全部が演技じゃないからね! 〜ボクらの映画製作余話〜

登場人物

一条 優樹(いちじょう ゆうき)/2年生
本編の主人公。文芸部の無気力脳天気係。
鐘持 貢(かなもち みつぐ)/2年生
優樹の親友その1。文芸部副部長。熱血漢のお調子者。
大熊 大吾(おおくま だいご)/2年生
優樹の親友その2。文芸部男子チーム唯一の良心担当。寡黙で渋い大人。
早坂 宏美(はやさか ひろみ)/3年生
文芸部部長。発火点が微妙に低い。黙っていれば大和撫子。
小岩井 真由(こいわい まゆ)/2年生
変な時期に転入してきた転校生。色々と融通が利かない頑固者。
伊東 直美(いとう なおみ)/2年生
部長大好きっ子。中身はわりとおっさん。女子チームのムードメーカー。
山科 昭子(やましな あきこ)/2年生
腐女子1号。BL同人誌が人生の全て。飄々としていて物事を理詰めで考える人。
若木 奈留(わかぎ なる)/2年生
腐女子2号。BL同人誌が人生の全て。たまに毒舌が光る純情なメガネッ子。

SIDE:C

1 その出会いは全ての始まり

「もし、今の記憶があるままで10年前に戻れたら、あなたはどんなことをしたい?」
 なんて質問、たまに聞くよね。もちろんボクならば、最近の特許をパクって10年前に出願して大金持ちーとか、10年前の自分に対してもう少しまじめに勉強しろとか言って、自分の頭を力一杯殴りつけてくるとか、今ボクが置かれたイケてない現状をチート的に打破する様な、希望溢れる妄想をするわけだ。過去なのに希望がいっぱいとか、もうワケわかんないけど。
 では、これはどうだろう?
「もし、今の記憶のままで10年先に行ったなら、あなたはどんなことをしたい?」
 未来は希望と言うけれど、いきなり10年後に飛ばされたら、普通の人は絶望してパニクるだけだと思うのよ。
 現にボクはそうだった。
 過去は知った道だから、例えばゲームに例えるならば、攻略法がわかってるRPGやADVを解く様に、ソツ無くこなせることが出来るだろう。けど、初めて行く道である未来は、現在以上にヒントが少ないし、それに周りの人からは10歳上の対応を求められるわけだ。大人の対応ってヤツだよ。とても、ソツ無くなんてこなせない。間違いなく変なヤツだって思われちゃう。
 でも、それ以上に得られた物は多いかも知れないね。10年後の特許を今出願するとか、そういう下世話な話ではなく。
 この話は、10年後の世界をちょっとだけ垣間見たボク、一条優樹や友人達との日常を描いた物語だ。そんなにおもしろい物ではないけれど、お暇つぶしにでもなれば嬉しいよ。


 季節は滞りなく春を満了し、今は絶賛梅雨時である。暑さに負けず劣らず湿気もすごく、不快指数はうなぎ登りだ。年々と、夏の暑さが酷くなってるんじゃないのだろうか? それこそ毎日のように「観測史上、最高の気温を記録しました!!」なんてセリフがテレビから聞こえてくるけど、そんな時ほど普段は縁遠い感じのする地球温暖化が、身近なものに感じられる事はない。おかげでボクは、自分の家から高校までの通学路を、まるでスコールに被ったが如く汗でびしょびしょになりながら、自転車を漕ぎつつ通っている。水のしたたるいい男だよ、女のコにはぜーんぜんモテないけどね。まったく、誰か通学路にエアコンでも付けてくれないかなぁ?
 そんな通うのに難のある我らが学校、県立第二高校は、我が家のある住宅地から少し離れた、田んぼと畑に囲まれた緑豊かな所に建っている。だもんで、通学路は田んぼのど真ん中を突っ切った、稲と野菜に囲まれる農道そのものであるわけだ。通学時間は、自転車でだいたい20分といったところ。もう少し近ければよかったんだけどね。

 ところで今日、ボクは所属している部活の部長に呼び出され、日曜だというのに学校に出てきていた。休日と言うこともあり、授業がある日よりかは家を出た時間は遅いけど、それでもまだ十分に朝と言える時間に登校を済ませていた。こんな季節で昼近くに学校に来るなんて、それこそ自殺行為に他ならない。時折雲の切れ目から差し込む強烈な太陽の光に焼かれ、それでなくとも湿度120%を超える苛烈な湿気が、そこそこ高くなってきた気温を相まってボクを蒸し焼きにする。吸血鬼でなくても灰になっちゃうよ?
 けど、そんなボクの早起きの努力も無に帰すくらい、着いた先の部室はすでに極めて暖かだった。熱い(字は間違ってないよ?)。というか、熱いなんて程度の代物じゃなかった。むしろここが公共施設の中だとはにわかに信じられないほど、人体に優しくない極限の環境がそこには構築されていたのだ。ちなみにボクらの通うこのステキな県立高校は、質実剛健を尊ぶ由緒ある伝統校だ。ところが伝統校というとなにやら頭の良さ気な雰囲気が漂うけど、大学進学率は半分くらいの、田舎によくある古さだけが自慢の中堅校だった。だから校舎のインフラも伝統だけが豊かであり、とどのつまりエアコンとかいう人類最高の至宝が全く装備されていない、汚さだけが冴え渡るただのオンボロ学校というわけだ。
 けど、同じボロでも、隣町にあるトップクラスの進学校は、なんと全教室にエアコンが入っているという。
 ありえない! ウチの学校よりもボロいくせに! ウチの学校よりも校庭が狭いくせに!! ウチの学校よりも女子が少ないくせに!!!!!
 こんな差別、到底許されないよねぇ?
 そして今ボクが居る、我らが部室の天井を仰ぎ見れば、そこには経年劣化で羽根が欠け、最早その役割を全うすることが出来なくなった扇風機達のおびただしい亡骸が、首をバラバラな方向に向けた状態で放置されていた。その趣は、さながら中世の処刑場だ。不気味に生える木々の枝に、たくさんの死刑囚が首をつられて、風に屍を晒している……。
 勿論、扇風機達の電源は元から切られているので、いくら練度の高い復活の呪文を唱えて壁のスイッチを押したところで、残念ながら羽根はピクリとも動きやしない。それに万が一電源が生きててモーターが動こうものなら、砕け散った羽根が四方八方にまき散らされ、生徒や教師を切り刻む大量殺戮兵器に成り果てるであろう。または古い扇風機が火を吹くのと同じ感じで、このボロい旧校舎を燃料とした思い切りの良いキャンプファイヤーに大変身である。うわ、何だかそれ見てみたいなぁ、その後新しい校舎に建て変わるのだろうし♪
 暑さと湿気のうだる部室で、ボクはそんな不穏な妄想を延々と垂れ流し続けていた。
 エアコンも無い。備え付けの扇風機も使えない。最後の手段で団扇で仰いでも、湿った熱風をむやみにかき回すだけで全然涼しくない。そりゃ頭の悪い考えも一つや二つ湧いて出るさ。そしてこの暑さを何とか打開するには、心頭滅却すれば火もまた涼しなどというストイックな妄想で、この溶けかかった頭の中を一杯にしなければならないのだ。
 あまりにもむごい!
 青春も真っ盛り、誰もが羨むお年頃の男の子が、そんなドMな妄想で自分を慰めるなど、超絶不健全の極み! いったいどんだけ卑屈な人生なんだと。火なんて何やっても熱いんだよ、涼しくないんだよ。
 だからボクは、より健全でよりお年頃らしい妄想で頭をいっぱいにすべく、来る途中に通学路で拾ったチャンピオンREDいちごを鞄から取り出した。ばっちり湿気を吸ってぶよぶよしているが、それもまた趣があるという物である。
 ページをめくり、中のすばらしい作品をじっくり読んでいく。うーむ、さすがは秋田書店の誇る赤い性的核実験場。こいつはなかなか気合いの入ったエロ本だ。こういう変なマンガが、日本の大人をダメにしていくのだなぁ……。こんなロリッ娘が素っ裸で踊り狂う雑誌を、いい年扱いたオッサン達が萌え萌えハァハァしながら読んでいるわけだ。この国はあまりにも終わりすぎている。そんな事やってるから、原発がおかしなことになるんだよ……。大人達には、少しは反省しろと言いたい。
 そんな風にダメなオッサン達の悪行を憂いながら、ボクは日本の将来について様々な思案を巡らせていた。う〜ん、我ながら哲学ぅ〜。
「待たせたな、LSCの豚娘共!!」
 そこへ、我らが部長様が登場した。いきなりドアを開け放ち、何か良く分からないことを口走っている。名前は「鐘持 貢(かなもち みつぐ)」。微妙に「金持ち貢ぐ」って聞こえるから、とっても景気の良い名前だと思う。ちなみにあだ名はみっちゃん。ぼく以外は貢って呼んでるけど。
 ちなみにLSCっていうのは、ボクたちの部活(文化文芸研究部、略して文芸部)の名前。みっちゃんに言わせると、LSCとは文化研究部を英語で言った意味なんだそうだ。Literary Seartch Committeeの略、なんだってさ……。いや、分かってるから。ボクだって言わされてるだけなんだから! 突っ込むところじゃないから!!
 てゆーかどう考えてもその訳間違ってるよ。ハルヒさんとこのSOS団の方が、遙かに洗練された常識的な名前だよ……。
「このウジ虫共! 今から重大な事項を伝えてやるので、思わず聖母マリアがクソをねじ込みたくなるくらいに耳の穴をかっぽじってよく聞け!!」
 みっちゃんは肩に掛けていたカバンをその辺に放り投げると、いきなり教壇の前でふんぞり返えってハートマン軍曹になってしまった。
「昨日フルメタルジャケットでも見たの?」
「口でクソ垂れる前と後ろにサーと言え! 分かったかスキン頭!」
 うあ、ノリノリだよ……。ボク別にスキンヘッドじゃ無いんだけどなぁ……(ふつーの長髪です)。ちなみにあんな状態のみっちゃんは、こっちがノリ合わせてやらないと時々本気で怒り出す面倒なヤツなのだ。
「サー! イェッサー! ここには自分しか居ないであります! サー!」
 この部活には、後もう一人部員がいるのだ。けど、今日はボクと壇上にいるハートマン軍曹しか来ていなかった。
「あれ? 熊ちゃんはどうしたんだ?」
 みっちゃんはいきなり素に戻ってしまった。いつもながらに飽きっぽいよなぁ。
 ちなみに熊ちゃんというのは、我らが文芸部の良心担当、大熊大吾(おおくまだいご)のこと。名前らしく大柄な男で、寡黙で渋い良いヤツだ。優しくて常識人だし。
「熊ちゃんの妹が熱出したからって、今日は一日面倒見るんだってー」
「ちぃ、いつもながらにあっぱれなシスコンぶりだ!」
 そうみっちゃんが嘆く(?)だけあって、熊ちゃんのシスコンぶりはボクらの中ではとても有名だった。確か中学3年生だったか。ボクは見たこと無いんだけど、みっちゃんに言わせれば”熊ちゃんとDNAのオリジンを共有している事実はまさに神のしゃっくり”だそうで(意味わかんない)、とっても可愛くてしかも巨乳なんだそうだ。そして熊ちゃんはその可愛い妹にべったりで、半径3m以内に不埒な感情を持った男子が近づこうものなら、その相手を容赦なくぶちのめして半殺しにしたとかしないとかいう噂があったりする。普段はくだらない冗談を言ってもちゃんと笑ってくれるのに、妹が絡むとマジギレするんだよね。その妹さん、受験勉強で根詰めすぎて風邪でもひいたのかな?
「LSCより早く妹はこの世にあった。心は妹に捧げてもよい。だが貴様らのケツはLSCの物だ! 分かったか豚娘ども!」
 みっちゃんは早速ハートマン軍曹に戻っていた。よっぽど気に入ったんだね……。
「ところで重要な用件って何?」
 日曜の学校に呼びつけるなんて、よっぽど重要なことなんだろう。昨日の晩にいきなり電話してきて、明日必ず部活に来いかと言われたのだ、それなりの理由がないとさすがに怒るよ?
「口でクソ垂れる前と後ろにサーと言え!」
「サー! イェッサー! だから用件ってなんなのサー!!」
 なんか大声出しっぱなしで、いい加減喉が痛くなってきたよ……。早く用件を言ってくれないかなぁ……
「ああ、そうだった。今度文化祭で映画作るから、俺ら」
「はぁ!? 聞いてないよそんなこと!」
「臆するな下郎!」
 ちょっと待て、下郎は無いよいくらなんでも! せめてウジ虫にして頂戴よ!!
「んー、なんだかんだあって、やらざるを得ん状況になっちまったんだよな……」
 頭をぼりぼり掻きながら、みっちゃんは壇上を離れてこっちに歩いてくる。さっき景気よく放り投げたカバンを拾ってくると、ボクの正面の椅子を引いて、そこにどかっと腰を下ろす。
「だからさ、優樹、お前映画好きだろ? とりあえずなんかイイ脚本作ってくんね?」
 みっちゃんは手を合わせて済まなそうに言ってるけど、映画の脚本なんか見たこともなければ書いたこともない。いきなり言われてそんなもの、書けるわけが無いじゃない。
 そもそもボクが文芸部に入ったのは、部室でのんびり映画が見られるという理由があったからに過ぎないのだ。確かに映画は好きだけど、しかしそれは純粋に見るのが好きなだけであって、自ら作る事には何にも興味はない。そもそも、あまりストーリーとか見てないし……(派手なアクションシーンが好きなの)
 そういえば、さっきから何度か出ている我らが文芸部について、紹介をしておかないといけないよね。
 文芸部、正式名称は文化文芸研究部。活動内容は、文系の部活全部。
 え? 意味がわからないって? まぁそりゃそうだよね。ボクらの通うこの県立第二高校は、県内でも部活に力を『入れていない』ことで、一部の人(つまり帰宅部志望のだらけた中学生とか)にはとても有名だった。一応、体育系の部活は一通り揃ってはいるけど、もちろん大会とかの出場は全然無し。みんな好き勝手にのんびりやってる感じだね。『もしドラ』のみなみちゃんでもいれば少しは変わるんだろうけど、あいにく現実は小説よりもやっぱり普通なんだよ……。
 そして極めつけが文化系。そもそもこんなやる気のない学校で、活動内容に応じた部がわざわざ創部されるわけも無く。体育系以外の活動をしたい奇特な人間は全員、「文芸部」という名前の一つの部に押し込められている。現時点での文芸部の構成員は、全部で7人。お互いやりたいことはバラバラで、趣味も特技もバラバラ。だもんで、活動内容もバラバラで意見も何もバラバラときたもんだ。
 一応活動内容を列挙しておくと、女子の早坂部長(3年)がギターの演奏、副部長たるみっちゃん(2年)がパソコン(音楽とエロ)、ボク(2年)が映画鑑賞、熊ちゃん(2年)が読書(主にSF)、女子の伊東さん(2年)が演劇、女子の山科さん(2年)と若木さん(2年)が同人誌書き(やおい)と、6つの業務をそれぞれの人間が専任で行っている。ちなみに顧問の先生はよっぽどのことがあっても滅多に顔を出さない。存在しないのと同じだ。ボクのクラスの担任だけどね。
 で、普段はだいたい女子と男子に別れてそれぞれ好き放題をしていたのだけど、ある日勃発した男女間での壮絶な戦いが、我々文芸部を二つに分かったのだ。


- Another View (God's Eye)-

 時間は2ヶ月程さかのぼる。

 季節は春。校庭に植えられた桜の花が、その花びらを暖かな風に乗せて散らしている頃。
 その日、文芸部部室では部員が皆滞りなく進級出来たことを祝うために、珍しく全員揃って全体ミーティングが行われていた。8個の机を使ってロの字型に並べ、それぞれに一人ずつ座っている。
「今日ここに、留年なんて憂き目にあった部員が一人もいないことを、私は部長として誇りに思うと共に、大変安堵しています。我々は部活動を通じて自分の趣味を磨くことを目的とし、ここに集った仲間です。しかし、我々学生の本分は、あくまで勉学に励むことです。学業という本分を全うしてこそ、我々は趣味に時間を費やすことを認められ、またそこで得られた結果に対して、正当な評価を得られるわけです。そのバランスが崩れてしまったり、自分の度量を超える行いを繰り返してばかり居たら、それは趣味として認めてもらえないばかりか、単なる愚行としての誹りを免れないでしょう。例え良い評価を得られるべき成果を出したとしても、他人はそれを認めてくれません。あくまで我々は、学生としての本分を全うし、その上で趣味を邁進し、結果を出さなくてはならないのです。………山科と若木ィ!! もうこれ以上他人に迷惑をかけるようなことは、厳に謹んで貰いますからねっ!」
 凛とした部長の怒声が、部室の中にとどろいた。
 小柄ですらりとしたプロポーションに、長くさらりとした黒髪。彼女、文芸部部長の早坂宏美は、黙って座ってさえいれば、やや童顔気味の丸顔と吊目がちな大きな瞳が相まって、まさに大和撫子という言葉がよく似合う存在だ。しかし、部内では発火点がややに低い上に、キレるとめちゃくちゃ恐ろしいとまで言われている、激情の人でもある。
 そんな彼女から名指しにされた二人の女子は、しかし非難されていることなどお構いなしで、ノートへの落書きに勤しんでいた。次回作のBL同人誌のネームでも作っているのだろう。
「誰も同人誌を描くなとまでは言いません! そんなことは言わないから、せめて1%だけでも良いから、その情熱を勉強に回して貰いたいのですが……!」
 こめかみに青筋を引きつらせ、握った拳をぶるぶると震わせる部長は、二人の女子、山科昭子と若木奈留に怒りの視線を投げつけた。その瞳の中には、憤りのあまり炎すら見え隠れしている。
「いやー、我々の根源はまさに美少年の可憐な物語を紡ぐことですからねぇ」
 漂漾とした態度の山科がそんなことを宣えば、隣にいた若木が掛けているメガネをくいっと上げ、
「大人が言う”若い頃もっと勉強すれば良かった”って意味は、もっと趣味に人生を捧げればよかったってことなのよ……」
 ねー、と、女子二人は声をハモらせ首肯しあう。
 部長が発火点を超えた。
「お前達の進級試験追々試の為に! 我々がどれだけ苦労をして代わりに同人誌を描いてやったのか! この期に及んで忘れたとは言わせないぞーっ!!」
 部長の、その白くて華奢な膝が持ち上がったかと思えば、激しい衝撃音と共に、いきなり机が宙を舞った。部員達が唖然と見つめる中、肩で息をする部長は、自らが蹴り飛ばして床に激突した机を乗り越え、空気を読まない女子二人につかみかかろうとする。
「部長!! 落ち着いて、落ち着いて!!」
 隣にいた伊東直美が慌てて部長に駆け寄り、彼女を後ろから羽交い締めにする。
「離せ伊東!! こいつらには一度きっちり”分からせる”必要があるんだっ! 進級掛かった最後の試験だからってさすがに勉強してるかと心配してやれば、同人誌描いて三徹目とかあり得ないだろがこのうすらバカ共がーっ!!」
 普段は下級生にすら敬語で話す部長の言葉が、だんだんと壊れてきた。
「わ、分からせるとはいかほどで!?」
 じたばた暴れる部長を押さえ込む伊東の問いに、
「その腐れたド頭たたき割って、私のありがたい言葉を直接脳みそに刻み込んでやる! それとも私が書いたありがたい言葉を目玉に焼き付けてやろうか!? さあ、好きな方を選べっ!!」
 部長の目は、あくまで本気だった。
 さすがの山科と若木も恐怖のあまり、ぶるぶる震えてお互いを抱きしめあっている。いつもは部長が怒ったところで飄々としている二人の顔は、すでに血の気が引いて真っ青であった。
「確かにこいつらは取り返しのつかないバカチンで、やっぱ一度死ななきゃ直らないとは思います!! けど、でもだからって、やっぱ殺しちゃうのは全然だめですっ!」
 そう言う伊東のフォローもなかなかに酷いが、部長の怒りは収まるどころか、ますますヒートアップ中だった。
「誰が簡単に殺してやるかぼけぇ!! うかつにこの世に生まれてきたことを、とことん後悔させてやるからなーっ! 印刷屋の納期に間に合わないからもう死ぬ! とか抜かしやがるから、ひとがせっかく手伝ってやれば! あんな、男の人同士が、その、き、キスしたり、裸で抱き合ったり! その、えっと、お、お互い入れたり出しあったり、そ、その、え、えっちなコトを……!」
 部長のうわずる声はだんだん小さくなり、怒りの炎が見え隠れしていた瞳には、代わりに大粒の涙が溢れ出てくる。
「ふっ、不潔よぉっ! 私にあんないやらしい同人誌を描かせるなんてっ! もうお嫁に行けないよーっ!」
 うぇぇぇぇ〜〜〜と鳴き声を上げながら、部長はその場で泣き崩れてしまった。
「部長、今日日やおい同人誌描いたくらいじゃ、女の価値は下がりません! むしろそれぐらいの嗜みがあってからこそ、女子としての市場価値があがるってモンですよ! 今こそ売り時ですって!」
 部長の頭を優しくなでる伊東の微妙な慰めは、まだ続く。
「むしろ売りましょう! 売り出しましょう! ついでに処女も売れば、なおのこと儲かりますって!! どうせ部長処女でしょう!? 大丈夫です、ツンデレッ子は売手市場です! 『おねーちゃん高ぅ売れるでぇ〜、かーいいチチにええ脚線しとるわぁ。そいじゃ売りに出す前においちゃんが立派なオンナにしたるさかいに、ごっつぅヒィヒィ言わしたるでぇ、はぁはぁ』って、間違いなくおいちゃん達に大絶賛ですよっ!!」
「そんな大絶賛、誰がさせるかばかたれーっ!!」
 それにどさくさに紛れて人のおっぱい揉むなと、部長は絡みつく伊東の腕を振り払う。
「お、おほんっ」
 わざとらしい咳払いをしつつ、部長はすました顔で立ち上がった。
「あー、ちょっとだけ取り乱してしまいました。申し訳ありません。そこの二人は、以後気をつけてくださいね?」
 未だぶるぶる震え続ける同人誌二人組は、ただコクコクと首を縦に振った。
「はい、よろしい!」
 部長はいそいそと自分が蹴り飛ばした机を元に戻し、何もなかった風に席に着いた。
「では次に、部内の人事について打ち合わせを行いたいと思います。副部長は、男子のリーダーである鐘持君にやっていただきたいですが、いかがでしょうか?」
 やっと通常モードに戻り、すました顔で議事進行を始めた部長を見て、彼女を除くほとんどの人間が見えないようにため息をつく。
「……鐘持君? 話を聞いてます??」
 ところがである。
 部長が名指しで話題を振った、鐘持が返事をしない。先ほどようやく発火点を下回ったばかりの部長の声色が、早くも若干歪んできた。
 そして振られた先の鐘持といえば、何やら血眼になってノートパソコンのキーを連打している。
「貢、前を向け!」
「みっちゃん、部長がなんか言ってるよ!」
 横から男子グループ唯一の良心、大熊大吾と無気力脳天気係の一条優樹がこそこそ耳打ちするも、
「愚か者! 俺は今手が離せんのだ……!」
 そう言って、彼の全精神は、モニタの中に再収束した。
 そんな鐘持の態度に焦りを感じた優樹が、部長の怒りゲージを確認すべく視線を彼から部長に移したのだが、
「ひぃっ!?」
 彼の目は、対面の机に居るはずの部長の姿を視認することはなく、代わりに彼女の制服のスカートと、そこから伸びる白くて細めの太もものアップを見る羽目になった。
 瞬間的に視線をあげれば、こちらを見下ろす部長の昏い瞳が、彼を冷酷に見下ろしている。
「うわあああああ」
「……………鐘持。君はさっきからパソコンで何をやっているんですか?」
 部長の手がノートパソコンのモニタをむんずと掴み、そのまま上に持ち上げる。その勢いで、鐘持が耳にはめていたイヤフォンのプラグが、ノートパソコンから抜け落ちた。そして、くるりと手首を回転させて、モニタを見やる部長の鼻先15センチで、
『おにいちゃんらめええぇ〜〜! ひなぁ、もういっちゃうぅぅ〜〜〜っ!!』
と、あからさまに妹設定の、萌え萌えでロリロリで、しかもエロエロな音声が部室内一杯に響き渡った。
「ひゃああああっ!」
 部長はか弱い悲鳴を上げつつノートパソコンを机に置き(放り投げたり落とさなかったところが、彼女の立派なところである)、
「か、か、鐘持ィっ! 貴様神聖たる部室内でなんていう、その、え、えっちなゲームをっ!!」
 半ばパニックに陥って、鐘持をびしっと指さす部長に対し、
「なんてコトするんだアンタはぁ!!」
 鐘持も決死の形相で言い返した。
「部長、アンタは今、とんでもねぇことをやっちまったんだ……! このゲームはなぁ、ひなちゃんとヤっているときはなぁ、ひたすらに、リズムよく、まるで自分の愚息をヌポヌポ出し入れするように、愛情を込めてリターンキーを押し込み続けにゃあならんのよっ!!」
 そんな、いささか芝居染みた鐘持のセリフに呼応してか、
『ぶー! おにいちゃんだけ先にぴゅっぴゅしちゃうなんて、もうサイテー!』
 などというセリフがノートパソコンから流れ出た。どうやらリターンキーを押し続けなければ、プレイヤーの操作するキャラは果ててしまうようだ。
「サイテーなのは貴様じゃぼけぇーっ!! 高校生の分際でエロゲなんぞ学校に持ち込んでやってんじゃねー!!」
 部長がまた発火点を超えた。
「部長! 落ち着いて、落ち着いて!!」
 再び伊東が飛んできて、鐘持の髪の毛をつかんで彼の頭を振り回す部長を羽交い締めにする。
「離せ伊東!! このバカタレには一度きっちり”分からせる”必要があるんだーっ!! 普通高校生が部活でエロゲやるか!? 部活にせっかく女のコが居るんだから、そっちに興味持てやこの2次元ヲタ野郎!! てめーそれともウチらピチピチの女子高生ナメてんのか!? そんなに3次元よりも2次元が良いんか!? ワシらを一発コマそうとか、そういう健全な思考が湧いて出てこんのかーっ!!」
 髪を振り乱しながら喚き散らす部長の怒りは、なにやらおかしな方向にひん曲がった。
「部長! そこまでご自身でセックスアピールしなくても、部長の蠱惑なエロさでこのバカタレ男子はハァハァですって! むしろ見せつけましょう! 全部ばばんと見せちゃいましょう!! 邪魔な服をはぎ取って、部長のナイスバディでエロエロな素っ裸を我々にぷぎゅっ」
「だからどさくさに紛れて人のおっぱい揉むなぁ!」
 自身の胸を、背後から執拗に揉みしだく伊東の頭頂部に拳を叩き込み、部長は彼女を沈黙させた。
「待たせたな鐘持ィ……貴様には現実の女子の魅力を、とことん”分からせて”やる……!」
 殺気をみなぎらせ、もはや邪悪としか言い様のないオーラを噴き散らす部長が、ニヤリと口角をあげた。先ほど実力を持って沈黙させた伊東の屍を踏み越え(下から”ぐぇっ”とガマガエルを轢き潰した様な哀れな声が聞こえたが、誰も全く気にしなかった)、部長は鐘持の前で仁王立ちになる。そして、
「覚悟しろ鐘持ィ! 今からキサマの耳の穴かっぽじって、『ああ3次元の女のコは素晴らしい』という言葉を1万回ほど囁いてやる! 二度と2次元では感じられない身体にしてやる!!」
 と呪詛の言葉を解き放った。
 しかし、先ほど部長に掴みかかられて乱れた髪の毛をさっと整えた鐘持は、そんな彼女の呪いの言葉を真っ正面から受け止め、裂帛の気合いを込めて言い放った。
「黙れこの未熟者! 2次元にはなぁ、2次元の良さがあるんだよっ!!」
 鐘持の怒声の残響が消えた後、一時の静寂が部室の中を満たしていた。ただただ、お互いの求める道を信じて視線をぶつけあう男女が一組。見方によっては愛の告白でもしてるようなシチュエーションではあったが、こんな修羅場で恋など始まるわけもなく。やがて部室の緊張感は、クライマックスを迎えたのだった。次にうかつに動いた方が、相手にボコボコにされて人の形を保てなくなるのだろうと、皆が固唾を飲んで見守る中、
「ばっかみたい! エロゲ相手に何熱くなってんのよ、1回死ねば?」
 事の推移を横から見ていた同人誌組の片割れ、若木がいきなりそんなセリフを宣ったのだ。
「な、何だとこの腐女子2号! キサマらだって、野郎が組んずほぐれつやってる漫画見て、朝からハァハァしてるじゃねぇか!」
 ざけんじゃねえぞと目を剥く鐘持に、
「ウザいキモヲタ! 学校でエロゲやってチンチンおっ立ててるあんたと、創作に人生掛けてる私たちを一緒にするな、死ね!!」
 あまりにも酷い物言いであった。
「まぁまぁなるっち、鐘もっちも若いんだから、溢れ出るリビドーを持て余してPC相手に欲情することもあるでしょうよ。あの年頃の男子は、手段があればPCとでもセックスしたいと思ってる性欲の固まりですからねぇ。でもそのPCのおかげで彼の性欲が抑えられているのだから、ここは良しとしませんか。彼の劣情で我々が蹂躙され、慰みものにされないだけでも、十分マシというものです」
 同人誌組のもう片方、若木の隣にいた山科が、全然フォローになってないフォローを入れた。ちなみに”なるっち”とは、若木奈留のあだ名である。
「勘違いするなよ腐女子1号、誰がPC何ぞに欲情するか! 俺が唯一愛してやまないのは、画面の中の女の子達だ! お前らなんぞ眼中にはねー!!」
 山科の言葉にいくつか思い当たる節でもあったのか、鐘持は顔を真っ赤にして反論するが、
「現実の女に相手にされないからって、エロゲで性欲処理してる様なキモヲタの眼中なんかになくて結構よ! あんたの視線に入るだけで犯される気分がするわ、こっち見ないで、妊娠するから!!」
 フンと鼻を鳴らして鐘持から視線を外す若木の言葉には、一切の妥協点も優しさもあったもんではなかった。さすがの鐘持も一瞬絶句する。
「な、そこまで言うか腐女子2号!? つーかテメーなんて女の範疇外だ、裸になってもちっとも色気なんてねーからな! ダサいメガネのくせに目が綺麗だからっていい気になんじゃねーぞ! 身長ちっちぇくせにワリとデカい胸してるからって威張んじゃねーぞ! 引き締まったウエストと形の良いケツしてるからって、慢心してんじゃねーぞコラァ!!」
 鐘持の絶賛じみた悪口に、優樹と大吾がため息をつく中、
「ワリとしっかり見てるんですなー……」
「私妊娠しちゃうわ……」
 同人誌二人組は、もう怒りを通り越して完全に呆れ返っていた。
「うるせぇ馬鹿野郎、今のは男の本能であって俺の意志ではない! そして今この瞬間は、俺の魂はひなちゃんに爆裂ぞっこん中なんだよ!!」
 鐘持がそう言って、びしっとノートパソコンに指さしたその時である。
『おにーちゃあん、ひなぁ、身体が冷えちゃったよ〜。早くひなをぎゅっと抱きしめてぇ〜〜』
 机に放置されていたノートパソコンから、鼻に掛かった甘ったるい声が出力された。どうやらゲームはまだ続行中で、画面の中ではひなちゃんが切なそうな表情を浮かべて鐘持を待っていた。
「おおっ!! ほれ見たかバカ女ども、ひなちゃんはキサマら3次元と違ってこんなにも可憐で慎み深くて可愛いんだ! ちったぁ見習え腐女子2号! なぁ、アンタだって心の底からそう思うだろぉ!?」
 再びびしっと指さした鐘持の視線の向こうで、指さされた部長は握り拳をぶるぶる震わせ、
「心の底から思わねーよこのうすらばかーっ! つーかあたしに同意求めるんか!? 女子高生の腐女子よりも、画面の中の小学生が良いってか!? てめー、3次元の現役女子高生ナメてんじゃねェぞごるぁーっ!!」
 再び鐘持に掴みかかろうとした部長に対し、もはや止めに入る者は居なかった。部内唯一のストッパーである伊東は床の上で屍を晒し、未だ沈黙を続けている。
「ゴルァとか言うなこのツンデレが!! 3次元だったら2次元超えるところを見せてみやがれこのツンデレが!!」
 そんな鐘持の野次に、
「ツンデレじゃねー!! いつ誰が貴様にデレたかぼけぇーっ!!」
 部長の言うことはもっともであった。そして次の瞬間、誰もが部長の白くて綺麗な足が鐘持の身体にえぐり込み、ひしゃげた彼がくるくると回転しながらロの字に並べた机に激突し、ストライクを取ったボウリングのごとき結末を迎えるのだろうと確信したのだが、
「ツンデレはツンデレらしく、縞パンを履けー!!」
 膝をあげかけた部長のスカートを、鐘持は両手で掴み、そのまま一気に持ち上げたのだった。
「お、青の縞パン!」
 床で轢き潰れていたはず伊東が顔を起こし、さわやかな笑顔と共にグッと親指を突き立てた。
「ひゃ、ひゃああああああっ!!!」
 さっきまでぼけぇーだのごるぁーだの言っていた口の、一体どこから聞こえてくるのか不思議なくらいに可愛らしい悲鳴(通常モードの部長は、むしろこちら側の声が本来なのだが、誰も全く気にしなかった)が、部室の中にこだました。
「くっ!? き、貴様! まさか本気で縞パンを履いてるとは………!」
 信じられん、と口を押さえて狼狽える鐘持の態度に、
「履いてちゃ悪いかてめーっ!!」
 涙目で地団駄踏む部長の足が、未だに下から覗き込む伊東の顔を思い切り踏んづけた。
「ふこぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜っ!」
 踏まれた顔を手で押さえ、床をのたうち回る伊東を蹴り飛ばし、部長は再び鐘持と対峙する。
「よくも乙女のぱんつを勝手に見てくれやがったなーっ!! この恨み、我が人生掛けてじっくり晴らしてやるーっ!!」
「やかましいわこのツンデレが! 格好はおろか、ぱんつの色までけいおん!の澪ちゃんと合わせやがって! にわかガールズバンドも大概にしやがれこのツンデレが!!」
「にわかとか言うなぼけぇーっ!! そのクチバシへし折ってぶち殺してやるーっ!!」

 早坂部長の趣味は、前述の通りギターの演奏である。ちなみにけいおん!の澪ちゃんが弾いているベースギターではなく、唯ちゃんと同じリードギターの方である。演奏の腕前は、普通に上手い。決して”にわか”などではなく、周りが揃ってさえいれば、ちゃんとバンドを組めるくらいの実力は持っている。ただ、彼女は外バンを組まずに、あくまで校内での演奏にこだわっていた。たった一人の演奏でも、文芸部の皆と一緒の時間を過ごすのが、彼女はとても大切だと思っていたからだ。
 しかし彼女がギターを弾ける時間はそう多くはなかった。問題児を多く抱える部の長であるため、教師陣との折衝や他の部活とのネゴ、生徒会との調整にいつも奔走させられていた。そしてそうでなくとも、部員達の手伝いや趣味につきあってあげることも多数である。たまに鐘持が持ってくる、同人の美少女格闘ゲーの相手すらもしてあげるほどだった。そして時間が空いたときに、アンプも繋げられない(音が大きいのでギターアンプの使用は禁止されている)ギターをピチピチ弾いて、稀に女子から軽い拍手をされて、ほほを赤らめている程度だった。
 それでも、この早坂宏美という小柄な部長は、とても満ち足りた部活動だと胸を張って言っていた。

「死ねぼけ!」
「くたばれツンデレ!」
「ツンデレ言うなすかたん!」
「犯すぞビッチ!」
「やってみろ甲斐性無しの二次元ヲタ!」
「突っ込まれてヒィヒィ泣いても止めねぇぞブス!」
「貴様にそこまで度胸があるか包茎!」
「俺が本気を出せば白目剥いてイキまくりだぞ淫乱!」
「黙れ童貞、早く死ねーっ!!」

 そんな聞くに堪えない罵詈雑言と共に、お互いの身体を殴り蹴りひっぱたき引っ掻き抓り投げ飛ばす音が、部室内に響き続ける。
 部屋の隅で、踏まれた顔をさすり続ける伊東を除き、他の部員達は呆然とその乱闘を見やっていた。もう、もはや誰にも止められなかった。

- Another View End -


 その後、我々男子は部室から戦略的撤退し(追い出されたともいう)、空き教室だったここに拠点を構えたわけだ(学校側に言わすと不法占拠だそーだが、そんな難しい言葉の意味は分かんない)。
 そして元々副部長だったみっちゃんがLSC部長を名乗り、ことある度に女子達と抗争を繰り広げている。以上、説明でしたっ!
「勘弁してよー! だいたい、何で映画作りなんてやることになったのさ!?」
 またどうせ、くだらない理由で向こうとケンカしてきたんだろうけど、いちいち他人を巻き込むのはやめてほしい。みっちゃんは行動力はあるし、ああ見えても正義感もそれなりにある。だからボクにとって自慢できる親友ではあるのだけれど、だからといって全ての行動を認めてるわけじゃないんだよ?
 ボクが黙ってみっちゃんを睨めつけてると、彼は分かった分かったと言い、
「生徒会から文芸部に、正式にクレームが入ったんだ。だから女どものところに行って相談してきた」
 みっちゃんは普段はあまり見せないまじめな副部長としての態度で、事の説明を始めたのだった。
「つまり纏めるとだな、生徒会としては今の文芸部の状況は看過できないんだと。二つに分かれてしまったのは構わないとしても、双方最低部員数の5人を割っているため、部活としては承認できない。そして部活でないので、規則上学校の設備を使わせるワケにはいかないってことだそーだ。そんでこのままの状況がが続くならば、夏休み前に文芸部を廃部処分にする、と」
 みっちゃんは足を組み直しながら、話を続ける。
「だけど俺らとしては、無下に廃部にはされたくない。しかし今のままじゃ、俺らも女共も、大人しく前みたいに一緒になるなんて出来ないからな。そこで、生徒会から一つの提案が出た。男女それぞれで自主映画を作り、今度の文化祭で上映する。そして評価がよかった方が、また一つに纏まった後の部活の覇権を握ると、こういうワケだ」
「なんだそれ……。てゆーか、何で映画なのさ!?」
 ボクは率直な疑問をみっちゃんにぶつけたが、
「知らん。理由は聞いてない。ちなみに映画の話を飲めない場合は、即刻廃部だと言ってきた。女共はすぐに条件を飲んだよ。俺も飲まざるを得なかった」
 やれやれだなと、みっちゃんは軽く溜息をついた。
 ……めんどくさー。
 ボクの本音はその一言に集約されていた。そもそもまじめに部活なんてやりたくないから、好きな映画を見てればイイだけの文芸部に入ったのだ。自分で何か作るなど、全くあり得ないことだよ。
 大体、自主映画製作みたいなステレオタイプ的青春像や、みんなで懸命に頑張るみたいな熱いノリって、ぶっちゃけ大ッ嫌いなんだよね。全然クールじゃない。そんな暑ッ苦しいのは映画の中だけにしてくれよって感じだよ。それにいくらボクらが努力したって、所詮素人なんだからロクなもの作れやしないじゃん。ほかのヤツに笑われるだけだって……
「みっちゃん、もうひと思いに文芸部潰して辞めちゃわない? ボクはみっちゃんや熊ちゃんと一緒に遊べればそれで良いんだし……」
「そんなワケにいくかい! 自分たちで辞めるのならばともかく、生徒会ごときに勝手に潰されてたまるかってんだ!!」
 結局一緒だと思うんだけどなぁ? でもボクがそんなことを言えば、みっちゃんは怒り出すのに決まっているのだ。そうなると益々めんどくさいし、ここは話を聞く振りだけでもして、とりあえずお茶を濁しておこう……。
「……で、どうやって映画作るの?」
「ん、これが結構複雑なルールを押しつけられてな。まず、男と女、それぞれのチームに分ける。そしてお互いのチームの為に、脚本を作る。要は相手方の作った脚本で映画を作るって事だな。そんで、文化祭で上映したときの観客の評価は、あくまで脚本のみとするんだそうだ」
 どうせ演技に引っ張られて、脚本だけじゃ点数つけられやしないだろうけどなと、みっちゃんは言う。
「それなら、女子達に水着でも着させるとか、そーいう方向で脚本作れば? 男子はみんな喜ぶんじゃない?」
「それがそう簡単にはいかん。そもそも優樹、この学校は女子の数が多いだろ?」
 そうだ、この学校の男女の比率は1:2で女子の方が多いのだ。ボクのナイスアイデアは、3秒でその生涯を閉じてしまった。
「そんな状況で女どもに不興を買うような脚本作ってみろ、女全員からブーイングの嵐だぜ。それに観客一人の持ち点は2点なんだが、−100点から+102点まで自由につけられるのだそうだ」
「それは何か計算が違うんでないの!?」
「分からん。俺らには到底理解出来ん、なにがしかの深遠なロジックが存在するんだろ……。話を続けるぞ? 制作の途中では、適時お互いの脚本を公開しあう。それに最低でも一人ずつ、役者をお互いのチームに送り込むこと。上映時間は30分以内、内容は自由。撮影に学校内を使っても構わない。小道具や衣装、劇中に流す曲、つまり劇伴は必ず自分たちだけで作る事。以上だ」
 道具とか服はともかく、曲も自分らで作れということらしい。益々面倒じゃないか……
「劇判とかって、市販の素材使えないの? いちいち曲まで作ってられないでしょ。てゆーか、誰が作るのさ!?」
「そりゃ俺らでやるに決まってるだろう? 俺はDTMである程度曲は作れるし、優樹、お前確かピアノ弾けたよな?」
「やだ! 弾けるけど弾かない。それだけは勘弁して」
 みっちゃんの声に、ボクは反射的に拒否してしまっていた。でも、ピアノはボクにとってトラウマの一つなのだ。その理由すら、思い出したくないくらいに。
「そういえばそうだったな、スマン。けど一応説明しておくと、市販素材の利用は不可。まぁこれは著作権の問題もあるんだが、俺ら一応文芸部だろ? 音楽も文芸部の活動内容に明記してあるから、そこは自作でやらんといかんのだと。あっちの部長もギター弾けるし、とりあえず両チームとも、簡単な劇伴を作る技量と準備はあるって事だ。そういや、脚本や曲作りはお互い手伝うのはNGだとさ。アドバイスくらいは構わないって事らしいが、どちらかのチームに作業が偏ったりするのは、公平さに欠けるってことだそうだ」
 なんかごちゃごちゃといろんな条件が出ていたけど、ラクして女子達に勝つにはどうしたら良いんだろうか。実際勝ち負けなんか興味ないけど、女子チームに主導権をとられるのはさすがに面白く無いよねぇ。
「で、みっちゃんは何か秘策があったりするの!?」
「どういう事だ?」
「だからさ、簡単に女子達に勝つ方法とか」
「はぁ?」
 みっちゃんは心底あきれたように、額に指を当てて首を振った
「そんなもん、あるわけ無いだろう……。今回は真っ向勝負で良い物作るしかねぇよ。役者のトレードやら途中で脚本見せ合うやらで、万が一こっちがエロいモンでも作ってるのがバレてみろ、間違いなく報復されるぞ」
「というと??」
「よく考えるんだ優樹。あっちには、人生掛けてホモ漫画描いてる腐れ女が二人もいるんだ。さぞかし素晴らしいガチホモストーリーを作ってくれるだろうよ」
 うわあああっ!! それは酷い! てゆーか恐ろしい!!
「お前、例えば熊ちゃんと裸で抱き合ってディープキスとかしてみたいか? 俺はあいつを親友だと思ってるが、漢には決して超えちゃいけない自分の線ってヤツがあってだな……」
 みっちゃんは遠い目をしてそんなことを言ってるけど、漢とか線とか関係ないから! もうボク、熊ちゃんの顔直視できないっ
「分かったか、優樹。だから俺らは本気でやるしかないんだ。ついでに言うと、女どもの作った脚本でもしっかり演技しなけりゃならん」
「……確かに、こっちが適当な演技しよう物なら、めくるめく”漢ワールド”にご招待されちゃうんだろうねぇ……。そうでなくとも、こっちの脚本も雑な演技されて、結局ボクらの評価が悪くなるって事か」
「そういう事だ。全く、上手いやり方をよく考え出すもんだよ……」
 悪意以外感じられんなと、みっちゃんは再び溜息をついた。
 状況は分かった。そして、人生には何時何時想像を絶する災難が降りかかるか分からないって事を、じっくり体験することが出来た。泣いたり笑ったり出来なくなっちゃうなんて、案外簡単なんだね……。
「……めんどくさー」
 今度は口に出して本音をこぼしてみたけど、みっちゃん何か考え事をしているようで、腕を組んだまま黙ってしまい、ボクには突っ込みすら入れてはくれなかった。

 その後、ボクとみっちゃんは近くのマックでハンバーガーをかじり、お互いさっさと帰路についた。せっかくの残された休日を、これ以上学校で過ごすなんてマゾプレイは、ボクには到底耐えられないことなのだ。
 さて、これから何しよっか?
 ボクはそんな事を考えながら、我が家へ至る通学路という農道を、チャリを漕ぎつつ帰っていた。まだ日は高く、しかも梅雨のおかげで湿度も高く、帰り道は延々蒸し風呂状態だった。それに暑いだけでなく青臭い湿気……体に良いとか言われてる葉緑素を大量に含んだような……は、吸ったら逆に体に悪いんじゃないかと思う位に強烈で、しかもとぎれることなく続いている。おかげで噴き出してくる汗と湿気で、服は肌に張り付き気持ちの悪いったりゃありゃしない。全く腹立たしい限りだ。やがて道には蜃気楼まで湧き出し、夏の暑さをよりいっそう演出してくれている。こりゃさっさと帰って家で涼もう。そう考えたボクは、ペダルを押し込む足に力を入れた、その時だった。
 ずっと先の道の真ん中に、ひときわ鮮烈に輝く何かがあった。
 日の光を120%反射しているからなのだろうか、かなり遠くからでも、そこに何かキラキラする物体が落ちているのが良く分かった。初めはガラスの破片か、つるつるの金属質の何かが落ちているのだろうと思っていたのだけれど、近づいてみるとそれは何かの結晶、どう考えてもでっかいダイヤモンドの塊だった。大きさはテニスボールくらい。人の手が入れられた証拠に、磨かれて表面はつるつるだ。
 試みに、その結晶を手に取りアスファルトにゴリゴリ擦りつけてみたけど、思った通り結晶には全然傷が入らなかった。それに何か、やたらと七色に輝いている。これがいくら本物のダイヤモンドだったとしても、ここまであからさまに綺麗に光ったりするものだろうか。本物のダイヤモンドなんて見たことのないけど、これは何か違うんじゃないかなぁ……。
 そろそろボクは、この物体が地球上にあってはならない類の代物であると、直感的にそう感じ始めていた。しかし、生来のあまり物事を深く考えない性格がそうさせるのか、むくむくと湧いて出た好奇心に導かれるまま、そのキラキラ輝く結晶に「きれいな石」というシンプルな名前を付け、そして背中に背負っていたナップサックに石をそのまま突っ込んだ。そして周りに誰もいないのを確認すると、ボクはチャリをかっ飛ばして、めでたくその場から急速離脱を決め込んだのだった。ま、元々道ばたに落ちていたもんだし、このまま頂戴しても誰にも怒られないよねー。


 約10分後。まるで腐海の毒がごとき葉緑素の漂う農道から抜け出て、住宅地に入ってからしばらく自転車を走らせていたボクは、やっとの思いで自分の家、よくある5階建てのくたびれたマンションのエントランスにたどり着いた。さすがにこの辺は住宅街のど真ん中なので、口の中が苦くなるような葉緑素が流れてくることはない。けれどその代わり、アスファルトやコンクリートからの照り返しで、チンチンに加熱された空気がどんよりと漂い、夏の暑さをいっそう彩っている。
 ボクは弾んだ息を整えながら、マンションの裏手に回り、我が通学の友(チャリのこと)を自転車置き場に突っ込んだ。聞いた話によると、高級なマンションは自転車置き場から直接建物の中に入れるらしいけど、ボクの住むこのステキなボロマンションは、そんなこじゃれた構造にはなっていない。だから、エントランスの裏側なんかにおざなりに作られた自転車置き場から、建物の外をいちいち半周も回って屋内に入らなければならないのだ。もちろん屋根なんかありゃしないので、雨が降ったら傘もいる。まったく、早く涼しい所に入りたいのに、最後の最後までイケてない我が家だった。
 ところで、今日はエントランスの目の前にでっかいトラックが止まっていて、引っ越し屋さんが忙しそうに家財道具を運び入れていた。どこかの部屋に誰かが引っ越してきたのだろうか。そう言えば、ボクん家の隣も空いていたよなぁ……。
 ボクは引っ越し屋さんがあちこちにべたべた張りまくった青い養生シートを眺めながら、作業の邪魔にならないようにエレベータに乗り込んだ。ちなみにボクの家は3階にある。その位なら階段使えとか言われそうだけど、これ以上暑い中で体を動かすのにはボクの根性は全く足りていなかった。どうぞヘタレと呼んで頂戴。その言葉は甘んじて受け入れよう。ボクは文明の利器に甘え、しばしの間、エレベーター内に据え付けの扇風機がら出てくるぬるい風に涼を感じ、汗を飛ばしていた。
 やがてエレベーターは3階に着き、ボクは自分家の玄関前に立つ。そして隣の家の玄関を見やれば、案の定そこは養生シートで覆われていた。1階で作業をしていた引っ越し屋さんは、ボクん家の隣に家具を運び入れていたのだ。養生シートが3階のエレベーターホールにあった時点で、何かそんな気がしたんだよねー。
 つっかえ棒で開け放たれている隣の玄関からは、うっすらと新しい家の匂いが香ってきていた。リフォームしたばかりなのだろう、最近流行の明るい色調で統一されたフローリングや廊下が、つやつや光ってとっても綺麗だった。薄汚い我が家と比べて、同じマンション内にあるとは思えない位に輝いて見えている。正直言って、かなりうらやましい。ボクはそんな理不尽としか思えない程の醜美の差を、これでもかと言うほど味わわされていた。くそう、これが財力のなせる技なのだろうか。
 うげっ!? ま、まさかあいつは……っ!!!!
 あくまで白を基調とした部屋の奥。きらきらと光る床の上には、なんと言うことだろうか、黒い闇がわだかまっていたのだ。まさか、あれは本当にアレなのか!?
 ボクは今、隣ん家の部屋の奥に、とても嫌な物を発見してしまっていた。一部しか見えていないが、あの特徴的な質感は決して他の物と見間違えたりはしない。なにやら黒くて不必要につやつやした物体が、そこには鎮座ましましていたのだ。
 いや、別にあの6足恐怖生物”G”の事ではないよ? あんなモン、スリッパで叩いて潰せばそれで良いのだから。あの部屋の奥にある物はそう、白と黒の鍵盤をばんばん叩くと、中に張られた針金からぽんぽん音が出る機械。つまりはピアノのことだ。それが、我が家の隣に設置されていたのだ。
 最悪も良いところだった。早速隣の家を恨む理由が出来ちゃった。もうこれは決定事項だよ……。
 実はボク、ピアノがマジで死ぬほど淀みなく本気で大ッ嫌なのだ。弾くことはおろか、音を聞くだけで虫酸が走る(実はソコソコ弾けるんだけどね)。
 さっきもみっちゃんに演奏を頼まれていたとき、全力で断ったよね。例え親友の頼みだとしても、ピアノに関わることだけは絶対受け付けられない。それくらい、ボクはピアノが嫌いなのだ。
 本当は思い出すのも辛いことなのだけど、ちょうど良い機会だから告白しておこう。なんでボクがピアノが大ッ嫌いなのかというと、ピアノには辛い思い出しかないからだ。ボクが小さかった頃、実は近所のピアノ教室に通っていた。けれど、そこの先生がもう本当に酷かった。えこひいきはする、気分で生徒を叱り飛ばす、そして平気でゲンコツはする!
 いや、別に悪いコトしたならゲンコツは有りだと思うよ? ボクは「話し合えば分かるんです!」とかいう無責任な感情論は全く信用してないし、怒られることをしたらゲンコツ喰らうなりビンタ張られるなりは構わないと思う。でも、あの先生はそうじゃなかった。人が鍵盤を押し間違える度に、罵声を浴びせつつ指でとんがった形にしたゲンコツを容赦なく喰らわせてくれたのだ。
 いや、こう言うとまるでゲンコツされたから嫌いになっただけだろうと思うかも知れないけど、そこは勘違いして欲しくないよ? ゲンコツそのものではなく、その頻度と理由に問題があった。あくまで小さい子向けのピアノ教室なんだから、まずは先生がちゃんと弾き方を教えてくれて、その上で怠惰が原因でヘタクソならば、2,3発喰らわしてくれても良いとは思う。けど、いきなり見たことも聞いたこともない曲の楽譜を渡して「さあ弾け!」じゃあ、ゲンコツ喰らうためだけに通ってる様なモンじゃない。誰だってそう思うでしょ?
 そもそも聴いたこともない曲なんか、いきなり楽譜見ただけで弾けやしないって!
 高校生になって思い出してみても、やっぱりあの教え方は間違っていると思うし、それにあの先生は、お気に入りの子だけにはべったり張り付いて、ゲンコツもしないで優しく教えていたのだ。今でもその時のことを思い出しただけで本気で頭に来る位だから、ボクがピアノ嫌いになったのもよく分かってもらえると思う。
 そんなバックグラウンドで、若かりし日々にボクの悔し涙を幾度となく吸い込んだであろうあの憎きアップライトピアノとそっくりなヤツが、事もあろうに我が家の隣に鎮座ましましているわけだ。そんな光景を直視したボクが、魂が抜けるくらいにげんなりしてしまうのも、全く無理のないことだよねぇ……。
 これから四六時中、隣から遠慮会釈なしに響いてくるピアノの音なんか聞かされようものなら、ボク、ホントに頭がおかしくなっちゃうよー。
「この世には、神も仏も居ないのか……」
 ボクはしばらくその場でぐったりしていたのだけど、いつまでも人ん家を覗いていても失礼だし、それに引っ越し屋さんの作業の邪魔にもなる。ボクはさっさと回れ右をして、盛大なるため息を噴き散らせながら、自分ん家の玄関を開けて、中にとぼとぼ入っていった。
「ただいまー」
 帰宅の挨拶をしながら靴を脱ぎ、その辺に脱ぎ散らかせておく。真っ白だった隣とは対照的に、我が家の玄関は薄暗い。どんよりとした陰気すら漂っているかのようだった。ボクたちがここに引っ越してきてから早15年、積もる垢と埃で時代遅れなフローリングは艶を失い、薄汚さを引き立たせている。凹んだ気分が、より一層凹む瞬間だ。
「おかーさん、うちもリフォームしようよー!」
 リビングに入ったボクは、その場で洗濯物を畳んでいた母親に、そんな魅力的かつ建設的な提案をするも、
「あんたが大人になってから勝手にしなさい!」
等と、すげない返答を寄越してくれた。
 しかし、ここで諦めてはダメなんだ。人類には、どうしても乗り越えない壁があるんだ。今がその時なのだ! ボクは果敢にも、こちらに視線すら向けない母親に向かってもう一度勝負を挑んだのだった。
「ねー、隣の家綺麗だったよー?」
 そして、その勝負の結果がこれだった。
「だったら隣の家の子供になりなさい!!」
 うあー……。
「高校生にもなる息子に向かって、その返答はどうかと思うよママン……」
 そんな、ボクの魂からのつぶやきに、
「私はそんなコト言う子供を産んだ覚えはない!!」
 見事な即答だった。心にぐっさり突き刺さった。酷いよママン、その言葉はあんまりだ……。
 リフォームの提案どころか、母親に自身の存在すら否定されてしまったボクは、負け犬よろしく自室に引っ込み、鍵を掛けて引きこもってやった。
 たしか英語圏では、子供に絶対言ってはいけない言葉の一つに「Don't Be!」てのがあるらしい。直訳すると「存在するな」だけど、意訳すれば「あんたなんか生まれてこなければ良かったのに!」とかになるらしい。うん、そんなこと母親から面と向かって言われたら、死ぬほど凹むが盛大にグレるよねー。
 ボクは失意の中、背中に背負ってたナップサックの中身を机の上にぶちまけ、週末に学校から持って帰ってきたままの教科書だとかプリントだとかを整理し始めた。そして中身をゴソゴソ漁っていたら、底の方から七色に輝くきれいな石が転がり出てきた。
 あ! そうだそうだ、こんな変なの拾ったんだよ! 隣のピアノに凹んで完全に忘れていた。
 きれいな石は、直射日光が入らないボクの部屋の中でもキラキラ綺麗に輝いていた。普通のダイヤモンドは、あまりにも高い屈折率で光がおかしな感じに反射するから綺麗に見えるんだけど、この石はまるで、自ら光ってる様にも見える。
 一瞬、母親に見せびらかせにでも行こうかと思ったけど、「まぁ! その宝石を私にくれるのね、ゆーちゃんはとってもいい子よ!」なーんて、さっきのすげない対応から一転、調子よく親孝行者に持ち上げられても甚だ面白くないので、とりあえずそれはやめにしておいた(だってこの石ボクが欲しいもん)。
 母親に見せるのは、この石の正体が分かってからでも遅くは無いだろう。それに万が一、この石が本物のダイヤモンドだったとした場合、このブツの持つ価値から考えて、きっと今頃自衛隊やら何かの特殊部隊が通学路を封鎖して、こいつの行方を捜しているだろう……。うーん、やっぱ拾って来ちゃまずかったかなぁ? とりあえず、誰にも見つからない様な、良い隠し場所を探しておかないと。
 それからボクは私服に着替えると、早速PCの電源を入れ、このきれいな石の事をネットで調べ始めたのだった。


 ネットの世界にダイブしてから5時間が過ぎた。
 途中に夕食やらお風呂やらを挟んで、ずっと検索作業に勤しんだけど、結局石に関する良い情報は見つからず、きれいな石の正体はきれいな石のままだった。GoogleとかYahoo!とかに「宝石」「ダイヤモンド」「きれいな石」「キラキラ」「ピカピカ」「七色」「光子結晶」とか、思いつく限りのキーワードを入れてみたけど、宝石屋さんの広告ばかりで専門的な情報すらロクに出てこなかった。
 ……若干、打ち込んだ検索キーワードになにがしかの問題があるような気もしなくはなかったけど、でもボクは十分頑張ったのだ。やれるところまでやったのだ。うん、仕方ない、正体が分からないのは運命だったのだ。
 諦めと思い切りの良いボクは、さっさとPCの電源を落とし、件のきれいな石は自室の壁に作り付けの棚にでも飾っておくことにした。きっとそのうち、正体が分かる時も来るだろう。
 時計を見ればもうすぐ深夜0時。いい加減寝ないと翌朝辛くなる時間だ。
 実はボク、毎朝新聞配達のバイトをしているのだ。学校に行く前に1時間くらい、自転車で近所を走り回っている。ちょうど良い体力作りにもなるし、それにお給料もとりあえず貰えたりする。おかげで漫画やらを買うのには苦労はしないし、本来貰えるはずの親からのお小遣いは、両親が全額貯金してくれている。曰く、大学に行ったら全額くれるのだそうだ。その時まで一体いくら溜まっているのか、今からとっても楽しみ。
 さてと、バイトに差し障らないように、とっとと寝なければならない。ボクはベッドの中に潜り込み、部屋の電気を消した。
 んー、この期に及んで何か忘れているものがある様な気もするけれど、もう布団に入っちゃったしいっかー。
 ボクは生来のあまり物事を深く考えない特技を活用し、可及的速やかに夢の世界に旅立ったのであった。
 翌日、授業中の「宿題を集めるぞー」という教師の声と共に、体中の血が凍り付いたことは青春の1ページとしてなかなか良いシチュエーションであったと言えるだろう……。
 うぅぅ、先生に怒られてゲンコツ貰ったあげくに、宿題3倍も出されちゃったよぅ。


 その後憂鬱な授業が全て終わり、後は部活を残すのみとなった。ボクは一人部室に向かうため、廊下を歩いていたのだけれど、
 うあ、やばっ!!
 なんと廊下の向こうから、早坂部長がこちらに歩いてくるではないか!!
 女子チームとは、日々抗争に明け暮れている。
 先ほど述べたこの表現には、何の誇張も含まれてはいないのだ。顔を合わせば文句の言い合い、間が悪ければ部長とみっちゃんが殴り合い。それが我々の通常の対応だった。
 しかし今、ボクは単独行動中なのだ。みっちゃんは日直、熊ちゃんは委員会で遅れるという。それに向こうをよく見れば、部長お付きの伊東さんまで居るじゃないか!
 彼我の戦力差は2:1、いや、実質3:1か。そもそもボクは、みっちゃんの様に大衆の面前でケンカが出来るようには設計製造されていないのだ。口よりも手よりも足が早い部長の、駿足を旨とした突撃近接攻撃に耐えうる防御性能なぞ当然落ち合わせているはずもなく、またしんがりを務める伊東さんの繰り出す口撃は、ボクの豆腐なメンタルをいとも容易く破壊するだろう。ぶちゃけ殺される。身体だけでなく、精神的にもメチャクチャにされちゃう!
 だからボクは、彼女らの姿を視認した瞬間に急速旋回、エンジンスロットルをミリタリにぶち込んでこの場から緊急離脱するべきだったのだ。しかし恐怖のあまり足がすくんで、一歩足りとも身体を動す事が出来なかった。我ながら感心するほどに、見事なチキンッぷりだった。
「あー、ゆーくんちーっす!」
「一条君、こんにちは」
 すでに攻撃可能範囲に入ってしまった二人の女子から、宣戦布告並びに最後通牒を突きつけられた。双方とも不気味な程ニコニコと微笑んでいる。ボクはこの状態で笑顔を向けられる理由などちっとも分からず、余計に戦慄した。絶対何か裏があるよー!
「こ、こんにちは部長! それに伊東さん!!」
 ボクはぶるった足を隠すことも出来ず、即座に降伏を宣言する。必ず負けると分かったケンカはしない主義なのだ。わざわざこっちから突っかかって、むごい仕打ちを受けることはない。ここは穏便に済ませてさっさと逃げよう。
「一条君は、もう映画の話は聞きましたか? 私の至らなさで、こんな形で迷惑を掛けてしまうとことになって、本当に申し訳ありません。もう少し私がしっかりしていれば、皆で楽しく部活が出来たのですが……。本当にごめんなさい」
 部長はボクに頭を下げた。な、なんだ!? そのまま突進して頭突きでも食らわすつもりか? それともこっちには土下座でも強要しておいて、頭を地面にすりつけた瞬間に、思いっきり頭を蹴り上げたりする算段なのだろうか! なんて惨い、人間のすることだろうか!
「い、いや、とてもそんなことは!!」
 ボクは手をパタパタ振りながら、とにかく頭だけは下げてはならぬと一歩後退し、懸命に応戦を試みた。これでもボクは男だ、イザとなったらやるときはやるんだ!
「でも、二つのチームに分かれたとはいえ、皆で映画作りという一つの目標に向かって活動が出来るので、こういっては何ですけど、私はとっても嬉しく思っているんですよ。一条君達が作ってくれた脚本で映画を作るのも、とっても楽しみにしています。お互い、素敵な映画を作れると良いですね」
「は、はい!!」
 まるで、じわじわと真綿で首を絞めらる様なシチュエーションだった。今日はよっぽどボクを精神的に追い詰めたいのだろうか……。つまり部長は、”ふざけた脚本作ってきたら速攻でぶち殺してやる、楽しみに待ってるから覚悟してろよ”と言っているわけだ。一見微笑みかけてくる様な顔して、この部長は平気でそういう事考えてる人なんだよー。今までのみっちゃんとの戦いを見ていて、つくづく思い知らされているボクはからすれば、間違いなくそう断言できる。この人を見た目で判断すれば、後で必ず後悔するんだ。
「ところでー、そっちは誰が脚本作るの? ゆーくん? それともあのバカタレ?? 堅いところで熊ちゃんかな?」
 伊東さんの言うバカタレとは、もちろんみっちゃんの事だ。敵方がボクらを呼ぶための個体識別コードの類なんだろう。よっぽどボクらに恨みを持っていると見える。ところで、ボクは一体なんて呼ばれてるんだろ? チキンとかゆべしとかイチジク浣腸とか、きっと酷い呼び方されてるんだろうなぁ……。
「あの、まだ誰が作るか決まってなくて……そっちは?」
「うちらは若木さんが作ってくれるよー」
 ふぁ、ふぁっく!? いきなり本丸、ガチホモが来たーっ!!!!! 若木さん、つまりみっちゃん曰く腐女子2号だ。ちなみに口癖は”死ね!”のクールビューティー。見た目はおっぱい大きめの小柄のメガネッ子なんだけど、その口から出る罵声は致死性の毒を帯びている。腐海の障気なんて子犬のおならに思えるほどだよー……。
 つまり今の惨状を冷静に分析すると、こっちがエッチな脚本作る前に、向こうは最強最悪の最終兵器を携え、先制攻撃を仕掛けてきたというワケだ。みっちゃん、女子チームは本気だよ!! このままじゃボク、熊ちゃんと初体験だようわあああんっ!!
「お、おしりだけは勘弁して下さい……っ!」
「は?」
「??」
 女子二人は、ボクの魂からの命乞いに首をかしげているけれど、”誰がその程度で済ますかボケ”と言うことなのだろう……。やっぱり大人しく女子チームの軍門に下っておけばよかったのだろうか。
「んじゃ、またねー!」
「それでは、失礼します」
 ボクが死刑宣告を受けて硬直している間に、女子二人はさっさと行ってしまった。まさに圧倒的な劣勢。これが勝てば官軍、負ければ賊軍って事なのか……。映画作りの面倒さに加えて、ボクは自分のおしりの心配もしなくてはならなくなった。人生って本当に辛いことばかりだよね……。
 それから部室に向かったボク(よくまぁ途中で気絶せずに部室までたどり着いたもんだ)は、事のあらましを後からやってきたみっちゃんと熊ちゃんに報告、可及的速やかに次善の策を練ることとした。
 とは言っても。
 極悪非道な女子の戦略に対する有効な作戦を見いだせなかった僕たちは、次善どころかなるべくこれ以上被害が大きくならないように、毒にも薬にもならない大人しい脚本でも作って自分たちの心とおしりの傷が酷くならないようにする程度しか、道が残されていないことに気づくほか何も無かった。
「事態は最悪だ」
 何か俺は悪いことしたのか? とつぶやくみっちゃんに、
「自分の人生をもう一度見つめ直せ、貢。今すぐにだ」
 だいたい全てに渡ってお前が必ず悪い、と言った熊ちゃんは、ボクに質問を投げかけてきた。
「ふむ……。優樹、部長は本当に変な脚本作ったら承知しないとか言っていたのか?」
「うん。はっきりとそう言ってはいなかったけど、楽しみにしてるとか何とか、一杯脅された」
 熊ちゃんは腕を組み、しばらく考え込むと、
「俺は、あの部長がそんなこと言うようには思えないんだけどなぁ?」
 熊ちゃんがボクを見つめる目に、なにやら力がこもった。
「そんなの、あの場にいないと分かんないでしょー? だいたいあっちの脚本は若木さんなんだよ!? ボク、熊ちゃんとキスしなきゃいけなくなるかもよ!?」
「それは最悪な事態だな……。」
 う〜んとうなり声を上げながら、熊ちゃんはより一層深い思考に入ってしまった。
「どーすんのさみっちゃん!」
「やかましい! この間も言ったとおり、正々堂々奴らに認められる脚本作って、一生懸命映画作るしかないだろう!」
「確かにそれしか無いな。俺たちがしっかりとした物を作れば、逆に向こうもそれに応じて真面目にやるしか無いんだ。条件は平等だと思っても構わないだろう」
 みっちゃんも熊ちゃんも、現実という物を分かっていない。
「平等なんかじゃないって、そもそもこの学校は女子が多いんだから、BL作れば絶対向こうの点数が高くなるって!」
 ボクのその言葉に、二人は押し黙ってしまった。
 やはりここは、唯一敵に第一種接近遭遇したボクがしっかり考えないといけない様だ。この二人は事の深刻さにいまいち気がついていない。そもそも向こうの脚本を書く若木さんは、部活や家で四六時中BL同人誌描いてて、なんかよく分かんないけど販売会とかでは結構人気があるらしい。という事は、それなりに際どい物を作ってくる可能性が極めて高いって事だ。そういえば、この間「念願の壁際よー!」って相方の山科さんと抱き合ってたけど、壁際って何だろ? なんかもう才能に限界来ちゃって、同人誌辞めたいって事なのかなぁ……。そういえばその時みっちゃんが「どーせ断熱材だろ」とか言ったら、むちゃくちゃ怒ってたけど……全然意味が分かんない。
「ねぇみっちゃん、断熱材って何?」
「は? 熱を逃がさないためのなんかの材料だろ? それがどうかしたのか??」
 熱を逃がさないって言われて怒ったって事は、やっぱりいろんな意味で煮詰まっちゃったって事なのだろうかなぁ……。煮詰まった人が書いたBLの脚本、さぞかし素敵な漢ワールドが展開されているんだろうなぁ……
「うわああん!! やっぱりBLはやだよぉ〜〜〜」
「落ち着け優樹、とにかくBLはまだ確定じゃねーんだから、そこで思考停止しててもしょーがねぇだろ。俺たちもそろそろ本気で脚本考えないと、文化祭までに間に合わなくなる」
「そうだねみっちゃん。どのみちおしりの被害は大きそうだから、今からぢの薬でも飲んでおかないとね」
「いやあのな優樹、BLで男同士がヤルって言っても別に尻を使うわけではなくてな……」
 みっちゃんはなにやら難しい話を始めたけど、ボクは絶望のあまり彼の言葉がほとんど頭に染みてこなかった。ごめんねみっちゃん、でもなんでそんなにBLに詳しいの?
 部室ではその後、3人の役割が決められた。脚本はやはり熊ちゃん。いつも小説読んでるから、それなりにおもしろそうなネタを出せそうとのことだ。みっちゃんは得意のDTMを駆使して劇伴作り。そして無芸かつ特殊技能を全く持たないボクは、女子チームへ供出される男優となった。あとの自分たちの映画の役者、大道具小道具衣装、撮影ライト動画編集は、適当に3人が持ち回りでやることとした。
 文化祭があるのは今度の11月。あと5ヶ月しかない。10月中には撮影を全部終わらせて、後は文化祭に向けて動画編集と劇伴のアフレコを完了させなきゃならない。改めてスケジュールを確認すると、かなりギリギリだよねぇ……。
「てゆーか、ホントに5ヶ月で完成する物なの!?」
「気合いだ、優樹」
 熊ちゃんのその重々しい一言で、これから進むべき道が決して平坦なんかではなく、茨をかき分けていくようなものだと痛感させられる。どう考えても面倒すぎる……。みっちゃんも熊ちゃんも、本気で完成させられると思っているのだろうか。
 暗澹たる気持ちのまま、ボクらは詳細なスケジュールや映画作成の実現方法など一通りの打ち合わせを行い、そして下校時刻を過ぎたので家に帰ることとした。空を見ればボクの気持ちを120%表しているが如く真っ暗(単に日が暮れただけだけど)。多分このまま一生懸命映画作りに励んだところで、間に合わないか失敗するに決まっている。いや、でも単に熊ちゃんと絡むだけならすぐに終わるのか!? ボクのいろんな大切な物も、その場ですぐに終わっちゃう気もするけれど。
 全くなんでこんなめんどくさい事しなきゃならなくなったんだろ。理不尽すぎて、いい加減頭に来たよ。
 ボクは降って湧いた不幸に苛立つ気持ちを、まるで自転車のペダルにたたき付けるように漕ぎながら、暑苦しさと水っぽさが余計に増した農道を走り抜け、結局いつもよりも汗びっしょりになって自宅にたどり着いたのだった。



 エントランスから自宅までは、今日は階段で上がっていった。やはり日本男児たるもの、たまには自分の足で歩いていかなければならないのだ。単にエレベーターのカゴが上に行ってしまったばっかりなので、待つのが面倒だっただけなのだけれど。
 そして3階に着き、自分家のドアを開けるついでに隣の玄関を見れば、すでにそこに養生シートは無く、引っ越し作業はもう終わっているようだった。実際に中に人が住み始めたかはわかんないけどね。

「あ、そうそう。隣が挨拶に来たわよ」
 ボクと両親の3人で夕食を囲んでいたときのことだった。母親が包装紙にくるまれたままの箱を棚の上から引っ張り出してきて、それを親父に手渡す。
「ふーん。駐車場に見慣れない車があるかと思ったら、お隣さんのやつだったか。ほら、開けてみろ」
 親父はそのまま箱をボクに手渡した。うーん、中には何が入ってるんでしょ? 重さはあまり無いし、振ってみてもなんかごそごそ言っているだけだ。
「紙は綺麗に剥がすのよ、あとで天ぷらの敷き紙に使うんだから!」
「分かってるよ、いちいちうるさいなぁ……」
「はっはっは! バカタレが、かーちゃんに逆らうと後が怖いぞ!」
 すでに出来上がってる酔っぱらい親父は一人でケラケラ笑ってるけど、あんた、そのかーちゃんはちっとも笑ってないんだぜ? 若干の夫婦の危機を感じながらも、ボクは丁寧に包装紙を取り去り(少し破けたけど許容範囲だろう)、箱のふたを勢いよく開けたのだった。
 石けん。
「まさに粗品かっ………!!」
 絶対にウチじゃ買わないような、良いにおいのする高級そうな石けんだけど、でもこんなモン、誰もが羨むお年頃の男の子にとっては何の価値もない物なのだ。
「罰当たりな事言わないの、この子は!!」
 母親に一発ゲンコツを喰らい、石けんの入った箱ごと取り上げられた。まぁボクが持ってても使わないし、そのうちお風呂あたりで再会するでしょう。
「そうそう、お隣は家族で挨拶に来たんだけど、小学生位の可愛い女の子も居たわよ。その子、結構しっかりとした挨拶してたわよ? ゆーちゃんも、知ってる人に会ったらちゃんと挨拶しなさいよね!」
「ヘイヘイ……」
「ちゃんと『はい』って返事しなさい! お隣の子に比べてみっともないでしょうが!!」
 小学生と、高校生にもなる息子を比べるなんて、あまりに酷すぎるよママン。あんたボクと何年つきあってるんだ……
「はっはっは! かーちゃんの言うことは神様の言うことと同じだ! ちゃんと言うこと聞いとかないと後が怖いぞ!!」
 だから酔っぱらい親父め、後が怖いのはあんたの方だって。
 ボクは夕食をさっさと胃袋に納めると、ケタケタ笑ったままの親父を放っておいてさっさと自室にしけ込んだ。そしてベッドにごろんと寝転がりながら、盛大にのびをする。
 あー……。そういえば明日から映画作りか……。激しくめんどくさい〜〜〜
 でもまぁ、ボクに任されている仕事は女子チームに出向する役者だから、女子に報復を喰らわない程度に演技をしてればそれで良いわけだし、それにボクが演じる脚本は熊ちゃんが書いてくれるんだから、そっちではおしりの健全性は保たれるわけだよね……。でもでも、ボクって今まで演技とか全然やったこと無いんだよねぇ。いきなりで出来るんだろうか?? ……無理だよなぁ、やっぱり。
 たしか、文芸部の中でそれに近いことをやっているのは伊東さんだけだ。部活以外でもなんかの劇団に入ってるとか言ってたっけ。だったら何でわざわざ文芸部にいるんだろ?
 珍しくいろいろと考え事をしていたら、頭が痛くなってきたよ。ボクの生来の物事をあまり深く考えない性格がそうさせるのであろうか、規定の回転数を超過した脳みそが安全装置を働かせたようだ。
 あー、もう寝るかなぁ……。その前に風呂入らないと。
 ボクは冷房のスイッチを入れ、ベッドの上に脱ぎ散らかされていたパジャマをひったくると、さっさと風呂に入りに行った。そして風呂からあがった後はちょうど冷房が効いてきたであろう自室に直行し、空気の冷たさに心癒されながら、エアコンにタイマーをセットして可及的速やかに寝たのであった。この期に及んで何か大切な物を忘れているような気がしなくもなかったけど、まぁいっかー。すでに脳みそは半分夢の中なのだ。男たるもの、志半ばにして物事を放り投げるのは良くないのである。
 翌日。教師曰く「宿題出せー」の意味するところに激烈なる戦慄を覚えるにとどまらず、非情なゲンコツを何度も喰らって泣きべそかいたのは、青春の一ページを飾るにふさわしき些末な出来事であったのは間違いないだろう。
 てゆーか自分、いい加減宿題忘れてさっさと寝ちゃうの止めようよ……。


 放課後になった。今日から映画作りの本番である。本気でめんどくさいことこの上ない。ボクは気乗りのしないままに、みっちゃんと熊ちゃんと連れだって、部室に移動しているときのことだった。
 うあ、やばっ!!
 なんと廊下の向こうから、部長とお付きの伊東さんがこちらに歩いてくるではないか!!
 早速こちらを見つけて、不敵な笑みを浮かべている。今日も罵りあいのあげくに血の雨が降るのだろうか、考えるだけでも恐ろしい。
「こんにちは。鐘持君、大熊君、一条君」
「ちーっす、元気にしてるか三バカ共ー!」
 早速、部長と伊東さんによる宣戦布告並びに最後通牒が突きつけられた。
「俺らはいつも元気だぜ、今日もヒィヒィ泣かされないように気をつけるんだな、ビッチ共!」
 まぁ泣いても許さないんだけどな、とか言いながら、みっちゃん突き出した親指をくいっと下に向けた。早速相手の挑発に乗って、自らボコボコにされに行ったよ……。一体何回部長の蹴りを喰らえば気が済むんだこの親友は……。
「ちょうど良い機会です、今日は皆さんにお知らせがあるんですよ」
 部長は面前に『地獄に堕ちちゃえ』の親指を突きつけられているにも関わらず、その端正な顔に笑顔を貼り付けたままに言葉を続けた。うわあ、絶対怒ってるよこの人!!
「今日から文芸部に入部した、小岩井さんです。先日転校してこられたそうですよ」
「そーそー。ウチのクラスに入ってきたんだよー」
「こんにちは」
 部長と伊東さんの紹介で、初めてそこにもう一人女生徒が居るのに気がついた。
 背格好は部長と同じくらい、やや小さいくらいか。ちょっと吊目がちな大きな瞳に、長いツインテール。
「今日から文芸部に入りました、小岩井真由(こいわい まゆ)といいます、よろしくお願いします」
 顔はやや童顔だろうか、弾力のありそうなほっぺで、その顔の線の丸さを、いや、柔らかな曲線を十二分に表現している。
「……えと、あの、何か顔に付いてますか?」
 しかし、単に幼げな顔が愛らしいというのではなく、その澄んだ大きな瞳には凛とした緊張感と表現すべきものが湛えられていて、それが彼女の纏った雰囲気をより研ぎ澄まされた物へと変えていた。
「あの、えっと、そんなじっと見られると困るんですけど……その……あう〜……」
 そんなに大きくない背格好だけど、しかし、存在感というのだろうか、そこに彼女が居るんだという認識がほかの人間よりも強く感じられていて、それにボクには彼女がほのかに輝いているようにも見える。その光のせいだろうか、ボクのには彼女から放出されているのであろう熱すらも感じられていた。この暖かさはそう、たとえて言うなら……
「おい優樹、どうした!」
「優樹、いきなり初対面の女の子にガンくれるたぁ、ジェントルのやる事じゃないぜ!」
「うぇ!?」
 ボクは熊ちゃんとみっちゃんに肩を揺すぶられ、やっとの事で我に返った。なになに!? 今ボクどうなってたの?
 慌てて周りを見渡せば、心得顔の伊東さんに、なにやらこっちに警戒心をむき出しにしているちっちゃい女の子。はて? ボクはなんか気に障るようなことでもしたっけ?
「いや、えー、あの、ようこそ文芸部へ?」
 自分でもよく分からなかったけど、なんか妙に心に引っかかるものを感じるこの小岩井という女子が文芸部に入ったということなので、とりあえず歓迎の言葉を述べておいた。
「あー、すまんな。何かワケのわかんないことになってるが、一応自己紹介をしておくぜ。俺が男子チームの責任者をやってる鐘持。そこのでかいのが大熊。そしてこの、さっきあんたにガンくれてたのが一条だ」
「……よろしくお願いします」
 小岩井さんはもう一度頭を下げたけど、なんかこっちを見る目には非難めいたものが混じっているように感じる。
「映画のことですけど、小岩井さんには役者をやって貰うことにしました。主に男子チームで演技して貰うことになりますが、よろしくお願いしますね」
「ん、分かった。まぁ期待してっからよ!」
「分かっています。それに、どうしてこんな風に映画を作ることになったのか、理由も部長さんから聞きました。絶対に良い映画を作って、女子チームで文芸部を立て直します!」
 うわぁ、この子いきなり何言ってんの? そんなケンカ売るような事したら、またみっちゃんが部長に蹴られる羽目になるじゃないか……
「ふふん、新入りのくせに良い度胸だ! こっちもガチでやっかんな!」
 微妙にこめかみをひくつかせながら、それでもみっちゃんは手を出したり暴言を吐いたりせずに、理性でギリギリ怒りを抑え込んだようだ。親友の成長をこの目の見られるのは、とても喜ばしいことだよ……
「では、失礼しますね」
 部長の挨拶と共に、
「うんじゃーねー三バカ共ーっ!」
「……失礼します」
 伊東さんと小岩井さんが続けて別れを告げる。よかった、今日は大げんかせずに済んだよ……。
 三人の女子はそのまま、ボクらが来た方へ歩いていった。
「……なんだあの生意気な転校生は!?」
 早速みっちゃんが愚痴を言うも、
「あの調子じゃ、貢がやらかしたことも全部知ってるんだろうな。残念だったな、せっかくの転校生にいきなり嫌われて」
 熊ちゃんは珍しくにやにや笑いながら、みっちゃんの肩をぽんぽんと叩いている。
「俺はあんなチビッコに興味はネェよ! もっと胸がなきゃ女とは呼べん!!」
「まーたそんなこと大声で言ってると、女子に余計に嫌われるよー?」
 ボクの心からの忠告に、しかしみっちゃんは、
「なっ!? 馬鹿者! この俺様が女子に嫌われることなどあってはならん! それはこの世の理に反することだ!!」
 などと真顔で言うのだから、この人は本当に幸せな人だと思う。
「自覚が無いのが、また救いようの無さを際だたせているな……」
 愚かな、と熊ちゃんはこめかみを押さえて溜息をついた。
「ちっ、モテない野郎共が言いたい放題言ってくれる……。まぁいいさ、今度の映画で俺が演じる姿を見て、女共が股間を濡らしてあんあん悶え狂うのを楽しみに待っていやがれ!」
 みっちゃんはとても絶好調だった。そして、近くにいた女子達が「サイテー!」って言い合っているのは、全く聞こえていないようだった。
 ……友達、選んだ方が良いのかな。


「で、熊ちゃんよ、一体どんなストーリーにするんだ?」
 今日は熊ちゃんを囲んで男子チームの脚本を考えることになっていた。文化祭まで時間が無いので、あと3日で女子チームに説明出来るくらいまでは完成度を上げなければならないことになっている。
「そうだな。簡単に説明すると、世界の終わりを知った学者が、自分たちが生きてきた記録を次の世界に託すって話だな」
「……なんかのファンタジー?」
 ボクの問いかけに首を振り、
「いや、SFだ」
 と熊ちゃんは言った。やっぱりこれは、サイエンス・フィクションではなく「すこしふしぎ」の方なんだろうか?
「もちろんサイエンスの方だからな」
 !? 熊ちゃんに心を読まれた??
「声に出てたぞ、優樹。まだ細かいところは詰め切れてないんだが、そうだな……例えば地学か何かを研究している学者を主人公にしようと思う。そこで……ん、女子チームが演じるんだから女性の学者になるのか。その彼女が、地球がおかしくなるような前兆現象を知ることになる」
「どうやって分かるの!?」
「まだその辺は調べ切れていないから分からんよ。それで、分かったは良いが残された時間は短かった」
「どのくらい!? 何で分かったの??」
「優樹、いちいちうるせーぞ、熊ちゃんが説明出来ないだろうが……」
 何度も突っ込むのは女相手にしておけやと、みっちゃんはよく分かんないことを言う。
「むぅ、ごめん」
「んー、そうだな、やっぱりそういうところのディティールは大切だよな。優樹、あとで相談に乗ってくれ」
「任して!」
 果たしてボクになんの使い道があるかは謎だけど、熊ちゃんから初めてアテにされたので元気いっぱい返事をしておいた。
「でだ。そうだな、それが分かってから、翌日位にはもう地球は滅びてしまう。けど、地球が滅びると言っても地球という星自体が無くなるわけではない。地上が滅びるだけだ。そこで、その学者は、自分たちの記録として、何かを遺して、それを衛星軌道上に打ち上げるんだ。次の知的生命体がそれを発見して、自分たち事を知って貰うためにな。物語自体はそこで終わりだけど、記録を打ち上げるところで少々の苦労をして、話を盛り上げたい」
「ふーん、まぁハリウッドにありがちな感じだけど良いんじゃね? けど、ロケットとかの大道具はキツくねーか?」
「その辺は工夫だな。それに打ち上げるのはロケットではなく軌道エレベータやマスドライバーを使う。実際に打ち上げるシーンは撮る必要は無いだろう。人間ドラマを中心にすれば、演技だけで何とかなると思う」
「何、その何とかエレベーターとマイナスドライバとかって??」
「そうか、参ったな。観客のレベルは普通そんなもんか……」
 ボクの言葉に、熊ちゃんは頭を抱えてしまった。
「優樹〜〜、お前はどんだけドSなんだ! そんなに熊ちゃんいじめて楽しいか!?」
 みっちゃんはそう言うなり、ボクのこめかみをとがったゲンコツでぐりぐり締め付ける。
「うぎゃーっ!! いたいいたいいたいいたい!!」
「全く……止めろお前ら、あんまり騒ぐと部屋から追い出されるぞ」
 熊ちゃんはみっちゃんの肩を掴んで、ボクから無理矢理引きはがした。
「軌道エレベータは宇宙エレベータとも言ってだな、静止衛星軌道を中心として地球側にテザーを、反対側にカウンターウェイトを設置して、重力と遠心力が釣り合いを利用して……」
 熊ちゃんはそこまで言うと、急に口を閉ざしてしまった。うん、たぶんボクとみっちゃんがよっぽどアホの子の顔してたんだろうね……
「まぁ、とにかく宇宙に物を運ぶでかいエレベーターのことだ。そしてマスドライバーというのは、大砲の弾を撃つみたいに、宇宙に物を打ち上げる機械のことだ」
「へぇー、世の中にはそんな物があるんだー」
「すげーな、俺はまだ見たこと無かったぜ……」
 ボクとみっちゃんがしきりに感心している中、
「だからフィクションだと言っているだろうが……」
 と、熊ちゃんがまたもやこめかみを押さえて溜息をついていた。


「話はだいたい分かった。しかし、女共にそんなコテコテのSF作れるか?」
 熊ちゃんから一通りの説明を受けた後の、みっちゃんの当然の言葉だった。宇宙エスカレーターとかマイナスイオンドライバーとか、そもそも女子チームもそんなの知らないだろうし……
「確かに道具立てには特段こだわりがないんだが……」
 それ以外に良い物が思いつかなくてな、と腕組みした熊ちゃんは考え込んでしまう。
「じゃあさ、例えば地面にカプセル埋めるのは? たまに卒業式に埋めたタイムカプセルを掘り出すテレビとかやってるじゃん」
 ボクは早速アイデア出しを開始した。なんせさっき熊ちゃんに頼られちゃったんだからね!
「駄目だな。よっぽど頑丈なカプセルであっても、地球が滅びるような災害には耐えられんだろう」
 なんてコトだ、ボクのナイスアイデアは1秒足らずでその生涯を閉じてしまった。今までの最短記録か!?
「んー、じゃあじゃあ、でっかい柱作ってそれに結びつけておくとか!」
「それも駄目だ。そもそも地上にある物は全て破壊されると考えた方が良い」
「んー、じゃあ海は!? 手紙が詰められた瓶みたく、浮きにくくりつけておくのは!?」
「それも考えたんだが、海水ってのは腐食が結構激しいからな。つまり、いったん世界が滅びて次の知的生命体が進化するまで、もしかすると数億年掛かるかも知れない。さすがにその時間は保たないと思う。しかし真空の宇宙空間だと、物を腐らせる原因が無いからな。数億年の単位で地球の周りを回り続けられるかも知れないんだ」
 宇宙すげー。数億年前とか、まさに化石レベルだよね!
「でもでも、次の知的生命体って、宇宙に浮いてるタイムカプセルをどうやって見つけるのさ?」
「そこはロマン、だな。学者は考え得る限り最適な方法で、人類の記録を残そうとするんだ。しかし次の知的生命体にそれがしっかり伝わるとは思っていない。むしろ可能性はほとんどゼロだと考えている。学者だから、その辺は冷静にな。しかし、彼女はどうしても自分たちが生きていた痕跡を残したかったんだ。ほとんど執念みたいなもんかな」
 うーん……どうせみんな死んじゃうなら、そんなもん遺してもしょうがないって気がするんだよなぁ。といっても、そんな物語の根幹をへし折るようなことを言ったら「じゃあお前がヤレ」て押しつけられるだけだろうし、ここはもう余計なことは言わない方が良いよね。
「となると、やっぱり女子チームにはがんばってエスカレーターを撮影して貰うしかないのか……」
「ああ、まずは向こうと相談だな。俺は、もちろん最大限のバックアップはしようと思う」
「別に放っておけばいいんじゃないの? 下手な演技になればボクらの評価が上がるかもよ!?」
「あのなぁ優樹……」
 熊ちゃんは存外に厳しい視線をボクに向けた。
「脚本作りました、あとは勝手にやって下さいなんて、言えるわけ無いだろう。お前そんな対応されてムカつかないのか?」
 熊ちゃんに続いて、みっちゃんまでも口を出してくる。
「それによ優樹、やったらそれ以上にやり返されるんだぜ? お前、腐女子2号からガチホモな脚本渡されたとして、こっちで全部演出やら考えるなんて恐ろしいこと出来るか!?」
「むしろ好都合じゃない。おしりに傷が付かない演出にすればいいわけだし」
「なっ!? 確かにその通りだ!」
 完璧じゃん!と、みっちゃんはガッツポーズをしながら目を輝かした。
「論破されてどうする貢、お前のたとえが悪すぎるんだ……。優樹、ガチホモでなくても、中身がよく分からない脚本渡されて、お前それで俺たちの評価が良くなるように映画作れるか? 残念ながら、俺たちには映画を作るスキルなんて何も無いんだ。それに比べて、向こうは圧倒的に優位だ。日頃から同人誌で脚本を作り慣れてるのが二人、それに劇団で実際に役者をやってるのもいるんだ。俺たちは彼女達から、教えてもらえるだけの事をを教えてもらわなきゃならないんだ」
 言われてみればその通りだよねー……。てゆかホントに映画の作り方なんて教えてくれるんだろうか? ボクだったら絶対に教えないけど。
「……やっぱり教えてくれないんじゃないの?」
「そうかもしれん。むしろ、それが当然だと思う。しかしな、だからといって初めから可能性すら消してしまうような態度をとるのは間違っている。より良くなる可能性があるなら、それに向かって努力しなければならない。俺たちの目的は、女子達を貶めることではなく、彼女らに正々堂々と勝つことだ。そのためには優樹、お前の協力が絶対必要なんだ」
「うん、分かった!」
 なんか熊ちゃんの熱い語りに乗せられて、ついつい元気よく返事してしまった……。でもボクには、この映画作りに何か違和感を感じるんだよね。回りくどいというか、身にならないことやっているというか。
 なんかこう、もっと効率的というか、簡単に言うと楽して乗り切る方法があるんじゃないかって思うんだよ。……思うだけで、何も方法なんて思いつかないんだけどね。
「じゃあ、脚本の細かい設定を考えていこうか。まず物語になるキーポイントの地球レベルの災害についてだが……」
 ボクらはその後、自分たちの持ちうる知識の貧弱さに大いに落胆すると共に速攻で愛想を尽かし、アイデアを練る為に図書室に移動した。一応それなりに本は置いてあるし、こんな伝統的なボロ校舎にも奇跡的にインターネットに繋がる回線が引かれてあって、Googleとかで検索出来るPCが10台も設置されていたのだ。回線速度はウチの方が速いけどねー。まぁ、無いよりマシってヤツだよ。
 しかし、この学校には図書室すらエアコンが付いていないのか。普段こんなとこ来ないから、今日初めて知ったよ。だいたい、こんな蒸し風呂みたいな環境でPC稼働させてると、すぐに壊れると思うんだけどなぁ。それに本が湿気て駄目になると思う。
 ボクがぼんやり暑さにうだりながら、「五右衛門風呂」という検索用語でネットの世界を徘徊している隣で、みっちゃんと熊ちゃんは「割れ目」だの「穴」だの「テクニシャン」だの、なんかえっちぃ用語で盛り上がっている。まったく、この人達も不真面目だよねぇ……
「……優樹は、何か良いネタ見つかったか!?」
「はぃ!?」
 いきなりのみっちゃんの声に、
「いや、特に何も見つけてないけど……」
 そう素直に返事したボクに、しかしみっちゃんは実に不満そうな視線を向ける。
「あのなー、時間無いだろうが。ここだってあと1時間もしないうちに閉まっちまうんだぜ?」
「そんなこと言ったってー、みっちゃん達だってなんかえっちな単語調べて盛り上がってたでしょー?」
「はぁ?? いつ? なんか俺らそんなことしてたか?」
 みっちゃんは熊ちゃんに尋ねるも、
「いや、俺たちは海底火山とかプレートテクトニクスについて調べていたんだが……何かそれがいやらしい言葉の隠語だったりするのか?」
 真面目な顔して返されちゃったよ。何かボクは、とても恥ずかしい勘違いをしていたようだ。
「いや、ごめん、全力で忘れて」
 とりあえず、速攻謝っておいた。ああん、ボクもう、熊ちゃんの顔見れないっ!
「何かよく分からんが……案外地球規模の自然災害って無いもんだな。むしろ核爆弾で世界中が吹っ飛ばされるとかの方が良いんじゃねーのか?」
 そんなみっちゃんの景気の良い言葉に、
「いや、そこはSFという大義名分を有効活用しよう。実際映画では、地球は隕石の衝突やマントルの異常で何回も滅ぼされているしな」
 割り切って考えようと、熊ちゃんもまた妙な返答をしている。確かにボクの大好きなアクション系の映画では、アルマゲドンみたく隕石が降ってくるのとか、2012みたいに大洪水が起こるのばっかりだよね。しかしそれらの映画は大概人類は生き残るわけだ。あくまでしぶといというか、性懲り無いというか。
「そういえば、タイムカプセルを宇宙に打ち上げた後、学者さんってどうなるの?」
「映画では打ち上げるところまでにするさ。設定上だと、結局後で死ぬけどな」
「救われない話だねぇ。なんかいきなり超能力に目覚めるとかして、ハッピーエンドとかは駄目なの?」
「そういう話が書ければ良いんだけどな……。多分俺がやっても安っぽい御都合主義な話になるか、そもそも映画の尺が足らなくなるだろう」
 やっぱり脚本くらいでもここまで苦労するんだから、これから先はよっぽど大変なんだろうなぁ。あー、ホントにめんどくさい……
「よーよー、雑談はその辺にしてさっさと調べるだけ調べようぜ。明後日には女共に出さなきゃいけないんだからよ。とにかく馬鹿にされない程度までには仕上げておかないとな」
「ん。そうだな、悪かった」
 みっちゃんと熊ちゃんは再びPCの画面に向かい、災害情報を懸命に探し始めたようだ。さて、ボクは一体何を調べようかな? とりあえず「御都合主義」と検索エンジンに打ち込んで、またネットの世界をさすらってみよう。


 翌々日。
 脚本第一稿の女子チームへの提出を明日の控え、今日も下校時間ぎりぎりまで部室で打ち合わせを重ねたボクらは、この3日間がずっとそうであった様にヘトヘトに疲れ果て、ボクは何とか自宅に帰り着くとそのまま自室のベッドにへたり込んだのであった。
 本来ならば、家に着いてから晩ご飯が出来るまでのこの待ち時間というのは、魂の休養に充てなければならないはずなのだ。しかし、しかしである!
 隣の家から、あの日、そう、隣の家が引っ越してきたあの日に、ボクが隣人宅の奥に見つけたあの黒くてツヤツヤしたにっくき機械から発する騒音が、このボクの魂を完膚無きまで破壊するが如く、延々とこれ見よがしに発せられているのだ……!
 魂の休養なんてあったもんじゃない。ボクの唯一のパラダイスだった自室が、いきなり修羅場になったようなもんだよ……
 それに聞こえてくる音はアタックが妙にキツめで、なんだかせっかちな弾き方なんだよねぇ。まぁ一応上手な部類には入ると思うけど。演奏しているのは、よっぽど偏屈な男なんだろうねー。弾き方に優しさが無いもん。
 さて。
 先ほどからお聞きの通り、自慢の我が家は壁がやたら薄いのか、隣家の発するピアノの音が、割とそのまま聞こえたりしているのだ。さすがに安アパートが如く人の話し声まで聞こえたりはしないけど、楽器の音とかは致命的だよねー。ほとんどまる聞こえだよ。けど、この田舎特有ののんびり感がそうさせるのか、このマンションに住まわれる住民の方々は、みんな生活雑音には実におおらかなのだ。少々楽器の音が聞こえた位じゃ騒ぎもしないし、ナイスなBGMがタダで聞けるから良いなんて言い出す輩(ボクの親だけど)が出てくる始末。でも、ボクにとっては、このピアノの音は、直接的に命に関わる重大事なんだよ……。
「ぬああああ〜〜〜!!」
 ここ数日、隣から漏れ聞こえてくるピアノの音のおかげで、ボクが頭を抱えてのたうち回る回数は指数関数的に増えていった。……あれ? 指数関数ってなんだったっけ??
 そして今日もいつも通りに、悲痛な雄叫びとともにベッドの上でじたばた暴れていたときだった。
「うるさいわよ、優樹!!」
 なんと、母親がノックもせずに、いきなりボクの部屋に攻め入ってきたのだ。
 まったく! これでもボクは思春期真っ盛り、誰もが羨む健全なお年頃の男の子なんだぞー? 親に決して見られたくない痴態を隠す位の、ちょっとした暇を与えてやる位の心がけを実践することこそ、人生の先達たる親の勤めというものだろう。万が一ボクがヤンマガなんか読んでいたら、表紙の水着のおねーさんの写真で、えっちな本を読んでいるのだと勘違いされちゃうじゃないか!
「ぬわあああ〜!」
「やかましい! あんた何一人でバタバタ暴れてるの!!」
 母親は、未だベッドでもだえ苦しむ息子に向かって、心配などすることもなく正論をぶつけてきた。だけど余裕を完全に無くしたボクは、そんな常識的な対応の母親に向かって、
「ピアノ嫌いー! うるさいー!!」
 等と、聞くに堪えない暴言を吐いていた。
 ……………。
 えーと、その、なんだな?
 万が一、冷静なもう一人の自分がその場に居たのなら、この寝転がってバカをやってるもう一人の自分に向かって、ジャンプの角でしこたま頭を殴りつけていただろう。それくらいに情けない痴態を、事もあろうに母親相手に晒していたのだった。自分、辛いの分かるからさ、もうちょっと状況説明に努めてみようよ……。
「いい加減にしなさい、お隣に迷惑でしょ!!」
「うーあー! ピーアーノー!!」
 けれども、可哀想なくらいにゆとりを無くしていたボクとって、全く正しい母親の声を無視したあげくにバタバタ暴れ続けることが、その場で出来る精一杯だったのだ。
「お黙り、このばかちんが!!」
 ついに母親はキレた。
 醜態をさらし続けるバカ息子を可及的速やかに沈黙させるため、母はその辺に落ちていたマガジンを拾い上げると、あろうことかその角で我が子の頭をぶちのめしたのだった。
「ぐはあっ! 酷いよママン、普通叩くにしても、角では叩かないモンだぜべいべ〜」
 けれども母親は、
「私はそんな事を言う子供を産んだ覚えもなければ、育てた覚えもない!」
 そんな言葉と共に、さっさと部屋から出て行ってしまった。
 むごいよママン……。ボクを股ぐらからひり出して、この世に落っことした張本人はあんたじゃないか……。それともボクは、橋の下かどこかに捨てられていたの!?
 未だに隣の家からは、せっかちなピアノの音が聞こえてくる。そして、ひょんな事から出生の秘密を与えられてしまったボクは、何だかとっても切ない気分になっていた。なので、とりあえずそのまま布団を被って、一発ふて寝を決め込む事にしたのだった。明日もバイトあるし、寝る時間としては問題ないだろう。ちなみに今回も、何か色々と忘れている事がある様な気がしなくもないのだが、ボクは自慢すべき生来のあまり物事を深く考えない特技を活用し、全速力をもって寝たのであった。
 そして翌日。授業中の「宿題を集めるぞー」という教師の声と共に、前回と同じ目にあったのはもう言わずとも分かってくれるよね? うぅぅ。


 部室である。
 そこは我ら男子チームが不法占拠している空き教室ではなく、れっきとした文芸部部室、なつかしの古巣であった。ここを追い出されてから早2ヶ月あまり、何もかも皆懐かしい……。まるで宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長が如く重々しいセリフを吐いているけど、なんかもう既に、自分たちの部屋って感じがしなくなっていた。妙に女子臭いというか、自分らがここに居るのに違和感すら感じていたのだ。ここを出てから、大した活動などほとんどしてこなかったけど、それなりに月日は経っているのだろう……。
 ところで、今日は単に古巣探訪に来たわけではない。映画作りにおいて、男女双方のチームがお互いの脚本を説明しあうために、全員がここに集まっているのだ。いつぞやの部会のように8個の机をロの字に並べ、そこに8人の部員が一人ずつ座っている。
 あれ!? そういえば女子チームって既に5人? 向こうは創部の条件を満たしているじゃないか。
「みっちゃん、向こうは映画作んなくても部活を作れる状態になってるよ!」
「まぁな。あのチビッコが入ったから向こうは人数を満たしてるんだよな。けど映画作りはそのまま続けるって話だ。どうせ俺らは人数足りてねーし、それしか残された道はねーんだよ」
 やるしかないんだ、やるしか、と一人でつぶやくみっちゃんを見つつ、ボクはより一層自分らのやってることの無意味さを感じ入っていた。既にこっちの負け戦は決定しているようなものなのだ。てゆーか、万が一男女が前みたいに一緒になっても、完全に数で負けてるじゃん……。ボクらは一生奴隷扱いだよ!? もう映画作りなんて止めようよー!
 ボクが真剣に男子チームの行く末を案じていると、周りを見渡していた部長が立ち上がり、ついにボクらに向かって開戦の宣言を始めたのだった。
「……では、部会を始めたいと思います、今日は久しぶりに文芸部が全員揃いました。今はお互い映画作りで競い合う事になってしまいましたが、しかし皆の文芸部に対する志は同じはずです。精一杯努力して、お互い良い映画を作っていきましょう。では、早速脚本の説明をしていこうと思います。始めは男子チームにお願いしてよろしいでしょうか?」
「うっす、準備万端だぜ!」
 愚かなみっちゃんは相手の挑発に乗せられ、無意味な戦いに身を投じてしまった。だいたい脚本の説明するのは熊ちゃんじゃん……。
 ニコニコと不気味な笑みを浮かべる部長、何か変な事企んでるのかほくそ笑んでる伊東さん、同人誌組はいつも通りにノートに落書きをしていて、小岩井さんは何かぶすーっと膨れている。いずれもボクらの脚本のアラを見つけて、ネチネチと嫌味を言う準備でもしているのだろう。
「じゃ、俺から脚本の説明をします。何か質問があったらその場で聞いて下さい」
「はい、よろしくお願いしますね」
 熊ちゃんが立ち上がり、果敢にも女子に対して戦いを挑んでいった。対する部長は余裕綽々の態度で迎える。
「ジャンルとしては、SFで行きたいと思っています。しかし、中心は人間ドラマを考えています。まもなく地球が滅びることを知ってしまった学者が、人類の記録を残そうと奮闘する話になります」
 その後熊ちゃんはたっぷり10分を掛け、ボクらが図書室で必死扱いて考えた脚本の説明をした。
「……最終的にはマスドライバーを使って、タイムカプセルを打ち上げることに成功します、物語はそこで終わりです」
「……なるほど、あえて地球が滅びるところまではやらないのですね」
「はい。その時点では、既に物語の終着点は記録を残すことになっていますので。……後は、何か質問は?」
 一通りの説明を終えた熊ちゃんが、女子チームの出方を伺っている。しかし女子からは特に質問などは出なかった。これはつまり、いびるに値しないほどの駄作だという事を態度で示しているのだろうか!? なんて酷い!!
「……俺から言うのも差し出がましいとは思うのですが、軌道エレベータとかマスドライバーの事は分かるでしょうか?」
 遠慮がちに問う熊ちゃんに、しかし女子達はここでも言葉を発しない。ボクらですら、未だ宇宙エスカレーターとマイナスイオンドライバーがなんなのかよく分かっていないというのに、女子達はまともに取り合う気もないというのだろうか。部長と伊東さんの態度は先ほどと変わらず、こちらをバカにしたようなにやけ顔。同人誌組はノートに何か書きながら小声でこそこそ話し合っていて、小岩井さんは……なんか頭の上にハテナを一杯浮かべたような顔をしている。多分彼女は普通に理解できなかったんだろうなぁ。
「……あの、大丈夫。ちゃんと知ってるよ」
 しかし、沈黙を破ってそんな言葉を発したのは、なんと向こうのガチホモ脚本担当、若木さんだった。
「嘘だっ!!」
 そして、間髪入れずにそう叫んだのは、やはりというか何というか、ボク同様に未だ未来の技術を理解しきれていないみっちゃんだ。けどさ、いくら意表を突くジャブを打たれたからって、そんな瞳からハイライトが消えた竜宮レナさんみたく鬼の形相で否定しなくたって良いじゃない……。
「なぜだ! なぜ我々すら未だ良く理解できない軌道エレベータを、貴様が如き腐女子無勢が……!!」
「うるさい、死ね!! ……大熊君、ダブルオーとかナデシコに出てきたやつでしょ?」
「あ、ああ。よく知ってるな」
「うん、その辺の有名どころはもちろんチェックしてるよ。 ……腐女子ですからね!!」
 もちろん最後のセリフは、熊ちゃんではなくみっちゃんに向けての物だ。それにしても久しぶりに聞いたよ死ね死ね攻撃! 我らがリーダーであらせられるみっちゃんは、女子に面と向かって死ね!って言われても全く動じない鋼の精神力をもってるから良いような物の、ボクなんて若木さんみたいな一見美少女タイプに真顔で死ねとか言われたら、必ず即死する自信があるね! 別に顔の造形で人を差別する気持ちなんて全く無いけど、男の子にはそういう正論や常識、モラルでは決して割り切れない何か大切な物が心の中にはあるんだよ……。
「大道具や小物がが大変になるかも知れないが、可能な限り協力する。もっといい話が書ければ良いんだが、これが俺たちの精一杯だ。頼む」
 熊ちゃんが頭を下げると、
「ありがとうございました。とっても良い脚本だと思います、私たちも、脚本に負けないように、がんばって映画を作りますね」
 部長も続けて頭を下げた。
 うーん、これは「脚本が駄目すぎて話にならん、演技で何とかカバーしてやるから死んで感謝しろバカ共が」という感じだろうか? 妙な笑顔を貼り付けたままの部長が、なんだかとても恐ろしい。
 だいたいあの人は言葉尻はとても丁寧なんだけど、知っての通りすぐに足が出るおっかない人なのだ。この映画作りも、元を正せばみっちゃんが部長のスカートめくって完全に怒らせたのが原因だ。そもそも前の回想シーンでは出てこなかったけど、みっちゃんと部長がとっくみあいの大げんかしてたとき、みっちゃん部長のおっぱいをさんざん掴んだあげくに、執拗にパンツまで下ろそうとしてたからなぁ……
 そんな壮絶極まりない背景があって映画作るのに、なんでまともに笑顔で応対できる!? あれは絶対何かとんでもない復讐を考えてるんだよー。隣の伊東さんがさっきからニヤニヤしてるのが良い証拠だ……。
「では、次は我々から説明させて頂きます。若木さん、よろしくお願いしますね」
 部長が立ち上がり、若木さんに軽くお辞儀をした。ついに女子チームの発表である。ボクと熊ちゃん、そしてボクらのおしりの運命が決まる、人生最大級にクリティカルなターニングポイントだ。自然に心臓は高鳴り、手足に震えがくる。でもボクは決してチキンじゃないよ? 男の子たるもの、例え相手に突っ込んでも、突っ込まれてはいけないのだ! その有史以前から決まり切った大大大原則が、今まさに壊されようとしている。震えの一つや二つ出るのは、生き物として決して恥ずべき事ではないと、ここは声を大にして言いたいっ!
「は、はい!」
 いつもはふてぶてしい態度の若木さんが、何か妙にびくびくしながら立ち上がった。
 やばっ! これは相当キてるストーリーが出てくるぞ!? この期に及んで、向こうもボクみたいにブルっているということは、脚本がまだ部長の検閲を通ってないって証拠だろう……。なんだかんだ言ってあの部長はえっちなの苦手だから、いきなりガチホモの話を聞かされて、発表中にぶちキレやしないかビビってるんだろうなぁ。まったくなんてドMなんだ、ボクらにはあれほど死ね死ね言ってるくせに、自分じゃ部長に罵られて快感を感じてるんだよ……。
「あ、あの、それじゃ説明をはじ、始めさせていただきます……」
 うわ、えらいたどたどしく話し始めた。ボクはこういうプレイはよく分かんないんだけど、既に水面下ではとんでもないことが繰り広げられているのだろう。やっぱり女子って男みたいに単細胞じゃないよねぇ。
「えっと、あの、わたしたちの脚本は、伊豆の踊子をモチーフにしてみました」
「き、貴様!! あの伊豆の踊子だと!? 文学史上に輝く川端康成のロリコ」
「うるさい死ね!!」
 様々な人たちを敵に回しそうなみっちゃんの暴言は、瞬間的に抹殺された。
 うっわー、死ね死ね攻撃だけは迫力あるなぁ……。さすが若木さん、淀みないっす!
「若木さん、あまりそういう事は言ってはいけません! それに鐘持君も、静かに聞いて下さい」
 部長の言ったことはこうだ。二度としゃべるな、息を止めろ、そして可能な限り鼓動も止めろ、と。
「あ、ご、ごめんなさいっ」
 半分涙目になってぺこぺこ謝る若木さんに、隣にいた山科さんは、
「なるっち、大丈夫だから落ち着いていきましょう。んで鐘もっちは自分の幼児性愛をいちいちカミングアウトしなくても、ちゃんとこちらは存じておりますので」
 だから安心して下さいね? と若木さんの肩をなでながら言った。
「何だとこの腐女子1号! 俺の守備範囲はあくまで中学生以上だ!」
 いつも通りに女子達の挑発に軽くのるみっちゃんだけれど、
「おい貢、いい加減に黙れ。若木が困ってるだろう」
 と、熊ちゃんにも怒られてしまった。しっかしみっちゃん、中学生だと多分立派なロリだよ……。
「……あの、続けます! モチーフは伊豆の踊子ですけど、えっと、時代は現代です。大学の研究の一環で、地方へ調査に行くところから、話は始まります」
 どうやら一発死ね!を言ったところで、若木さんは変な力が抜けたようだ。まだつっかえつっかえしてるけど、さっきみたいに変にキョドったりはしなくなった。やっぱり若木さんにとって、ボクらに死ねというのは相当気分が良いようだ……。なんて、ドS! あれ? さっきドMって言ってなかったっけ??
「そこで、主人公が山の中で調べ物をしているんですけど、途中で道に迷ってしまいます。えっと、それでしばらく歩いていると民家があって、もう暗くなったので訳を言ってそこに泊めて貰います。その家にはおじいさんと小さな女の子が居て、その子がちょうど伊豆の踊子に出てくる薫みたいな対応をします」
「スマン、腐女子2号。とても大切な質問だ、いいか?」
 珍しくみっちゃんが真面目な顔して、手を挙げた。
「……なによ?」
 若木さんはみっちゃんを睨めつけるようにしながら、質問を促した。
「もちろん、伊豆の踊子最大の山場、温泉のシーンはあるんだよな? 誰が薫の役なんだ!? 誰が恥ずかしがりもせずに、主人公に素っ裸を晒してツルペタだって笑われるんだ!? 誰が脱ぐんだ!? さあ、言え!!」
「うぅぅぅぅ〜〜〜っ!! やっぱり死ねーっ!!」
 顔を真っ赤にして、涙目になった若木さんからの三度の死ね死ね攻撃。さすがの部長も溜息をついて、若木さんをたしなめるようなことはしなかった。
 と、そのときである。
「いい加減にしてよ!!」
 なじみのない怒声が部室内に響いた。声の主は、今まで一言も声を発していなかった小岩井さんだった。
「さっきから聞いてれば、ふざけたことばかり言って! あんた達真面目にやる気ないの!? 無いなら出て行ってよ!!」
 彼女は椅子をがたんと鳴らしてから立ち上がると、人差し指を部室の入り口に向ける。
「ちっ、悪かったよ! 確かにおふざけが過ぎた。でも、真面目にやる気はあるんだよ!!」
 ったくうるせーなと、みっちゃんはブツブツ文句を言いながら腕組みをして、後は口をつぐんだ。
「……薫の役は、男子チームに出向する私がやります。残念だけど、あんた達が喜ぶようなシーンなんて一つも無いから!! それに、勝手に脚本変えるようなことしたら絶対に許さないからねっ!!」
 小岩井さんのあまりの剣幕に、普段似た様な口調でボクらをなじっている若木さんですら、ぽかんと口を開けたまま凍り付いていた。
「……小岩井さん、鐘持君は基本的にああいう生き物なので、いちいち真に受ける必要はありません。野良犬が遠吠えしているものとしてスルーして下さい。若木さん、説明を続けて下さい」
 部長の声で、若木さんは慌てて資料をたぐり寄せる。しかし部長も言うことキツいなぁ……。今までボクらのこと人間扱いしてなかったってことなんだよ? 今更ながらにショックだ……。
「あ、あの、そういう事で温泉はないから……」
「いえ、やっぱり温泉のシーンは入れましょう」
 ところがである。若木さんの説明を遮るように割り込んだのは、なんと部長であった。もちろんその衝撃的なセリフの直後に、
「「「「「ええ――――――っ!!!!!」」」」」
という声が、特に女子の方から多く聞こえたのは想像に難くない。てゆーかみっちゃん、あんた何目ェ向いて本気でびっくりしてんのさ……
「い、いや、落ち着け部長! 俺は確かにバカを言った! 本当に悪かった!! ぶっちゃけ反省している! しかし、あれはお約束というか、通常の対応というか、とにかく本気じゃなかったんだ……!」
 今更に狼狽えるみっちゃんに呼応して、
「そうですよ部長!! 何考えてるんですか! 私裸になるなんて絶対に嫌ですからね!! しかもこんなやつらに身体を見せるなんて耐えられません!!」
 もちろん濡れ場(?)を押しつけられた小岩井さんも、悲痛な叫びを続けた。しかし部長は顔色ひとつ変えることなく、
「別に裸になる必要なんてありませんよ。水着の上にタオルを巻くなりすれば、どうとでもなるじゃないですか。少しは観客に、びっくりさせてあげる位のサービス心はあっても良いと思いますよ?」
 それに私も温泉のシーンに出ても良いですけどねと、凶悪な笑みと共にまた一つ衝撃的なセリフを重ねるのだった。
 うわー、陰でとんでもないことを考えていると思っていたけど、それがいきなり味方に炸裂したよ!! やっぱりこの部長、本当に恐ろしい人だ……!
「あう〜〜、部長がそこまでおっしゃるなら……!」
 小岩井さんは半べそをかきながら、まるで穴の開いた風船が萎んでいくが如く椅子に座って、そのまま机に突っ伏した。
「素晴らしいです部長! それでこそ我ら文芸部の長足るべき資質があるという物ですよ!」
 そして代わりに元気よく立ち上がったのが、やっぱりというかなんというか、部長の隣にいた伊東さんだった。
「どうせなら全裸で行きましょう! ばばんと見せちゃいましょう!! タオルだ水着だなんて無粋な物は一切取っ払って、生まれたままの姿でがっちり行きましょう!! そして部長の魅惑のセクスィーバディを、学校中の男子共に見せつけて悩殺しちゃいましょうよ! 特にこの程良い大きさの素敵なおっぱいをアップにぷぎゅっ ぐへあっ」
「いい加減人のおっぱい揉むのは止めれこのぼけぇーっ!」
 部長は叱り声を上げる前に、自分のおっぱいを後ろから揉みしだく伊東さんの頭頂部に肘鉄をたたき込み、そして意識の飛んだ彼女が倒れ込んだ所でみぞおちに思いっきり蹴りを入れた。奇声と共に吹っ飛び背中から床に激突した伊東さんは、そのまま大の字になって動かなくなった。……ぱんつ見えてるから。でも、そのあまりに痛々しい屍ッぷりに、色気なんて全く感じられなかった。てゆか部長、今のは本気で死んじゃうって。伊東さん、もうぴくりとも動いてないじゃん……
「あー、そういう事なので、若木さん、続けて下さい」
 腹心の部下を徹底的にぶち殺した直後だというのに、部長は極めてあっけらかんとした顔で若木さんに声を掛ける。
「あ、はっ、はいっ! ぐすっ」
 今日何度目になるのだろうか、若木さんは部長の声にびくびくしながら説明を始めるのだった。なんかもう完全に泣いてるよ、かわいそうに……。
「えっと、あの、そゆことで女の子は主人公と仲良くなって、その後主人公の調査にも付き合います。けど、一緒に来た研究室の人たちとは会えません。それで、調査の途中で洞窟を見つけるんですけど、女の子は絶対にそこには入ってはいけないと言います。そしてその晩、主人公は仲間と会えないことから、一旦大学に戻ることを告げます。女の子は泣いて寂しがりましたが、結局その夜も前の日みたいにまた泊めて貰うんですけど、翌朝主人公が起きたらそこは山の中の小さな空き地で、一緒に来た研究室の人たちに起こされます。主人公は今までの事を研究室の人たちに説明しますが、そこで洞窟の事を思い出し、そこに向かいました。それで洞窟の中に入ると、そこはとても寒い場所で、えっと、一番奥には昨日まで一緒にいた女の子の遺体がありました。主人公達が警察に届けると、以前この近くに集落があったのだけれど、山津波でみんな流され、それで女の子の遺体は今まで見つからなかったと聞きます。洞窟の中はとても寒いままだったので、遺体が腐らずに残っていた、そういう話です」
 今度はみっちゃんの茶々入れがなかったので、若木さんは最後まで一気に説明を行う事が出来た。ふぅと一つ溜息をつくと、安堵からかやっと和らいだ顔になった。
 んー、しっかし何か悲しいストーリーだよねぇ。なんか両方のチームとも救われない系の話じゃん。男女揃って、ボクらどんだけ根暗なんだ……
「一気にテンション下がる話だなー。温泉シーンのきゃっきゃウフフから真っ逆さまじゃん」
「……悪かったわよ、どうせ私は断熱材程度にしかならない脚本しか書けないのよ!」
 みっちゃんの言葉に、若木さんはぶすっと膨れながら席に着いた。ところで断熱材ってまた出てきたけど何だ? 洞窟の中に断熱材が入ってたから寒いままって事なのかな??
「あ……えっと、何か質問はありますか?」
 若木さんは思い出したようにそういうと、再び立ち上がる。
「若木、良いか?」
「あ、うん、何?」
 熊ちゃんが手を挙げて質問を始めた。
「大学生達が何かの研究で調査に来たって事だが、何の研究かもう決めているのか? あと、調査地は東北の方か?」
「えっと、まだ細かいところは決め切れていないんだけど、地学的な研究かな……、場所はそう、東北だよ」
「そうか。俺らの方も地学の研究者が出てくるからな。似てしまうな……」
 ああ確かに。ボクらの方は、ええと何だっけ? ホットプレートテクノロジーだったっけ? なんかそんな感じの地学の学者さんが出てくるんだったっけ。
「あ……だったら私たちの方を変えようか? 歴史を……そうだ、以前そこで起こった山津波の研究でも良いかも。多分話を変えるのは簡単だと思うから、大丈夫だよ」
「ん、いいのか? 申し訳ないな……」
「いいよ、新しいアイデアが出るかも知れないから。えとね、それじゃあ……」
 それからしばらく、二人の何か歯痒い感じのやりとりをぼーっと見ていたのだけれど、
「ほほー」
 いつの間にか復活した伊東さんが、心得顔で頷いていた。ああ、またきっとロクでもないこと思いついたんだろうなぁ……。この人、何かある度に理由を作っちゃ部長のおっぱい触りたがるんだよねー。こういうのが、今流行の百合ッ子ってヤツなのだろうか。部長も大変だ……。
 ……って。
 ちょっと待って。ボク、今とてつもなく大切なことに気がついたよ!?
「えっと、それじゃほかに質問はありますか?」
 熊ちゃんと打ち合わせが終わった若木さんが、再びあたりを見渡している。ボクは慌てて手を挙げた。
「あの、いい!?」
「うん、なに、一条君?」
「ガチホモは!? ボクいつ熊ちゃんと初体験するの!?」
 このボクの当然極まる当たり前の質問に、
「「「「「「ぶーっ!」」」」」」
 と、やたらあちこちから吹き出す音がしたのはなぜだろう?
「は!? え? なに、えっと、どういうこと??」
 なんてコトだ、当事者である若木さんすら唖然とした顔でこっちを見ている。ちょっと待ってよ、もしかすると伊豆の踊子にはボクの知らない未公開シーンがあって、そこには普通にガチホモが書かれていると!? つまりは、何でそんな当たり前のことをいちいち今更聞くのかって事なの??
「いや、だから! BLとかのシーンが説明に無かったけど、一体どこまで本気でやればいいのかと……!」
「へっ!? なんでBL??」
 そう聞き返す若木さんに、ボクの戦慄はより酷い物になっていく。単なるボーイズラブ如きじゃ済まさないことを要求しているってことなのだろうか!!
「せ、せめておしりだけで! 口でとかは勘弁して下さいお願いしますぅ〜〜〜〜!」
 ボクは必死に頭を下げ、ほとんど机にこすりつけるように懇願した。
「え、ええっと、一条君、なにか勘違いしてない??」
「どいうことさー! だってBLやるんでしょ!? みっちゃんとじゃ美しさが無いから熊ちゃんとやんなきゃいけないんでしょー!? だってこの学校女子が多いし、絶対BLだと評価高くなるよ〜〜!」
「おい優樹、なんだその美しさが無いってのは!」
 みっちゃんが何か言ってるけど、この際無視無視。
「だから女子チームの脚本はBLだって、ボク絶対にそう思ってるんだもん!」
 ボクはマジ泣きしながらそう言った。ボクも男だ、ここで言葉を濁すようなことなど決して出来ない!
「あ、あー……くすくすっ 一条君おもしろい……」
 ……………。
 若木さんが笑ってるよ!! 
 今更泣きわめいても遅い、貴様はBL男優として一生笑われろって事なのだろうか……
「あ、あのね一条君、今回の脚本にはBLのシーンとか入ってないよ。さすがに私だって、文化祭の映画でそんなこと出来ないよー……くすくす」
「うーむ、むしろいっちーはBLがやりたいと? 我々の真の能力の解放がお望みであるということですかな??」
 1号の山科さんが目をびかっと輝かせながら、不穏なセリフを吐いているけど、
「い、いらん、いらんぞ腐女子1号!! 俺は2号の脚本にいたく感動した! 現状で完璧だ!! 是非ともこのまましっかり演じ切りたい! そしてこれ以上の能力の解放は決して全く金輪際ことごとく絶対に必要無いっ!!!」
 みっちゃんは机をがたんと鳴らして立ち上がり、大声でそう宣言した。
 え?
 あれ?
 BL無し?
 おしりは? ボクのおしりは??
「あの、するとボクのおしりはずっと処女のまま?」
「え、えぇ……。あ、あの、BLってね、男の子同士でも、別におしりを使う訳じゃないんだよ? えっとね……」
 若木さんは顔を赤くしながら何か一生懸命説明しているけど、ボクは自分のおしりの健全性が保たれるということで緊張の糸がぷっつり切れてしまい、彼女の言葉なんて全然聞こえやしなかった。そしてそのまま力なく椅子に座り込み、完全に脱力する。
 良かった……!
 本当に良かった!!
 これでボクは何も思い残すことなく、適当に役をこなせばいいって事になったわけだ……!
 最高だ!!


「はい、それではお互いの脚本についての確認が終わりました。どちらとも、大変素晴らしい物で、完成がとっても楽しみです。しかし、映画作りは今始まったばかりです。ここから、如何にしてちゃんとした作品に仕上げていくのか、我々の技量が試されることでしょう。しかし、いままで文芸部で行ってきた様々な活動が、きっと役に立つはずです。完成までには、何度も辛い思いをすることもあるかと思います。何事も、無から生み出すには、相応の苦しみが必要になります。しかしです。皆で協力しあいさえすれば、どんな難関も必ず乗り越えられます。それが仲間という物です。そして仲間で頑張っていけば、必ず良い物を作り出せるはずです。私は、皆さんなら、きっと素晴らしい映画を完成させられると信じています」
 部長の言葉で、今日の脚本発表会は解散となった。ボクは久しぶりに、晴れ晴れとした気持ちで部室を出たのだった。やはりボクにはBLは荷が重すぎる。それが無くなっただけで十分幸せな状況だよー……。
 しかし、部長はさっき、またずいぶんと引っかかる物の言い方してたよね。今までやってきたことが役に立ちますーとか、ボクら今まで部活で何もやってないから、役に立つことなんてあるワケ無いじゃん。つまりあれだよ、「今までさんざん遊び惚けてきた罰が当たるんじゃボケ、何度も辛苦を味わってそして死ね。オマエラの屍は誰にも拾ってもらえない」って、そんな所だろうか。早速鬱過ぎる……。

 それから、今日はまだ下校時間までそこそこの時間があったので、ボクらは自分たち専用の部室に行き、ここのところ定常業務になってしまっていた映画の打ち合わせを始めた。
「俺たちの脚本だが、基本的にはOKだったと思う。女子達も、思ったよりも理解が深くて助かった」
 このところずっと思い詰めた顔をした熊ちゃんだったけど、今日は久しぶりにすっきりとした顔に戻っていた。
「バカだな熊ちゃんよ、軌道エレベータやら分かってたのって腐女子2号だけだぜ? あのチビッコなんて、あからさまにワケわかんねーって顔してたじゃねーか」
 頭の上にハテナが見えたぜと、自分の頭の上で手をヒラヒラさせているみっちゃんも同様に、顔に余裕が感じられた。
「ん、そこは向こうでフォローしてくれるだろう。一人分かっているのが居るのと、全員知らないのではハードルが全然違うもんだ」
「そうだなぁ……。まぁどうせ現実に無い機械だから、適当にごまかすんだろうけどな」
「俺たちも温泉の演出をどうするか、考えどころだな。小岩井もいきなり変な役を振られて大変だろうが、俺たちも難易度をメチャクチャ上げられたようなもんだ。イザとなれば、普通の風呂場にするとか、それなりに脚本変えて貰わなきゃならないかもな」
 向こうの脚本のケアもやらなきゃならないのはさすがにしんどいなと、熊ちゃんは溜息をつく。
「全くあの部長も何考えてるんだか! 口よりも先に足が出るとか、考えなしに何かしでかすのは天才的だぜ」
 全く未熟者は困る、とみっちゃんは愚痴るけど、
「考えなしはお前だ貢。部長は確かに沸点は低いが、それ以外は人格者だぞ?」
 熊ちゃんは部長のフォローに回った。
「それはあれだ、フルメタル・ジャケットのアニマルマザーが人格者だって言ってるのと同じ理屈だぜ!?」
「正義感はあったじゃないか。味方のピンチには、でかい銃を担いで命がけで敵陣に突っ込む」
「バカ。上官の命令は聞かねぇ、娼婦の順番待ちも出来ねぇ、キレるとすぐに機関銃をぶっ放す。ああいうノーキン野郎は虫が好かねぇ」
「それはお前のことだ、貢」
「なんだとぅ!?」
 今日は二人とも会話が弾んでるなぁ。ここ最近ずっと根詰めて脚本作ってたからね。区切りが付いて気が抜けたんだろうか。
「ところで、BL無くて良かったよね!!」
「あ、ああ……。お前、ところで本気でBLになるとか思ってたのか?」
 マジ泣きしてたよなぁと、何かみっちゃんがあきれたような顔してるけど、
「何言ってんのさっ!! ガチホモとか熊ちゃんとBLとか、そんな生き地獄を言い出したのはみっちゃんじゃないかー!」
「そりゃまぁそういう危険性はあるって事で、例としてだな……」
 しかしあの場であそこまで言い切るとは優樹の勇気はすげーなと、みっちゃんは超つまんないギャグを言って何かごまかしに掛かった。まぁいい。ボクもいい加減大人だ。親友の過ちはこの辺で水に流してやっておこう。
「もういいよー。で、実際これからどーするの?」
「そうだな……」
 熊ちゃんが脚本を書き出した紙を引っ張り出しながら、
「まずは、俺は脚本の完成を急ぐ。それと平行して、映画作りに使う機材の調達だな……。誰かビデオカメラ持ってるか?」
 そう言ってあたりを見渡すも、ボクもみっちゃんも首を横に振るだけだった。
「そうか、根本的に危機だな……。仕方ない、ウチの商品から適当に見繕ってくるか。昔のDVカメラで良いよな」
 ちなみに熊ちゃん家はリサイクルショップなのだ。みっちゃんに言わすと「ジャンク屋」が正しいって言ってるけど、熊ちゃんは決して同じではないと言い張って意見は平行線のまま。ところでジャンク屋ってどういう意味?
「貢、カメラは俺が何とかするが、編集はどうする?」
「ん、俺のPCでやる。とりあえず小遣いはたいて、アドビのPremiereElementsでも買ってくるよ」
「済まんな、足りなかったら言ってくれ。手伝う」
「どうせなら余ってるメモリくれ。ところで女共はカメラとかどうするんだ? あいつらも大丈夫なんか?」
「生徒会のを借りるって言ってたな」
「でもあれってフルHDのAVCHDのカメラだろ? 今のPCじゃまともに編集出来ねーぜ? まさか奴らリニアでツギハギして作るってわけか? こりゃ俺らの勝ちは決まったようなもんじゃねーか!」
「あのー、みっちゃん、それどこの言語?」
「あ!? どういう意味だ??」
「いやー、アベベのプレプレとかリビアのバキバキとかって、一体どこの言葉だろうかと……」
「スマン、熊ちゃん任した」
 俺には荷が重すぎると、みっちゃんは熊ちゃんの肩に手を置いたが、
「それは任されん。貢、後でお前がちゃんと教えてやれ……」
 熊ちゃんはその手を払い、なぜか二人は共に溜息をついたよ? そんなに一般的な言葉なの? アベベのプレプレって……??
「とりあえず優樹、後で俺がじっくり教えてやるから今のところは黙っててくれ。……で、話を元に戻すけどよ、熊ちゃんが持ってきてくれるカメラってSD解像度だろ?」
「ああ、そうだ」
「SDのDVなら俺のPCで編集出来るけどよ、女共はどうやって編集する気だ? まさか本気でツギハギは出来ないだろうしよ」
「その辺は大丈夫だそうだ。若木の兄貴が相当なPCマニアらしくてな、ぶっ飛んだ廃スペックPC持ってるからフルHD如き全く問題ないらしい。ちなみにAfterEffectsもあると」
「なんだとぅ!? 一体どんなスネかじりのボンボンだそいつぁあ!」
「いや、もう社会人らしいぞ?」
「まさに経済力の差か……!! 汚ねぇ、やっぱり汚ねぇよ大人はよぉっ!!」
「俺たちもいずれは通る道だ。今は若さバカさで行くしかないだろう。ちなみにメモリは192GB積んでるのだそーだ」
「どんなサーバ機じゃそりゃあ?! なんだ、俺がやっとの思いで突っ込んだ4GBのメモリは鼻くそ程度の価値もねぇってか!? ちきしょう、こうなりゃ妹の方をひん剥いて、ヒィヒィ言わして目に物見せてくれる!!」
「落ち着け。そもそも若木は関係ないだろう……」
「ちっ、人数も少ない、設備もショボイ、スキルもねー! 俺ら一体どうすんだ?」
「だーかーらー、ボクがはじめっからこの勝負は負けるって言ってたでしょー?」
「うるせぇ! 今は負ける話しはしてねぇ、どうやって勝つかって話をしてるんだ!」
 どっちも同じだと思うけどなぁ。でもそんなこと言うとみっちゃんはまた怒るし、これ以上は余計なことは言わない方が良いよね。ところでアフロ煙突ってなんだ?
 結局その後、始終イライラしっぱなしのみっちゃんがギャアギャア喚くのを適当になだめながら、脚本の細かいところを少しずつ煮詰めていった。

 翌日以降も同じく、ボクらは放課後に部室や図書室に籠もり、脚本作りに邁進した。しかし女子チームが映画を作れる条件、つまり舞台装置などを考慮すると、中々テンポのいい話に仕上がらない。どことなく言い訳臭い脚本になってしまい、ナレーターが必要なんじゃないかと思うほど説明口調が多くなってしまっていた。
「やはり、物語は読むのと書くのじゃえらい違いだな……」
 もう何度目だろうか、以前は弱音など吐いたこともなかった熊ちゃんが、重〜い溜息をつきながら机の突っ伏したのは。
「俺は、お前にがんばれとしか言えない自分の無能さに、いい加減怒りを覚えるぜ……」
 俺がここまで使えねーヤツだとは思いもしなかったと、みっちゃんも一緒に机に突っ伏す。
「まー、適当で良いんじゃないの? 女子で上手く纏めてくれるかもよー?」
「確かに程度の差はあれ、女子の演技力に期待するのもアリかも知れんな……」
「どうでも良いが優樹よ、お前は一人で元気だなー……」
 ぐはあと言って、みっちゃんはもう一度突っ伏す。
 いや、元気も何も?? ボクだって毎日調べ物してるから、いい加減疲れてるよー? それにいくらボクが良いアイデアを思いついても全く採用してくれないんだもん、まったく萎えちゃうよねー!
「だからボクのアイデアを使えばいいじゃん。それで適当に纏まるよー」
「悪いな優樹、俺にはお前のアイデアを脚本に取り入れるだけの技量が無いんだ……」
 ドラゴンボールの悟空みたいに元気玉をぶっ放すとか、俺には荷が重すぎるんだごめん済まない諦めてくれと、熊ちゃんもまた机に突っ伏してしまった。んー、良い案だと思うんだけどなぁ、元気玉。それでとりあえず物語は終わるじゃん……
 結局、昨日一生懸命ドラゴンボールについて調べたのがさっぱり無駄になってしまった。途中からドクタースランプアラレちゃんに移っちゃったけど。


 そんな感じでボクらの脚本が中々纏まらない中、女子チームはほぼ脚本を完成させたと連絡が入ったのが、6月の最後の日だった。当初の予定では、明日から撮影に入ることになっている。
「まだ出来てないって、意味わかんない! 早く真面目にやってよ!!」
 女子チームと廊下で出くわし、こんな文句を言われるのも何度目だろうか。
「俺たちだってベストは尽くしてんだよ! テメーに俺らの苦労が分かってたまるか!! だいたいお前らのレベルに合わせて作ってやってんだ、文句言われる筋合いはねー!!」
 いつものみっちゃんの怒鳴り声と、
「全然意味が分かんない!! 何上から目線で物を言ってるのよ! 自分達の無能さと怠惰を私たちの所為にしないでよ!!」
 小岩井さんの耳に障る罵声が、今日も廊下に響き渡る。
「あの、小岩井さん、別に悪気があって遅らしてるってわけじゃないんだから……」
 若木さんがおどおどしながらなだめに入るが、
「そんな甘い事言ってるからつけあがるんです!! 若木さんだってあんな言い方されて頭来ないの!?」
「そりゃカチンとは来るけど……でも、無能とかは違うよ……」
「そーだもっと言ってやれ腐女子2号!! 大体、つけあがってんのはテメーの方だ転校生!」
「うるさい! あんたもいい加減黙りなさいよ!! わざとじゃないのは分かってるけど、遅れてるのは事実でしょう!?」
「だからベストは尽くしてると言ってるだろーがよ、この腐女子が!!」
「まぁまぁなるっち、こんなところで言い合いをしていても余計に作業が遅れるだけですよ。まうっちも同じく。今は、男子チームの脚本が早く完成するように協力するのが良しという物です」
「あうー……。でも、こんな不真面目な人たちに何の協力をすればいいんですか……」
 小岩井さんは、唇をかみながら俯いてしまった。
 ところで。
「あのー、まうっちって誰?」
 さっき、山科さんのセリフに出てきた単語だ。多分誰かを指した固有識別名称の類かと思われるのだけど……?
「おー、それは小岩井さん事だよー」
 そう答えたのは、今まで後ろで彼らのやりとりをぼーっと見ていた伊東さんだった。
「小岩井さん、名前は”まゆ”で、口癖が”あうー”だから、足して”まう”に決まったのだー!」
「決まったんじゃなくて、あなたがそうやって言い回ったんじゃないですかぁー……」
 おかげでクラスのみんなにまぅまぅ言われるんですと、小岩井さんは不服そうな顔でフォローを入れる。
 まう。
 またとんでもないあだ名を付けられたもんだ。ほとんど悪意と言っていいだろう……。この子、よっぽどクラスで嫌われてるのか!? 何かいちいち突っかかってくるし、色々とウザがられてるんだろうなぁ……
「あうでもまうでもauでもいいけどよ、近いうちには完成させるから、とにかく待っててくれ」
 みっちゃんに続けて、
「脚本が遅れてるのはほぼ俺の責任だ。申し訳ない」
 予定通り脚本を作ってくれた若木には特になと、熊ちゃんは頭を下げた。
「いや、そんな事無いよ。私も手伝えるところがあったら言ってね?」
 そんな若木さんの言葉に、
「ああ、よろしく頼むな」
 と熊ちゃんが返したのだけれど。
「あれ? でも手伝ったら駄目なんじゃなかったっけ?」
 そう、たしか脚本やら劇判やらは、自分達で作らなきゃ駄目だったはず。だからボクたちヒーヒー言いながら、自力で脚本作ってるワケだけど……
「どちらか一方に押しつけるのでなければいいのですよ、一条君」
 ボクの質問に答えたのは、なんと部長だった。
「大熊君の脚本も、基本は出来上がっています。それをよりよい物にするために、チームを跨いで協力するのは一向に構わないはずです」
 んー、何か調子のいいこと言ってるような気がするよなぁ? もしくは、「キサマらの無能さにはとうの昔に愛想を尽かせた。残りの部分は最終兵器”若木のガチホモワールド”でおしりの処女を散らせて、自分達の馬鹿さ加減をせいぜい恨め」って事だろうか。
 やばい、本格的にやばい!!
 せっかく若木さんの脚本からガチホモが無くなったというのに、僕たちの脚本に入ってくる危険性があると言うことか……!! てゆーかボク向こうの男優だし、絶対おしりに何か差し込まれちゃうよ!!
「みっちゃん、熊ちゃん!! 何があっても今日中に完成させるんだ! それが僕たちに与えられた最後のチャンスなんだよっ!!!」
「お、おう……」
「いや、その通りだが……どうした?」
 ちょー気合い入れたボクに対して、親友二人組の顔は何か引いてる感じがするけど、でもボクは自分のおしりの処女を守るためには手段を選んでられないのだ!
「さあ行くよ! こんなところで油売ってちゃ時間がもったいないからねっ」
 ボクは二人の腕を掴んで、駆け足で部室に引っ張っていった。……ちなみにすぐに図書室に行ったけどさ。部室じゃ何もアイデア出ないし。


 それから2週間が経った。
 ボクたちの脚本はついに完成せず、ガチホモマスター若木によって思い切りガチホモに改悪された脚本で、全く救いのないガチホモ映画を作らされていた。そして今日もボクは自分のおしりにマイナスイオンドライバーをネチネチと突っ込まれ、感涙にむせぶセクシーな表情を撮られー……なーんてことはさっぱり無く、ちょっと遅れて3日後には、何とか脚本を完成させたのだった。ほめてほめてー♪
「意味が分かんない!! 脚本出来てから2週間も経つのに、何で撮影が始まらないのよ!!」
 そして今日も、小岩井さんの癇に障る怒鳴り声が廊下に響いた。
「だーかーらー!! 大道具も小道具もなーんも準備が出来てねーで、一体何を撮るってんだよこのチビッコはよ!」
「何で準備が全然出来てないのよ、もうホントに意味が分かんない! 真面目にやってよ!!」
「すまん小岩井、今撮影に使える林を捜しているんだが、この辺は田んぼと畑しかないところでな……ちょっと難航してるんだ」
 みっちゃんと熊ちゃんが必死になだめている、我が男子チームの大女優。しかしこの女は文句ばっか言うだけで、ちっとも手伝ってくれやしない。そりゃボクだって全然役になってないのかも知れないけど、さすがに口に出して文句は言わないよ?
「あのさー、文句言うなら自分でロケ地見つけてよー」
 ボクのこの控えめな提言に、
「それは貴方たちの役目でしょ!! 女子チームは自分達で全部やってるのよ! ルールはちゃんと守ってよ!!」
 全くとりつく島もない。このまうという女は、正直言ってかなりムカつく。
「別にルールを破るつもりはないけど、協力ぐらいしてくれても良いんじゃないの!?」
「……ごめんなさい。私、引っ越してきたばっかりだから、この辺のことよく分かんない。だから力になれそうもない」
「何だよそれ!? 自分じゃわかんないくせにボクたちに文句ばっかり言うの!?」
「おい、優樹、もうよせ! 小岩井の言うことはもっともだ。俺たちの努力が足りないし、小岩井がこの辺の地理を分からないのは当たり前だろう。それを責めるのはおかしいぞ」
「だからよ、本気で悪いと思っている。それは本当だ。ぶっちゃけ10カ所くらい下見に行ってるんだが、元々集落があったけど山津波で流されたって雰囲気が出る場所が中々ねーんだよ。どこも公園みたいでさ、綺麗すぎるっつーか、すぐに森が開けて田んぼが見えてたりするからよー」
「……わかりました。私も事情を知らずに文句を言って申し訳ありませんでした」
 小岩井さんは渋々といった風でそう言うと、頭をぺこりと下げた。
「こちらこそ申し訳ない。がんばって見つけるからもう少し我慢してくれ」
 すまんなと熊ちゃんも頭を下げ、今回の問答はとりあえずお開きになった。
「では、私は部室に戻ります」
 小岩井さんは自分のチームでも仕事があるからと、さっさと部室に戻っていった。
「そういや優樹よ、お前の役者ッぷりはいつ拝めるんだ?」
 うあー。忘れてたけどボク、そういえば向う側の男優だったんだっけ?
「知らない。全然何も聞いてないよ??」
「優樹、とりあえず向こう行って、スケジュールとか聞いて来た方が良い」
 熊ちゃんはそう簡単に言ってくれるけどさー……
「何か言ってくるまで放っておけばいいんじゃないの?」
 いちいち聞きに行くのも面倒じゃない。それになんか変な用事押しつけられたらヤダしー
「そういう問題じゃない。万が一、俺たちの予定とかち合ったら大変だからな。向こうが早く始めてるんだから、向こうのスケジュールに合わせてこっちもスケジューリングしなけりゃならない」
「いちいち向こうに合わせること無いじゃない……」
「そういうのは、俺たちがちゃんとやることやってから言えるセリフだ。行ってこい、優樹」
 熊ちゃんの有無を言わせぬセリフに後押しされ(実際に思いっきり背中を叩かれたけど)、ボクは渋々女子チームの巣窟に向かった。ああ、憂鬱だなぁ、いじめられなきゃいいなぁ、蹴られなきゃいいけどなぁ……
「あのー、こんにちわ?」
 ボクはおそるおそる部室のドアを開けた。
「おー、ゆーくんちーすっ!」
 早速、伊東さんの宣戦布告が聞こえてきた。今日はどんだけ酷いこと言われるのだろうか……。
「こんにちは、一条君。どうしました?」
 次に最後通牒というか、もはや死刑宣告を浴びせかけてきたのは部長だった。つまり日本語に訳すと「何しにその汚い顔晒しに来たんじゃボケ、理由如何によっちゃ今すぐ腹掻っ捌いてハラワタ引きずり出すぞタコが!(やや誇張気味)」と言ったところだろうか。怖すぎる……。
「いや、ボクの役者っていつからかなぁと……」
「なるほど、確かにいっちーにはまだお伝えしておりませんでしたな。これは失敬」
 若木さんと何やら怪しげな打ち合わせをしていた山科さんが、紙を一枚持ってこちらにやってきた。
「これがスケジュールです。ただ、以前より我が国では『予定は未定であって決定ではない』と言いまして、まだまだ改善の余地はアリです」
「ハァ……」
 何かよく分かんないけど、押しつけられた紙切れを見てみると、そこにはかなり細かいスケジュールが横棒グラフみたいな図と共にみっちり書かれてあった。こういうのって確かガチョーンだかガントチャートだかって言うんだっけ?
「いっちーに名演をお願いするのは、3週間後くらいになりそうです。それまでは、まず我々だけで撮れる分を撮って、撮影作業に慣れておきますので」
「せっかく来て貰ったのにごめんね、一条君。ちょっと待って貰うけど、それまでに私たちもちゃんと準備を整えておくからね」
 いつの間にか来ていた若木さんがぺこりと頭を下げる。
「あー、それじゃあ、ボクが必要になるときが来たら声かけてね?」
「うん、わかった。……一条君、良い映画を作ろうね!」
 ボクが部室を出るとき、若木さんが妙にニコニコ笑いながら、そんなセリフを宣った。
 何で笑ってんのこの人!? やっぱり何か、BL的なサプライズでも用意していると言うことだろうか……
 ボクは自分達の部室に帰る道すがら、貰ったスケジュール表の端から端までガチホモ的なネタが紛れていないか、じっくり時間を掛けて調べたのだった。
 んー、一見しては特におかしな所は見受けられないけどなぁ……。でも、彼女らにしか分からない暗号って線もあるよねぇ。これは極めて要注意であると言えるだろう。なにがしかの単語をひっくり返したり、斜めに読んだら”ともだち募集”とか、そういうクレバーなカラクリが仕掛けてあるかも知れない。怖いなぁ、この紙持ってて何か呪われないかなぁ……。
「ただいまー。とりあえずボクの出番は3週間後だってー」
 ボクは呪いを掛けられたスケジュール表を熊ちゃんに渡した。
「ん、これはすごいな……見てみろ貢」
「うお、マイクロソフトのProjectで作ってんじゃねーか! 普通こんなソフト個人じゃ持ってねーぜ?」
「若木の兄さんが作ったのかもな」
「くそっ! これだから大人はいつも汚ーんだよっ」
 またみっちゃんが訳の分かんないノリで青春の主張を始めた。
「俺達もこれを参考にしてスケジュール表を作らないとな。今のままじゃ、ずるずる遅れて本当に間に合わなくなる可能性が高い」
「フリーでガントチャート描けるアプリでも探すかぁ……」
「すまんな貢」
「気にするな兄弟!」
 ボクの親友達は、ボクが知らないうちに兄弟になっていたようだ。
 そして、結局この日も映画の製作は進まず、女子達が作ったスケジュールの検討と暗号解読で終わってしまった。もちろんスケジュール表は暗号強度があまりにも高すぎて、全然解けなかったけどね。


 さらに経つこと1週間。
 ボクら男子チームは、やっと撮影に使えそうな、雰囲気のある林を見つけられた。というか、結局部長に教えて貰った。
 実は部長、やる事が無くて暇なので、適当にその辺をぶらついていたら、ちょうどおあつらえ向きの洞窟まである林を見つけたという事だ。まったく、暇な人は羨ましいよねー。てゆーか、部長は3年生なんだけど、受験とか大丈夫なのだろうか? その前に部長って大学行くのかな?? あの人、ぱっと見はお嬢さんっぽくて勉強出来そうな感じだけど、口よりも手よりも先に足が飛ぶ、脳みその大切なリミッターがぶっ壊れた激悪な危険人物だからなぁ。案外、外見に似合わずお馬鹿さんなのかも知れない。んー、そう考えるとなんだか親近感湧くなぁ……
 そして。
「意味が分かんない! せっかく部長が撮影場所を見つけてくれたのに、なんでまだ撮影が出来ないのよ!!」
 今日も今日とて、このクソうるさい女の喚き声が廊下に響き渡った。
「毎回毎回、いちいちうるさいんだよ! 癇癪ばっかり起こしてるんじゃねーよ、大概にしろよ!!」
 そして、珍しく語気を荒げて怒鳴り返しているのが、なんとびっくりボクだった。自分でも意外、こんな大声出した事なんて、今までの人生の中で何回あったのだろうか?
「誰が癇癪なんて起こしてるのよ! 私は正しいことしか言ってない!!」
「いい加減に静かにしないと、紐でふん縛ってその辺に吊すぞ!!」
「なによっ!! やれるもんならやってみなさいよ変態!!」
「何だって!!」
「おいおい、優樹! そういうローププレイを天下の往来で宣言するんじゃねーよ、目ェ離した隙にどこで覚えて来やがったんだ」
「優樹、とにかく冷静になれ。今のはお前が悪いぞ」
 みっちゃんと熊ちゃんは、いきり立つボクを小岩井から引き離した。
「スマンな小岩井。今、小道具を……実際には服だが、お前と優樹に着て貰う服のイメージについて、若木と打ち合わせてる最中なんだ。優樹はまぁ普通の私服で良いとして、小岩井の着る服はどんな物なのか、ちょっと俺たちじゃ想像が付かなくてな」
「……そんな事なら、事前に説明して下さい」
「ボクたちが説明する前に、勝手に喚いたのはお前じゃないか!」
「優樹! 黙ってろ!!」
 ボクの正論は、みっちゃんに遮られた。
「そうでしたね、ごめんなさいっ!」
 小岩井は頭も下げず、ボクを睨んだままに言い捨てた。ムカつくー、超ムカつくー!
「とりあえず、今から若木の所に行って服について聞いてくるから、その後小岩井に連絡を入れるので良いか?」
「いえ、どうせ私今から部室に戻るので、直接若木さんから教えて貰います。じゃあ、もう戻りますから!」
 小岩井はそういうと、ボクらからの返事も聞かずにさっさと部室に戻ってしまった。
「今日も怒らせてしまったなぁ……」
「俺も、女共に怒鳴られるのは大概慣れてるけどよ……さすがに毎回じゃ心が折れそうだぜ」
 みっちゃんと熊ちゃんは、ツインテールをぷりぷり揺らしながら去っていく小岩井の後ろ姿を見つめながら、お互いに盛大な溜息をつきあった。
「てゆーかさー、服なんて普通ので良いんじゃないのー?」
「そう簡単に言ってくれるが、優樹、その普通っていうのを具体的にするとしたならなんと考える?」
「へ?」
 熊ちゃんの、そのいわんとするところがよく分からない言葉に首をかしげていると、
「優樹よ、俺には死ぬほど嫌いな言葉の一つに、『適当に』というのがある」
 『何でも良い』も同じ位嫌いなんだがなと、みっちゃんが珍しく真面目な顔して何か言ってきた。
「適当って、適当で良いって事でしょ?」
「そうだ優樹、適当だ。じゃあ俺からお願いがあるんだが、適当に映画のキャッチコピーを考えてくれねーか?」
「ええっ!?」
 キャッチコピーって、あの”史上初! 全米が泣いた!”って毎回言ってるヤツ?
「そういうのは脚本に書いてるんじゃないの?」
「脚本には書いてねーな。普通はコピーライターとか、別の人間が考えるんだ。キーになるセリフから持ってくる場合もあるけど、今回の脚本には見あたらねーからよ。適当で良いんだよ、適当で」
「適当って言っても、いきなりじゃわかんないよー!」
「いやいや、だから普通ので良いんだよ」
「だから、そんな普通とか言われてもさー」
「そういう事だ、優樹」
 そう、いきなり話に割り込んできたのは、今までボクらのやりとりを黙って聞いていた熊ちゃんだった。
「そういう事ってどういう事?」
「つまり、何の準備もなしに、いきなり普通で良いからって言われたって、出来ない事は出来ないんだ」
 あー………。
 ボクはようやく、自分の浅慮を理解した。
「ごめん、確かに普通とか適当とか、受けた側は辛いこともあるよね」
「分かればそれで良いんだ。特に今回は若木の脚本だからな、彼女のイメージを少しでも共有出来れば、こっちも作業が楽になることが多いと考えている」
 なるほどねー。さすが熊ちゃん、よく考えてらっしゃる!
「じゃあ、俺は女子チームに行って打ち合わせしてくるよ。小岩井はああ言ってくれたが、演出云々は本来俺たちの仕事だ。彼女の好意に甘えるのは、フェアじゃない」
「俺もつきあうぜ。奴らにケンカ売られたら、加勢が必要だからな!」
「むしろお前が居ない方がケンカは起こらないんだが?」
「またまたー、何今更遠慮してんだよ! 一蓮托生だぜ、今日こそあのビッチ共全員ヒィヒィ鳴かしたる! 特に若木はあのでかい胸をしこたま揉みしだいてやる!!」
「そういうのは夢の中だけでやってくれ……。じゃ優樹、今日はこれで終わりだな」
「うん、じゃあボク帰るよー」
「じゃあな優樹、明日も頼むぜ!!」
「うん、任せて!!」
 さてさて、親友達はわざわざ女子チームに殺されに行くというので、賢いボクは戦略的撤退をさせて貰いましょう。てゆーか、熊ちゃんも真面目だよねぇ。服なんか小岩井に勝手に用意させれば良いじゃん、あいつがどんな服着てようと、どうでも良いと思うんだけどね! みっちゃんじゃないけど、見た目だけならガチホモマスター若木の方がずっとマシ。おっぱい大きいし、ちゃんと引っ込むところは引っ込んでるし。幼児体型の成長不良女とは全然違うよねー。
 せめて若木さんも、ボクらに面と向かって死ね!って言わなかったり、ガチホモじゃ無ければモテモテだろうに……。もったいない。


 重ねることさらに1週間後。
 やっと撮影を開始したボクらは、件の部長が暇つぶしに見つけた林を訪れていて、そこでボクらだけで撮影できるシーンを撮り始めていた。主人公が、女の子を連れて林の中で調査をするシーンだ。ちなみに主人公を演じるのはボク。女子チームでも男優やらされるし、めんどくさいことこの上ない。しかしみっちゃんや熊ちゃんは撮影だの劇伴作りだのがあって、主役級の役者まで手が回らないため、必然的に無芸且つ特殊技能のないボクがやらされることになっちゃうんだよねぇ……。
 そして。
「意味が分かんない!! 撮影するまであんなに時間があったのに、何で全然練習してないの!? スケジュールが押してるんでしょ、何考えてるのよっ!!」
「毎回うるさいんだよ!! いちいち文句ばっかり言いやがって、人の事情も考えろー!!」
「文句じゃないわよ! ホント全然意味がわかんないっ!! じゃあ事情って何なの!? 私、ずっとあなたの事見てたけど、はっきり言って何も仕事して無いじゃない!!」
「うるせえよ! だいたい映画作りなんてやりたくもないのに、練習なんて出来るかよ!! 大体女子は良いよな、もう人数揃ってるじゃん! 映画作んなくたって創部の条件満たしてるから気楽だよな!」
「今はそんな事関係無いでしょう! 大体これは貴方たちの映画なのよ!? あなたがしっかりしなきゃ、ちゃんと完成出来るわけ無いじゃない!!」
「だから耳障りな声で喚くんじゃねー! 素っ裸にひん剥いて町中におっぽり出すぞこのクソ女!!」
「やれるもんならやってみなさいよ、このスケベ! 変態!!」
「優樹ー、そういうジェントルじゃねーセリフをお天道様の真下で喚くんじゃねーよー。つーかお前キャラ違ってんぞー?」
「お前ら、毎回毎回いい加減にしてくれ……」
 果たして、ボクが小岩井の暴言に抗弁した後に、みっちゃんと熊ちゃんが揃って溜息をつくというこのパターンが、今まで何度繰り返されてきたのでありましょうか。
「だってー!! こいついちいちボクに突っかかってくるんだよ!? 本気でムカつく! 女だからって承知しないぞー!!」
「意味が分かんない!! 男っていっつもそう! 自分の立場が悪くなると女の子に怒鳴りつけたり暴力に訴えたりするんだ!!」
「いつ殴ったよ、いつ!!」
「止めろ優樹!! お前の言い方はもう十分に暴力だ!」
 ボクは熊ちゃんに襟首捕まれて制止された。
「うー!」
 そして腹立ち紛れに、そんなうなり声を上げることしかできない。
「ねぇ大熊君、私なんか間違ってる事言ってる!? 不真面目な人に、すごまれるような事やってる!?」
「いや、小岩井は間違ってない。言っていることは全て正しいよ。だが、正直言って、ちょっと言い方がキツいかな……」
「ッ!」
 一瞬髪の毛を逆立てる位にいきり立った小岩井に、みっちゃんがつかさずフォローを入れる。
「いやーよ、熊ちゃんもおめーと一緒で口の利き方が不器用だからよ、直接的な物言いになっちまってるけどよ……まぁキツいって言ってもちょっとだよちょっと! あんまり人を追い詰めるような感じは良くねぇよってこった」
 歯を食いしばりながら、きりっとした大きな瞳に涙を溜め、小岩井は言った。
「……全部私の所為ですか…ッ」
「い、いや、全然そんなこと言ってねーぞ!? ぶっちゃけ優樹が全部悪い位なんだし!?!?」
「何だよそれ!!」
「うっせぇ黙ってろ! 俺たちは小岩井が悪いなんて全然言ってねーって! お前、ホント良くやってるよ! 偉いってマジで!!」
「そういうお世辞はたくさんよっ! いつだってみんな私の所為にするんだ………!!」
 小岩井の声はもう、悲痛な叫びに等しかった。彼女はこぼれ落ちる涙を乱暴に払うと、みっちゃんと熊ちゃんの制止も聞かずに走り出し、そのままどこかに行ってしまった。
「お、おいっ! 待てって!」
「小岩井! 待ってくれ!」
 二人の声が、林の中にむなしく響く。
「……失敗した。何か地雷を踏んでしてしまったようだ」
「あれは間違いなくなんかのトラウマだぜ……。思いっきり藪を突いちまったな……」
 小岩井の走っていった方を呆然と見つめるみっちゃんと熊ちゃんは、再び揃って溜息をついた。
「良いじゃん放っておきなよー! まったく自分勝手なヤツだ、一人でぷりぷり怒ってバカみたい!」
「お前はのんきで良いなぁ、優樹よ……」
「主演女優が居なくなったのに、どうやってこれ以上撮影するんだ……」
 ボクの親友達は、またもや揃って溜息をついた。そんなに溜息ばかりついてると、幸せが逃げていっちゃうよ?
「もう十分に逃げてるよ! つーか優樹、何でお前はあんなにチビッコに突っかかるんだ?」
 少しはスルーしろよとみっちゃんは言うけど、
「えー、突っかかってくるのは向こうじゃん! ボクはどっちかって言うと無視してる方だけど?」
「どこが無視してるんだよ、毎回全開全力でぶつかりに行ってるじゃねーか!」
「てゆーかー! あの女がいっつも『意味が分かんない!』ってワケわかんないこと言うから、それは違うって言ってるだけだよー!」
「到底そうは見えないな。お前は小岩井を意識し過ぎなんだ」
 意識し過ぎ!? 果たして何の事やら、さっぱり意味が分かんない! むぅ、あのわがまま女の口癖が移っちゃったじゃないか!
「とにかく、俺の方から小岩井には謝っておくから、優樹、お前は本気で練習してこい。正直言って、全然演技になってないぞ」
「そんなー! ボクだってがんばってるんだよ!?」
「その頑張りを結果にしてくれさえすれば良いんだ。期待してるからな!」
「うん、任せて!!」
 果てしてボクは、また熊ちゃんに上手いこと乗せられて、おざなりな返事をしてしまった。こういうケーハクなノリは、さすがに自分でもどうかと思うよ……。発言には責任を持たないとね、自分。
「よっしゃ、名男優優樹の活躍は明日からって事で、今日はもう終わりにするか!」
「ああ、俺はまた女子チームの部室に行ってくるよ。多分小岩井も向こうに戻ってるのだろうし」
「んじゃ、俺もまた付き合うわ。ビッチ共、今日こそ全員突っ込んでヒィヒィ鳴かす! ついでにあの部長はよがり狂わせて肉便器にしてやる!!」
「わかった、今晩の夢の中で活躍してくれ。じゃあ、行ってくる」
「うん、ボクは帰るよー」
 またもや親友達が自ら進んで女子チームにぶち殺されに行くというので、ボクはさわやかな笑顔と共に彼らを見送った。全く飽きないよねぇ、何度も何度も部長の蹴りを喰らっても、なぜ自らの愚かしさが理解できないのだろうか。部長に近づかなければ蹴られやしないのに……。


 そして翌日。
「ったくあのクソビッチ、今度は本気で犯す! マジ突っ込む!! ついでに若木も裸にひん剥いて、公衆の面前であの生意気なメガネに力一杯ぶっかけてやる!!」
 今日もみっちゃん絶好調、ボクらの部室でひたすら女子達の悪口を言っていた。ところで何掛けるの? やっぱ牛乳とかキツいよねー。
「貢、お前が全てに渡って完全に悪い。部長の怒りはもっともだ。一度生まれ変わって反省してこい」
「なんだってんだい、こっちが下手に出てりゃあ付け上がりやがって! だいたい開口一発『女の子泣かせて何しやがった!』とか、完全に俺を悪モンだって決めつけてんじゃーねーか!!」
「全てはお前の普段の行いだ。そもそも普通に否定すれば良い物を、なぜお前はすぐに部長のスカートをめくるんだ!?」
 うわ、みっちゃんまたやったのか!
「ツンデレがちゃんとツンデレらしく縞パン履いてるか、確かめられずにはおれなかったのよ! つーかあのクソビッチ、縞パン履いてねーし! マジ最悪だぜ!」
 許せねぇよと、みっちゃんは目を剥いて怒っている。一体何が許せないのやら、さすがにボクにも理解できないよ……
「最悪はお前だバカが……。大体お前、前回は縞パンを履いた部長に信じられんとか言ってたじゃないか。結局、部長にどんなパンツを履いていて貰いたいんだ?」
 熊ちゃんの当然至極な質問に、
「むしろノーパンだな! あんなクソビッチ、いっちょ前にパンツ履く資格なんてありゃしねーんだ! だからこそこの俺様自ら分不相応なパンツをむしり取ってやろうとしたのによ、あの不躾なビッチは人のことをサッカーボールみてーにボコボコ蹴りまくりやがって、非常識も大概にしやがれってんだ!!」
 みっちゃんはやっぱりみっちゃんであった。駄目だこの親友、早く何とかしないと……。
「非常識はお前だこのバカが……。警察に突き出されなかっただけでも心から感謝しろ、可及的速やかにだ」
 彼らの会話から察するに、部長の挑発に乗った愚かなみっちゃんがまた部長のスカートまくり上げて、それで怒り狂った部長に蹴りを10発くらい喰らったということだろうか……。体中に青あざと擦り傷作って、むしろよく殺されずに済んだと、毎回本気で感心しちゃう。
 それにしても、この親友はホントに飽きないよねえ。実は部長に蹴られるのに快感感じてるんじゃないのだろうか。どう考えても自ら蹴られに行ってるようにしか見えないよー
「何がケーサツだ! むしろあいつらが逮捕されりゃあ良いんだ。腐女子2号まで突っかかって来やがって、あのメガネブス超最悪だぜ!」
「何度も言うが最悪はお前の方だ。結局若木まで胸触って泣かせてたじゃないか……」
「ちっ、あんなガチホモの巨乳なんてちっとも魅力ねーぜ! ちなみにブラの下に手ェ突っ込んで思いっきり揉んでやったから、今頃ブヨブヨになって垂れまくってるかも知れねーな!! それに乳首は綺麗なピンク色だったけどよ、思いっきり抓ってやったから鬱血して真っ黒になってるかもな! ざまー見ろってんだ!」
「貢、もう何も言わずに警察に行け。お前を庇える材料は何一つ無い」
 うわあ、何か相当な修羅場があったらしいなぁ……。
「てゆーか! ブラの下に手ェ突っ込んだの!? 生乳揉んじゃったの?? それってほとんど強姦じゃん!」
 そんなボクの当たり前の驚愕に、
「まぁ嘘なんだけどな」
 ヲゥ……。みっちゃん、安心はしたけどボクの本気の驚きを返してくれ……
「ホントはよ、部長と言い合いしてる時に腐女子2号が突っかかって来たから、軽く突き飛ばしてやったんだがよ、そん時たまたま手に乳が当たっただけなんだがな」
「それで若木は大泣きして、部長が余計に怒ったというわけだ」
「ったく、俺様みたいなナイスガイがわざわざ乳触ってやったんだぜ!? 感謝感激するのが通常の対応ってモンだろ! 大体、あんなでかいチチしてる分際でまだ野郎に揉まれたことねーとか、今更どんだけカマトトぶってんだよ。ビッチのくせにバカじゃね!?」
 巨乳は男に揉ませてからこそ存在価値があるってモンだと、みっちゃんは何やら暴言を吐いているけど、
「だからバカはお前だ貢。貞操観念がしっかりしてて良いじゃないか」
 熊ちゃんはこめかみを押さえて首を左右に振った。
「ホモマンガ描いてる腐れ女に貞操観念とか意味わかんねーよ! あいつらの心はぜってー真っ黒に汚れきってるぜ!? もうヤリマンと一緒ってモンだ! むしろその辺にいるビッチの方がよっぽど純情だっつーの!」
「救いようのない位に歪んだ価値観だな……。そんな輩に胸触られたら、若木みたいに泣きたくなるのは当然だ」
「ひでーこと言うな熊ちゃんよー! つーかさっきからやけに腐女子2号の肩持つじゃねーか! なんだ!? あいつのデカ乳にハァハァ萌えちまったのか?」
「さあな。でも若木は立派な奴だ。尊敬に値するぞ?」
「ちっ、何でお前らは俺様のすばらしさが理解出来ねーんだ……」
「大丈夫だ貢、お前も3回くらい生まれ変わって反省すれば、万が一にも尊敬できる様になるかも知れん」
「何だ? そりゃ遠回しに俺に死ねと言ってるのか?」
「否定はしない」
「おい、そこは否定しろよ!!」
 今日も親友達のトークは冴え渡っている。ボクは、みっちゃんと熊ちゃんが漫才やってるのを聞くのがとても好きなんだよねー。こんな日常が、これからもずーっと続けばいいのだけれど……。
「ところで、結局今日はあのうるさい女は来るの?」
 しかし、ボクは自ら心の平安を断ち切った。いくら楽しい時間が好きでも、やはり最低限にこなさなければならないことがあるくらいは、ボクにも分かってはいるのだ。むしろ鬱陶しい映画作りをさっさと終わらせて、早くこの日常を取り戻さなければならないよね。
「ああ、来るだろう。昨日貢がボコボコにされた後、気持ちを落ち着けた小岩井から来るって返事を聞いたからな」
「まぁあのチビッコは責任感は強いみたいだから、途中でおっぽり投げたりはしねーだろうよ」
 責任感が強い人は、昨日みたいに勝手に一人で怒り出して、途中でばっくれたりしないもんだと思うけどねぇ……。でもそんなことを言うとまた何か怒られそうなので、ここは黙っておくこととしよう。それが大人の態度ってヤツだよね。
「そんじゃま、ヤツが来るまで優樹の演技でも指導するか。とりあえず昨日撮ったシーンの続きからやってみろよ」
「んー、わかった」
 ボクは小岩井が来るまで待機していた部室の中で、昨夜自室で猛特訓した演技の程を精一杯披露した。練習の途中、部屋に乱入してきた母親に「一体何一人でしゃべってるの! 私はあんたをそんな寂しい子供に育てた覚えはない!」なんて酷いこと言われた位の熱演なんだから、みっちゃん達がびっくりするのが自明ってヤツだよね!
「……まぁ………昨日よりかはなんぼかマシ、か……?」
「うむぅ……。出来れば、もう少し感情込めてしゃべってくれると良いんだがな……棒読みと大して変わらん」
 せっかく一生懸命演技したというのに!!
「酷いことを言うー! だったら熊ちゃん、やってみてよ!」
「ああ、批判ばかりして手本を見せられないようじゃ、確かに誹りを受けても仕方がないな」
 熊ちゃんはボクの台本をちらっと見ると、さっきボクが演じたのと同じシーンを演じ始めた。
「……へぇ、この辺は秋になると山菜が採れるんだ、それでいっつも採りに来るの?……ふーん、食費が浮いて良いねぇ。え? 天ぷらにするとき小麦粉と油が必要だからあんまり変わんないって? 微妙にリアルな話だね、ハハハ……」
 なんてこった、なんかいつもの熊ちゃんと全然キャラが違う!
「こんなの熊ちゃんじゃないよー! 熊ちゃんはこんなケーハクそうなチャラ男じゃないよー!!」
「何言ってんだ優樹、役者ってのは全く別の人格を演じ切ってこそ本物だぞ!? 俺は常々思うんだが、最近のテレビドラマに出てくるヤツは、全然役を演じてねーんだ。自分自身がこの役をやるならこういう風に言う、ってヤツばっかりなんだよ。そんな連中、まったく役者じゃねーんだ」
「は? いきなり何??」
 みっちゃんが唐突に、またよく分からないことを言い出した。
「だからな、何をやらせてもいつも本人にしか見えねーヤツがたくさん居るだろ? ドラマの登場人物じゃなくって、その役をやってる役者本人だって見えちまうヤツ」
「つまり、演技が下手って事?」
「下手じゃねーんだ。演技すらしてねーんだよ。まるで、その役者本人が役者本人の物語として出演してるみたいなヤツ」
 要は物語の人物に見えねーってこったと、みっちゃんは言う。
「あー、うん、何となく分かる気がする」
 確かに、『どの役を演じても○○(本名)にしか見えない』って言われる役者さんって居るよねー。
「だから、普段はぶっきらぼうで根暗な熊ちゃんが、さっきみたいなチャラ男を演じるってのはスゲェ事なのよ。それが本物の役者ってヤツだな」
「根暗は余計だ、俺は無駄口を叩かないだけだ」
 むー、親友の新たな才能を発見してしまった。ちなみにみっちゃんが演じたら……この人キャラが不必要に濃ゆいから、多分駄目役者の方のタイプだねー。
「優樹、何か失礼なことを考えてねーか?」
「いやいや、全く。……ところで、あの女はまだ来ないの?」
 とりあえずボクは、こっちを熱い視線で見つめるみっちゃんから話題を逸らすため、まだ来やしない小岩井を持ち出したのだけれど……
「ん、確かにちょっと遅すぎるな。このまま待っていても時間の無駄だし、女子チームの部室に迎えに行くか」
「んだな、万が一ウジウジくだを巻いてたら、サクっと拉致ってやるぜ」
「んじゃボクは先に林に行ってるよー」
 ボクはさっさと避難を決め込んだ。わざわざ女子チームの巣窟に突貫して、部長に蹴られに行く事もないよねぇ。ただでさえ昨日の乱闘の後だ、またもや部長の挑発に載せられたみっちゃんが部長のスカートをまくり上げるとも限らない。下手すると本気でパンツ脱がせちゃって、今度は死ぬまで蹴られ続けちゃうかも。うぅ、あまりにも恐ろしい……。
「待て優樹。まだ小岩井が部室にいると決まったわけじゃない。バラバラになると面倒だから、今日はお前も部室に来い」
「めんどくさー。なんで男三人も揃ってあんなわがまま女迎えに行くのさー」
「そもそもお前が怒らせたんだろう、詫びの一つでも入れるのが筋というものだ」
 ボクは熊ちゃんに腕を捕まれて、有無を言わさず女子チームの部室に連れて行かれたのだった。てゆーか、これじゃボクが拉致られてるよー!

