地図と共に女子職員に見せる。
「あ……たしかに。」
「そもそもこの古本屋、以前から挙動不審な所があったからな。今回確証が取れたという事さ。」
 書類を机にトントンと叩き、角をきっちり揃えながら、男は席を立つ。
「もう出るんですか?」
「いや、今は準備だ。」
 不敵な笑顔を浮かべながら、男は部屋の奥へと消えいった。

December 20 15:22 p.m.

「ただいま………。」
 沈んだ声が、部屋に響く。
 コートを脱ぎ、裕一は部屋に上がる。
「おかえり。」
「うん………。」
 ユキの声にもあまり気の入った返事をせずに、彼はそのまま机に直行した。
「はぁ………。」
 そして、再びため息をつく。
……明日また古本屋さんに行って、ちゃんとした事きかないと………
 机に突っ伏しながら、彼はユキの方を見る。
 彼女はいつも通り、TVの前に居る。そして何かのドラマを見ているようだ。
……いつもTVばかっり見てるけど……そんなに好きなのかな?
 彼がそんな事を考えている間、当のユキは、TVなどは見ていなかった。
 彼女はずっと、裕一の事を考えていたのだ。
 このところ、ユキが彼の事を考えているの悟られない為の、TVは一種の隠れ蓑となっていた。
 そして今日も、TVはその理由で点けられていた。
……近頃、裕一と口を利く事が多いかもしれないな。
 最近の彼との会話を思い出しながら、ユキはそんな事を考えていた。
 たしかに、この頃ユキと裕一の会話は多くなっている。それはもちろん、彼女が彼の事を意識し始めたからだ。
 ユキはわざと彼と口を利かない様にしているので、ちょっとした拍子についつい受け答えをしてしまったり、自分から話し掛けてしまう事もある。
 しかしそれは、彼女の理性にとってはいい事ではない。
 彼女の体が裕一を欲しているという事実は、一応は認めているが、彼女自身、彼の事は嫌いなのだ。
 だから、なるべくの事なら彼とは口を利きたくないと、彼女は考えている。
……これからは、無駄口きかない様にしなきゃ。そうしないと、あいつが調子に乗るからね。
 それが、ユキの出した結論だった。そして何度も何度も、彼女自身に言い聞かせていた。

 そのころ裕一は、机でここ数日間に起こった出来事について考えを纏めていた。

 ここまで考えて、裕一は禁書の本来の意味がどうであれ、国会図書館では絶対に見せて貰えないという事だけはわかった。
……見れなければ、どこにあっても意味がないじゃないか。
 彼は明日古本屋に行き、そこで今日国会図書館で言われた事を説明し、ほかにどこに行けば見れるのかを聞こう、彼はそう結論を導き出した。
 気がつけば夜も更けていたので、彼は風呂に入るために席を立った。

December 20 22:13 p.m.

 数人の黒い服を来た男たちが、数台の車から一斉に降りる。そして建物の周りを囲み、何人たりとも逃げられないよう、万全の体制を取る。
 彼らは国会図書館の職員たちだ。
 そして、裕一を追い返した若い男が、古本屋のドアを開け放つ。
「なんだ貴様らはっ!」
 古本屋の主が、いきなり店に押しかけた無礼を非難する。けれども男は笑みを顔に貼り付けたまま、一枚の証書を主の顔に突き付けた。
「古書販売法違反、ならびに禁書取り扱いに関する条例違反。……分かりますね?」
 その言葉を聞き、主の顔から血の気が失せた。
「まさか……昨日のあのガキか!?」
 驚愕を隠しきれぬまま、うわ言のようにそう言う主。
「……その表現は正しくありませんね。貴方はここ12年ばかりで、3件の違法行為を働いています。本屋を商ってらっしゃるなら、売ったり言ったりしてはいけない本があるという事のは、重々理解されていると思ったのですが、残念です。」
「まてっ! わしは知らんっ! なにも売っちゃいないっ!!」
 主は必死にそう叫ぶ。けれども、その言葉は聞き入られるハズは無かった。
「それならなぜ、”禁書”という言葉が一般人の口から出てくるのでしょうかねぇ……先日もとある客が、ご丁寧にも『古本屋から聞いた』などと言ってましたが、我々の業界もたるんだものです。貴方もそうは思いませんか?」
「……お、お前らが禁書なんていうモンを作るからいけないんだ! 表現の自由ってぇのは、憲法にも書かれてるだろうが!」
 必死に、主は言葉を続ける。けれども、彼も本を扱う事を生業にしている男だ。今目の前に居る若い男には決して逆らえない事は、もちろん良く理解している。
 けれども、いやだからこそ、叫ばずにはいられなかったのだ。
 恐怖を、何とか抑え込む為に。
「表現するのは、もちろん自由ですよ。でもそれを発表する事に、自由はありません。先日の客は『思考と、その具現化について』などという第1級危険書物を口に出しましたが、貴方なぜそんな物を売ったりするんです? ああいった禁書は見つけ次第焼却処分にするか、国会図書館に送るハズなんですが。」
 若い男は、脂汗をだらだら流す主を前にして、顔色ひとつ変えず淡々と説明を続ける。その説明というのも、もちろん主が完璧に理解しているという事を解かっての事だ。彼はこうして、人をいたぶるのが好きなのだ。
「そ、それはっ……お前らのやる事が、気にいらないんだよっ!!」
「ほぉ……気に入らなければ、法を犯しても良いと……」
 クスリと、男は笑う。
「そんな法律なんざ、潰しちまえばいいんだよ……お前らのやってる事は、検閲だろう! そんなモンが今ある事態、間違ってるとは思わねぇのかよ!」
「検閲ではありません。世の中に混乱を起こさないための、最低限のチェック機構です。……そもそも、『思考と、その具現化について』がなぜ第1級危険図書になっているのかくらい、あなたなら知ってるとは思うのですが?」
 そんな若い音気の質問に対し、主はそっぽを向いたまま、
「しらねぇなっ!」
 と突っぱねる。けれども男は顔色ひとつ変えず、余裕ある態度で言葉を続けた。
「あの本に書かれている、人間を作る法でしたっけ? あの儀式は危険過ぎるんですよ。成功率が85%以上ですからね。たかが本を見て、人間を何人もそう簡単に作られてしまっては、生命倫理や社会通念上混乱を引き起こしますからね。
 ……そういった必要のない情報は、封印してしまうに限るのです。」
「そうやってお前達は、いつも事実を捻じ曲げているんだ……」
「必要のない事実など、事実とはいいません。我々は社会を無用の混乱から守るため、最低限度の事をしているだけです。
 ……それを貴方は、焼却処分するべき禁書を売っただけでなく、いちいち我々のところにその本があるなど漏らしましたねぇ……。
 たしかにあの本は上下巻共に我々が保管しています。けれども、それは地下金庫の中。たかが普通に人間に、見せるハズがないのは分かっているでしょう。そんなに貴方は客を困らすのが好きなのですか?」
「そうじゃねぇ……中には、本当にその本を必要としてるヤツもいるって事だ……いずれお前達は、間違っていると思い知らされる時が来るだろうよ……」
 主はそれっきり、口をつぐんだ。
「……覚悟は出来たようですね。それでは任意で同行を願います。2、3日帰ってこれませんので、寝具などを軽くまとめてください。それともう、この店の営業免許はありませので、在庫はさっさと処分して下さいよ。」
「ああ………」
 主はそう頷くと、店の奥に入っていった。
 それから30分ほどして、主は彼の妻に見送られながら、車に乗せられていった。

The Next Day.
 December 21 16:02 p.m.

 翌日。
 裕一が予備校帰りに古本屋に行くも、その戸は硬く閉ざされている。
 今までそんな事は無かったし、ましてや定休日でもない。彼は直感的に不安を感じるも、せめて主と話が出来たらと、そのガラス戸の前に立つ。
[コンコン]
 軽く戸を叩くと、中から見なれぬ女性が出てきた。
「あ、あの……今日はお店は……?」
 裕一がそう尋ねると、
「すみませんが……しばらく休みにするんで……。」
 店の主の妻は、済まなそうにそう返す。
「あの、じゃあ、おじさんはいますか? ちょっと聞きたい事があるんですけど……」
 ピクリ……主の妻が一瞬、表情を曇らした。
「すいませんねぇ……夫は用事があって、しばらく帰って来れないものですから………。」
 妻はそういうと、ガラス戸をそっと閉め、店の奥に消えていった。
「そんな………。」
 店先に一人取り残され、裕一は一人つぶやく。
 昨日国会図書館にいき、そこでで言われた事を、彼は相談しに来たのだ。
 けれども、頼みの綱であった主はいないと言う。
 再び店の主に怒鳴られる事を覚悟し、ともすれば殴られてでもと意気込んでいた彼にとって、この事実はあまりにも辛かった。
 腹立たしささえ、彼を包み込んでゆくようだった。
 しばらくその場に立ち尽くしていた裕一だが、この場でじっとしていては何の進展もない、彼はそう考え、一応歩き出した。
 けれども行く当てがあるわけでなく、その足は自然に商店街の方に向いていた。
 だんだんとクリスマス用のディスプレーが揃っていく中、裕一は少し前、ここでユキと共に買い物をした事を思い出す。
………僕じゃあ、やっぱりユキさんを救う事は出来ないのかな……
 彼女と廻った店を見ながら、溜め息交じりにそう考える裕一。
 結局、非日常の世界に身を置いているとはいえ、普段から何も出来ない者は、どういう状況になろうとも、普段以上の事は出来ない。
 そんな思考が、彼の頭を一瞬よぎる。
 しかし、彼はここで止めるわけにはいかなかった。
……なんとしてでも、ユキさんを救う。
 裕一は、そう心に念じる。
 もし今やらなければ、ユキを救うどころか一生何も出来ずに終わってしまう。
 ”何も”とは、そんな大それた事ではもちろんない。
 ただ精一杯生きる事すら、出来ないまま死んでしまうのかも知れない。
 彼はつぶさに、そう感じていた。
 ここ数日、彼は必死に動き回っている。
 しかしそのほとんどが、空廻りに終わっている。
 けれども、彼はそれでも”生きている”事を、実感せずにはいられなかった。
 前と比べて、生活がほんの少し充実している。
 だからこそ、ユキにも精一杯”生きて”貰いたい。
 彼のいう『ユキさんを救う』とは、こういう事なのだ。
 最近特に元気のない彼女が、ほんの少しでも笑っていられるようにしたい。
 それが、ユキに対する彼の本当の気持ちだった。

 裕一はずっと、商店街を廻っていた。ユキと買い物をした順路そのままを。
 そのまま帰っても良かったのだが、もう少しユキと廻った風景を見たい。そんな理由で、彼は商店街をぶらぶらしていたのだ。
 駅に向かって歩いている時だった。
 ふと見た商店街の店先の風景から、ユキとの買い物の時の事を、ひとつ思い出したのだ。
『死んだ女を連れて、いったい何をしてるんだい?』
 そんな占い師の老婆の声が、再び頭に響く。
……そうだ、あのおばあさんなら何か知ってるかもしれない!
 彼はあたりを見渡すが、今日はそれらしき人影はない。
 けれども、2、3日前までは今彼が立っている付近で小さな机を出し、占いをやっていたのを彼は見ていた。
 裕一は近くの店に入り、その店の主に老婆の事を聞いてみる事にした。
「あの、あそこで占いやってたおばあさん、今どこにいるか知ってますか?」
 店に入り、レジの前に居た老人にそう問いかける。
「ああ、あのばーさんか。あの人は1週間くらいであっちこっち回っとるんじゃよ。今はたしか、北の方にでも行っとるんじゃないのかねぇ?」
 老人はニコニコしながら、そう答えた。
「あの、その場所はわからないんですか?」
「あー?…… いやー、ちょっとわからんなぁ。今度ここに来るのは来年だし、しばらく会えんなぁ。」
「来年ですか!?」
 主の言葉に、裕一は驚きと落胆を隠せない。
「あー、そう、またクリシマス(クリスマス)の前っくらいに来ると思うんだがのぉ。」
「そうですか………。ありがとうございました。」
 残念そうに、店を出る裕一。
 やっとユキについて、何らかの情報を得られると思ったが、それもつかの間。
 もうこれで、すべての退路を断たれた様なものだ。彼は、そう感じざるを得なかった。
 店を一歩出ると、町は既に夕暮れになっていた。
 彼が店に入ってから、わずか2、3分である。けれども裕一には、その空がとても暗く見えていた。
「帰らなきゃ………。」
 そうつぶやき、自宅へ向かって歩き出す。
……これ以上、何をすればいいんだろう………。
 決して認めたくはない。が、しかし彼は絶望を感じていた。
 もちろん、彼もそう物事が上手くいくとは考えていない。大体、人間を創り出してしまう様な方法の載っている本が、そう簡単に手に入るとも考えてもいないのだ。だから下巻を入手出来ないのも、ある意味当たり前と言えるだろう。
 けれども彼は、ユキを創り出してしまった。
 もう、決して後戻りは出来ないのだ。
……けれど、いったいこれ以上何をすれば良いんだっ!!
 無意識に拳を握り、暮れゆく夕日をじっと見る。
 既にその日は明るさを失い、街を黄昏に染め上げる。
 そんな物悲しげな景色が、まるで彼の心を表している様だった。
……でも、何とかしないと……
 くじけそうになる心を、何とか奮い起こそうとする。
 ぶんぶんと首を振り、絶望に打ちひしがれそうな自分を何とか保とうとする。
……ここであきらめたら、僕は何にも出来ないままなんだ。それだけは、ごめんだ……!
 再び夕日を見据え、彼は家路を急いだ。部屋で待つ、ユキのもとに。

December 21 21:21 p.m.

 夕食後、裕一は再び『思考と〜』に向かい合っていた。本の内容をノートにまとめ、その言わんとする事を決して見逃さぬよう、細心の注意を払って読み進める。
 けれども、今まで何度も何度も読み返した本だ。
 いくらノートに纏めようとも、そらんじて言えるまで覚えたものに、新しい発見などあるわけはなかった。
 それでも彼は、何度も何度も読み返す。
 禁書と言われ、決して他では入手する事の出来ない本。
 この本だけが、今ユキの存在を理解する上で意味をなすものなのだ。
 しかし、読み始めて5時間以上経ったころだろうか。
 さすがの裕一も、もう今以上の情報は得られないと思い始めていた。
 それに同じ本を十数回読み、いいかげん飽き始めてきたという事実もある。
 彼は本をパラパラめくり、あるページでそれを止める。
 そこには、ユキを創り出した時唱えた呪文が載っていた。
 彼はそれを、無意識の内に目で追っていた。

 ……迷える汝よ。
 助けを乞う魂よ。
 我ここに、汝を闇より救う。
 我、肉をもって汝の『体』となる物、血をもって汝の『血』となる物、男の精、女の卵をもって汝の『命』となる物を与える。
 我ここに命ず。
 汝が名、汝が形、汝が齢 我が命をもって定める。
 汝、それらを魂の器とし その姿我が望む形にならん。
 すべての生命を生み出せし赤き『土』。
 その命はぐくむ『暖かな光』。
 そして、神世の時より約束されし 聖なる7日をもって 汝その姿を形作らん。
 迷える汝よ、今ここに降り立たん………

 本には、そう唱えろと書いてある。
……そう言えば、呪文の内容って、考えた事無かったんだっけ………。
 本をぼぉっと見ながら、裕一はそんな事実に気がついた。
 今まで反魂や生まれ変わりに関する記述ばかり注意して見ていたため、実際にユキを創る記述については、あまり読みこなしていなかったのだ。
 裕一は起き上がると、その呪文1行ずつの意味について調べ始めた。
 そこで彼がノートに書き出した概略を、以下に示す。

 《迷える汝よ。》
 ”汝”とは、全体の意味からユキの事だと考えられる。しかし、”迷える”という記述については、分からない。
 《助けを乞う魂よ。》
 ”魂”は”汝”と同じものを意味するかもしれないが、分からない。”助けを乞う”という記述は、前行の”迷える”という記述と通じるものがあると考えられる。
 《我ここに、汝を闇より救う。》
 ”我”とは、自分自身の事である。”汝”=ユキを”闇”から救うとあるが、前行で”助けを乞う”とある事より、ユキを創る事は、ユキを救う事とも採れる。
 《我、肉をもって汝の『体』となる物、血をもって汝の『血』となる物、男の精、女の卵をもって汝の『命』となる物を与える。》
 この記述は、ユキを創る際用いた各種材料の事について述べていると考えられる。
 つまり、肉はユキの体(肉体)、血はそのまま血液、精と卵は、その2つが結びついて出来る命を表している。
 《我ここに命ず。》
 韻を合わすための言葉だろう。
 《汝が名、汝が形、汝が齢 我が命をもって定める。》
 ユキの名前を決める事、ユキの姿容姿を決める事、ユキの年を決める事を、”我”=自分の命令によって、決める事を意味していると考えられる。
 《汝、それらを魂の器とし その姿我が望む形にならん。》
 各種材料によって出来た体にユキの魂を宿し、そして自分の思い通りの人間になれという意味だと考えられる。
 《すべての生命を生み出せし赤き『土』。》
 赤い土から人間が生まれたという旧約聖書の記述か、または人類の発祥の地が赤土が多い場所であった事の、どちらかからの引用であると思われる。
 《その命はぐくむ『暖かな光』。》
 今地球上にあるエネルギーは、そのほとんどが太陽から得られたものである。それにより、すべての生物が持ち得るエネルギーは太陽からの光であり、”暖かな光”は太陽光を示していると思われる。
 《そして、神世の時より約束されし 聖なる7日をもって 汝その姿を形作らん。》
 ”神世の時より約束されし聖なる7日”とは旧約聖書にある神々がこの世界を作った日付より引用したと考えられる。
 《迷える汝よ、今ここに降り立たん。》
 ”汝”=ユキに、ここに来いという事だろう。

 以上が、彼のノートに書かれた内容だ。
 裕一はじっと、そのノートの記述を読みなおす。
 間違いが無いかどうか、その記述を確かめていた。
 そして何回か読み返した後、ある箇所で、妙な違和感を覚えた。

 ”汝が名、汝が形、汝が齢 我が命をもって定める。”

 彼は何度も、その行を見る。

 我が命をもって定める……
 我が命をもって……
 我が命……
 命……

……なんて、読むんだ?
 疑問は一気に膨れ上がる。
 この読み方を変えれば、とんでもない事になるのは、もう一目瞭然だ。
 彼は、小さく口に出して読んでみた。
「……なんじがな、なんじがかたち、なんじがとし……わがめいをもって……」
 ここまで言い、その違和感は具体的になった。
「……なんじがとし、わがいのちをもってさだめる………。」
 彼が初めて呪文を唱えた時、たしかにこう言ったハズだ。
……我が”いのち”をもって、……か。
 彼はノートに横線を入れ、こう書きなおした。
 ”ユキを創る事は、自分の命と引き換えだ。”……と。
 そして裕一は、ユキがこの家にきてからの、彼女の行動を考えてみた。
 最初の数日間、彼女は決まって彼の首を絞めに来た。そして彼女は、その事実をまったく覚えていない。
 今まで彼が不思議に思っていたこの事は、ユキは裕一を殺して、その具現を完全なものにしようとしていた。そういう事なのだ。
……まさかっ! ユキさんが、そんな事するはず……
 反射的にそう思うも、裕一はその考えを取り消した。
……違うよ……ユキさんは呪文の通り出てきたんだ。だから、呪文のとおり僕を殺そうとしたんだ。ユキさんの意思とは、全然関係無いところで………。
[パタン]
 本とノートを閉じる。そして後ろを振り返り、ユキの方を見る裕一。
 彼女はいつも通り、TVを見ている。
 にぎやかな笑い声が響いているが、ユキが最近TVを見ながら笑った事は、ほとんどない。
 いつも、ただじっと、何かをひたすら隠してるかの様に、彼女は無感動にTVを眺めているのだ。
 そんなユキの背中は、とても悲しいものに見えてくる。
 今では夜中に首を絞めに来る様な事は無いが、いつ彼女が裕一を殺しても、おかしくない状態にあったのだ。
 裕一はその恐怖を、改めて感じる。
……殺されるのは、いくらなんでもごめんだ。
 彼は素直にそう思う。
 ユキのために、命を賭ける事はいとわない。彼はそうして、3人の不良たちから彼女を守った。
 けれどもユキに殺されるのは、まるで別の話である。
 なぜなら、それでは両方が救われないからだ。
 裕一は死に、ユキは殺人犯となるだろう。
 それは、裕一には決して受け入れがたい事なのだ。
 裕一の首を絞めていたという事実を思い知った時の、ユキの驚愕に満ちた顔が、彼の脳裏にリアルに浮かぶ。
 あの時、彼は何もしてやる事が出来なかった。
 自分の所行に打ち震え、恐怖に押しつぶされそうになっていた最愛の女を、ただ見ている事しか出来なかったのだ。
 だからこそ、彼は何とかしなければと余計に思う。
 しかし、問題は複雑だ。
 彼を殺しに来るのは、ユキの意識外で行われているのだ。
 ならば、再びユキを紐で縛るのか。
 そんな考えが一瞬浮かぶも、
 冗談じゃないっ!!
 そう、次の瞬間心で叫んだ。
 けれども、一体どうするのか。
 裕一は、新たな疑問を抱え込んでしまった。
 これからは、ユキに殺されないように、いや、ユキに自分を殺させないようにしなければならないのだ。
 もう、上巻にはこれ以上得るものはない。
 ならば、作者が創ったニンゲンについての記述のある下巻を入手して、それに基づいて最良の行動をするしかない。
 今までと同じ結論が、彼の思考から示し出された。
 ただし、手段は選ばない。
 選んでいるヒマもない。
 例え、法を犯す様な事になったとしても。
 彼の心臓は、独りでにドクドク脈打っている。
 それは、彼の並々ならぬ決意のせいだ。
……作者に、聞こう………
 この最も簡潔にして、一番確実な方法を、彼は採択した。
 『思考と〜』の一番最後のページには、作者の簡単なプロフィールが載っている。
 彼はそのプロフィールから、作者の山本充蔵という民俗学者が、雪の多い地方の、とある小さな村に住んでいる事を知る。
 その地方とは、豪雪地帯として有名な所だ。
 季節は冬。行くには一番辛い時期だ。
 けれども、夏までなんか、待っていられるわけは無いだろう。彼はそう思い、急いで出かける準備を始める。
 席を立ち、壁に掛けてあるハンガーから、コートを取る。
「裕一……こんな時間にどこ行くの?」
 もう口を聞かないと心に決めていたユキも、彼のそんな急な行動を不審に思う。
「ちょっと、近くのコンビニまで! すぐ帰るから!」
 彼はそんな言葉を残し、そのまま家を飛び出していった。
 バタンとドアが閉まる中、ユキは窓から彼の後姿を見ている。
……何なのかしら?
 そう思うも、TVの声につられて、彼女は視線を元に戻した。

 裕一は家の近くのコンビニに行き、地図を探し始める。
「たしか、この辺にあったハズなんだけど………あった……」
 そしていくつかの地図から、より詳しく載っているものを見つけ、それを手に取る。そして遠出するのに必要だと思われる雑貨も、まとめて買った。
 それらの荷物を小脇に抱え、彼は小走りに自分の部屋に帰って来た。
「ただいま。」
 少し息を弾ませ、ユキに声をかける。冷たく冷え切った彼の肌が、部屋の温もりに、じわっと包みこまれるようだ。
 息を整えながらコートを脱ぎ、そしてハンガーに掛けている裕一の後姿を、ユキはじっと見ている。
 彼がもっていた袋から、近くのコンビニで買い物をしてきた事はすぐに解かった。
 けれども、何をそんなに慌てているのか。
 ユキはそんな疑問を感じ、訳を聞こうかとも思ったが、それは止めにした。
 裕一とは、なるべく口を訊かない。
 彼女がずっと自分に言い聞かせた事を、ただ実行しただけだ。
 ユキは視線をTVに戻すと、初めから彼に対して何の関心も持たなかったかの様に振舞った。
「ユキさん……」
 そんな彼女の背後で、裕一の呼ぶ声がした。
「なに……」
 ユキは彼の方を向こうともせず、意識してつまらなそうな返事を返す。
「明日、ここまで行ってくるから、その間留守番を頼みたいんだ。」
 裕一は買ってきた地図を、ようやく彼の方に向き直った彼女に差し出した。
「………へぇっ!? ……なんでこんなとこ行くの?」
 慌てて地図をひったくり、それを覗き込む様にするユキ。
「……ユキさんがこの間言ってたでしょ? どうして箸の使い方を知ってるのかって……」
「うん………。」
 地図を持ったまま、彼女は裕一の方を向く。
「僕がユキさんを創る時に見た本の作者が、そこに住んでるらしいんだ。だからそこに行って、ユキさんの事を聞いて来ようって思ってるんだけど……。」
 彼のそんな言葉に、ユキは疑問を感じた。
「……なんで、その作者って人が、私の事を知ってるの?」
「あ、ユキさん本人の事っていうんじゃなくて……その作者も、ユキさんみたいなニンゲンを、何人か創ったらしいんだ。
 で、その事を書いてる本があって、それを探しに行ったんだけど……」
「だからあの時、国会図書館なんて行ったの?」
「うん。でも、国会図書館には無いんだって。……それに、どうやらあっても見せてくれないみたいだし………。」
 裕一の含んだものの言い方に、彼女はあきれたと言わんがばかりの返事を返す。
「どうしてよ? 図書館が本見せてくれなきゃ、なんの意味があるのよ……」
「わかんない。……”禁書”だとか言ってたんだ、古本屋のおじさんが。」
「禁書ぉ? 何よその時代錯誤な言葉は………。」
「えっ……時代錯誤って……?」
 ユキの愚痴にも似た言葉に、今度は裕一が質問を投げかけた。
「だってそうでしょ? 検閲があった頃の言葉よそれって。今そんな本があるわけ無いじゃない。」
「古本屋のおじさんは、それに似たのがあるって言ってたよ。国会図書館じゃ、『貸し出し禁止図書』の略語だって言ってたけど……。」
「胡散臭いわねぇ、その略語ってヤツ。……裏じゃ何やってるかわかんないからね、この国は。」
「そうなの?……僕、そういうの良くわかんないから………」
「裕一ぃ……勉強しなさいよ。それでもあんた、受験生?」
 くすくす笑いながら、ユキはそんな嫌味を言う。裕一も負けずに、ちょっとすねた顔で言い返す。
「受験生とこれとは、関係無いと思うけど……ぁ……」
 そこまで言って、彼はある事に気がついた。
 目の前で、ユキが笑っているのだ。
「ユキさん……久しぶりに笑った……」
 彼は無意識に、そうつぶやいた。
「!!」
 それまでニヤついていたユキの表情が、急に硬いものとなる。
……また、裕一と喋っちゃったじゃないっ!!
「あの、ユキさん……?」
 そんな彼女の変化を見逃さず、裕一は心配そうに声をかける。
「……なんでも無いよ。」
 ユキはTVの方を向き、またもやつまらなそうな返事をする。
「……だから、明日から行って来るから……で、帰りはいつになるか分からないんだ。あの、ご飯やおかずは冷蔵庫に入ってるから。大丈夫だよね?」
「……大丈夫よ。」
「うん………」
 そんな冷たい返事をされ、裕一は若干戸惑っている。だが彼はその場から離れ、外出のための準備を始めた。
 そんな彼の動揺が、彼女にひしひし感じられる。TVを見る振りをしながら、ユキは後悔を感じずにはいられなかった。
 彼と無駄口を聞いた事ではなく、彼を傷つけてしまった事にだ。
 『あの、ユキさん?』
 彼がそう言った時の表情が、目に焼付いて離れない。
 昔の彼女なら、そんな事は気にも止めなかっただろう。
 けれども今、ユキの理性は弾けそうになっていた。
 彼女の内面が、彼女が気がつかない内に、少しずつ変化していたのだ。
 何度彼女自身が裕一を否定しても、それは失敗に終わる。
 彼を嫌っているはずなのに、決して自分を納得させる事が出来なかった。
 ただひたすらに、そう決めつけていただけのだ。
 闇雲に、自分に押しつけていただけなのだ。
 根拠を見いだせない押しつけは、もうすでにその力を失っていた。
 だから彼女は、自分に言い聞かせようとした。
……私は、裕一とは口を利きたくない。
 彼女の理性が、まるでバカのひとつ覚えのように、同じ言葉を繰り返すだけ。
……私は、私をおもちゃにしようとした裕一が、嫌いだ。
 いくらそう言っても、彼に対する憎悪は沸きあがらない。
……あいつは、私をレイプしようとした。
 裕一の指の感触を、体が覚えている。思い出すだけで、躰が疼いてくる。
……私は、あいつのウジウジしているのを見ていると、とてもイライラしてくる。
 そう考える自分も、ウジウジしている事に気が付くだけだ。
……もう、騙せないの? 認めなきゃイケナイの?
 そんな彼女の、理性の最後の問いに、
……そうよ。
 彼女の心が、そう答えた。
……認めれば、私が私でいられなくなるのよ!?
 そう言って、彼女は自分を偽りつづけている。
……あいつは、裕一は、最低なヤツなのよ!?
 そう言って、彼女は認めようとしない。
……もう、止めにしたら?
 彼女の心が、そうつぶやく。
……何を! 何を止めるのよ!
 理性が、少しずつ壊れてゆく。
……ユキは、裕一が好きなのよ。
 彼女の心が、そうささやく。
……そんなのイヤっ! 認めたく無い!!
 彼女のタガが、その存在を否定されてゆく。
……抱かれたいんでしょう? 彼に。
 彼女の心が、そう惑わす。
……あいつの体が欲しいの!! それだけなのよ!
 理性の壁に、ひびが入ってゆく。
……愛されたいんでしょう? 裕一に。

……愛して……欲しいよ………。

 ユキの目から、涙が一筋落ちていった。
 彼女の心が今、理性を打ち負かしたのだ。
「裕一……」
 涙声で、彼女は呼ぶ。
 ユキは理性をかなぐり捨て、裕一に心を開いたのだった。
「え? 何?」
 裕一は作業の手を止め、彼女の後ろにやって来た。
「行かないでよ……」
「えっ……どうして?」
 いきなりのユキの言葉に、彼は驚きを隠せない。
「私の事なんて、もうどうでもいい……だから、一緒に居て………。」
 すっと彼の手を握り、ユキはそう呟いた。
 今までずっと騙していた自分を開放し、ようやく彼女は、本音を言えたのだ。
「ユキさん………」
 裕一その場にしゃがみ、彼女の顔をじっと見る。
「裕一……一緒に居て。おねがい……」
 涙で濡れたユキのひとみが、彼の顔を映し出す。彼の手を握る力が、きゅっと強くなる。
「ユキさん、僕はユキさんの為に、どうしても行かなきゃいけないんだ……だから……」
 けれども裕一は、済まなそうにそう告げる。
「でも、私は今のままでいいよ! もう裕一にイヤな事言わないから、どこにも行かないで!」
 涙をぼろぼろ流しながら、ユキはそう叫ぶ。今まで自分を偽りつづけていた反動が、彼女を強く揺さぶっているのだ。
「ごめんユキさん………。僕は、どうしても行かなきゃいけないと思ってる。……それは、僕の為でもあるんだ。」
 ユキがなぜ行くなと言うのか、裕一にはまったく理解が出来ない。しかしそれは、裕一にとって嬉しい言葉であるのも、間違いはない。
 だが、もしここで下巻を入手するのをやめてしまったら、さっきの決心はおろか、きっととんでもない事になるだろう。裕一はそう思う。
 ユキがいつ、再び裕一を殺しにくるのか分からない今、決して彼女の哀願を受け入れるわけにはいかなかった。
「どうしてよ! 私はいいって言ってるのにっ!!」
 声を荒げるユキを前にしても、裕一はじっと彼女の目を見たままだ。
「どうしてもだめなんだ。今のままじゃ、ユキさんの為にならないと思うから……」
「私は今のままでいいんだってば! それに裕一、こんな季節にそんな所行くのは危なすぎるよ! 雪が何メートルも積もってるのよ!?」
 ユキは地図を、裕一に突き付ける。
「そんな事、分かってるよ。」
「分かってるんなら行かないでよ! まともな道だって無いんでしょう!? お願いだからここに居てよ!」
「ごめんユキさん。それだけは聞けないよ……」
「ううぅっ!! もう好きにすればいいっ!! あんたなんか、絶対に嫌いよおっ!!」
 ユキはそう叫ぶと、裕一を突き飛ばしてトイレに駆け込んだ。
 そしてその中から、大泣きする彼女の声がずっと響いていた。
「ごめんユキさん。」
 裕一はそうつぶやくと、再び荷物の準備を始める。
……絶対に、下巻を手に入れてやる。そして、ユキさんを救うんだ。
 ユキの嗚咽が聞こえる中、彼は黙々と作業を続けた。

PHASE_08 [裕一 4]

The Next Day.,
 December 22 6:01 a.m

「じゃあ、ユキさん、行って来るから。……留守番、よろしくね。」
 ちょっと大きめの鞄を抱え、裕一は玄関に立つ。
 昨日の夜からずっと部屋の篭ったままのユキは、何の返事もしない。
「ユキさん……」
[バァンッ!!]
 彼が再び声をかけた瞬間、まくらがふすまにぶつかる音がした。
「……じゃあ、行って来るから。」
[バタン……]
 すこしさびしそうな、けどそれでいて彼の強い思いを感じさせる声の後、静かにドアが閉まる。
「バカあっ!!」
 布団に包まり、ユキはいきなり泣き出す。
 床を何度も叩き、涙で布団が濡れるのもいとわず、彼女はひたすら泣き散らした。
 もはや、彼女は偽りを捨てていた。
 どうしても、裕一が好きでしかたない。体だけでなく、心も彼を欲している。
 それは、紛れも無い事実だった。
 今までずっと、その事は考えるのを避けていたのだ。
 彼女の理性がようやくそれを認めた矢先、彼はいなくなってしまった。
……こんな事なら、もっと前に認めれば良かった!
……裕一に、優しくしてあげるんだった!
……裕一に、抱かれたかったっ!!
 彼女の後悔の念が、より激しく泣かせていた。
……別に、二度と会えないわけでもないのに。……あんたはそんなに、男に甘えた女だったの?
 冷静な彼女が、自分をそう評する。
……そうよ、私は男に甘えたいのよっ!! ずっと抱かれていたいのよ! ぎゅっと抱きしめて欲しいのよぉっっ!!
 涙を払う事もなく、枕に顔を擦りつける。
……けど、裕一はあんたの事抱いてくれるの? さんざん彼を困らせて、もしかして、すごく嫌われているのかも。
 せせら笑うかのように、冷静な彼女は続けた。
……それはっ! ……裕一は、私の言う事聞いてくれるもん! だってあいつは、私とセックスしたいのよ! だって、私はそのために作られたのよっ!?
 セックス……その言葉によって、彼女の躰が反応する。股間がしっとりと、水気を含む。
……今更勝手ね。『私をオモチャにしたくせに』なんて、さんざん彼をなじったくせに……
 裕一は、あんたの事を抱けないよ。彼は怖がっている。あんたに欲情する事を。……いい加減、そんな事くらい気づいたら?

 ズキズキと、彼女の心に突き刺さる言葉。自分の今までの行動を思い出し、彼女の後悔の念はより大きくなる。
……あんたは、男に抱いて貰える資格なんてない女よ。自分でオナニーでもしてればいいのよ。あんたには、ソレが一番似合ってるわ。
……分かってるわよ! そんなことっ!!
[くちゅっ!]
 濡れぼそった股間に、指が絡まる。
「あううっ!」
 いきなり強く擦った為に、身体の中心から激痛が突き上がってくる。
 それでも彼女は指を止めなかった。
「あっ! あっ! ああっ!!」
 激しく指を動かし、痛みと快感を自分に与える。
 ハジャマをはだけさせ、そこからこぼれる胸を揉む。
 ピンと立った乳首をさすり、それをクイっと摘み上げる。
「ああっ!!」
[ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅっ!]
 秘所から分泌される愛液をこね回し、ユキは必死に自分を貪る。
「裕一……裕一……!」
 男の名前をうわ言のように発し、想像の中で彼を舐める。
 自分の口に、彼の男性自身が無いのがとても悲しい。
 そんな状況を作り出した自分への罰か、ユキは激しく自分をまさぐる。
 股間の割れ目に手を沿わせ、クリトリスと共にひだを擦りあげてゆく。
 ひりひりとした痛みが、指の動きと共に感じられた。
 ふと手を見れば、うっすらだが血がにじんでいる。
……バカだ、私……本当にバカよ……!!
 指をぐっと、傷に押し当てる。
「ぅああっ!!」
[ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅっ!!]
 歯を食いしばり、激痛を無理矢理作り出し、そして自分を高めてゆく。
「ふあああああっ!!」
[ぐしゅっ! ぐしゅっ! ぐちゅっ!!]
 痛みと快感が、怒涛のごとく押し寄せてくる。
「あああああっ!!」
 彼女の口から、泣き声の混じった喘ぎがこぼれる。
[ぐちゅっ! ぐちゅっ! ぐちゅっ!!]
 ピンク色の染みが、シーツにぽつんぽつんと出来ている。
「うぁあっ!!」
 ビクンっ!!
 短い叫びと共に、ユキの体が一度、強く痙攣する。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
 手の動きを止め、乱れた息を整える中、彼女はじっと手を見る。
 愛液と血で、びしょびしょになった指。
 それを口に入れ、ちゅっちゅと舐めあげる。
 血の味が、苦味と共に口の中に広がる。
 そのとたん強い吐き気を感じ、彼女は台所に駆け込んだ。
「うえっ!」
 ばしゃっ!
 胃の中身が口から吐き出される。
 そのまま彼女はその場にしゃがみこみ、再び涙をぽろぽろ流す。
 はだけた胸、血と愛液で汚れた下着が、引っかかったままの足。
 そこから刺す様な冷たさが、全身に駆け上がる。
「裕一……冷たいよ……」
 ぽろぽろ流れ落ちる涙を、汚れたままの手で払う。
 自分の愛液なんて、気持ち悪くてしかたない。これがもし裕一の精液ならば、どれほど良かった事か。
 彼の精液なら、いくらでも飲み込む事が出来るのに。
 ユキはつくづうそう思う。
 けれども今、彼女の指や顔にこびり付く物は、彼女の忌み嫌う自分の愛液なのだ。
 彼女は立ちあがり、布団からシーツを剥ぎ取ると、そのまま洗濯機へ放りこむ。
 そしてパジャマやパンティーも、そこへ放りこんだ。
 冬の寒さが、全裸になった彼女を包みこむ。
「………。」
 彼女は震える体をさすりながら、風呂場に行く。
 そしてジャワーを頭からかぶる。
 激しく擦りすぎた股間に、シャワーのお湯がしみる。
「あつっ……」
 そっと股間を手で覆い、痛みを和らげようとする。けれどそこは血や愛液で汚れているのだ。
 彼女はしかなく椅子に腰掛け、そっと足を開き、勢いを弱くしたシャワーをかける。
「あうっ!!」
 あまりの痛さに、体がビクビク震える。
……バカだね、私………。
 つくづくそう思いながら、こびりついた血や愛液を、指でさすって落としてゆく。
……こんな事しても、裕一がすぐに帰ってくるわけ無いのに。
 真っ赤に腫れた己が秘部を見ながら、彼女はほんのちょっぴり後悔していた。
……処女でもあるまいし、あそこから血を流してる。変なの。
 自分の初体験を思い出しながら、ひりひり痛む所をなでる。
……!! また、思い出した。……そっか、私、処女じゃないんだ。何回も男に抱かれたんだっけ。
 そんな事実を思い出しながらも、ユキは新たな疑問を感じる。
……それって、誰にだっけ?
 いくら考えても、それを思い出す事は出来なかった。
……裕一に、バージンあげたかった。
 少し悔しく思い、また涙が出てくるのを感じる。
「はぁあ………。」
 大きなため息をつきながら、シャワーの栓を閉じる。
 脱衣所に出て、体をごしごし拭いてゆく。
「さむ………。」
 エアコンはついているが、脱衣所までは暖かくない。
 ユキはまだ体が濡れているにもかかわらず、エアコンのある部屋に出て来た。
 そこで温風にあたりながら、体を丹念に拭き始める。
……裕一は、こんなはしたない事する女は嫌いかな?
 長い髪を風にあて、手ぐしをしながら考える。
……私は、自分が嫌いだ………。
 窓から曇りの空を見、ため息をつく。
 その灰色の空が、彼女の気分をより、暗いものにしていくようだ。
 外では北風が吹き、もう小鳥の声も聞こえない。
「ゆういち………。」
 そうつぶやきながら、ユキはこの空を、裕一も見ているのだろうかと考えていた。

December 22 11:21 a.m.

 雪深い道を、裕一は独り歩いてゆく。
 彼が想像していたよりも雪は深く、そして寒かった。
 真っ白な息を吐きながら、彼は後悔を感じずにはいられなかった。
 それはここへ来た事でなく、北国の冬を軽く考えていた事にだ。
「はぁ……はぁ……」
 その白く煙る息とともに、彼の体から、エネルギーが抜けてゆくようだ。
 すでに足取りは重く、彼の顔には疲労が色濃く浮き出ていた。
 彼の住む町から、電車で3時間の場所に、ここはある。
 けれども、最寄り駅から『思考と〜』の作者の故郷である村までは、歩く以外方法がないと知ったのは、電車を降りた後であったのだ。
 駅から歩いて、30分だという。
 だがしかし、今は冬。道は雪に埋もれて、もはや見えなくなっている。
 その村に住む人間が、それなりの装備を用いての30分を、裕一が真似できるわけはない。
 彼はすでに、2時間近く歩き続けていた。
 一面の銀世界を、わずかに見える村人の残した足跡を頼りにして。
「はぁ……はぁ………!」
 ずっと歩き続けていた裕一の足が、ふと止まる。
 彼の目の前に、村の家々の姿がようやく見えてきたのだ。
 その場で息を整え、彼はゆっくり村を見渡す。
 山の上にある村とはいえ、家々は整然と並び、雪こそ大量にあるが、道は綺麗に整った場所だと思われる。
 家々のガレージには、雪道でも平気に走りそうなRV車が多く見られる。
 彼の抱いていた”雪国の寂れた村”というイメージとは違い、ある意味普通の住宅地だった。
 裕一は真っ白な景色に、動くものを見つける。
 それは畑で作業をしていた、50代くらいの女性であった。
 彼は早速、彼女の方へ駆け寄っていった。
「あ、あの、すいません、ちょっと聞きたい事が………」
 裕一が声をかけると、女性は顔を上げる。
「あ? はいはい、ちょっと待ってくださいね。」
 彼女はそう返事をし、作業を止めて畑から出てきた。
「あ、あの、どうもすいません……」
 申し訳なさそうに、裕一は頭を下げる。そんな彼の格好を見て、
「あんた、こんな格好でよくまぁ……!」
 女性は驚きの声を上げる。
「? あの……?」
 彼女のリアクションに疑問を感じ、彼は女性の顔を見た。
「あんた、どこから来たんかい?」
 そんな彼女の問いに、
「あ、あの東京からですけど……」
 彼はそう反射的に答えた。
「まあまあ遠い所から……あんた、ここに来たのは初めてだろ? そんな薄っぺらい格好してちゃ、すぐにからだ壊しちゃうよ。」
「はぁ………。」
 そう返事しながら、彼は改めて自分の格好を見る。
 確かにオーバーを着てはいるが、その中はあまり厚着ではない。ズボンも厚手のジーンズで、靴はふつうのランニングシューズだ。
 それに比べて女性は、長靴やマフラー、ほっかむりなどを纏い、さらに防寒着をきっちり着こなしている。
「それにしても、こんな時期にいったいどうしたんだい? ここは雪ばっかりで、あんた達若者が好きそうなものなんてありゃしないよ。」
 不意な女性の問いかけに、裕一はあわてて彼女の方を向く。
「あ、あの、人を捜しに来たんですけど……」
「はぁ、人をねぇ………。」
 あたふたしながら答える裕一とは対照的に、女性はなにやらにやけた顔である。
「いい女のコでもいるのかい?」
「!? ち、違います! あの、山本充蔵っていう民俗学者の人を……!」
「えっ!?」
 そう驚きの声を上げた女性の顔からは、笑みが消え失せていた。
「あ、あの……?」
 そんな彼女の変化を敏感に感じ、彼は彼女の顔を見る。
「あ……いや、ここにはそんな人はいないよ。あんた、早く東京へお帰り。ここは夜冷えるからね。」
「えっ? あの、でも………?」
「早くお帰りよ。」
 彼が声をかけるも、女性はそそくさと行ってしまう。
 急によそよそしくなった女性を追いかけようとした裕一ではあるが、それは止めにした。
 どうやら、避けられている。
 唐突に変わった女性の表情から、彼は何となくそう感じていたからだ。
 彼女の顔は、特に”山本充蔵”という名を聞いてから変わった。
 つまり、それは彼女は山本という民俗学者を知っている可能性が大きいという事を意味している。
 それに彼女は”そんな人はいない”と言ったのだ。知らないとは、一言も言ってはいない。
 裕一はほぼ直感的に、山本という男がこの土地にとってタブーな存在だと理解した。
 ならば、ここにいる全ての人間が、彼について話したがらないかもしれない。
 それが、もっともらしい考え方だった。
 けれども、彼は今更引き返す事は出来なかった。
 たとえ人から何も聞けなくとも、今彼が居るところは作者縁の地なのだ。
 どんな小さな事でも、それがヒントとなりうる事もある。
 そして彼が考えた事は、山本という表札の家を回ってみるという事であった。
 彼は大通りに出、手身近の家の表札を見た。
 ”山本”と書いてある。
 その隣の家の表札もまた、”山本”と書いてある。
 裕一は村の家々をおおざっぱに確かめるが、それらの3割近くが山本の姓を名乗っていた。
 一軒一軒確かめる事を考えると、彼は気が遠くなる様な感じを覚える。
 村が雪に閉ざされていないのなら、それは可能だったかもしれない。
 けれども彼の足はもう、疲弊しきっていたのだ。
 靴の中に雪が入り込み、すでに皮膚の感覚は無いに等しい。
 裕一はその場にしゃがみ込み、大きなため息を付く。
「……冗談じゃ無いよ………。」
 ふと、目の前に白いものが舞い落ちるのを見る。
 真っ白な空を見上げると、少しずつだが雪が降り始めていた。
「……冗談じゃ無いよ………。」
 さっきと同じセリフを、もう一度言ってみる。
 真っ白な空。真っ白な大地。そして、真っ白な雪。
 すべてが白で彩られた世界を、彼はぼぉっと眺めている。
 周りは真っ白なのに、それでも雪が降るのを見る事が出来る。
 彼はそんな疑問を、冷たさで麻痺した足を摩りながら考えていた。
 さらさらと、雪の積もるかすかな音がする。
 まず彼が住む場所では聞く事の出来ないであろう、自然のメロディーだ。
 裕一は目を瞑り、その音に耳を傾けた。
 ……すごく寒いけど、とても綺麗だ………。
 ユキさんにも、見せてあげたかったな。
 ……そうだ、今度またこよう。その時は、ユキさんと一緒に。
 だから、こんな所で挫けてらんないんだ。
 自分に檄を飛ばし、彼は閉じていた目を開ける。
 頭に積もった雪を払い落とし、そして再び立ち上がった。
 裕一は山本を名乗る家をしらみつぶしに調べようと、近くの家に向かって歩き始めた。

December 22 13:42 p.m.

 もう何件目であろうか、山本を名乗る家に行き、山本充蔵を知らないかと聞いて回ったのは。
 その度に、彼は冷たい態度で追い返された。
 皆”山本充蔵”という名を聞いた瞬間、それまで柔和な笑顔を浮かべていた顔が、一瞬にして変わってしまう。
 そして必ず、『そんなヤツはいない。早く出てゆけ。』と言うのだ。
 村の大きな通りに沿った、山本家のほとんどに当たってみたが、成果は全くと言っていいほど上がらなかった。
 若干の絶望を感じ、いい加減肉体の疲労が限界に達した頃であろうか、裕一は向こうから近づいてくる人影を見た。
 この村に来てからの、二人目の通行人であった。
 彼は無意識に、その人影に向かって走っていった。
「あ、あの! すいません、聞きたい事があるんですが……!」
 疲れ切った体を無理に動かして、彼は何とか通行人に近づく事が出来た。
 そして荒い息のまま、何とか呼び止めようとする。
「はい?」
 通行人からの返事を確認すると、裕一はその人物の顔を見る。
 それは、高校生くらいの女の子であった。物珍しそうな目で、彼を見ている。
「あの、山本充蔵って人を捜してるんですが、ご存じありませんか?」
「やまもと、じゅうぞう?」
 唐突な質問に少々面食らった様な感じで、彼女はその名を口にする。
「そう、山本充蔵……。」
「山本ねぇ………ああっ!! 思い出した!」
 厚手の手袋をしたまま、彼女は手をたたく。ぽこんと間の抜けた音が、あたりに響いた。
「あの、知ってるんですか!?」
「知ってる知ってる! 確か民俗学者だか、なんかの作家の人でしょ?」
 彼女の言う山本が、彼の探している人物であるのは間違いない。
 裕一は一段と身を乗りだし、彼女に問いをぶつける。
「あの、その人はどこに住んでるか知ってますか!? 他の人に聞いても、みんな居ないって言うだけで、何にも教えてくれなくて……!」
「うーん……みんなまだあんな事気にしてるのかしらねぇ……」
 腕組みをしながら、彼女はそんな独り言を漏らす。
「あの、それってどういう意味?」
 反射的に、裕一は聞き返す。
「あ、なにが?」
「いや、だからその、気にしてるって……」
「ああ、気にしてるっていうかなんて言うか……えーとね、今から30年くらい前かなぁ。……その山本充蔵って人がね、なんか良く解んないけど妙な事本に書いたらしくってー、それでこの村がとんでもない事になったんですって。」
 興味が無く忘れかけた記憶をやっとの事で思い出すかのように、彼女は首をひねりながらそう答えた。
「とんでもない事って……?」
「えーと、なんか良く覚えてないけど……なんか忍者だか軍隊みたいなのがいっぱいこの村に押し掛けてきてね、村中の本だとか巻物だかを全部没収していったとか、あっちこっちの家を燃やされたとか言ってたなぁ……。
 でも、何が忍者よねぇ。そんなのふつう居るワケ無いでしょ? 未だにそんな事言ってるのは年寄り連中だけでさ、若い人はみんなそんな事信じてないよ。」
「………」
 彼女の言葉に耳を傾けながら、裕一はその話が事実であると思えてならなかった。
 国会図書館での禁書という分類、本当にニンゲンを創れる方法の記述、そして村人達の反応。
 どれも皆、山本充蔵という学者が書いた”思考と、その具現化について”という本が、一般に出回って良いものではないという証拠となるものであった。
「あの……もう行っていいかな?」
 女の子が、裕一を覗き込むようにして言った。
「あ! もうちょっと待って欲しいんだけど……あの、山本充蔵って人の家、わからない?」
「え? あ、もうその人いないよ。だいぶ前に死んじゃったから。」
 あっけらかんとそう言う彼女の前で、裕一は目の前が真っ暗になった様な感覚に襲われた。
「なんだって……」
「あー、でもその人の奥さんなら、まだいるけど?」
「ホント!?」
 そう言うなり、裕一は彼女の肩を無意識のうちに掴んでいた。
「きゃっ……あ、あの、連れてってあげようか? ちょっと解りづらい所にあるし……」
 いきなりの裕一の行動に、女の子はあたふたしながら答える。
 そんな彼女の動揺を不思議に感じ、裕一はふと我が手を見た。
「あっ! ご、ごめんっ!! つい……」
 自分のしている事に気づき、彼はあわてて手を離した。
「あ、いいってば……じゃ、行く?」
 照れ隠しに手をぱたぱた振りながら、女の子は歩き出す。
「うん。」
 裕一は返事をし、雪道をどんどん進んでゆく女の子の後を、何とか遅れないように付いていった。
 村の大通りを横にそれる。そして道があるのかどうかもわからない所を、彼女は迷いもせずに歩いていった。
 そしてしばらく後、女の子の歩みが止まる。
 彼らの着いたところは、裕一がいくら探しても気が付かないくらい入り組んだ所にある、一軒の古びた民家だった。
「たぶんここだと思うけど……」
 そう女の子が言う隣で、彼は表札を見る。
 だいぶ古びて消えかかっているが、確かにそれは”山本充蔵”と書いてある。
「うん、ここだと思う。」
 裕一はうなずきながら、そう言った。
「よかった……じゃ、私行くね。」
 女の子は役目を果たして安心したのか、自然に笑みをこぼしている。そして裕一に別れを告げ、来た道を戻ろうと後ろを向いた。
「あっ! どうもありがとう!」
 そんな彼女に気づき、彼はあわててお礼を言った。
「うん。じゃあね、バイバイ!」
 女の子は手を振りながら、もと来た道を戻っていった。裕一は彼女が見えなくなるまで手を振り返していた。
 そして彼女が舞い落ちる雪で見えなくなると、彼はその家の玄関の方を向く。
 表札に書かれている”山本充蔵”という字を、彼はもう一度読み返す。
……やっとここまで来たんだ。
 若干の達成感を得ながらも、果たしてここで本が手にはいるのだろうか、そんな不安を、彼は感じずににはいられなかった。
 しかし、ここで何を考えても仕方ないと、裕一は意を決してドアをノックした。
[コンコン]
 しばらく後、一人の老婆が顔を出した。
「はいはい……何でしょう?」
 初めて見る裕一に対し、その老婆は露骨に警戒を示す。
「あ、すいません、突然押し掛けてしまって……」
 裕一は軽く会釈しながら、突然家にやってきた無礼を詫びる。
「はぁ………。で、どんなご用件でしょうか?」
 若干ではあるが、老婆の顔から緊張が抜ける。はじめはドアの隙間から顔をのぞかせていただけだったが、ドアを開けて外に出てきた。
 そんな彼女の態度に安心し、裕一は当初の目的を実行する。
「あの、実は”思考と、その具現化について”っていう本について、お尋ねしたい事があるんですが……」
 そういう彼の目の前で、老婆の表情はぐっと強ばった。
「……またかい!?」
 吐き捨てる様に、老婆はそう返す。
「え!? またって……?」
 たぶん邪険にされるであろうという予想をしていた裕一ではあるが、彼女の言葉は彼の予想もしないものだった。
 彼の問いかけに答えるハズも無く、老婆は一方的に言い放つ。
「もういい加減にしとくれ! あの人はもう死んじまったんだよ!! もうこれ以上、何も言う事は無いんだよっ!!」
[バァンッ!!]
 彼女がすべての言葉を言い終わらんが内に、ドアは裕一の目の前で、勢いよく閉められた。
 そんないきなりの老婆の態度に、動揺を隠せない裕一ではあったが、
「あっ……ちょっと……! おばあさん! 話を聞いてくださいっ!!」
 彼は再びドアを叩き、その向こうにいるであろう老婆に向かって叫んだ。
「さっさと帰ってくれ!! 何も言う事はない!」
 ドア越しに、彼女の声。
「お願いです! 少しだけでもいいからっ! だから話を聞いてください!」
「何も言う事はないって言ってるだろう! いい加減にしとくれよ……! やっと人様が忘れたっていうのに……ぶり返さんでくれ!!」
 彼女の叫び声には、うっすらと涙声が含まれていた。
 それを敏感に感じ取り、若干罪悪感を抱く裕一ではあったが、彼にはここで引く事は出来なかったのだ。
「人様が忘れたって、いったい何なんですか!? よくわかんないけど、僕は何もぶり返すつもりなんてありません! ただ、充蔵さんが書いた本の内容を知りたいだけなんです! 僕は、どうしても本を手に入れなきゃならないんです!」
 老婆には悪いと思いつつ、彼は再び話しかけた。
「何と言われようが、何も話す事はないんだよ! 早く帰っとくれ!!」
「ちょっと待って下さい! 充蔵さんの本の事教えてください! そうしたら、すぐに帰りますから!!
「何も無いって言ってるだろ! だったらいつまでもそこにいるがいいさ! 私はどうなっても知らないからね!」
 それっきり、老婆の声はしなくなった。彼女が奥に歩いて行ったろう、大きな足音だけが、後に聞こえてきただけだった。
「ふぅっ……」
 頭に積もった雪を払いながら、彼は大きなため息を付く。白い煙がすうっと大気の中へ消えていった。
……こうなったら、ずっとここにいてやろう。ここで帰っちゃ、ユキさんを救う事は出来ないんだ。
 彼はそう決めると、老婆の家の前に立っている電柱の下へ行き、そこに持ってきていた鞄を置く。
 そしてその上に腰掛けると、大きなため息をついた。
 いつの間にか雪は大粒に変わっており、その勢いもまた、以前よりも増していた。
 彼が息をする度に、白い煙が大量に出る。
 この土地の環境に厳しさを、端的に表している様だった。そして座り込む彼の体温もまた、少しずつだが下がってゆく。
 いつの間にか、彼はガタガタ震え始めていた。
 時間は2時前であったが、気温はとても低い。どんよりと曇った空の下、雪の積もる音だけが聞こえてきていた。
 懸命に寒さに耐えながら、彼はただじっと座っていた。
 ここで挫けたら、もう2度とユキを救う事は出来ない。
 彼はその事だけを考え、時が経つのをじっと待っていた。

December 22 19:35 p.m.

 暗い部屋。エアコンの音だけが響く部屋。
 ユキは部屋の隅にじっと座り、ただ時が過ぎるのを待っていた。
 彼女にとって、初めて過ごす独りの夜。
 それは悲しく、そして辛いものだった。
 いつもなら、いや、つい昨日なら、この部屋には裕一が居たのだ。
 そしていくら彼女が邪険に振る舞おうとも、彼は優しく語りかけてくれていた。
 そんな彼の優しさが、独りになってようやく分かる。
 ユキはどうしようもなく、悔しかった。
……何を片意地張っていたんだろう。
……何を否定していたんだろう。
……何を求めていたんだろう。
 もっと前に裕一を受け入れ、そして抱かれたかった。
 それが、彼女の今思う唯一の事であった。
 もちろんそう日を待たずに裕一が帰ってくる事は、彼女にも分かっている。
 けれども、今この時、彼が居ない事が彼女にとって、とても辛い事なのだ。
 躰も、心も、そして彼女自身も、彼を欲している。
「ゆういち……」
 暗い部屋に響くそのか細い声が、彼女の心境そのものだった。
「ゆういち……!」
 彼女の手がそっと股間に添えられ、ゆっくりと動き始める。
 全裸に近い彼女はその場に寝転がり、再び自分の躰を犯し始めた。

December 22 20:53 p.m.

 日が落ちてから、すでに4時間以上経過していた。
 あたりは暗くなり、町の街頭がポツリポツリと見て取れる。
 凍りつく様な寒さ。あたりは、その攻撃的なまでの冷気に支配されていた。
 裕一は朦朧とする意識で、じっと前を見ている。
 老婆の家の窓から、うっすらと光が漏れてくるのが見て取れた。
 彼が窓のなかで揺れ動く光を眺めていたら、ふと視界を妨げるものがあった。
 雪だ。
 彼の頭に雪が積もり、それが時々落ちてくるのだ。
 彼にはそんな雪を、払い落とす余力もなかった。ただ、ガタガタ震える体を必死に抱きしめる事が、彼にとって今できる事だったのだ。
 雪は、夜になるといっそう強く降り出した。彼が今まで体験した中で、飛び抜けた一番の大雪だった。
「ぅ………っ!…………っ…………」
 外気に触れていた皮膚は、ほとんど感覚がなくなっている。また、手足の先も同様だった。
 彼の全身を、激痛が走っている。
……もう、やばいかもしれないな。
 彼の限界をとっくに超えた寒さが、酷い頭痛を生み出していた。
 今自分の置かれている立場の認識を、だんだんと出来なくなった裕一の頭がそう考えたのは、体の震えすらも止まってしまった時だった。
 気がつけば、睡魔が彼を抱きしめている。
 何とか目を開けていようとするが、視界もすでに雪で覆われ、目を開けているかどうかも判らない状況になっていた。
……ホントに、駄目かもしれない……
 急速に、回りの寒さが失われてゆく。皮膚の感覚が、完全に無くなってきているのだ。
 偽りの暖かさが、彼を支配する。そしてゆっくりと、まぶたが閉じられてゆく。それを再び持ち上げるだけの気力は、彼には全く残されていなかった。
 自分の死を確信した裕一が最後に考えた事、それはユキに対する心配だった。
……ユキさん、一人で暮らしてゆけるだろうか………。
 朦朧とする意識の中、彼はユキの姿を見たようだ。
「ユキさん………」
 ほとんど声にならない声で、裕一はそうつぶやく。
 そして、その時だった。
「あんたっ! 何やってんだい!! ホントにこんな時間までいるこたぁ無いだろう!!」
 跳ね飛ばす様な勢いでドアが開いたと思えば、山本充蔵の妻が慌てて飛び出してきた。
「ちょっと! しっかりおしいよっ!……ああっ! こんなになるまで居るなんてっ………!!」
 うつろな視線を投げかける裕一を見て、彼女は苛立たしげにそう言うが、
「もうっ! ホントに手の焼ける子だよっ! まったくいきなり押しかけてきて……」
 裕一に降り積もった雪をすべて払い落とし、そして彼の片腕をつかんで体を抱き寄せ、そのまま玄関のほうに歩き出す。
「………」
 裕一はなにも言わずに充蔵の妻にされるがまま、玄関に向かって歩を進める。
「まったく、こんなに冷え切って……あんた、ここじゃあ寒さで人は死ぬんだよ!?」
 玄関をくぐり、彼女は裕一を床に座らせる。
 そして手早く靴やコートを脱がせ、再び彼の体を抱えると、コタツの前に座らせた。
「ぁ………ぅっ………」
 ようやく声を発した裕一に、再びものすごい震えが襲い掛かる。部屋の温かさで、やっと体が感覚を取り戻したのだ。
 体の心から湧き上がる、寒さと冷たさを抑える為に、彼はガタガタ震え始めた。
「ほら、これを被ってなさい。」
 充蔵の妻は奥から毛布をもってきており、それを裕一の頭から覆う様に、すっぽり被せる。
 彼は毛布の一部をきゅっと握り、ひたすらに暖かさを貪った。
「いくら勝手にいろって言ったからって……あんたそこまでしてあの人の事、一体何が知りたいんだい………。」
 台所に行っていた充蔵の妻の手には、作ったばかりのカップスープが握られていた。彼女は裕一の隣に越しかけ、彼の手にカップを持たせる。
「あっ………あのっ……あ……!」
 強い震えでうまく喋れず、彼は泣きそうな顔になる。
「さぁさぁ、スープをお飲み。今晩は泊めてあげるから、話は後でじっくり聞くよ。」
 ため息をつきながら、彼女は立つ。そして再び奥の方へ行き、そこから何冊かの本を探し出す。
 その間裕一はスープを啜り、呼吸を少しずつだか整える。
「私はね、あの人がなにやってたんだか良くわかんないんだよ……。今まで、そう言ってきたさ。どうせ、言っても誰も信じやしないからね。」
 彼女はコタツの上に数冊の本を置き、そして座る。
「あの人は、ずっと研究してたんだよ。……人を生き返らせる事をね。……あんたは信じるかい?」
 自虐的な笑みを浮かべる彼女に、裕一は真剣な顔でうなずいた。
「そうかい、それは嬉しいね………。」
 妻はお茶をすすった。
「あの人はねぇ、世界中の民話だとか、伝説なんかを調べてね、そして人間を生き返らせる方法を見つけたんだよ。」
「あの……自分の思い通りの人間じゃないんですか………?」
 ようやく震えも納まり、裕一は話せる事が出来る様になったのだ。
「……! そうだよ、良く知ってるじゃないか。……生き返らせるって言うより、自分の望んだ人間を創っちまったんだよ、あの人は。」
 彼女は裕一の方に向きを変え、その顔をずいっと近づけた。
「あ、だから『思考と、その具現かについて』っていう本を読んだんで………」
 どぎまぎしながら、彼は慌ててそう言った。
「へぇっ! 全部燃やされちまったと思ってたら、まだ残っていたのかい!?」
 そう言う彼女は、少しだけ嬉しそうだ。
「はぁ……家の近くの古本屋に置いてあって……」
「ふーん……あの本は禁書になったって聞いとったんだけどねぇ………。」
 首をかしげながら、彼女はそう呟いた。
「あ、国会図書館でそう言われたんだけど……禁書ってどんな意味なんですか?」
 彼の質問を受け、妻の顔は少しだけ厳しくなった。
「……そのまんまさ。存在を消されちまった本の事だよ。あの人みたいに人を生き返らせちまう様な事が書いてあったり、普通の人間が知っちゃあいけない事が書かれてる本は、国会図書館の連中が全部書き集めて、燃やしちまうのさ。」
「じゃあ、古本屋さんに置かれてたって事は……?」
「私にそんな事聞かれても判らないさ。けど、本屋はそんなモンを売っちゃあいけないって法律だかなんだかがあるんだよ。だからその店の人は、とんでもないミスをやっちまったって事さ。」
 彼女は再び、お茶をすする。
「じゃあ、この前その古本屋さんが閉まっちゃったんだけど、それと関係が……」
「多分、どっかに連れてかれちまったんじゃ無いのかい? 結構重い罪のはずだよ?」
「そうなんだ……僕のせいかなぁ………」
 いきなりしょげ返る裕一を見て、妻は笑いながら言葉を続ける。
「大丈夫だって。どうせ図書館の連中は警察みたいな事は出来やしないさ。ただどっかの施設に2、3日閉じ込めるくらいだよ。それに、買った方には何も出来ないんだよ。」
「そうなんですか………でも、おばさんどうしてそんなに詳しいんですか?」
 コタツの上にカップを置き、毛布を頭からどかせながら、裕一はそう問うた。
「そりゃ、あの人から聞いたんだよ。それに、裁判やろうとした。私も勉強したさ。」
「裁判?」
 久しぶりに聞くその単語を、彼はそのまま返す。
「ああ………。図書館の連中は、この家の本やらなにやら、全部燃やしていっちまったんだ。その時他の家に飛び火して、あっちこっちで大火事さ。
 奴らはそのまま逃げちまったけど、終わってみれば全部私のせいだよ。ついでにあの人も連れてかれちまった。だから裁判を起こして、図書館の連中がやった事を認めさせようとしたのさ。」
 彼女の話に肯きながら、裕一は続きを促す。
「それで、どうなったんですか?」
「ああ、結局裁判は出来なかったよ。……図書館の連中があの人を返して、金をめいっぱい置いていったからね。奴らにとっちゃ、”禁書”とかいう言葉自体を他の人に聞かれたくないらしいのさ。裁判すれば、新聞とかに載るだろ? それに奴らは警察じゃないんだ。裁判を起こせば必ず負ける。だから、金で私の口を封じたのさ。」
「はぁ……お金ですか……。」
 彼にはどういった返事を返せばいいか判らず、ただオウム返しに頷いた。
「そう。結構な額だったよ。私はそんなモン要らないって言ったんだけどね、ほとんど無理やりさ。わたしゃあそんな金気持ち悪くて使えないから、ほとんど火事で家が燃えちまった処に配ったよ。……だから、私はまだここで暮らせるのさ。」
「そうなんですか………。」
 どことなく寂しそうな彼女の顔を見ながら、彼はここに来た時妻に言われた言葉の意味を、やっと理解する事が出来たのだ。
「あの……それで、それから充蔵さんはどうなったんですか?」
「ああ………」
 彼女は慌ててある一点を指差し、
「ほら、仏壇はあそこだよ。本を焼かかれちまった時はさすがにしょげ返ってたけど、しばらくしたら元気になったさ。……10年位前かな? 肺を患って逝っちまったよ。……まぁ、安らかなもんだったよ。」
「はぁ……なんとなく安心しました。」
「そうかい?……でだよ。あの人が残していったもんだけどね………」
 彼女はそう言いながら、先ほどコタツの上に置いた本を再び持ち上げ、それを裕一に差し出した。
「これを、あんたにあげるよ。」
 渡された本を見、裕一の顔が喜びで溢れる。
「あっ!! これです、今までずっと探してたんです!」
 震える彼の手に握られたものは、思考と〜の上下巻や、その他の彼の著書だった。
「せっかくあの人が書いたんだ。わたしゃあ、命がけで守ったんだよ。今残ってるのは、多分それだけだろうさ。」
「ありがとうございます!!」
 30年という年月や国会図書館の検閲から逃れたそれらの本は、だいぶ色褪せ、古ぼけていた。けれどもその本が、ユキを救える唯一のものなのだ。
 彼はやっとその本を手に入れる事が出来、涙を浮かべて礼を言う。
「そこまで喜んでくれるなら、あの人も嬉しがるだろうさ。」
 満足そうな顔をし、彼女はまたお茶をすする。
「……ところで、あんたは何でその本を探していたんだい?」
 今度は妻の質問だった。
「あっ………。この本を見ながら、中に書いてある事を実際にやってみたんです。」
 そう言いながら、彼は”思考と〜”の上巻を差し出した。
「つまり、ニンゲンを創ったって事かい?」
「そうです。……本の通りにやったら、ユキさんって女のコが出てきたんです。」
「そうかい………。それで、いったいどうするつもりなんだい? これから………。」
 以前ユキに突きつけられたその質問が、再び彼女の口から出た。
「それを考えるために、僕は下巻を探したんです。ユキさんの正体を知るために。」
「正体?」
 妻は新しくお茶を注ぎながら、そう聞き返した。
「ユキさんは僕が創ったはずなのに、いろんな事を知ってるんです。その記憶がどこから来たのか……それが判れば、何か良い方法があるんじゃないかって………。」
「それであんな思いをしてまで、この本を貰いに来たのかい………。ユキさんってコの事、大事に想ってるんだね。」
「はい。……それに、それが僕の責任だと思うし。」
 テレもせずに、裕一ははっきり返事をした。その姿を見、彼女は目を細める。
「ユキさんってコは、幸せモンだねぇ………。あんた、なかなかしっかりしてるじゃやないか。」
「えっ? あっ……あの………!」
 今さらになって顔を赤くし、裕一は照れている。そんな彼の姿を、彼女は微笑ましそうに見ていた。
「……さて、それじゃあそろそろ寝るとするかね。あんたはあの人が使ってた部屋でいいかね?」
「あ、はい! あの、何か手伝う事は……?」
「いいよいいよ、そこでじっくりと暖まりなさい。」
 彼女はそう言いながら席を立ち、奥の部屋に布団を敷きに行った。

December 22 21:42 p.m.

 ユキはずっと、暗闇の中にいた。
 パジャマも着ず、下着すら纏う事なく、シーツで体をくるんで床に座っていた。
 彼女の尻から、やんわりとした冷たさが伝わってきている。
 そしてその床は、彼女の愛液で所々濡れている。
 刹那的な自慰を幾度と無く繰り返し、彼女はただ朦朧と、真っ暗な部屋を見つめていたのだ。
 ただただ、エアコンの動作音のみがする部屋。
 ユキは無意識のうちに、その音に耳を傾けていた。
 送風ファンと空気が擦れ合う音、リレーの動作音、そして室外機のコンプレッサーの音………
 彼女の息づかいと同じように、何度も何度も正確に繰り返されている。
……私、何やってるんだろう。
 もう何十回も、そう自問自答をしていた。
 エアコンが何らかの音を発するたびに、からくり人形がごとく繰り返される、一つの思考。
 裕一の不在によって完全に凍えた彼女の心は、自分にそう問いかける事によって、今自分の行っている行動を、無理矢理にでも正当化しようとしていたのだ。
 つまり、私は混乱している。
 だから、こんな格好をしているのだ。
 だから、オナニーばかりしているのだ。
 だから、こうして泣いているんだ。
[カチン!]
 再び、リレーの音。
 それと同時に、今まで動いていたファンも止まった。
「え………?」
 ユキは反射的に、エアコンの方を向いた。
 電源が、一人で勝手に落ちていた。彼女が操作を間違って、タイマー動作をさせていたのだ。
 エアコンからの暖かい風が無くなったとたん、部屋は急速に冷えていった。
 その急激な温度変化を肌で感じながら、彼女はある事に気がついたのだ。
……いつも、私を暖めてくれてたんだ………!
 いつも近くにいて、絶えず暖かさを感じさせてくれた存在。
 ……裕一。
 ユキは、彼が惜しげもなくくれた心の温かさを、今になってようやく思い出す。
「ゆういち………」
 彼女に胸に、熱い何かが沸き上がる。
 そして一滴の涙。
 ぽたりと、流れたそれが、愛液のこぼれた床に落ちる。
 たとえ彼が鬱陶しくつきまとうとも、ユキは彼の心遣いを感じていた。
 ただ、今までそれを認めなかっただけなのだ。
……私って、いったい何をしていたんだろう……
 裕一は、いつも私を心配してくれた。
 いつも気遣ってくれいていた。
 いつも私を暖めてくれていた………
 それなのに、私はいつもいつも辛く当たってた……
 何でそんな事も分からなかったのよ!
 ……あの日、裕一はずっと手を握ってくれていたじゃない。
 私が裕一の首をしめたってのに、それでも手を握ってくれていたじゃない……
 最低なのは、私の方よ!!
 だからこそ、
……今度は、私が裕一を暖めてあげよう。……体も、心も。
……私の全身で、裕一を暖めてあげよう!
 今までさんざん、彼に辛く当たってきた事への謝罪を込めて、ユキはそう心に決める。
「よしっ!」
 そう己に活を入れ、彼女は立ち上がると部屋の電気をつける。
 まずは今日一日で散らかった、部屋の片づけから始めるのだ。
 彼女は再びエアコンの電源を入れ、シーツを丸めて洗濯機に入れる。
 そして再びシャワーを浴びに、風呂場へ行った。

The Next Day.
 December 23 7:12 a.m.

「あの、昨日はほんと、ありがとうございました。貰った本、大切にしますから!」
 前日の雪で、だいぶ埋もれた玄関の前。
 しっかりと身支度を整えた裕一が、山本充蔵の妻に別れを告げていた。
「はいはい、何のもてなしも出来なかったけど、昨日は楽しかったよ。」
 玄関まで見送りに出た彼女は、笑みを浮かべてそう言った。
「あ、僕もいろいろお話を聞けて、本当に助かりました。」
 ぺこぺこ下げている彼の頭に、妻の手が優しく載せられる。
「あんたはいい子だよ。……ほら、早くユキさんの所に帰っておやり。きっとあんたを待ってるさ。」
「はい……じゃあ、あの、お元気で!」
 彼はもう一度頭を下げ、玄関前に出来た上り坂を上ってゆく。その坂とは、昨日降った雪が玄関よりも高くまで積もって出来たものだ。
 妻は、彼が見えなくなるまで手を振っていた。
「こう手を振るのは、何年ぶりかね………」
 遥か昔、毎日のように夫を送り出していた時の事を思い出し、彼女は懐かしそうにそう呟いていた。
 昨日来た道を、裕一は駅に向かって歩いてゆく。
 周りにも、ちらりほらりと駅に向かう人が見えた。
 そんな風景を、彼は歩きながらしみじみと見ている。
 昨日山本家を探し、絶望を感じながら歩いた道が、今日は不思議と綺麗に見える。
 昨日凍えそうになった大雪の跡が、きらきらと輝く様に感じられる。
 今日は、朝から快晴だった。
 空には一点の曇りもない。冬の柔らかな空色が、どこまでもずっと続いている。
 風が無いので、暖かさすら感じる。優しい日の光が、積もった雪を真っ白に輝かす。
 そして、彼の心は喜びに満ち溢れていた。
 求めていた本を、命を懸けて手に入れたのだ。
 その達成感が、彼に活力を与えていた。
 彼の前を歩く女学生らは、雪道を歩くために長靴を履いている。それに対して彼は、いつものランニングシューズだ。
 だから、彼の方が圧倒的に歩きづらい。それに雪が靴の中に入ってきて、足の感覚を失わせようとする。
 けれども、裕一は女学生を追い抜いた。
 一歩一歩と歩く度、靴が雪に深くめり込む。そこから足を持ち上げるのに、より強い力が必要となる。
 一人の女学生が彼の靴を見て、思わす仲間に指で指し示した。
 そんな彼女らの声は、もうすでに彼には聞こえない。遥か前方を歩いていたのだ。
 彼の口から、大量の白い息が吐き出される。
 いくら暖かな日の光に包れようとも、気温は氷点下なのだ。
 けれども彼が羽織ったコートの中は、うっすらと汗が出るほど暖かかった。
 充蔵の妻に貰った大量のカイロ以上に、彼自身の熱気が生み出されている。
 コートの袖で額の汗を払いながら、彼はひたすら歩き続けた。
 その顔に、疲れた様子はまったくない。彼の瞳は、希望の光が満ちている。
 そしてようやく、彼の行く先に駅舎が見え始めていた。

December 23 9:32 a.m.

 ユキは、晴れ渡った空をじっと見ていた。
「今日は、いくら何でも雨は降らないよね………?」
 両手に大量の洗濯物を抱え、彼女はベランダに出ていた。
 昨日、涙や自慰で汚したシーツやパジャマ、下着などを洗濯し終わったのだ。
 近くには、床を拭いた雑巾も数枚、転がってる。
 今日、ユキは朝起きてから、ずっと部屋の掃除や洗濯をしていた。
 裕一が帰ってきた時に、少しでも喜ばせようと思ったからだ。
 まずは洗濯機に大量に投げ込まれた物、ほとんどはユキが作り出したものだが、それらの洗濯から始めた。
 彼の家の洗濯機は全自動な為、所定の場所に洗剤を入れ、ボタンを一回押しておいた。
 次に床の掃除だ。
 テレビが置いている部屋のフローリングに、昨日彼女が垂らした愛液のシミが、所々に出来ていた。
 それを濡らした雑巾で、彼女は丹念に拭いてゆく。
 一部は床にこびつき、なかなか汚れを落とす事は出来なかったが、洗剤などを使って何とか落とし、フローリングをピカピカに仕上げた。
 そしてその後、掃除機で床全体のゴミを吸い取った。
 それらの作業を終え、ちょうど脱水の済んでいた洗濯物を担いで、彼女は今ベランダにいるのだ。
 久しぶりの、快晴だった。
 青い空の下、ずっと遠くまで見える町並みを、冷たい空気を胸一杯に吸いながら、彼女はずっと見渡した。
 うっすらと霞む遠い町並み上空に、わずかな雲が見える。
「はぁ……気持ちがいいなぁ………。」
 ほんのり笑みを浮かべながら、ユキは大きなシーツを物干し竿に引っかけた。そしてそれを洗濯ばさみで固定し、ほかの洗濯物もまた同じように干してゆく。
「裕一に、精一杯恩着せちゃおうか……?」
 クスリと笑い、そんな事を呟く。
……私が行かないでって言ったのに、一人でさっさと行っちゃったんだから。あいつが帰ってきたら、いっぱい文句言ってやるんだ。
 竿に掛けた洗濯物のしわを伸ばしつつ、ユキは裕一がどう反応するか楽しみで仕方なかった。
 すべての洗濯物を干し終えて、部屋の中に入ろうとした時、彼女はもう一度空を見渡した。
……裕一も、この空の下にいるんだ………。
 優しくほほえむ彼の顔を思い浮かべながら、ユキは部屋に戻っていった。

December 23 10:41 a.m.