 そんな感じで、ボクら3人揃って女子チームの部室に向かっている最中だった。普段から人通りのほとんど無い階段(ボクらの部室は、もうほとんど使われていない旧校舎にあるのだ)を下りていると、下の方からいつもの鬱陶しい怒鳴り声が聞こえてきた。
「いい加減にしてください! 人を呼びますよっ!!」
「こんなところにほかのヤツなんか居るわきゃねーだろ! いい加減言うこと聞かねーと、テメーが前の学校でやらかした犯罪ばらすぞ!!」
「っ!? 何で、そんな事……!!」
「黙って欲しけりゃよ、相応の態度ってのがあんじゃねーかよ?」
「何ですか態度って……」
「あぁ? 私を犯して下さいとか、チンコ舐めさせて下さいとか、色々あんだろがよ!!」
「誰がそんなこと言いますか!! ……あぅ、ちょっと、やだ、やめてよっ!!」
「うるせぇなぁ、ガタガタ言ってねーで、やらせろって言ってんだよ! 前でもさんざん咥え込んで来たんだろ!?」
 その辺まで聞いて、ボクらは自然に階段を駆け下りていった。そしてなぜか先頭を突っ切って走っているのがボクだった。
「おい!! 何やってんだよお前!!」
 ついでに言うと、この怒鳴り声もボク。うあー、隣のクラスのヤンキーじゃんこいつ。なんでボクこんな輩に突っかかってんの?? 後で絶対シメられるよー……
「ああっ!? なんだよ一条!! ヘタレはすっこんでろクソが!!」
 そんな三文台詞で凄むヤンキーを改めて見れば、小岩井の着ていたYシャツが無理矢理引き剥がされ、はだけた胸部には慎ましい乳房を守るブラジャーが露わになっていた。
 いつもボクを怒鳴りつけるときの、彼女の意志の強さを象徴する瞳が恐怖と恥辱で涙に濡れ、そして、凛とした雰囲気を決して絶やさなかった、丸くて可愛らしい顔が、理不尽な暴力によって恐怖に歪んでいた。
 そんな光景を見せつけられたボクは、瞬間的に体中の血液が沸騰していた。目の前が暗くなり、周りの音が遠ざかる。反対に自分のドクンドクンという鼓動がやけに大きく頭の中に響き渡り、そして自分の顔にはまるで火に炙られたかのような熱さを感じていた。
 ボクがショックのあまり固まっている中、最初に口火を切ったのはみっちゃんだった。
「ヘタレだクソだはテメーだこのクズ。人気のねぇところで女のコ相手にヤらせろたぁ、到底ジェントルの言うセリフじゃねーよなぁ!」
「んだよ鐘持、テメーにゃかんけーねーだろうが!! 失せろボケ!!」
 そのヤンキーの罵声が偉く耳に障り、ボクの中で何かが弾けてしまった。
「……失せるのはお前だ! 小岩井に何してんだ、殺すぞ!!」
 そう叫んだボクは、既に自分自身を全く制御出来ない状態に陥っていた。まさに”勢いに任せて”といったところだろうか。力の調節がうまくいかずにぶるぶる震える手が、自然に目の前のヤンキーに伸びてゆく。
「優樹、それ以上は止めるんだ」
 そんなぶるったボクの腕を熊ちゃんが握り、その動きをがっちり制する。その力はとても強く、ボクのにわか馬鹿力では全く敵わなかった。
「ったく何でテメーらがこのアマ庇ってんだかわかんねーけどよぉ、そいつ、前の学校で人一人病院送りにしてるんだぜ!?」
「それは違う……!」
「あぁ!? 何が違うんだよ! 殺人未遂の前科持ちがよぉ、こんなとこ我が物顔で歩いてりゃ、躾けてやんのが親切ってモンだろうがよ!!」
「殺人なんてしてない! 私は……」
「いい加減に黙れよお前……小岩井が前の学校で何やったかなんて、お前なんかに関係ないだろう! それで何でお前が小岩井を強姦しても良いって話になるんだよ、おい!!」
 未だ熊ちゃんはボクの腕を掴んだままだったけど、しかしボクの口を塞ぐようなことはしなかった。ボクの暴走はまだまだ続く。
「お前の親切って何なんだよ! 小岩井が泣いてるじゃないかよ! 勝手に訳の分かんない理由付けて、自分に都合の良いことばっかり言いやがって!! 単なる脅迫じゃんか、聞いてんのかよ、おい!!」
「何一人で熱くなってんだよヘタレが! 何だ、テメーはこいつにたらし込まれて思い上がってんのか? ああ?」
「ふざけんなよ!! ボクはお前みたいに人に弱みにつけ込んで、好き勝手やってる馬鹿が大嫌いなだけだ!! 今度小岩井に近づいてみろ、本気で殺してやるからな!! もう二度と下らないちょっかい掛けるんじゃねーぞ、分かってんのかよ!!」
「ヘタレがギャアギャア喚きやがって、マジウゼー! 一条クンは、このアマのカレシだったんでちゅかー!  もうおチンチン入れさせてもらったんでちゅかー! 何度もお口で咥えてもらっちゃったんでちゅかー! あぁ!? そうでもねーなら、俺がどこ女と何しようがテメーにゃ関係ねーだろがよ!!」
「馬鹿にするな!! お前みたいなレイプ魔から女の子守るのに、彼氏とか関係ないだろう! 女の子見ればセックスすることしか考えない、お前みたいなヤツこそこんなとこ歩いてんじゃねーよ! 今すぐ消え失せろよ! 二度と小岩井の前に現れるんじゃねーよっ!!」
「言ってくれんじゃねーかよクソが、テメーちっとツラ貸せや! テメーの立場ってモンを教えてやるからよ……」
「もう、そこまでにしておけ」
 そう言って、ボクに手を延ばすヤンキーと、ボクの間に立ちふさがったのは熊ちゃんだった。
「あぁん!? 何だよ大熊、お前にゃ関係ないだろ!!」
「……俺はその辺にしておけと言ってるんだ。二度と同じ事を言わせるな、消えろ」
「……ちっ、テメーら覚えてやがれよ!!」
 ヤンキーはそんな教科書的な別れの言葉を述べ、階段を急いで降りていってしまった。
「うっせーバーカ! 俺らにそんな記憶力はねーんだ、二度と目の前に現れるなこのクズが!」
 そしてみっちゃんもまた、実に教科書的な返事を返す。
「やれやれ、災難だったな、小岩井」
 熊ちゃんが声を掛けた小岩井は、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。そんな彼女の姿を見ていると、またもやボクの身体に熱い物がわき上がる。
「お前もあんなヤツ相手にしてるんじゃねーよ!! 何でさっさと逃げないんだよ、心配させるなよ!!」
「……! あぅ、そ、その、ご、ごめんなさいっ……!」
 未だ抜けきれぬ恐怖で血の気の失せた顔で、大きく見開かれたままの瞳から、再び大粒の涙がこぼれ落ちる。
「おい優樹、いくらなんでも小岩井を責めるのは筋が違うだろう」
 そんな熊ちゃんの声は、申し訳ないけどボクの頭にはちっとも染みてこなかった。
「もしもボクらが来なかったら、とんでもないことになってたんだぞ!? 分かってんのかよ!」
「あぅぅ、その、私、ホントにごめんなさい……」
 この女は事態を本当に理解しているのだろうか。いくら突っかかってきたヤンキーが120%悪くても、あんなヤツをいちいち相手にするこいつはもっと悪い!
 ボクは怒りのあまり、小岩井の両肩を掴んで喚き続けていた。
「いくら謝ったって、何かあったら結局傷つくのは小岩井じゃんか! ボクはそんなの絶対許さないからな!!  もう二度と馬鹿なことはすんなよ、分かってんのかよ!!」
「あ、あの、その、は、離して……あぅ……」
「おい優樹、そんなに半裸の女のコをカックンカックン揺するもんじゃねーよ、どっちが襲ってんだかわかんねーぞ!?」
 さすがにボクの愚行に業を煮やしたみっちゃんが、後ろからボクの頭をひっぱたいてきた。そのショックで、やっとボクは素に返ることが出来た。
「あ!? あれ? ご、ごめん……」
 思わず掴んでいた小岩井の肩から慌てて手を離すも、その肩は今までのボクのショボイ人生の中で触れたことがないくらいに弱々しく、そして極めて華奢な物に感じた。たまにボクの酔っぱらい親父が言ってる”女のコは守ってやらなきゃ駄目だぞー”という言葉の意味するところを、実に深く理解できた瞬間だ。
 未だ残る小岩井の素肌の感触に、手をにぎにぎしていたボクだったけど、改めて彼女を見ればYシャツが大きくはだけてブラが見えたままだったので、とりあえず襟を持ち上げ彼女に着せてやり、ついでに前のボタンを留めてやった。
「あっ、あうう、その、自分で着れるから……その、あのぅ〜!」
 何やらうわずった声が超至近距離から聞こえるので視線をあげてみれば、さっきまで顔面蒼白だったくせにやたら真っ赤な顔をした小岩井が、ずっとあぅあぅ言っている。こいつのあだ名が”まう”っていうのも、こうして見ればぴったりなのかもなぁ……。
「優樹ー、見せつけてくれんじゃねーかよー! 天下の往来で女のコの服着せてやるたぁ、こりゃまたとんでもねージェントルッぷりじゃねーか!」
「ん!?」
 ちょっと待て。ボクは今何をやらかした?
 可及的速やかに最初から整理してみよう。まず、小岩井がヤンキーに絡まれていて、熊ちゃんがそのヤンキーを追っ払った。その後ボクは小岩井に対応の悪さを指摘し、とりあえず服が脱げたままだったから着せてああああああああああああああああああっ!!!???
 ない!! それはない!! 何でボクそんなことしちゃったの!? 意味が分かんない!!(いつもそう言っている小岩井の気持ちが、今はとてもよく分かる)
「い、いや、その、何というか勢いで………!」
「何だ何だ、優樹クンは勢いで女の子のお洋服着せちゃうんでちゅか〜」
 みっちゃんが、さっきのむかつくヤンキーの口まねをしている。
 何て恥辱!! 誰もが羨むお年頃の男の子が、こんな羞恥を受けて良い物だろうか!! あり得ない! あまりにもあり得ない!! 天が許してもボクは絶対許さない!!!
「わ、忘れて忘れて!! 小岩井はちゃんと自分でYシャツ着たの! ボクらは目ェそらして何も見てなかったの!! それでイイの! それでおしまい!! ね!?」
 最後のね?は、今までの人生の中で最大に気合いを入れた。
「う、うん……!」
 で、親友達がなんだか生暖かいというか、むしろオカンの眼差しでボクらを見ているんだけど、小岩井だけが律儀に頭をピコピコ上下させていた。
「よ、よし、では気を取り直して撮影に行こう! そうしよう!! タダでさえスケジュールが押してるんだから、サクサク歩いていこう!!」
 ボクはとってもにこやかな顔して、先陣切っていつもの撮影現場に向かって歩き始めた。

 ところでさっき、熊ちゃんはたった一言でヤンキーを追っ払ってたよねー……。ボク良く覚えていないんだけど、変な条件を出したとか、強烈にキツい脅しを掛けたりとかしてなかったよね?
 熊ちゃんって、実はこの学校の裏バンだったりするのだろうか……??


 その後撮影場所に着いたボクらは(ちなみに林に向かって歩き始めたボクはすぐに襟首を掴まれ、機材を取りに一旦部室に戻った事は些末なことだ)、昨日の続きのシーンから撮影を始めたのだった。もちろんボクの魂のこもった素敵演技によって、小岩井からは「意味が分かんない!」と何度も絶賛されたのは当然と言えば当然……なのだろうか。
 こうも毎回毎回怒られていると、そろそろボクも何かしら自分がその域に達してないのではないかと思い始めて来たよ……。
 ちなみに撮影は、女子チームに習ってボクらも自分達だけで撮影できる部分から撮影を行い、機械操作の感覚や演技の雰囲気に慣れていく方法を採った。でもこのやり方の唯一の問題は、撮影と完成品の時系列がバラバラになってしまうって事なんだよねぇ。実際の映画やドラマの撮影でも別に物語の時間軸通りに撮影しているわけではないのだけれど、そういうのはちゃんと役者さんや舞台装置のマネジメントが出来てるプロだからこそ出来る事なのだ。ボクらみたいにド素人の場合、髪の長さや周りの景色が完成時に逆行しない様に気をつけなければならないし、それに万が一ケガなぞしよう物なら、いろんな意味で終わってしまう。ただでさえ少数精鋭なのだ、一人欠けたらもう続行は完全に不可能だからね。だからこそ、今やってる撮影でも気をつけなければならないのだけれど……
「次、シーン3−5、始め」
 熊ちゃんがビデオカメラの録画開始ボタンを押したと同時に、ボクは演技を始める。
「へーえ、こんなところに……
「カット!」
 熊ちゃんはすぐにボクの演技を遮った。
「えー、何かボク間違ったー!?」
「だから何度も言わせるな……録画開始してからすぐに演技を始めると、編集するときトランジションを入れるゆとりが出来ないから5秒待てと言っているだろう……」
「あ、忘れてた」
「もう、意味が分かんない……忘れたって言ったの5回目よ?」
「ったく、いちいちうるさいなー」
 そう反射的に反論した物の、今日は小岩井の「意味が分かんない!!」という声にいつもの張りが感じられないのだ。普段は耳に刺さるというか、人の感情を逆撫でするような電波が多分に含まれているのに、そんな刺々しさがほとんど無くなっている。
 まぁさっきヤンキーに乱暴されかけたばっかりだから仕方ないよねぇ。でもこのまま大人しい感じでいてくれたら、それはそれで良いのだけれど。うるさくないし。
「始めるぞ。シーン3−5、始め」
 熊ちゃんの声と共に、ボクはその場で心の中で「1,2,3,4,5」と数え、演技を開始したのだった。
「へーえ、こんなところにでっかい洞窟があるじゃないかー」
 ボクたちは今、女のコと林を探索していて、例の洞窟に初めて出くわしたっていうシーンを撮っているのだ。
 ボクはその場でくるくる回って周りの景色を調べつつ、
「こんな地形はめずらしいねー。とっても怪しそうだなぁー……」
 と名演を続けていたのだけれど、
「あ、あぶない!」
 そんな、台本に無いセリフが聞こえてきたので「何間違ってんのー!」と突っ込みを入れてやろうと思ったら、
「うひょわっ!?」
 周りをロクに確認もせずにクルクル回っていたおかげで、足下に飛び出ていた木の根っこに足を取られ、ボクはその場で見事にすっ転んでしまった。
「ぐぇっ、あいててて!」
「あーあ、もう何やってんだよ優樹よー! テメー俺に何時間レフ板持たせたままにさせるつもりだー?」
「先が思いやられる……」
 熊ちゃんは重々しい溜息と共に、録画スイッチを押してテープを止めた。
「大丈夫!? ケガしてない??」
 未だ地べたの座り込んだままのボクに小岩井が駆け寄ってきて、身体のあちこちを見て回る。
「肘から血が出てるよ、早く洗わないとばい菌が入っちゃう!」
 そう言うと、小岩井は自分のハンカチをボクのすりむいて血がにじんだ肘に押し当てた。
「いいよー、こんなの勝手に直るって……」
 なんだか妙に照れくさいので、彼女の手を払おうとしたのだけれど、
「駄目!! こういうところでケガしたら破傷風とかになったりすることもあるんだから、すぐに洗わないと!」
 思いの外強く否定された上に、熊ちゃんにも、
「小岩井の言うとおりだ。一旦撮影は終わりにして、すぐに公園に行って傷口を洗うぞ」
 と言われてしまった。そして熊ちゃんはさっさとカメラの三脚をたたみ、小道具一式が詰まったバッグを背負う。
「優樹、いつまで座り込んでんだ、早く行くぞ!!」
「うん……」
 ボクはみっちゃんに急かされながらヨタヨタ立ち上がり、みんなが待っている方向に歩き出そうとしたのだけれど……
「うえぇ!?」
 久しぶりに、多分数年ぶりにすっ転んだ動揺が未だ下半身に残っていたのか、ボクはまたもや足をもつれさせて、ボクが来るのを見ていた小岩井に正面から飛び込んでしまった。
「あっ、あうー!?」
 そんな彼女のみっともない悲鳴が聞こえる中、ボクは小岩井を『ど根性ガエル』のピョン吉みたいに押し潰す事だけは避けようと、倒れ込む寸前に手を前に突き出して、彼女を地面との間でプレスするようなマネだけは回避することが出来た。万が一地面に倒れた小岩井を下敷きにしよう物なら、こんな成長不良のチビッコにどんだけ酷いケガを負わせてしまうか分かったもんじゃない。それにピョン吉みたいにこいつがシャツにこびりついたら、それこそ毎日毎日顔の下でギャーギャー喚かれるわけだよ? どんだけ廃なプレイなんだと。そんな同居生活、最悪にも等しいというのだ。
「あ、あ、あう、あう〜〜〜〜〜〜!!!!!」
 しかしだ。人がせっかく我が身を挺してボディプレスから避けてやったというのに、この女はさっきから何をあうあう言っているのだろうか。ボクはそんな事を、何かしら柔らかげな物に顔を包まれながら考えていたわけなのだけれど。
 ……柔らかい? なんだこれ?? この柔らかくて暖かかくて甘いにおいのする、ボクの顔を優しく包む双丘は一体何なんだ!? なぜこんな心地よいクッションがここにあるんだろう??
 係る事態を早急に収拾すべく、その柔らかい物の正体を探る為、ボクは双丘が作る谷間で顔を左右に振りつつ、その柔らかいものに顔をぎゅっと押し当ててみた。しかし、
「ふあっ、いや、ちょっと、やめてーっ!!」
 何か悲鳴じみた小岩井の声が頭上から降ってくる。
「おい優樹、こんなところで青姦たぁ、ちょっと気が急きすぎてんでねーか?」
 どうせやるなら家に帰ってから乳繰り合えやと、みっちゃんのあきれた声がする。
 …………………。
 うん、分かった。
 ボクはきっと、人生最大級にとんでもねーことやらかしてる最中なんだ。
 そもそも、こういう風に間違って女のコに倒れ込んでしまった場合、例えばエヴァンゲリオンではシンジ君はレイのおっぱいをむんずと掴んでいたよねぇ。それが普通だ。そう言うのが『お約束』ってヤツだよ。
 けどなんだ? ボクの場合そのおっぱいが自分の手ではなくなぜか顔の両端にあり、そしておなかのあたりの感覚を研ぎ澄ませてみれば、どう考えてもボクは今、この下に組み敷いた女の両太ももの間に身体を割り入れてることになっている。
 第一種接近遭遇がちょっと激しすぎるというか、もう完全に行き過ぎでは無かろうか……。
 ボクは努めて平静を保った顔のまま上半身を持ち上げ、そして視線を自分の腹の付近に落とした。案の定、小岩井の両足はボクの身体によって大きく広げる格好となっていて、しかも質の悪いことに彼女の衣装はミニスカートだった(幼い女の子を表現するためだとか)。
 もしもこれが市販のラノベだったら、絶対ここで挿し絵が入るね! 間違いない、保証すら出来る。いくら同級生達にチビッコと言われていても、まっとう至極な女子高生が両足をおっぴろげてぱんつが丸見えなわけだよ? むしろこのシーンを画像化しなくて、何が萌えなのかと。何がクールジャパンなのかと!

ぱんつ丸見えの図

「いや、ちょっと、見ちゃだめ……」
 一生懸命スカートを押し下げぱんつを隠そうとする小岩井がとても健気で、もう見ていられなかった。
 ボクはこれまた冷静を気取るとさっと立ち上がり(今回は足はもつれなかった。良かった良かった)、素知らぬふりで
「ごめん、立てる?」
 等と今更なセリフと共に手を差し出した。
「あうぅ……」
 羞恥に顔をゆがめ、真っ赤な顔して涙ぐむ小岩井はしばらくボクを睨めつけていたのだけど、何かもう色々と諦めたのだろうか、差し出したままのボクの手を取り立ち上がった。そしてふくれっ面の上目遣いでボクに対し、衝撃の言葉を放ったのだ。
「……見た?」
 ほぅ!? この女はここでそんなセリフを吐くのか!! すっごく意外。この場合は「意味わかんない、気をつけてよ!」とか「馬鹿! 変態!! 死ね!!!」とか「最っ低!! もう良いから死んでよマジで今すぐここで!!」あたりが妥当だと思っていたのに……
 だからボクは彼女の意志を120%汲むべく、
「見た。可愛かった」
 と、真顔で言ってやった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!!」
 髪を逆立てた小岩井は声にならない悲鳴を上げると、一目散に走り出し、昨日と同じようにばっくれていってしまった。
「優樹……。お前一体何をしたんだ……」
 こめかみどころか顔全体を押さえた熊ちゃんがそう聞くので、
「ぱんつが可愛いって言ってやった」
「そうか……。告白は時と場所を選んでくれ」
 それに今はその時ではないんだと熊ちゃんは言い、その場に座り込んでしまった。
「優樹、お前は勇者だぜ!」
 そしてみっちゃんは親指を立てて、ボクにとってもすっきりしたスマイルを向けてくれた。ああ、親友達のボクに向ける視線が、何か最近どんどん生暖かくなっていくよ……
 結局この日は、いやこの日もロクに撮影が行えずに、僕らはそのまま家に帰ったのだった。もちろん傷口は洗ったから、えんがちょ!とか言わないでね?


「優樹ー! 極めて深刻な事態に陥ったーっ!!」
 時は、小岩井のピンクの縞パンを拝覧した翌日の放課後である。
 今日から激しくめんどくさいことに、女子チームの部室で待ってる小岩井をボクらがわざわざ迎えに行くことになったので、自分達の教室から我らが古巣に移動している時だった。
 みっちゃんが大げさな身振りで何か言い出したよ。
「どうかしたのー?」
 あーあ、どうせまた変なモンにちょっかい出してドツボにハマったんだろうねぇ。この親友はなぜ同じ過ちを何度何度も飽きずに繰り返すのだろうか。いい加減学習って言葉を覚えようよ、みっちゃん……。
「実は先週から劇判を作り始めたんだけどよ……。洞窟の中で薫の死体見つけるときの、もの悲しくも感動的な曲を作ったのは良いんだが、いかんせん俺の技量が全くその域に達していなくてなぁ……どうしても俺が操るMIDIじゃ情感って言うか、そういうのが出し切れねーんだ」
 つくづく俺はショボイ人間だぜと愚痴をこぼすみっちゃんだけど、ついぞ昨日は俺様サイコー!とか言ってなかったっけ? 忙しい人だよねぇ。
「適当で良いんじゃないのー? あ、前に怒られた適当って意味じゃ無くて、ボクはみっちゃんのDTMはすごいと思うよ? だからみっちゃんが作ってもそれなりのレベルは出せると思うんだけど……?」
「違うんだよ、いや、その通りでも良いんだが!」
 一体どっちなのさ……
「だからよ、俺は自分の技量じゃ全く満足いかねーんだ! ぶっちゃけ言うと優樹、お前俺の楽譜でピアノ弾け! あの曲は、名器ハチプロをレコポンでぐりぐりしばいても全然駄目なんだよ! 手弾きじゃねーと細かいニュアンスが表現出来なくて、ちっともイケてねーんだ!」
 徹夜したけど無理だったーと、みっちゃんはその場でガックリうな垂れる。
「だーかーらー! 前から嫌だって言ってんじゃん……。それだけは本気で勘弁してよ!」
「それを分かった上で、改めてお願いしてるんだよ!」
 みっちゃんはそう言うといきなりボクの目の前に立ち、なんとその場で土下座を晒したのだった。
「うげっ、や、止めてよみんな見てんじゃん!!」
「これが俺の本気だっ!!」
 みっちゃんは廊下に頭をこすりつけたまま、全く動こうとしない。うわー、まじうぜー! 周りの人がクスクス笑ってるよー。だいたい普通に引くよね、何劇判ぐらいでこんなに熱くなってんのさ、本気でいい加減にして欲しい。
「優樹、ちょっと考えてみてはもらえないだろうか」
 隣にいた熊ちゃんすらも、ボクにそんな酷いことを言う。
「このバカがここまでしてるんだ。残念ながらそれなりの対案を示さないと、引き下がらないと思う」
 はみ出たプライドだけで生きてるようなヤツが土下座だからな、簡単にはいかないだろうと、熊ちゃんまでもボクに最後通牒を突きつけた。
 ボクだって、伊達にみっちゃんを親友認定しているワケじゃないんだよ。この人の性格やプライドの吹きこぼれっぷりの見事さは、誰よりも深く理解している自信がある。
 けど、それと同じくらいに、ボクはピアノが嫌いなのだ。これはそもそもどっちが大切かとか、そういう風に軽々しく天秤に掛けるような問題じゃない。比較対象ですらないのだ。
 だからといって、このままみちゃんを廊下にしゃがみ込ませて置くわけにも行かないのは自明だった。大体あと30秒もほっとけば、絶対に逆ギレして暴れ出すよー!
「……分かったよ、とりあえず考えてみる。でもまだやるってことは言わないからね!!」
 ボクは可及的速やかに問題を先延ばしするべく、そんな口から出任せを言った。とりあえず未来の自分の判断に任せることにしよう、大体なんだかんだと放っておけば、そのうちみっちゃん諦めて自分で作るだろうし。
「良し、それでこそ我が親友だ!! 期待してるぜぇ〜〜!!」
 ことのほか大喜びで、みっちゃんはボクの背中をばんばん叩いてくる。うあー、なんだか良心が痛むなぁ……。でもここで簡単に折れるようでは、そもそもボクのポリシーなんてその程度って事でそれはまたそれで悲しい証明だ。とりあえず、考えるだけは真面目に考えよう。答えは決まっているようなものだけどね。
 そうこうしているうちに、女子チームの部室についた。んー、ここに来るといつも緊張するよなぁ。開けたら毎回必ず伊東さんと部長に罵詈雑言を浴びせられるわけだよ。そしてみっちゃんが部長にケンカ売って、大ゲンカが始まるわけだ。今日は何発部長に蹴られるんだろ、主にみっちゃんが。
 でもそんなことを言っていても仕方ないので、ボクは勇気を持って、熊ちゃんがドアを開けるのをずっと見ていた。
「失礼します」
「こ、こんにちわ?」
「犯すぞビッチ共ー!」
 三者三様礼儀正しく挨拶をして、女子臭溢れる部室に入る。
「ちーす、三バカ共〜!」
「こんにちは。鐘持君、大熊君、一条君。そちらの撮影はどうですか? あまり芳しくないと聞いていますが、私たちも慣れない事で失敗続きです。お互い頑張らないといけないですね」
 早速伊東さんと部長による迎撃が始まった。「このヘボ役者共め、ちんたらやってんじゃねぇ。人間のツラ被ってんなら人並みにキメろサル共、ワシらの邪魔になろうもんなら速攻ぶち殺すからな」って所だろうか……。何度も思うが恐ろしい。そしてこの後に続くであろう、みっちゃんのお約束的そそのかされっぷりが、また余計に恐ろしい。
「まうちゃん、男の子達来たよ?」
 若木さんがそう声を掛けた小岩井は、椅子に座ったまま泣いていた。何だ? 昨日ボクにぱんつをご開帳したのが未だショックなのだろうか??
「あー、ちょっとまうっちはトラブルを抱えていましてね……」
 山科さんがボクらの元に来て、
「実は3組の不良がまうっちの変な噂を吹聴していまして、それでショックを受けられたようです」
 小声でそう伝えてきた。ボクらはそれにつられて頭を寄せ合い、小声で返す。
「変な噂って、前の学校で何かやらかしたって事?」
「いっちーはご存じでしたか」
「うん、前の学校で人を殺したとか」
「違げーだろ馬鹿、未遂なんだから半殺しだろーがよ」
「私も聞いたところでは、その様な感じでしたな」
「嘘くさい話だ。何かトラブルがあったのは事実だろうが、小岩井は人をケガさせるような奴じゃないだろう」
「私もそう思いますね。吹聴している本人自体に信頼性がありません。巷では『誰が正しいかではない。何が正しいのかだ』と聞きますが、それを鑑みても大部分が嘘であると言えましょう」
「なにその誰が正しいとかって?」
「そうですね。どんなに優れた人でも間違ったことを言うことがあるし、普段ふざけてばかりの人でも正論を言うことがある。あの人が言ったことだから全て正しい、あいつが言ったことだから全部嘘だ、と盲目的に捉えるのではなく、ちゃんと発言の中身を吟味して、正しいことなのか間違ったことなのかを発言毎に確認しなければならないって事ですな」
 うあー、山科さんも難しいこと言うなぁ。伊達にいつもマンガ描いてるワケじゃないって事なのだろうか?
「んー、でもあいつ気性が激しいし、あながち嘘じゃないと思うよー?」
 人殺し云々は誇張だろうけど、なんか普通に大ケガさせたとか聞いても全然違和感感じないんだけど……
「いっちーは何か殴られたことでも?」
「言葉じゃ何度も殴られたよ……」
「それはそれは。まぁ我々も所詮は野次馬です。勝手な憶測での決めつけだけは厳に慎みたいものです」
「その通りだ優樹。今までの小岩井の態度をよく考えろ」
 そんなこと言ってもなぁ…… ボク、何度も面と向かって暴言吐かれたんだよ? むしろ信頼性が上がるよねぇ。みんな小岩井の外見に惑わされてるんだよ、成長不良だからって子供みたいに純粋とかさ、そういうのこそ誰が正しいとか正しくないとかって奴じゃないの?
「……ごめんなさい、お待たせしました」
 ボクらの会話が一段落した頃、椅子から立ち上がった小岩井が目をこすりながら謝ってきた。
「……小岩井さん、ちゃんと映画は撮れそうですが? どうしても辛い場合は、お休みを頂くようお願いすることも考えてはどうですか?」
 そんな部長の言葉に、
「いいえ、大丈夫です、ちゃんと出来ます!」
 ご心配はお掛けしませんと 小岩井は何か意固地な返事をしているけど、部長は暗に「今日は失せろ小娘、しょぼくれた役立たずはうざいんじゃボケ!」と言ってる気がするんだよなぁ。下手の逆らって、後で蹴られても知らないよ? 何か代わりにみっちゃんが蹴られるような気もしなくもないんだけど。
「じゃあ行こうか小岩井。でも無理はしなくて良いからな」
 そんな熊ちゃんの言葉に
「大丈夫。ちゃんと出来るから」
 鼻をすんすん言わせながら、しかし瞳にはいつもの彼女の意志の強さを示す輝きが戻ってきていた。


 ボクらはその後撮影機材を担いで撮影場所の林に移動し、昨日小岩井がぱんつでばっくれたシーンから撮り直しを始めた。主人公が薫と連れだって林を調査していて、洞窟を見つける場面だ。
「こんな地形はめずらしいねー。とっても怪しそうだなぁー」
 ボクは昨日のみたく木の根っこに足を引っかけないよう、気をつけてクルクル回りながら名演を続ける。
「あー、こんなところに洞窟があるー。中を見てみようかー。中は真っ暗だなぁー、ひんやりとした空気が流れてくるなー」
「ぁ……ここは駄目……おにいちゃん、あっちにもっと素敵なところがあるよ、向こうに行こうよ!」
 一瞬狼狽えた小岩井が、瞬間的に表情を笑顔に変えて林の奥を指さした。んー、若干ぎこちなさが残ってるけど、役者としてはまぁまぁ見れたレベルだろうか……?
「えー、中を見てみたいなー」
 そして名男優たるボクは、この洞窟の奥に隠された秘密に全く気がつかない名演技を行いつつ、一歩一歩と洞窟の中に歩みを進めていった。
「そんなとこ見ても面白く無いよ、中に何にもないよ! あ、そーだ、とっても綺麗なお花が咲いてるんだよ、私だけの秘密の所なんだけど、特別におにーちゃんに教えてあげる!」
 ニコニコと笑った小岩井が、うざったいくらいにベタベタしながらボクにまとわりつき、曰くきれいなお花の場所に引っ張っていこうとする。たまに街にいるバカップルよろしくボクの腕に抱きついているもんだから、ボリューム不足だけど柔らかい胸が、ボクの腕にめいっぱい押しつけられていた。
 こいつ気がついてるのかなぁ……。それともわざとなのかなぁ……。ここで昨日みたく「可愛いおっぱい当たってるでー」とか言おうものなら、また一人で腹立ててばっくれちゃうだろうし、華麗にスルーするのが良いだろうね。
 しっかし、どうせなら若木さんとか伊東さんみたく、大きいおっぱいだったら良かったのになぁ! もっとダイナミックにプニプニ当たって、多分天にも昇る気持ちになるんだよー
「行こうよおにーちゃん!」
「うぁ? あ、ああ、そいじゃ行こうか、きれいなおっぱいの所へ……あ、いや、お花の所へ!!」
「??」
 ちょっと失敗しちゃったけど、熊ちゃんから止められなかったから問題なかったんだろう。やばいやばい、演技に集中しないと! それにこんな発育不全のちっぱいに現を抜かしたとなれば、死ぬまでロクなおっぱいに恵まれないあげくに、七代にわたってロリの誹りを受けるだろう……。それは誰もが羨むお年頃の男の子として、最大限に危機的状況である! 大体ロリはみっちゃんの専売特許だ。ボクは遠慮してノーマルを目指そう。大きいおっぱいを目指そう。
「カット! 色々突っ込みどころはあるが、もう終わらなくなるから次のシーンに行こう」
 やば、演技が真に迫りすぎて映画に見えなくなっちゃったって事かな? やっぱり学生製作の映画って事である程度のリミッターは必要だよね。まぁやり過ぎちゃったところは編集で何とかなるでしょう。
「優樹、小岩井、あっちの花が咲いてるところに移動するぞ」
「あ、うん」
「行こ、一条君」
 さっきまでニコニコ笑ってた女のコはどこへやら、いつも以上に素っ気ない顔した小岩井はさっさと一人で歩いていった。ちらっと見えた横顔は微妙に赤かったし、何かにムカついて血でも上ってるのかなぁ。ここでお約束的展開なら「さっさと行くよ、おにーちゃん!」とか冗談交じりで言うもんだが、まぁ所詮小岩井はそこまでスペックは高くなかったと言うことか……。つまらんなぁ。
「優樹、ぼさっとしてねーでさっさと来い!」
 レフ板を抱えたみっちゃんからも、督促を喰らってしまった。やばっ、集中、集中!
 ボクは慌てて走り出し、途中木の幹に足を引っかけて転びそうになりながら(結局転ばずに済んだけど)、みんなの後を追いかけていった。


 翌日。
 今日からボクたち2年生は、来年の受験に向けて進路指導が行われる事になっていた。放課後に一日2〜3人ずつ進路指導室に呼び出され、今後の進路について担任から何やらごちゃごちゃお小言を頂くらしい。全くめんどくさいよねぇ。人間、なるようにしかならないんだよ。だいたい進路なんて考えるだけめんどくさいから、卒業まで放っておいて欲しい。
 ちなみにボクの順番は、初日の3番目だった。名前の順がやたら早いというのは、良いことなのか悪いことなのか、非常に微妙な所だよね。さっさと終わって楽なのか、それとも傾向と対策が分からずに、変な回答したあげくにドツボにハマってえらい四苦八苦させられるのか……
 そんな憂鬱な放課後、ボクの呼び出しまでには少し時間があったので、その空き時間を有効活用すべくトイレを済ましておくことにした。そしてトイレに向かう最中、廊下に独り佇む小岩井を見つけた。彼女は窓から外を眺めているようで、つくづく暇なヤツは良いなぁ等と思っていたのだけれど、通り過ぎざまに彼女の横顔をじっくり見てやれば、いつもの生意気そうな瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちているではないか。なんだ!? また変な奴に絡まれたのか!? ボクは速攻で辺りを見回したけど、ボクの索敵範囲内には小岩井に手ェ出すような不埒な輩は見受けられなかった。なんだ心配させやがってと一安心し、けれどもなぜこの女がこんなところで涙を流さなくてはならないのかと、その理不尽さに激しい怒りを覚え、実に不思議な事にかっかと頭に血が上ってきた。しかし、これもまた謎なことなのだけど、小岩井の可愛らしい顔を見ていると不思議とそのイライラも収まってくるようで、ボクは感情の乱高下を幾度となく繰り返していた。
 そんな調子で、ボクは一体何秒位彼女のことを見ていたのだろうか。
「……何か用? 人のことずっと見ないでよ……」
 つんとした表情でこちらを見やるその顔には、既に涙なんて流れていなかった。あれ? こいつ今泣いてなかったっけ??
「あ、いや、別に……?」
「……今日も撮影、頑張ろうね」
 いかにもめんどくさーといわんがばかりの感情のこもらなさっぷりで、小岩井は呟く様にようにそう言った。こいつもなんだかんだ言って、本心ではやる気無いんだろうねー。まぁ、自分の与り知らない時に決められた映画作りに無理矢理付き合わされてるんだもん。そういう意味では、ボクもこの女も被害者というわけだ
 ところで、こいつ何しに文芸部に入ったんだ? そもそも我が部は男女ともに奇人変人の集まりだよ? あ、もちろんボクは唯一の例外たる一般人だけど。こいつ、何か文芸的なことでもやりたかったのかなぁ?
 ボクはそんな疑問を、目の前にいる女にぶつけてみようとしたのだけれど。
「一条、順番だってー」
 ボクの前だったクラスメイトからお呼びが掛かったので、進路指導室に行くことにした。何だ、結局トイレに行く暇もなかったよ。10分くらい余裕があったと思ったのに、早めに回ってるんだろうか?


「こんにちわ?」
 ボクは進路指導室のドアを開け、既に中で待っていた担任に一声掛ける。この先生、一応文芸部の顧問なんだけど、今まで部室で見かけた事なんて一度も無いんだよねー。ホントにやる気のない人だ……
「ああ、まぁ座れや」
「はいはい」
 ボクが担任の対面に用意されていた椅子の腰掛けると、先生は早速ごそごそと書類を取り出した。
「一条、進路調査票が出てないのはお前だけなんだが……?」
 そう言って、先生は真っ白な調査票をボクに突きつけた。
「あ、忘れてた……」
「まぁ紙なんて忘れても良いんだが、お前、自分の人生だけは忘れるなよ? 分かってるか?」
「いや、さすがに自分の人生は忘れませんってば」
 先生面白い事言いますねーと笑ってみたけど、目の前のおっさんはちっとも笑ってなく。
「あー、一条、結局進学するのか? それとも就職か?」
「えーっと……まだ決めてないんですけど?」
「そういうのを、人生忘れてるって言うんだよ。……まぁ冗談だけどな、いい加減進路を決めても良い頃だ。お前は割と分かってるから言っちまうけどな、この時期から俺ら教師はお前らの進路に合わせて教育方針を変えていくんだよ。進学する奴には受験指導をする、就職する奴には勉強よりも就職試験や一般常識に力を置くってな。でも未定のまんまだと、俺らもどうやってお前らを育てていいか判断がつかなくなる。すると、どっちつかずのまま学校を出て行くことになる。まぁそうなったらどうなっちまうか、いちいち言わんでも分かるよな」
「……将来を決めないとヤバいって事ですよね?」
「まぁ、今決める必要は無いんだよ」
 えー。結局どっちなのさー!
「今のところは方向性、だな。それが決められれば問題ない。やりたい事がまだ分かんなけりゃ、進学しちまうってのはアリだ。現に俺はそうだったからな。学費出して貰った親には到底言えないけどな、モラトリアムってのはお前らの特権だからな、活用して悪いことはないんだ」
「だったら進学でしょうか?」
「間違った答えじゃない。お前なら、今から死ぬ気で勉強すれば一浪で済むかも知れん」
 げーっ、ボクってそこまで成績悪かったっけ??
「まぁ半分は冗談だけどな、これから成績伸びる奴は極端に伸びるぞ? おちおちしてると、ホントに落ちこぼれるからな。で、話を元に戻すとな、進学ってのは知識を深めるという本筋の裏側に、進路って側面から見れば判断の先延ばしって機能もあるんだよ。つまり学校に行ってりゃ、自分が将来何をやりたいのか考える時間がまた貰えるわけだからな。けどな一条、ここが一番大切なことなんだけどな、大学行ってもやりたいことが見つからなかったら、もう取り返しがつかないって事だからな。要は、一回だけ許された延長って奴だ」
「あの、大学院は?」
「それはお前の親と相談しろ。学費高ーぞ?」
「うーん、ウチは貧乏だからなぁ……」
「だったら大学出て働くんだな。働かなければ単なるニートだ。もちろんそんなもんは駄目だ。誰も幸せにならない。周りよりも、本人が一番辛いからな。だから働け。どこで何をして金を稼ぐかは、幸いなるかなこの国は基本的に自由だ。お前の好きなことをやって楽しく働けばそれでいい。好きな事って言うと、趣味を仕事にするなとか言う奴が居るけどな、あんなのは仕事の出来ない奴のやっかみさ。ぶっちゃけ仕事で趣味の知識使うと強えーぞ? 好きこそ物の上手なれって奴だ」
「ボクは趣味もありませんが……」
「だったら趣味を作れ。お前ら部活で映画作ってんだろ? 何かのヒントになりゃしないか?」
「今のところは……」
「あとは、大学で専門知識を身につけるのも良い。それでそのまま研究者になるのもアリだ。大学の勉強で、興味持ったことを仕事にしても良いわけだしな」
「上手く見つかりますかね……?」
「まぁ、悩め悩め! それがお前らの仕事だ。俺らはいつでも相談に乗るからな、いつでもいいから相談に来い。そして、進路調査票は明日必ず出せな」
「えー、さっきこそじっくり考えろみたいな事を言ってたじゃないっすかー」
「方向性くらいはさっさと決めろ。それに俺の仕事が滞る。今日だって予定よりもかなり押してるからな」
 うわ、ついに本音がこぼれたぞこの不良教師め。大体あんた、顧問の仕事なんて何にもやって無いじゃないか、一体何が滞るってんだ!
「どうしても駄目なら明後日まで待ってやる。まずは進学か就職かだ。後で変えても全然問題ないから、でも考えに考え抜いた答えを書けよ。以上!」
「ありがとうございましたー」
 ボクは進路調査票を受け取り、指導室からさっさと出て行った。しっかし、いきなり進路とか言われてもなぁ、今のボクにとって、そんな遠い未来の話よりもおしりの処女の方がよっぽど大切だよー。またいつガチホモマスター若木によって、脚本がBL化するか分かんないからね!
 さて、今日もこれから映画撮影だ。適当に撮影をこなして、ガチホモが出てくる隙を与えないようにしなくちゃ。


「おまたせー」
 ボクが自分達の部室に着いたときには、既に小岩井が拉致られていた。ボクらが小岩井を迎えに行く時間の節約と言ったところだろう。
「よっし、ンじゃいこーか! しっかしえれー時間掛かったな、そんなにあーだこーだ問い詰められるんか?」
 今から憂鬱すぎるとみっちゃんは頭を抱えているけど、そんなに時間掛かったっけ? むしろ早めに順番回ってきて、担任が一人でべらべら喋ってたのを聞いてるだけだったから、まだ時間は早いと思うのだけれど……?
 そこでボクは、改めて部室の壁に引っかかっている時計を見たのだけれど、
「うそ!? もう4時過ぎてんじゃん!」
 今日は2時半には放課後になっていたはずなのだ。それから一人20分くらいで進路指導があったから、てっきり3時半くらいだと思っていたのだけれど……
「おかしいなぁ、進路指導にそんな時間掛かってたっけ? 呼ばれたの自体早かったと思うんだけどなぁ??」
 ボクが時間泥棒にかすめ取られてしまった貴重な青春のひとときに思いをはせていると、
「……一条君、ずっと私のこと見てたじゃない。廊下で。すごい恥ずかしかったんだから……」
 何やら小岩井が不服そうな顔してボクを睨んでくる。うあ、またこいつ顔が赤いぞ? 何一人で怒ってるんだか……。
「あー? なんだ優樹、チビッコにガンくれて時間が経つのを忘れたのか?」
 ずいぶん気合いの入った嫌がらせだなぁと、みっちゃんはニヤニヤ笑っているけど、
「んなこと無いよー。廊下で見かけたからちらっと見ただけだもん」
 人の顔見て時間忘れるとか、意味が分かんない! あ、またこいつの口癖が移っちゃった。
「ふむ、興味深い話題だが、撮影に行かないと日が暮れてしまう。急ごう」
「やべっ、ただでさえ優樹の演技がすごすぎて押しまくってるからな! 急ごうぜ!!」
 いやー、そんなにほめられると照れるなぁ……。えっと、褒めてくれてるんだよね??


「ほう、学校の仲間とはぐれてしまったのかね。明るければ街まで送ってやれるんだが、もう暗い。この辺は街灯なぞ無いから危険でな。今日はもう泊まっていかれたら良い」
「そーだよおにーちゃん、泊まってってよ! 今からじゃ街にも行けないし、仲間の人たちも探せないよ!」
 今の時代では既に絶滅したと思われる”お人好しの親子”がそこに居た。主人公が仲間とはぐれて山の中を彷徨っていたら、小岩井扮する薫に取っ捕まって自宅に引きずり込まれ、そこで一晩の宿の提供を提案して来たのだった。ちなみに親父の役は熊ちゃんだ。渋くて超似合ってる。マジ惚れそう。
「えー、でも申し訳ないですー」
「遠慮はいらんよ。どうせ我々二人しかいないんだ。以前はこの辺は集落があったんだが、いつしか皆居なくなって我々だけが取り残されてしまったんだよ。幸いインフラは通じているんだが、道の悪さだけはどうしようもなくてな」
「そーそー! 無理すると沢に落っこちちゃったりするんだよ!?」
「ああ、地の者でもケガすることがあるんだ。到底君一人を歩かせることは出来ないよ。この通り薫も久しぶりの客人で喜んでいる。我々のわがままを聞いてやって貰えないだろうか」
「イヤー、そこまで言われると断れないっすー。それではお邪魔しますー」
 晴れてボクは薫親子に迎えられ、山の中の一軒家……と設定している熊ちゃんの家に入っていった。さすがにいつも撮影している林には一軒家なんて建ってないし、仕方なく自分達の家で一番雰囲気が合っているところで撮影を行う事にしたのだ。ちなみにボクんちは知っての通りマンションだし、みっちゃんちは洋風の家なので使えない。唯一の和風でしかもボロっちく、あちこちガタの来ている風情豊かな熊ちゃん家が名誉ある撮影場所に選ばれたわけだ。
「ほいカット! いいぜーいいぜー、お前ら最高だ〜〜」
 変な声出してこの場を取り仕切るのは、しばらく役者の仕事がないみっちゃんだった。監督とカメラと照明を一人で行っている。何か安っぽいAVの撮影現場みたいだなぁ、実際の現場なんて見たこと無いけど。
「優樹、何やら失礼なことを考えていなかったか?」
 ボクをじっと睨みながら、熊ちゃんがおかしな事を言い出した。
「ええ? 風情のある家だなぁ、と……」
「何やらボロいだのガタが来ているだの聞こえたが……?」
「いやいや!? そんな事は決して言った覚えはないよ?」
 思った事は事実だけどさ、また知らないうちに声に出してたの? やばっ
「……こんにちは。いつも兄がお世話になっております」
 ボクは思考が声に出てしまう恐ろしい病に、知らないうちに冒されてしまった可能性を真剣に考慮し始めたんだけど、急に耳慣れない声がしたので後ろを振り返ってみれば、そこには偉い可愛い女のコが立っていた。髪は栗毛色のロング、人なつっこそうな柔らかみにある顔立ちに、なかなかのボリュームあるおっぱいを装備している。しかし年の頃は中学生と見た。うわ、マンガに出てくる巨乳美少女(ロリ担当)だよー
「いやっほー!! 熊ちゃんシスターキタ――――っ!!」
 奇声が上がったのと同時にみっちゃんがいきなり元気になったかと思えば、三脚からカメラをもぎ取って床に寝転がり、いきなりその女のコの足下から過大にアンダーな構図でカメラを回し始めた。
「あんっ、もう鐘持さん、やめて下さいよぉ〜〜!!」
 女のコは慌ててスカートを押さえ、カメラから逃げてゆく。
「へっへっへー! 俺がその程度で怯むかと思えぶぐぁしごぇあぶぅ!!!」
 ………。
 えっと、今何が起こったか説明するね。
 まず、みっちゃんがほふく前進しながら女のコのスカートの中を撮ろうと追いすがり、次に熊ちゃんが床に這いつくばってるエロカメラマンの上に乗っかり飛び跳ねながら歩いていった。
「貢、よせ」
 いやいや熊ちゃん、なんか生き物の口からは決して聞こえてはいけないような、極めて斬新な断末魔が響いていたよ!? てゆーかいつまでみっちゃんの上に乗っかったままなのさ、あんたそのタッパじゃ体重もそれなりなんだろうから、みっちゃん口から大切な物を全部吐き出しちゃうよ!
「ぐ、ぐふぅ……熊ちゃんのシスコンぶりは未だ健在なり……っ!」
 みっちゃんはまるで敵艦を道連れに自沈する艦長の様なすっきりとした顔で、辞世の言葉を遺して旅立って行った。くたりと力の抜けたその身体には、もはや魂の残り滓すら遺されてはいない……
「煩悩はまだいくらでも残っているようだがな」
 この期に及んで生き汚い奴めと、未だビデオカメラを女のコ(のスカートの中)に向けたままのみっちゃんの亡骸の上で、熊ちゃんはもう一ジャンプする。
「ぐぇ! いい加減降りてくれ、本気で死ぬだろーが!!」
「お前が黄泉路を急ぎたいというので、友として力を貸しているだけだ」
 熊ちゃんはみっちゃんからビデオカメラをひったくると、ようやく彼の上から降りたのだった。
「あの……あの子だれ?」
 今までの親友同士の他愛もないじゃれ合いを見ていた小岩井が、ボクの腕をつんつんしながら聞いてきた。
「うん、多分熊ちゃんの妹さん。ボクも初めて見るけど、多分そうだよ。みっちゃんが可愛くて巨乳だって言ってたし」
「……それは私への当てつけなの?」
 小岩井は両手を自分の胸に当て、また顔を真っ赤にして怒りながらボクを睨む。
「へ!? 何のこと??」
 いちいち自意識過剰だよねぇ、こいつ。そもそもボクが何を言ってもそのぺたんこな胸が大きくなるワケでは無いのだし、それにボクは胸の大きさで女性の価値を計ったりしない立派な男の子なのだ。形が良ければそれでいいんだよー
「もう良いわよ……。妹なんだ、何か大熊君と似てないね」
「うん、みっちゃん曰く『熊ちゃんとDNAのオリジンを共有している事実はまさに神のしゃっくり』だそーで」
「神様のしゃっくり!? 確かに否定出来ないわ……」
 こいつ今の言葉が通じるのか……。中々に、このまうという女は侮りがたいところがある。
「あ、お邪魔してしまいましたか?」
 熊ちゃんの妹はちょっと心配そうな顔してボクらを見ているけど、
「大丈夫だ。ここにいると穢れる。向こうに行っていなさい」
「兄さん、そんな失礼なことを言ってはいけません!」
「う、す、すまん」
 うっわー、熊ちゃんが負けてるよ、妹さん強えー!! そのしょげ返った様子はまさに怒られた子犬だ。くぅぅ〜んと切ない鳴き声が聞こえてきそう。ボクはまた親友の新たな才能(?)を発見してしまったようだ。
「これ以上はお邪魔になりますし、それでは失礼致します。このような不出来な兄ですが、どうぞこれからもよろしくお願い致します」
 妹さんはきっちり腰からお辞儀をすると、家の奥に戻っていった。
「まいがー!! 熊ちゃんシスターが行ってしまった! もうこんなジャンク屋にいる価値なんてまったくねーよコンチクショー!!」
 いつの間にか起き上がっていたみっちゃんが本気度120%で悔しがり、熊ちゃんはそれなら二度と来るなとつれないことを言っている。
「さあ、撮影の続きを始めるぞ。貢、早くカメラの準備をしろ」
「へいへい、おにーさまは出来た人デスヨー」
 みっちゃんは未だにぶつくさ言いながら、カメラとレフ板の準備を始める。
「人の妹にちょっかい出す暇があるなら、早く自分の妹と仲直りしろ」
「えっ!? みっちゃんって妹居たの!?」
 うそー、今まで全然聞いたこと無かったよ?? ボクは今まで、親友の一体何を知っていたというのだろう……
「あんなのは居ないのと同義だ……。あの愚妹はちっとも俺様の真の値打ちを理解しちゃいねー」
 こんなアニキ、世界中探したってそうはいないぜってみっちゃんは言うけど、そりゃあんたみたいなのがあと何人もいたら、人類割と滅びるよ?
「ねぇ熊ちゃん、みっちゃんの妹ってどんななの??」
「いちいち聞くな、優樹よー!」
 半ば悲鳴に近い声がするけど、ここは謹んでスルーさせて頂こう。みっちゃんの妹、すっごい興味ある!
「まぁ、一言で言うと大和撫子だな」
「大和撫子!? 部長と似てるとか??」
「いや、部長は見た目は確かに大和撫子みたいだが、性格は割とフランクだし冗談も通じる常識人だ。しかし貢の妹は、そうだな……まるで抜き身の刃の様なところがあってな、厳格で冷徹、潔癖にして高潔。冗談なぞは一切許さない、完成され尽くした人間だ」
「……神様のしゃっくり?」
 小岩井が絶妙なタイミングで突っ込みを入れた。GJ!
「いや、頑固で一本気なところは兄妹そっくりだぞ?」
「おいおい、もういい加減あの半人前のことは忘れてやってくれや……」
 いつもは不用意に元気いっぱいのみっちゃんが、なんだか元気が無くなってるよ。妹パワー、恐るべし!
「へぇー、そんな性格じゃみっちゃんとしょっちゅうケンカしてそうだねー」
「ところが見た目も大和撫子なもんだから、あの貢を持ってしても気後れしてケンカにならんらしい。気丈に泣くのを我慢している小さい女の子相手に、本気で暴力をふるう下衆になった気分がするとか」
 うひゃー、そりゃずいぶんとキッツいシチュエーションだねー! 常人の男ならば、自分の矮小かつ悪辣ッぷりに、自ら肥だめに飛び込んで慚死するくらいの罪悪感を感じるよー
「そういうわけだ優樹……。オマエも男なら、俺に今以上の辛い思いをさせないでくれ……」
 みっちゃんついに泣き出したよ。親友にとってこの話題はトラウマレベルの話だったという事か。けどボクは一人っ子だから、兄妹がいるのって全然わかんない感覚だよねぇ。
「そういえば、小岩井は姉弟とか居たりするの?」
「いいえ、私は一人よ。一条君は?」
「ボクも一人っ子だよー。姉弟てどんなモンなんだろうね?」
「私もわかんない……」
 まぁ今更母親に「弟妹産めや」だの言っても死期を早めるだけだろうし、貧乏に磨きが掛かるだけかも知れない。ボクはこのまま一人っ子を満喫するとしますか。
「じゃあ、次のシーンだ。主人公が宿を借りることにして、夕食を食べるところからだな。ついでに晩飯を食っていってくれ。居間に食事の準備を頼んでいる」
「もしかして熊ちゃんシスターの手作りか!?」
「違う。母親だ」
「ちっ、それでも熊ちゃん家の飯は絶品なんだぜ、コンチクショー!!」
 みっちゃんは不思議なテンションを保っていた。よっぽど熊ちゃんの妹のことが好きらしいね。ところで、とりあえず食事は楽しみだなぁ。ウチの母親、あんまり料理得意じゃないからおいしくないんだよねー
「あ、後で熊ちゃんのお母さんにお礼言わないと」
「ああ、妙に気合い入れていたから喜ぶだろう」
 ボクらは撮影道具を担いで、食事の準備が済んでいるという居間に移動した。
 するとそこには、とうてい父と娘の二人っきりで質素な暮らしをしていると全く思えないくらいにゴージャスな料理が、ちゃぶ台の上に所狭しと並べられていたというのは、割と良くある日常だと思う。
「……すまん、まずは必要ない料理を片付けるところからだ……。かーちゃん! 質素な料理って言っただろー!?」
 うあー、また素の熊ちゃんが見れたよ。なんだか微笑ましいなぁ。その後熊ちゃんとその母親の大げんかを横目で見つつ、まずは今作ってる映画に到底似つかわしくないくらいに美味しい料理をガッツリ食べるところから始めたのだった。


 家に帰った。
 満腹満腹、料理は超おいしくてその後撮影なんかやってられねーって位だった。一応ちゃんと撮ったけどね。
 夕食(の撮影)後、小岩井は門限があるというのですぐに帰宅して、残ったボクらはしばらく熊ちゃん家で遊んでいった。もちろん、隙ある度に妹にちょっかいを出そうとするみっちゃんを、その都度熊ちゃんがボコボコにするという実に楽しいお約束も催された。一度はお風呂まで覗きに行き(後でこそっとみっちゃんが教えてくれたところによれば、ぱんつまでは見えたそうだ)、見つかったみっちゃんが手足を縛られ浴槽に頭から沈められそうになったというハプニングも、決して忘れられないサプライズだよね。

「ゆーちゃん、ちゃんと大熊さんのお母さんにお礼言ったの!? いつもご飯ご馳走になったらちゃんとお礼しなさいって言ってるでしょう!!」
「言ったよ、うるさいなー!!」
「うるさいは余計でしょ! 親に向かってなんてこと言うの!!」
「いちいち言われなくてもちゃんとしてるって、あんた少しは自分の子供を信じたらどーなのさ!!」
「あんた今まで人に信じて貰うようなことちゃんとしてきた自覚はあるの!? あんたが外で馬鹿やってると、お母さんが恥かくんだからね!!」
「分かってるってうるさいなー!!」
「親にうるさいなんて言わないの!! それに今日学校の先生から電話があったわよ! 進路調査の紙をちゃんと出しなさいって! 何でそんな大切な物をちゃんと決められた通りに出せないの!!」
「分かってるってうるさいなー!! 同じ事何度も言わせるなよー!」
「あんたが勝手に言ってるだけでしょ! 良いこと、ちゃんと紙は出しなさいよ! そもそも、あんた一体進路どーするの! 今まで全然そんなこと言わなかったから、お母さん先生に恥かいちゃったじゃないの!!」
「うるさいなー分かってるってば!!」
「何が分かってるのよこのバカチンが!! 分かってるなら今すぐ高校出たら何するか言ってみなさい!!」
「適当にやるってば、迷惑掛けないからほっといてよー!!」
「そんな言葉で誰が信じるのよ!! 適当って何よ、適当にやっててまともな大学なんて入れるわけ無いでしょう! あんた受験がどれだけ大変か分かってるの!?」
「誰も大学行くなんて言ってないじゃん!!」
「人の言葉尻捉えて言い負かせた気にならないの!! どうせあんたには就職する度胸なんてあるわけ無いじゃないの!」
「何でそんなこと言い切るんだよ!」
「17年付き合ってれば、あんたのヘタレ加減くらい分かるのよ!!」
「自分の息子をヘタレって言うなこのくそばばー!!」
「だったら自慢の息子になりなさい、このバカ息子!!」
「うるせー! これ以上馬鹿だのヘタレだの言うといい加減グレるぞー!!」
「そんなつまんないことでいちいちグレるようなバカ息子は産んだ覚えもなければ育てた覚えもなければ、ついでに言うと17年も付き合った記憶もない!!」
「うるせー! くそばばー!! でていけー!!!」
「やかましい! こんな夜遅くにご近所にご迷惑でしょ!!」
 母親はボクの部屋から出て行くとき、持っていた料理の本(しかも角)でボクの頭をしこたまぶちのめしていった。
「ぐへぇ!! いくらなんでもそこまでやるかこのクソママン……」
 そんなボクの罵詈雑言は、誰にも聞いて貰えなかった。そして目の前では、自室のドアがバタンと大きな音を立てて閉じられた。全く、これだからヒステリー持ちは困る。少しは我が子を信用しろと言うのだ、未熟者の母親め……
 ボクは自分のショボさを棚に上げ、一通り母親の悪口を並べてからベッドに寝転んだ。
 ところで、いつもは心優しいボクが何でこんなに不機嫌かというと。
 隣の家から、あの鬱陶しいピアノの音が、延々響いてくるからに他ならない。この音さえなければ、あの未熟者(もちろん母親のことね)に何を言われても可憐にスルー出来るはずなのに。
 しかし、ボクは誰もが羨むお年頃の男の子だ。血気盛んと言い換えて貰っても構わない。つまり虫の居所が悪いと、少々感情的な態度をとってしまっても仕方ないということなのだ。
 若者特有の、感情爆発のわずかな発露くらい、親たるものは受け止めてやるのが正しい姿だと思う。それをいちいち突っかかってきて、ホントにむかつく。
 ……………。
 しっかし、このせっかちなピアノの音はいつ止むんだ!? そんなにボクをイライラさせるのが楽しいのか!? そんなにボクを追い詰めたいのか!?!?
 実際、この辺からボクは頭に血が上って、完全に自制心を吹っ飛ばしていたのだと、後から思い出せばとにかく恥じ入るばかりだ。だいたいピアノの音がどうのこうのと大騒ぎしているが、薄いとはいえ壁の向こう側で鳴っているのだ。こちらでテレビを付けていれば気がつかないくらいの、あえて言えば小さな音である。自分の耳の良さか、はたまた狭量すぎる器のなせる技なのか、その辺の頭の悪い暴走族のバイクの音がよっぽどやかましいだろうに……。
「あー!! もううるさいなー!!!」
 ボクはベッドの上でじたばた暴れながら、悲しい位に醜態を晒していた。しかし、そもそも普段ならば、決してここまで怒り狂ったりしないだろう。
 直前まで、熊ちゃん家でせっかく楽しいひとときを過ごしてきたばかりだというのに、ピアノの音がボクの魂の安寧をぶちこわし、一気に憂鬱モードに強制変換してくれたのだ。そりゃ反動が掛かって、怒りもいつもの2倍増しという物だよ。
 ピアノの曲はサビに向かってより一層激しさを増し、ボクの怒りゲージのオーバーフローッぷりも、それに比例して拍車がかかる。
「あー!!! もううるせーぞこのばかたれ―――っ!!!!!」
 ひとしきり喚いてから、ボクはあろう事か隣家との間を隔てている、あの薄っぺらい壁に思いっきり蹴りを入れたのだった。
 その瞬間、ピアノの音がぴたりと止まった。
 もちろん、ボクの怒りもぴたっと止み、ついでに顔面も真っ青になる。
 ざまーみれ隣を怒らすと怖いんだぞーとか、そんなアホな思考は一切浮かばなかった。品行方正を旨とする隣人(ボクのこと)の態度としては、今のは最悪だった。確実にやりすぎた。マナー違反も良いところだ。
 やっべー、怒らしちゃったかも!と、ボクは一瞬のうちに何度も自分の愚行を後悔する。
 何が、誰もが羨むお年頃の男の子だ。こんなのは、癇癪起こしたお子様のやることだ。人として駄目すぎる。
 そんな、今更で調子ぶっこいた反省を次から次へと高速処理していたのだが、
 ドカンッ!!!!!
「うきゃあっ」
 怖えーっ! 向こうも蹴り返して来やがった!! マジあり得ない、何でこんなことになっちゃったんだ!?
 てゆーか隣でピアノ弾いてるヤツは一体どんなヤツなんだと。日頃のせっかちな弾き方といい、壁まで蹴り返してくるといい、間違いなく偏屈なオッサンだよ。きっと芸術家気取りでむさっくるしいヤツなんだろうねぇ……
 隣人から思ってもみない報復措置を受けてビビリあがったボクは、続けざまに起こるコトの推移に完全に乗り遅れ、為す術無く部屋の真ん中で呆然と立ち尽くしていた。そして、さきほどの壁を蹴られたショックからか、壁に作り付けの棚が外れて真っ逆さまに落っこちた。
「ひぇぇ〜〜〜!!」
 ガラクタが床に散らばる激しい音にビクビク震えながら、ボクはつくづく自分の無思慮と、それを上回るチキンッぷりに戦慄すら覚えていた。でも怖い物は怖いのだ。お年頃だろうと癇癪だろうと、生き物としての根源的な恐怖には、中々勝てないものなのだ。とりあえずこのまま大人しくして、隣の怒りが収まるのを待とうか。それか、もう布団の中に潜り込んで寝ちゃおうか!?
 ボクはひたすら、また隣が機嫌を直してピアノを弾き始めるのをずっとずっと待っていた。やがて、そんなささやかな願いが神様に通じたのだろうか、隣からは今まで以上にアタックのキツい、ギスギスした曲が流れ始めたのだった。
 まぁ、ピアノ弾き始めたのなら、何とか機嫌を直したのだろう……。ボクは自分の部屋の中だというのに、極力物音を立てないように抜き足差し足で壊れた棚に近づき、床に散らばったガラクタを片付け始めたのだった。
「ありゃりゃ??」
 それはすぐに見つかった。一ヶ月くらい前に拾ったあのきれいな石。それが真っ二つに割れていたのだ。なんてコトだ、これはダイヤモンドじゃなかったのか??
 ボクは二つに分かれてしまったきれいな石を両手に持ち、破断面を合わせて割れる前の形を作ってみる。ぎゅっと力を入れて二つを押しつけてみたけど、当たり前だがもうくっつきはしなかった。あーあ、こんなことなら引き出しの中にでも入れておけば良かった。
 今まで以上にきらきら輝き始めたきれいな石を机の上に置き、ガラクタをさっさと片付けたボクは、そのまま布団に潜り込んで寝てしまった。
 なんだか、今日は色々あって疲れたなぁ……
 壁蹴ったのはまずかったなぁ……
 明日、隣からクレーム入らないと良いなぁ……
 その前にあの未熟者(だから母親のことね)の機嫌が良くならないと色々メンドウだなぁ……
 映画作るのもメンドウだなぁ、BLにならなきゃ良いけど……

 その時のボクは、いくつも沸いてきた問題の対処法について、その時なりに考え答えを出し、これからの自分の身の振りようについて様々な考慮を巡らしていたのだけれど。
 翌朝に自分の身に起きた、あのとんでもない事態を目の前にしては、それはもうどうでもイイくらいに些末な事であったのを、後になってつくづく思い知るのであった。

2 いくらなんでもこりゃねーよ!

「ゆーちゃん、おーきーてー!」
 そんな若い女性の声で、ボクの安眠はぶち壊されてしまった。
 極めて非常事態である。かなり深刻な事態に陥ってしまったようだよ?
 朝っぱらから女の子の声で起こされるなんて、何そのギャルゲの主人公!?みたいな素敵な立場を、ボクは一体いつ手に入れたというのであろうか。
 全くあり得ない! そもそもボクには、朝から起こしに来てくれるようステディな関係の女の子など、人生に一度足りとも居た試しはないのだ。
 だいたい普段は目覚し時計の無遠慮な音にたたき起こされているし、それに万が一時計が動かなかった場合、ママンの罵声に近い声が耳朶を打ち、ついでに布団たたきで全身をバカバカ叩かれたりという、まさにネグレクト寸前くらいの秀逸かつエレガントな起こし方をされているのだ。それが通常の対応ってヤツだよ。極めて常識的な朝のひとときだ。
 けど何さ、今さっき聞こえた声は! これは相当に質の悪い悪夢だよ?
 朝から女の子に起こされちゃいましたみたいなパラダイスが如きベタな妄想が、よりにもよって夢の中まで侵入してくるなんて、どんだけ女の子に飢えてるんだと。どんだけ色々溜まってんだと。
 ぶっちゃけ悲しくなる!! だいたいボクは、なんてヒネリも工夫も無い、ド直球な妄想で夢見てるんだ。せめて朝からディープなチューして貰ったとか、頭とかその他敏感な諸々を優しくナデナデして貰ったとか、そのくらいのエロ方面での創意を働かせる根性すら無かったのかと。
 だからボクはさっさと寝直して、もう少しまともな夢を見直すべく布団を被り直した。そうでもしないと、新聞配りのバイトの最中に、我が身の孤独の寂しさを思い知らされ悶絶したあげく、ダンプに轢かれてとっても寂しいことになっちゃうじゃないか!
「ゆーちゃん、もう遅刻しちゃうよー!!」
 けれど、ボクがいくら懸命に寝ようとも、この鬱陶しい声は止まないどころか肩まで揺すってくる。おこがましいのも大概にしろと言うのだ。そもそもボクは、重ねて述べるが誰もが羨むお年頃の男の子である。昨夜は癇癪出してちょっと失敗しちゃったけど、大体においてこういうお年頃の男の子足るべき者、彼女の居ない寂しさに毎夜身もだえ嘆き悲しみ我が身をしこしこ慰めつつ、エア彼女といちゃつく妄想に耽るのが、極めて健康的な嗜みだと言えるだろう。むしろ男子としての本懐であるといっても過言ではない。
 しかしである!
 なぜ故か、この、夢と考えるのもそろそろ怪しいと思えるくらいの現実感を持ちつつ、さっきから『起きれやゴルァ』と脅迫しまくる声に、ボクは延々肩を揺すられ続けなければならないのであろうか。
「ゆーちゃん!! 起きなさい!!」
 そしてである。
 ついにその非現実的事象とも言える鬱陶しい声が現実事象に転化され、実際には布団を引っぺがされて、ボクは強制的に叩き起こされたのだった。
 なんて新鮮! あのヒステリーママンでさえ、こんなマンガじみた起こし方をしたことはなかったぞ!?
 ボクはもうこれが夢だろうと何だろうと良いやとやけっぱちになり、やっと目を開けてその鬱陶しい声の主のツラでも拝んでやろうとしたのだけれど……
「どこ? ここ??」
 それが、ボクの思考の全てだった。
 目をこすり、改めて自分の置かれた状態を確かめてみる。
 まず、見慣れたつもりの自分の手が、何か微妙に節くれ立っている。視線を少し上げて見れば、そこにあるはずの自室の壁、それが全く見覚えのない物に変わっていた。つまり、壁紙は違うし、見たこともない家具が置いてあるし、覚えもしないところに窓があったりする。そして視線を下げてみれば、自分は見覚えに無いパジャマを着ていて、それに見覚えのないベッドにこれまた見覚えのない布団に寝ていた(半分奪われた後だけど)
 そしてもう一度視線を上げ、さっきから聞こえていた鬱陶しい声方を見てみれば、そこにはショートカットの可愛い感じのおねーさんが、ぷんぷんしながらこっちを睨み付けていた。
 誰だこいつ? 何かどっかで見たことがあるような気がしなくもないけれど、多分今まで会ったこと無い人の顔だよねぇ?
「あの、ここはどこ? そしてあなたは誰??」
「もー、朝から何寝ぼけてるの!? それとも何かギャグでも言ってるつもり?」
 おねーさんは全然笑えないとか言ってるけど、いや、こう言っては何ですが自分、もうあまりのコトにオシッコちびりそうなくらいにビビったあげくに、結構マジな質問をしているつもりなんですがそうは見えませんか? そうは見て貰えてないようですね??
「あー、そういえば昨日ボケたコト抜かしてたらこれを渡してくれとかって言ってたっけ……」
 おねーさんは一人でブツブツ言いながら、ボクに使い込まれた感じの手帳を手渡してくれた。
「昨日、付箋付けたところから読めって言ってくれって言ってたけど……自分で言ってて覚えてないの?」
「覚えてません」
「……大丈夫?」
「駄目かも知れません」
「もう、駄目なら駄目で良いから……とにかく早く着替えて朝ご飯食べてよー!」
 ……とは言われても。
 なに? とりあえず付箋の所から読めばいいの? ボクは着替えをするふりをしつつ(だっておねーさんがこっち睨んでるんだもん。てゆーか着替えの服とかどこにあるか分かんないし、さてどうしよう?)、手帳の付箋のページを開いた。

『10年前の自分へ』

 おいちょっと待て。何だこの偉く衝撃的な宛先は!? 10年前だ!? どういうコトだ??

『とりあえず落ち着け。お前はバカだからこの手帳の通りに動けばそれでいい。余計なことは一切するな。もう一度言う。落ち着け。それとお前はバカだから余計なことは一切するな。それが実行出来たら次のページを見ろ。実行出来なかったら”自分はバカだから手帳の通りに従う”と心の中で100回言え。今すぐにだ』

 酷くない!? こんな短い文章にバカって3回も書いてあるよ!? ボクは落ち着いた振りをして次のページを見た。

『どうせ落ち着いていないだろう。いい加減自分のバカさを認めて、この手帳の通りに従うと覚悟を決めろ。その上でもう一度命令する、落ち着け』

 だからもういい加減落ち着いたよ! 結局ボク、なんか知らないけど10年後の世界に来ちゃったんでしょ!? てゆーかそんな状態で落ち着けって無理だよああどうしようどうしようどうしよう!!
 ボクは力一杯焦りながら次のページを見た。

『だから落ち着けと書いてある。この手帳の通りに行動すれば、間違いなく安全に10年前に戻れる。実証済みだ。だからとにかく” 落 ち 着 け ”。分かったら次のページを見ろ。万が一まだそのバカな脳みそに染みていないようなら、大切な事だからもう一度書く。”お前はバカだ”』

 そっちかよ!! もういいよ! 落ち着いたよ!! どーせボクはバカだもん! だからなんだってんだいちくしょーめ! ……何かいい加減冷めてしまったボクは、次のページを見た。

『落ち着いたのならそれでいい。まず服を着ろ。お前の寝ているベッドの左の方に、黒のスーツが掛かっているはずだ。取り急ぎそれを着ろ。着たらキッチンに行って朝飯を食え。食い終わったら自分の女房に「おいしかったぜベイベー」と言うのを決して忘れるな。ちなみに心を込めて言え』

 どっちがバカだよ! なーにが”おいしかったぜベイベー”だっつーの!! バカじゃね!? 本気でバカじゃね!? てゆーか女房!? 誰それ?? そんな人どこにいるの?????
 ボクは急いで次のページを見た。

『いいから早く飯を食え』

 はいはい、分かったよ! ボクはエラい上から目線のこの腹立たしいコト限りない手帳の指示に従い、スーツを着ることにした。確かに左の方に視線を移せば、壁に取り付けてあるフックか何かに掛かったスーツ一式が見て取れる。ボクはパジャマを脱ぎ、そのスーツに手を通した。なんだか着慣れない感じだけど、サイズがぴったりなところを見るとやっぱりこのスーツは自分のものなんだろうねぇ。ちなみにボクの通っている高校は、正式にはネクタイを着ける制服なので、ボクは高校生の身の上でいっちょ前にネクタイを締めることが出来るのだ。ほめてほめて〜♪
 そして誰も褒めてくれないのを確認しつつ(当たり前だ)、ボクは先ほどの指示に従いキッチンに移動した。まぁ見た感じ2LDK位のマンションなので、キッチンなんて探すまでもなく場所はすぐに分かったけど。そしてそこには2人前の朝食が既に用意されていて、先ほどのおねーさんが片方の朝食の前に座っていた。ということはボクはもう片方の朝食が用意されている席に座ればいいわけか……。
 4人がけのテーブルで、ボク向けに用意されたであろう朝食のある席に座り、
「いただきます」
 と言ってみた。そしたらおねーさんも
「いただきます」
 と言ったので、とりあえず朝食を食べる前の儀式(?)に間違いはなかったようだ。
 ボクはパンをかじりながら考える。
 今ここで最優先にすべきことは、ここに”なじむ”という事である。状況把握はその次で良いだろう。
 こういったトラブルで一番怖いのは、他人にそれを知られてしまうことだ。多分目の前にいるこのおねーさんは、ボクの中の人が10年前に戻っちゃってるなんて、正直に言っても信じてくれるはずはない。万が一それを言ったとしても、話が余計にややこしくなるだけだ。だから自分の身の上など一切ばらさず、ここでの生活をソツ無くこなす、この一言に尽きるだろう。
 大体、10年後の自分と言っても、所詮は自分自身なのだ。性格とか口癖なんて、劇的に変わったりはしていないだろう。だからよっぽどおかしな事をしない限り、周りの人から不審がられることはないだろうねぇ。
 ボクは行儀が悪いと思いつつも、手帳の次のページを見た。

『良く噛んで食え』

 オカンかよ!! 大きなお世話だよ! 10年後に自分にわざわざ飯は良く噛んで食えだなんて言われたくねーよ! やっぱこいつはバカだ、手帳に書いてあるとおり、バカなボクがそのまま10年経っただけの大馬鹿たれだ!!
 ボクは色々切なくなりつつ次のページを見た。

『ここから先は、今日一日お前がやらなければならないことが、一つの事象ずつに纏めて書いてある。良く読んで良く理解し、誠心誠意心を込めて実行しろ。ただし、先のページは決して見ないように!! 未来事象を不用意に知ることは、自分自身の行動、加えて周りの人の行動の変化を誘発させる原因となる。つまり、未来を知り過ぎた結果、この手帳の記述と現実事象が一致しなくなり、お前は未来の世界での唯一のガイドブックを失い漂流することになる。それが楽しいサプライズだと思うのならば先を読めばいいし、万が一にでもちゃんと過去に帰りたいと思うのならば未来を知るな。分かったら良く噛んで食え』

 ボクは手帳の記述通り、パンと目玉焼きを良く噛んで食べた。おいしかった。
 確かに、現時点でボクの身の上を理解し、かつボクを元の世界に戻してくれそうなのは、腹立たしいコト限りないけどこの手帳以外には存在しない様だ。もしかすると、他にも過去に戻るためのヒント的な物があるのかも知れないけど、多分それを探している暇はなさそうだよね。10年後のボクが何やってるか全然分かんないけど、スーツ着てるって事は一応どこかで何か働いてるって事だし、さっきからおねーさんがボクをやたら急かしていたということは、あまり悠長に構えてられないって事だ。
 まぁ、一日くらいばっくれても構いやしねーって気もするけど、さっき手帳に『言うとおりに動かないと過去に戻れない』って脅されたからねぇ。

 そうこうしているうちに朝食を食べ終えてしまったので、この手帳の言うとおりにするため、ボクは自分の女房に『おいしかったぜべいべー』とか暴言を吐かなければならないらしい。さて、女房ってどこにいるんだ?
「あの、おねーさん、ボクの女房って人はどこにいるの?」
「……おにーさんの目の前でしょ」
 おねーさんは、何かあからさまに『大丈夫かコイツ?』って目でボクを見てるけど、何か対応間違ったのか!? てゆーか”おにーさん”ってどこに居るの!? おねーさんのおにーさんがこの家のどこかに居るの???
 ボクが一生懸命周りを見渡していると、
「……あなたは自分のお嫁さんの顔も分からなくなっちゃったの?」
 おねーさんは何か微妙に寂しそうな目でボクを見るので、もしやと思い心にわだかまった疑問をダイレクトにぶつけてみることにした。
「えと、もしかしておねーさんがボクの女房?」
「……他にいたら、あなたを殺して私は出て行く」
 ちょっと待ってよ!! そこは「私も死ぬ」でしょ!? シビアだよ! このおねーさんは割とシビアだよ!!
 てゆーか。
「ボクはロリコンだったのか!!」
 おかしい、ロリコンはみっちゃんの専売特許だったはずだ。大体、ボクは確かに目の前にいるおねーさんのことを”おねーさん”って呼んではいるけど、単に年上っぽく感じるだけで、この人偉ェ童顔ですよ!? ぶっちゃけ中学生くらいにしか見えないし!! うっわー、まじっすかー! ロリコン幼妻っすかー!!
「朝から嫌なカミングアウトしないでよ……。あなたそれ、職業的にまずいでしょ?」
 だいたい私がお嫁さんであなたがロリコンとか、それって私を遠回しに発育不全ってディスってるの?とかおねーさんはブツブツ言い始めたけど、会話の流れ的に聞いておかねばならないことが一つ出来た。
「えと、ボクの職業って何?」
「はぁ!? 高校教師でしょ……」

 まいが――――――――――――っ!!!!!

 言うに事欠いて高校教師だぁ!? あり得ない! あってはならない!! あるべきじゃない!!!
 ボクが他人に教鞭を垂れるなど、それは全世界の学術機関に対する最高の侮辱だ! もはや理不尽を通り越して犯罪ですらある! 極刑レベルの犯罪だ!! どうせなら、もっと面白いギャグがあってしかるべきだろう!!
 ボクは慌てて手帳を見た。

『真実だ。受け入れろ。女生徒に手を出すのは思ったよりも簡単だが、それをやるともっと簡単に身を持ち崩す高校教師だ』

 重い!! 重いよ言葉が!! てゆーかボク、まさか不貞を働いたなんてコトなんて無いよねぇ!?

『安心しろ。そもそもお前にそんな度胸はない』

 そりゃそーだよ……。自分が将来結婚出来たなんて事自体、奇跡を通り越して不幸を感じる位なのに、高校教師になって女生徒を毒牙に掛けるなど、地球がひっくり返っても絶対ありはしない。ボクはそんな風に設計および製造されてはいないのだ。
 ボクは自分自身の安全性を確認しつつ手帳を見た。

『これからお前は自分の職場たる高校に行く。歯を磨いてひげを剃れ。そして「おいしかったぜべいべー」を忘れるな』

 忘れてたよ……。

「おいしかったぜべいべー」
「ねぇ、ホントに頭大丈夫??」
 超思いっきり心配されてるし!! 何がべいべーだよ、バカじゃね!? 超バカじゃね!?
 ボクはこの手帳の言うとおりに行動して良い物か、若干疑問を感じずには居られなかった。
 しかしボクが一生懸命悩んでいても、時間は残酷にも刻一刻と過ぎ去っていくので、ボクは生来の物事をあまり深く考えない特技を最大限に活用することとし、今は手帳の言うとおりに歯を磨いてひげを剃ることにした。
 さて、ここで問題が三つ。

  1. 洗面所はどこだろう?
  2. ひげそりはどこだろう?
  3. 歯磨きはどこだろう?

 1番はその辺を歩いていれば分かるはずだ。3番も、この家の主がよっぽど偏屈ではない限り1番にて判明するはずの洗面所にあるだろう。人間、色の好みなど多分変わりはしないだろうから、きっと寒色系の歯ブラシがボクのだよ。そして、問題は2番である。ボクがまだ若かりし高校の時(つい昨日までのことだけどさ……)、ひげは薄かったのでほとんど剃るようなことはしなかった。たまに親父のひげそりを借りる程度で十分だったのだ。だからボクは自分が電動派なのか、それとも泡でジョリジョリやる派なのか、さっぱり見当が付かなかったのである。
 とは言いつつ、朝っぱらから泡でってのはいくらなんでも無いよねぇ……?
 ボクは試しにあごをサワサワ触ってみたけど、うっわー、き〜もちわるい!! 何これ何これ、超ザラザラでチクチクだ〜! 年取ると、人間って奴は汚くなる一方だよー……
 多分この時間にこんなにひげが生えてるって事は、昨夜風呂場か何かで剃ってないだろうから、いつも朝に手短に処理してると考えるのが自然である。すると、可能性が高いのは電動のひげそりだよね……
 ボクは勇気を振り絞って、女房おねーさんに聞いてみることにした。
「あの、おねーさん、ボクのひげそりどこ?」
「いつも洗面所に置いてなかったっけ?」
「あー、思い出した、うんうん、洗面所だー」
 ボクは空々しく相づちを打ちつつ、おねーさんの視線がちらっと向いた方向に歩いていった。案の定そこには洗面所があり、ボクはそこの鏡に映った自分の老けた顔を直視して、一瞬即死しかけた。
「む、惨い……!!」
 一体ボクはこの10年間にどんだけの苦労をしたというのだろうか。むしろロクな事しなかったから天罰を食らってこうなったってことなのだろうか。
 何となく肌に艶は無く、髪の毛もあからさまに寂しい事にはなってないけどボリュームは若干薄くなり、加えておでこにはシワまで見え隠れしているひげ面のむさいオッサンの寝ぼけた凄惨な顔が、目の前の鏡には映し出されていたのだった。
 人間という奴は、年取るとホントに汚くなるだけだ……
 ボクは今ほど、女性が一生懸命顔面に化粧を塗ったくって、年齢詐称に激しく努力する気持ちに共感を覚えたことはなかった。やっぱり人間若さだよ! 誰もが羨むお年頃の男の子も、10年経ったらただの疲れたオッサンだよ!!
 ボクは一瞬のうちに気持ちまで10年ほど老けてしまい、失意の内に手帳を見た。

『いいからひげを剃って歯を磨いて家を出ろ。本気で遅刻するぞこのバカたれめ』

 分かったよ! 分かりましたよ!! 仰せの通りひげ剃って歯ァ磨いて立派なバカたれになりますよ!!
 ボクは取り急ぎ洗面所に置いてあったひげそりで適当にひげをジョリジョリやって、青い歯ブラシがあったのでそっちを使って歯を磨いた。まぁ万が一女房おねーさんの方だったとしても、これは間接キッスだうわーい!!
 ……ところで、あのおねーさんがボクの女房だって事は、間接キッスとかもうどうでも良くなるようなすごいコトをさんざんやり尽くしたって事だよねぇ?? も、もしかしてお口同士でキスしちゃったりとか!?
 これは、一度試してみねばならないだろう……
 ボクは底抜けにドキドキしながら手帳を見た。

『鞄は食卓の近くに置いてあるので、それを持ってさっさと家を出ろ』

 ちっ、全くもってつまんない記述だ。少しは物語の盛り上がりというものを考えて貰いたい。ボクは若干の失意を覚えつつキッチンに移動した。そこで、先ほど女房おねーさんと朝食を食べたテーブルの近くに、微妙にくたびれた感じの鞄が置いてあるのを確認した。多分これのことだろうなぁ。ボクはそれを手に持ち、玄関に移動する。そして後ろをトコトコ付いてきた女房おねーさんに先ほどの考察を確認すべく、こう言った。
「あの、おねーさん、行ってらっしゃいのチューして」
「……は?」
「いや何でもございません。今日も張り切って行って参ります!」
「……ねぇ、ホントに頭大丈夫!?」
「大丈夫!!」
 ボクは極めてにこやか且つさわやかな笑顔を煌めかせ、颯爽と玄関を出たのだった。
 ああっ……………!!!!
 ボクは結婚しても、自分の女房とはキスすら出来ていないのか……。おっぱいなんて触るのは、こりゃ来世以降なのかなぁ?
 朝から失意のどん底にたたき落とされたボクは、とりあえず将来の自分家の周りを見渡した。さて、ここはやはりマンションか。なんかバックトゥーザフューチャーを思い出すなぁ。マーティーもこんな気持ちで将来の自分の家を見ていたのだろうか。ボクは下に降りるべく、適当にエレベーターを探しながら手帳を見た。

『職場までの道順を説明する。マンションを出たら左に歩いてバス停を見つけろ。そこでバスに乗り、貴様が通っている高校の隣の進学校へ行け』

 ん?? 隣の進学校って、ボロいくせに全教室にエアコンが入っていて、ボロいくせにウチの学校よりも校庭が狭くて、ボロいくせにウチの学校よりも女子が少ないあの進学校!?
 うっそでー! 何でボクがそんなすげー高校で先生やってるの!? 超あり得ないんですけどー!!
 あ、それとも勤務先をローテで回ってるだけだから、運が悪ければいくらボンクラ教師でも進学校で教鞭を執らされるということだろうか。んー、そうでも考えないと、ボクみたいな人間があんな偏差値20以上高い所で先生として働く事なんてあり得ないよねー!
 ちっ、運がいいやつめ。でもボク、あんな頭いい高校の人に何を教えればいいわけ?? ボクは慌てて手帳を見た。

『ちなみにお前は物理の教師だ。しかし心配はしなくて良い。策は練っているのでソツ無くこなせるはずだ』

 ホントかよー!! 大体ボク、物理とか全然苦手なんですけどー!? てゆーかボクって自分のこと今の今まで文系だと思ってたのになぁ??
 ボクは自分の意外な潜在能力にびっくりしながら、既にバス停に止まっていたバスに飛び乗った。


『バスを降りたら校門をくぐり、まっすぐ歩いた先にある玄関から校舎に入れ。右側に自分の靴箱があるはずだ。自分の名札の下にある室内履きに履き替えること。その後、廊下に出て左に進み、すぐに職員室があるのでそこに入り、自分の机を目指せ。廊下側で、日本の国旗が立ててある机がそれだ。ちなみに恥ずかしいから旗はすぐにしまうこと』

 ご丁寧に、職員室の自分のデスクには、旗日でもないのに国旗が飾っているそうだ。同僚の先生方が見たら、どんだけ生暖かい視線を向けてくれるというのだろう……。
 ボクはバスを降りて、校門の前に立った。んー、まさか自分の人生で、この学校の校門をくぐることがあるとはなぁ……。人生って、ホントにいつ何が起こるか分かんないよねー。
 そもそも、ボクの頭蓋骨内に大切にしまわれているであろう脳味噌を、どんな風に丹精込めて完全熟成させようとも、この学校に来れるような学力は絶対確実に無いはずだ。ところが、そんな頭のいい人達に教えを垂れる存在として、毎日臆面もなくここに通ってるんだよ!? やっぱ場違いって感覚がすっごいよねー。むしろプレッシャーが酷くて中々校門をくぐれない。
「せんせー、おはようございまーす!」
「先生、ちーす!」
 しかしである。ボクが呆然と校門を眺めていると、通りかかる生徒の結構な割合がボクに挨拶をしていくのだった。ボクも慌てて「おはよう〜〜」と、キリッとした挨拶を返すも、ボクはここでは『先生』と呼ばれているのか! うわー、そんな誉め言葉っぽいあだ名付けてもらったのは初めて! なんて賢そうなあだ名なのだろう。ボクはちょっと嬉しくなりながら手帳を見た。

『いいから早く校舎に入れ。ガキ共に先生呼ばわりされて天狗になっているのだろうが、それは貴様の職業名であって尊称ではないのでさっさと目を覚ませ。忘れているようだからもう一度書いておく。”お前はバカだ”』

 うぅぅ、なんかこの手帳書いてる人、どっか遠くからボクのこと見てない?? ボクは絶望すら感じつつ校舎に入り、そそくさと自分の上履きに履き替えて職員室に入っていった。
 さて、ここで重要ミッション、自分の机探しである。
 室内であまりきょろきょろしていると、同僚の先生方に”コイツとうとう脳みそいわせちまったか”とか思われるので、取り急ぎさりげなーく、しかも超自然に、ご機嫌に旗をおっ立てているという自分の机とやらを探さなくてはならないのだ。手帳には廊下側と書かれてあったから、職員室と廊下を隔てている壁と、机が並べられている間の通路(大体において椅子が一杯で邪魔をしている)をのんびり歩いて旗を探そう。
 すると、すぐにその机は見つかった。何か雑然とした、お世辞にも綺麗とは言えない小汚い机の真ん中に、ちっこい日本の旗が立っていた。椅子の背もたれの裏には「一条」って書いてあるから、これがボクにあてがわれた机なんだろう……。ボクはさっさと旗を机の引き出しにしまい、鞄を足下に放り込むと椅子に座った。
「一条先生、なんでさっき小さい旗を立てていたんですか?」
 ところがである。いきなりのピンチである。
 隣に座っている名称不明の先生(多分新任に近い、若い女の先生)が、そんなどう考えてもマトモに答えられやしないであろう厳しい質問を、いきなり投げて来やがったのである。
 少しは空気を読んでくれと言いたい! 人間、妙なことをしでかすときは、大概に於いてよっぽどのトラブルに巻き込まれてるときなのである。そして、そういう場面に運悪く出くわしてしまったときには、隣人たるもの生暖かい視線で何も言わずに見守るっていうのが、教師ともあろう学のある人間の当然の態度ではないかと、ここは改めて声を大にして述べておきたい! 全く、この先生には教育が必要な様だ。
「あ、今日は個人的な記念日だったので」
「は、はぁ……。それはおめでとうございます?」
 そんな疑問形で言わんでも。とりあえず10年後の自分も、たまには困ればいいのだ。明日からこの一条って変なセンコーは、自分記念日にいちいち国旗おっ立てるオメデタ野郎なんだぜーって、学校中で大騒ぎだ。ざまーみれ!
 ……しかし、よくよく考えてみれば、この行いの報いは10年後の我が身にキッチリ降りかかってくるのが自明である。何やらやらかしちまった感が、今更ながらにふつふつと湧いてきた。やべー、失敗しちゃったかも!? ボクは若干憂鬱になりながら手帳を見た。

『お前の愚行なぞ全てお見通しだ、バカめ』

 ごもっともです。

『そのうち職員会議が始まるので、とりあえず話を聞く振りをしておけ。万が一誰かが重要なことを言っているような気がしたならば、机の上にある”なんでものーと”に適当にメモしておくこと』

 なるほどー、これが噂に聞く職員会議という奴か。一体どんな打ち合わせが始まるんだろう? 楽しみ楽しみ。しかし職場のメモ書きに”なんでものーと”とか、本気でこの机の持ち主はバカなんじゃないかと思う(特に全部ひらがなの辺り)。誰だこいつ、10年前の顔を見てやりたいぜ!
 ボクはそんなとりとめない哲学的思考に耽溺しつつ、キラキラした瞳で職員室の前の方を見ていたのだけれど、やがていかにも”教頭です”と言わんがばかりの神経質そうな顔をしたオッサンが出てきて、朝の挨拶の後に連絡事項を朗読し始めたのだった。
「まず、再来月行われる学園祭についてですが、各クラス予算額を纏めて概算見積もりを提出して下さい。また催行内容の計画書についても期日を厳守でお願いします。特に食品を扱うクラスについては、後で衛生管理者による講習を行いますので早めに提出下さい」
 うわー、文化祭とかって結構適当にやってる感じだったのに、裏じゃ先生達は色々やってるんだねー! しっかし、この進学校にも文化祭とかってあるんだ。やっぱり何か、頭いい感じの行事でもやるんだろうか?
 ちなみにウチの学校の文化祭の場合、もちろん部活動同様に全くやる気のない感じで、ダラダラ過ごすだけの無駄な行事に成り下がっているのは想像に難くないよねー。なので自主映画の発表みたく(中身のクォリティーは置いていて)、偉く手間の掛かったコンテンツの発表なんて、もしかすると学校始まって以来の大快挙かも知れないのだ。
 一応、クラス単位での出し物は設定されるんだけど、もちろん毎年どこのクラスも示し合わせたように喫茶店か休憩室で、稀にすさまじく気合いを入れてお化け屋敷が一件か二件(もちろん手抜きなのでちっとも怖くない)ある程度。
 なお、文化祭と言えば一部の例外(吹奏楽部とか)を除き、普段日の光があまり当たることのない文化系の部活連中が、ここぞとばかりに色々と楽しいことをやらかすのがマンガの中などでよく見られる光景だと思われる。しかし、我らが高校における文化系の部活とは、つまるところ我らが文芸部の事のみを指す事態に陥っており、あまつさえ、やることなすことてんでバラバラな部員が纏まって何か一つのことをやるなど、例え天地開闢が再び起ころうともあり得ないことなのだ。
 あ、一応創部条件に文化祭で何かヤレというのがあるので、近頃では部長によるのエレキギターのソロコンサート(ドラムとかはみっちゃんが事前にDTMで作ったのをPCで流している)と、腐女子軍団によるBL同人誌の発表が、部室をちょろっとだけ改装した会場でしめやかに行われている程度の実績はなきにしもあらず、と言うのが実情だ。そもそも、お客なんて全然来ないけどね。部長のギターは結構うまいのに、いつも観客が一人か二人だから、むしろこの場合のソロコンサートとは客がソロって事を表しているのだろう……。部長も可哀想と言えば可哀想だよねー。
「……次に学内設備に利用申請についてですが、各教室を含めて全てリストアップして下さい。演劇等で暗幕を大量に使うクラスでは、貸し出し元のクラスとの調整の上、子細を漏らさず記入をして下さい。また調理等で電気機器を使うクラスについてですが、ブレーカーの容量との兼ね合いから……」
 ボクが説明くさい回想シーンをだらだらと述べ終わったというのに、教頭らしきオッサンの演説は、未だ途切れることなく延々と続いていた。しばらくの間は真面目を装い耳を傾けていたのだけれど、あまりにも似た様な事を長々としゃべくるので、ついつい、
「文化祭なんてめんどくさいなぁ……」
 などと、ボクの口からは本音というか、この場合における人類共通の思考と思わしき実に素直な感想が、勝手に漏れ出ていたのだった。しかしその声は思ったよりも周りに聞こえてしまったらしく、
「一条先生!! 生徒の代弁も結構だけど、あなた自身がそんな考えじゃ生徒に示しが付かないんじゃないの!?」
 などといきなりキレたオッサン(例の教頭ですよ)に突っかかれてしまった。
「は、すいません!!」
 ボクはもう全自動で謝っていた。
「文句言うだけだったら誰でも出来るんだよね! めんどくさいって言うならめんどくさくないやり方を示してからが筋じゃないんですかね! どうなの? ここに来てめんどくさくない方法を教えて下さいませんかね!!」
「いや、自分では全く思いつきません、申し訳ございません!」
「だったら黙っとくのが大人の態度じゃないの?! 人のやることに文句言うなら、改善提案するのが筋じゃないの!?」
「いや、もう本当にすいません!!!」
「もういいよ! ほんとに不愉快だよ!! 悪いって思ってるなら、今後は態度で示して貰いたいね!」
「はっ、本当に申し訳ありません!」
 教頭はようやく演説を再開したのであった。
 てゆーかさー……。
 めんどくせーって言っただけで、ふつーここまで文句言われる物!? 大体面と向かって言ったのなら2、3発喰らっても文句は言えないだろうけどさ、単なる愚痴じゃんよー! そんなもん聞こえなかったふりして華麗にスルーするってのが、それこそ大人の態度って奴じゃないの!?
 ボクが心の中でひとしきり愚痴を垂れていると、隣の名称不明の先生が小声で話しかけてきた。
「一条先生ー、わざわざ聞こえるように言わなくてもいいじゃないですかー」
「い、いや!? 普通に愚痴が漏れ出ただけですが!?」
「あの人怒らせると後がウルサいから、控えて下さいね」
「はっ、いや、本当に申し訳ありませんっ」
 ……若い先生にまで怒られちゃった。まぁボクもまだ若い部類に入るのかも知れないけど。
 ボクは何となくしょんぼりしながら手帳を見た。

『ご苦労。学年主任にはもう二度と近づくな。あのヒスオヤジには関わり合いにならないのが吉だ』

 あれれ、教頭先生じゃなかったんだ。しかしこの10年後のボクも、実は全然反省してないクチだねー。さすが中身はボクと同等品。分かってらっしゃる!

『ただし、今後はうかつな発言は厳に慎め。お前の立場では、取り返しの付かない場合が多い』

 けれど今度は怒られちゃったよ。
 確かに今のボクの立場は学校の先生だからねぇ。生徒相手にバカ言ったら、シャレにならないことが多そうだ。大人の世界は色々めんどくさいなぁ……
 ああ、こういう事は絶対に口に出しちゃいけないんだなぁと、ボクは今度はしっかり反省した。


 その後、つつがなく職員会議は終了し、ボクの直近の予定はこの後朝のホームルームで、その後に授業がいくつかある、というところである。
 うむ!? なんかとたんに緊張してきたぞ?? ちゃんと先生の真似事が出来るのであろうか! ボクは今更ながらにガクブルしながら手帳を見た。

『お前のクラスは2−3だ。職員室のある校舎の3階にある。行けば分かるのでとりあえず行け』

 よし、自分が担任を持っているクラスに行けばいいのか……。ボクは手帳の指示に従い3階に行き、2−3と書かれたクラスを見つけた。
 ところで今更気がついたんだけど、確かこの学校って伝統校のウチよりも古いボロ学校だったはずだ。けどこの校舎はとっても綺麗。さては建て直したな!? なんて贅沢! エアコン付けてる癖に建て直しとか、どんだけ贅沢なんだと! ウチの学校なんてエアコンはおろか、扇風機すら壊れて動かないというのに!!(ちなみに冬は壊れたストーブしかないから寒いだけ)
 ボクは怒りにまかせて手帳を見た。

『お前の学校は、お前が卒業した翌年に新しく建て直された。残念だな』

 キ――っ!!!!! ムカつくムカつく、なんてこっちゃらほい!!
 確かにシャレにならないくらいにボロい校舎だから、近いうちに建て替えるだろうとは思っていたさ! けど言うに事欠いて翌年だぁ!? だったら何、ボクら来年は受験生なのに、プレハブの仮校舎で騒々しい建築現場の音を聞きながら、偉い惨めな環境で授業受けなきゃならないの!? どんだけだよ! どんだけ間が悪いんだよ!! どんだけタイミングが最悪なんだよ!!! ボクはイライラの頂点で手帳を見た。

『諦めろ。そして早く教室に入れ。そして教室に入るときには「おはようベイベー」と元気よく言え』

 ボクは手帳の指示に従い、2−3の教室に静かに入った。そして学校の先生が良くやっているように教壇に立ち、
「おはようございます」
 と、礼儀正しく大人ぶった挨拶をした。
 ところがである。
「えー、せんせー! いつものベイベーはどーしたの!?」
 いきなり教卓の真ん前にいる女生徒に、そんな暴言を吐かれたのだった。
 ……………。
「ふっ、やはりそう来るか。おはようベイベー!!」
 ボクは恥も外聞もかなぐり捨て、思いっきり弾けた挨拶をした。
 そして、どうせシラケたあげくに真っ白な視線をめいっぱい投げかけられるのだろうという、まっとう至極な予想をしていたのにも関わらず、教室中から
「「「「「おはようべいべー!!」」」」」
 と、高校生にはあるまじき酷い挨拶が割れんばかりの声で返って来たのだった。
 何だこのクラス、誰だこのクラスの担任! 本気で頭おかしいんじゃないの!? バカなの? 死ぬの!? それとも人間やめちゃってるの!?!?
 ボクは自分の10年後が本気で心配になった。いや、こんなすごい進学校でベイベーとか言ってるバカな不良教師なんてどうなったって良いんだよ。いっそ出勤途中にダンプにでも轢かれちゃえと思う。でもそれより問題は、こんな無垢で善良で日本の将来を背負って立つべき優秀な生徒達に、朝からベイベーとかバカなこと言わせてる神をも恐れぬ愚行だよー
 ボクは万が一10年後に本当に教師になってしまったとしても、べいべーだけは絶対に止めようと堅く心に誓うと共に手帳を見た。

『諦めろ。どうせお前はべいべーが精一杯だ』

 だから何の精一杯かと。

『朝のホームルームでは、以下の事を伝言しろ。そして言い終わったら「解散ベイベー!」といえばそれで全てが済む。1限目の授業は理科室で行うので、手帳を持ってさっさと教室を出ること』

 手帳には今朝言わなければならない連絡事項がいくつか書かれてあったので、ボクはそのまま生徒の前で朗読し(なんかボクの学校の生徒からカツアゲされたのがいたから気をつけろとか、すっごいショッキンな事が書かれてあって激しくヘコんだ)、最後に解散ベイベー!と高らかに宣言することで、朝のホームルームという重要ミッションはめでたくコンプリートしたのであった。
 あー、とっても疲れた。ボクが教卓で立ったまま一息ついていると、幾人かの女生徒がボクの方に寄ってきて、
「せんせー、せんせーの出身校って第二校なんでしょ?」
 ……なんて、どう考えてもさっきの連絡事項の事を聞きに来た。てゆーかこういう場合、そのせんせーに対してそーゆーことを聞くのは、とっても失礼に当たるんじゃないかと思うんだよねぇ。正直、少しはわきまえてくれと言いたい。けどまぁ、今ボクは外見はオトナですし? そういう未熟者の無礼を華麗にスルーするのも人生の先達としての当然の態度ってヤツでしょう。
「あ、うん、そうだけど?」
 ボクはニコニコしながら続きを促した。
「センセーが学校通ってたときにも、ヤンキーとか居た?」
「あー、いるいる。隣のクラスに。あいつ今度見かけたら本気でぶち殺す」
 ボクは、小岩井が服をむしり取られているときのことを思い出して、再び頭に血が上った。
「ゲー、せんせー何怖いこと言ってんの!?」
 うわっ、やば! また立場を考てないでバカなこと言っちゃった。ボクは今教師なんだから、ちゃんと大人の態度って奴で接しなくては。
「あ、いや、うん、ボクも若い頃にそれだけの激情に駆られたことがあったなぁ、と……。みんな気をつけてね? あーいう連中は、女の子のこと平気で乱暴しちゃうんだから!」
「何それマジ最悪ー!」
「だから気をつけなきゃ駄目だよ? あ、でもでも、いい人もいっぱいいるからね。ボクの友達はいい人ばっかりだからね」
「分かってますよー、二校にも結構友達居るしー」
「地元民は、ここか二校に行くもんねぇ」
「いやいや、来たくて来れる学校じゃないでしょ、ここって。ボクなんて夢のまた夢だったよー」
「そーなの? 頑張って勉強して良かったなぁ、えへへ」
「そうそう、勉強しないと、真顔でベイベーとか言ってるバカな大人になっちゃうから、気をつけてね」
「あはは、センセー何言ってんのー!」
 ボクは女生徒に思いっきり背中をぶっ叩かれた。
「ぐへぇ、あー、そろそろ授業行かないと……」
「んじゃ頑張ってねー!」
「先生行ってらっしゃい〜」
「あー、行ってきます……?」
 女生徒達に見送られながら、ボクは教室から出て手帳を見た。

『ガキ共と無駄口叩いてないで、さっさと移動しろ』

 悪かったよ!! ボクだって(中身は)誰もが羨むお年頃の男の子だぞー!? 女の子とお話ししてて楽しくないはずが無いじゃないか!

『だから教師がなれなれしく話してると、勘違いして惚れただ何だと言い出すガキがたまに居るから気をつけろと言ってる。貴様には同級生だろうと、ただのガキだと思って一線引いてるくらいがちょうどいいんだ。お前の担任の態度を思い出せ』

 むぅ……いきなり難しいこと書いてるぞ!? 一線を引く? つまり突き放せって事??

『だからお前はバカなんだ。学校の教師は生徒の鏡だ。お前の姿勢や考え方、態度全てが彼らの中の”大人”という存在のプロトタイプになる。学校の教師は両親以外に付き合う数少ない大人だ。お前がバカをやれば、そのぶん彼らの中の大人がバカになる。自分のバカをガキ共に移さないように、常に気持ちを引き締めろ。分かったかバカたれめ』

 酷い言われようだ。しかもそんな事、生徒にベイベーとか言わせてる大バカ教師に言われたくないんだけどなぁ?
 ボクはつくづく調子のいいことを言っている、10年後の自分にとことんムカついた。こんな身勝手な大人だけにはなるまいと、しっかり心に誓うと共に手帳を見た。

『1限目は物理だ。今の校舎から渡り廊下を通った隣の校舎の、2階の端に物理室があるのでそこに行け。それと、一旦職員室に戻って、物理の教科書を全学年分持って行くのを忘れるな』

 そうだ、早く物理室に向かわないと! 先生が遅刻するなんて極めてみっともない。
 ボクは急いで職員室を経由して、これから授業を行う物理室に向かっていった。

「うへぇ〜、間に合った……」
 ボクがチャイムギリギリに物理室に入ると、既にそこには生徒が全員(と思われる分量が)揃っていた。んー、ボクの学校じゃ、理科とかたまにばっくれて来ない奴が居るからなぁ。やっぱ勉強の出来る人たちは基本真面目なんだねぇ。ボクはしみじみ感動しながら手帳を見た。

『そこにいる連中は2年生だ。進度的に貴様が直前に習ったところと一致している。教科書を見ながら、先週教師に習ったことをそのまま教えろ。以上だ』

 うそだ――――――っ!!!!!?

 何でたったこれだけ!? ちょっと前に教わった事をそのまま教えろだ!? そんな事が簡単に出来れば、ボクはこの学校に生徒として通っていただろうさっ!
 可能な限りふざけんなと言いたい。この手帳を書いたバカは、自分の学生時代の学力を完全に忘れ去っているに違いないのだ。一体どんだけ自分の過去を美化してるんだと! 一体どんだけ昔の自分を見失っているんだと!! 一体どんだけ勉強出来なかったか覚えてねーのかと!!!
 いくら未来の自分とはいえ、人生の先達たるべき者、道に迷った過去の自分にしっかり道を示すくらいの心意気があっても然るべきだろうと、ここだけは声を大にして、しっかりと宣言致したく!
「せんせー、授業やんないのー?」
 うわ、やば! ついに生徒から督促が来たぞ!? これは極めてまずい状況だ……
「あ、いや、すまん。そいじゃ授業を始めるぜベイベー!」
「「「「「お願いベイベー!!」」」」」
 ……このバカは、学校中でベイベーを通しきってるらしい。本気で何考えてんだとつくづく感動する。人生に一体どんなカタストロフィーがあったらボク、こんなにダメな大人になっちゃうんだろう……?
 色々切なくなりつつ、ボクは手帳を見た。

『さっさと授業を始めろバカめ。ちなみに次のページは授業が終わったら見ること』

 酷い……
 ボクはもう色々諦めて教科書を見た。えーとえーと、あぁ、付箋が付けてあった。ボクがそのページを開くと、そこに書かれていた記述は、確かに先週くらいの授業でやった内容と同じであった。いつも眠たそうな声でブツブツと授業を行う物理教師が、授業中に何か言っていたことだけは、かろうじて思い出すことに成功したのだった。
「えーと、今日は教科書34ページの、位置エネルギーと運動エネルギーの変換について勉強しましょう〜〜」
 一応そうは言った物の、以前にも述べたとおりボクは物理なんて苦手だし、そもそも授業の内容なんてほとんど覚えてないんだよねぇ?? 果たしてボクはこの50分の授業を、うまく適当に乗り切れるのだろうか……。いい加減、ストレスと緊張のあまり胃が痛くなって来たよ……。
 しかし、このまま胃痛を甘受し教壇に立ち尽くしてフリーズしていても、全くこの事態の打開に進展がないのは明らかであるし、しかも生徒を前にして授業をボイコットした大バカ教師として、7代に渡り人々からクズの誹りを受け続けるであろう。
 ボクは生来の物事をあまり深く考えないスキルを最大限に活用することにして、取り急ぎ教科書に視線を移すこととした。
 教科書には、運動エネルギーと位置エネルギーの交換の例として、第一宇宙速度と第二宇宙速度の求め方が載っていた。ボクが今使っている教科書は振り子の運動の例しか載ってなかったから、やっぱり教科書のレベルがだいぶ違うじゃんよ〜〜。こっちの教科書が遙かに難しいことを書いている。
 ボクはとりあえず教科書の解き方を最後まで流し見し、黒板にでっかい丸(地球)と、その地上に立つ適当な人間の絵を描いた。
 うむ、我ながら絵が下手すぎて、このまま黒板に頭たたき付けて死んでしまいたい衝動に駆られちゃった! てゆーか、まどかやほむほむが通ってた学校みたく、10年も経てば黒板もでっかい液晶モニターに変わってるかと思ったら、案外前と同じ形で残ってるもんだねぇ。PCで何か表示したければプロジェクター使えばいいし(天吊りのプロジェクターとスクリーンは装備されている)、いちいち巨大な液晶タブレットみたいなの使っても電気代の無駄だよねぇ。ただでさえ原発があんな調子で節電節電ウルサいんだから、無駄に電気食う物はそもそも存在価値が無いって事なのか……
 さて、チョークを持って10秒足らずで思考が横道にそれたあげくに脱線してしまったけど、ボクは即席代理物理教師なのだ。ここでは名目通り、物理の授業をつつがなく進めなければならないのだ。
 ところで第一宇宙速度ってのは、”それ以上の速度で地表に沿って物を投げると、落ちる事無く永遠に地表に沿って飛び続ける速度”だと教科書に書いてある。つまり、地球上にいる人間が水平方向に力一杯野球の球でもぶん投げたと仮定して、それが地球を一周したあげくに自分の後頭部を直撃するくらいの球の速さが第一宇宙速度だって事だ。もちろん現実では大気の摩擦とかがあるので、地球の重力を振り切って宇宙にすっ飛んでしまう速度である第二宇宙速度を幾分超えない限り、やがて球は地上に落ちて来ちゃうのだけれど、それは応用問題であって今は地球に空気はないとして考えればいい。
 ボクは今のことを、実際に黒板に書いて説明する。確かこの絵って、人工衛星だかの原理を説明するときに良く出てくるんだよねぇ。地上の人間が、少しずつ物を投げる速さを増していった時、放物線を描いて物が落ちる場所が人間からどんどん離れていくのだけれど、これがやがて十分な距離を持つと、放物線が地球の丸さに沿って伸びるようになり、最後には自分が投げた所まで一周回ってきてしまう。
 実際の速度を求める式は、次のように考えるのだそうだ。
 野球の球が地球の周りをクルクル回るとき、つまり球が第一宇宙速度で運動しているときには、球は外側に向かってすっ飛んでいこうとする力、つまり遠心力が働く(遠心力の向きは、地球の表面の鉛直方向になる)。そして同時に、球には地球の中心に向かって働く力、つまり重力が掛かっている。地球の表面に沿って球が回り続けるということは、ちょうどこの遠心力と重力が釣り合っているということになる。そしてこのときの球の速度が第一宇宙速度になるので、それを求めればいいワケだ。
「わかる〜? 球が地球の縁に沿って動くと円運動になるから遠心力が働くでしょ? その向きは球の動きに直交する方向、つまり地表の鉛直方向って事になるよね〜」
 ボクは球の運動の向きに直角、そして地球の中心から宇宙に向かう方向に矢印を書いた。
「そして、球にはもちろん重力が掛かってるよね〜」
 先ほど書いた矢印の尻の部分から、今度は地球の中心に向かってまた矢印を書く。
「球が地球の縁を世界が滅びるまでず〜〜〜と回るためには、この二つの矢印の長さが同じになる球の速さを求めればいいわけだ。もうちょっと難しく言うと、二つの矢印は同一直線上にあって向きが反対だから、この二つのベクトルが相殺するスカラー量を計算すればいいわけだね〜。さっきボクがさりげに速さって言ったのは、ベクトル量である速度で求める必要は無いって手抜きな思考なんだねぇ。では、早速遠心力から求めてみようか〜。円運動している物体に働く遠心力は、F=mv2/r。そして重力は、万有引力の式から計算出来て、F=GMm/r2。それぞれ、mは野球の球の質量、vは今から求める球の速度、rは球と地球の中心の距離、コイツは地球の半径が相当するよね〜。んでGは万有引力定数、Mは地球の質量。この二つの式の左辺のFは両方とも同じ量だからイコールで結んで、vを左辺に持って行って変形すると、v=√(GM/r)になる。この式の右辺はみんな定数みたいなもんだから、実際の値を計算してみると、Gは6.67x10-11Mは5.97x1024rは6.36x106だから、vは7.91x103になる、と」
 ボクは改めて生徒の方を見ると、みんなフンフン言いながらノートに板書を書き写していた。む〜〜、ボクなんてこんな適当な教え方されると、前半1/3辺りで最早教師の喋る言語が宇宙人語にしか聞こえてこなくなるモンなんだけど……。やはり地頭の善し悪しというのは、極めて残酷な現実の様だ……
「ちなみにvの値を大きくしていくと、球の軌道が地球の縁から外れて楕円軌道になったり、うまく制御すると国際宇宙ステーションみたく、ある程度の高度をとって地球の周りを回り続けることが出来るわけだ。もしこの問題に興味がある人がいれば、静止衛星の高度が36,000kmだってのを自分で計算してみるといいよ〜?」
 ボクのそんなウザイ宿題に対し、教卓の近くにいた女生徒が、
「せんせー! 静止衛星ってなんですかー!!」
などと元気いっぱい聞いてきた。
 ボクそんなめんどくさい問いに対して「ググれべいべー」とか言いかけてしまったけど、教師が教えを請うた生徒にググれとは、まさに自己の存在意義に対する完璧な否定、つまりは愚行の極みであるとギリギリの所で気がついたのだった。
「あー、地球の周りを24時間掛けて回ってる衛星のことだねー。つまり、地球からは、実際には暗くて見えないんだけど、いつも同じ位置にいるように見える軌道を回っている人工衛星のことを言うんだよー。気象衛星とか通信衛星、放送衛星なんかが静止衛星の仲間なんだね〜」
 ちなみにこの辺の宇宙ネタは、ちょっと前に熊ちゃんから習ったことだったりする。女子チームが熊ちゃんの所に来て、宇宙エスカレーターとかマイナスイオンドライバーの原理を教えて貰っていたので、ボクもついでに話を聞いていたのだ。単に暇つぶしの為だったのに、こんなところで役に立つなんて、人生には無駄がないモンだねぇ……。
「では次に、第二宇宙速度を求めてみましょう〜〜。実際に運動エネルギーと位置エネルギーの交換を使うのはこっちだねぇ」
 第二宇宙速度とは、先ほどちらっと言ったけど、”物体が地球の重力園を振り切って宇宙まですっ飛んでいく速さ”と教科書に書いてある。また野球の球で例えてみると、先ほど求めた第一宇宙速度を超えた速さで球をぶん投げるとして、その速さをどんどん上げていけば、球の描く軌道は地球の中心を片方の焦点とした楕円軌道になり、長辺がどんどん伸びていく感じになる。しかし、ある程度の速さなると最早球は地球には戻ってこなくなり、もう宇宙の彼方に永遠にすっ飛んでいくだけになる(実際には太陽の重力に引っ張られ、太陽の回りを回る人工惑星になる)。このときの球の速度が、第二宇宙速度になるわけだ。
 ボクは黒板に楕円の絵をいくつも描き、あるときから地球に戻らずまっすぐ宇宙を突き進む球の軌道を描いてみた。
「球の速さが第二宇宙速度を超えるまでは、いくら頑張って球を投げてもいずれは地球に戻って来ちゃう。でも第二宇宙速度を超える速さで投げることが出来たら、球はそのまま宇宙に向かって飛んでいくわけだ」
 この事象を運動エネルギーと位置エネルギーにそれぞれ当てはめて考えてみたい。まず位置エネルギーの方は、球が地球の重力圏を振り切って到達する点、すなわち無限遠を基準にした時の、地上にある球の位置エネルギーを求める(この位置エネルギーは、無限遠からすると地球の重力井戸にひかれて球が落ちてるように見えるので、負の値になる)。次にその負の位置エネルギーに対し、ある速度をもった球の運動エネルギーを加えてやると、球は重力井戸から飛び出て無限遠に到達できる。このときの速度が第二宇宙速度になるわけだ。
「第二宇宙速度を考えるには、結果として野球の球が地球の重力を振り切った後の事から考えるとわかりやすいねー。まず位置エネルギーに関してだけど、球が地球の重力を振り切った点を無限遠といいます。重力ってのは万有引力が働いてるから出てくる力だから、それが影響を及ぼす距離は無限になる、つまり地球の重力を振り切れる点、万有引力がゼロになる距離が無限遠って事になるわけだ。球が第二宇宙速度を超えると無限の距離以上に飛んでいくことになるのでワケ分かんないけど、でもこういう地上の球の位置エネルギーを無限遠から考えるみたいな”置き換え”っていうのは発想の転換と同じで、物事を単純化したり法則を見つけるには有効だから、そういう思考も持たなきゃ駄目なんだろうねぇ。で、話を元に戻すと、この無限遠から地上にある球の位置エネルギーを求めるには、地球の中心から無限遠まで球が移動するときに掛かる重力を積分してやればいい、と。つまり重力はF(x)=GMm/x2なので、このxを地球の半径Rから無限大まで積分すると位置エネルギーUU=-(GMg/R)になる。この位置エネルギーを持った球を、今から求める第二宇宙速度vで吹っ飛ばしてやれば無限遠にぴったり到達するって事だから、位置エネルギーと運動エネルギーの総和がゼロ、つまり-(GMg/R)+(mv2)/2=0なので、v=√(2GM/R)で、第一宇宙速度を求めたときに使った定数やらを使って、v=11.2[km/s]になるというわけだ。要は秒速11.2km以上で物をぶっ放せば、宇宙に何かを持ってけるって事だねぇ……。ん?? これってマイナスイオンドライバーのこと??」
 そういえば、熊ちゃんが脚本を作った女子チームの映画では、マイナスイオンドライバーを使ってタイムカプセルを宇宙にすっ飛ばすって話だったよねぇ。もちろん第二宇宙速度を超えたら地球の周りを回らないでどこかにすっ飛んでいっちゃうから、それよりもスピードを落とすって事なんだろうけど……。うーむ、何か分かってきた気がするぞ!?
「せんせー、そりゃマイナスイオンドライヤーじゃなくてマスドライバーっしょ?」
 ん??? ドライヤー??
「え? ドライヤーがどうかしたの??」
「この間アメリカで実験してたじゃないっすか、でかいレールガン作って、衛星軌道に荷物あげるって奴。そういうのをマスドライバーって言うんですよ」
「あ!? うん、そうそう、言い間違った! そうそう、マスドライバーだよー、分かってるよぉ、やだなぁベイベー……」
 えーとえーと? マイナスイオンドライバーじゃなくて、マスドライバーって言うの?? よくよく思い出してみれば、確かに熊ちゃんはマスドライバーって言ってた気がするけど……でもあれってマイナスイオンの略称じゃないの?? こりゃ後でしっかりググってみなきゃ。なんかボク、今までとんでもなく恥ずかしい間違いをしていたようだよ??
「あー、まぁ、そういう事で、例えばマスドライバーを使って衛星軌道に物を打ち上げる場合、速さは第一宇宙速度以上、第二宇宙速度未満って条件が付くわけだねー。もちろん大気の摩擦とか地球の自転の影響ががあるから、厳密にはもう少し色々なパラメータを考えなきゃいけないんだけど、原理的なことは分かったと思うよー。……分かった??」
 ボクのそんなあまりに頼りない問いかけに、
「「「「「わかったべいべー!!」」」」」
 ……と、生徒諸君は極めて心強い返答をくれた。良かった良かった、これで即席代理物理教師が少しは世の中の役に立ったという事だ。しかし、ボクのこんなつたない授業でちゃんと分かってくれるというのは、聞く側のポテンシャルの高さも多分に貢献しているって事だね。もしボクが教わる側なら、間違いなく無限遠とか言う意味不明な言葉が出た瞬間に、先生の話す言語が耳の可聴域を超えていたところだよー。
 そもそも、ボクが受ける側だった先週の授業では、振り子の運動エネルギーである1/2mv2と位置エネルギーであるmghが、ゆらゆら揺れながら交互に入れ替わるなんて聞いた瞬間にめまいがした。そして後はもう、人類の存亡を全て託されてエヴァ初号機に載せられたシンジ君が如き悲壮感を漂わせ、容赦なく襲い来る睡魔との戦いを続けながらも、その合間に先生が書いた板書を書き写すが、その時のボクの精一杯だったのだ。
 よくぞそんな程度の学習内容で、物理教師の真似事が出来たものだ。これは間違いなく奇跡の範疇だよー。
 その後、先ほどの説明の理解を深めるべく内容のフォローをしていると、やがて授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。ボクは適当なところで説明を切り上げると、
「終わりだベイベー!」
 既に違和感の薄れつつある教師にあるまじき暴言を元気よく吐いてみれば、
「「「「ありがとうベイベー!」」」」
 生徒達も同様に酷い言葉を返し、それでボクの人生初の授業は、めでたく終わりを迎えたのだった。
 さてさて、教科書の付箋に今日説明した箇所を書き込んで、次の授業に向かいましょうかね。授業の進度が若干予定よりも遅かったけど、どうせ完璧な授業など初めから求められてないだろうし、次回巻きでやって貰うこととしましょう。
 そして、ここでまた女子生徒とべちゃくちゃ喋ってたら、このムカつく手帳に「鼻の下伸ばしてんじゃねーぞエロガキ」とか酷いことを言われちゃうので、さっさと次の教室に行かないとねー!
 ボクは一息つく暇もなく教科書を纏めると、物理室を後にしながら手帳を見た。

『2限目は授業が無いので、さっき貴様がお世話になった物理室の掃除でもしておけ。以上だ』

 ……………。
 酷くない!?
 掃除って何よ! 別にボク自分のこと偉いとか全然思っちゃいないけどさ、掃除とかってのは先生じゃなくて生徒がやるもんでしょ!? 何でボクがやらないといけないのさ!!
 ボクは理論的な説明を求めるべく手帳を見た。

『いいから掃除しろ。それとも東大受験者向けの特別授業がやりたいか?』

 掃除ってすっごい大切だよね、大好き!!
 ボクは俄然やる気を出し、勢いよく回れ右をすると、既に生徒が居なくなった物理室に再び入っていった。先ほどの賑やかだった授業の時とは全然違い、しんと静まりかえった教室は独特の雰囲気を醸し出している。
 真新しさの残る校舎は、どことなく生活感の薄い、清潔過ぎる場所にすら感じられる。直線や一色、無機的な要素が目立ち、逆に雑然や有機的という言葉に代表される、人の営みを感じさせる要素があまりない。
 それに加え、遠くに聞こえる、グラウンドからの歓声や楽器の音が、微妙な隔絶感を演出していた。そうだ、こういう授業をやっていない教室に、ボクが一人で居ること自体が極めて稀な事なんだと、今更ながらに気がつくことが出来た。当たり前のことだけど、ボクは(中身は)学生なので、学校ではクラスのみんなで授業を受け、それ以外ではみっちゃんや熊ちゃんといつも一緒に遊んでいる。だからこんな授業中に一人だけ教室を抜け出すようなことは出来ない(やらない)し、今までそんな経験も全くないのだ。
 これはとっても新鮮!! 他の生徒が授業をしている中、一人悠々と教室の掃除っていうのも、なんだか面白い経験なのかも。ボクは教室の隅に設置されている掃除ロッカーを開け、中からほうきを取り出すと、黙々と掃き掃除を始めたのだった。
 そして、窓はおろか黒板すらも艶々に光り輝くほど磨き込まれる段になって、やっと2時限目の終了を伝えるチャイムが鳴ったのだった。
 あー、実に満たされた50分だった……。いつもみんなでわいわい適当にやる20分の掃除とは違い、自分のペースで徹底的に磨き込むこの充実っぷりと言ったら半端ないね!
 おかげで生活感が薄かった物理室の無機質さ加減が、余計に研ぎ澄まされてしまったかのようだ。この静謐な空気は、まるで腐海の毒に慣らされてしまった人類が、障気の含まれていない清浄な空気を吸った瞬間に肺から血が噴き出してしまうかのような、鋭さをも伴った清潔さを誇っている。生半可な気持ちで息をしようものなら、空気が綺麗過ぎてむせちゃうかも知れないね!
 ボクは持っていたぞうきんを掃除ロッカーにしまい、教卓に置いていた教科書一式を持って一旦職員室に戻ることにした。


『3時限目は3年生の授業だが、不勉強な貴様では地球がひっくり返っても授業は絶対無理なので、作り置きの小テストをやらせること。ブツは机の右の方で付箋が貼ってある』

 ボクが手帳に書かれているとおりに、職員室の自分の机の右の方を漁っていると、確かにそれらしき紙の束を、雑多のガラクタの中から掘り出す事が出来た。貼り付けてある付箋にも”3年用小テスト”と書いてあるので、間違いなくこれが件の小テストだろう。
 うーん、小テストとかってすっごいめんどくさいよねー。こうやって教師の都合でいちいちテストなんてやらされる学生は、つくづく本当に大変だと思う。
 ところで、事ある度に若い頃の自分をディスるこの手帳の持ち主は、脳の辺りが相当によじれてるんじゃなかろうか? それとも、過去の自分によっぽどのコンプレックスを持っているのか。だいたい、こんな誰もが羨むお年頃の自分を恥じるなんて、どんだけ卑屈な人生なんだと。むしろ誇れとそう言いたい。とっても残念な大人だ。それとも努力してこうなったのか?
 ボクはこういう憐れな大人だけには絶対になるまいと、この反面教師野郎のバカチン具合を魂に刻みつけてやることとし、小テストの束を持って次の教室に向かいつつ手帳を見た。

『次の授業は3−3だ。キリキリ急げ』

 はいはい、廊下を走らない程度に急ぎますよーだ。
 多分3年生の教室は、1限目に行った2年生の教室の上階なのだろう。案の定、校舎の4階に上がれば、そこには3年の札を付けた教室が並んでいた。
 時計を見れば、ちょうど授業の開始時刻。ボクはそろそろ本気で違和感を無くしつつあり、しかもそれはとっても危険な兆候であることは十分に理解しているのだが、
「授業を始めるぜベイベー!」
と、教室に入った直後に、何度考えても教師にあるまじき暴言を元気よく吐いたのだった。
「「「お願いベイベー……」」」
しかし返って来た返事は、自分のクラスやさっき授業をやった2年生達とは違い、なんだか元気も気力も気合いも無いものだった。
「何でそんなにへこたれてるの!?」
 ボクのそんな当然の質問に、
「だって、受験勉強でぼろぼろだもーん……」
 と、疲れ切った女子が机に突っ伏しながら答えてくれた。
「………まじっすか」
 えーと、これはボクらも来年はこんなことになっちゃうんだっていう暗示!? そりゃ大学には行かないぜベイベーとか言ってる就職組(含むニート希望)は元気なままだろうけど、ボクらの学校だって半分の生徒は大学行くだろうから(そもそも東大だって毎年何人かは行く程度の学校だから、根詰めて受験勉強する生徒はそれなりにいる)、目の前に展開される疲れ切った3年生達の姿というのは、この進学校特有の風物詩ってワケじゃないんだろうねー。うぅぅ、知りたくない未来を知ってしまったかのようだ。鬱過ぎる……。
「せんせーはいいよねー、受験とかないしー」
 教室の左の方でぐでーっとしているメガネっ子が、なんかこっちを睨みながらそんなことを言ってきた。あ、なんだかこの子若木さんに似てるなぁ。おっぱいはちょっと小さめだけど。
「えー、そんなこと言ったってねぇ……」
 実際中の人であるボクは受験は来年だけど、しかしこの外身の疲れたオッサンは大学はおろか既に就職すらしてる社会人だからねー。一応ここでは、そういう立場で物を言わなければならないのだろうけど……なんか嘘付いているようで、正直心苦しいなぁ……。
「確かに受験は大変だけど、でもそれをくぐり抜けないと立派な大人になれないよ?」
「立派立派ってさぁ……一体何が立派なのか分からないよ……。大体受験なんて、テスト勉強が得意な人だけが得して、本当の頭の善し悪しなんて全然分かんないじゃん……」
 貴方たちがそう言いますか! そういうのは、ボクらみたいなどうでもいい感じのお馬鹿な高校にしか行けなかった奴らが、負け犬の遠吠え代わりに宣うセリフですよ!?
「うーん、受験は暗記とか問題を解き慣れてるとか、そういう人間の持つ能力のほんの一部しか評価されないのは事実だけどさ……でも、これからみんなが大人になって、きっとそういう理不尽な事を要求される場面が何度でもあると思うんだ」
 例えばいきなり映画作れとか、朝起きたら10年経ってたとかさ……
「でもでも、そういう時に愚痴ってばっかで手ェ動かさなかったり、“ボクの実力はこんなことじゃ測れませーん”だの”今日はわざわざ小休止、明日はきっと本気出す”とか言ってたら、他の人から評価を得られないってゆーか、結局一人前の大人としての信頼を勝ち取れないよ? みんな高校に入るときに一生懸命勉強して、こんなすげー学校に入ったんでしょ!? もう一回頑張ろうよ、みんななら出来るって!!」
 うむ。
 ボクはなんて白々しく、しかも嘘くさい青春ドラマの熱血教師を演じているんだろうか。我ながら背筋が凍り付くほどに引いちゃう。みんなもあきれてるんだろうねぇ……
「はい、わたし頑張ってみる……!」
 しかしおっぱい小さい若木さんは、なんかコクコク頷きながらそんなことを言い始めた。うあー、なんか変なスイッチ押しちゃったのかも……。ボクは教師としての分を外れたことをやってしまったんだろうか?
「でも先生ー、高校はレベル一緒の奴が集まってるじゃん。中学の時はテキトーやってりゃいい成績取れたんだけどさ……何か最近頑張ってても全然順位上がらなくて……」
 余計に競争が辛いよと、教室の右の方にいる男子生徒が呟いた。てゆーか、テキトーやっててこんな高校来ちゃうあなたに、それなりに勉強しててもレベルの低い高校にしか行けなかったボクが、一体何を語ればいいのでしょうか?
「そりゃ頑張ってるのはわかるけど、みんなも同じくスパート掛けてるんだから、ベースの成績が上がるのは仕方ないよー。でも、それは今でも十分周りにはついて行けてるって事だからさ、自信持ちなって。今度は効率化ってヤツ? ちょっとした工夫とか、例えば、暗記ばかりに頼るんじゃなくて、えっと、原理原則を頭にたたき込むとかで、計算を使って答えを導き出すとか、そういう感じで周りの人と差を付けていくしかないと思うんだ」
 ボクは以前何かのテレビ番組で聞いたことあるような、適当なことをまくし立てていた。
「けど先生ー、やっぱ焦りが先立つって言うか、それでビビってモチベーションが上がらないっていうか、今更新しい勉強法? そんなの考えるだけで辛いっすよ……」
「うーん……こんなこと聞いちゃっていいのか分かんないけどさ……あの、何のために大学に行くの?」
「そりゃ将来の為って言うか、大学くらい出てないとカッコが付かないって言うか……」
「でしょー? そういう風に大学に行きたい目的とか、目指すべき目標がちゃんとあるんだよねぇ。大学出てるとか、超かっこいいじゃん! そういう立場をなんとしてでも手に入れたいんだよね!?」
 ぶっちゃけボク自体が、大学生とかすっごい羨ましいし! なんだかんだ言っても大学行きたいさ、カッコがつくって言うのもよく分かる。
 ボクの問いかけに頷いた男子生徒に、ボクはうさんくさい説教を続ける。
「だったら、そういう夢を実現したいのなら、今は辛くてもそれをくぐり抜けていかないと! さっきも言ったけどさ、人生ってほんといつ何時泣いたり笑ったり出来なくなっちゃうか分かんないんだよ!? 人生、ずっと辛い思いをしなくてもいいんだけど、でもでも、要所要所で命掛けるくらいの努力をしないと、自分の夢なんて叶えられないんだ。親とか先生が勝手に人生くれるわけじゃないんだよ? 自分でなんとかするしかないんだよ」
 ボクは自分で言ってて、その言葉の意味するところの薄っぺらさ加減に戦慄すら覚えていた。要は『根性入れろ』その一言に尽きるわけだ。ボクは自分が学生だから良く分かる。そういう大人の”頑張れ”っていう言葉が、どんだけ無神経で腹立たしい限りなのか。どうせ大人達は、目の前で受験でうーうー言ってる学生にはめんどくさいから適当にがんばれって言いたいだけでしょうって、いつもそう思ってるもん。そしてこのボクの前でうな垂れている生徒は、そんな頑張れとか気合い入れろとか、何の足しにもならないつまんないセリフを聞きたいワケじゃないんだと、きっと”辛いよね、ほどほどにしちゃっても大概大丈夫だよ”って、優しく慰めて貰いたいだけなんだと、まるで我が事のように共感できる。だってだって、学校の先生に”今のまんまで大丈夫”って言われるほど、心の底から安心することって無いもん!
 だけど!!
 ボクは今、彼に向かって”今のままで大丈夫”なんて、決して言ってはいけないのだと魂の底から思い知らされていた。だって、ここで彼にそんな言葉を言ったら、間違いなく気が抜けちゃって、受験に失敗するのが分かっちゃうんだもん。だから大人がボクらに向かって、何でしつこい程に頑張れ、勉強しろって言い続けるんだか、今になってようやく理解できた。頭ごなしに追い詰めてるわけじゃないんだ、そうでもしないと駄目になっちゃうのが、きっと自分の経験とかでよく分かっているからだ。
 そしてボクは、自分がホントは学生だから、ボクにしか言えないことだから、そのことを彼に伝えなければならないと強く思った。
「先生達が、いや、大人達が君たちに頑張れって言うのはさ、きっと自分達のやらかしてきた辛い失敗を、また君たちにして欲しくないからって、後になって後悔して欲しくないからっていう強い気持ちからなんだよ」
 気がつけば、生徒達は皆ボクの方を見ていた。こりゃ間違いなく、鬱陶しいセンコーが自分語り始めやがったぜって非難してる光景だよねー。だいたい教師が人生語る時ほどつまんないことはないのだ。でもボクは、そんな逆境に負けずに話を続けたのだった。
「ボクだって、いつも勉強めんどくさいとか、受験なんてやりたくないーって思ってたもん。でも、やっぱ先生の立場になると、頑張れ、あともう少しの辛抱だって言わなきゃいけないってよく分かった。それは、やっぱ頑張んなきゃどうにもならないって事、たぶんだけど、頑張らなかったら、泣いちゃうくらいに後悔してることがあるからこそ、つい口から出ちゃう言葉だと思うんだ。でも、まだボクたちは学生なんだから、まだ後悔しないチャンスがあるわけだよ! 後になってやっぱあん時やっときゃ良かったーなんて後悔、したくないじゃん!」
 ボクがぶった稚拙な演説に、生徒達はうんうんと頷いてくれている。皆心が優しい人たちだねぇ、ボクならこんな鬱陶しいこと言ってる先生なんて、とりあえずシカトしちゃうよー。
「だから、いつか笑うために今頑張らないと。頑張るって言葉が根性論くさくって嫌なら、いつかきっと必要となる物を得るために、その未来のために今準備をしてるんだって、そう考えてもいいかも!」
 教室はしんと静まっていた。これ以上無くどん引きされている証拠だ。
 ボクは、手帳に書かれていた「大人の態度で」ってヤツを完全に忘れ果て、ついつい感情にまかせて馬鹿話をしてしまった。ヤバい、もしかすると手帳の指示からずれてしまったことで、未来が変な方向に向いてしまったのかも。ボクはビクビクしながら手帳を見た。

『長時間に渡る演説ご苦労。いいから小テスをヤレ』

 ……………。
 これは、まだ誤差範囲内と考えていいのだろうか?
 ボクは少しだけほっとしながら、今のこの変なノリから小テストへと教室の空気を変えるべく、より白々しいセリフを宣うことにした。
「ということでー、その準備の一助となる小テストを行いましょう〜」
「「「「ぶーっ!!」」」」
 教室中からすっごいブーイングが聞こえてきた。
「センセー!! こんなオチのために今まで熱い話してたんっすかーっ!?」
 さっきの男子生徒が思いっきりがっかりした顔でそんなことを言えば、
「せっかくカンドーしてたのにー。もう最悪〜〜!!」
 おっぱい小さい若木さんも、こめかみに青筋立てた様な顔してこっちを睨んでいる。
 いやいや、もちろんそんな仕込みなどしていませんよ? 全てはその場しのぎの言葉でございます。
「ボクに惚れるなよ、ベイベー?」
「「「「誰が惚れるかよべいべー!!」」」」
 おー、やっと元気な声が聞こえてきた。
 なんか、この外身のアホ教師がべいべーとか言ってる理由が何か分かった気がするなぁ。この学校の生徒は皆優秀な人たちなんだろうけど、やっぱりそのぶんストレス溜めてるのかも知れないねぇ。それをちょっとでも発散させるには、こんなバカやってるのがちょうどいいのかも?
 ボクはそんな事を考えながら、最前列の机の上に小テストを配っていった。
「もし足りなかったら後ろで調整してねー。んじゃ、手元に紙が来た人から始めてー。時間は授業が終わるまでー」
 小テストは授業の終わりの方で、隣の人同士で交換して採点させたりすることが多いけど、そもそもボクは答えなんて知らないし、このアホ教師が後でヒーヒー言いながら全員分採点するのもオツという物だ。自分の勝手な都合で学生に小テストを強いるのならば、その後始末は自分できっちり付けろってヤツだね!
 とは言いつつ、この後始末とやらは、やはり10年後の自分に返ってくるのだと思えば、やっぱ適当に切り上げさせて自分らで採点させた方が良いのかなぁ? などとショボい事を考える自分がここにいる。
 どれどれ、万が一解き方を聞かれた場合を考慮して、問題を見て置いた方が良いだろうね。
 ボクは後ろの席で余った小テストの紙を回収すると、教卓に座りながらテスト問題を読んでみた。

Q.なぜコンデンサが電荷を蓄えることが出来るのか、図示して説明せよ

 うわー、いきなり何書いてるんだかさっぱり分かんない〜〜! なになに、コンデンサって古い扇風機に入ってて火ィ噴くアレでしょ!? 何で電気とか溜めるの? 火ィ噴くんだから火薬とか入ってるんじゃないの??
 ボクは慌てて教科書の該当する部分を見るも、平行の金属板で電界がどうしたとか誘電率がどうのとか、聞いたこともない単語ばかりが教科書の上で踊り狂っている。まさに異次元の世界、こんな問題を解けちゃうこの人達はやっぱ優秀なんだろうねぇ。
 ボクはテスト終了後に何か聞かれても、彼らの役に立つセリフを一言足りとも言える自信が無いため、小テストを回収したらさっさと教室から離脱、職員室へ向け最大船速で強制避難することとした。
 さっきは上から目線で何か偉そうなこと言っちゃったけどさ、大体この人達ボクの先輩にあたる人だよ!? 勉強の内容はおろか、人生相談受けても若輩者が一体何を答えられるというのでしょうか。
 そんな当たり前のことを確認するため、ボクは慌てて手帳を見た。

『まぁ妥当な判断だ。馬脚を露す前にさっさと消えろ』

 よし! このとにかく頭に来る手帳もばっくれろって書いてあるので、その言葉を信じて行動することにしよう。ボクは時計を見て、現在時刻を確認した。
テスト終了まで、あと残り20分。とりあえずそれまでは暇なので、万が一の事を考えて教科書のコンデンサの辺りを何度も読み返すこととした。

 それから20分後。
 努力の甲斐あって、コンデンサという物が電気(電荷??)を溜めるもんだと、何とか理解することに成功したのであった。
 これってアレだよね、雷電瓶だったっけ? なんかフランクリンが雷に打たれながら瓶の中に電気を溜めたとかどうとかいう話に出てくる理論で、向かい合った導体にそれぞれプラスの電荷とマイナスの電荷を入れると、何かよく分かんないけど電気が外に逃げないで溜まったままになるとか何とか、そんな感じのヤツだったよね?? んー、そもそも電荷って何だ? この手の話しには必ず電子と正孔って言葉が出てくるけど、それと何がどう違うんだろ? てゆーか、正孔って言葉を聞く度に頭の中で”性交”なんてえっちな漢字変換しちゃうのは、誰もが羨むお年頃の男の子ならまったくもって当然のことだよね!
 そんな、辞書にやらしい言葉を見つける度に一生懸命印を付ける小学生的思考で頭の中をいっぱいにしていると、授業の終了を告げるチャイムが鳴った。
 よし! このともかく頭に来る手帳がばっくれろって書いてあるので、その言葉を信じてすぐさま教室から飛び出よう!! ……などと即座に実行したいところだけど、それはあまりにもあんまりなので。
「はーい、終了〜〜。後ろの人から紙を集めてきてねー」
 ボクはそう声を掛けると、教室の後ろからまるで波のように押し寄せてくる解答用紙が前列の席に集まってくるのに合わせ、手際よく紙の束を回収していった。
「そいではお疲れさん! 終わりだべいべー!」
「「「「ありがとうべいべー!」」」」
 ボクは生徒からの返答もそこそこに、さっさと教科書を纏めると、職員室に向かってダッシュを決め込んだ。
 うあ――――!!!
 上級生の授業はメチャクチャ緊張したよー!!
 幸運にも小テストが用意されていたから良かった物の、適当に授業しろとか書いてあったら絶対即死するね!! 保証すら出来る!!
 授業を終えた生徒達が行き来する階段を下りながら、ボクは大事を成した達成感と安堵感とで、微妙にテンションが高くなっていた。階段の踊り場に設えられた窓から射す日の光が、とってもまぶしく感じられる。なんだか人生とってもハッピーな気分すらしていた。
 学校の先生って、案外良いのかも!?
 たった2回しか授業をしていないにもかかわらず、調子に乗ったボクはそんな甘ったれた事を考えていた。だいたい、教師云々の前に大学行かないと。大学云々の前に、今の学校をきちんと卒業しないと。うーむ、ボクの成績だと、卒業は大丈夫だろうけど大学は実際ヤバいよなぁ……。でも浪人覚悟で勉強してると確実に二浪するらしいので、現役で行く覚悟で受験にあたらなければならないのだ。さすがに我が家の経済状況を鑑みるに、二浪は無理だ。出来ればさっさと大学に入って、受験なんて一度きりにしたいもんだよ。
 元に戻ったら、一生懸命勉強しないとなぁ……。
 さっきの先輩達も、周りの勉強の進度に追いつくか追いつかないかでかなり疲れていたみたいだし、少しでも先に受験勉強を始めた方が、楽なのかも知れないね。今迄みたいに遊び惚けていたら、人生どうなるかわかったもんじゃない。
 だいたい、10年後の自分と称するこの外身の疲れたオッサンが高校教師をしているとは言え、ボクも未来は間違いなく教師になれると決まったワケではないのだ。今ボクがいるこの10年後の世界は、ボクが今後進むであろう未来の、可能性の一つに過ぎないのかも知れない。何かのアニメでやってた、分岐宇宙とかその辺のヤツだよ。これからのボクの行動如何によって、未来はどんどん分岐して行っちゃう。例えば、今までと同じように遊びまくってて、しかも将来はちゃんと学校の先生になれてロリな女房おねーさんと一緒に住むんだぜーって余裕ぶっこいていたら、この時間軸に進む事はおろか、ロクに高校すら卒業できずに引きこもりニートになって、社会のお荷物になっちゃうかも知れない。むしろその確率の方が圧倒的に高いね! だいたいボクが学校の先生とか、無理がありすぎるってモンだよ。きっとこの未来は、ボクの人生の可能性の内、奇跡的なほどラッキーな状態なのだ。学校の先生になるならない以前に、まずは大学に行くことを真面目に考えないと。そもそも自分、この間こそ担任には現役合格はほぼ無理って言われたようなもんじゃない……。
 普通は、自分の割とシアワセそうな未来を見たら、ソコソコ安心するものだろうけど、ボクの場合はそうも言ってられないようだ。むしろこの未来を基準として、如何にこの状態から劣化を食い止めるのかが、ボクの人生に科された命題だといっても過言ではないだろう。
 ……コテコテに鬱過ぎる!!
 誰もが羨むお年頃なのに、早くも自分の人生守りに入ったよ!? どんだけしょっぱい人生なんだと! どんだけ御先真っ暗なんだと!!
 今まさに人生お花畑の17歳という立場で、なんでそんなにも後ろ向きな事を考えなければならないのだろうか。男の子足るべき者、青春を賭して何かに打ち込んだり、血が沸騰するくらいに熱く燃え上がることの一度や二度はあっても然るべきだろうと、ここは声を大にして言いたい! それが何で失敗しないことばかりに気をとられなければならないのだろうか。これは間違っている! 根本的に勘違いをしている!! むしろ、今のこの疲れたオッサンを超えるくらいの所を目指してナンボであると! それが命を掛けて生き抜く人生ってモンの価値ではないのでしょうか!!
 ボクはなぜか熱くなりながら、手帳を見た。

『勉強しろ。お前はバカだ』

 ……何度も言われなくても分かてるって! どうせボクは今のまんまじゃ大学に行けないバカですよーだ!! まぁ、ボクもそれなりにオトナですし? この手帳のふざけた言葉も一応は”頑張れ”って意味だと捉えておきますよ? ん??
 ボクが心の中で手帳に悪態をついていると、いつの間にか職員室に着いていた。
「うー、疲れた……」
 ボクは年寄り臭い声と共に、職員室の自分の席に腰掛けた。即席代理物理教師はことのほか体力を消耗したし、それに精神的なプレッシャーも中々にキツかった。体中の疲れがどっと吹き出してくる。
 さて、今日はもう授業は終わりかなぁ?? さすがに授業を3連続(真ん中は掃除だったけどさ)もすれば、過重労働と言えるでしょう。ボクは淡い期待を抱きつつ手帳を見た。

『4時限目は1年生の授業だ。1−2に行け。たった3限やったくらいでへばってんじゃねぇぞこのヘタレめ。ちなみに雷で電気を溜めたのはライデン瓶だ。漢字じゃない』

 うぅぅ、ヘタレ言われた! 未来の疲れた自分にヘタレ言われた!!
 学校の先生って結構体力使うんだー。ボクのクラスの担任とか、何かいつもダラダラやってるから気楽な職業かと思ってたけど、実際は違っているのだろうね。こりゃ、将来の目標もちゃんと考えないと。
 それよりも! ライデン瓶って雷の電気溜めるから雷電じゃ無かったの!? やった人の名前はフランクリンなんでしょ?? そしたらライデンって一体何なの? 誰の名前なの?? 世の中には、ホントによく分からないことが多いなぁ……
 ボクは後でライデン瓶をググろうと決意しつつ、YMOの名曲RYDEENを口ずさみながら、1−2の教室に向かっていった。


「授業を始めるぜベイベー!」
 朝のホームルームから数えて早4回目。またもやバカな教師が神聖なる教室で暴言を吹き散らしていた。
「「「「お願いべいべー」」」」
 そしてそれに感化された可哀想な生徒からも、到底高校の授業とは思えない挨拶の声が発せられる。
 ん、さすが1年生、元気いっぱいで大変よろしい!
 ボクは授業のやり方を確認すべく、意気揚々と手帳を見た。

『気合いで何とかしろ。以上だ』

 ありえないから――――――――――――――っ!!!!!