 コトン……コトン……コトン……
 静かで規則的な音が、ずっと車内に響いている。
 在来線とは違う新幹線の音が、それにはほとんど乗った事のない裕一にとって、とても新鮮なものに感じられた。
 乗客の数は少なく、話し声も聞こえない。時折流れるアナウンスの音だけが、車内の静寂を失わせるだけだ。
 窓から見える色は、圧倒的に白が多い。
 彼の自宅では見る事は出来ない圧倒的な雪の量で、景色全体が白に彩られていた。
 けれども裕一はそんな風景を見るわけでなく、また電車の音に耳を澄ますわけでなく、充蔵の妻に貰った本をただじっと読んでいた。
 彼の創り出したニンゲン、ユキの正体が、その本には書かれてあるからだ。
 冷酷な事実を述べるその内容は、以下の通りであった………。

PHASE_09 [ユキ 3]

〜思考と、その具現化について 下巻より (妙)〜

 私は上巻に述べた方法を用いて、幾人かのニンゲンを創り出す事に成功した。
 ここでは、そのうち3人のニンゲンについて述べよう。
 一人目のミサエについて詳しく述べ、残りの2人、ヒサシ、ユウコについてはミサエとの相違点を中心に述べようと思う。

1 ミサエ 女
身長150センチ 容姿から考えられる年齢は20代後半
性格は大人しく、従順。ただし、極端に触れられるのを嫌がる。

 私が術を完成させてから、初めて創り出したニンゲンである。
 このニンゲンを創るにあたり、私が使用した材料は以下の通りである。
 汝の『体』となる物……鶏のささみ
 汝の『血』となる物……鶏の血
 男の精……鱈の白子
 女の卵……鶏の卵(無精卵)
 すべての生命を生み出せし赤き『土』……自宅の庭より採取した、赤土
 その命はぐくむ『暖かな光』……60W電球
 これらを木製の木箱に入れ、その上から60W電球にて光を与えた。
 この時点で観測された特筆すべき点は、
 1.腐敗臭がしない
 2.電球の熱が感じられない(触っても熱を感じない)
 の2点であった。
 この2点は、ミサエ以外の全ての例で同様な結果となった。
 対照実験として、呪文を唱えず同じ様に土に各種材料を入れたが、これにおいては実験開始3日目にして腐敗臭を感じ、また、電球も熱を感じた。
 この事より、呪文には何らかの効力がある事を確信した。
 そして7日後、木箱上空に煙が発生し、それが人型となる。
 この時、天候は嵐であった。これは、他の全ての例でも同じである。そして一際大きな雷が落ちたと思えた瞬間、その人型の煙がニンゲンとなって現れたのだ。
 その時の雷については、私以外知る者はいなかった。
 確かに天気は悪かったなどという言葉は聞かれるのだが、雷は覚えていないと言う。この現象については、現時点では結論を得ない。術者(この場合は私)のみに聞こえる(見える)雷であるようだ。
 この時に現れたニンゲンは、裸であった。これは他の例でも同じである。
 姿形は、呪文にあるとおり術者が望んだ容姿になるようだ。
 ミサエは、恥ずかしながら私の初恋の女性と瓜二つの顔をしていた。
 そしてうつろな瞳のまま、「私の名前は?」と聞いてきた。
 この時私の口から出た”ミサエ”という言葉に、しかし私自身、何の思い入れも持っていないのだ。
 この時無意識に告げるニンゲンの名前については、後に語るとしよう。
 次に私の名前を尋ねられ、私がそれに答えると、ミサエは急に倒れてしまった。
 私があわてて抱き起こそうとすると、のどを押さえて苦しそうにしているのだ。
 その首を見ると、青黒い痣が浮かび上がっていた。
 しばらくすると苦しそうな息も静かになり、彼女は寝息を立てるようになった。
 私はそのままミサエを布団に寝かせた。そして彼女を観察するため、彼女の寝ている布団の隣に座っていた。
 そのままミサエを観察し続けて、夜中の2時くらいになった頃だろうか。
 彼女は急に起き出すと、やおら私に向かって飛びかかってきた。
 そして私の首を絞めるのだ。
 女の手にしては、尋常ならざる強さであった事を覚えている。
 彼女の目はうつろで、私など見ていないようだ。
 ただ、必死に私の首を絞めているのだ。
 仕方なく、私は手短にあった棒で彼女を殴った。
 そのとたん彼女の手から力が消え、また元のように寝息を立てていた。
 翌朝彼女が目をさまし、上記の事について問いただすが、彼女は知らないという。
 この時ミサエは言葉を話した。それも普通の人間の様にである。
 それに言葉だけでなく、生活のほとんどにおいて、通常の日本人と同様な態度が認められた。
 その後数日間生活を共にしたが、彼女の個性は私の知る初恋の女性とは違っていた。
 いや、全く別人であると言って差し支えないだろう。
 他の2人の例でも、全く同様な結果となった。
 容姿は私が望んだものになるようだが、性格においては全く反映されないのだ。
 その理由こそ、私の完成させた術の根幹をなしていると言えよう。
 この事については後に詳しく述べるとして、ミサエについての記述を続けようと思う。
 彼女は夜になると、決まって私を殺そうとした。
 首を絞めに来たのは前述の通りであるが、ほかにも棍棒で殴りかかろうとしたり、刃物を持ち出した事もあった。
 けれども翌朝問いただしてみると、決まって知らないという。
 ポリグラフ(うそ発見器)を用いて検査したが、彼女のうそを立証できるデータは得られなかった。
 この事に関しては、記憶がない、または自ら封鎖しているのだと考えられる。
 そのように命を狙われる日々が続いてから15日経った日、ついに私の精神力が限界に来てしまったのだ。
 それまでは何とか彼女を押さえつけていたのだが、その日は包丁で斬りかかられ、仕方なく備えてあった木刀で彼女の頭を殴打した。
 思わずふるった木刀が砕け、自らの力に驚いた瞬間、彼女の額から大量の血が噴き出した。
 そのまま私の布団に倒れ込んだ彼女は、あっという間に腐り始めたのだ。
 わずか2,3秒で、彼女はどす黒い粘液に変わってしまった。
 ひどい腐敗臭が鼻を刺激し、私は思わず嘔吐してしまった。
 その粘液は、後の調べで分かった事だが、彼女を創るにあたって用いた材料が腐敗したものと同じであったのだ。
 ミサエの観察日記は、ここで終わざるを得なかった。

2.ヒサシ 男
身長 165センチ 年齢は10代後半
性格は粗暴。全てにおいて投げやり。

 ミサエの後創り出されたニンゲンは、全て女であった。
 そのための対照実験として、私が幼い頃亡くした弟を想い、呪文を唱えた。

 このニンゲンを創るにあたり、私が使用した材料は以下の通りである。
 汝の『体』となる物……牛すじ
 汝の『血』となる物……自分の血
 男の精……鱈の白子
 女の卵……鶏の卵(無精卵)
 すべての生命を生み出せし赤き『土』……自宅の庭より採取した、赤土
 その命はぐくむ『暖かな光』……ガストーチ
 これらを木製の木箱に入れ、その上からガストーチにて光を与えた。
 それから彼が出来るまで、ミサエと同じ様な経過であった。
 ただし、私が彼の名前を無意識に告げた後、彼は腹部を押さえて転げ回ったのだ。
 その時彼の腹部から出血を確認したが、その傷は翌日には消えており、また血も消え去っていた。
 翌日その事を問いただしても、彼は覚えていなかった。
 彼の性格はとにかく乱暴で、手に負えなかった。
 それに力が他の女性よりも強く、幾度と無く命の危険を感じさせられた。
 容姿は私の弟が大きくなったならこうなるだろうと予想したものと同じであったが、その性格には絶望を感じずにはいられなかったのだ。
 あくまで人を信じず、そして自分の命すら軽いものに考えていたようだ。
 しかし、彼は拳銃に関し、ものすごい恐怖を持っていたように思えてならなかった。
 一度テレビジョンの放送で拳銃が出てきたところを見ていたのだが、その時彼は、必死の形相で逃げ出したのだ。
 相手がテレビジョン受像器だと分かっていながらも、どうしても逃げ出さずにはいられなかったらしい。
 そのわけを本人に問いただしても、全く分からない様だった。とにかく怖いのだと言っていた。
 ちなみに彼は、人に触れられる事については全く嫌がらなかった。
 彼が創り出されてから7日目、私の実験や観察に嫌気がさしたのだろう、彼は私の研究室を飛び出してしまった。
 その途中車にはねられたらしく、道で倒れているところを発見する。
 そしてはねた運転手と私が見る前で、彼はどす黒い粘液に変わってしまった。
 私はその粘液を採取し、彼との別れを迎えたのだった。

3.ユウコ 女
身長 150センチ 年齢は20代前半
性格はわがまま。気性が激しい。

 私が一連の実験をする間、もっとも長く生きていた彼女について述べよう。
 彼女は1年と3ヶ月間、私と生活を共にした。

 このニンゲンを創るにあたり、私が使用した材料は以下の通りである。
 汝の『体』となる物……豚こま
 汝の『血』となる物……自分の血
 男の精……鱈の白子
 女の卵……鶏の卵(無精卵)
 すべての生命を生み出せし赤き『土』……自宅の庭より採取した、赤土
 その命はぐくむ『暖かな光』……60W電球
 これらを木製の木箱に入れ、その上から60W電球にて光を与えた。
 それから彼女が出来るまで、ミサエと同じ様な経過であった。
 私が彼女に名前を告げた時、彼女はいきなり吐血した。
 その血の色から、消化器系統からの出血であるようだった。
 はじめのどを掻きむしるようにして苦しんでいたのだが、そのうち安らかな寝息を立てるようになった。
 彼女もまた私を殺そうとしたのだが、その事について彼女は他のニンゲン達と違っていたのだ。
 彼女を創り出して3日目の事。まさに彼女が私を殺そうとした時、私は何とか彼女を押さえつけたのだ。その時、彼女は後頭部を激しく打ってしまった。
 そのとたん、今まで虚ろだった彼女の瞳が光を取り戻し、頭の痛さで泣き始めた。
 彼女は頭にコブをつくってしまったが、それ以外傷はなかった。
 その治療中に、私は今まで彼女が私を手に掛けようとした経緯を話し、聞かせた。
 彼女もそれを認めたのだ。いや、認めざるを得なかったのだろう。
 その時、彼女の手には、包丁が握られていたのだから。
 その日から、彼女が私を殺そうとしなくなった。
 その事は、ユウコ以外にも2例確認されている。
 どうやら、彼らに自分が術者を殺そうとしている事を分からせると、二度と襲ってこなくなる様なのだ。
 全部で3例に、術者の命を狙っている事を認識させる事が出来たが、全てにおいて後で襲ってくる事はなくなった。
 ただし、彼女の性格には何の変化も認められなかった。
 彼女はよく私を困らせ、そしてそんな困った私を見て笑っていた。
 けれども、必ず後で謝ってきたものだった。
 そんな時の彼女の表情はとても暗いものだったのを、今でも克明に覚えている。
 また、私は彼女と肉体的な関係を持った事もある。
 私が彼女に対し、愛おしさを覚えていたのも、紛れもない事実だった。
 ただし彼女が私に対し、どの様な想いを抱いていたかは今でも分からないが………。
 そして彼女を創り出してから1年と3ヶ月目。
 彼女は病気(風邪をこじらせ肺炎に)になり、看病の甲斐もなく死んでしまった。
 その時は腐敗臭を発する事もなく、まるで大気中に溶けるように姿が消えたのだ。
 後には、彼女の寝間着のみが残されていた。
 ユウコに関する観察日記は、ここで終わった。

 これら3つの例に加え、今まで創り出した12人のニンゲン達の観察記録から、このニンゲンを創る方法の結論、そしてニンゲン達の正体を述べようと思う。

イ 無意識のうちにニンゲンに告げる、彼らの名前について

 まずは、結論から述べよう。
 彼らの名前は、術者が呪文を唱え終わった瞬間に死んだ者たちの名前である。
 私は呪文を唱えた時間を記録していたのだが、後に図書館にてその時間に起きた事件などを調べた結果、その様な結論に達した。
 ここでは故人の名誉に関わるので具体的な記述はさけるが、ミサエは彼女の夫によって絞殺されたもの、ヒサシは暴力団の抗争で拳銃によって撃たれたもの、ユウコは失恋の末、青酸化合物にて服毒自殺を図ったものである。
 そのほかの12人についても、そのほとんどで同名の人間の死を確認できたのだ。
 特に全員で共通する事項は、どれも不本意な死に方をしたと考えられる点である。
 未だ心霊学的な事は解明されていないが、その方面の言葉を借りるとするなら、この世に未練を残した魂が宿ったと考えられるのだ。
 呪文中にある『迷える汝よ。助けを乞う魂よ。我ここに、汝を闇より救う。』という記述が、彼らの魂の事を指しているのだろう。
 そもそもこの呪文は、私が日本各地の民間伝承を元にして組み合わせたものであり、この呪文の意味は私がニンゲンを創り出し、初めて分かった様なものだった。
 一連の実験を繰り替えし分かった事は、このニンゲンを創る方法とは、反魂の術にあたるという事だった。
 反魂の術とは、死者を生き返らせる術の事であり、そもそもこの法は生け贄を用いる事が多い。
 後で詳しく述べるが、生け贄こそ彼らが術者を殺そうとした意味なのだろう。

ロ 彼らの体が出来た後に見せる、体の異変について

 あるものは喉を押さえ、またあるものは吐血した。
 この行動は彼らの生前、つまり死ぬ瞬間を模倣していると考えられるのだ。
 新聞の記事などから得られた、彼らの生前とおぼしき人物の死因を考察した場合、その行動が彼らと酷似していたのだ。
 例えばミサエの場合、生前の死因は絞殺であり、彼女の首には黒痣が現れた。
 例えばヒサシの場合、生前の死因は拳銃で腹部を撃たれたのであり、彼は腹を押さえ血を流した。
 そしてユウコの場合、生前の死因は服毒自殺であり、のどを掻きむしり吐血したのだ。
 その他11の例でも、同様の結果を得た。
 この死因の再現は、体が形作られてからだいたい12時間くらいの間に起こる事が確認されている。
 またこの事と関連して、彼らは死因の原因となったものを、極端に恐れるという事実も数例で確認できたのだ。
 ミサエは首を絞められた事と関連して、特に首に触られるのを嫌がったし、またヒサシは拳銃に対し極度に恐怖を覚えていた、
 また刃物で刺されたと思われる者は、包丁を見ただけでも失神してしまったのだ。
 ただし、死因の直接の原因となった物に対してでなく、間接的な物にも恐怖を示す事があった。
 あるニンゲンは火事で焼死したと考えられるのだが、火そのものにではなく灯の点ったストーブに対し恐怖を訴えたのだ。
 つまり、死ぬ瞬間にストーブによって燃やされたのだという記憶があるのだろう。
 ただし、何物にも恐怖を示さない、またはそれを発見できなかった者もいる事を、ここに付け加えておく。

ハ ニンゲンが術者を殺そうとする事について

 イにて若干述べた事だが、彼らはとにかく術者を殺そうとする。
 ただし、その事を本人に分からせると、その行動は決して見せなくなるのだ。
 呪文中、『汝が名、汝が形、汝が齢 我が命をもって定める。』の部分でこの現象に関する記述が見受けられる。
 つまり術者の命をもってして、彼ら悩める魂を再びこの世に迎えるという事なのだろう。
 また様々な民間伝承において、世界における魂の総数は不変であり、死者を生き返らせる為には、生者がその分命を失わねばならないといった記述が見られる。
 この事からも、彼らに命を与えるには、術者を殺すのが手っ取り早い方法であると認識しなければならない。
 ただ、彼らにその事実を認識させた場合において、彼らが術者を殺さなくなる意味が納得できなくなる。
 この点について、本書執筆時点では明確な答えを得ていない。
 ただし、彼らは人間に限りなく近いのであり、その人としての良心が彼らニンゲンの本能(そう呼べる物かどうか、今は分からないが)を押さえ込むのだろうという仮説を実証すべく、現在私は研究を続けている。
 次の書物にて、この解を発表できればいいのだが。

ニ 彼らの行動様式について

 彼らは、そのほとんどが生前と同じ行動様式に則って生活していたと思える。
 この点に関しては資料がほとんどないため推察の域を出ないが、例えばヒサシは暴力団員、ユウコはクラブのホステス嬢であったらしい。
 彼らの言葉遣いや態度は、まさにその職業的なものに合致していたと思われたし、私は不自然さを感じなかった。
 また生前の職業に関し、特殊な知識を有していたものも、幾例か確認できた。
 あるものは私の壊れたテレビジョンの修理を行えたし、またあるものは生地から紳士服を造ってくれた。
 また彼らの性格もまた、生前のそれを受け継いでいたと考えられる。
 所で彼らの記憶についてであるが、全員が自分の出生に関わる様な事は覚えていなかった。
 もちろん名前、年齢、職業、家族の名前、住んでいた所の事である。
 これらの症状は、ちょうど記憶損失に似た状態であると思われる。
 日常的な会話や一般的な物の名前、または自分の専門分野などは比較的よく覚えているのだ。
 また、彼らは私の名前や性格など、なぜかよく知っているようだった。
 彼ら全員から、『知っているのだ』と言われた。
 これは、術者が呪文を唱える時に思い浮かべる”念”が、彼らの記憶に影響を与えているのかもしれない。
 彼らは術者の望む容姿をしているのだから、術者についての基本的な知識を持ち合わせていても、不思議ではないと考える。
 この点についても未だ推論の域を出ないが、結論は次回へ持ち越そうと思う。

ホ 彼らの死ぬ時の状態について

 私が本書執筆時までに創り出したニンゲンは全部で15人だが、これらの観察から2通りの死に方があるのが確認できた。
 1つはどす黒い腐敗臭を発する粘液状のもの、後に彼らを用いるのに使った材料だ腐敗したものと同じである事が分かったが、それに変化するもので、もう一つは大気中の溶けるように、全て無くなってしまうしまうものである。
 前者は11例、後者は4例確認できた。
 現時点で言える事は、創り出されてから比較的長めに生きていたものが後者の場合になる頻度が高いという事である。
 ただ観察できたニンゲンの数は少なく、これらの結果からは答えを導けそうにない。
 単に、統計的にそうなったとしか言いようがないのも、事実である。

へ その他

 ここでは、大分類にはないが確認できた事を、箇条書きにてまとめる。

December 23 12:15 p.m.

『……次の停車駅は東京、東京、終点です。本日は新幹線ご利用いただき、誠にありがとうございました……』
 減速を開始してからだいぶ時間が経った新幹線に、車内放送が静かに流れる。
 町並みはすでに雪など見えなくなっていて、裕一にとって馴染みの深いビル街が所狭しと並んでいる。
 ふと隣を見ると、いつも使っている電車が見え、心なしか安心する。
 減速がよりきつくなり、スピードは在来線のそれよりも遅くなっていった。
 そして彼の乗った新幹線は東京駅のホームに入り、その仕事に一区切りを付けたのだ。
 元々少なかった乗客があわただしく降りる準備をしている中、彼は読んでいた本をパタンと閉じる。
 そして少ない荷物をさっさと纏め、新幹線のドアが開くと同時にホームに降り立った。
 冷たい空気が、彼の肺にどっと入ってくる。
 もちろん彼が2時間前までいた場所の方がより冷たい空気だったが、彼には東京の空気がより冷たく感じられたのだ。
 それは冷酷な事実を本に告げられ、彼の心は沈みきっていたからだ。
……ユキさん、死んでたんだ………。
 彼の自宅へと向かう在来線のホームに行くため、駅の天上から下がる雑多の看板を見つめる。
……いったい、なんて言えばいいんだよ………。
 目的のホームを見定め、そこに一直線に歩いてゆく。
……これから、どう暮らしていけばいいんだろう………。
 ホーム中頃に立ち、電車が来るのをひたすらに待つ。
 そして乗り込んだ電車の中で、彼はとにかく悩んだ。
 ずっとずっと悩んでいた。
 もはやユキはこの世の人で無いという事実を突きつけられ、彼は彼女に今まで通り接する事が出来ないのではないかと、そしてそれは、彼女にとってこの上ない仕打になるのだと、そう分かっていながらも、考えざるを得なかった。
 電車はどんどん、彼の自宅へ近づいてゆく。
 それにつれて、彼の心臓の鼓動もより大きくなってゆく。
 ついに最寄り駅に到着し、彼は改札を出る。
 徒歩で5分、ユキのいるアパートはすぐ近くだ。
 彼が昨日部屋を出ていく時、ユキは泣いていた。たぶん今も腹を立て、決して口を利いてくれないだろう。
 いつもそんな風であったのだが、その事さえも彼の足の動きを鈍らせる。
 深く積もった雪道を歩くよりも遅く、彼は乾いたアスファルトの上を歩いてゆく。
 そして彼のアパートが見え始めた時、どこからともなく歌声が聞こえて来たのだった。

……霧掛かる 森を貴方と 共にゆっくり歩いてゆく
   そんな夢を 見た寝起きの けだるげな心のざわめき
   いつも同じ教室に いつも同じ廊下に
   貴方はいるのに 声を掛けられない
   「おはよう」そんな言葉でいいのに………

「ユキさん………」
 思わず彼女の名を呟いた、裕一の視線の合わさる所。
 ユキは窓辺に座り、歌を口ずさんでいた。
 その横顔が、とても綺麗なものに見える。

……ありきたりの言葉でいいのに……
   ほんの少しの 勇気のかけらを
   たった一度の 貴方への言葉で
   きっと変われる そんな気がする
   たった一度の 言葉で………

 裕一は彼女に気づかれないように、そっとアパートの後ろに回った。
 このまま顔を合わせるのに躊躇いを感じた彼は、せめて彼女が部屋の中に入るまで待とうと思ったのだ。
 そして足を止め、改めてユキの歌声に耳を澄ませる。

……通学路 道を貴方の 後ろ姿ずっと見ながら
   歩いてゆく いつも毎日 私だけの秘密の習慣
   きっと声を掛ければ 聞こえるでしょう貴方に
   けれど声を出せない 声を掛けられない
   好きを伝えたい 心が空回り………

 ユキに、いったい何を言おうか。そう悩み抜く彼の心に、なぜか彼女の歌声が直接飛び込んでくる。
 『……ただ伝えるだけでいいのに……』
 確かに、彼はこの歌を知っていた。
 けれども、何度も聞いた事ある歌なのに、彼の心が揺れ動くのだ。
 心が、彼自身が、歌に引き込まれてゆく。
 『……ほんの少しの 勇気のかけらで……』
 じっと目を瞑り、歌詞を心の中で反芻する。
 『……何も飾らない 気持ちを伝える………』
 何度も何度も、ユキの歌声が頭を駆け回る。
 しかしそれで彼の頭が混乱する事もなく、むしろ晴れ渡るものを感じずにはいられなかった。
 ずっと迷っていた彼は、やっとその解を見いだせた。
 答えは、簡単な事だったのだ。
 伝えればいいのだ。気持ちを。
 別に、特別な言葉はいらないのだ。
 ありきたりの言葉でもいい。
 裕一は、ユキが好きなのだから。
 その言葉を、彼女に伝えればいい。

……きっと変われる そんな気がする
   きっと変われる そんな気がする………

 彼は歩き出す。ユキの座る、その窓に向かって。

December 23 12:58 p.m.

「……きっと変われる そんな気がする〜……」
 ユキはずっと、晴れ渡る空を見ながら歌を歌っていた。
 何の歌だか覚えていないが、なぜか口がすらすら歌ってくれたのだ。
……ふーん、いい歌だね。
 彼女が自分で歌った歌に感心している時に、
「ユキさん。」
 唐突に、聞き慣れた、そして一番恋しかった声が聞こえた。
「えっ!?」
 あわてて、声のする方を向く。
「ユキさん、ただいま。」
 真っ青な空の下、裕一の笑顔が眩しかった。
 言葉も、何も発せられなかった。
 その愛しい顔を見つけた彼女の体は、すでに反射的に動いていた。
 気づいた時には窓から飛び降り、靴下が泥で汚れるのもいとわず、裕一のその胸に、精一杯顔を擦り付けていた。
「ゆういちっ!! ゆういちゆういちゆういちっ………!!」
 狂ったように、その名前を何度も繰り返す。
 彼の体にしがみつき、その温かさをじっと感じる。
 背中に回した手で、彼の体を幾度となく摩る。
 『裕一に、精一杯恩着せちゃおうか……?』
 わずか3時間前に言っていた彼女のこの提案は、ついに実行される事はなかった。
 涙でボロボロになりながら、ユキはひたすら泣きじゃくっている。
 裕一は何も言わず、彼女をぎゅっと抱きしめる。
……ユキさん、ただいま。
 その言葉を腕に込め、彼はより強い力でユキを抱いた。

December 23 14:20 p.m.

「それじゃあ、ちょっと出かけてくるから。」
「うん。行ってらっしゃい。」
 ユキが笑顔で見送る中、裕一は再び家を出た。
 自宅に帰り、ユキに抱きつかれ、そして精一杯泣かれた。
 彼女がここまで弱々しいとは思えないほど、ずっと彼から離れようとしなかったのだ。
 彼はそんな彼女を慰めはせず、ずっと抱きしめていた。
 部屋に入ってからも、彼女が泣きやむまで、その弱々しい躰を守るようにじっと抱きしめていたのだ。
 彼女の躰からは、石鹸の良い香りがしていた。
 そして、なんといえない甘い香りもしていた。
 胸の中でふるふる震え、ずっと泣き続ける少女。
 その暖かさがいとおしく、たとえ命に代えてでも守らなければならないものだと、彼は強く認識する。
 このまま、じっとこうしていたい。
 ユキの全てを知りたい。
 緩慢としていながらも、彼のオトコの気持ちが沸々と沸いてくるのを感じるが、裕一はそのまま流されるほど弱くはなかった。
 ユキの、全てを知る。
 さっきの気持ちとは、全く別の思考。
 ユキの”魂”が誰のものなのか、それを調べなければならないのだ。
 彼は近くの図書館に行こうと考える。そこにあるだろう新聞の縮小版で、彼女に関する記事を探せるはずだ。
 しかし、ユキは彼にしがみついたまま、放してくれそうにない。
……どうしよう?
 彼女の背中を撫でながら、裕一がそう考えたその時、
「ありがとう、裕一………」
 涙で目を真っ赤に腫れさせたユキが、精一杯の笑顔でそう言った。
「あ、あの、何にもしてないよ……」
「ぎゅって抱きしめてくれた……嬉しかった………」
「……うん、これから何度でも抱きしめてあげるよ。」
 そう言った彼に対して、しかしユキは首を横に振る。
「ううん……」
 未だ目に溜まった涙を振り払い、彼女は勢いよく立つ。
「でも、もういいよ! 楽しみは後にとっとかなきゃ。……洗濯物入れて来なきゃいけないし。」
[チュッ!]
 いきなりのキス。
 彼の頬に、柔らかな唇が添えられた。
 呆然と彼女を見あげる裕一。
 ユキはうーんと背伸びをし、ベランダに向かって歩いていった。
 部屋の真ん中に残された裕一は、彼女のそんな笑顔を見つめる。
 出会って以来初めてみる、彼女の純粋な笑顔。
 綺麗だ。
 彼女に対する、彼の本心の感想。
……ユキさんを、救うんだ。
 何度となく誓ったその言葉を、今一度繰り返す。
 彼も立ち上がり、もって帰った荷物をこたつの上に置く。
 鞄の中から財布を取り出そうと、中に入った本や地図をこたつの上に出し、一番下にあった財布を見つける。
 そして中に図書館のカードが入っているのを確認しながら、
「ユキさん、出かけようと思うんだ。」
 ベランダでシーツを取り込む彼女に、彼はそう告げた。
「ええっ!!」
 取り込み途中のシーツもそのままに、彼女はあわてて部屋に戻る。
「今度はどこ!?」
 そんな彼女の慌てぶりに気圧されながらも、
「あ、あの! 駅前の図書館までだよ! うん、すぐ帰るってば!」
 あたふたしながらそう答えた。
「そうなんだ。もう、遠くに行っちゃヤダよ?」
 上目遣いでそう訴えられ、裕一は再び気圧されそうになる。
「大丈夫、もうどこにも行かないから!」
 そんな様子を見て、ユキはいきなり吹き出した。
「アハハ……ごめんごめん、どっこも行かないなんていくら何でもムリだわ。あんた予備校生なんだから、学校は行かなきゃダメだよ?」
「分かってるってば!」
 彼が家を出る前の、十数分の出来事だった。

December 23 15:03 p.m.

 静かな空調の動作音と若干のざわめきが、図書館を満たしていた。
 普段は小説を借りに来る事しかなかったが、今日はその方角には一度も足を向けていない。
 来慣れた図書館が、何だか馴染みの無い場所に思えた。
 彼は新聞の縮小版を調べるため、図書館の一角に設置された端末の前に行く。
 縮小版とは言ってもそれは名前だけで、実際は新聞各社に備え付けられたホストコンピュータから、記事をデータ化したものをインターネットで閲覧するシステムの事だった。
 彼は図書館独自のグローバル検索システムで、ユキに関するデータをとにかく集めようとしていたのだ。
 充蔵の妻から貰った本により、以下の情報が使用できる事が分かっている。

 それらの項目を、端末の取扱説明書を読みながら、彼は震える手で入力してゆく。
 そして検索開始のアイコンを、マウスでクリックする。
 画面が切り替わり、図書館が契約している新聞各社のコンピューターに次々とアクセスを行う。
 しかし、画面には”該当項目なし”という文字が何度も表示されてゆく。
 1社につきほんの1秒くらいの処理待ちなのだが、彼にとってその時間さえも苦痛に感じた。
 ちなみに検索数は、全部で80近くある。
 ほぼ全ての新聞社と契約を行っているため、そう簡単に終了しないのだ。
 北海道、東北地方の新聞社は、全て該当項目なしを返してきた。
 今は関東地方の新聞社と通信を行っている。
 その表示が嫌味に思えてくるほど該当なしが続いていたが、
[ピ!]
 ビープ音と共に、地方紙の会社からデータが送られてきた。

Result:teikoku-news[1EFF::25:3F2D:1:2::6] 該当あり
>帝國新聞 記事検索サーバ for ZTDH
 http://www.teikoku-news.co.jp/news/search/
 該当件数 1件
 見出し:RV車にはねられ女子高生死亡
 記事プレビュー:23日午後9時25分ごろ、繁華街で秋坂結希さん(17)
         =都立高校2年=が、会社員小田進さん(32)の運転する
 該当新聞:帝國新聞東京版 11月24日発行 22ページ下段
 ZTDHコード:2001121815012

「あった!」
 思わず声を出し、少々恥ずかしい思いをしながら、彼は検索を中止した。
 そして該当ありという返事を返してきた新聞社のコンピューターに、改めて接続し直した。
 そこに、先ほど送られてきたコードを入力する。

 ■ 帝國新聞株式会社 データベースシステム SNS-System V1.02 ■
   Searching News and information Supervisor
                      (c) Teikoku-News Network Co,Ltd. 
 ただいまの時間、以下のシステムをご利用になれます。
 記事検索サーバ
 記事データベースサーバ1
 記事データベースサーバ2
 記事データベースサーバ3
 全国図書館データベース普及委員会専用記事検索サーバ

 ★今週のトピック
 ☆年末ジャンボ宝くじ、今年の賞金はなんと10億円!(前後賞合わせて)
 ☆日本電子、1024ギガビットSRAM開発
 ☆方政大学、工学部校舎全焼 原因は放火か
 ○このページは全国図書館データベース普及委員会との協賛で運営されています○

 ZTDHコードを入力して下さい。>2001121815012
 または調べたい記事のデータを、以下のフォームに入力して下さい。
 日時>
 キーワード>
 >検索開始<

 コードを入力し、彼は改めて検索開始のボタンをクリックした。
 数秒後、端末の画面に、彼の求めいていた真実の一つが表示されたのだった。

資料コード:20011124003212201125
ファイルパス:/database2/np/2001/11/24/003212201125.html
●帝國新聞東京版 11月24日号 22ページ 地方ページ
■RV車にはねられ女子高生死亡
 23日午後9時25分ごろ、繁華街で秋坂結希さん(17)=都立高校2年=が、会社員小田進さん(32)
の運転するRV車にはねられ、腹部に激しい裂傷を負い死亡した。
 警視庁の調べによると、結希さんは知人と口論中に車道に飛び出し、そこへ走ってきたRV車に接触、同車の
バンパーに腹部を激しく打ち付け転倒した。
 現在警察は彼女と口論していた人物を捜しているが、未だ見つかっていない。

 その記事を印刷する彼の手が、ぶるぶる震えていた。
 予想していた事実とはいえ、辛い内容だった。
 なぜなら、それは想い人の死亡宣告書だからだ。
 プリンターから、印刷された記事が排出された。
 活字になった記事の下に、新聞掲載時の様式で改めて印刷されたそれを見ながら、彼は一度ため息をつく。
 それはベタ記事といわれる、本当に小さな記事だったのだ。地方新聞の地方版にしか載らない、本当に小さな記事。
 確かに交通事故は多く、それが新聞記事になる事は少ない。
 こうして記事という形で残っていたのは、ある意味奇跡といえよう。
 けど、彼は納得出来ないものを感じた。
 ユキは……結希は、まだ17歳だった。
 あれほど強い調子で彼をなじっておきながらも、実は1歳年下だったのだ。
……そんな年下の、大切な彼女の記事が、こんなに小さいなんて。
 彼はそれが自己中心的であり、単なる感情論である事も十分理解していた。
 けれども、彼女の生きた証がこんな小さな記事だという事が、悲しくてどうしようもなかったのだ。
 つい先ほど抱きしめた結希の暖かさは、いったい何なのだろう。
 彼女の流した涙は、いったい何なのだろう。
 彼女の見せた笑顔は、いったい何なのだろう………

 すでに薄闇が支配した街を歩きながら、彼は何度も何度もそう考える。
 新聞記事を入手し、彼は結希の本名を知った。
 住んでいたところも、彼の自宅から1時間も掛からない距離である事も分かった。
 そして彼女が死んだ場所も、以前何回か行った事のある場所だと分かった。
 得た情報は大きかった。だがしかし、それでは結希を救えない。
 それだけの情報では、結局何も分からないのと同じである。
 時折吹く強い北風が、彼のコートをなびかせ体温を奪おうとする。
 コートの裾をたぐり寄せ、彼は早足で自宅へ向かう。
 結希の笑顔を、早く見たい。
 この何とも言えないやるせなさは、彼女の顔を見れば消えるだろう。
 結局、秋坂結希は死んだのかもしれないが、彼がユキさんと呼んでいる彼女は、今も自宅で彼の帰りを待っている。
……そうだ、ユキさんは生きてるんだ。
 家を出る前いきなりされたキスを思い出し、彼はそう言い聞かせる。
 家に帰れば、結希の微笑みが見られるのだ。
 そう思う彼の体は、体温を取り戻してゆく。
「早く帰ろう………」
 黄昏の街を、彼は家に向かって走り出していた。

December 23 15:46 p.m.

「ただいま、ユキさん!」
 玄関を開け、彼はそう声をかける。
 けれど返事はなく、部屋の照明も点けられてはいない。
「ユキさん、いないの………?」
 靴を脱ぎ、そして部屋に上がる。
 窓からは低くなった西日が射し、部屋を紫色に染め上げている。
 全てが、紫と黒に支配されていた。
 ふと気づけば、彼の足下には畳かけの洗濯物が置かれてある。
 靴も玄関にあった。
 トイレも更衣室も、照明の明かりは見えない。
「ユキさん………?」
 もう一度呼んだ彼の、視線が止まった。
 結希はその場に立っていたのだ。
 呆然と、窓からの光を背負い、その手に『思考と、その具現化について』を持ちながら………
 そして大きく見開いたその目を彼に向け、涙をぼろぼろ流し、引きつった笑みを浮かべていた。
 しまった!!
 これが、その状況に於ける唯一の思考だった。
 彼の手から、先ほど印刷した記事が落ちる。
 彼は図書館に行く前、充蔵の妻から貰った本を、こたつの上に出しっぱなしにしていたのだ。
 読まれるべきでは、ない本だったというのに………。
「ゆういち………」
 震える声が、歯をガチガチ鳴らして打ち震える、彼女の口から漏れてきた。
 びくっとしながら、彼は結希を見る。
「ユキさん………」
 何を言っていいのだか分からなかったが、一歩、裕一は彼女に近づいてゆく。
「ゆういち………私思い出したの………赤ちゃん出来たんだよ……あいつに知らせなきゃ………」
 引きつった笑みが、そう呟いた。結希もまた、彼に一歩近づいた。
「ユキさん、思い出したって?」
 そしてもう一歩、裕一が近づいたのだが、
「赤ちゃんが出来たの!……ヨシオに知らせなきゃ!!」
 そう言い、彼女は駆けだした。
「えっ!?」
 そう呟く彼の横をすり抜け、結希は、玄関から靴も履かずに飛び出してゆく。
「ユキさん!!」
 裕一もまた、慌てて彼女を追いかけてゆく。
 結希は階段を飛び降り、そのまま繁華街に向かって走っていった。
 その後を追い、彼もまた走ってゆく。
……なんかの本で読んだ事がある! 記憶を取り戻した人は、その記憶が失われた時の行動を、思い出した時に繰り返す事があるって!………
 結希はわき目もふらず、まっすぐ走っていった。
 このまま行くと、交通量の多い大きな通りがあるのだ。
 もしそのまま進めば、彼女は再び車に轢かれるだろう。
 彼女の様子からして、大人しく信号待ちなどしない事は、想像に難くない。
 彼の横を通り過ぎた彼女の瞳は、失われた過去を見ていたのだ。
「冗談じゃない!!」
 そんな最悪の光景を思い浮かべ、彼は走る速さを増す。
 結希の走るずっと先に、スピードを上げて走る車の列が見えてきた。
「ユキさんっ!!」
 いくら声をかけようとも、彼女は振り返りもしない。
 彼女の体は、彼からほんの1,2メートル先にあるのだ。
……あと少しだ!
 けれども、彼女の体に触れる事はまだ出来ない。
 結希はただ車に向かって、再びその身を打ち付けようとしているのだ。
「ユキさぁーん!!」
 再びの呼びかけが、無情に結希の耳には届かない。
 彼女は車道から、わずか2,3メートルの所まで来ていた。スピードを緩めるそぶりは全くない。
……このままじゃ、確実に死ぬ!
 裕一は、最悪の事態を想定した。
……誰が死なせるか!! もう二度と、そんな目には遭わさない!!
 結希の足が、車道に躍り出る。
[プーーーーーーーーッ!!]
 激しいクランクションが、彼女に向かって浴びせられる。
 それでも結希は足を止めない。
[キィィィィィィッッッッ!!]
 耳をつんざくブレーキ音が、あたりの空間を震えさせる。
「えっ?」
 どこかで感じた、懐かしい光景。
 死ぬほどの恐怖を纏った、おぞましい懐かしさ。
 音のする方を、見る。
 結希に向かって、車がすごい勢いで突っ込んできていたのだ。
「ひぃっ!!」
 結希は初めて、自分の状況を理解したのだった。
 あの時、こうして車に轢かれた。
 体の上を、タイヤが二回も乗っていった。
 おなかがひしゃげる音を、この耳で聞いた。
 骨がぼきぼき折れてしまった。
 赤ちゃんがいるのに、お腹が裂けてしまった………

「いやあああああああああああああああああっ!!」

 鋭い悲鳴が上がったと同時に、
[がつんっ!!]
 激しい衝撃が、彼女の体を襲った。
 そのまま地面に打ち付けられ、そして、動けなくなった。
「馬鹿野郎!! 死にてえのか貴様ら!!」
 そんな罵声の後、車の走り去ってゆく音が聞こえる。
……死んだ………。
……また死んじゃったよ………
……裕一、また死んじゃったよぉ!………
 歯を食いしばりながら、結希は精一杯後悔した。
 同じ過ちを繰り返し、また車に飛び込んでしまったのだ。
 悔しさと悲しさが、うずくまる彼女に襲いかかる。
「ユキさん、どっか痛いの!?」
 そんな彼の問いかけにも、
「死んじゃったから、もうどうでもイイ!」
 目から涙をぽろぽろこぼし、投げやりに答えるので精一杯だった。
「何言ってるのさユキさん……。僕たち生きてるよ。」
「ええっ!?」
 優しく髪を撫でられ、結希は慌てて目を開けた。
「ゆういち………」
 見れば、目の前に裕一の笑顔がある。
 感じれば、彼女は裕一に抱きかかえられている。
 そして裕一は、地面に体を擦り付け、あちこちから血を流している。
「裕一っ!?」
「ユキさん、道路に飛び出したらダメじゃないか………」
 髪を撫でながら、裕一は優しく語りかける。
「裕一、私………」
 驚いた様な顔で、結希は彼に問いかけた。
「ユキさん、車に轢かれそうだったんだよ。」
「それは分かるけど………どうして………」
 どうして私は生きてるの?
 そう問いかけようとした言葉を、彼女はそのまま飲み込んだ。
 どう見ても、彼が身を挺してそれを防いだとしか言えなかったからだ。
 彼女が道で悲鳴を上げた瞬間、裕一が彼女を抱きかかえ、そしてそのまま道の反対側に飛び込んでいたのだ。たまたま反対側から車が来ていなかったので、それが可能だった。
 しかしそのおかげで、裕一は再び擦り傷だらけになっている。
「裕一っ! ごめんね、また私のせいで……!!」
 彼の顔を見つめ、結希は泣きださんがばかりに謝った。
「いいよ、そんな事。僕はユキさんが元気なら、それでいいんだから………さ、帰ろ?」
 けれど裕一は、平然とそう言い放つ。そんな彼を、結希は直視する事が出来なかった。
 いくら感謝の言葉を述べても足りないほどに、彼に対して申し訳なく感じたからだ。
 彼の微笑み掛けるその顔が、彼女にとって眩しすぎたのだ。
「ごめんね裕一………ごめんね………」
 再び涙をこぼし始めた彼女の頬に、血のにじんだ手が添えられた。
「ユキさん、もう泣かなくていいよ。……ね、家に帰ろうよ。」
 流れ落ちる涙を払いながら、彼がそう語りかける。
「うんっ!」
 涙を自ら振り払い、結希は立ち上がった。
 それが、彼に対してもっとも感謝を示せると思ったからだ。
 嬉しそうにそれを見届けた彼もまた、彼女に続いて立ち上がった。
「あいたたた………」
 そうこぼす彼の体中からは、痛みがどんどん沸いてくるようだった。
「大丈夫っ!?」
 心配そうに語りかける彼女に、
「大丈夫!」
 と、元気そうに言いながらも、彼はふらふらと立ち上がる。
「体、支えてあげるね。」
「あ……ありがとう。」
「もう! お礼は私が言うのよ!」
 そんな二人のやりとりに、裕一は数週間前と同じシチュエーションだなと感じていた。
 けどコンビニの横で不良達と殴り合った事は、遥か昔の事に思えた。
 あの時結希は、嫌々彼を運んでいるようであったのだが、今は添えられる手に暖かみを感じるからだ。
 共に歩くその手を、きゅっと握る。
 結希もまた、彼の手を握り返してくる。
 彼女の顔を見ると、微笑みを返してくる。
「はぁ………」
 今まで辛い時によく出た溜め息が、嬉しい時にも出る事を、彼はこの時初めて知ったのだった。

December 23 18:46 p.m.

「私ね、全部思い出したのよ。」
 結希はそう語りだした。
 二人仲良く肩を寄せ合い、出したばかりのこたつにもぐり込んでいる。
 けれどエアコンやこたつよりも、お互いの体温が一番暖かく感じられた。
 北風が窓をガタガタ揺らし、枯れ葉が宙を舞っている。
 それでも、彼らの心は暖かさを感じていたのだ。
 あちこち絆創膏を貼った裕一の隣にいる彼女の心は、全てのくびきから解放され、ようやく平安を取り戻したのだ。
 その証拠に、彼女の表情は軟らかい。
 もう、彼女を縛るものは何もないと、裕一にはそう感じられた。
「聞かしてよ。ユキさんの事。」
「うん。」
 そして、彼女は自分が秋坂結希だった頃を、順を追って話し始めたのだった。

PHASE_10 [ユキ 4] 〜結希の思い出〜

6 Mouth Ago.
 June 12 16:21 p.m.

 梅雨の季節。毎日がジメジメしていて、鬱陶しい日が続いていた。
 けれど、その日は久しぶりの快晴だった。
 朝は雨がしとしと降っていたのだが、午後になると雲の切れ目から太陽が覗き、その光が雲を押しやったのか、青空が人々の上に広がっていた。
 結希は友達の付き合いで、学校帰りに近所のファーストフードの店に立ち寄っていた。
「結希、あんたも少しはオトコ見つけりゃいーじゃん。」
「けど……そんな事言っても………」
「あんたベースは結構イケてんだから、髪型変えるとかしたら、結構いい男寄ってくると思うよ?」
「そんなぁ……りっちゃんみたいに上手くいかないよ。」
「あんた、私が遊んでるって言いたいわけ?」
「あれ? そうなんじゃないの?」
「言ったな! このお!!」
「きゃあっ!」

………そう、その時私は大人しい女だった。彼氏もいなかったし、正直自分が男に振り向いてもらえるなどとは、これっぽっちも思っていなかった。
 だからこそ、彼との出会いは強烈な体験だったのだ………

「よぉ! 彼女達何やってんの〜?」
 結希と彼女の女友達が座っていたテーブルに、何人かの男達が近寄ってきた。
 りっちゃん……律子は彼らに一別くれ、「無視しよ。」その一言で片づける。
「無視しよはないんじゃないの?」
 男の一人は、律子のポテトを一つつまみ、それを自分の口に放り込む。
「なにすんのよ! あっちに行ってよ!」
 再びポテトをつまみに来た彼の手を払い、彼女は彼らを睨みつける。
「そっちのケバ目のには用はネェよ。俺はこのおさげの可愛いコに用があるんだよ。」
「へ?」
 間の抜けた声を出す結希の目の前で、律子が男に向かって怒鳴りつける。
「なんですってぇ! じゃあ何であたしのポテト食べんのよ?」
「うるせえよ。彼女に悪いだろ? でさぁ、彼女何が好きなの? 今度一緒に食いにいかねえか?」
「あ、あの………」
 結希がしどろもどろになっている前で、
「好きなものは美味しいもので、嫌いなものは不味いものよ!」
 律子がそういい放つ。
「へぇ! そいつぁあ奇遇だぜ。俺と趣味が合うじゃねぇか。でもケバ目のには用はねえって言っただろ?」
「ったく!! 結希! こんな馬鹿相手にしてんじゃないわよ! ほら、もう行くよ!?」
「あっ! まってぇ、りっちゃん!」
 さっさと席を立ち歩いてゆく律子を追うように、結希も席を立つ。そして彼らに頭を一つ下げ、彼女の後に走っていった。
「へぇ………かわいいじゃん。」
 男の下衆な笑みが、彼女の後ろ姿をじっと見送っていた。

5 Days Later.
 June 17 16:35 p.m.

「かーのじょ! 元気にしてる?」
 律子とプリクラの機械に顔を突っ込んでいる時だった。
 そんな声と共に、結希のスカートがめくられたのは。
「ひぃっ!」
[カチッ!]
 引きつった笑顔が、シールになって出てくる間の3分間。
 その間、結希はショックで泣いていた。
「この馬鹿!! この子はあんたらなんかが付き纏う様な子じゃないんだよ!!」
 律子の罵声が、以前彼女らにチョッカイをかけてきた男に向けられる。
「悪かったっつてんだろ!? うるせえよ律子! おい! お前もいつまで経っても泣いてンじゃネェよ!」
 ビクッ!
 律子の胸に顔を埋める結希の体が、一瞬震えた。
「だから!! 早くどっか行けこのチカン野郎!!」
「ったく! 分かったよ!! このドブス!!」

 ………彼の去ってゆく足音を聞きながら、私は少々済まないなと思っていた。
 彼にとってはほんのおふざけ程度の事だったのだろうが、私がバカみたいに泣いて、律子にきつく当たられていたのだ。
 今度会ったら謝らないと。私はしくしく泣きながら、そんな事を考えていた………

「ほら、結希、もうあのバカは行っちゃったから、もう泣きやもうよ。」
「うん………ぐすっ」
 律子が優しくなだめてくれた時、プリクラから出来上がった写真が出てきたのだ。
 それをつまみ、律子は
「ぷっ!……くくくくくっっ!!! あははははははっっっ!!!」
 けらけら笑いながら、それを結希に出しだした。
 そこには、ちょうどスカートをめくられ、目を白黒している彼女の顔が映っていたのだ。
「やだっ! りっちゃん、笑わないでよ!!」
「いやー! これもう傑作ー!! 結希最高の顔だよー!!」
 いつまで経っても笑いが止まらない律子の横で、結希はずっと頬を膨らしていた。
 以後、その写真は律子の携帯に張られ続けていた。

11 Days Later.
 June 28 15:59 p.m.

「結希ちゃん、一人?」
 珍しく、彼女が一人で歩いていた時。
 以前彼女のスカートをめくった男が、肩をポンポン叩いてきたのだ。
「あっ!………あの、その……この間はごめんなさい!」
 ぺこっと下げた彼女の頭に、男の手が優しく載せられる。
「やっぱり結希ちゃんかわいいなぁ。大丈夫、俺もう許しちゃう!」
 よそから聞けばとんでもなく勘違いな言葉を、彼はぬけぬけと発した。
「という事で、どっかあそびに行こうぜ!」
 いきなり結希は手を握られる。
「えっ!? あの、でも………!!」
 そんな突然の態度にどうして良いか分からず、彼女は視線をさまよわせる。
「いいからいいから!!」
 けれども彼は強引に、彼女の手を引っ張り歩いてゆく。
「でも、あの……あの……!」
「俺の名前は良夫だって! そう呼んでくれてもいいぜ!」
「あの! だから! ヨシオさんってぱ!!」
 彼女はそのまま、やかましい音をたてるゲームセンターに連れ込まれていった。

………強引だったのだ。何にしても。
 けど、私は今までそんな風にされた事がなかったから、断る事が出来なかった。
 今思えば、あれが初めて男の人の手を握った事になるのだろう………

「よし、うまいぞ! そこだ行け行け!!」
[ギュイイイイイイイイイインンッ!!!]
 またがった本人もリアルに揺れる、バイクのレーシングゲームに乗りながら、結希は懸命にハンドルをひねっている。
 その横で声援を送っているんだか茶化しているのだか、良夫は大きな声を張り上げている。
「キキキキキ……ドシン!」
 一際大きな振動の後、画面に大きく”GAMEOVER”の文字が出た。
「あー残念残念、あともう一カーブだったのになぁ! 今度は俺がやってやるぜ!」
 結希の腰を抱き上げながら、彼はバイクから彼女を降ろした。
「きゃあ!」
「アハハ、ワリぃワリぃ!」
 そう謝る素振りを見せつつ、彼はさっとバイクにまたがった。
 そしてコインを投げ込み、思いっきりアクセルをふかす。
「結希ちゃん、見てろよ!」
 そのかけ声に似つかわしく、彼はバイクを次々に追い抜いてゆく。
 彼女が失敗したカーブも難なくクリアーし、1位でゴールに突っ込んでゆく。
「すごい! 何でそんなの上手なの!?」
「俺にとっちゃ、こんなゲーム余裕だぜ!」
 その後1時間近く、二人はゲームセンターで遊んでいった。

5 Days Later.
 July 2 19:23 p.m.

「ねぇ、こういうのって良くないと思うの! もう私帰るから!」
「何言ってンだよ!! 男の部屋に上がり込んどいて、今更ふざけんなよ!!」
 ゲームセンターで遊んだその日、結希は初めてキスをした。
 少したばこ臭い彼がとても新鮮で、かっこよく感じていたのだ。
 いつもウジウジしている彼女とは対照的に、良夫はワイルドでさっぱりした男だと、彼女はそう感じていた。
 そしてあの日から、彼女間ほぼ毎日遊んでいたのだ。
 時々胸を触られたり、スカートをめくられもしたが、それが彼なら嫌な気がしなかった。
 だからこの日、携帯で「体の調子が悪い」と彼の自宅に呼び出された時も、何の躊躇いもなく看病するつもりで来ていたのだった。
 彼の部屋に入ってみると、そこはとんでもなく汚れていた。
「ワリぃな、こんな汚ねぇ所でさ。風邪ひいちまって片づけ出来ねぇんだよ。」
 タバコを吹かしながら、はつらつと彼は言い放つ。
「あ、だったら片づけてあげるよ。」
「そうか? じゃ、よろしく頼むわ。」
 彼を疑う事も無く、純粋に彼を心配して、結希は部屋の片づけを始めた。
 実際、良夫は風邪など引いてはいないというのに。
 そして、部屋が綺麗になったとたんである。
 強引に彼女を布団に押し倒し、その服を脱がしに掛かったのは。

………口じゃあ”嫌だ”なんて言ってたけど、やっぱり興味あったのだ。
 私も女だ。彼の対して体が疼かなかったとは、とうてい言えない。
 だから、結局彼を受け入れてしまったのだ。
 今更ながらに、自分の無知が嫌になる。
 こんなヤツに、大切なバージンをあげてしまったのだから………

「あの、私初めてだから………もうちょっと優しくして………」
「マジかよ! ラッキー!!」
 彼女の声に、いきなりの嬌声。
 なぜ良夫が喜ぶのか、結希には理解出来ずにいた。
 そうこうする内に、服はさっさとはぎ取られ、残るは下着だけとなっていた。
 羞恥で、彼女は顔を押さえる。
 いきなり両足を持ち上げられたかと思うと、パンティーをさっさとおろされ、彼女の股間はあっという間に良夫にしゃぶりつかれたのだ。
「ひゃうっ!!」
 快感でもなく痛さでもなく、初めて感じる不可解なその感覚に、彼女は無意識に声を上げていた。
「キモチイのか!? キモチイよな!! ヒャハハッ!!」
[ジュルジュルジュルジュル!!]
 闇雲に乱暴に、ただ自分の欲求そのものに、彼は舌を蠢かし、そして彼女の秘所をねぶっている。
 そんな行為を今までされた事も無く、それがどれだけ雑な事なのか理解出来る訳も無く、彼女は小さな喘ぎを漏らしていた。
「うっ………ぁ……あ……あっ……………」
 気が付けば、彼女の顔に、良夫のどくどく脈打つ男性自身が突きつけられている。
「え?」
 それが何を意味するのか分からず、結希は彼の顔を見る。
「ほら、舐めろよ!」
「え?」
 彼の言った事が、理解出来ない。
……だってそこは、おしっこするところでしょ? それに、私のあそこに入れるモノなんでしょ?
 ピクピクと脈打ち、皮をかぶった肉棒を眺め、彼女はしばらく固まっていた。
「何やってんだよ!!」
 強い叱咤。それと同時に、良夫のペニスが、彼女の口に押し込まれた。
「うぶっ!!!!!」
 やめて!
 もちろんそう言えるはずもなく。
 彼は勝手に腰を振り、それの出し入れを行っている。
 口を無理矢理開かれ、顎が痛む。けど閉じたら歯が当たり、彼が痛い思いをするだろう。
 それだけは何となく理解したので、彼女は精一杯口を開ける。
「おら、舌使えよ舌を!!」
 乱暴にそう言われ、出し入れされるそれに、舌をすりつける。
「うっ!」
 そんな首を絞めた様な声が、彼の口から漏れだしてきた。
……こうすれば、気持ちがいいんだ。
 彼女は口をすぼめ、肉棒全体に刺激を与える。
「おおっ! いいせ! そのままやってくれ!!」
[ゴッゴッゴッゴッ!!]
 何度も何度も口の中を往復され、いい加減唇が痛いなと感じてきた頃、
「くっはぁ!……これ以上ヤってると出しちまうぜ……」
 そんな声と共に、彼はペニスを口から抜き出した。
 べっとりとヨダレが付き、口との間に何本も糸がのびている。
……すごい………
 人から糸を引くほどの粘液が出される事に、彼女は小さな驚きを感じていた。
 そして口の中に溜まった大量の唾液や、彼の出した先走りの液を、結希はごくんと飲み込んだ。
「うえっ…………」
 あまりの不味さと臭さに、彼女は一瞬吐き気を催す。
 けれどそんな彼女におかまいもせず、良夫は自分のペニスにコンドームをかぶせている。
……ついに入れるんだ。
 緊張が、彼女の体に走った。
 にやついた笑みを浮かべ、彼が彼女に近づき、そして足を広げる。
「いやっ!」
 そんな抗いの声もお構いなしに、彼女の足はぐっと開かれた。
 彼の視線が、一点に集中している。
「ヤだ! 恥ずかしいよ!!」
「へへへへへっ!」
 未だ男を知らぬそれは、先ほど彼によって塗りたくられた唾液で濡れぼそっている。
「入れるからな。」
 同意すら必要としない、一方的な通告だった。
 醜悪な肉棒が彼女の股間に添えられると、それは一気に差し込まれたのだった。
「うあ゛っ!!」
 まるで真っ赤に焼けた鉄の棒をねじ込まれたのかと思うほどの激痛が、彼女の中心から沸き上がってくる。
「いっ! 痛い!!」
 自分の股間に差し込まれたそれから逃れるべく、彼女は必死にずり上がろうとする。
「初めてはみんなイテぇんだよ! 我慢しろよな!」
 我慢しろ。そんな言葉一つで、未だ濡れる事を知らない膣の中を、彼は行ったり来たりを始めたのだ。
「あ゛っ! ああっ!! うあっ!!」
 もはや言葉にならない悲鳴。
 良夫の男性自身が突き込まれる度、彼女の喉から声が振り絞られる。
[ぐちゅ! ぐちゅ! ぐちゅ!]
 すぐに濡れた音がしてくるが、それは愛液なのではなく、彼女の膣からにじみ出した鮮血だった。
 汚い布団の上に、鮮やかな赤いシミが点々と付いてゆく。
 そのうち自らの出血で、粘膜を酷く擦られる事もなくなり、彼女の悲鳴も和らいでいった。
「あっ! うっ! あぁっ! はあっ!!」
[ぐしゅ! ぐしゅ! ぐしゅ!]
「あっはあ! 初物だぜ! バージンってこんなモンかあ!!」
「あっ! あっ! ああっ!!」
 上から降ってくる嬌声を、彼女は自ら出す声で、わざと聞こえないようにする。
……もしかして、私にとって嫌な言葉かもしれないから。
 そう自分に言い聞かせ、今はただ、良夫に抱かれよう、結希はそう思っていた。
「ううっ! 出るぞ! 出るぞ!!」
 今までより激しく、彼は腰を叩き付ける。
「ああああああああああっ!!」
 痛みで頭がしびれ、訳も分からずわめく結希。
「うおおおおお!!! イクぞ! イクぞ!!………うう゛っ!!」
 急に動くのをやめたかと思えば、小刻みの腰をひくつかせ、一人でガクガク震えている。
「はぁ! はぁ! はぁ!……あー、やっぱバージンは締まりが違うぜ。すっげぇ儲けたって感じ!」
 彼はペニスを抜き取り、血にまみれたコンドームを「うはあ!」などと評し、ゴミ箱に投げ入れた。
 そして精液がべっとりと付くそこをティッシュで拭き、それが終わるとタバコを取り出す。
 その間、結希は股間に残る痛みを、じっと我慢しているだけだった。
 今になって、涙がぽろぽろ流れ落ちる。
……何だか、あっけなかったな。
 痛さと、何とも言い表せない悔しさで、よけいに涙がこぼれてくるようだった。
 だが良夫はそんな彼女をいたわる事もせず、片手で無造作に乳房をつかみ、もう片方で、くわえたタバコに火を付けている。
 そしてタバコの煙をワザと彼女に掛けながら、
「どうだった、結希?」
 などと聞いてくる。
 しかし結希は、乱れた息を整えながら、笑みを浮かべただけだった。
 ただ、今になって初めて胸を触ってくれたんだと、そんな良夫をただ見ていた。
「もちろん気持ち良かったよなー! おーよしよし、女のコは初めは痛いんだぞ! うん、結希はよく頑張った。だから、もう泣くなよな?」
 わざとらしく彼女を抱き寄せ、良夫は甘い言葉で慰める。
 彼女の頭を優しく撫で、目からこぼれた涙を拭ってやる。
「良夫君、優しいんだ……」
 自分自身にそう言い聞かせ、何とか笑顔を浮かべてみせる。
「当たり前だっつーの! さぁて、ヤるコトやったしな。じゃもう帰っていいぜ。」
 タバコを消しながらそう言う彼に、
「………うん、わかった。」
 笑みを浮かべたまま、結希はそう答えた。
 彼女は上体を起こし、ティッシュで股間を拭く。
 真っ赤な血が、ベッタリとまとわりついていた。
……生理の血と、違うんだ………
 何の感慨もなく、結希はそれをゴミ箱に投げ入れる。
 そしてふらふら立ち上がると、その辺に投げられていた服をたぐり寄せ、着始めた。
 そんな彼女の様子を、良夫はニヤニヤ笑いながら見ているだけだった。
「イタ………」
 股間にきりっと痛みが走る。未だ何かを入れられてる様な感覚が残っている。
「結希、またヤろうな!」
 いつからか、彼の呼び方が”結希ちゃん”から”結希”になっていた。
……一度抱いたのなら、ちゃんづけは要らないのか。
 そんな冷静な事を考えつつ、
「うん。」
 とだけ返事する結希。
 元通り服を着終え、髪の乱れも整える。
「じゃ、さよなら。」
 そうとだけ言い、彼女は家路についた。

8 Days Later.
 July 10 12:13 p.m.

「結希、あんた良夫と付き合ってるってホント!?」
「えっ!?……付き合ってるなんて………」
 学校の昼休み。教室で弁当を囲んだいつもの風景が、そこにあった。
 ただ、いつものおちゃらけた雰囲気の律子がまじめな表情で、結希を問いつめている事が違ったのだが。
「あいつ、みんなに言いふらしてるよ。あいつは俺の女だって……あんなバカ、もう近づかない方がいいよ?」
「でも! 良夫君優しいから……」
 思わずそう言ってしまってから、結希は顔を赤くしてうつむく。そんないじらしい彼女の仕草に、律子の不安はより大きなものへと変わっていった。
「ねぇ、あんたどこまで行ったの? まさか、あんなバカとヤッちゃったなんて……」
「バカじゃないよ! 良夫君、ちゃんと抱いてくれたもん、だからそんな言い方したら………」
 最後の方は、ほとんど独り言のようになっていた。
「あいつ!!……結希! あんた分かってないのよ!! あのバカ、女とっかえひっかえ遊びまくってんだよ!? あんただってその一人なのよ?」
「違う!! そんなんじゃない!!」
[ダンッ!!]
 机に拳を叩き付け、結希は叫ぶように言い放つ。
「ご、ごめん………」
 そんな彼女に気圧され、律子はすまなそうに詫びの言葉を告げる。
「でも……結希、私は心配だから言ってるんだからね、それだけは分かってちょうだいよ?」
「………」
 結希は何も言わず、ずっと俯いていた。

………あの時律子の言ってる事は、薄々気づいていた事だった。
 でも、その時まで、私は男を知らなかったのだ。
 だから彼が気まぐれで優しくしてくれるのを勘違いして、一人で恋愛に酔っていたのだ。
 いや、酔っていたかったのかもしれない。
 このままずっと彼と付き合っていれば、いつか私一人だけを見ていてくれるようになる。
 そんな調子のいい事を考えて、とにかく、私は彼の言いなりになっていった………

「結希、貴方の事が心配なのよ。」
 学校からの帰り道。
 結希と律子はいつものように、並んで駅に向かって歩いていた。
 梅雨も明け、このごろは暑い日が続いている。この日も日差しが一段と強く、夏らしい日だった。
「分かってるよ、りっちゃん。でも、私は大丈夫だよ。」
「うん……でもね……私も、あいつに遊ばれたから……どうしてもあいつを信じる事は出来ないのよ………。」
「………。」
 結希は、律子の事はすでに知っていた。だからしょぼくれる彼女の顔を見て、とても複雑な心境だったのだ。
 律子に何を言ったらいいのか分からず、結希も表情も沈んでゆく。
「………やめやめ!! せっかくの夏に、女子高生がなに暗い顔してなきゃなんないのよ! 結希、今日は私に付き合いなさい!」
「え? あっ! ちょっとそんなに引っ張らないで!」
 律子は結希の手をつかみ、学校近くのファーストフードに飛び込んだ。
「アイス食べよ、アイス!」
「うん!」
 カウンターでアイスクリームを買い、上の階に設けられたテーブルにトレーを置いた。
「にしてもさー、あんた良夫のどこが気に入ったわけ?」
 シートに座った早々、律子は再び絡んでくる。
「うーん……彼って、男らしいって言うのかなぁ……私っていっつもウジウジしてるけど、良夫さんはさっぱりしてるし………」
「あいつが!? すっごいネチネチしたヤローなのに?」
「そうなの?」
「ハァ………あんたやっぱり騙されてるって!」
「そんな言い方しなくていいじゃない!!」
「はいはい……後は何かいいトコあるの、あいつに。」
「うん……あのね、彼って普段乱暴っぽいじゃない。」
「乱暴そのものよ、がさつな最低野郎。」
「いいの! でもね、その………ほら、エッチなコトする時、なんか甘えた声でね、私にお願いしてくるの………」
「んで?」
 アイスを口に放り込み、律子は相づちを打つ。
「うん、だからね………なんか彼に求められてるって言うか、必要とされてるって言うか………私今までそんな事、感じた事無かったのよ。……だから、とっても感動するの。」
 そう言って、溶け始めたアイスを慌ててスプーンですくい取る結希。
「うーん………あいつがお願いする? マジそれ?」
「うん。」
「信じらんないわねぇ………いきなり押し倒されて、服来たまま突っ込まれた事とかない?」
「え?……制服着たまましたいって言うから、1回した事あるよ。」
「げー! 最低ーっ!」
「そうなの?」
「当たり前じゃん!! ばっかみたい!」
「よく分かんないなぁ………」

A Mounth Later.
 August 3 13:21 p.m.

「あっ! あっ! あっ! あっ!!」
 この日もまた、結希は良夫の下で喘いでいた。
 近頃はしっかり感じる事も出来、そしてオルガズムの経験も済ませていた。
 そして良夫の稚拙な前後運動にも慣れ、彼女は自分で高める事も出来るようになっていた。
 とにかく彼は、自分が気持ち良いようにしか体を動かさないのだ。
 ただひたすらに、己が身体を出し入れするだけだ。
 だから彼に抱かれている時も、彼女は自分でクリトリスをいじっている。
 そうでもしなければ、早漏の良夫がイクいくまで、喘ぎ声一つあげられそうにもないからだ。
 もし彼女が無言のまま果てた時、決まって良夫は不機嫌になる。
 ビンタの一つも張られる時もある。
 それに、彼が彼女に対して愛撫をする事など、全く無いに等しかった。
 だから結希は、あえて自分からフェラチオをねだり、その間に自分の準備を済ませるようにしていた。
 そうでもしないと、挿入される時に激痛が彼女を襲う。
 本当は彼のモノなど、口には入れたくないのだ。
 しかしそれよりも、膣を乱暴に突かれるのはもっと嫌だった。
 それにフェラチオで気持ち良くしなければ、いつか飽きられすぐに挿入しようとするかもしれない。
 彼女はなるべく良夫がよがるように、懸命に彼の弱いところを見つけていった。
 そんな彼女の思惑など全く理解できず、良夫は結希はイヤらしい女だと勘違いしてい
た。
「おまえ、マジでスケベな女だよな!」
 そんな言葉を浴びせられながらも、彼女はこの日も彼のモノをしゃぶったのだ。

………彼が言うように、私はエッチな事が好きな女だった。
 もちろん彼に処女を奪われる前にも、オナニーはしていた。
 だから酷い嫌悪感はなかったし、セックスをするのはどちらかといえば好きだった。
 いくら身勝手なヤツでも、異性の躰に抱かれるのは、やはり気持ちが良かったのだ。
 だからこそ、私は彼にも気持ち良くなって貰いたかった………

[ぐぷっ……ちゅぶちゅぶ……くぷくぷ……ちゅっ!]
 射精が終わったあとの掃除も、もちろん結希がやらされていた。
 肉棒にべっとり付いた精液を、彼女は懸命に舐め取っている。
 苦くて生臭い味が口に広がるが、彼女は何も考えず、それを機械的に飲み干してゆく。
 そうでもしないと、いつか吐いてしまいそうだった。
「お前、よくそんなもん飲めるよなぁ! ここまでスケベになるなんて思いもしなかったぜ………」
 いつも通りタバコを吹かしながら、良夫は軽蔑する様な口調で言った。
「……うふふ。」
 彼のモノを加えたまま、結希は笑ってみせる。
 誰のおかげでこうなったのよ。
 内心で、彼に対して怒りを覚えながらも。
「綺麗になったよ。」
「サンキューな。」
 その後は無言で服を着て、結希はさよならだけ言い帰ってゆく。
 それだけ、彼の自宅は居心地が悪いのだろう。
 例えば外に遊びに行く時は、いろいろ話題もあるのだが、二人ッきりで部屋にいたとしても、全く話題が見つからないのだ。
 だから自然に無言でいる時間が多くなり、彼の部屋でする事といえば、セックスしかなくなっていたのだ。
 二人に共通するものが、無いという事に気づいたのは、ずっと後の事だった。
 だから、結希は少しでも共通の話題を増やそうとして、髪型を変えたり流行のピアスをしてみたり、いろいろ試行錯誤を繰り返していった。
 そんな彼女を見て、律子は「変わったね……」と言い、少しずつだが距離が生まれてきていた。

8 Days Later.
 August 11 15:29 p.m.

「なぁ、今日は生でいいだろ!? 一回ヤってみたくてさあ! いいだろ? ヤらせろよ!」
 結希の股間にしゃぶり付きながら、良夫は血走った目でそう言った。
「うん、今日は安全日だから………」
「いやっほう!!」
 そう叫んだかと思った直後、彼は一気に貫いてきた。
[ぐりゅ!]
「あう゛っ!!」
 身を切られる痛さが、じんわりと沸いてくる。
「はひゃはははっ!! すっげえよ! すっげえキモチイよ!!」
 狂ったように笑いながら、カクカク腰を降り続ける。
「はあっ! はあっ! はあっ!!」
 そして挿入から10秒もしない内、
「うっ! うっ! うっ!!」
 急にブルブル震えたかと思えば、彼はもう果てていた。
 その間結希は声を発する事もなく、ただ躰を彼に貸していた。
……なんだ、生でやっても気持ち良くなんか無いじゃない。
 未だピクピク痙攣し続ける彼の背中を抱きながら、彼女の思った事はそれだけだった。
「はぁ。はぁ……イヤ、思わずイっちまったよ! やっぱ中出しは最高だぜ! な、結希も気持ち良かっただろ!?」
「うん、そうだね。」
「だろー!! もう病みつきってヤツか!? じゃあもう一回ヤろうぜ!」
 いつの間にか、再び股間を腫らして良夫が言った。
「うん……いいよ。」
「じゃ……よっと!」
「んっ………」
 2回目の挿入は、彼の出した精液で潤っていたため、すんなり受け入れる事が出来た。
「はっ! はっ! はっ!!」
 また単調に腰を振りだした彼を抱きながら、結希は改めて股間の感覚を感じてみる。
 いつもと違い、確かに細かい突起を感じる事が出来る。
……やっぱり、生の方が気持ち良いのかな?
 その疑問に答えるべく神経を集中しようとしたその時、
「あうっ! うっ! うっ! うっ!!」
 急に震えだしたかと思えば、彼は懸命に射精していた。
 彼女の膣に差し込まれた男性自身が、ピクピクと脈打っている。
 満足そうな顔をした良夫が彼女に抱きついてくるが、この時、結希は初めて彼に対して不満を感じた。
 それでも彼を抱きしめ、偽りの満足を口に出す。
 この日初めて男の精を受けたにもかかわらず、彼女は何の感慨もなかったのだ。
 けれどもその日以降、良夫は生でやる事を強要し続けた。

………本当に、バカだった。
 避妊しなければ後でどうなるか、考えなくても分かっていたというのに。
 その場のノリで、生を許してしまったのだ。
 それで、彼からより快感を得る事も無いというのに。
 ただでさえ早漏気味だった彼は、より時間が短くなってしまった。
 私がイクまで、決して待ってくれない。
 自分を慰める夜を過ごす事が、だんだんと増えていったのだ………

 生を許してしまってから数日後。
 この日結希は、一人で繁華街を歩いていた。いつもは律子と一緒なのだが、少々口げんかしてしまい、お互い今日は頭を冷やそうとの事で、帰りは別行動となっていたのだ。
 そんな折り、彼女は良夫が男友達と話しているのを発見した。
 彼らに気が付かれない様に近づいていき、驚かそうと考える。
 そして彼らが大声を張り上げている、ゲームマシンの裏に来た時だった。
 どうやら良夫は結希について話しているらしく、彼女は彼の言葉に耳を傾けたのだった。
「……でよ良夫、テメエいっつもどんな事ヤってんだ?」
「この前生で中出し決めたぜ!」
「何だそれ? いいのかよンなコトして!」
「知るかよ! あいつよぉ、シャレで生でヤらせろっつったらよぉ、マジになってさあ! ホントにヤらせてくれたんだぜ? 信じらんねーよな!」
「へー! 今度俺もヤらせてもらおうか!?」
「まぁな、俺が言ったら逆らえネェからな! 今度俺らでマワしてやろっか!?」
「ハハハハハッ! またヤんのかよ!! 今度こそ俺も誘ってくれよ!……」
 結希は、すでに走り出していた。
 自分は大切にされていないのは、十分に理解しているつもりだった。
 それでも彼の言葉は、あまりにも酷いものだった。
 泣きながら街を走り抜け、近くの公園のベンチに座り込む。
「うっ……うっ………!」
 涙がこぼれるのを抑えきれず、ハンカチを顔にぎゅっと当てる。
 こんな時になって、初めて自分は一人になってしまったのだと、彼女はつくづく後悔していた。
 いつも慰めてくれた律子とはケンカしてしまい、今は隣にはいない。
 家に帰っても、家族からはずっと冷たい目で見られるだけだった。
 最近は、特に母親とは絶交状態なのだ。
 彼女は最近髪を染め、爪にマニキュアをし、ピアスなんかも付けていた。
 それは全て良夫が言った事であり、彼女の意志ではない。
 けれども、結希の親はそれで良しとしなかったのだ。
 今までおさげをしていた娘が、わずか2ヶ月くらいでこうも変わってしまった。
 彼女の両親は悪い男の影響だといい、彼女に別れるように勧めた。
 けれどそれが軋轢を生み、そして家には彼女の居場所は無くなった。
 いや、本当は彼女がそう思っているだけなのだ。
 家に帰ればご飯は出るし、親は普通通りに接してくれる。
 けれども、最後は喧嘩になるのだ。年頃の娘に話す話題が見つからず、親の話題はどうしても良夫の批判になってしまう。
 結希にも、親の心境は全く理解出来ないものではなかったが、それでも彼の悪口を言われるのは腹が立ったのだ。
 そんな事を考え、彼女の思考はより暗いものへとなってゆく。
 自然に出る泣き声も、より大きくなってゆく。
「ぐすっ! うぇぇ………うぇぇぇぇぇっ!!」
 もう、恥も外聞もかなぐり捨て、公園で大泣きしてしまおうかと、彼女がそう思った瞬間だった。
「結希! いったいどうしたの!!」
 慌てて駆け寄ってくるのは、喧嘩して今日は会わないと決めていた律子だった。
「りっちゃん………りっちゃんっ!!」
 律子の胸に飛びつき、結希は大泣きし始めた。
 初めはとまどっていた律子であったが、いつも通りに結希の頭を撫でてやる。
「はいはい、いったいどうしたの? 聞いてあげるから話してごらんよ。」
「うぅっ……ぐすっ!……あのね、あのね、良夫さんがぁ…………」
 それから結希は、律子に全てを話したのだった。
 彼女の話をじっと聞く律子の顔は、より険しいモノになってゆく。
「結希、ホントに別れなさいよ………あいつは、あんたが考えてる様なまともな人間じゃないわよ?」
 結希の目をしっかり見据え、律子はそういい放つ。
「うん………」
 すでに泣きやみ、けど目を真っ赤にはらした結希が、こくんと頷いた。
「うんじゃないでしょ? あんた、もういい加減遊ばれてるの分かってるじゃない…………
 今度こそ、ホントにあいつらにレイプされるかもよ?……私はそうなる前にさっさと別れたけど、他の子はホントにされたって聞いた事あるし………」
 心配そうに言う律子の顔を、結希はじっと見ている。
「りっちゃん、やっぱり心配してくれるんだ………」
 微笑みながら、結希はそう呟いた。
「当たり前でしょ!? だから、早く元のあんたに戻ってよ………」
「うん。分かったよ、りっちゃん………」
 良夫と別れる。
 そう彼女は心に決め、椅子から立ち上がる。
「りっちゃん、一緒に帰ろう!」
「ん、そうだね!」
 夕日で赤く染まる公園を、結希は律子と共に後にする。
……今日は、お母さんのお手伝いをしなくちゃ。
 歩きながら髪をゴムで結う結希の姿を、律子は微笑みながら見つめていた。
「あんたは、やっぱその方が可愛いよ。」
「そう? ありがと!」
 パーマで跳ねたお下げ髪をふるふる揺らしながら、彼女らは駅に向かって歩いていった。

3 Months Later.
 November 3 16:58 p.m.

「んっ! んっ! んっ!!……あぁっ!! あうっ!」
 この日もまたいつものように、良夫にのしかかられながら、結希は偽りのよがり声をあげていた。
 本当は、別れ話をするために所に来ていた。来ているはずだった。
 しかし今まで幾度となく繰り返されてきたように、彼女は股を開き、その中心に彼の男性自身を差し込んでいた。
 結希は良夫と別れるために、何度も何度も別れ話を切り出すが、その度に彼は手を変え品を変え、それを潰していった。
 ある日は泣き落としで、そしてまたある日は罵声を張り上げ威嚇をし。
 そして必ず最後には、甘ったるい声で躰を要求する。
 彼らが今しているセックスも、別れ話のなれの果てだった。
「結希、愛してるぜ! お前も愛してるだろ!!」
 ハァハァと荒い息を吐きながら、腰を振りつつ良夫は言う。
「うんっ! うんっ! うんっ!!」
 彼のそれが突き込まれる度、それが故に押し出されるように、彼女の喉から返事が吐き出される。
「当たり前だってんだ! はぁ! はぁ! はぁ……ううっ!! んっ!」
 ぴくっ ぴくっ! ぴくっ!
 結希の膣にやんわりと包まれた男性自身が、いきなり欲望の全てを吐き出した。
 ひとしきり射精を行い、良夫は結希に覆い被さる。
「うっ!」
 急にのしかけられ、彼女の肺から無理矢理空気が押し出された。
「結希、今日も気持ち良かっただろ?」
 彼女の耳元で、熱い息を乱暴に吹きかけながら、良夫はいつもの言葉を口にする。
「うん、気持ち良かったよ。」
 乾いた笑みと共に、そして何度も繰り返されたその返事を、結希は再び呟いた。
「へっ! 他の男じゃここまでいかせられねぇモンな! 俺のテクがありがたいだろ!? なぁ結希!」
「うん、そうだよね。」
 彼女がそう返事する横で、良夫はタバコに火を付ける。そして一番最初吸い込んだ煙を、いつも通りに結希に吹きかける。
 そして彼女は表情を変える事もなく、息を止めた。
……良夫はすぐにイっちゃうから、ちっとも気持ち良くない。
……愛撫もヘタで、そもそも雑だから、テクなんて冗談。
……気持ち良いだろなんて聞いてきて、いったいどんな返事を期待してるの?
……タバコの煙が臭い。いちいち掛けないで欲しい。
 彼が満足そうにタバコを吸っている横で、結希がいつも考えている事は、そんな事ばかりだった。
 しかし、彼女は彼を憎めなかった。
 どうしても、彼を嫌いにはなれなかったのだ。
 結局、彼は仲間内で彼女を輪姦に掛ける事は無く、それに彼女が髪型を元に戻しても、さして何も言わなかった。
 それにこの頃は、良夫がセックスをねだるその様子に、彼女は同情に近いものすら感じていた。
 良夫はいつも、せっぱ詰まったように彼女を押し倒す。そして泣き出しそうな声で、やらせろやらせろと言いながら、真っ赤に膨れ上がった欲望を所構わず擦り付けてくるのだ。
……そこまであんたはヤりたいの?
 あきれ半分諦め半分、彼女はそれを口にほおばる。
 その時漏らす、光悦とした彼の声が、何とも言えない同情をそそるのだ。
 そしてもしも嫌がれば、良夫はだだをこねる子供のように、しつこいほどに彼女の躰をなで回す。
 その粗雑な愛撫で彼女に感じさせようとしているのか、荒い息を吹きかけながら、彼女の股間にしゃぶり付く。
 そして結局、彼は結希にさせて貰うのだ。
 彼女の準備もお構いなしに、ピクピク脈打つ醜悪な物体を、彼は彼女にねじ込んでゆく。
 その粘膜を傷つけられる痛みに、彼女は小さく悲鳴を漏らす。
 その声に彼は余計に欲情し、闇雲に腰を振り始めるのだ。
「おら! おら! キモチイだろ!? 最高だろ!?」
 血走った目で、幼稚に腰を叩き付けながら、良夫がそう叫ぶその前で、
「あっ! あぁっ! あうっ!!」
 シーツを握り、彼女は感じたフリをする。そして律動に身を任せ、精一杯快感を貪ろうとする。
……りっちゃん、やっぱり別れらんないよ……こんなに一生懸命腰使ってるんだもん……良夫が可愛いのよ………
 薄目を開けながら、彼女は男性自身に全神経を集中する良夫の顔を見る。
 そのお世辞にも締まっているとは言えない顔が、不意に結希を見る。
 それに合わせて、彼女はにっこりと微笑む。
 そんな彼女の笑顔に合わせ、良夫は腰の動きを速めてゆく。
 結希が見せた笑顔、それは多分、彼女の母性本能なのだろう。
 もうすでに、結希にとっての良夫は、あこがれの対象ではなくなっていた。

………そう、私は彼と、結局別れられなかった。
 そもそも、私は彼が嫌いではなかったのだ。
 だからこそ、別れ話もすぐに終わり、結局肉欲に身をゆだねていた。
 彼が私を求める時、本当に躰が疼いていた。
 確かに彼は身勝手で、私の気持ち良さなど一向に考えていなかった。
 けど、それは私が工夫すればいい事だ。
 彼が私を求めていた事には、間違いなかったのだから。
 だから、律子には悪いと思いつつも、私たちはダラダラと付き合っていた。
 その間にも、私はリスクの高い事をしてしまった事もある。
 生でするのは当たり前として、時には学校でしたりみたり、それに、薬物に手を出した事もあった。
 良夫は頻度は多くないが、薬物を常用しているらしい。私も興味半分で使ってみたが、気分が悪くなり、1回きりで止めてしまった。
 それ以外にも、私は良夫に言われ、食事だけの援助交際も何回か経験した。もちろんその時貰ったお金は、全て良夫に渡していた。
 そんな生活を続けている内に、私のガラはだんだん悪くなっていた様だ。
 親と口をきく機会は、どんどん減っていった。それと共に、家に帰らない日も、少しずつだが増えていった。
 ただし、以前から私は夕食後の食器を全て洗っていたが、それだけは母と喧嘩しても続けていた。
 単なる罪滅ぼしのつもりだったが、それ故か、母もあまり私にきつく当たる事はなかったのだ。
 イヤ、単に諦めていたのかもしれない。
 今となっては、それも分からないけど………

「結希……もう別れろとか言わないけどさ……もう少し考えた方が良いんじゃないの?」
 次の日。学校帰りに駅前のファーストフードでポテトを頬張りながら、あきれ顔の律子が言った。
「へ?……何を?」
 ふぅ。
 律子のためいきが、聞こえた。
「あんた、昨日も家、帰ってないんでしょ?……あんたン所のお母さん、電話掛けてきたんだよ?」
「えっ!?……あ、ごめん! もう掛けないようにって言ってやるから! もう、この間こそ言ったのに、なんにも分かってないんだから………!」
「バカ!」
 結希が母親に対して怒りをぶつけるのを見て、余計に険しい顔をした律子はその言葉を遮るように、きつい言葉で一喝した。
「あんたねぇ、分かってないのはあんたの方でしょ!? なんにも言わないで余所で泊まって………心配しない親がいるわけ!?………そりゃ、そんなヤツも時々いるけど、あんたン所のお母さんはそんな人じゃないでしょうが!!」
 律子のいきなりの言葉に、びっくりした結希は一言も返せない。
「あのね、あたしだってそりゃ遊んでるわよ。昨日だって男ン所に泊まって、ずっとやらしいコトしてたわよ。だけど、せめて女友達ん所泊まるとか、それくらいの事は言ってても良いんじゃない?」
 律子の視線が、結希の顔に集中する。そんな彼女の視線を感じ、結希は反射的に顔を逸らした。
「でも、その、良夫が………」
 律子から視線を逸らしたまま、結希は小声で言い返そうとするも、
「ねぇ結希、良夫がじゃないのよ。これはあんたの問題なのよ? 分かってる!?」
 またもや声を遮られ、
「うん………」
 そう返事するのが、やっとであった。
「そりゃね、あんたの言いたい事も分かるよ。あいつの事だから、いっつも急に言って来るんでしょ?」
「うん………」
「だったら、ウソでもイイから電話くらい入れなよ。それが最低限の礼儀ってヤツじゃないの?」
 そう諭す律子の手が伸び、俯いたままの結希の顎をつかむ。そして無理矢理、視線をこちらへ向けさせる。
「分かってるの? 結希。そんな事も出来ないんじゃ、あんた、男と付き合う資格なんて無いよ?」
 そう言う律子の視線が、結希の瞳をじっと見る。
「……わかったよ。ちゃんと母さんには電話するから………。」
 その瞳はうっすら涙がにじんでいた。律子はそんな彼女の顎から手を離し、優しく頭を撫でる。
「だから、もう親には迷惑掛けちゃ駄目だよ? あんただって子供じゃないんだから、それくらい分かるよね。」
 表情を優しいものに変え、律子は結希の涙を拭ってやる。
「うん………りっちゃん、いっつも優しくしてくれて、ありがと………。」
 ぐしぐし目を擦りながら、結希はそう言った。
「当たり前じゃん、トモダチでしょ? 私たち。」
 ちっちと指を振りながら、律子がそう返す。
「うん、そうだよね!」
 結希は、ぱっと笑顔を輝かす。
「結希、やっぱあんたの笑顔は可愛いね。」
 そう言う律子も、彼女のつられて笑みをこぼした。
「さ、速く食べて帰ろう!」
「うん!」
 ファーストフードの店外では、冷たい風が吹き始めている。けれども、結希の心は温かい。
 彼女にとって、いつも自分の面倒も見てくれる律子が、とても有り難い存在だった。
 結希は、こんな生活がいつまでも続けばいいと、無意識のうちに願っていた。

3 Dyas Later.
 November 6 18:34 p.m.

「母さんはあんたの事が心配で言ってるのよ!! 分かってるの!?」
「分かってるわよ!! だけどもうほっといてよ!!」
 彼女の前に良夫が現れてから、何度も繰り返されてきたその問答が、この日もまた繰り返されていた。
 結希の自宅。夕飯時。食堂。
 彼女とその母が言い合いをしている中、父親は新聞を広げて記事を読む。読んでいるフリをしている。
 結希の父も、この頃の娘の態度に腹を据えかねるものがあった。だが年頃の娘を持つ父親が全てが感じるように、娘との間には、決して乗り越える事の出来ない大きな壁があるのだ。
 本当は文句の一つも言ってやりたい。我が娘には、あんな男は寄って欲しくない。
 しかし父親はそれを口に出す事もなく、その不機嫌な態度に思いを込めて、ただじっと新聞を睨みつけていた。
「ほら! 和弘、早くご飯食べちゃってよ。お姉ちゃん片づけられないじゃない!」
「ッ! う、うん………。」
 母親との言い合いでささくれだった気分そのままに、結希は幼い弟に対してきつい物言いをする。
「結希!! あんた和弘にまで当たらなくていいでしょう!」
 結希のとった態度に、彼女の母親は再び叱咤の声を上げた。
[ばんっ!!]
「当たってなんかないわよ!! 何いちいち突っかかって………!」
 拳でテーブルを殴り、結希はまたもや母親に噛み付いた。
「何なの! 親に向かってその態度は!!」
「母さんだって何なのよ!! 何かある度に文句ばっかり言ってンじゃない!」
 再び始まった親子喧嘩に、結希の父はこめかみを引きつらせた。
「お前達、いい加減に………!」
 新聞をテーブルに叩き付け、彼女らに一喝しようとしたその時であった。
「ねぇちゃん、喧嘩しないでよぉ! ご飯早く食べるから……だから喧嘩しちゃヤダよ!」
 父親の声より先に二人の間に割り込んだのは、彼女の弟の声だった。
 結希と母親の喧嘩の原因が自分にあると思い込んだ彼は、その目に涙を沢山溜めて、大声を張り上げる結希の前に立ちはだかったのだ。
「和弘………」
 弟の名を呟く結希の顔から、怒りの表情が消える。
「ねぇちゃん、喧嘩しちゃヤダよぉ………!」
 涙をポロポロこぼしながらそう懇願する弟を目の当たりにして、結希や母は怒りを静めるほか無かったのだ。
「ごめんね和弘、もうお姉ちゃんケンカしないから………。」
 いまだにしゃくり上げる弟の涙を指で払ってやり、彼女は優しく頭を撫でる。
「ホント……? もうケンカしちゃダメだよ?」
「しないよ。……だからもう泣かなくていいからね。」
「うん………。」
 彼は納得したのか、目を擦りながら再びテーブルにつく。
 母も申し訳なさそうにしながら、食器を運び始めた。