 1年生用の教科書を見れば、確かに今日の授業の所に付箋がしてあるようだけど、言うに事欠いて気合いで何とかしろだ!? 学校の授業って気合いでするもんなのか!? そもそも気合を入れるなら入れるべき勘所を示してから何とかしろと言うのが、先達の行うべき所ではないのか!!??
 ボクはショックのあまり、3秒間ほどフリーズしてしまっていた。
 むぅ、さっきは”なんとかしろ”なんて書いてあったら即死するって言ったけど、前言撤回、死なずに済んだ。けど、これは別の意味でしっかり死ねそうだよ!?
 1限目の授業は、先週習ったばかりの所だったからまだ印象やら記憶が残ってて何とかなったけど、今度の授業はある意味一年前!? てゆーか1年前の授業なんて何にも覚えてないよーっ
 ボクは半泣きしながら手帳を見た。

『だから気合いで何とかしろ。以上だ』

 ボクはもう一度確認すべく手帳を見た。

『だから気合いで何とかしろと言ってる。 お 前 は バ カ だ 』

 バカって言うなこのくそったれーっ!!
 何だってんだい、バカはどっちかってんだ!
 いーよもう、どーせメチャクチャな授業したって、怒られるのはこのバカタレ教師だもん!! だいたい10年後に確実に先生になれるわけでも無いんだろうから、ボクが元に戻った後でこの外身の疲れたオッサンがどんな苦労しようとも、ボクにはな〜〜〜んにも関係ないんだもんねー!!
 つくづくざまー見れと言いたい。自分で蒔いた苦労は自分で刈り取ればいいのさ!
 ボクは手帳を閉じると、教科書の付箋の挟まっているページを開いた。
「えーと、今日の授業は位置エネルギーについてです?」
 むぅ、単に物体を高く上げればそのぶん位置エネルギーが増すってだけか……。こんなモン、1限目の第二宇宙速度とかに比べたらかなり余裕じゃん。
 ボクは黒板に地面と称した横線を一本引き、そこから少し上にリンゴの絵を描いた。
 うむ、リンゴがどう考えても柿に見える。せめてアップル(MacとかiPhoneのアップルだよ)のロゴくらいに、誰が見てもリンゴだと分かる絵が描ければ良い物を……!
 ボクが黒板の柿の絵を目の前にして、無念のあまり歯ぎしりをしていると、
「せんせー、そのジャガイモなにー?」
 等と、惨い言葉を浴びせてきた女生徒が居た。つい最近まで中学生やってましたーとばかりな童顔・ショートヘア・ぺったんな胸・背の低さを全て兼ね備えたチビッコである。そして聞いてもないのに今日のウチの晩ご飯カレーなのーとか言ってるが、そういうのは彼氏にでも告白しておきなさい。てゆーかついにジャガイモ来たよ! 果物にすら見えないとは!!
「あー、これはリンゴです。だからカレーに入れても問題ありません」
 このボクの当然極まる言葉に、しかし教室からは「見えねー」だの「ないわー」だの「パネー」だの、人として決して言ってはいけないレベルの酷い罵詈雑言があちこちから聞こえてくるのであった。
「いーじゃん!! ボクがリンゴっつったらリンゴなのー!!」
 当然の叫びだと思う。しかしこのボクの魂からの雄叫びに、クラスのガキ共はみんなしてきゃっきゃと笑い転げている。ちくしょー、こいつらボクより年下のくせにー! ボクよりも背ぇちっちゃいヤツいっぱい居るくせにー!!!
 まぁ、ボクも外見は良い感じに疲れたオッサンですし? こんなちんちくりんの坊主やおっぱいぺったんこな小娘相手に本気で腹を立てるのは、いささか大人げないのではないかと誹りを受けても反論できないですし?? ここは外見らしく、ガキ共の不躾さ加減は華麗にスルーしてやるのが、疲れたオトナの度量の見せ所ってヤツでしょう。
「んじゃ、まぁこのジャガイモが、地べたから10センチ持ち上がったとしましょう〜。すると、このジャガイモを持ち上げるために使ったエネルギーが、ジャガイモの位置エネルギーとして保存されます」
 つまり1限目にやったエネルギー保存則だ。質量を持った物を動かすにはエネルギーが要るけど、そのエネルギーは勝手に消えたりしないで物体に位置エネルギーとして保存される。そして、上に持ち上げた物が下に落ちるときに周りに色々とやらかすけど、そのやらかす事に使ったエネルギーとは、初めに物を持ち上げるのに使ったエネルギー、そして物が保存していた位置エネルギーとそれぞれ一緒って事だね。
「以前、エネルギー保存則って習ったと思うけど、世の中、一つの系に働くエネルギーの総和は、勝手に増えたり減ったりしないんだねー。つまり、物を持ち上げるために使ったエネルギーは、その物が持つ位置エネルギーにそっくりそのまま変換されるし、そしてその物が地べたに落っこちたときに音を立てるとか、地べたにクレーターを作るとか、そうやって使われたエネルギーは、物が持っていた位置エネルギーに等しくなるってことだねー」
「んじゃせんせー、クレーター作った後のエネルギーってどーなるの?」
 ボクが気分よく説明していると、教卓の前にいたポニーテールの女の子が、いきなりの質問を浴びせてきた。まったく、個別の質問は後にして貰いたいもんだ。何とか思い出した去年の授業の中身が、横道にそれた瞬間に頭から蒸発しちゃうじゃないか〜〜
「んー、ジャガイモが地面に衝突したときに、熱エネルギーに変わるとか、音響エネルギーに変わるとか、すっごい微量だけれども地球の位置をずらすとか、そういう方向に変化していくと思うよー?」
 思うよー?なんて、先生が言っていいセリフじゃないのだろうけどさ、ボクにもサパーリわかりません! てゆーかジャガイモで地球の位置がずれるのならば、くい打ち機でドコドコ地面を引っ叩いていたら、そのうち地球は土星まで行っちゃうのかなぁ?? ボクは一瞬土星のわっかに思いを馳せてしまったけど、そういえば今は授業中だ。集中集中!
「んじゃ、それを宿題にしよう〜〜。今度の授業までに、あなたが思うエネルギーの行き先を考えてきてねー」
「うげー、最悪〜〜」
 そんなあからさまに嫌そうな顔せんでも。だいたい、せっかく自分で興味を感じたことなんだから、それはちゃんと自分で調べてみないとね。まさに好きこそ物の上手なれってヤツだよ。絶対に記憶に残るだろうし、きっとそこで調べたことは今後の物理を勉強する上で大切な基礎意識になると思うよ? 今はググれば幾らでも答えは出てくるんだし。
「では、話を位置エネルギーに戻しましょう〜〜。位置エネルギーの公式は簡単で、位置エネルギーをEとすると、E=mghとなります。ここでmはジャガイモの質量、gは重力加速度、hは高さですー」
 ボクは黒板に大きくE=mghと公式を書いた。もっと高学年になれば、積分だかなんだかを使って、そもそも何でE=mghって式が出てくるのかを教えるそうなのだけど、1年ではまず公式として覚えさせるだけで良いらしい。
「では、実際に数値を入れて計算してみましょう〜。ジャガイモの質量を50グラム、持ち上げた高さを10センチ、重力加速度を9.8とすると、さて、えーと、では佐々木さん? 前に来てびしっと説明して下さいね〜〜」
 ボクは教卓に貼り付けてあった座席表から、先ほどボクの柿をジャガイモだのと貶めた女の子の名前を読み取り、さりげに晒し者にしてやった。
「はぁ〜い!!」
 佐々木さんは元気よく立ち上がるとダッシュで教卓の横まですっ飛んできて、黒板に丸っこい字でちまちま数式を書き始めた。そこまで気合い入れて問題解かんでも。てゆーかふつー、前に来て問題解けとか嫌がらせ以外の何モンでも無くね!?
「せんせー、できましたー!!」
 それでね、今日のデザートはいちごのアイスなの〜と、佐々木さんはボクにキラキラした瞳を向けながらそんな事を宣っているけど、だからそういうのは彼氏にでも言いなさいって。
「あー、そうだね、まぁかけ算すれば良いだけなんだけど、ちゃんとMKS単位系に値を合わせてあるところが芸が細かいねー。よくできましたー」
 ボクが赤いチョークででっかい丸を書いてやると、
「よっしゃ――――いっ!!」
 佐々木さんはその場でガッツポーズを決め、ぴょんこぴょんこ飛び跳ねている。短いスカートの端からぱんつ見えてますよ、そこのおじょーさん。
 ボクは小娘の色香なんぞに惑わされぬよう、ぱんつの画像データを脳の奥底にしっかり記憶したのちに、咳払いを一つして再び教科書に意識を集中させた。
「では、次にバネに繋がれた物体が持つ位置エネルギーについて考えてみましょう〜。皆さんはバネを知ってますか? どこかの作者は、小さい頃には赤羽って所は赤いバネがいっぱいあるとか思っていたそうですが、それとは全然関係ありませんよー?」
 教室には、見事なまでにしらっちゃけた空気が充満していた。まぁ、良い。たまには外してやらないと、後進が辛くなるだけだ。
「バネと言えば、巨人の星に出てくる飛雄馬君が付けていた大リーグ養成ギブスとかが、とっても有名ですー。つまり、バネは力を入れればそのぶん伸びるし、力を弱めれば縮みます。これは、バネが伸びたら、そこにエネルギーが保存されたって言えるわけですねー」
 そこでボクは、バネの一端が天井に固定され、もう一端に球(リンゴ描いてもジャガイモとか言われるから、もう凝ったことはヤメにした)がぶら下がった絵を描いた。
「実は、この絵は透明の手で球を支えていることになっています」
 ボクは先ほどの絵の隣に、バネだけを伸ばした絵をまた描いた。
「このバネが伸びた方の絵では、球の位置が下がった分だけ、バネに位置エネルギーが増えたって事になります。球の位置の差をxとすると、バネに溜まった位置エネルギーEは、E=1/2kx2と表されます。kはバネ定数ってヤツで、まぁバネの堅さみたいなもんだねー。あ、ちなみにバネを縮めたり伸ばしたりしたときの力の強さFは、F=kxで表せます。もちろん、バネを伸ばしすぎたり潰しすぎたりするとひん曲がっておかしくなるけど、そうならない範囲では押したり引いたりする力と、バネの伸び縮みの長さはほぼ比例します。こう言うのをフックの法則って言うので、覚えておいてねー?」
「「「「「わかったべいべー!!」」」」」
 うん、このクラスも酷い!
 だいたいこの外見の疲れたバカ教師には、同僚の先生方からクレームが来ないのであろうか? 「宅の生徒が皆ベイベーとか奇っ怪な雄叫びを張り上げるのは、あーたの気の違った指導のおかげザマスよー!?」とかなんとか。まぁ、この学校の生徒は皆優秀な人たちばっかりだから、頭の容量の知れたアホ教師にわざわざレベルを合わせてやってくれてるんだってのもあるだろうけどねー。
 てゆーか生徒に気ィ遣わせてどーすんだ、この外身の疲れたオッサン! 痛すぎるのも大概にしろってヤツだよ。いっちょ前に大人の自覚があるべき者なら、むしろ若者の至らぬ所にちゃんと気を遣ってやれと。方向間違えてんじゃねーよと。
 だからボクは日頃の恩を彼らに返すべく、前に習ったであろうエネルギー保存則や先週の授業分である運動エネルギーなどについて、一通り復習を兼ねた説明を行い、皆の理解度がより高まるように誠心誠意、心を込めて授業を行った。そして事もあろうに時間が経つのもすっかり忘れ、チャイムの音で授業時間が終わったことを知らされる事態となった。前の授業では、チャイムが鳴るのをずっと待っていたというのに。
「それじゃ終わりだべいべー!!」
 ボクは区切りの良いところで授業を纏め、もう完全に違和感を無くした酷い言葉を解き放つ。それと同時に、今日一番難しかった授業を無事終了することが出来た。
「「「「「ありがとうべいべー!」」」」
 一部、べいべいなのーとか変な声が聞こえた気もするけど、とりあえず放っておくことにしましょう。また変な子に構うと、今日のぱんつはいちごの模様なのーとかいって、衆人環視の中でスカートをめくってくれちゃうかも知れない。そんな事になったら、この外身の疲れたオッサンは明日から淫行教師として、学校中の人間からさんざん罵られたあげく、あの女房おねーさんにも離婚されちゃうかも知れないのだ。いや、離婚で済まされればマシって状態でしょう。間違いなく刑務所にぶち込まれるね!
 それはさすがに悲し過ぎる結末だ。幾らこの外身のアホが自分の未来に直結してないとは言え、この疲れたオッサンも過去はボク自身だったわけだよ? ルーツが同じだったよしみとして、社会的地位を奪うことくらいは避けてやらんでもないし、まぁ少しくらい気を利かしてあげても、とりあえず罰は当たらないと思う。
 ボクは教科書一式を担いで職員室に戻るべく、そそくさと教室から出た。
 と思ったら。
「せんせー、赤羽ってどこにあるのー?」
 続けて赤い羽根募金と関係あるのーとか何とか聞こえてくるが、後ろを見れば、やっぱりさっきのジャガイモッ子だった。さっさと職員室に避難しようと思ってたのに、一番めんどくさそうなのに捕まっちゃったよ。
 ん?? そういえばボクって結構女生徒から絡まれるよねぇ。朝のホームルームから授業中まで、女生徒にいっぱい声掛けて貰ってるし。もしかしてボク今、絶賛モテ期到来中!?
「あー、東京都北区にあるよー」
 けれどもボクは淫行教師に身を窶すのを回避すべく、努めて素っ気なく答えてやった。てゆーかあんた一応高校生なんだから、赤羽くらいは知っておこうよー。秋葉原とかに比べたら、確かにビミョーにマイナーな所だけどさ……。
「それってどこなのー? 電車だとどうやっていくのー??」
 ジャガ子はまたもやキラキラした瞳で、ボクの方をじっと見ている。んー、こんな子に「いまからオトナの嗜みってヤツをじっくり教えてやるぜ、カモンベイベー?」とか言ってどっかのお店にでも誘えば、何か簡単に落とせそうな気がするなぁ……。このくらいの女の子って、やたら大人の真似したがるし。
 ボクは小娘の色香に迷い、極めて下衆な妄想をしてしまっていた。んー、これが手帳に書いてあった”思ったよりも簡単に手を出せるが”ってヤツなんだなぁ……。
 うん、極めて危険だ。
 だいたい世の中、女子高生とちゅっちゅしていいのは男子高校生だけなのだ。ボクは今疲れたオッサンなんだから、こんなちっこい子にそんな劣情を抱いてはいけないのだ。さっき見えたぱんつだけで勘弁してやるのが、疲れた大人の嗜みってヤツだよ。
「電車? 上野駅からだったら京浜東北線とか高崎線とか宇都宮線で、新宿や池袋からだったら埼京線で、埼玉方面に走ってればそのうち着くよー?」
「先生行ったことあるのー?」
 そして人の答えもろくすっぽ聞かずに、私東京にも行ったことないのーとか言ってるけど、だから彼氏にでも連れてって貰いなさいってば。間違っても変なオッサンだけにはついて行っちゃ駄目だよー。
「以前何かの用で行ったことあるなぁ? あんまり覚えてないけど……」
「すごーい! 私も連れて行って欲しいのー」
 だから小娘がオッサンを誘惑するなと。今たまたましっかりとした貞操観念を持ってるボクが中身だからこそ、理性的かつ紳士的な対応が可能だけどさ、万が一この疲れたオッサンが中身のまんまだったら、あんた今頃保健室に連れてかれて服をむしられたあげくに、おっぱいいっぱい触られちゃってるかも知れないよー!? まぁ、この子胸無いけどさ……
「……彼氏にでも連れてって貰えば?」
「うえー、彼氏なんて居ないもーん! だからせんせーに連れて行って貰うのー」
 もし外身がこの疲れたオッサンではなくボクそのままなら、このまま「行くぜべいべー!」とか言ってこの子と一緒に赤羽デートを決め込んじゃうかも知れないねぇ。この子ちっちゃいけど十分可愛いし。
 うーん、同じちっちゃいにしても、あの小岩井なんかと違ってギスギスしてないのが良いよねぇ。こう言うのを純真爛漫とかいうのだろうか。他の女の子は年相応に背伸びしてちょこっと化粧したり髪染めたりしておしゃれしてるけど、この子見方によっては小学生にも見えるくらいだ。顔もすっぴんのまんまだし、子供っぽいって言うんじゃないけど、身も心も純粋な子なんだろうねぇ。一緒に街を歩いていたら、色々楽しいだろうなぁ。
「だめだめ。女の子は、簡単に男に付いてくなんて言っちゃいけないよー。だいたい、せんせーには女房おねーさんが居るんだから。浮気したら何か殺されちゃうらしいし……」
 うん、なんかそんなこと朝に言われたよね……。どんだけ愛されてるんだと。まさに殺し愛。あの女房おねーさんはヤンデレなのか? 怖ぇー。
「バレない様すれば大丈夫なのー。……せんせー、いつか連れってってね〜」
 ジャガ子は諦めたのか、手を振りながら教室に戻っていった。はぁ、全くお気楽なもんだ。結局最初っから最後までずっとマイペースだったよねぇ。
 ボクは両手で抱えていた教科書を持ち直すと、昼休みとなり騒がしくなった廊下の喧噪に耳を傾けながら、職員室に戻っていった。

「ふぅ、つかれた〜〜」
 なんか一時間ほど前にも同じ様なセリフを吐いた気もするけど、やはり疲れる物は疲れるのだ。幾ら中身が誰もが羨むお年頃の男の子であっても、精神的にすっごい消耗したし、それに肉体を構成する外身の疲れたオッサンはその名の通り疲れている。それに改めて時刻を確認すれば、ちょうどお昼時である。そういえばボクの昼ご飯ってどうなってるんだ? 先生も学食で食べるのだろうか。それとも先生専用の高級仕出し弁当が用意されているのだろうか!?
 ボクは期待に胸をふくらませ、ついでにおなかをぐるぐる鳴らしながら手帳を見た。

『鞄の中に愛妻弁当が入っているはずだ。一口ごとに愛情を込めて、良く噛んで食え』

 うわ、やば!! 学校来た時に、鞄を机の下に放り投げちゃったよ!
 ボクは顔面蒼白になりながら、慌てて机の下に潜り込み、鞄を開けて中見を漁った。
 すると、鞄の奥の方から、中身がきっちり詰まっているであろう弁当箱が出てきたのだった。
 その弁当箱を握りしめ、思う事はただ一つ。
 あの女房おねーさんが、ボクがまだ惰眠をむさぼっている頃から起きだして、せっかくこの弁当をこさえてくれたのだ。それを、足蹴にするがの如く手荒に扱ってしまった自分自身なぞ、今すぐ速攻死んでしまえ!!……と。
 もし万が一、中身がぐちゃぐちゃになっていようものなら、今日家に帰ったときに女房おねーさんの顔をしっかり見られないかも知れない。もちろん中身がどんなことになっていようとも、御飯粒一つ残さず食べるけど、それとこれとは別の話なのだ。ボクは、人の良心を踏みにじるようなことだけは、何があっても絶対大っっっ嫌いなのだ。
 ボクは机の下から這い出し、弁当箱をそっと机の上に置く。そしてそれを包んでいた布をほどき、緊張でガタガタ震える手でふたを開けていった。
 どうか神様、中身がぐちゃぐちゃになっていませんように……!!
 果たしてボクの願いがお弁当の神様に通じたのか、箱の中身は多分制作時の構成をちゃんと保っているようで、内容物の配置は特に乱れてはいなかった。
「良かった………!」
 その綺麗に盛りつけられた弁当を見て、嬉しさのあまり涙まで出てきそうになる。
 さすがに愛情がこもりすぎて異常発酵起こしたような痛々しいキャラ弁とかにはなってないけど、でもあの女房おねーさんの殺し愛な気持ちが十分詰まったような、優しくラブリーな弁当が顔をのぞかせる。うわー、ハンバーグだ。ボク大好き!
 そのおいしそうなにおいに刺激され、胃袋の方も激しく興奮しだし、腹の虫をより一層賑やかに鳴らしまくる。
「せんせー、よっぽど嬉しそうですねー」
 ボクの弁当に挑む姿がよっぽどマジだったのか、隣にいた名称不明の先生がオカンの瞳で声を掛けてきた。てゆーか先生、あなたまだ若いんだから、そんな我が子を見るような目でこっちを見ないで下さいよ。
「いや、妻に感謝の祈りを捧げていまして」
「は、はぁ……。奥さん幸せそうですね?」
 だからそこは疑問形にせんでも。
 よく見れば、隣の先生はその辺のセブンイレブンで買ってきたような、サンドウィッチをパクついていた。もちろんセブンのサンドウィッチはおいしいけど、けど量もさることながら、やはり人の温かみ成分が全く違う、隣同士で対照的な取り合わせとなっていた。
「……私もお弁当欲しいなぁ。結婚したいなぁ」
 むぅ、旦那さんを最近流行の主夫にでもするつもりですか。でも、まどかのお父さんも立派な主夫だったし、男女平等の世の中、旦那が家庭を切り盛りしていても全然悪いことはないよね。
「素敵な旦那さんが見つかると良いですね」
「そうですねー……。先生、今度誰かいい人紹介してくれません?」
 なんと、いきなり難易度の高い要求が来てしまった。しっかし、ボクが知ってる男共の中で、ちゃんと主夫が出来そうなのは……うん、熊ちゃんとか良いかも。そういえば、この時代って熊ちゃん何やってるんだ!?
 ボクは、もしかして熊ちゃんの未来を知ることが出来るかもと思いつつ、手帳を見た。

『内緒だ。ちなみに熊ちゃんは既婚者だ』

 なんだとぅ!? 熊ちゃん結婚できたんだ!! とかいっても、むしろボクの方がよっぽど奇跡的だよねー。だって熊ちゃん、ボクから見ても超ナイスガイだもん、女の子が放っておかないよー。きっと良い旦那さんになってるんだろうなぁ。
「残念ながら、ボクが知っているまともな人間は皆売約済みでして」
「そっかー、こうやって売れ残っていくんだぁ〜……死のうか、もう」
 いやいや、まだ諦めるのはまだ早いって! あ、そうだ、みっちゃんとかどうだ!? ロリで変態でプライドが漏電してるような人だけど、一応人間の範疇には残っているよ!? たまに怪しく思えるときもあるけどさっ!
 ボクは、みっちゃんの将来も気になるので手帳を見た。

『内緒だ。みっちゃんは無理だ。色々な。分かれ』

 ですよねー!!
「極めて残念ながら、ボクが知っているまともでない人間も、やっぱり無理そうです」
「ハァ………。今生はもう諦めるか。今度生まれ直して何とかするしかないなぁ……」
 だからそこまで絶望せんでも。
「いやいや、ボクみたいなのでも意外を通り越して心外にも結婚出来たようですし、気合いと根性を入れれば、もしかして誰かが拾ってくれるかも知れません」
「もう、その辺の男子生徒でも咥え込んで、一発子供でも作るかなぁ。妊娠しちゃえばこっちのモンでしょ……」
 だからそこまで捨て鉢にならんでも。てゆーか先生、生徒の方がよっぽど迷惑でしょうが……
「一条先生、私ってそこまで魅力ありません!?」
 隣の名称不明の先生は、いきなりボクにがっついてくる。あの、ボク、そろそろ女房おねーさんのお弁当を食べたいんですけど?
「先生の魅力を理解できない男共なんて、放っておけばいいんですよ。そういう奴らは先生のぴちぴちに熟れたバディーに下心しか持っていない、下衆のゴミ共なのであります」
 ボクはそんな白々しいセリフを吐きながら、弁当箱のふたに内蔵されていた箸を取り出した。
「そんな連中においしく頂かれてしまっては、先生の女の貫目が下がるという物です。いい女は、決して自分を安売りしない物なのであります」
 ボクはぴちぴちに熟れたプチトマトをぱくっと頂きながら、なんか伊東さんと山科さんを足して二で割ったようなセリフを宣っていた。うん、このトマトおいしいなぁ……女房おねーさんの愛情がすっごいこもってるよ〜〜〜!
 重ねて言うが、ボクの母親は料理ベタなので、こんなおいしいお弁当にありつけたことなど、今まで一度足りとも無かったのだ。嫌いなトマトですらおいしく感じられるこの愛妻弁当を、毎日延々食べ続けられるなんて、この外身の身の程知らずはいつか罰が当たってダンプに轢かれるよ!?
「分かりました先生! 私、もっともっと女を磨きます!!」
「光り輝く女こそ、男共が求めて止まない理想郷なのであります」
「そうですよね! いつしか素敵な人が現れるまで、私頑張って光り輝いて見せます!!」
 非常に申し訳ないけど、弁当があまりにおいしすぎて、これ以上名称不明の先生の事を考えるの余力なんて全く無かった。隣で妙にキラキラ輝き始めた先生を横目に、ボクは適当に相づちを打ちながら、ひたすら弁当にがっついていたのだった。
 それから5分後。
「あー、おいしかったぁ〜〜」
 弁当箱の中身を御飯粒一つ残らず食べ尽くし、ボクは感嘆の溜息をつく。
 今から思い出してみれば、女房おねーさんが作ってくれた朝食もすっごいおいしかった。こんな料理上手なロリコン女房おねーさんを、この外身のアホは一体どこでどうやって取っ捕まえてきたというのだろうか。よもや、犯罪行為に手を染めたとかはないよねぇ? てゆーか、どう考えても分不相応。自分が10年経った如きには、あまりにもゼータク過ぎるってヤツだよ。そもそもボクのどこが良かったというのだろうか?? こんな素敵な女房おねーさん、メチャクチャ競争率高いと思うんだけどなぁ?
 ボクはつくづく、自分の未来がこの時間軸には接続されていない事を悟った。どう頑張っても、この未来にたどり着けることはないように感じる。出来過ぎってモンだよ。大学進学すら危ぶまれている自分が、どうやって高校教師になって、そしてすっごい高スペックな女房おねーさんをモノに出来るというのだろうか。あり得ない。無理すぎる。どう考えても無謀すぎる。
 いくらこの外身の疲れたオッサンを真似たとしても、やはり自分にはべいべーが関の山だ。このムカつく手帳の言うことは、やっぱり正しいのだろうねー……。
 しかし、ここで自分の未来に絶望して、バカみたいにふてくされても良いことは何一つ無い。今はとにかく即席代理物理教師をソツ無くこなさなくてはならないのだ。未来の事なんて、この際どうだって良い。ボクが今専心しなければならないことは、『10年前の自分に戻る』ということなのだ。
 ボクは弁当箱を元通り綺麗に布でくるみ、鞄の奥に押し込んだ。そして、頭の中身を先生モードに切り替え、机の上に張ってある時間割を確認する。
 5限目の欄には”ホームルーム”とあった。自分のクラスに戻って、何か適当な学級会でもヤレと言うことでしょう。
 ところで、ボクはその学級会の議題について思うところがさっぱり無いので、助けを請うべく手帳を見た。

『5時限目は自分のクラスでホームルームだ。さっさと教室に戻って文化祭の説明をしろ。後は適当に語っておけ。以上だ』

 ………毎回思うけど酷すぎない!? なんだこれ、まともに指示出す気ないでしょ! だいたい適当に語っておけとか、頭悪すぎだし!! 教師として給料貰ってるなら、その分しっかり働かせて貰えと、ここはいつもよりより声を大にして言いたい! だいたい文化祭の説明とか、いきなりボクに出来るわけ無いじゃん! 朝の職員会議でヒステリー学年主任が喚いたことを説明するにしても、アレは生徒向けではなく教師向けのことばっかり言ってたことだよ!? つくづくこの未来の疲れた自分はバカタレだ。あんな可愛い女房おねーさんと結婚までした分際で、こんなテキトーやってんじゃねーよと。こんなんでまともな人間やってるつもりになってんじゃねーよと。むしろ今までどうやって生きてきたの? 一度死んだ方が人類の為じゃね!?
 ボクは毎度の事ななりつつあるが、手帳に対して激しく立腹するも、地球の自転速度に思ったほど変化があるわけでもなく、とどのつまり、もう間もなく次の授業が始まってしまうという結構なピンチ状態であるため、取り急ぎ職員室を飛び出し自分のクラスへ移動を始めたのだった。
 そして、小走りで教室に向かう最中に思うことはただ一つ、とにかく『生徒にだけは不利益を被らせない』ということである。この外身の疲れたバカがまともに仕事をする気が無いというならば、代わりにボクがしっかり彼らを指導しなければならないのだ。超責任重大だけど、決して失敗は許されないよね!
 ボクが教室に入った瞬間、授業開始のチャイムが鳴り響いた。
「始めるぜべいべー!!」
 ボクは、今日一番気合いを入れて声を張り上げた。
「「「「「お願いベイベー!!」」」」」
 よし、我がクラスながら救いようがない!
 自らベイベーとほざいたあげくに止めようしない愚行を棚に上げ、自分の生徒すらもディスるバカがここにいる。しかし、このクラスを人前に出しても恥ずかしくないレベルに回復させるには、もうボクが最後のチャンスなのだ。最終防衛線なのだ。ファイナルデッドラインなのだ。ここできっちりホームルームを成し遂げれば、彼らは何とか良い方向に向かってくれるはずなのだ。
 ボクは、気合いを入れすぎてなんだか珍妙な方向に噴きだしたままの気勢をそのままに、最後の戦いたるホームルームを開始したのだった。
「えー、今日のホームルームは文化祭についてですー。……ところでこのクラスの出し物って決まってるの?」
 ボクは辺りを見渡すも、見事に誰も返事を返してこない。
「委員長! どーなんってんの?」
 ここらへんはもう、完全にアドリブの世界だった。そもそもボク、このクラスの委員長なんて誰だか全然知らないし。でも、さすがに学級委員くらいは居るよねぇ? もし居なかったら……どうすればいいの!?
 ボクは改めてガクブルしながら教室を見渡していると、教室の後ろの方で女生徒が立ち上がった。んー、ぱっと見、あんまり委員長って感じがしない子だなぁ。さては無理矢理やらされたクチか?
「まだなんにも決まってませーん。そもそも文化祭に出展しなきゃいけないんですかー?」
 いやいや、棄権は駄目でしょいくらなんでも。
「よっぽどのことがあっても、『ウチのクラスは出しませーん』は無理だと思うよー!? まだ決まってないなら、この時間で決めちゃわないと。せんせー方には出展内容を報告しろとか色々指示が出てるし……」
 だいたいボクなんか、朝っぱらにめんどくせーって言っただけでめっちゃ怒られたんだよ!? それを、ウチのクラスはやりませーんなんて言ったら、それこそあのヒスオヤジに本気でぶち殺されるよー。
「とにかく、学年主任に怒られたくないからさっさと決めて!」
 ボクはこの切実な訴えを、自らの教え子達にぶちまけたのだった。だったのだが……
「せんせー、そんなぶっちゃけられると自分らの立場が無いっすよー」
 教室の右の方から男子生徒の声がしたかと思えば、
「気持ちは分かるけど、せんせー大人なんだから……ね?」
 教卓の前にいる女生徒からも、まるで子犬を愛でるかの様な声色でご意見を頂戴してしまった。
 なんてコトだ、本来ならばこちらが指導して然るべき生徒達に、生暖かい目でたしなめられちゃったじゃないか……。教師として最悪過ぎる。みっともないことこの上ない。
「い、いや、ごめんなさい? とりあえず学年主任は置いておくとして、でも、出し物を決めて貰わないと駄目って事には間違いない状態であってですね??」
 今更取り繕う様に言っても、彼らの瞳にはちっとも輝きが宿らない。まずい、これは本気でシラケてる状態だよ!
「とにかく今すぐ決めちゃおうよー! せっかくの文化祭なんだから、楽しんでやらないと損だよー?」
 けど、ボクの取り繕い感たっぷりの薄っぺらい言葉は、彼らの心に響くことなんて全く無く、
「やっぱ棄権しましょうよー」
だの、
「めんどくさいから来年に纏めてやるっすー」
だの、
「今年は他のクラスの探索を行うと言うことでー」
だの、聞くに堪えない減らず口ばかりが教室中を満たしていた。
「いや、だから、そういう事を言っても埒があかないってゆーか、そもそも棄権って選択肢は初めから無くてね??」
 しかしボクの必死ななだめは全く効果が無いどころか、彼らの反対意見を増長させるだけだった。
「出し物やるのも、正直めんどくさいっすよー」
「今更文化祭で熱血とか、全然クールじゃないしー」
「どうせ真面目にやったって、ロクなモンできないっすよー」
「楽できるなら楽しようよー」
 教室の中は、やめろやめろコールでいっぱいだった。
 確かにめんどくさいことは分かるけどさ……気持ちは分かるけどさ……けど、そこまでやりたくない物なの!?
 ボクは教師としての立場がそうさせるのか、彼らの意見に耳を貸す気持ちはほとんど無くなっていた。そしてこのガキ共の言うめんどくさいだの楽したいだのいう言葉が、如何に下らなくしかも浅慮で短絡的な思考から湧き出ているものなのか、これ以上無いくらいによーく分かるもんだから(だってボクの中身は彼らと同じお年頃だもん)、もう本気で腹が立ってきた。
「だーかーらー! 幾ら文句言っても駄目なもんは駄目だって言ってるでしょー!? いい加減子供じゃないんだから、ここいらで聞き分けなよー!! 他のクラスはちゃんとやってるんだろうし、ウチだけやらないなんて通るわけ無いでしょ!」
 けど、ボクの言葉は全然彼らに通用しない。
「他は他じゃん〜〜」
「文化祭なんて真面目にやるヤツ居ないってー」
「ちゅーかむしろ何勝手に熱くなってやってんだって感じー?」
「そういうのバカっぽくてパスー」
「ぶっちゃ他にやること無いからって、そんなモンに存在意義見い出すのなんてダサ過ぎるよー」
 このクソガキ共の罵詈雑言を聞きつつ、なぜかボクの頭には、ボロボロになりながら脚本作ってた熊ちゃんの溜息とか、若木さんが「頑張ろうね!」って言ってた時の笑顔とか、部長がニコニコしながらボクらの映画作りを見ていた時の姿とかが、まるでフラッシュバックのように幾度となく現れては消えていった。
 彼らは、皆本気で頑張っていた。ボクはそれを間近で見ていたからよく分かる。みっちゃんも山科さんも、皆懸命に映画作りに邁進していたのだ。それを、そんな彼らの頑張りを、バカだのダサいだのクールじゃないだのと、このうすらバカ共はよくぞそこまで言ったもんだ。ましてや、本人の意志なんか関係ないところで勝手に決められた役を、あんなに一生懸命演技していた小岩井に、初めから何もしようとしないお前らが悪口言う筋合いがあるのか? ボクの大切な仲間を一方的にディスりやがって、物事を始めることすらせずに、既に行動を起こした人間をバカにするしか能のないお前らなんか、人を揶揄する資格なんてこれっぽっちもないんだよ!!
「……やかましいっ!!!」
 そして気がついたときには、ボクはまたもや大人げない態度をとっていた。
「さっきから聞いてればめんどくさいだのやりたくないだのばかり!! 何でせっかくの機会を楽しもうともしないで、そんな後ろ向きな事ばかり考えてんのさー! 高校二年の文化祭って、人生に一回しかないんだよ!? 何でその一回をもっと大切に考えないんだよーっ!!」
 感情に火が付いて、前後も自分も見失ったボクは、もう何が何だか分かんないけど喚き散らしていた。
「そりゃ確かにめんどくさいこともあるし、正直辛いことだっていっぱいあるでしょうよ! 役割によっちゃ理不尽な事をさせられることだって、うんざりする程あるでしょうよっ! でも、そういう事を含めても、みんなで何か一つのことをやるって大切な事じゃないの!? 人生勉強だの、社会に出たら共同作業を強いられるだの、そんなつまんないことは言わないよ! でも、やらなきゃいけないときに文句ばっか言って何もしない人間なんて、何の価値もないんだよ! 生きててもクソの役に立たないんだよ!! 例え良い結果が出なくても良い、愚直で鈍くさくても良い、そもそも結果なんて求められてないから出さなくても良い! だいたい学校の文化祭なんてのはクールに決めるもんじゃなくて、みんなで泥臭く、何かを一緒に作り上げる! その課程で頑張るためのもんでしょ!? はっきり言って、本番なんてオマケみたいなもんでしょうが!! そもそもみんなで祭りの準備をするなんて、学校出たら、もう二度と無いかも知れないんだよ!? 大人になって、高二の時に文化祭やんなくて良かったー!なんて思えるバカが居たら手ェあげろよ!! そんなうすらバカ居ないだろフツー! ありえないんだよ、もし居たら張り倒してやるから前に出てこいよ!! すっげぇかっこ悪いんだよそういうの! 斜に構えれてばカッコいいとか勘違いしてるんじゃねぇよ、端から見てればすっげぇガキなんだよ、ちっともクールじゃないんだよ!!」
 クラスメートは皆押し黙り、勝手にキレたバカ教師を凝視していた。最高にカッコ悪い……。何がクールじゃないだ、子供にちょっと文句言われたからってマジキレてる大人の方が、よっぽどクールじゃないよ、普通に引くよ……
 ボクはつくづく教師には向いていない人種なんだろう。自分の教え子に反対意見言われたからって簡単に癇癪を起こすようでは、到底教育者としての素質は無い。保証すら出来る。人としての底が知れすぎている。やっぱりこの高校教師をやってる未来の自分には、ボクの未来は接続されていないんだろうなぁ……
 何となく寂しい気持ちで一杯になったけど、しかしボクはまだこの瞬間は、即席代理物理教師なのだ。この外身のベイベーバカの代わりに、彼らをしっかり文化祭に導かなければならないのだ。
「……怒鳴ってごめん。でも、ボクは棄権なんて絶対許さないからね。みんなに、そんなだっさい真似させられないもん。みんなが後になってやって良かったーって思える様にするのがボクの仕事なんだから、ボクは一生懸命やるからね。何か文句ある人居る!?」
 ボクのこの意味の分かんない問いかけに……むしろ稚拙な脅迫に、答える生徒は一人も居なかった。
「文句が無いなら、しっかり何やるか決めてね。時間もあまりないから、あと30分で結果を出して。委員長、任せて良い?」
「は、はいっ!」
 結構な無茶ぶりだと思うのに、先ほどの委員長らしくない委員長は中々良い返事をしてくれた。ボクが教卓から離れて教室の端に行くと、彼女は前に出てきて一礼し、早速出展内容についてディスカッションを始めたのだった。
 あとはソコソコ真剣な学級会(?)が行われていたように思える。元々この学校の人は優秀だから、会議も無駄なくキリキリ進んでいるようだ。んー、やっぱりこういうところがウチの学校の連中と違うよねぇ……。もちろん色々なことに対して積極的に怠惰を尊ぶボクの学校では、学級会などまともに機能せず、とりあえずうぜ〜〜〜って声ばかりが上がる始末。そんな学校に通ってて、ウゼーとすら言わないボクが、一体彼らの何を叱る権利があるというのでしょうか。しっかりとやりたくない理由を言ってくれた、彼らの方がよっぽどマシいう物だよ……。
 けどまぁ、「じゃあやめるかベイベー?」とか言って本気で棄権するようなことがあれば、間違いなくこの外身のオッサンはクビ切られるだろうし、クラスのみんなも文化祭当日にかなり後悔することになると思う。
 だから、ボクは今のこの文化祭に無理矢理参加させることになった結果に対しては、まぁベターな回答だと思っているのだ。全く勝手な思い込みだけどね。
 そして30分の後。彼らの出した結論、クラスの出展内容は喫茶店となった。
 良いんじゃないの?
 別にありふれてるだの没個性的だの言わない。クラスのみんなが真剣に議論して求めた答えだもん、ボクはそれを100%尊重する。あとはその答えになるべく近づくように、精一杯の努力をしてくれればそれで良いのだ。
 ところで。
 たった30分の打ち合わせでは、その『喫茶店』という解までたどり着くのがやっとで、実際どんな喫茶店にするのかまでは到底決めることが出来なかった。なので喫茶店のコンセプトや取り扱う物については逐次決めて貰うこととして、ボクは今朝職員会議で怒られながら聞いた文化祭の連絡事項をかいつまんで説明していった。やがて、話が終わった頃に見計らったように、授業の終りを告げるチャイムが鳴った。
「そいじゃ終わりだべいべー!」
「「「「「「ありがとうべいべー!!」」」」」
 5限目の学級会のあとは、ホームルームをせずにそのまま解散となるらしい。ボクは生徒達がバラバラと帰宅の途につくのをしばらく眺めながら、手帳を持って職員室に戻ることとした。
 さて、授業も全部終わったことだし、もういい加減家に帰って良いのかな?? ボクは職員室への廊下を歩きつつ、手帳を見ようとしたのだけれど……
「一条先生!! ちょっと用があります!!」
「はっ、はい!!」
 ボクが自動的に返事をした相手とは、朝っぱらからボクに因縁を付けてきた(くらいにねちっこかった)学年主任のヒスオヤジであった。
 げげげーっ!! なんで今更このオッサンに引っかかるの!? てゆーかボク、何か悪い事した!?!?
 そんな事を思いつつも、しかし不慣れな授業中に色々散々やらかしたことが、今更ながらに走馬燈の如く思い出される。そして怒られる原因がいくつも思い当たるもんだからこそ、余計に質が悪い。
「あ、あの、どの時点のどのような行いに於けるどのような問題点に対するどのような叱責でありましょうか!?」
 ボクはまるで、部長や伊東さんを前にしたときの如くぶるっていたけれど、それは決して底抜けチキンだのと誹られるものではないと強く思いたい。てゆーか、こんなイリーガルな状況でビビらないヤツは、相当の不感症だよぅ……
「は? ……あのね、一条先生には生活指導主任として仕事をして貰いたいんですけどね!」
「は、はぁ……?」
 どうやらボクは、10年後に生活指導もやっているらしい。世も末も極まったもんだ。こんなちゃらんぽらんなバカ教師が将来有望な生徒の生活指導をやらざるを得ないとは、人類は相当詰んでいるようだよ?
「1年の女子生徒ですが、近隣の住民や、宿泊施設から売春をしているんじゃないかと通報がありましてね!! こういったことは学校全体の名誉に関わることなので、内々で処理してしまいたいのですが、まずは一条先生からきっちり指導して貰って、それで形式的ではありますが、更正のチャンスを与えようかと思いましてね!! 既に生徒指導室に呼びつけてあるので、しっかり指導してきて下さい!! 全く、我が校の恥さらしですよ、本来ならばすぐにでも退学処分にしたいところですが、時勢柄そういった対応も出来にくくてですね!! 全くろくでもない人間ですよ、クズにも等しい!! 私が学生の頃なんてそんな話は全く……」
「あ、あの、内密にしたいのなら、もう少し声のボリュームを落としていただいた方が……」
「あ、や、これは失敬!! そういう事ですので、一条先生、くれぐれも頼みましたよ!! 事が事ならば、あなたの責任問題にもなりますからね!! 我が校の名誉に関わることですから、特段の注意を払い、当校の名誉を守る生徒指導主任として、責務をしっかり果たして貰いたいですね!!」
「は、はぁ……」
 ヒスオヤジは言いたい放題言って、肩を怒らしながら去っていった。
 えーとえーと、とりあえず話を纏めると、どっかの女生徒がエンコーしてて、それをホテルかどっかからタレコミされたってこと? 別に放っておけば良いじゃんそんな事……。無理矢理レイプされただのどうのってのならば話は別だけど、好きでやってるんでしょ? そんなのは自己責任ってヤツだよ、妊娠しても困るのは本人だけだしー。
 ……とボクは内心思うのだけれど、やはり先生の立場としては、生徒の人生を考えそういう突き放した対応は出来ないと、そういう事なんだろうねぇ。あのヒスオヤジの言い方からしてみれば、生徒なんてどうでも良くて、何か学校の対面ばっかり気にしてるようだけど。
 それもどうかと思うよなぁ? 学校の生徒って、学校自体の体面を良くする為にココにいるの? それは違うよね。ここはあくまで教育機関であって、学問を修めるところだ。さすがに人としてのしつけまで学校に背負わせるのは反対だけど、生徒の人格形成も目的とするならば、生徒が問題行動を起こした場合は学校の体面よりもしっかりとした生徒指導を優先させるべきだよ。あのヒスオヤジは色々間違ってるんじゃ無かろうか? ボクは自分の疑問を晴らすべく手帳を見た。

『お前は自分の正義を貫け。以上だ』

 ……はぁ!? なんだこれ!? 全然回答になってないし、それに正義って何よ? ここには何かの悪の秘密結社でもあったりするの!?!?
 この手帳はつくづく使えねーと思う。結局今日の授業だって、半分くらいはボクのアドリブで何とかごまかしたって感じだったじゃん。そんでこれからエンコー女のお説教でしょ? いくらなんでもそれは荷が重いって!! 中身がお子様のボクが、一体なにを語ればいいってのさ! 誰かボクに何をすればいいのか教えてよー! さすがにガチな生徒指導なんて無理だってーっ!!
 ボクは最後の助けを請うべく手帳を見た。

『思う通りにしろ。以上だ。さっさと生徒指導室に行け。ちなみに生徒指導室は職員室がある廊下の突き当たりだ』

 このクソ手帳め、ボクを助ける気なんか全然無しか。マジムカつく!! 学校の勉強なら、教わっている身とは言えこちらもそれなりに知識を持ってるだろうから、最悪『気合いで何とかしろ』という対応もアリかと思うよ? けど、素行不良の生徒の生活指導とかは、さすがに分野が違うってゆーか、適応範囲外でしょう! 誰かボクが間違ったこと言ってるって思うなら、今すぐここに来て、散々バカって言われたボクにも分かる様に、懇切丁寧に説明してよ! 幾らなんだって、アドリブで適当にやって良いことと悪いことくらいの区別は付けろってんだよ!!
 幾ら温厚なボクだって、さすがにこれは癇癪出して喚かざるを得ないと思う。正義だ思う通りだと、そんな意味不明な指示で他人の人生に関わるような指導を強制されて、怒り出したボクに誰が文句を言う資格があるというのさっ
 エンコー女にこういった指導をしろとか具体的な指示があって、そこでボクが現場にフィッティングしつつ適当にアドリブ入れて生徒指導役を演じるとかいうのならば、まだ納得がいく。しかし、ボクはそういう指導にはこうした方が良いとかこれだけは言っちゃ駄目とか、教育に関わる基礎知識が全く無いのだ。万が一対応を間違って話がこじれたり、相手がブチ切れて突拍子もないことしでかしたりしたら、一体誰が責任取るのさ。この外身の疲れたオッサンが、辞表書いた位しゃ済まなくなる様なことだって可能性としたらいくらでもあるでしょうがよ!
 まったく、いい年扱いてなぜ故そういうリスクヘッジが出来ないの!? なんで最悪な状況を見越して対策を取ろうとしないの!? 事が起こってから「想定外でした」なんて言っても、もうこの時代じゃ誰も許してくれないんだよ??
 それにさ、こんな日に限って生徒指導でパクられるとか、そのバカ女もどんだけタイミング悪いんだよ! なんで人が人生最大級にテンパってる日に限って、そんなどうしようもない事で余計人を窮地に追い込むのさ!?
 エンコーやってるとか本気でバカじゃね!? 高校生は高校生らしく、クラスの男子といちゃついてれば良いんだよ! それを何でオッサンなんかとセックスできるの!? 頭おかしくない??
 ボクはイライラが頂点を極まったまま、生徒指導室に向かって歩き始めた。このまま愚痴を垂れていても事態は一向に改善しないし、結果はどうであれ行動を起こさないことには何も始まらないからだ。
 で、ボクが考えた指導方法はとっても単純。
 とりあえず生徒指導室に居るであろうバカ女を一発怒鳴りつけて、くだらない事すんなと叱りつけてやる。そして何か生意気なこと抜かしたら、5、6発ぶっちめて根性をたたき直してやる!
 全く、金のために身体売るとか意味分かんない! 買う方も買う方だけど、エンコーなんて売る方がよっぽど悪いんだよ!!
 ボクがさっきから飽きもせず悪態をついていると、やがて生徒指導室のドアが見えてきた。
 たしかヒスオヤジは、既に女子生徒を呼び出してるって言ってたから、もうこの部屋の中に居るんだろう。さて、どんだけスレた顔してるんだろうね! その身体だけはマセたバカ女の顔を、じっくりと拝んでやろうじゃないか!
 ボクは生徒指導室のドアをノックすると、わざと肩を怒らして、威圧的にドアを開けてやった。
「コラァ…………あれ? エンコー女子ってどこ??」
 がらんとした部屋。
 窓から差し込む強い日差しが、無愛想な長机の置かれた部屋の中を、白と黒の強いコントラストで満たしていた。ボクは一瞬目がくらむも、元々大人数が入ることのない6畳くらいの広さなので、部屋全体を見渡すことは、一瞬のうちに出来たのだけど……
「……せんせー、どうしたのー?」
 真っ白な光溢れる窓の手前に、ひときわ小さな影があった。小柄な女子のものだった。
 先ほどの声は、そのシルエットから発せられたものだ。授業中に何度も聞いた、ジャガ子の緩い声だった。
「あの、いや、ここでちょっと生徒指導の仕事をしなくちゃいけないらしんだけど……誰か他に女子生徒とか居なかった?」
「ううん、いないのー」
 ジャガ子は一歩こちらに歩み寄り、ボクに柔らかな笑みを向けた。
「なんですと!? 誰も居ないと……?」
 あっれー? 何かボク、ヒスオヤジの指示を聞き間違ったんだろうか。どっか別の部屋だったのか、それとももっと後の時間だったのかなぁ? しかしよくよく思い出してみれば、ボクがこの部屋に来たのはムカつく手帳の説明に従ってだ。という事は、場所や時間は間違ってないって事だよねぇ??
「あの、佐々木さん、先生これからこの部屋で仕事があって、ちょっと席を外して貰いたいんだけど……??」
 ボクは、奇跡的に覚えていたジャガ子の名前と共に、彼女に対して退室を促したのだが、
「なんの仕事するのー? 教えて欲しいのー」
 ジャガ子は目を輝かしながら、そんな事を聞いてきた。
 ああ……ッ! やっぱりそう来るよなあ!! この子やたらと好奇心旺盛だし、対応を間違えれば質問攻めにあうのは分かりきったことなのに! ボクは初っぱなから、ドツボにハマる典型的な回答をしてしまっていたのだ……。
 なんてこったい、こんな純粋無垢な女の子に、これからエンコー女に説教しますとか絶対言えないよー! どんだけセクハラなんだと、どんだけ酷い性教育なんだと!
 ボクは今程、自分の可愛い子供(女児)に「赤ちゃんってどこから来るのー?」とか言われて、死ぬほど困り果てたであろう父親に対して共感を覚えたことは無かった。世の中の女児を持つお父さんは、皆とっても偉大だよー!
 だいたい、同じ言うにしても、せめて同じちっちゃいにしても、なんだかそれなりに色々分かってそうな気のする小岩井の方が、まだこういう場合には説明し易いものを……。まぁ言えば言ったで間違いなく顔真っ赤にして怒り出すだろうけど、それはそれで大人の態度ってヤツで、十分許容範囲内だよ。後で幾らでも言い訳して、リカバリとか出来るだろうしね。
 しかしこの子の場合、エンコーはおろか、セックスって概念自体知ってるのかなぁ? なんか、どう考えても無理そうな気がする。ボクは女性を外見で判断するような事はしない人間だけど、しかし男の子にはそういった倫理観や道徳心、中立的な考えとはまた別の、とても大切なモノが心の奥底に渦巻いてるモノなんだよ……。分かって、お願い。
「あの、えっと、素行が良くない生徒が居るから、それをちょっとお説教したいなーとか、そういうお仕事だって言ったら分かってくれるかなー?」
 ボクは、果敢にも最大限にわかりやすそうな言葉を持って説明を試みたのだが、
「素行が悪いってなにー? 歩行とどう違うのー?」
 ジャガ子はいつも通りにキラキラした瞳でボクに問うてくる。
 ああ、まぶしい! ほとんど小学生女子の純粋な瞳がまぶしいよママン……!!
 しかしである。幾らここでボクが少女の純粋さ加減にあてられていたとしても、やがてこの部屋に来るであろうエンコー女子の足を止めることには能わず、ボクはセクハラ先生の汚名を甘んじて受け止める覚悟を決め、彼女に対してはっきりと仕事内容を述べなければならないのであった。
「えーと、不純異性交遊って知ってる? つまり、男の人といかがわしい事してる女子が居るから、ちょっとお説教しようと思ってね?」
「いかがわしいって、具体的にどんなことなのー?」
「あー……えっと、だからねー……」
 ハハハ! セクハラの神様は、ボクに一体どんだけの苦行を強いるというのか……!
 ボクの心の中はもう、本気で号泣状態であった。
 今この場でいかがわしいの具体的なことを述べると言うことは、つまり今ニコニコしているこのジャガ子の顔が、ボクの口から出る汚らしい言葉によって瞬間的に凍り付き、やがてボクのことを軽蔑するような目で見る様になるってことだよ!?
 それは耐えられないよいくらなんでも!!
 ボクだって中身はこの子と同じお年頃さっ! だから自分になついてる女の子に、わざわざ嫌われるようなことなんて絶対したくないんだってば!
 うぅぅ、一体なんて言えば納得してくれるんだよー!! 誰か助けてってばーっ!!
「ねーねー、いかがわしいってなんなーのー?」
 ジャガ子はあくまで、ボクと楽しい会話をしているつもりなのだ。瞳の輝きは、さっきから全く変わらずキラキラである。ああ、こうやって可愛い女の子と延々じゃれ合っていれば、ずっと幸せなんだろうけどなぁ……。
 しかし、ボクは今は外身は大人なのだ。即席代理物理教師兼生徒指導主任なのだ。もう、ここでしっかり覚悟を決めるしかないのだ。
 ボクは心の外でも涙をだくだく流しつつ、ジャガ子に対して力一杯セクハラ発言をしたのだった。
「えっと、だから、街の宿泊施設の類で、男の人と、その、身体的な関係を持つって言うか、それで金銭的に利益を得るっていうか、そういうことをしてるのが居てね……?」
 我ながら、回りくどい言い回しであった。この期に及んでチキンであった。しかしボクには、こんな幼い子相手には、これがギリギリの限界なのだった。精一杯の結果なのだったってんだよ〜〜!!
「あー。ラブホでオヤジとヤってるってことなのー?」
 しかし当のジャガ子は、実にあっけらかんとした表情で、ボクの言葉をキチンと咀嚼してくれたのだった。
「おー、そういう事! 何だ意外と分かってらっしゃる、佐々木さん意外にオトナだねぇ!」
 ボクは手をポコンと叩きながら、素直に感心したわけなのだけど。
 ……いやちょっと待て。
「それあたしー。なんだー、先生、あたしに用があったんだー」
 だからちょっと待てと言っている。
 なんだ!? こいつ今なんて言った??
「あ、あの、だから……そういう事で、ボク今から用があるから席外してくれないかなー……」
「えー、だってせんせーあたしのこと叱りに来たんでしょー?」
「いや、だから何でさ……」
「何でって……エンコーしてるのバレたんでしょー? 別にいいけどー」
 ちっとも良くねーよ!!
 何だ、ジャガ子お前エンコーなんてやってんの!? その顔で!? そのナリで!? そのおっぱいで!?!?
「うっそでーっ!!」
 それがボクの本音100%であった。にわかに信じがたい、いや、理解すること自体魂が拒否している。
「傷つくのー! あたしそんなに魅力無いー?」
 無いってば。あんたにはエンコーなんてする魅力は120%無いから、つまんない嘘はやめれって。
「先生をからかうのはよせやいベイベー……」
 カラカラに渇いたのどから出たボクの声は、もうほとんどかすれ声だった。
「からかってなんてないのー……そんじゃま、早速する?」
 ジャガ子はそう言い終わらないうちに、ワイシャツのボタンを外し始めた。
「えっと? 着替えるならボク外に出るよ!?」
「何言ってんのー? せんせー一回やらせてあげるから、それで今日は終わりにするのー」
 は!? 何を一回するってのさ、それで終わりってどういう事さ!?!?
「だから何で服脱いでるの!! 着なさいって、あんたそんなちっぱいだからって、男の前で服脱いじゃ駄目だって!!」
「さりげに酷いことを言うのー……あー、先生それとも着衣派? まにあっく〜〜」
 もう、着エロが好きならそう言ってくれればいいのにーとか言いながら、ジャガ子は既に脱ぎ終わってたワイシャツに再び袖を通した。
「じゃあ、早速するー?」
 しかし、今度はいきなりぱんつを下ろし始め、
「スカートは履いたままが良いんだよねー。んしょっと……」
 彼女は長机の上に座ると、
「せんせー、早くするのー」
 等と言いながら、ぱんつを片方の足から抜き、スカートの裾を持ち上げたのだった。ジャガ子の小さい身体同様に幼いままの女性器が、立ち尽くすボクの面前に現れる。
「ちょ、ちょっとだから何やってんのさ!!」
 ボクはもう、ワケが分かんなくなって、そう言うのがやっとだった。ボクの思考は全く現実に追いついて来れていない。というか、ほぼ思考停止状態に陥っていた。
「……いきなりじゃヤなのー? じゃあフェラからする? あたし結構上手なのー」
 ジャガ子は「よっと!」等と声を掛けながら長机から降りると、さっきから立ち尽くして……というより足がすくんで身動き取れなくなっているボクの目の前で膝立ちになり、ズボンのチャックを下ろし始めた。
「途中まで? それとも一回出すー?」
 彼女の手が、子供みたいな手が、ボクの縮み上がったソレを優しく触る段になって、ボクはやっとの事で金縛り状態から脱することが出来た。
「やめろって!!」
 ボクはジャガ子の肩を掴むと、ズボンの中をまさぐる彼女を自分から乱暴に引き剥がしたのだった。
「……せんせー、どうしたいのー?」
 ジャガ子は立ち上がると、ボクに不満そうな顔を向ける。
「どうもしたくないってば!!」
 何でこいつはこんなこと平気で出来るんだよ!? 幾ら学校の先生で知り合いだからって言っても、超えて良い線とそうでない線くらい区別しろってんだよ!
「……じゃあもうおしまい。帰っていいのー?」
「駄目に決まってんだろ!」
「じゃあ早くヤって帰るのー。さっさとするのー」
「だからしないって!!」
「だからせんせー、何がしたいのー?」
「お前に説教したいに決まってんだろ!!」
「何で説教されなきゃいけないのー?」
「お前が悪い事してるからに決まってんだろー!!」
「ふーん……」
 そう言うジャガ子の顔から、柔らかさと幼さがすっと消えていった。
「せんせー、お金稼ぐって悪いことなのー?」
「はぁ!? いや、そりゃ……やり方にもよるとは思うけど……」
 もちろん基本的には悪くないけど、でもエンコーは駄目に決まってんだろうって。ボクのそんな言葉はジャガ子に遮られる。
「せんせーみたく、ちゃんとした大人なら、幾らでも正しいお金の稼ぎ方って出来るかも知れないけどー。あたしみたいなコドモは、キレイゴトでお金なんて稼げないのー」
 ジャガ子は一歩下がると、ボクの顔をじっと見やる。けっして上目遣いなどではなく、真っ正面からボクを見据えた。
「お金は必要なんだよー?」
「いや、そりゃそうだけどさ、だって子供はお金稼がなくても良いじゃん!? 親が稼いで……」
「あのね。……親が稼がない子供はどうするのー?」
 ジャガ子の声が、だんだんと大きくなっていく。その語気は変わらず緩いままだが、声色にボクを非難するニュアンスが少しずつ混じり始める。
「え……!?」
「だからー、親が稼いでこないと、あたしが稼ぐしかないのー」
「そんなこと言ったって! お前まだ学生じゃん、親が稼がないってどういう事なのさ!?」
「……どういう事も何もないのー。うちの親は仕事もしないで一日中酒飲んでるだけなのー。それでお金があれば競馬やパチンコで全部すってくるしー。せんせー、そんなんであたしどうやってご飯食べればいいのー? どうやってノート買えばいいのー?! どうやって学費払えばいいのー!!」
 気がつけば、ジャガ子の目からは大粒の涙がボロボロこぼれ落ちていた。
「い、いや、それは……だ、だからって! エンコーなんて駄目だって! その、あの、普通にバイトとか……」
「全然足りないのー。それにー、エンコーが一番手っ取り早いからそれでいいのー」
「手っ取り早いって、なんで赤の他人と、その、セ、セックスなんて出来るんだよ!? 気持ち悪くないの!?」
「ぜんぜんー。……自分の親にレイプされるよりもずっとマシなのー」
 他人の方がよっぽど優しくしてくれるのーと呟くジャガ子に、ボクはもう何も言うことが出来なかった。
 嘘だろ!? 自分の親にレイプされたの!? この子が? こんな小さな子が……!?
 パニック状態に陥ってしまったボクは、鼻をすんすん言わせるジャガ子にどんな言葉を掛けたらいいのか全く分からなかった。いや、分からないと言うよりも、そもそも思考自体が空回りして全然纏まらない。
 完全に自分の度量を超えた事態に陥って、今自分が何をすれば良いのかさえよく分からなくなっていた。
 実の親からレイプされたとか、テレビとかでは稀に聞くDVの一形態ではあるけど、こうして本人から直接告白されるなんて、今の今まで考えたことすらなかった。そんな立場のボクが、彼女に何か言う資格があるのだろうか。下手な慰めの言葉すら、侮辱にならないのだろうか……
 ボクが役立たずのでくの坊に成り下がってその場で固まっていると、ジャガ子は目をこすりながら独白を続けた。
「……せんせーは別に同情する必要なんて無いのー。どうせ良くあることなのー。あたしはもう慣れたから、別に毎日ヤられたって平気なのー。もう自分の親だなんて思ってもないのー」
 そんな強がりを言いながら、しかしジャガ子の顔はちっとも平気そうな顔をしていなかった。辛いよ、助けてよと、彼女の顔から悲痛な叫びがずっとずっと聞こえてくる。
「だいたいレイプされたって言ってもー、えーと、5年? 以上前なのー」
 もう慣れたのーと、彼女が呟く言葉から、その凶行が今でも続いているという残酷な事実が思い知らされる。
 ボクはつくづく、自分の無力さを思い知った。こんな酷い状態にある子を、どうやって助けてあげればいいのかさっぱり分からなかったからだ。幾ら本人が口からの出任せで、平気だの何だのと言ったとしても、そんな事はこの顔を見て信じられるわけはないだろう。
「あ……あの、そう、お母さんは!? お母さんはどうしたのさ!?」
「中学入る前に死んだのー」
「………っ」
 一体どうすれば良いんだよっ! 完全に八方塞がりじゃんかよーっ!!
「だからー、せんせーは悩む必要ないのー。……どーせ学校に迷惑掛かるとかって話でしょー? そしたらあたし学校辞めるからそれで良いのー。そしたら、今よりもずっとお金稼げるのー」
「それは駄目だ!! 学校に迷惑なんて、そんなモンどうだって良いんだよ! お前が辛い思いしてるのに、何もしないで辞めさせるなんて絶対駄目だ!!」
 ボクはジャガ子の肩を掴んで、涙をぼろぼろ流してるくせに薄ら笑いを浮かべる彼女に力一杯怒鳴りつけていた。
「……せんせーにはかんけーないのー。だいたい、他人のメンドウゴトなんて関わるだけ無駄なのー。だから、つまんない事聞かせちゃったお詫びにやらせてあげるからー、さっさとヤって忘れちゃうのー。今日は中出ししても大丈夫な日なんだよー?」
 ジャガ子は自分でブラをずり上げ、小岩井よりももっと小さい胸をあらわにする。
「みんな可愛いって言ってくれるんだよー? せんせーいつも優しくしてくれるから、好きにしていいのー」
 ジャガ子は自分の肩を掴んでブルブル震えているボクの手に、小さな自分の手を乗せる。
「大丈夫だってー、私が言わなきゃバレないのー」
「だから、そういう事じゃないんだって………!!」
 ボクはジャガ子の肩から手を離すと、さっき彼女がずりあげたブラを元に戻してやった。
「ぁっ……せんせー、痛いのー」
 あまりにも精神にゆとりがなかったために半ば力任せになってしまい、彼女の乳首をブラで強くこすりつけてしまったようだ。
 しかしボクは安易に謝ることをしないで、ワイシャツのボタンを留めてやりながら、今度はこっちからジャガ子の瞳を見据えて言った。
「痛いのはおっぱいじゃなくてお前の心だろ!? 幾ら口から出任せ言ってても、エンコーが辛くてしょうがないって分かるんだよこのバカタレー!!」
「ひぅっ」
 ボクの怒鳴り声に、彼女は恐怖を感じたのか身を固くする。
「お前が本当に辛い状況にあるってのはちゃんと分かったよ! それなのにボクが今すぐどうにかしてやることも出来ないってのも、よく分かった……! でも、何とかして、絶対に助けてやるから!! だから申し訳ないけど少しだけ時間をくれ! そして、それ以上自分を貶めることはするな、とにかく自分を大切にしてくれよ!!」
 しかし、ボクの言葉はジャガ子の心に届いていない。彼女はボクから視線を逸らすと、また曖昧な笑みを浮かべて自らの本心を遮った。心の壁を厚くして、無理矢理でも自分自身をごまかそうとする。
「今更もうどうでもいいのー。だいたい、気持ちいいコトしてお金稼げるんだから、一石二鳥なのー。せんせーだって、奥さんとエッチしてたら気持ちいいでしょー? 気持ちよければそれで良いのー。オヤジは気持ちいい代わりにお金をくれて、私はそれで生きていけるのー」
「ボクの奥さんとか関係ないってば! だいたい好きでもない人とセックスなんかしても全然気持ちよくないって! 虚しいだけでしょ!?」
「せんせー、コドモみたいな事言うんだねー。……だったら、今まであたしとヤったオヤジ達が、バカみたいにうーうー喚いて人の身体の中に精子いっぱい出したのって、一体何なのー? 男って気持ちいいから精子出すんでしょー? それともー、今までやったオヤジ達って、全員あたしのこと好きだったのかなー? んなこと無いでしょー?」
 こんなエンコー女好きになる男なんて居ないのーと、ジャガ子はクスクス笑う。
「そ、それは……!」
 男の生理現象で、陰部をこすれば勝手に射精するとか言っても、それはここでは全然間違った答えになるのはわかりきった事だった。
「いや、だから、ボクのたとえが悪かったよ! 気持ちいいとか気持ち悪いとかじゃなくて、そうやって好きでもない人のセックスするのが自分自身をものすごく貶めることだって、もちろん分かってるでしょ!?」
「だからー、大きなお世話なのー! だいたい今更いい子ぶったって、もう何にも元には戻らないのー。それともせんせー、あたしのことバージンに戻してくれるのー? 無理でしょー? だったらもうせんせーには関係ないのー」
「関係なくはないよ!! そりゃ確かにお前の身体を元に戻せとかは無理だけど、でも今以上にお前が辛い思いをすることだけは防げるんだから! それが先生の仕事だろ!? 仕事ってゆーか、子供を守るのが大人の義務だっての!!」
 そんなボクの言葉に、ジャガ子の顔が怒りに歪む。
「何が大人の義務なのー……。あたしを殴ってレイプしたのも、お金の代わりにちんちん腫らして擦りつけてくるのも、全部大人でしょー? こんなちっちゃいおっぱいに夢中でむしゃぶりついて、人の口の中で精子をビュービュー出して、あそこをびちゃびちゃなめ回して指とか変な機械突っ込んで、痛いって泣いてもちんちん突き立てて人の身体の中むちゃくちゃにして、大人はみんなケラケラ笑って喜んでるのー! ビデオだって何度も撮られたし、変な薬飲まされて頭がおかしくなったこともあったし、学校の背服だって、一着しか持ってないのに精子いっぱいぶっかけられて何回も汚されたのー。……子供を守るのが義務だっていうなら、なんであたしいつもオヤジにヤられてるのー!? なんでいつもちんちん咥えさせられてるのー!? なんでいっつも精子まみれにされてるのー!!」
 ジャガ子はそのまま崩れ落ち、その小さい手で床を殴りながら泣き叫ぶ。
「あたしだってすきでやってんじゃないのにー!! いやだっていってるのにーっ!!」
 ボクはその場に跪くと、ジャガ子の手と床の間に自分の手を差し入れた。彼女が床を殴りつけようと、ボクの手を激しく殴り、鋭い痛みが手のひらと甲からわき上がってくるが、こんなのはジャガ子の心の痛さに比べたら消しカス程度も無いはずだ。ボクは真っ赤に腫れたジャガ子の手を両手でグッと包んでやった。
「もうこれ以上、自分を傷つけたら駄目だって……今までお前を搾取したオヤジなんかとボクを一緒にしないでよ。お願いだからボクを信じてよ。絶対何とかするから。だから、もう一度大人にチャンスを頂戴よ、ホントに今までごめんな、お前の辛さを全然分かってやれなくて……」
「いまさら勝手なこというなー!! ひとのこと散々好き勝手にもてあそんでー!!」
 悲痛な叫びをあげて泣き伏すジャガ子を、ボクは優しく起き上がらせた。
「うわああああんー」
 ジャガ子は泣き止むことなく、小さな手でゲンコツを作ってボクをボコボコ殴ってくる。しかしボクは避けることなくその行為を受け止める。ボクを殴ってそれで少しでも気が済むなら、幾ら殴って貰っても構わない。さすがに殴り殺されるのはお互い不幸になるので良くないけど、ジャガ子はその小さな身体同様力は弱く、全く痛さを感じなかった。
「お前の気持ちはしっかり分かったから、もう二度とエンコー何かするなよ……。ボクが絶対になんとかするから、だから自分を大切にして! 大人のことなんか信用しなくて良いから、今だけはとにかく自分自身を大切にしてよ!!」
「うぅ〜〜」
 未だ嗚咽をこぼすジャガ子だったが、何とかボクの言葉にこくんと頷いてくれた。そしてボクを殴るのをやめると、未だ涙が止まらない目をコシコシと擦る。
「もうエンコはしないのー。もう嫌なのー!」
 今一番大切なことは、これ以上彼女が辛い思いをしない事だ。だから、エンコーだけはやめさせる。そして実際にジャガ子を助ける方法は、10年後のこの外身の疲れたオッサンの中身にやって貰うことにする。
 こんな大事なことをボクみたいな未熟者に押しつけやがって、この外身の疲れたオッサンも、ジャガ子をもてあそんだエンコーオヤジと同じ様なもんだ。バカにすんじゃねーと。絶対死んでもジャガ子を幸せにしやがれと!
 ボクは役立たずのクソ手帳をめくり、まだ文字の書いていないページにでかでかと書いてやった。

『てめー、ジャガ子のこと絶対に何とかしろよな! そーでもしないと過去の自分がとんでもねーことやらかして、テメーの未来なんて簡単に潰してやる!! オトナ気取ってんなら、自分の学校の生徒くらい残らず面倒見やがれこのくそったれ! ばーかばーか!! いい気になってんじゃねーぞこの能なし教師め! 人にえらそーな事書くくらいなら、自らちゃんと教師の仕事しやがれこのばーかばーかばーか!!!』

 ……若干感情に任せて文章を書いたため、一部要領を得ない部分もあるような気もしなくはなかったが、このメモ書きにはボクの気持ちだけはしっかり塗り込められた様に思える。
 さすがにばーかだけでは未来の自分も困るだろうから、ページの余白にジャガ子から聞き出したことを簡潔に書いて置いた。そして最後に、本気で何とかしてくれ!!と、一筆書き加えた。
「佐々木さん、今日のお説教はこれでおしまい。とにかく佐々木さんの問題はちゃんと先生が聞いたから、絶対何とかするから! ……あと、今日とか自分家に帰るのが嫌だったら、先生の家に来る?」
 さすがにこういう事情なら、あの女房おねーさんだって協力してくれると思う。向こうはボク以上に大人だろうから、いきなり女の子連れて帰ったからってボクのことを瞬殺するようなことは……無いよねぇ??
 ボクが一瞬の間だけ我が身の色々な事を心配をしていると、しかしジャガ子は、
「いいのー。ともだちの家に泊めて貰うのー。いつも泊まりに行ってるから、大丈夫なのー」
 そこんちのご両親とも仲良いのーと、ジャガ子の顔にはようやく笑みが戻ってきた。
「そっか。良い友達が居てよかったな。でも一応、その友達の連絡先とか教えてくれるか?」
「うんー、同じクラスの田中さんー。小学校の頃から友達なのー」
 なるほど、だったらジャガ子の家庭の事情も分かってる可能性が高い。とりあえずは、この外身の疲れたオッサンが何とかするまでは時間稼ぎが出来そうだ。
 ボクはズボンからハンカチを取り出すと、まだ涙で濡れたままのジャガ子の顔を優しく拭いてやった。
「……せんせーやさしーのー。ついでに抱いてー」
 だから小娘がオッサンを誘うなと何度も言ってる!!
「黙れこの不良少女め。コドモはコドモらしくしてやがれ!」
「ひどいのー!」
 女子にコドモって言うなーとかなんとかジャガ子はブツブツ文句を言ってるが、いずれちゃんとした彼氏でも作って、そいつにじっくり愛して貰えと。
 ボクらは進路指導室から出て、そしてジャガ子を玄関まで送ってやった。
「せんせー、さっき叩いてごめんなさいー。せんせーのこと大好きー」
「俺に惚れると火傷するぜべいべー!」
「あははっ せんせーじゃーねー!」
 ニコニコ笑いながら帰って行ったジャガ子の笑顔はなんだか作った感じもなく、教室で見せたものよりずっと自然なものだった。ボクは直感的に、もう彼女はエンコーなんてやらないだろうと確信を得たのだった。
 その後職員室に戻ったボクは、まだ自席に残っていた学年主任のヒスオヤジに、先ほどのジャガ子との顛末をある程度フィルタを掛けて報告した。(さすがにぱんつ脱いで誘惑してきたとかは言わないよ?)
「結論から申しますと、しっかり説教しまして、もう二度とエンコーとかやらないと言わせましたから大丈夫です」
「はぁ!? あなたそんな生徒の適当な言葉を信じてきたの! 口から出任せに決まってるでしょうが!!」
 おいおい、なんてこと言いやがるこのヒスオヤジ。だったら他にどんな結末を望んでいるのさ?
「口から出任せなどは、全く無かったと確信しておりますが」
「あなたね!! ああいうクズみたいな人間は、人を騙す為なら何だって言うんだよ! もう援助交際はしない!? そんな言葉のどこが信じられるって言うんですか!!」
「ハァ……」
 確かにボクだって、このヒスオヤジに生徒指導をけしかけられた時は、まだ見ぬジャガ子の事をろくでもない人間だって思っていたさ。だからあの子の真実を聞いていないコノヤロウが、未だジャガ子を悪く言うのは仕方ない事かとも思う。でもジャガ子の事情が分かった今、ボクはあの子をロクでもない人間だなんて全く思わない。むしろ、ボクみたいなふつーの親にちゃんと育てて貰った世間知らずのボンボンに比べて、ジャガ子の方がよっぽど頑張って生きてきたといえる。
「佐々木がクズみたいな人間でない理由は、先ほどしっかり報告しましたが、もし万が一聞こえていなかったと言うならば後10回くらい言いますが?」
「ちゃんと聞きましたよ!! 自分の親に強姦された!? ふん、そんな事が我が校の関係者にあるわけありません!! そんな戯言は本人が言ってるだけで、何の証拠にもならないんですよ!! だから私は、いかがわしい行いをしているというのが、本人が堕落しきった証拠だと言ってるんです!! 一条先生!! あなた私にそこまで言われないと、そんな事も分からないんですか!! 現に売春してるんですよ!! 学校の名誉を汚す様な馬鹿者に、まともな理由等一切ありません!!」
 理由がなかったら、誰が好きでもねーエンコーをわざわざ続けるんだと! このヒスオヤジ、本当に他人の立場でものを考えるって機能が欠落してるよね!!
 ボクは今ほど、人の行動の裏にはそれぞれの立場や原因、それに止むに止まれぬ事情があるんだと痛感した事はなかった。例え本人が望んでいなくとも、どんなに悪いことだって分かっていても、そうせざるを得ないことだってたくさんあるのだ。
 きっと、ジャガ子はジャガ子なりに一生懸命考えて、そして色々自分を犠牲にして、ただ生きるためにエンコーすることを選んだのだろう。気持ちいいからいいのーとか言ってたけど、そんな理由は単なる後付け、自己欺瞞であって、本人は苦痛しか感じてなかったのはわかりきったことだ。ずっと自分を偽ってオヤジ共にオモチャにされてきて、ボクにすら我が身を差し出して口を封じようとした。そこまで思い詰めていた彼女が本音をさらけ出し、そしてもうエンコーはやらないと言ってくれたのだ。その言葉を信じないというならば、ボクはこの世には信じるに値するものなど何一つ無いと断言できる。ジャガ子の言葉を信じない理由は何一つ無いと確信する。
「教師たるもの、生徒を信じてからこそして初めて給料を貰う価値があると思っておりますが、何か?」
「あのね!! そういう理想論を掲げるのは勝手ですけどね!! ああいう素行不良の生徒は、適当に問題をあげつらって自主退学させるのが筋ってモンでしょう!!」
「仰る意味がさっぱり理解できませんがー」
「だからね!! 我々学校側から退学させると色々と世間が五月蠅いんですよ! だからね、売春なんかに現を抜かす色情狂には、自ら退学させるように指導するのがあなたの仕事だって言ってるんですよ!! 馬鹿ですかあなたは!!」
 さっきから聞いてれば、何言ってんだこのクズ野郎。馬鹿はお前だ、まずは軽く、一度さっくり死んでみるか?
 そろそろ怒りゲージが振り切れつつあり、すっかりキャラの変わったボクは、人生の中で一番必死に感情の爆発を押さえていた。
「そういう仕事は、当方全く拝命した覚えがございませんがー」
「あのね!! あなたがそういうふざけた態度だから、いかがわしいことをする様な生徒が出てくるんだよ! 本当に迷惑だよ!! 他の先生方が一生懸命やってるのに、全部台無しだよ! あなたのそういう態度が、他の先生達の名誉、果てはこの学校の名誉を汚すんですよ!! 全く理解できませんね!!」
「生徒の人生と学校の名誉は、比べるも無くどちらが大切か分かると思いますがー」
「そんなのは、学校の名誉に決まってるじゃないの!! 生徒なんて掃いて捨てるほど居るんだよ! その中で腐ったミカンは捨てるもんでしょう!? そんな素行不良の生徒は、ここに居ちゃ困るんだよ! この学校の栄誉を汚す様な輩は退学にすべきなんです!!」
 むぅ、言い切ったかこの腐れ外道。そろそろボクのリミッターも壊れそうだなぁ。どうしようかなぁ……
 ボクのブルブル震える拳が、そろそろこのヒスオヤジのムカつく顔にめり込もうとしていたとき、
「私は一条先生が正しいと思います!!」
 ……と、何やら背後からけたたましい声が聞こえてきた。あ、隣の席の、名称不明の先生だ。
「学年主任! さっきからお話を伺ってますが、私はあなたの言うことを全く理解できません! 身体売ってまでここにに通ってる生徒に退学しろとか、あなた教師の身で本気でそういう事を言うんですか!?」
 一般的に社会人たるもの”余計な事は見ざる言わざる聞かざる”と言うけれど、さすがに同じ女性として、何か感じるところでもあったんだろうねぇ。ボクがびっくりしながらその女教師を見ていると、
「あの子は私の大切なクラスメートですから、死んでも退学なんてさせません!!」
 彼女は顔を真っ赤にしながら、そう言い放った。なるほどー、この先生はジャガ子の担任の先生だったのかー。
 そして気がついてみれば、その時職員室に残っていたほとんどの先生達が、学年主任の机を取り囲んでいた。
「な、何なんですか貴方たちは!! ここは学校ですよ!? 暴力に訴える気ですか!!」
「……別にあんたに暴力なんてふるいやしませんって……。俺たちそこまでバカじゃないんでー」
 全身真っ黒に日焼けした、いかにも体育教師然としたあんちゃんが一歩前に出てきた。
「俺は佐々木の授業を受け持ってるンすけど、あいつ神経がちょーっと宇宙人入ってるけど、良いヤツっすよ。運動は出来るし、成績だって良いんじゃね?」
 続けて、頭をきちっと73に分けた、いかにも理科の先生ですといった感じのオッサン教師が出てきた。
「主任、佐々木の学年順位が何位か知ってますか?」
「いちいち覚えていないよ、そんなもの!!」
「そんなものとか!! 何が学校の名誉ですか!? 生徒の成績もろくすっぽ知らないで、良くそんなことが言えますね!! あの子は学年12位ですよ!? 十分成績上位者なんです! あなたの言う名誉って一体何なんですか!!」
 隣の名称不明の先生は、ボロボロに泣きじゃくりながらジャガ子の擁護する。うわ、あいつそんなに頭良かったの!? いっつも”なの〜”とか頭悪そうな語尾付けてるクセに、能ある鷹は爪を隠すというヤツか……。何かショックだ……。
「しかしこれは完全なネグレクトですな。対応を誤ると、それこそ学校の問題にもなりかねない」
 老齢の教師があごを撫ぜながら述べた言葉に、
「教頭の仰るとおりですよ!! だから私は早急に退学させろと言っているのです!!」
 これが正しいことなんだと、ヒスオヤジは一人納得していたが、
「そういう短絡思考が問題になると言ってるんですよ。下世話な話でお怒りになられる先生方も多いでしょうが、この際はっきり言わせて貰います。こういった問題はマスコミの恰好な餌食になります。遅かれ早かれ事は公になるでしょう。もちろん我々は、佐々木君の名誉が保たれるよう最大限の努力をしなければなりません。そして、事が公になった時、我々学校側がどれだけ彼女に対してフォローをしていたのか、世間の審判が下されます。本当にいやらしい話で恐縮ですが、そういう事です。……退学にさせるなんてとんでもない話だ、明日緊急会議を招集します。佐々木君を守る事が、我々教師の大切な役目です」
 教頭の言葉に、ヒスオヤジは口を開けたまま固まっていた。
「一条先生、明日から大変になりますが、よろしくお願いします」
「はっ、はい!!」
 ボクは教頭の問いかけに、全自動で返事をしていた。
 何かよく分からないけど、ジャガ子は正式に学校のサポートを受けられる事になった様だ。普段からしっかり勉強して立派な成果を残してきたヤツは、こういう時に信頼度が違うんだねぇ。
 多分、ジャガ子はこれから施設かどこかに預けられて、そこからこの学校に通うことになると思うのだけれど、いつも自分の親にレイプされるよりかはマシだと思いたい。まぁ、この辺は本当にボクの勝手な思い込みだけどさ。もちろんジャガ子本人の望むベストな結末ってのは別にあるんだろうけど、それはジャガ子にしか分からないし、多分そういうのは得てして叶わないことだったりするのだ。
 今日ボクのせいで、ジャガ子は自分の与り知らないところで、自分の人生を大きく変えられてしまった。しかしボクは、このボクの大きなお節介が後々のジャガ子にとって、ほんの少しでも良かったと思って貰える事を、願わずにはいられなかった。
 学年の主任の机に集まっていた先生達は、自分達の机に戻っていった。ボクもその波に紛れて自分の机に戻る。ちらっと学年主任を見れば、教頭先生にかなりキツい口調で責められ続けていた。
 ボクは軽く溜息をつくと、自分の机に座る。
「あの、一条先生、本当にありがとうございました!!」
 隣の名称不明の先生が、思いっきり頭を下げてお礼を言ってきた。
「い、いや、基本的に教頭先生が正論を言ったまでで、ボクは特に何もしていませんが!?」
「そんな事はないです! 佐々木さんを助けてくれました! 私、ホントはうすうす知ってたんです……。けど、本人が何も言ってこないのに甘えて……自分では何もしようとはしませんでした……!」
 隣の名所不明の先生は、再びぐすぐす泣き出した。
「だから私、先生が学年主任に逆らっていたとき、やっと勇気を出して言えたんです! もちろん調子のいいこと言うなって言われても仕方ないと思います、それに便乗しただけって思われても全然否定出来ません! けど、正直言ってチャンスだと思いました、これを逃したら、佐々木さんを助けることは出来ないって……だから本当にありがとうございました!!」
 ジャガ子の担任は、さっきよりも低く頭を下げながら、もう一度お礼を言った。
 たしかに、自分の生徒がエンコーしてるってうすうす気がついたとしても、明確な証拠がなければ中々言えないよねぇ。この先生だってジャガ子のことずっと心配していたんだろうけど、万が一エンコーしてなかったら言いがかりも良いところだ。この先生が行動を起こせなかったのも、当然と言えば当然だよねぇ。
「明日から、我々教師全員でジャガ……いや、佐々木さんを守っていかなければなりません。ボクは生徒指導主任なんて分不相応な役目を預かっていますが、でも佐々木さんを守る一番の肝は担任たるあなたの他には居ないと思います。先生が先頭に立って、佐々木さんを守ってあげて下さい」
「はいっ、命がけで守ります!! 私、今から本当の教師に生まれ変わる覚悟でやり抜きます!!」
 隣の名称不明の先生は、より一段と輝きを増した。
 うーん、こんなにギラギラしていると、あまり男が寄りつかなくなるよー?。
 そんな先生の行く末を心配しつつ、ボクは今一度生徒指導室でのジャガ子の言葉を思い出していた。
 実の親にレイプされたとか、ホテルで散々オヤジにやられてビデオ撮られたりとか、もうメチャクチャだったよね。
 てゆーかさー……
 あんなちっちゃい子がエンコーとか、やっぱり信じられないよー。ジャガ子が嘘をついていたとかではなく、高校生でセックスしてるとか、実感としてさっぱり理解できない。
 もちろんボクはそういうこと全然したこと無いし、いつもみっちゃんや熊ちゃんとしか遊んでないから、女の子なんて本当に縁遠い。気になるとか好きだとか、そんな女の子はもちろん全然居ないしねー。
 他の人ってどうなんだろう? クラスとか部活の女子がどのくらいセックスしてるとか全然知らないけどさ。正直エンコーなんて、テレビの世界の話とばかり思っていたよー。
 それとも、ボクって実はオコサマなのかなぁ?? けど、誰もが羨むお年頃の男の子として、親に見られたくないえっちな雑誌の一冊や二冊は持っているのだ! もちろん部活で堂々とエロゲーやってるみっちゃんに比べたらレベルが低いと言われても仕方ないとは思うけど、やっぱり人間として詰んではいけない境界線ってヤツはあると思うのだ。ボクなんて極めて普通だと思うけどなぁ? 今度熊ちゃんとかどうなのか、ちらっと聞いてみよう。
 ボクは友人達へ思いを馳せつつ、放課後から全く役に立っていない手帳を見た。

『終業だ。さっさと家に帰れ』

 分かっちゃいるけどさー……。この期に及んでねぎらいの言葉の一つも無しかよ!?
 なんでこんな残念なのが10年後のボクなの!? そんなに人生ぶっ壊れたの? 常識トイレに流しちゃったの!? 本気で超信じられないんですけどー!!
 だいたい他人……ではないけど、他の人に何か物事を頼んだら、お礼を言うのが人としての最低限の礼儀ってもんでしょう! 嘘でも良いから”お疲れ様”って書いてよー!!
 ボクは未来の自分の常識を確認すべく、もう一度手帳を見た。

『だから早く帰れ、バカタレめ』

 ぴ――――――っ!! 死んでしまえ!! ボクなんてどうでも良いから死んでしまえ!!
 こんな人としての礼儀すら分かってない馬鹿者になるくらいなら、もうさっさと死んだ方が地球のためだ!
 一体どんな努力をしたら、こんなクズみたいな人間になれるというのだろう。我が事とはいえ、本気で悲し過ぎる。何のために生きてるんだかさっぱり分からなくなった!!
 ボクはひとしきり自分の未来と成長性に絶望するも、さりとてこんなクズ教師にも家ではロリで高スペックな女房おねーさんが待っていることをギリギリのところで思い出し、やっぱり自らダンプに飛び込むのだけはやめておこうと思った。
 さて、本当に帰るか。
 ボクは机の下から鞄を取り出し、隣の名称不明の先生に「お先でベイベー」と声を掛け、彼女のやたら生暖かい視線に見送られながら職員室を出たのだった。
 朝くぐった職員用の玄関から、既に暗くなった夜道を校門に向けて歩いてゆく。
 まっとうな小説なら、この辺で校庭に奇っ怪な絵を描く女子中学生に絡まれるとか、10年後の自分に出くわして失神するとか、またはいきなりナイフで腹部を刺されて「だが気にするな。俺もあいつも痛かったさ」とか意味不明なセリフを投げかけられるものだろうけど、ボクの凡庸な人生および作者の不徳と致すところにより、そんなドラスティックな展開を迎えることなく無事校庭を通過、そのまま停留所に止まっていたバスにうまいこと飛び乗れたのだった。


 うー、つかれた〜〜〜
 充実した仕事の帰りは心地よい疲労感に包まれるとかどっかで聞いたことあるけど、そりゃ全然ウソだって今つくづく感じているよ〜〜
 てゆーかだるいのはだるい! 眠い! ずっと立ってたから足が超痛い!!
 バスはほぼほぼ満員で、空いている椅子などありゃしない。だからボクはバスがカーブを曲がる度に元気よく揺れるつり革にぶら下がって、北風に弄ばれる蓑虫の気持ちを存分に味わっていた。
 むぅ、この外見の疲れたオッサンは常々教鞭を執っているから、今日くらいの労働は毎日のことだと思うのだけれど、しかしそれでもこんなに疲れるって事は、やっぱり働くのって大変なんだよねぇ……
 毎日ダラダラ帰ってきてグダグダ酒を飲んでるボクの親父も、毎日こんなに疲れて帰ってきてるのだろうか。少しは親孝行しないとなぁ。孝行したいときは既に死んでるってよく言うし。
 そういえば、うちの親って今どうしてるんだ?
 ボクはそこはかとなく心配になり手帳を見た。

『親孝行しろ』

 そりゃそーだけどさぁ……。ここは人生の先達足るべき者、「殺しても死なねー」とか「よくよく生き汚い」とか「憎まれっ子世にはばかる」とか書いて安心させるってのが通常の対応ってモンでしょ!?
 つくづく思慮が足りねーよこのクソ手帳。てゆーか本気で10年後のボクってこんな嘆かわしい事になっちゃうの? 人生切ないなぁ。 からっからにしょっぱいなぁ。 カピカピに萎びてるなぁ。
 より一層ぐったり来たボクは、蓑虫どころか釣り竿に引っかかったクラゲのようにでれーとしながらバスに揺られ、未来の自分家の最寄りのバス停へと輸送されていったのだった。


「ただいまべいべ〜〜」
 ボクは手帳の案内によって、何とか我が家にたどり着けたのであった。てゆーか朝に部屋番号とか確認するのを完全に忘れていたからねぇ。マンションのエントランスで、建物の中に入る方法すら分からずに呆然と立ち尽くすのは中々趣深い経験だったよー。
 てゆーかボクが高校時代(何度も言うけど昨日だけどさ……)に住んでたボロマンションは、エントランスなんかただの開き戸だもん。自動ロックはおろか、セキュリティのセの字すらない風通しと人通りが自由な実に開放的な住宅なのだ。
 まぁ、エントランスの横っちょに良く設置してある公衆電話のなり損ないみたいなヤツ(名前なんて知らない。部屋番号を押すと各部屋のインターホンに繋がる銀色のハコのことだよ)だって何かめんどくさいし、だいたい見た目からしてボロいマンションにドロボーに入るバカも居やしないだろうしねぇ。
 そんな古き良き時代のレガシーな設備に、すっかり身も心も慣れ親しんでしまったボクは、エントランスの自動ドアに設置されている静脈認証の機械に手ェ突っ込むだなんてハイブローな考えに至るわけもなく、そろそろ不審者扱いされる段になってようやく手帳を開くというアイデアにたどり着いたのだった。うーん、如何にこの手帳に対する信頼度がダダ落ちかよく分かるよねぇ。まぁ、結果として手帳に書かれてあった部屋までの行き方の説明でここまでたどり着くことが出来たわけですし? ここは素直に感謝しておくのもやぶさかではないということも言えないことでもないですし? まぁこの点に限っては大人しくありがたやと心の隅で唱えておくのも、オトナとしての態度の一つではないかと思いますよ? だいたいボクは、いつまでも他人の至らなさをネチネチあげつらうような事はしないのだ。
「……おかえりさない」
 ボクが玄関で熟考を重ねながら慣れない靴をモソモソ脱いでいると、部屋の奥から女房おねーさんが迎えに出てきてくれた。
 むー、こうしてみると、この人ホントに若いなぁ。一体歳いくつなんだ? しかし、自分の女房の歳を聞くなど、旦那としては無粋の極み、かなりイケてない。てゆーかそもそも不自然すぎるよ。元に戻るまでの間に、チャンスがあれば保険証でも見て誕生日でも調べてみようかな。
 ボクは部屋に上がると、まず鞄に入っていた弁当箱を取り出し、
「おねーさん、人生最高のお弁当でした」
 と言って手渡した。あんな感動的なお弁当だったんだもん、ちゃんとお礼を言うのが人として当たり前のことなんだよー。
「はぁ? ありがとう……??」
 何かおねーさんは疑問形だけど、ボクそんなに間違った対応したかなぁ?? でもおねーさんは弁当箱を持ってキッチンに向かって行ったので、とりあえず弁当箱返却のミッションは達成したようだ。
「今日は遅かったのね。ご飯冷めちゃうからさっさと食べましょう」
「はいはい」
 ボクは寝室に行き、朝壁に掛かっていたのと同じようにスーツをハンガーに掛け、折り目を整えておいた。ところで部屋着ってどこにあるんだ? さすがに下着姿で飯を食うってのは、女房おねーさんに対するセックスアピールが激しすぎるってもんだ。
 ボクは部屋着の指南を望むべく、残念な手帳を見た。

『黒いタンスの上から2段目に入っているジャージでも着てろ』

 黒いタンスの上から二番目、と……。ボクは手帳の指示通りに、寝室に置いてあるタンスの二番目の引き出しを開けてみた。するとそこには、ボク(の中の人の方が)が今通ってる高校で着ているジャージのボロくなったのが、綺麗に畳まれて入っていた。
 うっわー、びんぼーくせー!!
 学校卒業して何年経ってるんだって! てゆーか高校のジャージなんて学校に捨てて来るもんでしょー!? ボクはなんだか生活臭がキツすぎるというか、変なところでしょっぱい我が未来の生活に軽く貧血を覚えながら、そのジャージを引っ張り出して着たのだった。いや、だってこれ着慣れてるし。
 ボクが上着のジッパーを上げながらキッチンに入ると、女房おねーさんが食卓に料理を並べていた。おかずは、えーっとクリームシチューか。うわぁ、超おいしそうなんですけどー!!
 キッチンにはシチューの良い香りが充満しており、それに刺激されたボクの胃袋がぐぅぐぅ音を立てまくる。
「おいしそうだなぁ……」
 ボクが無意識に呟くと、
「んもう、今更なんなのよ……」
 女房おねーさんは顔を赤くしながら、軽くすねるような顔をした。
 こ、これは……!
 なんか、未来の自分がこの女房おねーさんを取っ捕まえてきたのが、すっげぇ分かる気がするなぁ。めっちゃ可愛い! 何これ何これ、こんな生き物地球にいていいの!?
 ボクが改めて未来の女房に一目惚れしていると、
「準備出来たわよ。早く食べましょう」
 既に料理を並べ終わった女房おねーさんは椅子に座り、ボクをじっと見ている。
「はっ、はい!」
 ボクは裏返った声で返事をして、慌てて椅子に座ったのだった。


 ”いただきます”をしてから5分後。ボクたち夫婦(?)は無言でご飯にがっついていた。というか、ボクは確実にがっついていた。もちろんおなかが空いていたというのはあるけれど、やっぱりご飯がうまい! これはいくらなんでも反則だよぅ。
「何でシチューがこんなにうまいんだ……。何か変なものでも入っているのか!?」
 そんなボクの当たり前且つ自然な問いに、
「……愛情たっぷりですが何か?」
 等と、女房おねーさんも中々うまい返事を返してくる。誰がうまいこと言えと。あ、ご飯がうまいからうまいってことか!?
 ボクは甚だバカになっていた。浮かれバカだった。バカップルであった。いや、女房おねーさんは極めて冷静か……。
「……今日帰りが遅かったけど、仕事が忙しいの?」
 ボクがあらかたシチューを平らげた頃を見計らって、女房おねーさんの質問だった。
「あー、ジャガ子がエンコーしてて……」
 いや、さすがにこの話題は夫婦とてまずいだろう!? 食事時に出して良い話題じゃないし、女のコ相手にセクハラだよぅ。ボクは今日、何度ロリッ子相手にセクハラすればいいってのさ。
「?? ジャガイモがどうしたの?」
「あー、いや、ボクが描いたリンゴの絵をジャガイモってディスった生徒がいて、そいつがちょっと家庭環境で問題抱えてたから、その相談に乗っていて……」
「ゆーちゃん絵ェ下手だもんね。もっと練習したら?」
 うむぅ、割とはっきり言うなこの子。心にグサッと来たんですけど……
「いや、ボクだってちゃんとリンゴの絵ェ描いたさっ! けどあのオコサマ共は、ジャガイモだのないわーだのって、ひっどいこと言うんだよーっ!?」
「オコサマとか言わないの! 先生が生徒に分かりづらい授業して、褒められることなんて無いでしょ!!」
 うぅぅ、何かボク、今めっちゃ怒られてない?
「ごめんなさい……」
 そしてボクは何故か全自動で謝っていた。これはボクの意志ではなく、身体が覚えてるって事だね! 完全に尻に敷かれてね!? ロリな女房おねーさんに敷かれてね!?
 でもボクは、これもまた幸せの一つの形なんだって分かった気がする。おねーさんのボクを見る目がとっても優しいからだ。決して生暖かい目では無いよ!?
「もう良いわよ……さっさと食べちゃいましょ」
「はいはい」
 それからボクらはたわいもない会話をしつつ、人生で最高においしい晩ご飯を済ませたのだった。


 その後、女房おねーさんはキッチンで食器を洗い、ボクは手持ちぶさただったのでムカつく手帳を読み直していた。とりあえず、今のところは手帳が意図しているであろう時間軸から、あまりずれていないと思われる。
 そうだ。ジャガ子の処遇について、手帳に追記しておかなければならない。彼女から話を聞いた直後に手帳にお願いを書いていたのだけれど、その後教頭から本格的にジャガ子のサポートをする様に頼まれたのだった。
 ボクが手帳の空白ページに職員室での出来事を書いていると、
「ゆーちゃん、お風呂入ろ」
 キッチンから出てきた女房おねーさんが、そんなことを宣った。
 ボクは慌ててメモを書き終えると、
「一緒に入るの!?」
 と、思春期まっしぐらのお馬鹿的セリフを力一杯ぶちまけてしまったのだった。
 うむ。
 とりあえず万が一この場にもう一人の自分がいたとするならば、その辺に落ちてるジャンプ……は無いから、テレビのリモコンが砕け散るまでそのピンクっぽい何かしか入っていないであろうおめでたい頭を、力一杯叩きのめしたであろう。
 今更何言ってんだと。嫁さんあきれ果てるだろうがと。本気で蔑まれた目で見られちゃうだろうがと。
 早速の自分の失敗に速攻打ちひしがれていると、
「? そうだよ??」
 と、女房おねーさんはよく分からない返事を寄越してきたのだった。
 そうだよ? そうだよとは一体どういう意味だ??
 ボクは初めて聞く単語に首をかしげつつ、手帳を見た。

『そのままだバカタレ。さっさと女房と一緒に風呂に入れ』

 なんだって――――――――――――――――――――――――――っ!!!!!

 い、いや、それはまずいだろう幾らなんだって!!
 だってお風呂だよ!? 服脱いじゃうんだよ!? お互い裸なんだよ!?!?
 万が一間違いが起こったらどーするのさっ! 誰が責任取るってんだ!!
 ボクは手帳の軽率な記述に心底頭に来ながら、それを窘めるべくもう一度手帳を見た。

『いつも一緒に入ってるから気にするな、バカタレめ』

 こ、ここ、このえっちめっ!!
 貴様はいつもあんなロリッ子と一緒に風呂入ってるというのか!? 人として許されない愚行だぞ!? 今後7代にわたってペド野郎と誹りを受けても全く否定出来ない悪行だよ!?
 てゆーか本気で間違い起こしちゃっても知らないよ!? 思春期もまっただ中、誰もが羨むお年頃の男の子は、下半身にコントローラーを奪われた鉄人28号みたいなモンなんだって!!
 ボクは最後の最後でこのクソ手帳の良心に期待しつつ、改めて手帳を見た。

『見るだけだ。触るな。お前にはまだ早い』

 く、くそう……!!
 折角女の子と一緒にお風呂入るのに、事故を装って肘の先っちょでおっぱい軽く突っつくなんて夢の如きいたずらすら許されないというのか……!
 ボクは心底がっかりしたというか、しかしある意味安心したというか、よく分からないけど激しくテンションが上がったままに、早速風呂に入るべく立ち上がった。
 えっと、お風呂はどこだ??
 辺りをきょろきょろ見渡していると、ちょうど女房おねーさんがキッチンか出てきた所だった。
「ええっと、一応確認だけど、本気で一緒に風呂に入るの?」
 チキンであった。この期に及んで見苦しいほどの未練がましさだった。折角のオトナの階段に片足乗せることすら出来ないヘタレの、ブルった根性無しであった。
「……嫌なら一人で入るけど……」
「いや絶対一緒に入ります」
 ボクは光速およびフルオートでそう答えていた。だって、女房おねーさんがすっげぇ寂しそうな顔したんだもん!!
 この子にあんな顔させるなんて、ボクは人として絶対耐えられ無い! 無理! 無茶! 不可能!!
「じゃあ早く入ろ」
 おねーさんがうっすらと微笑んだのをしっかり確認したボクは、自分でほっぺをペチペチ叩いて気合いと根性と覚悟を注入しつつ、おねーさんの後について風呂場に移動したのだった。
 まぁ、朝に自分の疲れ切った顔を見て心停止寸前まで行った洗面所の隣だったんだけどさ。
 ちなみにお風呂の広さと言えば、中の人であるボクんちの風呂と大して変わんないねぇ。自分の稼ぎじゃ、これでも贅沢だってモンだろう。でも、やっぱりいろんな設備がかっこよくて綺麗だ。ボクんちの風呂なんて、未だ蛇口が水とお湯に分かれているんだよ!? 今じゃ温度調節付きのレバー式が当たり前だって言うのに。せめて蛇口だけでも変えたいなぁ。でもそんな事って出来るのかなぁ。ボクがじっくり備え付けの一体型の蛇口を見ていると、
「早く服脱いだら?」
 と女房おねーさんが言うので彼女の方を振り返ってみれば、ちょうどブラジャーを外しているところだった。その特徴的な形状を持つ布製品が身体から取り払われた後には、何というか、もう、これ以上無いほどに愛らしく、美しく、可憐であり、しかも存在感を無限に放つ、ちょっとだけ慎ましげな双丘が現れたのだった。

 お、おおおお、おっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱい!!!!!

 ボクは瞬きすら忘れて、その胸部の二つの丸みをガン見していた。てゆーか、これは人類最高の至宝だよ! ボクは今まさに、ボクの頭に目が二つ付いているのは、この二つのおっぱいをそれぞれの目でしっかり見るためだったのだと、まるで雷に打たれたの如き衝撃を持って確信するに至った!! そして今この瞬間、ボクの目は生まれてから17年の堪忍をもって、ようやくその役割を完遂したのであった……!
「? どうかしたの?」
 どうしたもこうしたもあるもんかい!! ボクは今、自分がこの世に生まれてきた理由を全うしている最中なのだ! 目の前には、上半身は裸で下半身はぱんつだけのロリッ子が、ボクを見て微笑んでいるんだよ!? こんな、天国如きはオコサマのお遊戯場程度に思えるくらいの至福の場に出くわすなんて、ボクは今まで妄想すらしたことはなかったよ! もしこれが市販のラノベだったら、絶対ここに挿し絵が入るね! 間違いない、確信すら出来る!! いくら中学生にしか見えないって言っても、高スペックでロリな人妻が可愛いおっぱい丸出しなわけだよ。
 むしろこのシーンを画像化しなくて、何が萌えなのかと。何がクールジャパンなのかと! 何がコンテンツ振興なのかと!! だいたい都条例なんて知ったこっちゃ無いもんねー!! 作者はサイタマ県人なんだから、現実と創作の区別も付かないイカれた連中の価値観なんて全く及ばないのさっ!

おっぱいの図

 いささか思考がメタ方面にはみ出してしまったけど、女房おねーさんのおっぱいはそれぐらいの破壊力を持っているのは間違いなかった。男がおっぱいに人生狂わされるのって、まさに真実だね!
「……早く服脱いで入ろうよー」
 ボクが感涙にむせび泣いていると、おねーさんはとっくに昔にぱんつも脱いで、浴室の中からボクを待っていた。
「はっ、はひぃっ!」
 ひっくり返った声を恥ずかしがる暇もなく、ボクは着ていたジャージと下着を急いで脱ぐと、慌てて浴室に飛び込んだのだった。
 ところで、風呂場に複数人で入るのって、ボクにとってはすっごく新鮮!
 ボクは一人っ子だから、小さい頃からずっと風呂は一人で入っていた。だから二人でお風呂場にいるなんて経験があるわけでもなく(もちろん赤ん坊の頃はあのヒステリーママンや親父に入れて貰っていたのだろうけど、そんな事は今はどうでも良い)、このシチュエーションは、たまにみっちゃんに押しつけられる、えっちなビデオくらいでしか観たことは無い。となると、あのビデオに学ぶのならば、このあとここでおねーさんと散々乳繰り合って、終いにはおっぱいにむしゃぶりついちゃうとか、身体と身体と合わせてなむ〜〜って事になっちゃうのか!?!?
 果たして、中学生にしか見えないこの女房おねーさんは、セックス等という激しい行為に耐えられるのであろうか……
 ボクは図らずとも色々心配になり、隣でシャワーの温度を確かめているおねーさんに視線を向けた。ちょっと小さめの身長、全体的に肉付きの薄い身体、丸顔の童顔、可愛らしく慎ましいおっぱい、くびれのある腰、細めでもしっかりと丸みを帯びたおしり、綺麗な脚線、シミ一つ無い、健康的な肌。
 女性の身体として考えれば、同じ身長が低くてもおっぱいが大きくて全体的にボリュームのある、若木さんの方がずっと魅力的なのかも知れないけど、でもボクはこの女房おねーさんの慎ましい身体の線も好きだなぁ。そしてボクは、特に夫婦的な活動による行為において激しく損耗すると思わしき、下半身のある一部に注目する。
 ……むぅ。やはり小柄な身体と同様に、その部分も幼気というか、昼間にちらっと見たジャガ子と同様に、アンダーなヘアの類も薄かった。
 わざわざそんなところ剃ったりしないだろうし、やっぱりこのロリな女房おねーさんは正真正銘なロリッ子だよー!!
 ボクはあるまじき事に、目の前のおねーさんのおっぱいと股間に視線を固定させながら、おねーさんがベッドの上であんあん桃色な声をあげている様子を想像してしまっていた。なんてコトだ、ボクは知らないうちに、みっちゃんからロリコンをうつされていた様だよ!?
「何そんなにちんちんおっきくしてるのよ……」
「はうっ!?」
 今更でもないでしょと、おねーさんの呆れた声に慌てて視線をあげてみれば、恥ずかしそうに顔を赤らめたおねーさんが、ボク(の下半身)をじっと見つめていた。
 そして彼女の視線をたどってみれば、何ということかであろうか、こんな時だからこそ紳士的に重力に従っていればいいものを、まるで自分の存在を誇示するが如き雄々しさを持って、そいつはドクドクと脈付きながら天に向かい直立していたのであった……!
「い、いやっ 見ないでえっち!!」
 えっちは女房のアソコ見てちんちんおっ立ててるお前だろ!って冷静なボクは突っ込みを入れるけど、誰もが羨むお年頃のオトコノコには、そんな正論や常識、貞操観念では割り切れないとっても大切なものが、心の奥底でドロドロしてるモンなんだよ……。お願い、出来るだけ理解して!
「もう、意味が分かんない……。えっと……我慢出来ないなら、ちょっと出しちゃう?」
 おねーさんはシャワーを止めると、ボクの暴れん棒(死語)に優しく手を添え、それを軽く握るとゆっくり上下にしごき始めた。
「痛くない?」
「はっ、はうううううっ!!」
 背筋に電気が走るって言うのは、まさにこんな感じなのでしょうか……。
 ボクは今、生まれて初めて女の子にちんちん触って貰いました……。
 あまりの気持ちよさに、もうこの場でぽっくり死んでも悔いは残らないと思いました……。
 ……などと訳の分かんないノリでビクビク痙攣してるけど、しかしあのムカつく手帳には、女房には触るなって書いてあったじゃない!
 これは触っているのではなく触られてるんだー!っていう、まったくもって正しい意見もあるにはあるだろうけど、しかし、誰もが羨むお年頃のオトコノコ足るべき者、ここまで来て劣情に任せて道を誤る事など、決してあってはならないのだ!!
「い、いや、これは己の健全性をセルフチェックしている時の予備動作であって、決して今発射する必要はなくてですね……!」
 ボクは女房おねーさんの手を柔らかく押し戻すと、未だ元気に上を向いている第二の自分をペチペチ叩き、なんとか縮み込ませることに成功したのであった。
「……痛くない!?」
 おねーさんはさっきと同じセリフをだいぶ違ったニュアンスで言ってきたけど、ボクはさわやかな笑みを浮かべて首を横に振る。もちろん、メチャクチャ痛いに決まってるけどさ……
「それじゃ、椅子に座って。頭洗ってあげるね」
 女房おねーさんは浴室の片隅に置いてあった椅子を引き寄せると、ボクの足下に置いてくれた。ボクはその声に従い椅子に座る。
「お湯掛けるねー」
 おねーさんは再びシャワーからお湯を出し、温度を確認した後ボクの頭にお湯をかけ始めた。
「次はシャンプー。目に入ったらすぐに言ってね」
 シャワーが止むと、ペコペコとシャンプーボトルのヘッドを押す音が浴室に響いた。もちろんボクは目を閉じているので、音しか聞こえないのだ。
 やがて女房おねーさんの両手がボクの頭に乗せられ、すぐに優しくコシコシと頭皮を擦り出す。
 先ほどちんちんを触られたときと同様に、背筋にびりびり電気が走った。
「……またちんちんおっきくなってるけど……大丈夫?」
「極めて健康であります!」
「それはそれで良いけど……辛いなら、その、言ってね?」
「ありがたき幸せ」
 てゆーかもう、この外身の疲れたオッサンはどんだけ幸せモンだと。頭洗って貰ってる分際で、バカみたいに一人で発情してちんちんおっ立ててるのに、ロリな女房おねーさんに優しく気を遣って貰ってるんだよ!? どんだけ愛されてるんだと! どんだけ愛して貰ってるんだと! どんだけ愛して頂いているんだと!!
 そもそもこの外身の疲れたオッサンは、女房おねーさんにこうまでさせるほどに、日頃から常々ラヴを注入しているというのだろうか。なんだか自分には信じられないなぁ……。どうやったら人に愛されるかとか、全然分かんないんだもん。
 ボクが人類史上未だかつて解けたことの無いであろう難問に挑んでいる間も、女房おねーさんはボクの頭をずっと洗ってくれていた。普段だと、短時間でガシガシやってるだけの洗髪を、ここまでじっくりやって貰った経験なんてほとんど無いよー。しかも優しくマッサージされているみたいで、本気で気持ちいい。頭だけでもイッてしまいそうだ……
 しかしこんな幸福の時間も永遠に続くことはなく、
「流すよー」
 おねーさんの声と共に、再び出されたシャワーによって、頭の上で大量発生していたであろう泡がどんどん流されてゆく。じっくり洗った後に、軽くリンスを掛ける事によって、今までの人生の中で一番心地よかった洗髪は終わりを告げた。
 ああ、ボクの至福の時間はここまでか……。
 ボクはなんだかがっかりしていると、おねーさんはスポンジにボディソープを出し、
「次は体ね」
 十分に泡立てたスポンジを背中に当て、これもまた優しくすり始めた。
「今日も一日お疲れ様ね」
 おねーさんは小声で呟きながら、背中全体を磨き上げてくれた。そして背中が終わると、ボクの後ろから前に回り、腕とか足とか腹とかを擦ってくれる、
 目の前では、女房おねーさんの動きに合わせて、可愛いおっぱいがフルフル震えている。もちろんボクの視線はそのおっぱいに吸い寄せられるも、しかし床に膝をついてボクの体を擦ってくれるおねーさんの股間もまた非常に無防備な姿で目の前に晒されていて、ボクもう、そこから視線を外すことが出来なくなっていた。
「ゆーちゃん、今日はホントに元気なんだね……」
 おねーさんはスポンジを絞って泡を手に乗せ、スポンジを棚に置くと、さっきからずっと立ちっぱなしで疲れを知らないボクの愚息に泡をなでつけ、ゆっくりとなで始めた。
「ここまでおっきくしてるんだもん、辛いでしょ?」
「いや、でも……!」
 あの手帳には、女房には触るな見るだけと、しっかり書いてあった。
 だからボクの理性は必死に抗おうとするけれど、でも中身のボクはやっぱりオコサマで、性の誘惑には到底逆らうことは出来なくなっていた。
 ボクは女房おねーさんにされるがまま、股間を優しくまさぐられている。
「気持ちいい?」
 おねーさんの優しい声色に、ボクはくぐもった声を一つ出すのがやっとだった。
 やがておねーさんの手を握る力が強くなり、上下に動かす速さが増すと、急速に腹の底から熱い何かがせり上がってくるような感覚に襲われる。
 ちゅくちゅくとボクの陰部をしごく音と、ボクの荒い息が浴槽に響く中、やがてその瞬間は訪れたのだった。
 急激に高まる快感、尿道を所狭しと暴れるようにあるれでてくる精液がせり上がり、
「うあっ」
 ボクの情けない声と共に、それは勢いよく放たれたのだった。
「わぁっ……」
 びゅっびゅっびゅるっ! と放たれる精液が、目の前にいたおねーさんの顔やおっぱいに掛けられてゆく。
 このままじゃいけないと、何とか出すのをやめようにも、おねーさんの手は全然止まることなくずっとしごき続けられている。だからボクは、快感に任せて出せるだけの精液を絞り出し、おねーさんの身体を汚しまくってしまったのだった。
「いっぱい出たねー。……ウフフ、これじゃ妊娠しちゃうよ…」
 おねーさんは自分の身体に掛かった精液をそのままに、未だ痙攣を続けるボクのそれを優しくなでていた。
「はぁ、はぁ……あ、あの、ごめんなさい……」
 息も絶え絶え、ボクがはおねーさんの身体を汚してしまったことを謝るも、
「いいよ、ゆーちゃんが気持ちよくなってくれたら、私も嬉しいから」
 おねーさんは立ち上がり、シャワーを出すと、ボクの身体にお湯を掛けてくれる。
「それに、今度はゆーちゃんが私の身体洗ってくれるんでしょ?」
 なんてコトを……!
 こんな幸せ、本気であってはならないと思う。世界の理から許可が下りないよー! この外身の疲れたオッサン、本当に明日あたりぽっくり死ぬんじゃないの? むしろ死んだ方が自然じゃね!? ボクが度の過ぎた幸せの揺り返しを極度に心配していると、
「交代だよー」
 シャワーのお湯を止めたおねーさんが、ボクにシャワーヘッドを差し出してきた。
 うむ。例え明日死ぬ我が身であっても、このお誘いを断るわけにはいかない。むしろさっき気持ちよくしてくれたお返しを、しっかりしなくてはいけないのだ。
 未だ快感の余韻でしびれる身体に気合いを入れ、ボクはよいしょと立ち上がった。
 そして椅子をおねーさんの前に差し出し、シャワーで軽く表面を流す。
「よろしくね」
 おねーさんはボクに背中を向けて座った。まさにこれこそ、背中を預けるという状態だろう……。華奢なおねーさんの背中は本当に小さく可憐で、ボクは男として生を受けたからには、この可愛い背中は何があっても命を掛けてでも絶対確実に守らなければならないのだと、魂の底から思い知らされざるを得なかった。
 さて、男としての心構えは十分だけど、現実的にはこのおねーさんの頭をしっかり洗わなければならないわけだ。良くしょうもないマンガ等では、滅茶苦茶にシャンプーをぶっかけて泡だらけにしたり、乱暴に頭をかき回して女の子に嫌われるってのがオチだけど、さすがにボクだってそんな事を晒すほど落ちぶれちゃいない。
 ボクはシャワーを出して温度を確かめ、水温が安定したところでおねーさんの頭にゆっくりとお湯をかけ始めた。
「熱くない?」
「うん、大丈夫」
 髪の毛を十分に濡らし終え、ボクはシャワーを止めると、シャンプーボトルのヘッドを2回ほど押し、出てきたシャンプーを手で十分に泡立てる。そして泡を髪の毛に優しくなでつけ、ゆっくりと頭皮を擦り始めた。
 おねーさんは特にくすぐったそうにしていないから、大丈夫かな? ところで手慣れた風におねーさんの頭をコシコシしてるボクだけど、おねーさんがショートヘアで助かったー!! 万が一ロングとかだったら、さすがにシャンプーの仕方なんて分かんないよー! だいたいおねーさんの髪質はさらさらで、しかも結構毛が細い。ショートだからこそ適当に洗っても髪の毛が千切れたりしないけど、これが長かったら髪の毛痛めちゃう。やっぱり女の子は、全てがか弱く出来てるモンなんだねぇ。
「おねーさん、かゆいところはありますか?」
「ううん、大丈夫」
 ボクは今一度全体的に頭皮を擦り、髪の毛を優しくもみ洗いすると、シャワーで泡を流し落とした。そして十分泡を流し終わった後には、リンスを手に取り髪の毛全体にじっくりとなじませて置く。
「頭終わりました〜」
「うん、ありがとう」
 さて、次は体の方ですか。なんせさっき力一杯精子ぶっかけちゃったもんねぇ。おねーさんの背中からおっぱいを覗き込むと、まだそこかしこに精液がこびりついたままだった。
 ボクは先ほどおねーさんがボクをすってくれたスポンジを手に取り、おねーさんがしてくれたのと同じようにボディソープをぶっかけ泡を立て、そして小柄な背中をゆっくり擦り始めた。
「痛くない?」
「うん、もっと強くしても良いよー」
 ボクは少しだけ力を入れ、けれども決して乱暴にならないように、おねーさんの背中を磨き続ける。そして背中が終わると、前に回って手や足、脇腹などを擦っていく。
 さて。
 最後に残ったのはまさに男のロマン、おっぱいである。さすがにボクとて、この部分をスポンジで擦っちゃいけないくらいはよく分かっている。だからこそどうすれば良いのかと一瞬悩むも、しかしやはり敏感な部分は人の手で優しく洗わないと駄目だろうと、極めて当たり前の答えを導き出した。もちろん、これは触っているのではなく、洗っているんだとという弁解もコミコミで。
 ボクはスポンジを絞って泡をたくさん出すと、それを自分の手のひらにのっけた。そしてスポンジを棚の上に置き、そのまま両手でおっぱいを包み込むように、優しくなで始めた。
「ふあっ……ゆーちゃん、えっちだよぉ……」
 おねーさんは小刻みに身体をビクビクと震わせ、鼻に掛かったような声で小さくあえぐ。
「ちゃんと綺麗に洗わないとー」
 おっぱいをやわやわと揉みながら、肌の部分も適時擦ってゆく。
 うっわー!! おっぱいめっちゃやわらけー!!!
 もちろんそれは単にぶにゅぶにゅしているような、締まりのないたるんだ状態などではなく、適切な張りと弾力を兼ね備えた最高に触り心地の良いものだった。
 これはまさに人類の至宝、最高の芸術だよー!! 神様は分かってらっしゃる! 女性にこんな素晴らしいおっぱいを持たせるなんて、まさに美しさの相乗効果だよ! やっぱりおっぱい最高!!
 ボクはもう我を忘れておっぱいをムニュムニュ揉んでいた。
「ゆーちゃん、そんなに揉んじゃだめぇ……」
 おねーさんの切なそうな声に、ボクは改めておっぱいを見る。すると、慎ましげなおっぱいに良く似合った可愛らしい乳首がつんと立っていて、それがボクにもっと触ってと訴えかけていた。
 ボクはその要求にキッチリ応えるべく、しかも最も敏感であろう部分なので特に気を付けながら、指の腹でさわさわと乳輪をさすり、乳首を軽くつまんでみた。
「はぅ……くぅ………んっ……」
 おねーさんは時折可愛い声であえぎ、身体を震わせながら、ボクの行為を受け止めてくれている。これはなんという喜びだろうか。まさに承認要求が500%満たされる感じ? このおねーさんは、ボクがおっぱい触るのを許してくれるどころか、気持ちよさすら感じてくれているのだ。本気で嬉しい。もう泣いちゃいそう! 男に生まれてきて、本当に良かった!! ボクは全身全霊そう感じていた。
 でも、ボクはちゃんと分かっているのだ。このおねーさんはボクにではなく、この外見の疲れたオッサンにあえいでいるのだと。だからこれはおねーさんと外見の疲れたオッサンの間にはぐくまれた愛情を、ボクが単に搾取しているだけなのだと。
 だからボクはいつか、自分の力でおっぱいを触らせてくれる女の子を見つけなければならないのだ。それまでは、これ以上はお預けなのだ。
 ボクは少づつ愛撫を弱くしていき、おねーさんが徐々に気を落ち着かせられるように導いていった。
「んもう……いつもはあんなに触ったりしないのに……」
 だいぶ息が整ったおねーさんは、何となくむすっとした顔をしているようだけど、嫌だったとは思ってなさそうだ。
「いつもお世話になっているおっぱいに、感謝とお礼を込めてみました」
「バカなこと言わないの!」
 おねーさんはボクからシャワーをふんだくると、自分でさっさと泡を洗い流してしまった。でも、
「ちょっと気持ちよかった……」
 そう小声で呟いたおねーさんは、とっても柔らかな笑顔でボクを見ていた。
 うぅ、折角寝た子がおっきしちゃうかも……!
 ボクはなるべく自分の股間に注力しないよう気をつけながら、おねーさんに勧められて一緒に浴槽に浸かった。

「さすがに二人で入るには狭いねぇ……」
 一緒の肩を並べてお湯に入り、一息ついたおねーさんのセリフである。
「でも、こうしてゆーちゃんをいっぱい感じられるから、嫌じゃないよ」
 なんて可愛いことを言いやがるんだこの女房おねーさんは!!
 おかしくね!? なんでここまで愛されてんの? 分不相応じゃね!?
 この外見の疲れたオッサンは、膨大な負のカルマを背負ってしまったようだ。こりゃ来世じゃ絶対にミジンコかケジラミに生まれ変わるね! その前に、今生ではロクな死に方出来ねーって。分の過ぎた幸せは、必ず10倍の不幸になって返ってくるんだよー! ああ恐ろしい恐ろしい、この世界のボクは、きっと生まれて来なきゃ良かったって思えるほどに、惨い死に方をするんだきっとそうだそうに決まってる。
 でもその苦役を背負うのが、ボクだけならば、それはそれでも良いのだ。貰った分の幸せは、キッチリ返さなければならないからね。例え体中からウジが湧き出して狂死しようと、それが分相応ってもんだよ。でも、この女房おねーさんだけは、何があっても不幸になることは許されない。例えボクの命を投げうってでも、それは必ず達成しなければならないのだ……と、同じ様なことは、この疲れたオッサンも思っているだろうね。
「あの、おねーさん、もしもボクのせいで不幸になり掛けたら、その時はさっさと逃げてね?」
「は? もちろんそうするわよ」
 シビアだ……! このおねーさんは、やっぱりしっかりシビアだよー!!
 ボクがリアルに涙をだくだく流していると、
「でも、ゆーちゃんは絶対に私のこと不幸にしないでしょ? だから私はどこにも逃げないよ」
 ラヴだ……! このおねーさんのラヴは結構重たいよ……!!
 てゆーか、どんだけこいつらラブラブバカップルなんだと。どんだけつくづく浮かれバカップルなんだと。
 いちいち過去のボクが口出さなくても、こいつらもう取り返しが付かないくらいにお互い愛し過ぎている。端で見ていて痛いほどだ……!
 ボクは自分の将来の一つの可能性に軽く絶望しながら、顔をコシコシ洗ったのだった。


 その後ラヴだかお湯だかでのぼせかけたボクらは風呂から上がり、リビングでエアコンの清風に吹かれながら粗熱を飛ばしていた。
 むぅ……みっちゃんのビデオよろしく、リアルでお風呂で乳繰り合ってしまったよ!? だいたい10年後に来て初体験(手でだけど)を済ませてしまうなんて、なんて廃な人生なんだろう。まぁ10年前に戻って小学生時代の同級生を手込めにしたとか、救いようのないくらいにしょうもないエロゲみたいな事にならなかっただけ、マシかも知れないけどね。
 しかし、ここで一つ心配がある。手帳の記述に逆らい(?)女房おねーさんを触るどころかも揉みしだいてしまい、ついでにえっちなことまでしてしまったではないか!
 うわぁ、ついつい我慢出来なくなっちゃって、劣情に身を任せておっぱいをモミモミしちゃったけれど、これで未来が変わったりしてないよねぇ? だいたいこの疲れたオッサンと女房おねーさんはラヴが過ぎるから、今更おっぱい揉んだくらいでどうにも変わらないとは思うけど……。
 ボクは心の中で懸命に言い訳をしながら、手帳を見た。

『襲わなかっただけ上出来だ。明日も朝は早い。歯ァ磨いてさっさと寝ろエロガキめ』

 ………。
 これは褒められてるんですかそれともディスられてるんですか。
 でも手帳が想定してる事象からは外れていないようなので、これはこれで良しとしましょうか。それにしてもおっぱいホントに柔らかかったなぁ。もう一度揉みたいなぁ……
 ボクは許しを請うべく手帳を見た。

『良いから寝ろ。これ以上触るな。ただバカなお前に一つだけチャンスをやろう。自分で女房を説得して乳を触らせて貰え』

 よっしゃあーい!!
 ボクは俄然やる気を出し、部屋の隅の鏡台で化粧水をはたいているおねーさんの所に行った。
「あの、おねーさん、おっぱい触らせて!」
「はぁ? 頭大丈夫!?」
 ………。
 めっさ冷たい顔された。てゆーか本気で軽蔑してる視線がキタコレ……!
 ボクは自分の未熟さとショボさを胸に、すごすごと元居たところに逃げ帰ってきた。
 うぅぅ。やっぱりお風呂以外でおっぱい触るのは、来世以降なのかなぁ。
 ボクがいつになくしょんぼりしていると、
「ゆーちゃん、寝るよー」
 寝る準備を済ませたおねーさんが、ボクに声を掛けてきた。
 さて、寝る場所と言えば、きっと朝目が覚めたベッドのことだろう……。
 ボクはおねーさんの後を付いて寝室に入るも、よくよく見ればベッドは一つ。てゆーかこのベッド、ダブルだったんだ! まじっすか!? おねーさんと一緒に、一つの布団でラヴラヴ同衾っすかーっ!?!?
「あ、あの、おねーさん。試みに聞くけど、このベッドで一緒に寝るの!?」
「……嫌なの?」
「超嬉しい!! ボク幸せ!!」
 だって、おねーさんがマジで悲しそうな顔してたんだもん!!
 しかし自分、いちいち確認するだのつくづくチキンであった。ヘタレであった。この期に及んでしみったれた根性であった。
 誰もが羨むお年頃のオトコノコ足るべき者、ロリなおねーさんと布団を共にするなら、最後までキッチリ責任持ってヤリ尽くしてナンボってモンでしょう! おっぱい揉むどころではなく、あの可愛い乳首にキスしちゃったり、女房おねーさんのあそこを優しくナデナデしちゃったりとか……!!
 よし! ボクも男だ!! ここでしっかり出来なくて、何のためにちんちんを付けているんだと! 何のために男として生まれてきたのかと!!
 ボクは今夜真の男になるため、人生で最高なる気合いをチャージし、その思いを確認するため手帳を見た。

『何もするな。お前には早すぎる』

 おーまいが――――っ!!!!!
 何ですと!? 何もするなと!?!?
 この期に及んで据え膳食えないんですか!? それは男としてどうかと思う今日この頃!!
 ボクはもう、ぶっちゃけて言うと性欲に身を任せたいので手帳を見た。

『ならばバカでエロで童貞の貴様にチャンスをやろう。ちゃんと自力で女房をその気にさせて、3回はイカせること。出来るな?』

 任せろ!! ボクならヤれる!!
 ボクは、先ほどまでの妄想中に既にベッドに入っていたおねーさんに視線をロックオンすると、気とちんちんを大っきくしてベッドに潜り込んでいった。
「お、おねーさん!! お願いだから一発やらせて!!」
「……ねぇ、今日本当におかしいって。今から病院行く??」
 嫌がられるどころか、本気で心配されたボクがいた。
「ごめんなさいおねーさんが好きすぎておかしくなっちゃいましたもう寝ます勘弁して下さい〜〜」
 ボクは布団に潜り込んで、まん丸になってふて寝した。
「ホントに大丈夫?」
「大丈夫! 今日も一日大変幸せでした!!」
「もう、それなら良いけど……明日も変だったら病院行くからね?」
 おねーさんはそう言って、布団の上からボクのことをポンポンと優しく撫でてくれた。
 むぅ、まるで優しいおかーさんみたい。やっぱロリな女房おねーさんも、やがてはちゃんとおかーさんになっていくんだろうねぇ。その前に自分がまともな父親になれるかはげしく疑問だけど、まぁその時はその時でしょう。
 ボクは布団から首だけひょこっと出すと、寝る前に確認すべく手帳を見た。

『さっさと寝ろ』

 そして、次のページをめくると、そこにはボクが昼間に書いたばーかばーかが踊っていた。
 そっか、このムカつくガイドブックの案内は、もうこれで終わりなのか。てゆーか、最後の最後まで労いの言葉の一つも無しかよ。分かっちゃいるけどホントにムカつくねぇ。まったくこの手帳を書いたバカタレは、つくづく器の小さい男だよー。今から10年間、ボクは一体何を学んだんだ??
 重ね重ね自分の未来に絶望するも、今は手帳の従うべき段階なのだ。寝ろという命令の後に何も記述がないということは、ボクはもう確実に寝なければならないのだ。
「ゆーちゃん、電気消すよー」
「あい」
 おねーさんは枕元に置いていたリモコンで、部屋の照明を落とした。
 徐々に光りを失っていくLEDランプが動作を停止した時には、部屋は真っ暗になっていた。
「おやすみ」
「おやすみ〜」
 おねーさんにお休みの声を掛けながら、ボクは目をつぶった。そして、今更考えても手遅れなのだろうけど、今朝起きてから今まであった事を、順を追って思い出していた。
 朝、女房おねーさんに叩き起こされて、その後食べた朝食がおいしかった。
 学校に行って、みんなから先生って呼ばれて嬉しかった。
 職員会議で、めんどくせーって言ってめっちゃ怒られた。
 朝のホームルームで、生徒の前でぶっ殺すとか言って失敗しちゃった。
 1限目、初めての授業で緊張したけど、とても充実してた。
 2限目、一人で掃除をして新鮮な体験だった。
 3限目、受験生の先輩達に人生語っちゃった。
 4限目、1年生達に一生懸命授業をやった。楽しかった。
 昼休み、おねーさんの弁当がおいしすぎる件。
 5限目、自分のクラスメートに怒鳴りつけちゃったけど、それでも良いと思っている。
 生活指導、ジャガ子には絶対幸せになって欲しい。
 学校から帰って、夕食がおいしすぎて幸せだった。
 お風呂で、おねーさんとえっちしちゃった。とっても気持ちよくて、嬉しかった。

 いきなり飛ばされてきた10年後だけど、手帳のおかげもわずかばかりあったのか、なんとか最後までやってこれた。手帳の言うことが正しければ、明日起きたらきっと元の時間に戻っているんだろうね。それは嬉しくもあるし、ちょっとだけ寂しい事でもある。明日になったら、この隣で寝ている女房おねーさんとは、もう二度と会えないのだ。もちろん10年前にもどこかに居るんだろうけど、それはボクを好きでいてくれるおねーさんではなく、ボクのことなんか全く知らない人になってしまうのだ。やっぱり、それはめっちゃ寂しいよねぇ。
 今日一日だけど、この女房おねーさんには本当に良くして貰った。おいしいご飯をいっぱい食べさせて貰ったし、それにえっちなコトもさせてくれた。独り身のボクにとっては、本当に過ぎた幸せだった。
 そっれにしても、この世界の疲れたボクは、本当に素晴らしい嫁さんをかっさらってきたもんだよ。その分ロクな死に方しないだろうけど、それは謹んで諦めて貰いたく。
 ボクは、だんだんと眠気が強くなっていった。
 慣れない10年後の生活に疲れがたくさん溜まっていたのだろうか、気を緩めたら、すぐにでも意識が飛んでしまいそう。
 ああ、そういえば女房おねーさんの歳や名前を調べるのを忘れていたよ。なんてコトだ、大失敗だよ……
 ボクはそろそろ遠くなる意識の中で、最後の最後に一つだけ、手帳に逆らってやることにした。触るなとか書いてたけど、横に手を伸ばし、おねーさんの手を握ってやったのだ。
 おねーさんも、ボクの手を握り返してくれた。
 おねーさん、今日一日ありがとう。そして、これからも10年後のボクをよろしくね。

 そこで、ボクの意識は、ぶっつりと途絶えたのだった。

3 意味がわかんない!