………そう、私には10歳年下の弟がいた。
 年の離れた兄妹だから、共通した話題とかは無かったし、それに男の子だから趣味は合わなかった。
 けど、私は弟をよく可愛がっていた。気の小さい子で、いつもおどおどしていたから、どうしてもかまってしまったのだ。
 そのせいかどうかは分からないが、彼はだいぶ私に甘えていた。
 私もそれを、受け止めていたが。
 けど、あの日の和弘の態度には驚かされた。
 まっすぐな瞳で、涙をいっぱい溜めて、精一杯叫んだのだ。
 ”喧嘩は駄目だ”と。
 私は今まで、あんな弟の姿を見た事がなかった。
 いつも私のスカートの裾を握り、後ろで縮こまっていた和弘。
 けど、あの時、今まで一度も逆らわなかった私に向かって、あの子は自己主張をしたのだ。
 私は、胸が一杯になるのを感じた。
 驚きと嬉しさと申し訳なさ。
 3つの感情が合わさって、うっすらと涙さえ浮かんでしまった。
 頼りなさげな弟が、この時ばかりは頼もしく思えたのだ。

「ねぇちゃん、お風呂はいろー」
 結希が台所で洗い物を済ませた頃、パジャマを抱えた和弘が彼女のスカートの裾を引っ張った。
「あ、うん、じゃあ先に行っててよ。」
「うん。」
 彼はうなずき、とことこ風呂場へ向かう。結希は布巾でテーブルを拭いた後、自室にパジャマを取りに行く。
「ねぇちゃーん、早くー!」
「はいはい!」
 脱衣所にいる弟の声に急かされながら、ベッドの上に脱ぎ散らかされているパジャマを引ったくり、彼女は駆け足で脱衣所に向かった。
「お待たせ。」
「うー」
 なかなか脱げないシャツを首に引っかけながら、和弘は必死にもがいている。
「何やってんのよ、和弘……」
 結希は自分の服を脱ぎながら、弟の服をつまんで脱がしてやる。
「ぷあっ!」
 やっと脱げたシャツを洗濯かごに放り込みながら、今度はズボンをモソモソ脱ぎ始めた。
 そんな弟の無防備な下半身を、結希はぼんやり眺めている。
「かわいい………。」
 言葉が独りでに、口から漏れ出る。
「何が??」
 そう問う彼の声に、
「和弘のチンチン」
 くすくす笑いながら、結希はそう答えた。
「へ?」
 彼は間の抜けた返事をしつつ、自分の股間をのぞき込んでいる。
「和弘、早くお風呂に入ろ」
 弟のあどけない仕草に微笑みながら、彼女は彼の手を引き浴室へ入った。

「ふぅ………」
 一通り体を洗い終え、のんびり風呂に浸かっている結希は、大きなため息を一つついた。
「ねぇちゃん、あたま洗ってー」
「んー……」
 今だ自分でシャンプーできない和弘が、結希の腕を突っついた。
 今まで体を寝かせて浸かっていた結希は、あくびをかみ殺しながら上体を起こす。
「早く自分でシャンプー出来るようになんなきゃねぇ………」
 彼女はそうこぼしながら、浴槽に入ったままシャンプーのボトルを手でつかんだ。
 そしてポンプを押してシャンプー液を手に取り、それを弟の頭に塗りつける。
「頭動かしちゃダメだよ……」
 彼女はそう言い、片方の手で彼の頭を押さえつつ、もう片方で頭を優しく擦りはじめた。
 こしこしと擦れる音がして、次々に泡が沸いてくる。
 その泡が和弘の目の前にポロポロ落ち、彼はそれで遊び始めた。
「和弘、目開けてるとシャンプー入っちゃうよ。」
「だいじょうぶだよー」
 そう返し泡で遊ぶ彼の股間を、結希は何気なく見る。
 彼女の指の動きに連動して、それはふるふると揺れていた。
 そんな折り、彼女は良夫の赤黒く醜いモノを思い出す。
……この子も、あんなになっちゃうのかな?
 姉にシャンプーして貰い、無邪気に泡で遊んでいる和弘の仕草からは、到底良夫の様な態度は想像できなかった。
 血走った目で人を押し倒し、そしてひくついた肉棒を所構わず擦り付ける………
「和弘、女の子には優しくしなきゃダメだよ……」
 弟にはあんな男にはなって欲しくないという思いが、自然に口について出ていた。
「うん。」
 和弘はいつも通りの返事をする。
……本当に、分かってんのかしら?
 今だ泡で遊びながらの返事に、結希は少々不安を感じる。
「分かってるの? 和弘……」
 再びの姉の問に、
「うん!」
 彼は勢い良く返事をし、
[ぷに]
「うきゃあ!」
 目の前でぷるぷる揺れている、姉の乳首を指で押した。
「和弘! あんたなんつー事を!!」
「あははははっ!」
 元気に笑う和弘の頭に、結希は水を思いっきり掛けた。

17 Days Later.
 November 23 20:54 p.m.

 結希は、ずっと待っていた。
 場所は駅前の喫茶店。良夫に是非とも言わなければいけない事があると、彼を呼びだしずっと座っていたのだ。
 ここ数ヶ月、彼女の生理は遅れていた。
 初めは調子が悪いのかなどと考えていたのだが、それが1ヶ月も続くと、調子が悪いでは済まされないある事実を認識せざるを得なかった。
 妊娠。
 その答えを導き出した時、結希は恐怖を感じていた。
 到底、他人には相談できる事ではない。
 現に彼女は高校生で、ましてや結婚など、決して考えられない事であった。
 だから彼女は母親や律子にも内緒で、一人産院のドアをくぐったのだ。
 そしてそこで言われた事実に、彼女の恐怖は絶頂を迎えた。
 妊娠2ヶ月目だという。
 良夫にせがまれ避妊もせずに、そして、その結果がこれだったのだ。
 絶望に打ちひしがれながら、結希は一人帰路に就く。
 私が何か、悪い事でもしたのだろうか?
 そう責任転嫁をしたくても、思い当たる節は数多くあった。
 親や、大切に思う律子の言う事も聞かず、彼女は肉欲に溺れた。
 良夫にせがまれても、彼女はほとんど拒否する事はなかったのだ。
 だからその責任にほとんどは、彼女にある。
 何度もため息をつきつつ、家に向かうその道で、結希は自分の腹に手を置いた。
……ここには、私の赤ちゃんがいるんだ。
 何気なく、そう思った彼女自体が驚いた。
 胸の奥から、うれしさが沸き上がってきたのだ。
……私の赤ちゃん。
 もう一度そう念じると、急に腹が暖かくなった様な錯覚を覚え、そして、涙がぽろぽろ頬を伝っていった。
 それは、彼女が母親になった瞬間であろう。
 恐怖や絶望という感情はもはや消え失せ、喜びと、若干の将来の不安が残るだけだった。
……私も、赤ちゃんが産めるんだ。
 そう考えると、何か自分が誇らしく思えてならなかった。
 いわゆる”出来ちゃった結婚”となるかもしれないが、結希はそれはそれでいいと思った。
……いざとなれば学校を辞めて、良夫の元に行こう。
……そして彼と結婚して、優しいお母さんになろう!
 すでにこの時、結希は子供を産む決心を固めていた。
 それは無意識のうちであったが、彼女にとって、それが当たり前のように思えてならなかったのだ。
 だから彼女はまず手始めにと、その子の父親である良夫に、この事実を一番最初に知らせようとし、今日、彼を呼び出したのだった。
 喫茶店の椅子に座り、彼をじっと待ちながら、結希は彼の反応について色々想像を巡らせていた。
 多分最初は驚くだろうが、そのうち優しく接してくれるだろう。
 もちろん結婚してくれて、ちゃんと産めって言ってくれるだろう。
 今は何となく不良っぽいけど、すぐにまともになってくれるだろう………
 そんな自分勝手な、そして甘い幻想を抱きながら、彼女は喫茶店のドアを落ち着き無く見ていたのだった。

November 23 21:14 p.m.

 約束の時間から遅れる事約30分、良夫はようやく彼女の目の前に現れた。
「用事って何だ?」
 結希が事前に頼んでおいたジュースを飲み干しつつ、良夫はそう問うた。
「……あのね、私、妊娠したんだよ。」
 本当は色々遠回しに言ったりして、彼を色々困らせたかったのだが、あえて彼女は直接表現を用いた。
 この喜びを、一時でも早く良夫に知らせたいという、彼女の純粋な思いがそうさせたのだ。
「はぁっ!?」
 結希が予想したとおり、彼は一瞬動きが止まった。
「あの……産んでイイよね?」
 気恥ずかしさで顔を真っ赤に染めながら、俯く彼女はそう投げかける。
「……産めば?」
「ホントに!?」
 彼の言葉に、結希の心は嬉しさで一杯になる。彼女の望んだ返事を発した良夫がとても、頼もしい人間に感じてならなかった。
 すぐさま彼女は顔を上げ、そしてこれからの事を話し合おうとしたその時、
「俺の知ったこっちゃねぇし。……じゃ、帰るわ。」
 彼はそう言い放つと、席を立とうとした。
「ちょっと待ってよ!」
 ほぼ反射的に、結希は彼の手を引いた。
「何だよ、だから勝手に産めって言ってるだろ? 俺に何の関係があるんだよ。」
 渋々ながらも、彼はもう一度椅子に座り直した。
「だって、貴方の子供だよ!?」
 彼が言った言葉を思い出し、若干の遅れをもって彼女に絶望感が襲い掛かって来た。じんわりと、手の先が冷たくなってゆくのが、奇妙な非現実感と共に伝わって来る。
 まるで、自分が何かのドラマの主人公の様に思えてならなかった。
 夢だと言われるなら、夢であって欲しいと思った。
 そして、もしここで良夫を引き留められなければ、自分の存在を壊してしまいそうなほどの絶望が待っている事を、直感が必死に訴えていた。
「そんな証拠無いだろが。」
「でも! 私、貴方にしか抱かれた事無いもん!!」
「なんか証拠あンのかよ? お前援交しただろ? そん時オヤジとヤったんじゃねぇのかぁ?」
「貴方にしか抱かれてない!! 貴方にしか許してなかったもん!!」
 ここまで来ると、もう彼女は泣き散らしていた。
 良夫は何か異質な生物を見る様な目つきで、結希を見やっている。
 彼にとっては、彼女の訴えよりも、今こうして喫茶店で目立っている自分の存在が気がかりだったのだ。
「分かった分かった、もういいよ! 俺の子にしといてやるからさ、後は勝手にやってくれや。」
 そう言い、再び立ち上がろうとする彼を、結希は渾身の力で引き戻す。しかしその力は、あまり強いものではなかった。ブルブル震える手では、彼を引き留める事は出来なかったのだ。
 彼女の手を払いのけ、良夫はドアの方に向かってゆく。
 結希はジュースの代金をテーブルの上に投げおくと、慌てて彼を追いかけていった。
「待ってよ! こんなの酷いよ! 貴方の子供だよ!?」
 どんどん行ってしまう彼を、結希は小走りで追いかけてゆく。
「知った事かよ!! お前なんかもういらねえよ! 妊娠してるヤツなんか、気持ち悪くて仕方ねぇ!」
 その腕に縋ろうとする結希を、彼は乱暴に払いのける。
「だって貴方の子供じゃない!!」
 地面に半ば転げながらも、結希は必死に彼を追いかけていった。
「触わんなよ! もう別れるって言ってンだろうが!」
 追いついてきた彼女を、良夫は突き飛ばす。
 結希はそのままはじき飛ばされ、大きな通りのガードレールに体をぶつけた。
「待って! お願いだから!! 話を聞いてよ!」
 そしてしゃがみ込んだ彼女を後目に、良夫は点滅を始めている横断歩道を渡っていった。
「もう俺にはカンケーねぇよ!! いい加減にしろよ!」
 そう叫ぶ彼の声が、雑踏に消えかけていた。
「ねぇ!! お願いだから……待ってよお!」
 立ち上がり、彼に向かって手をさしのべる。
「もう別れるって言ってんだろーが! しつけぇんだよ!!」
 彼女の哀願を受け入れる事もなく、良夫は彼女を突き放す。
 そんな彼を追いかけようとして、結希は既に赤に変わった横断歩道に、わき目もふらず飛び出していったのだ。
 既に結希の目には、彼以外見えていなかった。
 だから歩行者用信号が、止まれと懸命に制していたにも関わらず、彼女の足は車道に向かって走り出していた。
「そんなぁ!! お願いだから待って! 待ってよぉ!」
 そう叫び、車道に飛び出した瞬間だった。人々の悲鳴が、結希の耳に飛び込んできたのだ。
 それが自分に向けて発せられている。
 彼女は反射的に右を見て、
「………ひぃっ!!」」
 そう引きつった声を上げた時には、もう既に遅すぎたのだ。
[キィィィィィィッッッッ!]
[……バンッ!]
 鋭いブレーキ音が聞こえたかと思うと、彼女の体にひどい衝撃が走った。
 体のあちこちが、今まで感じた事のない感覚を受けた。
 骨が折れ、関節が外れ、そしてRV車独特のバンパーで、腹部をえぐられるように突き上げられたのだ。
 次の瞬間勢いよく地面に叩き付けられ、その上をタイヤが2回、通り過ぎていった。
「がはっ!……」
 痛さと言うよりも、体の中身が口からあふれ出ていった感覚の方が、彼女にはずっとおぞましく感じられた。
 口から血が吹き出すのを、結希はずっと眺めていた。
 そして既に、下半身の感覚はなくなっている。
 息をしようにも、体が全く動いてくれないのだ。肺はもはや擦り潰され、その働きを完全に失っている。
 折れた肋骨が肺の血管を突き破り、その血が気管を通り、口にあふれ出ているのだ。
「ぁ……お、オレは知らねえからな!! 勝手に飛び出したんだからな……オレは知らねえぞ!!」
 激しい耳鳴りがする中、良夫のうろたえる声が聞こえてきた。
 彼は血相を変えて、さっさと逃げ出していたのだ。
 結希は今、彼との今生の別れを済ませたのだった。
「おい! 女のコが轢かれたぞ!」
「何で飛び出してくるんだヨォ……」
「なに、事故ぉ!?」
「やだー! 人が轢かれてるー!」
「うわー、ちょっとヤベんじゃねえの? これぇ……」
「だれか、救急車は呼んだか?」
「今、運転手が電話ボックスに……」
 あちらこちらで、人々の声がする。
 今になって私の事を心配してくれるのは、もちろん良夫などであるわけもなく、今まで会った事もない人々しかいないのだと、結希は心底悲しく思った。
 何とか起きあがろうとするが、やはり体は動かない。息苦しさで、目が回りそうだった。
 ぼやけた視界で見えるものは、心配そうに見つめる人々の顔と、自分の口から溢れる血の泡だけだ。
 人々の顔は、もはや同情を浮かべている。そんな彼らの表情から、結希は死を実感したのだ。
……血が……血が出ちゃう……だめ、死ねないよぉ……
 子宮に宿るわが子を想い、渾身の力を振り絞って助けを求める。
「……ぶこ……ぶく……ぐぶ………」
 けれどそれは声にはならず、わずか顎が動くのみ。
「おい、なんか言ってねえか?」
「わかるかヨォ……口から血の泡吐いてんだぜ!?」
「きゃー! 見てみて!! アレ腸とか飛び出してんじゃない!?」
「うぇ……マジかよ! エグイもん見ちまったぜ……」
 耳鳴りの洪水の向こうで、かすかに聞こえる人々の声から、自分の腹部がかなりひどい有様だと知った。
 そのとたん、脊髄を砕かれ既に感覚が消えていた腹部が、やんわりとした痛みを伝えてきたのだ。
……おなかが痛い……おなかが……わたしの………赤ちゃんが…………
 もう一度その腹を摩ろうと、結希は手を持ち上げた。
 そして子宮を庇うかの如く、腹の上に手を置いた。
 彼女の手には、柔らかな素肌の感覚が伝わってくる。
 しかし本当は手はぴくりとも動かず、彼女が撫でようとしたその腹は、バンパーによって引き裂かれていた。子宮も既に、破裂していたのだ。
 だが確かに、彼女は自分の肌を感じていた。地面に転がっているはずの腕で腹をさすり、そこに宿る我が子を想う。
 それは彼女の幻覚だったかも知れないし、または、魂の感覚だったのかも知れない。
 既に痛みも消え失せ、急速に外界からの情報が消えてゆく。
 辺りは静寂によって支配され、平衡感覚さえ感じなくなっていった。
「ぶっ……ぐぶっ………………………。」
 赤ちゃんの名前、何にしよっか?
 結希の言いたかったこの言葉は、ついに人々に聞かれる事はなかった。
「おい! なんか動かなくなったぞ!? 救急車はまだかよ!?」
「もうダメなんじゃねえの、こいつ……」
「あ、来た来た! 救急車よ!」
「もうおせえって……死んでるよ、こいつ。」
「女もこうなっちゃ、おしまいだよな……」
 救急車の鳴らすサイレンは、もう既に冷たくなり始めた結希にとっては、なんの意味の無いものだった………

PHASE_11 [裕一 5]

December 23 19:12 p.m.

「ほんと、私ってバカよねー、車来てんのに飛び出しちゃんだもん。結局赤ちゃんも一緒に死んじゃった………本当にバカだよ、私って!……バカよ………バカだあ!!」
 そう言って、結希は顔を押さえて泣き始めてしまった。
 裕一は何も言わず、打ち震える彼女を抱きしめる。
「裕一………!」
 彼女もそれに応え、彼の背中に手を回す。
「もう自分がイヤになるよ!! せっかく赤ちゃん出来たのに、産んであげられなかった! 律子に心配ばっかり掛けてた! 母さんに全然謝れなかった!!
 バカだよ、私って!! ホントにバカだ………!!」
 より声を大きくし、結希は泣き続ける。
 裕一はそんな彼女の頭を、優しくなで続けていた。
 静かな部屋の中には、いつも通りのエアコンの動作音と、そして結希の泣き声のみが響いている。
 前日彼女は一人で泣きはらしていたのだが、今日は裕一に抱きしめられているのだ。それが彼女にとって、途方もなく幸せな事だった。
 エアコンよりも、裕一の体温が心地いい。結希はその胸に抱かれて、思う存分泣いたのだった。

 それから30分程過ぎ、結希はだいぶ落ち着きを取り戻していた。
 そして未だ彼の腕に抱かれながら、結希は話の続きをし始めていた。
「……それでね、もう絶対セックスなんてしないって心に決めたのよ。だって子供が出来ても、結局産んであげられなかった……それにあいつは、結局私の体だけを望んでいたんだもん! だから、もうセックスなんて大ッ嫌いだ………! 私はずっと、そう思っていたのよ……貴方の部屋で……」
「え!?」
 時々鼻をすすりながら話す結希の言葉に、裕一は驚きの声を発した。
「それって、どういう事………?」
「……思い出したのよ。私が貴方の事を知っているわけを。……あの日、車に轢かれて私は死んだ………。赤ちゃんの事、律子の事、そして母さんの事なんかを考えている内に、私はこの部屋の、あそこの隅に立っていたの。」
 結希が指さすその場所は、以前彼が植木鉢を置いていた場所だった。
 彼女は顔を上げ、目を擦りながら話を続ける。
「そして1週間……。私は、ずっと貴方を見ていたのよ。いつも寂しそうで、本をじっと読んでいる貴方を。だから私は、貴方の事を知っているのよ………。」
「………じゃあ、僕がしてた事、全部見てたの?」
 部屋の隅を見ながら、裕一はうわ言の様にそう問うた。
「うん、全部見てたよ………。貴方がご飯を食べたりテレビを見たり、そして勉強してたり本を読んでたり………。そして布団を敷いて、時々オナニーしてたりするのも………。
 貴方はずっと寂しそうだった……。でも、いつも一生懸命で、そして繊細だった………。……だから、私は貴方の事嫌いじゃなかった。だから私は、貴方と一緒にいようと思ったのよ。」
「何だか、恥ずかしいや………」
 顔を赤くしながら、裕一は結希の顔を見る。彼女もまた彼の顔を見ながら、言葉を続けた。
「そしてね、何日か経って……急に体に感覚が戻ったのよ。その時の事は、私良く覚えてないんだけど、貴方の名前を聞いて、自分の名前も聞いたんだっけ……?」
「うん。」
 彼女の問いかけに、裕一は頷いた。
「そして、名前を聞いたとたんかなぁ……急に体から力が抜けて、立ってらんなくなって………。気づいたら貴方に悪戯されてた。
 怖かった! 貴方の事じゃなくて、体を触られる事が………。良夫にいじられてるのを思い出したのよ! そして、車に轢かれた事も!!
 もう、後はワケ分かんなくなっちゃって………ただ、裕一にずっと抱かれてた事は分かったなぁ。……あんなにぎゅっと抱きしめられたのは、初めてだったかも………。
 ……後は、裕一も知ってる通りよ。」
 そう言い終わった彼女は、薄い笑みを浮かべる。
 未だ涙と溜め、目を真っ赤に腫らした結希が、彼にはとても痛々しく感じられてならなかった。
 そしてそんな彼女を見ていて、結希がセックスに対して激しい嫌悪感を持っているその理由が、彼にはやっと理解できたのだ。
「ごめん、ユキさん………」
 彼の口から、自然に詫びの言葉が出る。辛い過去を背負っている彼女を、セックスがしたいために造った自分が、非常に憎らしく思えてきてならなかったからだ。
「どうして貴方が謝るの?」
 結希は彼をじっと見る。
「僕は、ユキさんをオモチャにしようとしてた……だから悪いって思ってる。」
 裕一の口調には、強い意志が感じられる。彼女はそれを、頼もしく思った。
「別に貴方は悪くないよ。……ただ、私が間抜けだっただけよ………はぁ………赤ちゃん、何のために私のお腹にいたんだろう………もっと他のいい人の所に行けば、ちゃんと生まれて来れたのに………。」
 そう言う結希は、自分の腹に手を添え、
「産んであげたかったよ………私の赤ちゃん………。」
 彼女はそのまま頭を垂れ、再び涙を滲ませる。
 その様子を見ていた裕一は、意を決して彼女に言った。
「……ユキさん、僕がユキさんの子供を産ませる。」
「えっ!?」
 彼の思いがけない言葉に、結希は自分の耳を疑った。そして慌てて裕一を見る。
「僕じゃいや? それとも、もうセックスはしたくない?」
 そう言う彼の瞳が、結希の胸を熱くする。
「ぁ……あの、裕一なら、いいけど………でも、私、人間じゃないんでしょ?」
 うわずった声で返事をしながら、結希は自分の真の姿を悲しく思う。
「ユキさんは人間だよ!! だって、こうして生きてるじゃないか!! 暖かくて、一緒にお話しして、泣いて……人間じゃないと出来ない事ばかりだよ!」
 そう叫ぶ彼の手が、がっしりと結希の肩をつかんでいる。
 その強い力に痛みを覚えるも、結希はそれがたまらなく愛おしかった。
 いつもは女々しい裕一が、実に頼りがいを感じさせるからだ。
「裕一……私、いつもウジウジしてる貴方なんて大ッ嫌い。………でも、すごく愛してる………。だから、貴方の赤ちゃん、産んでもいいよ。」
 そう言える自分に幸せを感じ、彼女の胸は一杯になる。
「いいの?」
「うん。……だから、抱いて。」
 その言葉に対する返事は、もはやなかった。
 裕一は彼女の体を抱き寄せると、その唇に自らの唇を合わせた。
「んっ………」
 裕一はまだ経験がほとんどないので、唇を合わせる事までしか出来なかった。しかし結希はそんな彼をリードするように、彼の口に舌を差し入れる。そして裕一の舌を捉えると、それを懸命に蠢かした。
 その、初めてのディープキスに一瞬驚く裕一であるが、彼もまた結希の舌の動きに合わせ、舌を貪るように動かした。
 彼らの合わさる唇から、唾液がぽたぽた垂れ落ちてゆく。
 それでも彼らは息が保つまで、必死にキスを続けていた。
 口が離れて乱れた息を整えながら、彼らはお互いの顔を見つめ合う。
 両方が両方共に、鼓動の高鳴りを覚えていた。
 裕一が結希の躰に抱きつくと、彼女もそれに合わせて上半身を倒す。
 彼はもう一度キスを試みる。
 結希もそれに応じ、再び口でお互いを貪り合った。
「……キスって、すごいんだ………」
 息も絶え絶えに、裕一がそう呟いた。
「だって……貴方の事好きなんだもん……」
「あれ? 嫌いじゃなかったの?」
「あ……愛してるの!! 好きよりパワーがあるのよ!」
「僕も、ユキさんのこと愛してるし、それに大好きだよ。」
「うん……嬉しい……」
 そう返した結希の顔は、本当に幸せそうだった。
 彼女の顔を見て、裕一の心は開放感で満たされる。
 もう、結希を縛るものは何もない。彼の直感が、そう告げているのだ。
「あの、服脱がしてもいい?」
 照れながらそう聞く裕一に、
「もう、そう言う時は、何も言わずにしていいの!」
 結希は少々ふくれながら、そう返す。けれどもすぐに笑顔に戻り、
「……でも裕一らしいよね、そういうのって……だから初めから言っておくよ。私の事、好きにしていいから。だから、いちいち聞くのは無しだよ?」
 と、彼に向かってそう言った。その返事を聞いて、
「うん、じゃあ、するよ?」
 言うなと言われたのにも関わらず、再び問い返す裕一に、
 だから、いいってば!
 結希が意地になってそう言い返得そうとしたとたん、裕一の手が彼女の胸に乗せられた。
「んっ……!」
 先ほどのキスのおかげで、躰は十分敏感になっていた。彼女の言葉は、胸からせり上がる快感にかき消されてしまったのだ。
 そして彼の手が、服の上から優しく乳房を揉み始める。
「ぁっ……ぅんっ………んっ……」
 自然に零れる喘ぎ声。それは裕一にとっても、とても心地いいものだった。
 彼は結希の着ているセーターを脱がし、中のブラウスのボタンを外してゆく。
 その中からは、以前二人で買いに行ったブラジャーが、慎ましげな胸を覆っていた。
 それを見て、彼にはそれを買いにいった日が、とても昔の事のように思えてならなかった。実際はほんの1ヶ月くらい前だったのだが、その間にはいろんな事があったからだ。
 結希と喧嘩をしたのは何回だろうか。不良と喧嘩をして、ナイフで斬り付けられた事もあった。国会図書館で変な質問をされ、行きつけの古本屋は閉店した。そしてつい最近は雪国まで、本の作者を求めて行った。
 そのおかげで、今こうして結希は彼に対して心を開いている。
 彼自身、自分で作り出した結果とは思っていないのだが、今までの行動を省みて、彼は自信を少しずつだが取り戻していったのだ。
 裕一は結希のブラを外そうと、その背中に手を回す。
 そして背中を持ち上げようとすると、その背中は思ったよりも軽かった。
 彼は、じっくり結希を見る。
 今、彼の腕の中で顔を赤らめはにかむ彼女は、とても小さな存在だったのだ。肩幅も、自分とは違い全く小さい。きゅっと締まったウエストも、とても頼りなげだ。
 けれども、女はこの小さな体で命をはぐくむ。
 現に、結希の胎内には子供がいたのだ。
 そう考えると、裕一は彼女がより愛おしいものに思え、大切に扱わなければならないものだと、強く認識させられた。
 ブラの後ろのホックを外し、それを彼女の腕から取り去った。
 薄桃色に色づいた乳房が二つ、彼女の動きと共にふるふる揺れている。
 その乳房を掴み、口で吸い、力任せににこね回したい欲望をぐっと抑えつけ、裕一は優しく手を添える。
「熱いや………」
 彼がそう口走るほどに、そこは熱くなっていた。
「裕一が見てるからよ………」
 潤んだ目で言う結希の顔も、先ほどよりも赤らんでいた。
 乳房を覆う手に、力が加わる。彼の手の動きと共に、それは柔らかく形を変える。
 以前彼が触った美由紀の胸とは違い、柔らかさは乏しいかった。がしかし、その弾力は比べものにならない程だ。
 少し形をゆがませ、すっと手を離す。
 すると乳房はぷるんと震え、元の形に戻るのだ。
 その様がとても可愛く、彼の視線は釘付けとなる。
 何度も何度も胸を揉み、それがふるふる震える様子を見ている。
「裕一……切ないよ………」
 もう幾度目か、彼が乳房を揉んだ時だろうか、涙声の結希が、彼にそう訴えた。
「あっ……ごめん、ユキさん!」
 彼は反射的に腕を引っ込め、そう謝った。
「違うの……もっと気持ち良くしてって事。もっと触っててもいいから、他の所もして………」
 結希は彼の手を取り、またそれを乳房に導いた。
「うん、じゃ、もっといろいろするから……」
 そう返す裕一は顔を胸に近づけ、その小さい乳首口に含んだ。そして舌を小刻みに動かし、乳首に刺激を加えてゆく。
[ちゅ………ちゅるちゅる………ちゅぷ………]
「ふあ……あっ………ああっ………んっ!………」
 より直接的な刺激が、彼女の躰に伝わってくる。
 彼の口の中で、小さな乳首が立っている。それ舌を当て、裕一は優しく刺激した。
 そして結希は無意識のうちに、彼の頭を抱きしめていた。
[ちゅ!……れろれろ………ちゅ………ちゅ………]
 彼は舌を蠢かしながら、乳房、鳩尾、腹と順々に舐めてゆく。
 今まで乳房を揉み続けていた右手がそこから離され、ウエストのラインをすっと撫でながら、彼女の履いているジーンズを脱がしに掛かった。
 ファスナーを降ろし、ボタンを外し、そして結希がちょっと尻を上げるのを確認して、一気に下ろそうとした。
 ジーンズはそれに従ったが、パンティーも一緒にずれて、下腹部の薄いアンダーヘアが少し見える。
「あっ……恥ずかしいよぉ………」
 今まで足の力を抜いていた結希であったが、慌てて股間を閉じ、躰をよじる。
 裕一はそんな彼女の太股に手を置き、それをすっとさすった。
「んっ………」
「ユキさんの足、とっても綺麗だね。」
 彼はそう言い、乳首を再び口に含んだ。
「あんっ!……うれしい………」
 太股から内股、そして下腹部をやんわり愛撫され、結希は足の力を抜いていく。
「裕一……貴方も服脱いでよ……私だけだとずるい………」
 真っ赤に火照った彼女が、甘えた声でそう呟いた。
「あ……うん……でも、パンツも脱ぐの?」
 上着に手を掛けながら、裕一は問う。
「うん………裕一の、見たい。」
 彼女の手が動き、大きく張った彼の股間に添えられた。
「あっ………あの、でも………恥ずかしいよ………」
 そう拒否する様な声を上げても、彼はズボンごと下着も脱ぎ、そして下半身を結希にさらした。
 ピンと突き出た彼のソコが、結希に向かって伸びている。
「これが裕一のなんだね………」
 彼の鼓動と共に小刻みに震えるそれを見ながら、結希は優しく呟いた。
「……あの、でも、そんなに大きくないし………それに早漏だって言われたし………」
 彼がそう言った直後だった。男性自身は張りを失い、だらんと下に垂れ下がってしまった。
 裕一は照れ隠しに言ったつもりだったのだが、それは彼自身のコンプレックスを呼び戻す結果となってしまったのだ。
「やっぱり、女のコはそういうのイヤなんでしょ?」
 自嘲気味に、彼はそう呟いた。
「……どうしてそんな事言うの?」
 結希はずり落ちたパンティーをあげながら、そう問い返す。
「うん………まだユキさんがここに来る前、僕は美由紀さんっていう、高校時代の同級生とこういうコトしたんだけど……その時にそう言われて………」
 その場にしゃがみ込み、裕一は辛そうな笑みを浮かべた。
「……で、男の人のあそこは大きくなきゃダメって思ったの?」
 結希も起きあがり、彼の対面に座り込む。
「うん………。だって、そうじゃなきゃ気持ち良く無いんじゃないかって………それに、全然美由紀さん気持ち良くないみたいだったし………」
「ふーん………。裕一、その美由紀さんって人の事、好きだったの?」
 結希は彼の顔をのぞき込むようにしてそう問いかける。
「うん、高校時代、ずっと好きだった………。だから余計悔しかった………。」
「そっか………。」
 頭を垂れる裕一は、沈痛な面もちだった。
 結希は彼の顔を無理矢理持ち上げると、自分の乳房を間近に寄せる。
「ねぇ裕一、私の胸ってけっこう小さいでしょ?」
 彼の顔から手を放し、自分の胸を軽くつかむ。
「裕一は、私の胸小さいと気持ち良くない? それとも嫌い? 大きくないと、私とセックスしたくない?」
 にっこり微笑みながら、結希はそう言った。
「そんな事無いよ!! ユキさんの胸、とっても可愛いから……好きだよ、すごく!」
 彼ははっきりと、そう返事をした。その返事に満足した結希は、視線を下に移しながら、
「だったら、私も裕一の小さいちんちん、可愛くて好き。大きくても大きくなくても、裕一のだから好き。……それじゃダメ?」
 そしてそっと、彼の股間をさすって言う。
「あ、そ、そんな事無いけど……でも、その、すぐに出しちゃうし………」
 少しずつだが堅さを取り戻しつつある自分の男性自身を感じつつも、彼には最後の”たが”が残っていた。
「じゃあ、前に出しとけばいいんじゃない?」
 けれども、結希はあっさりとそう言った。
「え!?」
 そんな声を上げながら、彼は結希の顔を見る。
「だからさ、早く出ちゃうなら、する前に一回出しとけばいいじゃない。そうすれば、男の人は長く保つんでしょ?」
「あ……そうか、そうだよね………。先に出しとけば良いんだ………」
 虚をつかれたようにそう呟く彼を、結希はくすくす笑いながら見ていた。
「あ、あの、じゃあ出してくるからちょっと待っててよ………」
 彼はそう言い、立ち上がろうとする。
「へ? どこ行くの?」
 彼の腕を掴み、結希が聞く。
「あの、トイレで………」
 真顔でそう答える彼に、結希はあきれ顔で、
「もう!! 何言ってるのよ、私がしてあげるから、そこに寝て!」
 彼の腕を、もう一度強く引っ張った。
「え……でも………。」
「いいから!」
 何か言いたそうな彼を押し切り、結希は彼を座らせる。
「裕一は、なんにもしなくていいからね。……こう見えても私、けっこう得意なんだよ?」
 にっこりと微笑みながら、彼女は裕一の男性自身を両手でさする。
「あ、あの………!」
 そう間の抜けた声を出す裕一を後目に、彼のソコは大きく膨れ上がってゆく。
「今度は、私が気持ち良くしてあげるからね。」
 彼女はそう言うと、彼の亀頭を一舐めした。
[ぺろり]
「ぁんっ!」
 まるで女の様な声を上げ、裕一の体が一回震える。
 結希はそれに満足したのか、可愛らしい舌でチロチロそこを舐め始める。右手で鞘を優しくしごき、左手で袋の部分を軽く揉む。
 そして唇に唾液を塗りつけ、顔を前に動かした。
 彼の一部が唇に包まれながら、口の中に入ってゆく。
 それと同時に彼女の舌が、彼の脈打つそれをゆったりと包み込んだ。
「はっ……あぅっ!………」
 その気持ちの良さに、彼は腰をひくひく動かしている。
 手持ちぶさたな彼の手が、自然に結希の頭に伸び、髪を優しくすいてやる。
 以前美由紀にされたフェラチオは、動きが激しくそれはそれで心地よかった。がしかし、結希のそれはまるで格が違う。
 彼の男性自身から、快感をじっくりと絞り出す様な、優しく濃厚な動きなのだ。
「あっ……ふぁっ………あ゛っ………うっ………」
 彼女の手が動く度、彼女の舌が動く度、彼の口から喘ぎが零れる。
[じゅぷ………くぷくぷ………ちゅ………グチュ………]
 口の中で舌を蠢かされたと思えば、深いインサートで男性自身全体を優しく包む。そしてそれはゆっくりと引き抜かれてゆき、亀頭のみが口の中に残ったところで唇をぎゅっとすぼめる。
 その間にも右手がさすり続け、全体への刺激を忘れない。
 始めてから5分位で、彼は射精感を覚えたのだった。
「あっ……ユキさん、もう出るよ、早く抜かないと!」
 彼はそう言うが、結希の手と口は止まらない。
 以前美由紀の口内で射精し、激しく叱責された恐怖が舞い戻ってくるのを彼は感じる。
「ユキさん、出るよ、出ちゃうから………!」
[ちゅぶちゅぶ……くぷっ………んぐっ………じゅぷ………]
 彼の制止の声にも、結希は答えようとはしなかった。
 依然舌は亀頭を包み、鞘に当たる部分は柔らかな手で撫でられている。
 ズルズルズル………
 彼は、液が男性自身にせり上がってくるのを感じる。
 裕一は仕方無しに、彼女の頭を手で押し返そうとした。
 しかし、その手は結希によって、優しく押し戻されてしまった。
 そしてそのまま、彼の手を握ったままだ。
「ユキさんっ!!」
 彼がそう叫んだと同時に、男性自身が熱くなり、腰がしびれる様な感覚を受ける。液が亀頭に殺到し、内側から激しく飛び出そうとする。
 裕一は何とか我慢しようとするが、ユキの口がそれを許さなかった。
 舌先で、優しく亀頭の先をつつくのだ。
 その柔らかな刺激で、彼の精液が、堰を切って流れ出す。
「う゛っ!!」
 のどの奥から絞り出す様な声と共に、激しい脈動がペニスを打ち震えさせた。
[びゅっ! びゅっ! びゅっ!!]
 精液が彼女ののどの奥にあたる音が、うっすらと聞こえた。
 裕一の腰はより小刻みに震え、精液を、一滴たりとも逃さずユキの口にそそぎ込もうとする。
 彼女もまた、彼の男性自身を吸い、精液を全て絞りだそうとしている。
「あっ……うっ……はぁっ……あ………」
 未だ激しく吸い続けられる男性自身をびくつかせながら、彼は絶望感が襲ってくるのを感じていた。
[ぐぷっ………ん………んんっ………ごくっ!]
 結希は少しずつ頭を引き、彼女の唇で包まれたものをゆっくりと引き出して行く。
 そして最後に、
[ちゅぷ!]
 と、名残を惜しむかのようにきつく吸い、口から勢いよく放したのだった。
「……裕一の、濃かったなぁ………。」
 唇を舌で舐めながら、口の周りに付いた唾液を飲み込む。
 そしてニコッと、彼に微笑んだ。
「あ、あの!! ごめん、中に出しちゃって!」
 裕一は結希の表情を見る前に、頭を下げて謝った。彼の中では、結希はきっと怒ってるに違いないと思っていたからだ。
「裕一!!」
 結希のきつい声が飛ぶ。彼はその声に反応し、体をびくっと震わせた。
「もう、何でいちいち謝るのよ………」
 ちょっと不機嫌そうな彼女に、
「あの、だって、中で出しちゃったから………美由紀さんの時にそうしちゃって、その時殴られたから………」
 まるで母親にしかられた子供のように、裕一は小さくなってそう答えた。
「はぁ………。もう最低………。」
 ためいき混じりの彼女の言葉に、裕一の絶望感は絶頂に達していた。
 またもや女といやらしい事をしている時に、相手を怒らせてしまった。
 今までそそり立つように膨れていた彼の男性自身も、急速にその大きさを失っていく。
「ごめん、ユキさん………。」
 そう悲しげに言う裕一の顔に、急に結希の両手が添えられた。
「ホント、あんたって最低だよ。私とエッチな事してるのに、何で他の女の名前出すの?……その人とどんな事があったか分かんないけど、私にだったら何してもいいんだよ?」
 彼の瞳を、結希はじっと見つめている。
「でも………」
 すっと瞳を逸らし、裕一は言葉を濁した。
「ねぇ裕一………昔美由紀さんって人とした時、一体どうしたの?」
 柔らかな声で、結希はそっと問いかける。
「ね? だから、どういうコトして、一体どうされたのか、全部私に教えてよ。」
 ちゅっ!
 優しいキスが、再び彼の唇を奪った。
「……うん、今度は僕が話す番だね………」
 結希がじっと見つめる中、彼は美由紀との初体験を話し始める。
 お互いに布団の上でしゃがみ込み、首を垂れながら語る裕一の言葉を、結希はその隣で聞いている。
「……春に、同窓会があったんだ。その帰りに、美由紀さんに誘われて、ホテルに行ったんだ………。」
 彼のいつに無く沈んだ態度に、結希の沈むようだった。だからこそ、彼女は努めて明るく受け答えをする。
「へぇ、裕一が誘ったの?」
「あ、ちがうよ、美由紀さんが誘ってきたんだ。……で、お互いシャワーを浴びて、そういうコト始めたんだけど………最初美由紀さんの胸、ずっと触ってたら怒られて………。」
「えっ? どうしてよ?」
「うん………強くするなって言われて………」
「あ、強く揉みすぎたのね。確かに、胸強くされると痛いからね。」
 結希が肯く中、彼の話は続けられる。
「うん………。そして、それから美由紀さんのあそこ触って……そして入れようとして、また怒られたんだっけ。」
「なんで??」
「うん、そん時ワケ分かんなくなっちゃって、その……コンドーム付けるの忘れてて………」
 自分の無知を恥ずかしく思い、彼は苦笑している。
「あ、そっか……赤ちゃん出来ちゃうもんね。」
 自分の失敗を思い出し、彼女の顔は若干曇る。しかしそれではいけないと思い、結希は彼に合わせて微笑んだ。
「うん……それで、コンドーム付けて貰って……あ、その時にも怒られたんだっけ。何でこんな事も分からないのかって。」
「ふんふん………。でも、その時裕一童貞だったんでしょ?」
「うん。」
「じゃ、分かるワケ無いよねぇ、いきなりあんなの渡されても。」
「やっぱりそうなの?」
「そりゃそうでしょ?……私だって最初なんだこれって思ったよ。……それにしても、ホントいろいろ怒られたんだね……」
「うん……だから、美由紀さんには悪い事したってホントに思ってるよ。」
「そうなんだ……で、それからは?」
「あ、それで、付けて貰ってから、ちゃんと……じゃ無くて、入れられなかったから美由紀んに入れて貰って………でも、その、すぐに出しちゃって………。」
「それでまた怒られたの?」
「ううん、なんか飽きられちゃったみたい………。そしてね、先みたいに口でして貰ったんだ。」
 彼の初体験の波乱ぶりを聞かされ、結希は彼を可哀相に思うも、同じ女として美由紀に若干の同情を抱く事を禁じ得なかった。
「で、また怒られたって言ったよね。」
「うん………。気持ち良くって、まだ大丈夫かなって思ったんだけど………なんかぎゅって握られて、良く分かんないんだけど、いきなり出そうになって……そのまま出しちゃったんだ、口の中で。……美由紀さん、激しくむせて、そしてひっぱたかれた。」
 彼は無意識のうちに、叩かれた頬をさすった。
「はぁ………。確かに急に出されると、辛いものはあるわね………。」
 うんうんと、何度も肯く彼女。
「うん、気管に入っちゃったみたいで、すごい咳して吐き出してた………。」
「それで、思いっきりひっぱたかれたの?」
「うん………。それでまだやれって言われて、美由紀さんのあそこ、舐めたりしてたんだけど、全然気持ち良くないって言われて………そして、なんか急に焦ったように服来て、そのまま外に出ていったんだっけ………。」
「で、それから?」
「……うん、もうそれっきり会ってないんだ………。」
 彼は話し終わると、大きなため息を付く。
「そっか………。だからいちいち謝ったんだね。」
 彼の話を聞きながら、結希はなぜ彼がおどおどした振る舞いを続けるのか、その原因の一つを理解したのだった。
 打ちひしがれたように首を垂れる彼を見つめながら、彼女は言葉を続ける。
「ねぇ裕一、その美由紀さんって人とキスしたんでしょ?」
「うん、したけど………。」
 下を向いたままの彼の答えに、彼女はうんうんと肯く。
「あのね裕一、こういう話って聞いた事ない? 女って、キスするくらいならセックスした方がいい時もあるって事。」
 その彼女の言葉に、裕一は思わず顔を上げる。
「それって………?」
「うん、美由紀さんって人がね、本当はどう思ってるかは分かんないけどさ、キスさせてくれたなら、貴方に好意は持っていたって事じゃないかしら?」
 そう話す結希の前で、裕一の表情はほんの少しだが明るくなった。
「あの、ユキさんは、どうなの?
 彼の問いに、
「私、ねぇ………うん、私もキスは好きな人じゃないと嫌かな………。セックスももちろんヤだけど、キスするのはもっと嫌かも。」
 彼女はしっかり、そう答えた。
「じゃあ、美由紀さんは僕の事嫌いじゃないのかな?」
 縋る様な目つきで言った裕一に、結希は言う。
「嫌いだなんて、言われなかったんでしょ?」
「うん。」
「それにね、小さいとか早漏とか、そんなので嫌いになったらさ、速攻出て行かれたと思うよ? だって、一応は最後まで付き合ってくれたんでしょ?」
「そうかもしんない………。」
「そうよ。だから、その美由紀さんって人にさ、貴方そんなに嫌われてないわよ。」
 そう言い放った彼女の言葉に、裕一の心のつかえが、少しずつだがほころんでいく。
「そっか………。でも、さっきみたいに口に出しちゃうのは?」
「別にイイよ、私は。だって裕一は出るって言ってくれたし。それに、私は男の人と飲むの、別に嫌じゃないから。……だから、謝らなくていいんだよ。」
 そう諭す結希の顔が、ワザと不満そうな表情を作った。
「うん、ごめん………。」
 ついうっかり謝る裕一に、
「だから!!」
 結希の叱責が再び飛んだ。
「っ!!」
 再びびくっと体を震わせ、彼は受けの姿勢をとる。
「もう!! 私貴方の事、ぶった事ある!?……だから裕一、早くえっちな事しよ? まだ元気でしょ?」
 そう言う彼女の顔は、再び優しいものに変わっていた。
「うん………。でも、いまいち自信ないな………」
 彼は再び結希の胸をを揉み始めるが、その表情は若干浮かなそうだ。
「なにが?」
 そんな彼の顔を見て、結希は続きを促した。
「うん、やっぱり早かったでしょ?」
「あ……その事ね………。私も一人の男しか知らないから良く分かんないけど、昔のヤツより長かったよ? 普通じゃないのかなぁ?」
 彼女はそう言いながら、裕一の男性自身をすっとさすった。
「あっ……そうなの!? 早漏とかじゃないの?」
 喘ぎ声混じりに、彼は問い返す。
「うん、別にそんなんじゃないと思うよ。あんまり遅いのも何だか嫌だし……裕一が感じてくれて、私嬉しかったよ。」
「!……嬉しいの?」
 結希の言葉に意外を感じ、そして彼の顔に喜びが戻った。
「当たり前じゃない………。愛してる人が感じてくれるんだもん。最高に嬉しいよ。」
「嬉しいんだ……そっか、女のコも同じなんだね。」
「うん。だから裕一、二人で気持ちいいコト、しよ?」
「うん!」
[チュッ!]
 彼は再びキスをする。そして、彼女もそれを受け止める。
 裕一は舌を蠢かしながら、右手を彼女の股間に当て、それをゆっくりさすり始める。
「あっくぅっ……んんっ………あっ………」
 キスの合間に喘ぎが零れ、結希の呼吸も荒くなる。
 唇を放し、右手を動かし続けたまま、今度は乳首に吸い付いた。
[ちゅっ………ちゅるちゅるっ……じゅっ!]
 舌で念入りにしゃぶり、味わい、そして吸う。
 それに合わせて、結希の声も大きくなる。
「くあぁっ……あっ……んんっ!………うっ……」
 裕一は、そんな彼女の顔をちらっと見た。
 真っ赤な顔で目をきゅっと瞑り、時々歯を食いしばって喘いでいる。
 そんな結希が、この上ない可愛いものだと、彼はまたもや再認識した。
 彼女に添えた右手の中で、中指だけを曲げてみる。それを彼女のくぼみに合わせ、掻き出すように動かしてみる。
「うううっ!!」
 結希の声と共に、パンティーにじわっとシミが広がる。
……感じてるんだ!
 彼女のそこを撫で続ける右手に水分を感じ、裕一の心は踊り出さんがばかりであった。
「ユキさん、気持ちがいい!?」
 思わず彼が言ったそんな言葉に、
「ばかぁ……気持ち良くなきゃ声なんか出ないよ!」
 真っ赤な顔で、彼女は答える。
 美由紀の時には全くと言っていいほど駄目だったが、今は結希を十分に喜ばせているのだ。
 彼の手は自然に動きが早くなり、より大胆な動きを見せ始める。
 しゅるしゅるという小さな布ずれの音と共に、
「あっ!……あっ!……あうっ!!」
 結希の声もまた、一段と大きくなった。
 彼の鼓動は何時しか、うるさいほどに聞こえるようになっている。
 股間の男性自身も、痛いほどに勃起している。
 裕一はもっと彼女を喜ばそうと、手の動きを変えたりして、より色々な場所に愛撫を加えていった。
 その度に反応を示してくれる彼女に、彼は何度も喜びを感じた。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
 しばらく愛撫をしているうちに、結希の喘ぎはかすれ声が混ざるようになっていた。
……もう、イイかな? ちょっと濡れが足りないけど、そのうち出るよ……
 結希は、この状態が挿入を迎える準備が出来た事を示すものだと分かっていた。
「裕一、もういいよ、だから裕一も気持ち良くなって……」
 涙を溜めた目をうっすら開きながら、彼女は彼にそう告げる。
「あの、じゃあ、いいの?」
 確認を入れる裕一に、
「うん、しよ……セックス……。」
 結希はそう言い、今まで伸ばしていた足を曲げ、膝を立てるようにする。
「じゃあ、パンティー脱がすから………」
「うん。」
 結希の返事を確認し、裕一はパンティーを下ろすためにその両端をつかむ。
 それに合わせ、結希は腰をちょっと持ち上げた。
 ゴクリ。のどを鳴らしながら、彼はパンティーを下ろしてゆく。
 しかし、彼には一つだけ気になる事があった。
 美由紀のそこを見た時、彼が感じた嫌悪感である。
……もし、あんなに汚かったらどうしよう………。
 そう思い、彼は視線を結希の顔に固定したまま、パンティーを下ろしていったのだ。
 けれど、パンティーを膝までずらした時、結希の視線と彼の視線が重なった。
 うっすらと微笑む結希の顔に、今自分のしている事の、申し訳なさを感じる。
 だから彼は、思い切って結希の最も女である場所を見た。
……僕は、ユキさんの全てが好きなんだ!!
 そう念じ、彼女の愛液がしみ出すその場所を、じっと見る裕一。
「綺麗だ! ユキさんのあそこ、すっごい綺麗だ!」
 言った後に本人が照れを感じるほど、ダイレクトな感想だった。
 ピンク色をした二つのひだが、薄く白い液に濡れて光っている。そしてそのひだのさらに奥には、サーモンピンクの小さなひだが、こぢんまりと収まっている。
 色素の沈着もない、幼げなその場所に、嫌悪感など一切感じはしなかったのだ。
「裕一ぃ………恥ずかしいよぉ………」
 結希が顔を手で覆い、羞恥の声を上げるまで、彼はじっとそこを見つめていた。
「あっ! ごめん……って、言っちゃいけないんだっけ………」
「ばかぁ………」
 顔を未だ押さえながら、彼女の口から小さく聞こえる。
「ユキさん、いくよ?」
 彼はそう問いながら、彼女の膝の内側に手を入れ、それをくっと押し広げた。
「んっ……」
 小さく発せられた羞恥の声と共に、結希の躰はぴくっと震える。
 彼女自身、あきれかえるほど初な反応だと、結希はそんな事を感じていた。
 けど、その答えはすぐに導きだ出せたのだ。
 彼女は今まで、自分には何もしていないという事。
 つまり、相手にここまで愛撫されたのは、初めてだという事に、改めて気が付いたのだ。
 彼女の昔の相手、良夫とは全く違い、裕一は優しく彼女を愛撫している。彼女の躰のうずきは、全て裕一が導いてくれているのだ。
……裕一、優しいね………。
 そう思い、彼女の涙が一筋、頬を伝っていく。
 そして彼の方は、結希の股間を大きく広げた。
 彼女のひだが少しずつ広げられ、その中身がより外に顔を出す。
 それをもっと見ようとした彼は、より足を広げようとした。
 けれども、
「イタっ……裕一、私股間堅いみたい……。」
 結希の小さな悲鳴と同時に、彼女はわずかに足を閉じようとした。
「あ、ごめん……」
 彼は慌てて力を抜き、少しだけそれを元に戻した。
「今度、柔軟体操しなくちゃ………」
「うん、一緒にしよ。……ユキさん、顔見せてよ。」
 彼の言葉に、結希は顔を覆う手をどかす。
「じゃ、いくから………」
「………。」
 コクンと、結希は頷いた。
 彼は男性自身を右手にもち、それを数回結希に擦り付けた。
 クチュッという音がし、彼のものにも愛液が塗りつけられる。
 そしてその先をくっと下に降ろし、場所を確認した。
 結希の体が、ぴくっと反応する。
 裕一はそのままの体制で、腰を少しだけ前に出す。
 結希のその場所に、彼の一部が入り込んだ。
「あっ!?」
 予想以上にきつさを感じ、結希は思わず声を出す。けど、それは悲鳴ではなく、驚きから発せられたものだった。
……まだ濡れが足りなかったみたい………でも、すぐに出るからいいか………
 そう納得したが、じんわりと痛さが増してくる。
 裕一はそのまま、挿入を続けようとする。
 ついには処女膜が限界まで引き延ばされ、それは明確な苦痛となって彼女を襲った。
「つっ!!」
 小さな悲鳴と共に、彼女は無意識のうちに彼の胸に手を当て、裕一の動きを制していた。
「えっ!? ユキさん、どうしたの?」
 慌てたように腰を引き、彼は心配そうに結希に問いかける。
「ごめん裕一!!」
 彼女はそう謝った。
 裕一の初体験を聞き、彼は何度も今自分がした事をされ、ショックを感じた事を理解していたからだ。
「ごめん裕一……私、わたし処女みたいだよ………だから思わず押し返しちゃった……ごめんね、もうしないから、早く続きをして………」
 自責の念でこぼれ落ちる涙を何度も拭い、彼女は涙声でそう言った。
「ユキさん、やっぱり痛いの?」
 けれど彼はなお、心配そうにそう聞いた。
「うん……でも、裕一だから我慢する。だから、早くしよ……ね? もう、私がいくら泣いちゃっても、ホントに好きなようにしていいから。いっぱい裕一が気持ち良くなれば、私それですっごく嬉しいから!」
 まるで自分に言い聞かせる様な彼女の物言いに、しかし彼は、
「ダメだよ!! ユキさんも気持ち良くならなきゃ!」
 そう言うなり、彼女の股間に顔を埋めた。
[ピチャリ……]
「ひゃうっ!?」
 裕一の舌が、結希のそこを舐め始める。
 彼には美由紀の股間を舐め、吐き気を催した記憶があるため、この行動に自分自身驚いていたのだ。
 けれども吐き気を催すどころか、それを舐め続ける行為に快感を覚え、何時しか舌と唇を使って刺激を加え始めていた。
「ユキさんも、気持ち良くならなきゃ!」
 そう言いつつクンニを続ける彼に、結希は本当に心の熱さを感じていたのだ。
「うあっ………ああっ……ふぁあっ……!!」
 うれし泣きとを喘ぎ声混じっていた。
 裕一は自分の唾液を出し、それを彼女の膣に流し込む。
……こうすれば、痛さも少しはなくなるかも知れない。
 彼はそう思ってしているのだが、結希の体が反応するにつれ、きゅっと締まったそこからは、唾液と愛液が溢れ出る。
 彼の心遣いを受け取った結希は、極度に躰が敏感になっていた。
「裕一っ! 裕一っ!」
 何時しか彼の名を連呼し、裕一の舌の動きに合わせて腰をくねらせる。
 そしてそんな彼女の振る舞いに、裕一自身興奮を高めていった。
 自分の行為が、結希を感じさせている。
 それを証明するが如く、結希の生み出す愛液が、口の中まで入ってくる。
 彼女のひだと共に、愛液も精一杯味わう裕一。
 少しの苦さと血の味が、彼の口一杯に広がった。
[じゅるっ! じゅぷじゅっぷ………ちゅっ!]
 もはや彼が唾液を流し込まなくとも、そこは十分に潤っていた。
 次から次へと、結希の愛液は湧き出してくるのだ。
 彼は舌をとがらせ、ゆっくりと膣の中に差し入れて行く。
「くぅぅぅぅっっっっ!!」
 結希の声は、苦痛を示してはいなかった。
 彼は差し込んだ舌を、うねうね蠢かす。その動きに合わせ、彼女の膣も、キュッキュと反応する。
……もう、大丈夫だよね……
 彼はそう確信し、彼女から口を放した。
 そして口の周りをベトベトにしている結希の愛液を拭いながら、彼女の方を見る。
 二つの可愛らしい胸が、息に合わせて上下している。
 荒い息をしながら、彼女も裕一を見ていた。
「……裕一……気持ち良くなって……」
 結希はそう言い、自ら足を広げる。
 きらきらと濡れた秘所が、彼の意識を誘う。
「うん。」
 彼もそれだけの返事をし、彼女の体を引き寄せた。
「ユキさん、痛かったらちゃんと言ってよ?」
 彼女の膝の裏を持ち、男性自身を膣に沿わせる。
「大丈夫。だから、遠慮しなくていいからね、裕一が気持ちいいように動いてよ、その方が私も気持ちいいから!」
 決して躊躇するなとばかりに、彼女はそう言い放った。
 それに応え、裕一の先が、彼女の入り口に差し込まれる。
 ねっとりとした粘膜が、彼の一部を包み込んでゆく。
「うっ………」
 結希の口から、小さな声が漏れでた。
 彼は、結希の脇の下辺りに手を置き換え、少しずつ腰を前に出してゆく。
 しかし、それはすぐに阻まれた。結希の処女膜が、最後の抵抗をしているのだ。
「あくっ………」
「大丈夫?」
 挿入する力を緩めながら、裕一は心配そうに問いかけるが、
「大丈夫!!」
 歯を食いしばり、結希は自らにそう言い聞かせる様な返事をする。
 少々の戸惑いを感じるが、彼は結希の言うとおり、挿入を続けた。
「あっ……う゛ぁっ……ああっ………!!」
 彼が腰をくぃっくぃっと動かすたびに、彼女の口から悲鳴が漏れ出る。
 実際、亀頭は半分ほど入っているので、彼は気持ちよさを感じる事は出来る。けれども、視線のすぐ先に、痛みに耐える結希がいるのだ。
 正に身を切られる様な罪悪感を感じながらも、しかし、彼は止める事はしなかった。それは、自ら躰を開いた結希を裏切る事になるからだ。
 だから、ただじっと彼女の苦痛を受け入れよう。彼はそう心に決めていた。
 そして彼は、ユキさん、ごめんね。そう心の中で謝り、腰をぐっと突きだした。
 ぷちゅっ……
 そんな小さな音と共に、
「う゛うううううっ!!」
 一際大きな悲鳴が発せられた。
 ついに彼女の処女膜は破れ、彼の男性自身はその半分くらいを、彼女の体内にもぐり込ませていた。
「あははっ……裕一、私、処女を貴方にあげちゃったね……嬉しいよ……さっきまで、私自分のこと処女じゃないって思ってたのに……裕一にもあげられちゃったよ……」
 そう呟く結希の目からは、涙がポロポロ流れている。その顔には本当に喜びが溢れている。
「ユキさん……なんて言っていいか分かんないけど……僕もユキさんの処女をもらえて嬉しいよ。」
「ありがと………だから裕一、早く気持ち良くなってね。」
 結希は彼の腰に手を回すと、それを力一杯自分に引き寄せる。
 ミリミリミリっ……
 肉を無理矢理引き裂く様な音がし、裕一の男性自身は一気に彼女の子宮まで押し込まれてしまった。
「ぐうっ!!」
 唇を噛み、激痛を必死に堪える彼女の口から、短い悲鳴がこぼれ出る。そしてその後、荒い呼吸がずっと続く。
「ユキさん、ムリしないで!」
 彼は慌ててそう言うも、結希はぶんぶん首を振る。
「動かしてっ……!」
 息も絶え絶えにそうは言われても、さすがに裕一は従えない。
 なるべく結合箇所を動かさないよう上体を倒し、彼女に優しくキスをする。
「んむぅっ!」
 添えられた唇に、結希は力一杯吸い付いた。裕一も、懸命にそれに応える。
[ちゅっ! うちゅっ! ちゅっ! ちゅっ!]
 お互いに舌を蠢かし、そしてそれを吸い合う。二人の触れ合う唇の隙間から、唾液がポロポロ流れ落ちる。
「うんっ……うんっ……うんっ!」
 キスの激しい振動が彼らの結合にもとどくのか、口の動きに連動して、結希から喘ぎがこぼれ出る。
「ふぁっ……はぁ、はぁ、はぁ……」
 息継ぎのために口を離した二人は、お互いの顔を見つめ合った。
「ユキさん、好きだよ……」
 そんな唐突な彼の言葉に、
「うん……私も好き……」
 彼女は笑顔でそう返す。そして裕一の言葉が刺激になったのか、結希の秘部からは、じんわりと水気が湧き出してきた。
 その結果からか、今までキチキチだった彼らの結合部に、ほんの少しだがゆとりが生まれた。結希の躰に入り込んだ彼の一部分に、やんわりとした気持ちよさが広がってゆく。
 裕一はゆっくりと腰を動かし始める。彼女の愛液のために、その動きは前よりもスムーズだった。しかし、それでもまだ十分とは言えない。
「裕一、もっと速く動かしてもいいよ……」
 彼の背中を抱きながらそう言う結希に、しかし彼は「これでいいよ」としか言わなかった。
 あくまで彼は、結希に苦痛を与えないようにしているのだ。
[ちゅく………ちゅく………]
 そんな、優しげな挿入音がずっと聞こえている。
「裕一、これじゃ気持ち良くないでしょ? もっと強くしてもいいから……」
「十分気持ち良いよ、ユキさんの中。」
 結希の言葉にも、彼は首を横に振り微笑みながらそう返す。そして変わる事なく、ゆっくりとした動作が続けられる。
 しかし、時々彼の腰がぴくっ! ぴくっ!と痙攣するように震えるのだ。
 そんな彼の仕草に、結希は居たたまれない気持ちになる。
 裕一は、叩き付けたい腰を精一杯に押しとどめている。
 この事を、彼女は十分に分かっていたのだ。
 躰こそ処女ではあったが、彼女の持つ人格は、既に経験を済ませている。セックスの時の男の心境は、彼女にとって容易に理解出来るものであった。
 だからこそ、彼の優しさを、喩えようも無く嬉しく感じていたのだ。
「裕一ぃ………気持ち良くなって………!」
 緩やかな振動の中、裕一を抱く彼女の腕に力が籠もる。
「大丈夫、ユキさん……ちゅっ!」
 彼女の抱擁に、彼はキスで応える。
[ちゅく………ちゅく………ちゅく………]
 その間も、ずっと律動は続いていた。
 結希はもう、彼にあれこれ言うのはやめにした。
 ただ彼の出入りする気持ちよさを、ただ彼の与えてくれる優しさを感じようと、うれし涙のこぼれる目を閉じて、その律動に躰を預ける。
「ぅぁ………あ………あ………ぁんっ………」
「はぁ………はぁ………はぁ………」
 次第に、お互いの呼吸が荒くなってゆく。
 裕一の腰の動きも、だんだんと辛そうになってきていた。
 少しでも気を許せば、欲望のままに彼女の躰を貫いてしまいそうなのだ。
 しかし、彼にはそれは絶対に出来なかった。
 結希は構わないと言っている。けれども、やっと零れ出た可愛らしい喘ぎを、痛々しい悲鳴に変える事は、彼にとっては決して許されない事なのだ。
 だから必死に、ゆっくりと腰を動かす。
 ブルブルと、かすかな震えが結希にも伝わってくる。
「裕一………いいよ、もう……気持ち良くなろう………!」
 喘ぎと共に薄目を開け、彼女はそう言った。
「ユキさん、ごめん、もういきそう……!」
 彼のその言葉と共に、ペニスがくっと奥まで差し込まれる。
「っ!!」
 その痛みに声が出そうになるも、結希は歯を食いしばって我慢する。
「ううっ!」
 喉の奥で唸りをあげながら、彼はそのまま倒れ込み、そして結希に力一杯抱きついた。
 彼女を無茶苦茶に突こうとする本能を精一杯に押しとどめ、今まさに暴れ出そうとするエネルギーを、結希を抱きしめる力に変えているのだ。
「ううっ………いくっ………!!」
 凄まじい勢いで、精液が彼の股間を駆け上がる。
 子宮口に抱かれた彼の先端に、それが怒濤の如く押し寄せる。
 普段なら闇雲に腰を突き上げる所を、そのパワーを全て射精のみに集中させる。
[ぶしゅっ!]
 結希の胎内で、裕一の身体が爆発した。
「あ………」
 彼女もその律動を感じ取り、短い喘ぎをあげる。
 裕一の腰がブルブル震え、そして、
[びゅくっ! びゅくっ! びゅくっ!!]
 激しいまでの勢いで、彼の精液が結希の子宮に注ぎ込まれて行く。
 射精がびゅっ!びゅっ!と続く中、裕一はずっと彼女に抱きついていた。
 そして結希もまた、彼を力一杯抱きしめていた。
「ゆういち………」
 今だ射精のために体を震わせている、彼の熱いばかりの体温が、彼女にはとてもかけがえのないものに感じた。
 はぁはぁと荒い息が、とても気持ちのいいものに感じた。
 彼女を貫いた彼のそこが、とても愛おしいものに感じたのだ。
 そして、いまだ彼女を抱きしめ続ける彼の頭を、結希は優しく撫でていた。
「あの、ユキさん……気持ちよかった?」
 息を整えおわった裕一の口から、そんな言葉が発せられた。
 結希は、彼の顔をじっと見つめる。
 それは、かつての彼氏に聞かれたものと同じだった。
「……とっても気持ち良かったよ………!」
 笑顔と共にそう言って、彼の唇に自分のそれを重ね合わせる。
 かつて、半ば答えを強制されていたいつもの問いかけに、いやいや応えていたその言葉。
 しかし結希は今、嘘偽りのない、自分の本心を言ったのだ。
……気持ち良かったよ、裕一………!
 未だ躰に残るセックスの余韻の中、彼女はキスに想いを込める。
「はぁ………」
 ひとしきり彼の唇を感じ、彼女は唇をゆっくり離す。そして大きなため息を一つ、吐いた。
「ユキさん、僕も気持ちよかった………」
 心地良さそうに脱力する結希の胸を優しく揉みながら、彼はゆっくりと上体を起こす。
「あん……えっち……」
 そう言う彼女に微笑み返し、裕一は彼女に抱かれたままの男性自身を引き抜いた。
 ちゅるっという水っぽい音とともに、赤い筋の入った精液が、彼女のそこから零れだしてくる。
 そしてシーツにも、点々と血の混じった愛液が零れている。
「シーツ、汚れちゃったね……」
 足を閉じ、未だ濡れぼそった股間を手で覆いながら、結希ははずかしそうにそう呟いた。
「うん、洗濯すればいいよ。……それとも、記念に取っておこうか?」
「やだぁ、サイテー!」
 裕一の意見に激しく首を振った彼女のそこから、再び精液があふれ出てくる。
「あ、拭かなきゃ……」
 彼は慌てて立ち上がり、部屋の隅に置いてあった箱からティッシュを数枚引き抜いた。
「あの、結希さん、拭いてあげるよ。」
 持ってきたティッシュを折り畳みながら、彼は結希の目の前に座り込んだ。
「ええっ!? 恥ずかしいよ!!」
 慌ててシーツをたぐり寄せ、下半身を覆う結希。
 実際、裕一は親切心でそう言っているのだが、結希にとってはびしょびしょになった股間を、改めて彼に見せるという事になるのだ。
「あ、ご、ごめん!」
 彼もその事に気が付いたのか、慌てて後ろを向き、手にしたティッシュを結希に差し出した。
 ちょっとした気まずさが、お互いの間を流れる。
「……裕一、やっぱり貴方に拭いて欲しいな………。」
 しかし結希はそう言って、彼の手をそっと握る。
 せっかくの裕一の積極的な行動を、彼女は無駄には出来なかったのだ。
 非常に恥ずかしいものを感じるが、彼女は今まで一度たりともそんな優しい言葉を掛けて貰った事などあるわけ無く、ちょっとした興味があるのも事実だった。
「あ、あの、……いいの?」
 ちょこっと振り向き、そう問う裕一。
「うん。」
 その返事と共に、結希はシーツをどけ、ゆっくりと彼の前で足を開いた。
「じゃあ、あの、もう少し足を開いて……」
「………」
 頬を赤く染めつつ、彼女は裕一に言われたとおりにする。
 愛液と血液、そして精液でびしょびしょになったその部分。
 股間から流れ出る諸々の液が尻を伝い、シーツにシミを作っている。
「じゃあ………」
 彼の手が、ゆっくりと股間に添えられる。
「ぁんっ……」
 未だ残る余韻が、彼女に刺激をもたらした。
[すり……すり……]
 柔らかなティッシュが、結希の股間を拭ってゆく。
 そんなシチュエーションに、彼女はちょっとした興奮を感じていた。
 前戯でいじられるのとは違う、純粋な優しさ。
 それ故により恥ずかしく、より敏感になっていた。
「ぁっ………っ………ん………」
 裕一は懸命に股間を拭いているので気が付かなかったが、結希の吐息は熱さを帯びていた。
[きゅ………]
 彼女の膣が収縮し、新たな愛液が零れ出る。
 そして新たなシミが、ティッシュに広がってゆく。
「あれ………? まだとれないや………」
 拭けども拭けども濡れ続けるティッシュに疑問を感じ、彼はようやく結希の顔を見た。
「………。」
「ぁっ……………あっ!! あ、あのね、これはっ……!!」
 彼の呆けた視線に気付き、結希は慌てて手をバタつかせた。
「あの、もしかして感じてたの?」
 彼のそんな質問に、
「だから!……そのっ………うん………。」
 言い訳するのも諦めたのか、真っ赤な顔で頷いた。
「………。」
 裕一も顔を赤くして、お互いを見つめ合う。
「あの、じゃあ、今度は私がしてあげるから!」
 さすがに恥ずかしさが強かったのか、結希はそう言って上体を起こす。とにかく、その場の雰囲気を変えようと思ったのだ。
「裕一、今度は貴方が寝て!」
 彼女はそう言い、彼からティッシュを受け取るとそれをゴミ箱に放り込む。
「あの、それ捨ててどうするの?」
 結希に押し倒されるように体を横たえた裕一が、不思議そうに問うた。
「そんなの使わなくても、出来るんだよ……」
 結希は彼の男性自を手に持ち、そのまま顔を近づける。
[かぷっ]
 そしてそのまま、それを口に含んだのだ。
「あっ……ユキさん、そこまでしなくてもいいから……!」
 彼の制止を抑えて、彼女はまとわりつく精液や愛液を舐め取り始めた。
[ちゅぷ………ちゅぷ………ちゅぷ………]
 セックスをする前にしたそれとは違い、とにかく柔らかな動きだった。
 結希は自分の口で、愛おしい彼のそこを優しく拭っているのだ。
「ユキさん……っ!」
 呼吸を荒くする彼のそこは、結希の口いっぱいに膨れあがっている。
 そしていつしか、その口の動きは彼から快感を誘い出すものへと変わっていたのだ。
 濃厚な舌の動きが、再び彼を高みへ導く。
「ふぁ………あっ………うぐっ!」
[ちゅぶちゅぶ……ぐぷっ……ぴちゃ……ちゅる!]
 彼女の首が、激しく上下する。裕一の息も、だんだんせっぱ詰まってくる。
「ユキさん、もう出ちゃうよ……!」
 彼の声と共に、結希は口をきゅっと窄めた。そして亀頭に掛かる圧力を増す。
「あうっ!!」
 腹から押し出される息と共に、精液が再び結希の口に吐き出された。
[じゅるじゅるじゅるじゅるっ!!]
 結希は唾液をたっぷり垂らし、それを精液と共に激しく吸い込んだ。同時に首を振りながらだったので、激しい刺激が彼の敏感になっている亀頭を襲う。
「うわあああああああっ!!」
 痛さとも快感とも採れない強い感覚に、裕一は腰を浮かして仰け反った。
[ちゅ〜〜〜〜!!]
 そして最後に、まだ尿道に残る精液を吸い出し、結希は彼から口を離した。
「はあっ! はあっ! はあっ!」
 手の甲で口を拭う彼女の前には、肩で息をする裕一がいる。
「ユキさん、激しすぎるよ………もうワケ分かんなくなっちゃったよ………」
 魂が抜けかかった様な目の裕一が、息も絶え絶えそう愚痴る。
「でも、気持ち良かったでしょ?」
 天使の様な笑顔の彼女には、裕一はそれ以上何も言えなかった。
 ただただ、彼女に微笑み返すのだった。

PHASE_12 [聖夜を、貴方と]

Next Day.
 December 24 7:13 a.m.

 トントントントン………
 裕一が目を覚まして初めに聞いた音が、それであった。
 以前彼が親元で暮らしていた頃、起きると毎日聞いていた音。
 台所に立つ母親が、朝食を作るために包丁を使っている音だ。
 だから一瞬、彼は実家に帰ってきているかの様な錯覚に囚われる。
 慌てて目を擦り、そして天井を見る。
「………」
 しかしそこは、やはり一人暮らしの彼の家だった。
 見慣れたいつもの照明が、ただぶらんと下がっているだけ。
……では?
 彼は起きあがり、視線を台所の方に移す。
「ユキさん……」
 彼が呟いたその名の通り、結希が台所に立ち、そして朝食を作っていた。
「……あ、起きたの? おはよ!」
 珍しく……いや、初めて彼女の方から朝の挨拶をされながらも、彼は結希のエプロン姿に見入り、しばし呆然としていた。
 今まで腰まで流していた長い髪を三つ編みにし、先にリボンを巻いて纏めている。
 いつもながらのジーンズにセーターであったが、エプロンをした彼女は、別人の様に見えたのだ。
「ゆういちー、朝からシカト? それともまだ寝てるの??」
「あっ……あの、おはよう、ユキさん………」
「うん、おはよー!」
 おたまを持ちながらそう微笑む彼女の顔は、朝日に照らされて輝いていた。
……何だかいい事がありそうな気がする。
 心地よい寝起きに、裕一は今日一日が楽しく過ごせる様な気がしてたまらなかった。

December 24 7:35 a.m.

「おいしい………」
 結希の焼いた卵焼きを一口食べた時の、裕一の最初の言葉がそれだった。
 彼は起きた後、布団を仕舞って部屋の端に畳んでいたテーブルを引っぱり出した。そして彼女が朝食を用意する中、既に炊き終わっていたご飯をよそって待っていたのだ。
 結希が料理を皿に並べて持ってきた時、実に美味しそうな香り彼の鼻腔をくすぐった。
 実際、裕一は料理に自信がある。だからこそ結希との生活において、今まで彼が料理を作ってきていたのだ。ちなみに彼女もその料理を食べ、不満を一つも言った事はなかった。
 そんな事からも、裕一は彼女が料理を作れる事は、今朝まで全く知らなかったのだ。
「ありがと。ね、まだあるから一杯食べてよ。」
 彼が箸で摘んだ卵焼きのかけらを凝視している中、結希はにこにこしながら彼のそんな様子を見守っている。
「ユキさん……これってどんな味付けしたの??」
 自分よりも旨い卵焼きを作られ、裕一は当惑気味だった。
「それ? 隠し味にだし汁をちょっと入れてるのよ。」
「へぇ、そうなんだ………」
 彼はそのままそれを口に放り込み、改めてじっくりと味わう。
「ホントにおいしいや……」
 続けざまに味噌汁も飲むが、それもまたいい味を出していた。
「………」
 もはや出る言葉もなく、彼は黙々とご飯を食べ続ける。それだけ、彼女の作った料理は旨かったのだ。
 そんな様子を、結希は嬉しそうに眺めていた。

「ユキさん、どうしてこんなに料理上手なの?」
 彼女が用意した朝食を全て平らげ、食後のお茶をすすりながら、裕一はそう問うた。
「うん、私、昔っから勉強とか全然駄目だったけど、料理だけは母さんにみっちり仕込まれたのよ。」
 彼女もまたお茶をすすりながら、そう楽しげに語り出す。
「へぇ、そうなんだ。」
「うん。いっつも『嫁に行っても恥ずかしくないようにしなさい!』って、料理も掃除も洗濯も結構やらされたのよ。……全く、おかげで手が荒れちゃって……嫁に行く前に老けちゃうよって、いっつも文句言ってたな……」
「いいお母さんじゃない。」
「うん、口うるさかったけどね。もうホント口癖でさ、『人様に恥ずかしくないようにしなさい』って。……結局、私は心配ばっかりかけて……」
 だんだんと、彼女の話す声は小さくなってゆく。浮かべていた笑みも、ふっと消失する。
「……お嫁さんなんか、結局行けなかったよね………。」
 そう呟いた彼女の頬を、一筋の涙が伝っていった。
「ユキさん……」
 いたたまれない感情が裕一の心を締め付けるが、彼に結希の掛ける言葉を見つける事は出来なかった。
「……結局、母さん何の為に料理教えてくれたんだろ……せっかく母さんに習ったのに、全然活かせなかったよ………!」
 どっと溢れた涙を払いもせず、彼女はそのまま泣き崩れてしまう。
「ユキさん、ユキさんの作った料理は僕が食べたよ。……僕がお母さんお味を味わったじゃない。それじゃ、だめ?」
 テーブルに突っ伏した彼女を抱き上げながら、彼は努めて優しくそう言い聞かせる。
「でも……でも……母さんに申し訳ないよ! 裕一が美味しかったって言ってくれた事、母さんに教えてあげたかった!……でも、もう遅いよ……」
 裕一の胸に顔をぐっと押しつけ、彼の服をぎゅっと握る結希。
 ところが、
「……遅くない!!」
 彼女はそう言い放ち、こぼれる涙もそのままに、いきなり立ち上がったのだ。
「裕一、私母さんの所に行ってくる!」
 突然の彼女の台詞に唖然とする彼の前で、結希は玄関に行き、彼女の靴を引っぱり出した。
「あっ……ユキさん、待って!!」
 彼は一瞬の間、結希の行動が理解出来なかったのだ。しかし彼女がそうする理由を飲み込めた裕一は、彼女に向かってそう叫ぶ。
 しかし彼の制止の声も聞かず、彼女は玄関のドアに手をかける。
「ダメだよ!! ユキさん!」
 裕一の手が、部屋を飛び出そうとした彼女の腕を掴んだ。
「えっ……なんでダメなのよっ!?」
 せっかく生前の親不孝を詫びる事が出来るというのに、彼はそれを止めようとするのだ。
 結希の返す言葉には、若干の怒りが込められていた。
 しかし彼は、彼女に気圧される事なく、じっとその目を見つめている。
「ユキさん……ユキさんはもう、死んでるんだよ……」
 痛い言葉だった。
 結希にとっても、裕一にとっても。
 一瞬の沈黙が、その場を覆い尽くす。
 そして次の瞬間、結希の手がきゅっと握られた。
「でもっ!!」
 ”私はここにいるじゃない”……そう続けようとした彼女の言葉は、裕一に遮られたのだった。
「ユキさん……ユキさんの体は、生きていた頃にユキさんじゃないんだよ……」
 確かに結希の顔形は、生前の秋坂結希とは全く違っているのだ。誰ひとりとして、彼女が結希だとは分からないだろう。
「でも、記憶は昔のままだよ! だから、母さんなら分かってくれるよ! だから………!」
 半ばすがりつく様な、結希の視線。しかし裕一は、首を横に振った。
「ダメだよ、ユキさん……ユキさんがお母さんの所に行っても、今のユキさんは、お母さんにとってのユキさんじゃないんだよ………」
「それってどういう事なの!? 私は私だよ!!」
 涙いっぱいの瞳が、裕一を見つめる。震える手が、彼の手をぐっと握りしめている。
 そんな彼女に言うのは躊躇われるが、しかし、裕一ははっきりと言う。
「……多分、長い時間掛けて説明すれば、お母さんも分かってくれると思うよ。でもね、ユキさん……お母さんにとってのかけがえの無いユキさんは、お家にあるユキさんの遺骨だよ………。」
 彼のその言葉に、結希は思わず息をのんだ。
 見慣れた自宅の仏壇に、自分の位牌が置かれている様子が、鮮烈なイメージとなって沸き上がって来る。
 秋坂結希は、秋坂結希だった物は、今も家に母と一緒に居るのだ。
 火葬場で焼かれて、小さな白い結晶となってしまった、かつての自分の体の一部が………。
「………!!」
……葬式で、返らぬ姉を思い、弟は泣きじゃくっていただろう。
……火葬場で、焼かれた骨を前に、父は悔し涙を流していただろう。
……仏壇で、変わり果てた自分の娘に、母は毎日泣いているだろう。
 あまりのショックに足の力が抜け、結希はそのまま裕一に抱き抱えられる恰好となる。
 そして次の瞬間、弾けるように泣き出したのだ。
「母さん……ごめんなさい………!!」
 裕一に胸に抱かれながら、結希は自分の親不孝を悔いた。
 今、彼女はやっと、自分の死を実感したのだ。
 そしてそれは決して取り返しのつかない事だと、思い知ったのだった。
 打ち震える結希を胸に抱きながら、裕一は何も言わなかった。ただただずっと、彼女を抱きしめていた。
 今の彼女に掛けるべき、気の利いた言葉はあり得ない。だから彼は、何も言わず、結希の望むままに抱きしめていた。
 しばらくの間、結希の泣き声が止まる事は無かった。

December 24 8:21 a.m.

「じゃあユキさん、学校に行って来るから。」
「うん、行ってらっしゃい!」
 あれから30分あまり泣き続けた結希も、裕一の胸の中で泣きはらしたのか、その顔にようやく笑顔が戻っていた。
 しかし彼を送る彼女の目は、未だ涙の痕跡をありありと残している。
 彼女が手を振る中、裕一は予備校へと出かけていった。
 ドアがぱたんと閉まると、結希は目をごしごし擦る。
 シンとした部屋。
 点けっぱなしのTVが、賑やかなクリスマスを映し出している。
 クリスマスツリー、電飾に彩られた街並みや木々、そしてプレゼントの沢山ん詰まったサンタクロースの袋。
 つい昨日の朝も、全く同じ光景だった。
 その時彼女はじっと、何時帰るとも知れない裕一を待っていた。
 2日前の朝も、全く同じ光景だった。
 その時彼女はただひたすらに、己の躰を辱めていた。
 しかし今日は違うのだ。
 待つ人がいる。
 この家に、帰って来てくれる人がいるのだ。
 だから結希には、不安に思う事は無い。
 待っていれば、必ず裕一が帰って来るからだ。
 部屋の整理を終えると、彼女はTVの前にしゃがみ込み、その画面をぼぉっと眺めていた。
『……今日の特集は、彼氏と行ってみたいレストラン! クリスマスを彼と過ごすのにもってこいのレストランを紹介いたしますー!……まずはここ、赤坂に出来たばかりの………』
 画面には、落ち着いた雰囲気のレストランが映っており、その中では番組のリポーターがワインを飲んでいる。
 そしてソフトフォーカスの効いた画面には、美味しそうな料理も並んでいる。テーブルの真ん中に飾られているバラの花束が、とても印象的だ。赤いリボンによって纏められていて、とても可愛い感じだった。
 そんな番組をしばらく見ていた結希であったが、
「あ、そうだ………」
 何かを思い立ったのか、彼女はおもむろに立ち上がり、TVのスイッチを消した。
 そして財布を手に持ち、オーバーを羽織って部屋を後にした。

December 24 18:42 p.m.