「優樹!! 起きなさいっ!!」
「みぎゃ――――――――――――っ!!!!!」
 そんな母親の罵声で、ボクの安眠はぶち壊されてしまった。
 てゆーか強制的に叩き起こされた。文字通り、布団叩きでバカバカ全身を叩かれまくって。
 なんたること!? 昨日ちゃんと目覚ましを掛けたはずなのに、なんで朝からヒステリーママンによる愛情が異常発酵起こして憎悪になったが如きネグレクトをこの身で受けなければならないのであろうか!
「早く起きなさい!! バイトに遅れるでしょう!!」
「もう起きてるってばー!! だいたい、何で朝から愛しの息子をそんな鈍器で殴れるの!? あんたホントに母親なの!? 母親の自覚あるの!? それとも我が子のことがそこまで憎たらしいの!?」
「叩かれるあんたが全部悪い!!」
「ぐへあっ!!」
 ヒステリーママンはその手に持っていた布団叩きでボクの頭を殴りつけ(しかも縦でだよ!? 到底人間のやることではない)、肩を怒らしながら部屋から出て行った。
 コレだから未熟者(だから母親のことだよ)は困る。答えに窮すると思考停止に陥り、すぐに手を出すのだ。まったく、あんな親に育てられた子供の顔を見てやりたいぜ! ボクは机の上に置いてあった鏡を手に取り、母親の暴力で頭蓋骨がおかしな感じに歪んでいないかチェックをすることにした。
「あれ?」
 ところがである。鏡の横には、ICレコーダーといつもボクらが映画を撮影するのに使っているビデオカメラが置いてあった。なんだこれ? 何でこんなのがボクん家にあるの?
 ボクがICレコーダーを手に取ると、その下に折りたたまれた紙が置いてあった。そして中には、何となく自分の字であるような無いような、見てるだけであのムカつく手帳を思い出す様な……って!!
 あれれ!? よくよく考えてみれば、寝る前の事って現実? それとも良くできた夢の中のお話だったの??
 そうだ。確か昨日、ボクは起きたら10年後の世界にすっ飛ばされていたのだ。今日は一体どうなんだ!?
 ボクは慌てて鏡を手に取ると、自分の顔を覗き込んでみる。
 うむ、見慣れた若さ溢るる丸顔に、まだまだ艶のあるお肌。誰もが羨む、お年頃の男の子の顔だった。それにさっき母親が部屋に闖入して来やがったという事実を考慮すると、やはりこの時間はボクが昨日まで居た時間と同じ様だ。
 とすると、このICレコーダーとビデオカメラは一体何だ??
 しかし、その謎が大いに気に掛かるも、それよりもバイトの時間がヤバそうだ。そもそも今何時!? 母親が起こしに来たって事は、遅刻すれすれの時間のはずだ。
 ボクは充電器に乗っていたケータイを取り上げ、時刻を確認する。ただいまの時刻は5時44分。いつもは五時半には起きてるから、こりゃさすがに時間が無い。
 と、そこまで来て、何気にケータイの時刻の隣に表示してあった日付を見て、ボクはより一層の衝撃を受けるに至った。

 一日進んでるじゃん!

 そう、昨日ボクが10年後に行っていた間に、こっちでも1日経っていたというわけだ。てゆーことは、昨日ボクはここに居なかった事になるのだろうか!? しかしあの母親の態度を見るに、昨日一日姿をくらませていたって事はなさそうだ……。
 そこはキッチリと確認すべきだろう。ボクはパジャマを脱いで新聞配り専用のジャージを着込むと、リビングに飛び込んでいったのだった。
「かーちゃん! 昨日ボクここに居た!?」
「はぁ!? あんたまた何訳の分かんないこと言ってんの!」
「そんなんどーでも良いから答えろママン!」
「親になんてこと言うの!! 全く、昨日はあんなに良い子だったのに、一晩寝たらいきなりグレ果てて! 私はそんな子供を育てた覚えはない!」
 良い子だぁ!? 誰だか知らないけど、昨日一日どうやらボクの身代わりをした奴が居たらしい。全く勝手なコトされると困るよね! 今までボクとこの未熟者が17年掛けて築き上げてきた緊張感ある信頼関係が、壊されてしまうじゃないか……。
 まぁそれは良い。今は昨日ここに誰かが居たって事が分かっただけでもめっけものである。そして今この瞬間のボクは、これから新聞配りのバイトに行かなければならないのである。
「じゃあバイトに行ってくるー」
「全く朝ご飯もまともに食べないで!! 私はあなたをそんな……」
 あー、うるさいうるさい!!
 ボクは朝からがなり立てる母親を無視して、一旦自室に戻るとケータイと時計などバイトに持って行く装備を一通り整え、勢いよく家を飛び出したのだった。


 さて、ボクがバイトをする描写は実がコレが初めてだろう。
 自宅から近くの新聞の販売店までは、我が通学の友(チャリのことだよ)で通っている。そこで当日配る分の新聞に広告を差し込んだりして束を作り、それが終わったら新聞配り用に特化した業務用チャリを駆って町中を走り回るのだ。
 ところで、この業務用チャリがまた酷い。いい加減ボロだってのはあるんだけど、重い、固い、止まらないと素敵な危険三拍子がキッチリ揃っており、乗りこなすには相当に高度なテクが要求されるのだ。
 そりゃ業務用だから丈夫さは必要だと思うけど、無意味にぶっといフレームはそれに似合った重量を提供し、油の切れたハンドルやペダルは動かす度に耳障りな軋みを上げ、そしてワイヤーではなく鉄の棒で直接ブレーキパッドを駆動する質実剛健な前後のブレーキ達は、そのパッドのゴムが完全に硬化しているので、幾らブレーキハンドルを握り込んだところでちっとも制動力を発生しない。だから重いチャリの慣性力と相まって、人や電柱やダンプにぶつかりかけたことは数知れず。こんな事やってたら、高校教師やロリッ子の女房おねーさんとどうこうなる前に、事故を起こして死んでしまう。いい加減新しい自転車に変えて欲しいなぁ。最悪、自分の通学の友を使わせて貰った方が、よっぽど安全に配れるってもんだよー
 しかし、頭の固い新聞店の店主はそれを絶対許そうとせず、こんな劣悪な機械をボクに押しつけてくるのだった。まぁ良い。どうせここでバイトをするのは高校生のウチだけさ。一応勤労学生という扱いで、ほんの少し給料を高めに設定してくれているから、あまり多くの物を望むのも罰当たりというものだろう。みっちゃんとかに言わせると、同じバイトをするにしてももう少し割の良いのがあるだろうぶっちゃけ給料安過ぎんじゃね? とのことだが、うすうす気がついてはいるのだ。しかし、ここで深く考えては負けなのだ。何も知らない振りをして、一生懸命働くのが良いんだきっとそうだ絶対そうだ。
 ボクは頭に隅にわだかまった不穏な考えを無理矢理深層心理へ押し込むと、新聞の束を持って業務用ボロチャリ新聞配りエディション・錆び軋み不具合付きにまたがり、新聞を待つご家庭に向け急速発進を慣行したのだった。

 さて、重いチャリなのですぐに疲れ果ててのんびり漕ぐ羽目になるのは毎度のことだけど、早速一番目の配達先が見えてきた。ここん家はポストに新聞紙を放り込むだけでいいのだ。はい、終わり。
 いくらか進んで2番目も以下同文。しばらくはそうやって、大口を構えて待っているポスト達に、新聞を詰め込む作業に没頭しているのだけれど、
「おはようございます〜〜」
 この30番目くらいの田中さん家は、いつもじーちゃんが玄関先で乾布摩擦をしているので、直接手渡しているのだ。
「うむ!! 今日もあっぱれ!!」
 何がどうあっぱれなのかよく分からないけど、毎日こんな感じだから気にしない。だいたい雨が降ろうとと雪が降ろうと雷が落ちようと、一年中同じ時間にゴシゴシやってるじーちゃんの方がよっぽどあっぱれだよ。……主に頭の方が。もしかして、既にボケているのか? 暑さ寒さも関係ない悦楽の境地なのかなぁ。
 ボクは毎朝人間の生命力に驚嘆しつつ、じーちゃんに手を振って次の家に向かったのだった。
 さて、しばらくはポストに新聞を突っ込んでいくだけなので比較的楽なのだけれど(新聞を各玄関まで届ける団地とかマンションが無くてホントに良かった)、最後の方に一件ほど、めんどくさい家があるのだ。
 そこん家は、毎朝必ず玄関のチャイムを押して、中から出てきた人間に新聞を手渡さなければいけない決まりになっている。万が一ポストに突っ込んだままにしておこう物なら、そこん家のオヤジが朝イチ(配達所にとっては朝刊配りが終わったくらいなんだけど)に偉い剣幕で怒鳴り込んでくるのだ。もうそこまでするくらいならさっさと契約解除してくれればいい物の、こういう客ほどしぶとく最後まで残ってくれるもんなんだよねぇ。てゆーか、他の新聞でも同じ事やって、結局ちゃんと対応してくれるウチだけが残ってしまったって事なんじゃないかなぁ? まさに貧乏くじ、顧客満足度向上も良いけど、世の中にはある程度は限度ってモンがあると思うんだよ……。
 さて、宅配屋さんや郵便屋さんが普段からやってるのと同じ程度の簡単な作業に何でここまでぶつくさ言ってるかというと、チャイムを押して出てくる人間の態度がこれまた最悪だからだ。
 いや、別に毎朝死ねとか暴言を浴びせかけられるとか、スケスケネグリジェを着た熟女に執拗に誘惑されまくるとかそういう事はなく、普通に奥さんとかボクと同年代の女の子が出てくるんだけど、要はそこん家の頑固オヤジに無理矢理新聞の受け取りをやらされてる感満載で、ボクが毎日笑顔で新聞を差し出しても、むす〜〜っとした顔で新聞をひったくってくれるだけなのだ(ちなみにそこんちのオヤジは決して受け取りには出てこない)。別に多くは望まないから、せめて一言「ちーす」って言ってくれるだけでも嬉しいんだけどねぇ。ボクなんかに八つ当たりしたって、誰も幸せにならないんだよって何故分からないのだろうか。
 ボクはいつも通りに溜息をつきつつ、チャイムのボタンを押し込んだ。
 やがて引き戸がカラカラと開き、中から女の子が顔を出す。うむ、いつにも増して壮絶に不機嫌なツラをしてるなぁ。ショートヘアの結構可愛い顔してるんだけど、この視線だけで人を殺せそうな顔つきは、その辺の安っぽいチンピラならビビってオシッコちびって泣いちゃうくらいの迫力があるよ? 実にもったいない……
「新聞でーす」
 ボクがいつもの営業スマイルで新聞を差し出すと、
「ちっ」
 ったく毎日ウゼーぜと、女の子にあるまじき迫力あるお礼と共に新聞をひったくり、引き戸はカラカラと閉じられていった。
「あざーっす」
 ボクはさっさと回れ右して、こんな訳の分かんない家から退散した。
 まぁ、「ちーす」の「ち」までは合ってたから良しとしよう。気持ち的にはもう完全に詰んだ状態だと思うけど、どうせ通ってる学校が違ったりするからどうでも良いのだ。
(出てくるときはいつも学生服着てるから、隣町の女子校に通ってるって分かるのさ。ちなみに割とだらしないワイシャツの着方してるから、おっぱいがちらっと見えたり普通に透けブラで、毎朝目の保養になってるのは内緒だよ?)
 さて、そんな楽しいんだか辛いんだかよく分からない新聞配りも残りを全て配り終え、本日のノルマを無事達成することが出来た。今日もダンプに轢かれなくて良かったなぁ。
 ボクは新聞がなくなりすっかり軽くなった前カゴをフリフリ、ボロチャリを駆って配達所に戻っていった。

 さて、その配達所から自宅に戻る最中である。
 今日の朝、自分の机に見つけたビデオカメラとかは一体何だろうか。確か一緒に手紙があったはず。バイトに遅れちゃうからってほっぽって来ちゃったけど、あれに何か書いてあるのかなぁ?
 家に戻ってから学校に行くまではソコソコ時間が空いてるから、手紙やビデカメラを調べる時間はギリギリありそうだ。学校に行ってる間に、母親に捨てられたりでもしたらアレだから、学校に行く前に軽く全部調べちゃおう。だいたいもしかすると人類の存亡に関わる重大なことが書かれてあるのかも知れないし、授業中に気になって勉強が頭に入らなくなるかも知れないじゃないか。
 そんな厨二病的思考で頭をいっぱいにしていると、やがて自宅のボロマンションに到着。建物の裏手に作られたチャリ置き場に通学の友を格納すると、ボクは急ぎ足で自宅に戻り、そして机の上に置かれた手紙を早速広げてみたのだった。

『10年前の自分へ』

 おいちょっと待て。
 これってあのムカつく手帳と一緒じゃん! てことは何? もしかすると昨日ここにいた良い子って、10年後の自分の中の人!? うっそでー! あんな頭の悪いクソ手帳を書く様な不良教師が、良い子なワケねーって!
 しかしそんなことをここでブツクサ言ってても物語が進まないので、ボクは手紙を読み進めることとした。

『昨日はご苦労だった。まぁ及第点だろう。そんな貴様に一つプレゼントを残してやった。ありがたく受け取れ。以上だ』

 本気で以上であった。てゆーかマジでこの期に及んで労いの言葉が『ご苦労』のたった一言なワケ!? どんだけだよ! どんだけ残念なんだよ!! どんだけがっかりな自分なんだよ!
 絶望した! 10年後にがっかりにしかなれない自分のポテンシャルに絶望した!!
 そういえば絶望先生も高校教師だったな……。こりゃちょうど良いや。
 ボクは何がちょうど良いのだかさっぱり分かんなかったけど、このカメラ(の中身だろ、きっと。てゆーかカメラ自体は普段ボクらが映画撮るのに使ってる奴だし)がプレゼントだということなので、早速記録された内容を見てやることにした。
 うむ!? しかしビデオか。もしかして女子更衣室の盗撮とか、なんかそんなすっごい物なのかなぁ??
 どうせ撮影したのが10年後の自分なのでそんな度胸は無いと分かっていながらも、ボクはちょっとだけわくわくしながらビューファインダーを広げ、カメラの電源を入れると再生ボタンを押し込んだのだった。
 ファインダーには、学校のどこかの教室が映されている。おおぅ、本気で盗撮!?!? ボクは俄然盛り上がりながら、がっつくようにファインダーを覗き込んだ。

『うんじゃー小岩井さん! このレコーダーで音録るから、気合い入れて一発演奏をお願いしまーす!』

 ……すっげぇチャラいボクが映っていた。誰だこいつ。今すぐ死ねよ。
 かなり悪性のめまいに襲われ、しかも全身に鳥肌がぶわっと立った。
 だいたいビデオに映る自分の姿だって正直正視に耐えうるものでもないのに、それにも増してなんだこのチャラさは! あり得ないって、ボクって一歩間違ったらこんなケーハクなチャラ男になっちゃえるの!?
 ボクは自分の底知れぬポテンシャルに驚愕しつつも、多分この自分の狂態がプレゼントではないんだと強く自分に言い聞かせながら、テープを引きちぎりたい衝動を必死に押さえつつ続きを見たのだった。

『んもう……ズルはいけないんでしょ? バレたって知らないから……』

 カメラが向きを変えると、そこにはピアノの前に座った小岩井が映っていた。は? どういう事?? なんで小岩井がピアノの前なんかに座ってるの???
 ボクはこの映像の意味するところがさっぱり分からなかった。
 大体、わざわざこうやって映像を残しているということは、多分この中身はボクらが録ってる映画に関係あるような気がするんだけど、でもこいつ、普通に学校の制服着てるし、全然ロリッ子薫ちゃんの演技してないよ??
 それに若木さんが作った女子チームの脚本にだって、ピアノを演奏するようなシーンはなかったはずだ。何録ってんだ? どんなプレイ?? 音楽室での秘め事をオマケで入れたりするの???

『じゃあ、録音ボタン押すねー。適当に間を開けて、演奏を開始してくださ〜〜い』
『クスクス……今日の一条君変だよ……じゃあ、適当に始めるから、よろしくね』

 そりゃ確かに、ここに映ってるチャラ男の頭が変なのは間違いない。しかしそれよりも、小岩井が笑ってるよ! 演技とかじゃなくて、ホントに楽しそうに笑ってやがる!!
 ……そっか、小岩井って笑うとこんな顔するんだ。すっごい意外。初めて見たかも。そもそもこの女に、笑う機能が付いてたんだ。いっつもバカみたいにむすーっとしてて、全然可愛げ無い奴なのに。
 けどさ。何でこいつさっきからこんなにニコニコ笑ってるんだ? いっつも「意味分かんない!!」って言葉の暴力で散々ボクのことをなじりまくってるクセに、ボクに笑顔を向けてる意味がさっぱり分かんないよ……
 やっぱり女の子って、何考えてるんだか全然理解できないよね。だから、この小岩井の異常な態度を、ボクの今まで経験から無理矢理類推するならば、これは絶対何か悪巧みをしてるってことだね。だいたいいつも廊下で出くわす部長や伊東さんなんか、理由も無いのにボクを見る度ニヤニヤ微笑んでるじゃないか。小岩井も、ついにそういう類の女になっちゃったって事だよ。こりゃ近いうちに、相当苛烈な攻撃があると思って良いだろう……
 しかし、そんな安っぽい陰謀説を考える一方で、この小岩井の笑顔にはそういう邪な成分が全く無いような気がするのも、また事実なのであった。それならば、何故10年後の自分の中の人が、小岩井にこんな笑顔を向けられているのだろうか。何故小岩井が、ボクにこんな無防備な笑顔を向けているのだろうか。
 さて、ボクが人生の中でも最大級に難しい問題にぶち当たり回答に窮していると、ビデオの中ではチャラ男がピアノの録音用にセッティングされたICレコーダーの録音ボタンを押していた。
 そういえば、さっきから小岩井にピアノの演奏しろとか言ってるけど、こいつってピアノ弾けるの? 今までそんなこと一回も聞いたこと無いんですけどー。
 しかもいちいちレコーダーにまで録音しちゃって、これってもしかしてへたくそな演奏を録って置いて、後で脅しにでも使えって事なのかなぁ?
「うへへおじょーちゃん、このへたっぴな演奏をネットで散蒔かれたくなければ、ボクちんの言うことを何でも聞くのじゃ〜〜」って。それで服でも脱がしておっぱい見せて貰えとか、そういう廃なプレゼントなのだろうか。
 それは幾らなんでもないわー。マジ引く。超あり得ねー。てゆーか、小岩井の笑顔を見てしまった後で、この女にそんな酷いこと、絶対にしたくないよ! 小岩井の笑顔を、ずっと守っていたい。
 ボクがそんなワケの分からない感情に支配されそうになったとき、小岩井の両手がピアノの鍵盤に乗せられ、そして、彼女によるピアノの独奏が開始されたのだった。

 衝撃。
 唖然。
 そして、激しい違和感。

 ビデオカメラから聞こえてくるピアノの音色に、ボクは本気で戦慄を覚えていた。
 小岩井のピアノ演奏は、はっきり言って手練れの域であった。運指やリズム感、情緒の表現に全く稚拙な部分が無い。かなり練習を積んだ、手慣れた人特有の弾き方だった。もちろん小さい頃にかじった程度のボクなんか、本気でぶつかってもコレは絶対に勝てないよ。レベルが違う。なんだこいつ、何で今まで黙ってたんだ?
 しかし、黙るも何も、ボクはあの女とマトモに喋ったことも無く、だからこそ趣味だの特技だのの会話なんて、全くしてこなかった。だから小岩井の趣味や特技など、知る由もないのだ。そんなことを今更ながらに思い知らされるのだけれど、しかし他に2つほど、この演奏にはより重要な事が含まれていたのだった。

 まず一つ目。この曲はみっちゃんが、ボクにピアノで生録しろと言ってきた、ボクらの映画のクライマックスに流れる曲である事。

 そして二つ目。この、小岩井の演奏の、特徴あるアタックのキツさは……!!!!!

 ボクはビデオカメラを止めると、自室のドアを蹴破るように飛び出した。
「優樹!! 早く朝ご飯食べなさい! 学校に遅刻するわよ!!」
「今それどころじゃねー!!」
 何か言ってきた母親なんか無視して(もちろん後でしこたま怒られるのは覚悟の上だ)リビングを走り抜けると玄関に到達、ドアノブを捻ることすらもどかしく感じられながらもドアを押し開き、そしてその勢いのまま外に飛び出した。そして、数ヶ月前に引っ越してきた隣家の表札を、この期に及んで初めて、そして改めてしっかり読んだのだった。
 そこには、想像の通りというか何というか、"Koiwai"と、こじゃれた筆記体でそう書いてあった。

 なんだって――――――――――――――――――――――――――――っ!!!!!

 この驚きは半端ねー!! てことは何だ、小岩井ってうちの隣に住んでたの!? 何で今まで出くわしたこと無かったの? てゆーか一昨日、壁思いっきり蹴っ飛ばしてきたのって、あの女だったわけ!?!?
 ボクはあまりの事実の洪水に、しばらく身動きすら取れずにいた。
 今までは、偏屈な芸術家気取りのオッサンか何かが弾いていたと思っていた、あの超絶鬱陶しいピアノの音。しかし実は、あのピアノは小岩井が弾いていたということなのだ。
 なんてこったい、あいつ、ピアノの演奏までギスギスしてんじゃねーかよ!
 なんだかボクは、極度の脱力感に襲われていた。
 毎日イライラながら聞いていた隣家のピアノの音が、小岩井の演奏による物だったって分かったとたん、ボクはもう腹を立てる対象なんかにならない様に思えてきた。色々隣に対して張り詰めていた物が、一瞬のうちにぶっ壊れてしまった。そして、あんなちっこい身体で、あんなトゲトゲしい演奏をする女に、強い憐憫の感情がわき上がっていたのだった。
 ボクは回れ右して、自分の家に入っていった。そして母親が何かギャーギャー喚くのを無視してリビングを通り抜けると、自室に戻ってベッドに寝転がり、再びビデオカメラのビューファインダーを覗き込む。
 再生ボタンを押したら、また嬉しそうな顔をした小岩井が映し出され、見事な演奏を続けていた。
 こいつ、普段から笑ってりゃ可愛いのに……
 何故か心の中が悲しみでいっぱいになり、ボクはカメラの停止ボタンを押そうとする。しかし、ビデオの中でいきなり非常ベルの音が響き渡り、びっくりした小岩井は演奏をやめてしまった。

『あうぅ!? 何か非常ベルが鳴ってるけど……』
『大丈夫だよ〜。すぐ鳴り止むから、そしたらまた最初っから弾いてね〜?』
『あ、そうだね、ベルの音が入っちゃったら使えないもんね』
『そうそう、この曲は洞窟の奥で薫ちゃんが見つかるときの感動シーンなんだから』
『……その時自分が死んでる演技中だと思うと、何か微妙にヘコむんだけど……』
『大丈夫だって、そのぶん後で出るところは出るからさ〜』
『あう??』

 チャラ男が女優をからかってやがる。誰だこいつ、だからさっさと死んでしまえと。
 ボクはその後、テープを早回しで見てみたのだけれど、今度は最後までちゃんと弾き終わったようだ。ビデオはそこで、録画を終えていた。
 ボクはテープを巻き戻しつつ、ICレコーダーの再生ボタンを押してみた。
 するとそこには、当たり前のことだけど小岩井の弾いた演奏がしっかり記録されていた。
 なるほど、10年後のボクが言うプレゼントってのは、このICレコーダーの中身だったわけだ。このデータをみっちゃんに渡して、「ボクが弾いたんだよん♪」と言えば、それで全てが丸く収まるわけだ。
 ボクは、大ッ嫌いなピアノを弾かなくて良い。
 みっちゃんは、その域に達した曲を手に入れられる。
 小岩井は、多分黙っててくれるだろうからそれで良い。
 もちろん、この曲をボクらの映画で使うのは、確実にルール違反である。音楽は、必ず自分達で作曲・演奏しなくてはならないからだ。万が一小岩井の弾いた曲だってバレたら、確実にボクら男子チームは負ける。だから、この秘密はなんとしてでも守らなければならないのだ。
 むぅ、よくよく考えてみれば、コレは小岩井に弱みを握られたって事だよ!? なるほど、ボクの推理が正しいとするならば、小岩井がずっとニヤニヤ笑っていた理由がやっと理解できた。こいつ、ピアノ演奏の肩代わりで、ボクたち男子チームに強烈なカードを持てたって事が分かってたからだ。
 なんたる策士、やはりこの危機的状況を打破するには、ボクが死んだ気でピアノの演奏をするしか無いのだろうか……。
 あまりにも鬱過ぎる! 誰もが羨むお年頃の男の子足るボクだけど、例えどんな条件を突きつけられても、嫌な物は嫌なのだ。ピアノを弾くくらいなら、毎日女子チームの奴隷になって、熊ちゃんとBLさせられた方がマシ……なのだろうか?
 うっわー、すっげぇ究極の選択。どちらも地獄、生きた心地が全くしない。むしろ死んだ方が楽だと思えるほどの苦行だよぅ。
 ボクは頭を抱えてもだえ苦しむ。
 血の涙を流しながらピアノを演奏して、トラウマにさいなまれながら鍵盤に何度も頭をたたき付けて狂い死ぬのが良いのか。
 それとも熊ちゃんにおしりの処女を突き破られて、痔になって一生むせび泣く人生が良いのか。
 なんて酷いシチュエーションだろうか。この世には、神も仏も居ないのか。
 ボクが自分の酷な人生に号泣していると、
「優樹!! 早くご飯食べて学校に行きなさい!!」
「ぴぎゃ――――――――――――――――――っ!!!!!」
 またもや自室に闖入して来やがったヒステリーママンによって、ボクは布団叩きでバカバカ全身を殴られたのだった。
「ママン! さすがに本気で虐待だと思うよこれ!?」
「だったら虐待されない子供になりなさい!!」
「うごへっ!!」
 またもや布団叩きの縦で殴られたボクは、つくづく理不尽だと思いながらも、これ以上母親に意見するのは止めておくことにした。未熟者相手には、こちらが大人にならなければ駄目だなのだ。幾ら正論とはいえ、何かを言う度にこっちが布団叩きで殴られる……
 母親が自室から出て行くと、ボクは壁に掛けてあった制服に着替え始めた。朝から情報過多で色々頭の中がこんがらがっているけれども、さすがにそれを理由にして学校をばっくれるのは筋が違う。
 そして時計を確認してみれば、もう朝ご飯を食べる余裕など全く無かった。仕方ないなぁ、今日は朝ご飯抜きか。後で学校の売店でパンでも買って、空腹を紛らわせるとしよう。
 ボクはビデオカメラからテープを抜き取ると、テープは机の引き出しにしまい、カメラ本体とICレコーダーを鞄に詰め、部屋を飛び出していった。


 その日の放課後である。
 ボクらはいつも通りに仮の部室に集まり、映画撮影の準備をしていた。
「みっちゃん、ピアノの曲が出来上がったよー」
「なんだとぅ!? それはホントか優樹!!」
 みっちゃんは偉い前のめりでボクの肩を掴んできた。
「あれほどピアノが嫌いだって言ってたから悪いとは思ってたんだけどよー! でもさすがだ優樹! お前こそ俺の心の友にふさわしい! 惚れる! むしろ抱かしてやる!! どんと来い!!!」
「丁重にお断りします」
 みっちゃんはなんだとー!とか喚いているけど、本当に嬉しそうだ。でもボクはみっちゃんを、もっと言うと部活のみんなを騙しているんだよなぁ……。
 それは本当に心苦しくもあり、且つボク自身だって納得しがたい所があるけれど、でもここで中途半端にネタをばらしたり、やっぱりこの曲を使うのは止めてーとか言い出すのはもっと質が悪い。
 人を騙すなら、すっきり完全に騙すのが、せめてもの礼儀というものだ。それがオトナの態度って奴だよ。真実を知る自分だけが気持ちよくなりたいからってズルを告白したところで、一体誰が幸せになると言うのか。それでみんなが真実を知ったところで、最終的に幸せになる人間が居ないのならば、そんな真実は明らかになる価値は無い。それに、この悪巧みに乗ってくれた小岩井の顔をつぶすだけだ。折角小岩井が上手に弾いてくれたのに、あの曲を使わなかったら、小岩井だって気分を悪くするだけだよ。
 ボクはこの秘密を墓場まで持って行く覚悟を固め、素知らぬ顔でICレコーダーをみっちゃんに渡した。
「折角血ィ吐く思いで演奏したんだから、ちゃんとうまく編集してよねー」
「おおぅ、任せろ!! お前の心意気の分だけしっかりやらせて貰うぜ!!」
 みっちゃんは早速レコーダーの電源を入れ、中に入っている音声データを再生させた。部室の中には、小岩井が弾いた、どことなくアタックのキツ目だが、しかし十分すぎるほどに秀逸な曲が鳴り響く。
「うおぉ……、こりゃすげーな。しかし優樹よ、お前こんなにピアノ上手だったっけ?」
 さすがみっちゃん、なかなか鋭いところを突く。
「だから頑張ったって言ってるじゃん」
「普段弾かないクセに、良くここまで腕を保たせられたな……。やっぱり生演奏は違うゼェ、機械よりも生! 生が一番気持ちが良いんだよ!! 生最高だ!!」
 みっちゃんは途中からよく分かんないことを言い始めた。生が良いって、やっぱり生ビールの方がおいしいって事? ボクはもちろん誰もが羨むお年頃なので、お酒の類は飲まないから分からないんだけど……
「俺は音楽のことはよく分からないんだが、これはすごいな。プロの演奏と言っても分からないんじゃないか?」
 皆、小岩井の演奏に感服したようだった。確かにあの子の演奏は上手い。学校の先生程度ならば十分通用するくらいだ。しかし、そのままプロになれるかというと、この先何度も訪れるであろう壁をその度に打ち破っていかないと無理なんだけどね。でもそれは世界でも通用するってクラスの人の話だし、小岩井がどこまで目指してるんだか分かんないから何とも言えないけど。
「とりあえずこれで問題ない?」
「あるワケねーって! 最高だぜ優樹ー!!」
 みっちゃんはひとりでヒャッホウとか奇声を上げながら、ICレコーダーをポンポン放り投げて喜びを全身で表現していた。てゆーか落とすと壊れるから! せめてデータを抜いてから壊してってば!
「それはうちの商品だ。だから壊すのは駄目だ、優樹」
 熊ちゃんに怒られちゃった。てゆーか、もしかしてボクの思考って外にダダ漏れだったりするの!? ボクは自分の心のスケスケ具合に戦慄しつつ、今後はあまり不遜なことを考えないようにしようと反省していると、
「そういや優樹よ、お前小岩井が昨日ヤンキーをぶち殺したって知ってるか?」
 みっちゃんがいきなり訳の分からないことを言ってきた。
「はぁ!? 何それ!」
 もちろんボクは昨日10年後に行ってたので、そんな事は知る由も無いのだけれど……
「バカなことを言うな。不良が小岩井から階段で突き飛ばされたと勝手に騒いでいるだけだ。彼女がやったという証拠はどこにも無いだろう」
「しっかし、現にあのクソヤンキーは救急車でドナドナされちまったワケだしよ? 前にあいつにちょっかい出したので、復讐されたって感じじゃねーのか?」
 みっちゃんは腕組みして、一人でうんうんと頷いている。
「だからバカなことを言うな貢。お前は本気で小岩井がそういうことをする奴に思えるのか?」
「ま、ねーわな。あり得ねー」
「そういう事だ。……優樹、お前は知らなかったのか?」
 よっぽどボクはアホの子の顔をしていたのだろうか、熊ちゃんが心配顔で聞いてきた。
「うぇ? いやいや、そんな話は全然知らないよ??」
 ボクはかすれ声でそう返したのだけれど、
「そうか……。まあお前にとっても気分のいい話ではないし、くだらないことを言ってしまって悪かったな。だからそんなに思い詰めなくても大丈夫だぞ!?」
 ごめんな、と熊ちゃんは何度も謝ってきたけど、思い詰める?? ボクが何でそんなことで思い詰める必要があるのかと小一時間問い詰めたく。
 ボクは妙にバクバク言ってる鼓動を鎮めつつ、からっからに渇いていたのどを、つばを飲み込んで無理矢理潤していた。
「まぁ、またヤンキーが小岩井に突っかかってきたら、その時は必ず縊り殺すから良いとして……」
「落ち着け優樹! お前がそんなセリフを吐くと、本気で怖いから止めてくれ!!」
 全くどこでそんな毒の噴き方教わって来やがったんだとみっちゃんはブツブツ言ってるけど、毒? ボクは極めて当たり前のことを言ってるだけだよ??
「もう時間だ。小岩井を迎えに行って、続きを録らなければな」
 熊ちゃんの声に慌てて時計を見ると、思いの外時間が経っていた。こりゃ急がないと、ホントに間に合わなくなったりしたら、それこそみんなに申し訳ない。
 ボクたちは3人連れだって、女子達が跋扈する旧部室へ向かったのだった。

「失礼します」
「こんにちわ?」
「今日こそぶち込んでヒィヒィ泣かずぞビッチ共ー!」
 三者三様礼儀正しい挨拶をして部室に入ったのだけれど、部屋の隅にいる小岩井は、みっちゃんに何かをぶち込まれる前に泣いていた。その横で、若木さんが懸命に小岩井をなだめている。
「どうしたんだ、小岩井……」
 ボクは頭に血が上ってフリーズしていたのだけれど、熊ちゃんが代わりに声を掛けてくれた。
「あー……」
 山科さんは手をちょっと上げて熊ちゃんの声を制すと、ボクたちの方に寄ってきてそのまま廊下ボクらを廊下に連れ出してしまった。
「どうした腐女子一号、立て込んでるのか?」
 みっちゃんの小声の質問に、
「その通りでして……」
 山科さんは後ろ手に部室のドアを閉めると、そのまま教室と反対側の窓側に歩いていく。ボクらは彼女の後に付いて、部室から距離を取った。
「もう既に皆さんもご存じかと思いますが、例の不良の件で、まうっちはトラブルを抱えていまして……」
「トラブルって何なのさ!!」
 思いの外大きな声を出してしまったボクに、みっちゃんがゲンコツを浴びせてくる。
「喚くな」
 なかなか聞くことの出来ないみっちゃんの真面目な声に、ボクは努めて口をつぶる。
「昨日、小岩井が不良を突き飛ばしたとか、そういった事か?」
 熊ちゃんの声に、山科さんは首肯する。
「そうか……。俺も詳しいことは分からないんだが、実際小岩井のクラスではどうなんだ?」
「……酷いものですね。元々、まうっちはクラスの人とはあまりなじんでおられません。端的に言うなら、全てに真面目ということでしょうか、私自身はそういった彼女の在り方は評価に値すると思うのですが、適当に軽く済ますのが賢いなどと勘違いしている連中にとっては、彼女の普段の行いが目障りに映るようでして」
 なんてふざけた話だ。小岩井が目障りだなんて、お前らの方がよっぽどクズじゃないかと! 真面目で何が悪いってのさ、テキトーやってて褒められる事なんてこれっぽっちもありゃしないんだよ!!
 ボクが怒りに震えて手を強く握っていると、
「いっちーが怒ったところで、何も解決出来ませんよ」
 山科さんはボクの手をとり、爪が食い込むくらいに握られていた手を優しくなでた。彼女の手の柔らかさが、ボクの拳から緊張を奪っていく。
「おっと、こんなことをすると小岩井さんに怒られてしまいますね?」
 失敬失敬と、山科さんは笑いながら、ボクから手を離した。はて、なんで小岩井が怒ったりするの? さっぱり意味が分かんない! ボクは思いの外柔らかくて、そしてきめの細かい山科さんの手の感触にびっくりしながら(とっても失礼なことかと思うんだけど、この人あまりにも飄々とした性格してるから、全然女の子に思えないんだよねー。身長高いし、みっちゃんがシモネタ言っても一緒にケラケラ笑ってるから、ボクは男として見てるのだ。それなりにおっぱいはあるんだけどね?)、血の気の引いていた手をさすって緊張をほぐす。
「……続けますと、そういったクラスの状態で、あの不良が階段から転げ落ちるという事件が起こったのが、昨日の3時半過ぎでした。放課後で非常ベルが鳴った時間と言えば、皆さんも分かると思います。不良は搬送先の病院で、まうっちに突き落とされたと言ったそうです。そして、場を混乱させて階段から周囲の目を逸らすため、まうっちが非常ベルを押したとも。……現に階段近くの非常ベルのふたは割られ、そこから発報されたことは分かっています」
「それでアレか? 奴のクラスのバカ共が、小岩井が犯人だって茶化してやがのか?」
 みっちゃんの声に、山科さんは続ける。
「茶化しているなんてレベルではありません。完全に犯人に決めつけ、殺人鬼呼ばわりですね。……どうも転校される前の学校でも似た様な事があったようでして、行った先々の高校で生徒を殺しまくっているなどと。完全にいじめですよ。それに最近校内で盗難が多いじゃないですか。それも彼女が犯人だと言っている人間もいます。全く嘆かわしいことですね……」
 一応冷静さを保ち続けていたボクは、前にあのクソヤンキーが小岩井に突っかかっていたときのことを思い出していた。確かあいつは、前の学校で誰かを半殺しにしたとかしないとか言っていた。冷静に考えるなら……件のヤンキーが小岩井に突き飛ばされたのが事実であると仮定すると、確かに彼女の普段の気性の激しさから言って、あながち全てがウソってワケでは無いような気がするなぁ……。現に一昨日の夜なんか、思いっきり壁蹴っ飛ばしてたもんねぇ。まぁ、盗難云々は、さすがに関係無いだろうけど。
 多分、小岩井はまたあのクソヤンキーに絡まれて、服でも脱がされ掛けたのだろう。それで彼女が抵抗して突き飛ばしたら、たまたま階段から転げ落ちたと。んー、実に自業自得、そのまま死ねば良かったのに。
 ……とは言いつつ、死んだら死んだでホントに殺人になっちゃうから、まぁギリギリ生きてて良かった? みたいな??
「まぁ、とりあえず殺人未遂で済んだんだから良いんじゃないの? あんなヤンキー、突き飛ばされても当然だって!」
「おいおい……まだ小岩井がやったって決まったわけじゃないだろうがよ?」
 せめて仲間を信じてやろうぜと、みっちゃんは何か普段とひっくり返ったようなことを言っている。
「決まったワケじゃないって……だって小岩井がヤンキー突き飛ばしたんでしょ? いいじゃん、前の仕返しで」
「あのー、いっちー。あなたはまうっちが”私はそんなことしてない”って仰られているのを分かってないんですか?」
 なんか微妙に怖い顔をした山科さんが、低い声でそんなことを言ってきた。
「はぁ!? どういう事??」
「あー……。何というか、これは一体どういう事でしょうかねぇ……」
 私は訳が分かりませんと、山科さんはこめかみに手を当てている。
「優樹。お前は小岩井が人を階段から突き落とすような奴だと、本気でそう思っているのか?」
 熊ちゃんが、さきほどみっちゃんに言ったのと同じ様なセリフを再び言った。
「んー、現実味はあるなぁ、と」
 そういった直後、ボクの周りにいた3人は、皆溜息をついた。
「まうっちが可哀想です……」
「友達甲斐のない奴だ」
「軽蔑するぞ、優樹」
 うわぁ!? なにこれなにこれ!! もしかしてボク今、人生の中で最大級に非難されてない!? どういう事? だって小岩井がヤンキー突き飛ばしたから階段から転げ落ちたんでしょ!? そして非常ベルなんか押して、現場を攪乱させるとか、どう考えても確信犯じゃん!! ……て。
「あの、昨日って非常ベル何回鳴った?」
「おいおい、一回に決まってんじゃねーか。俺この学校で非常ベルの音なんて、昨日初めて聞いたぜ? お前マジで頭大丈夫か??」
 みっちゃんがボクの顔を本気の心配顔で覗き込んでくるけど、ボクは分かったことが一つある。
 小岩井は犯人じゃない!
 だって昨日、非常ベルが鳴った回数が一回だったというならば、その時小岩井は音楽室でチャラ男にピアノ弾かされてたもん!! だからあの女が階段でヤンキーを突き飛ばすなんて、絶対に出来るはずがない。物理的に不可能だ。
「犯人は小岩井じゃないって!!」
「だからンなこたぁ分かってるって!」
 間髪入れずに突っ込んでくるみっちゃんの声に合わせるように、
「だから証拠があるんだ! だってその時、小岩井は……っ」
 勢いに任せて口走ったボクは、続けて”音楽室でピアノを弾いていたんだ!”って言ってしまいそうになったのだけれど、済んでの所で口を閉じることに成功したのであった。
 これは言えない! 絶対に言えない!! あの時ボクらが音楽室にいた事を話せば、間違いなくあのクライマックスの曲を弾いて貰った事がバレてしまう。最悪みっちゃんと熊ちゃんならば、秘密を共有してくれるだろうけど、山科さんには絶対に言えないよー! こんな時にズルがバレて映画作りが中断してしまえば、女子チームに負ける以前にみっちゃんや熊ちゃんに顔向けできないって!
「どうした優樹? 証拠って何だ??」
 急に黙り込んでしまったボクに、みっちゃんから問いがぶつけられる。
「い、いや、その、非常ベルが鳴ったとき、小岩井は階段とは別の所に居たような気がするな、と……」
 そんな、ボクの口からの出任せに、
「なるほど。非常ベルが鳴ったときに、小岩井が階段の近くに居なかったこと。つまり別の場所で見かけられていれば、えん罪だと照明できるわけだな」
 力強く頷いた熊ちゃんに続けて、
「そうですね。そもそも非常ベルが鳴ったときにどこにいたのか、まうっちに聞いてみましょう。そしてその時に彼女の近くにいた人間を捜し出せば、証言が取れるかもしません」
 山科さんもまた、ボクのウソに騙されてしまったのだった。
 一旦ウソをつくと、ウソをウソで塗り固めざるを得なくなるって言うけど、まさにこの状態がその通りであった。小岩井はあの時音楽室に居たのだから、他の場所で彼女の姿を見かけることなんて出来るわけが無いのだ。だから彼女のえん罪を晴らすことは、現時点では不可能なのだ。
 けど、今更彼女と音楽室に居ただなんて言えやしない。それに、小岩井に弾いて貰った曲を消して、改めて自分で演奏するのも、やはり何かが違うと思う自分もいる。もちろん、この期に及んですら、自分ではピアノを絶対に弾きたくないってのもあるんだけど……。
 だからボクは、どう考えても卑怯なのだけれど、この問題を小岩井の判断をゆだねる事にしたのだった。彼女がえん罪を晴らすため、音楽室でピアノを弾いていた事をばらせば、ボクはそれを肯定する。あのテープを持ってきてみんなに見せてやる。そして、彼女が言わないままであるならば、当初の予定の通りこの秘密は墓場まで持って行く。
 ボクは自分の身勝手さに、つくづく絶望したのだった。

 廊下での緊急ミーティングが終わり、ボクらは連れだって旧部室へ入っていった。
 小岩井は泣き止んでいるのだろうか、うつむいたまま、部室の隅っこの椅子に座ったままだった。
 山科さんが、そんな小岩井の元に近寄り、優しく声を掛けている。多分、非常ベルが鳴ったときにどこにいたか聞いているのだろう。さて、小岩井はなんて答えるのだろうか。ボクはその回答がとても恐ろしく、出来る事なら両手で耳を塞いでしまいたかった。しかし、ここで耳を塞いでいたり、いきなり部屋から出て行ってしまうのは不自然であるし、それにボクは自分の身勝手さを小岩井に背負わせたのだ。ここで彼女の答えを聞かなければ、ボクは一生後悔する。一生彼女に顔向けできない。だからここにいて、小岩井の声に耳を澄ますのがボクが唯一出来る事、して良いことだったのだ。
「……非常ベルが鳴ったときは、廊下で外の景色を見てました………周り? 人は居なかったと思います……」
 小岩井は、ボクとの秘密を守ってくれた。
 そんな彼女の心遣いが、ボクの良心をよりぎゅっと握りつぶす。心が痛いって、本当にあることなんだ……。ボクはキリキリと痛む胸をそのままに、心の中で必死に彼女に詫びたのだった。
「そうですか。後でその場所を教えて下さいね。まうっちの潔白を証明しましょう!」
「……もういいです。私が悪者になれば、それで丸く収まるんでしょ?」
 しかし、次に彼女の口から出た言葉は、ボクの想像から完全に外れた物だった。
「まうっち、そんなことを言ってはいけません!! やってもいない罪を被るのは、あなたを含めて誰も幸せにはしないんですよ!?」
 山科さんが、小岩井の肩を掴んだ。
「……もうこの件は終わりにして下さい。早く映画を撮りましょうよ。私達が今やらなければならないことは、映画を完成させることでしょ?」
「それはそうですが……」
 答えに窮する山科さんの元に、今まで様子を見ていた部長がやってきた。
「確かに、これ以上は小岩井さんを追い詰めることになってしまいそうですね」
「しかし部長、これは部活動以前に学校生活の問題だと思います!」
 そう言う山科さんを、部長は手で制した。
「今は、小岩井さんの意志を尊重しましょう。我々は、いつでも小岩井さんの味方です。……小岩井さん、今日は本当に映画の撮影が出来ますか? 今日はお休みされてはいかがですか?」
「大丈夫です。みんなに迷惑は掛けられないから……」
 そう言った小岩井は、目をゴシゴシ擦りながら椅子から立ち上がった。そしてボクたちの方を向いて、
「待たせてごめんなさい、私は大丈夫だから、映画を撮りましょう」
 気丈に、しかし全然大丈夫じゃない顔をして、彼女はそう言った。ボクらは掛ける言葉も見つからず、しばらくの間、小岩井に気の利いた言葉一つ掛けることすら出来なかった。


「おにーちゃん……みてみてー、ここは私の秘密の花畑なんだよー」
 小岩井扮するロリッ子薫ちゃんが、おにーちゃんたるボクを連れて森の中を探索するシーンである。
 昨夜、主人公が薫の家に泊めて貰って共に一夜を過ごし(えっちなことはしてないよ?)、余計に仲が良くなったいう趣のシーンである。
 小岩井はソツ無く演技をこなしている物の、しかしそれはいつもの精彩を欠いていた。やはり無理をしているのがバレバレだ。そりゃそうだろう、孤立したクラスで延々いじめられているのだ。辛いのにも程がある。だいたい、高校生にもなっていじめとか、ホントにレベルが低い。バカは死んで直してこいと言うのだ。それか、最悪幼稚園からやり直してこいと。
 ボクは自分の卑怯さ加減を棚に上げて憤る物の、山科さんが言ったとおりボク一人が腹を立てていてもどうにもなりはしない。だからボクは、小岩井が無理を押して一生懸命演技をしてくれているのに合わせて、最高の演技を見せるしかないと考えていた。それが唯一、小岩井に報いる事だと勝手に信じて。
「へーえ、すっごい綺麗じゃん! 薫ちゃんは花を育てるのが上手だねー」
 ボクはいーこいーこと小岩井の頭を盛大に撫でてやったのだけれど、ちょっと力が強すぎたのか、その身体の大きさから言ったら少し大きめの頭がぐにょんぐにょんと揺れまくる。
「あうぅ〜〜めがまわる〜〜」
 小岩井は微妙なアドリブを入れつつ、ボクのなすがままになってぐにょんぐにょんと揺れていた。
「うーい、かーっとぅ! いいぜーいいぜー、お前ら本気で役者だぜ〜〜」
 もちろんあっちで変な声を出しているのは、我が部の誇るスーパーローアングルカメラマン、みっちゃんである。どうもレフ板持ちは飽きたらしく、今日は熊ちゃんと役目を交代していた。
「優樹、今日は演技がうまいじゃないか」
 えへへ、熊ちゃんに褒められちゃった。
「いや? いつも通りだと思うよー?」
「そうか。ならば役者に慣れてきたって事かな。このままの調子で最後まで続けてくれよ」
 編集が減って楽だからなと、最後に微妙な言葉が聞こえたけれど、まぁそこは気にしない方が良いでしょう。
「そういや、そろそろビッチ共の撮影も手伝うんだろ?」
 あ、そう言えばそうだった。実はまだボクがどんな役をするのか全然調べてないんだよねー。一応脚本は渡されているんだけど、めんどくさくて見てなかったよ……。
「そうなると、俺達と向こうとで、なかなか大変になるな。大丈夫か?」
 熊ちゃんは心配そうに聞いてくるけど、
「うん、とりあえず頑張ってくるよー。みんな一種懸命やってんだから、ボクも足引っ張らないようにしないといけないし」
「おおぅ、今日の優樹はやる気満々じゃねーか! どうしたんだ? 何か良いことあったのか??」
 妙に元気が良くなったみっちゃんが、瞳を輝かして聞いてくる。
「いや!? 特に無いよ??」
 まぁ、10年後でロリで可愛い女房おねーさんのおっぱいをさんざん揉みまくってきましたよーとかめいっぱい自慢しても良いんだけど、そんなこと言っても誰も信じちゃくれないだろうしねぇ? あの思い出は、小岩井の秘密と一緒にお墓まで持って行くこととしましょう。
「……撮影、早く済ませましょうよ」
 ボクらが仲良くだべっている輪の外から、小岩井のトゲトゲしいニュアンスが見え隠れする声が聞こえてきた。
「あ、ああ、そうだな、すまん」
 熊ちゃんは慌てて謝ると、脚本を取り出してシーンの確認を始める。
「そうだな、次は薫が花を摘むシーンだ。薫と優樹が仲良くしゃがんで、摘む花を選んでいる。カメラはそれを前から映すって感じでどうだろうか?」
「おお! それで薫ちゃんのぱんつもついでにご開帳って寸法だな!!」
 みっちゃん……そんなこと言ったらまた小岩井が怒り狂うじゃないか……。
「……映したければ映せば? そんなことしたら女子からひんしゅくを買うだけよ!!」
「その通りだ貢。お前はもうカメラに触るな。……小岩井、そんな無神経なカメラアングルにはしないから、了解してくれるか?」
「分かってます」
 小岩井はぶすっと返事をすると、トコトコと歩いて森の中に設えた花畑の縁にしゃがみ込んだ。
「一条君、早くしてよ」
「へいへい……」
 ボクはじろりとこちらを睨む小岩井の態度に呆れながら、熊ちゃんの演出に従って小岩井の隣にしゃがみ込んだ。しかし、隣で座ってるおじょーさん。あなたの短いスカートは、ピンク色のぱんつを全部隠せてませんよ?
 熊ちゃんは微妙に困った表情をしながらカメラを移動すると、僕らの前でアングルを調整する。
「よし、じゃあシーン34−3、始め」
 熊ちゃんがカメラの録画ボタンを押すのを確認すると、ボクらは数秒してから演技を始めた。
「今日はどのお花を摘んでいこうかなー……ねえおにいちゃん、このお花はきれい?」
 セリフの意味するところとは裏腹に、ちっとも楽しくなさそうな顔した薫ちゃんであった。
「カット! ……すまん小岩井、失礼を承知で言うんだが、もう少し笑ってくれ」
「あっ……ごめんなさい……」
 笑顔どころか、もう泣き出しそうな真由ちゃんであった。(ちなみに小岩井の下の名前は真由という。みんな覚えてた?)
「……小岩井、今日はもうやめにしても良いんだぞ? 辛い思いをしてまでやる事じゃないんだ」
 そんな心配そうな熊ちゃんの言葉に、
「大丈夫だって言ってるでしょう!!」
 やはりこの女、全然大丈夫そうではなかった。
「あのさー、やっぱり今日の小岩井は辛そうだよー。どうせやるんだから楽しんでやらないと損だよー?」
「そういう風に、適当にやるのは嫌なの!!」
「適当にやるのと、楽しくやるのは違うんじゃないの!? ボクはふざけてやろうなんて言ってないよ!」
「分かってるわよ! どうせ私が悪いのよ!!」
 あーあー、もうホントにいい加減にして欲しい。一人でぷりぷり怒って、つくづくこの女は身勝手な奴だ……。しかしここで”誰がお前が悪いって言ったかべいべー”とか言い返そうものなら、余計に癇癪起こすのは自明であった。ボクだってそれくらいの学習能力はあるんだよ?
「ほら、早くニコニコの薫ちゃんになってよ。早く映画撮ろうぜ」
「……分かってるわよ」
 顔真っ赤にして、ほっぺたふくらませてやがる。ホントにこいつ大丈夫なのか?
 小岩井は一人でふーふー深呼吸すると、ピクピクとほっぺたの筋肉が引きつりそうな笑顔を作って、ニコニコ薫ちゃんの演技を始めたのだった。
「今日はどのお花を摘んでいこうかな−! ねぇおにーちゃん! このお花はきれい?」
 見方によってはすっげぇ怖い笑顔の薫ちゃんが、ほとんど脅迫の趣でお花を勧めてくる。これは何だ? ”貴様の亡骸を押し込んだ棺桶には、一体どの花を手向けて欲しいのか?”って事なのだろうか……
「そうだねー、この真っ白な花が薫ちゃんみたいに清純そうで良いねー!」
 脚本のセリフは「この真っ白な花が薫ちゃんにお似合いだよ」だったんだけど、ちょっとだけアドリブを入れてみた。しかし度し難くチャラいセリフだ。ホントにボク、一歩間違うと取り返しの付かないケーハクなチャラ男になっちゃうんだ。気をつけないと……。
「………。ふん、私はおにーちゃんが思ってるほど清純じゃないよ」
 小岩井もアドリブで返してきた。本来のセリフは「私なんかお花と比べたらまだまだだよー」なのだが、なんか妙に意味深なアドリブじゃね? てゆーか小岩井の素で喋ってる気がするよ……
「まぁまぁ、そんなご謙遜を。じゃあ、この花を摘んでいけばいいのかな?」
 ボクは今度は脚本通りのセリフを言いながら、事前に花屋から買ってきてここに設置していた切り花を、さもはさみで切ったかのように摘み取った。
「はい、薫ちゃん。やっぱり似合ってるね!」
 実際に小柄で可愛らしい小岩井は、花を持っていればその可愛さは数倍にもなる。……というのが当初の演出だっただろうに、この女は花を持ってもぶすーっとした顔のままで
「ありがとう、おにーちゃん」
 ……と、思いっきり棒読みのセリフでこのシーンを終わらしたのだった。
「……カット。……色々言いたいんだが、もう時間が無いから次に行くか……」
 何でこいつらはシーソーみたいなんだと、熊ちゃんはよく分からないことを言ってるけど、シーソー? 脚本の中で薫ちゃんとシーソーに乗って遊ぶようなシーンはあったっけ??
「じゃあ、次は二人が家に帰ってからのシーンだから、俺の家に行くか」
 熊ちゃんは三脚を畳んでカメラを取り外す。
「よおーし!! 熊ちゃん家に行ったらまた熊ちゃんシスターを激写だぜー!! 今日こそ俺はやる! 脱がす!! モノにする!!!」
 みっちゃん、ホントに熊ちゃんの妹さんが好きなんだねー……
 でもそんな元気な彼は、すさまじい殺気が籠もった目で自分の事を見ている親友がすぐ隣にいるのに、全然気がついていないのだった。
「今日の俺はひと味違うぜー! 今日この日のためにずっと持ち歩いていたマイデジカメのレンズが、熊ちゃんシスターのナイスおっぱいをげふごぇあっ!!」
 熊ちゃん、気持ちは分かるけど三脚で親友を殴りつけるのは止めようよ……。余計に頭が変なことになっちゃうじゃない。
「貢、貴様は不要だ。来るな」
「ふっ、ふざけんなー!!? てめぇ、俺の人生唯一の楽しみを奪うってのか? 俺達の友情は、そんな薄っぺらな物だったのかよ!?」
 なんか古くさい熱血青春ドラマの主人公が居た。
「妹の裸を見に来るような奴は殺す」
 気持ちは分かるから! でもそのセリフは本気でヤバいと思うから!! 少しはオブラードの包んでよ熊ちゃん!!!
「……いい加減にしてよ、時間の無駄でしょう!!」
 そしてここに、色々とオブラードの包むのを忘れ果ててる奴がもう一人居た。てゆーか本気で怒鳴るなって、高校生にもなっていちいち癇癪起こすなんて、人としてみっともないことありゃしないって。まぁ……一昨日の夜に癇癪起こして、隣から壁を蹴られたボクには小岩井をたしなめる資格なんて無いのだろうけどさ……
「お、おお、すまん!」
 珍しくみっちゃんが先に謝った。やっぱ本気で怒ってる人間の声は迫力が違うんだろうねぇ。
「申し訳ない、小岩井。今日は怒られてばかりだな……」
 熊ちゃんも頭をペコペコ下げて、怒れるちびっ子相手に大の男二人が平謝りである、
「もう良いわよ……早く大熊君の家に行きましょう」
 小岩井は先ほどの花畑を模して並べられた切り花を片付けると、
「……このお花、みんなで分ける?」
 両手に抱えきれんばかりの花束を持って、小岩井がトコトコ戻ってきた。
「これは量が多かったな。しかし、我が家はあまり花を飾らないからな……」
「俺も要らねーなぁ」
 まぁ、普通男なんてそんなもんだろう。
「小岩井に全部あげるよー。ボクらしょうもない3バカトリオからの、日ごろの感謝の気持ちだと思ってくれればいいしー」
「へへっ。優樹にしちゃあ気の利いたことを言うじゃねーか。そうだな、小岩井が貰ってくれた方が良いな」
「しかし、小岩井の家ではこんなにたくさんの花をいきなり持って帰って大丈夫か?」
「あ、あうぅ、その、大丈夫だと思うけど……でも申し訳ないよ……」
「いいっていいて、やっぱりお花も、可愛い女の子に貰われた方が幸せだからさ〜」
 ケーハクなチャラ男が何か言った。悲しいことにボクだった。
「……あう〜」
 小岩井は何故かうつむいてしまった。微妙に顔も赤いし、もしかしてこいつ不要品を押しつけられて怒ってるのか?? うわー、めんどくせー女だ! 一体どうすりゃ良いってのさ!!
「あの、ありがとう……」
 しかしボクの心配は杞憂に終わったようだ。どうせ嫌々なんだろうけど、一応花を持って帰ってくれるらしい。
「じゃあ、その花は帰るまでボクが持つよー。さすがに量が多すぎるでしょー?」
 小岩井にとっては抱えきれない量の花束であるが、誰もが羨む標準体型の男の子足るボクでは、多すぎて前も見えないという様な量ではない。ここで無理してヒロインにすっ転ばれでもしたら、そっちの方がよっぽどめんどくさいってもんだよ。転んだ瞬間にロリッ子薫ちゃんのオコサマぱんつをまた拝めるかも知れないけど、間違いなくケガで撮影が止まってしまう。ジーンズを履いてるボクだったら膝小僧に包帯ぐるぐる巻きでも隠すことは出来るけど、ミニスカ生足で勝負している女優まうっちには、そんな小細工は通用しないだろうしね。
「ひゅーひゅー! なかなかジェントルじゃねーか、優樹!」
 またウザイのが茶化しに来たけど、無視無視。ボクはあくまで計算尽くでやってるのさー
「あ、大丈夫、私が持つから……」
「いいから寄越しなって。小岩井は別の物を持ってくれればいいからさー」
「うん……ありがとう……」
 ボクは半ばひったくるように花束をとると、熊ちゃんの家を目指してさっさと歩き始めたのだった。


「よし、今日はここまでにするか」
「「「はーい」」」
 熊ちゃんの声に、一同が声を揃えて返事する、
 今日の撮影予定シーンを全て撮り終え、ついでに熊ちゃん家でおいしい夕飯までいただき、ボクら揃って帰宅することにしたのだ。
「皆さん、本日もお疲れ様でした。明日からも頑張って下さいね」
 玄関では、熊ちゃんとその妹さんが見送ってくれている。
「俺は悲しい!! 熊ちゃんシスターと別れなければならないこの人生の理不尽さに、怒りで涙がこぼれてくる!!」
 本気で慟哭する兄の友人に、熊ちゃんの妹さんも若干引き気味であった。人間、愛されても幸せってわけじゃないんだね……。
「あ、あの、鐘持さん、今日が今生の別れというわけでもありませんし、またどうぞいらして下さい……」
「よっしゃ―――っ!! 熊ちゃんシスターからのお誘いキタ――――――っ!! もう明日とか今度じゃ我慢出来ねぇ、今から俺は行く! むしろ今すぐ行く!! そして俺の真実の愛をめいっぱい浴びせかけ、もう俺無しじゃ感じられない身体にしてやる! さあ、今からお互いの生まれた姿を見せ合って、激しい律動の中で俺の遺伝子をその胎内に宿してぶぐおうげはうべごくあるべぎゃうごえあああああああっっっっ!!」
 お約束であった。
 親友が親友を滅多打ちにしている。
「貢、楽に死なせてやるぞ」
「バカヤロー!! 熊ちゃんシスターに一発ぶち込むまでは死ねるげぼぐるぼかげふぎゃびゅびょるごぶえああああっ!!!!」
 親友がぶち込む前に死にそうであった。てゆーか一体何をぶち込むの?
 ボクが親友の大往生を眺めていると、隣にいた小岩井が腕をつんつんしてくる。
「鐘持君って、ホントに大熊君の妹さんのこと好きなの?」
「さー、どっちかって言うとえっちなコトしたいだけじゃ……」
「優樹テメェなんてこと言いやがる!! 俺は今まで、そんな目で熊ちゃんシスターを見たことはネェぞ! 俺はいつでも純粋に熊ちゃんシスターのでかいおっぱいを芸術のようにごぇああああああああっ!!!」
「んもう、恥ずかしいから止めて下さい〜〜っ!」
 自分の身体を抱きしめながら、熊ちゃんの妹は兄の親友にやたら鋭い回し蹴りを喰らわせたのだった。
 今更可愛い顔してプンプンしても遅いから。てゆーか今の蹴りはなんぞ!? 偉い綺麗に決まっていた気がするが……。
「こいつは有段者だからな」
 うかつな対応は身を滅ぼすぞと、熊ちゃんは自分の妹のスキルを誇らしげに紹介する。
 うわあ……とんでもねー兄妹だ。二人揃ってバイオレンスな武闘派と来ている。
「ぐっ、ぐふっ……。まさに策士術におぼれる、だな! 俺にはちらっと見えたぜ、きっつい回し蹴りを放つその綺麗な足の根本に咲く、可憐な花柄のぱんつがぶえごぶをふえけうごるごぶあべあぼるぼるぶごえあふぎえるげあおびにうふじこ……!」
 友は死んだ。
 まさに豪死であった。
「じゃあ、僕らはもう帰るよ〜〜」
「ま、待て優樹、貴様瀕死の友を捨て置くとはジェントルじゃない……」
「もうしばらく殴られればいいと思うよ」
「ふむ、そうだな。優樹もたまにはいいことを言う」
 ちょっと待ってよ熊ちゃん! 今のセリフは割と酷いよ? なんなのさ、実はボクのこと、普段はロクなこと言わないバカチンだって思ってるわけ?
 ボクは親友の知ってはならない新たな側面を垣間見て、激しいショックを受けていた。あんまりだ、親友だと思っていた友人に、バカチンだと思われていたのだ!
「うぅぅ、酷いや……」
 ボクが悲しみに打ちひしがれていると、
「あの……帰ろ?」
 隣にいた小岩井がボクの腕をつんつんしてくる、
「せめて君だけは優しく慰めてくれよ、この可哀想なボクたちを……」
 ボクはまだ悪ノリを続けていた。そしてその頭の悪いセリフを言った直後に、しっかりと後悔した。間違いなく小岩井に、いい加減にしてよ!!って怒鳴られる。すぐに癇癪を起こす瞬間湯沸かし器も問題だけど、事ある度にそういう問題をはらんだ友人の点火スイッチを押す方もバカである。ボクはいつまで経っても思慮が足りないよねぇ……。
 ボクは一通り反省しつつ、小岩井の罵声を身構えていたのだけれど、
「んもう……一条君は良い子だよー」
 ぽんぽんと、小岩井はボクの頭を優しく撫でてくれた。それはまるで、優しいおかーさんの様に。
「はうっ」
 まさか小岩井がこんな悪ノリに付き合うなんて、ボクはその驚きで戦慄すら感じていた。それと同時に、何かとってもこっぱずかしくなったので、ボクはこの後どうして良いかわからずその場でフリーズしてしまった。
「おうおう、見せつけてくれんじゃねーか!」
 熊ちゃんに踏みつけられた親友が、地べたに這いつくばりながら茶化してくる。とりあえず無視無視、下手に反論してもウザくなるだけだ。
「……ボクは良い子なのさっ! んじゃ、帰るね〜〜」
 みっちゃんの突っ込みのおかげでフリーズの解けたボクは、小岩井の花束を抱えて自分家の方に向かって歩き出す。
「あ、さようなら……」
 小岩井も熊ちゃん兄妹と地べたに転がる親友に別れを告げた後、慌ててボクの後を付いてきた。
「おいちょっと待て優樹、お前本気で俺を置いていくつもりか? ジェントルじゃねーぞ、こら、だから待てって、これはあんまりだあああぁ…………」
 未だゲシゲシと蹴られる親友を置き去りにして、ボクたちはさっさと帰り路についた。てゆーかみっちゃんが一緒にいると、ボクの後を付いてくるこの瞬間湯沸かし器が必ず火を噴くからねー。メンドウゴトは事前に回避するのがオトナの知恵って奴だよ。
 そういうことでみっちゃん、もうしばらく踏みつけられていてね。


 太陽もしばらく前に沈み、周りは幾らか暗くなったとはいえ、極めて暑苦しい夏本番の夜道である。ゆっくり歩いているだけで、汗が噴き出してくる様な有様だった。
 この攻撃的な暑さで思い出されるのは、あと1週間で学校が夏休みに入るという事である。重ねて言うが今は夏本番。本来ならば、夏休みへの期待や嬉しさで浮かれまくるのが、この時期に於ける誰もが羨むお年頃の責務だったはずだ。しかし、今年のボクらには、休みなんてものは無かった。休み中はほぼ毎日学校に出てきて、映画の撮影を行う予定であった。
 あまりにも惨すぎる!
 青春も真っ盛り、誰もが羨むお年頃の男の子が、そんな憂鬱な夏休みを過ごすなんてドMの極み! 超絶不健康である! だいたい宿題だけは例年通りで、しかも遊ぶ暇が全く無いなど、どんだけ卑屈な休みなんだと。どんだけ人生しょっぱいのだと!
 とは言いつつ、休みだからって我が家はどこかに旅行に行くことなどしないし、例年だとみっちゃんや熊ちゃんとつるんでその辺で遊んでいるだけである。万が一彼女でもいれば、一夏の思い出っていうのを作るのも良いのかも知れないけど、ところで一夏の思い出って具体的に何だ? なんかどこかでデートでもすれば良いんだったっけ??
 まぁ、そんな彼女なんていないボクには関係無い話しだし、実際撮影って言ってもいつもの放課後に比べて時間がいっぱいあるのだから、結局は撮影しながらでもみっちゃんや熊ちゃんと遊べるってことでしょう。実は例年と変わらないのかも知れないね。
 ボクが夏休みに対する意気込みを新たにしていると、緩やかな風がボクの頬を撫でていった。しかし、それはとにかく生ぬるい風であった。青臭さと極度の湿気をはらみ、まるでのどの奥に粘つくような酷さである。
 真冬の、静謐であり透き通った夜空に比べ、夏の夜は空気が濁り、星の光も弱くなるようだ。月の明かりとまばらに灯る街灯の光りだけが、ボクらの行く道を照らしている。
 そんな町外れの一本道を、ボクと小岩井は無言で歩いていた。
 熊ちゃんの家からボクらのマンションまで、歩いて30分はかかる。その距離はまぁ良いとしても、熊ちゃん家を離れてからボクらは一言も声を発していなかった。
 かなり気まずい無言だった。
 むむ〜、別に隣の女とはおつきあいとかしてないし、単なる部活の仲間なんだから、わざわざ世間話をする必要も無いのかも知れないけど、しかし30分の間に一言も話さないというのは、それはそれで何か間違っている気がしなくもないよねぇ。
 けれど、改めてこの女と何を話せばいいのだろうか。ボクはさっきから色々考えてはいるのだけど、ぶっちゃけさっぱり分からない。それに下手なことを言おうとすると、自分の内に潜んだケーハクなチャラ男が顔を出す。アレは酷い。あんなのが出てくるくらいなら、小岩井に裸を見られた方がまだマシという物だ。
 ボクがそんな廃なプレイを妄想していると、
「……一条君は、何でピアノが嫌いなの?」
 ラッキーなことに、小岩井の方から会話を始めて来てくれた。
「ああ……まだ言ってなかったっけ?」
 昨日、ボクがみっちゃんから頼まれたはずの演奏を彼女に代行して貰うに辺り、10年後の中の人はそんなことも言ってなかったのか。この話は前述の通り思い出すのも辛いけど、しかし小岩井には知る権利があるよね。むしろ、演奏をお願いした理由を説明するのが、依頼者側の誠意ってもんだ。
 だからボクは、小さい頃にピアノ教室に通っていたこと、そこで良い思い出を全く作れなかったことなどを、ピアノの演奏自体非難することがないように説明した。小岩井はきっとピアノの演奏がとても好きなんだろう。そうでもなければ、あの域に達する演奏を身につけることは到底不可能だ。
 だから彼女が好きなこと、ピアノやピアノの演奏について否定的なことを言わないように、言葉を選んで説明していった。
「……結局、えこひいきされたのが一番悔しかったんだよねー。かろうじて上手く弾けても全然褒めてくれないし。だからピアノを弾いていると、その時の悔しい思い出が蘇ってきてさ。全然上手く弾けないんだ。演奏を楽しめないから」
「……あ、あの、その、ごめんなさい、辛いこと聞いちゃったんだよね?」
「いいってー。むしろボクは小岩井に聞いて貰うべきだと思ってるから。まぁ、そんな理由があって、演奏するのも、ピアノの音を聞くのも嫌いになっちゃってー……で、その結果が一昨日の愚行に繋がるわけでありまして……」
「あ……あの、えっと、こっちも大人げなかったよね……」
「いや、マジでごめん。てゆーか、実はボク、小岩井が隣に住んでるのって全然知らなくて……」
「あう!? なんで?? 私知ってたよ???」
「いやー、ボクって物事をあんまり深く考えないってゆーか、興味無いと基本スルーというか。だからわざわざ隣の人の名前なんて見てなくて……」
「だって、私、一条君のお母さんにご挨拶に行ったよ? その時同級生が居るとか言ってなかったの?」
「ん?? えーと、たしか小学生くらいの女の子が居たとか何とか……」
「……………。どーせ私はチビッコの小学生にしか見えないんだもん……」
「い、いや!! 小岩井は間違いなく現役JKだって! ボクが保証する!」
「あぅ?」
「大丈夫だって、自信を持とうよ! 確かにタッパと胸の大きさは小学生かも知れないけど、それ以外は何とかなってるから!」
「……………。やっぱり、私を発育不全ってディスってるのね?」
 自分の胸に手を置いた小岩井の顔に、若干の殺気が浮かんでいた。
「いいいいいいいや、決してそんなことはないって! 小岩井は十分可愛いし、それに何度も見たぱんつが目に焼き付いて離れないくらいに、色気はバリバリだから!!」
 ……緊急事態とは言え、ボクは一体何を口走っているのだ? つまり小岩井にキルミーベイベーって言いたいのか?? こんな訳の分からないセクハラカミングアウトで、女の子が喜ぶとでも本気で思っているのか???
「……サイテー」
 小岩井は、まるで汚物を見るかのような視線でボクを見る。
「ですよねー。ボクも自分でそう思ったよー。もう思うさまぶち殺して下さい」
「嫌よ、そんなことしても私ちっとも嬉しくないもん」
 だよねー。つまりこんなスケベな変態野郎は、一人で勝手にダンプに突っ込んで死ねって事でしょう。小岩井の言うことには何一つ間違いはない。
「……もう良いわよ。……可愛いって言ってくれたから……」
 小岩井は何か一人でブツブツ言ってるけど、ボクには”もう良いわよ”までしか聞こえなかった。
 よし、ここで緊急避難的に話題を変えてしまえ! このまま突き進むと、間違いなくおかしな方向に行ってしまう。ただでさえこいつは隣に住んでいるのだ。万が一母親同士の会話でぱんつを見ただのどうのなんて話題が出よう物なら、ボクはあのマンションの中で”ぱんつ男”等という大変な名誉称号を頂戴してしまうことになる。嬉しすぎて、生きていくのが辛くなるのは間違いない。
「あ、あの、そういえば小岩井って何でこっちに引っ越してきたのかなー?」
 ボクのこの適当としか思えないどうでもいい質問に、しかし小岩井はすぐに答えようとしなかった。それに、身体をびくっと震わせたようにも見える。
「あ、聞こえた?」
「……う、うん。えっと、お父さんの仕事の都合で」
「へーえ。そういえば元々どこに住んでたの?」
「あの、えっと………あのね、隣の市なんだけど……」
「は? 何でわざわざ?? 学区が違うから転校は必要だろうけど、いちいち引っ越さなくても良い距離なんじゃないの??」
「あ、あう〜〜、あの、だから、そう、えっと、前に住んでたおうちが古くて、そう、そのついでに!!」
 何かやたら力んで説明する小岩井であった。てゆーか、もしかして聞いて欲しくない話題なのかなぁ? だったらこれ以上は止めておこう。
「えっと……ああ、そうだ。小岩井っていつからピアノ弾いてるの? すっごい上手だよね〜」
「あぅ〜……」
 あれ、こいつ俯いちゃったぞ? もしかして”べらべら口数の多い男はマジウザイ!”って意思表示なのだろうか? もういい加減喋るの止めた方が良いのかなぁ……
 しかし我らがマンションに帰り着くまで、どう急いで歩いても15分は掛かる距離であった。確かに熊ちゃんみたく寡黙な男はカッコいいけど、しかしこういう時に何も喋らずに黙々歩くってどうなのかな? よく分かんないなぁ……
 コミュ力に色々と瑕疵のあるキモヲタは、それこそ状況も弁えずに趣味の話を爆裂させて周りを激しくどん引かせる物だけど、しかし女の子と歩いていて、世間話程度の会話も無しってのは何かちょっと違う様な気がする。まぁ、別にボクたち付き合ってるわけでもないし、どうせ小岩井はボクのこと滅茶苦茶嫌ってるんだろうから、下手にケーハクなチャラ男を演じてこれ以上ウザがられるよりも、黙っておいた方が良いのは間違いないだろうからねぇ……。
 ボクはもう小岩井との会話を切り上げて、黙々と渋い男を演じようとしたのだけれど、
「……えっとね、ピアノは3歳くらいの時から弾き始めたの」
 小岩井は、先ほどの質問の答えを寄越してくれた。ボクは余計なことを言わず、とりあえず頷いておく。
「始めはお母さんに教えて貰っていたんだけど、小学生になってからピアノの塾に通ってね」
「……で、今でも通っているの?」
「ううん。今は独学。……小学生の時は、県のコンクールとかに出たこともあるんだけど、中学生になってからは全然そういうのが無くて。……塾の先生からも、もうお金の無駄だって言われたの」
「なにそれ、ひっでー!!」
 とんでもねーことを言う奴も居たもんだ。人に対して言っていいことと悪いことの区別も付かないのだろうか。それともピアノの先生って、頭のおかしい奴が多いのか!? ボクは自分の過去もあり、瞬間的にかなりムカついたのだけれど、
「あぅ、えっと、ちがくて、あのね、私が通っていたとこは、本当にプロのピアニストとかを輩出するようなところで、月謝とか結構高かったの……」
 あぁ……なるほど。そこまで聞いて、ボクも何となく分かった。つまり、音楽で飯を食える人間は数万人に一人、という事だ。
 小岩井は直接言ってはいないけど、彼女も小さい頃はプロのピアニストを目指していたのだろう。けど、その夢を叶えるには、努力以上に生まれ持った天賦の才が必要なのだ。常人が死ぬ気でやってもどうしても越えられない壁にぶち当たって、それで塾の先生、実際には弟子入りしていたプロの音楽家の師匠に、将来を諭されたって事なのだろう。
 なんてコトだ、こいつの方が、ボクなんかよりもよっぽど酷い仕打ちを受けているじゃないか! 単にしょうもない先生にゲンコツ喰らっていじけたボクと、才能が無いと破門にされてもピアノを弾き続けた小岩井。格が違いすぎる。人としての立ち位置が、全然違う!
 ボク、なんて事をなんて人に言っちゃったのだろう。何が知る権利があるだ、単にグチを聞いて貰ってすっきりしたいがだけのオナニーと一緒じゃん! まさにキモヲタが状況も考えずに好きなことをべらべら喋り散らすのと一緒、極めて最悪である。やっぱりボクはもう、黙っておいた方が良いようだ……。
「……でも、実を言うと、私はそれで良かったって思ったの。……お母さんはすっごく残念がっていたけど、私はピアノを弾いていれば楽しくて、別にコンクールとかで賞を取るのが目的ではなかったから。……ううん、これは今になってから言えることなのかな? ええっと、つまり私はピアノを弾くのが好きで、ずっと弾いていたいと思っていたけど、それをなんて言うかな、えっと、仕事って言うか、手段、義務かな、そういうのにはしたくなかったの」
「……えっと、つまりピアニストになりたいとかは、考えてなかったと?」
 小岩井の遠回しな言い方に、ついつい口を出してしまったボクだった。
「んー……小さい頃だったから、お母さんになれって言われていたから、そう思っていた時期もあったけど……でも中学生になる頃から、周りのレベルに全然ついて行けないのは十分分かっていたし、ピアニストになった自分の姿っていうのを、全然想像できなかったし……。私、ピアノの先生になりたいって思ったの。プロを育成するとかそういうのじゃなくって、子供に教える、街のピアノ教室とかの」
 そうやってお母さんにピアノを教えて貰っていたときが一番幸せだったからと、小岩井は続けた。
 なるほど、ボクのとは反対で、小岩井の母親とか塾の音楽家は、よっぽどピアノを教えるのが上手だったんだろう。ボクもそういう人に教わっていたら、もう少し幸せな幼少期を過ごせたかも知れないのに……
 しかし、小岩井がピアノ教室の先生になるとしても、もう少し笑顔の特訓というか、その万年ぶすーっとした顔をどうにかしないと、ボクみたく変なトラウマを植え付けてしまうことになりかねない。
「小岩井はピアノの先生か……。だったら、生徒と話すときは、もう少し笑顔にならないとねー」
「あうー、昨日もそんなこと言ってよね! 私、そんなにキツい顔してる!?」
 何だとぅ? 10年後の中の人もそんな失礼なことを言ったのか!
「いや、だから今見たくぷりぷりしてるとねぇ……その、怖いし」
「あうぅ……そうね、私はいつも怒ってばっかりだもんね……どうせ私が全部悪いのよ……」
 小岩井は、今度こそ本気で俯いてしまった。
「いやいやいや、悪くないって! 前もそう言ったら怒ったけどさ……」
「だから私が悪いのよ……」
「いやいやいやいや!! 本気で悪くないって、だいたいボクらが怒らせて当然なことばかりやってんだから、怒られて当然だって! そう、ボクらが悪いの、小岩井は全然悪くないの!!」
 なんでここまでして小岩井を励ましてるんだか自分自身でも分からないけど、でも彼女の俯いた顔を見せつけられるのだけは嫌だった。小岩井を元気づけるためなら、ボクは何をやっても良い気分すらしていた。
「もういいわよ、別に気を遣って貰わなくても。……でも、ありがと」
 何でお礼を言われたのかはよく分からなかったけど、再び上げた小岩井の顔からは思い詰めたような表情が抜けていたので、ボクはとりあえず安心したのだった。
 ボクが小岩井に気がつかれないようにふーっと溜息をついていると、目の前に見慣れたボロマンションが見えてきた。
「あー、もう着いたねー」
「うん……」
 それっきりボクらは口も聞かずにマンションのエントランスをくぐり、上行きのボタンを押してエレベーターに乗り込んだ。
 カゴがボクらを3階に連れて行く。当たり前だけど3階なんてのはすぐ着くもんで、一息つく暇もなくエレベーターのドアが開いた。ボクらは連れだって、ボクん家の隣、つまりは小岩井の家の玄関まで歩いていった。
「やはりここは小岩井の家なのか……」
「まだそんなこと言ってるの?」
 だってなぁ……。ボクがそれ知ったの、何せ今朝なんだよ??
「同級生と隣同士……レアな関係だねぇ」
「変な事言わないの。……あと、そのお花持ってきてくれてありがとう。……あの、やっぱり一条君も半分持って帰れば?」
 ボクがここまで抱えてきた花束を見て小岩井がそう言うも、
「どーせ家の母親はすぐに枯らしちゃうし、小岩井に全部あげるよー」
「ホントに良いの?」
「いいよー」
 花だって、ボクん家みたいなむさい家ではなく、曲がりなりにも女子高生の居る家に飾られた方が幸せってモンでしょう。
 小岩井は自分家の玄関を開けた。そこは半年くらい前、彼女らがここに引っ越してくる前に覗いたときのまま、真っ白で綺麗な玄関だった。
「小岩井の家は綺麗で良いなぁ……うちはボロくてしょうがないよ……」
「あ、あぅ〜……。その、新しいだけだって!」
 小岩井はなんだか微妙な慰め方をしてくれるけど、その新しいってのが何物にも勝る羨ましいポイントなんだよねー
 ボクは玄関で待つ彼女に花束を渡すと、閉じようとするドアに押されてじたばたしている小岩井が玄関を上がりきるまで、ドアを手で支えておいた。
「あ、あの、ありがとう……」
「んじゃねー」
 彼女が玄関に上がりきったのを確認すると、ボクは玄関のドアを静かに閉じた。
 小岩井の姿が見えなくなって、あっという間に静まりかえったマンションの通路。まるで景色から色がすっかり抜け落ちて、モノクロの世界になってしまったかのような錯覚を覚えていた。
 もちろんさっきまでは色とりどりの花もあったし、それにロリッ子薫ちゃんの恰好をした小岩井がピンクとか黄色とかのパステルカラーの服を着ていたので、彩度の高い色がボクの視界から無くなったのは事実である。コンクリ打ちっ放しの壁の無色彩も、余計にそう思わせるのは当然のことだろう。しかし、それ以上に世界には希望なんて無く、非常につまらない物に思えてしまうのは一体何故なのだろうか。
 ボクは沈みきった心のまま、自宅の年季の入ったボロドアを開け、そして靴をちゃんと脱ぎ散らかして、薄汚い玄関を上がっていったのだった。


 帰宅後は適当に風呂に入り、寝る前に魂の安寧をを求めて自分の部屋でのんびりしていたときのこと。
 壁の向こうから、既に当たり前のことになりつつあるのが誠に心外な事なのだけれど、ピアノの音が微かに漏れ聞こえてきていた。今日も小岩井は、一人でピアノの練習をしているのだろう。
 もちろん弾いているのがあの女だと分かったところで、この耳障りな音が心地よいBGMに聞こえるなどというミラクルがあるわけもなく、嫌いな音は嫌いなままだけど、まぁ友人のよしみとして腹を立てるのだけは勘弁してやろうといった趣であった。
 ところで、ボクは先ほどから10年後の残念な自分があの手紙とプレゼント以外に何か残してやしないかと部屋を見渡していたのだけれど、一つだけおかしな事に気がついたのだった。
 あの、一昨日の夜に小岩井の跳び蹴りによって真っ二つに断ち割られた(やや誇張)きれいな石が、すっかりなくなっていたのだ。おっかしいなぁ? 10年後の残念な自分の中の人が持っていったわけでもないだろうし(だって中身だけ入れ替わってたみたいだから、物体は持って行けないでしょ?)、一体何処に行ってしまったのだろうか。それともあの未熟者(母親のことだって)がギッていったのか!? しかしそれだと今頃狂喜乱舞しているだろうし、だいたい真っ二つに割れる前から棚の上にほったらかしていたのだから、すでにあのきれいな石が部屋にあることは知ってたはずだ(極めて遺憾ながら、ウチの母親はしなくてイイと何遍も言っているのにボクの部屋を勝手に掃除をするのだ。全く、誰もがうらやむお年頃の男の子の部屋だぞー!? 万が一ベッドの上にヤンマガを置いたままにしておいたら、表紙の水着のおねーさんの写真でえっちな本に勘違いされてしまうじゃないか!)。
 という事は、わざわざ割れてから持っていく理由も無いし、犯人は母親で無いのかなぁ。む〜〜〜、わけがわからん! まぁ、捜し物なんて探してるウチは見つからない物だし、縁があればそのうち出てくるでしょう。
 ボクは持ち前の物事をあまり深く考えないスキルを最大限に活用することとし、とりあえずこの件は忘れておくことにした。


 それから約一週間後。待ちに待った一学期の最終日、そして帰りのホームルームの時間である。
 先ほどから担任が一学期の反省点などをクドクド述べているけど、ボクはそんな物に全く興味無いので適当に聞き流していた。
 幾ら連日映画の撮影があろうとも、やはり夏休みは授業が無いだけでも十分嬉しいものだ。ちなみに朝はバイトがあるので、休みだからといって朝の遅い時間まで寝ていることは出来ないけど、それはそれで日々の生活が乱れる事が無いので良しとしましょう。大体生活が乱れちゃうと、そのまま素行も乱れて不良になっちゃうしね。
 ボクが明日から来る夏休みに思いを馳せていると、
「そんじゃ通信簿渡すぞー。名前の順で取りに来いなー」
 グダグダ言ってねーでさっさと取りに来いやーと、担任は通信簿の束を机にばんばんぶつけて自分の教え子を恫喝していた。この時間の最大のイベントであろう、誰もが避けて通る事の出来ない過酷な行事、通信簿の返却である。
 全く、あんな薄っぺらな紙切れに書かれた数字如きで、ボクの溢るる才能を正確に表しきれるはずがない! とかなんとか厨二っぽく憤ってみたところで、世間のシステムという奴はあの数字に従って人を評価するよう組み上げられているわけで、やはり学生の身の上にとっては極めて呪わしき物なのであった(親にとっては子供をしかりつける良い理由付けか?)。
「一条、さっさと来い!」
「へいへい」
 全く、風情という物ちっとも理解出来ていない担任である。折角人が休み前の心弾むひとときに思いを巡らしているというのに、少しはそれを鑑みて大目に見るくらいの心のゆとりを持てと。それが人生の先達足るべき大人の態度じゃなかろうかと。
 ボクは担任から通信簿を受け取ると、さっさと自席に戻ってそこに書かれた無粋な数字共を見てやった。
「なん……だと……?」
 主要5教科の評価欄には、全て3が並んでいやがった。もちろん評価の最高点は5。こりゃちょっと色々まずいんでないのかい??
 幾ら先ほどから”如き”だの”無粋”だの調子ぶっこいて通信簿をディスっていても、この紙にこんな冒涜的な数字が踊り狂っている様な奴が簡単に大学に合格出来ると確信するほど、ボクは極楽トンボというわけでは無いのだ。こんなでも、それなりの一般常識的な認識は持っているのだ。そもそも大学行くなら、4と5がびっちり並んでるくらいの通信簿にしておかないと、色々まずいよなぁ?????
 さすがに体中の血が下がって青くなったボクは、この期に及んで見苦しく、かつ浅ましい事限りないのだけど、同様な状態に陥った仲間を探すべく、周りの連中を伺ってみた。
 まずは、ボクのすぐ後に呼ばれた熊ちゃんである。彼は……いつもの寡黙な渋い顔に、わずかながらの笑みが見て取れる。こりゃそれなりに良い成績を貰いやがったな、ちくしょうめ。そしてある意味本命のみっちゃんは……おお、これ以上無いほど真っ白に燃え尽き、そしてこれ以上無いほど哀愁を漂わせて机に突っ伏している。それに彼の手から、ぐちゃぐちゃに握りつぶされた通信簿がぽろりと落ちた。どう考えても、ボク以上に駄目だった様だ……。まぁ、普段の努力を鑑みれば、ある意味順当と言ったところであろうか。通信簿とは、げに残酷な物よのぅ……。日頃の行いの通りに残酷な結果しか貰えなかったバカチンなボクは、未だ未練がましく現実逃避を続けていた。
 しかし、いつまでも現実から目を逸らして、お馬鹿な思考で頭をいっぱいにしていても仕方ないのだ。いい加減諦めて、現実を見なければならないのは事実である。そしてその事実の良い例として、今回の通信簿には、先日に行われた期末テストの結果表もくっついてきていたのだ。
 ボクは通信簿に挟まれていた結果表を手に取り、それを広げて中身の検分を始めたのだった。
 まず、主要5教科の偏差値の平均は、48。なんて微妙な値なのだろうか。まさに寸足らず、ボクの立ち位置をこれ以上無いほど如実に表している様だ。どうせなら78とか35位だったら力一杯笑えたのに!(35で笑った後は思いっきり泣くだろうけどさ)
 そして、他の技能教科も似た様なもんで、唯一保健体育の偏差値だけが60であった。なんてテンプレ的な恥ずかしい成績だろうか! 保健体育のテストだけが良く出来るって、なにそれボクえっちって事!? ぶっちゃけ子供の作り方とか、演習でしたこと無いので全然分かりませんけど!!
 しかし、幾らそんな童貞具合をカミングアウトしたところで、既に印刷された結果表の偏差値が増す事などあるわけもなく、むなしさと切なさと心寂しさで胸が一杯になっただけであった。
 これは、マジで勉強しなければならない。一応、ボクは自分の持つスペックを120%出し切れさえすれば、ギリギリにところで教職を取れる事は、10年後に実施済みなので分かっていることだった。もちろん10年後の成果は確率的ではあるのだけど、もしもボクの脳みそが何をやっても大学に行くだけの出力が無いというなら、10年後のボクはその辺の駅の軒下で段ボールを抱えていたはずであって、ロリで高スペックな女房おねーさんを取っ捕まえてきたあげくに頭の良い高校で先生気取ってる事など、決して有りはしないのだ。つまりボクは、やれば出来ることを証明された特別な人間なのだ……!
 よし、がっつりやってやる! ボクは勝つる!! 安っぽい選民思想など実に厨二的な設定だけど、しかしなんだかんだ言っても事実は事実なのだ。これ以上心強い物はないね!
 ボクは気持ちを新たにして、とりあえず目先の夏休みだけはしっかり楽しみ、2学期になってから本気を出そうと心に決めたのだった。
 その後つつがなくホームルームは終了し、ボクらは予定通りに夏休みに突入。そしてこれも予定通りに、映画の撮影を始めたのだった。ちなみにこういう学園物の夏休みだと、必ず主要メンバーの一人や二人が夏休みの補習を喰らってストーリーにバリエーションを付け加える物だけど、作者の不徳と致すところと学校側のやる気の無さが相まって、部員全員特にお咎めなど無く、フルスペックな夏休みを享受することが出来たのだった。


「てことは、博士はこの現象が地上にマントルが吹き出す予兆だと言ってるわけか!?」
「そうよ。昨日から何度も計算してみた。でも、それが一番しっくり来る答えだったわ」
 いきなりよく分かんないセリフを宣っているけど、前のがボク(助手なんだって)。そして後の博士役のセリフが若木さんのものだった。
 本物のめがねっ子が白衣を着ているので、当たり前のことだけどとっても似合ってる。しかし、用意された白衣は微妙に小さかったのか、妙に胸の大きさが強調されているんだよなぁ……。それともこれは、何かの仕込みなのか?
 そう、本日の活動は女子チームの撮影である。学校の情報教室の片隅を研究室っぽく改装して、パソコンの画面によく分からないグラフやら何やらを出して、地球が何かどうにかなっちゃう感じの話をしている演技の真っ最中であった。
「ほーい、カーット! いいぇねいいねぇ、貴方たちは良い感じに役者だよ〜〜」
 ちなみ横で変な声を出しているのは、我らがスーパーローアングルカメラマンのみっちゃんではなく、女子チームの百合ッ子担当の伊東さんだった。こっちのチームでは、カメラマンは伊東さんの役割だそうだ。
「ゆーくん、なかなか演技が上手いじゃーん。さては男子チームでそーとー訓練したねー?」
 おねーさんにじっくり聞かせてみ〜?とかなんとか伊東さんは言ってるけど、特段訓練なんかした覚えはないんだけどねぇ?
「いやー、普通に演技していただけだよー?」
「ほほー、ゆーくんは意外に俳優の素質ありかもねー? ちなみに我らが巨乳博士のなるちゃんは、最初の頃はもうガチガチのうるるんで、それはもうすっごい可愛かったんだぞ〜〜」
 うむぅ。つまりは恥ずかしさが先に立って、涙目で一生懸命演技してたって事? うっわー、それはちょっと見てみたかったなぁ。ガチな美人さんがマジで恥ずかしがっている姿なんて、マンガの中くらいでしか見たことないよー。
「やだぁ……もう、そんなコト言わないでよ……」
 隣でそう言った若木さんは、なんと嬉しいことに顔を真っ赤にして目にうっすら涙を浮かべながら、極めて乙女チックに(しかもわざとらしさなんて全く無いところがすごすぎる)恥ずかしがってくれた。くぅ、これは凄まじい破壊力だ……。並みの男なら、この仕草一発で確実に轟沈されてしまうだろう……!
 けど、なんでこんな少女マンガにも出てこなさそうなテンプレ的乙女の口癖が「死ね!」なんだ? てゆーかこの人、からかって怒らせるとすっごいキツイ口調で酷い言葉を矢継ぎ早に繰り出すくせに、その実中身は結構な恥ずかしがり屋さんなんだよねー。前に男女で脚本を披露しあった時も、やたらつっかえつっかえしていたけど、後で聞いた話によれば、既に部長は若木さんの脚本を全部知っていたんだそうだ。そして若木さんは、単にみんなの前で発表するのが恥ずかしいから、あんなにピヨピヨしながら説明をしてくれたとのこと。
 ボクなんて、よっぽど凄まじいBL的演出をサプライズ発表して、そこで部長がキレやしないかビクビクしていたのだと思っていたけど、実は全くの勘違いだったって訳だねぇ。
 けど……しかしやっぱり、なんであの美人さんの可愛らしい口から”ウザいキモヲタ! 学校でエロゲやってチンチンおっ立ててるあんたと、創作に人生掛けてる私たちを一緒にするな、死ね!!”なんてステキな台詞が飛び出してくるんだろう? やっぱりどう考えてもシュールだよねぇ……。全く意味が分からない。
 ところで、こうして女子チームと行動を共にしていると、改めて彼女らの新たな側面が見られて面白いよね。それに彼女らのスキルの高さにびっくりすることもたくさんある。今までずっと同じ部に居たのに、男子チームと女子チームで何か一つのことを共同で行った経験などほとんど無かったし、それにあのみっちゃんと部長の惨たらしいケンカの前は、みんなでずっと同じ部屋にいたのに、基本お互い別々なことをしていたからね。今から思えば、なんだか時間を無駄に使っていたような感じがするよ。お互いもっと、色々学び合えたことだってあったかも知れないのに……。

「ところで伊東よ、このパソコンの偉く趣のある絵は一体誰が作ったんだ?」
 みっちゃんがパソコンの画面を見ながらそう聞いた。今日は、ボクがこちらの男優をしていて男子チームの活動が出来ないので、みっちゃんと熊ちゃんは女子チームの撮影を見学しに来ていたのだ。
「ふふーん。それは我らが誇る腐女子2号! やまちーが描いたのだー」
 伊東さんが胸を張って自慢している隣で、
「……同性にはっきり腐女子と言われると、思いの外心にグサッと来る物がありますねぇ……」
 なんだか悲しそうな顔をしたやまちーこと山科さんが、ぺこりと頭を下げている。
「女子チームは細かいところまでクォリティが高いな。自分で脚本を書いておいて言うのも何だが、良くここまで出来たもんだ……」
 とてもじゃないが叶わんと、熊ちゃんは腕を組んでうーんと唸り始める。
 ボクも、彼女らの撮影に男優として加わってから存分に思い知らされたんだけど、女子チームは上手く作業を分担していて、しかも演出などは全員でアイデアを出してなるべく良い物になるよう常に改善に努めているのだった。もちろんボクらも一生懸命やっているけど、しかし演出などは熊ちゃんに押しつけっぱなしだし、基本行き当たりばったりの撮影だ。編集の主担当であるみっちゃんは何とか気合いで繋いでみせるとは言ってるけど、それは物語として成立する最低限のラインであって、映画として面白いかどうかというラインは遙か上にある気がする。
 こりゃあ、普通にやってれば確実に負ける。気合いとかそういうレベルではなく、何か起死回生の一手を真面目に考えないと……
 ちなみにボクらの映画は、女子チームが作っているのとは違い、メインで出演している人間はボクと小岩井だけである。(女子チームの映画はもう少し多く、4人くらいメインで出るのだ)
 という事は、自慢すべき点が”誰もが羨むお年頃の男の子”しかないボクが、今更何をやってもロクな事にはなりはしない。ここは一発、我らが主演女優であらせられるまうっちに、何とかして貰うほかには手段が何も無いのであった。まぁ、やっぱ女の子の方が何をやっても華があるし、小岩井が一生懸命演技をやってる姿を見て、奴のクラスのバカ共も少しはいじめとかやめるでしょうよ、といった打算もあったりするのだけれど。
 さて、今の話の主題たる、彼女は一体どこに居るのでしょう。
 ボクが撮影現場をキョロキョロ見渡していると、小岩井は教室の隅っこの方で、ちっこい背ェで一生懸命レフ板を掲げていた。んー、なんかアレは配役がおかしくねー? てゆーかどうせなら背が高い山科さんとかに持たせればいいのに……
 我らが主演大女優のまうっちは、こっちのチームではレフ板持ちであった。なんという下克上、さすがに女子は色々と容赦がない。いろんな意味でパネーっす。
 ボクはカメラが回っていないにもかかわらず、一生懸命レフ板で明かりを送っている小岩井の隣に行き、
「おつかれさまー」
 と言ってみた。
「……お疲れ様」
 またこの女、顔を赤くしてそっぽ向いていやがる。相当ボクのことが嫌いならしい。まぁそれも男の務めって奴だね。下手に同性を嫌うよりも、ウザイ男子を嫌っていた方が、まだ女子として可愛げがあるってもんだよ。それにガン無視されるよりも、遙かにマシな状態である。
「ところでいい加減手ェ下ろしたら? いま撮影してないよ??」
「あ? あう??」
 小岩井はもっと顔を赤くして、しなしなと崩れるようにレフ板を下ろした。
「何か悩みでもあるのー? もう少し心にゆとりを持たないと……」
「……分かってるわよ」
 ほっといてよと、小岩井はまたもやそっぽを向く。ま、これ以上しつこくつきまとっても「ウザイ、死ね!!」って若木さんみたいな毒を噴かれるのは自明であるし、そろそろ次のシーンの打ち合わせが始まるだろう。
 ボクは適当に「んじゃ」とか言いつつ、巨乳めがねっ子博士のもとに歩いていった。


「博士、こっちだ! もう少し行けば軌道エレベータの搬入口がある! そこからカプセルを乗せられる!」
「待って、もう息が上がって……!」
「言い訳はあの世で聞いてやる、死んでも走れ!!」
「もう、これを乗せるまでは死なないわよ……!」

 博士と助手が軽口(?)を言い合いながら、カプセルを軌道エレベータに乗せるべく宇宙港(軌道エレベータの設置してある場所のことだよ)の中を走っているシーンである。
 ちなみに映画の撮影場所は、町の図書館に移動していた。ちょっと税金を無駄っぽく使った、妙に近未来チックなデザインの建物なので、ここには宇宙行きのエレベーターがあるんですと言っても、あまり違和感のない様な場所だったのだ。まさに箱物万歳、この図書館を設計した人には、費用対効果なんて言葉は全く意味を成さなかったのだろう。
 そしてボクがさっきから手を引いて引っ張り回している若木さんだけど、その白衣からはみ出さんがばかりのおっぱいをぶるんぶるんとさせながら、顔を赤らめてハァハァ息を荒げている。うん、これはエロい。はっきり言って18禁だ。てゆーか若木さんの上ずった声がまた妙に艶めかしいので、もうボクはさっきから背筋に電気が走りっぱなしだった。男に生まれてきて、ホントに良かったー!
「うぉーいカーット!! いいねぇいいねぇ、なるちゃんめっちゃエロイよー!!」
 どうやら、変な声を出しながらメガホンを振り上げる伊東カメラマンも、ボクと同じ感想を持つに至ったようだ。
「やめてよ伊東さん……恥ずかしいよ……」
 若木さんはなお一層顔を赤くて恥ずかしがっているけど、その表情がまた良い感じに嗜虐心を誘うというか、とにかく一言で言えばエロかった。うーん、やっぱりこの人、結構モテるだろうなぁ。事実美人さんだし、おっぱい大きくて身体の線も綺麗だしね。まぁ趣味はBLだけど、案外常識人だし……ってあれ? 果たしてそうだったっけ??
 よくよく思い出してみれば、若木さんはその人生の軸足が、結構おかしな方向にひん曲がってる気がする。
 例の凄まじい口癖もそうだけど、去年の進級試験では、我が部の腐女子組は再々追試などという名状しがたい悲惨なレベルまで足を踏み入れてしまったことは、もはや学校全体で有名なことであった。しかし聞くところによれば、山科さんの方は結構勉強が出来るらしい。時期が良ければ(つまり同人誌を描く時期でなければ)、定期テストではかなりの高得点を毎回取っているとのこと。しかしもう片方の若木さんは、決して勉強が出来ないワケでは無いらしいのだけれど、ストイックなまでに趣味を研鑽し続けるため、勉強の方まではリソースが回っておらず、その結果として成績の方は言わずもがな、という状態らしい。まぁ、そんなんでもなんとか進級出来ちゃうあたり、ある意味頭が良いのかも知れないけどねー。……ちなみにボクはそれなりがっつり勉強して、進級試験はギリギリだったのは内緒だよ?
「うんじゃー、次は二人で走っていて、地震が来てもつれ合って転げるシーンだねー」
「はい、演出の説明を致します」
 伊東カメラマンの声に、山科さんが脚本を持ちながら一歩前に出た。このシーンでの演出担当は山科さんであるらしい。彼女はカメラの向きや画角などを簡単に説明した後、自分で簡単な演技をしつつ若木さんとボクに演技指導を加えていく。
「ここで、カメラは地震を演出するため、わざとガタガタと揺らします。お二方は足を滑らせる感じで、廊下に寝転んで下さい。……そうですねー、ここでは視聴者サービスの一環として、なるっちの上にいっちーが覆い被さる感じが良いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?」
 ……ちっとも良くねーって。そんな演出過剰な視聴者サービスは要らん!
 しかしボクの心の叫びは完璧なまでに無視され(何でこういう時は、頭の中の考えが外に漏れ出てくれないのか)、ボクらは幾度か転げる練習をさせられた後に、撮影作業はさっさと本番に移行してしまった。
 伊東さんがカメラの録画ボタンを押し、
「シーン56−32。宇宙港廊下、地震で転げる」
 カメラのシーンの説明を吹き込んだ後、シーン番号を書いた紙をカメラに映させ、
「……スタート!」
 元気の良い彼女の声が、図書館の廊下に響いていった。
 ボクらはその声の残響が無くなるのを確認すると、一呼吸置き、事前の練習の通りに廊下を走り出す。冒頭のセリフのシーンに繋げるため、このシーンでは走っている途中からカットが繋げられるはずだ。
 先ほどと同じく、ボクは若木さんの手を引いて走ってゆく。そして、カメラには写らない床の印の所にさしかかったボクらは、巨大な地震で体勢を崩した演技を行い、そして先の練習通りに二人して廊下に寝転ぶつもり、だったのだが……
「きゃああああ!」
「うわっ、またでかいのが来やがったー!!」
 床の印の地点に到達し、アドリブの悲鳴までは良かったのだけど、先に廊下に転がった若木さんの身体が、思いの外ボクの進路上に重なっていたのだ。これぞまさに想定外というヤツである。
 やばい、このまま何もせずに走ていれば、若木さんの身体を本気で蹴り飛ばしてしまう。全国5000万人のめがねっ子ファンに、7代先まで祟られたあげくに確実にぶち殺されちゃう!!
 ボクは慌ててブレーキを掛けるがため、床に靴底をベタ付けして、思いっきり足を踏ん張った。ボクの計算が正しければ、多少は床を滑るだろうけど、何とか転ばずに止まれるつもり、だったのだが……。しかし現実はそんなに甘くはない。まさかの想定外、再びである。
 この緊急的な急制動に、何とか耐えてくれると信じていた我が愛しの靴底ちゃん。しかしそいつはボクの期待など華憐にスルーしやがって、物の見事につるんと滑りやがったのだ。そして、何とかスピードだけは殺せた物の、踏ん張るために突っ張った足は上体を支えるほどのゆとりもなく、ボクは廊下に横たわる若木さんの豊満な身体めがけて、まるで不二子ちゃんに飛び付くルパンよろしく絶賛ダイブ中であった。
 これはやばすぎる! このまま物理の法則に身を任せて若木さんに飛び込もうものなら、以前小岩井を組み敷いた時と同じ様な惨劇が、またもや引き起こされてしまうじゃないか!
 前回の事故では、しかし下に組み敷いたのが小岩井のちっぱいだったからこそ、被害は最小限に食い止められたのだ。だが、今回の大物はひと味違う。生半可な心構えであの見事な谷間にはまり込もう物なら、ボリューム全開の柔肉に顔全体を包まれ窒息してしまうだろう。そしてそのまま悦楽の境地で昇天して、この若さにして腹上死である! うわー、それは幾らなんでも無いわー。引くわー。そんな大往生を遂げたら、確実に親が泣く。親不孝にも程があるっでもんだよ。
 だからボクは、過激すぎる第一種接近遭遇だけは避けるべく、前回同様両手を前に出し、出来るだけ彼女の身体とぶつからない様自身の体を捻り、床に倒れ込んでいったのだった。
「きゃあっ!」
 若木さんの悲鳴と共に、激しい衝撃がボクの全身を襲う。前の土の上とは違い、リノリウムの床はさすがに固かった。一瞬息が詰まり、意識が飛びそうになる。そして先に突き出した手から、強い痛みがじわじわと駆け上ってくる様だった。
「くぅ〜〜〜!!」
 ボクが苦痛にうめいていると、
「あの、大丈夫?」
 身体の下から、若木さんの暖かな体温と共に、心配そうな声が聞こえる。どうやら、ボクの上半身だけが彼女の身体に重なった様だ。
「あいてて……そっちこそケガしてない……?」
「うん、私は大丈夫だよ」
 うあー、そりゃホントに良かったあ〜〜。若木さんの身体と激しくぶつかったところはなさそうだし、これなら彼女もケガはしていないだろう。万が一こんな美人さんを傷物になんてしようものなら、本気で全国1億人のめがねっ子ファンに惨殺されちゃうよ〜〜
 さて、事故とはいえ、いつまでも女の子を下に組み敷いているのはみっちゃん曰くジェントルのすることではない。しかしながら、この身体のあちこちに触れるムチムチとした若木さんの柔らかい身体の感触は、誰もが羨むお年頃の男の子としては、かなり名残惜しい物であるのは間違いなかった。やっぱりちっこくて肉付きの薄い小岩井なんかとは、気持ちよさのレベルが全然違うよねぇ。こういうのが女子力が高いって言うのかなぁ?
 ボクは本気でもう少しこのままで覆い被さっていたかったのだけれど、しかしこのムチムチナイスバディは、若木さんの将来の彼氏の持ち物だからね。これ以上、ボクが触ってちゃいけないよ。
 ボクはさっさと起き上がるべく、若木さんの身体を避けて、床に手を突いたつもり、だったのだが……。ここに来て想定外、三度である。
 固く冷たいリノリウムの床に触れたはずのボクの手は、しかしながらそれらの予想されるべき感触とはほど遠い、やたら弾力のあるとても握り心地の良い物を掴んでいた。
「ん? 何だこれ??」
 おっかしいなぁ、床にクッションか何か敷いてあったっけ? それともボクらが知らないうちに、転んだときにケガをしないよう、誰かが緩衝材でもを敷いていてたのだろうか。
 もみもみもみもみ。
 ボクはしばしの間、その手に吸い付くような、しかも素敵で幸せすら感じる柔らかな感覚を楽しんでいた。しっかしこれ、ほんとに触り心地がいいなあ。今度売ってるところを教えて貰って、一つ買ってみようかなぁ?
 もみもみもみもみもみもみもみもみ。
「あっ、あの、や、やめてぇ……んぁっ……うんっ……あうぅっ…!」
 ところがである。
 未だ起き上がる事すらせず、ジェントルからはほど遠い態度を続けるボクに組み敷かれている若木さんが、さっきから妙に色っぽい声で喘ぐのである。
「どうしたの?」
 こんなカメラの回っている撮影中に、一体何をもだえてるんだこの子? ボクは慌てて上体を起こし、そして床に横たわったままで、時折身体をよじる若木さんを見てみれば、あろう事か彼女のそのでっかいおっぱいを鷲掴みにして、しかもそれをムニュムニュと揉んでいる手がありやがったのである。なんと羨ましい! しかもそれは、信じがたいことに自分の手だった。
「うわああああっっ!! ごごごごごめんなさいっっっっっ!!」
「ひゃう!? あ、あの、だ、大丈夫だから……」
 さっきの地震の演技の時より数段デカイ声で叫んだボクに、しかし若木さんはほほを赤らめながら、わずかに微笑んでこちらを見ていた。
 な、なんだ!? なんでここで微笑み掛けられなければならないんだ?? ふつーはビンタの5、6発喰らっても全く文句を言う筋合いはないし、とりあえず死ね!!って言われるべき所でしょう!
 これは、このとんでもねー狼藉を働いたボクが、このあと消し炭すら残らないくらいに完膚なまでにブチ殺されるってフラグなのか!?
 若木さんの意味不明な笑みに、ボクは今までの人生の中で最大級に戦慄した。
 ただでさえ若木さんのおっぱいには、以前みっちゃんがミス(?)でちょっと触れたに過ぎないのに、怒れる部長によって本気の蹴りを20発くらいぶち込まれ、問答無用でフルボッコの刑に処されたという凄惨な歴史がある。
 それに比べて今回は、絶対に不可避かつ痛ましい事故とは言え、むちむちおっぱいをがっつり掴んでしかも揉んだ! 少なくとも5回以上! いや、どう考えても10回以上だった!!
 うわあああ! 蹴り何発で済ませて貰えるよ!? むしろお尻の穴にストライクで蹴りを喰らって、BLよりも酷いコトされちゃうかも知れない! 殺される、絶対に殺される!!
 ボクが顔面を真っ青にしてあうあう言っていると、
「うぉ〜いカ〜〜ット!! いいねぇいいねぇ、二人とも実演派かぁ〜!? 最高の絵が撮れたよー!!」
 ……などと、この非常事態であるにも関わらず、女子部のカメラマンはたいそうなご満悦で、しかもヒャヒャヒャと奇っ怪な声を上げて笑っていらっしゃった。
 怖いよー! 女子達が何を考えてるんだか、考えるだけでも恐ろしいよー!!
 しかしボクも男である。誰もが羨むお年頃の男の子なのである! あのぷりんぷりんなおっぱいをじっくり揉んじゃった責任は後でしっかり取るとして(どうやって取るかはさっぱり分かんないけど)、しかしここでは話題を逸らし、何とかこの場から逃げ果せなければならないのである!!
 実にチキンであった。この期に及んで全くのヘタレであった。筆舌に尽くしがたいしょぼっぷりであった。しかしボクも赤い血が流れるまっとうな生き物である。感情をボリュームで操作出来る電脳などは入っていない。怖い物は怖いんだって、お願い、可及的速やかに分かって!
「あ、あの!! 今のシーンってもちろん撮り直しだよね!!」
 そうやって、この場の流れを映画の撮影に戻し、ボクの狼藉に対する公開処刑から何とか皆の意識を逸らせようと一種懸命頑張ったのだけれど、
「何で? 使うよ? むしろ最優先で」
 伊東さんは首をかしげ、心底不思議? といった顔でボクを見やる。
 うっそでー!! さすがにそれはヤバいって! 話題を逸らす以前の問題として、あんなの上映されたらボク、部長にフルボッコにされた上にセクハラで逮捕されちゃうじゃん!!
「部長!! 色々問題あると思うんですけど!?」
 ボクは撮影の様子をのんびり見ていた部長(ちなみに彼女は総合監督とかいう役職らしい)に直訴するも、
「……若木さんが良いと言えば使っても良いんじゃないんですか?」
 等と、しれっとした顔で言いやがって下さった。
「あ、あの、若木さんは……?」
 ボクはおそるおそる、さっきおっぱい揉んだばかりの女の子に視線を向けると、
「……あ、あの、別にわざとじゃないんだし、先に進めちゃおうよ。時間も無いし……」
 若木さんは照れていながらも、手をパタパタ振りつつニコニコ笑っている。
 そりゃあんたは被害者だから良いかも知れないけどさー、ボクこのままじゃ間違いなく”乳揉みイチジク浣腸”って酷すぎるあだ名を付けられちゃうよ??
 ボクは親友達に助けを請うべく、順番に彼らの顔を見やるも、
「テメー、差別だコノヤロウ! 俺にもいっぺんそのデカ乳揉ませろ!!」
「バカじゃないの、死ねっ!!」
 というのはわざわざ説明するまでもなく、みっちゃんと若木さんの日常的な会話であり、熊ちゃんは「ん」と一言だけで首肯し、山科さんは何かニヤニヤ笑っていて、そして小岩井は妙に怒った顔で、
「……サイテー」
とか言ってくれた。
 ……諦めよう。全てを諦めよう。
 ボクはセクハラ乳揉み男優として、一生笑いものにされる覚悟を固めたのだった。
 まぁ良いんだ。以前腕に擦りつけられた小岩井のちっぱいや、女房おねーさんの小振りなおっぱいと違って、現役JKのめっちゃメガ盛り、むっちりばいんばいんの巨乳おっぱいを鷲づかみにして、あまつさえそいつがあえぎ出すまで滅茶苦茶揉んでやったのだ。あの弾力はボクの人生の宝だ。笑い者にされるくらいなんだってんだ! 人生最高の体験だったのだ!!
 ボクは乳揉み男優の称号を甘んじて受け入れ、次のシーンの撮影にも全力で邁進したのだった。もちろん乳揉み男優の面目躍如と言ったところで、その後3回くらい不慮の事故で、若木さんのおっぱい触っちゃたんだけどね。


 凄絶な乳揉み事件から、一週間後の昼下がりである。今日は男子チームの撮影の日であった。
 シーンは先週までの撮影から巻き戻り、ボクたる学生が森の中で迷子になり、そこで森の中で一人遊んでいた薫に出くわすという所であった。
 主人公の学生は、研究室の仲間と劇の舞台となる土地で起こった山津波を研究するため、調査でその地を訪れていた。しかしいきなり視界が霧で真っ白になり、いつしか他の学生も見えなくなり、そして霧が晴れた後も仲間を見つけることが出来ず、たった一人で森の中をさまよい歩いていた……という場面である。
 ちなみに霧のシーンは、ボクだけが映る場面は先に撮り終えていた。今日は薫と出会う直前のカットからの撮影である。
 ボクは仲間からはぐれた寂しさでしょぼくれた顔をしつつ、森の中を一人歩いていく。
 ところで、今は夏休み真っ最中の昼間である。森の中はやかましいを通り越し、最早音の洪水としか思えないほどの蝉の鳴き声で溢れかえっていた。落ち葉を踏みしめる音も聞こえやしない。ちょっと前まではここまで蝉の音は激しくなかったんだけどなぁ。こりゃあ後でアフレコしないと、蝉の鳴き声で時系列がおかしくなっちゃうかも。
 ボクがそんな心配をしていると、パステルカラーのちっこい女の子が、ぴょんぴょん跳ねながらこちらに近づいてきていた。
「きょーうはな〜にして遊ぼかな〜 明日も何して遊ぼかな〜」
 本人は一生懸命やっている様だったが、ビミョーに残念なアドリブであった。もしかしてまうっちは歌のセンスは皆無か!?
 ボクが知人のポテンシャルに驚愕していると、
「あー、こんなところに人がいるー。ねーねー、どうしてこんなところにいるのー」
 いちいち首を大げさにかしげながら、ロリッ子がボクの周りをクルクル回っている。しかし、その顔はセリフとは裏腹に、ちっとも楽しそうではない。
「……カット。小岩井、申し訳ないんだが楽しそうな演技を頼む」
「……はい」
 ぶすっとした返事と共に踵を返すと、彼女はそのまま肩を怒らせ、大股で元居た場所に戻っていった。ボクらから見えるその小さい背中は、まるで怒りが噴きだす仁王様の顔の如きだった。
「全く……」
 クラスで虐められていて、いい加減辛いのは分かるけど、ここにはお前をいじめる奴なんて居ないだろうがよ……。だから部活の時間だけは、心置きなく楽しく過ごせばいいと思うのに、なんでそんなに怒り散らしたまんまなんだ。
 ボクは小岩井の抱える酷い状況にいたく同情するも、しかしその状況をあまり改善しようとせず、むしろ悪化させる様な態度をとり続ける彼女に、若干のいらだちを覚えていた。
 結局、ヤンキーが階段から突き落とされた事件は、学校の公式な見解としては、「小岩井は無罪」という事になった。理由は、彼女がヤンキーを突き落とした瞬間や階段から立ち去った姿を見た目撃者はいないし、小岩井本人が否定しているからである。しかし目撃者がいないということは、小岩井が無実であるという目撃もなされていないということを示していた。
 だからなのか、学校の生徒の大半は、小岩井がヤンキーを突き飛ばしたのだと今でも信じている。NASAのアポロ計画は偽物だったとか、既にこの星には宇宙人がたくさん住んでいるとか、そんな頭の悪い陰謀説と同じ程度の、愚にも付かない低レベルな思考だった。そんなレベルの連中と自分が同じ学校の生徒だと思うと、吐き気すら催す勢いだ。
 大体、何であんなクソヤンキーを庇う様なことを言いやがるんだ? あんなヤツ、マトモに授業も出ないし、たまに女の子いじめて泣かせてたりするし、本気でロクでもない奴じゃないか。それとも、見た目からしてか弱い小岩井が、余計に縮こまっているのを見るのが、そんなに楽しいのだろうか。クソ、下衆共めっ……!
 ボクはいつの間にか怒りに我を忘れて、その場で歯を食いしばっていた。
「おい、優樹!!」
「うぇぇ? どうしたの??」
 みっちゃんに肩を叩かれ、ようやくボクは正気を取り戻す。
「どーしたもこーしたもねーだろうがよ! さっきから呼んでんのにシカトしやがって、小岩井はさっきからスタンバッてんぞ? さっさと演技しろや乳揉み男優!」
 なんて酷いことを仰る!
「へへん、羨ましいでしょ〜」
「うっ、羨ましくなんか、ねーからな!!」
 みっちゃんはまるでツンデレッ子の様なセリフを吐きながら、元いた場所でレフ板を掲げる。
「優樹、集中しろ! じゃあシーン6−5、スタート!」
 熊ちゃんの声と共に、ボクは先ほどと同じように、しょぼくれた顔の演技をして歩き始める。やがて、タイミングを合わせてパステルカラーの小岩井が、脚本通りにぴょんぴょん跳ねながらこちらにやってきた。
「きょーうはな〜にして遊ぼかな〜♪ 明日も何して遊ぼかな〜♪」
 むぅ……。さっきよりかはなんぼかマシな状態ではあったけど、やはりとてもじゃ無いけど楽しそうな女の子には見えなかった。ボクはちらっと熊ちゃんの顔を見やるも、やはり彼も同じ様な感想を持っているのか、カメラから離れた所で溜息をついていた。しかしカットと言わないところをみると、このまま撮影は続ける様だ。まぁ、いい加減時間が無いのは事実であるし、多分このアングルだと小岩井の顔もそんなに大きく映ってないから、少々ふてくされていても問題無いでしょう。
「あー、こんなところに人がいるー! ねーねー、どうしてこんなところにいるのー?」
 本人は頑張って笑顔を作っている様な感じなのだが、イライラした顔にほっぺたがピクピク引きつっているだけで、やはりどう考えても笑顔には見えない。好意的に捉えれば、小岩井は裏表のない素直な女の子とも言えなくはないけど、しかしやっぱり演技の時は、裏の顔を持つ妖艶な大女優じゃないとねぇ。
「いやー、学校の研究で調査していたら道に迷っちゃって……。良かったら、どこか大きな道に出るまで案内をお願いしたいんだけど……」
 ボクの、そんな初対面且つ幼女に対する物としては、やや危険な領域に属するセリフに、
「えー、ここには大きな道なんて無いよ? それにもう日が暮れちゃうから、真っ暗になった危ないんだよー」
 本来の演出であれば、人恋しさを募らせていたロリッ子薫ちゃんが、ボクになんだかんだ理由を付けて、一緒に遊びたがる心情をプンプンと匂わせるところであるのだが……
「だったら、余計に早く街に戻らないと」
 脚本通りに焦った風を演じるボクに、
「だから、暗くなったら危ないって言ってるじゃない。……だからおにーちゃん、今晩は私の家に来ればいいのよ。だから一緒に来なさいよ……」
 どう考えても、お馬鹿な学生の浅慮なセリフに腹を立てた、現地の怒れるおばちゃんであった。全く薫ちゃんの面影がない。そもそもセリフ自体、脚本よりも偉くキツい言い方にアレンジ(?)されてるしー。
「えー、そんないきなり迷惑でしょ? 大体、見ず知らずの男を家に連れ込んじゃいけないんだぜー?」
「良いから来てよー、大体家にはおじいちゃんがいるから、もうどうでも良いのよ……」
 いや、そこはどうでも良くないですから小岩井さん。
 てゆーか、この薫ちゃんの機嫌はもう半端なく悪過ぎる。とてもじゃないけど、これから仲良くなって花畑できゃっきゃウフフなんてシーンに繋がる様には見えない。そもそも仲良くなりそうな雰囲気の欠片すら感じないんですけどー……。
 ボクはさすがにこれはダメだろうと判断し、
「小岩井さー、もうちょっと楽しそうに演技しないと……さすがに今のセリフだと物語が繋がらないよー」
 ボクは努めて冷静に言ったつもりなのだが、
「……悪かったわよ! 初めからやり直せば良いんでしょ!?」
 瞬間湯沸かし器は、早速最大火力でお湯を沸かし始めた。
「いや、暗くなったら危ないっていうセリフからで良い。……小岩井、ここは薫が主人公に好意を寄せ始める最初のところだから、難しいとは思うがうれしさ半分、恥ずかしさ半分っと言った感じで、とにかく笑顔を作って欲しい」
 カメラのテープを少し巻き戻し、次のシーンへどう繋ぐか確認しながら熊ちゃんが演出の指示をするも、
「そんな事分かってるわよ! 私だってちゃんやってるんだから!!」
 小岩井にしては珍しく、熊ちゃんまでにも噛みついていた。全くこの女、よっぽど元気が有り余っていると見える。
「だからー、ちゃんとやってくれてるのはもちろん分かってるから、ボクら小岩井のことを攻めてるわけじゃ無いんだし……」
 そんなボクのナイスタイミングな仲裁にも、
「分かってるわよ、どうせ私が全部悪いんでしょう!? もうそれで良いわよ! 私が悪ければそれで良いのよ!!」
 肩で息をしながら顔を真っ赤にして、ボクらに怒りをぶつける小岩井の目から、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
 あーあ、もう本気でいい加減にして欲しい。ここまであからさまに八つ当たりされると、さすがに同情心も消えちゃうよー。だいたいボクらに何かしらの落ち度があるなら文句言われるのは仕方ないとしても、そんなもんどこにも無いじゃない。そんな涙流してまでボクらに何か文句言いたいわけ? 別に無理強いしているわけじゃ無いんだし、辛ければ休もうって何度も言ってるのに、この女は自分が何を言ってるんだか理解しているんだろうか?
 さすがに堪忍袋の緒が切れかけたボクは、この目の前の身勝手な女に一言もの申そうかと口を広げたとき、
「小岩井よ、今日はもう終わりにしようぜ。実は俺、昨日の夜はゲームで徹夜してよー、いい加減眠くて死にそうなんだぜ〜〜」
 みっちゃんは、ふわうわとか何かわざとらしいあくびをしながら、この期に及んでとんでもないことを言い出しやがった。おいおい、こんなところでそんなコト言ったら、この瞬間湯沸かし器がアフターバーナーを効かして爆発しちゃうじゃないか……。
「……そんな不真面目な事言わないでよ! 貴方の勝手な理由でみんなに迷惑を掛けないで!!」
 ほらほら、ボクの的確な予想通りに、早速小岩井が喚き始めたよ。しかし徹夜で眠いと告白するのと、癇癪起こして撮影を止めてしまうのと、一体どっちがよりみんなに迷惑を掛けてることになるんだろうねぇ……?
 ボクは端でため息をつきつつ、なんと言って火力調整機能のぶっ壊れた瞬間湯沸かし器を消火するかと考え始めたのだけれど、
「すまん小岩井、実は俺もこのバカにゲームを付き合わされて、もう体もきついんだ。申し訳ないが、今日は終わりにして貰えないだろうか」
 なんと、熊ちゃんまでもが衝撃のカミングアウトである。何やってんだこの二人、壊れて火を噴き上げてる瞬間湯沸かし器に、思いっきりガソリンぶっかけてるようなもんじゃない! そんな事して一体何が楽しいの? そんなに急いで死にたいわけ? それともMか何かに目覚めたの!? もうボクどうなったって知らないよ??
「……意味わかんない! 貴方たち、本当にやる気があるの!?」
 そんな小岩井の言葉には、さすがのボクも同意する。世の中にはどんな正論だって、言って良いタイミングと言って良い内容ってのは明確にあると思うんだよ……。
「いやいや小岩井よ。俺ら男にはな、夏休みには徹夜して遊ばなければならないって本能が遺伝子に深く深く刻み込まれているんだよ。これは俺らが生きている以上、決して抗えない現実なんだぜ!?」
 ま、女共にはこのロマンは到底理解出来ないがな、とか何とか、みっちゃんは変な理屈をこねて一人格好付けているけど、そのあまりに見事なアホッぷりに、毒気を抜かれた小岩井は本気で切なそうなため息をついたのだった。
「はぁ………。もう意味わかんない。だったら、今日はもう終わりにしましょう……」
 もうホントに意味がわかんないと、小岩井はもう一度小さくつぶやいた。
「ん、すまんな。俺たちの我が儘を聞いて貰って助かる」
 なんか先ほどの言葉とは裏腹に、全然辛そうに見えない熊ちゃんは、軽快に謝りさっさと三脚を畳んでカメラを鞄にしまい始めた。その姿を見て、小岩井の真っ赤だった顔色は、すこしずつだが普通の色を取り戻してきた。
 むぅ、我が友人達は、小岩井の操縦が本当に上手くなったよなぁ。
 ボクなんか、何を言っても余計に怒らせるだけなのに、なんだかんだ言いつつ小岩井の怒りは収束の方向に向かっているようだ。けど、これってボクは相当この女に嫌われてるって事だよ?! まぁ別にそれはそれで良いんだけどさ、無視されるよりもよっぽどマシなんだけどさ、何か良くわかんないけどさ、何かとっても心が痛く感じるんだけどさ……。
 ボクが自分自身の意味不明な心の痛みに絶望すら感じていると、
「じゃ優樹よ、俺らのヒロインをちゃんと自宅までエスコートしろよな!」
「ん、任せた。では俺達はここで失礼する」
 既に帰り支度を済ませてしまったみっちゃんと熊ちゃんは、それぞれ別れの言葉を告げると、ボクらの返事も待たずにさっさと歩き始めてしまった。
「ちょっ、マジで帰るの!?」
「だから俺らは寝不足なんだよ、これから家帰って寝るのさ! だから後は任せたぜ優樹よ!」
「そういう事だ。じゃあな」
「うおーい、ちょっと待ってよー……」
 体よく小岩井を押しつけられてしまったボクは、あまりのショックにそれ以上の言葉を継げる事が出来なかった。
 ちょっと酷くなーい? まだ着火していないのならばともかく、このちびっ子瞬間湯沸かし器は、まだまだ十分に炎を噴き上げてる最中なんだよ? なんでこんなのと一緒に帰らなきゃいけないのさー。まぁそりゃ確かに家が隣同士だから、帰り道なんて寸分違わぬ同じってのは紛れもない事実なんだけど……。でもそれだけの理由で帰り道に延々炙られて消し炭になれって、そりゃいくらなんでもマゾプレイが過ぎるってもんだよー……
「……あ、あの! 明日はちゃんと一生懸命演技するから、その、明日もよろしくね!」
 親友に置いてきぼりを喰らって、絶望に打ちひしがれながら呆然と立ち尽くすボクの隣で、小岩井は去りゆく二人に声を掛けていた。みっちゃんと熊ちゃんは振り向かずに手を上げ、それを別れの挨拶とした。
 やがて彼ら後ろの姿が完全に見えなくなった頃、ボクは改めてこの場に捨て置かれ、そして怒れる小岩井と二人っきりだなんてあまりにも非人道的な状況に追い込まれた事を、痛切に実感するほか無かった。
 いや、普通なら女の子と二人っきりなんてラッキーなシチュエーション、こんな絶望では無くむしろ幸せすら感じる物だろうけどさー……。だって小岩井だよ? めっちゃ怒ってるんだよ!? 絶賛湯沸かし中なんだよ!?
 ボクは自分自身の不幸にげんなりしながら、横に居る女の顔を見てやった。
「………あぅ?」
 小岩井には何故か怪訝な顔をされたけど、あれぇ? 知らないうちにこの女、もうあんまり怒ってなさそうな??
「……あー、じゃあ、僕らも帰ろうかー」
 小岩井の心境の変化がいまいちよく理解出来ないんだけど、まぁ、再び癇癪を起こさないうちにさっさと帰った方が得策ってもんでしょう。ボクは何かわざとらしいセリフになっちゃったけど、とりあえず隣に居る女に声を掛けたのだけれど、
「……気を遣わせちゃったね。私って、本当にサイテーだよ……」
 せっかく顔色が元に戻っていた小岩井の瞳に、再び涙が溢れ出てくる。
「何でいつもこうなるのよ……」
 小岩井は何度も目を擦り、溢れ出てくる涙を払うが、次から次へと溢れ出る涙はやがて彼女の目からこぼれ落ち、ほほを伝って流れ落ちる。そしていつしか嗚咽も漏れ始め、ついに彼女はその場で泣き出してしまった。
 うっわー、わけわかんねー! 何だ何だ、こいついきなり泣き始めたぞ!?
 ”女心と秋の空”とか、昔の人は上手いこと言ったつもりだろうけどさ、今の世の中天気予報はワリとしっかり当たるもんで、例え秋空がころころ変わろうとも、こっちはそれなりに対処が出来るってもんだよ。しかし問題は女心の方である。というか、正確に言い表すなら、小岩井の疳の虫の居所って奴だ。残念ながら、現人類の英知を全て結集しても、この女の疳の虫の居所を正確に予測するのは不可能である。だからこいつのしでかす意味不明の行動に、的確な対処なんて出来やしないんだよ……。
 だいたいさぁ、ボクは普段からこいつが一体何を考えてるんだか、もうさっぱり理解出来ないんだよねー。例えが良くないかも知れないけど、昨日の10年後に会ったジャガ子の方が、よっぽど考えていることがわかりやすかったよ。あいつはちゃんと自分から色々話してくれたしね。
 所詮他人の気持ちを分かるなんてのは、無責任な綺麗事なんだから、何かしらこちらに含む物があるのならば、口に出してしっかり説明して欲しい。改善できるところがあるなら、その相談に乗るのはやぶさかでは無いしね。今のまんまじゃ、直せる物だって直せないじゃ無いか。
 ……などと、隣の女の泣き声にイライラさせられたボクが一人愚痴を垂れていても、小岩井の顔に笑顔が戻るどころか、機嫌が良くなるわけではもちろん無い。それになぜだか知らないけど、小岩井の泣き声を聞いていると、居たたまれなさが炸裂して、本気で頭が狂いそうになる。なんだこいつ、泣き声に変な電波でも混ぜてやがるのか? ボクのSAN値(正気度)がガリガリ削れて、このままだとあっという間に狂気に侵されてしまうじゃ無いか。
 そして先ほどの言葉の通り、小岩井の放出するおかしな電波にやられたボクは、あっという間に精神の限界に達していた。つまりはSAN値がゼロになって、狂気に陥ったって事だねぇ。何かもう、このままいきり立つ衝動に任せて、とんでもないことをしちゃっても全然平気な気がしてきた。幸い周りには人など居ないし、ここでボクが小岩井をどうこうしちゃても、この女の口さえふさいでしまえば全然問題無いんだよね!
 万が一、その場にもう一人の冷静なボクが居たのなら、そこで頭のおかしくなってるボクの後頭部を、ジャンプの角がまん丸になるまでしこたま殴りつけていただろう。けど、例え後から思い出してみたとしても、このときのボクはどんなに頑張ってもこれが精一杯だっただろうという、おかしな確信もあったりはするのだ。
 さて、ボクはとにかくこの女を黙らせたい。気に障る泣き声をもう聞きたくない。こいつの泣き顔なんて、死んでも見たくない。
 その一心だけで、次の瞬間、脳みその大切な安全装置がぶっ壊れた思春期真っ盛りの男の子は、本能の赴くままに身体を動かしていたのだった。
 肩をふるわせてしゃくり上げる小岩井の、顔を押さえる両手をつかみ、それを顔から引き剥がす。
 そして、びっくりしたような顔でこちらを見上げる彼女の身体を引き寄せ、ボクはそのまま小岩井をぎゅっと抱きしめたのだった。
「ひゃう!? あう、あうー!?」
 小岩井は涙声のまま、あうあう変な雄叫びを上げているけど、ボクはそんな物に構わず強く抱きしめ、ついでに思いっきり頭を撫でくり回してやった。
 まったくもってワケが分からん。ボクは何でこんな事をしてるんだ? ボクみたいな大嫌いな奴に抱きつかれた小岩井はボク以上に混乱しているだろうけど、しかし彼女はボクの背中に手を回すと、先ほど以上に大声を上げて泣き始めたのだった。やはり、どう考えても拒絶の叫び声だよねぇ。ぶっちゃけレイプされてるのと気分は変わらないっしょ。
 わんわん泣き続けるちっこい小岩井の身体が、ボクの腕の中で激しく震えている。彼女の泣き声と共にはき出される熱い吐息がボクの胸に当たり、一層ボクの中のイライラを強くしてゆく。そしてボクは、そのイライラに呼応するように、感情に任せるように、より一層小岩井を強く抱きしめたのだった。
 それから一体何分が過ぎたのだろうか。時間感覚が完全に吹っ飛んだボクには、この愚行が一体どのくらいの時間敢行されたのかさっぱり分からないのだけれど、ようやく小岩井の嗚咽も収まってきて、やがてボクの胸の中で鼻をすんすんいわしていた。
「……もうだいじょうぶ……」
 小岩井の小さな声が聞こえたので、ボクは今更ながらのやっちまった感満載の後悔と共に、彼女の身体をゆっくりと解き放ってやった。
「……あの、その、これは若気の至りというか、勢いに任せてしまったというか、もう我慢出来なかったというか、気がついたらやっちゃったというか、とりあえず悪意だけは無かったというか……」
 ボクはまるで、一方的に発情して同意を得ぬまま女の子を手込めにしてしまったが如きバカタレの口上をごにょごにょと垂れ流していたのだけど、まぁ事実としてレイプされたとかいわれても決して抗弁出来ないよなぁ、こりゃあどう考えても……。
 ついに誰もが羨むお年頃の男の子は、お年頃らしく性欲が暴走し、下半身に制御を奪われたまま同級生の女の子に手を出してしまいました。ああ、ボクの人生もここまでか。両親よ、バカな息子で本当に申し訳ありませんでした。せめて今からでももう一度励んで、有用な息子なり娘なりを今一度生育して下さい。
 ボクはなんだかすっきりした気持ちで、小岩井に警察に突き出される覚悟を決めていたのだけれど、
「……あの、ありがとう」
 何故か、さっき襲った女の子にお礼を言われた。なんたること? 本気で意味が分からん!
 小岩井は目をゴシゴシこすって、残っていた涙を全て振り払った。そしてよりボクを混乱に陥れるように、まだ腫れぼったいその顔に、うっすらと笑顔を浮かべてこちらを見ていたのだ。
 うわあ、いきなり笑いかけられたよ!? ますます持って意味不明だ!! ボクはもう反射的に身構えていた。そしてその間にも、17年というまだまだ未熟な期間ではあるけれど、ボクにとってはかけがえのない人生の経験からこの不可思議な状況の解を得るべく、人生始まって以来の高回転を自らの脳に課していたのだ。
 小岩井に思いっきりセクハラ的行為を働いて、しかも笑いかけられるその理由とは……! なるほど、ボクの心にティンと来た。つまりこういうことだよ、きっとこの女、今回のボクの愚行をネタに使って、一生ボクのことを脅迫するつもりなんだ。だから悲鳴を上げて助けを呼んだり、すぐに逃げて警察に駆け込んだりせずに、こうしてキョドっているカモの馬鹿面を見てせせら笑っていやがるのだ。
 小岩井、恐ろしい子!!
 うっわー、いくらなんでもそれはないわー。何さボク、これから一生この女に搾取され続けるわけ? 嫌がる女を無理矢理ぎゅっとしただけなのに、その代償はあまりにも大きすぎるものだった。どうせならもう、ここで少しでも元を取るため、せめてこいつの小さいおっぱいをシャツの上からツンツン突っついてやろうか。ヘタに揉んでやるよりも、よっぽど屈辱的でいいかも知れない。今更少しくらい罪を重ねたところで、もうボクの転落人生がこれ以上回復すること何て、全くありはしないもんねー!
 半ばやけっぱちになったボクは、小岩井が羽織っているピンク色のジャケットをはぎ取るために手を伸ばそうとしたのだけれど、
「……あの、本当にありがとう」
 そう言って、小岩井は伸ばしたボクの手をぎゅっと握った。
 このちっこい女の子の華奢な姿を体現する様な、小さくて柔らかくて温かな手が、ボクの劣情でこわばった手から変な力を奪い去っていく。
 より混乱の極みに達したボクが呆然と小岩井の顔を見ていると、
「いつも酷いことばかり言ってるのに……一条君は優しいね」
 再び涙声になった小岩井は、そのままボクの手を自らの胸に寄せ、そのまま優しく抱いたのだった。
 ボクの手には、小岩井の二つの柔らかみがうっすらと感じられる。
 なんてコトだ、こっちからおっぱい触ってやるつもりだったのに、この女自らがっつり触らせてきやがったよー! うわああああ、こりゃもう確実にボクはカモ決定じゃん。これからずっと「あのとき私のおっぱい触った事をチクってやる」って言われて、ノートとか消しゴムとか学食の昼ご飯をせびられ続けるんだよ!? どんだけ鬱過ぎる青春だ……。
 一般的に、女の子は男と比べて成長が早いと言うけど、全くその通りだったね。ボクみたいなバカチンの考える浅はかな事は、このちっこい女は全てお見通しって事だよ。気がついたときには、全て先回りされて、退路を完全に塞がれてしまっているのだ。
 ……諦めよう。全てを諦めよう。
 ボクはセクハラ性犯罪野郎として、一生搾取され続ける覚悟を固めたのだった。
 まぁ良いんだ。ロリで高スペックな女房おねーさんとは結婚できなくなったけど、同じ感じにちっこい女に付きまとわれるのも似た様な人生だ。あまりにも幸せ度が違いすぎる気もしなくは無いけど、やがてダンプに轢かれて人生終わってみれば、大して違いは無いように思えるでしょう……。
 いろいろな意味ですっきりしてしまったボクは、とりあえずさっさと家に帰ってふて寝しようかと思った。どうせ我が親友二人も今頃は布団の中でイイ夢を見ているのでしょうし、ボクだって夢の世界くらいでは基本的人権は尊重されると信じたい。
「じゃあ、もう帰ろうかー。もうボクの至近距離なんか歩きたくないってのなら、先に走って視界から消え失せるけど〜」
 あんな事をやっちまった以上、今更一緒に帰るなんてあり得ないだろうし、ボクは一応ジェントルを気取って気を遣ったはずなのに、
「あぅ? そ、そんな事無い! あの……一条君が嫌じゃなかったら……その……一緒に、帰ろ?」
 ……なんて、普通の状態で普通の女の子に言われたのならば天にも昇るべきステキなセリフを、一番聞きたくないタイミングで一番言われたくない女に吐かれたのだった。
 あまりにもむごい!
 青春も真っ盛り、誰もが羨むお年頃の男の子が、そんな恫喝じみたセリフを同級生の女の子から垂れられるなど、超絶不幸の極み! 一体どんだけ笑える人生なんだと。てゆーかこれはアレだよ、「テメーみたいなカモは簡単に逃がすかボケェ!!」って事だよ? 早速ボクをシメて、一体何をやらせようというのか。まさに絶望の極み、人生詰んじゃったという奴である。
「……お手柔らかに頼みます……。」
 チキンでヘタレでしょぼしょぼなボクは、涙を流しながらそう言うのが精一杯だった。
「あぅ?」
 なんか小岩井は首をかしげて頭の上にハテナを一つ浮かべているけど、「今更なに後悔してんだよ超ウケるんですけどwww」ってところかなぁ。たぶん帰宅の道すがら、これからのこの女にボクの奴隷としての生き方って奴を、くどくどと説明されるんだろうねぇ。
 まぁ、これも自らが作り出してしまった結果であるので、謹んで受け入れるしか無い。
 ボクは小岩井に方に向き直り、まずは奴隷として何をすれば良いのか聞こうとしたのだけれど、
「あぅぅ!? ご、ごめんなさい!!」
 何か、ボクを脅迫する女がいきなり謝ってきた。何だ? とりあえず奴隷としての謝り方ってのを実演しているのか?
「あの、その、さっき一条君に抱きついちゃったとき、その、一条君の服を汚しちゃった……」
「はぁ?」
 別に服なんて少しくらい汚したって良いけどさ……
「あぅぅ、落ちるかなぁ、これ……」
 小岩井は顔を真っ赤にしながら、ボクの右胸のあたりを指さしていた。そこは、さっき小岩井をぎゅっとやっちゃったとき、彼女の顔が当たったあたりだったのだけれど。
「……うわあ!?」
 勘の良い読者の皆様ならうすうす気がついているだろうけど、そこには小岩井の涙とか口から出た何かとか鼻から出た何か(敢えてよだれとか鼻水とか言いません。相手は女子なので)が思うさま、もうべっとりべちゃべちゃにくっついていたのだ。
 うげげっ、こりゃひでえ!! いくらなんでもこりゃねーよホントに! こいつもしかしてボクの知らないうちに思いっきり鼻でも噛みやがったのか!?
「あぅぅぅぅ〜〜〜!! もうやだあ〜〜〜!!」
 小岩井はそう言って、またわんわん泣き出したのだった。
 もちろんこの女を再び黙らすのに、もう一度ぎゅっとやったことは想像に難くない。今更罪を重ねても、ボクの鼻水まみれの人生は綺麗にならないのさ。ちなみに右胸に顔を押しつけるのはいくらなんでも可哀想なので、今度は左胸で抱いてやったんだけどね。

「ホントにごめんなさい、両方汚しちゃった……」
 結局左胸も同じ位にべちゃべちゃにしやがったこの女は、鼻をすんすん言わせながらまた謝ってきた。
「もういいよ〜〜。そこの公園で洗えば何とかなると思うから〜」
 ボクらは連れだって公園に設置された水飲み場に行き、そこで見るも無惨に体液まみれにされたTシャツを脱いだ。
「あっ、あぅぅ〜〜」
 ちなみに今は夏の盛りであるので、もちろんTシャツを脱いだボクは上半身裸である。まぁ人に見せるほど体を鍛えているわけじゃ無いし、筋肉もマトモに付いていない貧相なもんであるけど、なんか小岩井は顔を赤くしてボクから目をそらしていた。
 そんな恥ずかしがる様なもんじゃ無いでしょうがねぇ? ちなみにボクらの学校では、プールの時間はおめでたいことに男女混合である。だから女子達は男の上半身なんか見慣れてるはずなのにねぇ? 変なの。
 ま、どうせボクみたいな死ぬほど嫌いな男子の裸なんて死んでも見たくないってあたりが本当の理由でしょうし、これ以上セクハラの罪を重ねてると昼飯代を搾取されるどころじゃ済まなくなりそうなので、さっさと服を洗って着てしまいましょう。この気温だから、10分もしないうちにすっかり乾いちゃうだろうしね。
 ボクが脱いだシャツを蛇口からでる水で濡らしていると、
「あうぅ、あの、私が洗ってあげるから!」
 小岩井はそう言って、半ば奪いとるようにボクのシャツを取り上げた。
 はい、初・搾取♪ 頂きました〜〜!
 今日は裸のままで帰れって事かなぁ……。いきなり廃なプレイを要求しやがって下さる。このまうという女は、中々に侮りがたいところがあるね!
 ボクがそんな頭の悪い思考を延々垂れ流している間にも、小岩井はコシコシとボクのシャツを洗ってくれていた。そういえば、エヴァのシンジ君はぞうきんを絞っているレイを見ておかーさんを連想していたけど、今のボクの場合はどうなんだろうなぁ? ウチの母親なんて、洗濯って言っても洗濯機に洗濯物をぶち込んでボタン一回押して終わりだもんね。後は洗濯から乾燥まで全部機械がやってくれるので、母親はホコホコになって出てきた洗濯物を畳むだけなのだ。むー、ボクに限っては、あうあう言いながらシャツをもみくちゃにしている小岩井の姿に母性を感じることは無いよなぁ?
 やがてあらかた自分の鼻水を流し終わったのか、微妙に晴れ晴れとした顔の小岩井は、シャツをぎゅっと絞ると良くマンガの中の母親がやっているように、シャツを勢いよく広げたのだった。
 パン!という軽快な音が辺りに響き、洗い終わったシャツが夏の風に揺られている。
「ごめんなさい、でも一応落ちたみたいだから……でも、乾くまでちょっと時間が掛かるよね。……私の服とか小さくて入らないだろうし、どうしよう……?」
 確かに小岩井のピンクのジャケットを借りても、さすがに入らないだろうし……
「いやー、着てればそのうち乾くと思うから、もう着ちゃうよー」
 それにいい加減服を着ないと、夏の強烈な日差しで肌がチリチリ焼けるってのもあるしね。ボクは心配そうな顔をしている小岩井からシャツを受け取ると、まだ濡れたままなので極めて着にくいシャツに、なんとかしながら袖を通したのだった。
「むぅ、これは案外涼しくて良いかも?」
 もちろんじっとりと濡れているので肌触りは最悪ではあるのだけれど、水分が蒸発するときの吸熱によりほんの少しだけ涼しさを感じることが出来る。
「んじゃ、帰ろうか〜〜」
 よしよし、これでようやく帰れるってもんだ。もうこれ以上何かあったらめんどくさいから、さっさと家に向かって歩き始めよう。
 そんなボクの気の急き方とは対照的に、小岩井はなんだかぼんやりとボクの顔を見ているだけだった。んもう、人が急いでるっていうのに、ぼーっとしてないで早く帰ろうよー!
 ボクは小岩井の手を握ると、スタスタと家に向かって歩き始めたのだった。
「ほら、帰るよー」
「あっ、あっ、あうぅ〜〜〜!?」
 うるさいなぁ。こいつは何かある度にあうあう言うけど、これはもはや自動的なのか?
 しばらくの後、なんか後ろでじたばたしていた感じの小岩井だったけど、やがて諦めてくれたのだろうか、そのうちボクと歩調を合わせて歩き始めたのだった。そもそもボクだって、このちっこい女の足の長さを考慮してゆっくり目に歩くくらいの心遣いはわきまえているのだ。だから歩幅の違いで置いてきぼりを喰らうなどと非難されるのは、まったくもってお門違いという奴である。
 だいたい背ェの高さや足の長さが違うとかって、今更そんなのどうこう言っても仕方ないよねー。お互いの成長度合いの差異なんて、ボクの責任範疇外って奴だよ。そういえば、小岩井はボクが何か言う度に「私のJS並みのちっぱいをバカにするなー」だの「背ェが低いっていちいちディスんなコラァー」だのと喚いてるけど、そもそもボクは小岩井のおっぱいの大きさを批判してるつもりなぞ全然無いのにねぇ? 前から何度も言ってるじゃん、形が良ければ大きさなんてほどほどで良いんだよーって。あ、でももしかして、こいつのおっぱいってその”ほどほど”すら無いのか!? でも以前にすっころんで顔を押しつけちゃった時の記憶が確かならば、手で揉めるくらいの容積はあると思ったんだけどなぁ? まだちゃんと見たこと無いからわかんないけどさ。まぁあれだよ、いちいちちっぱいちっぱい自らカミングアウトしなくても、とりあえずは揉める程度はあるんだろうから無問題なんだって。そもそもあーた、同じピチピチのJKだからって、あの若木さんのメガ盛りおっぱいとかと比べちゃあダメだよぅ。アレは国宝級の逸品なんだから。あんな物を、普通の人間が二つも持つのは、おこがましいって奴だよー
「大丈夫だって、小岩井は十分イケイケのJKだから、安心しなよ〜」
「あぅ????」
 なんだこいつ、人がせっかく慰めてやってるのに怪訝な顔しやがったぞ? まぁいいや。いちいちここで”貴様のおっぱいは大丈夫だ、問題無い”とか言ってやっても喜びやしないだろうし、それ以前に軽くセクハラだっつーの。まぁ、今更セクハラなんてどうでも良いような気がするけどさ……
「……あの、一条君は……こんな私の何処がイケイケだと思う?」
 ボクが小岩井に対するセクハラ障壁を下げている中、彼女はボクの方も向かずにそんなことを聞いてきた。何だ何だ? 何かまたややこしいこと言い出したぞ?
「イヤー……」
 ここで”だからオマエのおっぱいがイイ!”などとはっきり言えるならばボクも相当な漢だと思えるのだけれど、残念ながらこの期に及んでヘタレでチキンでなおかつしょぼしょぼなボクには、そんなカッコイイセリフを堂々と吐ける度胸などあるわけも無く、
「えーと、とりあえず一生懸命で、いつも頑張ってて、可愛いところ?」
 などと、極めてケーハクかつ当たり障りの無い返事をしておいた。
「……一条君は良く私のこと可愛いって言ってくれるけど、私なんか全然可愛くないよ……」
 小岩井は、再びうつむいてしまった。
「そんな事無いってー。小岩井の何処が可愛くないってのさー」
 ボクのママンなんかに比べたら、十分可愛いって! 若さ最高、それだけは命をかけて保証出来る!!
 ボクは心の中で元気よく宣言していたのだけれど、さて、そろそろ言葉の節々にチャラ男が顔を覗かせてきたぞ!? 嫌だなぁ、このまま黙ってたいなぁ。ビデオの中で見たようなケーハクなチャラ男は、それこそビデオテープの中だけに居れば良いんだよー……。
「……何処がって、全部に決まってるじゃない……。性格も悪いし、みんなを困らせてばかりだし、いつもいつも人に八つ当たりしてばっかりだし……。ピアノもロクに弾けない、ダメな人間じゃない……」
 そう独白する小岩井に声に、再び震えが混じってくる。いつしか彼女の呼吸に、すんすんという鼻をすする音も混じる。
 あーあ、せっかく泣き止んだと思ったら、またもや飽きずに泣き出しやがった。
 せっかく人が服を鼻水まみれにさせてやったのに、本当に懲りない奴だね、こいつ。
 ボクは握っていた手を自分の方に引っ張り、再び彼女を抱き寄せた。
「だから、そんな事で小岩井の良さは全然減らないって! ボクが全部分かってるんだから、余計なことは考えなくて良いの!」
 しかし、この期に及んで「でも〜〜」とか宣う小岩井の頭をグリグリ撫でくり回しながら、ボクは続ける。
「他の奴が何か変な事言ってても、ほっときゃ良いんだよ〜。それともボクが、小岩井は今のままでいいって言ってんのに、何かボクの生き様を否定するところでもあるのー!?」
 そんな、何勘違いしてんだコイツ上から目線で語ってんじゃねーよバカじゃねマジ引くわーwwwなどと普通の人に100回くらい突っ込まれてもおかしくない様なお馬鹿なセリフを冗談半分で吐いてみたのだけれど、もちろんこのセリフに対する返答には「オマエの全てを否定してやる! 頭の先から尻の毛まで修正してやる!!」位を返すのが模範的お約束ってやつなのだ。さあ、どう出るまうっち、お前の本気を見せてみろ!
「あうぅ〜……卑怯だよ、そんな事言うの……」
 むぅ? 何かつかみ所の無い返事をされたよ? どういう意味だ? 卑怯だと?? この女、とりあえずボクのことをディスっていやがるのか?
「卑怯も何も、小岩井だって似た様なモンじゃん!」
 さすがにカチンときたボクは、彼女の頭をペチペチ叩きながら言い返してやった。
「あうぅ?? どういうこと?」
「いつも一人で腹立てて、そんで癇癪起こして泣いててさ、ちっとも意味がわかんない! 今まで部活の連中が、お前のことディスったりしたことあるの!?」
 なんかもう、ボクはまた一人で熱くなっていた。とにかくこの女の我が儘に頭来たので、セクハラついでにめいっぱい怒鳴りつけてやったのだ。
「あぅぅ、あの、そんな事無いけど……」
 ボクの胸の中で、震える声の小岩井があうあう言っているけど、そんな程度で甘やかしてると、こいつは際限なくつけ上がるのだ。だからボクは心を鬼にして、びしっと言ってやることにした。
「お前は何も分かっちゃいないんだよー!! 部活の連中はお前のことを虐めたりなんか絶対しないし、ボクだって同じだ! だから部活の時はボクたちに甘えていいんだよ! 部活ってそういうもんでしょ!? それに、例え小岩井が学校の連中全員を敵に回しても、ボクだけは絶対お前の味方になってやるから! いつも一緒に居てやるから!! これからも、ずっとだから!!」
 ボクは、自分が自分で何を言ってるんだかよく分からなくなっていた。とりあえず、部活には小岩井のことをディスる奴は居ないから、癇癪起こすなベイベーって事を言いたかったんだけど……まぁ、伝わったよね?
 しかし、いや、やっぱりというか、ボクのいわんとすることなどこの女にはさっぱり伝わらなかったらしく、
「うえええええ〜〜〜!」
 と、小岩井はまた大声を上げて泣き出しやがった。うっわー、本気でウゼーこの女! なになに!? そんなにボクに怒鳴りつけられたのがムカついたのか?
 ボクは仕方ないので、もう半ばやけっぱちになりながら、小岩井をぎゅっと抱きしめ頭をグリグリ撫でくり回してやった。するとこの女、極めて腹立たしいことに、ビービー泣きながらボクの胸にめいっぱい顔をこすりつけてきやがる。それに人の背中に爪立てるくらいに強く服を握るもんで、本気で背中が痛いじゃないか! コノヤロウ、またボクの服を鼻水だらけにするつもりか? とんでもねー女だ、まさに転んでもただじゃ起きないって奴だね!!
 やれやれと、知人の恥も外聞も無いマジ泣きを見せつけられ、ボクはなんだか冷めてしまった。果たしていつになったら帰れるのやらと、改めて周りの風景を眺めていると、なにやら通行人の方々が、ボクらの方を生暖かい視線で見ていらっしゃる。
 げげっ、よくよく考えてみれば、ここは天下の往来じゃないか。道の真ん中で、バカな男子が女の子をマジ泣きさせている、最高に最悪な絵面であった。しかも本気で残念な事に、そのバカな男子はボクだった。
 超あり得ないんですけどー!!
 何でこんな事になっちゃったんだろう!? そんなにボク、悪い事した!? こんな名状しがたき状況に追い込まれたボクは、懸命に自らの過去の所行と悪行値をあれこれ考えてみるも、うむ、確かにこの報いを受けるだけの悪行は十二分にやらかしたよな……。だいたい、こうやって恋人でも何でも無い女子を抱きしめている時点で、強姦に値するべき愚行なんだよぅ……。
 諦めよう。色々諦めよう。
 たぶん、このマジ泣きでボクに大恥書かせる行為も、この女の搾取の一環なんだ。そうだ、ボクはこいつに男としての大切な尊厳を搾取されたのだ。
 小岩井、とっても恐ろしい子!!
 既に男としての尊厳を失ったボクは、通行人の方々にどんな視線を投げかけられようと恥ずかしがる権利は無くなっているのだ。だから、この女が飽きるまで延々泣かせてやろうと、しばらくの間ずっと小岩井を抱きしめていた。