「ただいま、ユキさん」
「お帰りー、裕一!」
 外がすっかり暗くなった頃、裕一が家に帰ってきた。彼の赤らんだ頬が、外の寒さを物語っている。
 彼は靴を脱ぐと、暖房の効いた部屋に急いだ。
 結希が台所で何かしているようだが、彼にはまず、体を温める事が先だった。
 急いでエアコンのある部屋に向かうが、部屋全体に良い香りが充満している。
 そしてこたつの上には、単なる夕食では済まされない位いの、手の込んだ料理が並んでいるのだ。
「へぇ!?」
 裕一は目をぱちくりしながら、その料理を覗き込む。
 寒いのは、どこかに消して飛んで行ってしまったようだ。
「あの、これもしかしてユキさんが作ったの!?」
 彼は改めて結希の方を見た。朝の恰好と同じく、セーターにジーンズ、そしてエプロンをしている。おたまを持ったまま彼女は振り返り、
「うん、そうよ。今日はクリスマスだから、ちょっと豪華にしてみたの。」
 そう言って、にっこり微笑んだ。
……ちょっと豪華どころじゃないよ。
……何か、新婚さんみたい。
……ユキさんがすごく可愛く見える。
……どうやったらこんな料理作れるんだろう。
……もしかして、今までずっと料理作ってたのかな?
 いろいろな思考が彼の頭を駆け巡るも、匂いにつられた彼の体は正直で、
[ぐぅー]
と、腹の鳴る音が部屋全体に響いた。
「裕一、これで全部だよ。」
 結希はクスクス笑いながら、持ってきた皿を食卓に加える。そして着ていたエプロンを脱ぎ、こたつに座った。
「裕一も座ったら?」
「あ……うん、その前に手を洗ってこなきゃ……」
 彼は慌てて洗面所に行き、手を洗ってうがいをする。
「お腹すいちゃって……」
 頭をポリポリ掻きながら、彼は洗面所から出てきた。先ほど腹を鳴らしたのが恥ずかしいらしく、顔が少し赤い。
 彼は結希の対面に座ると、照れながら俯いた。
「もう……一緒に座ろうよ。」
 ちょっと膨れた顔をしながらも、彼女は裕一の隣に座り込む。
「え? あ、あの……」
 さっきまでほんのり赤かった彼の顔が、本格的に赤くなった。

「いただきまーす!」
 二人で声を合わせながら、結希の料理を食べ始めた。
「うわ、これ美味しいって、ユキさん。」
「ほんと? ……あ、ホントだ。結構適当に味付けしたんだけど……」
「すごいや……ユキさんって料理の才能あるんだ……」
「才能なんて……ただ母さんの手伝いしていただけよ。」
「でも、手伝いしてただけでここまで出来るって言うのは、やっぱり才能があると思うよ。」
「そうなのかなぁ………?」
 お互い結希の手料理について話し合っていたのだが、
「あ、そうだ!」
 という声とともに、彼女は自分の茶碗からご飯を少しとり、その箸を裕一の口元の持ってゆく。
「ゆういちー、はい、あーん!」
 いきなりそれをやられた裕一は目を白黒させながらも、箸先に乗せられたご飯を口に含んだ。
「はむっ」
「あははっ! これ、一回やってみたかったのよ! ねぇ、裕一もやって!」
「あ、うん……ユキさん、あーん。」
「はむっ」
 裕一の箸をしばらく咥えたまま、結希は彼の顔をじっと見る。
 裕一も、自分の箸を咥え続ける彼女の顔をじっと見る。
「ぷくくくくっ!」
「あははははっ!」
 箸を口に含んだまま吹き出す結希につられるように、二人顔を見合わせ笑い出す。
「もうおかしー、裕一、神妙な顔して『あーん』だって!」
 指を指して笑う彼女に、裕一も負けずに言い返す。
「ユキさんだって似た様なもんじゃないか!」
「裕一、あーんっ!」
「はむっ」
「あははははっ!」
 再び笑う彼女を見ながら、もしかして遊ばれているのでは? と、裕一は少々不安になってきた。
 そんな彼の表情を見てか、
「裕一、私こんな事させてくれる貴方が好きよ。」
 そう、しんみりと言った。
「……昔の彼はね、いつも自分勝手だった。だから全然甘えさせてくれなかったし、さっきみたいに、二人で笑いあうみたいな事もほとんど無かったわ。料理作っても、何にも言ってくれなかった。
 ……結局、いつもセックスばかりしてた………。そんなコト位しか、お互いでする事無かったのよね。」
 茶碗を置く、結希。彼女の呟きを、裕一はじっと聞いていた。話を聞いてやる事が、彼女にとっての癒しになると分かっているからだ。
「だから、こうして甘えさせてくれる貴方が好き……」
 そう言って、結希は裕一の胸にもたれ掛かる。彼もまた、そんな彼女を優しく抱きしめる。
「僕も、ユキさんと一緒いれて幸せだよ。」
 彼はその一言に、結希に抱く想いを全てを集約した。
「ありがと……あはは、何だかシラけちゃったね!」
 ちょっとだけ潤んだ目のまま、彼女は裕一胸から顔を上げた。
「ねぇ裕一、今日久しぶり予備校行ったじゃない? どうだった?」
 目を擦りながら、結希はいきなりそんな話をしだした。場の雰囲気を変えようと、別の話題を持ち出したのだ。
「あ、えっと……なんだか全然分からなかったよ。」
 またもや頭をポリポリ掻きながら、彼は情けない返事をする。
「ふーん。でもさ、分かってない事が分かるっていうの、結構大切な事だよ。だからいいんじゃない? 分からない所を分かるようにすればいいんだから。」
 そう励ましてくれる彼女の存在を、裕一はとても有り難く思えてならなかった。
 以前予備校に通っていた時には、それこそ惰性で授業に出ていたのだ。だからその内容を理解する事はおろか、今何について講義をしているのかさえ、彼にとっては関心事の外であったのだ。
「うん、これからは頑張るよ。」
 結希の呼び掛けに答えた彼の言葉は、当たり障りも無い単なる常套文句ではなく、彼の本心が言わしめたものだった。
 想い人の声援をつまらない言葉で濁す様な真似は、彼には到底出来ない事であった。
「うん! とにかく受験まで頑張らないと。あ、そうだ、裕一がせっかく頑張るんだって言ってるし、今日はクリスマスだし……渡すものがあるんだ。」
 そう言って、結希はこたつに飾る小さな花束から赤いリボンを一本引き抜くと、それを自分の小指に結び付ける。
 そして子悪魔的な笑いを浮かべながら、
「裕一、クリスマスのプレゼント。見て。」
 彼女はリボンを結んだ小指を、彼の目の前に持ってゆく。
「ホントは、もっと別のものがいいかなって思ったんだけど、用意できなくて……だからね、私をあげるよ。……ずっとずっと、裕一のそばにいたいから、私をあげる。
 裕一、私、今日は何でも貴方の言う事聞いてあげるから、何でも好きな事言って。」
 結希の微笑みをじっと聞いていた裕一は、彼女の小指を彼の両手で包み込む。
「……ありがとう。ユキさんの事、大切にするよ。」
 彼は礼とともに、結希を受け取った。
「じゃあさ、早速だけど、何かして欲しいって事ない?」
 彼に小指を握られたまま、上目遣いで彼女は問う。
「うん……あの、嫌だったらもちろんしなくていいんだけど……」
 モジモジしながら、ついでに顔を赤らめる裕一。
「もう、はっきり言いなさいよ!」
 そんな彼の態度に、結希は苦笑しながらそう返す。
「あの……一緒に、お風呂入るっていうのは………?」
 控えめに、しかし大胆な事を言う彼だった。
「……いきなりお風呂っ!?!? 裕一ぃ、あんたってやっぱりスケベねー!」
「あっ……あの、だからもちろん嫌だったら良いって事で、だからその……」
 慌てて取り繕う裕一に、
「スケベー!!」
 結希は非情にも、とどめを刺した。
「ユキさん、ゴメン。ちょっと調子に乗っちゃった……」
 申しわけなさそうに誤る彼の態度に、今度は結希が慌てた。
「裕一、ゴメンね、私も調子に乗っちゃった。もちろん一緒にお風呂入るのいいよ。」
「ホント? 嫌ならいいけど……」
「いいってば! 裕一、男なんだから、少し位は強引でもいいと思うよ。貴方の優しい気持ちはすっごく嬉しいけど、優柔不断に思われる事もあるかもしれないし。」
 彼女の忠告を、裕一は真摯な気持ちで受け止める。
「うん……そうだね。昔よく友達に言われたかも。今度から気を付けるよ。」
 そう返す彼の顔に、笑顔が戻った。
「じゃ、後で一緒にお風呂入ろうよ。裕一、さっさとご飯食べちゃおう!」
「うん。」
 二人は料理を食べはじめる。少し冷めてしまっていたが、それでも結希の手料理はとても美味しかった。

December 24 20:31 p.m.

「裕一、お風呂入ったよー!」
 風呂場の給湯機が湯張りを自動で終わらせ、アラームでそれを知らせる。
 奥の部屋で勉強をしていた裕一に、居間にいた結希が教えたのだ。
「あ、わかった……あの、それじゃ、お風呂はいろっか?」
 寝間着を持つ彼の手が、ほんの少しだけ震えている。
「入って来ればー?」
 結希はTVを見ながら、そんな返事を返す。
 ユキさん、なんか用でも出来たの? いつもなら出るだろう言葉が彼の口から出掛かるが、さっき彼女に言われた事を思い出す。
「ユキさん、一緒に入るの!」
 強引というよりむしろ我侭っぽい言い方ではあったが、結希はその言葉を気に入った。
「強引よねー、仕方ない、一緒に入ってやるか!」
 クスクス笑う結希。しかし、その手には既に寝間着が握られていた。
「えっと、じゃあ入ろう。」
 緊張した面持ちで、彼は改めて言う。
「うん。」
 結希は立ち上がると、すたすた脱衣所に入ってゆく。そして彼が後からついて行く頃には、彼女はさっさとセーターを脱ぎだしていた。
「………。」
 裕一は、彼女がワイシャツのボタンを外しているのを、ただじっと見ている。そして袖から腕を抜き、ブラジャー姿になった結希の姿につばを飲んだ。
「……裕一、早く服脱ぎなよ。それとも、脱がしてあげようか?」
 結希にそう言われ、彼は慌てて服を脱ぎだした。
「あ、ゴメン、見とれちゃった……」
 そんな彼の正直な言葉に、結希は微笑みで返す。
 裕一がやっとワイシャツを脱ぎ終えたころには、彼女はすでに上半身裸だった。
 可愛らしい胸がふるふると、ジーンズを脱ぐ彼女の動きで震えている。そしてジッパーを降ろせば、以前2人で買いに行ったパンティーと、結希の奇麗な足が露になる。
 再び手の止まっている彼を見て、結希はいきなり裕一のズボンを降ろした。
「うあっ!?」
「裕一、早くお風呂に入ろうよ。」
 そう言った彼女の目の前で、裕一のそれが膨らんでくる。
「あっ!」
 慌てて手で隠そうとする彼の手を、結希は握って制止する。
「別に恥ずかしがらなくていいじゃない……さっきから私の裸ずっと見てるのに、裕一は見せてくれないの?」
 姉が弟に接するように、優しく諭す結希。それと同時に、彼のシャツを脱がしてやる。
「ねぇ裕一、好きな人の裸見たいの、男だけじゃないんだよ?」
 彼女はそう言い、自分のパンティーを降ろす。そしてどぎまぎしたままの裕一の、トランクスもさっと降ろした。
 ぴょこんと、彼の男性自身が上を向く。
「あっ……あの……」
「裕一がそこ元気にしてるって事は、私の身体見てエッチな気分になるって事でしょ?」
 にこっと笑いながら彼女は問うた。
「えっと……うん、ユキさんの身体見てると、正気保ってらんないかも。」
 勃起している姿を直に見られたからなのか、彼ももう無意味に恥ずかしがらなかった。結希の言葉に、笑顔で返す。
「私も一緒だよ。すごくドキドキしてる。」
 結希は胸に手を当てる。早い鼓動が、その手に感じられた。
「あの、女の人も、やっぱり裸見てドキドキしたりするんだ……」
「当たり前じゃない。……あ、でも好きな人だけだけどね。男はどんな人でもいいんだっけ?」
 ニヤニヤ笑う結希の問いに、彼女のずり降ろしたトランクスを脱ぎながら裕一は答える。
「うん……確かに女の人の裸だったら、誰でもってわけじゃないけど見てみたいよ。でも、僕はそこから先ってのは、好きな人じゃないと嫌だな。」
「そこから先ってどーいう事?」
 二人で浴室に入り、結希がシャワーの蛇口をひねる。
「えっと……やっぱりエッチな事するとか、キスするとか。」
「そっか。じゃ、私だったらキスしてくれるの?」
 シャワーから出るお湯の温度をみていた彼女は、また意地悪な質問をした。彼女はあくまで裕一の事をからかっていたつもりだが、
「………」
 いきなり、無言の彼に肩を捕まれ、次の瞬間やわらかな唇が彼女のそれに当てられた。
[ちゅ……]
「っ!!………ん………」
 予想もしないキスだったが、結希の胸に熱いものが込み上げる。取り落としたシャワーヘッドからお湯が出続けるが、二人はしばらく抱き合いキスし続けていた。
「もう……いきなりキスなんて……ホント大胆になったよね。」
 口を離しての第一声がそれだったが、彼女のいまだとろんとした瞳からは、まったく非難めいた雰囲気は感じられない。
「男は強引がいいんでしょ?」
 今度は、裕一はニヤニヤしながらそう言った。
……やられちゃったな。
 結希そう思い、クスクス笑い出した。

「ね、お互い身体洗い合うのってどう?」
 二人で狭い浴槽に浸かっていた時の事。結希からの提案だった。
「うん。じゃ、僕が先に結希さんの事洗ってあげるよ。」
「じゃあ、お願いするね。」
 まずは彼女が浴槽から出、すえつけの椅子に腰掛ける。その後裕一も出、タオルにボディーシャンプーを少量付ける。
「あ、あのね、乳首とかって痛いから、手でやって欲しいな。」
 タオルも揉んで泡を立てている裕一に、彼女はそう告げる。
「うん、わかった。……じゃ、擦るからね。」
 彼に持たれたタオルが、結希の背中に押し当てられる。もしかして結構強く擦られるかもと覚悟していた結希であったが、やはり彼はいつもの優しさと同じく、柔らかな力でタオルを押し当てる。しかし、それで力不足というわけではない。
「裕一、なんか身体擦られて気持ちいいって初めてよ。将来風呂屋さんで働けば?」
 既に背中を擦り終え、肩、首、腕などを手際よく洗う彼に、結希は声をかけた。
「僕は結希さんの体洗ってるだけで満足だよ。」
 ふたたびの彼女の意地悪攻撃も、完膚なまでに返されてしまった。彼の言葉に言い返す単語を見つけられず、自分の語彙に憤りすら覚えるが、なぜか彼女は楽しかった。
「あの……胸洗うからね。」
 ちょっとためらいがちな声。その後、裕一の手が後ろから回された。
 そしてふんわりと、彼女の胸を包み込む。
「あんっ!」
 甲高く、一声。結希すらも予期しない、喘ぎだった。
「あ、結希さん、もしかして痛かった?」
 手の力が抜かれ、裕一の心配そうな声がする。
「えっ? いや、全然痛くないよ……ちょっと感じちゃった。えへへ………。」
 照れ笑いを浮かべる彼女であったが、笑っていられない事実もあった。
……乳首が立ったらどうしよう……
 そう心配する彼女の心とは裏腹に、身体はやはり素直だった。
 再び添えられた裕一の手に、乳首はぷりっと反応してしまった。
「ぁ……っ」
 ふにふにと、彼の手が優しく乳房を擦る。指先で乳首をなでられ、結希の背筋に電気が走った。
「ふぁっ!」
 息も荒く、もはや彼の動作を愛撫と受け取っている事は明白であったが、それでも裕一は乳房や腹を撫で洗いし続ける。
「はあ……あっ………あんっ……」
 ここまで来て、結希の心配事がまた一つ増えてしまった。
 股間から、熱いものが一筋、太股を伝ってゆくのを感じる。
「ユキさん、今度は前を洗うから。」
「えやぁっ! もういいよ、裕一!」
 濡れた股間を見られるのはさすがに恥ずかしく感じられ、変な声を上げつつ彼を制止する。
「遠慮しなくていいよ、ユキさん。」
……何勘違いしてるのよー!!
 焦りと気恥ずかしさでさっさと風呂から上がってしまいたい気分になる。がしかし、裕一の微笑みを見ていると、彼をむげに止めさせられなかった。
……もう、どーにでもしてよ……
 半ばあきらめの心持ちで、彼女は彼を受け入れた。
 裕一は先ほどと同じように、彼女の足を優しく擦ってゆく。ただし、最後のあがきか、彼女は両足をきっちり閉じていた。
「ユキさん、ちょっと足を広げてよ。」
「……いじわる………。」
 彼は何の事だろう? と首を傾げつつも、彼女の太股の内側を擦りはじめた。
 きゅん……
 少しでも、流れ出るものを見られまいとふんばってみるも、大腿の内側をまさぐられる刺激には抗いようも無く、次第に濡れてゆくのが感じられる。
「ふっ……ぁ………ぁんっ……」
 少しづつ不規則になる息の中、タオルがより股間に近づいてくる。
「ゃぁ………」
[こしこし]
 下腹部を擦られ、泡が薄いヘアを通り越して流れ落ちる。
 そしてそこに、うっすらと透明の筋が出来た。
「あっ……ユキさん、これって……」
 彼がそれをすくおうと、濡れるそこに指を押し当てる。
「ぅくあっ!」
 二度の甲高い声。
「ユキさん、ここも洗わなきゃ。石鹸って確か駄目なんだよね?」
 裕一はクニクニ指を動かしながら、彼女に花弁の洗いかたを問う。
「っあ……うん、石鹸だと刺激強いから、シャワーでお湯流しながらやるの……」
 半ば息の切れたように、結希。
「あの、そしたらちょっと腰あげて。」
「ふえ……?」
 彼の言葉に疑問を感じるが、結希はそれを考えるだけのゆとりは無かった。
 椅子から腰を上げた結希のそこに、彼は勢いを落としたシャワーの湯を当てる。
「きゃう……」
 そして股間に手を滑りこますと、ひだの間に指を入れ、そこを優しく洗いだす。
[ちゅく……ちゅく……ちゅく……]
 彼の指には、ざらざらしながらも柔らかく、そして熱くほてったひだが感じられる。指をクニクニ動かしながら、ひだ一枚一枚の隙間などを、優しく丁寧に洗ってゆく。
「あっ……あっ……あうっ……!!」
 彼にとってはあくまで結希の身体を洗っているつもりなのだが、当の彼女にとっては彼の行為は愛撫そのものだった。
 先ほどからの彼の”愛撫”によって敏感になっていた結希の身体の疼きは、この直接的な刺激によって耐え難いものになる。
 そんな折り、彼の指がいまだその跡を残す処女膜を撫ではじめた。
 ずくんと、限界を超した痺れが彼女を襲う。
「きゃううっ!」
 そしてひとしきりの喘ぎの後、
「もう、ばかあ!!」
 彼女は彼の腕を掴み、いすに力無く座り込んだ。。
「切ないよ! それなのに、さっきからずっと触ってばっかりで……!」
 うっすら涙を浮かべた結希は、疼く身体を慰められず、それで裕一に当たっているのだ。
「あっ……あの、ごめん、なんかやりすぎちゃったのかな……」
 詫びる言う彼に、しかし彼女は、
「許してあげない! 裕一にも、同じ目に合わせてやるんだから。」
 と、膨れっ面で言う。
「同じ目ってどんな……」
「今度は裕一の身体洗ってあげる! だから、ここに座って!」
 そう言い勢い良く立ち上がった結希であったが、未だ股間に残る彼の愛撫の感触が、彼女の腰を砕けさせる。
 まるで立ち眩みを起こした様にふらふらする結希を、裕一は慌てて抱きかかえた。
「大丈夫!? ユキさん……」
「大丈夫じゃないよ……」
 股間からは、また一筋熱いものが流れ落ちる。
「今度は裕一の番よ。ほら、早く座って。」
「うん……」
 身体を真っ赤に上気させた結希の目の前で、彼は言われた通りに椅子に座った。
 結希は彼の前に立ち、タオルにボディーシャンプーを掛けている。
 そしてちょうどその視線の前には、じゅくじゅくと濡れる結希のそれがある。
「………。」
 結希の女らしい部分を間近に見る裕一は、彼女同様身体の疼きが増してくるのを感じた。
 彼の視線をその身で受け止めながら、彼女はタオルを泡立てている。
 そしてわざと後ろに回らず、前かがみになって裕一の背中や肩、首を丹念に擦ってゆく。
「昔ね、良くこうやって弟の事洗ってあげたんだよ。」
 彼女はそんな事を言っているが、もちろん彼がほとんど聞いていないのは承知のうちだった。
 依然裕一は結希のそれに夢中であるし、前かがみになる事により、彼女の胸がふにふにと彼の顔に押し当てられる。
 ついに我慢できなくなったのか、彼はその胸を触りはじめた。
「だーめ!」
[ぺちん]
「あっ………。」
 彼の手を軽く叩き、しかし胸は顔に押し付けるように動かした。
 彼の男性自身は、小刻みにピクピク脈動している。既に硬くなり、準備が出来てしまっているのは明白だった。結希の復讐は、もうここで始まっていたのだ。
「足も洗わなきゃねー」
 そう楽しそうにタオルをごしごしやっている結希であったが、裕一とってはコチコチに膨れ上がったそれを至近距離で見られる事に、さすがに羞恥心をぬぐえなかった。
 やはりと言おうか、独りでに足を閉じてしまう。
「だーめ!」
 先ほどと同じように、意地悪っぽく制止する結希。そして足を手で広げる。
「私のあそこずっと見てるんだから、裕一のも見せないと不公平よ。」
「それはそうだけど……」
……男は形が変わるから恥ずかしいよ。
 そうは思ったものの、それを言っても始まらないので、裕一は大人しくされるがままにしていた。
「裕一のって、奇麗なんだね……まだピンク色なんだ。」
「うっ……」
 やんわりと結希が握った刺激が、ダイレクトに口を衝いて出る。
「奇麗にしないと、女の子に嫌われちゃうよ。」
「いつも洗ってるけど……」
「お姉さんが、奇麗にしてあげよう。」
 年下であるはずの結希は、ニヤニヤしながらそんな事を言う。そして言葉どおり、彼のそこを優しく擦りだした。
「っ……くぅっ……ユキさん、もうちょっと弱くして……」
「あ、もしかして痛い?」
「うん……」
 まだ刺激にあまり馴れていない彼のそこは、石鹸を付けた彼女の手では、刺激が強すぎたのだ。
「あ……ゴメンね。じゃあ、こんな感じは?」
「ふぅっ……あっ……!」
 指の力を抜き、まるで撫でるように動かす結希。彼からの明確な返事が無くとも、痛さからの声でない事は間違い無かった。
[さわ、さわ]
「裕一、気持ちいい?」
 勝ち誇った様な結希の問いに、
「うん、とっても……あうっ!」
 指が、彼の亀頭の縁に当てられ、溝に沿って動かされる。
 ゾクゾクと、彼の背筋に電気が走る。
「はあっ……ううっ……!」
 息の荒い彼の様子に、
「なんだ、まだ痛いんだ。じゃあ、これはどうかな?」
 シャワーの湯をそこに掛け、泡を完全に洗い落とす。
 そして結希はおもむろにしゃがむと、未だ天を向くそれに唇を当てた。
「あっ……ユキさん、そこまでしなくていいよ、さっきのホントに気持ちよかったから!」
「はーめ!」
 彼の男性自身を咥えながら、結希は駄目と言った。
 舌を蠢かしつつ、首を上下にゆっくり動かす彼女。
[ちゅる……じゅる……うちゅ……]
「あっ………ふあっ………うっ……!」
 彼女の動きに連動し、裕一の口から熱い息が漏れる。
 先ほどからじわじわと刺激を加えられていた彼の身体は、結希のこの行為に、敏感に反応していた。
 ぴくっと震えた男性自身からは、とろりと粘液が分泌される。
[くちゅ……じゅぷ……くぷっ……]
 浴室には、結希の舌と彼の息の音だけが響いている。
 そしてほぼ反射的に、裕一の両手が彼女の髪をまさぐっている。
[くぷくぷ……ちゅぶっ……ちゅっちゅ……]
「ぁっ………はぁはぁ……うっ……!」
 しばらく彼女の口内を味わっていた裕一であったが、ずるずると彼の下腹部に、重い何かが沸き上がる。
「うっ………ユキさん、もう出そう……!」
「じゃ、終わり!」
 ちゅぽっとそれから口を放し、結希の言葉がこれだった。
「えっ……!?」
 呆気に取られる裕一の前で、シャワーを軽く浴びた彼女は、さっさと浴槽に身を沈める。
「裕一、お風呂に入らないと風邪ひくよー。」
「あ……うん、わかった………。」
 こちらを見ながらニヤニヤしている結希の顔を見ながら、彼はやはり仕返しされてるんだと理解したのだった。
「ユキさん、意地悪だよ……」
 浴槽に入りながら裕一。ちょっと膨れっ面をしている。
「切ないって、良く分かるでしょ?」
「うん……ユキさんの事、今すぐ襲っちゃいたいよ……」
 そう言って結希の身体を抱き寄せようとした裕一であったが、結希はそんな彼の手をぱちんと叩いた。
「おあずけ!」
「うん……」
 未だ男性自身を固くしたまま、彼の声は上ずっていた。そして疼く身体を静めようと、何度も深呼吸をしている。
 けれども、下腹部に残る痺れと甘い感覚は治まるわけでもなく、びくびくと脈を打つ彼のそれはずっと固いままだった。
「裕一、そろそろ上がろう。」
「あ、うん……」
 二人は浴槽から上がり、脱衣所で体を拭きはじめた。
「裕一、体拭いてあげよっか?」
「え? いいって、そこまでしなくて。」
 にこにこしながらそう返す彼だが、しかし身体の疼きは全く治まっていないようだった。
 彼が自分の体を拭いているのを見る結希の目には、いまだ勢い良く天を見あげるそれが映る。とても、痛々しかった。
……悪い事、しちゃったかもしれないな………
 自分は悪意の無い裕一の行為で勝手に感じていただけなのに、彼にはわざと誘っていたのだ。そして最後には、フェラチオを射精寸前で止める様な事までしている。
 そしてそんな彼のそこを見ていると、自分の身体も潤んでくるのが結希には分かった。
 既に、部屋には布団は敷いている。準備は整っていた。
「裕一、ゴメンね……ね、エッチしよう、今すぐ。」
 彼女はバスタオルをその辺に放り投げると、彼の熱い身体に身を任せた。
「あ、あの……いいの?」
 こくん
 結希は声は出さずにうなずいた。彼女を抱きしめる彼の手に、力が篭る。
 彼女を軽く抱きかけながら、彼は布団のある部屋に入っていった。
 そして重心を前にかけ、薄明かりの中結希を布団に押し倒す。
 横たわる彼女。そして、その上にのしかかる裕一。
 彼は、結希の手を布団に押さえつけた。
 二人の潤んだ瞳が、お互いを映し出す。
「あ……」
 彼女の顔を改めてみた裕一の、手が止まった。
 こくんと、唾を飲み込む音がする。
 とりあえず上体を起こし、体を支えていた手を自由にする。
 しかし、それをどうするわけでもなく、自分の胸の前でもじもじする裕一。股間のそれから、張りが失われてゆく。
「どうしたの?」
 そんな結希の声に、
「うん……その、こう改めてってなると、その、緊張しちゃって……」
 恥ずかしそうに、彼は言う。
「えー、昨日したじゃない。昨日と同じでいいよ、ホントに気持ち良かったし。」
「うん、分かってるけど……昨日って、何て言うか、その勢いっぽかったし……」
 彼はそう言って、バクバク鳴り続ける心臓を押さえた。
「えーっ!! 私の事勢いで抱いたのね!?」
「ええっ!? 違うよ、僕はユキさんの事真剣に思ってるし、だから……!!」
 またの意地悪に、今度はまじめに受け取る裕一。結希は苦笑しながら返す。
「分かってるわよ。だから、裕一が私の事、いっぱい愛してくれればいいんだから。裕一の好きな様にしていいんだよ?」
「好きな様にって……うーん、どうすればいいんだろ?」
 そう言って悩み出す彼に、
「ふふふっ……やっぱ裕一が強引なのって合わないね……」
 微笑み共に彼女は彼の手を取り、それを自分の胸にそっと押し当てた。
「……おっぱい、触って。」
「あ……うん、分かった。」
 彼は改めて、両手を結希の胸にそれぞれ当てる。そしてじんわりと手を握り、その張りのある乳房を優しく揉んだ。
「あんっ……」
 彼女の声とともに乳首が固くなり、うっすらと肌に赤味が増してくる。
 そんな彼女の反応に胸を熱くした裕一は、より手の動きを大きくしてゆく。
「あっ………あぅ………あっ……」
 可愛らしい乳房に、きゅんと立った乳首を指でつまみ、決して彼女が痛がらない様柔らかく擦る。
「ふあっ!」
 びくんと上体を震わせ、結希は一声あげる。そんな彼女の仕草に、裕一は無意識のうちに乳首を口に含んでいた。
[ちゅっ……ちろちろちろ]
 乳首を少し強めに吸い、舌先でそれを刺激する。小刻みに動かす舌の動きに反応し、彼を抱く結希の手が、ふるふると震えている、
「あんっ……あっ……ふあっ……」
 裕一は、自分の手に吸い付く様なキメの細かい肌と、そのマシュマロの様な弾力に、喜びすら感じていた。
 だからこそ、それを自分の前に晒してくれる結希を、精いっぱい感じさせようと、懸命に愛撫を続けた。
 両手で胸を揉み、そして口で片方ずつの乳首を転がす。
 舌で乳首を舐る度に、結希の身体がびくびく震えるのだ。それが、彼の手を通して伝わってくる。
 自分が彼女を感じさせている事が、彼にとって最高の喜びだった。
「ふあっ……あっ……あっ……」
 結希の喘ぎが、どんどん切なさを帯びてくる。彼女の手もまた、彼の背中を懸命にさすっている。
 じんじんと、身体に甘い疼きがわいてきたのだ。
「裕一……おっぱい、好き?」
 ひたすらに胸を刺激された結希が、かすれ声でそう問うた。
「あっ……うん、結希さんのおっぱい、どうしようもないほど好きだよ。あの、でもやっぱりまたしつこかったかな……?」
 乳首から、口を離す裕一。
「ううん、もっといっぱい触って。裕一が触ってくれると、すごく気持ちいいいよ……」
 結希は既に、股間の疼きが限界に達していたのだが、胸への愛撫でここまで感じるのも初めてだったのだ。
 内股を擦りあわせ、腰をくねらせる様にしながらも、胸への愛撫を懸命に感じている。
 裕一もまた、息を荒くした結希に己の感情を高ぶらせていった。
 彼女の胸の谷間に、ぎゅっと顔を押し付ける。
「あんっ……」
 そしてその二つの盛り上がりに両頬を擦りつけ、結希の温かさと柔らかさを精いっぱい感じた。
「ユキさん、キスしていい?」
 顔を離し問う彼に、言葉も発さず顎をきゅっと上げる結希。
 唇と唇が、それが当然の事のように重なり合った。
[ちゅっ! くちゅ! ちゅっ!]
「うっ……んっ………んっ……」
「はむっ……んっ……んんっ!」
 息の続く限りキスを続ける二人。
 そして口を離し、荒い息のままお互いを見つめ合う。
「ユキさん、すっごく好きだよ!」
 彼は結希の両足を持ち上げ、その中心を露にする。少し開き、彼を迎え入れる準備が出来たそこからは、愛液が零れだしている。
 まだ男を一度しか受け入れてないそこは、処女と同様の清さを未だ持ち続けていた。スリットからは、ピンクの慎ましい花弁が見え隠れしている。
 彼女ひざの裏に手を当て、ゆっくりと足を開く裕一。彼の目に、濡れぼそったそれが直に見て取れた。
「やぁ……はずかしいよ……」
 かすれ声で結希。顔を両手で押さえ、羞恥に耐えている。
「ユキさんのここ、奇麗だ……」
 彼は結希の女性自身にキスをする。
[ちゅっ]
「あっ!」
 甲高い喘ぎが、結希の口から漏れた。
 その反応から結希が嫌がっていない事を確認すると、そのスリットにあわせて舌を蠢かす。
「きゃうぅっ!」
[ちゅっちゅっちゅっ……くちゅっ……ぴちゅっ……]
 彼はしとどにあふれる愛駅を舌ですくい、それを飲み込んでゆく。しかし刺激を待ち望んでいた結希のそこからは、止めど無く液が溢れ出る。
「やぁっ……あっ……あっ……あっ……!!」
 彼女もまた、身を捩じらせ快感を感じていた。今まで感じた事の無いほどに、いとしく切なく、そして耐え難い喜びだった。
 彼はスリットにあるひだ一枚一枚を、舌で丹念に舐ってゆく。
[くちゅくちゅ……ちゅるっ……ちゅっちゅっちゅっ]
「やあっ! あっ! ふあっ!!!」
 裕一の舌の動きに合わせて、ユキの足がびくびく震える。今彼の舌は、彼女を悦ばせているのだ。
 いつしか彼は固さを取り戻し、天に向かうが如くそそり立っている。先端からは先走りの液を流し、既に彼女を貫く準備を終えていた。
「裕一……そろそろしよ?」
 裕一を欲する結希の提案だった。より直接的な刺激を、彼女の身体が求めているのだ。
「あ……わかった。」
 結希の股間に埋めていた顔を上げ、口の周りに付いた愛液を手でぬぐう裕一。
「ねぇ……口でする?」
「いや、ユキさんの中で出したい。」
 フェラチオを断り、彼は早速の中出しを宣言した。
 彼の男性自身はコチコチに張り、ともすればすぐにでも射精しそうなまでになっていたのだ。彼の鼓動にあわせて、ビクビク痙攣もしている。
 早漏という言葉も頭を過ぎるが、だからと言って、この身体の疼きを彼女の口で収める気には、彼は到底ならなかったのだ。
 結希を全て感じて出したい。彼女をぎゅっと抱きしめ、彼女のそこに己が欲望の具現を突き入れ、そして自分の全てを彼女に叩き込みたいと、彼はそう思ったのだ。
「来て、裕一……」
 そしてその彼の気持ちを受け入れ、結希は身体を開いた。
 自分をここまで感じさせてくれた彼に、もうこれ以上の要求はなかったのだ。
「あの、結希さん、痛かったら言ってね?」
 彼女の両足の間に我が身を置き、指で中心を撫でる彼。最後の最後まで、心遣いを忘れていない。
 指には溢れ出る愛液が、すぐに纏わりついた。ゆっくりとそこをまさぐりながら、彼は膣を確認し、そこに堅く張ったものをあてがった。
「んっ……」
 結希の身体がびくっと震える。これから始まるセックスに、期待する反応だ。
 彼はスリットにあわせながら、手で支えるそれを上下に動かす。くちゅくちゅと湿っぽい音がし、その間に先端部分が愛液で濡れぼそった。
「ユキさん、入れるからね……」
「うん……」
 きゅっと目をつぶる結希の顔を見ながら、彼は少しずつ腰を前に出す。
 花びらがくっと広げられ、その中心に、彼のモノが挿入されてゆく。
「あっ……あっ……」
 昨日と同様、裕一は優しく挿入を行っていたが、それでも彼女の中心からは、若干の痛みが沸いてくる。
 けれども今回は、途中で止める事なく彼を受け入れる事が出来た。子宮口に、彼の先端が当たるのを、結希は感じる事が出来たのだ。
「裕一、最後まで入ったね……」
「うん、ユキさんの中、すっごくあったかくて気持ちいいよ……」
 彼は、自分の身体の一部が結希の胎内に差し込まれているのを、改めて見る。
 彼女に抱かれ、動かしもしないのに、じんわりと気持ち良さが広がってゆくのだ。
 正に、感動だった。
 裕一は手を結希の背中に回し、その身体をぎゅっと抱きしめる。
「あっ……」
 肺から空気を押し出されて出た声だったが、それでも十二分に喘ぎだった。彼に抱きしめられる事に、結希は喜びを感じているのだ。
「動かすから……」
 彼は彼女を抱きしめたまま、ゆっくりと腰を動かし始める。
 ピストン運動というよりも、性器を性器で優しく撫でているといった趣だ。
「裕一、もっと激しく動いて……」
 実際彼の心遣いに胸が熱くなるが、これでは裕一が気持ち良くはならない。それが分かっている結希は、裕一にそう告げたのだ。
「結希さんの中、十分気持ちいいよ。」
 あくまで彼はそう言うのだが、昨日同様、腰が時々びくっと震えるのが、彼女に激しく突き込みたいと、彼の身体が訴えている証拠だったのだ。
 すりすりと、自分を抑えて、優しい挿入を続ける裕一。しかし、彼女は納得は出来ない。
「裕一、もっと激しくしてくんなきゃ、私ちっとも気持ち良くない!」
 優しい挿入が、本当はとっても気持ち良いのだ。しかし、いつまでも彼の優しさに甘え、自分だけの快感を求める事も、彼女にとっては我慢ならない事だった。
 そんな彼女の気持ちを分かっていながらも、裕一にとっては自分の快楽より、結希が感じてくれる事の方がはるかに優先度の高い事象だった。
「結希さんが気持ちよければ、僕はそれで良いんだから……」
 彼は諭すようにそう言うのだが、
「それは私も同じよ……だから裕一が気持ち良くなってくれないと、私は嫌なの!」
 涙を浮かべながら結希に返され、自分の気持ちを押し付けていた事に気づくも、だからといって性欲の赴くままに彼女を突く事は、どうしても彼にははばかられたのだ。
「ユキさん、ごめん……でも、多分出しちゃうまで止められないと思うよ。それでもいいの?」
 あくまで彼は、自分の衝動を押し殺そうとしている。
 それは以前結希がここにやって来た時、彼女を無理矢理モノにしようとしてしまった彼の辛い経験が、まるでトラウマのように彼の理性にこびりついているからだ。
 裕一を激しくなじり、彼をそんな状態に追い込んでしまった結希は、自分自身の行いに責任を感じずにはおればかった。
……セックスくらい、好きにしていいのよ、裕一……
 裕一の心遣いは最上に嬉しかったが、しかし彼をこのままにしてはおけなかった。
 彼を、いつまでも心理的に去勢させたままにはしておけなかったのだ。
「ヒトのあそこにちんちん入れてるくせに、何今更キレイゴト言ってんのよ!! 早く動かさないと、気持ち良くなんか無いじゃない!」
 心の中では激しく詫びながらも、彼に厳しい言葉を浴びせ掛ける。縮こまった彼を奮い立たせるには、結希はこうする以外出の方法を見つけられなかったのだ。
「!!……分かったよユキさん、もう泣いちゃっても止めないからね!」
 やった!
 結希の気持ちが、彼に伝わったのだ。
 裕一は上体を起こすと、それまで背中を抱いていた手で、彼女の腰をがっちり掴んだ。
 そしておもむろに、己が男性自身を、自らの結希への愛を、その挿入に込めたのだ。
[ぐちゅ!]
「うあっ!?」
 激しい突き込みだった。
 その、全身を一気に突き上げる様な力強さに、彼女は喘ぎよりも驚きが前面に出ていたのだ。
 そしてその驚きが収まる間もなく、また次の挿入が続く。
[じゅくっ じゅくっ じゅくっ じゅくっ ぐちゅ!]
「あっ! あっ! うあっ!……あうっ……あっ……!!」
 今までの彼の動きは、まるでロウソクの炎の様に優しく緩やかで、情緒的なものだった。しかし今の彼を喩えるなら、それは爆発だった。
 日ごろの裕一の態度や物腰からは考えられないほどに、猛々しい動きなのだ。
 突く、突く、突く!
 幼さの残る結希の小さな女性部分に、堅く雄々しいモノが何度も叩き込まれる。その度に、未だ慣れない彼女の中心に痛みが沸いてくるが、それも徐々に消え去ってゆく。
「はあっ……はあっ……はあっ……!」
「あっ……あっ……あっ……!」
 その激しいピストン運動にあわせて、結希の喘ぎが押し出される。
 全てのヒダをめくられる様な快感、突き上げられる衝撃、そして、涙で歪んで見える、荒々しい息の彼の顔。……どれもが、
「あっ……あうっ……すごいよ、裕一……!」
 この結希の一言に言い尽くされていた。
 彼女にとって、今まさに受け止めているインパクトは、”すごい”という言葉以外で表現出来ないのだ。
 彼女がここまで感じた事は、今まで無かったのだ。
 もちろん、以前無茶苦茶に突かれた事はいくらでもある。いや、それしかなかったと言っても過言ではないだろう。
 相手がただ単純に射精するために腰を振っても、そんな動きが女を感じさせる事はない。以前に結希の彼氏は、全くと言って良いほど彼女を感じさせた事はなかったのだ。
 だが裕一の動きは激しくとも、決して粗雑ではなかった。
 自分も十分に感じながらも、結希に対する心遣いを忘れてはいない。なるべく彼女に負担がかからない様な体位を作り、そして相手の反応を動きにフィードバックしているのだ。
 闇雲に腰を振るばかりでなく、時には左右に動かしてみて、結希の声が震えるポイントを重点的に狙う。
「あっ……やあっ……んあっ!!」
 ひたすらにシーツを握り締め、喘ぎ続ける結希。もはや膣の痛みは完全に消え失せ、とめどない快感の海の中に彼女はいるのだ。
 彼の挿入に合わせて、彼女の足の親指がビクビクと痙攣している。彼女が本当に感じている証拠だ。
 そして激しい出し入れが行われるそこは、結希の喘ぎ同様に愛液が流れ出ている。その雫はこぶりの尻を伝って流れ落ち、シーツに点々と染みを作っていった。
[じゅぷっ じゅぷっ じゅぷ!]
「ユキさん、もうちょっとで出そう……!」
 その声と同時に、裕一の動きがより激しくなる。ピストン運動が速くなり、一段と強い力で彼女の子宮を突き上げるのだ。
「くぅっ……!!」
「あっ! あっ! ああっ!」
 彼は腰から手を外すと、振動で激しくゆれる乳房を掴んだ。そして、それをぐっと握る。
 手の形にあわせて形が歪み、キリキリと痛みを感じる。しかしその痛みさえ、結希には快感に思えた。彼が感じている。それだけで、結希は満足なのだ。
 裕一は射精に向かい、己を高めてゆく。息もより荒くなり、彼女を抱く彼の体温がぐっと高くなる。
「ユキさん、ごめん!!」
 彼は先に謝った。
 もうこれから先は、自分の衝動だけで動かす事を宣言したのだ。
 彼女同様、彼はここまで興奮した事はなかった。自制が効かなくなる前に、せめて一言詫びておこう。そして、心を開いてくれた結希の言うとおり、気持ち良くなってやろう。そんな彼の気持ちが言わしめた言葉だが、結希は彼により強く抱き付く事により、それを良しとした。
「うくぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
 唸りと共に乱暴にユキを抱え、その胸に顔を摩り付ける。
 全体重を結希にかけ、その律動を全身で叩き込む。
 そして己が肉棒を、結希の骨盤が砕けるほどにねじ入れる。
「ああああああああっ!!」
 その力強さに翻弄され、彼女はなすがままになっている。が、それでも結希は良かったのだ。彼の今まで見えなかった男性性が、はっきりと分かる。裕一がは男なのだと、身体をもって十分思い知らされた。
 一段と堅さを増した彼の男性自身が、結希の子宮口を何度も叩く。彼の下半身に甘い痺れが走り、それが股間の一点に集結する。
 男が一番感じる時だ。彼は力任せに結希を抱きしめ、腰を限界までに叩き込む。
「いくっ!!」
[じゅぷっ!!]
 一際の強い挿入の後に、結希の中で彼の精子がほとばしる。
[ぶしゅ!]
「うっ! うっ! くうっ!!」
「あうっ! あっ……あっ……!」
 その射精の快感と共に、彼の目から涙が零れた。
 何度も何度も射精をし、結希の胎内へと精液を注ぎ込んでゆく裕一。一滴足りとも出し残さないとばかりに、びゅくびゅくと未だそれは痙攣している。
「はあっ はあっ はあっ……」
「はぁ はぁ はぁ……」
 そしてその律動が一段落ついた後には、二人の荒い息が続いていた。
「はぁ……はぁ……あっ!」
 やっと目を開け、自分の下で荒い息をつく結希を見る裕一。長い髪は乱れ、彼女の流した涙であちこちに張り付いている。シーツや枕も同様で、それに結希の愛らしい乳房は赤く腫れて痛々しい状態だった。
 いくら結希が好きにしていいと言ったが、だからと言って劣情に任せ、こんな乱暴な抱き方をしてしまった裕一は、自責の念に駆られる。
「あ、あの、ユキさん、その……」
 しかし、慌てて謝ろうとした彼の言葉は、
「キスして、裕一!」
 結希の言葉でかき消され、その口を唇で塞がれたのだった。
「んむっ……んっ………んんっ………」
「んっ!!……んっ……んっ……んんっ……」
[ちゅっ……ちゅっちゅっ……ちゅ………]
 ひとしきりの口付けの後、最初に口を開いたのは結希だった。
「……裕一、さっき謝ろうとしたでしょ?」
「うん、そうだけど……」
「やっぱね……」
 乱れた髪はそのままに、彼を抱き寄せる結希。未だ裕一の男性自身は、彼女の中に入ったままだ。
「裕一、こういう事はね、後が大切なのよ。」
「う、うん……」
 強く抱きしめられ、彼の顔は枕に当たっている。すぐ横に結希の顔があるのだが、首を曲げる事が出来ないので、彼女の表情を窺い知る事は出来なかった。だから裕一はただじっと、結希の言葉に神経を集中していた。
「アフターセックスってやつでね、おっぱいを軽く触ったりとか、髪の毛を撫でたりとかも良いかも。後は、キスしてくれるのもいいなぁ………」
「あ……その……」
「ねぇ裕一、イク時、頭真っ白になった? 私の事、無茶苦茶にしたくなったでしょ?」
「……うん、結希さんの事、思いっきり力入れちゃって……」
 じわじわと、彼の行いを非難されている様な気がして、裕一の声はだんだん小さくなってゆく。
「それってさ……すっごく嬉しいって事、知ってる?」
「えっ……?」
 彼を抱く手を背中から離し、そのまま両頬に当てる結希。そして自分の顔の前に、彼のそれを持ってくる。
「裕一、昨日言ったでしょ? 女の子だって、彼が自分で感じてくれたら、すごく嬉しいって。だからね、私は嬉しいのよ? そんな時くらい、無茶苦茶にしていいのよ。裕一男らしかったよ。すっごく感じちゃった。逆にね、謝るなんて最低よ……」
 自分の心境をダイレクトに言ったためか、微笑む彼女の頬は再び赤くなる。
「あ、あの……ごめん。」
「だから! 謝らなくていいって言ってるでしょ?」
「あ、うん……」
[ちゅっ]
 ふたたびの軽いキスの後、結希は続ける。
「……でね、激しくしちゃったなんて思った時は、キスとか、優しく愛撫すればいいのよ。裕一はさっきキスしてくれたから、それでいいの。」
「えっと、その、終わったらキスすればいいの?」
「そ。でも、女の子は優しくされてるって思いたいから、キスも良いけど、髪の毛を撫でてくれるとか、抱きしめてくれるとか、そんな風に大切に扱ってもらいたいのよ。裕一はもともとすっごく優しいから、言葉もいいんだけど、今度からは行動で示さなきゃ。」
「うん……アフターケアってやつ?」
「そうよ。 裕一分かってるじゃない。」
 彼はおもむろに上体を起こすと、結希の胸に両手を当てる。
「あんっ……ちょっとタイミングはずしてるよー」
 ふにふに手を動かし始める裕一に、彼女は笑いかける。
「今度から、ユキさんの事大切にするよ。……あ、もういい加減出さなきゃ……」
 ずっと入れたまま股間のそれに気が付き、裕一は腰を後ろに引いた。
「うんっ……」
 結希の小さな喘ぎと共に、精液の愛液にまみれた男性自身が、彼女の胎内からゆっくり抜かれる。
 ぷちゅっと水っぽい音がし、半ば膨らんだそれの先端が完全に外に出た後は、名残惜しいのか粘液が数本の糸を引く。
「あ、ティッシュ……」
 慌てて近くに置いてあったティッシュを手繰り寄せ、その液を拭き折る裕一。軽く自分の股間をぬぐい、次に結希の股間にティッシュを当てる。
「あっ……裕一、自分でするよ。」
「いいよ、女の子は大切に扱うんだから。」
「もう、ばかぁ……」
 昨日も同様に裕一に拭いて貰っていたのだが、やはり彼女には恥ずかしい事であった。
 ティッシュが優しく当てられると、それに敏感に反応した結希の中から、彼が放った精液が流れ出てくる。
 それをぬぐわれる彼女は、顔を押さえて羞恥に耐える。彼の手の動きが、再び結希の女を刺激するのだ。
「ぁ……んっ……」
 股間や太股の内側に飛び散った彼女の愛液をぬぐい、濡れぼそる花びらを丹念に拭いてゆく裕一。
 そんな彼の持つティッシュが、結希のそこを刺激する。
「あんっ………んっ………うっ……」
 ひくひくと、彼女に膣が収縮する。すると、スリットの中から彼が放った精液が、少しずつしみ出してきた。
 彼はより早く精液を出させようと、彼女のそこをマッサージするように拭いてゆく。スリットに優しく当てたティッシュを、上下にゆっくりと動かすのだ。
「やだぁ……ワザとやってるでしょー!」
 顔を押さえる手の指を開き、非難めいた視線を送る結希。しかし、その語調も蜜を流す彼女のそこも、彼の行為を嫌がってはいなかった。
「ユキさん、気持ちいい?」
「ばかぁ……」
 彼の笑いながらの微笑みに、顔を再び手で覆い、文句を一つだけ、返した。
「……あっ……あっ………んあっ……」
 再びティッシュを動かし始める裕一。
 結希のそこは、彼の手の動きに合わせ、精液をとろりと吐き出した。
「ユキさん、終わったよ。」
 しばらく後、2、3枚のティッシュを使って拭き終わった彼は、彼女の顔を覗き込む。
「ありがと……でも、まだ足りないみたい。」
「え?」
 裕一は再び彼女のその部分を覗き込むと、完全に拭き取ったはずのそこから、またじんわりと水分が染み出していたのだ。
「あの、ユキさん、もしかしてまた感じちゃった?」
 涙目で熱い息をする結希の身体には、また切ない気持ちが沸いてきていたのだ。
「うん……ねぇ裕一、ホントに悪いんだけど……ええっと、その、まだ元気だよね?」
「え?……あ、うん、って言うか、その……ユキさんの見てて、立っちゃった……」
 頭をぽりぽり掻きながら、再び天を向くそれを結希に見せる彼。
「うふふっ……元気だね、裕一。でさ……今度は私もね、何かイけそうな気がするの。……今度は私が動くから、裕一が下になってよ。」
「あ、うん……えっと、こうしとけばいいの?」
 裕一は布団の上に、仰向けになって寝転がる。
「……精一杯サービスしてあげるからね。」
 結希はそう言うと彼の股間の横に座り込み、裕一の半ば勃起した男性自身手に取った。
 そして小さな可愛らしい舌を出すと、それをチロチロ舐めてゆく。
「うっ……」
 裕一の口から、小さな喘ぎが漏れる。間を置かずに、彼のそれは大きく堅くなってゆく。
 亀頭を咥え、上下に動かしつつ舌で重点的に愛撫する。
 彼の鞘にあたる部分を、結希のやわらかな唇が何度も往復する。その度毎に、一段と堅さが増してゆく。
 大きく開かれた彼女の口から出されたそれは、コチコチに張り脈動していた。
「裕一って、ここだけは男らしいよね。もう堅くて、ビンビンじゃない……」
 ゆっくりと彼の男性自身をさすりながら、結希は微笑んだ。
 彼女は再び亀頭にキスをする。彼の尿道から分泌された液が、唇について糸を引いた。
「あん……」
 ちょっと困った顔の結希は、亀頭の先端に唇を当て、中に残る液を吸い出した。
[ちゅーっ]
「くぅっ……」
 裕一の腰がわなないた。くっと上に反り返り、天を向く彼の男性自身。
 完全に彼の準備が済んだところで、結希は彼の股間をまたぐように膝立ちになる。そして自分の最も女らしい場所に、彼のいきり立つそれを宛がった。
[ちゅく……]
 もう既に湧き出た愛液が、水っぽい音を出す。
 さっきまでの激しい律動で、結希のその部分はもう熱く、そして柔らかだった。
「いくよ……」
「うん……」
 彼にとって騎上位でする事は初めてだったので、その声は緊張と期待で上ずっている。それに結希のその部分が目の前にあり、なおかつ自分のものを今まさに包み込もうとしているのだ。
 再び興奮を感じ、それにつれて脈も速くなってゆく。ドクドクと、耳の奥で鼓動が響いていた。自分の性器を握る彼女の手すら、彼の鼓動に合わせてぴくぴく動いている。
「裕一、心臓大丈夫? ちんちん、すごく震えてるよ? もっと楽にしなきゃ……」
 彼はよほど緊張を顔に出していたのだろうか、結希はクスクス笑っている。
 彼女は自分の手の中で暴れる彼のそれを優しく制しながら、蜜が流れる秘所に当て、そのスリットにそってうねうね動かす。
「んあ……あっ………」
 その心地よい刺激に、彼は思わず声を出す。
「二人で気持ち良くなろうね……」
 彼女は彼を迎え入れるその場所へ導くと、脈打つそれ手で支え、ゆっくりと腰を下ろしていった。
[つぷぷぷぷ……]
 小さな花びらが押し広げられ、その中心に裕一の男性自身が飲み込まれてゆく。彼はその挿入の様子を初めて目前で見、一種感動すら覚えていた。
 小さな結希のそこがくっと広がり、自分を懸命に受け止めてくれている。彼女の鼓動によるものなのか、小さな振動がじんわりと伝わってくる。
 十分な堅さをもった裕一の男性自身は、ついに結希の胎内へと入っていった。
 熱くやわらかな肉壁が、彼の亀頭を何度も何度も擦ってゆく。
「あっ……」
 甲高い結希の喘ぎと共に、彼を包み込む膣がきゅっと締まる。それと同時に、二人の結合個所から愛液が溢れ出した。
「裕一、動くからね……」
 結希の声は、先ほどのセックスの余韻が強く残っているために、もう既にかすれていた。それが、彼女の感じている時の声なのだ。
 彼女は彼の胸の上に手を置くと、腰をゆっくり上下に動かし始める。
「あっ……んっ……んんっ……!」
 切ない喘ぎ声と共に、結希の置く手が、ふるふると震え出す。裕一はその手が胸からずり落ちたりしないように、しっかりと握る。
[ちゅぷ……ちゅぷ……ちゅぷ……]
「んっ……んっ……んあっ……」
 だんだんと、彼女の腰の動きが大きくなってくる。可愛らしい乳房が、その振動でぷるぷると波打つようにゆれている。
 そんな彼女の様子に見とれる裕一は、なお一層の愛情を結希に感じた。
 自分のもので、感じてくれている結希。自分の前で、喘いでくれる結希。自分といっしょに、セックスしてくれる結希。
 そんな彼女の全てが、裕一にとって本当にかけがえの無いものに感じられたのだ。
[ちゅぷ……ちゅぷ……ちゅぷ……]
 結希の腰が前後に動き、愛液に濡れた性器の擦れ合う音が響く。
 その音に合わせ、結希の熱い吐息が、時折発せられる喘ぎの間に聞こえる。
 快感に打ちひしがれ、きゅっと目を瞑り、体の芯から沸きあがってくる快感を精一杯受け止める彼女の顔から視線を下ろせば、結希の身体に出入りする自分のそれを、至近距離で見る事が出来た。
 結希の薄いヘアは、結合部分をほとんど隠せないでいるのだ。
 2つの小さな花びらが、出し入れに合わせて上下に蠢いている。その両方の合わさるところには、ぷっくりと膨らんだ可愛らしい肉芽があった。
……あ、これがクリトリスなんだ……
 今まで彼は、結希を感じさせる事ばかり考えていたので、実際目の前にあったにも関わらず、彼女の女性自身をしっかりを捉えた事はなかったのだ。
 裕一は片方の手を結希のそれから離すと、それを軽く触ってみる。
「きゃうっ!」
 一際甲高い喘ぎが、彼女の口から発せられた。
「駄目……裕一、感じすぎちゃうよぉ……」
 涙目で、結希はそう言った。始めに比べて、だいぶ腰の動きが緩やかになってきている。快感が強くなり、腰に力が入らなくなってきているのだ。
 それでも懸命に腰を動かそうとする彼女を、彼はそのままにしておけなかった。
 再び腰を動かし始めた結希との結合部分に指をはわせ、十分に愛液を掬い取る。そして結希のクリトリスを再びつまみ、それを十分すぎるほど優しくこねる。
[クニクニクニクニ……]
「あっ……やだやだ!……あっ!……ああっ!……やあっ……!!」
 上体を仰け反らし、必死に彼の手を止めようとする結希。しかしそれとは裏腹に手に力が入る事も無く、ぶるぶると震える身体の反応からは、抗いの態度など微塵も感じさせなかった。
「ユキさん、もう動かなくてもいいから……」
「あっ! あうっ! きゃうっ……あっあっあっ……あんっ!!」
 クリトリスを擦られる度に、彼女の膣がきゅっきゅと締まる。終いには、彼の手を握るだけになってしまった。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
 ひとしきり彼が擦った後には、もう身体を動かす程正気を保てなくなった彼女が、裕一の身体にしがみ付いている。そして腰を時よりくねらせながら、より強く彼に抱き付くのだ。
「ユキさん、今度は僕が動いてあげるよ。」
 もはや荒い息をつくのに必死な彼女に、律動を任せる事は無理だった。彼は膝を立て、上下に動かせる様になった腰を、彼女のそこに叩き込んだ。
[じゅぷっ!]
「あっ!!」
 裕一は彼女の腰に手を回し、何度も何度も律動する。
 その鋭い挿入を幾度となくされ、結希は息を付く間もなく喘ぎを振り絞る。
[じゅぷじゅぷじゅぷじゅぷ]
「あっあっあっあっ……!!!」
 快感で頭が真っ白になりかけている彼女は、無意識のうちに彼の背中に爪を立てていた。
 ズキズキとした痛みが、彼の背中に沸いて出る。しかしそれでも、裕一は腰を動かすのを止めなかった。
 一回目より、激しい動きだった。
 何度も何度も出し入れを繰り返すそこからは、彼女の出した愛液が飛び散っている。
[じゅぷじゅぷじゅぷじゅぷ!]
「あっ! ああっ! んあっ! ああっ!!」
 その激しい律動に突き上げられたためか、結希の上体は次第に持ち上がり、やがて彼の背中から手が離れた。
 そして上体を仰け反らせると、手をそのまま床につく。
 結希の身体を支える裕一には、彼女と自分を結ぶそこがはっきりと見て取れた。
 鮮やかなワインレッドに染まった結希の花びら、雄々しくそこに突き立てられる自分の肉棒、飛び散り、ヘアに雫となって溜まる半透明の愛液、どれもがかつて、自分の思い描いた憧れ光景そのものだった。
 現実に、自分の愛する女が目の前で喘いでいる。現実に、自分のそれが女を貫いている。じわじわと射精感を覚えた彼は、腰の動きを一段と強くした。
「ユキさん、一緒にイこう!」
 腰を叩き付けるように動かす彼の言葉に、
「う……んっ!」
 息も絶え絶え、彼女は返した。
「あっ!あっ!あっ!あっ!」
「んっ!んっ!んっ!んっ!」
 二人の息が、だんだんと重なり合う。お互いの性器が、同じように痙攣し出す。
「いっちゃう……いっちゃうよぉ!」
 結希も裕一も、だんだんと目の前が真っ白になってくる。もう、余計な事は何も考えられない。
 ただひたすらに性器を擦りあわせ、お互いの身体を貪りあう。律動に合わせ、声を張り上げる。そして猛々しい動きの中、二人で身体を高みへ持ってゆく。
「ああっ! はあっ! んあっ! ああっ!!」
 彼女の喘ぎも、より切なさが増してきていた。裕一の射精感も、より強くなってくる。
 ここまま出したら気持ちが良いだろうと彼は考えたが、しかし結希をイカかせねばならない、裕一は気を抜けば出してしまいそうになるのを、必死に押しとどめる。
 ぎゅっと力を込めた彼の男性自身が、より堅く大きく膨れ上がるのが、自分でもよく分かった。
 しかし股間に渦巻く甘い痺れには、どうやっても抗う事は出来なそうだった。
 大きく張った亀頭に、溢れんばかりの精液が集中し、今にも吹き出しそうになっているのだ。
「ユキさん、イきそう……!」
[じゅっぷじゅっぷじゅっぷじゅっぷ!]
 より堅さを増した彼に突かれ続ける結希もまた、イきかけていた。
 喩えようもない快感が、股間からせり上がってくる。背筋には、何度となく電気が走る。
 もう、自分では身動き一つ出来なかった。ただひたすらに、快感を貪る事しか出来ないのだ。
 彼の亀頭が、膣の内壁を荒っぽく擦ってゆく。その度に、じんじんと腰が痺れてゆくのだ。
 何度も彼に、力任せに挿入される。
「やあっ!あっ!あっ!あっ!!」
 激しい振動の中、結希の目の前が真っ白になった。身体が空に飛んでいく様な気がして、身体が痙攣する様に震える。
「だめ……! イっちゃう……!!」
 か細い声が発せられる。今まで床に置かれていた彼女の手が、腰を支える裕一のそれを掴む。
 そして、彼の手はぎゅっと握られた。
「あっ……あっ……あっ……イク……いく………!!」
 握る力が、ぐっと強くなった。
「ああああああああっ!!!」
 結希の甲高い声と共に、収縮する結希の膣。その圧力に耐え切れず、裕一は己が精を再び放った。
「ぐぅっ!!」
[びゅっ!!]
 その射精に、彼は持てる力すべてを叩き込む。彼女のその胎内には、精液が流し込まれてゆく。
「あっ……あっ……ああっ……」
「くうっ!……うっ!……うっ!」
[どくっ……どくっ……どくっ……]
 二人の性器が、同時にきゅっきゅと痙攣する。オルガズムの快感に、彼らはその身を任せている。
 裕一は腰に当てていた手を離し、結希をぐっと抱き寄せる。そして未だ熱い息を吐き、快感にわななく唇を吸った。
[ちゅっ……ちゅっちゅっ……ちゅっ……ちゅっ……]
 キスが終わると彼女はそのまま倒れ込み、裕一の身体にしがみつく。
[ぴゅ……ぴゅ……きゅ……]
 結希の胎内で精をはき続けていた脈動が、だんだんと収まってきていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 上がっていた息もだいぶ落ち着き、彼は改めて結希の方を見た。
「うっ……ぐすっ……うぅ……!」
「ユキさん……??」
 驚く彼の胸の中、彼女はぶるぶる震えながら、鳴咽をあげている。
「ユキさん、どうしたの?」
 上体を起こし、彼女を抱きかかえながら、彼は結希の顔を覗き込む。
「あのね裕一……とっても気持ち良かったの!!……気持ち良かったよぉ………」
 そう良い終わらんが内に、彼女は激しく泣き出した。
 流れる涙をそのままに、結希は何度も何度も自分の顔を、彼の胸に摩り付ける。
「ユキさん、ずっと抱きしめてあげるから、好きなだけ泣いてていいよ。」
 そう優しく語り掛ける彼の腕の中で、打ち震える彼女はいつまでもいつまでも泣き続けていた。
 彼女の泣きかたは激しく、まさに魂の底から泣いているといった感じであった。
 限界を超えた恐怖に脅えるものではなく、裏切られ絶望に打ちひしがれるものではなく。それは迷子の幼子が、ずっと捜し求めていた母に出会い、安心から泣き出すのとそっくりだった。
 今裕一の胸に抱かれる彼女は、17歳の女ではない。
 心から安心できる何かを見付けて、喜びに涙を流す、幼い少女だったのだ。

PHASE_13 [自分を、信じて…]

A few minuts Later.
 December 24 22:12 p.m.

「うっく……うぅ………ぐしゅん……」
 彼女が泣き始めて数十分経った頃。
 未だ結希は彼に抱かれ、その胸に顔を埋めていた。
 部屋の中は、彼女がぐずる声と、風が窓を揺らす音だけが響いていた。
 外では、真冬の冷たい風が吹き荒れている。外から聞こえる音は、何一つ無い。
 北風に飛ばされた落ち葉が、冷たい水銀灯の光を時折遮る。そんな音の無い動きのみが、ひかれたカーテンに映し出されていた。
 部屋の温度は、少しずつだが下がっていた。
 風呂に入る前にエアコンの電源は切られていたが、それでも彼らは暖かかった。
 布団の中、お互いの体温が彼らを暖め合う。
 愛し合い、裸で抱き合う男女には、余計な熱源は必要無いのだ。
「ねぇユキさん、どうして急に泣き出したの?」
 やっと息を落ちつけた彼女に、彼は問う。
「ぐすっ……うん……裕一に抱かれて、ホントに気持ち良かったからよ。」
 目を擦りながら、結希は顔を上げた。未だ涙で濡れ、はれぼったい目をしていたが、顔には穏やか笑みが戻っている。
 そんな彼女の微笑みを見て、裕一も胸を撫で下ろした。
「えっと、僕もすっごい気持ち良かったよ。……ユキさんに惚れ直しちゃった……」
「えー、それって私のカラダだけ見てるって事なのね!?」
「違うよ! その、してる時のユキさん、とっても可愛かったから!」
「うふふ……分かってるよ。私も、裕一の事惚れ直しちゃった。男らしくて、すごく激しかった……セックスってすごいんだって、改めて感じちゃった……」
 彼女は彼の背中に手を回し、再び強く抱きしめる。
「あのさ、こんな話知ってる? 人の心はガラスと同じだって。」
 結希のいきなりの問いかけに、彼は意表を突かれた。
「え? あの、心の透明な人はガラスみたいだって事?」
 裕一の言葉に、彼女は首を横に振った。
「そういう喩えもあるけど、ちょっと違うかなぁ……。
 あのね、人の心はガラスと同じ性質を持っているの。
 強いショックを受けたら、ガラスも心も、ひびが入って透明じゃなくなるよね。中には砕けちゃう人も居るかもしれない。
 でもガラスっていうのは、暖めればまたくっつける事が出来るでしょ?
 ひびの入った人の心も、他の人が暖めてあげれば、ひびの所がくっついて、また透明感を取り戻せるのよ。
 砕けちゃって形がおかしくなったとしても、暖めて溶かせば、また正しい形を取り戻せる。
 それに、人の心は一つになる事が出来るのよ。
 愛し合う男女の心はね、お互いが好きだっていう熱で溶けて、一つになれるんだって……」
 とうとうと話す結希の言葉に、裕一はじっと耳と傾ける。
「裕一、私ね、この間も言ったけど、セックスが本当に嫌だった。……あんな事ばかりしてたせいで、私は死んじゃったし、それに赤ちゃんも一緒に殺しちゃった……
 だから、絶対セックスなんてしないって心に誓った。でも、結局は裕一に抱かれてた。」
 彼女はじっと、彼の顔を見る。
 彼は何も言わず、結希を抱き続ける事で相づちの代わりとした。
「私ね、なんだかんだ言っても、セックスするの好きだったのよ。良く裕一にスケベって言ってたけど、本当は私の方がスケベなのよ……。裕一と、セックスする事ばかり考えてた。貴方に抱かれる事を、いつも待ってたのよ。
 ……なんかバカだよね、私って。貴方コト散々なじっておきながら、結局は自分で慰めてた。けどね、そんな事してても、やっぱりセックスするのは嫌だった。好きなんだけど、嫌だったのよ。」
 結希は彼の胸に頬を当て、その鼓動に耳を澄ます。
「ユキさん、僕だってユキさんの事いやらしい目でずっと見てたよ。本当に悪いって思ってる。」
 彼ははっきりと、そう言った。トラウマに近かったこの事も、裕一は既に乗り越えていたのだ。
「ねぇ裕一、それって私の身体が貴方の思い通りの姿をしていたからなの?」
 ”思考と、その具現化について”における反魂では、生き返った人間は術者の思い通りの姿容姿に再構成される。
 だからこそ、彼は結希に出会った最初の日、そのどす黒い欲望を彼女にぶつけてしまったのだ。
「うん……初めは、結希さんは僕の想像していた女の子そのままだったから、それで好きになったんだ。でも、一緒に暮らしてて、ユキさんは何度も僕を叱ってくれたから、それでもっともっと好きになったんだよ。僕の事を真剣に考えてくれる女の子が居るんだって、すごく感動だった………。」
「私に酷い事いっぱい言われたのに……?」
「そう。」
「裕一、もしかしてマゾ?」
「ユキさんのだったら、マゾでも奴隷でもなんでもいいよ。」
 そんな言葉を臆面も無く言い放つ彼に、彼女は気恥ずかしさで一杯になる。
「恥ずかしいコト言わないでよ……」
 真っ赤に火照った顔を、ぎゅっと胸に押し付ける結希。
 そんな彼女の頭を、彼は優しく撫でている。
「……裕一、私ね、こんなに優しくされたのって初めてだよ……
 前の彼はね、いつも自分の好き勝手にしてたし、セックスしても自分ばっかり気持ち良くなる風にしかしてくれなかったのよ。だから私は、いつも自分で慰めてた。いつもイったフリばかりしてた。だけどね、裕一に抱かれた時は、全然違った……初めてだったの、セックスしててイっちゃったのって。裕一はずっと優しくしてくれて、私の事イかしてくれたんだもん……
 ほんっとに気持ち良かったぁ……
 セックスがあんなに気持ちいい事だったって、初めて知っちゃったよ……
 だから、私ね、さっき泣いちゃったのよ。今まで嫌だって思ってたセックスが、やっぱり気持ちのいいコトだったって分かったから……
 ……ぐちゃぐちゃに壊れた私のガラスは、裕一のおかげでちゃんと直ったよ……」
 きゅっと、彼女の腕の力が増した。
「裕一……あったかい………」
 彼らはそのまま抱き合い、しばらくの間動こうとしなかった。
 二人とも満ち足りた顔をしている。彼らは今、本当の幸せを感じているのだ。
 裕一と結希、二人が出会って1ヶ月経ち、導き出した答えの一つがこれだった。

December 24 22:43 p.m.

 窓は相変わらず、吹きずさむ北風にがたがた揺れている。
 耳を澄ませば、遥か遠くに風の唸る音が聞こえている。
 シンとした部屋。彼らの息遣いだけが、部屋の中から発せられている。
「ねぇ裕一……キスして……」
「うん……」
[ちゅっ……]
 軽いキスの後、結希も裕一も、天井を見上げて寝転んだ。
「はぁ……何だか、肩の荷が下りたって感じ……もう、いつ死んじゃってもいいよ……」
 満足げな顔をしながら、彼女はそう呟いた。
「何言ってるのユキさん……」
 唐突な彼女の言葉に驚き、天井を見続ける彼女の方に彼は向く。
 その薄暗がりに見える結希の横顔は、とても美しいものに思えた。
「うん……なんかさ、もう、遣り残した事はないって言うのかな……何か、そんな気がするの……」
「………??」
 不思議そうに自分を見つめる彼の方に、結希は顔を向ける。
 そして、彼が見た結希の顔は、神秘的なものすら感じさせるのだ。
 今までの彼女の美しさとは違う、魂に直接響く様な美しさだった。
「……何かね、もう来ちゃったって感じ……」
 そう、ぼそっと言う彼女の言葉を理解出来ず、彼は再び問う。
「え、あ、あの……来ちゃったって……?」
 結希は再び天井を振り仰ぐと、一言言った。
「お迎えよ……」
「ええっ!?」
 驚きの声を上げ、意味を問い掛けようとする彼の面前で、結希の身体がほんわりと光を発しだしたのだ。
 彼の言葉は口から出る事はなく、そのまま飲み込まれる。
「!!」
 驚きを隠せない彼の目の前では、結希はそれがさも当然の如く、自分の光る身体をじっと見ている。
「……なんかね、裕一に抱かれてる時から、そんな気がしてたの。天井のずっと向こうから、何か光みたいなのがずっと見えてた。……それがだんだん近くなってきて、もう、それは目の前にある……」
 彼女は言葉通り、まさに目の前に何かが存在するといった感じで、そう呟いた。
「そんなっ……ユキさん、光なんてどこにも無いよ!?」
 彼も一緒になって天井を見るが、しかしそこには保安灯の点いた照明器具以外、何も見出す事は出来なかった。
 だが、結希を包む光の強さは、だんだんと大きくなってゆく。
「裕一……もうお別れだね……貴方と一緒にいた1ヶ月間、ホントに幸せだったよ。……私がいくら最低な態度とっても、裕一はずっと私の事守ってくれてた。貴方の優しさは、筋金入りだもんね……」
 彼女は上体を起こし、裕一に微笑みかけた。
 そして彼女の笑顔を見た瞬間、これが創られたニンゲンの終わりの一つなんだと、彼は本能的に理解したのだった。
 本の作者が実際に見たという記述には無かったが、彼には確信があった。
 彼もまた上体を起こし、結希をじっと見つめる。彼女の見せる笑顔には、何の曇りも見受けられない。
「……ユキさん、僕だって、ユキさんに何度も勇気づけられてきたよ……僕は、ユキさんに出会えたから、今こうして生きてられるんだ。
 ……昔のままじゃ、きっとダメになってたよ……」
 全身を包み込むかの様な圧倒的な光の中、二人は再び抱きしめ合う。
 しかし、強い光の所為なのか、彼女の身体はだんだんと透けてきて、彼の手に感じる結希の体温も、素肌の感覚も、じわりじわりと無くなりつつあった。
「裕一、貴方最高の男よ! 貴方の優しさなら、絶対にいい人が現れるよ!……だから私なんか忘れて、早く幸せになんなきゃ……」
 別れが、もう間近に迫っている。それが判る彼女は、彼に最後の激励を送ったのだ。
「忘れるわけなんか無いよ!……ユキさんは、僕の大切な人なんだから……絶対に忘れやしないさ……」
 より強くなる光の中、結希の身体が彼の腕を通り抜け、そして彼女は宙に舞った。
「ありがと……私だって忘れないよ、裕一の事。貴方は、自分が思ってるよりずっとずっと立派な人間だよ。だから、勇気を持って、自分を信じて……」
[ばあっ!]
 彼女を包む、光が爆発する。
 結希の身体は細かい光の粒子になり、それらは空に向かい、飛んでゆく。
 そして光は途中で絡まり合い、二重の螺旋を形作る。それは生命の証明であり基となる、DNAと同じ形だった。
「さようなら、裕一……人生の終わりに貴方に逢えて、ホントに良かった………。」
 もはや彼女を形作るものはなかったが、未だ光に包まれる部屋の中で、しかし、彼は彼女の声をはっきりと聞いたのだ。
 裕一は、上を向く。
 天井があるはずの空間はずっと上まで見る事が出来、星々の瞬く澄み切った夜空を、結希が、光の螺旋が、尾を引き天に向かい駆け昇ってゆく。
 彼が残された部屋には、うっすらと金木犀の匂いが香る。それは以前、結希が好きだと言っていた香りだった。
「ユキさん、幸せだったんだよね……」
 既に光はなく、天井には照明機具が見える彼の部屋。
 しかし彼は未だ上を向いたまま、一人そう呟いた。
 不思議と、悲しさは感じなかった。それは、結希が満足して天に帰ったのだと、彼には十分分かっていたからだ。
 一ヶ月前、この世に未練を残して死に、彼の目の前に現れた結希。
 裕一は彼女を救い、そして彼女も彼を立ち直らせた。
 結希との共に過ごした一ヶ月間を、彼は走馬灯のように思い出す。
 初めて女性の下着売り場に行った時の事。
 何度もなじられ、終いには彼女が家を飛び出した事。
 本を求め、国会図書館や作者の実家にまで行った事。
 彼女と、初めて結ばれたあの夜。
 そして今日、人々が祈りを捧げる聖夜に、彼女は天に昇っていった。
 もしも神様がいるのなら、最高のプレゼントを貰ったのだと、裕一は思う。
……おめでとう、ユキさん………
 微笑む彼の目から、涙が一粒零れる。
 それは、想い人の成仏を祝う、喜びの涙だった。

FINAL_PHASE [エピローグ] 〜出会い〜

Four Month Later.
 April 3 8:33 a.m.

 春。
 心地よい風が、彼の髪をなびかせる。桜の花びらが、風に乗って舞い落ちる。
 暖かな日差しに、春になったのだと、改めて感じる事の出来る良い天気だった。
 近所ではちょっとした桜の名所となっているこの大学に、裕一はこの春、晴れて合格したのだった。
 結希がいなくなったその後。
 彼は、ひたすら勉強をしていた。
 彼女との生活では、決して忘れる事の出来ない、大切な思い出や貴重な体験を得る事が出来た。
 がしかし、以前からの彼の心の重りとなっている大学受験が、それで無くなったわけではない。
 現実問題として成績の下降が、目の前にぶら下がる事となっていた。
 しかし彼は、結希と約束をしたのだ。これからは頑張ると。
 だから、結希に申し訳がたたないとかいった建前や感情論でなく、ただ、想い人だった彼女との約束を果たすた為、彼は勉強を続けたのだ。
 結果的には志望校ではなく、何番目かの滑り止め校のみの合格として、彼の辛かった浪人生活はその幕を閉じた。
 が、それに関して彼は、今この場に立つ事が出来たという事で、良しとしていた。
 改めて、彼は自分の通うキャンパスを見渡した。
 何の変哲も無い正門。ありがちな形をした校舎。騒がしいサークル勧誘の連中に、不安と期待に胸を躍らせた新入生達……
 立派な桜並木を除いては、どこにでも見受けられる、平凡な入学式の風景だった。
 喧騒から少し外れた所に一人佇む彼には、取りたてて喜びも感慨も無かった。
 ただ、やるだけの事をやって、出た結果がこれだったので、彼はそれを当然と受け止めているのだ。
 しかし本当は、舞い落ちる桜に、少しだけ感動していた。
 学校の理念や周りの評価など、彼にとってはどうでもいい事だったが、この桜並木を見た瞬間、この学校に来てよかったなと感じていた。
 だから彼は、頑張ろうと、その心に決めていた。
 毎年毎年春になったら、この綺麗な桜並木を心置きなく見よう。その為に、しっかり勉強もしよう。彼のこの学校での目標は、そう決定されたのだ。
 彼が決意を新たに桜並木を眺めていると、体育館の方から音楽が聞こえてきた。間もなく、入学式が始まるのだ。
 彼は式が挙行される、会場へと歩を進める。
 とその時、一陣の風が桜並木を吹き抜ける。
 一斉に舞う、花びら。幾重にも、それは重なり舞い落ちる。
……すごい……!
 まさに桜吹雪と言ったその光景に、彼は目を奪われる。
 未だハラハラと舞う花びらに心を奪われ、彼は上を向いたままに歩いていたのだが、
[どしん!]
「きゃっ!」
 前を歩く人に、ぶつかってしまったのだ。
 悲鳴と同時に尻餅をつき、同時にカランと軽いものが落ちる音がする。
「あっ、どうもすみません!」
「いったぁ……あ、こちらこそ………」
 慌てて謝る彼の顔を、ぶつかった相手は、その大きな瞳でじっと見つめる。
「………。」
 とても澄んでいて、綺麗な瞳だった。
「あ……あの……?」
 彼女に真剣に見つめられ、裕一は誰か知った人なのかと懸命に思い出そうとするが、それは出来なかった。
 額を大きく出したポニーテール。ぽっちゃりとして、大きな瞳が印象的な顔。身体つきはどちらかといえばスレンダーだが、出るところはしっかり出ている。また、あまり今の大学生には見えない、割と地味な服装で身を包んでいる。スカートから出た健康的な太股に、若干視線を奪われる。
 彼の好みのタイプではあったが、しかし裕一の記憶には、全く該当する人物はいなかったのだ。
 それなのに、彼女はじっと彼を見ている。
 裕一には何がなんだか良く分からなかったが、未だ、ある意味ほうけた顔で彼を見続けている彼女を、いつまでも地面に座り込ませているわけにもいかず、とりあえずは手を差し出したのだ。
「すみません、あの、掴まって下さい。」
「……あ、どうもすいません!」
 慌てて彼女は手を握り、そして立ち上がる。
 彼の手に添えられた手は、しっとりとして、柔らかだった。
「えっと……?? あ、メガネが無い!」
 急にあたりを見渡し、あたふたとする彼女だったが、メガネはその足元に転がっていた。
 裕一はそれを拾い上げると、見当違いの方を必死に探す彼女に渡す。
「はい、メガネ。」
「あ、どうもすいません……」
 嬉しそうにそれを受け取り、レンズに付いた埃を払ってメガネを掛ける。
 そんな様子を、今度は裕一が眺めていると、その視線に気が付いたのか、
「えへへ……」
 などと顔を真っ赤にしながら、照れ笑いを浮かべる。
 そんな彼女の笑顔に、彼に惹かれるものを感じた。
「えっと……あの、新入生の人なんですか?」
 裕一の問いかけに、
「はい、私、国文学科なんですけど……」
 そう微笑む彼女の顔が、桜の花びらの舞う中、とても綺麗なものに思えた。
「え!? 僕と一緒だ……!」
「えー! そうなんですかぁ……よかった、もう知り合いが出来ちゃった……」
 彼女はそう言い、嬉しそうな顔をする。
「あ、あの、これからよろしく!」
 そんな彼女の笑顔に顔を赤らめながら、彼は手を差し出した。
「あ、こちらこそ!」
 裕一の手を、彼女はしっかり握り返す。
「……じゃあ、あの、一緒に入学式に行きませんか?」
 手を握られた事で少々度胸が付いたのか、裕一の一世一代の言葉だった。
「ええ? いいんですか、お友達とかと一緒じゃないんですか?」
 そんな彼女の問いかけに、彼は少し残念そうな顔をする。
「うん、この学校には知ってる人いないし。」
「そうなんだぁ……私と一緒ですね……。実を言うと、一緒に行ってくれる人いないから、さびしいななんて思ってたりしてたんですよね……あの、じゃあ、一緒に行きましょう! えっと、名前は……」
「あの、僕は山野裕一って言うんだけど……君は?」
「あ、私の名前はね、宮本早紀って言うの。早紀って呼んでくれていいよ、裕一君!」
「あ、うん、分かった、早紀さん。……あの、高校とかってどこなの?」
「えっと、私地元なの。だから、ここから近くて…………」

 桜の花びらが舞い落ちる中、出会いが彼らを迎えてくれた。
 並んで入学式の会場へと向かう二人を、桜が歓迎している様にも見える。
 裕一にとって、これから始まる大学生活は、不安で一杯だったのだ。
 しかし、
……何か、いい事が起こるかも知れない。
 体育館までの道のりを、騒がしいサークルの勧誘すら耳に入らない程に会話を弾ませている彼は、そう直感していた。
 そして、昔は苦手だった女の子と、全く意識する事も無く話せる自分に、驚きも感じていたのだ。
……何か、いい事があるに違いない。
 直感は、いつしか確信に変わっていた。

 二人の目の前には、吹奏楽部が校歌を演奏する体育館の入り口が見えている。
 ここをくぐれば、浪人時代に憧れて止まなかった、大学生活が始まるのだ。
「えっと、じゃあ行こう。」
「うん。」
 これからの4年間に期待を膨らませ、裕一と早紀はその入り口をくぐっていった。
 そんな彼らの通った後を、桜吹雪が舞ってゆく。
 裕一にやっと訪れた春を祝っているのか。
 柔らかな日差しの、優しい風の吹く、晴れの暖かい入学式だった。

 終わり

★あとがき

 えー、こんなむやみやたらにクソ長い話を読んで下さって、誠にありがとうございました!!
 とりあえず、目指したのは60%のハッピーです。
 こんな暗い話を書くのは初めてですが、いかがでしたでしょうか?
 このお話に出てきたユキちゃんは、今までの私が作った小説のキャラで、一番ヒネくれた女のコキャラです。
 裕一君にさんざん酷いこと言ってましたね。打ってた本人も、かなりイイ感じにトリップできました(ぉぃ)
 皆さんは、このお話に出てきたキャラで、誰が一番心に残りましたか? 私は占い師のおばあさんのことを裕一が訪ねていたじいさまです(爆)