 やがて、
「……もうだいじょうぶ〜……」
 などと、鼻水とよだれでべちょべちょになったばっちい女(もう今更女子とか言ってやんねー)が顔を上げ、ちっとも大丈夫に見えない顔でどこかで聞いたことあるセリフをもう一度宣った。
「ごめんね、また服汚しちゃった……」
「今更いいよ〜、もうどうだって〜〜」
「あうぅ、本気でごめんなさい……うぅぅ〜」
 だからもういいって! ボクは小岩井の頭をペチンと叩いた。
「あぅ〜〜 いたい〜〜」
 当たり前だ。てゆーか、自分の服に思いっきり体液をぶっかけられた、男の子の心の痛みがお前には分かるのか!
「ごめんね、もう一度公園に行こうよ……」
「へいへい……」
 もう好きにしやがってください。
 ボクは再び小岩井の手を引いて、公園の水飲み場に行ったのだった。
「……私は本当に進歩が無いね……」
 小岩井は、ボクの服を流水に当ててもみくちゃにしながらそうつぶやいた。
「同じ失敗ばかりしてる。学習能力が無いのかな……」
 いい加減泣き疲れて涙も涸れて良い頃だろうが、まだこいつの目には涙が浮かんできていた。
「確かに同じ失敗ばかりする奴は単なるバカタレだろうけど、一歩ずつでも進んでりゃいいんじゃないのー? 小岩井はちゃんと一歩ずつ進んでいるよー」
 またこいつが泣き出すとめんどくさいので、ボクは適当なことをまくし立てていた。
「そんな事無いよ……」
「無理に自信持てとか言わないけど、人の言うことは素直に聞くくらいの態度を身につけてもいいんじゃ無いの?」
 うわあ、今のはさすがにひどくね? 果たしてボクは、こんなセリフを人に言うだけの価値があるのでしょうか……。
「……ごめんなさい。そうだよね、一条君の事をないがしろにするのと一緒だよね」
 ん? またなんか変なコト言い出したぞ? ボクをないがしろにするだ? この期に及んでこの女、またボクをディスっていやがるのか??
 しかし、ここで先ほどの如くバカタレー!と怒鳴りつけても、またこいつはビービー泣くだけであろうし、ボクもいい加減大人だ、ここは知人の不心得を敢えてスルーしてやる位の、心のゆとりって奴を見せてやっても良いでしょう。
 だいたい、ボクもたまに忘れかけるんだけど、この女ボクのことが大っ嫌いなので、口を開く度にボクに文句言うのは当然のことなのだ。そういう必然的なことに関して、ボクはいちいち不平不満を言ったりしない。ボクだって嫌いな奴の悪口くらいは言うのだ。だから、ボクのことを嫌いな小岩井が、ボクの悪口を言うことに関して否定は出来ないのだ。もちろん無視されるよりもよっぽどマシだよね。さすがにシカトとかされたらボクも傷つくだろうけど、文句言われるって事は一応存在くらいは認めて貰えてるって事だから。うん、まぁ同じ部活に所属する友としては、中々に緊張感のある良い関係なのだろう。
 やがて、何かやたらとデジャヴを感じる様に小岩井が服をパン!と広げているので、もはやその辺のティッシュよりもよっぽど多くの鼻水をなすりつけられたであろうTシャツを受け取り、またそれをやっとの思いで着込んだのだった。
「じゃあ、今度こそ帰るよ〜〜」
 ボクは小岩井の手を握ると、この女が変なことを言い出して勝手に泣き出す前に、すたこらさっさと歩き始めた。
「あぅぅ〜〜」
 小岩井が自動的にあうあう言っているが、そんなの無視無視。その短い足に歩幅はちゃんと合わせてやってるんだから、キリキリ付いてこいと言うのだ。まぁ、別に小岩井は足だけが短いわけでは無いのだけれどね。単に全体的に小さいだけなので、そこは勘違いしてはいけない。全体的なプロポーションは、まぁとくに胸部の肉付きが薄いくらいで、おしりの線とかは中々良いのだ。
「小岩井はイケイケのJKなんだから、色気も大丈夫だって」
「あぅぅ、その、ありがとう……?」
 そこは疑問形で無くてイイから。
 ボクらはその後、しばらく無言で歩いていたのだけれど、やがて沈黙に耐えられなくなったのであろうか、小岩井の方からぽつりぽつりと、雑談を振ってくるようになった。曰く、今まで彼女は居たのかとか、誰かとおつきあいしたことあるのかとか。
 ……なんか雑談的な話題じゃ無いような気もするけど、しかしボクは特定の女子と緊密な関係になったことなど無いからねぇ? だから「別にー」とか「全然ー」とか、そんな返事しか出来ないので、まぁ雑談って事でいいでしょう。
「……そうなんだ、何か意外」
 何だとぅ? つまりはこのボクが、そんなに女の子慣れしてるとでも言いたいのか? 全くあり得ない! そもそもボクの実力など、女の子とどんな口を訊いていいんだかさっぱり分かんない程度だというのに!
 つまりこれはアレだよ、ボクはよっぽどケーハクなチャラ男に見えてるって事だよ!?
 極めて最悪な事態である!!
 別に今更硬派を気取るつもりなど毛頭無いし、そりゃ可愛い女の子とおつきあいできるってんなら、もちろんこっちからお願いしたいくらいだけど、しかしだからといって、ケーハクに見えるってのは絶対嫌だよぉ〜〜〜! ボクはみっちゃんとは違うんだー!
「……私は、昔、好きだった人は居たの。……でも、それって私の勘違いで、単に遊ばれてただけだったのね……」
 小岩井はうつむきながら、独白を続ける。
「……もう人を好きにならないって決めたのに……でも、私って意志が弱いみたい」
 むー? 何かこいつ、いきなり重たい話をし始めたぞ? てゆーか、ボク相手に恋バナとかマジやめて欲しい。受けきれないって、ボクにはそんなスキルは無いんだから。それにこの話の意味するところによると、こいつ実は失恋したばっかりだってのに、もうどこか別の男を好きになったとかほざいてるわけだよ? うっわー、マジっすか! まうっち結構尻軽なわけ? それとも今流行のビッチって奴??
 ボクは小岩井の意外性にびっくりしながら、それと同時に偉い寒気に襲われ、しかも胃の辺りがすごいキリキリ痛み出したのだった。む〜、これって何でだろうなぁ? やば、もしかして風邪をひいたか? 確かにこんな何度も濡れた服を着てれば、風邪ぐらいひくだろうけどさ。こりゃ、本気で今回はさっさと家に帰らなきゃ。余計に酷くなっちゃう!
「まぁ、人を好きになるってのは決して悪い事じゃ無いんだしさ、ヘタに過去にこだわって未来の幸せを潰すのはばかばかしいと思うよー?」
 ボクは当たり障りの無い、極めてどうでもいい返事をしておいた。
「うん……でも、やっぱり怖いよ……。同じ事をまたされたら、私きっと二度と立ち直れない……」
 何かよっぽど、こっぴどいフラレ方でもされたのかねぇ? まぁこいつの事だから、前の彼氏がちょっと何か失敗したくらいで「意味がわかんない!!」だの「真面目にやってよバカ!!だの「ふざけてんじゃ無いわよこのクズ!」だの、散々酷い悪口言いまくったんだろうねー。そりゃ普通にフラレるって。無理ないって。「つーかテメーなんて女の範疇外だ、裸になってもちっとも色気なんてねーからな!」位の事は言われるって。
「そだねー、同じ事をされないためには、小岩井も相手に同じ事をしなきゃいいって事だと思うんだけどねぇ?」
「あう? それって、もう人を好きになっちゃダメって事!?」
 いやいや小岩井さん、そんないきなりがっついてこられても。
「違うって。前のおつきあいしてたときに、色々失敗したとか、勘違いしたとか、今から思えばあったでしょー? そういうのを、今回の反省点にしろって言ってんのー。てゆーか、ボクはおつきあいとかしたこと無いんだから、恋バナとかよくわかんないよー」
「あうぅ、その、ごめんなさい……。あの、だから、その……えと、いまって、一条君フリーなんだよね?」
「そんな事を、男の子に何度も聞くなベイベー」
「あうぅ、ごめんなさい……」
 そう謝る小岩井は、なんだかニヤニヤ笑っていやがった。全く失礼な奴だ、そんなにボクが女の子にモテないのが嬉しいのか。キー! むかつくむかつく〜〜!! そんなだから、てめーは男にフラレちゃうんだよ!
 ボクはなんだか頭にきたので、とりあえず小岩井の頭をペチンと叩いておいた。
「あうぅ、いたい〜」
 まぁ、なんかこいつ好きな男が居るって言うし、そのうちこいつはその男の持ち物になるんだろうから、ここでボクが頭をポコポコ叩いて傷物にするのは良くないよねー。これからは、こいつとはあまり馴れ合わないようにしなきゃなぁ……。
 ボクはよりキリキリ痛む胃を撫でながら、小岩井の手を引っ張りつつ我らがボロマンション目指して歩いて行った。


「おかえり、ゆーちゃん。……まぁ、仲がいいのねー!」
「あ、あの、こんにちは!」
 ボクらがボロマンションに着いた時、極めて遺憾ながら、エントランス付近でちょうど買い物帰りであろうボクの母親に出くわしてしまったのだ。慌てて小岩井が挨拶なんかしているが、無視していいんだよ、無視で。
 まったく、いちいちウザいことを言って来る未熟者である。たまたま近所に住んでる部員と、帰り道が同じになっただけじゃ無いか! 女の子が半径2メートル以内に居るからって、下衆な勘ぐりはやめて貰いたく!
「別に仲がいいとか無いしー」
 ボクはそっぽを向きながら、そう母親に言ってやったのだが、
「何言ってんのこの子は! だったらなんで仲良く手を繋いでるのよ! 全く恥ずかしがっちゃって、堂々としてればいいじゃ無いの〜!」
「あうぅ……」
 なんだって?
 ボクは改めて、自らの右手を見てみたのだけど……
「ぴ――――――――――――――っ!!!!!」
「あうぅ!?」
 なななななんつーこと!?
 ちょっと待って、ボクいつからこいつの手ェなんか握って歩いていたんだ!? しかも腕とかその辺を握っているわけでは無く、ちゃんと手のひらと手のひらを合わせて南無〜〜って感じで、しっかり握り合ってるじゃない!!
「いや、これはきっと小岩井が握ってきたんだ……! そうに決まってる!!」
「違うよぅ、一条君から握ってきたんだから……」
 ほわっちゃ――――――っ!!!!!?
 あり得ないから! そんな事絶対あり得ないから――っ!!
 母親がなんだか生暖かい視線でボクらを見ている中、しかしボクは混乱の真っ最中でありながらも、懸命に自分の記憶を遡っていたのだった。ここで自らの身の潔白を証明しておかないと、後でこの女はおろか、母親にすら脅迫されかねない!
 えーと、えーと、たしか道の真ん中で小岩井が大泣きした前も、なんだか手ェ握ってた様な気がするなぁ? ……てことはボク、最悪でも公園辺りからここまで、天下の往来を仲良く手ェ握りあって歩いてきたって事だよ!? 結構な人とすれ違ったよ!? 同じ学校の奴とかもいっぱい居たよ!?!? みんなこっち見てなんだかニヤニヤしてたよ!?!?!?
 うっわー、終わったくせ〜〜! 何かもう人生詰んだーって感じ?
 タダでさえ、勢いに任せてこいつに抱きついちゃったりしたのに、道すがらにどんだけ見せプレイしてるんだと! もうボクの強姦的行為が衆目に晒されたも同然じゃん!!
 うわあああ、もう全然言い訳できない。一体これからどうすれば良いんだ……
「全く、いつまで手を握ってるの! 真由ちゃんも困ってるでしょ!?」
「あうぅ、全然そんな事無くて……」
「うわあああ! ごごごごごめんなさいっ!!」
 別に叫んでまで謝るべきタイミングでも無いだろうに、自動的に謝っている残念男子が居た。そして甚だ心外なことに、それはなんとボクだった。なんてしょぼ過ぎる人生なのだろうか。女の子の手を握ったら叫んで謝るのがデフォであると。悲しすぎて笑いすらこみ上げてくる。いつの日か格好いい大人になって「……認めたくないものだな。自分自身の、若さ故の過ちというものを」みたいな渋いセリフが言えるようになったら良いなぁ……
 ボクは、さっきとっさに小岩井から離してしまった自分の手を、改めてじっくり見てみた。無意識の内に握っていた彼女の手の柔らかさや華奢な感触が、未だその手の中には残っている。
 黙りこくったボクが、自分の手をニギニギしながらじっと見ている隣で、
「あぅぅ、なんか恥ずかしいよ……」
 何が恥ずかしいのだかさっぱり分かんないけど、小岩井は顔を赤らめ上目遣いにボクを見ていた。
 ボクは急激に心の中でざわざわする物を感じるも、先ほどから胃が痛かったり体温が乱高下するなど、風邪をひきかけであったことを今になってようやく思い出したのだった。
「あー……まぁ、そういう事で帰ろうか?」
「あぅ、うん、そうだね」
 何がそういう事なのか自分自身にも分からなかったけど、小岩井は頭をピコピコ縦に振っているので、とりあえず二人してボロマンションに入ろうとしたのだが、
「もう、どうせならデートに誘うくらいの甲斐性を見せなさいよー」
 などと、今まで存在をすっかり忘れていた母親がまた要らんことを抜かしたのだった。
「なっ、何がデートだっての! せっかく帰ってきたばっかりなんだから!」
「あぅぅ、その、えと、あの……」
 ホレ見ろ、小岩井だって迷惑してるじゃねーか! こいつは既に売約済みみたいなモンなんだから、ボクはそういう略奪愛みたいな事はしないの!
「全く、そんなんだからいつまで経っても女の子にモテないのよ! 真由ちゃんも、こんなんだけど仲良くしてあげてねー?」
「あう!? あうう〜〜、その、えと、あの、あの、だから!」
 だからこいつが困ってるやろがい。
 なんか顔を余計に真っ赤にしてる小岩井があまりにも可哀想だったので、
「いいから行こうぜ、こんなママン放っておけばいいんだから!」
 ボクは小岩井の手を握ると、さっさと階段に向かって歩き始めた。
「あう、あう、あうー!!」
 また小岩井があうあう自動的に喚いているけど、今は緊急事態の真っ最中なのだ。貴様の短い足に合わせてやるだけのゆとりなど、残念ながらこれっぽっちも無い。許せ、まうっち!
 ボクは後ろでじたばたしている小岩井を引っ張りながら、ずんずん階段を上っていった。
「全く、心配しなくても十分に仲がいいわねー!」
 後ろから母親のヤジが聞こえてくるが、そんなの無視無視。未熟者はこれだから困る。昔のことをいつまで経ってもネチネチとディスりやがるんだから。
「あー、やっと家に着いたー」
「あうぅ……疲れた……」
 階段を半ば駆け上がってきて、お互い息をはぁはぁ荒げながら、ようやく自分ちの玄関の前に立つ。
 なんかみっちゃんと熊ちゃんが帰っちゃってから、ここに来るまで偉い時間が掛かったよなぁ。でもその間にボクは強姦魔に身をやつし、小岩井から色々と搾取される身の上に成り果てたのだった。そう考えると、とてつもない濃ゆい時間だったって事だよねー。
 ……などといつまでも黄昏れていても仕方ないので、ボクはさっさと家にはいることにした。それに急がないと、またやかましい未熟者が追いついてきてしまうじゃ無いか。
「んじゃ、また明日ねー」
 ボクは自分ちの玄関の鍵を開け、そのまま中に入ろうとしたのだけれど、何故か後ろから小岩井が付いてくる。なんだ? こんなタイミングでボクん家にお宅拝見なんてしたいのか? そんなモン見てもちっとも面白く無いと思うのだけれど……?
 ボクは怪訝な顔して小岩井を見ていたのだけれど、
「あの……手……」
 微妙に困った顔した小岩井が自らの手を上げると、彼女の手を握るもう一つの手が付いてきた。大いに驚嘆すべき事に、その手はボクのだった。
「ぴ――――――――――っ!!!」
 本日二回目、絹を裂くような男の子の悲鳴がボロマンションに轟いた。
 なになに!? ボクって本気で女の子の手を無意識で握っちゃうチャラ男なの!? どんだけ頭おかしいの!? どんだけ手が早いっての!?!?
「いや、これは、その、決して悪意は無く、反射的というか、自然体というか……!」
「あうぅ、分かってるから、その、落ち着いて……」
 小岩井の手を握ったままぶんぶんそれを振り回すボクの手に、彼女はそっともう片方の手を乗せる。
 彼女の手の柔らかさでパニックを脱したボクは、やっとの事で小岩井の手を離したのだった。
「あらなーに、早速家に連れ込もうとしてるの? おかーさんしばらく出ていた方が良いかしら?」
 しかしである。しかしお約束でもある。
 エレベーターを使ってさっさと上がって来やがった母親が、変な笑みを浮かべてボクらを見ていやがったのだ。
「や、やかましい!! そんな事しないって言ってるじゃん!!」
「あうぅ〜〜〜!」
 ボクは小岩井の両肩をつかむと、母親を突き飛ばして隣の家の玄関へ押していった。
「じゃあ、また明日ね!!」
「あうぅ、うん、また明日……」
 小岩井は真っ赤な顔のまま、自分家の玄関を開けて中に入っていった。
 彼女が振り返って手を振る中、うちのとは全然違う綺麗で格好いいドアは、ゆっくりと閉まっていった。
 コトンと、ドアの閉まる静かな音が廊下に響いたあとには一切の音が無くなり、ついでにいつも通りに色も無くなったかのように感じられる、
「まったく、乱暴にしなくてもいいじゃ無いの!」
 母親が何か言ってるが、そんなの無視無視。散々人の事を茶化しやがって、ムカツクムカツク!!
 ボクはさっさと自分家の玄関に入ると、ちゃんと靴を脱ぎ散らかして、そのまま自室に籠もってやった。ただでさえ、さっきから胃が痛かったり熱っぽかったりしているのだ。もしも本当に風邪をひいて撮影が出来なくなったら、みんなに迷惑掛けちゃうじゃないか! だから今日はさっさと寝て、体調を整えなくてはならないのだ。
 ボクはそれから風呂に入ったりご飯を食べたりする以外は布団に潜り込んでいたのだけれど、しかしみっちゃんたちと違って特段寝不足というわけでも無いので、全然寝付けなかった事は想像に難くない。というか、その日の夜は小岩井の顔やら声がずっと頭の中にちらついていて、余計に寝られなかったのは何故なんだろうなぁ? 翌朝もバイトはあるんだし、本当に寝ないと体力が持たないよぅ。なのでボクは悪いとは思いつつも、強制的に眠気を誘うため、小岩井のぱんつやおっぱいの触感を思い出しながら、いきり立つ我が身を慰めちゃったのでした。
 もちろん、その後の賢者タイムでの絶望感と来たらもう、人生最大級に最悪だったことは極めて自明な事だよねー。それにいつもよりやたらと量が多くて、シーツ汚しちゃったし。何であんなにいっぱい出ちゃったんだろ?


 今日は朝から空気がピリピリしていた。
 夏休みも残りわずか、真夏な日々は続く物の、日の長さは格段に短くなり、否応なしに秋の到来を感じる頃。
 本日は女子部専属脚本家、若木奈留先生の力作であるところの最大の山場、そしてみっちゃんがバカやってハードルを一気に最高地点まで上げてしまった件の温泉シーンの撮影が予定されていたのだ。
 ちなみに男子チームではロクな撮影場所を見つけることは敵わず、熊ちゃん家の汚いお風呂での撮影をワリと本気で考えていた頃、部長がたまたま雑誌で見かけたとかいう近場の温泉を、結局のところいつも通りに紹介して貰ったのだった。
 高校の最寄り駅から電車で30分くらい、周りに住宅ばかりが建つ田舎の某駅の近くに、なぜ故か温泉施設があるのだった。特段温泉地でも何でも無い、単なる都会のベッドタウンの街になぜ故温泉が?と一番びっくりしたのは、その街に住む住民であろう事は想像に難くない。ちなみにそこは、物好きな地主の人が一山当てようと温泉を掘り始め、苦節5年、周りの人はもう無理だと完全に諦めていた中、通常の3倍以上の深さまでボーリングして何とかお湯(そのままだとぬるいから要ボイラー加熱)を掘り当てたという、極めて由緒正しい温泉であった。むしろその話をドラマチックに映画化した方がよっぽど受けるんじゃね?とも思ったけど、今更そんなことを言ってもしょうが無いのでオトナなボクは黙っておいた。
「今日だけ、10時から12時まで特別に借り切ることが出来ました。まずは責任者の方にご挨拶しましょう」
 部長の言葉に従い、ボクらは温泉の事務所に入って一番奥のデカイ机に座っていた、妙に丸っこいおっさんに挨拶をする。
「本日は我々のぶしつけなお願いを聞き入れてくださいまして、ありがとうございました。お心遣いに報いるよう、良い映画を撮影いたします」
 部長の挨拶と共に、ボクらはみんなで頭を下げる。
「おぅおぅ、こんなところで良きゃあいぐらでも使ってやぁ?」
 おっちゃんはニコニコしながら席を立ち、
「んじゃあ風呂はこっちじゃあて、つかぁおわっだらひと声かけやぁ? ぶがづで映画っちゃあええなぁ、しぇーっすんじゃなあ!」
 おっちゃんはガハハと豪快な笑いをまき散らしながら、ボクらを男湯の露天風呂に案内してくれた。
「ぎょっうはおどご湯が露天っちゃあ、ゆっぐりつかっでな!! づいでにおんっせんにばはいっでもええっかんな!」
 ガハハと言いながら、おっちゃんはさっさと事務所に戻っていった。
 ボクらの案内された場所は、本日は男湯に設定されている露天風呂とのことだった。どうやらこの施設は、一つしか無い露天を日替わりで男女で交換しているらしい。
 通常の室内の温泉に付属するテラスからそのまま外に歩けば、露天風呂のある場所に入ることが出来る。床面は丸石を模したタイル、風呂自体も意趣はそのままに、大きな岩で丸く縁取られた浴槽が作り付けてある。ひさしは檜か何かで作った木の枠組みに、竹と蔓状の植物(ヘチマかひょうたんみたいに、おっきい葉っぱがいっぱい生えてる系の)で適度な壁と屋根がしつらえてあった。
 まぁ、良くある感じの温泉宿の露天風呂だ。
 ボクらが物珍しさであちこち見て回っていると、
「皆さん、せっかく貸して頂いた時間はそうは多くありません。集中して撮影を行わないと、すぐに時間が無くなってしまいます。さあ、撮影の準備を始めましょう!」
 部長はそう言うがいなや、持っていたバッグをおろすといきなりその場で服を脱ぎ始めた。
「なんとぅ!?」
「まじか!!」
「をぅい!!」
「あうぅ、部長! いきなりこんなところで脱がないでください!!」
 男共(+若干名の腐女子)が奇声を上げ、小岩井が当たり前の如くそう叫ぶ中、
「いや! それこそ部を納める長としてのまっこと正しき所行ですよー!! 作業時間を極限まで短くすると同時に、我々に真の美しきとは何かを知らしめるため、御身自らの美しき裸体を披露しようとするこの心がけこそ、人の上に立つ者の資質がある事を如実に表しているというものです!! さあ部長、ここで部長の女としてのポテンシャルを全て解放し、その美しくもエロティックな胸を、このちょこざいな布きれなど取り払って我々の目前にぷぎゅっ! ごぇぶぉほっ うごぅボコボコボコボコ……」
 上半身だけ水着になった部長が、後ろから這い寄りブラをはずそうとする伊東さんの脳天にかかと落としを喰らわせた。そして続けて手刀をみぞおちに突き込み、彼女の意識が完全にぶっ飛んだところで回し蹴りを炸裂させ、そのまま温泉にたたき込んだのだった。
 うわあああ! 白目向いてる女子が温泉に沈んでぴくりとも動いていない!
 酷いよ、こんなのあんまりだよ! こんなの絶対おかしいよ!!
「だからひとのチチバンド外すなてめーっ!」
 いや部長、いまさら喚いたところでその声を聞くべき人は湯船の底に沈んでるから! むしろ天に昇って行っちゃってるから!
 しかしである。
「ぶちょ―――!!!」
 ざばあと、湯船の底で絶命していたはずの伊東さんがいきなり立ち上がった。
「何じゃきさまぁーっ!?」
 未だ羅刹モードの部長が雄叫びを上げるも、
「何でおっぱい見せてくれないんですかーっ!!」
「何でおっぱい見せんといかんのじゃあーっ!!」
 己の信念をたたきつけ合う女子が二人、地獄の悪鬼すら逃げ出しそうな激しいオーラを噴きつつにらみ合いを続けている。しかも男湯でだ。世紀末もここまでくるとインフレ気味である。
「あの、ホントに撮影しないと……」
 そう、果敢にも二人の間に割って入っていった若木さんだったが、
「ああんっ!?」
「をあぁっ!?」
「ひゃうぅぅっ! ごごごめんなさいっ」
 悪鬼の如き女子二人の怒気に炙られ、か弱い彼女は涙目で逃げ帰ってきた。
「部長! あの時貴方は言いました!! そこのバカタレが温泉シーンの重要性を説いたとき、まうっち一人で裸になるのは可哀想だからと、私も一緒にきっぱり脱ぐと……! それなのに酷いです、なんでそんな無粋な布ッ切れをおっぱいに巻き付けてるんですかー!!」
 女ならばばんとおっぱい出しましょうよー!と、伊東さんは腕をぶんぶん振りながら力説するも、
「誰が裸になるって言ったかぼけぇーっ! 水着の上にタオル巻くって言ったんじゃこのうすらトンカチがぁーっ!!」
 部長の言うことは、当たり前だが事実である。伊東さん、割と事実を曲解して覚えているのかなぁ?
「風呂入るときに水着着てタオル巻くバカは、この国には居ません!! 決して居てはいけないのです!! 貴方こそ美しさの義務をわきまえないダメダメな人ですよー!! 私の尊敬すべき部長なら、おっぱいはおろか、下半身だってべろんと出しちゃえるくらい朝飯前でやるべきです! アンダーなヘアなら私がしっかり剃って差し上げるので、綺麗なぱいぱんを是非とも披露しましょうよー!!」
 むぅ、いつもにも増して伊東さんがトバしている。さっき部長に脳天蹴られたおかげで、ついに頭のネジが5本くらい飛んでしまったのか?
「部活の映画如きで全裸晒す女子高生が何処の世界にいるんじゃこの変態百合ッ子めぇーっ!! てめーそれともワシらピチピチJKが、そんなちんけなネタの為にわざわざヨゴレになって人様に笑われろってのかーっ!!」
 どんだけネタに人生掛けてんじゃごるあーと、部長も中々負けてはいない。
「ヨゴレも結構です!! ヨゴレの中にこそ美しさってモンがあるんですよ部長! 何故それが分からないんですか! 偉い人にはそれが分からないって奴ですか!? だったら一緒にヨゴレましょうよー!!」
「全力で断るわぼけぇーっ!! てめー一度そのド頭たたき割って色ボケした脳みそぶちまけてやる! それとも”私の部長は清純派”という尊い言葉を目の玉に直接焼き付けてやろうか!? さあ、好きな方を選べぇーっ!!」
 うわあ、まさに怒髪天をつくとはこういう状態だろう……。部長からは、邪悪としか表現出来ないオーラがもうもうと立ち上っている。いつもならこうなってしまった部長を止めるのは伊東さんの役目だけれど、今回の供物はその本人だからなぁ! これ以上、部長の温度が上がったら一体どんなとんでもない事になっちゃんだろう!?
 ボクは怖い物見たさが先立ち、今からどれだけ周りを被爆させるか分からない怒れる部長を、固唾を飲んで見守っていた。
「両方嫌です! 私は部長のおっぱいを選びます!!」
 それが私の生き方ですからと、伊東さんは胸を張って言い放った。伊東さんも伊東さんで淀みないというか、ホントぶれないよねー!
「もちろんぱいぱんだってオッケーです! ついでに処女も貰いますからねー、この手で部長の処女膜破いちゃいますよー!! 部長、処女をください処女をーっ!!」
 私が部長の初めての人になりますーとか叫びながら、伊東さんは湯船から飛び出てると、その勢いのまま部長に飛びかかり、彼女を押し倒して覆い被さった。
「何しやがるんじゃこのバカタレー!! やめれドコに口付けてるんだこのえっちー!! そこはだめーっ いやああああんっ!! やめてぇ〜〜!!」
 部長の胸にしがみついた伊東さんは、彼女の水着を取り払うとそのおっぱいにむしゃぶりついた。
「やめろと言われておとなしくやめる百合ッ子はいません!! さあ覚悟です部長! おとなしく私に処女下さい、もうぎゅっと愛しちゃいますからあ!! ほ〜らほらほら、私の心のおいちゃんが具現化しちゃいますよー! ぐへへへへ、おじょーちゃんもう観念せいやー! おいちゃんがごっつぅひぃひぃイワしたるさかいに、この指テクでビュービュー潮噴いて天に昇りぃや〜〜〜!! 男のちんちんなんか目じゃないくらいにキモチイでぇ〜〜!!」
 いつの間にか乙女モードに戻った部長に、おいちゃんに変貌した伊東さんが猛攻撃を仕掛ける。部長の乳首をちゅばちゅば吸い続ける伊東さんの手が、部長のスカートをたくし上げ、彼女のぱんつの中にすすすと指を這い寄らせていく。
「やああああん!! やめっ……やぁ、んあっ! ダメ、そこはあ………らめぇぇぇぇ〜〜〜!」
 なんかいきなり始まってしまった百合ッ子プレイに、ボク以下残り全員の部員はもう立ち尽くす他なかった。だって万が一止めに入ろうものなら、怒り狂った部長か猛り狂った伊東さんのどっちかもしくはその両方に、確実に絶対にぶち殺されるのが極めて自明なんだもん……
「あうぅ、あの、だから、あうぅ……」
 小岩井は顔を真っ赤にしてオロオロし、若木さんはさっき怒鳴りつけられたショックでシクシク泣き続け、山科さんはそんな若木さんをなだめつつ妙に爛々とした目で部長と伊東さんを凝視し、熊ちゃんは何か念仏を唱えつつ、ずっと遠くを見ていた。
 そんな中、
「コラこのうすらバカ、いい加減にしやがれ!」
「ごへああ!」
 みっちゃんは持ってきていたカメラの三脚で、伊東さんの後頭部を力一杯殴りつけたのだった。いやいや、いくら長さや重心がちょうど良くて便利だからって、三脚で何度も人間の頭を打ちのめすのはやめようよ! リアルだと普通に死んじゃうんだから! お馬鹿なお子様が真似したら、後で作者が叩かれちゃうんだよ!?
 そんなボクの心配の通り、白目を向いてビクビク痙攣する伊東さんは、部長からむしり取った水着のトップを握りしめたまま、部長の裸の胸の上で臨終を迎えていたのだった。
「部長、まだ処女か?」
 そんなみっちゃんの悪意しか感じられない声がけに、
「うるせー! 未だ処女で悪かったなーっ!! あたしだっていつかは格好いい男の人に、綺麗なベッドの上でぎゅっと抱きしめて貰うんだぁーっ!!」
 とりあえず純潔を守り抜いた部長は、伊東さんから水着を奪い取って素早く自分の胸に装着する。しかしもう周りの視線なんか気にするゆとりはさっぱり無かったようで、綺麗な乳首がしっかり見えてしまった。そして未だ自分の身体にまとわりついている伊東さんの亡骸を蹴り飛ばし、無慈悲に再び湯船に沈めたのだった。
「お、おほん!! ちょっとだけ取り乱してしまいました。皆さん、ふざけあっている場合じゃありません。撮影時間は2時間しか無いのです。急いで作業を進めないと、撮影が終わらないどころか、焦って作業中にけがをすることもあり得ます。気を付けてくださいね!」
 意識の無い部員を、湯船に2回も沈めた貴方がそれを言いますか……。
 ボクらが部長の豹変にげんなりしている中、みっちゃんが浴槽に入ると沈んだままの伊東さんを回収する。
「さすがに女を沈めたままとあっちゃあ、ジェントルの名が廃るからな!」
 伊東さんを浴槽から引っ張り上げると、彼女の身体を床に横たえる。
 むぅ、さすがみっちゃん。普段からジェントルを気取るだけのことはある。
 ボクは、親友の善行を素直に感心していたのだけれど、しかしみっちゃんは、それがさも当然だという風に、意識の無い伊東さんのワイシャツのボタンを外したのだった。あれれ、人工呼吸でもするのか? と一瞬思ったのもつかの間、みっちゃんはなんと伊東さんの服の中に手を突っ込んで、おもむろに彼女のおっぱいを揉み始めたのだった。
「お、ノーブラかこいつめ。さすがは淫乱、まさにビッチ・オブ・ビッチだぜ!」
 うわあ、いきなりなにやってんのこの人!! 何のてらいも無く、同級生のナマ乳揉みに行ったよ! ……それにしても、こうしてみると伊東さんの胸も結構大きいよねぇ?
「あうぅ、これはやっぱり止めるべき??」
 小岩井も、あまりのことに半分パニックに陥っているようだ。
「おら、起きろ変態!! 母乳が出るまで揉み続けるぞ!」
「うっ……んっ、駄目ェ……ひゃうぅ…出ちゃうぅ…………ん?」
「お、死に損なったか?」
 みっちゃんは、あくまで胸を揉む速度を緩めない。
「びっ、びゃあああああっ!!!!!?」
 おお、珍しく伊東さんが本気でびっくりしている。この人が取り乱した姿を見るのって、実はこれが始めてかも! とっても新鮮な光景だ。
 伊東さんは、自分の服の中に突っ込まれたままのみっちゃんの手を慌てて振り解くと、
「なあああああああんたぁ! なんでこんなところでそういう事をするかなー!?」
 そんな当然の伊東さんの問いかけに、
「馬鹿野郎! そこに乳があれば揉むのが男の勤めだ!!」
 もしくは国民の義務だと、みっちゃんは真顔ではっきり言い放った。ダメだこの友人、本気で何とかしないと……。
「それはその通りだけど! でも私は揉まれる方じゃ無くて揉む方が好きなの!!」
 だから部長の胸は私の物だと、伊東さんはドヤ顔で言い放った。ダメだこの女子、ホントにどうにかしないと……。
「さあさあ、仲良く乳繰り合っていないで撮影を始めましょう。既に20分は経過してますよ?」
 お互いにらみ合っているみっちゃんと伊東さんに、今まで彼らの狂態をじっくり見ていた山科さんが声を掛ける。
「おっ、それは本気でマズいな! よし、続きは後でしてやるから良く揉みほぐしとけよ、ビッチ!」
「うっさい! あんたこそ夜のオカズにするなよチェリーめ!」
 二人は同時に立ち上がると、テキパキと撮影の準備を始めたのだった。
 なんだか妙に息が合ってるなぁ、この二人。まぁどっちも似た様な変態だから、同じように見えるだけなのかも知れないけど……。
 さて、今日のボクの役目と言えば、言わずもがなの男優である。それにお風呂のシーンだから、上半身は裸として、下は水着の上からバスタオルを巻いておこう。ボクは家から持ってきたバスタオルを腰に巻き付けると、さっさとズボンとパンツを脱いで水着には着替えた。
「よーし、準備はいいか名役者共ー!」
 そんな雄叫びを上げているのは、我らがヒーロー、スーパーローアングルカメラマンのみっちゃんだった。今日の撮影は、みっちゃんがカメラ係のようだ。んー、アングルが色々おかしな風に歪みそうだなぁ。女子の胸とか股間ばかり撮さなければ良いけど……
「よし優樹、いい脱ぎっぷりだな! 小岩井も、準備はいいか?」
「あ、あぅぅ……」
 ボクが声のした方を見ると、身体にバスタオルを巻いた小岩井が、何だかおどおどしながら立っていた。どうせ下に水着着てるんだから、そんなに顔まで赤くしなくていいじゃ無い……。
 ちなみに部長はとっくの昔に準備を終え、既に浴槽の縁にのんびりと腰掛けていた。あの堂々とした態度を少しは見習うべきだねぇ、この女も。
「じゃあ、撮影を始めるぞ!」
 みっちゃんがカメラの録画準備を進める中、熊ちゃんがボクらに演技の指導を始める。
「このシーンは、薫の快活な子どもらしさを引き立たせていきたいと思う。オリジナルの伊豆の踊子では、舞子の化粧をした薫しか見ていなかった主人公は、薫はもっと年上の女性だと思っていたんだ」
 そーそー。ただし薫が主人公の学生にお茶を出すとき、妙に焦りながらやっているのを見て不思議に思っていたのだけれど、それが伏線だったんだよねぇ。
「しかし主人公が踊り子の一団と一緒に温泉に入っていたとき、風呂場ではしゃぎ回る薫を見て、彼女は本当はまだまだ子供だったんだと知り、自分の勘違いを愉快に笑うというものだ」
 ちなみにオリジナルでの薫の年齢は12歳。現代なら確実に主人公がタイーホされる妙齢のお年頃だ。てゆーか今の世の中、12歳の女子は男と一緒に風呂入ったあげくにはしゃぎ回ったりしないよねー、昔の日本は、本当にのどかな国だったようだ……
「今回の映画では、登場時から薫は実年齢なりの態度で主人公に接していたので勘違いはしていないのだが、昨今のものの流行から、あっけらかんとした態度の薫に、逆に主人公どぎまぎする、といった感じにしたいと思う」
 良くあるラノベみたいだが、そのぶんウケがいいだろうと、熊ちゃんは説明を終わりにした。
 なるほどー、積極的なロリッ子といまいち覇気の無いラノベ的主人公って組み合わせか。まさにお約束、様式美の一つって奴だね! けど、ここで勘違いして貰っては困るのだけれど、世の中お約束というのはとて大切な概念なのだ。スキルが無い者が奇をてらって特異な事をやっても、それは独りよがりで意味不明な物に成り下がるのがオチなのだ。しかしお約束なものならば、どんな素人が作ってもある程度のクォリティは出せるものだ。なんせ人類が10億年掛けて築き上げてきた萌えポイントの一つだからだねー
「じゃあ、薫が主人公に温泉の効能を得意げに説明するところから始める。用意はいいか?」
 熊ちゃんは脚本からレフ板に持ち替え、ボクらに明かりを送りながら声を掛けていく。
「カメラはいつでも大丈夫だぜ! 例えタオルの中までも、余す所なく撮しきってみせる!!」
「よし、自分のタオルの中でも撮ってろ。役者陣は?」
「お客その1はいつでもいいですよ」
「お客その2はいつでも部長のおっぱいと共にありまーす! …う゛っ」
 伊東さんは、ニコニコ顔を貼り付けた部長に重そうな肘鉄を食らった。顔がみるみる青くなっていく。
「あの、私は大丈夫……」
 小岩井はタオルの胸元をきゅっと押さえながら、露天風呂の入り口付近でスタンバっている。
「ボクも大丈夫だよー」
 もちろんボクも、小岩井の隣に居た。これから一緒にお風呂に入るシーンだからね。小岩井は自分のタオルから手を離すと、ボクの手をきゅっと握ってくる。
「んじゃ行くぜ、シーン85の1、始め!」
 みっちゃんの開始の声からぴったり5秒後。妙に笑顔が引きつって、しかも顔が真っ赤な小岩井が、よく分からないステップでぴょんぴょん跳ねながら、ボクを露天風呂に引っ張っていく。
「ほーらおにーちゃん、ここが村の自慢の温泉なんだよ〜!」
 何となく演技は堅い物の、最近は学校が休みなので虐められていないからか、小岩井は以前のような自然な演技が出来る様になっていた。その小岩井扮するロリッ子薫ちゃんは、ドヤ顔(みたいな感じ)で右手でさっと振り、部長らが座っている露天風呂を指し示す。
「ほらー、ステキでしょ〜」
「ってうぉぉい、ここって混浴なの!? それともボクは女風呂に連れ込まれちゃったの!?」
 ボクは浴槽の縁で不自然にいちゃこらしている女子達(もちろん伊東さん扮するお客2が一方的に部長のおっぱいにまとわりついているだけど)のカップルを指さしながら、薫に問いただす演技を続ける。
 ……しかし伊東さん、本気で部長のおっぱい揉みまくってるんだけど、後でまた浴槽の底で白目を向いて沈んでるなんてことにならないかなぁ? つくづく彼女の命が心配だ。それにそんなシーンが映ったわいせつ動画を、学園祭で堂々と流してしまって良い物だろうか……。
「え〜? 昔っから混浴だよ〜? ……おにーちゃんはそのほうがウレシイんだよねー!!」
 いや、あの、小岩井さん。貴方何か本気で怒ってませんか?
「いいいいいいいや、恥ずかしいよぉ。ボクは後で一人で入るよぉ〜」
 劇中かつリアルでもヘタレなボクは、タオルを巻いた女子達の格好にワリと本気で恥ずかしがりながら、薫の手を振り解いて温泉から出ようとするのだけれど、
「大丈夫だって〜! みんな裸だから恥ずかしくないよ〜!」
 なんて、薫はどう考えても現代の小学生女子(高学年)なら絶対に言いそうにも無い衝撃的セリフを元気いっぱい宣った。むむぅ、今更当たり前の事だけど、この脚本を書いたのは、特に胸部の女子力が高い若木さんだ。あの人本人は恥ずかしがり屋さんなのに、女の子って、いざとなったら裸になるのとか、実はあまり恥ずかしくない物なのかなぁ?
「裸だから余計に恥ずかしいんじゃない〜〜」
「オトナなんだから、恥ずかしがっちゃダーメー!」
 オトナだからこそ、恥ずかしいものは恥ずかしいんですー
 純真爛漫なロリッ子薫ちゃんは、ボクの腕を両手でつかんで、あくまで楽しそうに浴槽の方に引っ張ろうとする。なんだかんだ言いつつ鼻の下を伸ばしたボクは、一応それに抗おうとするのだが、しかし小岩井は演技に集中していて、羞恥心が薄れているのだろう。前に森の中でじゃれついたときのように、ボクの腕に自らの身体をすり寄せ、そして、水着とタオルで覆われているが、普段よりも数段中身が近いであろうおっぱいを、ボクの腕にぎゅっとくっつけたのだった。
 心地いい柔らかさの刺激が、ボクの脊髄をまっすぐ貫く。ビリビリと、心地よい電気が背筋を走る。
 ……って、いやいやいや、これはさすがにやばいから! だいたいブラとかしてないから、この何とも言えない柔らかさとか前のと全然違うし!!
 一瞬の内に、自分の身体の一部分に対する血液の集積現象を察知したボクは、慌てて小岩井の身体から腕をはずそうとしたのだが、しかし演技に懸命になっているであろう彼女は、がっちりボクの腕をホールドして、余計におっぱいを押しつけてくる。
 うわあああ! このままじゃボク、色々ダメになっちゃう! 身体の一部分が盛り上がって来ちゃう!!
「おにーちゃん♪ 身体の洗いっこしようよ〜」
 何という、優しさも容赦もへったくれも無い、苛烈極まる波状攻撃であろうか! 演技であることは百も承知であるが、このセリフにはさすがのボクの理性もぶるりと震えるよ〜〜
 小岩井の捨て身の攻撃により、色々と危険な状態に追い込まれたボクは、しかしながら最後の理性を駆使して何度も小岩井のおっぱいを振り解こうとしていたのだ。けれどその一方で、ボクの男の子が男の子たる所以の極めて純粋な思考が、だんだんと脳みそを侵食しているのも事実であった。
 『女の子とお風呂で洗いっこ』
 何という甘美的かつステキ過ぎる言葉であろうか。以前10年後に、女房おねーさんと風呂場で乳繰り合ったことを、ついつい思い出してしまう。あれは本当に良い物だったなぁ。人生で最高の経験だったなぁ。もう小岩井でも何でもいいから、もう一回女の子とお風呂で洗いっこしたいたなぁ……
 そんな煩悩で頭をいっぱいにしたボクは、ちょっとだけ演技の集中力が途切れていたのだろう。
「いやいやいや、余計に恥ずかしいって〜〜」
 そんなラノベ的チキンなセリフを脚本通りにきっちり吐きつつも、ちょっと力加減を誤って、小岩井を強めに引っ張ってしまったのだ。
「あぁん、もう〜〜! 男の子は据え膳だよー!?」
 意味深なんだか言葉の意味を知らないオコサマがとんでもないコト言ってんだか、スレスレなセリフで演技を続ける小岩井の身体は結構な勢いでボクの方に引き寄せられ、彼女の身体に巻かれたタオルの方は、極めて遺憾ながらその急な動きに付いてこられなかったのだ。

 はらり。

 それこそ普通のマンガなら、そんな擬音が描かれるのであろうか。(安いエロマンガなら”ぺろーん”です)
 小岩井の身体からタオルがほどけ、それは音も無く床面に落ちた。
「ふぇ?」
 そして、当初の計画なら、小岩井は部長らと同じように、チューブラみたいな肩紐が出ない感じの水着を着けているはずなのに………
「あううううう〜〜〜〜〜っ!!!!!?」
 いつも通りの自動的な悲鳴を上げ、呆然と立ち尽くしている小岩井は、なんと上はおっぱい丸出し、下は真っ白なぱんつ一丁だった。
 何でこいつ水着着てないんだ……。ボクの目の前で、おっぱい丸出しの小岩井が面白い顔して突っ立ってやがる。実は私って着やせするタイプですーとか何とか、お約束的サプライズなんぞは何も無く、小岩井のおっぱいは事前に予想された通りに普通で可愛いちっぱいであった(決してぺたーんでは無い。揉めるくらいの大きさはしっかりある)。まぁ、小さいは小さいなりに、丸っこくて形の良い、人に好かれるタイプのおっぱいだとは思うけどねぇ。乳首もピンクで綺麗だし、肌は真っ白でその色のコントラストは芸術的。乳首の大きさも大きすぎず小さすぎず、小さい乳頭がぴょこっと立っているのも愛らしいものだ。
 その小ぶりだけれど、十分に魅力的なおっぱい。口で咥えたら、さぞかし甘い味がしそうだなぁ。素手で揉んだら、超プニプニで気持ち良さそうだなぁ……。若木さんのメガ盛りおっぱいも国宝級の芸術品だけど、小岩井のちっぱいも十分ステキなおっぱいだよー
 ……なーんて、ボクは事のあまりの重大さに、現実感が吹き飛んでしまってやたら冷静を気取ってはいるけどさ。
 しかし時間が経つにつれ、既に視線を外すことなど出来なくなっている、50センチも離れていない小岩井の生おっぱいによってボクのしょぼしょぼな精神はジュージューと焼かれ、心臓バクバク喉はカラカラ、そして息もするのも忘れてあまりのパニック具合に失神してしまいそうになっていた。ちなみにタオルがはだけてから、約2秒後の事である。
 ところで、もしこれが市販のラノベだったら、絶対ここに挿し絵が入るね! 間違いない、創世の神すら御してみせる!! いくら劇中では小学生女子(高学年)を演じてるっていっても、ぱんつ一丁の現役JKが可愛いおっぱい丸出しなわけだよ。
 むしろこのシーンを見える化しなくて、何が萌えなのかと。何がコンテンツビジネスなのかと! 何が非現実青少年なのかと!! だいたい青少年育成条例なんて知ったこっちゃ無いもんねー! だってボクら同級生だもん、たまたま同級のおっぱいやぱんつを見たからって、全然犯罪じゃ無いもん! むしろ権利の行使だって言っても、誹りを受けるいわれは全く無いもんねーっ!!

おっぱい丸だしの図

「あう、あう、あうぅ〜〜〜〜っっっ!!!」
 こいつは悲鳴すらロクに”きゃあ”と言えないのか、小岩井は自らの胸を慌てて手で隠すと、その場に座り込んでしまった。
「まぁまぁ、下に水着を着ればいいと言ったのに、どうして裸で来ちゃったんですか?」
 急いで浴槽から駆け寄った部長は、自らのタオルを小岩井に掛けてやり、彼女の頭を優しく撫でた。
「あうぅ……あの、急いで出てきたから、水着忘れちゃって……」
 涙声でそういう小岩井を、部長はゆっくり立たせた。そして近くに落ちていた小岩井のタオルを拾うと、素早く身体に巻いてやり、
「しかし困りましたね。さすがに水着を余分に持ってきてはいませんし、この場所を借りられるのも今日だけですし……」
「あの、その、ホントにごめんなさい……」
 腕を組んで考え込む部長に、小岩井はぺこぺこと頭を下げている。
「……仕方ありませんね。とりあえず一旦室内に入って考えましょうか。……それと男子は、さっきのシーンはカメラから消去してくださいね?」
 何故か部長はニコニコしながら、みっちゃんを見やる。なんと恐ろしい笑顔であろうか。何かしらおかしな電波が入ってたらやだなぁ……
「ヘイヘイ、言われなくても分かってるってんだよ!」
 わざわざちっとか言いながら、みっちゃんはビデオカメラの操作を始めるが、
「後で疑われちゃたまんねーや。おい伊東よ、お前で消せや」
「あいよ〜〜」
 みっちゃんに呼ばれた伊東さんは、早速ビデオカメラの後ろに立つと、それを操作しテープを巻き戻す。そして映像を消すため上書きでもするのかと思っていたのだけど、なんと件のシーンをわざわざ再生させていた。ビデオカメラの小さなスピーカーから、「あうー」という小岩井の悲鳴が聞こえてくる。
「ほほー、良く撮れてるねぇ。こーんな可愛らしいまうを消すのは勿体ないよね〜」
 などと、伊東さんは何だか妙に陰湿な笑みを浮かべて、よだれをジュルリとぬぐってらっしゃる。
「ねーねーゆーくん、今ならこのテープ、安くしとくよ〜〜? まうのおっぱい、夜のオカズに一発どーっすか!」
 おねーさんにまかせときーとか、伊東さんはびしっと親指を立てつつ、とんでもねーことを言い始めた。
 おいおい、そりゃいくらなんでも酷すぎね!? もしかして小岩井って、部活の女子チームでも虐められているの!?!?
 ボクはもう、普通にドン引きしていた。……いや、もちろんここだけの話だけどさ、せっかくテープくれるってんなら、相手の善意を踏みにじるようなことなどせず、オトナの態度として頂いておくというのも決してやぶさかでは無い対応だとは思っちゃったりもするけどさ……?
「どこのエロオヤジかテメーは! ワケの分かんねーコト言ってねーでさっさと消せや!! 到底レディのやるこっちゃねーぞこの腐れドビッチが!」
 うおお、さすがのみっちゃんも若干引いてる!? それにちゃんと女性にはジェントルではなくレディって言えるんだ、みっちゃんすげぇ。
「もー、軽いジョークだよー。それにまぁ、ゆーくんにはすぐに必要なくなるだろうしね〜〜……よっしゃー、消去かんりょ〜〜」
 伊東さんがそう言ったのとほとんど同時に、室内の浴室の方からタオルを巻いた小岩井と部長がやってきた。ところで、必要なくなるって何だ?
「……お待たせしました。あ、あの、ご迷惑掛けてごめんなさい……」
 まだうっすらと涙目の小岩井が、ボクらに頭を下げる。
「気にすんな小岩井! 良いモン見せて貰ったからこっちは問題無いぜ!!」
 みっちゃんは、ちっともジェントルじゃ無い慰めをしている。
「あうぅ……忘れてください……」
「大丈夫だよー。ちゃんとテープは消したからー。そんでその分ゆーくんがしっかり魂の底に焼き付けてるから、ちゃんと安心してね〜!」
 伊東さんは、とっても酷いことを言った。てゆーか、何でわざわざボクをダシにするのかこの人! ……決して間違ったことは言ってないけどさっ
「あうぅ〜〜 お願いだから忘れてぇ〜〜 しくしく」
 小岩井はついに泣き出してしまったよ……
「はいはい、皆さん励ましはその辺に。小岩井さんには、恐縮ですが私の水着を着て頂きました。彼女はこの後も演技が続くので、またタオルがはだけてしまうかも知れません。ですが私はそこに座っているだけですから、気を付けていれば問題無いと判断しました。……ちょっとサイズが合わないので、あんまり激しく動くと水着毎落ちてしまうかも知れないので、気を付けてくださいね?」
「あうぅ、その、ホントにごめんなさい……」
 小岩井が済まなそうに謝っているその隣で、
「さすがです部長!! 自らの水着を部員に貸し出すその器こそ、我らが長たる所以がしっかりあるという物ですよーっ!!」
 こちらももはや自動的か、早速伊東さんが元気になった。
「それに部長のお言葉を、僭越ながらこの私如きの脳みそで解釈するに、部長のタオルの中はすっぱだかー!! なんと素晴らしいことでしょうか! そのタオルの下には、我が部の至宝、部長の生おっぱいですよ〜〜!?」
 ちょっと小さめだけど超絶ぷるんぷるんなんですーと、再び部長の背後から這い寄り、やたら目を輝かす伊東さんに、
「いちいち変な事を解釈しなくても結構です!!」
 部長は素早く後ろに向き直り、自らの胸に手を伸ばす伊東さんの頭をボコボコ蹴り続ける。しかし、
「いいえ解釈します! むしろ自ら進んで曲解します!! いてっ どうせならそんな無粋なタオルは取り払って、部長のおっぱいをばばんと披露しちゃいましょうよぉ〜!! あいたっ だいたいまうのちっぱいじゃ、全然まったく物足りません! あててっ やっぱり部長、部長自らこそしてその熟れたセクスィバディをさらけ出すことによって うごっ ちっぱい部員のポロリをオーバーライドするくらいの覇気を自ら示してなんぼってもんですよ〜〜!!」
「あうぅ、なんか酷い……」
 蹴られ続けながらも、自らの煩悩を噴き出し続ける伊東さんの暴言に、小岩井は胸を押さえてうなだれた。
「ほら部長! いつまでも照れ隠しに私を蹴ってないで、早くおっぱい出しちゃいましょうよー! 世界が今か今かと待っているのです!! あいたっ」
 恥ずかしいなら私がタオルをむしり取ってあげますからと、伊東さんが部長のタオルに手を伸ばすも、
「うるさいヘンタイ! だったら自分のチチでも晒してみろーっ!!」
 人に物を頼むなら、まずは自分でやって見せろと喚く部長に、
「絶対嫌です! 女子として頭がおかしいです!!」
 伊東さんは、とても正しいことを一番間違ったタイミングできっぱり言い放った。そしてわざわざ言うまでも無く、部長は発火点を超えた。
「だったら人に押しつけるなこのうすらバカタレぇーっ!! それに頭がおかしいって言ったかてめー!? だったらキサマの言うとおりにおっぱい出したらアタシは何だって言うんじゃこらぁ! それとも何か? ワシのピチピチおっぱいがてめーのに比べてちょっと小さめだからって、別に出しちゃっても全然構わないとか、さりげにディスってやがんのかこの腐れヘンタイドビッチがぁーっ!!」
 部長の怒りは、何かおかしな方向にひん曲がった。
「違います! けど、部長のおっぱいは、確かに私のよりも小さいです!!」
「いちいち大声で宣言すんなやぁー! おっぱいが小さくてそんなに悪いかてめぇーっ!!」
 怒り狂うと言うより、半分泣きじゃくった部長が伊東さんの髪の毛をつかんで頭をぶんぶん上下に振りまくる。
「いいえ! 私は敢えて部長は小さいおっぱいがイイと断言します! てゆーか私、部長が大好きです!!」
「なぁ!?」
 伊東さんの衝撃的カミングアウトに、一瞬にして部長が乙女モードに戻った。今まで伊東さんの髪を掴んでいた手から、力が抜ける。
「あの、いや、でも私たち同性ですし……」
 貴方の気持ちは大変嬉しいのですが……と、部長は赤く染めるた頬に手を添えて恥ずかしがるも、
「だから私は、部長のおっぱいが世界で一番大好きです!!! そもそも部長の小さいおっぱいは、部長の小柄な背丈に対する黄金比なんですよ!? 分かりますか?!」
 いや、わかんないから……。部長の顔から、表情が消えた。
「例えばなるちゃんみたいなロリ爆乳でも無く!」
「ひゃう!?」
 いきなり振られた若木さんが、瞬間的に胸を手で覆った。
「まうのステータスな貧乳でも無い!」
「貧乳!? そこまで言うのフツー……?」
 あ、ついに小岩井のこめかみに青筋が浮いた。
「部長の小さいおっぱいはそう、変に浮いたキャラクターも無く、特段のオリジナリティも何も無い。ちょっと普通より小さいだけの、ただただ残念で、がっかりなおっぱいなんです!!」
 残念でがっかりなおっぱい! 何てすげぇ概念なんだ……。ここまで女子にとって酷い言葉って、他に地球上に存在するのか!?
「なん……だと……!」
 ギリリと、部長の歯ぎしりの音がここまで聞こえてくる。
「勘違いしないで下さい、ちゃんと褒めてるんですよ部長! 歩けばゆさゆさ揺れる程の大きさも無く、さりとてロリコンが崇め奉って有り難がるほどの可憐さも無い部長の単に小ぶりなおっぱい! この何とも言えない中途半端な残念ッぷりが、私の心のおいちゃんを著しく昂ぶらせるのです! むしろその残念でがっかりなおっぱいがリアルでエロい! 艶めかしい! ほのかに汗が臭ってきそう!! 良くあるラノベの3人姉妹に例えると、巨乳でぽややんとしたフェミニン長女、キャピキャピでロリ巨乳な偽ビッチ三女の間で、ひたすら苦労して生活感がにじみ出ている、華やかさに欠けた貧乳の次女のポジションなんです! その疲れっぷりがあまりにも等身大で、リアルで、ひたすらにオンナで、しかし艶っぽく、そしてエロスを盛大に感じさせるわけですよ〜〜! そんな部長のおっぱいが、エロい部長の残念でがっかりなおっぱいが、私はとっても大好きなんです――――っ!!!」
 うわあああ。伊東さん、ついにチャクラが開いちゃったのか!? もう頭のネジが飛んだとかそういうレベルじゃ無い。コレは完全に極まってしまったようだ……。
「ご高説、確かに承った……」
 部長は、握った拳をブルブルと震わせている。
「さっきから聞いてりゃ残念だの小さいだの、散々人のおっぱいディスりやがってぇー!! てめー、たまたまでかいのぶら下げてるからって調子に乗るんじゃねーぞごるぁーっ! キサマいっぺんそのクチバシにアロンアルファ流し込んで、面白い顔のまま固めてやろうか!? それともその年中発情したままの腐れたド頭たたき割って、中にエアサロンパスでも吹き込んでやろうか!! 今まで人生ミスって死に損なったことを、今からきっちり後悔させてやるからなぁ〜〜っ!! さあ、好きな方を選んで死ね! 今すぐ死んでしまえっ!! 万が一死に損なったら確実にぶち殺してやるから、ソッコーでくたばれーっ!!」
 部長は伊東さんの頭をヘッドロックすると、その脳天にゴキゴキと拳を撃ち込んでいく。
「くたばりません揉むまではーっ!!」
 うぎぎぎぎーと、何かいけない感じのするうめき声を上げながら、部長に殴られ続ける伊東さんに、
「てめーのチチでも勝手に揉んでろーっ!」
 部長の怒りは拳だけでは収まらないのか、ついには伊東さんの頭に膝蹴りまで入れ始めたのだった。うわあ、何か伊東さんの目がおかしな方向に向いてるよぉ……怖いよぉ……
 そんな二人のじゃれ合いで、部長と伊東さんがそれぞれ体に巻いていたタオルがほどけ、部長はまるで一時期の小岩井のように上はおっぱい丸出し、下は縞パン一丁になってしまった。
「ぶちょー!! おっぱい見せてー!!」
 未だ意識があるのが奇跡的な伊東さんの、この期に及んでめざとい声に、
「死ぬついでに、てめーがチチを晒せやぁー!!」
 部長は先程まで伊東さんの脳天をかち割ろうとしていた手で、彼女のチューブラを引き上げておっぱいをさらけ出すと、スリーパーホールドを掛けて伊東さんの上体をめいっぱい後ろに反らせた。
「うぎぎぎぎぎ〜〜! 乙女になんてコトを〜〜!」
 おかげで伊東さんの大きめなおっぱいが、我々の前にドドンと晒されることになる。んー、小岩井や部長のおっぱいよりも、確かにボリュームのある良いおっぱいだ。そして彼女らがじたばた暴れる度に、形の良い柔肉がぷるぷると震え、その光景は極めて絶景であった。以前みっちゃんに無理矢理押しつけられた『ポロリが主だよ! AV女優の大運動会♪ パート12』で見たたくさんのおっぱいよりも、やっぱりぜんぜん綺麗だよねー。どうも女優さん達のおっぱいは、手練れというか、熟練というか、確かに柔らかそうではあるんだけど、ボクみたいなオコサマを寄せ付けない様な玄人的な雰囲気があって、中々馴染めない物なんだけれど……。でも、目の前のおっぱいは現役女子高生の物だからねぇ。新鮮さは当たり前だし、ピチピチ加減が全然違って、ついつい触りたくなっちゃう親近感も感じる。ちなみに乳首の色は、部長とかに比べて少しだけ濃いめなのかなぁ? 乳輪や乳頭の大きさも、おっぱい全体の大きさに比例して大きいみたいだし、こうしてみると、おっぱいって人によって結構違うもんだねぇ。
 ボクはもう恥も外聞も忘れて、部長と伊東さんのおっぱいをガン見しながら、双方をずっと見比べていた。けど、こんなセクハラ的行為、他の女子から文句は言われないのか!? ボクは我に返ると、慌てて小岩井の方を見てみたのだけれど、
「……大きければいいってもんじゃ無いもん」
 小岩井は未だ先程の暴言を根に持っているのか、伊東さんを助けようとはしない。
「あんまり大きいと、その、色々大変なんだからね……」
 普通サイズでうらやましいわと、若木さんもなんだかつれない感じだ。
 ボクら男が三人居るのに、ここには友人のおっぱいを隠してあげようとする女子はいないのか……。山科さんは後ろの方でニヤニヤしているだけだし(たぶん後でマンガのネタにでも使う気なんだろうねー)、熊ちゃんはやはり明後日の方向を見ながら、一生懸命般若心経を唱えている。
「仕方ねーな……」
 そうつぶやいて、前に出たのは我らがジェントルの伝道師、みっちゃんであった。おお、さすがに同級のあられも無い姿に同情して、部長の魔の手から伊東さんを救い出すのか? ボクは、もう少しおっぱいを見てからにして欲しいなぁとか、ちょっとだけジェントルじゃ無いことを考えていたのだけれど。
「うにゃああああ〜〜っ!?」
 そんな変な声を上げる伊東さんのおっぱいを、みっちゃんは両手でわしっと掴み、その行いがさも当然だというようにじっくり揉み始めたのだった。みっちゃんが握る力を入れると、張りのあるおっぱいが不思議なくらいに形を変え、彼の手の動きに合わせてむにゅむにゅと変形する。
「部長、もう少し上に上げてくれ。揉みづらい」
 みっちゃんは、偉い澄ました声でそう言った。
「てめーもさりげに何やってんだぁーっ!?」
 部長は一応みっちゃんを非難しているようだけど、まさにどの口がそれを言いますかって奴だよ……。女子部員のトップを引きちぎったあげくに上体を反らせるなんて、みっちゃんじゃないけど揉んでやってくださいって言ってるようなもんじゃない。
「ったく、手下の乳揉み見て腹立てるたぁ、テメェも早速ヤキモチかぁ?」
 俺も罪作りな男だぜとか何とか、また根拠も無く格好を付けてそう言ったみっちゃんは、なんと部長のおっぱいまでも毒牙に掛けたのだった。右手を素早く伊東さんの背中と部長の胸の隙間に割り込ますと、部長のおっぱいをぷにぷにと揉み始める。
「おおっ、さすがに処女のチチは張りが違うな! ビッチに比べて固めだぜ!」
「ひゃあああああっ!? やめて! だめぇ!! 触っちゃらめぇ〜〜〜!!」
 部長は慌てて伊東さんを離すと、その背中にキツ目な蹴り入れて吹っ飛ばした。そして自らの胸を手で隠すと、涙目でみっちゃんを睨みつける。ちなみに蹴られた伊東さんはといえば、”げへぇ”とか切ない悲鳴を上げて、彼らの足下に転がった。その亡骸は、もうピクリとも動きはしない。
「何でそんな簡単にひとの胸触るのーっ!!」
 初めてだったのにーとか、部長は今更乙女モードで泣きながら文句を言うも、
「だからそこに胸があったら、揉むのが男の勤めだって言っとるだろーがこの未熟者が! チチ付けて歩いてる女は、常に男に揉まれることを意識すべきなんだ!!」
 ったくまた澪ちゃんの真似しやがってとかなんとか、みっちゃんは部長の青い縞パンをからかってるけど、やっぱりみっちゃんつくづくすげー! 暴言もここまでくると、格好良さすら感じる。到底ボクじゃ真似出来ないよね! むしろ真似した瞬間に、人として終わっちゃうけど!
 部長とみっちゃんは、伊東さんの亡骸を挟んでにらみ合っている。さてここでまた一戦、筆舌に尽くしがたい大喧嘩が始まるのか!?……などと場が盛り上がってきたのだけれど、
「さあさあ、三角関係で盛り上がるのも結構ですが、いい加減撮影を始めましょう。既に40分は経過してますよ?」
 そう言って彼らの間に割って入ったのは、本日一番冷静な山科さんだった。
 げげっ、今日は本当に撮影が進まない……。もちろんボクとしては、女子3人の生おっぱいを間近で見ることが出来たので、人生最大級に幸せな日になったのだけれど、そのおかげで映画が完成しないのは、さすがに切なすぎるってモンだ。ただでさえ、今日の撮影のシーンは、ボクらの映画の最大の山場と言っても決して過言では無い、極めて重要な部分だ。いつも以上に気合いと撮影時間を掛けなければならない。
「おっ、おほん! すいません、ちょっとだけ取り乱してしまいました!」
 部長はいそいそと床に落ちていたタオルを拾い上げ、素早く体に巻き付ける。そして何事も無かったかのようにすました顔で、
「何度も言っています通り、今日は時間がありません。皆さんで楽しい時間を共に過ごすことはとても大切ですが、それでも節度を付けないと単なる悪ふざけになってしまいます。それにここは学校では無く、地域の場所を借りているのですから、普段以上に姿勢を正し、気を引き締めて、正しい学生の本分を全うしなければなりません! ……特に伊東っ! あなたがさっきからいちいちあたしのおっぱいに絡まってきやがるから、撮影がどんどん遅れとんじゃごるぁーっ!」
 いつも通りの説教を始めたかと思えば、部長はすぐに羅刹モード戻ってしまった。全く忙しい人だ。
「違います部長! 部長があまりにも性的に魅力的だから、私ついつい自分に正直になっちゃうんです!」
 そしていつの間に生き返ったんだか、伊東さんは素早く立ち上がると、さっさと水着を直してタオルを巻き、目をうるうるさせながらそんな台詞を宣った。
 この人達、万が一プールの授業とかで一緒になったら、一体どんなことになっちゃうんだろう? むしろ今まで学校から追い出されなかっただけでも、十分奇跡の具現なのかも知れないなぁ。
「よーし、じゃあ時間がねーからさっきのシーンの直前から始めるぞー! あー、たしか”据え膳くわぬは男の恥だ、さっさと私を召し上がれ〜”だっけか?」
 みっちゃんがカメラを弄りながら、微妙に不穏な台詞を宣った。
「違う。”ああんもうー、男の子は据え膳だよー”からだ」
 おお、熊ちゃんが萌えッ子の台詞を真顔で喋った。すげぇ萌える。別の意味で。
「なので小岩井、また優樹の腕を掴んで洗い場の方に引っ張ってくれ」
「分かりました。……いこ、一条君」
 小岩井はなんだかまた顔を赤くすると、ボクの腕を掴んで先ほどの衝撃の現場まで引っ張っていく。
「よし、小岩井はあと半歩後ろ、もっと優樹の腕にしがみつけ。そして優樹は足が反対だ、あともう少し鼻の下を伸ばした顔をしろ」
 みっちゃんは先程のシーンの直前の画像を確認しながら、ボク達にてきぱきと指示を出していく。んー、みっちゃんてやるときはきっちり作業をこなす”出来る人”なんだよなぁ、あくまでベースの部分は。色々と後付け機能がブローして、極めて残念な事になってるんだけど……
「優樹、何か失礼な事を言ったか!?」
「いや!? 何も言ってないよ??」
 もちろん思ったのは事実だけどさ。
 さて、演技に集中集中! 小岩井がおっぱい晒してまでロリッ子薫ちゃんを頑張って演じてるんだから、ボクもそのぶん気合い入れないと。
「んじゃー行くぜ! シーン85の3のちょっと後ろから」
 みっちゃんがカメラをボクらの方に向ける。
「よーい……始め!」
 みっちゃんの初めの声からきっかり5秒後、ボクと小岩井は露天風呂の洗い場付近でじゃれ合い始める。
「あぁん、もうー! 男の子は据え膳だよー!?」
「す、据え膳って! 薫ちゃんは意味分かってるの!?」
「え〜、おにーちゃんって彼女居なそうだもーん。だから私が、今だけ彼女になってあげるって事よ〜!」
 何か小岩井の口から言われると、妙に心に刺さるセリフだなぁ。若木さん、脚本書くとき何かしら悪意を混ぜ込んでなかったか?
 ボクがちらっと若木さんの顔を見るも、彼女は何故かレフ板持ちの熊ちゃんの方を向いていた。まったく、脚本家自らがボクらの演技を見ちゃいねー。仕方ない、そのぶんボクらがしっかり演技をしないとね!
「なっ!? た、確かに彼女はいないけど……薫ちゃんとは年が離れすぎてるし!」
「愛があればそんな事関係無いも〜ん! ほら、早く洗いっこしようよー!」
 ボクは薫ちゃん扮する小岩井に、洗い場に据え付けの椅子に無理矢理座らされた。
「じゃあ、お湯を掛けるねー」
 小岩井はそう言って、シャワーのノブをひねってお湯の温度を調整している。なんだかその仕草は、10年後の女房おねーさんそっくりだった。うわあ、ついついあの時のこと思い出しちゃうそう……。
 ボクは何とか気を落ち着け、股間の愚息が重力に従いジェントルな態度をとり続けるべく、懸命に神様に祈っていた。
 そんな折、いきなりお湯を肩に掛けられた物だから、ボクは派手にびくっと震える。
「あっ!? 熱かった??」
 慌ててシャワーを引っ込める小岩井に、
「いやいや、大丈夫だよ薫ちゃん〜」
 と、無理矢理アドリブで済ませられるよう軌道修正を行う。
「あ……じゃあ、えっと、体を洗うねー」
 小岩井もボクの真意が伝わったのか、微妙にギクシャクしながらも演技を続けてくれている。彼女は据え置きのボディーソープを、事前に洗い場に置いてスポンジに塗りつけると、それをグニグニと揉んで泡を立て、背中を優しくすり始めた。
「おにーちゃん、きもちーい?」
 うふふと、微妙に引きつった顔で笑う演技をする小岩井の声に、ボクは演技では無く延髄で感じてしまっていた。
「うん、キモチイ〜……」
 うあー、10年後に女房おねーさんに背中を洗って貰ったときと全く同じ位に、背筋にビリビリ電気が走るよぉ。ボクの体って、実は全身性感帯なのだろうか。ボクが快感のあまり、ビクビクと痙攣していると、
「あっ……やだぁ……」
 ところがである。脚本に無いセリフを、特段アドリブを言うシーンでも何でも無いのに、小岩井はいきなり小声でつぶやいたのだ。そんな声量じゃカメラに入らないし、一体何が嫌なんだ? ……やっぱり、こいつボクの事大嫌いだから、演技でも体を洗うのが死ぬほど嫌なのかなぁ? 何となく悲しい気分になって、ボクはちらっと小岩井の顔を見てみたのだけれど、それはもう本当に真っ赤な顔になっていた。
 うげげ、ここまで顔赤くするほどムカついてるのか!? 今は一応演技中なんだから、ムカツクのは分かるけどもう少し気を落ち着けようよー
 ボクが心配のあまり、
「演技だから頑張ろうよー」
と小声で言ったのだけれど、
「……あぅぅ、その、そこで大きくなってるのって、演技じゃ無いんだよね……?」
 小岩井は、小声で何か言い返して来やがった。何だ? 何が大きいんだ?? ボクは小岩井がじっと見つめるその視線を追っかけてみたのだけれど、それはボクの股間の愚息に収束しているわけで……
「〜〜っ!!」
 済んでのところで声には出さなかったけど、そいつはいつもにも増して、天に向かって猛々しくそそり立っていやがった。しかも、水着の中で収まっていればここまではっきり見えない物の、何でこんな時に限ってか、水着の裾からはみ出して来やがって〜〜〜!! 一応、カメラのアングルからは死角になってるから、ボクのとっても元気なちんちんが撮影される事は無いのだけれど……小岩井には至近距離で、ボクの男性機能が極めて健全であるのを確認して貰う事となってしまった。
 うわあああっ 恥ずかしい! あまりにもあり得ない!! 恥ずかしくて穴があったら入りたい!!! ……いや、確かこいつは某かの穴に入りたくておっきくなっていたのかも知れないけどさ……。
 さっき、小岩井がボクらにおっぱい見られて泣いてたけど、その気持ちが今は本当によく分かる。これは単に恥ずかしいとかかっこ悪いとかでは無く、そう、魂の底から発せられる、人としての最後のプライドの損失の嘆きなのだと……!
 しかしボクが羞恥を超えた嘆きに打ちひしがれていようと、演技はずっと続いているわけで、小岩井扮するロリッ子薫ちゃんは、かなり引きつった笑顔を貼り付けながら、ボクの背中を優しく擦り続けていた。
「も、もー、おにーちゃんばっかりじゃずるいよぉ、私も洗ってほしいなー」
 やたらセリフがカチコチになってしまった小岩井に続き、
「えええー、さすがに恥ずかしいよー」
 と、ボクのセリフも何だか声がうわずっておかしな物になってしまった。
 ちなみに演技上、ボクが小岩井の背中を洗うのは不可能なので(さすがに水着を取ってまでの演技は無理だからね)、次のカットは二人で湯船につかるシーンとなっている。
「うぉーいかーっと! いいぜーいいぜー、おめーら最高の役者だぜー! ……けどなんか最後の方で、いきなり二人して痙攣してたが何かあったのか?」
 カメラを止めたみっちゃんがめざとくボクらの異変に突っ込んできたけど、ここは謹んでスルーさせて頂きましょう。
「んー? ふつーに演技してたけどねー。小岩井もそうでしょー?」
 そんなボクのわざとらしい言葉に、
「あ、あうあう、ちゃんとやってたと思うけど?」
 顔が赤いのはそのままに、ほっぺたをピクピク引きつらせながら、小岩井は笑顔を向けている。
「まーいーけどよー……。んで優樹よ、おめーいつまでアソコおっ立てとくつもりだ? 小岩井がさっきから恥ずかしがってんじゃねーかよ」
「ぴ――――――――――――――っ!!!!!」
「あうう〜〜!!」
 見れば、他の人たちもボクらに生暖かい視線を送ってくれていた。なになに!? ボクの体の健全性の予備チェック動作が、みんなにしっかりバレてたの!?
 ああん、もうボクお婿にいけないっ!!
 本気で穴があったら入りたいくらいに恥ずかしかったけど、まぁおあいこって奴なのかなぁ? 女子らはおっぱいを晒し、ボクはおっきした息子を晒し。
 なんか皆で色々と傷口をえぐり合ったような気がしなくも無いけど、これもまた青春の一ページという奴でしょう。
 その後、何とか股間にジェントルを取り戻したボクは温泉シーンでの役者をこなし、与えられた二時間ギリギリで予定の撮影を全て終わらせたのだった。ちなみに小岩井は撮影中、大きすぎる水着がずり落ちて3回くらいおっぱいを晒したのだけれど、もちろん紳士なボクはちゃんとその画像を魂の奥に刻みつけ、表面上は何も見なかったことにしておいたのだった。

 翌日以降も映画の撮影は続けられ、若干計画より遅れはした物の、夏休み中に計画されていた撮影はほぼ完了することが出来たのだった。
 ボクの今までの夏休みで、こんなに充実していたことは無かっただろうね。そりゃみっちゃんと熊ちゃんとで一緒に遊んでいたのは毎年の通りだけれど、毎日だらだら無計画に過ごすのでは無く、決められた期限にそって行動し、それに部活の女子達ともつるんでみんなでひとつの作業をするというのは、初めてでもありとっても新鮮な経験だった。だからボクは、この夏休み中の映画の撮影が毎日とても楽しくて、それにがっつり専心していたため、学生の身の上では決して避けることの出来ない苦行の代表格、「夏休みの宿題」をすっかり忘れ果てていた。なのでみっちゃんと熊ちゃんに泣きついて何とか課題の提出日(高校ともなると9月1日ではなく各の最初の授業で提出すれば良いため、わずかばかりのロスタイムが存在するのだ)までに先生に怒られない程度のギリギリのクォリティをもった物をでっち上げ、何とか事なきを得たのだった。
 ボクの高2の夏休みは、こうして過ぎ去っていった。

4 いやいや、まさかね

「今日から二学期だ! お前らいつまでも夏休みをずるずる引きずってんじゃねーぞ。高2の夏はもう終わったんだから、高校生らしく潔く諦めろ! それにそろそろ受験勉強に本腰を入れる時期だ。今ここで踏ん張らねーと、一生後悔するからなー! 大学行きたい奴は勉強しろ! 行きたくない奴はグダグダ抜かしてねーで大学に行け! 働く奴は……まぁこのクラスは就職希望は居ないんだなー。ちなみにニートなんざ絶対許さねーから、可能性の一つにも入れるんじゃねーぞ! だからお前らは必然的に、全員勉強しなければならないわけだ。分かるか、今日からクラスの全員がお前らの良きライバルだ。良かったな、良いライバルに恵まれて! それじゃあ、これから二学期を迎えるに当たっていくつか注意点を述べるから、ちゃんとメモに取っておけよー。まずは……」
 二学期の始業式が終わった直後のホームルームでの、もはや恒例に等しい担任のうざったい説教であった。全く、ひとが夏休み終了というまさに人生終了と同じ位の惨劇の日に、壮絶なる悲壮感を漂わせてわざわざこんなボロ学校に来てやったというのに、テンション駄々下がりのことをいちいち言いやがる無粋な輩である。なんだこの担任の野郎は、ボクらをそんなにウンザリさせて内心で喜んでいやがるのか?……などと、せっかくの担任の叱咤激励を完全に取り違えている残念なバカが居た。極めて遺憾なことに、そのバカはボクだった。
 だってー……。
 昨日までは、こんな肩の凝る制服とか着ずに、自由気ままに遊んでたりとか映画の撮影やってたんだよ!? それがこれから連日、こんなボロ学校で延々勉強ずくめとか……。何さこの落差、まさに天国から地獄への真っ逆さまって奴だよ。酷いよ、こんなのあんまりだよ! こんなの絶対おかしいよっ!!
 ……などとまどかの名言をつぶやいたところで掛かる事態は一切好転せず、明日からはさっさと授業が始まってしまう、名状しがたいアンニュイな始業式の日であった。
 ちなみにさっきから担任が進学がどうのとか言っているようだけど、ボクは将来に何の目標も無かったので、とりあえず「周りがそうだから」という極めて由緒正しい理由に則り進路調査票には”進学希望”と書いておいた。けどまぁ、今となっては学校の先生も良いなぁとか思い始めている安直な自分も居たりするわけで、とりあえず進学って選択は間違ってはいなかったのだと思う。……けどそれは単なる希望であって、現在の自分のステータスウィンドゥを開いてみたところで、”学力”の数値は48(MAX:99)とか切ない感じになっているのだろう。まぁ、ボクはRPGの主人公じゃないからそんなウィンドゥ見られないけど、ヘタに見えたら自分のショボさっぷりがはっきりクッキリ見える化されて、きっと瞬間的に脳波が永久停止しちゃうね! あ〜、見えなくてホントに良かった〜〜。人を不幸にする真実なんて、そんな物存在価値は一切無いんだよー。
「じゃあ、今日はこれで終わりだが、明日から通常授業だからなー! ところでお前ら宿題はちゃんと終わらせてるだろーな? 新学期早々教科の先生にメーワク掛けるんじゃねーぞ。じゃあ、終了!」
 ホームルームで担任が言っていたことをほぼ全て聞き流したボクは、さっさと席を立って部室へと移動した。だいたい今日くらいはさっさと家に帰って、夏休みが終わってしまった悲しさにかまけてベッドの中で心置きなくむせび泣きたい物だけど、撮影を続けないと映画の完成が危ういのは逃れられない事実である。
 一緒に廊下を歩いているみっちゃんの肩をつついて、
「みっちゃん、映画の編集ってもう始めてたりするの?」
 と訊いてみたのだけれど。
「まぁ始めてるけどよー……これが思いの外、難題でなぁ……」
 名優が居てくれるおかげで、もう本当に使えるシーンを探すのが大変だぜーと、みっちゃんは腕を組んでうなだれてしまった。いやいや、名優とかそんないきなり褒められても困るよぉ。……あの、褒めてるんだよね??
「しかし今更撮影のやり直しなど出来ないからな。辛い作業だと思うが、俺に手伝えることがあったら言ってくれ。中古のHDD位なら親父に言って貰ってくるぞ」
「すまんな親友! しかしHDDはこの間のがまだ余ってるからな! 出来ればもうちっと気合いの入ったグラボが欲しい。エンコードの時間が中々掛かってな……」
「分かった。最悪借りるくらいは何とかしよう」
「おお、助かるぜ! 出来ればゲフォの新しいのが良いな。CUDAのパワーが違うからな」
「ん、了解した」
 親友二人は何か意気投合してるようだけど……ゲホってなんだ? エンコーがどうかしたの?? まさかみっちゃん、編集の疲れで脳みそがクルクルパーになっちゃって、憂さ晴らしで女の子をお金で買うようなことを……!
「みっちゃん!! いくらエンコー女だからって、気持ちいいって理由でやってる子ばかりじゃ無いんだからね!!」
「お、おう!? なんだ優樹、いきなりどうしたんだ??」
 なんかみっちゃんは思いっきりびっくりしてるけど……はて??
「……優樹。エンコードというのは、動画データを圧縮して容量を減らしたりすることだ。……援助交際の事じゃ無い」
 熊ちゃんがため息をつきながら言った。
「あぅ?」
 なんか小岩井の自動的が移っちゃったけど、あれ? もしかしてボク、今とんでもない恥ずかしい勘違いをしたの?? あぁん、もうボク、熊ちゃんの顔見られないっ
「……優樹には後で熊ちゃんがしっかり色々教えてくれるだろ……。俺は今それどころじゃねーからな」
 いくら俺でも出来る事と出来ねーことがあるんだとかみっちゃんは腕組みをしたままウンウン頷いているけど、
「毒を食らわば皿までだ、貢。お前にも付き合って貰うからな」
 無理難題ばかり俺に押しつけるなと、熊ちゃんも腕を組んでウンウンし始めた。
 いやいや、てゆーかボクってそこまでアレな訳?? 親友二人に押し付け合いをマザマザと見せつけられると、もしかしてボクって自分が思ったよりも色々と至ってないって事を思い知らされざるを得ない訳なんですが……お願い、誰か否定して!
 ボクは誰も否定してくれないのを確認すると(当たり前だ)、とりあえずこの場を支配する悲しい話題から逃避すべく、別の話題を切り出した。
「で、結局どのくらい編集が終わってるの? シーン自体は2/3くらい撮り終わってるから、半分は行った??」
「あのなー、そんな簡単に作業が進めば俺はここまで苦労はしてねーぜ? ぶっちゃけ繋ぐだけで頭から5分ぶんくらいじゃねーか? これからBGMやら入れなきゃならねーんだから、全体をだいたい30分だと見積もっても、数パーセントしか出来てねーだろうなぁ……」
 道は相当険しいぜと、みっちゃんは余計にうなだれた。
 うわあ、こりゃ確かにまずそうな状況だ。文化祭は11月の後半だけど、後2ヶ月ちょいで残り1/3の撮影をしつつ、ほとんど手つかずの編集を終わらせ、場合によってはセリフのアフレコまでもしなければならないのだ。そしてボクら皆進学希望だから、ついでに受験勉強もしなきゃならないし……。
 本当に映画の制作、終わるのかなぁ……。さすがに物事をあまり深く考えない特技を持つボクでも、現在の状況にはビビらずには居られないよ?
「どうしよう!? このまま終わらなかったらせっかくここまでやってきたのは水の泡だよ!」
「分かってるって! だからベストを尽くすしかないだろう。つーかそう思うんならもうちっとマシな演技を……まぁ最近は優樹もだいぶ見られる様になってきてるから、とりあえず今のまま続けてくれ。そしたらたぶん間に合う」
 今編集してるところのお前の演技はひたすらに酷すぎるだけだからなと、中々酷いことを言うみっちゃんに続き、
「そうだな、優樹がちゃんと演じてくれさえすれば問題無い。他の事象は些末なもんだ」
 などと、熊ちゃんも連れないことを言う。
「えー! 小岩井だっていつもぶすーっとして、まともに演技してないじゃん!!」
「そりゃまぁそうだけどよー……優樹、世の中には程度ってモンがあるんだ。皆まで言わん、分かれ」
「ん。」
 ヲゥ……。ボクの以前の演技は、既成の枠にとらわれない、よっぽど斬新過ぎる物だったようだ……。
「ねぇ、ボクは今からでもやり直しが出来るかな!?」
「残念ながら無理だ。過ぎ去った時間はもう戻らない。失敗は安易に取り返しが付かないからこそ、成功の基礎になるんだ」
 みっちゃんは何か格好いいことを言ってるけど、しかしそれを一言で纏めると”アキラメレ”って事だよ!? うわあああ、もっと真面目に演技の練習をしておくんだった。後悔って、本当に後で悔やむことしか出来ないんだねぇ……。
「ま、だからといって完璧ばかり求めても仕方ねー。俺はベストを尽くすが、所詮は素人のガキが作った映画モドキさ。きっとロクなもんにはなりゃしねーよ。だからお前の演技だって、そこまで滑稽には見えやしねー」
 だから安心しろとかみっちゃんは慰めてくれるけど……それはそれで何だか悲しいなぁ。
 ボクもみっちゃん達と同じように腕組みをして、ん〜とか悩む格好をしていると、やがて部室の入り口が見えてきたのだった。
 さて、今日も映画の撮影頑張らないと。あと、家に帰ったら受験勉強も始めないとなぁ。二学期になったら本気出すとか心に決めていたしね。

- Another View (God's Eye)-

 二学期が始まってから、一週間が過ぎていた。
 生徒達はいい加減休みボケのモラトリアムから脱し、授業と部活動が続く日常のリズムに戻っていた。
 場所は学食、昼食の時間である。
 がやがやと、授業の緊張から一転して弛緩した空気の支配する騒がしいエリアから一人離れ、小岩井は学食の端のテーブルでカツ丼の大盛りを黙々と口に運んでいた。
 共に食事を取る者は、誰一人たりとも居ない。むしろ、集団の圧力によって端の方へ押しやられているような格好であった。
 学生達は、学校生活の日常を取り戻すのと同時に、小岩井に対する虐めも取り戻していた。むしろ、その行為はより陰湿に、よりエスカレートしていた。
 休み前に小岩井に階段から突き落とされたと言って、入院していた不良生徒が休み中に退院し、学校に戻ってきたのも一因だろう。その彼が、小岩井にまとわりつく噂を、意図的に拡散しているのも一因だろう。
 曰く、転校前の学校で、生徒に一方的な暴行を行い、一生治らないけがを負わせた。
 曰く、何人もの男子生徒を誘惑し、性行為を撮影した写真を使って恐喝を行い金品を巻き上げた。
 曰く、風俗店のホストに貢ぐために借金し、夜逃げして引っ越してきた。
 曰く、この学校でも何人もの生徒が被害に遭っている。しかし教師も脅されているので手出し出来ない云々。
 小岩井は、そういった噂を否定することは無かった。あからさまに糾弾されても、無視を決め込んでいた。
 だからだろうか、生徒達の中では、小岩井に対する噂の真実性はどんどん増していき、皆正義と正論をもって小岩井の学校からの排除に動き始めていたのだった。
 この日も、教室から学食に至るたった5分の道のりで、小突かれたこと5回以上、口汚いののしりはそれこそ数知れず。彼女は何度も突き飛ばされながら学食にやってきて、部屋の隅で涙をにじませながら昼ご飯を食べていた。
 どうせ私が悪ければそれで良いのよ。
 小岩井は、心の中で何度も何度も反芻する。
 未熟な者達の集団心理は限度を知らない。小岩井にとって、それは転校前にも存分に味わっていたことなので、よく分かっていたことだった。彼らの正義感や憤りは正しい物であるのかも知れないが、数が多くなれば人殺しの凶器と同じ位の力を持つことを、彼らは全く理解出来ていないのだ。
 例えばここで私が、虐められたことを苦にして死ぬと遺書を残して自殺してやれば、この学校の連中はどのくらい困るだろうか。
 小岩井は、自虐的にそんなことを考える。
 遺書には散々酷い目に遭わされたと、呪詛に満ちた言葉を延々書き連ねれば、マスコミが喜んで取り上げてくれるだろう。それまでの間は、遺書の内容が報道されない内は、彼らは学内に巣くうガン細胞を、正義の力で排除出来たという英雄譚に酔いしれていられるだろうが、しかし報道後、時が経つにつれて、逆に彼らは世間から非難されることになるのだろう……
 ざまあみろとつぶやく小岩井の顔に、昏い笑みが浮かんだ。
 死人に口なしというが、だからこそ死人は強い。死人はその存在だけで、生者をいかようにでも縛ることが出来るのだ。
 死者へ伝えられなかった想いや謝罪の気持ち、認識が正しいのかそうで無いのか、それら心の負担となる後悔や疑問は、彼らが生き続ける限り一切晴れること無く、日に日に重くなっていくだろう。ましてや死者が自ら命を絶ったというのならば、例え死んだ人間がどんなに生前悪さをしていようと、自殺の執行ボタンを押したのは残された人間達なのだ。生者にわずかに生まれた自責の念が、いつしか自らを押しつぶし、人生をことごとく破壊してしまうだろう。
 彼らは私の死で、私でさえ手に入れることの出来なかった”本当の人殺し”の名誉を貰う事になるのだ……。
 そこまで考えの至った小岩井は、自分がボロボロと涙を流しているのに気がついた。
 いつしか箸が止まり、せっかくのカツ丼に涙がぽたぽたと落ちる。
 自分の昼食を涙まみれにしなければならない状況に、彼女は怒りすら覚えていた
 そんな彼女の泣き顔を見て、周りの生徒はクスクスとせせら笑っていた。泣くほど飯がまずければ、さっさとここから出て行けなどという声も聞こえてくる。
 ご飯はちゃんと美味しいのに……! と、小岩井は箸を強く握る。その仕草に、余計に回りの連中が気色ばんだ。
「小岩井さん、ご一緒してよろしいですか?」
 その時、一人の女子生徒の体が、彼女の泣き顔と周りからのぶしつけな視線を遮断した。
 県立二校の変人達をまとめ上げる、文芸部部長の早坂宏美だった。
 今まで小岩井に遠慮会釈の無い悪意を向けていた生徒達は、そこに早坂が現れた途端に視線を小岩井から外し、まるで初めから興味など無かったかのように振る舞い始めた。
 早坂には、可能な限り近づくな。
 それが、二校に存在する数少ない不文律の一つだった。
 様々な事に対してやる気の無い事が、もはや彼らのアイデンティティと成り果てているこの学校において、本来ならば尊ばれるべき”やる気”を持った厄介者の収容先は、たった二つだけ用意されていた。
 一つは早坂が部長を務める文芸部。趣味と道楽に現を抜かしたバカとキモヲタの巣窟だと言われている。
 そしてもう一つが生徒会。教師に媚びを売るだけしか能の無い、優等生まがいの寄せ集めだと言われている。
 文芸部の実態は、ちまたの評価とあまり乖離は無いようだが、しかし生徒会の実力と教師から与えられた権限の強さは、周りの評価が根拠の無い、単なるやっかみであることを如実に示すが如く”本物”であった。
 つまり、この二校においては、生徒会に目を付けられた生徒には一切の立場が無くなる。到底反論できない完璧な正論をもって猛省を要求され、真面目な人間をせせら笑う事が格好いいという価値観を持つ人間にとっては、恥辱にも等しい奉仕活動を強要されるのだ。例えば校内の掃除や草むしりなど。
 もちろん本気で学内の正常な自治を目的とする生徒会は、パワハラまがいの行為など絶対にしないのだが、しかし生徒達にとっては、生徒会と関わりを持つこと自体が到底受け入れがたい事態なのだ。
 そんな、生徒達の穏やかな日常をぶち壊す悪の権化たる生徒会と、早坂は後ろで繋がっている。
 むしろ生徒会は早坂の傀儡であり、全ては早坂の思うがままであると断ずる生徒も大勢居る。
 だからこそ、万が一早坂の機嫌を損ねるようなことがあれば、その生徒は生徒会によって合法的に抹殺されてしまうのだと、ほとんどの生徒は固く信じていた。
 実際には、早坂と生徒会会長は単に昔からの親友なだけだ。そして部長会議などでは、生徒会長と早坂が毎回ディベートまがいの口撃をやり合っている。つまり、彼女らは本当に仲がいいからこそ、お互い言いたい放題言い合っているのだが、そういった事実関係を知らない圧倒的大多数の周りの人間とって、まるで早坂が生徒会を暴力で牛耳っているかのように見えてしまうのだった。
 そんな影番みたいな早坂に媚びへつらい、少しでも自分の立場をよりよい物にしようと近づいた者は、もちろん過去には何人か居た。しかし、彼らの下心を敏感に察知した早坂は当然のことながら怒り狂い、衆人環視の中でそいつをボコボコにしたという痛々しい事案も、彼らの人数と全く同じ数だけ存在するのだ。
 いつの日からか、早坂に近づこうだ等と浅はかなことを考える人間は、学内にはほとんど居なくなっていた。ヘタに信管の生きている核弾頭を弄って自爆するのはばかばかしいし、近づかなければ全く害は無いと皆骨身に染みて分かったからだ。
 余談ではあるが、この生きる核弾頭早坂に向かって鐘持がビッチなどと暴言を吐いている光景は、わりと頻繁に目撃される怪奇現象の一つであった。男子生徒の中には、この鐘持の神をも恐れぬ勇気を真面目に評価している者もそれなりの数は存在する。だから男子の中での鐘持の評判は、彼の素行や言動のクラッシュぶりを差し引いても、実はあまり悪くないのだった。
 早坂は小岩井からの返事を待つこと無く椅子を引き、彼女の前に座った。そして手に持っていたうどんが載せられたトレーをテーブルに置く。
「……私と一緒だと、とばっちりを食いますよ……」
 小岩井は目に溜まった涙を振り払いながら、うどんに目一杯七味唐辛子を振りかけている早坂に視線を合わすこと無く、そうつぶやいた。
「構いません。どうせ私も嫌われていますから」
 ニコニコと、柔らかな笑みを浮かべながら答えた早坂の言葉に、小岩井以上に周りに居た連中が動揺した。一瞬にして食堂が静寂に包まれると、皆顔面を蒼白にする。つまり、彼らは早坂の気持ちなど考える事も無く、ただ彼女避けてさえいれば早坂の害が自分たちに及ぶ事は無いと考えていたのだ。しかし、彼女の方から自分達に対して良い印象を持っていないことを宣言され、その一方的な行為が自分たちの首を絞めていたことに今更気がついたのだった。今後、早坂が生徒会を使って何かしらの報復措置をとることは明白だろう。皆その筆舌に尽くしがたい惨状を案じ、ほぼ全員が絶望していたのだ。
「……ところで、小岩井さんのイメージとカツ丼というのは、中々珍しい取り合わせだと思います。しかもそれって大盛りでしょう?」
 打ち沈んだ周りの様子など一切介さない早坂は、興味津々といった表情で小岩井に問いかけた。
「……カツ丼、昔から好きなんです」
 目を擦りながら返事をした小岩井は、ようやく早坂に視線を合わせた。
「ここのカツ丼は美味しいですよね。私も好きですよ」
「前の学校には学食とか無くて……。お昼にカツ丼が食べられるのは嬉しいです」
 小岩井はカツを一つつまむと、それを口に入れてもごもごと咀嚼する。
「カツ丼だけは、大盛りいけます」
「そうですか。よく食べるというのは良いことだと思います。……むしろそんなの食べてスリムな体型を維持しているというのが、素直にうらやましいです……」
 はぁ、と、早坂はため息をついた。
「……あの、ところでそんなにいっぱい七味唐辛子を掛けたら、辛くないですか?」
 ご飯をもくもくと口の中にかき込みながら、そう問う小岩井に、
「これも、ダイエットのための慎ましい浅知恵だと思って頂ければ……。唐辛子のカプサイシンでいっぱい汗をかいて、少しでもカロリーを多く消費しようという、おバカな女子の無駄なあがきです」
「あぅ……。あの、でも、部長はすっごくスリムだと思いますけど??」
 小岩井の指摘はもっともだろう。早坂はその圧倒的な存在感の割には、見た目の背格好は結構小さい。全体的に肉付きは薄いし、手や足も細い方である。胸部に至っては、良く一緒に居る子分の伊東に”残念でがっかり”などと言われる始末である。
「いえいえ。ちょっと油断していると、すぐにおなかの周りにお肉が付いてしまうのです……。私の家系は、女性は皆非常にふくよかと申しましょうか、母も祖母も姉も皆、バストもウエストもヒップも全部同じ数値だったりしまして……。だから私は、こうして一生懸命唐辛子で真っ赤になったうどんを啜ってわずかながらの代謝の上昇に期待しつつ、友人の美味しそうなカツ丼を横目で見ながら私って太りませんとか抜かして暴飲暴食を重ねたあげくにブクブク太ってみっともない姿を晒しやがったのを見ていつかクスリと笑ってやろうかなどと、日々耐え難きを耐え忍び難きを忍んでいるのですよ……」
「あぅぅ、その、ごめんなさいぃ……」
 ニタリと昏い笑いを浮かべた早坂の噴き出すどす黒いオーラに当てられ、小岩井は涙目で謝る。
「? なんで謝るのです?? まぁ、父方の親類の方々は皆スマートですし、私は父親似らしいので、体型はめでたく遺伝したのかも知れませんが……この背の小さいのも父方でしょうかね。しかし、ホント贅肉という物は、なぜ胸に付かずにおなかに付くんでしょうか……。それにダイエットで絞りすぎれば、おなかがへっこむ前に胸が……。小岩井さんって太らないんですか?」
「あぅぅ!? えと、その、私だって食べ過ぎたら太りますけど……」
 小岩井の箸に摘ままれていた、カツがポロリと器に落ちる。
「そういう事を言う女子は、カツ丼大盛りはやはりどうなのかと。……つまり私は太りませんって言っているようなものですよ? もしかして貴方は私の敵ですか??」
「あうう!? あの、落ち着いてください部長!」
「皆、そうやって私の顔を見れば落ち着け落ち着けって言いますよねー。私、常に精神を落ち着けるよう心がけているのですが、まだまだ未熟ということでしょうか?」
「えぅぅ、あの、その、未熟じゃ無いと思います……」
 もちろん小岩井は、心の中では”未熟とかそういうレベルじゃ無いから!”と激しく絶叫していたのだが、その本音を顔に出さないようにすることにはどうやら成功したようだった。
「ふむぅ。何か他の声も聞こえたような気がしますが……。ああ、早くご飯を食べてしまいましょう。せっかくの美味しい料理が冷めてしまいます」
 早坂は箸でぐるぐるとうどんをかき回し、真っ赤なうどんをずるずると啜り始めた。
「あむあむ。……ん、これは食べ方を一歩間違えると、とんでもないことになりそうなくらいに破壊力があります」
「絶対むせないでください……」
 小岩井はカツを摘まんで口に入れ、もぐもぐと咀嚼していたのだが、やがて真っ赤なうどんと格闘中の早坂の背後から、女生徒が一人這い寄ってくるのが視界に入った。
 もし彼女の小さい口がカツで一杯になって居なければ、早坂に警告の一つや二つ言えたのだろうが……
「うむーっ! うむーっ!!」
と、カツが一杯詰まった口で懸命に喚こうとも、激辛うどんと戦闘中の早坂にはそんな物は聞こえるはずも無く……
「ぶちょーっ! 今日もおっぱい元気ですかーっっ!!」
 等と奇声を発しながら、早坂の脇の下から両手を突っ込み、左右の胸をワシワシと揉み出すダメな女子が居た。
「ひぶっ んぶ――――――――――――っ!!!!!」
「ふむうっ」
 口から盛大にうどんを噴き出した早坂は(もちろん小岩井はとっさにトレイ毎よけたので、彼女の大好きなカツ丼が被爆することは無かった)、ゲヘガホと命に障るくらいに激しい咳を繰り返す。
 特濃唐辛子にまみれたうどんが勢いよく気管に入ったのだ。気合いの入っていない生半可な人間では、即死していてもおかしくは無い。
「きっ、きさまぁーっ! 乙女の慎ましい昼食に何やりやがってくれてんじゃごるぁーっ! ごほごほ」
 お約束通りに鼻の穴から一本うどんを覗かせた早坂が、後ろに居る伊東に蹴りをボコボコ入れながら喚きだした。
「いてっ そりゃお約束の挨拶じゃないですか! そんけーする部長がまうとご飯を食べてるんだから、挨拶もしないで他のテーブルでご飯食べるとかあり得ないです! あいたっ」
「うるせーっ!! どっかアタシの視界に入らないところに消え失せやがれーっ!」
 ずびびっと鼻水+うどんをすすり、何とかテーブルの上の凄惨な状況を片付け終わった早坂は、
「お、おほん! ちょっとだけむせてしまいました。やはり唐辛子の量は適量がよろしいようです」
 皆さんも気を付けてくださいね、とか言いながら、彼女は澄ました顔をして席に着く。
「それでぶちょー、まうとなんの秘密会議ですか!?」
 いつの間にか早坂の隣の席に着いている伊東は、持ってきたメロンパンを囓りながら早坂に話しかける。
「あむあむ。小岩井さんと、カツ丼と贅肉についてお話をしていました」
 これはヘタに啜ると死にますねと、早坂は再び真っ赤なうどんとの戦いを開始している。
「おおー? まうはカツ丼大盛りッ!? あんたそのちっこい身体のドコにそんなモン入るのよ!」
「カツ丼だけは入るんだもん」
「だからって、女子が昼間っからカツ丼大盛りってのは、ちょっと色々自覚が足りないんじゃないのー? だいたいいくら栄養摂ったって、急には胸は大きくならないよー?」
「べつに胸のために食べてるんじゃないもん……やっぱりダメですか?」
「いやー、そんな涙目になってこっちを見られても……。うん、やっぱ好きこそ物の上手なれって奴だね! 好きだったらカツ丼上手でも良いんだよー」
「……伊東さん、そのカツ丼上手というのは具体的にどんな状況を表すんですか?」
 隣で真っ赤なうどんと格闘していた早坂が、伊東の斬新な言葉に反応した。
「そうですねー、様々な料理には、それぞれに正しい食べ方ってのがあると思うんですよー」
「ほうほう。それは作法とかそういった類の物でしょうか?」
「いえ、敢えてここでは様式美という言葉を使いましょう。例えばうどんやそばを食べるときは、下品にならない位はずるずる音を立てて食べるもんです。ぶちょーみたく、スパゲッティみたいにうどんを食べるのは、様式美に反するという物ですよー!」
「………。これには深い事情があるのです!」
 ヘタに啜ったら、私の肺が大爆発しますと早坂は言う。
「それをこらえるってのが江戸っ子の粋ってもんですよ! おっぱいだけじゃ無く、うどんの食べ方までがっかりじゃないですか〜〜」
「私は代々江戸っ子じゃありません!」
「全くつれないなぁ。じゃあ続けますよー? 例えばさっきからまうががっついてるカツ丼!」
「がっついてないもん……」
「いやいやー、カツ丼ってのはがっついてナンボってもんなんですよー。例えば、せっかくカツがご飯の上に載せられているのに、それをいちいち小皿やどんぶりのふたによける奴がいますけど、そういう輩はカツ丼食う資格はありません!」
「何でです?」
 食べやすいからいいじゃないですかと言う早坂に、
「ちっちっち。分かっちゃ居ないねお嬢ちゃん〜〜」
 伊東は人差し指までふりふり、微妙に馬鹿にしたような視線を早坂に向ける。
「……後輩にお嬢ちゃんとか言われたくはありません!」
「あれ? 私ダブってるから部長と同い年ですよ? 知りませんでした??」
「はいぃ!?」
「あうぅ??」
 いきなりの伊東の衝撃カミングアウトに、早坂も小岩井も目をまん丸にする。
「あ、あの、すみません、私全く存じておりませんでした……」
「あうぅ、その、私も知らなかった……。あの、何かあったの?」
「いやまぁ、嘘ですけどね?」
「くっ……!」
 拳をぐっと握った早坂は、隣でヘラヘラ笑っている伊東の横っ腹に重々しい肘鉄をめり込ました。ごぶっという、健康な生き物からは決して聞こえてはいけない類の音が、彼女の口から漏れ出ている。
「まだ何か言い足りないことがあれば、話を続けなさい」
「は、はひぃ〜〜。えとえと、カツがご飯の上に載せられているというのは、暖かいご飯の熱でカツを温めたままにするという働きがあるんですよー。だからそれをどけてしまうというのは、わざわざカツを冷やしてしまう愚行なわけなんですー。どうせだったら暖かい方がいいでしょー??」
「なるほど、確かに一理あります」
「そして、本来の和食ならばご飯とおかずは別々の器に分けられているのに、それが一つになっているというのは、勢いよくがっついて食べられるって意味もあると思うんですよー。健康には悪いのかも知れませんけどー。美味しい丼物を、まうみたいにがっついて食べるっていうのは、それはそれで正しい食べ方だと思うのですー」
「だからがっついてないもん……」
「つまり、料理の盛りつけ方、そしてその特性に合わせた美味しい食べ方をするというのが、伊東さんの言う様式美という物なんですね。確かにその通りだと思います。珍しく貴重なお話を聞くことが出来ました」
「いやいや〜〜………あの部長、珍しくってのは具体的にどんな意味で?」
「皆まで訊きたいですか?」
「いえ、いいです……」
 伊東は縮こまってメロンパンを囓り出す。
「おやおや、皆さんで揃ってのお食事ですか?」
 そこへ現れたのは、文芸部でBL同人誌を描いている山科と若木であった。
「あの、ご一緒してよろしいですか?」
 若木が早坂に訪ねると、
「ええ、もちろん。あむあむ」
 食事は皆で取るのが楽しくていいですと、真っ赤なうどんをもくもく咀嚼しながら返事をする。
「ではではさっそく」
 山科と若木は、小岩井の隣に座った。
「ところで部長、学食のメニューにそんな真っ赤なうどんはありましたっけ?」
 山科は自分が持ってきたトレーをテーブルに置くなり、早坂のうどんを覗き込む。
「いえ、これは私が唐辛子を入れた物です」
「あの……これは身体に悪くないですか??」
 これが元は同じ物だったなんて……と、早坂と同じうどんを持ってきた若木は、なにやら切なそうな表情を浮かべて真っ赤なうどんを見やる。
「しかもこっちでは、まうっちがカツ丼大盛りを平らげています! いやはや、今日日の女子は中々エキセントリックな食事をしているものですね」
 山科は自分が持ってきたサラダうどんにフォークを突き刺すと、クルクルと麺を巻いていく。
「わあ、まうちゃんすごいね! ……私も頂きまーす」
 若木は割り箸をパチンと割ると、麺を一本摘まんでチュルチュル啜った。
「まだ平らげてないもん……」
 小岩井は何だか涙目になりながら、カツを摘まんで口に入れた。
「こらこらー! 腐女子が二人揃ってなんつーうどんの食べ方してんの!」
「いきなりなんですか??」
 山科がもぐもぐとうどんを咀嚼しつつ、伊東の声に反応する。
「実はさっきから、料理にはそれに似合った食べ方があるという話題で盛り上がっていたのでしたー!」
「主に、伊東さんが一人で喋っていただけですけどね」
 早坂が絶妙なタイミング突っ込みを入れる。
「ほほー? それは一体どういうことで?」
 興味を示した山科に、伊東は胸を張りつつ
「つーまーりー! それぞれの食べ物には、それに似合った食べ方があるって事なのさー! 例えばカツ丼は、さっきっからまうががっついているように、ガツガツ食べるのが美しい!」
「だからがっついてないもん……」
「ほほう、それで?」
「あんたらが食べてるうどんは、ちゃんとジュルジュル啜って食べなきゃダメって事なのー! まぁ、やまちーのは汁が入ってないからそんなに啜れないかも知れないけどー、だからってフォークでスパゲッティーみたいに食べちゃダメでしょー! せっかくの和食なんだから、ジャパニーズなギャルはお箸を使うべきなのでーすっ!」
「なるほど……まぁ次に食べるときに考慮しておきましょう」
「うわあ、つれないなぁ。そして次はなるちゃん! あーた、何さっきっから一本一本ちまちま食べてんの! そのデカいロリ爆乳の様に、ばばんとずるずる一気にいきなさいよー!」
「胸とか関係無いでしょ……!」
 若木は慌てて手で胸を覆うと、顔を真っ赤にして反論する。
「だいたい、うどんやラーメンを啜りなが食べるというのは、美味しいお汁も一緒に口に運んで味を楽しめるって利点があるんだよー? それを一本一本食べてたら、せっかくのお汁が口の中に入ってこないじゃない! まったく、あんた達には何か私を唸らせるような食に対するこだわりってのはないのー!?」
「カツは、カツ丼に限ります」
 なぜか、小岩井がぼそっと呟いた。
「こだわり……特にこだわりは無いけど、好きな料理とかならあるよ?」
 私は餃子がとっても大好きと、若木はほほを赤らめながら答えた。
「ギョーザっすか! ではでは、そんななるちゃんに一つ訊きましょう。ギョーザ食べるのに、あまあまの練乳とかぶっ掛けて食べてる人ってどう思う?」
「死ねばいい」
「いえーい! それがこだわりって奴だってー!!」
 何故か伊東は元気よく断言した。
「なるっちは餃子ですか……。私も嫌いではありませんが、あれは食べた後のニンニクの臭いがどうも……」
「だからちょっと恥ずかしくって……でも家とかで出てきたら、もういっぱい食べちゃう!」
 後で口臭消しもいっぱい食べるんだけどねと、若木は余計に顔を赤らめていた。
「なるほどー、なるちゃんの爆乳はギョーザで出来ていたと! やまちーは何か無いのー?」
「私ですか? そうですねー。特に好き嫌いは多くないと思うのですが、鶏モツのキンカンだけはいただけません」
 むしろアレは人間の食べるものではありませんと、山科はこめかみに青筋を立てて呟いた。
「あぅ? キンカンってミカンのちっちゃいの?」
「いえ、形が似ているからそう言われているみたいですが、山科さんが言われているのは卵の黄身の発生途中のものでしょう」
 やっとの思いで真っ赤なうどんを殲滅し終わった早坂が、ちょっとだけ潤んだ瞳で会話に割り込んでくる。どうやらカプサイシンの香りが、目の方まで上がってきたようだ。
「そうです、あのタマゴのなり損ないのことです! 普通の黄身ほど食感は良くなく、何とも言えない粘っこさと生臭さが最悪な物です!」
「どーでもいーけどー、なんでそんなに熱くなってんのー?」
 そんな伊東の問いかけに
「うちの親が大好きだからですっ!」
 山科は勢いよく立ち上がり、目に涙を浮かべながら言い放った。
「「「「あー」」」」
 周りに居る連中は、皆揃って首肯する。
「確かに、ご両親がお好きならば、高頻度で食卓に並びますね……」
「むしろ、小さい頃から大量に食べさせられたから、ひっくり返って嫌いになったクチー?」
「それは、確かに悲劇だわ。心理的なアレルギーと一緒かも」
「あうぅ、辛いよね……」
「そういう事です……。なので私は、高校を卒業したらすぐに一人暮らしをして、キンカンとは一生無縁な生活を送るのが夢なのです」
「……やまちー。きっとご両親は、娘のためだからって毎週のようにキンカンを送ってくるよー?」
「貴方なんてコトを言うのです?! そんな事されたら私は死にますよ!? あんなゲテモノのために人生壊されるなら、私は生きてる意味なんてありません!! ソッコーでハラワタぶちまけて死んでやりますから!!」
 文芸部の山科と言えば、いつも飄々としていて決して言葉を荒げたりしない人格者(ただし趣味がBL)として、校内ではそれなりに有名な人物だった。背は高く、プロポーションも悪くない。若干シャープな顔を持つ彼女は、女子にとっては甘いマスクを持つステキな王子様、男子にとってはナイスバディの美人として人気もある。
 そんな彼女がここまで取り乱すのは、彼女が二校に入学して以来初めてのことであった。
「うわあ、あの、山科さん、是非落ち着いてくださいっ! まだキンカンが送られて来ると決まったわけではありませんからっ!」
 普段は皆に落ち着けと言われる方の早坂が、珍しく慌てて山科を抑える。
「ぜぇぜぇ……ああ、すみません。私、どうもキンカンだけは正気を保っていられなくなるのです……」
「やっべー、パンドラの箱開けちゃったー」
 てへぺろっ、などと舌を出しておどける伊東に、
「幸せなんか残ってないから!」
 と、小岩井がつかさず突っ込んだ。
「いやいや分からないよー? なんせやまちーのナイスバディは、キンカンで出来ているってことだからねー?」
「うぎぎ、やはりこんな身体、今すぐ爆破してしまった方が……!」
「いい加減、人のトラウマを弄るのはやめなさいっ!!」
 叱責の言葉と同時に、早坂の肘鉄が伊東の横っ腹に深く深くめり込んだ。
「ぐぼっ」
 伊東の口からは、正常な生命活動を続ける生物の口から決して聞こえてはいけない類の音がはき出され、彼女はクテリとテーブルに倒れ込んだ。
「馬鹿者は成敗しました。山科さんもこれで一安心です」
「うぅぅ、もう取り返しが付かないくらいに汚されてしまった気分です……」
 山科は涙をだくだく流しながら、残っていたサラダうどんをジュルジュル平らげていく。
「おっ! やっぱりうどんはそう食べなきゃ!」
 いつの間に復活したのやら、伊東は親指をぐっと天に向けて山科の方に突き出した。
「貴方どんだけ頑丈なんですか!?」
 攻撃の強さにある程度の自覚、もしくは自信があったのか、早坂は早速生き返った伊東に驚愕の視線を向けている。
「ちっちっち、愛の力を侮っちゃいけねーぜ、お嬢ちゃん♪」
「だから後輩にお嬢ちゃんとか言われたくありません!!」
「ふふふっ……クスクス」
 そんな彼女らのやりとりを見ていた小岩井からは、自然に笑い声がこぼれていた。
 しかし、やがてその声は嗚咽に変わっていく。
「どうしたの、まうちゃん?」
 小岩井の隣に居た若木が、心配そうに声を掛ける。
「ぐずっ……あの、私って、皆さんに一緒に居て貰って、ホントに幸せだって………!」
 小岩の手から箸がこぼれ落ち、テーブルの上に転がる。
 彼女は目から溢れる涙を懸命に払おうとするが、それは止めどなく流れ出て、嗚咽の声もだんだんと大きくなってゆく。
「前の学校でも、今の学校でも、私はみんなに避けられているのに……皆さんだけは私と一緒に居てくれて……」
「それは勘違いですよ、小岩井さん」
「あぅ?」
 早坂は空っぽになったうどんのどんぶり碗を端に寄せ、小岩井に向き直った。
「私は……ここに居る皆さんは、貴方と一緒に居てあげてるんじゃありません。貴方の周りに集まったんですよ。小岩井さんと一緒に居たいから、貴方のことが好きだから、ここに自ら集まっただけです」
「あうぅぅぅ〜〜!」
 余計に大きい声で泣き出した小岩井を、若木がぎゅっと抱きしめる。
「まうちゃん、私たちはみんなまうちゃんの味方だからね」
「あうぅ〜〜!」
「そうです。周りの連中が何を言おうと、我々はまうっちと共に在ります。私はまうっちは尊敬に値する人物であると思っています」
「あぅぅ〜〜!」
「そーそー。だから辛いことがあったらどんどん私たちに言ってよー。そんで泣きたくなったら、なるちゃんの爆乳に飛び込んでいいからね〜。そのチチはまうの物だ!」
「だから胸は関係無いでしょ!!」
「あうぅ〜〜」
 小岩井は若木の胸から若干顔を離そうとしたが、
「んもう、変な気を遣わなくていいから……」
 若木は小岩井の頭を撫でながら、自分の胸にぎゅっと押しつけた。
「あぅ〜〜」
 そのまましばらく、小岩井の嗚咽が収まるまで、若木は小岩井の頭や背中を優しくなで続けていた。


「あうぅ、その、ごめんなさい……」
 いつぞやの優樹のTシャツのように鼻水でべちゃべちゃにこそしなかった物の、若木のブラウスはひと泣きを終えた小岩井の吐息や涙で、若干透け気味になっていた。
「いいよ、そのうち乾くって。それよりカツ丼食べちゃおう? 昼休みも終わっちゃうよ」
「あうぅ……」
 若木は自分のブラウスを摘まんでぱたぱたと振りつつ、自らの残ったうどんを食べ始めた。
「だからなるちゃん! うどんはジュルジュルいかないとー!」
「ブラウスに汁がはねるじゃない……」
 いちいちうるさいわねと、若木は2、3本うどんを摘まむと淑やかにうどんを啜り始めた。
「おおー、なるちゃんはうどんを食べる姿もエロいねー!」
「貴方は同性をどんな目で見てるのよ……ほらまうちゃん、早く食べちゃおう?」
「あうぅ、カツ丼……」
 小岩井はテーブルに落とした箸を片付けると、新たに備え付けの割り箸を割り、早速カツ丼を食べ始める。
「明日から、お昼はみんなで一緒に食べませんか? やはり私は、皆で食べるご飯はとても美味しいと思います」
 小岩井がもくもくとカツ丼を食べているのを温かい眼差しで見ていた早坂は、自分の周りに座る部員を見やる。
「私はぶちょーのおっぱいと共にどこまでもいきおぶっ!」
 早速喚きだした伊東は、早坂から本日3発目の重々しい肘鉄を食らった。彼女はそのまま椅子から崩れ落ちると、それっきり動かなくなった。
「もちろん、私も参加させて頂きます」
 山科に続き、
「私もご一緒します」
 若木も笑顔で応じた。
「んくんく、あの、私も……」
 小岩井は慌ててカツを飲み込み、自信なさげに返事をする。
「もちろん小岩井さんもですよ。皆が揃わないと、意味がありませんからね。さて、そろそろお昼休みも終わりです。午後の授業を頑張ってから、また皆で映画撮影を頑張りましょう」
「「「はーい!」」」
 彼女らは急いで昼食の残りを平らげると、トレイを持って立ち上がった早坂の後に続いて、食器の返却口に歩いて行った。
 彼女らが去ったテーブルの下には、伊東の亡骸が転がったままだった。
「いや、ちょっと! 置いていかないでよー!!」
 伊東がそう叫んだときには、4人は既に食堂から出た後だった。

- Another View End -

 夏休みが終わってから、早くも1ヶ月が過ぎ去っていた。
 陽の強さはまだまだ十分夏だけど、その傾きは急になり、夕方が訪れる時間がだんだん早まってくる。文化祭まであと2ヶ月を切り、ぼちぼち本気を出して映画制作の追い込みを始めなければならない時期だった。
 そんな10月初旬の放課後、今日はボクたちの撮影日だった。しかし、未だ撮影は始まっていない。
 ロリッ子薫ちゃんの家にお世話になっている主人公が、薫ちゃんと別れる直前のシーンの演出で、文芸部の男女全員で激論を戦わせていたのだ。ちなみに場所は学校の廊下の真ん中である。下校や部活へと急ぐ生徒達が、露骨に邪魔そうな視線をちらっと向けて、足早に過ぎ去っていく。
「だーかーらー! 俺は真面目に言ってんだって! そこでキスしなきゃつまんねーだろ!?」
「つまんないも何も、そんなところでキスなんてするわけないじゃない!! だいたい脚本は若木さんでしょ!? 貴方たちが勝手に変えて良いわけないじゃない!」
 珍しく、みっちゃんと小岩井が言い合いをしていた。お互い完全に頭に血が上って、周りが全然見えてなさそうだ。
 ちなみにこの言い合いの発端と言えば、我らがスーパーローアングルカメラマンのみっちゃんが”最後の夜は薫は主人公の学生にキスするべきなんだ!”とか何とか、いつも通りに余計なことを言い出したことがきっかけだった。ところで最後の夜というのは、主人公たる学生はこの日も薫の家に泊まるんだけど、翌朝には薫もおじいさんも彼らの家も消え失せて、学生は落ち葉の吹きだまりで一人寝ていたところを、一緒に来ていた学生達に発見されるという意味である。
 つまり、薫と学生を出逢わせた魔法の時間は、この日で終わってしまったってことだろうねぇ。
 ま、誰もが羨むお年頃の男の子たるボクの勝手な感想では、どうも薫は今夜で自分たちが消えてしまうことを理解していたようなので、そんな時くらいは勢い余ってチュウくらいしても、あまり不自然では無いような気がするんだけどねぇ……。しかし女子(主に小岩井)に言わすところによれば、そんなもんは男性視線に偏ったご都合主義的軽薄な演出であり、簡単に纏めると”エロゲのやり過ぎ”、なんだそーだ。まぁ、確かに普段のみっちゃんの素行を鑑みるに、そりゃ確かに間違いない気もするけどなぁ……。
「だからこうやって相談してやってんだろこのチビッコはよ!! だいたいテメーはいちいち突っかかってくんじゃねー!!」
「何で貴方はいつも上から目線なのよ! それに人の事をチビとか言わないでよ!」
「チビッコにチビって言って何が悪いかってんだ!! だいたいテメーは毎朝顔洗ったときに鏡に映る、自分のちんちくりんな背格好を見て、ちったあ何か思うところはねーのかよ!」
「そんな事、貴方に言われる筋合いは無いわよ!!」
「まぁまぁお二人とも、さっきから論点がずれてますよ。ここはとりあえず、脚本を書いたなるっちのご意見を伺いましょう」
 二人の間に割り込んだ山科さんが、後ろの方でオロオロしていた若木さんを呼ぶ。
「なるっちはどう思われます? 薫はキスをすべきか、そうでないか」
 参考ですから気楽にと、山科さんはそう声を掛け、こちらに来た若木さんの手を握った。
「えと、あの……私としては、別にどっちでも良いかなって……」
「どっちかはっきりしろや腐女子2号! これじゃ両方収まらねーじゃねーか!!」
「何よ!! いちいちすごまないでよ!」
 涙目で言い返す若木を、山科は軽く抱き寄せる。
「まぁまぁ、鐘もっちもわざわざ大声を張り上げないでください。図太い貴方と違って、なるっちは繊細に出来ていますので」
「けっ! 悪かったよ!!」
 全くこれだから腐れ女共は!とかみっちゃんはブツブツ言っているけど、さてはて、結局キスの件はどうするんだ?
「あのさー、それで結論は?」
 そんなボクの、極めて当たり前の質問に、
「だったらお前はどっちなんだよ、優樹!」
 どうせテメーがチビッコとキスするんだから、もうお前の好きにしろやなんて、不機嫌を炸裂させたみっちゃんに、いきなりやっかい事を振られてしまった。
 うげげ、確かによくよく考えてみれば、キスの演技するのはどう考えてもボクじゃん! さすがに代役やスタントマンを頼むわけには行かないしなぁ……。
「あの、みっちゃんボクの代わりに演技する?」
 ボクはこの期に及んで見苦しく、みっちゃんに助けを請うてみるも、
「馬鹿野郎! なんで俺がやらにゃあならんのだ!?」
 全く仰るとおりですよねー。……だけどさ〜〜〜!
 そのキスの相手って、最悪なことに小岩井なんだよ!? もう本気で勘弁して欲しい。恥ずかしいとか照れくさいとかは今更もうどうでもイイとして、演技中にこれ以上事故か何かが起こったら、ボクのこの女に対する悪行値が青空天井を通り越して、そのうちホントにダンプに轢かれちゃうかも知れないよ〜
「やっぱやめない!? まだボク死にたくないし……」
「それってどういう意味よ!!」
 あ、小岩井が怒った。でもでも、ここで先ほどの悪行値云々の具体的説明をするのは、あまりにもヤバ過ぎるというものだ。小岩井の生おっぱいを超至近距離で見たり、すっころんで胸の谷間に顔を埋めたあげくにおっぴらいた太ももにしましまパンツを拝謁したのは、まぁ皆に既に知られているからいいといても、森の中で強姦まがいに抱きついたりとか、そこから家まで手ェ繋いで歩いちゃったとか、そんな恐ろしい性犯罪の実録を、こんな衆目の面前で晒すわけにはいかないよ〜〜!
 ボク、絶対明日から学校のみんなにイチジク強姦魔って言われちゃう! そんなのは嫌だ〜〜!
 あとあと、こいつはどっか別の男が好きだとか何とか言ってたし、ボクはそもそも略奪愛とか寝取られとかって大嫌いだから、もうこいつにはヘタに近づきたくないんだよねー!!
「まーまー、小岩井も嫌だって言ってるんだしさー。それに小岩井だって、ボクなんかとそんな演技、死んでもしたくないんでしょー?」
 ボクは自分の保身および小岩井の本心を代弁し、とりあえずこの場を納めるべく頑張ってみたのだけれど、
「そ、そんな事じゃないから! 違うの、だから、あう〜〜……」
 などと、やたら焦った小岩井からは、何かよく分からない返事が返ってきた。結局何が言いたいんだ、こいつ……?
「ほほぅ? つまりまうっちは、キスの演技自体には問題が無いと? ならば、一度やってみてはいかがでしょうか。なるっちも脚本的には構わないと仰っておりますので」
 うわあ、何か目を輝かせた山科さんが、とんでもねー事言い出し始めた! これだからBL好きは! これだから腐女子二人組は!!
 ボクはそういえば男女のキスにBLとか腐女子成分は無いよなぁとか思いつつ(当たり前だ)、助けを請うべく熊ちゃんを見たのだけれど
「ん。」
 と、まったく意味の分からない力強いうなずきだけを送ってきてくれた。
 何だ、つまり熊ちゃんはやっちまえと言っているのか!? 普段は寡黙な常識人を装ってるくせに、やはりその中身はボクらと同じ、皆が羨むお年頃のエロゲのやり過ぎな男の子なのか!?
「つーかよー、キスの演技ぐらい別に構わねーだろうがよー! おめーらあんだけ風呂屋でいちゃいちゃ乳繰り合っときながら、今更ぶりっ子決めてんじゃねーよー」
 そんなもん適当にやりゃあいいじゃねーかと、煮え切らないボクらの態度にいい加減しびれを切らしたのか、みっちゃんがいきなり喚き出すも、
「けど嫌だもん!!」
 と、小岩井は顔を真っ赤にして言い返した。
 うわあ。結局すっげぇ嫌がってんじゃん……。という事は何だ? こいつ自分できっぱり拒否するのは角が立つから避けておいて、他の奴に止めさせて責任押しつけようとしてるのか!? すっげぇ策士、まうっち侮れないねー!
「小岩井もさー、ちゃんと自分で”一条なんかと1メートル以上近づきたくない! 殺す!!”ってはっきり言えば、脳みそがクラッシュしてるみっちゃんだってちゃんと分かってくれるんだからさー」
「おいコラ。その脳がクラッシュしてるってのは何だ?」
 あ、やばっ。ついつい本音がこぼれちゃった。
「だから、それとはちがくて、そういうのじゃ無くて! あう〜〜〜!」
 小岩井は涙までにじませて、ついに癇癪を出し始めたよ……。
「そう言うも何も、そんなに怒ってまで嫌なんでしょー? 無理しなくていいって、ボクのこと憤死するくらい嫌いなのはちゃんと分かってんだから、嫌なことはしなくて良いって!」
「だから違うのー!!」
 あーもー、ホントこいつ何が言いたいんだ!?
「もうはっきり言ってよ! 一条が嫌いだからキスなんて演技でもしたくないって!! そうすればこの場は収まるんだから! 早く撮影しようよー!!」
「う〜〜〜〜っ!! 違うったら違うのー!!」
「違う違うって、一体何がどう違うってんだよ! ボクらバカチンなんだから、ちゃんと言ってくれないと分かんないんだから!!」
 いい加減イライラして声を荒げたボクに、
「優樹、いい加減にしろ」
 熊ちゃんがボクの肩を掴んで、小岩井から引き離した。熊ちゃんの強すぎる握力で肩に激痛が走り、かえってボクはそのショックで冷静になることが出来た。
「つーかテメーは一体どっちなんだってんだよ!! いい加減にはっきりしろや!」
 全くこれだから女はウジウジしてしょうがねぇと、ボクの代わりにみっちゃんが問い詰めると、
「だって……恥ずかしいもん」
 と、下を向いた小岩井が小声でぼそっと言った。
「うおー!? ばっち萌え〜〜!」
 今の今まで、後ろの方でニヤニヤしながら事の推移を見守っていた伊東さんが、急にワケの分からないことを言い始めたよ。てゆーか女子にも萌えって分かる物なの? でもあの人、いつも部長のおっぱいにしがみついてばかりだし、実は女の子の皮を被ったおっさんか何かなのかなぁ……
「つーか、あれほど俺らにエロゲのやり過ぎだの何だの文句言っておいて、ホントの理由がそれかよテメーはよぉ!?」
 身勝手もここまでくれば芸術的だぜとか、みっちゃんは普段の自分の素行を棚に上げて、これ見よがしにそんなセリフを宣った。みっちゃん、一体どの口がそれを言うんだって奴だよ、それ……
「あう〜〜〜! 嫌だったらいやー!」
 そして小岩井の方も、何だか駄々っ子が癇癪を起こしたような声を出し始めたよ……。
「あのなー、いくらキスだの言っても、そんなもんヤラセでいいに決まってんだろ!? それにホントにやっちまったってよー、単なる遊びだと思ってりゃいいじゃねーかよ! 役得だぜ、役得!」
「そんなの絶対いやーっ!!」
 ひときわ大きな声を出した小岩井は、その小さい手でゲンコツを作り、みっちゃんの胸を思いっきり叩いたのだった。もちろんそれなりに身体の大きいみっちゃんは、小岩井のか弱い力では全く動じる事などない。
 けどさー……。
 いくら演技だとしても、そんな金切り声を上げてまで否定されると、男優たるボクはさりげにとってもざっくりしっかり傷つくんだけどなぁ? そりゃあボクのこと爆死するくらいに嫌いなのは、もちろんさっきから言ってるとおり十分分かってるつもりだけどさー……。だけど目の前で思いっきり拒絶されるのは、何だかもうボクって存在自体を否定されたようなもんじゃない。
 ボクはもうあまりにも悲しくて、うっすら涙が湧いてきたのだけれど、
「いきなりなんだよテメーは! ぐだらねー冗談に何一人で勝手にマジになってんだよ、いちいち真に受けてんじゃねーよ! そんなんだから周りのバカ共に勘違いされて……」
「もうやめて―――っ!!!」
 そのいきなりの悲痛な叫び声に、ボクは涙なんか引っ込んで、ぎょっとしながら小岩井を見た。
「もういやあ!! もうやだ――――――――――っ!!!」
 小岩井の絶叫が、ボクの耳朶を激しく打つ。ボクらはその鬼気迫る位の声に震え上がり、皆身動き一つすらとれなかった。そして次の瞬間、小岩井はみっちゃんを突き飛ばして走り出し、これから行こうとしていた部室とは反対方向へそのまま走り去っていってしまった。
「ま、まうちゃん! 待って!!」
 いち早くショックから抜け出た若木さんが、小岩井を追いかけてゆくなか、部長と山科さんが、険しい顔で彼女らを見送っている。
「ったくよー、何だってんだ……」
 さすがのみっちゃんも、口調とは裏腹に顔を若干青ざめさせ、小岩井が走り去っていった方を呆然と見ていた。
 と、その時であった。
「あんた、少しは人の気持ちも考えなさいよっ!」
「なんだとぅ!?」
 みっちゃんが、伊東さんの声に振り向いた途端、
 ガツン!
 伊東さんの右拳が、みっちゃんのほっぺたを激しく殴りつけていた。綺麗な右ストレートだった。
「がはっ」
 小岩井に殴られたときとは違い、みっちゃんはそれこそ吹っ飛んだという表現にぴったりな程その場でクルクル回転すると、やがて廊下にぶっ倒れてしまった。
「なっ!? いきなり何するの!?」
 あまりの唐突な展開に、ボクは伊東さんに向かってそう言うも、
「黙れ、優樹。今のはいいんだ」
 熊ちゃんはボクの襟首をつかむと、そのまま後ろに引っ張ってみっちゃんや伊東さんから引き離す。
「部長、申し訳ないが、今日の撮影は休みにして頂きたい」
「……そうですね、それが良さそうです。お互い色々と整理すべき事が多いようですし……。では、また明日からの撮影を、よろしくお願いしますね」
 部長はボクらに頭を下げると、
「山科さん、我々も小岩井さんを迎えに行きましょう」
「分かりました」
 山科さんは部長に首肯し、二人で小岩井が走って行った方に歩いて行った。
「優樹、俺達は部室に行って明日の撮影に備えるぞ」
 女子二人を見送った熊ちゃんはそう言うと、ボクらの返事も待たずに部室に向かって歩き始めた。だけど、さっきからみっちゃんが伊東さんに襟首を捕まれて、激しい剣幕で罵声を浴びせ続けられているんだけど……?
「ちょっと待ってよ熊ちゃん! みっちゃんが伊東さんに捕まったままだよ!」
「あれは放っておけ。問題ない」
 彼らの方を見ようともせず、熊ちゃんはさっさと部室に向かって歩いて行く。ええー、みっちゃんと熊ちゃんの友情ってそんな程度なの!? 友を助けようとは思わないの??
 ボクらは良く3バカトリオと呼ばれているけど、実際みっちゃんと熊ちゃんは、ボクが通っていたのとは違う中学校時代からの親友なのだ。だから3バカトリオを結成したのは高校からで、みっちゃんと熊ちゃんはボクと以上にずっと友だち付き合いをしていたはずなのに……。
 ボクは小さくなりつつある熊ちゃんの背中と、廊下に尻餅をついたまま、馬乗りになった伊東さんにかっくんかっくんされているみっちゃんの横顔を何度か見比べながら、とりあえず熊ちゃんの背中を追いかけたのだった。こういうときこそボクの特技、”物事を深く考えない”を活用しなくちゃね。
 だいたい熊ちゃんはさっきから問題無いって言ってるし、みっちゃんはみっちゃんでやたらしぶといから、きっと女子の魔の手から逃れて、生きてこっちに戻ってきてくれるでしょう。

 そして、これは後で聞いた話なんだけど、一人で走って行った小岩井は、廊下の突き当たりでわんわん大泣きしていたそうだ。なんか、彼女の周りをバカ共が取り囲んで茶化していたかららしいのだけれど、それを女子チームが追っ払ったら、何とか泣き止んだんだそうだ。てゆーか、いじめっ子達にからかわれて大泣きしてるとか、気持ちは分かるけどJKとしてはどうなんだろうねぇ……。腐ってもお年頃の女子なんだから、あんまり子供じみた態度は良くないと思うよー
 けどそんな事よりも、廊下の真ん中でみっちゃんと大喧嘩していた件で、小岩井の悪口を言う奴がまた増えてしまったらしい。みっちゃんが小岩井を怒らせてゲンコツ喰らってたのを見たヤツが居たらしいのだけれど、それをその後に伊東さんにぶん殴られたのとわざわざ混ぜやがって、まるで小岩井がみっちゃんの事をボコボコにしたかのような噂があちこちに立ってる。
 みっちゃん、あんなだけど、不思議と男子には人気あるんだよねぇ……。だからあのクソヤンキーに続いて、みっちゃんまでも小岩井がブチ殺しに行ったとか何とかみんな言ってるし。いくらボクが本当にボコったのは伊東さんだと修正したところで、誰も話を聞いてくれやしない。だいたいみっちゃんなんて、あの部長に蹴りを20発食らってもちっとも凹まないのだから、JS並みな小岩井に殴られたところで、蚊に刺されたもんでしょうよ……。
 何で集団って、理ずくで考えれば間違いだって分かる様なことでも、その場の勢いだけで信じ込んだりするんだろ? それにいくらこっちが正論を言っても、全く理解しようとしないし。本当に意味がわかんない!

- Another View (God's Eye)-

「あっ……んっんっんっ………うぁ……あっ!………あんっ」
 ベッドが軋む音に同期して、まだ幼さが見え隠れする女性のあえぎ声が小さく部屋に響いている。
 時刻は夕方を少し過ぎた頃。カーテンの引かれた窓からは、赤い夕日が外の世界を染め上げているのが、カーテンの隙間より漏れ来る赤色の光から見て取れる。
 ベッドの上では、まだ若い男が背中に玉の汗を浮かべつつ、懸命に身体を揺すっている。女性の胎内に己の一部を出し入れしながら、その動きに吊られてぷるぷると震える女性の張りのある乳房をぎゅっとつかんだ。
「あうっ……優しくしてよ………ああっ」
 律動を続けつつも、器用に上体を曲げ、揉みしだく乳房の頂点にある乳首を口に咥え、ジュルジュルと音を立てて吸う。
「うあっ……あっ……ああっ……だめぇ、もういっちゃう……!」
「まだまだあめーぜ、俺はまだまだだかんな!」
 男の律動が、より強く、速くなっていく。
「だめだって、ゆるめて、いっちゃう、いっちゃうー!」
 女の声がひときわ高くなり、その身をビクビクと痙攣させる。
「う―――っ!!」
 あまり大きな声を上げられないのか、懸命に口をつぐみながら、絶頂を迎えた嬌声を部屋の中に響かせた。わなわなと震える彼女の手が、ベッドに惹かれたシーツをぎゅっと掴む。
 しかし、男の方は全く律動を緩めようとしない。むしろ余計に強く、肉棒を突き入れる。
「やだやだ、もう壊れちゃうよ……! もう勘弁して……ああっ!」
「嫌だね! テメーに殴られた分は、きっちりお返しさせて貰うからな!」
 鋭い突き込みを幾度となく繰り返す彼らの結合部からは愛液が飛び散り、じゅぷじゅぷと濡れた肉がこすれ合う卑猥な音が、彼らのあえぎや荒い呼吸の合間に聞こえてくる。
「うああっ! だめ! またいっちゃう! もうヤダ、おかしくなっちゃうよ……!」
 彼女は懸命に声を抑えようとするのだが、しかし彼女の性器から溢れ出る強い快感が、容赦なく突き込まれる肉棒が、彼女の喉から嬌声を漏れ響かせるのだった。
「俺は構わねえから、さっさとイキ狂ってみやがれ、このビッチがよ!」
「やだあ……ああっ だめぇっ……ああっ……あうっ……いっちゃう、いっちゃう……いくう――――っ!!」」
 彼女の身体が、再び強い痙攣を起こす。今度は声を抑えることも敵わず、オルガズムを迎えた女性の本能のままに、嬌声を響かせた。
 がしかし、男はまだ律動を緩めない。彼の大腿部と、持ち上げられた女の臀部が激しくぶつかり、パンパンとリズミカルな音を刻む。やがてオルガズムに打ち震える膣がキュッキュッと締まり、彼の受ける快感がぐんと増した。
「よっしゃ、俺もそろそろイカして貰うぜ……ほら! ぶっ壊れちまえよ!!」
 男は、女性の腰骨をしっかりつかむと、2回も連続でイカされ息も絶え絶え、ビクビクと痙攣を続ける彼女の膣に激しいピストン運動を繰り返す。
「うああああ……っ んあっ……んあっ………あ――――――っ!!」
 もう声を抑える事など全く出来なくなった彼女から、ひときわ大きい嬌声が絞り出される中、男は下腹部に鈍いしびれが走り、大きな塊が己の腹の中をせり上がってくるのを感じていた。膣に差し入れる肉棒にはだんだん強い快感を感じ、やがてその先端に強い圧力が掛かる。
 男は歯を食いしばって,今まさに精を吹き出そうとするペニスに力を入れ、男のもっとも感じるこの瞬間を是が非でも長く感じ入ろうと踏ん張り、メチャクチャに腰を動かし彼女の子宮を何度も突き上げる。
 やがて、彼の踏ん張る力よりも、体内からせり上がる塊の圧力が勝り、
「ううっ!!」
 男が鋭く声を出した次の瞬間、彼のペニスは女の胎内に力強く精を放っていた。猛り狂っていたように肉棒を突き込んでいた律動は収まり、その代わりに彼女の膣を突き破らんがばかりにペニスを深く深く差し込み、下腹部にぐっぐっと力を入れて例え一滴たりとも出し残さない勢いで射精を続ける。
 十数回かの射精が済む頃には、自然に下半身に籠もる緊張も薄れ、精液を吹き出す力も弱くなってゆく。やがてひとしきりの快感が過ぎ去り、心地よい疲労感が彼の全身を覆った頃、男は腰を引いてペニスを彼女から引き抜いた。
 やや固さを失ったペニスが抜かれた彼女の膣は、未だうねうねと動き続け、彼の身体を受け入れていた余韻を残すが如く膣口がまだ口を開けていた。
 その膣がゆっくりと閉じていくと同時に、彼が放った精液も押し出され、激しい律動で出来た真っ白な泡がまとわりつく膣口から、愛液と共にどろりと大量の精液が流れ出てくる。
「今日も一杯出したなー……」
 そう呟く彼は、横に置かれたティッシュ箱から中身を数枚素早く抜き取ると、溢れ出てきた彼らの体液を丁寧に拭き取っていった。
「はぁ、はぁ……全くー、なんであんたいつもらんぼーにするかなー! 女の子は優しくしないといけないんだぞー?」
 そんなむくれッ面の伊東が文句を言うと、
「だから殴られたお返しだって言ってんだろーが、この腐れビッチ!」
 だいたい俺は常に優しい男だぜと、次に自分の縮んだ股間を拭きながら、鐘持が彼女に言い返した。
「アレはあんたが悪いでしょー……。あの後聞いたんだけどさー、まうは大変だったらしいよー? 廊下の突き当たりの理科室の前で、壁を叩きながらわんわん泣いてたってー。……なんか、それ見たなるちゃんが言ってたけど、とてもじゃないけどマトモな泣き方に見えなかったってさー。あんたに馬鹿言われて頭来たとかじゃなくって、きっと心の傷が開いちゃったんだよ……」
「……ああ、それは俺も感じた。正直、本気で申し訳ないと思ってる。けどよ、あいつがなんでキレたんだか、俺にはさっぱり分かんねーんだよな。俺、そこまであいつのことなじってたか?」
 鐘持は持っていたティッシュをゴミかごに放り投げたが、それは縁に当たって床に転がった。
「ちょっとー! ヒトの部屋を汚さないでよー!」
「何だってんだテメー、大好きな彼氏のザーメンが床に付いたんだ、本来ならば喜ぶべきシーンだろう!?」
 まったくこれだからビッチはどうしょうもない等と言いながら、鐘持は伊東の隣に横になる。
「あんたねー……例えばあたしあんたの部屋に行って、その辺に鼻水拭いたティッシュ放り投げたらどう思うのよ?」
「馬鹿野郎、部屋が汚れるじゃねーか!」
「その言葉、そっくりあんたに返すわバーカ!」
「ちっ、勝手に言ってろや!」
 鐘持は伊東の方に向き直り、目の前にあった乳房に手を這わす。
「全く勝手な男なんだから……。だいたい、他の人の目の前でおっぱい揉むの、本気でやめてよねー!」
 伊東は鐘持の手を払いのけようとするが、それを躱して彼は胸を揉み続ける。
「だから、そこに胸があったら揉むのが男の勤めだって言ってんだろ? お前の胸じゃ、なおさらだろうがよ……」
「格好付けたつもりで何ウザいコト言ってんのよ……この間部長のおっぱいまで触ってたじゃない! アレは私のなんだかんね! あんたは触るな!! つーか今度触ったらマジであんたコロスから!」
「うるせー! 世の中のおっぱいは全部俺の物だ!」
「ああ、なんであたしこんな奴の彼女やってんの? 自分自身で超信じらんないんですけどー!」
「光栄に思え! 俺みたいないい男は、中々居ないぜー?」
「自分で言ってりゃ、本当に世話は無いわねー……」
 全くダメすぎると、伊東は呟いた。
「人の好いた惚れただなんて、案外本人だと分かんないもんかもな」
「ふん、何もっともらしいコト言ってんのよ!」
「俺の言うことは常日頃で全部正しいんだよ! ……つーか、わかんねーと言えばよー、優樹のヤローは、なんであんなに小岩井にいちいち突っかかるんだろうなぁ? まぁ小岩井だって、しょっちゅう優樹にケンカばっかり売ってる様に見えるけどよー」
 あいつらマジで相性悪いんだなーと、鐘持は伊東の乳房にキスをする。
「あんっ、ちょっとは休ませてよ……つーかさー、あんたホンキでそんな事言ってんの? あの二人がケンカばっかりしてるのってー、ゆーくんがまうのこと好きだからに決まってんじゃん!」
「何だとぅ!? あんなに口ゲンカばっかしてんのにか? ありえねーだろ!!」
 鐘持は驚きにあまりに上体を飛び起こした。
「これだから男ってヤツは、いつまでたってもオコサマのまんまなんだよー。自分が好きな子と意見が合わないからって、余計に頭にくるんでしょー? ゆーくん、ホントはまうともっと仲良くしたいんだろうけど、本人が気が付いてないんじゃしょうがないよねー」
「つーか、本人が気付いてないのに小岩井のこと好きだと!? ぜんっぜん意味がわかんねーよ!」
「だからあんたらはガキだって言ってんのよー。そんなんだったら全っ然気が付いてないだろうから、敢えてオネーサンが親切心でオコサマなボクちゃんに教えてあげるけどー、実はまうもゆーくんのこと好きなんだよー?」
「馬鹿野郎!! そんな突拍子もない嘘こいてんじゃねーや! いくらなんでも騙されねーぞ!!」
「ばーか! ホントだっつーの! 例えば今日だって、あんたが悪ノリしてキスしろとか言ってたとき、ゆーくんが”ボクなんかと演技したくないんでしょー”みたいな事言ってたじゃん」
「おう」
「そんとき、まうは何て答えた?」
 鐘持はベッドの上で胡座をかくと、腕を組んで考え始める。
「何だと……? たしか、嫌じゃないとか何とか言ってたよな。結局何が言いたいんだかよく分からなかったけどよ!」
「その後に、ゆーくんが”小岩井だってボクなんかに近づきたくないでしょー”とか言ってたじゃん。そんときまうは何て答えた?」
「おお!? たしか、それも嫌じゃないとか……」
「もう、皆まで言わせんなよー。分かったでしょ? まうはゆーくんとキスの演技をするのが嫌だったんじゃなくて、恥ずかしかったから嫌だったんだってー。まうがゆーくんの事好きだから、余計に恥ずかしかったんだよー」
「うぬぬ、確かにそこまで状況証拠を挙げられれば、その仮説は否定するのが難しいな……!」
「仮説じゃないって、オコサマめー!」
「ちっ! つーかあいつら、いつの間に相思相愛になってやがったんだ!?」
 そんで片方が全く自覚が無いとか、どんだけベタなマンガやってんだと、鐘持は一人唸る。
「ゆーくんは、まうに初めて会ったときに一目惚れ。まうは何時の日かからかなー、なんかまうがヤンキーに襲われた後くらいから、ちょっとずつ雰囲気変わっていったんだよねー」
「ヤンキーつったら、そういやあいつ、小岩井がむしられたブラウス着せてやってたな……」
「ゆーくんは、普段はすっごい頼りないけどー、イザって時には結構出来る子なんだよー?」
「ああ、そりゃそうだな。あいつワリと正義漢だしな。……しっかし、今でも信じらんねーな! あいつらお互いのこと好きとかなぁ! 熊ちゃんは知ってんのかな?」
「当たり前じゃん、とっくの昔に気がついてるよー。……まーったく、ちんちんだけはいっちょ前に大きくなって、あんた中身は本当にまだまだだよねー!」
「なんだとぅ!? この俺様の偉大なるグレートマグナムで、毎回ヒィヒィよがり狂わされてるテメーはなんなんだっつーの!」
 鐘持は、いつの間にか大きくなっていた股間のモノを、伊東の方に突き出した。
「感じてるフリしてあげてるだけだってー、下手くそめー」
 伊東はそれを軽くペチンと叩きながら、意味深な笑みを浮かべる。
「な、なんだとぅ!? お前、まさか……」
 鐘持の元気だったペニスが、へなへなと縮んでいく。
「どーせあたし達単なるセフレだしー? リアルファイトとか無いわー」
「ままままてよ!! おま、ちょっと、それ本気なのか!?」
 鐘持の顔面が、真っ青を通り越して真っ白になった。
「はぁ? 彼女とか演技だし〜。劇団仕込みのあたしの演技力も、たいしたもんでしょー?」
「う、ウソだろ………本気でウソだって言ってくれよ………」
 いつもは自信満々、全てにおいて自分が正しいと信じて疑う機能が欠落している鐘持が、泣き笑いの表情を浮かべてそうつぶやく。
 それを見た伊東は、余計に意地悪な表情を浮かべて、
「へへーん、ウソだよーん。気持ちが良いのも、あんたが好きだからに決まってんじゃん! んなこといちいち言わせんな、このオコサマめー! わはは!」
 そう言って、鐘持の背中をばんばん叩く。
「こっ、こっ、このバカヤロー!! 男の純情を弄ぶなー!?」
「ふんだ、ヒトのこと初デートでいきなり押し倒しといて、純情もへったくれもあるかってのー!」
「そんな昔のこといちいち言うなや! まだ根に持ってんのか!?」
「当たり前でしょ! せっかく夢見てた、ステキな男の人に優しく初めてをして貰うってのが、あんたみたいなガサツなドーテーにメチャクチャにやられちゃってー! あの時の破瓜の痛さは、私もう一生忘れられそうも無いねー」
「だからそれはもう何度も謝ってんだろうがよ! 今でも悪かったって本気で思ってるんだから、そんなに虐めるなよ〜〜」
 鐘持は涙声で言い訳をし始めた。
「だったら行動で示してよねー! それか、あんたの妹さんにチクってやろーか、”あなたのにーたんにちんちんねじこまれて、あたし慰み者にされちゃいましたよー”ってー」
「やめろおおおおっ!! おま、それ、マジでシャレになんねーからな!! 親に言ってもあいつだけには言うんじゃねえ! テメーそれとも彼氏がリアルに八つ裂きにされてもいいってのかよー!!」
 あの半人前が本気で怒ったら、部長なんかガキが癇癪出して駄々こねてる程度にしか見えねー位に怖えんだぞと、鐘持は顔面を真っ青にして呟いた。
「あんたの妹って何? ジェイソンのロリ版なの? ……熊君は大和撫子とか言ってるけどー」
「馬鹿野郎! 熊ちゃんはあいつが猫被ってるところしか見てねえからそんな事を言うんだ! 何かある度にぜってー言い返せねー正論を叩き付けてきて、ムシの居場所が悪けりゃ抑揚の無ぇ声で延々死ね死ね人格否定だぞ!?」
 ちったあ他人の気持ちを考えやがれと、鐘持は続ける。
「そりゃーあんたが怒られることばっかりしてるからじゃないのー?」
 つーか人のこと考えろとか、そりゃまんまあんたのことだわーと、伊東はケラケラ笑っている。
「笑ってんじゃねーよ! 熊ちゃんは良く俺らのことを”ちっこい女相手に暴力振るうのが嫌になるからケンカにならねえ”とか言ってるけどよ、本当は違うんだ! ケンカ以前に、あの半人前がキレたらホンキで包丁だの持ち出して来やがるから、マジで恐ろしくて相手に出来ねぇんだよぉ!!」
 おめー、身内に包丁の切っ先向けられたときの俺の気持ちがちっとでも分かるのかよと、鐘持は涙を流して訴える。
「あー、ハイハイ。妹ちゃんに言うのだけは止めとくわー」
「返事が軽いぜ!? テメーホントに分かってくれてんのかよ!?!?」
「わかってるってー。まー、自分の彼氏が血の海に沈むのもレアな経験だと思うけどー、とりあえずあの時メチャクチャ血が出て痛かったのを忘れるくらい、ぎゅっと愛してよー」
 同じの血の海繋がりでーすと、伊東はまた笑っている。
「お、おう!! 任せろ、今の俺は無敵だ!!」
「まーったく、調子が良いったらないわー」
 鐘持は再びベッドに横になると、伊東を抱き寄せ優しく口づけをする。
「んっ……チュッ……あっ……あんっ……」
「今日は5回くらいイカしてやるからな!」
「その前に優しくしてよ……んあっ………」
 鐘持は伊東に覆い被さると、形の良い胸に手を這わせ、再び大きさを取り戻したペニスを、伊東の膣にあてがった。

- Another View End -

 あれほど暑かった夏も過去の思い出になりつつある、秋の中頃であった。カレンダーは10月の紙がぶら下がり、朝夕はたまに寒いくらいに気温が下がるこの季節。よく人は食欲の秋とか言うけど、ボクの家は母親の料理の腕に重大なる瑕疵がある都合上、あまり美味しいご飯には縁が無いもんだから、敢えて選ぶとするなら芸術の秋かなぁ等と良い子ぶって考えてみるも、しかし今までの人生の中で特段芸術的な活動などした事も無ければやりたいと思った事も無かったし、でもでも、今年の秋はあと1ヶ月後に控える文化祭のために、ひたすら映画作りに邁進しているので、もしかしてこれって芸術的活動なのかも? なんて今更調子の良いことを考える放課後のひとときであった。うぅん、我ながら哲学ゥ〜♪
「優樹! ぼけっとしてんじゃねえ、ちったあ集中しやがれ!!」
 うわ、いきなり我らがスーパーローアングルカメラマンのみっちゃんに怒られたよ!?
 ちなみに今ボクが置かれている状況と言えば、以前みっちゃんと小岩井が廊下で大立ち回りを繰り広げた、例の学生と薫のお別れシーンの撮影なのであった。
 結局あの後、このシーンにキスは必要か否かの判断は先送りされ、先に別の残ったシーンの撮影を済ますことになったのだった。しかし、その後のボクらの努力の甲斐もあり、晴れてほとんどの撮影は終了してしまい、ボクらの映画では、ついにこのシーンの撮影をのみを残す事となっていた。
 そして結論から言えば、キスは”アリ”という事になった。てゆーか、またあの部長が「ぜひやりましょう」などと後先考えずに言い出したのが決定打だった。曰く、”観客を少しぐらいびっくりさせてやりましょう”とのことだけど、そのお色気的サプライズ演出は十分温泉シーンで炸裂してると思うんだけどなぁ? おかげでボクも小岩井も、部活のみんなに恥ずかしいところをたくさん見られちゃったし……。
 一体ボクらにどんだけの羞恥プレイをさせれば気が済むんだ、あの部長は……。ボクが悪魔的ニコニコ笑顔の部長の面を思い出して軽く腹を立てていると、
「そんじゃー、とりあえずリハーサル行くぞー!」
 そんなみっちゃんの声に、熊ちゃんが前に出てきてボクらに演技指導のだめ押しをしてきたのだった。
「主人公は、キスされるなんて全然分かってないから、変に恥ずかしがったりまごついたりするな。あと薫の方だが、無邪気に照れている表情の奥に、別れの寂しさを表現して欲しいんだが……そうだな、明るく喋っているときとそうで無いときのコントラストを強めにするとか、語尾でふっと悲しそうな表情をするとか、そんな感じで頼む」
「……分かりました」
 そう返事した小岩井は、もうこれ以上無いほど顔を真っ赤にして、歯を食いしばりながらうつむいていた。
 いやー、もうこりゃホントに怒りが極まってるって感じだねー! さすがに怒り狂った部長の如く髪の毛逆立ててはいないけど、うっすら涙のにじんだ小岩井の瞳は、まるで怒りの炎が見え隠れしているようだよー
 あれほどボクなんかとはキスの演技すらしたくないって、みっちゃんぶん殴る程嫌がってたのに、それこそ部長はニタニタしながら「ヤレ」の一言だからなぁ? どんだけパワハラだっつーの。てゆーかボクだっていい加減凹むっつーの!
 そりゃあ、ボクだって(特に居ないけど、仮に)大嫌いな女子とは、演技とてキスのまねごとなんてしたくないし、それに死ぬほど大嫌いなボクに近寄りたくもないって小岩井の気持ちはとてもよく分かる。
 けど、いくら映画の撮影だからって、わざわざボクのこと嫌いだって言ってる小岩井と無理矢理いちゃこらさせられて、そんで毎回毎回つんけんされるボクの身にもなれっていうのさ。
 そもそもボクは、他に好きな男が居るって言ってる小岩井とはある程度距離を置きたいって思ってるし、それにことある度に小岩井に嫌がられて変な顔でにらまれて、終いにはウザいだの近寄るなだの一緒の空気を吸いたくないだの、毎度毎度ボクの豆腐なメンタルをボコボコに破壊してくれる、ヒステリーチックな金切り声でなじられてるんだよ!? いい加減心が折れるってもんだよ。いい加減つらいってもんだよ。それとも、好きでもない女から文句言われるのをいちいち嫌がる事って、そんなに贅沢な事なのかな?
 ボクは、自然にため息をついていた。
「何よ……」
 小岩井はボクをにらんで早速因縁を付けてきたけど、自然体に無視無視。こんな同級生のたわいも無い恐喝的示威行動にいちいち反応するのは、人生を17年も生きたオトナのやる事ではない。
「そんじゃ、とりあえず練習だかんな! 始め!」
 もちろん今は練習なので、みっちゃんはカメラの録画ボタンを押していない。しかしボクは本番と同様に初めの声から5秒待ち、
「イヤー、今日も泊めて貰って悪いねぇ〜〜」
 等と、既に達人の域に達したであろうヘタレ学生の熱演を始めたのだった。
「ううん、おにーちゃんといっしょだから薫も嬉しいよー! おにーちゃん、明日も一緒に遊ぼうね〜」
 小岩井もどうにか自分の動作モードを大女優まうっちに変更出来たようで、微妙にほっぺたをひくひく引きつらせながら、若干おつむの辺りがユルそうなロリッ子薫ちゃんの演技を始めたのだった。
「うんー、いい加減仲間を見つけないといけないんだけど、でも薫ちゃんと遊んでいるうちに見つかるだろうしね〜」
 小学生(高学年)の色香に惑わされた現代的大学生の凄惨な末路を、ボクはキリッとした顔で演じ続ける。
「そうだね……もうそろそろ見つかるかも知れないね。でも、それまでは薫と一緒だよ〜」
「わかってるって〜。おおっと、夜が更けてきたから、もう寝ないとねー。お子様は寝る時間だよー」
「もうー、薫のこと子供扱いしないでよ〜〜。じゃあ、おにーちゃんにお休みの挨拶だよー?」
 そこで脚本通りに演じるならば、薫は主人公の横にきて、彼の肩をトントン叩く。そして主人公が自然に薫の方に振り返ったところで、薫は向きざまの主人公のほっぺにチュ〜とやるって寸法だ。もちろんこれは映画の撮影なので、実際には唇とほっぺは触れていないのだけど、カメラアングルを工夫して本当にチューしているように見せるわけだ。
 小岩井は脚本通りにボクの隣に来ると肩をポコポコ叩くので、ボクはなになに〜といった風情で笑顔を貼り付け、彼女の居る方向に振り向いてみたのだけれど……。
 そこには歯を食いしばって余計に顔を真っ赤にした、小岩井の怒れる顔がドアップで居るわけで……。
 すっげぇ心が萎えた。
 どんだけがっかりなんだよ。どんだけ物語の腰を折るってんだよ。どんだけ萌えないってんだよ……
 またボクは大きくため息をしつつ、
「うわあ! いきなり薫ちゃんにチューされちゃったー! やっほーい!」
 等と両手を振り上げ、この沈んだ雰囲気を少しでも振り払うべく、感情表現を若干オーバー気味だったけど一生懸命アドリブしてみた。
「………カット。優樹、バカみたいだからそのアドリブは無しな」
 うわあああ!! みっちゃんに真顔で否定された!! なになに!? 今のボクの演技ってそこまで致命的にまずかったの!?!?
 ボクは顔面を蒼白にして、恐怖に打ち震える目で熊ちゃんを見やったのだけど、普段ならたいていのことでも「ん。」とだけ力強く頷いてくれる彼が、何も言わずにただただ首を横に振ったのだ。
 ボクは余計に恐怖に震えつつ、この部で次点で良識を保っていると思わしき山科さんを見たのだけれど、彼女はとっても生暖かい瞳で、ボクに微笑んでくれた。
 うわああああ!! 若木さんは!? 脚本を書いた若木さんならボクの演技を分かってくれるよね!? ボクは山科さんの斜め後ろに居た若木さんに、必死の視線を送ったのだけれど、
「あ、あの、やっぱり脚本通りで良いと思うよ? その、無理しないで、大丈夫だから……」
 等と、慈愛に満ちた母親の顔で諭されたのだった。
 なんてコトだ……。もしかしてボクは、この映画の撮影の中で、今最大級の恥をかいたというのか!? それも本人の自覚も為しに……!
「……一条君は頑張ってるよー」
 小岩井が、ぽんぽんとボクの頭を優しく撫でてくれた。
 何て恥辱!! 怒り狂ってるはずの小岩井にまで情けを掛けられるとは、一体ボクはどんだけ痛い事になっているのだろうか。激痛甚だしいこと、この上ない……!
「さーて、だいたいは感じがつかめたな! んじゃ、次本場いくぜ! 優樹! ぼさっとしてねーでたるんだ顔引き締めろや!!」
 何て酷いことを仰るみっちゃんは! ボクは今、人生の中でこれ以上無いほど真剣に打ちひしがれているんだぞー!? 誰もが羨むお年頃の男の子だって、人生に凹むときは凹むんだーっ! お願い、分かって!
「……そうだな、もし出来ればで良いんだが、キスの寸前で、薫はもう少し寂しさと言うのかな、もう二度とこうして会うことは出来ないという悲しさをにじませた方が良いかもな」
 熊ちゃんが台本を見ながら、何だかややこしいことを言い出した。
「寂しさというと、どれくらい……?」
 小岩井がぶすっとした顔で熊ちゃんに言い返す。
「実際、次に薫が画面に出てくるのは、洞窟の奥で死んでいる姿だからな。だからもう笑顔で泣いてるくらいで良いのかも知れない。見ている観客だって、もう今生の別れだって分かっているだろうしな」
「……分かりました。ちょっと打ち合わせさせもらって良いですか?」
 小岩井は渋々といった感じで首を縦に振ると、カメラに写らないところに置いてあった自分の台本を引き寄せ、しばらくの間熊ちゃんとあれこれ言い合いをしていた。
 そのバトルはしばらく続きそうだったので、ボクはこの時間を活用し、みんなが魂の底から感動できるアドリブってヤツはどんなのだろうかと、真剣に考えることにしたのだった。
 やっぱり、いきなり小学生女子(高学年)にサプライズ的チューをされるんだから、良くありがちなハーレム系微エロマンガの主人公の如く、目の玉を飛び出すぐらいのオーバーリアクションで驚きと若干のうれしさを表現しないとねー!
 ボクも自分の台本を引き寄せると、ラブひなとかToLoveる辺りの名著を思い出しつつ、先ほどみんなにだめ出しされたセリフについて、
『ほわっちゃー!! いきなり薫ちゃんの唇がボクのほっぺにドッキングぅぅっ!! うっひょひょーいっ!!』
 と、書き換えてみた。
 若干バカっぽい気がしなくもないけど、とりあえずこれはこれで良いだろう。少なくとも、うれしさだけは淀みなく表現されていると思う。我ながら良いセンスが湧き出たもんだ。
「……じゃ、よろしくな」
「分かりました」
 ちょうど、熊ちゃんと小岩井のケンカも終わったようだ。果たしてどのくらい脚本を変えたか知らないけど、ボクのナイスなアドリブには敵わないだろうね〜〜
「よーし、じゃあ本番行くぞー!」
 ボクらはみっちゃんの的確な指示に従い、布団の上で座る位置などを細かく調整していく。
「おし! 位置も気合いもバッチリだぜ! 優樹、もうちっと抜けた顔をしろ。じゃあ、撮影開始!」
 みっちゃんがカメラの録画ボタンを押し込む。
 ボクらはそれから5秒程度待ち、先ほどと全く同じ演技を開始したのだった。
「イヤ〜〜、今日も泊めて貰って悪いねぇ〜〜」
 ボクの、主人公を演じるのんきなセリフに、
「ううん、おにーちゃんといっしょだから薫も嬉しいよ……。あの、おにーちゃん、明日も一緒に遊ぼうね……」
 はて?? なんか小岩井扮するロリッ子薫ちゃんは、妙にギクシャクした……というか、無理矢理笑顔を貼り付けた様な演技をしているぞ? こりゃあいくらなんでもダメだろー。薫ちゃんはもっとニコニコしなきゃ……
 こんな気合いの入っていないグダグダな演技は外から見ててもすぐ分かるので、見た目からは極めて意外なことだけど、結構ボクらの演技にうるさいみっちゃんはさっさとカメラを止めていると思ったんだけど……。しかしボクがカメラの方をちらっと見ても、彼がカメラを止めた様子は無かった。
 むー、とりあえずこのまま演技を続けるしかないのかな? 練習代わりでちょうど良いけどさ。ビデオテープなんて上書きすれば、無駄になることは無いのだから、何回か演技して一番良いデータを取っておけば良いでしょう。
 んじゃ、そういう事ならちょっとアドリブでもを入れて、もうちっと真面目に楽しそうな演技しろと、小岩井にしっかり分からせた方が良いだろうね〜〜
「どーしたの薫ちゃん、全然元気ないじゃ〜ん? いつものにっこにこな薫ちゃんはどうしたのさ〜」
 何かあの最悪なチャラ男がまた顔をちょろっと出した様な気がしなくもないけど、まぁこれで小岩井も自分の演技のまずさがちょっとは分かるでしょう。
「えへへ、何でもないよ、おにーちゃん。えとね、おにーちゃんと一緒に遊んでたときのことを思い出して、色々楽しかったなーって、でも、この楽しいときはずっとは続かないって、ちょっと考えちゃって……。だっておにーちゃん、もう学校のお友達を見つけないといけないんだもんね」
 うわ、なんだこいつ、余計に悲しそうな顔して元の脚本に軌道修正しやがった!? ボクのこの懸命なるアドリブが全然通じていないとは……。まうっち、恐ろしい子!!
 けど、こんなところで延々アドリブ入れて、グダグダな演技ばかりしていては練習にすらならないので、ボクは仕方なく脚本に沿ったセリフを言うことにした。
「そうだねー、いい加減仲間を見つけないといけないんだけど、でもボクは薫ちゃんと遊んでいるのも楽しいし、それに今までみたいにあちこち連れて行って貰ってる間に、奴らも見つかるだろうしね〜」
 とりあえず、楽しいって言葉を無理矢理入れてやったけど……さあ、どう出るまうっち、いい加減に自分の間違いに気づくんだ……!
「うん、もうそろそろ見つかるかも知れないね……。でも、それまでは……あの、できる限りで良いから、私、おにいちゃんと一緒に、居ても良いよね……!?」
 小岩井のセリフの後半は、もうほとんど涙声だった。
 何だ何だ!? こいつそんなにボクのアドリブが癪に障ったのか!? だからって、演技しながら泣くほど怒らなくったっていいじゃない! もー、いい加減真面目にやれってんだよ、みっちゃんもいい加減カメラを止めようぜー!?
 ボクは我らが誇るスーパーローアングルカメラマンのみっちゃんを見やるも、しかし彼はスーパーでもローアングルでも無く、かなり真面目な顔して撮影を続けていた。
 ホントはもう演技を止めてやろうと思ってたんだけど、しかしここでヘタに演技を止めたら、何かすっごい怒られるような第六感をひしひしと感じたので、ボクは自らの直感に従い渋々演技を続行したのだった。
「わかってるって〜。ボクだって薫ちゃんと一緒に居るのは楽しいからさ、そんなに泣いちゃダメだよ? せっかくの薫ちゃんの、可愛い笑顔をちゃんと見せてよー!」
「うん…うん……わかってるよ、おにーちゃん」
 そう言って、涙をこぼした目を擦り、小岩井はボクに儚い笑顔を見せたのだった。
 涙目で、うっすら上気した彼女の色っぽい顔に、ボクの心臓がどきんとはねた。そして、優しく微笑む彼女の唇に、妙に意識が吸い寄せられたのだった。あくまで演技なので実際には触れ合わないとは言え、これからこの綺麗で可愛らしい唇にチューのまねごとして貰うんだよなぁ……。いいなぁ、むしろこっちから吸いに行きたいなぁ……。
 しばらくの間(主観時間では30秒、実測ではたぶん0.5秒ほど)、ボクの脳みそは真っピンクに染まっていた。しかし、ここでトロケた顔して惚けていてはダメなのだ。今は、後でやり直し確定のグダグダな演技の真っ最中なのだ。
 ボクは慌ててコホンと咳払いすると、
「おおっと、夜が更けてきたからもう寝ないとねー。お子様は寝る時間だよー」
 と、何故か余裕が無くなりロクなアドリブも入れられず、ボクは脚本通りのセリフを宣った。
「もう……薫のこと子供扱いしないで……。じゃあ、おにーちゃんに……お休みの挨拶だよ……?」
 再び声を震わせ、彼女のまあるいほっぺに涙を一筋流した小岩井は、ボクの横にちょこんと座って肩をトントンと叩いた。
「おにーちゃん、好きだよ……」
 よおーし!! ここできっちりさっきのアドリブを決めないと!! ボクは先ほど自分の台本に書いた熱いセリフを頭の中で再生し、準備万端、若干オーバーな動きと共に、小岩井の方に思いっきり振り返ったのだった。
 と、その時。

 むちゅっ

 何かボクの唇に、とても柔らかなモノがそれなりの圧力を持って、しかもしっかりと押しつけられたのだった。あっれー? やっぱさすがにオーバーリアクション過ぎて、どっか変なところに顔をぶつけちゃったか!?
 なんてことだ、最後の最後にちょっと失敗しちゃったよ。まぁでも、このまま演技を続けても大した影響は無いだろうし、サクッとやり直しをしましょうかねー
 ボクは満面の笑顔で振り返っていたため自然に目を閉じていたのだけれど、改めて目を開けてみたら、目の前にはブルブル震える小岩井の顔が、どえらい至近距離にあった。
 そして、なぜ故か彼女の震えが、ボクの唇に直に伝わってきている。そう、さっきからボクの唇に押しつけられた、何かとても柔らかげなモノから。
「ひぅっ! ひうっ!! ひうぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!」
 小岩井の自動的なあうーが、細かい振動となってボクの唇に伝わってくる。それと同時に、大きく見開いた彼女の瞳から、涙がぶわっと湧き出した。
 何かもうワケが分からないので、ボクはせっかくのアドリブを中止して、自ら顔を後ろに離してみた。そしたら、何故かボクの唇から伸びだよだれのしずくが、顔を真っ赤にしてわなわなと震える小岩井の唇にも繋がっているわけで……
 げげげっ!? こ、これはまさか………!!
 ボクが、自分の血液が一瞬のうちに沸騰したあげくに顔から火を噴いたのを確認したその瞬間、小岩井は手の甲でコシコシと自分の唇をぬぐうと、
「ひゃああああああううううううううううう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 という変な悲鳴を上げて、そのまま熊ちゃん家の玄関から外に飛び出して行ってしまった。
 一瞬、撮影現場に静寂が訪れる。
 もしかしてボク、小岩井とファーストキスしちゃったの? ま、まぁ、あいつは前の学校で彼氏が居たらしいので、既にいろいろな段階をクリアしている歴戦の猛者なのかも知れないけど、しかしボクにとっては人生初めてな訳で……。いやいや、今のはあくまで業務の上。演技だ演技。だからやっぱりノーカンでいいよねぇ??
「よーし! よぉぉ〜〜し!! いょぉぉぉぉ〜〜〜〜〜し!!!!! かんっぺきに素晴らしいキスシーンが撮れたぜ〜〜〜! お前らマジで最高の役者だ〜〜〜っ!!」
 まさかホントにキスしちゃうとは、優樹の勇気はやっぱモノホンだぜーとか、みっちゃんは一人ですこぶる嬉しそうだった。
 そりゃホントにチューしちゃったんだから、完璧も何もあったもんじゃ無いでしょうよぅ……。
 ボクは親友が所詮他人ごとだからと、重大な事故をキャッキャと喜ぶ姿にあきれつつ、ただただ小岩井が飛び出していった玄関を見やっていた。
「……つーか、あと少しだけ撮影しなきゃいけないシーンが残っているんだが、おい、チビッコはドコに消えた?」
 みっちゃんが慌てて辺りを見渡していると、
「渾身のキスシーンで恥ずかしさが極まって〜、まうは外に飛び出して行っちゃったよ〜〜」
 と、珍しく今までおとなしくしていた伊東さんが、玄関を指さしながらそう言った。
「いけません、実は先ほどから雨が降っているのです。小岩井さんを探してこないと……」
 部長が窓から外を見ながら、心配そうに呟いた。
「えー、別に放っておいてもいいんじゃないの〜? あいつだって、ここから自分ん家まで帰れるでしょー?」
 もう何度も熊ちゃん家で撮影してるし、その度にここから自宅のボロマンションまで帰ってるからねぇ。いい加減帰り道は覚えていると思うよ?
「そういう問題じゃない。雨と言っても、季節外れの夕立みたいなものだ。近くで雷も鳴っているしな」
 熊ちゃんがそう言った直後だった。窓の外がビカっと光り、何秒も経たない間に何か大きなモノが破裂するような音が、家全体に大きく轟いた。
「きゃあああっ!!」
 可愛らしく悲鳴を上げたのは、いつも通りの若木さん……ではなく、なんと部長だった。真っ青な顔して床にへたり込み、涙声であうあう言っている。
「あ、あのっ、大変申し訳ないのですがっ、あの、だから私は、雷はほんのちょっとだけ苦手で……」
 部長がガタガタ震えながらそんな事を言っていると、再び窓の外がビカッと光り、ドドーンと雷の落ちる音が轟いた。
「ひゃあああああっ!!」
 部長は手短にあった山科さんの足に抱きつき、ひぃぃぃ〜〜と可愛らしい悲鳴を上げ続けている。
「おやおや部長、これはまたずいぶんと可愛らしい振る舞いを……。もしかして私を誘っているのですかな?」
 ニシシと、山科さんは微妙に昏い笑顔を顔に貼り付けていた。
 うわあ、何かおびえる部長の仕草が、山科さんの琴線にビリビリ触れてしまったようだ……。
「さっ、誘ってなんか、ないですからねっ! (どどーん;雷の音) きゃるうう〜〜!」
 部長は悲鳴で噛んだ。きゃるーだって。これもやはり萌えの一種なのか?
「部長、そんなに私を責め立てるなんて……やはり私の真の実力の解放がお望みなのですかな? フッフッフ……」
「やめてぇ〜〜〜! (ばりばりどどーん;雷の音) ひゃうるぅ〜〜!」
 そんな女子二人のじゃれ合いは、見ていて中々に新鮮だったけど(だいたいいつもは伊東さんが部長のおっぱいにしがみついてるのに、今日は部長が山科さんの足にしがみついてるからねぇ。ちなみに伊東さんと言えば、私の胸に飛び込んでくださいよーとか何とかさっきからずっと言ってるけど、まぁ完全に無視されてるね。極めて自明だ)、熊ちゃんがボクの肩を叩きながら、
「優樹、早く小岩井を見つけに行け。そして今日はもう撮影はいいから、そのままちゃんと家に連れて帰るんだ。早くしろ」
 そう言って、ボクの方に小岩井の荷物と熊ちゃん家の傘、タオルを差し出してきた。
「えー、そのうち戻ってくるんじゃないのー!?」
「大雨が降っているんだぞ? お前は小岩井が身体を壊しても良いと思っているのか」
 女性は身体を冷やしてはダメなんだと、ボクは無理矢理背中を押され、荷物と共に熊ちゃん家から追い出されてしまった。
「さっさと行け」
 誰もが羨む、お年頃の男の子の身体は冷えてもいいのかよー……
 しかし少しくらい冷えても問題無いのは周りに確認するまでも無く明白であるので、ボクは渋々傘を差して、小岩井を探しに出かけたのだった。


 さて、さすがに熊ちゃんが焦ってボクを家から叩き出すだけのことはある。
 まさにバケツをひっくり返したような土砂降りで、しかも結構な至近距離に雷がガンガン落ちている。ちなみに熊ちゃん家は田んぼや畑が一杯で自然豊かな郊外にあるので、道に突っ立っていさえすれば、いとも簡単に即席避雷針にジョブチェンジ出来そうなステキな有様だった。てゆーか、この状況マジで怖いんですけど〜〜〜?
 ボクは何時自分の持つ傘に雷が落ちてくるかも分からず、かなりリアルにガクブルしながら辺りを見渡す。しかしとんでもない量の雨が視界を遮り、数メートル向こうもよく見えやしない。
 こりゃ、ホンキで遭難するぞ!? 万が一にでも田んぼの側溝にでも転げ落ちたら、それこそ小岩井が傷物になってしまう。あいつは演技のためにミニスカートなんかを穿いているので、さっきまで主人公を悩殺していた綺麗な生足が、けがで台無しになっちゃうよ。
 さすがに焦ってきたボクは、もう恥も外見もかなぐり捨てて、大声で小岩井の名前を叫び続けた。
 しかし、彼女がボクの目の前に出てくる気配は無いし、雨や雷は全然弱まる様子も無い。
 ボクは傘を差しているにも関わらず、横なぶりの雨でほとんど全身びちょびちょになりながらも、必死で小岩井を捜し回っていた。
 やがて、自分が走っていた右手の雑木林の方に、雷が落ちた。
 一瞬で視界が白黒のコントラストに覆われ、良くある電撃のバチバチッという音がしたかと思えば、ほとんど時間をおかずに”パーン!”と、大きな風船が破裂する音を何倍にも大きくしたような音に全身が包まれた。雷の音って普段はゴロゴロとかバリバリって表現するけど、本当に近くで落ちたら破裂音しかしないものなのだ。
 そんな激しい音が鳴り止んだ直後、雑木林の中から「あうう〜〜〜」という、微かな小岩井の自動音声が聞こえてきたのだった。
「こいわいーっ!! どこだ――――っ!!!」
 ボクは力の限り彼女の名前を叫びながら、雑木林の中に踏み込んでいった。
 ちなみに雑木林と言っても、最近までボクらが撮影で使っていたような林で、木の生えている間隔は結構まばらである。昼間で天気が良ければ、かなり遠くまでを見渡せる程度の密集度だった。
 そして1〜2分くらい林を走り回った頃か、
「あうっ あうっ あうぅ〜〜〜っ」
 ずぶ濡れの女の子が一人、木の根元でへたり込んで泣いていた。よく見るまでもなく、その濡れ鼠は小岩井だった。
「お前こんなところに居たのかよ……」
 ボクは極度の脱力感に襲われ、濡れるのも構わず小岩井の隣に座り込んだのだった。もちろん未だ雨はザーザー降っているので、傘を小岩井にさしてやってるけどね。
「ほら、これで顔を拭きなよー」
 ボクは持ってきたタオルを、小岩井に渡す。
「あうぅ〜〜」
 小岩井はブルブル震える手でタオルを受け取ると、何とか顔をコシコシ拭きだしたのだけれど、またその時すぐ近くに雷が落ちて、視界が真っ白になった。
「あう〜〜〜っ!!」
 凄まじい破裂音のすぐ後に、小岩井の悲鳴が続く。
「あう〜〜〜 怖いよ〜〜〜」
 そう言って、ボクの身体にすがりついてくる小岩井の華奢な身体は、ちょっとびっくりする位に冷え切っていた。さっき熊ちゃんが女性は身体を冷やしちゃいけないとか何とか言ってたけど、これは男とか女とか関係無いから! 恒温動物の体温としては、完全に危機的だと思われる。
 ボクは慌てて着ていたジャケットを脱ぐと、それを小岩井に掛けてやろうとしたのだけど、しかしさすがに水がしたたるくらいに濡れていたので大急ぎで水分を絞り、ぐしゃぐしゃな顔してボクの身体にしがみつく小岩井の背中に服を掛けてやった。
 そして鞄に入れていたもう一枚のタオルを取り出すと、濡れたままの小岩井の頭をゴシゴシ拭いてやる。
「あう、あう、あう〜〜」
 それでも彼女は未だ泣き続けているので、ミニスカからはみ出した生足や腕なども、適当にタオルで拭いてやった。いやはや、これは完全なるセクハラ行為。彼女でも何でもない、むしろボクを死ぬほど嫌ってる女の子の素肌を遠慮無くまさぐるなんて、ボクもだいぶ性犯罪者っぷりが板に付いたようだ。
 ……などとアホなことを考えていても、小岩井の体温はあまり元に戻っていないようだった。ここで雨が止むまで雨宿りなどしていたら、確実に風邪を引いてしまうだろう。だいたい雨を遮るものなんてありゃしないから、雨宿りにすらなっていないんだけどね。
 幸い、雨は一時期の大降りからだんだんと弱まっていき、雷雲も遠くに行ったようだった。しかし空を見ていても遙か遠くまでどんよりとした雨雲が垂れ込めているので、このまま長い時間雨は降り続けるだろう。それに夕立の後は寒気が入ってくるので気温がだいぶ下がるのだけど、ご多分にも漏れず辺りの気温は濡れていなくとも寒気を催すくらいに冷えていた。
 ボクにすがりついている小岩井の身体に、先ほどとは違う震えが起きてきていた。これは恐怖の震えでは無く、間違いなく寒さで凍えて震えているのだ。
「小岩井、このままじゃ身体壊すから、早く家に帰ろうよ」
 ボクは立ち上がると、彼女の腕を軽く引っ張り立たせようとした。しかし小岩井は膝をついて何とか立ち上がろうとするも、ブルブルと震える足がそれを拒んでいるかのように、力が入らないようだった。
「あうぅ……腰が、抜けて……立てない……」
 再びぺたんと冷たい地面に座り込む彼女は、またもしくしく泣き出してしまった。
 あーあー、こりゃもう本当にしょうもないなぁ……。いい加減タクシーでも呼んで連れて帰った方が良いのだろうか。しかし、こんなびちょびちょで泥だらけになった、ばっちぃお馬鹿高校生を二人も乗せてくれる良心的かつシートの汚れを厭わないタクシーなんてありゃしないだろうし、ここはやはり自分たちの力で家に帰らないといけないのだろうねぇ……
 ボクは何かしら使える物は無いかと辺りを見渡していたけど、残念ながら使えそうなものは自分の身体以外には何もありはしなかった。
「立てないなら、ボクがおぶってあげるからさー……」
「やだぁ、恥ずかしいよぉ〜……」
 小岩井は首をぷるぷる横に振って、ボクのせっかくの提案を断りやがった。
 いい加減人が心配してやれば、腰を抜かした分際で恥ずかしいだの何だのと……。いい加減この女の我が儘にも、限界を感じるってもんだよ。
「何が恥ずかしいっての! 身体壊したらそんなコト言ってらんないでしょうが!!」
 さすがに頭にきたボクは、地面に座り込んでシクシク泣いてる女に怒鳴りつけていた。
「いいから早く帰るよ!! お前が身体壊すなんて、ボク絶対許さないからね!!」
「だって〜〜……このスカート、パンツ見えちゃうよぉ……」
 しかしこのバカタレ女、非常時だというのにスカートの裾を押さえてもじもじしていやがる。ボクは怒りにまかせて「お前のオコサマパンツなんて誰も喜んで見ねーよ!」とかついつい怒鳴りそうになっちゃったけど、けどこいつ一応現役JKだからねぇ? 万が一その辺のクソ野郎に写真でも撮られてネットに上げられちゃあ、さすがにちょっとは可哀想な感じだし……
「じゃあ、ボクのジャケット腰に巻いときゃいいじゃん……」
 ボクは小岩井の脇の下に手を突っ込むと、そのまま無理矢理持ち上げて彼女を立たせた。
「あうっ あうっ あう〜〜〜!!!」
 ええい、いちいち喚くなあうあう星人め!!
 未だに腰が抜け、足をがくがくさせているた小岩井は、あうあう言いながらボクに抱きつく格好になっているのだけれど、ボクは彼女の肩に掛けていたジャケットを外すと、彼女の腰に袖を回して後ろが隠れるように結びつけてやった。
 おかげで彼女の華奢で、濡れたままの上半身がボクの目の前にアップで晒されたのだけど……やはりというか何というか、服が雨で透けていて、慎ましい胸の形やブラがそのままの形で見えてしまっていた。
 ボクの気まずい視線の向かう先の惨状に、彼女は今更気がついたのだろうか、
「あうぅ〜〜!? 見ちゃ嫌〜〜っ!!」
 小岩井は、人に身体を支えて貰っているという身分を忘れて、ボクの背中に回した手をバタバタしながら人の背中をボコボコ叩きやがる。全く、どんだけ自分の立場ってヤツを分かってないのかこの女は!!
「やかましい!! 文句は後でいくらでも聞いてやるから、早く帰るの!!」
 ボクは小岩井の頭をぺちんと叩くと、彼女の身体を支えながら上手いこと身体を反転させ、
「ほら、早くおんぶされてよ!」
 ボクは軽くしゃがむと、彼女の方に背中をさしだした。
「あうぅ、でもぉ〜……」
 しばらくの間、小岩井は背中の方でブツブツあうあう言っていたけど、やがて色々観念したのか、ボクの肩に手を置き、おなかの辺りをちょっとだけ背中にくっつけてきた。
「そんな姿勢じゃ落っこちちゃうよ! 身体全体を背中に乗せて、腕はボクの首に回して!」
「あうぅ〜〜!」
 極めて腹立たしいことに、小岩井は恨みがましい声であうあう言うと、ようやくボクの背中に身体をくっつけたのだった。
 ふにゅり。
 うわあ、背中にとても柔らかげな物が二つも当たってる〜♪ さっきから非常時だ何だとまくし立てていた自分を棚に上げ、そんなしょうもないことにいちいち敏感に反応する、思春期真っ盛り的お馬鹿男子がそこに居た。此の上無く悲劇な事に、なんとそれはボクだった。
 けど、そんな小岩井のおっぱいの柔らかさより、彼女の濡れた服越しに伝わってくる、彼女の身体の底冷えする冷たさの方が、よっぽどボクの精神をこわばらせたのだった。まるでそれは氷水のように、ボクの体温をどんどん吸い取っていくようだ。こりゃ本当に早く帰らないと、小岩井が冷え切って死んじゃうよ!! てゆーかこいつ、タダでさえ先週に洞窟の奥で冷え切った死体の演技したばっかりだってのに、それが本当に現実の物になっちゃう!
 ボクは鞄を左腕に引っかけ、その辺に置きっ放しになっていた傘を持つと、右手で小岩井の尻を掴んで上に引き上げた。ちなみにボクが腰の上から掛けてやったジャケット越しで無く、思いっきりスカートの中に手ェ突っ込んでるんだけどね。だからおしりの素肌とぱんつの感触をいっぺんに楽しめているのだ。(決してわざとじゃないよ? たまたまです)
「ひゃううう〜〜!? ドコ触ってるのよ〜〜っ!!」
「ここ持たないと支えられないよっ!」
 思ったよりも、よっぽど軽く持ち上がってしまった小岩井の身体。
 ボクは小岩井がもうこれ以上濡れないように傘を調節して、もう一度軽く彼女を背負い直すと、自分家に向けて歩き始めたのだった。
 ボクがてくてく雨の中を歩く中、小岩井はボクの背中で、何でこんな事になっちゃったのよとか、恥ずかしくて死んじゃいたいとか、最悪にも程があるわとか、一人でブツブツ愚痴を垂れていた。けど、オトナなボクは、そんな己の状況も理解出来ない自己中女の戯言なぞいちいち相手にせずに、華憐に無視を決め込んでいたのだ。
 そりゃ色々と考えてみるに、考え無しのオーバーリアクションで、小岩井の唇に衝突したのは確かにボクが悪かったさ。こいつだって一応は女だ。ボクみたいな縊り殺したい程嫌いな男に、痛ましい事故とはいえいきなり生チュウされたら、家の外に飛び出したい位に怒り狂う気持ちは分からないでもない。
 しかし、飛び出すまではいいとしても、その前に少しは天気とか、後の自分の体調とかも考えろというのだ。あんなびっくりするくらいに身体を冷やして、万が一にも病気にでもなったら、ボクはもう本気で怒り狂うだろう。この女の考え無しの身勝手さ加減には、ほとほとウンザリだよ。ボクが来なけりゃ一体どうしたというのだろうか。バカみたいに木の根元であうあう言って、ずっと雨に濡れながら、たった一人で泣きじゃくっていたのだろうか!
 ボクの脳裏には、雨が滝のように降る薄暗い林の中で、小岩井が一人ぽつんと木の根元にしゃがんで、雷におびえて泣いている映像が、この上なくリアルに描かれていたのだった。
 そんな適当な妄想の光景に、しかしボクは背中の毛がよだつくらいに戦慄を覚えた。そんな事、絶対に許せない!! 絶対にダメだ!!! 何があっても、こいつがたった一人で泣いているなんて、ボクは絶対に認めないぞっ!!!!!
 何かよく分からないけど、ボクは頭痛がするくらいに頭に来たので、先ほどからずっと右手で支えている小岩井の尻を、とりあえずムニっと抓ってやった。
「ひゃうぅ!? ちょと何するのよ、エッチ!!」
「やかましい! 勝手に飛び出して、あのまま林で会えなかったらどうするんだってんだ!!」
 ボクは感情の爆発を抑えられず、そのまま背中に居る小岩井に怒りをぶつけていた。
「だって……! だって、貴方が、その、悪いんだから!」
「何が悪いか知らないけど、それだったらボクのこと好きなだけ殴ればいいだろうがよ!! こんな雨の中で飛び出すなんて、そんな自分を痛めつけるようなことをするなよっ!!」
「いいじゃない、自分の身体だもん……一条君には関係無いよ……!」
「馬鹿野郎!! お前二度とそんな事言うんじゃねー!! 関係無いとか関係無くないとか、それこそ関係無いんだから! ボクはお前が身体壊すとか、絶対許さないからな! 反論なんて絶対聞いてやんないもん!! ボクが嫌だから、絶対嫌だからな!!」
 何かもう、ボクは感情が高ぶって、最後の方は涙声で喚き散らしていた。まったく、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしいったらないじゃないか……。
「何で、勝手に許さないとか言うのよ……」
 小岩井は、ボクの肩に頭を載せて、よくわかんないことを言い出した。まったく、人におぶらせたあげくに怒らせて、それで楽したいからって顔までもたれ掛けてくるとか、こいつ一体何考えて生きてるんだ? 本当にとんでもねーヤツだよね! ちっとは厳しい言い方でもしてやった方が、こいつの躾のためにいいかも知れない。
「さっきから嫌だからって言ってんじゃん! 小岩井が病気になっちゃうとか、考えただけでも気が狂いそうになる!! そんなの死んでも嫌なんだから! 外に理由なんて無いから!! 絶対に絶対に嫌なんだからっ!!」
「あうぅ〜〜」
 ボクがひとしきりそう喚くと、背中の小岩井はまたシクシク泣き出しやがった。
 うっわー、超絶ウゼー!! こいつ人に怒られたからって、いちいち嫌がらせに泣くんじゃねーよ! もうその辺に落っことしていってやろうか!
「ごめんなさい………ほんとにごめんなさい……あうぅぅ〜」
 以前、ドコゾの公園の近くでボクのTシャツを鼻水だらけにしやがったときと同じように、彼女の嗚咽の熱い吐息が、ボクの背中にずっと掛かっていた。
 小岩井がうえぇ〜と泣いていると、やがて彼女の体温も上がってきたようで、彼女の身体と密着しているボクの背中も、ほんのりと暖かくなってきた様だ。
 なるほど。泣くほどムカついたその怒りで、小岩井の体温は少しずつだけど上がってきたらしい。まぁこれはこれで結果オーライというヤツだろうか? 家もだいぶ近くなってきたし、この熱が風邪の熱でない事を祈らんばかりだ。まぁこいつのボクに対する嫌い度はこれ以上無いほど上昇しきっただろうけど、しかし病気になられるよりも、いつもボクの顔見て死ねとか元気に言ってた方が、幾分マシってもんだよ。
 とりあえずボクの今の最優先事項は、この女を家までしっかり搬送して、彼女の家の玄関に放り込んでやることだ。後は勝手に風呂でも入って、身体を温めて布団にでも潜り込んでろと言うのだ。
 うーん、その辺もちゃんと言ってやった方が良いよなぁ? また癇癪出して、汚れた服だけ脱いで、ぱんついっちょのままでピアノ弾いて憂さ晴らしとか、本気で敵わないもん。ついでにこんなブルーな日に、ピアノの音とか聞きたくないし〜
「お前、家帰ったらちゃんと風呂入って身体を温めて、ぱんついっちょでピアノ弾くとかしちゃダメだからね!」
「うぇぇ〜〜、なんでぱんつなのぉ〜〜」
 知ったことか! そんなのは自分で考えろ!!
「分かったらちゃんと返事しろ!」
「あうぅ、お風呂入る〜」
 何かまだ後ろからグズグズ聞こえるけど、既にボクらは住宅地の中に入っており、我らが愛するボロマンションも目の前に見えてきていた。
「あうぅ、もう降りる〜〜」
 小岩井は何か言ってるけど、こんな中途半端なところで降ろしたら、またへそ曲げて雨の中に飛び出して行きかねない。ボクは何故だかそんな確信を得たので、彼女の戯言は無視してそのままマンションに突入したのだった。
「あうぅ〜〜! 誰かに会ったら恥ずかしいよーっ!」
「やかましい! 積載物は最後まで運ばれてればいいんだ!」
「あうぅー! ばかぁ〜〜〜!!」
 なんてコトだろうか! この背中のムカつくバカ女は、ボクの背中を本気でボコボコ殴ってやがる。
 もう許さん。本当はエレベーターの前で降ろすつもりだったけど、玄関まできっちり運んでいってやる。ボクは怒りを新たに、もう一度小岩井の尻をムニムニ抓ってやった。
「ひゃあああ!! えっちーっ!!」
 まったく、恥も外聞も無い女だ。
 ボクは積載物の無思慮ッぷりに軽い頭痛を感じながら、おんぶしたままではエレベーターに乗れないため(小岩井の頭がエレベータのフレームにぶつかっちゃう。まぁそれはそれでざまーみれで良いかも知れないけど)、階段で三階まで上がっていった。
 そして晴れて配達場所(つまり小岩井の家の玄関前)に到着すると、少しかがんで尻から手を離した。
「あうぅ〜〜」
 また何か恨めしそうな声を出して地面に降り立った彼女は、ちょっとだけふらつきながらも、しっかり自力で立てたようだ。
「大丈夫? ちゃんと歩ける??」
 いくら腹立たしい女だからといって、荷物が壊れていないかの確認くらい、ヤマトのおにーさん位にしてやっても罰は当たらないよね?
「あうぅ、大丈夫……」
 小岩井はその場で軽く足踏みし、歩行機能のチェックを行っていた。
「それじゃ、ほんとに風呂入って身体を温めて、布団に潜り込みなよー」
「うん……わかった……」
「んじゃ、ボクは自分家に帰るねー」
 ボクはそう言うと、小岩井に彼女の鞄を渡し、自分家の汚い玄関に向かって歩いて行った。
「あっ! あの……わたし……今日はホントに嬉しかったから……」
 ボクが玄関のドアを開けたとき、隣の玄関の方からそんな声が聞こえてきた。
「へいへい、それじゃまた明日ねー」
 ボクは手をふりふり、自分家の玄関のドアを開ける。
 ふふん、なーにが嬉しかっただっつーの。道中散々恨み言抜かしやがって、嫌みかなんかのつもりだろうか。それともボクの至近距離で、ボロクソ悪口言えたのがそんなに嬉しかったというのだろうか!
 ボクは小岩井と別れて、いつも通り世界から色彩が失われたような気がしつつ、玄関で靴を脱ぎ散らかして愛するボロ家に入っていった。
「優樹!! あんた何でそんなに濡れてるの!!」
 そして自分の状況をちょっとだけ失念したままリビングに入ったら、出会い頭の母親にいきなり怒鳴りつけられたよ。
「ズボンなんか泥だらけじゃない! それに着ていったジャケットはドコに捨ててきたのよ! 全くこの子はいつまで経っても本当にだらしがないんだから〜〜〜!」
 ジャケットは捨ててきた事で確定ですか。小岩井の尻に忘れてきただけですよーだ、この未熟者め。まぁそのうち隣のベランダから放り込まれてくるだろうから、それを拾って洗濯すればいいのだ。
 ボクは母親に散々ブーブー文句言われながら風呂に入って身体を温め、自分も風邪を引かないようにさっさと布団に潜り込んで可及的速やかにぐっすり寝たのだった。
 もちろん翌日の授業中、教師の「宿題集めるぞー」という声に戦慄したあげくに3倍返しで宿題貰ったのは、いつもの通りだったりするので詳しいことは割愛するよ。
 ちなみに翌々日、母親が捨てたと断定したジャケットはベランダから放り込まれることなど無く、クリーニング店の袋に入って戻ってきたのだった。なんか高級そうなお菓子も一緒にくっついてきたけど、あの未熟者、隣に何か脅迫的行為にでも及んだのだろうか……?


 その後、わずかに残された撮影シーンも無事に撮り終わり、ボクらの作る映画はみっちゃんが死んだ気になってフィルムを繋げるだけ(一部アフレコもあり)という段階にまで到達することが出来たのだった。
 何て奇跡! 人間やる気になってやってみれば、案外何とかなるもんなんだねぇ……。
 そんな、自分たちの偉業に自己満足している、秋もだいぶ深まったある日の体育の授業中。
 この日の授業内容は、男子は長距離のマラソン、女子は向こうの方でバレーかなんかをやっていた。
 ボクらは何とか規定の距離を走り終わり、休憩がてら校庭の木陰で女子達がボールに戯れるステキな光景をぼーっと見ていたのだけれど。
「おっ、優樹、あそこに小岩井が居るじゃねーか」
 体育着女子の股間と胸ばかりを見ていると思っていたみっちゃんが、ニヤニヤしながら女子達の方を指さしている。
「どこどこー?」
 だいたいボクは小岩井などに興味は無いのだけれど、一応オトナの態度として親友が振ってきた話題に乗ってやることにしたのだった。彼の指さす方向を見ていたら、なんか集団と離れた場所でぽつんと一人、小岩井が立ち尽くしていた。
 そんな彼女をボクが見つけたその時、ボールが小岩井の方に向かってまっすぐ飛んでいき、彼女の後頭部を直撃したのだった。
「あう〜」
 いつも通りの自動音声が、微かにここまで響いてきた。
「あっちゃー、全くぼーっとしてるから、あんなのにぶつかっちゃうんだよー」
 ボクは、頭を抱えてしゃがみ込む小岩井を見て、その間抜けな姿にケラケラ笑っていたのだけれど、
「おいおい、お前今のは笑うタイミングじゃねーだろうがよ」
「故意にぶつけられたとしか思えないな」
 などと、みっちゃんと熊ちゃんは真面目な顔して評していた。
 なんだ、あいつまだそんなあからさまに虐められているのか!? いい加減クソヤンキーの件も落ち着いてきたと思っていたら、全然事態は好転していなかったのだ。全く高校生になっていじめとか、ホントに死ねばいいのに!!
「まーまー、お前がそんなところで般若みたいな顔してても、すぐにはどーにもなるもんじゃねーよ。それにしてもよ、こうしてみると小岩井のヤツは、チビッコのくせに結構いいケツしてやがるよなー!」
 小ぶりだが綺麗な線としている、あのぷりぷりしたケツは揉んでもチチ並みに楽しめそうだなどと、みっちゃんは尻の美しさとはなんたるべきかと、しばらく間講釈を垂れていた。
 まー、確かに小岩井はちびっこいけど、だからといって貧相な身体をしてるって訳じゃないんだよねぇ。何度も見たり押しつけられたりしたおっぱいは、まぁ大きさ自体は小ぶりだけど、線としては良い物を持ってたりするのだ。もちろん肌の色つやも綺麗だしね。
「そうそう、ケツと言えば、ほらあそこにいやがる腐女子2号! あのクソビッチも良い感じにエロいケツしてやがんな。一度パンツを引きむしって、真っ赤に腫れ上がるまでひっぱたいてみたいもんだぜ! 熊ちゃんもそう思うだろ?」
「思わん。つくづく歪んだ性癖を持つヤツだ。何故お前は綺麗な物をいちいち壊そうとするんだ?」
 バカは死ななきゃ直らんなと、熊ちゃんはワリと酷いことを言っている。
「何言ってんだ! ああいう男を惑わす悪のエロケツは、一度修正を加えるべきなんだよ! 一見清純そうなツラしておきながらあのクソビッチ、服の下には巨乳と引き締まったいいケツ持ってやがる。ふざけんじゃねえよ、許せねえよ!」
「一体何が許せないんだ……。だったら、あそこで元気良く飛び跳ねている伊東はどうなんだ?」
「あ? アレはどーでもいい」
 それより腐女子1号も、こうして見ると綺麗な脚線してんなーと、みっちゃんは結構なグラマーである伊東さんを華麗にスルーしたのだった。うむむ、この友人の趣味というか、こだわりってよくわかんないなぁ? 伊東さん、おっぱい大きくて腰だってきゅっと締まっていて、それなりにおしりも足も綺麗な線してるのに。だいたいこの人、温泉の撮影の時に伊東さんの生乳二回も揉んでたじゃん……。それともアレなのか? 一旦お手つきしちゃった女の子は、もう傷物だから興味は無いって事なのかなぁ。
「みっちゃん、あんまり贅沢なコト言ってると、そのうち罰が当たるよー?」
「ああ? いきなりどうした優樹よ??」
 みっちゃんは、とぼけた顔してボクに聞き返してきた。全く、自覚が無いというのは本当に困るよねー。
「一度女の子にオイタしちゃったらもう飽きちゃうとか、そういうのって良くないよー?」
「おお……。そりゃそーだが、いきなりなんだ? 俺はこう見えても一途な男だぜ??」
 ヘンタイ一途。救えない友人の生き様だった。
「女の子は、一度お手つきしたらずっと大切にしないとー。途中で捨てちゃったりしたら、小岩井みたいになっちゃうんだから」
「ちょっと待て優樹。何かお前、さりげに重い話してないか?」
 あ、やばっ! 小岩井が失恋したあげくにこっちに逃げてきて、またすぐどこかの男に惚れたとか、そんな尻軽な話はみっちゃん達は全然知らないんだった。さすがにこんな重々しい恋バナの話題なんて、ボクが勝手に言い広めていいことではないよねぇ?
「あ、いや、何でもない! 忘れて忘れて!!」
「ああ、何かよく分からんが……まぁ、小岩井も黙ってりゃあ、チチか小ぶりなだけで結構いい感じだしな」
「さすがみっちゃん、ロリだからねぇ」
 ボクはつかさず無難な突っ込みを入れて、話題を無理矢理ねじ曲げた。
「あー!? 俺は決してロリなんかじゃねーぞ!? 昔から言ってるだろうが、女はチチがねーと意味がねーって! 俺はチチが無い女は女と認めん!! もちろん、熊ちゃんだってそうだよな!」
「知らん。お前が歪んだ持論をぶって女子に嫌われるのは全く厭わないが、せめて夢の中か、他に誰も居ない一人の時にやってくれ……」
 おかげで俺達も同類だと思われて甚だ迷惑だと、熊ちゃんが重々しいため息をつく。
「なんだとぅ!? 俺様がせっかく女共はかくあるべきだと語ってやってるのに、おめーらそれが理解出来ないとは! こりゃ、俺様自ら啓蒙活動をしなければならないようだな! よーし、よ〜〜し!! せっかく小岩井や腐女子2号のいいケツも拝めたことだ、俺達で『全日本女性の臀部を愛する友の会』、略して”ケツ友”を結成して、女のケツとはかくあるべきだと全世界に広めよう!!」
 うわあ、また頭の壊れた親友がワケの分からないことを言い出した!
「いやだよ! そんなワケの分からないもの、一人でやってちょうだいよ!」
「何言ってる、副会長はお前だ」
 嫌だー!! ボクは確かに女の子の綺麗なおしりは嫌いじゃないけど、それだけ愛するなんてフェチの極みに達するには、まだまだ色々とボクの人生は至ってないよぉ〜〜!
「そんで熊ちゃんが会計な」
「断る。そんな怪しげな新興宗教、破防法を適応して潰してしまえ」
 自爆テロ並みに社会の害悪だと、熊ちゃんはこめかみを押さえて首を横に振る。
「ちっ、この俺様の崇高な目的が理解出来んとは……お前ら、美しい物を見て感動する経験が全然足りてねーんだよ! 例えば熊ちゃんシスターのおっぱいなんか、この世の芸術の極みだぞ!? 一度で良いからむしゃぶりついて、手の皮がすり切れるまで揉みまくりたい!! ついでに一気通貫、俺の腰技でヒィヒィイカせたいっ!」
 極めて漢らしい煩悩を噴き散らせたみっちゃんの顔を、熊ちゃんの大きな手が掴んでそれを握りつぶす。
「貢、黄泉路を急ぎたいのだな。友としてきっちり送り届けてやる」
「おごごっ! いで、いでででで〜〜〜!!!」
 ギブギブと、みっちゃんは熊ちゃんの腕をペチペチ叩くも、しばらくの間みっちゃんの悲鳴が途絶えることは無かった。
 熊ちゃん、妹さんが絡むとマジギレするって噂、ホントだったんだねー……。

 ボクはそんな友人達のたわいも無いじゃれ合いの声を聞きながら、目は自然に小岩井を追いかけていた。そして、彼女のひとりぼっちな姿を見て、以前ヤンキーが小岩井に突っかかっていたときのことを思い出していた。
 人に怪我をさせて、病院送りにした――――
 小岩井はその後、ヤンキーを階段から突き飛ばしてまたもや病院送りにしたあげくに、あちこちの教室で財布を盗んだとかいうえん罪を掛けられ、学校中からいじめを受け続けている。体育の授業中だというのにゲームの中にも入れてもらえず、校庭の端で一人ぽつんと立ち尽くしている様子は、周りから存在すらも否定されているのを如実に表しているようだった。
 果たして小岩井は一方的に被害者なのか。それとも、やはり虐められるのに相応しい、それなりの理由ってのがあるのだろうか。もちろんあいつの普段のキツイ態度は、どう考えても状況をどんどん悪くしているのは間違いない。もう少し、適当に周りに合わせて上っ面だけでも笑ってればいいのに、常にツンツンして周りに怒りばかりをぶちまけている。
 そりゃ、ボクだって何でもかんでも適当にやってりゃ格好いいとか、そんなオコサマみたいな事は思いたくもない。人間やらなきゃいけないときは、恥も外聞も無くがむしゃらにやらなきゃいけないのだと、ちょっと前に10年後に行って、嫌と言うほど思い知らされてきたからね。
 けど、それで周りに迷惑掛け続けるのは、当たり前のことだけど程度の問題として、人とのコミュニケーションとして、ダメダメだって事だ。小岩井は自分のことばっかり考えてるように見えるけど、人の気持ちを考える事が無いのかね? そもそもあいつ、階段でのえん罪を掛けられる原因にもなった、前の学校の暴力事件とやらで、一体何をやらかしたのだろうか……。
 そう考えてみると、学校中のバカ共に虐められている小岩井は、自分で原因を作ってきたと言っても過言じゃないだろう。でも、いくら彼女に原因があるにせよ、今の彼女を取り巻く環境はどう考えても酷という物だ。今更学校のみんなと仲良くしようなんて、うさんくさい理想論は語らないけど、せめて虐められない程度までになって欲しいよねー。
 ところで、小岩井のことをそんな風に思うのは、たまたま同じ部活に在籍してるよしみがあるからだけだよねぇ?


 体育を含めた午前の授業が終わって、適当にお昼ご飯を食べた後。
 ボクはお節介なのは重々承知だけれど、小岩井の状況を少しでも改善するネタを探るべく、何とか同じ女性の範疇に入っているであろう部長に、まずは命を捨てる覚悟で相談してみることにしたのだった。そもそももっと他に年上の頼れる人が居たら絶対そっちに行くのに、ボクの知っている先輩とは、極めて遺憾なことに部長くらいしか居ないんだよねぇ……。
 ボクはまるで処刑場に向かう囚人の如く足をガクガクさせ、しかし震え続ける足に気合いを入れつつ、3年生の教室に向かっていった。
 それにしても、何で学校って所は違う学年の廊下を歩くだけで、こんな異様なプレッシャーを受けなきゃならないんだろうなぁ……
 どーせ周りの先輩だって、”あー、2年が居る〜〜”位にしか思ってないだろうに、何故か分かんないけど、彼らがボク見て”スキあらばぶち殺す!”って感じの殺気をひしひし感じちゃうんだよねー……。
 ボクが不必要にビクビクしながら廊下を歩いていると、やがて部長のクラスにたどり着いたのだった。
 ボクがドアの近くで教室の中をうかがっていると、3年の女子生徒が声を掛けてきた。
「何か用? 誰か探してるの?」
 あ、ちょうどいいからこの人に聞いてみよう。
「すいません先輩、早坂先輩を呼んで頂けます?」
 ボクが部長の名前を出した途端、今まで優しく笑いかけていたその顔が恐怖に引きつった。
「え゛っ……は、早、早坂さんね……あの、えと、あそこに居るから、その、自分で呼びに行って……くれるかな……?」
 彼女がブルブル震える手で教室内を指さすと、なんか微妙に周りの机から距離を置かれた机で、部長がのんびり本を読む姿が見て取れた。
「……あの、部長が極めて恐ろしい人だってのは十分分かるんですけど、やっぱり教室でも?」
「あああ、あの、ごめんね、いや、うん、早坂さんはとってもいい人なの! だから、アタシみたいなバカチンがうかつに近づくと、もう本気で何されるか分かったもんじゃないっつーか、もう、ねぇ? えへへへへ」
「ありがとうございました。後は自分で行きますので〜」
 泣きながら笑い続ける先輩があまりにも可哀想だったので、オトナなボクはさっさと彼女を解放してあげた。さすが部長、やはり学校全体から恐れられているんだ……。
「あの、部長、ちょっとお話があるんですが……」
 ボクは本を読んでいた部長に近づき、とりあえず声を掛けてみた。いきなり「うるせーゴルァ!」とか言って、思い切り蹴られたら嫌だなぁ……。
「まぁ、一条君、こんにちは。どうしたんですか、こんなところまで来て。……もしよろしければ、場所を変えましょうか?」
 部長は読んでいた本を閉じると、ボクにいつも通りの恐ろしい笑顔を向けたのだった。
「あ、あの、そうしていただけると助かりますが……」
 そうやって、自然に他の人の目の見えないところに連れて行かれるボクは、この後一体どうなっちゃうのでしょうか? なんかいきなり後悔の念が、自分の身体をものすごい勢いで蝕んでいるのが分かるんだけど、しかしここでただブルって居たらボク、もう誰もが羨むお年頃の男の子なんかじゃない! 勇気を持たない男の子は、ただの男の子だ!! そんなワケの分からないノリを自ら鼓舞し、ボクはあるだけの根性を振り絞っていた。
 そして、部長と一緒に教室を出て、結局彼女に連れてこられた先は、ある意味慣れ親しんだ文芸部の部室だった。まぁ確かにここならボクらは自由に使えるし、それに関係無い生徒がのぞきに来る事も無いでしょう。さすが部長、中々良いチョイスだ。例えここでボクが蹴り殺されても、他の人には悲鳴は聞こえないしね。
「……あの、小岩井の今状況を、何とかする方法って無いでしょうか。周りの連中が悪いのは当たり前ですけど、ボクはあいつ自身も、自分で状況を悪くするようなことばかりやってる気がするんです」
 部室の隅で椅子を並べて、ボクは部長に相談を切り出したのだった。
「私は学年が違うので、小岩井さんの具体的な状況など、詳しいことは分かりません。しかし、人間の行動には、全て必然性があるのですよ」
 部長はボクの目を見ながら、ゆっくりと諭すように説明を始めた。
「必然性ですか?」
「そうです。例えそれが故意であっても無自覚であっても、その行いには必ず原因・理由があります。突拍子も無く、悪意を持って人に嫌がらせする人は居ません。……まぁ、たまにそういう人も居る気がしますが、小岩井さんがそういう人種で無いことは、一条君ならもちろん理解していますよね?」
「それはそうですが……。でもボク、あいつにしょっちゅう怒鳴りつけられますけど?」
 ところでボクはあいつに、今まで何回「意味がわかんない、死ね!」と言われてきたのだろうか……。たぶん数えると絶望のあまり死にたくなるから、絶対に数えないけどね。
「それはあなたが、小岩井さんを怒らせたりするからです。彼女は勝手に怒るのでは無く、貴方の行いが原因で怒るのですよ」
 部長はクスクスと笑いながら、全部貴方に原因がありますと言った。
「そんな勝手なー! だったらボクの意志なんて、関係無しに怒られるって事ですかー!?」
「そうですよ。だから人は、怒られないように、相手を怒らせないように、相手のことを考えて行動するのです。もちろん、自分自身の正義に従って行動して、相手が怒るのは仕方のないことです。それは、各個人がそれぞれ独立した意識を持っている以上、決して避けることの出来ない衝突です。でも、相手を思いやらない行い、つまり自分勝手とか、自己中心的と呼ばれるようなことで相手を怒らせるのは、別です。自分がこう思ったから!ではなく、相手にどう思わせたかが、人付き合いでは大切なことですからね」
 ??? 何か部長が、いきなり難しいことを言い始めたよ?
「ええと、相手にどう思われたとかって、結局自分の考えとか気持ちなんて、相手には全然伝わらないって事ですか? コミュニケーションって、自分の伝えたいことか関係無く、相手が勝手にどう受け取ったかってこと?」
「そうですね。人の言葉では、相手に気持ちまでは伝わりません。だいたい気持ちが伝わるならば、好きな人同士でケンカすることもありませんし……」
 部長は何か顔を赤らめてクスクス笑っているけど……むむぅ、昔にでも、彼氏かなんかとケンカして相手を蹴り殺したことでもあるのだろうか?
「じゃあ、言葉って一体何なんですか!? もし気持ちが伝わらないのならば、一体どうやって相手に気持ちを伝えれば……」
「言葉は、相手に記憶を想起させるプロトコルであると言えます。……一条君は、プロトコルという言葉はご存じですか?」
「えー、そう言われるとよくわかんないですけど……」
「普通は外交儀礼と訳されるのですが、今回の意味ではコンピュータ用語としてのプロトコルです。通信規約とか、決められた手順という意味ですね」
「はぁ……」
 何かいきなり変な言葉の説明を始めたけど、つまり気持ちとかを完全に伝えたければ、攻殻機動隊みたいに脳みそ同士直結しろってことなのかなぁ? 確かにすぐに情報は伝わって便利そうだけど、頭の中でえっちな事とか考えてたら、そのまま繋げた人にばれちゃうかもしれない。つまり、あの物語の男性諸君は、自分の煩悩すらも完璧に制御出来なくてはならないのか……!
 ボクはバトーさん達の隠れた努力に感心していたのだけれど、そういえば今は部長と命をかけた話し合いをしている最中だった。集中、集中!
「つまり、人の操る言葉とは、話した相手の記憶を呼び覚ますための記号みたいな物に過ぎません。だから、言葉が伝わる最低限の前提条件として、双方が同じ記憶を持っている必要があります」
「あ、だから”話せば分かるんです!”なんて言葉は嘘っぱちだって事ですか?」
「そうですね、話せば分かる人は、自分と同じ記憶を持っている人に限られますから、文化や考え方が違う人には”言葉が通じない”という状態になるでしょう」
 なるほどー、今まで何となく思ってたことだけど、やっぱりちゃんとした理由があったんだねぇ。けど、すると、普通の人は同じ記憶なんて持ってるワケは無いんだから、やっぱり言葉って通じないって事なのかなぁ?
「となると、例えばボクと部長だって同じ記憶を持っているわけは無いから、言葉って通じないって事になりますよね?」
「いいえ、全く同一というわけではありませんが、一条君とわたしは色々と同じ記憶を持っていますよ? 一条君が初めて文芸部に来たときや、去年の文化祭のこと、今回の映画の撮影、さっきから話題に出ている小岩井さんのこととか。だから貴方は、小岩井さんを知っている私に相談をしてきたのでしょう?」
 まぁ、小岩井のことをそれなりに知ってる人っていったら、自ずと対象は絞られるし。てゆーか、選択の余地など無くこの部長しか居なかったんだよねぇ……。
「確かに、そうかも知れません」
「後は、一緒の国で生まれ育ったという文化や、学校で習った知識など……。結局、皆で同じようなことを学ぶのは、国民に共通したプロトコルを持たせるためなのかも知れませんね」
 わたしは教育論とかよく分かりませんがと、部長は付け加えた。
「それで、みんなで言葉が通じる基盤を学校で作って、それで結局気持ちも伝わるんでしたっけ?」
「いいえ、言葉は通じても気持ちは伝わりません。だからこそ、相手を思いやる気持ちがとても大切なわけです。言葉だけでは気持ちは伝わりませんが、それに相手を思いやる態度が伴うことで、十分相手に気持ちは伝わる物です」
 むー、何か良く分かんないなぁ? ボクは単に、上手く丸め込まれているだけなのだろうか?
「けど、ボクは小岩井を怒らせるつもりなんて無いのに、あいつはいつも勝手に怒り出すワケですよ?……結局、相手の取り方次第でどうとでもなっちゃうって事ですよね?」
「それは、今までの一条君の行いというものですよ」
 部長は何か嬉しそうにニコニコしながら、ボクの質問に答えた。
「一条君は、本当に何もしていないのに、いきなり小岩井さんに”意味がわかんない!”って怒られたことはありますか? 朝一番の出会い頭に”真面目にやってよ!!”と言われた事は?」
「そりゃ、確かに無いですけど……」
 しかし部長もよく見てますねーという、ボクの軽口は華麗にスルーされた。
「相手に心を開いて貰いたければ、まず自分から、です。小岩井さんだって、完全な人間ではありません。機嫌が悪いときだってあるでしょう。別に小岩井さんにへりくだれとか言っているわけではありませんが、まずは一条君が、彼女の気持ちを全部受け止めてあげても良いんじゃないんでしょうか? 女の目から見ても、小岩井さんはワリと理屈で動いている人ですから、男の子からはわかりやすい子だと思いますけど?」
 そうかなぁ? あいつの虫の居所なんて、理研のスパコン”京”を使っても絶対わかんないと思うけど……
「……部長は小岩井のことがわかりやすいって思いますか?」
「わかりやすい方だと思いますよ? 別に優劣を付けているわけじゃありませんが、私は伊東さんの方がよっぽどワケが分かりません……。何であの腐れドビッチは、いつもあたしのチチばかり揉んで来やがるんじゃー、ギギギー……」
「部長! 落ち着いて、落ち着いて!!」
「はっ!? すいません、ちょっとだけ取り乱してしまいました。ええっと、だからですね、小岩井さんの態度や行動には、ちゃんとした理由があるって事です。それだけは、ちゃんと理解してあげてくださいね」

 小岩井がいつもツンツンしている理由、か。
 ボクは部室で部長と分かれ、一人考え事をしながら自分の教室に戻っていた。
 小岩井が、根っから周りの人間に攻撃を続ける性質の奴だと言われれば、確かにそう思える節はいくつもある。基本頑固者だし、自分が気に入らないと癇癪起こすし、そして自意識過剰で被害妄想持ちで、何でもかんでも自分が悪口を言われていると信じて疑わない。まさにツンツンするために生きているような奴だ。
 けど、あの名状しがたいチャラ男が映っていた、いつぞやの呪わしきビデオテープに映る小岩井の笑顔には、あいつがそんなんじゃないって事を、これ以上無いほどに的確に表しているように感じていた。
 以前10年後に行ったとき、そこで出逢ったジャガ子はやむにやまれる事情でエンコーをしていた。奴のことを知らなかった時は、どんなしょうもないバカタレ女子かと思ってたけど、彼女がそうしなければならない理由を知ってしまったら、ジャガ子のことを到底バカタレだなんて思えなくなっていた。つまり、他人から見ればどんなに愚かに思える行動だって、そうしなければならない理由が、やっぱりちゃんとあるのだ。だから、小岩井のあの態度にも、きっと明確な理由があるのだろう。そしてその理由とは、これはボクの根拠の無い勝手な直感だけど、前の学校で起こした暴力事件にその解がある気がするのだ。
 この学校に居て、ボクがまともに話を聞けそうな人で、唯一小岩井の過去を知ることが出来るであろう人物。
 ボクは放課後に職員室に行き、ボクのクラスの担任、そして全く部活に顔を出さない我らが文芸部の顧問をとっつかまえて、事情を聞いてみる事にしたのだった。

「先生、折り入ってご相談が」
「何だ一条、お前がこの間出した進学って進路調査票は、もう一切変更は認めねーぞ?」
 おい教師。あんた前と言ってることが何か違ってないか?
「いや、今回はそれではなくてですねー、でも変更認めないってのは認めなくないですけど、あの、だから今回は小岩井のことなんですけど?」
「なんだお前、まさか妊娠させちまったのか!?」
 ……やっぱボク、もう家に帰ろうかなぁ……。この人に相談しても、何も得ることが無い気がしてきた。
「そんな事じゃないんですけどー」
「まぁまぁ、そんなに怖い顔して怒るんじゃねーよ。なんだ、お前ら大概だと思ってたんだけどなぁ?」
 教師が生徒に不純異性交遊を勧めていると? これはそういう事なのか??
「あー、ボクはあいつとはぜんっぜんそういう関係じゃありませんがー」
 なんかよくわかんないけど、ボクは目から涙が溢れ出てきた。このお馬鹿な大人にからかわれているのが、よっぽど悔しいと思える。
「そーかそーか、まぁ青春は短ーんだ。せいぜい楽しむこったな! で、相談ってなんだ? 俺は忙しいからさっさと済ませてくれ」
 いちいち変なコト言って話の腰を折ってるのはドコのどいつだ!! ボクはさすがにキレそうになったけど、人生17年も生きてるいい年こいたオトナですし? この目の前のしょうも無い人間の不出来を華麗にスルーしてやるくらいの度量ってもんを見せても別にあちこち減ったりすることは無いのでしょうし?……などと、一生懸命怒りを静める努力をしていた。
「……あのですね、小岩井が前の学校で起こしたっていう、暴力事件について聞きたいんですけど」
 ボクはようやく、本題を切り出せたのだった。この居心地の悪い職員室に来て、ここに来るまで一体何分掛かったのだろうか……。
「……お前、他人のプライベートに興味本位で足突っ込むんか?」
 ボクの言葉を聞いて、今までだらけた顔をしていた担任の表情がいきなり非難めいた物に変わった。しかし、この程度のことはもちろん想定の範囲内である。ボクは担任の目を見据えてしっかり言ってやった。
「興味本位なんかじゃありません。ボクは、本気で小岩井が虐められている今の状況を変えたいと思ってるんです。……先生は、小岩井がいじめを受けてるのは知ってるんですか?」
「知ってるよ。だいたいの状況は把握してる」
「だったら何で止めさせないんだよ!」
 ついついボクは、先生相手に声を荒げてしまった。やっべー、怒られるかも!? ボクはビクビクしながら担任の顔を見たけど、何だかうすら笑みを浮かべてこっちを見てやがる。
「いじめはな、生半可な対応じゃ酷くなるだけだ。場合によっちゃ、卒業するまで放っておいた方が良いくらいだ。ガキは世界が見えてないから、学校如きでスクールカーストだの何だのと、下らない階級作って悦に入ってやがるが、あんなモン次の学校や会社に行ったら、あっという間に消え失せるもんだ。だから虐めもそこで完全に終わりだ。高校のクラスメートなんざ、長くても3年の付き合いだぜ、卒業したら二度と会わねー奴らだからな。実害が出ないなら、適当にスルーしときゃいいんだ」
 うわあ!? なんて冷めたコト言ってんだこの担任! あんた自分が担任持ったクラスメートが、卒業したらタダの他人って寂しくないの!? 冗談じゃない、ボクはみっちゃんや熊ちゃんとは一生涯の友達だぞ!?
 てゆーか、それよりもさ!
「スルーしとけって、実害が出たらどうするんですか!!」
「そんときゃ簡単だ。法律に照らし合わせて厳正に処罰する」
「学校の先生がそれでいいの!?」
「先生つったって人間だぜ。神様の力を持った万能機械じゃねーんだ。出来る事と出来ねーことがある。それに、単なるいじめってのは、証拠が掴みにくいからこそ対処が難しい。憶測じゃ動けないからな。いいか、お前分かってるから言うけどな、虐める側を徹底的に叩くには、物理的な証拠が出てからの方が簡単なんだ。だから俺たちは、そのチャンスを伺っている。だいたい、ここだけの話だけどよ、いじめをするようなクソガキの親は、余計にバカなんだぜ? ヘタな対応すると、何しでかすかわかったもんじゃねーからな」
 そりゃそうだけど! モンスターペアレンツとか最悪って分かるけど!!
「そんな事言ったら、小岩井が傷つくのを待てって言ってるのと一緒じゃないか!」
「だからお前ら友達が居るんだろうがよ。守ってやれよ、それがお前の役割じゃないか」
「生徒に全部押しつけるって事!?」
「役割分担って奴だ。お前はお前、先生には先生、それぞれやれることとやれないことがある。分かれ」
「そりゃそうだけど……」
 この担任が言ってること、確か間違っちゃいないけど……。でもなんか、絶対納得いかない! けど、ボクには担任が宣う事を、明確に否定するだけの言葉が全然沸いてこなかったのだ……。
「いいか、よく聞け。万が一小岩井に友達が居なければ、保健室登校でもなんでもやってやるさ。でもな、あいつには友達が居る。あいつを守ってやれるお前らが居る。それにな、学校のセンコーに腫れ物扱いされて面倒見られるより、お前らダチに助けられた方が、よっぽど嬉しいもんだぜ?」
「あの、先生、学生時代なんかあったの?」
「いちいち聞くんじゃねーよ」
 あ、怒った。
「……じゃあ、ボクらで出来る事はボクらで何とかするから。だから小岩井のこと、ちゃんと教えてください」
 ボクは頭を下げて担任にお願いした。そういえばボクがこの教師に頭を下げたのは、これが最初かも知れないなぁ?
「頭を上げろよ、一条。改めて聞くけど理由は? なんで小岩井の前の学校のことを知りたいんだ?」
「それは、あいつのトラウマって言うか……ボクらが全然意図しないところでいきなり泣き出したり、癇癪を起こしたりするから、その原因を知りたいんです」
「そりゃお前らが虐めてるからじゃねーのか? 女の子にちょっかい出して泣かしていいのは、小学生男子までだぜ?」
「違うって! ……えっと、確かにふざけてて小岩井をからかったりすることはあるけど……でも、あいつが本当に嫌がってることはもう絶対やりたくないし、でもそういうバックグラウンドが分からないから、たまにものすごい勢いで怒り出したりするし……。そんなんじゃ、ボクらあいつのこと守りたくても、実は傷つけてるだけって事になるから、あいつのことをもっと知りたいんです。もちろん本人に聞くのが一番手っ取り早いけど、でもそんな事聞けないから……」
「ん、まぁ及第点の返事だな。まぁ俺も正直小耳に挟んだ程度くらいしか知らねーけど、知ってることは全部教えてやる。で、それ以上のことは、改めて本人に聞け。あと、分かってるだろうけど、他のバカ共には言いふらすんじゃねーぞ」
「分かってます」
「じゃ、説明してやるとな、まずあいつが前の学校でクラスメートを怪我させたってのは本当だ」
 何故かボクは、体中の血が凍り付いたように身体が冷え切り、目の前が真っ暗になった。
「そんな泣きそうな顔すんじゃねーよ。話は最後まで聞けや。……ちなみに怪我って言ってもな、頭にちょっとタンコブ作ったくらいだ」
「ちょっと待ってよ!! 何でそれで半殺しとか病院送りってなるの!?」
「喚くんじゃねー。だから人の話は最後まで聞け」
 ボクはとりあえず息を整え、担任の話を聞くことにした。
「怪我の理由だがな、報告では教室でケンカになって、小岩井が相手の男子生徒を突き飛ばした時に、机の角に頭ぶつけてタンコブが出来たらしい。その後、その男子生徒の親がギャーギャー喚きだして、あいつを学校から追い出したらしいんだよ」
「はぁ!? なにそれ!!」
 結局ここでもモンスターペアレンツってやつ!? なんでタンコブぐらいでいちいち学校から追い出すようなことまでするの!?
「まぁ向こうは私立校でな、その男子生徒は資産家のボンボンって事だ。で、親がPTA会長までやってたもんだから、もうあること無いこと言いまくったらしくてな。……そういや病院送りってのは、その男子生徒が家に帰ってから怪我のことを親に報告したらしいんだが、そしたら親が大騒ぎし出して、それで救急車まで呼んで病院に連れ込んで、そのまま一週間程入院させたんだってよ」
「あの、頭ぶつけたら、後から障害が出るって聞いたことあるけど……」
「もちろん医者の診断書は、単なる打撲で一切問題なしってことだ。それは、向こうの学校から正式に報告書が来てる。けどそれで納得しないバカ親はな、そんな診断書一切無視して、一生治らない怪我を負わされたとか言って小岩井の両親相手に訴訟を起こして、もし学区内から居なくなれば訴訟を取り下げるって脅したらしい。まぁ、小岩井の親は賢明だったって事さ。バカ相手にするくらいなら、さっさと引っ越した方が良いってことでお前ん家の隣に引っ越してきて、ついでに小岩井はこの学校に転校してきたんだ」
 なんて理不尽……! ボクはそんな言葉しか頭に思い浮かばなかった。この国で、何でそんな身勝手な横暴がまかり通るの!? 金持ってりゃ何したってイイって事!?!?
「あの! なんでそんな理屈が通るの!? あいつの前の学校とか、なんでそんな頭がおかしいことで転校とかさせちゃったの!?」
「だから、お前そんな泣きながら俺にがっついてこられてもなぁ……」
 え!? ボク全然泣いてないけど!?
 しかし改めて目を擦ったら、涙が一杯手についてきた。
「あー、一応ご同業を庇っておくとな、もちろん向こうの学校としちゃあ、そんなふざけた話、到底容認できるもんじゃ無かったらしいけどな……。けど私立校って所は、寄付金ってのが結構な幅を効かせるもんでな? そのクソガキはやりたい放題悪さしてるらしいんだが、それ以上に親が学校に寄付金納めてるもんから、学校としちゃああまり強く出られないってことらしい。刑事事件でも起こしてくれれば放逐できるんだろうが、そこまでやらねーのが奴らの汚ぇ所だよな。それで、学校自体も管理監督責任がどうとやらで訴訟をちらつかせられて、泣く泣く小岩井の親と協議して、今回みたいな対応をするって事になったらしい。ま、その辺は全部前の学校から報告書が来てるから、本当のことなんだろうよ」
 ボクはブルブル震える手でもう一度勝手に出てきた涙をふるい落とし、小岩井の責任を考えてみた。
 あいつが言ってた”昔好きだったって人”ってのは、担任の言う金持ちのボンボンって事だろう。で、そいつとケンカして、突き飛ばしたら相手にタンコブが出来た、と。
 確かに相手に怪我させるのは良くない。それは絶対に悪といっても過言ではないだろう。
 けどさ、タンコブで入院って何さ!? ボクには良く分かんないけど、例えばボクとみっちゃんがバカやってて、タンコブだの擦り傷だの、そんな程度の小さな怪我はしょっちゅうだよ!? 現にみっちゃんなんて、部長のスカートめくってボコボコに蹴られたら、本当に入院した方がいいじゃないのって位に悲惨な状態になるんだから。
 でもボクらは、相手のことを学校から追い出そうなんて絶対思わないし、ボクらの親だってそんな事でいちいち何も言わないよ!(厳密には、みっちゃんの親がどう思っているかは分かんないけど、部長がああしてのほほんとしている以上、変な事にはなっていないのだろう……)
 本当に意味が分かんない! 所詮子供同士のケンカじゃん、なんでそれで親が訴訟とか言い出すの!? だいたい子供って言っても高校生だよ!? タンコブくらい、自分で何とかしろってんだよ!!
 ボクは最近、人の行動には必ず理由があるんだっていろいろな機会で学ぶことが出来たけど、でもこれにはさすがについて行けないよ!!
「あの、先生、ボクは小岩井には何も悪いところは無いと思うんですけど」
「それはお前の勝手な感想だよな。俺は小岩井が、前の学校の男子生徒とどんなことでケンカして、実際ドコまで手を出して怪我させちまった見ちゃいねーから、無責任なことは何も言わねー。……言わねーけどな、まぁ俺の勝手な感想は、お前と大して変わらんよ。……俺が知っていることは以上だが、大丈夫か?」
「全然納得出来ないけど、事情はちゃんと分かりました。ありがとうございました」

 ボクは担任に礼を言って、職員室出た。
 そして部活に行くために自分のクラスに鞄を取りに行く最中、ボクはもう泣き出したいくらいに後悔していた。それはもちろん担任に小岩井の話を聞いたことではなく、あのクソヤンキーの嘘にまんまと騙され、小岩井をどこかで軽蔑していたことに対してだ。熊ちゃんは何度も言っていたっけ、”小岩井がそういう事をするヤツに見えるか”と。もしボクの心のメガネが腐れきっていなければ、怪我させたの何だのという話自体、疑って掛かっていただろう。実際、部活のみんなは小岩井のことを全然疑っていなかった。みんな確信を持って、小岩井は悪くないと言い続けていた。しかしボクだけが、小岩井のことをずっと疑っていたのだ。
 ボクは、本当に心のメガネが濁りきっていたのだろう。ちょっとでも考えれば、小岩井はそういう人間じゃないって分かっていたはずなのに。
 だって、小岩井は腹を立てたときに、ボクの背中を何度も殴ってきたけど、しかしあいつの力は本当に弱くて、まともな男なら突き飛ばされる事なんて絶対あり得ないもん! だから突き飛ばされてタンコブ作ったっていうのも、なにか別の理由があるに違いない。もちろんそういう決めつけは良くないけど、これはボクの本心からの確信だ。今のボクの心のメガネは、少しは透明度を取り戻していると信じたい。
 いまだボロボロと流れ落ちるボクの涙が、濁りきったボクの瞳を少しでも掃除してくれれば良い。ボクはそんな調子のいいことを考えながら、目を擦って涙を払った。


「わたしは文芸部の部長として、今日この日を迎えられたことを本当に嬉しく思うと共に、素晴らしい映画を2本も作り上げた皆さんと一緒に部活に居られることを、心から誇りに思っています。本当に嬉しくて仕方がありません。
 ……思い起こせば、わたしに至らぬ点が多かったために、この部活は女子と男子に別れていまいました。そんな不便を皆さんに押しつけてしまったのは、全てわたしの責任です。本当にごめんなさい。でも、生徒会から与えられたチャンスで、皆で映画作りという一つの目標に邁進できたことは、今更調子のいいことを言うなと誹りを受けるでしょうが、大変運に恵まれていた事だと思っています。
 確かにチームは分かれたまま、しかもお互いの作品を掛けて文化祭で競い合うという形式にはなってしまいましたが、けれどその映画作りのなかで、我々女子と男子はお互いの知恵を出し合い、協力し、2本の映画を作り上げてきました。わたしの映画作りの思い出には、全てのシーンで皆さん全員の笑顔があります。だからそれぞれのチームで一本ずつ映画を作った作ったと言うより、皆で2本の映画を作ったのだと言っても過言では無いと考えています。
 ……来週の文化祭では、当初の予定通りに我々の映画は全校生徒によって批評をされ、そして選りすぐられた一本が選定されるでしょう。しかしそれは男女どちらかが優れているということではありません。我々全員に対する評価であると思って欲しいです。文芸部の力の結晶が、評価されたのだと思って欲しいのです」
 ついに、男女両チームの映画が完成した。
 そして今日は、部内でお互いの映画を上映し、最終的な調整を全員で行う事になっていたのだ。
 文芸室には、以前ボクが良く使っていたスクリーンとプロジェクターが設置され、いつでも映画を流せる状態になっていた。
 そのスクリーンの前に立った部長が、いつも通りによく分からない口上を述べていた。なんか映画はみんなで作ったもんだとか何とか言ってるけど……つまり纏めると”女子が作った映画がイイのは女子の演技力の賜物。男子の映画がイイのは女子の脚本力の賜物”って言いたいのか? 重ね重ね鬱な事を言ってくれる……。
 確かに男子チームの映画は、ボクのあまりに至っていない演技が足をガンガン引っ張って、中々な喜劇に成り果てているのは間違いない。しかも小岩井がガチで良い演技しているものだから、余計に滑稽に見えてしまう。
 比べて女子は……まだ撮影した物を見たことないからよくわかんないけど、撮影風景から見ると結構なクォリティで仕上がってるんだろうなぁ……。もう比べっこなんてやる前から、勝負は決まってる様なもんじゃん……
 ボクは止めどなく憂鬱な気分だったけど、しかしみっちゃんと熊ちゃんはいつになくすっきりとした顔をしていた。
「ねーねー、なんでそんないい顔してられるの? 今から見せられる女子の映画、きっとボクらじゃ敵わないよ? 負けちゃうよ!?」
 そんなボクの当たり前の言葉に、
「いいんだよそんなモンは! 俺らは最善を尽くしたし、後悔することもほとんどねー。それで負けたら、実力が無かったってことだけだ。運とか、卑怯とかそんなモンねーだろうがよ」
「ん。」
 みっちゃんと熊ちゃんは、まさに人事を尽くして天命を待つといった趣で、さっさと諦めモードに入っていた。けどそうは言ってもさー……負けたら負けたで、きっとボクらこれからずっと女子チームの奴隷になっちゃうんだよ!?
「覇権を握った女子チームに、BLとかの実演させられたらどうするのさー」
「そんときゃおめーと熊ちゃんでやれや。どーせ俺は美しさがねーからな」
「ん。俺は貢を好きにさせてやる」
 どのみちボクはBL男優決定ですか。けど確かに、男子チームの映画のクォリティを著しく下げたのは全てボクの責任だからなぁ。例えみっちゃんや熊ちゃんのちんちんでボクの処女が散らされたとしても、それは耐え抜かねばならない罰ってやつなのかも知れない。
 ボクはオスとしての根源的な悲しみから、涙がだくだく出てきて止まらなくなったけど、そういえばまだスクリーンの前に居たままの部長が、また何か喋り始めたよ……。
「では、これからお互いのチームの映画を鑑賞しましょう! どちらともとても楽しみで、今からワクワクしてしまいます。では、最初は男子チームからでよろしいですか?」
「おうよ! ビッチ共、俺の超絶編集テクニックで、せいぜい股間濡らしてもだえるんだな!」
 みっちゃんは負け犬の遠吠えよろしく女子達に要らぬケンカを売ると、事前に準備していたノートPCにプロジェクタのケーブルを繋いだ。やがてスクリーンにデスクトップの画面が表示されたのを確認すると、動画ファイルのアイコンをクリックする。
 スクリーンにボクらが撮影した映画のタイトルが表示されたとき、山科さんが慌てて席を立ち、教室の照明を落としてくれた。やがてみっちゃんが作った結構イイ感じのBGMが流れ出し、文芸部のメンバー全員で演じた”東北の山津波を研究しに来た学生達”が画面に映し出されたのだった。


 ボクらは皆、ほぼ無言でスクリーンを見つめていた。
 スクリーンの中では、ボクと小岩井がバカップルよろしく、延々いちゃついている映像が垂れ流されている。
 もちろんボク自身に於いては、自分のあまりに凄惨な痴態が晒されているのと同義であるので、正直正視に耐え得るものではなかった。ちらっと小岩井の方を見てみたけど、やはり彼女もボクと同じ感想を持つに至ったのだろう。顔を押さえてブルブル震えていた。
 そりゃあまぁ、こうして改めてカメラで撮影した絵面を見ていると、例えば小岩井がボクの腕にめっちゃおっぱい押しつけているのだとか、どう考えてもぱんつ丸見えなのをカメラワークで無理矢理隠しているのだとかが、もう当てつけかと思うほどに丸わかりだったからだ。
 いや、むしろこの編集は、みっちゃんの悪意そのものなのかも知れない。まさか、わざーとそういうシーンばかり集めて繋いだのだろうか!? 全く抜け目ないというか、ホントに暇な人だよねー
「みっちゃん、もう少しまともなシーンはなかったの?」
 ボクは隣に居たみっちゃんに小声で聞いてみたのだけれど、
「まともも何も、それを一番よく知ってるのはオメーだろうがよ。つーか繋がったのが奇跡だったんだぜ!? 後はお前がセリフとちったのとか、チビッコが怒り狂ったシーンしか無かったからな!」
 ……どうやらボクの親友は、真面目に死力を尽くしたようだ。
 この違和感なく流れてるBGMだって、みっちゃん一人で作ってたしなぁ。それに比べたらボク、一体どのくらいこの映画作りに貢献できたんだろう。さすがに恥ずかしくなってきたよ。
 スクリーンの中では、依然としてうさんくさいチャラ男が、幼女をからかいまくる最悪な絵面が延々続いていた。さて、そろそろ本作の最大の山場、禁断のお風呂シーンだよなぁ……。
 小さくため息をつきながら、ボクがスクリーンに視線を戻すと、タオルを巻いた小岩井がニコニコしながらボクの腕を引っ張っていた。
 へーえ、たまたま上手く撮れたのか、それともエフェクトの入れ方が上手かったからなのか、小岩井の引きつっていた顔が偉い可愛く撮れているじゃないか。むー、こんなの文化祭で流したら、もしかしたら小岩井のファンがいっぱい増えちゃうかも!? そしたらいじめも減って、一石二鳥だよねー
 ボクは、なぜだか胃の辺りがキリキリ痛むのを感じていた。はたして、小岩井の笑顔を見ていて胃が痛くなるその理由とは! つまり、ボクは今まで自覚は無かったけど、小岩井のことが嫌いなのだろう。もちろんこの間反省したように、小岩井は決して悪い奴ではないのは間違いない。けど、悪い奴でない=好きな子なんて方程式が成り立つわけはなく、彼女に対する善悪の判断と、彼女が好きか嫌いかという判断は、全く関係は無いものだよねー
 ボクは事ここに至って、小岩井のことを好きか嫌いかという、簡単かつ基本的な判断すらしていなかったことに、今更気がついたのだった。いや、別に小岩井が嫌いだからって、わざと意地悪とかしたりとかはしないし、ちゃんと虐めてるバカ共から守ったりはするけど、でもそれ以前に、やはりボクは誰もが羨むお年頃の男の子なのだ。対人関係の尺度を考慮するにあたり、恋愛的な物差しで相手を測るというのも、決して悪い事じゃないだろう。むしろ相手は女子なんだから、礼儀としてそういう物差しで測っておかないとダメだよねぇ?
 という事で、せっかくの機会でもあるので、ボクは自分自身が恋愛的な尺度に於いて小岩井の事をどう思っているか、改めてちゃんと考えてみることにしたのだった。
 まず、彼女がボクの近くに居たときは、ボクの心の中はひっちゃかめっちゃかになる物を感じる事がやたら多かった。非常に落ち着かないというか、やたら心がささくれ立つとか、とにかくイライラすることがが多かったのだ。そういえば、小岩井のことを考えていると、結構な頻度で胃が痛くなったり寒気がしたりしたっけ。それに奴の泣き声とかを聞いてると、もう本気で頭来て誰でもイイからぶち殺したくなるんだよねー。きっとボクの脳を狂わすおかしな電波が目一杯入ってるからだろうけどさ。やっべー、よく今まで小岩井のこと、勢い余って亡き者にしちゃったりしなかったよね! 「ついイライラして殺った。後悔はしていない」とか、けーさつの人に言わずに済んだのは、まさに僥倖って奴だよー
 ここまで来て、ボクは改めて考えるまでもなく、自分自身が小岩井をどう思っているのかよく分かったのだった。こりゃ、嫌いとかそういうレベルを遙かに超えて、憎しみすら感じてはいないかい?
 確かに、今まであいつには「意味が分かんない、今すぐ死ね!!」だの「真面目にやってよ、このヘンタイ!!」だの、「やる気がないなら今すぐ死ね、このイチジク浣腸!!」だの、聞くに堪えない罵詈雑言を散々浴びせられたっけ。浴びせついでに言うなら、あいつの鼻水やらよだれやら、ばっちぃ体液を服になすりつけられたことは数あまた。か弱い力であったけども、本気でボコボコ殴られたりもした。
 なんてコト! ここまで酷い女子は、ボクの人生の中では今まで一人たりとも出逢った事は無かったよ!?
 問題は、何故今まで小岩井の事が嫌いだって事を、ちゃんと意識しなかったのかって事だけど……。
 でもよくよく考えてみれば、最近本当に色々あったかなぁ……。映画の撮影を始める直前にあいつと出会ったんだけど、それから撮影だのヤンキーに襲われてただのいじめだの、ボクの今までの人生の中で比べるに、かなり特濃なイベントが目白押しだった。毎日降ってわいてくる問題を片付けるのに手一杯で、あいつのことなんか考える暇なんて全然無かったって事なんだろうねぇ。
 なるほど、確かに色々合点がいった。それにボクがあいつのことを嫌いだっていうのは、ボクの勝手な思い込みではなく、それなりに筋が通っていることでもあるのだ。以前熊ちゃん家から一緒に帰った時、あいつはどっかの男が好きになったとか言ってたじゃん。それでついでにボクのこと、何度も彼女無しとか言ってせせら笑っていやがったし。ボクは寝取られとか略奪愛とかいうジャンルは大嫌いなので、既に他に好きな奴が居る小岩井のことが嫌いだっていうのは、ちょうどイイって事になるのだ。ボクはこれ以上、あいつとは関わり合いにならない。なるべく口も聞かないし、近寄ることも最低限にしよう。……ホレ見ろ、また小岩井のことを考えていたら、胃の辺りがキリキリ痛くなってきたじゃないか。
 さて、小岩井のが大嫌いだってのはよく分かったので、ついでに他の女子部員を恋愛的尺度で測定してみるに、ボク的に一番の推しメンは、やっぱり国宝級のメガ盛りおっぱいの若木さんかなぁ? あんな美人さんの顔から毎回死ね!!っとか廃な挨拶をされるけど、まぁ本気で若木さんとおつきあいすることなんて無いだろうから、あのゆさゆさ揺れる爆裂おっぱいをたまに横目で見せて貰えば、それで十分幸せだよー。
 さて他のメンバを考えてみるに、いつも部長のおっぱいに張り付いている伊東さんだけど……。あの人、結構イイ身体の線してるし顔もそれなりなんだけど、しかし性格があまりにもアレだからねぇ……。てゆーか伊東さんって、あのままだと彼氏とか出来るのか? あんなに百合百合してると男受けとか悪そうだし、それに色々な意味で普通の恋愛は難しそうだ。実に勿体ない。んで次に山科さんは……ボクにとっちゃ、ぶっちゃけあの人男にしか見えないし。んで、最後に残った部長だけど……。あの人は、脳みその大切なリミッターがぶっ壊れた大量殺戮兵器みたいな物だからねー……。うん、無理!
 そう考えると、我が部の女子は約一人を除いて、恋愛的尺度ではプラスに入る人材が居ないのか……。まぁボクだって女子達にとっちゃロクな評価はされていないだろうし、到底人のことは言えないよねー。
 ボクが長きにわたる妄想を終えてみると、スクリーンではロリッ子薫ちゃんが主人公との最後の別れを演じていた。これがある意味第二の山場、ボクと小岩井の痛々しい衝突シーンである。さて、一体どういう風に編集したんだみっちゃん! ボクは恐ろしくて、未だこのシーンを映像として観たことは無いんだよー
『もう……薫のこと子供扱いしないで……。じゃあ、おにーちゃんに……お休みの挨拶だよ……?』
 スクリーンの中で、泣き笑いの薫が学生の肩をちょんちょんと突っついていた。こうしてみると、やっぱり小岩井の演技はなかなかの物である。
『おにーちゃん、好きだよ……』
 そして、学生役たるボクが、どう好意的に解釈してもバカ丸出しな大リアクションで振り向き、そして次の瞬間、二人の唇が、本当に痛々しいことに、甚だ残酷なことに、これ以上無い位にしっかりと、むちゅっと激突し接合するのが、もう何の遠慮会釈も無く、直接的に、透過的に、衝撃的に、スクリーンにでかでかと大写しで晒されたのだった。
「「ぶーっ!!」」
 この噴きだした音は、主にボクと小岩井による。
「ちょっとまってよーっ!! さすがに今のはまずいって! ばっちりじゃん! モロ見えじゃん!! 無修正じゃん!!!」
「あうー!! もういやーっ!!」
 そんな、放課後の教室でチュッチュしあっていたバカップルが、クラスの仲間に逢瀬を見られたが如き憂いを込めて精一杯反論するも、
「いや、これはこれで行きましょう。どうせ皆さんCGだって思いますよ」
 CGって言えば、何でも赦されると思ったら大きな大間違いだーっ!!
 ボクはワケの分からん暴言を吐いた部長に睨みを効かせる物の、さすが相手は口よりも手よりも足が先に出る、突撃突貫特攻兵装の部長である。ニコニコと笑顔を顔面に貼り付けたまま、ボクらの反論など一切相手にしてくれない。
 ちなみに小岩井はというと……もう机に突っ伏して、ぴくりとも動いてはいなかった。ついに色々限界を超えて、事切れてしまったのだろう……。机上に晒されたままの小岩井のちっこい骸が、この映画に掛けられた呪いの惨たらしさを、これ以上無いほど的確に表現しているようだった。いったいこの映画には、どんだけの破壊力が秘められているというのだろうか。見た生徒に笑われる如きではなく、出演者のメンタルすらことごとく破壊していく”見ると死ぬ映画”級の凄まじさだよぅ……
 ボクはもう、魂の抜け殻のようになって、ただただ椅子に座っているだけの存在に成り果てていた。ちなみにスクリーンの中では、洞窟の奥で冷たくなっている小岩井の名演が続けられていた。あ、スカートの裾からちらっとぱんつが見えちゃってるけど……最早そんなものは些末な事だとばかりに、いちいちそれに突っ込む無粋な人間は、この場には一人たりとも居なかったのだった……。

 ふと気がついたら、スクリーンの表示はPCのデスクトップ画面に戻っていた。ありゃりゃ、ボクが放心している間に映画は終わってしまったらしい。まぁ、あの衝撃のキスシーン以上にやばいところは無いだろうから、別にどうだって良いんだけどさ。ところで一体、この映画の評価ってどうなっちゃんだ? 突っ込みどころというか、ある意味見所たくさん! すげぇ怪作になったもんだ。いきなりでこんな映画作れちゃうボクらって、実は芸術の才能があるのかも!?
「……以上です。評価の遡上に上げることすらはばかられるような駄作ですが、これが俺達の精一杯です」
 熊ちゃんは深々と頭を下げて、我々男子チームの試写の終了を宣言した。
「駄作などとはとんでもない! わたしはこんな楽しい映画を見たのは生まれて初めてです! とっても良い作品だと思います。男子チームの努力の結晶ですね!」
 一人で手をぱちぱち叩いている部長は、自分じゃいい感じに褒めているつもりだろうけど、シリアスな脚本の映画で”楽しい”って評価はそれはもうそれで完全に『ダメ』って事ですよ?
 ボクはため息をつきつつ、まだ女子チームの映画が映されていない段階ではある物の、我々の負けをこれ以上無いほどしっかり確信したのだった。
「では、次に女子チームの映画を拝見しましょう。……山科さん、よろしくお願いしますね」
「了解です」
 山科さんはみっちゃんから受け取ったプロジェクタのケーブルを自分のノートPCに挿し、デスクトップの画面が出てくるのを待っていた。
 やがてボクらのPCとは違い、横に長いデスクトップ画面が出ると、彼女は早速動画ファイルを再生する。
「ちっ、やっぱりあっちはフルHDで作ってきたか」
「仕方ない。設備の差は縮めようが無かったからな」
 みっちゃんと熊ちゃんが何かブツブツ言い合ってるけど、ふるえっちって何だ? なにかいやらしいアイコンでも画面にあったっけ??
 そんな純粋な疑問に答えてくれる人は誰も無く(当たり前だって)、スクリーンに映し出される女子チームの映画をじっくり初めて見てみたのだけど、冒頭め数分を眺めているだけで、女子チームのレベルの高さというか、ボクら男子チームの技量の無さというか、自分たちの全てが全くその域に全然達していないのを、もうこれ以上無いほど鮮烈に、残酷に、徹頭徹尾味わったのは、まったくもって想像に難くない当たり前のことなんだよねーっ!
 ちょっといくらなんでもこの差はねーよ!! なにさこの画質に効果や演出! なんか普通の映画とあんまり変わんないじゃん! それに比べてボクらの映画は繋ぎ方は稚拙だし間の取り方もなってないし、それに映像効果やらは必要最低限にしか入っていない。優劣を比べる以前に、比較対象として釣り合っていないって!
 唯一ボクらの映画でマシなところと言えば、ロリッ子薫ちゃんが普通に可愛らしく撮れているところだけだ。他はもう、本当にロクなところが無い。特にボクが映っているシーンなど、正視に耐えない如きか、見たら目が腐るほど酷いモンだ……。
 ボクが悲しみに暮れていると、やがて女子チームの映画は終了し、スクリーンは元のデスクトップに戻った。うああ、なんか普通に短編映画を見終わったのと同じ気分がするよ〜〜。
「……どちらとも、大変に素晴らしい映画でした。到底、未経験の我々が初めて映画を作ったとは思えません。これでよりすぐれた方を選ぶというのは、正直難しいことなのでは無いでしょうか。わたしは、両チームの映画としての全体のレベルは、全く一緒だと思います。確かに細かい所を見れば、女子チームの細やかな演出がよりいっそう物語を華やかに彩っていたのは間違いありません。しかし、それは木を見て森を見ていないのと同じ事です。どちらの映画も、物語の根幹となる部分は、極めて精緻なる表現と共に、しっかりと語り尽くされていたと思います。つまり文化祭での評価は、どちらも似た様な素晴らしい物になると確信しています。ますます、文化祭当日が楽しみです!」
 部長はまるで、ボクらの映画の不出来を徹底的にこき下ろすが如く、お互いの映画は同じレベルだのと宣っていた。全く、何て惨いことをぬけぬけと言うんだこの人は……。こういうときははっきりと”こんなクソ映画でワシらに勝とうだなんて、500万年早いんじゃボケェ!!”って罵ってくれた方が、よっぽど気分がすっきりするってもんだよ! なにさ、そんなに自分たちの映画の出来が良かったのが嬉しいってことなのか!?
 ボクはさすがに、部長の暴言にイライラし始めてきたのだけれど、
「ふふん、女共の映画に勝てる要素はあるかも知れねーな」
 等と、この期に及んで負け犬の遠吠えよろしく、みっちゃんがみっともない強がりを言い放っていた。
「一体何なのさ、そんな要素なんてあるわけ無いじゃん!」
 ボクのそんな当たり前の言葉に、
「いや、こうしてみると、お前の演技のおかげで女共の脚本は喜劇になってるし、それにむこうの映画も要所要所で爆笑もんだぜ。良くアレでリテイク出さなかったもんだなー……」
 ぶっちゃけお前は良く貢献してくれたぜと、みっちゃんはニタニタしながらボクの頭を撫でてきた。
 何て屈辱!! ボク、女子チームの撮影では、むしろ男子チームよりも頑張ってたんだよ!?
 ……そりゃ確かに、色々最悪なシーンは多かった気がするけどさ。ちなみに宇宙港のシーンでは、元気よく若木さんに覆い被さったあげくに、彼女があんあんあえぎ出すまでおっぱい揉んだカットがしっかりそのまま残されていたし……。いったいどんな映画だっての! 本当に意味が分かんない……。
「それでは、今からお互いの映画をよりよい物にすべく、皆さんでお互いの映画に対して忌憚の無い意見を出し合いましょう。もちろん残された時間はほとんど無いので、シーンの撮り直しとかはほぼ不可能です。ただし、BGMの入れ方やトランジションの効果的な使い方、間の取り方など、編集でやり直せる部分はまだまだあると思います。せっかくここまで作ったのですから、あとちょっとの頑張りで、皆さんの映画の良さを何倍にも引き上げましょう」
 部長がまた何か言ってるけど、果たして今更ドコをどう弄れば、ボクの演技がその域に達しているように見せかけることが出来るのでしょうか……。
 今更になって、ボクは過去の自分のクソッぷりを、全身全霊全力で後悔していたのだった。何が「映画作りなんてやりたくもないのに、練習なんて出来るかよ!」だってのさ。万が一、あの時のバカタレなボクが目の前に居たら、ジャンプの角が無くなるまで徹底的にぶっちめて、本気で死ぬ気で練習させていたでしょうよ!
 みっちゃんも熊ちゃんも小岩井も、あんなに一生懸命映画を作っていたのに、ボク一人がふざけてちっとも真面目に練習しなかったから、あんなみっともない作品に成り下がっちゃった。ボク、もう本気で彼らの顔向けできないよぅ……。
 何だが知らないけど、目から熱い涙が一杯こぼれてきた。みんなの努力を、台無しにしちゃった。
「うぅぅ……」
 ボクは目からこぼれる涙を必死でぬぐっていると、いつの間にか小岩井がボクの隣にやってきて、
「……一条君は頑張っていたよー」
 と、いつかのように頭を優しく撫でてくれた。
 止めてくれよ、そんな取り繕ったような安い慰め、ボクが余計に惨めになるだけじゃないか!
「せっかくの小岩井の言葉だ。しっかり受け取れや」
 何故かみっちゃんは、珍しく優しい声でそう言った。
「何かしら心残りがあるなら、部長が言っていたように、これからしっかりアイデアを出すんだな」
 熊ちゃんも続けて、ボクに声を掛けてきた。
「……分かった。じゃあ、もう一度ボクらの映画を見てみようよ」
 みっちゃんは再びプロジェクターのケーブルを自分のノートPCに挿すと、再びボクらの映画の動画ファイルを再生し始めた。ボクらはそれを見ながら、効果の入れ方やBGMを流すタイミングなど、調整できそうな所を次々と挙げていったのだった。


 映画の試写会も無事終わり、後は文化祭当日まで、その日出されたアイデアを元に再編集を残すだけとなったある日。
 男子チームの映画はみっちゃんの手により再編集が順調に進む中、編集に関わらないメンバーは久しぶりの撮影の無い自由な放課後を、思い思いに過ごしていた。
 ちなみにボクはさっさと自宅に戻っていたのだけれど、珍しく小岩井がボクの家に遊びに来ていたのだ。
 ボクらは二人でベッドに寝転び、お互いの身体をまさぐり合っていた。もちろんボクは小岩井の小ぶりのおっぱいを集中的に揉みまくっているのだけれど、時折スカートの中に手を入れて、ぱんつの上からアソコの筋に手を這わすのも忘れてはいない。
「小岩井って、こういう事したことあるの?」
 小岩井は、むすっとした顔でボクにキスしてきた。
「……いちいちそんなこと聞かなくてもいいじゃない」
 今更でしょと、彼女はボクのちんちんをさすってくる。
「こんなに大きくして……早く服を脱いで、直に触りたいよ」
 ボクは小岩井に言われた通り、帰ってから着たままだった学生服を脱いで下着姿になると、すでに立ち気味だったちんちんを見せびらかすように再びベッドに横たわる。
「意味が分かんない、どうせ後でわたしに目一杯ねじ込むくせに……ふふっ」
 早くセックスしたいよとか言いながら、小岩井は小悪魔っぽい淫靡な笑みを浮かべつつ、ボクの上に馬乗りになった。
 そしてボクはそれが当然とばかりに、小岩井のおっぱいを服の上から揉みしだき、そしてYシャツのボタンを外してゆく。
「そういえば、このボタンをしめてあげたのは何時のことだったっけ?」
「もう忘れたわよ。それ以上に何度も外してるじゃない。……ねぇ、キスしよ?」
 小岩井は、ボクがボタンを外し終わったYシャツを自ら脱ぎ捨てると、上半身を屈めて唇をボクに突き出してきた。ボクも合わせて顔を前に出し、お互いの唇が触れ合うと、彼女の舌がボクの唇に割り入って来た。二人の舌がお互いの口腔をうねうねと犯す中、ボクは小岩井の背中に手を回し、ブラジャーのホックを外す。
 ポロリと外れた特徴的な形の下着を小岩井の身体から抜き取り、ボクはそれをその辺に丸めておいた。そして小岩井の唇から自らの唇を離し、彼女の小さな背中を強く抱き寄せる。
 目の前に突き出された、二つのまあるい乳房。ボクは大きな口を開けると、その片方にむしゃぶりついた。チュパチュパと音を立てて、小岩井のおっぱいを吸い続ける。やがてつんと尖った乳首を舌の上で転がし、もう片方の乳房を手で執拗に揉みまくる。やっぱり生のおっぱいは柔らかくて、最高のさわり心地だ。
「あうっ……! ダメ、感じちゃうよ……!」
 小岩井が、快感のあまりボクの上でガクガクと痙攣している。彼女の股間が、ちょうどボクの大きく腫れ上がったちんちんに押しつけられていて、そこからブルブルと心地良い振動が伝わってくる。ボクはたまらず小岩井のおしりを掴むように揉み、スカートのジッパーを降ろした。
「がっつかなくてもいいじゃない、そんなにわたしとセックスしたい?」
「当たり前じゃん、早くアソコに入れたいって」
 ボクは腰を上下に動かしながら、小岩井の股間にちんちんをすりつける。
「もう……そんなにこすりつけたら感じちゃうよ……」
 ぱんつ濡れちゃうじゃないと、小岩井は器用にスカートとぱんつを脱ぎ捨てる。裸になった小岩井の姿に、ボクの劣情は最高潮に達した。
 ボクはTシャツとパンツを脱いでその辺に投げ捨てると、再びボクに馬乗りになってきた小岩井の唇を強引に犯す。彼女の舌を自らの舌で絡め取り、そしておっぱいやおしりをメチャクチャに揉みしだいた。彼女の柔らかい肌は、ボクの握った手の形に合わせてやわやわと形を変える。
「ねぇ、早くしよ、ちんちんアソコに入れて……。気持ちよくして……」
 小岩井はえっちな顔をしながら切なそうなあえぎを零しつつ、ボクのちんちんを撫でてくる。
「一緒にセックスしよ? 貴方の好きにしていいから、ね、早く抱いて……わたしを愛して……」
 ボクから唇を離した小岩井は、既にいきり立ちどくどくと脈打つちんちんの先っぽに、自分の股間にあてがった。そして既に濡れ始めていたアソコの割れ目に、ちんちんの先っぽをゆるゆるとこすりつける。クチュクチュという湿った音が、部屋の中に静かに響く。
「ちんちん気持ちいい……貴方も、早くわたしのアソコに入れたいでしょ? じらされるの気持ちいい?」
 小岩井はニタリといやらしい笑みを浮かべて、ボクを見下ろしている。
 ボクはその時、ちょっとした意地悪心が沸いた。それにさっきから小岩井にばかりにイニシアチブを取られているようで、少々面白く無かったのも事実である。ボクは何も言わずに小岩井の腰を掴むと、一気にそれを下に押し込んだのだった。
「あうっ……気持ちいい……!」
 ぷちゅっと湿った音と共に、ボクのちんちんは小岩井の胎内にすっぽり収まってしまった。何だかじんじんとした気持ちよさが、下半身から全身に染み渡ってくる。
 ボクが当然の様に腰を突き上げる度、小岩井はあうっ、あうっと小さな声であえいでいる。そういえばボクら、いつからこんな関係になったんだっけ?
 何かもう、こいつとこうやってセックスするのは当たり前って感じだけどねぇ。むしろこうするのが当然っていうか……
「ねぇ、今度は小岩井が動いてよ」
「うん、いいよ」
 ボクが小岩井のすべすべのおしりをペチンと叩くと、彼女はボクの腰の上で膝立ちになり、腰を上下に動かし始める。
 彼女が上下に腰をくねらす度に、ぬるぬるとした気持ちよさがじわーっと沸いてくるけど、ボクはもうちょっと強めに刺激が欲しかった。
「ねぇ、もっとアソコに力を入れて、もっときゅっと絞って」
「分かってるわよ、もうヘンタイね……」
 小岩井は懸命にウンウン力を入れているようだけど、ボクのちんちんに掛かる圧力は大して変わっていない。仕方ないのでボクは自分で腰を動かし、ガンガン小岩井を突き上げた。
「もう、自分勝手なんだから……でもこのまま動かしていいよ、ゆーくんの好きにしていいよ」
 彼女はあえぎ声を出すことも無く、ただ切なそうな顔をしてボクの動きを受け入れていた。
 何だ、いつもはもっと大きな声であえぐくせに、今日はおとなしいなぁ……。自らのおっぱいを揉んで、ボクの律動に翻弄され続ける小岩井を、ボクはしばらくの間見て楽しんでいた。
 もしもこれが市販のエロ小説だったら、絶対ここで挿し絵が入るね! 間違いない、アカシックレコードにさえしっかり書かれていると確信が持てる。いつもはツンツンしていて澄ました小岩井が、ボクがちんちんを突き込む度にえっちな顔してアソコから涌いてくる快感を貪っているのだ。これほど見ていて気分が良いことはないよねー! むしろこのシーンを視覚化しなくて、何がIT革命なのかと。何が先端科学の日本なのかと!

突き込まれてあえぐの図

 ……って、あれ? ボクってこいつと今までセックスしたことあったっけ? 今日までに何度もあったであろう、小岩井と身体を重ねた記憶がすっぽり抜け落ちているようで、ボクにはこの女が過去にえっちな声を上げてよがっている様子などが、全然思い出せなくなっていた。そもそもボク、こいつとそんなに仲良かったっけ?? いやいや、よくよく思い出してみれば、ボクって小岩井のことすっごい大嫌いだったよね!?
 けど、そんな思考とは裏腹に、だんだんちんちんの気持ちよさは強くなってきて、下半身にずんと重い感覚が沸いてきていた。
 ちょっと待ってよ、ボク、こいつとセックスしてちゃダメじゃん! だってこいつ、他に好きな人が居るんでしょ?
「小岩井、ちょっと待って、ボクお前のこと嫌いだから、セックス出来ないって、もう止めないと!」
「嫌いでもイイって。早くわたしのアソコで射精してよ」
 とっても気持ちいいから続けようよと、小岩井は全然身体をどけようとせず、ボクの上で腰を上下にくねらせ続ける。
「だめだって、出ちゃう、精子出ちゃうよ!」
「出してイイから。気持ちよく射精しようよ……」
 抜かないと! ホントに出ちゃうって! でも何故か、ボクの身体はピクリとも動かなくなっていた。さっきまで、あれほど元気に腰を突き上げていたというのに、手だは小岩井の腰を掴んだまま、彼女の動きに合わせて動くだけだった。
「ダメだって! てゆーかボクたち、恋人じゃないし!」
「恋人だって。ゆーくんが好きだって言ったでしょ」
「言ってないって! だからボクお前のこと嫌いだし!!」
「好きだって。だから早く出して……精子出してよぉ……」
 うわ、出ちゃう、精子が出ちゃう!!
「あぐうっ!」
 未だ腰を揺すり続ける小岩井の胎内で、ボクは思いっきり射精してしまった。
 ぴゅっぴゅっと精液の飛沫が彼女の中に注がれていくのを、ちんちんの先で直に感じる。
「射精したの? 気持ちいい……。もっと一杯出して……いっちゃうよ……」
 だからダメだって! 今からでも抜かないと!
 ボクはまだぴゅっぴゅと出続ける精液を止めることすら出来ずに、動かせない身体を必死に動かそうとしていた。
「まだ出してよ、とっても気持ちいいから……もっといかせて、お願い……」


「だからダメ――――――っ!!」
 ひとしきり喚いた後、ボクの身体はようやく自由を取り戻し、その瞬間ボクはがばっと起き上がった。
 ……あれ?
 見れば、そこは当たり前だけど自分の部屋。しかし今までボクの身体の上であんあん言っていた小岩井は居ないし、それにボクは普通にパジャマを着ていた。
 あれ? あれ?? あれれ???
 慌てて時計を見れば、時刻は朝の5時前だった。
 うええ!? さっきまでボクら、ここで何でか知らないけどセックスをうわあああああ!!!
 な、何て夢を見たんだろう!? ボクと小岩井がセックス!? あり得ないから! あっちゃいけないから!! あってはならないことだから!!!!!
 うあ−、物の本に男は童貞をこじらせるとロクな事しないって書いてあったけど、事もあろうに大嫌いな女と普通にえっちしてる夢見ちゃうとか、ボクはどんだけ溜まってるというのだろうか……。
 一人前の男の子は、ちゃんと自分で処理が出来る物だと言うけれど、あんな悪夢を見ているようだとボクは自己管理が全く出来ていないようだ……。
 今度からは、みっちゃんにえっちなビデオをもう少し借りて、夜寝る前にちゃんと出しておいた方が良いのかなぁ? ボクは自分の性欲の暴走に危機感を覚えるも、しかし今更ビデオなんかでは本気になれない自分が居るのは間違いない。既に三人のJKの生乳をこの目で見て、しかも国宝級のメガ盛りおっぱいを、その持ち主あえぎ出すまで揉んだのだ。小岩井のぱんつは何回も見たし、10年後では女房おねーさんのおっぱい揉みまくったあげくに、ちんちんしごいて出して貰っちゃったりもしたのだ。
 それらの素晴らしい記憶に匹敵する位に興奮するっていったら、やっぱり小岩井の生おっぱいを見ながら出すくらいじゃないと……って!!
 落ち着け、自分! どうせなら、そういうのはボクの推しメンたる若木さんを所望するべきだ! なんで夢の中とは言え、小岩井のちっぱいなんかに一生懸命むしゃぶりついちゃってるのさ。なんで夢の中でまでちっぱい揉みしだいてんのさ。なんでメガ盛りおっぱいじゃなかったのさ!!
 何か損した気がするなぁ。勿体なかったなぁ……。どうせなら、ばいんばいんの若木さんとえっちしたかったなぁ。
 ……と一瞬思うも、何か若木さんとえっちって、ボクには全然実感沸かないねー。若木さんの裸とか、彼女とキスしている自分とか、まったく想像出来ないし。そういう意味じゃ、小岩井だったら想像しやすいよねぇ。今までにあいつのおっぱいとかぱんつは何度も見たからイメージが容易に沸くってのもあるんだけど、ぶっちゃけ小岩井って、無理矢理押し倒したら最初はギャーギャー嫌がってても、なんだかんだ言って最後にはやらせてくれそうな気がするんだよなぁ……って。
 うわあ!? 実に危険な思想だ!! いくら嫌いな女だからって、手込めにしやすそうとか考えちゃダメだって! そんなの、あの時のクソヤンキーと一緒じゃん! ボク、実は女の子なんてやりたいときにやっちゃえば良いとか思ってる、最低最悪以下の腐れ人間なの!?
 いくらなんでもそれは無いよね〜〜! うん、そうそう、あんな変な悪夢見たから、一時的に頭にピンク成分が溜まりすぎて、思考が色々おかしくなってるんだきっとそうだそうに決まってる!
 バイト行く前に一旦ちゃんと出して、身も心もすっきりしてしまおう。学校に行ってからクラスの女子の生足とか見て変な想像しないように、一人前の男の子らしくしっかり自分で処理していこう。ボクはぶっちゃけ悪夢の余韻でえっちな気分がムラムラしていたので、早急に圧力を解放して通常モードに戻らなくてはならなかったのだ。
 さて、とりあえず己を慰めるオカズは……まぁせっかくだから、夢の中で出てきた小岩井でイイや。まだあいつの素っ裸は頭の中に目一杯こびりついているし、男の子の悲しい妄想の中くらいでは、悪夢の中であったとおりに一時的に恋人になって貰いましょう。
 しかし、そんな悪夢の中とは言え、さっきは小岩井のアソコにちんちん入れちゃったんだなぁ。なんかぬるぬるして気持ちよかったけど、本物の女の子の中ってあんな感じなのかな??
 そこまで来て、ボクは夢の中で味わった女性の胎内の感触を思い出そうとしたのだけれど、何かさっきからびんびんに立ってるちんちんが、リアルにぬるぬる気持ちいいんだけどなぁ……?
 ボクは慌てて、自分のパンツの中を見てみたのだけれど……
「うぎゃわあっ!?」
 な、ななななんたること!!
 ボク、知らないうちに思いっきり出しちゃってる! ビチョビチョだよ、パンツから流れ出して、パジャマのズボンまで精液でびちゃびちゃになってる!!
 いやこれマジでどうすれば良いんだ!? ティッシュで拭いて何とかなる量? 勝手に洗濯に出したらあの未熟者ママンに何を言われるか分かったもんじゃないよ! この緊急事態を乗り切るには、もうプライドをかなぐり捨てておしっこでもぶっかけて、この年でおねしょしちゃったテヘ♪とか言い放った方が良いのか!?
 とりあえずズボンを脱いでみたけど、股間はおろか膝くらいまで精液が垂れて染みになってるし、もちろんパンツはおしりにべったり張り付いて気持ち悪いったらありゃしない。そしておしりの辺りからは、だらだらと精液が垂れて床にぽたぽたと水滴が落ちる有様だった。
 ボクは慌ててティッシュを股間に当てると、一つの可能性に思いが至り激しい戦慄を覚えた。ヤバ、こんな調子じゃ、布団の中もべとべとになってない!?
 ボクは慌てて布団をめくってみて、そこには独特のつんとしたカホリが立ちこめてはいたのだけれど、とりあえず中は湿っている程度で精液による染みなどは出来ていないようだった。
 助かったー!! さすがに布団まで汚していたらもう、ボク一生母親から童貞夢精チキン野郎と罵られていたよ〜〜!
 ぎりぎりのところで、誰もが羨むお年頃のプライドを維持できたボクは、まずはズボンとパンツを脱いで股間にまとわりついた精液をぬぐい取っていった。
 けど、なんでこんなに出ちゃったんだろう? いつもはもっと少ないはずなのに……夢精って自分で出すときよりも量が多くなるのかな?
 ボクは人体の不思議に思いを馳せていたのだけれど、まぁ夢の中とはいえ女の子とえっちしちゃったのだから、いつもより興奮してたくさん出ちゃったのだろうと勝手に結論づけた。てゆーか、もうこりゃ出す必要などないか。ここまで一杯出していれば、いくら擦ったところで一滴たりとも出ないであろう。何か勿体ない気もするけどさ……。
 そして、既に身体はすっきり状態である事を知って自動的に賢者タイムになったボクは、まだバイトに行くまで時間が少しだけあるので、先ほど見た悪夢の内容についてその理由を考えてみることにしたのだった。
 以前読んだ物の本によると、夢の中身というのは潜在的な意識が表れるとのことだ。しかし、それは直接的なことでは無く、反対の内容として表れることが多いらしい。つまり心がバランスを取るために、夢の中では『自分が潜在的に思っていることの反対の事象』が強く出てくるとのことだ。例えば、ある知人と大喧嘩をしてしまったあとでその友人と仲直りをした夢を見た場合、現実の潜在意識はその友人とは二度と仲直りが出来ないのだと認識しているというのだ。
 この図式を先ほどの悪夢に当てはめてみると、ボクは小岩井と身体を重ねるようなことは絶対したくないって事だろう。つまりボクは表層の意識と同じく、潜在意識でもあいつのことを相当嫌っているということなのだ。そりゃ当然だよねぇ? 先日の試写会の時に恋愛的尺度で部内の女子について思いを馳せてみたけど、とりあえず小岩井はトップクラスに嫌いだって判断したもんね。(ちなみに部長は嫌いでは無く、無理です)
 ところで、表層が嫌いなのに深層意識で好きとかあり得るのかな? もしかしてそれってツンデレとか言うのかも知れないけど、ボクそもそもツンデレッ子じゃないし。てゆーか女の子でもないし。
 さて、時計を見ればそろそろバイトに行く時間である。とりあえず脱衣所に行って、パンツとパジャマは洗濯機に入れてしまおう。未熟者(もちろん母親の事ね)に何か言われたら、悪夢で寝汗かいて濡れたから、洗濯して欲しかったとか言っておきましょう。
 ボクは素知らぬふりで精液でべちょべちょになったパンツとズボンを洗濯機に放り込み、脱衣所で新しいパンツに履き替えて新聞配り用のジャージを着込んだのだった。

5 一体どうしてこうなった

 さて、本日はついに文化祭の当日である。
 ボクらが約半年掛けて作ってきた2本の映画が上映され、ボクの痴態が衆目の下に包み隠さず晒されるという極めて凄惨な日であるとも言えるのだ。
 けれど、ここ数ヶ月のボクらの部活動は、全てがこの日の為にあったのは間違いない。色々辛いことも多かったけど、思い出になっちゃえば案外楽しかったと言えるだろう。
 ボクらは体育館で行われた文化祭の開会式の後、ある種の満足感と軽い興奮を覚えつつ、文芸部部室に集合していた。
「ついにこの日がやってきました。我々の映画は晴れて公開され、学校中の皆さんに見てもらえるのです。思えばこの日に至るまで、本当に遠い道のりでした。期間的には半年くらいでしたが、わたしにはもっと長い期間映画作りに没頭していたように感じられます。我々は、もちろん今まで映画など作った事など無く、ずっと手探りの状態でここまで来ました。しかしそれでも、私たちは素晴らしい作品を作れたのは間違いと確信しています! わたしはひいき目でも何でも無く、皆さんが作った映画は素晴らしい物だと思いますし、本当に大好きです! わたしは……ぐすっ……皆さんと一緒に映画作りが出来て、本当に本当に嬉しかったです……! ぐすっ うえぇぇぇ〜〜」
 いつもは淡々とよく分からないことを言い、沸点に到達するまでは無機質な笑顔を貼り付け感情をほとんど表に出さない部長が、今日は普通の女の子みたいに泣き出してしまった。何かまだ言い足りないようだけど、部長はぐすぐすと嗚咽が止まらないようで、言葉を発せられないようだった。
 そんな部長の下に伊東さんがやってきて、彼女を優しく抱きしめた。いつもは背後から音も無く這い寄り「おっぱい元気ですかー」とか意味不明な混沌を振りまくだけなのに、今日は全然部長のおっぱいに手を伸ばさない。
 うぅむ、伊東さんも一応TPOってのをわきまえる機能はついていたんだねぇ。
 そんな真摯な(?)態度の伊東さんに部長も珍しく甘えたのか、彼女に抱きつきついにわんわん泣き出した。うわー、なんだか新鮮を通り越して、異質な光景だよー……。
 後で隕石とか人工衛星とか宇宙エレベーターのテザーとかが降ってこなければ良いなぁ? こんなあり得ない光景が目の前で展開されているんだよ、絶対それなりの天変地異が起こるよ〜〜
 ボクがよもや再び大地震が!? と戦慄に身を固くしていたとき、部長がようやく落ち着いてきたようで、
「ずびばぜん、じょっどだげぎぼぢがだがぶっでしばいばじだ………うぇぇ」
 と、なにやらまたよく分からない事を再び語り出したのだった。
「ぐすっ! えと、今日は文化祭の後夜祭で、我々の映画のどちらがよりよい物だったのか、観客の皆さんに投票を行って貰うスケジュールになっています。ぐすっ でも、わたしは今更そんな評価はどうでもイイと思っています。だって、皆さんはどちらが部の中心となるかなんて関係無く、皆で二つも映画を作り上げることが出来たんです。ぐすっ だから、一応形式的には投票をしますが、うぇぇ……もう皆さんで、十分仲良くやれるんだと思うんですぅ〜……うえぇぇぇ〜〜」
 部長は再び泣き出した。
「部長、私たちもみんな同じ気持ちです!」
 伊東さんはそんなことを言いながら、ぐずぐず泣いている部長の頭を撫でているけど……
 いやいや伊東さん。ボクらはちゃんと覇権が欲しいですよ? だから万が一にも女子チームに勝ったら、その時はちゃんと序列って奴を付けさせて貰いますからね! だってそうでもしないと、ボク熊ちゃんとBLしなきゃいけなくなるんだもん〜〜
 ガチホモマスター若木の"素晴らしき漢ワールド"を完全に永久封印するには、ボクはこの際悪魔に魂を売る如きは安い買い物だと思っていた。だから投票結果はきっちり出して貰い、男子チームが勝っていたならその結果をしっかり公表して貰わないと、ボクらによるBL実演禁止という、オス種ならば大概の人がいたく同意してくれるであろう命令を、強権発動出来なくなっちゃうじゃないか!
 ボクは胸に熱い想いを燃やしつつ、先ほどの旨しっかり部長に言おうとしたのだけれど……
「だからぶちょ〜〜! ついでにあたしの愛も受け取ってください〜〜! 涙で濡れた、めっちゃいろっぺーぶちょーの残念でがっかりなおっぱいを、じっくりまったり堪能させてください〜〜〜!!!」
 ああ……ッ!
 何てベタなお約束!!
 伊東さん、しおらしい部長の態度にしんぼー溜まらず、ついにチャクラが開いてしまったようだ……
 今更詳しく、彼女らのお戯れを描写することもないだろう。伊東さんはあっけにとられた部長のおっぱいをワシワシ揉みまくり、ついに部長の顔(主に唇)をぺろぺろ舐め始めたよ。
「ひゃああああっ!! やめれこの腐れどヘンタイーっ!! アタシのファーストキスがテメーだなんて、例えこの世が滅んでも許せるかごるぁーっ!! 死ねっ! くたばれっ!! 爆発しろーっ!!! 万が一黄泉路に迷ったら「みちびき」対応のGPS埋め込んであの世に送ってやるから、きっちりすっきりはっきり死ねーっ!!!」
 何か、とっても満足そうな顔をしながら床に倒れ伏す伊東さんを、部長はボコボコ蹴り続けていた。
 みっちゃんには初めておっぱいを揉まれ、伊東さんにファーストキスを奪われ、部員全員に生おっぱいを晒し、部長も散々な人だねぇ? まぁボクらの部長をやっているという時点で、ある程度のリスクは納得して貰わないと。
「さて皆さん、お楽しみもその辺で。そろそろ女子チームの上映時間です。ディスクを持って視聴覚室に移動しなければなりません」
 どうどうと怒れる部長を伊東さんの亡骸から引き離し、山科さんは皆に向かってそう言った。
 あ、やべっ! ついつい時間を忘れていたよ。それに山科さんの言葉を聞いて、いきなり緊張してきちゃった。なんかこれから上映かと思うと、ボクは急に落ち着かない気持ちになる。ちなみに映画の上映会は校内の視聴覚室を借り切り、午前中は女子チームの映画を、午後からは男子チームの映画をそれぞれ上映することになっていた。果たしてこの順番は、吉と出るか凶と出るのか……!
「お、おほん! ついついちょっとだけ取り乱してしまいました。本当にすみません……。では皆さん、視聴覚室に移動しましょう」
 伊東さんは来なくて良いですからとか部長は珍しく酷いことを言っているけど、もちろん伊東さんはそんな言葉にいちいち反応することなど無く、先陣を切って視聴覚室に向かっていった。
 ボクらもそれに続き、皆で視聴覚室に移動する。既に視聴覚室の鍵は開いていたので中に入り、早速映画上映のためにスクリーンの準備やAV機器の動作確認を始めたのだった。

 ボクはAVスイッチャーやプロジェクタの調子を整えながら、改めて今日の上映会について考えていた。
 今から上映する二本の映画は、もちろんボクら素人が初めて作ったものである。この二つのうち良く出来ていると思わしき女子チームの映画でも、たぶんボクらでは気がつかなかった稚拙なところをあげつらわれて、色々しょぼいとか笑われたりするんだろうねぇ……。ボクは、昨日女子達がぎりぎりの時間まで再編集していて、そして完成したばかりのブルーレイをデッキに突っ込みながら、せめてボクの演技が足を引っ張らなければ良いなと願わずにはいられなかった。


 女子達の映画の上映が始まってから、10分位経った頃である。
 ボクら文芸部は、視聴覚室の一番後ろの席に全員で陣取り、部屋の座席をまばらに埋める観客達の仕草から、映画の生の評価を読み取ろうとしていたのだった。
 もちろんボクにとっては、己の痴態が晒されるのと同時に嘲笑の的になるのを目の前で見せつけられるという、この上無く人権無視で残酷で名状しがたい屈辱的なマゾプレイであるのは間違いないのだけれど、しかし自分のヘタックソな演技が全てに於いて悪であるのはどう考えても間違いないので、ボクの演技でクスクス笑われたり、口さがないクラスの男子達に指さされてゲラゲラ笑われるのは、誠に悔しいことだけど覚悟の上のつもりだったのだ。
 ところがである。ボクの先ほどの当たり前かつリーズナブルな予想は、思いがけず大きく外れてしまったのだ。
 ボクは、映画の最初から観客達の様子をずっと見ていたのだけれど、しかし観客の連中は映画の中身なんて全然見ていなくて、たまに外野で出演している小岩井の姿を見つけては、それを指さし下品な笑い声を響かせながら、彼女の悪口ばかり言ってやがったのだ。
 ボクが元気よく若木さんに覆い被さろうと、彼女のメガ盛りおっぱいを延々揉もうと、それで若木さんが色っぽい声でアンアン喘ごうと、観客のほとんどはそんなシーンに何の反応もしなかった。(一部、端の方で見ていた担任が盛大に噴き出していたが、そんなのは些末な事だ)
 口々に小岩井の悪口ばかり言って、スクリーンの方すら見ちゃいない。映画なんて、全く見てもいなかったのだ。
 これはいくらなんでも酷くない!? 文句言うなら映画の中身にしてよ! 出演者の、映画と関係無いところで悪口言うのはいい加減止めろよ!!
 そりゃ映画の中身がつまんなくって、いい加減見ちゃいられないのかも知れないけどさ、ボクの涜神的に斬新過ぎる演技が超ウザくて、見る気が失せちゃってるのかも知れないけどさ! だからといって、小岩井の悪口ばかり言ってんじゃねーよ! 文句言うならボクに言えよ!! ボクが全部悪いんだから、悪口言って笑いものにするならボクにしろよっ!!!
 ボクは怒りのあまり、とりあえず笑ってる奴らを皆ボコボコにしてやろうと思ったのだけれど、実に残念なことにこの部屋に居る奴らはほとんどの奴が笑っていやがったのだ。こんなところでこいつら全員とケンカしても、逆にボクがやられるだけだろうし、それにそんな事したって小岩井の立場が良くなることは全く無いのだ。
 ボクはゲラゲラと嘲笑ばかりが響く視聴覚室から抜け出し、先に部屋から飛び出していった小岩井の後を追いかけたのだった。
 彼女の姿は、幸いすぐに見つける事が出来た。文化祭の喧噪が遠く響くだけの、うら寂しい体育館の裏で、一人地面にしゃがみ込んでグスグスと嗚咽を漏らしていたのだった。
 これが、一生懸命役者を演じた人間に与えられる評価なのか!? 小岩井はボクと違って一生懸命演技していたよ! ボクから見ても大体上手だったよ!! ボクはこいつのこと大嫌いだけど、映画の中のこいつはそこまで嫌いじゃなかったよっ!!!
 ボクは小岩井が泣きじゃくる姿を見て、瞬間的にあいつに飛びついて強く強く、ぎゅっと抱きしめてやりたくなった。また胸を貸して、服を鼻水とよだれでべちょべちょにさせてやりたくなった。また強姦まがいに背中に手を回し、頭をメチャクチャに撫でくり回してやりたくなった。
 けれど、今はそれをすべき時でないのだ。ボクには他に、今この時間でないともう二度と出来ない、為すべき事があるはずなのだ。
 ボクは以前、小岩井が頑張って演技している映画を見れば、学校のバカ共も少しはいじめを止めるだろうとか調子の良いことを考えていた。しかしそれは、つくづく思慮の足りないうすらバカの世間知らずが勝手に思い描いた、根拠も確証も何も無い安っぽい理想論に過ぎなかったのだ。
 映画は上映され、いじめは止むどころか、余計に罵倒を浴びせかけられる事態となった残酷で薄汚い現実をまざまざと見せつけられ、ボクはもう、小岩井を取り巻くこの酷い状況を良くするためには、手段なんか選んでいられる段階ではなくなっているのだと、まるで鈍器で後頭部を殴られるのと同じ位の衝撃を持って強く強く思い知らされたのだ。それにボクはもう、小岩井がこれ以上理不尽ないじめを受けることに、到底我慢が出来なくなっていたのだ。
 もちろんボクは、あいつのことは大嫌いだけど、だからといってあいつが理不尽に辛い思いをする事を看過出来るはずなど絶対に無く、大嫌いなあいつが毎日憎たらしいくらいに笑っていられれば、それはそれでとっても良いことだと思っている。大体あいつは、基本は強くて真面目な奴なのだから、つんと澄ました綺麗な瞳で、常にまっすぐ誇らしげで居て欲しい。涙もいじけた姿も似合わない。いつ何時も、間違っていることは間違っていると言って、アホなボクらを叱咤激励して欲しい。ボクのことなど死ぬほど嫌いだと、いつも元気に罵倒してくれればそれで良いんだ!
 今彼女を救うため、救うなんて言葉はおこがましいから小岩井が普通に笑っていられるように、ボクは以前墓場まで持っていくと決めた秘密を、ここでしっかりバラすことにしたのだった。そして、体育館裏に小岩井を置いていくことには凄まじい罪悪感を覚えるけど、それに彼女を抱きしめたいという爆発しそうな衝動をぐっとこらえ、ボクは小岩井に背中を向けると、急いで文芸部の部室に向かったのだった。

 ボクが誰もいない文芸部の部室に戻ると、そこにはみっちゃんがここを出るまで再編集を続けていた、女子用の高性能ノートPCが置かれたままになっていた。ボクは、実は数日前からこの状況に陥る可能性を捨てきれずにいたので、件の名状しがたいチャラ男が映っていた、小岩井のピアノ演奏を録画したビデオテープを学校に持ってきていたのだ。
 もし、ボクらの映画で小岩井に対する周りの評価が変わるのならば、もちろん何もするつもりは無かったのだけれど、先ほどの女子チームの映画の状況を鑑みるに、ボクらの映画が流れたときの、観衆の態度は想像に難くない。
 ボクはテープをビデオカメラに突っ込むと、以前みっちゃんに使い方を教えて貰っていたプレミアエレメンツを起動した。そしてテープから動画データをPCに取り込み、元々真っ黒だったボクらの映画のスタッフスクロールの背景に、非常ベルが鳴って小岩井がピアノの演奏をトチったあのシーンを貼り付けたのだった。
 とりあえず高速プレビューでスタッフロールのシーンを見てみたけど、何かこれってジャッキー・チェン先生の映画のように、スタントで失敗したシーンをスタッフロールで流しているような感じだなぁ……。ま、これはこれで良いでしょう。尊敬すべき先達のステキなアイデアは、どんどん盗むべきだとどっかで聞いたような気がするし。
 ボクはその動画を急いでレンダリング&DVDに焼き付けると、携帯でみっちゃんと熊ちゃんを部室に呼び出したのだった。
 ボクの慌てた風の声で、急いで部室にやってきた彼らに、ボクはDVDの最後のシーンを見せた。
「今まで黙っててごめん。でも、ボクはこれを是非とも流したい」
 初めは何事かと訝しんでいたみっちゃんと熊ちゃんも、スタッフロールのシーンを見てすぐにピンときたようだ。
「これは……」
「優樹、お前自分のやったことが分かってるんだろうな?」
 みっちゃんの非難の混じる視線を、ボクは正面から受け止めた。
「もちろん、これを流したらボクたちは負けちゃう」
「馬鹿野郎!! そんなコト言ってんじゃねえ! 何でこれを最初に出さなかったんだ!? これがあれば、小岩井がバカ共に虐められねーで済んだだろうがよ!」
 みっちゃんの言うことは、当たり前だけどもっともなことだった。けどボクは、こうやって親友に怒られることなど覚悟の上なのだ。全部はボクの弱い心が作った状況だ、何かペナルティーを受けざるを得ない事態になったとしても、それは謹んで受けなければならないのだ。
「ボクは後で小岩井に何が何でも謝ってくる。だけど今は、これをとにかく上映したいんだ!」
 ボクはじっと、みっちゃんを見つめ続けた。5〜6発殴られても、これだけは引くつもりはなかったのだ。
「ちっ、そんなのはチビッコ相手にやれや。まぁ俺も、これは流すべきだと思うぜ」
 しっかし良くこんな動画撮ってやがったなーと、みっちゃんはいつもの調子に戻って、PCに繋いだままだったビデオカメラでテープを再生し始めた。
「実際小岩井が疑われ始めた時にこの動画を出しても、誰も信じなかった可能性もあるな。このタイミングで出すのが、一番効果的かも知れないな。もちろん俺も、これを流すべきだと思う」
 時期が時期だけに、一回でもヤラセだと思われたらそれで終わりだったろうなと、熊ちゃんはDVDのスタッフロールのシーンを繰り返し見ながらそう言った。
「んだな、俺も今のままってのは、気分が悪すぎるぜ。よっしゃよっしゃ! ばしっと流してサクッと女子共に負けてやろうぜ! それで小岩井が何とかなりゃあ、安いモンだってんだこのくそったれが!!」
 何故かみっちゃんは上機嫌になって、ボクの背中を力一杯ばんばん叩いてくる。
 いやいやマジで痛いから! てゆーかみっちゃん、やっぱボクのことに相当腹立ててるんだよね?
「優樹、この落とし前は後でじっくりな」
 マック10回くらいで勘弁してやると、熊ちゃんまでもがボクに嬉しい言葉を掛けてきた。
 わあお! そういえば小岩井にも色々脅されて搾取されそうだってのに(そういえばまだご飯とか消しゴムを要求された事は無いなぁ?)、これからバイト頑張って一杯お金を稼がないと。
「ん、そろそろ女子チームの上映が終わる。一旦視聴覚室に戻るぞ」
 熊ちゃんは時計を見ながら声を掛けてきた。
 ボクは焼いたばかりのDVDをノートPCから抜き取ると、それを携え視聴覚室に戻ることにしたのだった。


 ボクらの映画の上映を始めてから十数分後、ボクは一人で体育館裏に来ていた。もちろん小岩井を馬鹿にした笑いが充満する視聴覚室なんかにこれ以上居られたもんじゃないというのもあるけど、本当の理由は小岩井を迎えに来ていたのだ。
 そこには数時間前と変わらず、小岩井が地面にしゃがみ込んだままでうつむいていた。さすがに嗚咽は漏らしていないけど、完全にふさぎ込んでいるのは明らかだ。
「小岩井、視聴覚室に戻るよ」
「……嫌よ、見たくない」
 小岩井は、ボクの方を見る事なく拒絶の言葉を返してくる。
「周りの連中なんか放っておこうよ。あれからみっちゃん、死ぬ気でちゃんと編集してくれたから、恥ずかしいシーンとか全部取っ払ってくれたよ?」
 もちろん、この辺は口からの出任せである。まぁ今から連れ戻したところで、そんな数少ないシーンに出くわしちゃう事は、確率的にも少ないでしょうし?
「嫌ったら嫌よ。あっち行って……」
 わたしなんか放っておいてよと、小岩井は不機嫌がにじみ出すような声でそう言った。
「まぁまぁ、もう二度と見られないかも知れないんだし、小岩井だってあんなに一生懸命演技してたんだから、最後にちゃんと見ておこうよ〜〜」
 ボクはこのまま押し問答を続けていてもしょうがないと思い、とりあえず蹴られたり引っ掻かれたり犯される〜〜と喚かれたりするのを覚悟の上で、小岩井の手を引っ張って無理矢理立たせたのだった。
「嫌だって言ってるのに……なんで人の嫌がることをするの……」
 みんな私のことを虐めて楽しんでるのよと、小岩井はボクの方に視線を合わせること無く、そっぽを向いてそう言った。
「……他のヤツなんかどうだか知らないけど、ボクだけは違うからね!」
「何がよ……」
 フンと鼻を鳴らず小岩井の態度にさすがにイラッときたけど、でも小岩井はボク以上に色々頭にきてるはずなのだ。だからここは同級生の至らぬ態度にいちいち腹を立てたりせずに、華憐にスルーするのが人生を17年も生きてきたオトナの態度という物でしょう。
 ボクは小岩井の手を握ると、何も言わずに視聴覚室の方に連れて行った。
「あっ、あう〜〜〜!?」
 小岩井はこんな時でも自動音声を垂れ流しているけど、そんなモンこそ無視無視。しばらくは人の手を振りほどこうとバタバタしていたけど、やがて諦めたのか、最後の方は大人しく付いてきたのだった。何かため息が聞こえてきた気もするけど、単に小岩井が疲れて息を荒げているだけでしょう。あと、廊下ですれ違った生徒達がボクらを見てクスクス笑ってたけど、何でだ?

 ボクらが視聴覚室の前にやってくると、部屋の中からは先程同様に下卑た笑い声が漏れ響いていた。隣にいる小岩井の顔が、きゅっと強ばる。
「……大丈夫だから。どうせみんなボクの下手な演技に笑ってるだけだって。そう思っておけば良いんだから」
「そんな事、あるわけないじゃない……」
 小岩井は目をコシコシ擦ると、
「……中に入るんでしょう?」
 いつの間にかボクの手を握っていた小岩井が、自分の手をピコピコ動かす。うわ、こいついつの間に人の手を掴んでやがったんだ!? 全く、高校生にもなって破廉恥な!
「じゃ、入るよー」
 ボクは視聴覚室のドアを開けて、小岩井の手を引いて部屋の中に入っていった。
 そして二人で何気なくスクリーンを見たとき、そこには頭の悪そうな学生とロリッ子薫ちゃんが映し出されていて、そして次の瞬間、二人の唇が、本当に痛々しいことに、甚だ残酷なことに、これ以上無い位にしっかりと、むちゅっと激突し接合するのが、もう何の遠慮会釈も無く、直接的に、透過的に、衝撃的に、スクリーンにでかでかと大写しで晒されたのだった。
「〜〜〜〜〜っ!!!!!」
 隣で、小岩井が、もう言葉では言い表せないくらいに怒り狂っているのがよく分かった。ボクの手を握っている手の力がきゅっと増し、マジで骨が折れるかと思う位にギリギリと締め付けられる。
 しかし、観客の態度は思ったよりも……いや、全然と言って良いくらいに変化無く、ただただ下品な笑い声が続くだけだった。ボクらのこんな捨て身の演技すらも見ちゃいないとか……こいつら一体何のためにここに居るんだ?(一部、端の方で見ていた担任が盛大に噴き出していたが、そんなのは極めて些末な事だ)
「……結局私たちの演技なんて誰も見て無くて、みんな私を馬鹿にして楽しんでるんでしょ? もう分かったから良いじゃない……」
 小岩井の手からは、次第に力が抜けていった。結局ボクらが一生懸命作った映画は、観客の心を動かすことが出来なかったばかりか、網膜にすら届いていないのだろう。こんな状態で男女どちらの映画が良かったとか、本当に投票とか出来るのだろうか?
「……もう出ていい? 私、ここに居る意味無いでしょ」
 小岩井はボクの手を離すと、一人で部屋から出て行こうとする。
「ダメ。お願いだからもう少し居て」
 ボクは慌てて小岩井の手を握り返すと、
「何でよ……」
 そう言いながら、小岩井は足を止めてくれた。
「とりあえず最後まで見てみようよ。観客なんてどうせ何も見ちゃ居ないから、もうどうでも良いじゃん。でも、この映画を一生懸命作ったって事実は絶対でしょ? それに、せっかくみっちゃんが編集してくれたんだから……」
「……本当に変わってるの?」
 微妙にジト目でこちらを見る小岩井の顔に、ボクはとりあえず無言の笑顔で返しておいたのだけれど、しかしスクリーンを見ると、洞窟の奥で死んでる薫ちゃんは、やっぱりスカートのめくれた裾からぱんつが覗いていた。
「……本当に変えたの?」
 ごめん小岩井。口からの出任せでした。
 この期に及んでへたれなボクはそんな正直な返答が出来るはずもなく、もう一度無言の笑顔で場をごまかした。……ごまかしたつもりだ。
「……もう良いわよ。鐘持君が編集したのは事実なんだし。曲の入り方とか、格好良くなってるね」
 なんと、小岩井はボクなんか全然分からなかった(そもそも探す気もなかったけど……)みっちゃんの編集結果をちゃんと見ていたのだ。なんだかんだ言いつつ、こいつ律儀なヤツだねぇ。
 そして、スクリーンにはとうとうスタッフロールが流れ出し、『今回の失敗シーン』とかおざなりの極みな字幕がスクリーンの左上映し出されたかと思うと、背景には小岩井がピアノ演奏がトチったあのシーンが映し出されたのだった。
「!? ちょっと、あれ、映しちゃダメじゃない!」
 小岩井が慌ててボクにそう言うも、
「いいのいいの。せっかくだから、みんなに見て貰おうよ。ジャッキー・チェン先生の映画みたいで面白いから」
「何がせっかくなのよ、私が演奏したってバレちゃうじゃない!」
「いいからいいから」
「あう〜……」
 ピアノを前にした小岩井がスクリーンに映し出されてからも、どうせマトモに見ていないであろう観客共は、とりあえず小岩井が映っているからってだけでゲラゲラ馬鹿みたいに笑っていた。けど、実際に小岩井がピアノの演奏を始めてからは、観客達の笑い声は次第に少なくなっていったのだった。
 もちろん、小岩井のピアノの演奏の上手さにびっくりしたような顔をしているのも何人か居たけど、しかし、つい先程まで流れていたBGMの曲を小岩井が演奏している事実、つまり、この映画作りのレギュレーション違反が晒されていることに、ちらほらと気がついた奴らも居た様だった。なんだ、それなりにちゃんと中身を見てる人も居たんだ。ここに居る全員が馬鹿にして笑ってたと思っていたのに、それはある意味嬉しい勘違いだった。
 視聴覚室のあちこちからは、あれ?とか、おかしいじゃん?という声が聞こえ始めていた。やがてその疑問を口にする声は大きくなっていき、観客同士がルール破りを伝え合っていくのに合わせて、疑問の声は笑い声よりも大きな物になっていった。
 そして、部屋を包む声が最高潮に達した頃、視聴覚室のスピーカーから、けたたましい非常ベルの音が鳴り響いたのだった。幾人もの観客がびくっと背中を振るわせ、あたりを見渡している。
 適当に編集したつもりだったけど、タイミングはばっちりだった。
 スクリーンには『非常ベルの音は撮影時の物です』と、これもまたおざなりな字幕が表示されている。もちろんそれも、ボクが入れた物だ。
 やがて非常ベルは鳴り止むんだけど、スピーカからは「人が階段から落ちた!」という声も聞こえてきた。もちろん、スクリーンに映る小岩井はピアノの前に座りながら、外の様子をうかがっているだけだった。
 視聴覚室を満たす観客の声が、一段と大きくなった。
 ボクは、耳を澄ませて彼らの声を聞いていた。すると”非常ベルが鳴った時に小岩井がピアノの演奏しているなら、誰がごっさんを突き飛ばしたんだ”という会話が、あちこちから聞こえるようになってきた。(ちなみに”ごっさん”というのは、あのクソヤンキーのあだ名です)
 みんな、その議論にたどり着いてくれたのか! ボクがその声を聞いて安心していたとき、みっちゃんがこそこそやってきて、
「おい優樹、仕込みはしてやったんだから、あとはオメーら前に出て一発カマしてきやがれ!」
 と、ボクと小岩井の背中を思いっきり押したのだった。
 みっちゃん、もしかして観客に紛れて、非常ベルとヤンキーが突き飛ばされたタイミングのことを言い回ってくれたのか!?
「優樹、今だ、早く行け」
 熊ちゃんもボクらのところにやってきて、あたふたしているボクらの背中を押す。
 そんな急展開にボクは一瞬頭の中が真っ白になっちゃったけど、しかしここでまごまごしていては、ボクらの部活での覇権、もうちょっと具体的に言うとボクのおしりの処女を捨ててまで、BGMを小岩井に演奏して貰ったのをカミングアウトした意味が無くなってしまうのだ!
「小岩井、行くよ!」
「あ、あ、あうぅ!?」
 事の推移にさっぱり付いてきていないであろう小岩井は、いきなりボクに手を引っ張られてじたばたしていたけど、そんなのはこの際無視無視! 半ば引き売り回す様にスクリーンの前に小岩井を連れて行き、そしてボクは言ったのだ。
「今の見て分かったでしょ! 小岩井は人を突き飛ばしたりとかしてないんだ!! お前ら勝手な憶測で人のこと虐めて、一体どうするつもりなんだ!!」
 そんないきなりのボクの声に、視聴覚室から人の声が消え失せた。スピーカーから流れる、小岩井のピアノ演奏の音だけが、小さく部屋に流れている。
 もちろん、こんな証拠を今更出してきて文芸部は何やってんだという、自分らのことを棚に上げて人様の批判をしている自覚はあるさ。けど、今そんなことに議論が向かってしまうと、この最高にして最後であろう、小岩井のいじめはえん罪による物だという徹底的証拠が、何の効力も持たなくなってしまうのだ。
 ちょっとだけ後ろめたい物はあるけど、ここは言ったもん勝ち、勢いで押し通してしまうに限る!
「一体どうなのさ! 後藤が突き飛ばされたって時、こいつは音楽室でピアノ弾いてたんだよ!? まだ犯人はこいつだって言い続けるつもりなのかよ!!」
 そんなボクの言葉に、言い返してくるヤツは一人も居なかった。皆一様に押し黙り、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
「小岩井を虐める理由はもう無いだろ! どうなんだよ!!」
 そしてボクが念押ししたとき、
「だったらよー! あちこちで財布が無くなったってのはどう説明するつもりかよ! その女が盗ってないって証拠でもあんのかよ!」
 観客の一人、ガラの悪そうな生徒がそんな事を言ってきたのだった。
「そんなの、そもそも小岩井が盗ったって証拠も無いだろうが!」
 ボクは頭に血が上ってそう言い返したのだけれど、しかしその時ボクの目の前に、ひょっこりと小さな影が現れたのだった。
 それは、黒のロングヘアがツヤツヤ光る、部長の頭だった。
「……貴方は『悪魔の証明』という言葉をご存じですか?」
 そんないきなりの部長の発言に、ざわざわと小岩井をいぶかしむ声がわき始めていたのが、再び綺麗にかき消えてしまった。皆、顔面を蒼白にして部長の方を見ている。
「『悪魔の証明』というのは、証明することが極めて困難であることを言います。小岩井さんが財布を盗んでいないことを証明するというのは、彼女の過去の行動を全てビデオで検証しなければならず、悪魔の証明になるんですよ。つまり、現実的には証明は出来ません。だからその議論は不毛であるのですが、しかし私は経験則として、小岩井さんは人の物に手を出すような人でないと明確に信じることが出来ます。
 ……逆に私は貴方に問います。貴方が他人の財布を盗っていないことを、今すぐ証明して下さい。もちろん『俺はやってない』だのというくだらない言葉は聞きたくありません。誰にでも納得出来る絶対的な証拠を出して下さいね。そして証明が出来ないのであれば、素直に罪を認めて財布を皆に返すか、それとも先程の発言を取り消して下さい。今すぐにです」
 そう言われたガラの悪い奴は、端で見ていて可哀想なほどにガクブルと震え、もう半泣きの顔をしてボクの方を見ていた。いやごめん、ボクには到底助けられないから。
「どうしましたか? なんなら、私以上に平等で正しい判断をしてくれるであろう、生徒会を交えてじっくり話し合いますか?」
 そんな部長の声に、可哀想な彼の恐怖ゲージは完全に振り切れてしまったのだろう、
「すんませんもう取り消すから許してくれ――――――――――っ!!!」
 そう泣き叫びながら、彼は視聴覚室から飛び出してどこかへ行ってしまった。
「はて? 許すとはどういうことでしょうか? 先程の方は何かしら罪を犯していたのでしょうか。皆さん分かりますか? どうせなら、生徒会役員全員と一緒にしっかり話し合いをしませんか? そのほうが、お互いにとって、とても良い様な気がしますが、いかがでしょうか?」
 きっと、部長はいつも通りにニコニコしながら話しているのだろう。ボクは部長の後頭部しか見えないからよくわかんないけど、観客の顔がほぼ全員引きつった笑みを浮かべているのだけはよく分かった。うんうん、部長に笑いかけられると、ボクだってこんな顔になってるんだろうねぇ? 怖いよ〜、恐ろしいよ〜〜
「おらおら、おめーらこれ以上このビッチにグダグダ言われたく無けりゃ、さっさと部屋から出て失せやがれ! そしてこれ以上小岩井に変なちょっかい出してみろ、このビッチとの楽しいマンツーマンの禅問答が待ってるぜ! 他のヤツにもよ〜〜く言っとけや、このバカ野郎共が!!」
 みっちゃんが前に出てきて、いきなりそんな台詞を宣った直後、観客は皆立ち上がると我先にと視聴覚室から走り出て行ってしまったのだった。そして十秒も経たないうちに、部屋には文芸部のメンツと、苦笑いを浮かべているボクのクラスの担任(そして文芸部の顧問)だけが取り残されている有様だった。
「良い映画だったぜ、お前ら頑張ったな! じゃ、後片付けよろしく」
「承知いたしました。先生、見て頂いて感謝しております」
 部長が行儀良くお辞儀をすると、担任はちょいっと片手を上げて部屋から出て行った。なんだあの担任、訳がわかんないよ……。
「とりあえず、あんな感じで煙に巻いてみましたがどうでしょうか? 生徒の皆さんは生徒会を引き合いに出すと、必ず黙るから楽で良いですね。ところで鐘持君、私のことをビッチと呼ぶのはいくら言っても止めないのでもう大目に見ますが、なぜ私とお話しするのがまるで生き地獄とでも言いたげな表現をされていたのでしょうか? ちょっと気になるので、小一時間程腹を割って話し合いませんか?」
「冗談じゃねえ!! 何故俺がそんなマゾプレイに頭突っ込まにゃあならんのだ! 優樹、俺の代わりにビッチとタイマン張ってこい!」
 無茶言わないで下さい。ボクはまだ死にたくありましぇん。
「さてさて、結果的には上映会はお開きになってしまったようですので、片付けを始めましょうか。後は後夜祭でどんな結果が出るのか楽しみではありますが、それよりも、まうっちのえん罪が晴れて良かったという物です。まさか男子達があんな隠し球を持っていようとは……」
 本当にびっくりですと、山科さんが前に出てきて小岩井の肩に手を載せた。しかし
「意味がわかんないわよ……」
 小岩井は低い声で、ボクの方をにらんでそう言った。
「……何でバラすの? 貴方と私の秘密って言ったじゃない……。貴方の秘密ってそんなに軽い物なの? ねぇ一条君。私は貴方の秘密をずっと守ってきたけど、貴方は簡単にバラしちゃうんだ。……それってどういうことなの? それだけ私って軽く見られてるの!?」
 いやちょっと! いきなり何言ってんのこいつ??
 確かにボクは小岩井との約束を破ってしまった……と言うより、自分からお願いしておいてそれを反故にしたなんて最悪なことにはなっているけど、でも別に小岩井を困らせようとか、陥れよう何て気持ちは全く無かったんだよ!?
「誰も軽くとか見てないって! それにもちろん助けてやったとか恩に着せるつもりも全然無いし! ただ、ボクはこれ以上お前が虐められてるのが嫌だったから、その原因がウソだって事を、あいつらに分からしてやりたかっただけなんだってば!」
「意味がわかんない、それが恩に着せてるってことじゃないの!? ありがた迷惑よ、私の事なんて放っておけば良いじゃない、私が悪ければそれで良いんだから! みんなで私のこと馬鹿にして、それで笑いながら楽しんでいれば良いのよ!」
 小岩井は、いつぞやの映画の撮影の時みたいに顔を真っ赤にして、そして目には涙をいっぱい浮かべて、ボクに精一杯の恨み言をぶつけてくる。
「そんな事あるかよ!! 他の奴らとボク達を一緒にするな! それこそボクらを馬鹿にしてるだろ!!」
 そして、そんな彼女の泣き顔に、平常心を軽く吹き飛ばされてしまったボクは、まさに売り言葉に買い言葉で、小岩井相手に怒りにまかせて怒鳴り返してしまった。
 普段なら、この辺で山科さんや熊ちゃんあたりが止めに入るんだけどなぁ……? けど、彼らは何も言わずに、ボクらの癇癪を炸裂させあった押し問答を黙って見つめていた。
「馬鹿に何てしてないわよ!! 放っておいてって言ってるだけよ! もう私のことなんか構わないで! 文芸部も今日で辞めます! もう映画の撮影は終わっちゃったし、私の役目なんてもう無いのよ! 後は他の人で今まで通り仲良くすれば良いじゃない! どうせ私なんて部外者よ、私なんて……私なんて、みんなに恨み言残して、一人で勝手に死ねば良いんでしょ!!」
 そんな小岩井の言葉を聞いた瞬間、ボクは最低最悪の下衆野郎になっていた。
 小岩井のほっぺたに、思いっきりビンタを喰らわした。ボクは女を殴る最低のクズ野郎だ。今すぐ死んだ方が良い。しかし、
「ふざけたこと抜かすなーっ!! 死ぬとか言うんじゃねーよ、そんなの死んでも絶対嫌なんだってばーっ!!」
 だから死んでも死ぬとか言うんじゃねー!と、ボクは身勝手な台詞を思いっきりまくしたてたその直後、叩かれた自分のほっぺたを押さえて固まっていた小岩井に抱きつき、そのちっこい身体を思いっきり抱きしめてしまったのだった。
 自分の胸に、小岩井の顔を目一杯押しつけた。さらさらヘアで撫で心地の良いツインテ頭を、髪が乱れるくらいに撫でくり回した。彼女の華奢で奢震える肩を、ぎゅっと抱き寄せてしまった。
「あ、貴方に私の何が分かるって言うのよ……! 私の気持ちなんて何にも知らないで、勝手なことばかり言って……!」
 ボクの胸の中で、泣き声混じりでそう言う小岩井に、
「人の気持ちなんて分からないよ! 他人が出来るのは、一緒に居てあげて、相手の気持ちを思いやることだけなんだから!! 相手に気持ちを伝えたければ、言葉にして、思いを込めなきゃダメなんだよ!! ねぇ、だからちゃんとボクらに言ってよ、小岩井がどうして欲しいかを! ちなみにほっといてとか一人にしろとか、そんな台詞を言っても絶対に聞かないからね!」
 ボクは心の底から涌いてくる思いの丈を、勢いに任せて精一杯ぶちまけていた。
「だから大きなお世話よ!! それともまだ映画の撮影のつもりなの!? きれい事ばかり言って、約束を守らない人の言葉なんて誰が信じるの!」
「だったら信じるまで何度でも言ってやるさっ! 全部が演技じゃないからね! 全部がボクの本気の言葉なんだから!!」
「貴方の本気って何なのよ……! だから意味がわかんないって言ってるのよ! いいからもう放っておいてよ……!」
「やかましい! 誰がお前のこと放っておいてやるかよ! もうこれからずっと、一緒に居てやるから! お前が辛くなるようなことは絶対しないから! お前の周りの全部の悪意から、絶対確実に守り切ってやるから!! それにみんな、お前のこと本当に大切に思ってるんだから、もう死ぬとか馬鹿な事は絶対言わないでよ! ピアノ弾いてた時みたいに可愛く笑ってよ! 見てるだけでまぶしい、ボクの大好きな笑顔の小岩井に戻ってよ!!」
「何なのよ……! 貴方にそんなこと、命令される覚えなんて、これっぽっちも無いんだからあっ………ひぐっ……うぇぇ……うぇぇぇ〜〜〜〜っ!!」
 小岩井は、ボクの背中を痛いくらいに強く握ると、いつぞやの大通りの時と同じように大声を張り上げて、ボクの胸の中でワンワン泣き出したのだった。ボクはいいとしこいたJKのくせにオコサマよろしく大泣きする同級生の痴態に若干頭を冷やされ、ため息を一つつくと彼女の頭を優しく撫でたのだった。
 そもそも殺したいほど嫌いなボクに一発殴られたあげく、またもやレイプまがいに抱きつかれて、そして腹立ち紛れに思いっきり怒鳴りつけられたのだ。そりゃ小岩井の怒りは限界を超えて、恥も外聞もかなぐり捨ててぎゃあぎゃあ泣き喚く位の事はするだろうさ。それに泣き出す直前の言葉が「人様に命令なんぞしてんじゃねーぞゴルァ」ときたもんだ。ボクが勢い余って言った台詞、正直何言ったか自分でも良く覚えてないんだけど、確か”みんなに迷惑掛けるな”くらいの事は言ったつもりなんだけど、それすらも全拒否しやがったわけだよ。しかも小岩井のやつ、よっぽど怒りが収まらないのか、ついにボクの背中に腕を回して、目一杯ぎゅっと締めてきた。なんだこいつ、ちっこいくせにボクに鯖折りでも仕掛けようというのか?
 そして何でだか知らないけど、いつしかボクの目からも涙が溢れてきて、衝動を抑えきれなくなったボクは小岩井の事を今以上に強く抱きしめ、二人で延々泣き合ったのだった。
 これはきっとアレだね、目の前に居る小岩井の鳴き声には、人を怒り狂わせる凶悪な電波が含まれていて、そのおかげボクはメチャクチャに怒りゲージが上がってしまっているのだろう。このボクの目から溢れ出てくる涙は、その怒りからの悔し涙なわけだ。こんな至近距離でそんなおかしな電波に被曝しちゃって、ボクの脳ミソは大丈夫なのかなぁ??


 "視聴覚室の中心で怨み言を叫び合う"なんてワケの分からない状態が、一体何分続いたのだろうか。時間感覚なんてすっかり消し飛んでしまったであろうボクらは、それこそお互いが泣き止むまで延々抱き合ったままだったのだけれど……。
「よーよー、おめーらいい加減、熱いベーゼは止めにしねーか?」
 つーか乳繰り合うなら家帰ってやれやと、何か若干疲れた感のあるみっちゃんの声が耳に入ってきて、ボクはいきなり正気に戻ったのだった。
 ちょっと待て! ボクってみんなが見てる前で、またセクハラやっちゃったの??
「い、いや、これは間違いなんだ! ふとした気の緩みだったんだ、若さ故の過ちだったんだ!!」
「……どういう意味よ」
 ボクの胸でグスグスしてる小岩井が何か言ってるけど、この際謹んで無視無視! 極めて遺憾なことに、誰もが羨むお年頃の男の子は、自らの性欲と癇癪が暴走してしまい、衆人環視の元で勢い余って女の子相手にレイプ的対応をしてしまったのでした……
 重ね重ねなんてコト……!! これじゃあボク、警察行きは確実じゃないか! いくら自らの潔白を証明するため状況証拠を積み重ねようとしても、しかし小岩井相手にガチなセクハラをしたのだけはどう考えても事実なワケで、既にこいつに消しゴムとか昼食をたかられる程度では、到底済まされない状況に追い込まれているのは間違い無い様だ……。
 むぅ!? となると、ここに居る文芸部のみんなに文房具やご飯をたかられるというペナルティを甘んじて享受するなら、もしかして今回だけは警察に突き出されずにも済むかも!? ……なんて、この期に及んでヘタレでチキンでしょぼしょぼで諦めの悪いボクは、そんな自らにだけ都合の良い、調子ぶっこいた事を思いついてしまったのだけれど、しかし世の中さすがにそこまで甘くはないよねぇ? 謝って済むなら警察は要らないというのと同じ事で、みんなにご飯を奢ればレイプが取り消しになるなど、この文明社会では決してあってはならないことなのだ。だいたいボクが新聞配達で稼いでる程度の端金で、この人数の口を封じるほどの美味しいご飯と良い文房具を提供出来るとは思えない……。ダメだ、この計画は基本的なところで既に破綻してしまっている……!
 両親よ、本当にバカな息子で大変申し訳ありませんでした。せめて今からでももう一度励んで頂いて、有用な息子なり娘なりを今一度生育して下さい。ボクはなんだか以前にも考えたことがあるような気のする台詞を今一度心の中で唱えると、全てを諦め警察に行く覚悟を決めたのだった。まぁ、ボクに引導を渡してくれるのが、この友人達で本当に良かったと思うよ。それが唯一の救いだってもんだ。
「まうっちも落ち着かれましたか? もう上映機材の片付けも終わりましたし、皆で後夜祭に行きましょう。外ではキャンプファイヤーに火が灯ったようです」
 未だ抱き合ったままのボクらに、にこにこ顔の山科さんが声を掛けてくる。後夜祭だぁ? つまりこれから堀の中に移送されるボクに、最後のシャバの楽しい思い出を残してやろうっていう心優しい演出なのか? ボクは、そんな友人達の心暖かい気遣いにぐっとくる物があるけど、しかしそれはダメなのだ! 折角だけど、そんな時間を過ごしたらボク、もう折角の覚悟が鈍っちゃう!
「いや、さっさと警察に行こう! ボクはちゃんと覚悟が出来てるから!」
「「「「「……はぁ??」」」」」
 何故か、そこに居る全員から変な顔をされた。
「……一条君、何か悪い事したの?」
 ずびびと、人のブレザーに目一杯体液をなすりつけてくれやがったばっちい女が、鼻をすすりながら何か言っている。しかし今は緊急事態だ、この際華麗に無視無視!
「だってボク、小岩井に思いっきりセクハラしちゃったんだよ!? こんなのレイプと一緒じゃん! だからボク、今から警察に連れて行かれるんでしょ!?」
 そんな、ボクの極めて正しい台詞にしかし、
「………………。まうちゃん、一条君のこと、警察に訴える?」
 なんか困った顔した若木さんが、小岩井に声を掛けた。
「あぅ? 何で……?」
 と、未だ鼻水を盛大にねとつかせた小岩井は、ボクの胸の中で首をかしげていた。あれ? もしかしてこいつ、ボクのレイプ的性犯罪の被害者たるの自覚が無いのか!? だったら、もしここでボクがこのままずっと黙っておいたら、そのままお咎め無しって事になっちゃうのかも知れない……! ボクは自分が卑怯で極めて悪辣なヤツだと十分分かっていたのだけれど、しかしやっぱりいくら覚悟しても人生たったの17年、シャバには未練も無念も蓄念もたんまり残っているため、取り急ぎこのラッキーな流れに載っかることにしたのだった。
「……むしろその惨状じゃ、小岩井の方が訴えられるんじゃねーか? つーかチビッコよ、もういい加減に鼻水拭けや……。優樹が哀れすぎるぜ」
 あとおめーらいつまで抱き合ってんだ見せつけてンじゃねーぞ乳繰るならさっさと自宅でヤレやと、みっちゃんはポケットからハンカチを取り出し、それを小岩井の目の前に突き出した。
「後で洗って返しな」
「あぅ? あうぅ!!? あううう〜〜〜!!!!」
 ようやく自分がぶちまけた大量の体液に思慮が及んだのか、やかましい自動音声を再生させた小岩井は慌ててボクの腕から抜け出すと、みっちゃんが貸してくれたハンカチで自分の顔とかボクのブレザーを拭き始めたのだった。いやいや小岩井さん、あなたが噴きだしたよだれや鼻水は、そんな布っきれ一枚で拭いた位でどうにかなる程度の量じゃありませんから。
「あうぅ、あうう、あうう〜〜〜〜!!」
 またもやビービー泣き始めた小岩井は、涙をボロボロこぼしながらボクのブレザーをぬぐい続ける。
「あー! もういいから!! もう好きなだけ汚しなよー」
 ボクはさっき右胸を汚されたから、今度は左胸に小岩井の顔を引き寄せ、またもやこの泣き上戸のうるさい女を思いっきり泣かせてやったのだった。

「あうぅ、また汚しちゃったぁ………あうぅ〜〜〜」
 結果としてボクの両胸に山盛り体液をぶちまけた小岩井は、その惨状に直面し三度泣こうとしたため、ボクは可及的速やかに彼女のデコをぺちんと叩いて、とりあえず黙らせておくことにした。
「あうぅ〜、いたい〜〜」
「優樹よ、とりあえずその服洗ってこいや……」
 しかしひでぇ有様だなと、みっちゃんはまるで汚物を見るかのような視線をボクに送ってくる。何て酷い! 確かに小岩井の体液まみれになってるとは言え、これはボクの大切なブレザーなんだよ!?
「ごめんなさい〜〜〜」
「……へいへい、このブレザーの供養はとっくに済ませてあるから問題無いよー」
 ぺこぺこ謝る小岩井の頭をぽんぽんと撫で、ボクはトイレに移動しつつばっちぃブレザーを脱いだのだった。
 しかしこのブレザー、普通にその辺の水道とかで洗って良い物かね? 何か下手に洗ったら縮んじゃいそうな気がするんだけど……
 ボクはトイレの中に入り、ブレザーの裏地に縫い付けられたウール100%のマークを見ながら、洗面台で思いっきり水をぶっかけヌメヌメの小岩井の体液を洗い流していった。まぁ所詮学生服などおしゃれ着でも何でも無く、ボクらバカチンな学生が普段から着てるだけの作業着みたいなもんだからねぇ。場合によっちゃあペンキで真っ赤になったり、すっころんで血だらけになったり、終いには泣き女に鼻水ぶっ掛けられるくらいは、メーカーとしては当然の利用状況として織り込み済みで開発してるのでしょう。
 さて、鼻水を洗い流したのはいいけれど、当たり前のことだけどビチョビチョになって取り返しかつかない感が一層増したブレザーを手で持ちながら、ボクは微妙に暗澹たる気持ちになっていた。さて、これ一体どうやって持って帰ろう……。その前にボク、上はYシャツだけだからワリと寒いんだけどなぁ?
 季節は11月である。いい加減慣れた感のある酷暑もとうの昔に過ぎ去り、もう冬の足音が聞こえてくる今日この頃。いくら誰もが羨むお年頃とはいえ、やっぱり寒いものは寒いのだ。日も暮れて大分気温が下がってきているし……。
 そういえば外では後夜祭のキャンプファイヤーが為されているらしいから、濡れたブレザーをその火にかざしておいたらさっさと乾くかなぁ? それともお約束通り、後夜祭で感極まったおばかちんが制服をキャンプファイヤーに投げ込むのと同じ様に、ボクのブレザーも景気よく燃えてしまうのだろうか……
 さすがにこんな値段だけは高い服を燃やしたとなったら、あの未熟者に布団たたきの縦で数十回となく殴られたあげくに、卒業まで絶対買って貰えないかも知れない……。いくら何でもそれはないわー。だからボクはその事態だけは避けるべく、とりあえずブレザーは自分の教室で干しておいて、代わりに学校に置きっ放しにしているジャージの上でも着ておくことにしたのだった。まぁ普段なら怒られるだろうけど、後夜祭くらいは大目に見てくれるよねー?
 ボクは自分の教室に移動し、自分の椅子の背もたれにブレザーを掛けると、ジャージの上を羽織って皆が待って居るであろう視聴覚室に急いだのだった。


「さぁ〜〜てさあーて、今回だけの特別イベント、本日封切られた文芸部の映画の人気投票だーっ!! お前ら良かったと思う方にしっかり投票しろよー!? 見てないヤツは適当でもいいから投票しろよー! 分かったらさっさと前に出てきて、朝礼台に並んだそれぞれのハコに点数書いた紙を入れていけ〜〜〜っ!」
 ……とは、我らが二校生徒会、副会長様の台詞である。
 後夜祭もたけなわ、全てにおいてやる気の無いことに誇りを持っている我らが二校はご多分にも漏れず、テンションだだ下がりのままに何となく燃える木のやぐらをぼーっと眺めている連中が数十人ほど校庭に残っているだけの、祭りという字だけが悲しく響く午後7時での出来事である。
 そんな十分しらけた雰囲気の中で、後夜祭の実行委員も兼ねている生徒会の人達だけは妙に高いテンションを保って、一生懸命司会進行に邁進しているのだった。
「ほらほらお前ら! さっさと投票しないと、明日早坂がお前らの教室まで遊びに行くぞー!?」
 とんでもないことを言い出す副会長である。
「……。彼とは少々話し合わなければならないことがありそうですね。それとも彼の言葉通り、私が皆さんの教室に遊びに行けばそれでよろしいのでしょうか? もちろん私としては、生徒会に対して何かしらお役に立てるなら、それはそれで一向に構わないのですが……」
 絶対止めましょう。みんなの憩いの場であるはずの教室が、その瞬間に地獄の鬼も逃げ出す阿鼻叫喚のるつぼに変わり果てますから。
 部長が副会長に不満そうな視線を送っている間、彼らの人生の中で最強最悪な脅迫を受けたろう生徒達は、我先にと朝礼台に押し寄せ目の前に並んだハコがどちらのチームかろくすっぽ確認することなく、とりあえず投票用紙をガンガン投票箱にぶち込んでいた。
「はははー、アレでまともな結果が出るとは、到底思えないですなー」
 などと山科さんはケラケラ笑っているけど、しかしそれはそれで良いことかも知れない! だって投票が適当に行われているなら、男女チームの得点は同じ位になるって事だよ!? ボクらはレギュレーション違反をしているのでそのぶん大幅に点が減らされると思っていたけど、場合によっては女子チームに勝っちゃうかも知れないのだ!
「おーい、文芸部の連中も投票しろやー」
 ボクらは朝礼台からずいぶん離れたところで投票を眺めていたのだけれど、何か副会長が言ってるし……
「どーすんの? こういうのって自分たちも投票していいんだっけ?」
「あのヤローがヤレって言ってんだから良いんじゃね? 選挙だって候補者自ら自分に投票してるみてーだしよ」
 みっちゃんは行くべとか言って投票所?へ歩き始めたので、ボクも行こうとしたのだけれど、しかし後ろを振り向いたら、小岩井はその場を動こうとしなかった。
「ほら何やってんの、行くよ」
「……私、さっき部活辞めるとか言っちゃった……。もう文芸部じゃないかも……」
 何を今更そんなことを……。
「部長、小岩井が部活辞めるとか言ってますけど、辞めさせます?」
 ボクは朝礼台の方に歩き始めていた部長に声を掛けた。
「絶対に許可しません。部活を辞めるときは、私を殺してからにしてくださいね」
 部長は立ち止まると、ニコニコと恐ろしい笑みを浮かべてこちらを見ている。
「……だってー。どうする? 部長殺してく?」
 もちろんボクらの方が完膚なまでにブチ殺されるだろうけど、というボクの当然至極の言葉に対して、
「無茶言わないでよ……。部長、あの、私はまだ文芸部に居ていいですか!?」
 小岩井はその場で部長に問いかけたのだった。
「当たり前です。小岩井さんは何があっても、少なくともこの学校を卒業するまでは、文芸部の部員です。さあ、早く一緒に投票しましょう」
 部長は手を挙げ、ちょいちょいとボクらを手招きする。
「は、はいっ………ぐすっ」
 小岩井はいい返事はしたけど、なぜだかその場でしくしく泣き始めてしまった。部長達は皆立ち止まって僕らを待っているようだし、急がないと迷惑だよねぇ……
 ボクは小岩井の手を握ると、その短い足に思慮を及ばせつつゆっくり目に歩き始めたのだった。
「ほら、急いで行くよ!」
「あうっ!? あうっ! あうぅ〜〜!」
 小岩井は自動音声を出しつつ、何かジタバタしながらついてくる。それにしてもこいつ何かある度に毎回必ずあうあう言い出すけど、よっぽど”あう”が気に入ってるのかねぇ? 個人的には、いい年こいたJKはもう少し幅のある声を出しても良いと思うんだけどなぁ……。
「小岩井はあうが好きなの? それともKDDIに何かしら思うところがあるとか?」
「あう?」
 暗くてよくわかんないんだけど、首をかしげた小岩井は今だにジタバタしていてまともに歩きやしない。人に引っ張られてる分際で、少しはちゃんと歩けというのだ。
 やがてボクらは皆に追いつき、朝礼台に置いてある投票のハコを見てみたのだけれど、そこには「男」「女」とだけ、極めてわかりやすい表示がしてあって、ボクはちょっとだけ切ないものを感じたのだった。せめて、映画のタイトルくらいは併記してくれれば良かったと思うんだけどなぁ……。ただでさえルールが複雑で、あくまで脚本を作った方に投票しなければならないっていうのに。もし間違って映画の出来の良さで投票してしまうと、自分が選んだのと反対のチームを勝たせてしまうことになっちゃうのだ。(だからボクらは、女子チームが撮影した方の映画の評価が高ければ勝ちになるわけで、その辺のルールをよく分かっていない人は案外ボクらを勝たせる票を入れてくれるかも知れないわけだ)
 ボクらが朝礼台の前までやってきたとき、部長はまさに苦渋の決断だというようにこめかみにしわを寄せつつ、女子チームのハコに投票用紙を入れたのだった。
「どちらも大変ステキな映画でしたが、しかし私も女子の端くれですので……」
 あとは小岩井さんの熱演にきゅんときてしまいましたと、部長に小岩井に微笑んでいた。
「よぉ、お前ら敵同士だってのに仲がいいな!」
 ボクが投票用紙に手を伸ばそうとしたとき、朝礼台の上に居た副会長が妙にニヤニヤしながらボクらの方を見ていた。
「はぁ? 何のこと?」
 全く身に覚えがないというか、それとも文芸部の部員はだいたいいつも一塊で居るって事を言っているのかと、一瞬思っていたのだけれど、
「……一条君」
 小岩井が何か不満そうな声を上げながら、ボクの手を引っ張って来た。
「なに?」
 ボクが振り向いたとき、小岩井はボクの手を握っていて、それを目の前に突きだしたのだった。
「……いつまで握ってるの……」
 いやいやいやいや!! 何勝手に人の手を握ってるの小岩井さん! あんたがそんなことするから、副会長に勘違いされちゃったんだよ!
「いつまで握ってるって、そりゃ小岩井が勝手に握ってきたんでしょ!?」
「違うもん……。自分で私を引っ張ってきて、気づいてないの?」
 なんだと!? ボクが小岩井を引っ張ってきたあああああああああああああああああああああああ!!
 うっそでー!! なになに、ボクってやっぱり無意識に女の子の手ェ握っちゃうようなケーハクなチャラ男だったの!? どんだけだよ! 何回おんなじ事やってんだよ! いい加減演出が天丼だって言われちゃうよ!!
「い、いや、これは間違いなんだ! 若さ故の過ちだったんだ!! エライ人にはそれが分からないんだ……!」
 ボクが何か先程言った様な気のする言い訳を懸命にまくし上げている中、何か諦めたような顔をした小岩井はボクの手をきゅっと握り、
「一条君、早く投票しよ」
と言ってきた。
「あ、ああ……」
 小岩井が渡してきた投票用紙を受け取り、ボクはそこに2という点数を書き込んだ。……小岩井が手を離してくれないけど、これはもしかして大人しく女子チームに投票せよとの脅しなのだろうか?
 しかしボクはそんな稚拙な恫喝に屈することなく、自分の投票用紙を男と書かれたハコに入れた。けど、その後小岩井も何故か男子チームの投票箱に自分の投票用紙を入れたのだった。
「ちょっと! それは男子チームのなんだから、間違っちゃダメじゃん!」
「間違って無いもん。……私はずっと男の子達と映画を作ってきたから、男子チームに入れたの」
 うっわー、女子チームに対する裏切り行為が目のまで行われている〜〜 いいのかなぁそんな事して……。
「後で虐められるんじゃないの!? 裏切りと一緒じゃん……」
 ボクはあまりにも彼女の行く末が心配になったため、一応そんな事を言ってみたのだけれど、
「小岩井さんが投票したい方にすれば良いのですよ。私はそんな事で小岩井さんに対する評価を変えたりしません」
 何故か部長が言い返してきた。
 むぅ、部長の小岩井に対する評価とは!? なんか以前相談しに行ったときに、理屈っぽいとか言葉が通じないとか完成されてないとか、結構散々なことを言ってた気がするなぁ。もしかして、評価など元々低すぎてどうしようも無いから、これ以上数値が落ちる余白など無いって事なのかなぁ? やっぱり女子は色々と容赦が無いねぇ。みんなで楽しく遊びつつも、お互いは苛烈な評価をしあっているわけだよ……。
「一条君、もちろん私は小岩井さんのことが大好きですからね?」
 変な勘違いをしないようにと、部長はいつもの通り背筋が凍り付くような笑みを浮かべて念押ししてきたけど、これは一体どういうことだ??
「よーし、じゃあ投票も終わったみたいだから、これから得点の計算を行うぜー!! お前ら少しの間待ってろよ〜〜〜っ!!!」
 文芸部全員が投票し終わったのを確認すると、副会長はまたもや元気よく喚きながら朝礼台から飛び降りた(普通に階段使って降りれば良いのに……)。そして投票箱を二つ抱えて実行委員会のテントに持っていき、そこで二手に分かれていた委員会の人達に一つずつ手渡すと、その場で投票用紙に書かれた点数の合計を計算し始めたのだった。
 わざわざみんなに丸見えなところで開票作業をしているのは、不正行為をしていない事を証明する気遣いなのかねぇ?
 やがてすぐに結果は出し終わったようで(元々投票した数が少なかったからねぇ……)、結果が書かれたであろう紙をわざわざ封筒に入れると、それを持った副会長が再び朝礼台に上った。
 そして周りに視線を送り、恭しく封筒を開封すると、中身を取り出し表側を皆に見せながら
「TOKYO!」
 ……と宣った。
 もちろんその場に居た全員が、凍り付いたが如くしーんとしたのは言うまでも無い。
「済まん、想定外にスベった。……えー、勝ったのは女子チームだ! 得点は、女子が36点、男子が28点だった! 思いの外接戦だったようで、どちらの映画も完成度が高かったことが証明されたようだな! 是非とも今回だけとは言わずに、来年も頑張って貰いたい! 以上!!………おら、お前ら拍手はどーした! 今日にでも早坂がお前らの家にまで遊びに行くぞ〜〜〜!!」
 ウオアアアアアアアアッ…………!!!
 朝礼台の周りでは、割れんばかりの拍手と大歓声がその場を満たしたのだった。
 昼に部長は生徒会の名を出すと生徒を操りやすいとか何とか言ってたけど、生徒会の方が一枚上手と見える。てゆーか部長ってどんだけみんなの心を鷲掴みにしているんだろうか……。ある意味人気者だねぇ。
 でも、部長がいきなり家庭訪問したらどうなるんだろうね? 以前ボクは部長に対する恋愛的尺度で推し量るところの”ムリ!”との評価を出したわけだけど、それはあの口よりも手よりも足が速い、神速を旨とした突撃突貫重武装攻撃をとことん味わい尽くしたからこそであって、部長の脳味噌の大切なリミッターが完全にぶっ壊れていることを知らない父母の方々からしてみたら、黒髪ロングでソコソコ美人な、やたら礼儀正しいちっこい女の子が遊びに来たとしか見えないのだろう……。うわあ、これは絶対勘違いされるね! 遊びに来られたのが女子ならともかく、野郎なら出来すぎた彼女が遊びに来たとしか思われない! てゆーかあの部長と恋仲などと勘違いされるなど、むしろ同性のクラスメートと愛情を睦み合っているとカミングアウトした方がよっぽどマシかも知れないよ〜〜
「……。重ね重ね彼とは腹を割って話し合わなければならないことがあるようです」
 部長はこめかみに青筋を一本立てつつ、副会長を見やっている。いやいや、貴方の場合は腹を割って話し合うのではなく、頭をかち割って殺し合うの間違いでしょう……。到底話し合いなんてになんてならず、一方的な殺戮行為で始終すると思うがこれいかに!?
「ところで一条君、なにやら至らぬ私にご忠告頂ける事があるようですが、是非ともこの場で仰って頂けませんか?」
「いやあ!? ボクが部長に忠告なんてとてもじゃないけど怖くて出来ませんって!!」
「怖いって……」
 隣で小岩井が何か言ってるけど、取り急ぎ無視無視! てゆーかまたボクの思考がダダ漏れだったの? それとも無意識のうちに口に出しているとか! いい加減ボクは自分自身の情報漏洩に対して何かしらの対策を立てなければならないようだ……
「よーし! よぉ〜〜〜し! これで後夜祭でのプログラムも全て終了したわけだ!! 残り時間も少なくなってきたが、お前ら最後の最後まで楽しんでいってくれよな―――っ!!!」
 そんな副会長の言葉と共に、ボクら文芸部の男女チームが約半年に渡って争ってきた、部活の覇権を決める闘いは終わりを迎えたのだった。
 うあああああ〜〜〜、負けちゃった〜〜〜………。
 ボクは自分のおしりの処女とのお別れが近いことを如実に思い知らされ、速攻で泣きたくなった。
 今後は如何にして、女子チームからのBL実現命令が下されるのを先送りにし続けるのかが、ボクらに課された最重要課題であると言えよう。そんな人生で最大級に重いテーマを無理矢理背負わされたボクは、同じく悲壮感に押しつぶされているであろう親友達の顔を見やったのだけれど、何故か彼らは思いの外すっきりとした顔をしていた。
「ねぇ! 何でそんな青春映画の主人公みたいな気分爽快な顔をしているのさ! ボクら負けちゃったんだよ!? BLだよ!? 薔薇の漢ワールドだよ!?!?」
「いいんだって。俺たちはベストを尽くしてしっかり負けた。後悔も何もありゃしねー」
 だからBLは優樹に任せたとのみっちゃんに続き、
「自分たちの実力は120%出し切ったはずだ。それで負けたんだから、奇跡が起こっても勝てやしなかったさ」
 そしてBLは優樹に任せると、熊ちゃんもつれないことを言っている。
「うぅぅ、ボクだってヘタクソなりに頑張ったんだから。でもBLだけは嫌だよぅ……」
 親友二人は後悔はないみたいな事を言ってるけど、でもボクは後悔ばかりが募ってくるようだ。
「……一条君は頑張ったよー」
 ぽんぽんと、小岩井はボクの頭を撫でてきた。
「そんな事を言うなら、女子チームにBLだけは勘弁してやってくれって言って来てよー……」
「……別にいいけど。でもそんな事言わないと思うんだけど……?」
 小岩井は首を傾げているけど、それは全く認識が甘いってヤツなのだ。ボクにはよく分からないけど、山科さんと若木さんのBLに対する情熱は凄まじくハンパないんだよー!? ついこの間も、冬コミも壁際だった、味見じゃなかったって二人して抱き合って、大泣きしながらメチャクチャはしゃいでいたんだもん。……ところで味見じゃないって、同人誌の即売会って料理も振る舞ったりするのかね?
「では、我々はそろそろおいとましようかと思いますが……。男子の方々はまだ残っていかれますか?」
 山科さんが、腕時計を見ながら訪ねてきた。確かに時間は20時前。そろそろ門限が迫った女子も居るのだろう。
「いや? 俺もそろそろ帰ろうと思ってるが……お前らどーするよ?」
「俺も帰ろうかと思う」
「んじゃ、ボクも帰るよー」
 まぁこのまま後夜祭に残っていても、キャンプファイヤーが焼け落ちるのを見るだけだろうから、下手に後片付けの手伝いなぞを仰せつからないうちに、とっとと退散した方が良いのかも知れない。
「では、皆さんでこのまま帰りましょう」
 部長の言葉に各自適当な返事をしつつ、皆で連れ立ってそのまま校庭を後にしたのだった。
 ちなみにボクらは極めて健全な学生なので、途中で酒屋に行って呑み散らかすことなどせず、何のドラマもないまま各自家に帰っていった。もちろんボクは家の玄関をくぐるまで小岩井と一緒に歩いていたのだけれど、その時また小岩井がボクの手を握っていてびっくりしちゃったんだよねー
 果たしてあいつは、いつの間にボクの手を握ってきたのでしょうか? 人のこと散々死ぬほど嫌ってるくせに、変なの!


 翌日の放課後である。
 文化祭の後片付けも終わってしまったボクらは、特に何もすることが無いので文芸部の部室でのんびり時間を潰していた。ちなみに昨日まで男子チーム専用として使っていた空き教室は、生徒会によって立ち入り禁止を宣言されてしまった。曰く、お前ら負けたんだから大人しく女子チームに飼って貰え所詮お前らは犬畜生以下だ人間の価値もないゴミ屑に等しい一人前に部屋を使えると思うな思い上がりも甚だしい(若干誇張有り)とのことらしい。
「ま、そりゃそーだ」
 とは、我らがスーパーローアングルカメラマン……はもう終わっちゃったんだから、我らが副部長のみっちゃんの言葉である。なんというすがすがしさでしょう。今までボクらが散々突っ張ってきた実績など最早どうでもイイという趣である。それともみっちゃん、実はこの女子が居る部屋に戻って彼女らのおっぱいでも見たかったのだろうか!?
 確かに若木さんのゆさゆさ揺れるおっぱいは芸術だけど、でも決して手を出しちゃいけないよ!? あの至宝を揉んでいいのは、映画の撮影ですっころんだときのボクか、それとも将来の若木さんの彼氏だけなんだから。
 ボクがしばらくの間そんな哲学的思索にふけっていると、やがて部室に部長がやってきた。
「皆さん、今日は部会を開催したいと思います。急なお願いで大変申し訳ありませんが、机を会議用に並べ替えてくださいね」
 部屋に来たかと思えばいきなり憂鬱なことを言ってくれる……。間違いなく、その部会の議題はボクらへの処罰についてだよ!? 先程の生徒会の言葉じゃないけど、間違いなく今後は女子の命令には絶対服従だの、私が白と言えば国が黒と言っても絶対白と言えだの、人権が欲しければまずは犬から演じてみろだの、とっても酷いことを言われるのだ……。その苛烈極まる非人道ッぷりは、確実に保証すら出来る……!
 ボクはため息をつきながら、机をギコギコ動かしてロの字型に並べたのだった。
 やがて机を並べ終わった頃、残りの女子達がやってきた。みな部長に言われ、各の席に着く。
「今日はいきなりで申し訳ありませんが、部会を開催したいと思います。まだ先日までの疲れが取れていない中で皆さんにはご負担になるかも知れませんが、お許しください。では、部会を開催いたします。本日の部会の議題は、先日の映画の投票結果についてです」
 ほら来た来た。どうせ映画撮影で女子が勝ったんだから、お前ら男子はワシらの奴隷じゃゴルァーとか何とか、そういう事を言いたいんでしょ? いちいちそんな事言われなくても、もう十分分かってんだから! むしろわざわざボクらに言い聞かせることによって、もう一度勝利の余韻に浸りたいというのだろうか。つくづく鬱過ぎる演出だ……。そこまで部員のことを痛めつけて面白いとでも言うのかこの部長は……! やはり鬼だ、この部長はそんじょそこいらの地獄の鬼も逃げ出す鬼の中の鬼だよぉ……
 ボクの目からは何となく涙が溢れてきたけど、これはもはや男泣きってヤツだよね! 到底ボクがしょぼしょぼでチキンでヘタレだからってワケでは無いのだ……! ボクらは男として精一杯闘い、そして敗れた! その悔しさで滲み出る涙は、決して単にこれから自由に部屋を使えないとか、みっちゃんが下ネタ言ったらちゃんと女子達にフォローしなきゃいけないからめんどくさいとか、たまに女子達がじゃれててぱんつが見えちゃったりするのが自然に嬉しいとか、そういったチャチな物ではないのだ……!
「先日の後夜祭での投票についてですが、私は無効ではないかと思っています」
 ボクが涙をゴシゴシこすっていたら、いきなり部長が何か言い出したけど……向こう? 何か向こう側にあったっけ??
「……確かにそれがいいかも知れません。あのお調子者の副会長の殺人的脅迫……いえ、投票を変に急かしたことで投票行為自体に正確性が担保出来ていなかったと言えるでしょう」
「あとはー、やっぱ男子の映画の最後だよねー。まうがピアノ弾いてたの、あれは絶対あそこで流して良かったって思うけどー、でもやっぱルール違反だしねぇ? それで点がおかしくなったところもあると思うよー?」
「うん、私もどうせなら、もう一度別の形で決着を付けた方が良いと思うな……」
 女子チームは、いきなり口々にボクらをディスり始めた。酷い、もう一回決着を付け直そうとか、どんだけボクらを痛めつければ気が済むんだ………って?? あれ?
「あの、言ってる意味がよくわかんないんだけど??」
 そんなボクの言葉に、
「ですから一条君、後夜祭のときの投票は無しにして、文芸部で男女どちらがまとめ役になるのか、もう一度別の形で競い合いましょうと言っているわけです」
 部長は殺人的笑みを浮かべてそう言った。いや、別に部長からおかしな放射線が飛んできてるとかそういうのはもちろん無いんだけど……
「なんで!? あのときちゃんと女子が勝ったからやんなくていいんじゃ」
 ないの?という続きの言葉は、みっちゃんがボクの後ろ襟を思いっきり引っ張った事による窒息的事象で永遠に封じられてしまった。
「うごうぶをえあ??」
「黙れ優樹! ……おーけーおーけー! その勝負、是非とも受けてやろうじゃねーか! もちろんオレら男子チームとしては、全く問題無い、ノープロブレムだ、無問題(モーマンタイ)だ、むしろ迎え撃つくらいの気概がある! な、そうだろお前ら!!」
「ん。」
 みっちゃんのやかましい声に続けて、熊ちゃんはいつも通りの渋いうなずきだった。
「よし!! 男子チームは全員おっけーだ!」
 えーとあのー、ボクの意見は全く無視ですか?
「ありがとうございます。……小岩井さんはどうでしょうか?」
 そういえば、小岩井はここに来てからまだ何も喋ってなかったなぁ。自然と部室に居た全員の視線が、小岩井に集まる。
「……私のせいで男子に迷惑が家掛かったと思うので、それで良いです」
 なんだかぶすっとした顔で、小岩井はそんなワケの分からない事を言い出した。
「おいおいチビッコよ、俺たちはちっともメーワクだとか思ってねーぜ?」
「その通りだ。小岩井がしっかり演技してくれたおかげで、あの映画は完成したような物だからな」
 むしろ俺たちがお前に迷惑掛けっぱなしだったと、熊ちゃんは軽く頭を下げた。
「……いいです、私もいっぱい迷惑掛けたと思うし、お礼を言われるほど上手な演技が出来たとも思ってないし……」
「んなこたぁねーよ。後はアレだな、あのピアノのBGMな! ありゃあ本気で上手かったぜ! あの曲のおかげでどんだけ演出が救われたかな! 正直、オレらじゃぜってー到達出来ねー境地だったな」
 ぶっちゃけ自分ん家でヘッドホンで聴いてて何度泣いたかと、みっちゃんはウンウンうなずきながら一人で悦に入っている。
「そんなおべっかもいいです……。どうせそんなに上手くないもん」
「小岩井さん、人の評価は真摯に受けるべきです。例えそれが批判であろうと、褒めてくれていてもです。……人に良い評価を貰ってそれを素直に喜べないのは、心の貧しい人のすることです。私は小岩井さんはそうでないと断言できますが、それも否定しますか?」
「あうぅ……」
「ここに居るのは皆貴方のお友達です。貴方に害を及ぼす人間と、貴方を大切に思う人間の言葉を聞き分けることくらい、小岩井さんはもちろん出来ますよね?」
「あうぅ………その、ごめんなさい……。あの……鐘持君も、その、ありがとうございました。……私、あの曲自分家で弾いてみてとっても好きだったから、一生懸命演奏して……それで、さっき上手って言って貰って、とっても嬉しかった」
「おうよ! オレの言うことは全てに渡って正しい! おべっかでも何でもねーぜ、小岩井はピアノが上手だ。オレが認めてやる!」
「うん、ありがとう……」
 小岩井は目をゴシゴシこすりながら、みっちゃんに頭を下げた。おおう、これがもしかしてツンデレがデレたってヤツだろうか!? 小岩井がデレた! ついに小岩井がみっちゃんにデレたよ……!!
 さて、友人同士が仲良くなるのはとても良い事のはずなのに、なぜだかボクの胃がやたらとキリキリ痛み出し、しかも極度の悪寒と絶望感に襲われたのは何でだろうなぁ? 目の前もなんだか真っ暗になっていくようだし。
 うーむ、考慮の一つとして考えてみるに、小岩井がこっちに来てから好きになった男って、実はみっちゃんの事だったのだろうか? これが安い恋愛マンガなら、主人公がそんな勘違いをして一旦ボクらの親友関係にひびが入るようなドラマがあるのだろうけど……。しかしみっちゃんと小岩井がね〜〜。
 うん、多分無い! だってあの二人、大概会えば会ったで大喧嘩してたし、それに万が一小岩井がツンデレだったとしても、みっちゃん相手にデレの片鱗を見せた事も無いし。……うん、とりあえずこの事案は完全否定しておこう。なんかその方が、ボク自身も気分も大分良くなる気がするからね〜〜。
「文芸部全員の了解も得られたことですし、先日の投票は無効であるといたします。
 ……さて、そうなると今後どうやってまとめ役を決めるかということなんですが、多分今日無理矢理決めてもあまり良い案も出ないと思います、なので、ちょっとだけ時間を掛けて決めていきたいと思うのですがいかがでしょうか? 映画の疲れも残っているでしょうし、しばらくの間はまた元のように思い思いの活動を行い、次回の部会の時に皆さんのアイデアを伺いたいと思います。何か、ご意見のある方はいらっしゃいますか?」
 そんな部長の問いかけに、そこに居る全員は首を横に振った。
「了解いたしました。それでは、次回の部会までに何か楽しいアイデアを考えてみてくださいね。それでは、本日の部会を終了したいと思います。皆さん、ありがとうございました」

 その後ボクらは適当に机を元あった場所にしまうと、今日の部活は流れでそのままお開きになってしまった。
 ボクはこのまま校内に残っていてもすることは何も無いため、みっちゃんたちとさっさと家に帰ろうとしたのだけれど……
「……あの、ちょっとだけ時間を貰いたいんだけど」
 等と、小岩井が家に帰ろうとしていたボクの裾を引っ張っていきなり拉致してきやがった。
「お、逢い引きか? 邪魔しちゃわりーやオレらはさっさと消えてやるぜ!」
「ん。」
 気が利き過ぎているんだかそれとも勘違いし過ぎているんだか、おかしな気のまわし方をした友人達はいつぞやの小岩井が癇癪起こしたときのように、ボクを置いてさっさと行ってしまった。
 おーい、またもやこんな機嫌悪そうな瞬間湯沸かし器を、ボク一人に押しつけていかれるんですかー
 そんなボクの心からの悲鳴は当然彼らに届くことは無く、ニヤニヤ顔の親友達は手をひらひらさせながら本当に帰って行ってしまった。ボクは置いていかれたショックにボーゼンとしながら、彼らが見えなくなるまでその背中を見送った。
 なんてコトだ、もしかして虐められているのって実はボクだったんじゃないのか!? 家が近いからってだけで、こんな壊れてすぐに火が噴き出す瞬間湯沸かし器で癇癪持ちのお世話をさせられるなんて……。
 酷いよ、あんまりだよ! こんなの絶対おかしいよ!!
 そんなまどかと同じ位の悲壮感を漂わせてみたけど、もちろん誰も慰めてくれるはずも無く、QBがボクのことを魔法少女に誘ってくれるわけでも無いので、とりあえずボクは現実を直視することとした。具体的に言うと、ボクを捕まえているちっこい女の要件を問いただすということだ。
「……で、なに?」
 ボクがそう言って後ろを振り向くと、小岩井はぶすっとした顔で裾を掴んだままだった。絶対にボクを逃がさないという、鉄の意志すら感じるシチュエーションだ……。
「……えと、あの、さっき部長に怒られたから……。あの、私たちの映画のスタッフロールのシーン、あのおかげで、今日、私、誰にも何も言われなかったし……」
「はぁ?」
「だから……! その、あのシーンのおかげで、私もう虐められたりしてないから、心配しなくていいって言うか……!」
 なんか瞬間湯沸かし器がまた沸騰してきたぞー? めんどくさいなぁ、さっさと火が消えないかなぁ……。ボクはとりあえず、よくわかんないけど声を荒げる小岩井を適当になだめるべく、まぁまぁといった感じでおざなりな返事を試みることにした。
「ええと……まあそれはそれで良かったんじゃないのー? てゆーか、元々小岩井は何もしてないんだし、周りの連中が勝手に勘違いしていたのが、それが間違いだったって分かっただけだしー」
「あう〜……でも、そのおかげであなたたち負けちゃったじゃない……なんか、もう一度決めるとか言ってたけど、でも、あのシーンを入れなければ、きっと男子チームは勝っていたと思うし……! そしたら、きっとやり直しとかなかったでしょ!?」
「んなこと今更どうでもイイって! だいたい、小岩井が虐められたままとか、マジで勘弁してくれってヤツだよ。そんなんでボクら勝っても、多分ちっとも嬉しくなかったし。だからアレでいいの! お前が虐められてるのとか、絶対ヤダし!」
「……何でそんなに気を遣ってくれるのよ……。本当に意味がわかんない……! 私、こんなに性格悪くて、人に八つ当たりばかりしてて、怪我だってさせちゃったことあるのに、人に優しくして貰う資格なんて、そもそも無いんだから……!」
 ボクの顔を見て、ほとんど叫ぶ勢いでそうまくし立てる小岩井の目からは、また大粒の涙がたくさんこぼれていた。
 ボクはその涙を見て、いつも通りにイライラが募ってくる。
「だーかーらー! 小岩井はそんなんじゃ無いって! さっき部長も言ってたじゃん! ボクらの言うこと信じられなきゃ、小岩井は一体誰のことを信じるの!? ボクらのことを信じられないんじゃ、ボクらどうすりゃいいのさ!!」
「あうぅ〜〜……だから、その、貴方のことを信じないとかじゃなくて……! 一条君は、私がどんな人間か知らないから、そんな事を言うのよ! 私の事、どれだけ知ってるって言うの!?」
 あーもー!! なんなのさこいつ! ボクが小岩井の事どんだけ知ってるかって!? お前がこの学校に来てからあれほどしょっちゅう一緒に居て、お互い裸も見ちゃって、今更全然知らないとか無いだろうがよ!
「ピアノを一生懸命やってて、演奏がメチャクチャ上手で、何事も一生懸命で、とにかく真面目で融通が利かなくて、ツンデレツインテ頭で、すぐにビービー泣いてボクの服を鼻水だらけにして、癇癪持ちのくせに、笑顔がとっても可愛いって事は十分知ってるさっ」
「何よ、そんなの私の一部分でしか無いもん! それに一条君は私のこと良く可愛いって言ってくれるけど、そんな事言われる資格なんて無いって何度も言ってるじゃない! あの不良の人も言ってたでしょ!? 私、前の学校で人に怪我させたんだから! それでいっぱいいろんな人に迷惑掛けたし! 私なんて疫病神なんだから!!」
「そんな事は無いって!! だいたい本気でお前のこと疫病神だとか思ってんなら、一緒に映画なんて撮影しないよー! だからボクのこと信じろって何度言わすんだこのバカチン! 自分のこと疫病神だなんて言うんじゃねー!!」
 ボクは今まで何度、感情の赴くままに小岩井を怒鳴りつけているんだろうか。自分自身のこいつの嫌い度も、ここまでくればいい加減上限だと思うのだけれどなぁ? ボクのイライラは、とどまること無くどんどんヒートアップしていく。
「どうせ私はバカチンだもん! 疫病神だもん!! それにこのままじゃ私、この学校でも人を怪我させちゃったりするのよ! 今みたいに感情ばっかりで、人に八つ当たりして!」
 八つ当たりで人を怪我させるだ!? そんなモン、あの部長がみっちゃんをボコボコにしている凄惨な殺人現場を見てから言えってんだ! まったくモノと限度を知らんヤツはこれだから困る! それともこいつ、自分自身のこと力持ちとでも思っているのだろうか?
「てゆーかさー! お前なんかに殴られたり体当たりされても、大の男がどうこうなんてなりゃしないよー!! ちっこいくせに、ボクのこと怪我するくらい殴れるのかよ!! そんな力あるのかよ! さあやってみろよ小岩井! 怪我させられるなら、ボクのこと殴ってみろよ!!」
「そんな事出来るわけ無いでしょ!! もう嫌なの! そういう事したくないの!!」
「だったら何で人のこと怪我させるとか言ってんだこのバカチン! お前、前の学校で何やらかしてきたんだよ、全部説明してみろ!」
「そんな事、聞いてどうするのよ!」
「ボクが判断してやるよ! 小岩井が人を怪我させたのか、それともそれが事故だったのかを! さあ、全部説明してみてよ、何があったとしても、全部受け止めてやるから! 何があっても、絶対お前のこと否定したりしないから!!」
「あうぅぅ〜〜!!」
 小岩井は顔を真っ赤にして歯を食いしばりながら、自分の手をきゅっと握った。しかしやがてその力は抜けていき、大きなため息をついた彼女は、ボソボソと前の学校であった出来事を話し始めたのだった。

「私……前も言ったと思うけど……前の学校で好きな人が居たの。……向こうから告白されて、嬉しくて……私みたいな魅力も何も無い子でも、好きになってくれる人が居るんだって、すっごく嬉しくて……。その人のこと、それまであまり知らなかったけど、でも、これから知っていけばいいのかなって、そう思うだけで嬉しかった……。
 ……それからしばらくの間は、たまにデートしたり、お食事したりして、えと、多分普通の高校生らしいおつきあいしてたんだけど、そのうち彼がおしりとか、胸とか触ってくるようになってきて……でも、そういうのって男の子は興味あることも知ってたし、私も、別に嫌じゃ無かったし……でもなんかその時は、向こうも冗談半分って言うのか、何かからかって触ってくる感じで……私は、何かそういうじゃれ合ってる雰囲気も嫌じゃなかったから、その、触ってきたら軽く突き飛ばしたりして……遊んでた」
 時折鼻をすんすん言わせながら紡ぐ小岩井の恋の物語は、まぁこう言っちゃ何だけど良くある若者の恋愛話だ。
 さて、これがなぜ故暴力事件なんかになるんだ? ボクはうんうん相槌を打ちつつ、話の続きを促した。
「……でも、ある日突然、お前のことは遊びだったって言われて……私、それでショックで……それで、どうしてって問い詰めた時に、あの人のこと、勢いで突き飛ばして……それで倒れた時に、頭を机の角にぶつけて……。その時は大丈夫だって思ってたのに、後から入院して……」
 ……その辺の話は、確かに以前担任に聞いたのと同じだけど……こいつが男を突き飛ばしたって、よっぽどおかしな重心のかけ方しないと、よろけることすら無いと思うんだけどなぁ??
「……それで、後は、この学校であの不良の人が階段から落ちた後と一緒で……でも、その時は実際に私が悪いんだし、それで責任取れって話になって……色々あって……この学校に来たの」
 いろいろっていうのは、結局告訴がどうしたとか、そんな事なんだろうねぇ。けど、今だけの話じゃ、こいつのトラウマっていうか、どうして大の男がよろけてぶっ倒れるまで怒る狂ったのか、よくわかんない。……果たしてこういう場合、詳しく聞いていいもんなんだろうか? 普通だったら、多分人としてってレベルだろうけど、聞いちゃいけないと思うんだけど、でもボクはここでちゃんとこいつの嫌なこととか思ってることとか聞いておかないと、絶対今までと同じような失敗を繰り返すと思うのだ。
 ま、どうせボクはもうこれ以上どうにもならないほど嫌われているのだろうし? ここで一発嫌われ役を買って出るってのは良いことなのかも知れないよねー。小岩井には存分にボクのことを嫌って貰い、そしてその後はこの学校で健やかな日々を送って貰うのさ。
 うん、なんかとっっっても心がささくれ立って泣き出したい気がしてくるけど、これもまた誰もが羨む男の子としての与えられた役目ってヤツだよね! 他のヤツが新たに嫌われるよりかは、被害はボクで抑えられたらそれでイイのさっ
 ボクがいくらそう自分自身を納得させようともちっとも絶望感は無くならないけど、しかしここでヘタレていてはボクは勇気の無いただの男の子だ! そんな物は男では無い!! ボクの名前の通り、勇気を持たなければならないのだ……!
「あの、この際だからいろいろ聞いちゃうけど……てゆーかきっとボクのこときっちり3回は殺したくなるくらいに嫌いになるのは間違いないけどそれでも聞くけどさ……」
「……?」
「その、ボクどうしてもお前が人を突き飛ばして怪我させたってのが信じられなくて。いや、事実として、そいつが病院に入院したのは知ってるから、お前の言ってる事自体が信じられないってワケじゃ無いんだけど……」
「……どうして一条君が知ってるの?」
「もうはっきり言うけど、ボクのクラスの担任に聞いた。けど、絶対興味本位とか、お前のことからかおうって事じゃ無いから」
「……………。やめてよ、どうしてそういう事をするのよ……」
 小岩井の非難じみた鋭い視線が、まるでボクのことを射貫くようだ。もちろん、人の過去を勝手にほじくったボクは、そういう視線を向けられることを受け入れなければならないのだ
「小岩井は、ボクらが全く意図しないところで怒るから、その原因が知りたかった。だってボクはお前のこと、もう絶対に傷つけたくなかったから。だからボクらの悪いところを見つける為に、担任のところに行って、小岩井がどういうことで辛い思いをしてきたのかを聞いた」
「……どうせ私が前の学校で暴力起こしたとか、そんなこと聞いたんでしょ? だったら分かったでしょ、私がそういう人間なんだって! 私だって分かってるのよ、怒りっぽくて、感情が自分でどうにもならなくて、手だって出しちゃう! そういうのいけないって分かってるのに、どうしようものないのはどうしようも無いのよー!!」
 小岩井は、その大きな目からこぼれ出る涙を一生懸命振り落としているけど、それは全然追いついていなかった。やがて彼女の口から嗚咽が漏れ出し、もう涙を払うことすらせず顔を押さえて泣き出したのだった。
 ボクはこいつを、一体何回泣かせたら気が済むんだろう? どうしようも無いのはむしろボクの方だよ……
 校舎の片隅で泣いたままの小岩井を、そのまま放っておくことなど決して出来ないボクは、また相手の気持ちなど考える事無く彼女をぎゅっと抱きしめた。
「触んないでよばかー!!」
 小岩井はボクの背中に手を回すと、いつも通りの華奢な力でボクの背中をポコポコ殴ってくる。
「ボクはお前のこと十分分かってるから。小岩井は人を怪我させるようなヤツじゃ無いって、絶対分かってるから……」
 うわああと泣き叫ぶ小岩井の頭を、ボクはなるべく優しくなで続けていた。

- Another View (God's Eye)-

 時は春先まで遡る。
 小岩井が優樹達の二校へ転校してくる前、彼女の通っていた私立学校での出来事である。
 まもなく春休みを迎えようとしていた、放課後の1年生の教室。そこに男子生徒が3人居残り、たわいも無い話で盛り上がっていた。
「……で、おめーの調子はどーなんだよ」
 机の上に座っている長髪の男子生徒が、部活動の外練習で焼けた肌を持つ短髪のクラスメートに話題を振った。
「チョーシって何のだよ」
「オメーんとこのマネージャーもう食っちまったかってこったよ、オレはまだまだじっくり責めてるけどよー」
 ちなみに短髪の生徒は野球部所属のレギュラーであり、見た目の良さも手伝い女子生徒の中での人気は結構高い方だ。
「あー、あいつなら簡単に落とせたぜ? つーかもうオレがやったときにはバージンじゃ無かったけどな」
「ははっ、じゃあ点数には入れられねーな」
 そう笑う長髪の生徒は、若干線の細さと甘いマスク、そして親が近隣では有名な資産家という立場もあって、こちらも女子からの人気が高く、しかもあからさまな取り巻きが何人も付きまとっているという立場であった。
 彼らは現在、学内でナンパした処女を抱いた数で競い合っているのだ。先に10人の処女を奪った方が勝ちであるが、何かインセンティブがあったり賞品が出るという物ではない。男としての自慢と、それに至る過程がとても楽しい為で、勝ち負けの結果などこの際どうでもいいことだと、彼らは考えているのだ。
 次のターゲットを犯す想像でもしてニヤニヤと笑いあう二人に、頭髪を金髪に染めた生徒が口を挟む。
「ったく、おめーら大概くだらねー事で張り合ってンのな!」
「るせーよ、おめーみたいにクラスの女子半分食うとか、俺たちケダモノじゃねーから!」
 それに一気に3人食いとかしねーしと、長髪の生徒が毒づくも、
「ドーテー無勢が喚きやがる うらやましいだけだろうがよ!」
 金髪の生徒は歯を剥き出しにして笑っていた。彼もまた、いわゆるイケメンに分類されるタイプであった。髪の毛の色からわかる様にヤンキーを演じており、おとなしめの女子が多いこの学校ではその風貌と威圧的な態度、そして言葉の節々にさりげないターゲットに対する依存心をを織り交ぜ、女子が持つ母性本能を上手く擽ることによって相手に恋心を抱かせてしまうスキルが高かった。彼は先の二人の処女争奪戦には加わっていないものの、さきほどの長髪の生徒の台詞通りに、既にクラスメート女子の半数以上と肉体関係を持っていた。学校全体では、優に50人を超えているだろうか。
「バーカ、ドーテーとか違ーし! ……隣のクラスに変なお嬢様キャラ居たじゃん、あいつヤったのオレだしー」
「つーかテメー、あの女手首切ったとかすっげー話題になってたじゃん! マジかよ、テメーが原因かよ、超引くわー!」
 レイプとかマジ無いわーと笑う短髪の生徒に、
「一、二回ヤったくらいでいちいち大騒ぎしやがってよ、これだから成金のお嬢キャラはクソうぜーよ」
 女扱いしてやっただけ感謝しろってんだ、キモキャラのクセしやがってふざけんじゃねーと愚痴る長髪の生徒に、
「さっすが、代々のお金持ちは違いますな!」
 ぱちぱちと手を叩いて、短髪の生徒が冷やかしている。
「親なんてカンケーねーよ、つーか金なんて使うときに目一杯使ってナンボってもんだろうがよ」
「ひゃはは、なんだ、おめーあのキモ女黙らすのに金積んだんか?」
 そんな金髪の生徒の問いかけに、
「たりめーだろーがよ、ケーサツに訴えるとか言ってんだぜ!? 信じらんねーよ、いちいち親が出てくるなっつーんだよ!」
 クソがマジムカツクと、長髪の生徒は近くにあった椅子を蹴りつけ憤っている。
 彼の言うとおり、彼が抱いた女子生徒は警察に被害届を出しており、場合によっては訴訟もちらつかされていたのだ。もちろん彼の親は若干の金とそれ以上の”行為”を相手に与えることで女子生徒の家庭を崩壊させ、彼らの口を合理的かつ合法的にふさがせたのだった。ちなみに件の女子生徒が手首を切ったのは、彼女の父親が自らの保険金目当てに自殺したのを全て自分の責任だと思い込んだことによる。
「ひゃはは! おめーだって親にケツ噴いて貰ってんじゃねーか、ったくうらやましい野郎だな! ヤリ放題じゃねーか」
 オレなんて後腐れが無いようにちゃんとゴム使ってやってんだぜ?と言う金髪の生徒に、
「ニンシンとかマジきめーし! つーかアフターピルってのがあんだろ? 勝手にテメーで飲めよなぁ?」
 人の手煩わせてんじゃねーやと、長髪の生徒はもう一度椅子を蹴飛ばした。
「なんだ? ニンシンしたから手首切ったってヤツ!?」
 盛り上がって参りましたと、短髪の生徒が身を乗り出してくる。そんな彼にウゼーと言いながら、長髪の生徒は続けた。
「つーかよー! ニンシンしたってんなら勝手に中絶でもすれば良いだろうがよー、ヤレ産みたいから責任とれだの一緒にビョーイン行ってくれだの、ワケわかんねーことほざきやがってよ! もう超ウゼーから、思いっきりあのクソ女の腹に蹴り入れてやったら、そのままぶっ倒れて泡噴きやがってよー」
「やっべーって! それ超やっべーって!!」
 妊娠した女の腹蹴るとか、超ウケるんですけどーと短髪の生徒はゲラゲラ笑って腹を抱えている。
「テメー、それからが最悪だったんだぜー? メンドーだからもう一発蹴り入れてそのまま捨ててったらよ、そのうち流産しただのガキが産めねー身体だのガチャガチャ言って来やがってよー、んな事オレが知ったことかってんだよな! そのまま勝手にくたばりゃよかったのによ! んでその後クソ女の親がしゃしゃり出てきやがったから、テキトーに因縁付けられたとか親に言って、黙らしたワケよ」
「っかー、やっぱ代々のお金持ちは違いますな! 俺んちなんて黙らす金なんて全くねーよ」
 ニンシンとかマジ気を付けようと、短髪の生徒は財布の中のコンドームの枚数を数え始めた。
「ンで、そんな下衆野郎の次の生け贄は、あのチビ女ってわけか?」
 前はお嬢で次がロリとか、どんだけゲテモン好きなんだよと笑う金髪の生徒に、
「生け贄っつーか、こいつとどっちが早く処女10人斬り出来るかって競争してんだろ? オレはあのチビで3人目だから、オメーはまだ2人だっただろ?」
「ぶっぶー! オレもう5人やっちまってるけど!」
「ウソつけ!」
 ざけんじゃねえと息巻く長髪の彼に、
「ちゃんとスマホで写真撮ってまーす!」
 そう言ってニコニコ笑う短髪の生徒はズボンのポケットからスマホを取り出すと、画面を操作して写真ビューアを起動し、いくつかの写真を表示させて2人に見せつけた。そこには、股間から血液と精液を溢れさせた女子生徒が、無理矢理足を広げられた格好で映されている。顔を手で押さえ、泣きじゃくっているようだ。
「うわ、グロ! おめーこんな血まみれにしやがって、いきなり突っ込んだんかよ?」
 そんで中出しキメてるとかマジ鬼畜だわーと口を押さえる長髪の生徒に、
「ギャーギャー喚くから、さっさとやっちまった方が良いんだって!」
 血で滑るからローション代わりで気持ちいいぜと、短髪の生徒はケラケラ笑う。
「ついでに動画も撮ったんだけどよ、見る?」
 短髪の生徒は周りの同意も確認せずに動画ビューアに切り替え、自らの性交のシーンを皆に見せた。男子生徒達がニヤニヤ笑いながら見るスマホのスピーカーからは、彼らのクラスメートである女子生徒が痛い痛いと泣き叫ぶ声がずっと鳴り続いていた。
「なんだコイツ、結構毛深いじゃん!」
 知り合いの裸と泣き叫ぶ声に興奮を隠しきれない長髪の生徒の言葉に対し、
「バージンだからって、アソコが綺麗ってワケでもねーんだよなー。コイツ乳首もアソコも真っ黒でよー、正直入れるのキモかったわー」
 短髪の生徒は、どうせならアソコも綺麗なのがいいよなと愚痴りつつ、動画を早送りして射精後の局部のアップで一時停止をした。
「まーなー、ますますテメーのホーケーチンコのピンクが目立つしなー」
「うっせーよ! そのうち黒くなるからいいんだよ!」
 皮だって剥けらぁと、短髪の生徒はスマホをポケットに戻す。
「じゃ、次はオメーも証拠写真撮ってこいや」
 あのロリじゃ突っ込めるかどうか知らねーけどな言う金髪の生徒に、
「裂けよーがぶっ壊れーがカンケーねーって! どーせ一発ヤったら捨てるしよ!」
 あんなクソ女、一発ヤっちまったら用なんかねーよと長髪の生徒は言う。
「テメーの短小チンコでいちいち裂けるかよ!」
「うるせーよ、ホーケーに言われたかねー!」
 3人の生徒は、それでどっと笑い出す。
「……ねぇ、それってどういうこと!?」
 その時、教室の中に、いきなり女子生徒の声が響いた。先程から彼らの暴言をじっと聞いていた、小岩井が発したものだ。ゲラゲラと笑っていた男子生徒の笑い声が、その瞬間ぴたっと止まる。
「……あー、まゆちゃん、どうかしたの?」
「ぷっ、いきなり態度変えやがって……」
 小声でクスクス笑う短髪の生徒を、長髪の生徒が軽く蹴飛ばした。
「……ねぇ、競争とか、証拠写真とか……どういうことなの!」
 小岩井は、長髪の生徒に向かって歩いてくる。
「修羅場来ました〜」
 ケラケラと笑いながら、短髪の生徒と金髪の生徒は机から立ち上がり、長髪の生徒の後ろに回った。彼らはこの状況で、あくまで傍観者を決め込むつもりなのだ。
「ねぇ……さっきまで言ってた事、どういうことなの……」
 意味がわかんないとつぶやく小岩井の目から、涙がこぼれる。
「あー……。いや、もういいわ。めんどくせーからもういいわ。じゃ、オメーもう帰っていいから」
 今まで笑顔を貼り付けていた長髪の生徒から、仮面が剥がれ落ちた。彼の態度がいきなり不機嫌なものに豹変する。
「帰っていいからって! ねぇ、私、遊ばれてたの!? 何かいけなかったことでもあるの!?」
 思ってもみない彼のいきなりな言葉に、しかし小岩井は彼らが自分を使い捨てのおもちゃくらいにしか思っていなかったことを無理矢理理解させられ、悔しさのあまりに長髪の男子を問い詰めていた。
「だーかーらー! もういいって言ってンだろ!? そーだよ、遊びなんだよ! だーれがテメーみたいなクソチビ相手にマジになるかってんだよ、分かったんならさっさと失せろ! ウゼーんだよ!!」
 一方、長髪の生徒も小岩井を騙せ仰せる状況でないことを認識し、自分の運の悪さに腹を立てて逆ギレしたのだった。
「何でそんなこと言うの……! 私の何がいけなかったの? 悪いところがあったらちゃんと……」
「黙れっつってんだろ! そもそもテメーに良いも悪いもあるかってんだよ!! 誰がテメーなんかにマジで好きだの何だの言うかよ! 一人で勝手にマジになってよ、いちいち真に受けてんじゃねーよブス! それともよ、テメーここでやらせろや! そしたらあと三日くれーは彼氏の真似事してやるってんだよ! おう! 早く自分で股開けやクソチビがよ!!」
「やめてよ……! 何でそんな酷い事言うのよ……!!」
「テメーのキーキー声聞いてるとマジむかつくんだよ! ちょっと褒めてやりゃあ勘違いしてカノジョ面やしやがって、いいからパンツ脱げや、ここでやってやるからよ! オメーらも手伝えや!」
「ひゃはは、証拠写真もいらねーってか?」
「どーせならオレにもヤラセろや」
 オレもロリマンに突っ込んでみてーと、二人はゲラゲラ笑っている。
「やめてよ……ねぇ、ホントにここでそんなことするつもりなの?」
 長髪の生徒が、足がすくんで動けなくなった小岩井の手を噛んでひねり上げる。
「やめて! 痛いよ……!」
「うるせーな、テメーみたいなクソチビなんてどーせこのまま一生処女なんだよ!! だからオレらが折角女にしてやるってんだよ!」
 ありがたく思えやクソチビと、長髪の生徒は小岩井の胸を力一杯掴んだ。
「いやああ!! やめてー!!」
 小岩井はもう片方の手を振り回し、彼の胸板を殴りつける。
「あぁん? ちっとも痛くねーよ! ガタガタ騒ぐんじゃねーよクソチビ!」
 彼は小岩井の腕を放すと、彼から逃げようとする小岩井を追いかけ、スカート掴んでそれをめくり上げる。
「見ろや、ガキ見てーなパンツ履きやがって!」
「やめてー! お願いだからやめてよー!!」
 泣きながら彼に拳を振り上げる小岩井の様子が面白かったのか、彼は余計にスカートを引っ張り小岩井をからかい始めた。
「ほーらほーら! 他のヤツにもロリマン見せてやろうぜー!!」
「だからもうやめてー!!」
 小岩井の拳が、彼の手を何度も殴る。しかしその力は大変弱く、彼の手をスカートからはたき落とすことには適わなかった。
「おいおい、暴力事件発生ー! センセー、小岩井さんがボクを殴りまーす!」
 そんな声と共に、長髪の生徒は小岩井の頭を激しく殴りつけた。
「あう! 痛いっ!」
「あはは、ばーか! クソチビのくせにオレに手ェ出すから罰が当たったんだよ! おらおら、悔しかったらもっと殴って見やがれ、クソチビ!」
「あうー! 手を離してー!!」
 ケラケラと笑いながら、ぶんぶん振り回す小岩井の拳を右に左に上体を捻りながら避けていた彼であるが、机が並ぶ狭い通路に居たため、机を避けるつもりが誤って重心を崩してしまい、その場で足を滑らせて転んでしまった。
 おかげで小岩井のスカートから手が離れた物の、彼は転んだ瞬間に机の角に軽く頭をぶつけてしまった。
 そんな様子を見ていた二人の男子は、大声を上げて笑い出す。
「ばっかでー! 自分ですっ転んで頭打ってやんの!」
「だっせー野郎だぜ、さすが短小野郎は人の笑わせ方が違うな! 感動すら出来る!」
「うっせーよテメーら!! ったく、やってらんねーよ、何だよ、まだ用があんのかよクソチビ!! ぶっ殺されねー内に失せろっつってんだよ!!」
「うぅぅ……酷いよ……!」
 小岩井は泣きじゃくりながら、教室から走って出て行ってしまった。
「ったくクソが、死ね!! ……あーあ、次誰にすりゃあ良いんだよ……クラスで残ってんのは誰かさんが食い残したブスしか残ってねーからなぁ……」
 長髪の生徒は、机にぶつけた頭をさすりながら、さっそく次のターゲットに意識を向けたようだ。
「じゃあ、次は上級生行っちゃう?」
 2年じゃバージン少ねーかなーとつぶやく短髪の生徒に、
「いや、案外居るもんだぜ!? まぁやっちまったもん勝ちだかんな、オメーらせいぜいオレの後に突っ込むんだな!」
 金髪の生徒は、他の二人がにらみつけるのも構わず、大声で笑っていた。

- Another View End -

「……だから、怒った私が彼のことを追いかけて……そして思いっきり殴ったら彼が倒れちゃって、それで、机の角に強く頭をぶつけちゃって……私、気が動転してたから、そのまま教室から逃げちゃって……」
 怪我しなかったかとかちゃんと確認しなきゃいけなかったのにと、小岩井は鼻をすんすん言わせながら、前の学校の生徒を怪我させたときの様子を聞かせてくれた。
 ボクが小岩井に一方的なレイプ的抱擁をして、怒り狂った彼女の嗚咽がようやく静まった頃。ボクは小岩井の説明を聞いても色々と納得行かない物だから、嫌がらせは承知の上で先のことを詳しく問いただしたのだった。
「つまり、小岩井はそいつのことを追い回して目一杯殴りつけたと?」
「うん……多分そうだと思う……」
「多分ねぇ……ちゃんと覚えてないの?」
「あう〜……だって、遊びだったとか、本気じゃ無かったとか、いきなりそんな事言われて……そのショックで、実はその時のことよく覚えていなくて……」
 良く覚えてないとか抜かすくせに、怪我させたとかはちゃんと覚えているんだよねー……。
「……ボクは小岩井の言うことを信用していないわけじゃ無いって事を、前もってしっかり言っておくけどさ……そもそもお前が男のこと追い回すとか、全然信じらんないだけど……。で、これが一番大切なことだけどさ、はっきり言ってお前に殴られたところで、ボクちっとも痛くないし」
「……そんなの全然関係無いもん!! あのときは……きっと、本当にショックだったから、火事場の馬鹿力っていうので、その、とっても強い力が出たって言うか……!」
「ボクはそれに近い状況で何回もお前に殴られたけどー。それでも全然痛くなかったしー」
 何度も抱きついたり、おしり抓って殴られたけど、それでもちっとも痛くなかったしーと続けた。
「……! そ、それとこれとは違うもん!」
 あくまでボクの言うことを、全く信用しないまうっちだった。こいつ、そんなの自分の立場が悪くなるのが好きなのか? それともこんなタッパのくせに、実は自分は力持ち!とか、今更そんな誇大妄想を抱いているんだろうか??
 ボクは、小岩井は多分色々な所を勘違いしているんだと思っていた。もちろん確証などあるわけは無く、第六感とか、ゴーストが囁いたってやつだけどね。
 だいたいさぁ、こんな非力なチビッコが怒り狂って火事場のクソ力を出したところで、いい年こいたお年頃の男の子がよろけてぶっ倒れるのはどう考えてもおかしいんだよねー。もちろん相手の体勢が崩れていたところに、思いっきりダッシュをキメて突き飛ばしたら、さすがにそのままぶっ倒れるだろうけどさ、案外そんな偶然的な事象がいくつも重なっただけだと思うんだよなぁ? そんなの、殴ったら倒れたとかと全然違うし! むしろ相手がよろけてたのが悪いんじゃんってヤツだよ。実際には何があったかわかんないけど、とりあえず小岩井が全部悪いってワケじゃ無いんだって事くらいは、しっかり分からせてあげたいよね!
 そして、ここが一番の問題なワケなんだけど……。この分からず屋で頑固者でツインテ頭のバカチンをちゃんと納得させてやるには、一体どうしたら良いんだろうねー……。
 ボクはしばらく考えて、ティンと来た。
 どうせボク、コイツに極限まで嫌われてるんだし、今コイツにちょっかい出してぶち切れるくらいに怒らしちゃっても、もう全然問題無いんだよねー。いい加減分からず屋の頑固さ加減にイライラが募っていたボクは、今までの憂さ晴らしも込めて、一発過激な実証実験をすることにしたのだった。
 まぁその結果、この女とは知り合いという関係すら完全にぶっ壊れちゃうだろうけど、でもそれでコイツが捕らわれる必要も無い下らない過去に縛り付けられているのから解放されるのならば、それはきっとボクにとっても良い事なのだろう……。
 ボクはちょっとだけ心に悲しい物が渦巻くも、それを頑張って振り切って、先程思いついた作戦を実行に移したのだった。さようなら、可愛かった小岩井の笑顔。
「……ところでさ、前の男に遊ばれちゃったチビッコのまうちゃんは、その頃から一体どれくらいおっぱいが大きくなったんだろうねー」
 さすがに小学生よりかは大きいよねーと言いながら、ボクは自分の目の前に立っていて、そしてボクのいきなりの言葉に目をぱちくりしている小岩井のおっぱいを、服の上から両手で押したのだった。
 ふにゅりと、それなりの心地よい感覚がボクの手のひらに伝わってくる。
「あうぅ!?」
 そんなボクの突然の凶行に、小岩井は瞬間的にフリーズした。そしてあううううとか言いながら、カクカク震える顔でボク顔をちらっと見やった。
「あ、あの、どうしたの………」
 そんな彼女の震える言葉に、ボクは無言のまま、小岩井のおっぱいをモミモミ揉んでやったのだ。
「あうっ!? あっ、あっ、あぁっ、あうぅぅ〜〜〜!!!!!?」
「うっわー、ちっせぇ〜〜! これじゃあやっぱり遊ばれちゃうよねー!」
 ふにふに
 もちろん、最後の捨て台詞はとっても重要だからね〜。ちなみに本当は、服の上からでもソコソコ揉みごたえのあるとっても素晴らしいおっぱいだったんだけどさ……まぁ若木さんの爆裂メガ盛りおっぱいに比べたら小さいのは間違いないけど。
「なっ、なっ、なにをするの―――――――――――っ!!!!!」
 そうやってひとしきり喚いた小岩井は、手を振り上げてボクの胸板をポコポコ殴ってきた。
 よしよし、上手く乗ってきたぞ。
 もちろんボクは、小岩井の手を避けようともせずに、彼女の好きなだけ殴らせておく。当たり前だけど、彼女の拳はちっとも痛くは無い。重心が崩れることなどもってのほかというレベルである(いや、やっぱりちょっとはやせ我慢入ってるけど、でもここでその我慢すら出来ないようなら、ボクはお年頃の男の子を名乗る資格なんてありはしないのだ!)。さっと小岩井の胸から手をどけたボクは、わざーっと胸を張って、ほれほれとばかりに殴らせてやった。
「ばかあー!!! なんでいきなり触ったりするのよーっ!!」
 いやぁ、小岩井さんは本気で怒り狂っておられる様子。
 ボクはまるで般若の如き形相でボクに突っかかってくる小岩井のおでこに手を当てると、腕を前の方に伸ばしてボクから少し引き離してやった。それだけで、全体的にショートサイズの小岩井の手はボクの身体に触れることなど無く、両手をジタバタ振り回すだけになっていた。
 いや、この絵ずらはこれはこれでかなり面白いんだけど……でもこれ以上やると、なんだか本当に虐めてるみたいになるからなぁ……
「ねーねー小岩井さー、今ボクのこと本気で殴ってるー? それと火事場のクソ力はちゃんと出てるー?」
「うるさいばかー!! もう信じらんないんだからーっ!!!」
「お前のちっぱい揉んでやったのは真実だから、さっさと信じろってー。それはそうと、ボク、さっきから全然痛くもかゆくも無いし、それにちっとも足動かしてないんだけど?」
「意味がわかんない!! だからなんだって言うのよーっ!!」
 キーっと、まるで撲殺天使ドクロちゃん(アニメ版)が癇癪を出した様な耳に突き刺さる声を上げて、小岩井は飽きもせずに手をばたつかせる。
「だーかーらー。大の男は、お前なんかに突っかかられてもビクともしないんだって! ちゃんと聞いてくれるかどうかわかんないけど一応言っておくとさー……」
 小岩井は、収まること無くキーキー文句を言いながら、両手をジタバタさせ続ける。
「あのさー、ボクの体格ってクラスの男子の中でもかなりショボい部類に入るっていうか、みっちゃんとかと比べると、すっげーヒョロヒョロに見えるのよ。ちなみに熊ちゃんは見た目の通り大柄でガタイはごついし、みっちゃんはああ見えても実はおなかの筋肉が割れてたりするんだぜー?」
 だからなんなのよー!!とか喚く小岩井に、ボクは彼女のおでこを押しながら続けた。
「それに比べてボクは全然運動とかしてないからちっとも筋肉とか付いて無いし、体重も軽い方でさー……。つまり、こんなボクがよろけもしないのに、他の男がお前に押されてよろけるかって言ってんだよこの分からず屋!!」
 ボクは小岩井のおでこから手をどかすと、そのまま彼女の脇の下に手を突っ込み、そのまま彼女の身体を持ち上げながらぐるぐる振り回してやったのだ。ちょうど、お父さんが赤ちゃんを抱き上げてあやすような感じで。
「ひゃあああああううう!? なにするのよー!! いやあああ! やめて〜〜〜っ!!」
「だからさー! こんなショボい体格ボクに軽々もてあそばれるチビッコが、どうして大の男をすっころばせるのか、良く考えてみろってんだよー!」
 ボクはそう言うと、小岩井をすとんと地面におろしてやった。
「あうっ あうっ あうぅ……!」
 顔を真っ赤にした小岩井は、目が回ったのかフラフラよろけつつ、自分の胸を抱きながらボクを睨みつけている。
「それとも、お前の前の彼氏って、ボクよりよっぽど華奢なカラダしてたの?」
 そりゃもうほとんど病人だよと続けるボクに、
「あうぅ〜〜……そ、それは……そんな事無いけど……」
 鐘持君みたいにがっちりしてたと、小岩井は下を見ながらつぶやいた。
「物理の問題。ボクよりも質量がある前の彼を、ボクを動かせない小岩井がどうやって動かすのさ? 場所だってここと同じ学校の中だったんでしょ? 摩擦とかほとんど同じじゃ無いの?」
「それは……! そうだけど……」
「そりゃあ小岩井が殴ったのが引き金になったのかも知れないけどさー、多分そいつ自分で転んだんだと思うよー? それはお前の責任じゃ無いって。自業自得だって!」
 だいたい女の子相手に酷いことを言うから、普通に罰があったんだろうとボクは言ってやった。
「なっ、なによ! だったら、その、人の胸! その、勝手に触った、貴方にだって罰が当たるんだから!!」
 もちろんそんなこと、言われるまでも無く織り込み済みだっての。
「まぁねぇ、そのうち何か当たるだろうねー。でもそれはそれで良いんじゃないのー? ボクに罰が当たっても、小岩井が少しでも楽になれればボクはそれで良いんだからさー」
 それが嫌われ者のプライドってヤツですよ! どうせ元から壊滅的に仲が悪かったようなもんなんだから、お互いにとって不利益になるようなことなど何一つあるわけ無いしねー。だいたい罰が当たったとしても、それは小岩井のおっぱい揉んだ代わりなんだから、まぁ安いってもんでしょう。……さすがに命まで取られたら、それはちょっとどうかと思うけど……。
「なんでそんなこと言うのよ……。何で私にそこまでしてくれるのよ……」
 なんでよとつぶやく小岩井の顔から、怒りがすっと消えてゆく。
「何でって……前から言ってるじゃん。ボクが嫌だからって。だからのただのボクのワガママなの」
「だから、何で貴方が嫌なの……。普通は、他人にそこまでしないよ……。ねぇ、なんで一条君は、私にそこまでしてくれるの!?」
「だから何でもなにも、ボクは自分勝手なことをしているわけで……だから理由なんて無いんだってば!」
「おかしいよ!! 私、一条君は、その、とってもいい人だと思ってる! 他人の心配してくれて、いつも優しくしてくれて……! でも、やっぱりわかんないよ、どうしてそこまで私のこと助けてくれるの!? ねぇ、どうしてよ……」
「いや……だからさ……」
 あーもー! 何でコイツわかんないかなー!!
「だーかーらー、さっきっからボクのワガママだからって言ってんじゃん! それ以外に理由とか無いし! ボクが勝手にやってんだから、小岩井がどうこう思う必要なんてこれぽっちも無いんだから!」
「意味がわかんない……。ホントに意味がわかんないよ……」
 意味がわかんないって、そりゃよくよく考えてみれば、ボクだって全然意味が分からないさ! なんでコイツが辛い思いするのが嫌なのかって、そりゃだってそう思っちゃうんだから仕方ないもん! 理由なんて無いんだもん!!
「だからもういいって! ボクは自分でしたいことをしてるだけだし! だから小岩井に感謝される覚えもこれっぽっちも無いし!」
「そんなもっと意味がわかんないよ! 私、色々一条君に酷いことばっかりしちゃったけど、でもでも、本当はすっごく感謝しているんだからね!?」
 だからお礼とか言いたかったのに、なんでこんな事になっちゃうのよと、小岩井はまた目をゴシゴシこすり始めた。
「だからお礼とか要らないし!! ボクが自分勝手にやってることで、小岩井がお礼を言うのとかおかしいし!」
「それは違うよ! 私が貴方に感謝をしなきゃって感じたんだから、お礼を言うのが当たり前でしょう!?」
「だから要らないって!! ボクが必要としてないお礼なんて要らないんだから!!」
「元々お礼を必要としている人の行いなんか、ありがた迷惑だもん! 一条君はそういうんじゃ無いもん!!」
 ボクらはいつしか、何か妙なことで言い合いをしていた。どっちもどっちというか、ボクがへーへーそりゃどうもと言えばそれで済み、かつ小岩井だって何も言わなければそれで構わないんだろうに……
 なんでお互いちっとも譲ろうとしないんだ? てゆーか、何でボクはこんなにも意固地になって小岩井に反論してるんだろ?
 まさにそれぞれの求める道を信じて視線をぶつけあう男女が一組、お互い真っ赤な顔してにらみ合っているわけだ。この落としどころは、一体何処に設定すれば良いんだろうねぇ?
 頭の片隅では冷静にそんなことを考えるも、しかし「んじゃーお礼言って言って〜♪」等と、今更調子こいて小岩井にそんな台詞を言えるはずも無い自分がここに居る。そして、ボクがこのちっこいくせに頑固者のツインテ頭をにらみつけていると、
「……じゃあ、私はもうお礼は言わないけど、でも、それじゃ自分の気持ちが全く収まらないし! だから、何か一つだけ、私も一条君に対してメリットになるようなことを提供するって言うか……! それで、お互いが公平になるから、それで良いでしょ!」
 むぅ? 小岩井が何かよく分かんない事を言い出したぞ??
「つまりどういうこと?」
 ボクのそんな問いかけに、
「だから、貴方の言うこと、一つだけ聞いてあげるって言うか……!」
 それでお互いお礼とか要らないし!と、小岩井は言った。
 なんてゆーか、そんなのほんっとに要らないってさっきっからずっと言ってんのにー!!
 全然コイツ分かってないよねー! まさに親切心の押し売り、こういうのをありがた迷惑って言うんだって、コイツちゃんとお母さんに教わってこなかったのか? それとも努力してこんなんになっちまったんだろうか!
「だーかーらー、そういうのは良いって言ってるし……」
 ボクは努めて不機嫌を表さないように言ったつもりだったけど、
「貴方のワガママ聞くんだから、私のワガママも聞いてよー!」
 うわあ、まうっちついに癇癪起こしやがった。この女マジウゼー! ちったぁ人の気持ちも考えろってんだ、ピーピー癇癪起こして周りが言うこと聞いてくれるのは、小学生女子までなんだぞー!?
「ふんだ、一つだけ聞いてやるって、どんなことでも良いのかよ!」
 ボクも男だ、こんなところで売られたケンカはきっちり買ってやる! 誰もが羨むお年頃の男の子を怒らせたら怖いんだぞーって、お前のそのちっこい身体にきっちり分からしてやる! 泣いたり笑ったり出来なくしてやる!!
「どんなことって……その、あの、へ、変な事以外なら、全部よ!!」
 小岩井センセー、その変な事って具体的なんですかー!
 まぁ、そんな事をいちいち聞くのは、いくらケンカ売られたお年頃の男子とは言えプライドがなさ過ぎるってもんですし? そんなのは、この色々至らない知人になり代わって、こっちがきっちり空気読んでやるってのが常識的な対応ってもんですし?? それが、人生を17年も生きた”オトナの態度”ってヤツだよね!
「分かった。それで小岩井の気持ちが晴れるっていうなら、一つだけお願いするよ」
 もちろんイライラの絶頂にあるボクは、このワガママ癇癪持ちの言うことなどマトモに聞いてやるつもりなぞこれっぽっちも無く、わざーとコイツが出来もしない様なことを言ってやるつもりだったのだ。
「……一体何よ!」
 早く言ってよとか小岩井は言ってるけど、あのさー、そんな言い方して、誰があんたにものを頼めるかっての! まったく、知人のみっともない姿を見るのは大変嘆かわしいよねー。
 ま、その辺の仕返しも含めて、これからボクは小岩井に対してろくでもないお願いをするわけだけど……
 さーてまうっち、ボクがさっき考えたばかりの珠玉の”お願い”を聞いて、キサマは一体どんな顔をするのかなー!
「じゃあ、セックスさせて!」
 そんなボクのステキなお願いに、小岩井の頭の毛が逆立った。おお、まさにこれが怒髪天を突くという状態だろう。中々に迫力ある光景だ。そしてボクは、本気で怒り狂ってしかもボクを力一杯軽蔑した小岩井から、ビンタの一、二発でも頂戴できるのかと、しばらくニヤニヤしながら待っていたのだけど、
「い、いい、いいわよ!! 別にそんな事、た、大したことじゃ無いモン!!!」
 大したことだろフツ――――――――――――!!!!!
「い、いや、おちつけまうっち!! 今のは冗談だ、本気じゃ無かったんだ! 決して軽い気持ちで言ったんじゃ無かったんだ……!」
 いつもにも増して、しょぼしょぼでヘタレでチキンで根性無しで情けないボクは、小岩井の衝撃的返答に思いっきりうろたえて、その場から一、二歩後ずさってしまった。
「なによっ!! 貴方そんな気持ちで人の身体を要求したの!? 本気で信じらんない!! 男なら、ちゃんと自分の言葉に責任持ってよっ!!」
 せっかく覚悟したのにーとか何とか、小岩井は顔を真っ赤にしてブツブツ文句を言い続けている。
 何言ってんだコイツ、訳がわかんないよ! つまりなんだ? 自ら犯してくださいって言ってんのか!?
「せ、責任取れとか!! ホントに、その、やっちゃうんだよ!? 良いの!?」
「いいって言ってんのよ、ばか――っ!!」
 うわあ、人が色々心配してやってんのに馬鹿とか言われた! 何なのコイツ、頭大丈夫なの!?!?
「ば、馬鹿とか言うし!! いいもん! もうやっちゃうもん!! 今すぐお前ん家行って、その場でやっちゃうんだから!!」
「い、いいもん! じゃあ、今すぐ行こうよ! 私の家、今誰も居ないんだから!!」
 そしてボクらは、お互いがお互いにかなり腹を立てつつ、そしてこれからお互いを愛するために、小岩井の家に向かったのだった。
 ……なんでこんな事になっちゃったんだろう……。
 本気で意味がわかんない! 足はガクガク、心臓バクバク、喉はカラカラ、目の前は真っ暗でよろけてぶっ倒れそうなくらいに頭の中は混乱し、自分が今どこで何やってんだかもよくわかんなくなってくる。

ドキドキ道中

 もちろん今は、僕らの住むボロマンションに向かって二人で田舎道を歩いているところだ。ボクはチャリで通学しているんだけど、小岩井は歩きで来ているとのことで、ボクはチャリを押しながら歩いているんだけどね。
 そして、その道中、お互いがお互いのことなど見る事も無く、まぁ向こうはよくわかんないけど、少なくともボクは小岩井の顔なんて見れやしないからそっぽを向いて、ひとっことも喋らず延々黙々と歩いていた。
 果たして目的地まで何分掛かったのだろうか、永遠にも思えるような時間だった気もするし、一瞬だった気もするし……。気がつけば、ボクらはボロマンションのエントランスの真ん前に突っ立っていた。
 これから小岩井の家に行くのか……。
 ボクはさっさとチャリを自転車置き場に投げ込み、がくがくの膝に気合いを入れながらエントランスに戻ってきた。小岩井はずっと下を向いていて、こちらの方など見やしない。そんな、これから身体を重ねる相手としてはどうかと思うほど酷い対応をされて、頭が冷えたボクは若干ながら正気を取り戻していた。
 まぁ確かに、一族郎党皆殺しにしてやりたいくらいに大嫌いな男に抱かれるってのならば、この目の前に居るちっこい女の心の渦巻く怒りのパワー足るや、間違いなくボクが3回生まれ変わっても必ず毎回呪い殺せるくらいなものだろう。むー、凡庸な人生の中で、ここまで他人に恨まれるってのも、中々得がたい経験ではあるけれど……。
 しかし、この魂がひりつくような苛烈な状況は、自らが招いた愚行の結果でもあるわけで。これはまさに、謹んで受けなければならない人生の苦行とも言えるでしょう。
「……部屋に行かないの?」
 小岩井が、こちらを見る事も無く低い声で非難を告げる。
「う、うん……」
 彼女の気迫に負けたのか、それとも単に怖じ気づいてしまったのか、ボクは何とも情けない返事をしたのだった。ダメだダメだ! こんなんじゃボク、小岩井の家に入った瞬間に酸欠でも起こしてぶっ倒れちゃう! 気合いだ気合い! これからボクは、小岩井との真剣勝負に打って出るのだ! ここで勇気を持って敵の牙城には入れないようじゃ、ボクは誰もが羨む男の子じゃ無い! 単なるビビリの男の子だ!!
 ボクはほっぺをペチペチ叩いて気合い入れると、小岩井の前を歩いてエレベーターのボタンを力一杯押し込んだのだった。


「……お茶、持ってくるから、ちょっと待ってて」
 小岩井の自室に通されて、すぐ。ボクが生まれて初めて入る女の子の部屋に目一杯気圧されていると、小岩井は持っていた鞄をその辺に置いて、台所の方へ行ってしまった。
 ボクはすることも無く、だからといってその辺に座り込む勇気も無く、鞄を持って突っ立ったまま部屋の中を見回していた。
 普段のキリキリした小岩井から想像が出来ない感じの、可愛らしいピンク色の家具やインテリアが飾られており、ベッドの上には大きなピカチューのぬいぐるみすら置いてある。
 多分、これは皆が思う「女の子の部屋」そのものなんだろうなぁと、ボクはある意味感動すら覚えていた。まぁボクもみっちゃんの部屋に比べたら片付けている方だと思うけど、小岩井の部屋はより綺麗にきっちり片付けられていて、本人の真面目さが伝わってきそう。いきなり男を連れ込んでもここまで綺麗な部屋なんだから、普段からきっちり掃除してるんだろうねぇ……。とは言いつつ、別に潔癖症の人みたく生活感が皆無とか殺風景とかそんな事は無く、あちこちに可愛らしい小物が置いてあったり、ベッドの上には畳んだパジャマが置いてあったりと、それなりの生活感もある、何というか、居心地が良さそうな部屋でもあったのだ。もちろん内装自体がリフォームされたばっかりだから、そもそも綺麗ってのが極めてうらやましいところだけどさー。
 だいたいボクん家なんてここから3メートル隣だけど、壁紙はあちこち剥がれてるし塗装も剥げてるし、ドアはギシギシ軋んで壁のスイッチの調子もなんだかおかしい。それなのにここん家は、ボクん家よりたった3メートルしか離れてないくせに、壁紙は素材すら違う感じで塗装もやたら綺麗、ドアや床はバリアフリー仕様で足をぶつける敷居は無いし、引き戸なんかバネが入っててバタンと音を立てる事無く自動で静かに閉まるよ! 天井の照明だって間接照明付きのLEDじゃん。なんだこの差! 壁のスイッチは何か形すら違うし!!
 財力なのか、それとも時代ってヤツなのか、いろいろな差を見せつけられ、ボクはショックすら覚え始めていた。
 ……ところで、何か小岩井遅くない? お茶持ってくるだけなら、もう少し早く済むと思うんだけど……まさかあいつ、お茶とか言って、わざわざ抹茶なんて点てていたりしてないよね!?
 ボクがそんなお馬鹿なことを考え始めて居た頃、廊下の向こうからザーザーと水の流れる音が聞こえていた。何だ? 今更一生懸命コップでも洗っているんだろうか……。案外ここん家は、普段は食器とか洗ってないのかも!? そんな、この家の玄関からここまでに垣間見えた綺麗な屋内と、ここん家の娘さんのきっちり具合から到底あり得ない事を考えていたら、やがてゴソゴソと布ずれの音が聞こえ、トコトコと足音がこちらに向かってくると、すぐにお盆に麦茶を載せた小岩井が戻ってきたのだった。
「……お待たせ」
 なんだかぶすっとした小岩井の顔を見ていて、ボクはいきなり緊張してきてしまった。
 むむぅ、今からコイツとエッチしちゃうんだよねー。なんだかすっごい信じらんないんだけど……。
 てゆーか、今日はこのままお宅訪問のみにしちゃって、お茶だけすすって帰った方がよくね!? などとヘタレでチキンでショボショボで残念でがっかりなボクはこの期に及んでそんなことを考えるも、しかしここまで来て敵前逃亡なんぞしたあかつきには、間違いなく憲兵にとっ捕まって良くて重営倉、悪くて銃殺刑だ。具体的には3日後の自分に徹底的に馬鹿にされる。
 ボクも男の子だ、ここまで来たのなら、きっちり最後までしなくてはいけないのだ! ちゃんと小岩井のおっぱいを拝んで、出来る事ならぱんつを脱がす! 人生最大級に大変なミッションだと思うけど、オトナは誰しもくぐり抜ける道だからねぇ。遅かれ早かれって奴だよ。
 ボクは自分のほっぺをペチペチ叩いて、本日二回目の気合いを入れたのだった。
「……?」
 そんなボクの、決死の戦いを前にした戦士が行う精神統一的行動に、小岩井は無言で首を傾げている。全く、こいつもちゃんと覚悟を決めているのだろうか? あ、それとも、さっき全然大したことないもん!とか何とか言ってたから、もしかしてこいつ既に経験者か? 女の子はボクらバカチンな男子に比べて早熟だって言うしねぇ。となると、経験の無いボクだけがブルっているって事なのか……。
 もちろんボクはそんな事でいちいち取り乱すような事はしないよ? 変にリアルなエチゲーあたりだと、この辺で不慣れ……というか、不用意な童貞男子は自分のショボさを棚に上げて相手の女子にいちゃもん付けて、理不尽な悪口言って泣かせたりするもんだけど、ボクは誰もが羨むお年頃の男の子だ! 自分の至らないところはちゃんと分かってるつもりだし、今更彼我の経験量の違いを簡単に埋められるはずも無いのだから、正直に相手に己の未熟さを伝え、下手は下手なりに一生懸命頑張るしかないのでしょう。まぁそれで小岩井が「あたしはドーテーなんか嫌! 死ね!!」って言うならすごすご家に帰って自分のベッドの中でむせび泣けばいいし、「誰がウザい筆卸しなんかに付き合ってやるか、失せろボケ!!」って言うならやっぱりすごすご家に帰って、ママンの胸に泣きつくしかないのでしょう。
 ……まぁ、小岩井はそんな事言わないような気はするんだけどね〜。
「……あの、お茶」
 ボクがしばらく間哲学的思考とは全く言えない現実逃避的思考に耽溺していると、小岩井が麦茶の入ったコップをボクに向かって突きだしてきた。むぅ、重ね重ね人に何かを施す態度の出来ていないヤツだ……。ボクは知人の至らなさにがっかりしながら荷物を足下に置いてコップを受け取ると、とりあえずそれを自分の口に運んだ。せっかくお茶を貰ったんだから、何かもう喉なんて渇いてるんだか湿ってるんだかさっぱりわかんないってのも事実なんだけど、一応飲まなきゃ相手に失礼だよねぇ?
 そしてコップを傾け中の液体を口に流し込もうとするんだけど、なぜ故かコップがガタガタ震え、自分の歯に当たってガチガチ音を立てていた。むぅ?! こんな時に限って地震か!? ボクは改めて周りを見渡すも、特に世界は揺れていないようだった。それに小岩井も特段変わった様子も無く、麦茶の入ったコップを握りしめつつ顔を真っ赤にして怒り狂っているだけだった。
 一瞬、自分の立っているこの部分だけが揺れているのかと中々レアな超常現象に戦慄するも、しかしよくよく状況を確かめてみれば、ブルった自分の手がガタガタ震えているだけだった。何というショボさ、しかしそんな自分が少しは可愛く思える。
「あの、立ってないで座ったら?」
 そういえばボク、知人の部屋で突っ立ったまま、コップを歯に当てガタガタいわしているだけだった。
「あ、うん、あの、何処に座れば良い?」
「……えと、あの、ベッドとかで……」
 小岩井はあうぅ〜とか言いながら、ベッドの上に置かれていたパジャマを慌てて布団の中に押し込んだ。
「あ、あの! 嫌じゃなきゃ、ベッドに腰掛けて……」
「うん……」
 ボクは小岩井に勧められるまま、ガクガク震える足に超絶気合いを入れつつ、ベッドまでの数歩というかなりの長距離を歩ききり、何とかコップの中身をこぼさず小岩井のベッドの縁に腰掛けることに成功したのだった。
 キシッと、スプリングの軋む小さな音が聞こえる。
 ボクら、これからこのベッドの上で、キシキシいう音がずっと続いちゃうことをするんだよなぁ……。それに、これって寝取られってやつだよねぇ? なんだか小岩井が好きだって男に悪い気がするけど……でも小岩井がそいつに告白とかしていなければ、まだそいつは小岩井の彼氏ってワケじゃ無いのだから、厳密には寝取られにはならないのかなぁ……?
 うん、とりあえず今はそういうことにしておこう。だいたい今から行う行為は、別に小岩井と愛情を確かめ合う為じゃ無いから! 単にお互いの損得勘定でのみで行われる、愛のないセックスってヤツだからね! まぁなんかそういう身もふたもない言い方するとあまりにも寂しいから、そう、セフレ! 小岩井とは一回だけのセフレってことにしておきましょう! お互い、将来の恋人とは全然関係の無い、ただの身体だけの付き合い。うん、まさにオトナって感じだね〜〜〜♪
 ……などと、そんな益体の無いことをつらつら考えていても緊張が収まるわけも無く、余計に手がブルブル震えてくるものだから、ボクは麦茶がこぼれないうちにさっさと飲みきることにしたのだった。そして慌てて飲んだもんだから、ちょっと気管に入ってむせちゃったよ……。
「ゲヘゲヘガホウゲ」
「大丈夫!?」
「うー、多分生きてる……」
 コップを小岩井に渡し、ボクはハンカチで口の周りを拭く。……どうでも良いけどかっこわり〜〜! いい加減にしろってヤツだよ。今更格好付けるつもりなんてこれっぽっちも無いけど、でも誰もが羨むお年頃の男の子たるもの、コトを致す前にはなるべくクールを気取りたいものなのだ。お願い、とにかく分かって!
 ボクがはぅはぅ息を整えていると、小岩井がボクから30センチくらい離れて隣に腰掛けた。
 ボクはちらっと小岩井の横顔を見てみたのだけれど、彼女はボクの事なんてちっとも見ていない。ただじっと自分の前の方をにらみつけて、顔を真っ赤にしてやっぱりとにかく怒っているようだった。
 ボクは、いつまでも小岩井の顔色をうかがっているのは若干癪に感じるため、彼女に習って前の方を見ていた。特に何の変哲も無い綺麗な壁と、上の方に取り付けられたフックにつり下がる、バッグか何かの小物が見えるだけだった。
 お互い声も発すること無く、たまに聞こえる息の音と、身じろぎするときに布ずれの音だけが、部屋の中を満たしていたのだった。


 そんな、高度な精神的攻防が一体何分続いたのだろうか。お互い無言で、身体もほとんど動かさない。小岩井はどう思ってるんだかちっともわかんないけど、しかしボクは、いい加減しびれを切らしそうになっていた。いや、早くやりたいとかそういうつまんない事では無く、この重々しい状況に精神的限界が近づいてきていたというのが事実である。はっきり言って、ここで小岩井が”やっぱ今日無し!”と一言言うなら、ボクは喜んで自宅に帰るだろう。この状況に変化があるなら、どんなことでも喜んで受け入れたい!
 そんな、自分で事を起こすことも出来ないヘタレなボクが、ウジウジ逃げる算段ばかりを考えていたとき、
「……あ………あ、あの! その……だから、あの………私、準備……いいから……!」
 小岩井が般若の如き形相で、こっちを向いて何か言い出した。
 はて、何の準備だ? 素でボクは何か小岩井が料理でも始めるのか? 等と思ってしまったのだけれど、しかし次の瞬間、その準備とは今からボクらが身体を重ねる準備であると思い至り、ボクの心臓はオーバークロックでぶっ壊れるかと思うほどドキドキ言い出した。いや、これはさすがにボク死んじゃわない? こんな自分の心臓がバクバク言ってるの、今まで17年生きてきて一度も聞いたことないんだけど……
「あ、あの……その、だから……えと、やっぱり、その……するの?」
 そして、ワケも分からず(ただし心情的には激しく同情できる!)しどろもどろになったボクが、何度も言うようだけどこの期に及んで根性無しな台詞を宣うと、
「うん……」
 と、小岩井は目にうっすら涙すら溜めて、こくんと首を縦に振ったのだった。
 うわ〜〜…… 泣くほど嫌ならやっぱやめにしようよぅ……。さすがにこんな泣くほど嫌がってる女の子をやっちゃうなんて、ボクにはそんな事出来ないよぅ。抱きつく以上に本気でレイプだって〜〜〜!
 けど、小岩井は自らのボクを拒絶する心やボクの身を焼き焦がさんばかりの怒りをひた隠しにし、一旦立ち上がると、ボクのすぐ隣に座り直したのだった。
 そんな彼女の決意というか、心の底からボクに抱かれるなんて嫌だろうに、自ら言い出した「何でも言うこと聞いちゃう♪」という軽はずみな発言に端を発したこの惨劇に果敢に立ち向かう態度に、ボクは感銘を受けずには居られなかった。
 知人がここまでの態度でボクとの戦いに臨んでいるなら、ボクもいちいちヘタレな口上を垂れて言い訳ばかりしてちゃダメだよね!!
 だから、ボクはしっかり小岩井に戦いを挑み、彼女の決意に報いる覚悟を決めたのだった。
 ……とは言いつつ。
 えと、ぶっちゃけセックスってどうやるんだ??
 もちろんボクは誰もが羨むお年頃の童貞……いや、童貞にうらやましいことなんか無いよなぁ? ……ということなので、はっきり言って実戦経験による知識等は全く無い。ちなみに保健体育だけはテストの点が良いという極めて恥ずかしい状態であるので、一応お年頃らしくセックスという行為自体のやり方などは心得ているものの、しかしちんちんを膣に入れてぴゅっぴゅと射精するってだけの保健体育的知識の中に、相手を愛するための具体的方法論など全く含まれてはいないのだ。
 えと、えと、どうしようか。このまま固まってても、ボクは本気で小岩井にこの腐れインポ野郎!って罵られちゃう!!
 それにこういうときは、男の子から行動を起こさないとダメなのだ! ボクは草食系じゃないもん! やるときはやっちゃえる肉食系の男の子だもん!!
 とりあえず、多分スキンシップが大切だろうから、手でも握ってみるかなぁ……
 ボクは隣に居た小岩井の手の位置を確認すると、勇気100倍、死ぬほどの緊張の中でブルブル震える自分の手に人生最大の力を込めて、彼女の手に自分の手を優しく載せてみたのだった。
「あっ……あぅぅ……」
 小岩井はやっぱり死ぬほど嫌いなボクに直に触られ、怒りのあまり身体が震えたようだ。でも、ここまで来たらもう逃げられないのだ。それは、小岩井もボクも同じなのだ……!
 そして、多分だけど、ボクらが万が一恋人同士ならば、ここで綺麗だねとか可愛いねとか、そんなうさんくさい口上を述べて相手を喜ばせるものだろうけど、ボク達はそういうスィートな関係でもなんでも無いからねぇ……。かといって無言でいきなり服を引き毟ってちんちん突っ込むというのも、なんだか楽そうな気はするけど絶対やっちゃダメってボクの心の中の天使がギャアギャア喚いているし……。
「えと、あの、今日はツインテ頭が似合ってるね」
 ボクは、一応ここでは相手へのリップサービスも込みで、嫌みにならない程度の相手を褒める言葉を発してみた。
「……。いつもと一緒だけど……」
 ヲゥ……そういえばそうだった。つーかこいつがツインテおろした姿って見たこと無いなぁ?
「え、えと、小岩井って生まれたときからツインテ頭なの?」
 もちろんボクは、言った瞬間に激烈後悔したさ。何バカなコトいちいち言ってんだと。そんなんじゃあ、こいつのツインテ頭をディスってるだけにしか聞こえねーだろうと。
「あうぅ……あの、もしかして似合ってない?」
「いや全然! すっげぇ似合ってる! ボクツインテ頭大好き!!」
 ………そして童貞がまたバカを炸裂させやがったよ。ボクってばどんだけびびってんだと。だいたいツインテとか別に好きじゃないし〜。……いや、でもでも、小岩井はツインテ頭は似合ってるっていうか、小岩井のツインテ頭だったらどっちかっていうと好きだなぁ?
「あうぅ……あの、そしたら、髪型このままの方が良い?」
 むぅ? 実はこいつツインテをほどこうとしていたのか? ボクはさっきツインテ大好きとか口から出任せを言っておきながら、しかし小岩井の髪の毛をおろしている姿にも興味があったので、
「あ、いや、出来れば今日は小岩井の髪を下ろした姿も見てみたいなぁと言うか……」
 等と、ある意味本日こいつと手を触れあわせてから初めて、ボクは自分の本心を語ったのだった。
「うん、じゃ、ちょっと待ってて……」
 小岩井はボクにブロックされているのと反対の手で、器用に髪を留めているゴムを外したのだった。するりと、小岩井のさらさらな髪の毛がほどけ落ち、部長とタメを貼るくらいに綺麗なストレートなロングヘアに変わったのだった。
「あう……。そんなのジロジロ見られると、恥ずかしいよ……」
 おおっと、珍しいものを見ちゃったから、ついついぶしつけな視線を送ってしまったようだ。まぁ、どうせそのうちそんなことを気にする余裕も無くなるくらいにいろいろな部位をガン見することになろうのだろうけど、でもやっぱり今くらいはクールを気取りたいよねぇ……。
 なのでボクはクールにキメるため、
「小岩井の髪の毛は綺麗だねー」
 などと彼女の頭を撫でながら、肩に流れるさらさらヘアをいじってみたのだった。手ぐしっぽくしても手に引っかかることなど無く、さらりと髪が指の間を滑っていく。すっごい! やっぱ女の子の髪の毛って繊細に出来てるんだねぇ。
「あうぅ〜〜………」
 小岩井は余計に顔を赤くすると、うつむいてしまった。
 げげ、こりゃ怒ったぞ! そういえば、いきなり女の子の髪の毛をいじっちゃうのは良くないよねぇ。これじゃクールなんかじゃ無くて、あの最悪なチャラ男と一緒だよぉ……。ボクはなるべくあのチャラ男が出てこないように、自分自身の精神を限界まで戒めることにしたのだった。
 さて、小岩井とのスキンシップも良い感じに台無しになったところで、次はどうしようか……。そろそろ、小岩井のこと押し倒しちゃっていいんだよねぇ……?
 まぁこいつ、何かそれなりに経験ありそうだし、いざとなったらセックスの仕方ってやつを教えて貰っても良いのかも知れない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と言うしね。これから行うボクらのセフレ的行動において、ボクが気持ちよく射精出来ればそれでいいんだから。別に主導権とか関係無いし。どうでもイイし。
 そしてボクは勇気1000倍、いい加減心臓が爆発しそうな感じで全身ブルブル震えているんだけど、小岩井の肩に手を置くと、そのままゆっくり彼女を押してみたのだった。
「あっ……あうぅ……」
 小岩井はまた怒って身もだえしたけど、とりあえずそのままベッドに横になってくれた。なんか涙で潤んだ瞳でこっちを見ていて、やがて顔を手で覆ってしまったよ。……これはボクの顔など見たくないって意思表示だろうねー。まぁそれは仕方ないのだ。ボクら別に好き合ってるわけでも無いし、酷い言い方すれば、ボクのオナニーの為に小岩井が自分の身体を貸してるようなものなのだから。
 ボクはいつぞやの、勢い余ってボタンを絞めてしまったYシャツのボタンに手を添えると、それを前とは反対に一つずつ外していった。そのたびに、小岩井の身体がビクビクと震えている。
 そして、目で見えている範囲でボタンを全部外し終わると、Yシャツを左右に広げてみたのだった。そこには、真っ白なブラジャーと、小岩井の慎ましい二つの胸が、彼女の震えに沿ってふるふると震えていた、
「あうぅ……恥ずかしいよぉ……」
 小岩井の泣きそうな声が聞こえる。いやいや、別に恥ずかしいってねぇ……? そりゃまぁそうなんだろうけど、でもボクこの中身を至近距離で見たことあるし、今更ってヤツだよぉ。それか、今日っていきなりこんな事になっちゃったから、もしかしてこいつ勝負下着ってヤツを着けてないから恥ずかしいとか言ってるのか? 確かにこのブラ、一応それなりに可愛いレースとか付いてるけど、実用性重視って感じでシンプルなデザインだしねぇ?
「あの、大丈夫だって、ブラはちゃんと可愛いから」
「あうぅ……」
 ……と、とりあえずそんなおべっかを言ったのはいいけど……本当にこれからどうすればいいんだ? もうパンツに脱がしてアソコにちんちん入れちゃっていいの? やっぱり一応おっぱい揉んでおいた方が良いのか!?
 ううう、焦りばかりが先に立って、ボクは自分が今から何をしなければならないのか、さっぱりわかんなくなっちゃった! だから、とりあえずここは経験者たる小岩井先生に、正しいセックスのやり方ってやつを逐一教えて貰わないと……
「あ、あの、小岩井って、その、えっと、こういうことの経験って、もちろんあるんだよね?」
 そんな、ボクの一応の確認に、しかし、
「あうぅ……無いもん……」
 いやいや! ちょっと待たれい……。ああ、そうか! こういう本気の不純異性交遊的な、愛のないセックスは初めてってコトで……
「えと、でもでも、何というか、その、えと、男性経験! そう、一応そういった事は一通りマスターしているんだよね!?」
「……そんなの無いもん!!」
 なんかキレられた。
 いやいやいやいや!!!!!
「えと、あの、折角だからここでしっかり確認させて頂きたいのですが、小岩井先生におかれましてはこういった行為やまたはそれに類する一切の経験が全く無いと……?」
「あうぅ! だから処女だもん!!」
 マジギレされた。
 ちょっと待ってよそんなの聞いてないって――――――――――――――――っ!!!!!
 なになに!? こいつ処女のくせにボクとセフレするの!? バカなの!? 死ぬの!?!? それとも貞操観念がぶっ壊れてるの?????
「い、いや、落ち着けまうっち! やっぱり処女は好きな人にあげないとダメだってー! 一生に一度なんだから勿体ないよー!?」
 そんなボクの極めて紳士的発言に、
「今更何言ってるのよ!! さっきからいいって言ってるんだから!!」
 ばかあ!!と、おっぱい見えてる女の子にボコボコ殴られた。
 なんてぇ癇癪の起こし方だろうか……。怒り狂って自分の処女すら嫌いな男に押しつけようとしている! 重いって、いくらなんでもこれは重すぎるって!!
 けど、こいつはそこまでの気概でボクとの戦いに身を投じているんだから、ボクだってここで逃げ出すのはこいつに対して失礼だよね。
「えと、あの、じゃあ、小岩井もボクの童貞、貰ってください?」
「あうぅ……あの、おあいこだから……」
 貰います、と、小岩井はまた泣きそうな声で返事をした。
 まぁ、これでいいんだよねぇ? 男って経験したからって女の子みたいに処女膜破れたりとか無いし、単に気構えというか、記憶の中でしか前後の変化は無いような物だけど……でも、人間ってやっぱり外見より中身って言うか、人格を形成している記憶ってのが大切だから、身体の変化よりも記憶の方を重視しなきゃいけないよねぇ……?
 そんな哲学的意味不明な思考で一生懸命頭を回しているけど、さてボク、これから一体どうしよう!!
 うわああ、みっちゃんに今すぐ電話でもして、セックスのやり方でも聞く!? でもみっちゃんそもそも経験あるのか? なんかエロゲの話ばかりされそうでやだなぁ……てゆーか、電話で親友にリアルタイムにセックスの仕方聞きながらやるって、2chあたりで『せくーすのやり方分からなかったから、友人に電話しながらやったった』なんて衝撃的なスレを立てられて、都市伝説として長く語りつがれるくらいにハンパない羞恥プレイだって。さすがにボクだって、そんな事拒否る位のプライドはあるのだ……!
 という事で、友人及び目の前にいる半裸の女子がちっとも使えない状況にある中、ボクがこの戦いに勝利すを納めるためには、ボクの17年という極めて短い性的人生経験で培ってきた記憶を最大限に応用して、何とかこの作戦行動を遂行並びに完遂しなければならないのだ……!
 えーと、えーと、何か使えそうな記憶は無いかな〜〜〜?
 ボクは主観時間30秒(実際の時間は2秒くらい)考え込み、そして何とかティンと来た!
 そうそう、一ヶ月くらい前にみっちゃんに無理矢理押しつけられたAV『私の家庭教師がこんなに性的なわけが無い!』のシチュエーションが使えそうだ。確か、劇中では処女の女の子が、すけべぇな家庭教師に美味しく頂かれてしまうという、残忍かつ凄惨なストーリーだったはずだ。家庭教師はこの際どうでもイイとして、処女の女の子の身体をほぐしてあんあん言わして、そして最後にぬぽぬぽやっちゃう!ってあらすじはそのままこの戦いでも使えるはず。
 えとえと、多分途中でおかしなアドリブ入れたりするとまた色々失敗するだろうから(それでボクらは生チューしちゃうなんてトラウマレベルの事故を起こしたわけだし)、あのAVと全く同じにやってしまうのがいいのだろうねー。一応ビデオソフトとして市場に回っているものなのだから、演出で若干過剰なところはあるだろうけど、それ相応にセックスのやり方としては間違ってないのだろうと考えておきたい!(だってそれが当たり前なのかマニアックすぎるのか、オコサマなボクにはさっぱり区別が出来ないもん)
 という事で、確か教師は自分の膝の上に女の子を乗っけて、それで身体のあちこちをいじくっていたっけ。折角小岩井を押し倒したのだけれど、ここではちゃんとお姫様だっこみたいに持ち上げて、左手で小岩井の背中を支えながら、右手であちこちお触りをしなければならないのだ。
 では、さっそくトライだ!
 ボクは小岩井の背中と膝の下に手を入れると、よいしょと持ち上げてみた。
「あうぅ!?」
 いきなりのボクの行為に、もちろんだけど小岩井はびっくりしている。けど、小岩井ってやっぱり軽いよねぇ? あんまり苦労せずに持ち上がっちゃったよ。こんなちっこい子にちんちん突き立てて、死んじゃったりしないよねぇ!?
 ……まぁ、さすがにボクのちんちんなんて小岩井の太ももよりも細いから、おなかが裂けちゃうようなことは無いだろうけど……でもこいつ、生理とか来てるのかなぁ? さすがにそんなことを聞くのはあまりにも失礼なので、こんなところでは聞きはしないけど……。
 そして小岩井を自分の足の上にのっけて、左手では肩を抱く感じで彼女の背中を支え、右手でさっきボタンを外してはだけたYシャツの中に手を入れてみた。
 びくんと震える小岩井の胸を、ブラの上から優しくさすってみる。
「あうぅ……」
 目をきゅっとつぶったまま、小岩井はボクの行為を受け入れている。
 しばらくはブラの上から小岩井のおっぱいを色々揉んでみたけど、やがて甘いミルクにも似た香りがふわっと感じられてきた。これって、やっぱり小岩井から出てるのかなぁ? 女の子から甘いにおいがするって本当だったんだ、すごい!  ボクはしばらくの間、ブラ越しのおっぱいの感触と小岩井の甘いにおいを堪能していたんだけど、やっぱりおっぱい本来の柔らかさを確かめてみたくなり、ブラを外して直接おっぱいを揉んでみることにした。右手で肩を支えつつ左手を服の中に突っ込んで、何とかブラのホックを外すことが出来た。ぽろっとブラがはずれ、今まで布地に包まれていた小岩井のおっぱいが本来の形を取り戻す。ボクはYシャツの裾をスカートか引っ張りだし、まだ残っていたボタンを全部外すと、Yシャツを肩から脱がせたのだった。
 外れ掛けたブラの隙間から、前も見たことある小岩井の綺麗で可愛いおっぱいが、より魅力的な光を帯て覗いていた。ボクはもう我慢出来ずにブラを取り払うと、改めてその膨らみに手を添えてみた。
「あうぅ……!」
 小岩井の自動音声が、いつもよりも高い声に変わった。
 やわやわと揉んでみると、それは本当に柔らかく、きめの細かい皮膚はまるでボクの手のひらに吸い付く様だった。うわあ、これは本当に感動!! みっちゃんが「そこにおっぱいがあったら揉むもんだ!」とか何とか言ってたけど、今それが本当に当たり前のことなんだとつくづく思い知ったよ! おっぱいすげー!! 服の上から揉むより、もう何百倍気持ちいい!!
 ボクはもう、嬉しくて嬉しくて仕方なくなり、小岩井の両方のおっぱいを交互に、何度も何度も揉みまくっていた。以前10年後に女房おねーさんのおっぱいを触らせて貰ったけど、あれは水に濡れたおっぱいだったのでここまで手に吸い付く様な感触は無かったし、やはり小岩井の若さがそうさせるのか、おっぱいの張りはこっちの方が数段上だった。
「あうぅ……あうぅ……」
 そしてとても小さな声だけど、小岩井はボクの手の動きに合わせて自動音声を発していた。これはどんな意味なのかなぁ……? 少しは気持ちいいって思ってくれてるなら嬉しいけど、腹立ち紛れにうめいてるだけとかだったら寂しいねぇ?
「……あの、気持ちいい?」
「あぅぅ、そんな事聞かないでよ!」
 怒られた。
 そりゃそうだ、エッチの時にいちいちキモチイ?なんて聞く男は単なるバカである。そしてボクは誰もが羨む初体験中の男の子として、小岩井の方から気持ちいいと言わせるくらいにしっかり愛撫しなければならないのだ!
 なのでボクは柔らかい乳房だけでなく、その中心に慎ましくぷくりと膨れている乳首を優しくつまんで刺激を加えてみた。
「ひゃうぅ……! あうっ……あうっ………!」
 小岩井の声のトーンが一段上がった。それと同時に、乳首の大きさがちょっと大きくなり、堅さも増してきていた。こうやって乳首が立ってきたということは、少しは気持ちがいいのかな?
 確かAVでも、女優さんがおっぱいをいじられてアンアン言っていたっけ。まぁ小岩井の場合は、まだこういうことに不慣れなことと、ボクの性技の至らなさからそんな声を上げるまで快感は無いのだろうけど、それは仕方ないってヤツだよねー。
 気がつけば、小岩井おっぱいはうっすら桜色を帯びていた。やばっ!? 触りすぎて充血しちゃった?? あんまりおっぱいばかりいじっていても仕方ないし、じゃあ次のステップに進むとしましょう。
 ボクは記憶の中のAVと同じように、小岩井のスカートの裾をちょっと持ち上げ、股間のぱんつがちょっと見えるくらいにめくると、彼女の太ももの間にゆっくりを手を差し入れていった。確か、はじめは太ももの内側を優しく撫でるんだったっけ?
 ビクビクと震える小岩井の身じろぎを全身で感じながら、ボクは固く閉じた太ももを優しくさすり、小岩井の身体をほぐすようにしてみた。
 それにしても、こいつの太ももも触り心地は最高だ〜〜。やっぱ野郎とは肌の造りからして違うよね〜〜。男の子はどうしても毛が生えているのでざらざらだけど、小岩井の太ももはとてもすべすべしていてこの世の美しさっていうのをその小さな部分に凝縮しているようだった。
 やがて小岩井の鼻息がちょっとだけ大きくなった頃、緊張のためか固く閉じられていた太ももの力が少しずつ抜けていった。ボクはいきなりにならないようにちょっとずつ手を上に上げてゆき、ふわっと小岩井の股間に手を添えたのだった。
「あうっ!」
 甲高い声が聞こえ、小岩井の身体が大きく身震いする、
 そこはとても暖かく、うっすらと湿り気も感じるようだった。やっぱり、ボクが今触っているのは、温かい人間の身体なんだと改めて認識させられる。中指をちょっとだけ内側に折り曲げてみると、小岩井の股間の筋が感じられ、そこはより暖かさを感じられた。
 ボクはもちろんここがとても敏感な場所であることくらいは知っているため、まずは手全体を使って優しく撫でてみた。また身を固くした小岩井がボクの手の動きに合わせてビクビクと震えるも、彼女の口からはぁはぁという息が漏れ聞こえる段になってきて、割れ目に沿わせていた中指にちょっとだけ力を入れてみたのだった。
「あんっ……あうっ………あうっ………!」
 小岩井の口から、何とも言えない甘い声が漏れ出てくる。もしかして、ちょっとくらい気持ちよさを感じてくれているのか? どきんと、さっきからオーバークロック状態でバクバクいっていたボクの心臓がより激しく跳ね上がった。
 ボクは自然に小岩井の肩を抱く力が強くなり、彼女の股間を撫でる手の動きが大きくなってゆく。やがて、小岩井の割れ目に沿わせていた中指の腹に、水気が感じられるようになっていた。
 うわあ、濡れてる、濡れてる!
 ボクは泣きたいくらいに嬉しくなった。ボクが小岩井を気持ち良くしているんだ。小岩井がボクの行為で気持ちよくなってくれているんだ。こんな嬉しい事って、ボクの今までの人生の中であっただろうか!?
 やがて、小岩井の股間をなで続けていた中指の付け根あたりに、わずかな突起が触れるようになっていた。多分これってクリトリスってヤツだろうねー。ここをいじると、女の子って結構感じるんだっけ?
 ボクは手を上にずらすと、中指の腹でクリトリスをサワサワと撫でてみた。すると、
「あっ……あんっ………あぅぅ!」
 と、今までのあうあうや吐息と違い、具体的なあえぎ声が小岩井の口から出てきたのだった。
 ボクは改めて小岩井の顔を見た。さっきはきゅっとつぶっていた目を開け、ボクの方を潤んだ瞳で見つめている。そして、上気した頬とうっすら開いた口から漏れ聞こえる小さなあえぎが、ボクの魂を鷲づかみにした。
 何これ何これ! こんな可愛い生き物、地球上に居ていいの!?
 ボクの昂ぶりまくりな気持ちは限度を知らずに上昇し、小岩井のことが本当に可愛くて胸が切なくて、もう気が狂いそうになっていた。ボク、今ならこの女のためなら死ねるって天啓を得たよ! 愛おしい、愛おしい、愛おしい!!
 ボクはAVの真似をするって事をすっかり忘れて、ついつい小岩井に思いっきり抱きついてしまった。
「あうぅ……」
 小岩井も切ない声で、ボクの背中をやわやわと撫でてくる。
 ボク、今とってもシアワセだ〜〜〜! 生まれてきて良かった! 男の子やってきて、本当に良かった!!
 とは言っても、ボクらはまだお互いの性器を直接手で触っても居ないのだ。これからもっとすごいことがあるのだと思うと、正直言ってちょっとだけおっかなくなってきちゃったよ……
 少々冷静になったボクは、ゆっくりと体勢を元に戻すと、再び小岩井の股間をなで始めていた。やがて、ボクの指には具体的に水気けが感じられるようになってきた。小岩井の愛液が、ぱんつからしみ出してボクの指を濡らしている。
「あうぅ……パンツが汚れちゃう……」
 小岩井はそうやってボクの手を掴んで股間から離そうとする。しかし、ここで彼女の手に負けて愛撫をやめてしまえば、何となくお互い気まずいことになるのは容易に予想出来ることであった。ここで、男の子がやらなければならないことはただ一つ、ぱんつが汚れるのがダメなら、ぱんつを逃がせてしまえばいい! そもそもAVでもこ、の辺で女優さんの履いていたすけすけレースのぱんつを脱がしていたしね。
 ボクは小岩井のスカートを多めにめくり上げると、あうあういいながら必死でボクの手を股間から引き離そうとする彼女に逆らいつつ、可愛いフリルの付いたオコサマぱんつを脱がしに掛かった。
「あっ、あうう! やだ、恥ずかしいからやだあ!」
「脱がないとぱんつ汚れちゃうよー?」
「ちがっ! そうじゃなくて、でもやだあ!」
 何が言いたいんだかよく分からない声を上げながら、小岩井はジタバタボクの足の上で暴れやがる。しかし誰もが羨むお年頃の男の子に身をゆだねてしまったんだから、ぱんつを脱がされるのは決して逆らえない極めて自明なことなのである。だって、なんだかんだ言っても、ボク小岩井のアソコ見たいもん!!
 ボクはもう、理性よりも劣情が勝っている状態だった。だってだって、こんな可愛い女の子とえっちなコトしてるんだよ!? ここでちんちん立てずにクールを気取るなんて、そいつ男じゃないよ! EDの不感症野郎だよ!!
 半ば強引に小岩井のぱんつを膝までおろし、ボクはずり下がっていたスカートの裾をまたせり上げると、小岩井の股間に視線を集中させた。固く閉じた両太ももと彼女のつるんとしたおなかの間に、ちょっとだけヘアが見えている。そんな彼女の股間を見て、ボクの身体を支配する劣情はどんどん高まっていく。
 とは言っても、ボクはまだまだ十分理性は保っているさ。ここでいきなり彼女の股間にちんちんを突き立てるようなお馬鹿な真似はしない。ちゃんとAV通りに事を進める程度の余裕はちゃんとあったりするのだ。
 ボクは最初に小岩井の太ももに手を沿わせたときの様に、いきなりヘアをいじったりせず、太ももの内側を優しく撫でていた。もちろん小岩井は先程よりも羞恥心が強いのか、中々足の力を抜こうとしなかったけど、やがてまた鼻息がふんふん聞こえる段になって、少しずつだけど足の力が抜けてきた。ボクはゆっくり手を股間に近づけていき、そっとヘアの上から股間を撫でた。小岩井の髪の毛と同じ、柔らかい毛がふわふわとしていて、その内側のひだの奥は、とても熱くなっていた。ゆっくりと曲げていった中指の内側から、くちゅりと湿った音が聞こえる。ちょっと指を動かしてみたら、指にいっぱい愛液がまとわりついてきた。
「小岩井、濡れてるね……」
 ボクは自然につぶやいていた。ボクが触って濡らしてくれたってコトは、それだけ小岩井が感じてくれたってコトだ。これは、男の子として純粋に嬉しいことだ。反対にここまでアソコを撫でていてちっとも濡れていなければ、ボクはもう男の子としての最低限の矜恃すら捨て去らねばならない事態に追い込まれていただろう。
「だから……! そんな事言わなくていいんだから……!」
 小岩井はまたもやボクの胸をボコボコ叩いてくるけど、その手には余り力が入っていなかった。
 ボクはそんな彼女の言葉には答えずに、中指を小岩井の割れ目に深めに入れ、手を上下に動かしながら彼女の胎内をまさぐっていた。指は、ぬめぬめでやわやわでとっても熱い肉に包まれ、奥の方から愛液がじわじわとわき出してきているのを感じている。
「あっ……! あうっ……! くぅっ………あうぅ!!」
 小岩井はボクの手の動きに合わせて身体をビクビクさせながら、高い声でくぅくぅ鳴いている。やがて彼女の身体から力が抜けていき、ただただあえぎ声をこぼすだけになっていた。

アソコをなでなで

 ボクはだんだんと手を動かす速さを早くしていった。ぬるぬるになった指で、クリトリスを優しく摘まんで指の腹で刺激を加える。ひときわ彼女の声が高くなり、息もはぁはぁと荒くなってゆく。ボクは小岩井の割れ目に這わせていた中指をもっと曲げて、その先で割れ目の奥の奥、膣口をくっと突いてみた。すると、指が細い穴にぬるっと吸い込まれていき、小岩井の身体が大きくびくっと震える。
「あうぅ! だめぇ……だめぇ……入れちゃいやぁ……」
 半分泣いた様な声を上げながらボクに縋り付いてくる小岩井の態度に、ボクの情欲が余計に燃え上がった。ボクは小岩井に差し入れた指を激しく出し入れして、膣とクリトリスに刺激を与え続ける。
「ひゃあう! あう! あんっ! あうう! んあっ! うあっ! あうっ!」
 今までの声とは到底違う、純粋に快感にもだえる嬌声が、小岩井の小さな口から吐き出された。ボクはもう俄然嬉しくなり、そして小岩井をもっともっと気持ちよくなってもらいたくて、彼女の膣の内壁をまさぐり、あちこちに刺激を加えてゆく。やがて、膣中の上側の真ん中くらい、中指を第二関節くらいまで突っ込んだところで、指の腹にこりっとしたしこりのようなものが感じられた。ボクはそれをグリグリ押してみたのだけれど、小岩井の身体は余計にビクビク震える。あ、これってもしかしてGスポットとかいう奴だっけ? 確か、みっちゃんが貸してくれたAV「観光スポットにあるパワースポットでGスポットにスポットを当てる僕と私」とかいうよくわかんないタイトルの野外プレイもので、男優さんがひたすら女優さんのGスポットを弄くってビュービュー潮を噴かせていたっけ。作品中では、指でタンタン叩く様な感じにすると気持ちがいいとか言ってたけど……
 ボクはそのAVに習い、小岩井のGスポットを思わしきしこりを指の腹でトントン叩いてみることにした。
「ひゃうっ あう! あう! あうんっ! やぁ、だめぇ! もうだめぇ〜〜!!」
 まるで、男の射精直後の亀頭を強く擦ったがごとく身体をビクビク振るわせ、小岩井は悲鳴みたいなあえぎ声を上げている。うわあ、処女の女の子もここまで感じるんだ……。このまま刺激を加え続けたらどうなっちゃうんだろう!? 性的な興奮も手伝い、ボクはさっきから小岩井がヤダヤダと言い続けているにも関わらず、クリトリスとGスポットを刺激し続けてみた。
 ちゅくちゅうちゅくちゅく!
 小岩井のアソコから水っぽい音が響くと同時に、
「あう! あう! やあっ! やめぇ! ああう! うあっ……うぁ……んんっ……んうっ!」
 小岩井のあえぎ声もどんどん大きくなっていき、やがて、
「んあうぅ〜〜〜〜〜ッ!!!」
 一際大きい声と共に彼女の身体が激しくびくんびくんと震え、そしてひくひくと蠢く膣の奥からは、急に愛液がトロトロと流れ落ちてきた。どうやら、ボクの愛撫によってオルガズムに達してしまったようだ。ボクは指の動きをゆっくりにし、優しく膣内を行き来させる。
「あううっ……あうぅ……あうぅ……」
 ひとしきりの絶頂から快感の波が若干収まり、小岩井の声も小さくなると同時に、先程までビクビクと突っぱっていた彼女の身体も少しずつ弛緩してくる。
 膣の収縮も一段落し、小岩井の息の乱れが何とか収まった頃、
「あ、あの、もしかしてイッちゃった……?」
 と聞いたボクに、
「うるさい、ばかあ!……もう、ホントにひどいんだからぁ……!」
 たまに鼻をすする小岩井は、恥ずかしいよぉ等といいながら手で顔を覆ってしまった。
 ボク、今、初めて女の子をイカせちゃったんだ! すごいすごい、ボクの愛撫でもちゃんとイッてくれるんだ! でも、アソコに指を突っ込んでグチャグチャかき回しちゃうなんて、処女相手にはいささか乱暴だったかも知れない。もし今後機会があるなら、もっと優しくしてあげないと……
 ボクは小岩井のアソコから指を抜くと、今更罪滅ぼしの気持ちを込めて、小岩井の頭を優しく撫でてやった。
 さて、ではまた元のAVの工程に戻ってみよう。確か家庭教師のAVでは、男優さんが女優さんのアソコに指やらどこかに隠していた電気アンマをあてがって、ビービー感じまくる女優さんにビュービュー潮を吹かせていたけど、さすがにこの部屋にはそんなステキ道具は無いだろうし、それにこれ以上小岩井のアソコを指でいじるのは何となく可哀想な気がする。という事でその辺の潮吹きは飛ばしておくとして、次はたしか男優さんが自分のちんちんを女優さんに咥えさせていたなぁ?
 ……こいつ、そんな事やってくれるかな? ボクはいきなりこいつの口にちんちんねじ込むのもアレなので、とりあえず訪ねてみることにした。
「あの、嫌だったら全然しなくて構わないんだけど、良ければボクのちんちん口で咥えてみてくれる?」
「あうぅ……あの、やってみる……」
 小岩井は未だイッたショックで上手く身体に力が入らないようだけど、ゆるゆると上体を起こしてボクの足の上からどいてくれた。
「あの、えっと……どうやったらいい?」
「うぇ!? あっと……どうしようか……」
 いきなりフェラのやり方なんか聞かれてもなぁ?? だってボク、男の人のちんちん舐めたこと無いからわかんない!(当たり前だって)
 ということで、またAVを参考にしなければならないのだろうけど、確かAVでは男優さんがベッドの上に仰向けに寝て、女優さんが男優さんの下半身に覆い被さるようにしてちんちんぺろぺろ舐めていたっけ。
「あの、そしたら、ボク一旦ベッドの上で仰向けになるから……あの、ベッドで寝ていい? 嫌なら床でもいいけど……」
「あうぅ!? あの、その、一条君こそ嫌じゃなきゃ、ベッドで全然いいし!」
 そういう事なら……。ボクはベッドに両足を上げて、自分でズボンを下ろしていった。本当は、AVの中では女優さんが脱がしていたけど、そこまで小岩井にやらせるのは何となく悪い気がするし……
「あうぅ……」
 小岩井は顔を背けつつ、でも何故かボクの方をチラチラっと見つつ、ボクがズボンを下ろし終わるのを待っていた。まぁ……ボクは今のところ小岩井のことが可愛くてどうしようも無いけど、小岩井の方はどうせボクのコトなんてぶち殺したいくらい嫌いなままだろうしねぇ? ただでさえ、さっき無理矢理イカしちゃって余計に頭来てるだろうし……。
 あ、こいつその仕返しにって、ボクのちんちん噛み千切ったりしないよねぇ!? そこまでやらないとしても、がぶって噛まれたらボク、もう男の子としての気持ちよさが感じられない身体にされちゃうかも! うわあ、怖いなぁ、やだなぁ。やっぱ口で咥えて貰うのキャンセルしちゃおうかなぁ……
 けど、今更どんな理由を付けて「やっぱいいよん♪」って言えばいいのさ? こっちからお願いしておいて断るなんて、さすがにバカみたいだし、いいって言ってくれた小岩井に対しても悪いってもんだよ。そもそも以前ピアノでBGM弾いてくれた件だって、10年後のダメな自分が秘密ってお願いしていたみたいだけど、それだってこいつ、自分が学校のバカ共に虐められまくってもじっと我慢して約束守ってくれたもん。ボクのことちんちん噛み切りたいくらいに嫌いなくせに、こいつ本当にイイ奴だよねぇ……。
 だったら、今まで小岩井が辛い思いをしてきた分、ボクはちんちんを噛まれて同じ苦しみを受けなければならないのかも知れない。小岩井が虐められてたことだって、ボクに全然原因が無いってワケじゃ無いんだから。
 ボクは意を決して、ズボンとパンツをおろしていった。そしてそれら着衣がボクの膝くらいまでおろされると、さっきからギンギンに立ちっぱなしで、いつもよりも毒々しく鬱血してぱんぱんにふくれあがったちんちんが、まるで天を突く勢いで顔を出したのだった。
「あうぅ……おっきい……」
 小岩井はまたもや顔を押さえてそっぽを向いてしまったよ。まぁ嫌いなヤツのちんちんなんて、なるべく見たくないだろうしねぇ? とは言っても彼女には大変申し訳ないけど、これから適当に舐めて貰わなければならないので、とりあえずぱくっと口に咥えて貰って、出来ればこれから小岩井のアソコに入れても痛くないように、つばでも適当に付けて貰えば良いと思うのだ。
「あの……そしたら、ちょっと口に入れて貰える……?」
「あうぅ……こんなに大きいの、入るかなぁ……」
 小岩井は手を下ろしてこっちに向き直り、こくんと喉を鳴らすと、まるでにらみつけるようにボクのちんちんを見やっている。そして色々覚悟並びに思いっきりかじりつく算段を付けたのだろうか、
「あの、触っていい?」
 おずおずと手を伸ばし、ちんちんの先を口で咥えやすくするために根元の方でも持とうとしているのか、ボクに了解を求めてきた。
「うん、あの出来れば優しく……」
「あの……その……私こういう事したこと無いから、やり方がよくわかんないんだけど……あの、気持ちよくなかったら、ごめんね?」
 小岩井はそう言うと、ちんちんのさやの部分を両手で持つと、あーんと口を開け、そのまま亀頭の部分を口に入れようとした。
 しかし、
「あうう……」
 小岩井が大きな口を開けてちんちんをそこに入れようとしても、どうしても上下の歯が亀頭に当たってしまう。小岩井はゆっくり試してくれるので、ちんちんに歯がこつこつ当たっても痛くないどころかちょっと気持ちがいいくらいなんだけど、やっぱ小岩井って開いた口の大きさも人より小さいのか!?
「入らない?」
 そう聞いたボクに、
「あうぅ……その、大きすぎて入らないよ……」
 どうしようと、小岩井は何か泣きそうな顔でボクの方を見る。
 大きすぎるって……小岩井の口のサイズがやっぱり小さいのだろうけど……まぁ女の子は口が小さめの方がやっぱり可愛いみたいだし、さて、どうしようか……
「あの、そしたら、適当にぺろぺろ舐めてみるとか……」
「うん、やってみる……」
 小岩井はちんちんをちょっと自分の方に傾けると、亀頭にちゅっちゅっとキスをし始めた。それは、自分でオナニーするときの気持ちよさにはほど遠い感じだけど、でも、なんかそのこそばゆい感じがとっても心地よく、心に暖かいものを満たしてくれるようだ……
 やがて小岩井はアイスキャンディでも舐めるみたいに、小さな舌を出してぺろぺろと亀頭やさやの部分を舐めてくれる。もちろんそれでも自分の手で直にゴシゴシこする刺激には全く足りていないけど、でも小岩井が懸命に自分のちんちんを舐めてくれる様子にメチャクチャ興奮してしまったボクは、早くも腹の奥から精液がせり上がってくるのを感じていた。
「うぅ………もう出ちゃいそう……!」
「あうぅ!?…・あの、その、一回出しちゃう?」
 ボクは本当は小岩井の膣の中で出したかったのだけれど、でももう正直言って全然我慢出来そうに無かった。頭の中は、今すぐ射精して小岩井に精液をぶっかけちゃうことで一杯になっていた。
「うん、ごめん、もう我慢出来ないよ……」
 ボクのそんな情けない声に、小岩井はせいぜい軽蔑しただろうけど、
「あの……その、じゃあ、もっと強くした方が良いんだよね?」
 そう言って彼女は両手でボクのちんちんをしごきながら、尿道あたりに口を付けて、ちゅっちゅと中身を吸い出すような仕草をしてくれた。出来れば裏筋あたりを強く舐めて欲しかったのだけれど、しかしそんな事は全く必要ないくらいの強い勢いで、ボクのおなかの底からぐぐぐっと精液が溢れ出てくるようだった。ちんちん全体がじんじんとしびれ、小岩井がしてくれる優しい動きが全て鮮烈な快感に感じられた。
 ボクが幸せすら感じる快感に身もだえしながら、
「うぐぅ〜〜〜〜!」
 と、情けない声を垂れ流していた。その間にも精液がちんちんの中をせり上がり、ボクは懸命にそれが吹き出ようとするのを我慢する。だって早く出しちゃったら、なんだか勿体ない気がするし……!
「うあっ!! うううっ〜〜〜!!」
 もう、ボクの身体がちんちんを中心にして爆発したかのような感覚がして、ボクは小岩井が口でしてくれているにも関わらず、本能に任せて身体をジタンバタンと暴れさせていた。
 だってこんな強すぎる快感、到底我慢出来ないよ〜〜!! 小岩井が優しく口を付けているだけだろうに、まるで痛さを伴うかのような激しい快感がビリビリとせり上がり、ボクの腰が勝手にビクビク動いちゃう。そして、
「出るっ!」
 びゅっ! びゅっ! びゅっ!!
 ちんちんから噴き出した精液の量と勢いが激しすぎて、尿道口がキリキリ痛むような射精を迎えた。
「ひゃうう!?」
 ボクが暴れるのにびっくりして口を離した小岩井の顔めがけて、まるで水鉄砲で撃つかの如き勢いをもって、精液が彼女の顔めがけてぶちまけられてしまった。
「うっ! ううっ! う〜〜!」
 ボクがぎゅっぎゅっとちんちんを絞る度に、びっくりするくらいの大量の精液が噴き出される。その度に、呆然としている小岩井の可愛らしい顔に、白くて粘っこい液体がびちゃびちゃと浴びせかけられていた。
「あうぅ!?……あの、これどうしよう!?」
 小岩井は、まるでホースの外れた水道の蛇口を抑えるような感じでボクのちんちんの先にぎゅっと手を当てたのだけれど、それが余計に激しい快感となってボクの身もだえを誘発する。
「うああああっ!!」
「痛かった!?」
「だ、大丈夫……」
 射精から10秒くらい経って、何とかボクの律動が収まった頃、顔を精液だらけにされた小岩井がこちらを恨みがましい目で見ていた。
「すごい……男の人って、こんなにいっぱい出るんだ……。それにネバネバしてる……」
 自分の顔にかかった精液をぬぐい取り、指で精液をもてあそぶ小岩井。
「あ、あの、その、ごめん……」
 いくらフェラチオ……って言えるかどうか知らないけど、口で優しくお世話して貰ったあげくに大量に顔射して汁まみれにして、普通に申し訳なく思ったボクはほぼ自動的に小岩井に謝るも、
「あうぅ!? あ、あの、全然そんな事無くて、あの、気持ちよくなってくれて、私も嬉しかったから……」
 等と、何の嫌みか笑顔を浮かべながら、おかしな事を言ってきた。
「……男の人の射精って、激しいんだね。……わたし、今まで射精って、もっとちょろちょろって精液が出てくると思ってた……」
 すっごい勢いだったと、小岩井は近くに置いてあったティッシュを何枚か抜くと、ボクのちんちんを優しく拭いてくれる。
「あっ、そんなのはどうでもイイから、小岩井も拭かないと……」
 ボクもティッシュを何枚か取り、小岩井の顔や髪の毛に掛かってしまった精液を拭き取っていく。
 にしても……自分で噴き出しておいて言うのも何だけど、ボクのタマタマの何処にこんな大量の液体が入ってるんだ? まさに生命の神秘、命を次世代に繋ぐための機能は色々とオーバースペックがデフォの様だ……。
 ボクは結構な枚数のティッシュを使って、ようやく小岩井の顔を綺麗にすることが出来た。さて、ここでも無駄な空白時間を作ってはダメだ。ボクは改めて小岩井に向き直り、
「あ、あの、じゃあ、続き……する?」
 などと声を掛けてみたのだけれど、
「あう? あ、う、うん……。あの、優しくてね……?」
 なんて、また顔を赤らめた小岩井が、激しく可愛い返事を寄こしてきやがった。
 何だ何だ! こんな可愛い生き物、もうボク訳がわかんないくらいに愛おしい!! さっき一吹きして静まっていたボクの愚息が、また勢いよくむくむくと起き出してきてしまったよ……。
 なんてこと、あれほど出してもまだ出し足りないというのか?
 とは言っても、まだボクらこの期に及んで処女と童貞であって、お互いの性器は指で触ったけれども、しかしそれ同士をくっつけた事は未だかつて無いのだ。ある意味、ここからが本番と言えるだろう……!
 ボクはさっそくAVの工程に戻るべく、小岩井の肩を優しく押して、再びベッドに押し倒したのだった。
 さて、次はたしか、女優さんのアソコを舐めて良く濡らしておく段階だったっけ。ビデオの中では、家庭教師扮する男優さんが、女優さんの足を押っ広げてジュルジュルとアソコに舌を這わせていたのだけれど、でも小岩井の顔をちらっと見てみると、しかし彼女はなんだかこっちの方をおびえたような目で見ていた。
 ボクは小岩井の気持ちをリラックスさせるため、彼女の隣に寝っ転がり、小岩井をいつも通りに抱き寄せたのだった。
「あの、怖がらなくていいから、優しくするから……」
「うん……」
 小岩井は、ボクの胸におでこを付けて、ボクの背中をやわやわとさすってくる。ボクもそんな彼女の肩を優しく撫でながら、ふるふると彼女が緊張で震えるのが収まるまで、そのままお互いの体温を感じていた。

 しばらくすると、小岩井の身体から変な緊張が抜けてきたようだった。ボクはいきなりアソコを吸いに行くのはどうかと思ったので、彼女のスカートをゆっくり下ろしおわると、手をそっと小岩井の股間に差し入れた。
「あうっ……!」
 びくんと、しかし緊張だけではなくちょっとは気持ちよかったようで、その証拠に彼女が発した声はトーンが高いものだった。
 ボクは中指をアソコの割れ目に差し入れると、柔肉のひだひだを指の腹でなで回してゆく。やがて割れ目の奥からじわじわと愛液がしみ出してきて、ボクがちんちんを舐めて貰う以前のように十分濡れているようだった。
「あの……小岩井のアソコ、キスするから……」
 ボクがそう告げると、
「ふぇぇ!? やぁ、汚いから、その、そんな事しなくていいから……!」
 しなくていいって言われて何もしないのは、はっきり言って男じゃ無いし〜。
 てゆーか!! そういえばボクのちんちん、昨日風呂に入ったっきりで全然洗ってなかったよ! 今まで全く気がつかなかったとは言え、女の子に何て汚いものを舐めさせちゃったんだ!? ボクは本当にバカなのか!?!?
「あ、あの、全然汚くとかないし! てゆーかボクもちんちん洗って無くて、本気でごめん!! あの、今から洗ってこようか、お風呂とか借りていい!?」
「あうぅ、いいって、一条君は汚くないから! 私、全然嫌じゃ無いから! あの、だからこのままでいいし!」
「でも……」
「いいって言ってるんだから! あの、でも私のは、あの、その、汚いから……」
「小岩井がボクのを汚くないって言ってくれるなら、ボクだって小岩井のこと汚いなんて死んでも言わないから!」
「あうぅ、でもやだぁ……恥ずかしいからあ……!」
 ごめん、やっちゃうから。
 ボクはこれ以上押し問答を続けても埒があかないと思い、起き上がると小岩井の下半身に向き直り、その両膝の裏に手を入れて、ぐっと前に押し込んだ。小岩井は両足を持ち上げられて、おしりをちょっとだけ持ち上げるような姿勢になる。
「やあああ! 恥ずかしいよーっ!!」
 小岩井はいやいやと足をジタバタさせるも、ボクは少しずつ両膝を外に向けて開いていった。
「やああ、なんで酷いコトするのぉ………」
「酷いことじゃないし! ボク、今、小岩井を愛してるんだから!!」
 もちろん心から愛してるって意味じゃなくって、セックスしてるって意味だけどね。
「あうぅ……恥ずかしいよぉ〜〜 ばかぁ〜〜……」
 小岩井は両手顔を覆うと、しくしくと泣き始めてしまった。でも、ここはこのままいけるはず。だって小岩井が足を閉じようとする力は、彼女の言動とは反対にどんどん弱くなっているのだから。
 そして両膝を50センチくらい開いたところで、視線を下におろしてみる。そこには、幼いままの割れ目だけの女性器があり、ボクが先程なで回したひだひだが、割れ目の隙間からちょっとだけ顔を覗かせていた。むぅ、これはいわるゆひとつのスジマンというものだろうか?
 そのあまりに可憐な様子にボクの劣情の炎ががっと燃え上がるも、こんな小さなところにちんちんを突き入れて良い物かどうか、若干心配になってくるのも事実であった。でも女の人はここから赤ちゃんを産むんだしなぁ?
 せめて潤滑剤を多くして、出来るだけ痛くないようにしてあげないと……
 ボクはもう少しだけ股間を広げると、てらてらと光るひだが覗く割れ目に口を付けた。
 ちゅっ
「あうぅ!!」
 頭の上の方から、小岩井の鋭い声が聞こえてくる。それと同時に、ボクの鼻にはうっすらと石けんの香りが感じられた。もしかしてこいつ、お茶を持ってくる前、お風呂かどっかで洗ってきてくれたんだろうか? どうせならボクもお風呂に呼んでくれれば良かったのに……。小岩井のそんな女心というか、ボクに対する気遣いに、じ〜んと感動してしまった。だからボクは精一杯愛情を込めて、チュッチュと先程小岩井がしてくれたようにアソコ全体にくまなくキスをして回った。そして舌で割れ目をこじ開けると、中のひだひだを舐め取る様に、舌を上下にぺろぺろと動かしていく。
「ひゃうう! あうっ………あんっ……あんっ………あぁん………!」
 小岩井が、再び高い声で鳴き始める。それと同時に彼女の身体から力が抜け、彼女の足がもっと大きく開かれた。ボクはちょっと顔を上げて、小岩井の割れ目の中をじっくりと見やった。
 ヘアが生えているおなかに近い部分とは違い、割れ目の部分にはまだ毛は生えていない。ピンク色のクリトリスが割れ目の上の端にちょこっとだけ顔を覗かせていて、そこから下に向かって二つの小さいひだひだが生えている。そして、割れ目の下の方にボクが今からちんちんを入れて、小岩井を泣かせちゃうであろう膣が、本当にちょっとした穴として存在していた。
 こんなところにホントに入るの!?
 どう見ても、穴の直径は1センチくらいだった。多分、広げればそれなりに広がるんだろうけど……。一瞬、さっきみたいに指でも突っ込んでどれだけ広がるか確かめてみようと思ったけど、なんか敏感そうで傷付けちゃヤダし……。
 ボクは膝の裏から手を抜くと、小岩井のアソコの大きい方のひだに手を当てて、それを左右にくいっと広げてみた。
「やああああ! 広げちゃだめぇ!」 
 なんでそんなとこいちいち見るのーとか、小岩井はビービー泣きながら抗議してくるけど、でも男の子が女の子の身体で一番見たい場所ってここなんだよ? むしろ今からボクのちんちんがもっと酷いことするんだから、傷物になっちゃう前の綺麗な状態をしっかり見ておかないと勿体ないって。さすがに写真まで撮っちゃうのはいくらなんでもアレ過ぎるのでしないけど、でもボクが初めて見る、初めての人の処女のアソコなんだから、記憶の底にしっかりとしまっておかないとね。
 そして件の穴だけど、割れ目を広げてもちっとも大きくならず、やはり何かしらモノを突っ込んで確かめるほか無い様だった。
 ボクは、多分自分の身体で一番柔らかいであろう舌を尖らせて、そこに突き入れてみた。
「ひゃあう! あう、あうぅ!!」
 小岩井の可愛らしい声に合わせて膣はうねうね動くも、思ったよりもそこは柔軟性があって、穴は広げれば結構大きくなるようだった。けど、その入り口にはそれを取り囲むように小さなひだがあり、穴が大きく広がるのを邪魔しているようだった。これが多分処女膜ってヤツなんだろうね。たまに”膜”って字が付いてるからって膣を完全にふさいでると勘違いしてる人もいるようだけど、こうやって膣の周りにひだが付いているだけとか、膜は膜だけどいくつか穴が開いていて、生理の血がそこからちゃんと流れ出るようになっているのだ。(でもたまに完全に膜状になっている人がいて、生理が始まると腹痛を起こしたりするんだけど、そういう場合は病院でちゃんと穴を開けて貰わないといけないのだ)
 そんな保健体育的知識を思い出しつつ、ボクは小岩井の処女膜がこれからあまり痛くならないように、念には念を入れて舌でぴちゃぴちゃ舐め回しておいた。だいたい処女の女の子が痛くなっちゃうのは、処女膜が切れちゃうってのもあるんだけど、それよりも十分濡れていない膣にいきなりちんちんを突っ込んでグサグサ腰を突き込んだりして、乱暴に擦られてしまうからなのだ。じっくり前戯をして良く濡らしておけば、初めての苦痛も幾分和らぐらしい。当たり前だけど、ボクは小岩井に痛くなって欲しくないので、つばをいっぱいなすりつけた舌を膣の奥に差し込み、中をじっくり濡らしたのだった。
 でも、ボクの口の中にはちょっとだけ酸味が感じられる血の味が広がってくる。これは小岩井の膣から溢れてくる愛液の味だろう。愛液だって元々は血液なのだろうから、血の味がしたっておかしくは無いよね。一旦舌を抜いて小岩井のアソコを見るも、そこはボクのつばと彼女の愛液でてらてら濡れているだけで、血液がにじみ出しているようなことは無かった。小岩井はあんあん声を漏らすだけで痛いって言ってないから、ボクが舌でねぶったからって処女膜が切れちゃったって事は無いのだろう。
 そうやって、ボクが小岩井のアソコへのキスを長時間行ったことで、彼女の身体からはすっかり緊張が抜け、ボクが愛撫すると可愛い声を上げて鳴くだけになっていた。
 じゃあ、次の工程に進もう。確かAVだと、男優さんが女優さんに覆い被さって、一生懸命腰を振るだけだった。つまりは、ついにボクが童貞を捨てるときが来たってことなのだ。
 けど、いきなりここでちんちんを突き入れてもやっぱり痛いだろうし、おっぱいでも愛撫しながらやった方が少しは気が紛れるのかな? ボクはそんな事を思い、小岩井の足を広げてそこに自分の身体を割り入れると、まずは両手で彼女のおっぱいを優しく揉み始めた。
「あんっ………あうっ………あう……あん………あん……」
 小岩井は、ボクの稚拙な愛撫にも可愛らしい声を上げてくれている。そんな彼女がたまらなく可愛くて、ボクついついは彼女のおっぱいにしゃぶりついてしまった。
「あうぅ!……そんなに激しくしないで……あんっ……あんっ!」
 ピチャピチャと、卑猥な音を立てて乳首を吸う間に、ボクは少しずつ自分の腰を前に出し、ギンギンに固くなっているちんちんの先でうっすらと開かれている彼女のアソコに近づけていった。
 やがて、ちんちん先が小岩井のアソコに当たった。くちゅっと小さな音がしただけであったが、ボクのちんちんの先にはとっても暖かくて柔らかい、小岩井の一番女の子らしい部分が感じられていた。
「あうぅ……」
 けど、そんな感覚に感動したボクとは裏腹に、小岩井は急に身を固くしてしまった。
 やはり、固くてドクドクと脈打つ醜悪な肉棒が、自分の一番敏感な部分に突き立てられているのだ。ましてや未経験の小岩井にとって、この状況は恐怖を呼び起こすには十分と言えるだろう。
「あの……これから入れちゃうけど、でも、なるべく痛くないようにするから……」
「うん……私は大丈夫だから……」
 小岩井はちっとも大丈夫じゃ無い声でそう言いながら、ボクの背中を撫でてくれた。
「じゃあ、入れるからね……」
 ボクは片手でちんちんのさやの部分を持つと、小岩井の割れ目に沿ってゆっくり動かしてゆく。まずはボク自身のちんちんも濡らしておかないと、中に入れたときにとっても痛いだろうし……。幸い小岩井のアソコは愛液で十分濡れていたため、ちんちんの先もすぐにビチョビチョになった。たぶん、ゆっくり入れれば大丈夫。ボクは小岩井の腰骨あたりに両手を添え、彼女を少しだけ自分の方に引き寄せた。そして亀頭の先の部分を小岩井の膣に当てると、ゆっくりと腰を前に出していった。
「あうぅっ!」
 けれども、亀頭はちっとも穴に入っていかずに、単に柔い肉壁をぐいぐいと押しているようにしか感じられなかった。でも二人の結合部を見ると、ボクの亀頭はしっかりと小岩井の膣の位置に突き立てられている。場所が違うって事はなさそうだ。
 もう少し、強めに押し込まないとダメなのかなぁ……?
 小岩井の顔をちらっと見てみると、彼女は目をつむって苦痛に耐えているようだった。可哀想だけど……ボクの胸も張り裂けそうになるけど、でも、これを乗り越えないと、ボク達目的を達せられないから……
 ボクは改めて、腰を前にくっと出してみる。
「あうぅ〜〜っ!」
 小岩井の顔が、具体的に苦痛に歪んだ。でも、ボクのちんちんは先程みたいに単なる肉壁を押しているのとは違う、少しだけ包まれた触感を受けているのは間違いなかった。場所は大丈夫だ、だから、このまま……
「あうぅ……痛いよぉ……」
 小岩井の目から、涙が一筋こぼれ落ちる。
「ごめんね、本当にごめんね……!」
 ボクの口から自然にそんな言葉が漏れていた。
 そしてもう一回腰を前に出すと、
 ぷちゅっ
 そんな音がして、ボクのちんちんの膨れた部分、亀頭のみが、小岩井の身体にはまり込んだのだった。
「あううううっ!!」
 小岩井の悲痛な声が、部屋の中に響く。
 彼女の身体の中は、とても柔らかくて、暖かくて、隙間無く包んでくれて、ボクのちんちんはまさにここに入るためにこの形、この位置、この大きさで出来ているんだと天啓を得るが如く、最高のフィット感でじんじんと快感を与えてくれていた。先っぽ入れただけでこんなに気持ちがいいのだから、全部入れたら一体どうなっちゃうんだろう!?
 しかし、逆にこんな先っぽを入れただけでも、小岩井はさっきから痛さのあまりぶるぶる震えてしゃくり上げているのだった。
「大丈夫!? 痛みが強すぎるようだったら、やめてもいいから……」
「大丈夫だから……! だから気持ちよくなって……!」
 そんな事を言っても……。AVだと、女優さんは演技で痛い痛いって言ってたけど、やっぱりどことなく気持ちよさそうだったし……。でも小岩井は、どう感考えても苦痛、いや激痛しか感じていないようだった。ボクらが繋がったところを見ても、特段血が流れていたりはしないけど、でもあれだけ小さな穴だったアソコが何十倍にも大きく広げられてしまっていて、そのキチキチに引き延ばされてしまった彼女の肉壁は、見ていて痛々しさすら感じるような有様だった。
「ねぇ、やっぱりやめない? ボクもう十分に気持ちいいから、ムリしなくていいから……」
 しかし、ボクのそんな心の底から心配した台詞に、
「だから大丈夫だって……! 好きに動いていいんだから……!」
 どう見ても息も絶え絶え、ちっとも大丈夫じゃ無い小岩井が泣きじゃくりながらそんな事を言ってくる。
 んもう、ホントこいつ分からず屋だよね! 別に恩着せがましくするつもり何て無いけど、こんなに痛がってる女の子の身体を使って気持ちよくなろうとか、男の子はそこまで神経図太くないんだから! ぶっちゃけドン引きなんだから!!
 けど、そんな心の声とは裏腹に、ちんちんの方は小岩井の柔肉に包まれた快感をさっきっから延々ボクの脳髄に送り続けているので、ボクの愚息の堅さはちっとも弱まってはいなかった。むしろ、気持ちよくてビクビクと勝手に痙攣しているような有様だった。
 ……もうちょっと入れちゃおうか。
 でもさすがにこれじゃ、ギシギシ揺するのはムリそうだから、あと2センチくらい奥に押し込んで、それでギャーギャー痛がったらやめにしちゃおう。別に射精して無くても、ボクら十分に処女損失と童貞損失を経験したよー。
 ボクは小岩井のおっぱいを優しく撫でながら、さらにもう一突きほど、腰を前に突き出した。
「うぐうううううっ!!」
 小岩井は、歯を食いしばって痛みに耐えている。まさに身を切られる痛さが彼女の全身を貫いているのだろう。さっき舌でなめ回した小岩井の小さな処女膜は、さすがにボクのちんちんの太さほどには広がらないだろう。間違いなく切れてしまったはずだ。人に勝手に肉棒をねじ込まれて、とっても痛いだろうに……。何でこいつ、こんなに辛いはずなのに、ボクのことやめさそうとしないんだ? 何がここまで小岩井を追い詰めてるんだ?
 ボクは都合5センチくらい挿入したちんちんを軽く揺すって、小岩井の反応を見ることにした。
「あの、動くから……」
 一応声を掛けて、ボクは軽く腰を引き、小刻みに腰を揺すってみた。
「うああうっ………痛い………痛い……痛い〜〜」
 やはり、小岩井はあえぎ声など出す事は無く、シーツをもみくちゃにしながら苦痛に耐えているだけだった。確かにちんちんはメチャクチャ気持ちいいけど……昔夢の中で小岩井とえっちしてたときとか、自分の手につばを付けてでしごいたときなんかと全然違って、こんなに気持ちよさを感じる神経がボクのちんちんに存在してたって事自体に驚くくらいに、ヌルヌルでヌチュヌチュで熱いくらいに心地よい暖かさを感じるけど……でも目の前で小岩井がこんなに苦しがって泣いてるのだから、ボクの心はちっとも躍らないかった。ダメだよこんなの、小岩井だって気持ちよくなきゃ……
「ねぇ、痛いでしょ? ボクもう十分気持ちよくなったから、もうやめちゃうよ?」
「いいってばー!!」 私だって気持ちいいんだから!! もっとメチャクチャ動いていいから気持ちよくなってよー!!
 折角心配してんのに、そんな怒鳴らなくても良いじゃない!
「なんでさ、どう見ても痛がってんじゃん! ムリすること無いでしょ!? 小岩井が気持ちよくなきゃボクやだから……」
「何よ今更!! 人の身体にちんちん差し込んどいて! 男だったら最後まで責任取ってよーっ!」
 責任とか! 何言ってんのこいつ、全然意味がわかんない!
「最後までとか、いっぱい揺すっちゃうんだから! 最後までちんちん入れちゃうんだからね!? ホントにいいの!?」
「いいって言ってんの!! 早く気持ちよくなってよ!!」
 私はこれで嬉しいんだからと、小岩井は負けず嫌いも大概にしろ的なワケの分からない台詞をまくし立てていた。
 うー! 全くこいつは本当にバカチンだ! 人が心配してれば文句ばっかり言って……!
 いいもん、ボク本当に気持ちよくなっちゃうから! 小岩井のこと、もうメチャクチャに犯しちゃうんだから!!
「じゃあ、ボク気持ちよくなるからね! もう我慢しないからね!!」
「早くしてよ! 気持ちよくなってよっ……!」
 小岩井は今までシーツを握りしめていた手を持ち上げると、ボクの顔をぺたぺた触ってきた。
「ね、早く気持ちよくなって……一条君が気持ちよくなれば、私嬉しいんだから……」
 そんな小岩井の声に、ボクの理性は自らの制御を解除した。小岩井のおっぱいをいつもより強めに揉みしだくと、そのまま手を彼女の腰骨にスライドし、ぐっと力を込めて自分の方に引き寄せたのだった。
「あうううううっ!! 痛いよーっ……」
 再び小岩井の悲鳴が部屋に響き渡るも、ボクは力を緩めなかった。でも、結局ボクのちんちんは今よりも奥には入る事は無かった。全部でちんちんの半分も入ったのかなぁ? 亀頭の先は、小岩井のアソコの奥をぐいぐいと押し込み続けている状態で、力を抜けば押し返されるような感じだった。やっぱり身体が小さいと、アソコのサイズも小さいみたいだねぇ……。
 ボクはゆっくり腰を引き、うっすらと血に濡れたさやの部分を見ながら、亀頭のカリの部分が出てくるのを確認すると、ぐっと腰を突き出し再び小岩井の膣の奥に亀頭の先を衝突させる。
「うあっ」
 じゅぷっという音と共に、小岩井の喉から声が押し出される。
 ボクはもう一度腰を引き、そして亀頭がアソコの穴から顔を覗かせると、また腰を前に突きだし膣の奥を殴りつける。
 そんな動作を10回くらい繰り返している内に、小岩井のアソコの柔肉とボクのちんちんがなじんできたのか、よりいっそう柔らかい感覚がボクのちんちんの先を包むようになっていた。
「気持ちいい……気持ちいい……」
 ボクはまるでうわごとのように声を出しながら、小岩井の身体の中を行き来する。
 そのたびに、苦痛に歪んだ彼女の口から、まるで身体の中の空気が絞り出されるように、悲鳴混じりの声が漏れ出ていた。
 到底その声は快感によるものには聞こえなかったけど、でも理性を止めたボクには自分の腰の動きと同期してあうあう声を上げる小岩井に劣情がどんどん増していき、腰の動きの速さや強さがだんだん強くなっていった。
 いつの間にか、ギシギシとベッドのスプリングが軋む音を立て、ボクと小岩井の接合部からはじゅぷじゅぷと血の混じった愛液がこぼれだし、
「あうっ……あん………あぅぅ……あん……あんっ………あん……あうっ……あうぅ……」
 と、半分意識が遠のいたような彼女の開いた口から、あえぎ声にも似た声が発せられるようになっていた。
 小岩井! 小岩井! 小岩井!!
 ボクは彼女の小さい身体に夢中にしがみつくと、もう猛り狂ったように腰を突き入れる。
「あううああああああっ……!」
 ボクの律動に全身を翻弄された小岩井が、ボクの腕に必死に捕まりながら、ボクの腰の突き込みをその小さい身体で精一杯受け止めている。ボクのちんちんが、ごっごっという鈍い音を立てながら小岩井の子宮を突き上げる度に、小岩井の小さい身体はその衝撃でガクンガクンと揺すぶられている。その激しい動きに、小岩井のアソコからこぼれだした血の混じった愛液が飛び散り、シーツに赤い染みを点々と描いていた。
 ボク、もちろんセックスするのは初めてだけど、でも思ったよりも上手くピストン運動が出来ているようだ。途中でちんちんが抜けろ事も無く、リズミカルに小岩井の胎内を行き来出来ている。ボクらの身体の構造は、こうやって愛し合うように出来ているんだねぇ……。
「あっ あっ あぅ あん はぁはぁ……んっ んっ んっ あっ……うぁ……あん あん あん あん……」
 ボクが小岩井の子宮の奥をごつごつと叩く度に、小岩井は律儀に声を上げている。女の子のえっちなときの声って、自ら出すって言うより勝手に出ちゃうみたいだけど、男はこの声を聞くとどんどん気持ちが昂ぶっていくんだよね。特に、自分の突き込みに応じて声を出してくれるのが、とっても嬉しい。ああ、これがセックスの本当の気持ち良さなんだ……。自らの身体の動きによってちんちんが柔肉を掻き分ける何とも言えない快感に、暖かくて柔らかく、そしてなんとも愛おしいすべすべお肌の女の子の身体に、ボクの手すらも快感を感じるようだ。出来ればちんちんを根元まで突き入れて、ボクの腰の部分が小岩井の太ももにバチバチ当たるくらいならもっと気持ちよさそうだけど、でもこれ以上無理矢理突っ込んだら、子宮を突き破っちゃうかも知れない。だいたいちっこい身体とは言え、ボクのちんちんがもしも小岩井の身体に全部差し込まれたら、ちんちんの先っぽが胃の下辺りまで行っちゃいそうだからねぇ?
 普通サイズの女の子って、膣の長さというか深さって、どんなもんなんだろ?
 おっと、いくら愛のないセックス中とは言え、ボクの処女をくれた女の子と初体験中なのだ。他の女性のことを考えるのはさすがにマナー違反が過ぎる。目の前の可愛い女の子に、集中集中!
 やがて、小岩井の愛液がだいぶ出てきたのか、先程よりも数段胎内の行き来しやすくなっていた。でも、やはりちんちんが半分も入っていかないのはやっぱり残念というか、正直言って亀頭ばかりが刺激されているので、射精感が来る前に快感が強すぎてちんちんが痛いくらいになっていた。やはり、竿の部分にも擦ったり、包まれる刺激が欲しのは事実。でも、小岩井のアソコにこれ以上無理矢理入れるのは絶対ダメだ。となると、何か良い方法は無いかな……。ボクはみっちゃんから借りた色々なエッチなビデオから使えそうなアイデアを思い出してみた。そういえば、パイズリってのはどうだろう? おっぱいにちんちん挟んで上下に動かしたら、おっぱいの柔い肉に包まれてとっても気持ちがいいらしいけど……。てゆーか、小岩井のちっぱいじゃ到底無理だ。だって二つのおっぱいを真ん中に寄せても、到底ちんちんの太さを包む大きさというか、肉の量が確保できていないもん。ボクは実際に小岩井のおっぱいをむにゅむにゅ真ん中に寄せてみたりしたけど、もともと張りが強くてあんまり大きく動かせないし、小岩井もなんだか痛そうだった。
 となると……そういえば、閉じた両太ももとアソコの間に出来る隙間にちんちんを差し入れて揺するってのをやってたのがあったはずだ。素股とか言うんだっけ? それは出来るかな……
「あの、ちょっと素股ってのを試してみたいんだけど……」
「あぅぅ……よくわかんない……」
 小岩井はアソコから涌いて出る痛さを我慢するのに精一杯のようで、はぁはぁと荒い息をしながらボクを見つめるだけだった。どうしよう? でも、さっきこいつ早く気持ちよくなれって言ってたしね?
 ボクは小岩井のアソコからちんちんを引き出すと、血がじわっとしみ出してきたアソコの割れ目にちんちんを乗せ、両太ももを閉じて両側から圧迫してみた。
 あ、これは結構良いかも!? ちんちんの裏スジは小岩井のヌルヌルしたアソコでとっても気持ちがいいし、さやの部分は太ももの内側のすべすべのお肌で柔らかく包まれている。ボクはゆるゆると腰を前後に動かしてみたけど、亀頭に対する気持ちよさは半減したものの、そのぶんちんちん全体への刺激が加わりとても気持ちが良かった。
 さっそく、ボクは腰を叩きつけるように律動を開始した。
 じゅぷじゅぷじゅぷじゅぷ!
 小岩井の膣を行き来していたときより、よりダイレクトに性器がこすれ合う音がする中、パンパンとボクの腰と小岩井のおしりの肉がぶつかる感覚が新鮮で、これはこれで本当に気持ちがいい。
「あん! あん! あん! あん!!」
 小岩井も、処女膜を突き崩されること無く性器に刺激が行くため、少しは快感を感じているようだった。先程よりも声のトーンが高くなり、鼻に掛かったような声で鳴いている。
 ボクはしばらくの間、小岩井の下腹部にちんちんをこすりつけるようにして快感をむさぼっていた。やがて、ボクの亀頭がしびれるような快感を感じ、体中の全ての神経がそこに収束していくような感覚を受けていた。もう少しで射精しそうだ……。おなかの底から、まるで熱いマグマがグツグツと噴き出すような感覚を持って、精液がせり上げってきているのを感じていた。
 さすがに、素股で出しちゃうのは勿体ないよねー……。
 ちんちん全体が包まれる快感はなかなかのものだったけど、でも出すならやっぱり小岩井の胎内に出したい。小岩井の子宮に向かって射精したい!
 ボクは一旦律動をやめ、小岩井の太ももを広げると、射精に向けてビクンビクンと脈打つちんちんを、今一度小岩井の膣の中に差し入れていった。
「あううう! 痛い……痛いよぉ……!」
 やはり、彼女のアソコはまだまだ男を迎入れるには苦痛を伴うようだった。でも、それでもボクのちんちんには、先程と変わらないヌメヌメとした蕩けるような快感を与えてくれる。素股も良かったけど、やっぱり膣の中の気持ちよさが数段上のようだ。
 ボクは、再び小岩井の突き上げるような律動を開始する。
「痛い……つっ……くぅ……! あうぅ……あんっ……んんっ……あうっ……あん あん あん……」
 小岩井は、ボクの腰の動きに合わせてあえぎ声出し始めた。それに合わせてボクの亀頭を包む快感がぐんと力を増す。射精前の、男が一番気持ちがいい瞬間である。ボクはもう、限界まで小岩井のアソコから快感をむさぼるため、小岩井の身体が飛び跳ねるくらいに腰をガンガン突き入れた。
「ああっ! あうっ! あんっ! あんっ! あううっ!!」
 小岩井のあえぎ声にも似た悲鳴が、ボクの動きに合わせてひときわ大きくなった。でももうボク、さすがに我慢出来ないから……!
 まるで意識が遠くなるような激しい律動の中、ボクは小岩井のおっぱいを掴んでメチャクチャに揉みしだいて、自分を快感の限界へと導いていった。ちんちんが半分も入らない小岩井のアソコに若干のもどかしさすら感じながら、彼女の膣の奥壁に何度も何度も肉棒を打ち付けたのだった。
 やがて、
「うううっ!!」
 ボクの意志とは関係無く、亀頭の先がぱくぱくと動き出し、
 びゅっ!! びゅっ!! びゅるるっ! びゅっ!!
「うぐぅぅぅ!!!」
 うなり声を上げるボクのちんちんの先からは、先程小岩井に口でして貰ったとき以上の我慢しきれない苛烈な快感と共に、彼女の胎内に向かって大量の射精が続けられていた。じんじんと痛みすらを感じる亀頭を、小岩井の膣の奥にグリグリと押しつけ、最後の一滴まで残すまいと、ボクは精一杯ちんちんを絞って精液をはき出そうとする。
「あうう!! 好き……! 好きだから………っ!!」
 小岩井も、ビクビクと震えるボクにしがみつき、何か声を上げていた。
 お互いがお互いを力の限り抱きしめ合い、ボクは人生最高の快感を、小岩井は好きでも無い男に身体を貫かれた破瓜の傷みをかみしめながら、お互いの息が落ち着くまでそのまま抱き合っていた。小岩井がたまに発する好き……と言う声が、ボクの胸の中から何度か聞こえてきていた。


 お互いの息が落ち着き、ボクもようやく理性を取り戻した頃。
 あれほど小岩井のアソコの中でいっぱいピュッピュと出したにもかかわらず、あまり堅さを失わない自分の愚息の元気さ加減に若干あきれつつも、ボクはこのまま痛がる小岩井の身体に割り込んだままだといくらなんでも可哀想なので、ゆっくりと腰を引いて彼女の膣からちんちんを引き抜いていった。
「痛っ……痛いよ……」
 やはりボクによって突き崩されてしまった膣が痛むのか、小岩井の顔は再び苦痛に歪む。女の子って、本当に可哀想だ……。男なんて童貞損失でもそんなにたいして痛くないけど(まぁちょっとはヒリヒリする感じはするけど、これはボクがハッスルしすぎてしまった所為でしょう)、でも女の子はまさに身体の一部を切って男を迎え入れるからねぇ……。その証拠に、ボクが引き抜いたちんちんのさやには薄く血液がまとわりついている。これはまさに小岩井の処女膜が切れて出血してしまった痕だろう。
 でも、実際にはそんなに血は出ないもんなんだねぇ? 変なエロマンガだと、シーツが血だらけになるようなグロい演出とかあるけどさ。
 やがて、ボクのちんちんは小岩井の膣から全て抜き出され、
 ちゅぽっ
 なんて音を立てて、勢いよくちんちんが上に跳ね上がったのだけれど……(未だ立っていますので)
「うわあああ!?」
 そんな情けない声を上げるボクの目の前では、なんと小岩井のアソコから、大量の血と精液が混ざったピンクっぽいドロドロとした液体が、びゅーっと勢いよく噴き出してきたのだった。
「あうぅ……」
 小岩井は自分のおなかの中で張り詰めていたものが解放されたのか、まるでほっとしたかのような声を上げているけど、いやいやいやいや、これはちょっと大惨事だよ!?
「うわああ、ちょっとこれ、早く拭かないと……!!」
 ボクは慌ててティッシュの箱をたぐり寄せると、小岩井のシーツの上に大量にぶちまけられてしまったボクらの体液を大急ぎでぬぐい取っていく。でも、どう考えても、シーツにはすわ殺人事件か!?と戦慄するほどの血痕がべったりとまとわりつき、到底ティッシュで拭いた如きでどうこうなりそうも無いほど、元は可愛い花柄だったシーツが何とも凄惨な有様に成り果ててしまったのだった。

 ティッシュの箱がほとんど空になる段になって、なんとかシーツにぶちまけられたボクらの体液をぬぐい取ることが出来たボクは、今度は今だ血の滲む小岩井のアソコをティッシュで優しく拭いていた。
「あうぅ、あの、ありがとう……」
 小岩井は未だぼーっとしているのか、男の股間をまさぐられているにもかかわらず、何か上の空のような声でお礼なんか言ってるけど、
「いや、あの、小岩井のシーツこんなんにしちゃって! もしかしたら下の布団も汚れちゃったかも……」
 マジでごめんと、ドロドロの体液のほとんどを噴きだした男としての責任を取るため、ボクは小岩井にぺこぺこ謝った。
「あうぅ……あの、大丈夫だから。一条君が悪いんじゃ無いから……後で洗濯すれば、多分大丈夫………」
 小岩井はシーツをぺろっとめくり、幸い下の布団までに汚れが行っていないのを確認すると、気にしなくていいからと、今更顔を赤らめて何か恥ずかしがっていた。
「……えっち、しちゃった……。一条君で良かった……」
 一体何が良かったんだかさっぱり分からないけど、小岩井は今更になってボクらが身体を重ね合わせたことに実感でも持ったのだろうか?
「あの……わがままきいてもらっていい? あの……もうしばらく、ぎゅっと抱いて欲しい……」
「うん、もちろんいいけど……」
 何故か小岩井がもう一度ぎゅっとして欲しいというので、ボクは小岩井の隣に寝そべると、彼女を優しく抱き寄せ、またぎゅっとしてやった。ちょうどボクの胸のところに小岩井の顔が当たっているのだけれど、彼女の熱い吐息がボクの胸に当たり、ボクの心にじんじんと愛おしさが涌いてくる。
 ボクは自然に、小岩井の頭を撫で繰り回していた。さらさらヘアをぐちゃぐちゃにされた小岩井は、好き、とボクの胸の中で、静かに泣きながら何度かつぶやいていた。

 ところで。
 さっきからたまに聞こえる"好き"って何だ?
 もしかしてこいつ、人を目一杯挑発して2回も射精させておいて、実は自分の好きな男に処女をあげられなかった恨み辛みをボクに直接愚痴っているのだろうか?
 ボクらは今だお互い抱き合ったままで、それに小岩井の頭を優しく撫で続けていたのだけれど、
「……あの、ところでホントにボクで良かったの?」
 等と、今更未練がましいというか、”だからテメェなんて大っ嫌いじゃボケ!”とわざわざ小岩井に言って貰いたいというのか、しょうも無い事をついつい口走っていた。
 しかし、
「良かったもん。……あの、だから……もう一回ちゃんとっていうか、順番違うっていうか……」
 しちゃう前にちゃんとして欲しかったとか何とか、小岩井は涙を払いながら意味不明な台詞をブツブツ言い始めた。
 順番違う!? しちゃう前に?? 一体何のこっちゃ?????
「あの、言ってる意味がよくわかんないんだけど?」
 実は、セックスする前に、何かしら儀式的なことが必要だったんだろうか?
「あうう〜〜〜!! あの、だから、その……あの……もう、分かってよー!!」
 ごめんなさい、分かりません。
 ボクがよっぽど情けない顔をしていたのだろうか、はぁぁ等とため息をついた小岩井が、
「キス……」
 えっちする前にちゃんとキスして欲しかったと、また涙目になってそんな事を言い出した。
 えー……でもでも、好きでも無い男とセックスするのはいいけど、キスは絶対ダメっていう女の人多いって聞くし、ボクは気を利かせて敢えてキスはしなかったんだけどなぁ……?
「あの、小岩井は好きで無い人とでもキスするタイプ?」
 最後の確認として、一応その旨聞いてみたのだけれど……
「あう? ……好きじゃ無いと、そんな事するわけ無いじゃない……」
 何言ってんのよと、なんか怖い目でボクを睨んでいらっしゃる。
 えと? えとえと?? え〜〜〜と???
 小岩井さんは仰いました。ボクにキスしろと。そして、キスは好きな人としかしませんと。最後の締めに、何言ってんのよと。
 この、極めて高度で難解な三段論法を、可及的速やかかつ細心の注意を持って解いてみるに、つまりは、小岩井は、ボクのことが、好きだと、そう言っているのだと!?
 うっそで――――――――――――――――――――――っ!!!!!
 何言ってんのさ今更! だってこいつボクのこと、魂すらも焼き尽くすくらいに大っ嫌いなんでしょ!? 何度もそう言ってたじゃん!
「あの、ちょっとボク今混乱してるんだけど、だから自分の間違えを訂正するためにこの際はっきり聞くんだけれど……あの、小岩井ってボクのこと嫌いだよね!?」
「あうぅ!? 何でよ、そんな事言ったこと無いもん!」
「えー、何度も言ってたじゃん、真面目にしろとかふざけんなとか今すぐくたばれとか……」
「練習してって言ったけど、嫌いとか言ってないもん!!」
 何で分かってくれないのよと、小岩井は泣きそうな顔になる。
 だ、ダメだ! このままこいつを泣かせちゃ絶対ダメだ!! ボクのゴーストというか、第六感が猛烈にそう叫んだ。
「ボクは小岩井大好きだから!!」
 またボクは、口から出任せというか、その場しのぎで適当なことを叫んでいた。
「あうぅ……あの、私も……その、あの……一条君のこと、ずっと好きだったから……あの、今更だけど、私と、あの、だから……おつきあい、してくれる……?」
 やっと言えたと、小岩井はなんだか笑みを浮かべて泣き出した。
 これはまさか、このボクらの愚かな性行為を正当化するための方便か何かか!? ボクらが身体を重ねた理由をねつ造して、自分の行動の正当性を適当にでっち上げたのか? だからこいつ、悔しくてまた泣き出したのか!?!?
 ……な〜んて一瞬思っちゃったけどさー……。でもボクだって、一応は言葉の通じる人間の端くれなんだ。誰もが羨むお年頃の男の子なんだ。小岩井が言ったこと、ずっと思っていたこと、いや、思ってくれていたことを、ボクに対する小岩井の感情が、こんなボクにもちゃんと分かってしまったのだ。
 小岩井がボクを好きだって言った事は、何の裏の理由も無く、字面の通りなのだ。
 だからこそ、ボクははっきり言おう。本心を言おう。もう口から出任せとかは、言ってられない!
「あの……ボクは小岩井のこと、実は別に好きじゃ無いんだけど……」
「ッ……!」
 小岩井がびくんと震えた。そして、また一気に泣きそうな顔になる。
「あの、でも、ボクは小岩井とおつきあいしたい!」
「……好きでも無いのにおつきあいするの?」
 意味がわかんないよと、小岩井は涙声でそう言った。でもボクの言葉には続きがある。だからボクは話しを続ける。
「あの、ボク、まだ小岩井のこと、全部は知らないから。だからお前のこと、色々知りたいと思ってる。小岩井は、頑固で頭が固くて癇癪持ちで意固地で分からず屋で基本自己中ですぐにビービー泣くし人の服に鼻水ぶっかけるしむかついたら力加減無しにボコボコ殴ってくるしたまに心が折れるようなことをズケズケ言うけどさ……」
「あうぅ……私って良いところが無いよぉ……うぇぇ〜〜」
 小岩井はついに泣き出しちゃったけど、でもボクは続ける。
「でも、それ以上にメチャクチャ可愛いし愛おしいしおっぱい小さいけどワリと形はいいしピアノがすっごい上手で真面目で一生懸命で、とにかくボクは小岩井のことを大切にしたい!」
「……褒められてるのぉ〜?」
 褒めてんだって。だからボクは続ける。
「小岩井のことを見てるといつもなんだか死ぬほど心配になるし、何考えてんだかよくわかんないから何言って良いんだかたまにわかんなくなるし、何か言いたくても言葉に詰まっちゃうことは多いし、他の男と口聞いてるとたまにすっごい胃が痛くなるし、ビービー泣いてるとメチャクチャ頭来るし、でも小岩井の笑顔を見てるととっても幸せな感じがして、世界がキラキラしてる気がするし……そんなボクを取り巻く超常現象の理由が知りたいから、ボク、小岩井とおつきあいする!」
「……あの、そういうのを、普通は好きって言うんだけど……?」
 すっと泣き止んだ小岩井が、何故かボクのことを可哀想な人を見る目で見ていた……!
「ええう!? 好き!? 好きって一体何!?!?」
 何故か、ボクは混乱の極致にいた。小岩井の言うところを素直に解釈するに、ボクは小岩井のことが、好き、だと……!?
 うっそで――――――――――――――――――――っ!!!!!
 さて、本日一体何度目のうっそでーでしょうか。
「あ、あの……ボクって小岩井のこと好きなの!? むしろ今まで嫌いだって思ってたのに……」
「あうぅ〜〜、なんでそんなこと言うの〜〜〜!」
 小岩井はまた泣き出した。
 ボクは慌てて彼女を抱き寄せる。そして、ボクの胸の中でひっくひっくと泣き続ける彼女の体温を感じながら、ボクは今一度自分の感じた感覚と、そして一般的に言われる恋に落ちた人間の行動様式を比較検討してみることにしたのだった。
 まず、ボクは小岩井が近くに居ると心がざわざわする。そりゃ好きな人が居たら舞い上がって思考が乱れまくるだろう。
 小岩井がビービー泣くと頭にくるけど、好きな人が泣いていれば、心配になって何とかしようと思ってイライラすることもあるだろう。
 好きな子に鼻水目一杯なすりつけられたら、汚ねぇーって思うのはまぁ関係無いと。
 小岩井と一緒に帰って、こいつが居なくなった途端に世の中から色が消え失せるのは、単に寂しくて途方に暮れたからでしょう。
 こいつのことを色々心配してケンカしたのも、本当にこいつのことが心配だったからなのでしょう……
 むぅ……ボクが小岩井を好きだという仮説を立証するのに、状況証拠に矛盾は無いなぁ?
「あの……ボク、やっぱり小岩井が好きだったみたい?」
「あうぅ〜〜 訳がわかんない〜〜」
 ですよねー……。自分でもそう思う。
 小岩井もボクのことが好きだって言ってくれたし、ボクも小岩井のことが好きだって判明したことだし……だったらボクら、今回のセックスって純愛って事になるよねぇ!? 色々思い違いはあれども、好きな人同士で処女と童貞を貰いあって、今でもこうして裸で抱き合ってる。うぅぅ、これってとても幸せなことかも知れない……!
 やだなぁ、この身に余るシアワセの揺れ返しが怖いなぁ……。高校教師になって生徒にベイベーとか暴言吐かせる前に、ダンプに轢かれて死んじゃうかも知れない。今日、家に帰る最中に車に轢かれないようにしなきゃ……って、僕んち隣だっての。マンションの隣の部屋でどうやって車に轢かれるっての。
 とりあえずダンプに轢かれる心配を今していても仕方ないので、ボクは先程小岩井に要求されたこと、すなわち、
「あ、あの! キスするからね!!」
 ボクは一方的にそう言い放ち、未だぐずり続ける小岩井の唇に自分の唇を当て、もうメチャクチャにちゅっちゅと吸いまくってやったのだ。小岩井の口の中に舌を突っ込んで、あちこちなめ回してやった。彼女の舌とか歯茎とか口腔の内壁とか、あちこち目一杯味わってやった。もちろん小岩井の口の中は、とっても柔らかくて、そして甘かったけどね。
「うむっ……んっ……ちゅっ……うちゅ……ちゅっちゅう……うふんっ……ちゅうっ……」
 ボクらはお互いの息が続く限り、合わさった唇の間からよだれをびちゃびちゃ垂れ流しながら、激しいキスを続けていた。やがてお互い酸欠で三途の向こう側が見えだした段になって、ようやく口を離したのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……キスって、すごいね」
「あうぅ、激しすぎるよ……」
 手の甲でコシコシと口をぬぐう小岩井は、真っ赤な顔をしてこっちを睨んでいる。そんな彼女の可愛い仕草と、さっきのキスでガンガンに興奮したボクは、いつしか愚息が大変元気におっきしていた。そしていきり立つちんちん同様、ボク自身ももう一回セックスがしたくてたまらなくなっていた。
「あの……もう一回セックスしたいんだけど……いい?」
「あうぅ……あの、痛くしないで……」
 小岩井は再びベッドに横になると、顔を手で覆ったのだった。
 ボクはそんな彼女の手を顔から押しのけると、小岩井の顔に目一杯キスしながら再び彼女の身体にちんちんを差し入れていった。
 ……さっき痛くしないでとか言われたけど、結局いっぱい泣かしちゃったけどね。ごめんね、小岩井。


 2回目の後も血が滲んだ精液でシーツを目一杯汚し、痛い痛いと泣き続ける小岩井をぎゅっと抱きしめ、ボクは何とか彼女に機嫌を直して貰うことに成功したのだった。でも、あんまり痛がらせると、もうヤダとか言ってセックスさせて貰えなくなるかもなぁ……。それだけはいやだ〜〜! 折角お互い好き同士になったばかりなのに、いきなりセックスレスにはなりたくないよー!!
 ボクは別に小岩井をセックスするためだけに好きでは無いのは間違いないけど、しかし男の子にはそういった倫理観や常識、社会通念では決して割り切れない”下半身に制御を奪われる快感”ってのが必ずあるのだ。お願い、淑女の皆様もそんな切ない男心を分かってください!
 さて、気がつけば夕飯の時刻が近づいており、もう少し詳しく言うと小岩井の親が帰ってくる時間なのだそうだ。
 ボクとしては折角の機会なので挨拶くらいはと言ったのだけれど、さすがに血だらけになったシーツと共に挨拶するのは色々な段階を踏み外しているという、小岩井のもっともな意見によってそれは無しになり、ボクは一旦自分の家に帰ることにしたのだった。
 とりあえずちゃんと服を着て(シーツはさっさと洗濯機に放り込んで、ただいま絶賛攪拌中)、小岩井が玄関までボクを送りに来てくれていた。ちなみに小岩井は僕ん家ちの玄関まで来ようとしていたのだけれど、家にはあの未熟者が居るので、万が一二人で一緒に居る姿を見られたら激しくめんどくさいので、僕んちまでの見送りは遠慮して貰ったのだ。
「あの……明日から、よろしく」
 そんな、お別れの挨拶としてはどうかと思うものに対し、
「あうぅ、私も、よろしくお願いします……」
 と、小岩井も律儀に返事を返してきた。
 ……今日から、この可愛いツインテ頭のちっこい子が、ボクの彼女なんだ……。うわあ、改めてすっげぇ嬉しい! 人生、こんなにシアワセでいいのだろうか!?
「あの、ボク、小岩井が彼女になってくれて本気で嬉しいから……」
「あうぅ、私も……」
 玄関先で、バカップルな会話であった。ホントはこうして24時間くらい延々くっちゃべっていたかったけど、さすがに小岩井の親が本気で帰ってきてしまう。
「じゃあ、またね〜」
「うん、また明日……」
 ボクは小岩井に手を振りながら、彼女の家の綺麗でかっこいい玄関のドアを閉めた。
 いつもなら、この辺で世界から色が消えるもんだけど、今日は不思議とフルカラーのままだなぁ? やっぱ好きなひとができると、人間色々変わるもんだねぇ……。
 そんな人体の不思議にプチ感動しながら、ボクは自分ん家のくたびれた汚いドアを開けて、家に入っていった。
「ただいまー」
「ゆーちゃん、おかえりなさい」
 む? なんか母親が珍しくボクに笑顔を向けて居るぞ? 何か良くない事でもあったのだろうか……??
「今日は、お祝いしなきゃね〜〜!」
 そして、目の前の未熟者は意味不明なことを言ってきた。
「お祝いって何さ?」
 ボクはいつも通りに、行儀良く靴を脱ぎ散らかしていたのだけれど、
「何言ってんの! あんたお隣の真由ちゃんとイイコトしてたじゃない! 母さんがベランダで洗濯物を干していたら、あんた達があんあん言ってるのがバッチリ聞こえてきたんだから〜〜! もう母さん、若い頃を思い出してハッスルしちゃったわよ〜!」
「ぴ――――――――――――――――――――――――――――――――――――っ!!!!!」
 な、何言ってんだこのママン!! ハッスルとか意味わかんないし!!
「なっ! なっ! なぁうっ!!」
 ボクが玄関であうあう言っていると、タイミング悪く親父も帰って来やがった。
「お、どうした優樹。玄関でなに喚いてるんだ?」
「あらあなた、今日はお祝いなのよー! 優樹がついに大人になっちゃったの!」
 こ、こらママン!! 何いきなりワケの分からない事を言い出してるんだ?!
「そうか……。赤飯だな」
 親父ぃっ!! あんたまで一体何言ってんのさ、てゆーか今ので意味分かってんの!?
「そのうち、お隣には一升瓶抱えていかないとなぁ?」
「そうなのよー! もうこの子ったら激しくしちゃって〜〜〜」
「そうか……。責任取れよ?」
 親父はそう言って、ボクの肩をぽんと叩いて部屋に入っていった。
 ヲゥ……何なんだこのエスパー共……。ボクが隣で何をやらかしてきたのか、何故こうも手に取るように分かるって言うんだ……。
 ボクが途方に暮れながら玄関にたたずんでいると、
「優樹! いつまでもそんなところに突っ立ってないで! お赤飯作るから今すぐ餅米買ってきなさい!!」
 ……ボクのお祝いの原材料を、ボク自身に買いに行かせますかそうですか。
 まぁ、別にいいけどさぁ? 赤飯嫌いじゃ無いし。これもきっと、小岩井をいっぱい泣かした罰が当たったんだろう……。
 ボクがブツブツ文句を言いながら餅米を買うため外に出ると、何故か小岩井にばったり出くわしてしまった。
「あれ? どうしたの?」
 そんなボクの問いかけに、
「あうぅ……。聞かれてて……実は結構前に帰ってきてたみたいでぇ……お赤飯作るから餅米買って来いってぇ……」
「ぶ―――――――――っ!!」
「……一条君は?」
「ボクん家も、同じです……」
「あうぅ……」
 仕方ないので、ボクらは二人仲良く近くのお米屋さんに餅米を買いに行ったさ。なんだこの仕打ち、なんだこの嫌がらせ! 神様ってのが居るんだとしたら、どんだけ意地が悪いんだってのさっ
「……ところで、普通女の子って……その、初潮が来たときにお赤飯炊くんじゃないの?」
 お米屋さんからの帰り道、ボクは小岩井に素朴な質問を投げかけてみた。
「あうぅ……あの、私まだ来てなくて……。でも、見た目似た様なもんだから代わりにお祝いしようとか、意味がよくわかんない……」
 ボクは生理も来てない女の子にちんちん突っ込んだあげくに中出ししちゃったのか……。これは性犯罪の一種なのではなかろうか? あと、似た様なもんって、アソコから血が出たって事?! どんだけおおざっぱなんだよ! てゆーかそれって親が娘に言うような台詞か!? それ以前に親子の会話としては生々しすぎるって!!
「……そういえば、あの、何て言うか……その、あの、アソコ、大丈夫?」
「あう? 何処??」
「いや、だから、先程ボクが目一杯行き来しちゃった場所っていうか、破いちゃったというか、出血とかそういうのが……」
「あうぅ……」
 小岩井は、ボクが何が言いたいのかやっと分かったようで、顔を真っ赤にして俯いた。
「……えと、あの、実はまだなんか股間に挟まってるみたいっていうか、歩くとチクチク痛いし……あと血がまだ出てるから、その、お母さんにナプキンとか借りて着けてるの……」
「ヲゥ……その、ごめん」
 あまりに生々しすぎる返答内容に、ボクはドン引きしながら自動的に謝っていた。
「あ、あの、全然謝らなくていいって言うか! だから私、一条君に初めてをして貰って、あの、本当に嬉しいから……」
 うおおお……これは身に余る幸せというものだろうか? 嬉しすぎて身震いしそう。しかし、ボクが小岩井の初めての相手って事は、それはそれで色々考えなきゃならないことがあるぞ? てゆーか、普通親ってのは娘が男にやられちゃったらあんまり……っていうか、絶対にいい気がしないと思うんだけどなぁ? お祝いとかしてて良いの?
「……ところで、普通、可愛い娘が何処の馬の骨とも知れない野郎に傷物にされちゃったら、お祝いどころか怒り狂ってそいつのことガチにブチ殺しに来るもんだと思うんだけど……?」
 ボクの、自分の将来が掛かった切実な質問にしかし、
「私のお父さん、"ワシも若い頃は色々やらかしたけぇのぅ、人様のことは言えんのじゃ、がはは〜"って……。お母さんも、"女の子は、恋をすることで大人のオンナになっていく物なのよ?"とか言ってて……。あと、隣の一条君なら問題無いから、さっさと嫁に行っちまえとか言ってた……」
 聞き様によっては、何かひっでぇ答えが返ってきた。自分でちんちん突っ込んどいて言うのも何だけどさー、それって親の態度としてはどうかと思うよ!?
「………。あの、本当に色々大変そうだね……」
 そんな、ボク魂の底からの台詞に、
「あうぅ……。あの、お嫁に行っても、いい?」
 小岩井は何かとんでもねー事を言ってきた。
「うぇ? いや、別にいいけどさ……」
 でもぉ、ボクらまだ高校生だし、結婚とかいくらなんでも早すぎるんでないの!? てゆーか話題が何か重いって! だいたい、世の中初恋の人とは結婚出来ないとか言うしさ……。ボク、小岩井が初恋の人みたいだから、やっぱり結婚とか無理なのかなぁ? まぁ、高校生の恋愛で結婚を前提にお付き合いとか、それはそれで何か違う気がするし、それこそそういう事は”物事をあまり深く考えない”という方向性で、今をしっかり楽しむことだけに神経を集中しましょう!
「あの、結婚とかはとりあえず置いといて、今は青春を謳歌しようよ。ボクら誰もが羨むお年頃なんだから、若さバカさで色々楽しい事してさ。そうしないと、オトナって案外自分の好きなこととか全然出来なさそうだし……」
 あの疲れたおっさんも、毎日仕事で疲れてるみたいだしねぇ? 大人は大人でお金とかの自由度は多くなるけど、そのぶん責任はきつくなるし、第一自由になる時間が全然無くなりそう。ボクらはまだオコサマなんだから、オコサマらしくたくさん遊ばなきゃ。
「うん……。じゃあ、まずは楽しい思い出、作ろうね」
「うん、お互い頑張ろう」
 恋愛を頑張るってのもどうかと思うけど……でもお互いが好き放題するってのも何か爛れた恋愛になりそうだし、それはそれで何かやだなぁ……? まぁボクらの場合、二人でどっか近くの公園でもフラフラしつつ、お弁当でも仲良くモクモク食べてるくらいがちょうど良いのかも。そんでたまにはどっかでエッチな事して……。
 あ、それはそうと、小岩井ってお弁当作れるのか? さすがに10年後の女房おねーさんみたいに神レベルまでは要求しないけど、せめてウチのママンよりかは美味しい弁当食べたいなぁ、せっかくのデートの時くらいは……。
「あの、ところで小岩井って料理は出来る?」
「あうぅ〜〜……。全然出来ないから、これから練習する……」
「ヲゥ……。あの、是非とも上手くなってください。ボク、美味しい料理が好きだから」
「うん、頑張る……」
 さて、目の前にはボクらのボロマンションが見えてきた。これから隣同士で赤飯炊いて、何かよくわかんないお祝いだよちくしょうめ……。小岩井と恋人になれたのはいいけど、その前に家の親共に目一杯からかわれるだろうなぁ……。でも、それは超えなければならない宿命なのだ。男の子にとっての、絶対越えなければならない壁ってヤツなのだ。仕方ない、こんな可愛い彼女をゲットした対価はそれなりってやつだよ。命を取られるわけじゃ無いから、頑張って耐えるしか無いのだ。
 ボクは”この世全ての悪”に立ち向かう英雄が如き悲壮感を胸に、ボロマンションのエントランスをくぐった。これからが、ボクの本当の戦いの始まりだ……!
 なんか風呂敷を広げたままにっちもさっちもいかなくなったマンガの最終回みたいな台詞だけど、でもボクらの物語はまだまだ続いていくんだもん。とりあえず、可愛い彼女と楽しい毎日だもん!
「じゃ、今度こそまた明日〜」
「うん、またね」
 小岩井に手を振りつつ、ボクは自分ん家のボロい玄関をくぐった。ちらっと室内を見ると、母親が台所で鼻歌を歌いながら料理を作っていた。小岩井……お願いだから本当に料理が上手くなって頂戴……!
 きっと今日もよくわかんない味の料理が大量に出るんだろうなぁとげっそりしながら、ボクは台所に居た母親に餅米を押しつけ、さっさと自室に籠もってやった。
 ヘタにリビングに居たら、親父に何を言われるか分かったもんじゃ無いからね〜

6 ボク達の、これから

 翌日、朝のホームルームでのことである。未熟者(だから母親の事ね)が大量に作りすぎた微妙な料理を強制的に片付けさせられたたため、朝から胃が重たいアンニュイな気持ちの中で自分の席に座っていると、進路調査2回目と称する無粋な紙っきれが担任より配られたのだった。
「前回は、高校出た後の進学か就職かだけしか聞いてなかったが、今回はなるべく将来の職業名まで入れること!! まぁ決まってない奴は、とりあえず適当な夢でも書いておくんだな。ちなみに他のクラスじゃ、職業名にニートとか書いたバカヤロウが居たらしいが、俺のクラスじゃそんなつまんねージョークは絶対通用しねーからな!! お前ら、死んでもそんなタワケたこと書くんじゃねーぞ! あんなもん、前にも言ったかも知れんが本人も周りも辛いだけだからな! だから俺は絶対許さん!!」
 まったく、胃が痛む朝からウンザリするようなことを言ってくれる……。だいたいセンセーが許そうと許さなかろうと、ニートになっちゃったらニートをするしか無いじゃない。そもそも威張ってニートが出来るって事は、よっぽどお家がお金持ちって事だろうし−?
 ……むぅ、そうなるとボクん家は絶望的に無理だねー。あんなボロマンションとて、未だ親父はローンを払い続けているし、ボクが大学に行く学費だけで、我が家の家計は非常事態宣言を発令しなければならないだろう。大学生になったら、折角だから一人暮らしってのを体験してみたかったけど、こりゃ自分ん家から通える大学に行かなきゃなぁ? となると……うわぁ、結構レベルの高い大学しか無かった様な気がするよぅ。やっぱ学費の安い国立とかが良いんだろうけど、そりゃ一応楽に通えるところにはあるっちゃーあるけど、でもボクが今から国立を受験!? そんなの無理だぁ〜〜………。

 そんな、ボクが自分の学力のヤバさに改めて戦慄し大いに嘆き悲しみ落胆しているというのに、担任の野郎はさっきっから教卓でふんぞり返って今勉強しなきゃ後悔するぞだの気合い入れろだの頑張れだのやるしかないんだだの、結局の所『根性入れろ』の一言で尽きるような鬱陶しいことをクドクド語っていやがった。
 全く腹の立つ!
 そんな、オトナの適当な台詞なんて、誰もが羨むお年頃のボクらはちっとも聞きたくねーんだゴルァ!! ……とか何とか一瞬思っちゃったけどさぁ? でもボク、この間の10年後で、ちょうど同じようなことを3年生の人達にぶってきちゃったんだよねー。今更思うに、何て無責任かつ心ないことを言ってしまったんだろうかと謹んで反省するところ大だけど、しかし理性的に考えれば、結局自分の未来は自分で根性入れて作らないと、その辺のコンビニで100円で買えるモンじゃ無いって事だからねぇ……。
 なんてコト、昔に自分で言った台詞に諭されてんじゃん。だいたい自分で根性入れろと言っておいて、自分自身が根性入れないでどーすんだと。せめて、10年後にボクに騙された先輩達のために、まずはボクが根性入れておかないとなぁ……?
 ボクは、結構な時間を使って今後の自分の身の振り方に思いを馳せていたはずなのだけど、しかし担任はヤレ職業に貴賎は無いだの働き手の心の有り様には貴賤はあるだの、意味がよく分からんことを未だにグダグダ語っていた。だいたいいくら根性入れても、ボクらにいきなりそんな難しい事言われてもよくわかんないし〜。だからボクは唯一の自分の特技である”あまり物事を深く考えない”を最大限活用することとし、目の前にある進路調査票なる鬱陶しい紙には適当に”教師”とだけ書いておいた。まぁあの疲れたおっさんの代わりに一日だけ先生をやってみたけど、なんだかあれはあれでやりがいのある仕事に思えたしね〜?
「おお!? 一条は教師か! なんだおめー、俺の働く姿に感銘でも受けたのか!」
 やはり分かる奴には分かるんだよなーとか何とか、担任の野郎は訳の分かんない事を言ってやがるけど、いちいち人の書いたこと公表しやがったあげくに、なんか変な勘違いしてるぞこいつ! ウゼー、マジウゼー!
「ち、違うし!! センセーに憧れてなんか、無いんだからね!!」
 ううむ、ツンデレですかボクは……。クラスの奴らにケラケラ笑われながら、しかしボクはいちいち調査票に書いたことを消したりせず、そのまま担任に突き出してやったのだ。
 ま、実際に教師になれるかなれないか、そもそも今後教職を目指すかどうかもわかんないけどさ。でも今までみたいに何にも目標も持たず、ダラダラ学校に通い続けるよりかはマシかも知れないよね。
「じゃ、このプリントは俺が預かっておく。お前ら将来のことを書いた以上、死ぬ気で夢、叶えろよな!! じゃあ、ホームルームは以上、解散!」
 担任はボクらの書いた調査票の束を教卓にばんばんぶつけながらひとしきり喚くと、意気揚々と教室から出て行った。
 夢かぁ〜……。まぁぶっちゃけ教師ってのは夢でも何でも無いんだけど、でも気合い入れるきっかけとしてはちょうど良い物かも知れないし。とりあえず、まずは第一の関門、この学校を無事卒業するって所から頑張らないと。
 ……そういえば、小岩井の将来の夢って何だろ? 昔、あいつはピアノの先生がやりたいとか何とか言ってたけど、実際のところどうなんだろうねぇ? 小岩井が会社に入ってバリバリキャリアウーマンとか、何か違和感あるしなぁ?(そういうのは伊東さんとか似合いそー)
 部活に行ったら、小岩井に聞いてみようかな? お互いの将来の夢とか言い合えば、言った手前勉強せずにはいられないだろうから、案外夢を叶えるには良い景気づけなのかも知れない。……あ、ところで小岩井って勉強出来るんだっけ? ボク、本当にあいつの事ってまだまだ知らない事が多いなぁ。いつもあうあう言っててブーブー腹立ててる所しか見てないから、学校の成績とかよくわかんないし。でもでも、高校って入学試験より転入試験の方が遙かに難しいっていうし、さすがにこの学校のレベルは試験に名前書いたら入れるってレベルじゃ無いから、もしかしたらボクらよりかは勉強が出来るのかも知れないねぇ? 後でこそっと聞いてみよっと♪
 ボクは小岩井のことを考えて、彼女に会いたくて会いたくてどうしようもなくなったけど、けど彼女は別のクラスなのですぐには会いに行けないし、まぁ部活で会うまでのお楽しみって奴だねー。
 ボクはその後、根性入れるとか言っておきながら勉強にあまり集中出来ないまま放課後を迎えてしまい、正直言ってこのままじゃ余計に成績が落ちて卒業すら怪しくなるかも知れないというワリとリアリティある仮定に戦慄せざるを得なかった。
 今度から、小岩井に会うときと会わないときのメリハリをきっちり付けて、会っているときは火傷するくらいにラブラブし、会わないときはきっちりその時にやらなければならないことに集中しようと、ボクは自分自身にキツく言い聞かせたのだった。
 ……恋をすると身を持ち崩す野郎が多いと言うけど、予期せず身をもって体験しちゃったよー。みっちゃんや熊ちゃんとの友情も大切にしなきゃね。女にかまけて友達を雑に扱うと、後で手痛いしっぺ返しを喰らうのは良くあることだ。特にボクみたいなお調子者は、本当に気を付けないと……。
 という事で、とりあえず部活の時間はラブラブタイムということにして、小岩井と延々いちゃいちゃするぞー!
 ボクは超気合いを入れて部室に行ったのだけれど、そこには小岩井は居なくて部長が一人居るだけだった。ボクはあまりの悲しさに、膝から崩れてしまった。
「うわあ、一条君、いきなりどうされたんですか? そんな入り口で膝をついて頭を垂れても、ここにはそこまでして祈る神様は居ませんよ!?」
 部長が何かよく分かんない事を言っている。てゆーかボクは祈ってるんじゃ無くて、悲しみに打ちひしがれ絶望のどん底に居るだけです。
「ところで、今日は部会を開こうかと思っています。突然で申し訳ありませんが、お祈りが終わったら机を動かすのを手伝って貰えませんか?」
 いや、だからお祈りしているわけじゃ無いので。
「あ、今すぐ手伝いますって」
 ボクは景色からすっかり色が抜けて白黒にしか見えない部室を見やりながら、フラフラと隅に纏めて置いてある机を運び始めた。
「ところで、同じクラスの鐘持君と大熊君はどうされたのですか?」
「あー、あの二人は当番とか他の用事があってちょっとだけ遅れますー」
「なるほど、男手が多かったら良かったのですが。まぁ我々だけでもさっさと机を運んでおきましょう。……よいしょ」
 部長は一人で張り切って机をゴトゴト運んでいるけど、ボクはいまいち気合いが入らなかった。……そういえば、ボクにはそもそも気合いが入る瞬間ってあるのか!? うーむ、最近気合い入れたっていったら、昨日小岩井の中でビュービュー精子を出したときぐらいなものだし。あのときの小岩井は可愛かったなぁ、出来れば今日もえっちしたいなぁ……。
 その時、ボクはよっぽど脳味噌の中を真っピンクにして、ぼーっとしていたのだろう。周りを良く確認せずに机を運んでいたものだから、隣で机を並べる部長に思いっきりぶつかってしまったのだった。
「うきゃあ」
「うわぁ!?」
 ボクは慌てて部長から離れようとしたのだけれど、しかし部長に下手に近づいてしまった恐怖感が先に立ち、非常にみっともないことに、ブルって足をもつれさせてしまったのだ。そして、なんと痛ましいことだろうか、体勢を崩してしまったボクはそれを立て直すことすら出来ず、恐ろし事に、はなはだ遺憾なことに、極めて残酷なことに、部長めがけて倒れ込んでしまったのだ。
「ひゃあ」
「うわあああ!!」
 ボクはいつぞやみたいに手を前に出し、小岩井ほどでは無いにせよちっこい部類の部長を敷き潰してしまい、後に蹴りを50発喰らうハメになることだけはない様、頑張って身体を支えようとしたのだけれど……
 どしんっ!
「っ! いってぇ〜〜!!」
 頑張って手で支えきれれば良かったのだけれど、しかし今日はそれが上手くいかず、結局肘を床にぶつけちゃったよ。でもまぁ、痛いだけで骨とかに異常はなさそうだ。怪我しなくて良かった良かった……。
「……一条君、大丈夫ですか?」
 ボクが肘の痛みが引くのを待ってると、自分の胸の下の方から部長の声が聞こえてきた。その声の調子から、彼女がとりあえず大きな怪我はしてなさそうであるので、とりあえず安堵したのだった。しかし、実はこれが一番大切なことなのだけど、この近接突撃戦闘を主眼として設計及び製造された殺戮マシンたる部長にとって、ボクは今まさに攻撃範囲内の最たるところに居るわけで……。ここは可及的速やかに、このいつ暴走するとも知れない破壊兵器から緊急離脱しなければならない事に思い至たったボクは、慌てて床に手をついて身体を起こそうとしたのだけれど……
 ふにゅり。
 ところがである。ミステリーである。どっきりである。本来ならば、教室の床は木のフローリングであるため、それなりに固い手触りでないとならないはずなのだが、しかしボクの手のひらが受けた感覚は、とても柔らかく、しかもさわり心地の良い丸い物体に手を乗せた様なものだったのだ。
 あれ? こんなところにクッションかなんか敷いてたっけ? それともさっきボクがコケたときに、机の中に入っていたよくわかんないおもちゃでも床に転げ出てしまったのだろうか??
 もにゅもにゅ
 しかしこれは、えらい触り心地が良いなぁ。小岩井が居ない夜では、これを揉んでおっぱいの代わりにでもしようかなぁ? そうだ、学校の帰りにでも買っていこう。
 もみもみ、もみもみ
「あ、あの……一条君、出来れば手をどけて欲しいのですが……うんっ」
 あれれ? 何かボクの身体の下から、部長の掠れた声が聞こえてくる。それに、何か妙に色っぽい声出してたけど、どうかしたのか!?
 むにゅむにゅむにゅむにゅ
「あんっ あの、だから、触っちゃらめぇ……らめなんだからぁ〜〜 あぅんっ」
 うわ、何か部長があえいでるぞ!? 一体何事?? 本気で意味がわかんない! ……けど、この一連の流れ、そこはかとなくデジャビュを感じさせるシチュなのは何故なんだろうねぇ……?
 とりあえずあの部長があえぎ出すなど相当な異常事態が発生しているとゴーストが囁いたため、慌てて身体を起こして周りを確かめた。そして、ボクの下に居る、身体をくねらす部長の様子を改めて見やったのだけれど、なんと彼女の”残念でがっかり”と称されるやや小ぶりなおっぱいを、ワシワシ揉んでいやがる手がどこからか生えてきていたのだった。それはなんと恐ろしいことに、ボクの身体から……!
「うわああああ!! ごめんなさいごめんなさい殺さないでボクまだ死にたくない!!」
 ボクは恐怖のあまりに何を叫んだのか分からないくらい取り乱し、慌てて彼女の胸から手を離したのだけれど、
「あうぅ〜〜! さっそく浮気されてる〜〜〜」
 という、小岩井の泣き声が部室のドアの方から響いてきたのだった。

部長も頂きますの図

「い、いや、違うし!! これはとっても悲しい事故なんだから……!」
 慌てて真実を説明し釈明するボクに、
「おやおやぁ〜? 昨日まうとイイコトしたばかりのゆーくんは、今日はさっそく部長を頂いちゃってるのー?」
 まぁあのバカじゃ無ければ譲ってあげるけどーとか、伊東さんはニヤニヤしながらボクの方を見ていやがった。
「い、頂いてとか、全然無いから!!」
「わあ! 一条君が部長を押し倒してる! あの、私たちお邪魔だったかな……?」
 一条君スゴイねと、若木さんも顔を赤らめながらもチラチラとボク達の方を見やり、
「ほほー、これはこれは勇気のある行いを。まさかこの部長を組み敷く男がこの世に居るとは思えませんでした」
 次は私がオイタされちゃうのでしょうかと、山科さんがフフフと笑い、
「優樹よー、いい加減ビッチからどいてヤレや……。こっちからビッチのパンツが丸見えだぜ」
「ひゃああああ! 見たらダメですからーっ」
 みっちゃんの声に部長が足をばたつかせ、
「優樹、学校では控えろ」
 家に帰ってから好きなだけするといいと、熊ちゃんはため息を一つついていた。
「だから違うんだってー!! ボクがコケただけだもん! 部長にぶつかっちゃっただけだもん! だから小岩井もいつまでも泣いてんじゃねーよ!!」
「あううー! だったら何で部長のおっぱいずっと触ってるのー!」
「だからおっぱいだって気がつかなかったんだってー! 部長もそう言ってやって下さいよー! これはむごたらしい事故だったんだって、決してやましいことじゃなかったんだって……!」
「一条君、とても激しかったです……」
「あううー!! ばかぁ〜〜〜!!」
 小岩井は余計にビービー泣きわめき、若木さんのメガ盛りおっぱいに縋り付いていた。
 うおお……一体何でこんな事になったんだ……。今日は天中殺か何かの日か?
「だから優樹よー、いい加減ビッチを組み敷くのはやめてやれや……。オメーらマジでヤッてる様にしか見えねーからよー」
「うわぁっ!?」
「あううー!! もういやぁ〜〜〜!!」
 ボクは慌てて立ち上がると、スカートの裾をいそいそと直している部長に謝りつつ手を差し出した。
「ああ、どうもすいません。……一条君は優しい人ですね、ちょっとエッチですけど」
「マジで申し訳ないです……」
 部長はボクの手を取り立ち上がると、
「お、おほん、ちょっとだけふざけあってしまいました。しかし、作業中にはそれに集中しなければなりません。今回一条君には怪我が無くて幸いでしたが、当たり所が悪いと大けがになってしまうかも知れません。皆さんも、気を付けてくださいね」
 部長はスカートをぱたぱたはたいて埃を落とすと、
「今日は部会を開きたいと思います。ちょうど皆さんいらしたようですし、机を部会用に並べて打合せを始めましょう」
 そう言って、部長は運び途中だった机をゴトゴト動かし始めた。
 残りのみんなも各自机に向かって歩き始めたけど、しかし、一人顔を真っ赤にしてこっちを睨みつけてる、ちっちゃい女の子が部屋の隅の様に居るわけで……。
「あの、だからアレは事故だったんだ……」
「分かってるもん!! でも嫌だもん!!」
 うあー、めんどくせー! またさっそく癇癪起こしてるぞこいつ。過失なんだから少しは大目に見て欲しいなぁ?
 ボクがそんなことを思っていると、
「小岩井さん、私の不注意で一条君に怪我をさせてしまうところでした。本当に申し訳ありません」
 部長がいきなりやってきて、小岩井に頭を下げたのだった。
「あうう、あの、そう言うんじゃ無くて、その、部長は全然悪くなくて……」
 顔を真っ赤にした小岩井が、何故かあうあう言い始めた。
「それはそうと、一条君と小岩井さんは、お付き合いを始められたのですか? とってもお似合いのカップルだと思います。おめでとうございます!」
「い、いや、その……」
「あうぅ……」
 何でこの人そんな事分かっちゃうんだ? もしかして、うちの親同様エスパーなのか!?
「先程は、私もふざけてしまいました……。一条君は、ちゃんと小岩井さんのことが大好きでたまらないみたいですから、大丈夫ですよ。私なんて、床に落ちてた緩衝材か何かと勘違いされていたのでしょうし」
 どうせ小岩井さんのことを考えていて、周りが見えてなかったのでしょう?と、部長は何処までもボクの心の中を見透かしていたのだった。
「すいません、その通りです……」
「あうぅ……」
 ボクも小岩井も、二人して真っ赤になっていた。
「よーよー、机も並べ終わったことだしよー、……いつも通りに乳繰り合うなら家でヤレやー」
 さっさと部会を始めようぜと、みっちゃんが冷やかした声でそんな事を言ってくる。
「ち、乳繰り合うとか! まだ一回しかしてないし!」
「おおーっ!? まうっちはついに大人の階段を登ってしまわれたのですか!?」
 なんかいきなり山科さんががっついてきたけど……
「ば、ばかあ!! いちいちそんな事言わなくても良いじゃない!」
「否定せず……! うぬぬ、やはり女子力の違いがこうも鮮烈な違いとなって……! なるっち、我々はこのまま恋も出来ず、華の女子高生を腐女子として腐臭まみれに終わらせなければならないのでしょうか……」
 やはりキンカンに呪われた身体には、恋など身に余るということでしょうかと、涙声でブツブツ愚痴る山科さんは、隣に居た若木さんに抱きついていた。しかし、
「はぁ!? いきなり何を言い出すのよ……。というか、私はあの、違うから……」
 一同びっくり、若木さんの衝撃的な告白だった。なんてコト、ついにメガ盛りおっぱいが売却済みに!?
「なんですとー!?」
「おおお、なるちゃん、いつの間に男をくわえ込んだのよ! チチなの!? そのロリ爆乳で男を狂わせちゃったの!?!?」
「ち、違うもん!!! まだ言わないから! 内緒なんだから!!」
 顔を真っ赤にした若木さんは。泣きながら縋り付く山科さんを振り払い、ふんと鼻を鳴らした。
「うおぉぉぉ……ついに売れ残りは部長と私だけですかぁ〜〜。これはもう、人生の精算をすべき時なのかも知れません〜〜」
 いやいや! 精算とかまだ早すぎるから! てゆーかあんたまだ女子高生じゃん! 若いって、十分に若い女子だって! ボクには男にしか見えないんだけど。……しっかし、山科さんもなんだかんだいって、やっぱ恋に憧れる女の子だったんだねぇ……。
「山科さん、我々にはまだ選択の余地がたくさんあるということですよ? これから良い殿方と巡りあえるよう、共に女を磨き、頑張りましょう」
 部長は山科さんのところに行って、泣き伏す彼女を優しく抱きしめ頭を撫でていた。しかし、
「うぅぅ〜、残念でがっかりなおっぱいに慰められてしまいましたぁ〜〜。もう終わりですぅ〜〜」
 などと、山科さんは相当な混乱の極地にいるのか、決して言ってはならないとんでもねー暴言を吐いたのだった。
「うぎぎ、貴様までそんなことを言うんかごるぁーっ!」
 ぼこんっ
「ぎゅぴぃ」
 部長は山科さんの頭にゲンコツを一発食らわせると、肩を怒らし大股で、自分の席に戻っていった。
「お、おほん! ちょっとだけ頭にきてしまいました。皆さん、もちろんおわかりでしょうが、女性の価値は胸だけではありません! 例え形は小さくても、この二つのまあるいお胸の中には、たくさんの夢と愛情が詰まっているのです。人を外見だけで判断するのは愚の骨頂、そういう人は人を見る目がありません。いくら大きさが小さくたって、形は良いとか、触り心地が良いってことだってあると思うんです」
 部長の言うことが、何か変な方向にねじ曲がった。
「そもそも乳房というのは、その働きは赤ちゃんに母乳をあげるためのものです。もちろん性的な魅力の一つであることは否定しませんが、決して男性の好奇の視線に晒されるだけのものではありません。ましてや、その機能では無く大きさのみで評価される様な物ではないのです! だいたい女性は妊娠すれば、皆カップが大きくなります。皆さん将来は巨乳です。ばいんばいんになっちゃいます!」
 部長、いつも通りだけど語るなぁ……。実は小さい小さい言われて、相当気にしてたんだろうか……?
「それに、胸の大きい人に聞くところによると、走ったりするときに胸が揺れて結構痛いというじゃないですか! 若木さん、そうでしょう!?」
「はっ!? は、はいぃ………?」
 いきなりのご指名の若木さんが、目をぱちくりしながら返事をする。
「でも小さい人は、跳んでもはねても全然痛くありません! 小岩井さん、間違ってませんよね!?」
「あ、あうぅ、その通りです……」
 でも何で私に聞くのぉ〜と、小岩井はしょぼくれてしまった。
「という事は、子供を授かり授乳でもしない限り、女性はおっぱいが小さい方が良いんです! 肩も凝らないしあせもも出来にくいし、本当に良い事づくめです。それを残念でがっかり等というのは、女性の本当の価値を見誤っているとしか思えません!!」
 部長の凜とした声が、部室の中でビィンと響く。その後の静寂を破ったのは、やはりと言うか何というか、我が部のおっぱい百合担当、伊東さんだった。
「でもぶちょ〜〜、おっぱいバインバインの方が男子ウケは良いんですよ〜? 子供を授かる前にー、まずは良い男子に見初めて貰って、優しくぎゅっと抱いて貰わないと〜!」
 抱かれないとそもそもおっぱいは大きくなりませーんと、伊東さんはなぜか得意げに言い放った。
「おっぱいの大きさで女子を判断する男など、私の眼中にはありません!!」
 そんな人には好きになって貰わなくて結構です!と、部長は肩で息をしながら怒っている。
「そんな事言ってるとー、さくっと売れ残って残念な干物女になっちゃうんですよー? やまちーだって、あんなスタイル良いのにあぶれちゃってるくらいなんだから、ぶちょーは一体どーすんですかー!」
 やまちーのスレンダー&ダイナマイトバディに敵うとか素で思ってるんですかー?などと、今日の伊東さんは攻める攻める! 部長の顔がみるみるうちに真っ赤になったよ。怖ぇ〜〜!?
「うぎぎー! スタイルが残念で悪かったなてめーっ!! あたしだってピチピチの現役JKがこんな為体でどうよ!?って毎日布団の中で枕を涙で濡らしながら、我が身を嘆いていちいち凹んでんじゃごるぁーっ!!」
 てめーの正論は常々人を傷つけるんじゃと、ついに部長は発火点を超えた。
「誰もスタイルが残念だなんて言っていません! むしろそれくらいの中途半端なおっぱいの方が、生々しくて匂いそうでエロいって言ったじゃないですかー! ちゃんと私の褒め言葉を覚えてて下さいよー! だからぶちょー! 男なんかほっておいて、私と一緒のラブラブしましょうよーっ! もう男のちんちんなんてどーでもいいくらいに、私がぐっちょりグチョグチョにさせちゃいますからーっ!!」
 うおお、ついに伊東さんのチャクラが開いたか!? 彼女は自席から飛び上がると、部長めがけて飛び込んでいった。
「私は部長の小ぶりでがっかりなおっぱいが大好きなんですー!! だから部長には彼氏なんて出来なくて全く問題ありませーん!」
「問題大ありじゃこのうすらぼけぇーっ!! だいたい誰がてめーにグチョグチョにされるかごらぁーっ! 死ね! くたばれ! 今すぐセイウチのケツにド頭突っ込んでおっ死ねぇーっ!!」
「私が突っ込むのは部長の処女のアソコだけです!! どうせ部長は干物女確定なんだから、まずは私が処女膜破いて大人のオンナにしてあげますー!! だから早く愛し合いましょーっ!」
 元気よく部長に抱きついた伊東さんに、しかし怒り狂った部長はグーで彼女をボコボコに殴りつけている。そしてあらかた顔をぶちのめし、意識が飛んで床に倒れ伏した伊東さんに、部長はトドメとばかりにカカトでゲシゲシ蹴りを入れまくっていた。うわあ、鼻血を垂らした伊東さんが白目を剥いてる! 怖いよぉ、JKのガチ白目とか、アヘ顔みたいにエロいとかそういうのは全然無いから!!
「キサマにだけは処女なんてくれてやるかぁーっ! だいたいこんなあたしだって、オトコの一人や二人は欲しいんじゃごるぁーっ! しょーじきまうまうに先越されるなんて、実はこれっぽっちも思ってなかったんじゃばかぁーっ! うう、うぇぇぇぇ〜〜〜!」
 ついに部長、感極まって泣き出したよ……。なんなんだこのグダグダ感、このオチは一体どうつけるつもりなんだ!? ちなみに部長は小岩井のこと普段は”小岩井さん”なんて呼んでるけど、心の中じゃまうまうって言ってたのか……。なんか微妙に可愛い人だなぁ?
「はいはい、この辺でやめておかないと話が進みませんし、それにいとちーの身体の形が保てなくなってしまいます。……人のことあぶれたとか言ってる人には、私自ら教室の床の味を教えてあげたいものですが、今日はまうっちとなるっちの衝撃カミングに免じて許してあげましょう」
「あう?」
「しくしく。今日もまた心ない部員にいじられて取り乱してしまいました。確かに私はまだまだ未熟者で、胸と一緒で器の大きさも小さいようです……。今後も皆さんには色々とご迷惑をおかけすると思いますが、是非ともご懇意にして頂けましたら幸いです。……伊東さんを除いて」
 ゲシッと、最早ぴくりとも動いていない伊東さんの亡骸を、部長は最後にもう一蹴りした。
「では、だいぶ時間が経ってしまいましたが、部会を始めたいと思います」
 そんな部長の声と共に、むくっと起き出した伊東さんがそそくさと自分の席に戻った。
「……。ええと、本日の議題は、先日皆さんのお願いをしていた、男女どちらがこの部活の中心となるか、その決着を付ける為の方法をお伺いすることです」
 うわ、やっべー! ボク何にも考えてなかったよー。でもまぁ、他の人がなんか言ってくれるだろうから、黙って聞いててそれに賛成!って言っていれば問題無いかな?
 そんな高度な戦略を瞬間的に立案したボクは、さっそく実行に移すこととして回りの人の顔を眺めていた。
「さっそくですが、一人一人から聞いていきたいと思います。では、最初は一条君からお願いしてよろしいでしょうか?」
 うがああっ! まじか!? 何でこういうときにボクは一番最初に指されるんだ……
 しかし部長に指名されてガン無視を決め込むことなど、例えボクが許しても今この瞬間の神様たる部長が決してお許しにはならないだろう……。
「は、はい。ええーと……」
 ボクはそんな声を上げながら、その場で微妙にゆっくり起立しつつ、その間に適当な案を懸命に考えていた。まさに、人生始まって以来の超高速思考である。そして、体感時間約45秒(実際は多分2秒くらい)でティンと来た。
「ええーと、あの、そう、カラオケ! 近所のカラオケボックスにみんなで行って、そこで男女別の点数の平均で競いましょう!」
 ボクはその場しのぎで何とか考え出した適当な案を、とりあえず元気いっぱい宣ったのだった。
「なるほど、カラオケですか……。みんなで歌を歌うのは楽しいことですし、そこで機械による採点で公平感のある競争が出来るわけですか! 一条君、とてもステキな案だと思います」
 私は歌を歌うのはとっても好きですと、そういえばガールズバンドでぶいぶいいわす部長が嬉しそうな顔をしていた。うあ!? 名案だと思ったのにこれは敵に塩を送る結果となったか!?
「ふふーん、ゆーくんは私ら相手に挑戦的だねー? 劇団仕込みの私の歌唱力、ぶっちゃけ中々のもんよー?」
 うわあああ、伊東さん普段見ないくらいに、目を輝かしてこっちを見てる……!
 ヤバいよ、この案はみっちゃんたちに取り消して貰わないと!
 ボクが本気でそう思った刹那、
「よーし、よーし、よょぉぉ〜〜し!! 全く問題無い、むしろ無問題(モーマンタイ)だ。我ら男子チームは優樹の案に全面的に賛同だ! オレらの美声で、テメーらビッチ共をアンアンよがり狂わせてやる!」
「ん。」
 こ、この男子共は……!
 あとの女子は!? 他の良心的な腐女子と癇癪持ちは!?
「私もカラオケでいいです。久しぶりに本気で歌い込みたくなりました」
 伊東さん同様、妙に自信ありげなオーラを吹き出す山科さんに続き、
「アニソンでも良いなら、私もそれでいいよ?」
 と、若木さんまでもがフフフと笑っている。
「あうぅ……。皆さんがそれで良いというなら………」
 なんか小岩井は一人不服そうだけど……なんかもっと良いアイデアでも持ってきていたんだろうか!? ここ3日間ばかり徹夜して、悟りの境地で閃いてきたアイデアがあったとか……。
「皆さんの了解が得られた様ですし、では男女の競争はカラオケ大会と致します。本日はもう遅いですし、今度の日曜日に駅前のカラオケ店でいかがでしょうか?」
 部長の問いかけに、ボク以外皆首肯した。あああ……ボク、何て浅はかな案を喧伝してしまったのだろうか……。そもそもボク、カラオケとかすっげぇ苦手なんだよねぇ……。
「それではルールに関してですが、皆さんお好きな歌3曲ずつ歌って頂き、その男女別平均値で競うというのでいかがでしょうか。あまり長時間歌うのは喉に良くないですし、3曲も歌えば少々のミスで減った点数もリカバリー出来ると思います。何か他に良い案のある方はいらっしゃいますか?」
 部長の問いかけに、ボク以外皆首を横に振った。
「分かりました、ではこれで決定と致します。本日はお時間を頂きありがとうございました。これで部会を終了したいと思います」
 部長の言葉で部会は終了となり、その流れで部活自体も終わりになってしまった。
 ボクらは部会用に並べた机を各自さっさと片付け、三々五々自宅に帰っていった。

 さて、ボクはもちろん自分の可愛い彼女たる小岩井と、一緒にラブラブ家に帰っていたわけだけど。
「あの、今日の部活で、小岩井は何か良いアイデアとか考えてきていたの?」
 ボロマンションに続く田舎道を二人でのんびり歩きつつ、小岩井が微妙に不満そうな顔をしていたのを思い出し、ボクは先程の台詞を小岩井にぶつけてみたのだけれど。
「あう? アイデアって??」
「いや、だから男女で部活の覇権を取り合う戦闘の方式だけど……」
「あの、校庭で駆けっことか……」
 何だ? こいつ実は案外体育系なのか?
「小岩井は走る速度に自信があると!?」
「あうぅ、全然無い……。でも、それしか思い浮かばなくてぇ……」
 それに他の人が速く走ってくれると思うからと、小岩井はなんだか元気がなくなってしまった。てゆーか……ただでさえ今日部長が言ってたじゃん、おっぱい小さい方が速く走れるって。となると、駆けっこで一番活躍しなきゃいけないのは、一番ちっぱいな貴方ですよ!?
「まぁ……ならカラオケで良かったんじゃないのー? 言った本人がビリじゃあ、ちょっといくらなんでも洒落にならない気分もするし」
「……ビリって決まったわけじゃ無いもん」
 小岩井は何か変なプライドを醸し出してるけど……でも部活の女子で小岩井と互角に張れると言ったら、最近彼氏が出来たっぽい若木さんだけだしなぁ? 確かに、あのメガ盛りおっぱいは走るとぶるんぶるん震えて色々大変そうだ。けど、体育でのお姿を拝見するにあたり、あの人案外機敏に身体を動かしていたようだし? ちなみに部長は口よりも手よりも足が速い、突撃突貫近接攻撃の大家であられるところから運動能力はそれなりだと思われるし、山科さんはたまに運動部のお助け要員で大活躍してるみたいだから考慮するまでも無い。伊東さんは運動得意なのは結構有名だしねー。……まうっち、どう考えてもビリっぽいよ?
「まぁ、それまで歌の練習と高得点取れそうな曲のチョイスをしておかないとねー」
「あうぅ……」
 小岩井はなぜだか余計にしょぼくれてしまった。むむ? 何か嫌なことでもあったのか?
「……元気ないじゃん。景気づけに、その辺でデートでもしてく?」
「もう時間が遅いよ……あの、今日は一条君のお家に遊び行っていい?」
 何か少しだけ元気になった小岩井が、笑顔でそんな事を言ってきた。
「むぅ……今の時間だとママンとか家に居ないんだけど、そんな状態で良ければどうぞ?」
「あうぅ……行く」
 ちなみにその後、直接ボクん家に来た小岩井に初めてコ汚い自室を披露したわけだけど、まぁその後なし崩し的にえっちしちゃって、また小岩井をびーびー泣かせちゃったのはまぁ些末な出来事であったと信じたい。
 ……途中で未熟者が帰ってきてて、小岩井が帰るときに妙に生暖かい視線を送ってきた方が、よっぽど考慮すべき事象だったってのは、もう本当に不幸な事故であったけどねー……。だからハッスルとか言うな、ママン……!


 さて、本日は日曜日。我らが文芸部の覇権を決める大切な戦いが、あと一時間後から始まるのだった。ボクはボロマンションのエントランスで小岩井と待ち合わせし、二人で仲良く駅前のカラオケ屋さんに出かけていった。ちなみに昨日は一日中、隣の小岩井の部屋からは延々ピアノの音が響いてきており、しかもその演奏内容はワリと流行の曲というか、どう考えても小岩井が歌の練習をしているとしか思えないチョイスばかりだった。まうっち、殺る気満々か……! ボクは小岩井と手ェ繋いでカラオケ屋さんに行く最中、ひたすら敵の分析をしていた。なんせこのカラオケ大会という非人道的かつ残忍な作戦行動は、ボクの軽口が全ての原因であるのだ。せめてバスケのゴールに三点シュートとかで競えば、戦線はもう少し別の様態を呈していただろうに……。とか言っても、ボクバスケ苦手だしなぁ? あれ? そういえばボクって何か得意なことあるの?? 何か人に対して勝っている事って……
 いや、これ以上はやめよう。身体に悪い。心臓にも悪い。誰も望まない真実など、人を不幸にするだけなのだ。という事で、さっきからお題目だけ言ってる女子の分析をだなぁ……?
 まず部長。ガールズバンドでリードボーカルも出来る実力派。去年の文化祭でソロコンサートやってたけど、その歌唱力たるや嫌みも何も無くフツーに上手い。DTMやってるみっちゃんが「やっぱりミクとは違うぜこのクソビッチ野郎めー!!」って泣き伏してたくらいだから、何か色々すごいんだろうねー。ところでミクって何だ?
 次に部長のおっぱい担当伊東さん。プロも普通にいる劇団でそれなりの役を貰い、たまに大きな劇場とかの舞台にも出ているある意味セミプロ。よく部長と一緒に歌ってるけど、ボクにはどっちが上手いとか全然わかんないくらいに、歌って踊れるマルチタレントだ。もちろん音程がずれるようなことなど全く無い。
 そして腐女子1号山科さん。ボクは彼女が歌っているところは直接見たこと無いけど、何か妙に自信ありげだったからねぇ? 運動能力の高さは折り紙付きだから、肺活量でカバーしてくるかも。絶対侮れない相手だ。
 続けて腐女子2号の若木さん。若木さんの歌も聴いた事は無いけど……でもアニソンならフフフとか意味深な笑顔を浮かべていたし、同人誌描いてる位なので気合い入ったオタクさんなのだろうから、アニソン縛りでぶいぶいいわせてくる可能性が高いね……! かなり要注意だ。声もすっごい綺麗な人だし。
 最後に残るは小岩井まう。ピアノは本人がどうこう言おうとメチャクチャ上手い。実際、ピアノ教室の先生とかなら十分やれる実力があると思う。つまり音楽の専門家みたいなもんだ。こんな奴が歌い込んできたら、シンセサイザー並みにきっちりとした音程で教科書レベルの歌を聴かせてくれるだろう……!
 ちょっと待て。もしかして部活の女子は全員歌がうまいのか!? うわああ、こりゃ本気でヤヴァイよ、またボク足引っ張るだけじゃない!! ただでさえ、小岩井のピアノの音が聞こえてくるような壁の薄いボロマンションだ。ボクが下手な歌歌ってたらご近所中に響いてみっともないから、練習とか全然出来ないし! てゆーか歌なんて歌ってたら、絶対ママンが本の角でぶちのめしに来るよ!!
 あと30分後に開戦されるであろう戦いは、どう考えても負け戦であった。ボロ負け確定であった。勝てる要素が全くでっち上げられなかった。
「うぅぅ、ボク、また足引っ張っちゃうよぅ……」
 そんなボクが垂れ流した弱音に、
「あうぅ、私も一緒だもん……」
 等と、ピアニスト小岩井が謙遜してそんな嫌みを言ってきた。
 全く可愛い彼女だけれど腹の立つ!! だいたいボクが、この女に敵うことなど何一つ無いし! 実はこの間ちらっと学校の成績について聞いてみたのだけれど、どう考えてもボクが10年後に一日先生やってたあの進学校に通えるくらいの偏差値だったし!!
 ううぅ、マジでボク、彼氏としての資質が無いのでは……!?
 本気で泣けてきた。こんな可愛くてピアノが上手くてツインテ頭の彼女なんて、ボクには勿体ないって奴だよ! 惨めだ、ボクは本気で惨めだ……!!
 何かもう小岩井がまぶしくて直視できない位に落ち込んできた頃、ついに作戦区域であるカラオケ屋さんに到着してしまったのだった。ボクら以外の部員は皆揃っていて、入り口の前でボクら二人が来るのを待っていてくれた様だ。
「おまたせぇ………」
「なんだ優樹、いきなり元気が無いがどうかしたのか?」
 みっちゃんが何か言ってきたけど、ボク、今自分の人生の惨めさに打ちひしがれてる最中だから。もう多分立ち直れない。そして小岩井がまぶしすぎて、もう顔が見られない!
「うぅぅ……」
「おいおいチビッコよ、何かオメーの彼氏がむせび泣いてっぞ!?」
「あうぅ、あの、元気出して……。一条君はとっても元気な子だよー」
 小岩井は何を考えているのやら、ボクの頭をぽんぽんと優しく撫でてきた。そんな事で! そんな事でボクの元気が復活するかよ!
 そして、小岩井にナデナデして貰ってなぜだかとっても元気になったボクは(ちなみに下半身のことではありませんので取り急ぎご報告申し上げます)、涙を払ってキリッと前を向いた。
「ボクもオトコだ、この戦いには死んでも勝ってやる!」
「おお、その意気や、良し!!」
 みっちゃんがボクの根拠の無い暴言に呼応し、ボクらは意気揚々とカラオケ屋さんに入っていった。

 個室に入り、各自好きな飲み物をひと啜りした後。まずは開会の挨拶であると、部長がテレビの前に出てきて、いつも通りのよく分からない口上を垂れ流し始めた。
「皆さん、今日は待ちに待ったカラオケ大会の日です。皆さんの中には声を枯らしてまで練習した人、ひたすらにイメージトレーニングを積んできた人、弦が弾け飛ぶまでギターをかき鳴らして親に怒られた人など、色々いらっしゃるかと思います。
 確かに今日は、男女で競争し部活の中心メンバーを決めるためにこの場に集まったわけですが、でも私はそれ以上に、皆さんと一緒に楽しい時間を送りたいと思います。
 点数の結果は。勝手に機械が出してくれます。だから我々は、あくまで楽しく、数字のことばかり気にせずに、精一杯カラオケを楽しんで、元気よく歌ってください。採点機が高得点を上げるようなロボットじみた歌い方は、私は大嫌いです。皆さんの楽しいって思う気持ちが、歌を何倍も何倍もより良く聴かせ、そしてその音は綺麗な輝きを持って響き合うのでしょう。
 ……私は、そういった歌を望みます」
 むむぅ、今日はいつもにも増して、ポエマーな表現が一杯だー……。とにかくキラキラが響いてロボットが採点? いつもながらに部長は何が言いたいのだかよく分からんなぁ?
「……分かりきったことではありますが、私はあと3ヶ月も経たずに皆さんとお別れになってしまいます。とっても悲しいです。皆さんとは、本当にお別れなどしたくありません! だから、一発留年でも決め込んで、もう一年ぐらいピチピチJKを漫喫すんぞごるぁーっ!って毎日思っちゃったりもします。でも……既に進路が決まっておりますので、その夢も叶えられそうにはありません。……でも、やっぱり……推薦なんて蹴っとばして、私留年しちゃっても良いですか!?」
 そんな部長のとんでもねー暴言に、しかし、
「ダメに決まってます!! さっさと卒業してください!!」
 なんかマジに怒った声で、伊東さんが言い返したのだった。
「ちゃんと私たちから卒業してください、私も部長のおっぱいから卒業しますから! そんな、簡単に留年とかいう部長は本気でがっかりです! ケーベツします!!」
 見れば伊東さん、手をぶるぶる震わせて本気で泣いていた。うわぁ、この人マジだよ、どんだけ部長が好きだったんだか……
「……。ごめんなさい、伊東さんに軽蔑されたら、私もう死ぬしかないようです。そうならないためにも、ちゃんと卒業します。ぐすっ……もう弱音は吐きません、本当にごめんなさいっ……うえぇ」
 部長の顔がくしゃっと潰れ、ついに泣き出してしまった。
 確かに今は12月も間近、3年生の部長は、あと3ヶ月くらいでこの学校を卒業してしまうのだ。そう考えると、なんだか寂しいなぁ……
 部屋の空気が、ずぅぅんと重くなった。これからカラオケで歌うとか、さすがにどうかと思うような有様だった。しかし。
「さてさて、我々から乳離れ出来てない部長をさっさと学校から追い出すためには、我々が部長が居なくても十分楽しくやっていけるのだという姿を見せつけなければなりません。泣いても笑っても、時間の流れる速度は一緒です。だから楽しんだ方が良いに決まっています。あと、部長は大学行っても週一で我々の部活に顔出してください。もう二度と会えないわけでは無いのですよ?」
 山科さんが良いコト言った。確かに学校を卒業したって、二度と会えないわけでは無いからねぇ?
「さすがに週一は多すぎです……。でも、そう言って頂いて、私とっても勇気を持てました。なので、寂しくなったら、大学の授業なんてバッくれて皆さんに会いに来ますね」
 しょっちゅう来ると本当に卒業してないみたいになりますから、月一くらいでしょうけどと、笑顔の戻った部長は涙を振り払ってもう一度いつものキリッとした目でボクらを見やった。
「では、カラオケ大会を開始します! 皆さん、頑張って歌ってくださいね!」
「「「「「はーい」」」」」
 そんな返事と共に、曲番号の一覧表とカラオケマシンのリモコンが回され、各自自分の持ち歌の番号をカラオケマシンに入力していった。
「では、第一回目です。まずはこの会の立案者の一条君、よろしくお願いします!」
 何か勝手に司会を始めた部長から、またもや一番目に指名されてしまったよ。うげげげげ、なんでいつも一番最初なんだ……。思えばボクは、”一条”なんて名字のおかげでワリと早い段階で指されてみたり、色々やらされたりすることが多い。まぁ最後のほうだとそれはそれで色々苦労が要ったりするらしいので何とも言えないけど、しかし場の空気が出来ていない段階で色々やらされるのは中々に神経を使うんだよねー
 ……などと心の中で愚痴ってたら、知らぬうちに曲の開始ボタンを押されていたよ。
 仕方ない。ここで逃げたらボクは誰もが羨む男の子じゃ無い! やるしか無いんだ、やるしか。
 という事で、イントロが流れ始めた『ドラえもんのうた』(1981年〜のテレビ版のオープニング)を、ボクは魂を込めて歌い始めた。
(歌詞については色々と大人の事情があるので割愛するからねー? 察してねー??)
「〜♪」
 一生懸命歌っている最中から、何というか、しらけた雰囲気が部屋に充満しているをひしひしと感じていた。さすがに、まさか初っぱなから、高校生にもなった男子生徒がドラえもんをガチで歌い出すとは、みんな露とも思ってもみなかっただろう。
「〜〜〜♪♪♪」
 という事で、ボクの魂の籠もった熱唱が終わった。その後カラオケマシンからはデロデロデロデロというドラムロールが聞こえ、微妙に迫力の無いファンファーレと共に”61点”と画面に表示されたのだった。
「………えと、一条君のドラえもんは61点でしたー………。皆さん、拍手!」
 笑顔が引きつり気味の部長の声と共に、
 パチ……パチ……パチ……パチ……。
 この状況下では、拍手の音が聞こえただけでも良しとするべきである。ボクはすました顔して自分の席に戻った。もちろん、直後に無言のみっちゃんに頭をはたかれたのは言うまでも無い。
「えー、次は最近一条君とステディな関係になった小岩井さんです! ではでは前にどうぞ〜〜」
「あうぅ……」
 何かいつも通りに顔を真っ赤にした小岩井が前に出てきて、テーブルにおいてあったマイクを拾った。それに合わせて伊東さんがリモコンを操作し、イントロが流れ始めた。
 そして画面に出てきた曲名に、その場にいた一同がどよめきを漏らす。
 トトロ。
 なんとトトロのオープニング『さんぽ』であった。まさかのオコサマシリーズの連投である。
「あっうう〜あっうう〜〜♪」
 そして小岩井が歌い始めて、皆もう一度激しくどよめいた。
 まうっち……。ピアノはあんなに上手なのに、歌はすっげー下手っぴなんだねー……。
「あうあう、あうあう〜〜♪♪」
 小岩井は前に映画の演技をしていたのと同じく一生懸命歌っているけど……しかし何というか、魂の籠もり方はボク以上のようだけど、これは、その、しかし、けれど、あまりに、もう、酷い……。
「あうう〜あうあうぅ〜〜〜♪♪♪」
 トトロは終わった。画面では、メイとサツキがトトロにくっついて空を気持ちよさそうに飛んでいた。ボクらの気分はとうの昔に地べたに墜落していた。
 小岩井がぺこっとお辞儀したと同時に曲は終わり、デロデロデロデロというドラムロールが響く。皆、固唾を飲んで画面を凝視していた。とんでもない緊張感だった。そして、どう考えても調子っ外れのファンファーレと共に、"32点"などという、あまりに衝撃的かつ情け容赦の無い点数が、残酷にもしっかり表示されたのだった……!
「あうぅ〜〜………………………。うえぇ」
 小岩井はその場で泣き伏してしまった。慌ててボクは小岩井を回収し、ソファに座らせる。
「あうぅ〜〜、だから歌は嫌なの〜〜!」
 ……もしかしてこいつがピアノ教室を破門されたのって、この歌唱力の為せる技だったのでは無かろうか?
 鮮烈に痛々しい事実であった。やはり真実なんて、人は知らない方が良い事が多い様だ……。
「……あの、えと、小岩井さんありがとうございました……。あの、そう、私、トトロが大好きです! テレビでやってたら、いつも感動して泣いちゃいます! とうもころしが食べたくなっちゃいます! ついでにツイッターでバルスって打ち込んじゃいます!」
 部長、それ違うから。てゆーかあんたバルス祭りやってんですか、すっげぇ意外。今度部長にツイッターのアカウント教えて貰おうっと。
「えとえと、では、次は不詳この私。魂を込めて歌わせて頂きます。曲、お願いしますね」
 遠くから見ても分かるくらいに冷や汗をかきまくった部長が、こほんと咳払いしたと同時に画面に曲名が表示された。
『天城越え』
 うわ、部長は天城越えっすか!! しっう゛ーっ!!
「〜♪」
 そして歌い始めた部長の歌声に、その場の一同目を見張る。さすがにガルバン決めてるだけのことはある。こぶしも効いてめっちゃ上手い。まるでプロの歌手が歌ってるみたいだ!
「うぇぇ、私って余計にみっともない〜〜」
 小岩井がまたもやしくしく泣き始めたので、ボクはとりあえず頭をぽんぽん撫でておいたけど……。部長と2年くらい一緒に部活していたにもかかわらず、この人がマジで歌うのって実は数回位しか聞いたことなかったんだよねー。何か勿体なかったなぁ? どうせなら、もっと前からみんなで一緒にカラオケくらい来れば良かったのに。
「〜〜♪♪」
 ボクはまたもや悲しい気分になっちゃったけど、でも今は部長が楽しもうって言ってたんだから、カラオケに集中集中! 本当に楽しまなきゃ損だよねー!
「〜〜〜♪♪♪」
 良く演歌の番組で見るような、派手な手振りは無かったけど、部長の声は最後まで綺麗に部屋の中に響いていた。
「……聞き苦しい声で、大変失礼いたしました」
 部長は最後にそんな事を言ってお辞儀しているけど……お、さっそく機械の採点が始まった。またもやデロデロデロデロというドラムロールの後、今までとは違うやたらゴージャスなファンファーレが鳴り響いた。
 おおっ!! 部屋の中がどよめきで一杯になった。なんと点数は98点! すっげー! ここの系列のカラオケ屋さん、プロの歌手が自分の持ち歌で歌っても90点とか中々行かないって位に辛い採点システムなのに……!!
「うわあ、これはビギナーズラックという物でしょうか? 身に余る評価を頂いてしまいました。偶々でしょうか、でも嬉しいです」
 部長は満面の笑みを浮かべて司会に戻っているけど、いやいやビギナーズラックとか全然違うし! ガチ実力だし!! この部長、さっき推薦がどうとか言ってたけど、単に脳味噌の安全装置がぶっ壊れた突撃突貫近接攻撃兵器じゃなかったんだねぇ? 実は勉強も出来るんだ、うらやましい……。
 ボクが自分の努力の足りなさを棚に上げて他人の才能を嫉んでいる中、部長は粛々と司会を務めていた。
「では、次は山科さんに歌って頂きます!」
「はい、頑張ってやらせて頂きます」
 部長に呼ばれた山科さんが前に出てきてマイクを受け取ると、伊東さんがリモコンをいじって曲を再生させた。
「ドレミのうた!?」
 小岩井の声の通り、なんと画面に表示されたのは、幼稚園とかで良く習う『ドレミのうた』そのものだった。
 ここに来てなんてぇ曲を選ぶんだ!? それともナイスバディのJKが本気でドレミのうたを歌うっていうのか!? 山科さん、顔に似合わず恐ろしい子……!
「はっはっは、いとちーは中々楽しい人ですねぇ」
 笑顔を貼り付けたままの山科さんが伊東さんに歩み寄り、持っていたマイクで彼女の頭をしこたま殴りつけた。
「ぐへぇっ」
 もちろんスピーカーからは”ばこんっ”というとんでもなくでかい音が吐き出され、部屋の中一同の耳がきーんと鳴る。
「えー、とりあえず曲を入れ直しますのでしばしお待ちを」
 山科さんは伊東さんからリモコンをひったくると、ボタンをポチポチ押してもう一度曲を再生させた。
 む、曲は『時代』か。昔クイズ番組のエンディングで流れていたねぇ。
「〜♪」
 おお、山科さんも上手い! 何というか、声の伸びやかな感じがとってもステキだ。
「〜〜♪♪」
 もちろん変に音程がずれているとかも無く、それでいて本人が十分楽しんで歌っているのが分かるくらいに気持ちよく声が伸びている。やはり運動できる人は肺活量に物を言わせて良い声が出るようだ……。
「〜〜〜♪♪♪」
 山科さんが歌い終わった。これもまたある程度の高い点数が期待できるだろう。さっそくカラオケマシンからはデロデロデロデロとドラムロールが流れ、ばばーん!とリッチなファンファーレが響いた。点数は、82点! うお、十分に高い!
「いやいや、まぐれでした。ご静聴感謝いたします」
 山科さんはぺこりとお辞儀すると、自分の席に戻っていた。なんてこと、女子チームはやはり圧倒的実力だよ、こりゃボクもハットリ君を歌っている場合じゃ無い様だ……!
「山科さんでした! すっごい上手でした。私もあんなに伸びやかに歌いたい物です。……では、次は大熊君、よろしくおねがいします」
「はい」
 部長に呼ばれた熊ちゃんが、前に出てきた。
 そういえばボク、熊ちゃんが歌うのって全然聞いたことなかったなぁ? 元々渋くて良い声してるんだけど、どんな曲を選んだんだ? やがて熊ちゃんがマイクを持つのと同時に、画面に曲名が表示された。
 おお、『Get Wild』だ! TM NETWORKの名曲、ある意味渋いチョイスだ。
「〜♪」
 むむぅ、熊ちゃん良い声だねぇ? そして彼らしく、淡々ときっちりした感じで歌っている。
「〜〜♪♪」
 けど、決してまだるっこしい歌い方では無く、それなりに楽しんで歌っているようだ。熊ちゃんも案外多芸だねぇ。
「〜〜〜♪♪♪」
 ついに歌い終わった……。結果はどうだろ? 音程はめっちゃ正確だったから、それなりに高い点数が出そうだ……!
 カラオケマシンはデロデロというドラムロールを響かせ、そしてそれなりにゴージャスなファンファーレと共に点数が表示された。78点! くぅ、これも中々高い! ボクも負けてらんない、もうパーマンとか歌ってちゃダメだね!
「身に余る評価です」
 熊ちゃんは軽くお辞儀をし、自分の席に戻っていった。
「大熊君、とっても上手でした! まさに小室さんが隣で歌ってる感じでしたね! ありがとうございました!」
 部長、Get Wildは小室さんは歌ってません……。
「では、次は若木さんです、よろしくおねがいします!」
「はっ、はい……!」
 うぅむ、小岩井と同じ感じに顔を赤くして若木さんが出てきた。さて、どう出るガチホモマスター若木! やっぱりここはアニソンで決めるのか!?
「あの、国歌、行きます!」
 国歌ぁ!? まさかの君が代!? こんなところでそんなの歌うの!?!? 若木さん、おっぱいに似合わず恐ろしい子……!
 ボクはびっくりしながら重厚な前奏が聞こえてくるのを待っていたら、ピアノの音と共に画面には『鳥の詩』と表示された。
 鳥の詩? 国歌ってこっちのことかい! Keyの名作、"AIR"のオープニングだ。
「〜♪」
 おお、若木さんが歌い始めた。声量はあまり無いけど、でもすっごい綺麗な声で華憐に歌っている。Liaさんの伸びやかな歌い方とは違って可愛らしい感じだけど、これはこれ絵上手い!
「〜〜♪♪」
 ちなみに画面では、まだ元気だった時分の観鈴ちんがぴょんこぴょんこ飛び跳ねてボテッとこけている。「みすずちん、ぴーんち」とか言ってるけど、そりゃあんなヒラヒラスカートでこけたらピンチだよねぇ?
「〜〜〜♪♪♪」
 おお、若木さんが歌い終わった。そして、なぜだかみっちゃんが号泣していた。
「うおお、観鈴ちんはゴールしちゃダメなんだよ……!」
 気持ちは分かるけど……でも泣いたって観鈴ちんは帰ってこないんだよ? やがて伴奏が終了し、カラオケマシンがデロデロとドラムロールを響かせ始めた。果たして、点数は……!
 ばばーん! 豪華なファンファーレと共に、画面には87点と表示された。おお、これもすごいっ!!
「若木さんはなんと87点でした! 声がとっても綺麗で、私本当に感動しちゃいました! こんど青空も歌って下さいね!」
「あ、ありがとうございました……えへへ」
 若木さんはテレながら、自分の席に戻っていった。とんでもねーことだ、実は若木さんは一番不確定要素が大きかったから、もしかして小岩井と同じ惨劇を起こすかも!って実は期待していたのに……! これはボクも本気を出さざるを得ないね、もうキテレツ大百科とか歌ってお茶を濁すわけにはいかないよっ!
「次は鐘持君です、よろしくおねがいします!」
「任せろビッチ共! 俺様の美声で股間を濡らして快感にもだえ苦しむんだな……!」
 みっちゃんはいつも通りに不必要に女子にケンカを売ると、肩で風を切るように前に出てきた。
「伊東、一番いいのを頼む」
「あいよ」
 伊東さんはリモコンで曲の開始ボタンを押すだけなのに……。
 そしてみっちゃんが自分で入力した一番いい曲とやらが、画面に表示された。
『おっぱいがいっぱい』……だ、と……!?
 なんてコトだ、昔ポンキッキで流れていた、子供と言うより中年親父の願望を100%具現化したような名曲じゃないか……。みっちゃん、今日みたいな重要な作戦行動中に、そんな体張ってネタを仕込まなくても……
「ハハハ、この曲は最高だぜ……!」
 みっちゃんはニコニコ笑顔で伊東さんの所まで歩いて行くと、
「うぐへっ」
 持っていたマイクで伊東さんの頭を力一杯殴りつけたのだった。もちろんスピーカーからは「ばこす!」とでっかい音が出て、部屋にいた一同皆耳がきーんとしたのは言うまでも無い。
「伊東、最高のを頼む」
「あいよ」
 そして再び流れた曲は、『divergent flow』だった。おお、これって以前みっちゃんに無理矢理押しつけられた”はにはに”のオープニングじゃん。へぇ〜、カラオケってこういう曲も入ってるんだねぇ。
「〜〜♪♪!!!」
 最初っからやたらハイテンションな曲を、みっちゃんはそれ以上に元気よく歌い始めた。しかしなんてコトだ、こういうキャラは本来音階など無視して叫びちらすように歌うのがお約束なのに、みっちゃんガチで上手に歌ってらっしゃる!
「〜〜〜〜♪♪♪♪♪!!!!」
 うわあ、音程もばっちり! 有史以来、エチゲのオープニング曲をここまで丁寧に熱唱する漢は居たのでしょうか!? みっちゃん、本気ですげーよ!
「〜〜〜〜〜〜〜〜♪♪♪♪♪♪♪♪!!!!!!」
 きっちり最後まで歌いきった……! ヤバい、ボク濡れちゃいそう!
 そしてカラオケマシンがデロデロというドラムロールを響かせ、そして出てきた点数は88点……! うわーお、みっちゃんすげーっ!
「ハハハ、実力だぜ」
 いやいや、本当に実力だって、びっくりしたよ!
「すっごい元気に歌ってくれました! それなのに点数も実力通りすごいです! 今度けよりなの曲も歌ってください、むしろ一緒に歌いましょう!」
 むぅ、部長って昔「高校生が部室でエロゲなんぞやってんじゃねー」とか喚いたくせに、はにはにとかけよりな知ってるんだ……。てゆーかボクも含めあーたら高校生やろがい、それって一体どうなんだ??
 みっちゃんは自分の席に戻っていった。
「では、皆さん一通り回ったところで……」
「ぶちょー! さすがに素でスルーされるのは心にざっくり来るんですけどー!?」
 部長が敢えて伊東さんを無かったことにして司会を進めていると、伊東さんが慌てて前に出てきて手をバタバタ振っている
「……歌うんですか? その前にあなた誰です?」
「ちょっと、今更そこまで言います!? あれほど私におっぱい揉まれたくせに、その感触まで忘れたとは言わせませんよー!?」
「人には忘れたい記憶の10や20はあるんじゃぼけぇーっ!」
 ばこす!
「うごう!」
 部長は持っていたマイクで、伊東さんの頭を手首のスナップをきかせながら殴りつけた。
「……じゃ、歌いなさい。無言で」
「部長、あなたどんだけ私のことが嫌いなんですか!!」
「皆まで言わせたいですか?」
「すいませんごめんなさいさっさと歌いますぅ〜〜」
 伊東さんはマイクとリモコンを取ると、ピコピコ番号を入力した。
 さて、劇団員でミュージカルもやる伊東さんの歌う曲とは!?
 そして画面に表示された曲名は、『気球にのってどこまでも』だった。なんとここに来て合唱曲!? しかも小学生向け……! 伊東さん、これは本気と書いてマジと読むのか!?
「〜♪」
 マジだった。極めてマジに歌い出した。
 うおおお……ボクの人生の中で、ここまで上手に歌うこの曲を聴いたことがあったのだろうか、しかもソロでだ……。だいたい伊東さんといえば、いつもキャピキャピしていてどっちかって言うとうるさい人だよ? それが何で文科省お墨付きの歌を綺麗に歌っているんだか……。
「〜〜♪♪」
 部屋の中では、皆しーんとして伊東さんの歌に聴き惚れていた。部長ですら、目をぱちくりしながら聞き入っている。
「〜〜〜♪♪♪」
 終わった。気球が終わった。すうっと消えゆく歌の余韻で、何か心が洗われた様だ……。
 そんなみんなが惚けた顔をしている中、カラオケマシンがデロデロとドラムロールを始めた。さぁ、注目の点数はいくつだ……!?
 ばばーん! 豪華なファンファーレと共に表示された点数は、95点! うおお……さすがだ!
「うわあ、すごいです! さすが舞台で踊っている人は違います! むしろプロが素人相手に本気出すんじゃねーって奴です!」
「へへーん! プロはいつ何時も本気を出す物ですよー?」
 そりゃそーだけど……。少しは手加減してくれるのも、プロの余裕だと今だけは信じたい。
 うむむ、ここまで来て、女子チームの実力の高さ(約一名除く)が異様に高いのが分かった。こりゃあボク、エスパー魔美とか歌ってられないよ! 次は本気で行かないと……!!
「では、今度こそ皆さん一巡しました。現在の点数をここで発表しちゃいます! まず男子の平均ですが、75.6点です!」
 うわあ、どう考えてもボクが点数落としてるよぉ……! 次は本気でマジでガチで頑張らないと……!
「次に女子ですが、78.8点です! ほぼ僅差と言ってもおかしくありません、余計に盛り上がりますね!」
「うぇぇ〜〜! 私が一人で落としきってる〜〜〜」
 小岩井が号泣し始めた。ボクは慌てて頭を撫でてあやしてやる。
 しかし……。特定の一人を除く全員が皆80〜90台を取っているにも関わらず、それで平均が約79点とは……。こりゃ小岩井じゃ無くても泣いちゃうよね!
「ではガンガン続けて参りましょう! 2周目も先程と同じ順番で行きたいと思います! では一条君、どうぞ〜」
「はっ!」
 ボクは超気合いを入れて、テレビの前に立った。そして伊東さんがリモコンを操作し、ボクの勝負曲が演奏され始めた。
 あの特徴ある台詞を魂込めて叫び、身振り手振りも加えて歌う気合いを込める。
 ボクが選んだ曲はそう、『夢を勝ちとろう』である。プロゴルファー猿のオープニングだ……!
「〜〜〜♪♪♪!」
 序盤からもう超絶気合い入れまくった。ボク本人は至ってはノリノリだった。そして、そのぶん部屋の冷え具合ったら無かった……。
「〜〜〜〜〜♪♪♪♪♪!!?」
 あるぇ〜? 良い曲だと思うのに、何でみんなそんな生暖かい目でボクを見るの!? だいたい、プロゴルファー猿って結構対象年齢高いと思うよ?
「〜〜〜〜〜〜♪♪♪♪♪♪!!!!」
 ゼイゼイと肩で息をしながら、ボクは何とか歌い終わることが出来た。例え他人や機械の評価がどうであれ、ボクはこの歌で完全燃焼しきったのだ。今この瞬間だけは、猿と同化していたのだ!
 やがてカラオケマシンがデロデロ言い始め、またもや微妙に調子っぱずれなファンファーレが響き、画面には58点と表示されたのだった。
 ご、58、だ、と……!?
 ちょっといくらなんでもねーよその点はー!! 何だってんだい、このポンコツ機械にはボクの情熱が響かないってのか!?
「あ、あー……一条君でしたー。あの、私もプロゴルファー猿はとっても好きでしたよ? 結構理詰めな物語進行が、幼心に新鮮で良かったです……あの、拍手〜」
 パチ………・。
 いや、もういいから。
 ボクは意気消沈しながら席に戻っていった。そしてみっちゃんに思いっきり頭をはたかれた。
「えー、では次は小岩井さんです! 小岩井さんの可愛い声をしっかり聴きたいです!では、よろしくお願いします!」
「あう〜……」
 小岩井は先程以上に真っ赤で、しかも涙ぐんだまま前に出てきた。
「頑張るから……頑張るから………うぇぇ」
 小岩井はまたなんか泣き出したので、ボクは慌てて前に出て行って頭を撫でてやる。
「伊東さん、とりあえず曲を!」
「あいよ」
 伊東さんはリモコンを操作して、小岩井の曲を開始させた。
「ほらまうっち、気合い入れて歌わないと!」
「あうぅ……」
 そして何とかマイクを持った小岩井の後ろで、表示された曲名は『ルージュの伝言』だった。おお、中々良いチョイス。魔女宅、面白いよねー
「あ〜うあうあうあ〜う〜〜〜♪」
 小岩井は何とか歌い出したけど……ううう、これは、その、何というか、確かに、ある意味、決して間違いでは無く、お世辞でも無く、さっきに比べたら、その、まぁ、なんだ、マシだ?と言っても、瞳からハイライトの消えた竜宮レナさんの如き鬼の形相でウソだ!!と言われない程度の、最低限の、ギリギリの、何とかなる程度のクォリティは保っている様だが……しかし、敢えて言うと、やっぱり、その……酷い。
「あ〜うあうあうあううあう〜♪♪」
 何とか機嫌が良くなったッぽい小岩井は、とりあえず楽しそうには歌ってるけど……でも、まぁ、確かにリズムだけはある程度正確、なのか……?
「あうあうう〜〜♪♪♪」
 小岩井は、何とか歌い終わった様だ。うんうんよく頑張った。あとでいっぱい抱きしめてあげよう。
 やがて演奏の終わったカラオケマシンからはデロデロが流れ、そしてボクと同じような調子っぱずれのファンファーレと共に、42点と表示された。
 おお、42点! さっきより上がったよ! 良くやった、感動した!!
 ボクは前に飛んでいき、小岩井のツインテ頭を思いっきり撫でくり回してやった。
「すごいよ小岩井ーっ! 頑張ったーっ!!」
「あうぅ〜〜……」
「あはははは、お二人は仲がよろしくて良いですね〜……あの、とりあえずさっさとどいて下さい」
 うわ、何か部長の機嫌が悪くなったぞ!?
「えー、では次は不詳この私、お恥ずかしい限りですが再び歌わせて頂きます」
「あいよ」
 伊東さんは部長が何も言ってないのに勝手に返事をすると、リモコンを操作して演奏を開始させた。
 そして画面に表示された曲名は、『川の流れのように』……! うおお、まさに名曲だ……
「〜♪」
 ううむ………なんてこった、この世には神も仏もいないのか。
 美空ひばりと全然声質が違うのに、なんてぇ引き込まれる歌い方をするんだこの人は……! 若い女の人がここまで綺麗にこの曲歌ってるの、もしかするともう二度と聞けないかも知れない! 録音しておきたい!!
「〜〜♪♪」
 すげぇすげぇ、背中がゾクゾクしちゃう。部長このまま演歌歌手になっちゃえよ!
「〜〜〜♪♪♪」
 はああああ………! マジで感動した! ボク、オリジナルも好きだけど、部長の歌った方がもっと好き! すごいすごい!
 ボクの背筋に電気がビリビリ走り抜け続けている間に、カラオケマシンはデロデロを始めた。この歌も、点数はかなり高いはず……!
 そして豪華なファンファーレと共に、画面には90点と表示された。
 うおお、すげぇ!! また90点も出した!!
「あー、またもや身に余る評価を頂いてしまいました……。お恥ずかしい限りです。皆さんお聞き頂き、ありがとうございました。では、次は山科さんに歌って頂きましょう!」
「はいっ」
 山科さんが意気揚々と前に出てきて、マイクを持った。
「いとちー、余計な操作は要りません」
「あいよー」
 伊東さんは微妙につまんなそうに返事し、リモコンを操作した。やがて画面に表示された曲名は、『地上の星』だった。
 おお、しっぶー! ある意味男の子のロマン、プロジェクトXだ。
「〜♪♪」
 むぅ、この歌ワリと低音の出だしが音を取りづらい気もするけど、山科さんきっちり歌いきった。さすがだ。
「〜〜♪♪」
 サビの部分は迫力ある歌い方だ。この人、自分の声量をちゃんと分かって曲をチョイスしてるね! まさに殺りに来てるって感じだ……上手い!!
「〜〜〜♪♪♪」
 何というか、歌声のエネルギーに圧倒されっぱなしだった。前の『時代』は伸びやかな歌声だったのに、ここまで歌い方変えられるってすごい!
 やがてカラオケマシンは自動的にドラムロールを開始し、そして立派なファンファーレと共に画面には79点と表示された。
 おお、十分過ぎる点だ! こりゃ2周目の女子の平均点も高いね……!
「山科さんでした〜! 私この歌とっても大好きです! もちろんプロジェクトXは毎回見ていました! 汗臭いおじさま達の背中がとってもステキな番組でした!」
 部長、そこですか。
「では、次は大熊君です! よろしくお願いします!」
「はい」
 熊ちゃん、第二回目……! さあ、次はどんな曲で攻めるんだ!?
 熊ちゃんがマイクを持ったと同時に、画面に曲名が表示された。またもやTM NETWORKの『GIRLFRIEND』だ。"ぼくらの七日間戦争"の映画で挿入歌として使われた曲。またまた渋いチョイスだねー!!
「〜♪」
 おお……熊ちゃんの渋い声と歌の雰囲気がすっごいマッチしてる。しびれちゃう!
「〜〜♪♪」
 実はこの曲、少々トーンが高いから声域が狭い人には歌いづらいのに……熊ちゃんびしっと歌っている。案外高い声まで出せるんだね〜〜
「〜〜〜♪♪♪」
 切ないピアノのメロディーが響き、熊ちゃんの声がすうっと消えてゆく。はうわ〜〜、ついつい聞き惚れちゃった。上手いなぁ、これ結構点数高いんじゃないの?
 さっそく始まったデロデロに、ボクは神経を集中させる。そして思った通り豪華なファンファーレと共に表示された点数は、82点! うおお、熊ちゃんやった! 安定の80点台!!
「ありがとうございました」
 軽くお辞儀し、熊ちゃんは自分の席に戻っていった。
 うわあ……次、ボクどうしよう!? もう普通の藤子不二雄シリーズじゃ、到底皆に顔向けできないよ!
「大熊君でした! とっても上手でしたね! こんどSEVEN DAYS WARも歌って下さい! 曲調に合ったステキな歌声でした! では、次は若木さんです!」
「は、はい!」
 若木さんは、またもや顔を真っ赤にして若干焦りながら出てきたけど……。しかし見た目こんな"美人だけど歌が下手"なんてお約束フラグを一生懸命振りまきつつ、しかしその歌唱力たるやかなり高いという、ある意味おっぱい同様反則な人なのだ。
「次はちょっとマイナーです……」
 前は国歌で次はマイナー? そんな言われ方してる曲で有名なのって何かあったっけ??
 そして若木さんがマイクを構えると、伊東さんがリモコンを操作した。で、表示された曲名は……
『セーラー服を脱がさないで』、だ、と……!?
 おいおい、どう考えても私を頂いちゃって下さい的な、あのおニャン子クラブを代表する性犯罪すれすれの名曲じゃないか! てゆーかそれを貴方が歌う!? 既に売却済みのそのメガ盛りおっぱいで……!? しかもこれ、マイナーじゃ無いし!!
「ちょっ、何これ! 全然違うでしょ!!」
 若木さんはボンっ!って音がしそうな程に真っ赤になると、持っていたマイクで伊東さんの頭をボコボコ叩きまくった。
 もちろん部屋の中に居る我々の耳がとんでもないことになったのは、もう省略します。
「もう、自分で入れるから!」
 若木さんは白目を剥いてひっくり倒れた伊東さんからリモコンをひったくると、自分でポチポチ番号を入力した。
 改めて画面に表示された曲目は、『THROUGH THE YEARS FAR AWAY』だった。おお、これって"ほしのこえ"の曲じゃん!
「〜♪」
 うわー、若木さんの綺麗な声とすっごいマッチしてるよ〜〜! ミカコがトレーサーに乗って、タルシアンをぶちかましに軌道上まで登っていく様子が目に浮かぶようだ……
「〜〜♪♪」」
 ほしのこえといえば、リシテア号のレーザーがいきなりぐりっと曲がったのは感動したなぁ……。新海さんはやっぱSFが似合うって思うのはボクだけか?
「〜〜〜♪♪♪」
 おお、全部英語の曲なのに、発音がおかしなところも無くしっかり歌いきった……。若木さんパネーす! めっちゃ上手!
 そしてボクが心の中で「ボクはここに居るよー!」とか叫んでいたら、カラオケマシンがデロデロとドラムロールを始めた。さあ、注目の結果は!?
 ばばーん! 豪華なファンファーレと共に画面に表示された点数は、実力の82点……! さすがだ!!
「若木さんも82点でした! とっても上手だったです! 私、初めてほしのこえを見たとき、もう思いっきり泣いちゃいましたが、今も同じ位に感動しています! また歌って下さい! もう一度聴きたいです!」
「えへへ……あの、ありがとうございました……」
 若木さんは照れ照れしながら、自分の席に戻っていった。
「次は鐘持君です! さあ、次はどんな曲を聴かせて頂けるのでしょうか!」
「ふっふっふ! 今回も容赦しねーぞビッチ共!!」
 みっちゃんは前回同様、女子に対して不必要なケンカを売ると、
「伊藤、最強のを頼む」
「あいよ」
 そういう余計な事言うから、いきなり『おっぱいがいっぱい』とか流されちゃうんだと思うんだけどなぁ? しかしボクのそんな心配は杞憂だったようで、画面に『Wind』と表示された。おお、この曲はこの間無理矢理みっちゃんに押しつけられた、minoriの同名のゲームのオープニングじゃん。ちなみにオープニングで流れる動画は新海さんが作っているという、さっきのほしのこえとの繋がりもある中々絶妙なチョイスだった。
「〜♪」
 おおう、この曲もオリジナルは女性の歌手が歌っているのに……みっちゃん上手に歌ってらっしゃる。
「〜〜♪♪」
 しかも先の『divergent flow』と違ってそんなにテンション高くない曲だからって、ちゃんと声の調子も抑え気味に歌っていたりと、ちゃんとTPOを使い分けた歌い方出来るんだ。みっちゃんすげえ! ところでこの人、いったい何処でエロゲの歌練習してるんだろうね?
「〜〜〜♪♪♪」
 うぅむ……感心している間に曲が終わってしまった。てゆーかこれも結構点数高くない? 既にカラオケマシンが始めているデロデロに、ボクは今か今かと点数が発表されるのを待っていた。そして豪華なファンファーレと共に表示された点数は、なんと85点! うおお、みっちゃんもレベルたけー!! てゆーかボクが低すぎるのか!? さすがに他の二名が80点近く取っている中、58点とかマジであり得なくね!? そろそろボクという存在自体がヤバい趣だよ!?!?
「鐘持君、とっても上手でした! この曲はを聴いていると、新海さんの綺麗な光のエフェクトが思い出されるようです! 今度一緒にバンド組んで歌いましょう!」
「HAHAHA、俺に惚れると火傷するぜ、レディ!」
 みっちゃんは部長に投げキッスなどしながら、自分の席に戻っていった。
「えー、では2周目も一回りしましたので、男女別の平均点の発表を……」
「だからぶちょー!! 本気で悲しいからそういうスルーの仕方はやめて下さいよー!!」
「……歌うんですか?」
「歌いますって!」
 おおう、今日の部長はいじめっ子だねぇ。まさにいつものおっぱい攻撃に対する意趣返しというものだろう。いつしかの流行言葉で曰く”じぇじぇじぇな倍返しは今でしょ!”って奴かな?
「そもそもここは部外者立ち入り禁止ですよ? そして貴方誰です??」
「もうやめてくださよ〜〜! ぶちょーのアソコをヌレヌレグチョグチョにした、私の指テクを覚えてないんですかー!?」
「そんなのは覚えていません! 誰か、この部外者を外に追い出して下さい!!」
「いやだ〜〜、追い出さないで下さい〜〜」
「……どうしても歌うんですか?」
「だから歌いますって!」
「では、なるべく物音を立てずに歌いなさい。出来るだけ無音で」
「ひどいです〜〜」
 ようやく部長からマイクを渡された伊東さんは、姿勢を正してこほんと咳払いをする。
「では鐘持、一番良いのを頼む」
「あいよ」
 ……何かこの二人、妙に息が合ってるねぇ?
 みっちゃんがリモコンをポチポチすると、画面に曲名が表示された。
『切手のないおくりもの』 おお、ある意味これもまた、渋い!
「〜♪」
 そしてそれをさっさと歌い始めた伊東さんの歌唱力に、またもや部屋のみんなは目を剥いた。
 うわ、うっめー!! この曲はアレンジによっては賑やかな合唱曲風のもあるんだけど、ここのカラオケボックスに入っているのはフォークソング風だ。とっても切ない感じの演出になってる。それを、伊東さんは情感込めて歌っているよ……
「〜〜♪♪」
 何で、普段はあんなにやかましい人なのに、歌う時はここまで綺麗に歌えるんだろ!? これがプロの実力って奴だろうか……。
「〜〜〜♪♪♪」
 うおお、終わった……。心の中にさわやかな風が吹き、そして静かに去って行ったかのような、一抹の寂しさすら感じる。
 部屋のみんなが押し黙る中、カラオケマシンだけが空気も読まずにデロデロとドラムロールを響かせていた。
 そして、ゴージャスなファンファーレと共に表示された点数は、なんと90点! おお、部長と一緒だ……!
「あー、えっと、伊東さんでした……。その、この際だからはっきり言ってしまいますと、もう嫉妬しちゃうくらい上手でした! 聴き惚れちゃいました!!」
 キーと、部長が奇声を発しながら地団駄踏んでるよ……。確かに伊東さんの歌には、部長が悔し泣きする程の破壊力があったってのは間違いないねぇ……。
「部長のためならー、一緒に布団に入ったときも歌ってあげますからね〜?」
「歌うなら、カラオケボックスだけにしてくださいっ」
 伊東さんはニヤニヤしながら、自分の席に戻っていった。
「それでは約一名の余分が入りましたが、2周目が終了しました!」
「だから酷いですぅ〜〜」
「では2周目の男女別の平均点を発表します! ……えと、まずは男子の平均ですが、75点でした!」
 うわあ……みっちゃんも熊ちゃんも両方とも80点超えてたのに、ボクの低い点数でガチに落としてしまってる……! こりゃあもう、テレビアニメの歌なんて歌ってらんないよ! ボクは、どうやら次は本気を出す必要がありそうだった。
「次に、女子の平均点は76.6点でした! まさに接戦です! どちらとも十分に勝てる範囲内です!!」
「あうう〜〜!! 絶対私が足引っ張ってる〜〜!!」
「いえいえまうっち、私も似たような点ですので」
 ボクが小岩井の頭を必死に撫でていると、山科さんが私も未熟ですな等と言いつつなだめに来てくれた。
 ……とは言ってもさー、貴方だってさっきは良い点取ってたじゃん。まぁ、男子としてはこのまままうっちにはブレる事無く健闘頂きたいところだけど、しかしさすがにあんな凄まじい点数ばかりってのは、いい加減さらし者っぽくて可哀想ではあるねぇ……。(とは言っても、敢えて女子に負けるような歌い方はしませんが)
「では、最後の3周目です! 泣いても笑ってもこれが最後、皆さん後悔の無いよう、喉を潰そうが口から血ィ噴き出してくたばろうが、根性入れて死んだ気で歌いきってくださいねー! さあ、最初は一条君からです!」
「はい!!」
 ボクは最初の返事から気合いを入れてやった。もう40点だの50点だの、そんなヘボい点は取れないよ!!
 そしてボクが超絶根性を込めながらマイクを握ると、カラオケマシンが演奏を始めた。
 聴け、人間共よ! これがボクの本気の歌だ……!
「〜♪」
 ちなみにボクが選んだ最後の曲は、ドラえもんの映画"のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)"から主題歌の『少年期』である。
「〜〜♪♪」
 よしよし、歌自体が良い物だから、みんなさっきよりかはしらっちゃけた雰囲気では無くなっているようだ。行ける、これは行けるかも知れない……!
「〜〜〜♪♪♪」
 ギターの伴奏が静かに終わると、やがてカラオケマシンがデロデロを始めた。行け、ボクの少年期!! これがダメならボクは一生60点も取れない残念でがっかりな男の子だ……!
 そんなボクの祈りが通じたのか、1回目及び2回目よりかは華やかなファンファーレと共に、画面には73点と表示されたのだった……!
 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっ!!!!!
 やった、ボクはやったーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!
「あ、すごいです、一条君が73点を取りました! リトルスターウォーズ、良い映画でしたよね! いきなりレジスタンスのおじさんが歌い出すのはちょっとどうかと思うところもありましたが、心に染み入る良い歌です、私も大好きです!」
 にしても部長、結構みんなが歌う歌の事知ってるよねー
「どうもどうも」
 ぱちぱちと、珍しくそれなりな拍手を貰いながら、ボクは自分の席に戻っていった。
「では続けて小岩井さん! 頑張って高得点目指してくださいっ」
「あうううううううう」
 おお、小岩井が緊張のあまり壊れた。ボクは小岩井のデコをぺちんと叩いて、取り急ぎリセットしてやった。
「あうぅ、いたい〜」
「小岩井、頑張って!」
 ボクの声援を背に、小岩井はガタガタ震えながら前に出て行った。そして、彼女がマイクを握ったと同時に前奏が演奏され始めた。
 げげげ、なんと『もののけ姫』だと!? あのバカチン、ジブリ縛りも良いけどまた何でこの曲を……!
「あうあうあうーうあう〜〜〜♪」
 小岩井はいつも通りに一生懸命歌い始めたけど……
「あ〜うあう〜うあ〜う〜う〜〜〜〜♪♪」
 けど……これは、もう、しかし、それでも、決して否定出来なく、苛烈に、それでいて鮮烈に、獰猛に、厳酷に、取り返しのつかないくらいに………酷い。
「あうあううあううあう〜〜〜♪♪♪」
 もし時間が巻き戻せるのなら……。せめてこいつがリモコンをいじるときに、4歳児でも歌える"ポニョ"の歌でも勧めるだけの知能がボクにあれば良かったものを……。しかしなぜこの女は、多分ジブリの映画の中でトップクラスに歌うのが難しいのを、わざわざこのタイミングで選んだんだ!?
 ボクらの部屋の中は、異様な緊張感に包まれていた。当の小岩井は"とりあえず歌い終わった"という満足感からか、気が緩んで比較的すっきりした表情をしているも、しかし、これは、ねぇ……? そしてデロデロとカラオケボックスが流すチャチっぽいドラムロールが異様に長い時間鳴っているように聞こえ、しんと静まりかえったカラオケルームに、
 どかーん!!
 いきなり爆発音が響いたのだった……!
 そして画面の中でも爆発が起こり、その中に、この期に及んでなんと言えば良いのか……。極めて残酷な、その、18点という、見るに耐えないあまりにも凄絶な点数が、ヒビだらけのフォントで表示されていたのだった……。
「あう〜〜〜〜〜っ!!!」
 そのあまりに悲壮感たっぷりな絶叫と共に、彼女はその場で大泣きしたのは言うまでも無いことだった。
「あ、あの、調子の悪いことは誰にでもあります! 今日は偶々、そう偶々なんですから!!」
 部長が慌てて慰めにいくも、
「うええぇぇぇ〜〜〜〜」
 と、まさに男泣き、マイクを握りしめたままの小岩井は、その場で立ったまま泣き続けたのだった……。
 ああ、もうトラウマになら無けりゃ良いけど……!
 ボクは慌てて前に飛び出て小岩井を抱きしめると、とりあえずそのまま自分の席に回収したのだった。
「えー、ええっと、では、その、気を取り直して……。次は不肖、この私が歌わせて頂きます……」
 部長がひくひく痙攣しながら、マイクを握った。確かにこの雰囲気だと歌いづらいよねぇ……。ボクはビービー泣き続ける小岩井を可及的速やかに黙らすため、うえぇと泣き続ける小岩井の口にぶちゅ〜っとキスしたのだった。
「ふむむ〜〜〜っ!!」
 小岩井は何か悲鳴を上げてジタバタしているけど、この際無視無視。この場では、早く黙らすことが先決なのだ。
「うわあ、大胆……。えと、では小岩井さんも静かになったところで、歌を始めますね」
 部長が指をパチン!とならすと、伊東さんがリモコンを操作した。一瞬遅れて、部屋にはぎゅいーん!というエレキギターの音が鳴り響いた。
 画面には、『Vampire』と曲名が表示されていた。
「〜〜〜♪♪♪!!!」
 あー、この曲って良くエチゲとかのオープニングを歌っている電気式華憐音楽集団のだ! この間みっちゃんにCDを無理矢理押しつけられたっけ。気に入ったから10回くらい聴いちゃったけど! しかし、やっぱり部長の本職、ロック系の曲はとんでもなく上手い! 迫力もリズム感も完璧だよ!!
「〜〜〜〜♪♪♪♪!!!!」
 さっきの演歌二曲も上手だったけど、何というか、こっちはもう上手いとか下手とかでは無く、かくあるべき!という感じてしっかり填まってる趣だ。もちろんさっき本職って言ったとおり、部長はガールズバンドやってるから、普段はこういった曲調が専門のはず。まさにガチンコで全力出し切ってるって奴だね!
「〜〜〜〜〜〜〜♪♪♪♪♪!!!!!」
 部長が歌い終わった……。部屋にはつかの間の静寂が訪れる。
 うあー、何というか、圧倒的な音の洪水で魂を揺すぶられ、その直後にいきなり音の消えた世界に放り出されてしまったかのよう。決して不快では無いのだけれど、満足感というか部長の歌のエネルギーが残っていて心に熱い物がわずかに残っているんだけれども、しかし損失感はそれ以上に感じてしまうような、何とも言えない余韻でボクは一時惚けてしまった。
 気がつけば、カラオケマシンがデロデロと安っぽいドラムロールを響かせている。これはもう、見るまでも無く高得点だろう。ある意味緊張感も無く画面を見ていたら、今までにも増してゴージャス極まるファンファーレと共に、99点という文字が表示されたのだった。
 うひょーっ! 99点だって!! こりゃあ奇跡の具現かも知れない!
「うわあ、何かすごい点が出ちゃいました……。きっとまぐれでしょうね、申し訳ないです……」
 何か部長はぺこぺこ謝ってるけど、いやいや、何がまぐれかってぇの! この機械は冷静冷酷冷徹に点数を表示しているよ! だって小岩井があんなに酷い歌を歌ったら、18点なんてひっどい点数をしっかり表示したんだから!
「えとえと、では次は山科さんです! 頑張って下さい!」
「了解です」
 山科さんは「ふんすっ!」と気合いを入れると、画面の前でマイクを握る。そして伊東さんが上手い具合にリモコンを操作し、間をおかずに演奏が開始された。
 おお、『子猫物語』だ。また激しく懐かしい曲を……。
「〜♪」
 子猫物語と言えば、ちょっと可愛らしめに歌う感じの曲だけど、山科さんも原曲通りきっちりと可愛く歌っている。さっきの地上の星とは全然違うよ。この人、色々声色を使い分けられるんだねぇ……
「〜〜♪♪」
 そしてサビの部分では、もちろん声量を活かしたのびのびとした歌い方を披露してくれる。実力派だねぇ、山科さんも歌上手いよ!
「〜〜〜♪♪♪」
 画面の中では可愛いチャトランが戯れている……。いやいや、ものすごい癒やされたよ! 感動したよ!!
 そしてカラオケマシンがデロデロ言い始めているけど、気になる結果は……!
 ばばーん! ゴージャスなファンファーレと共に表示された点数は、82点だった。おお、十分すごい!
「山科さんでした〜〜! チャトラン可愛いですね! 私も小さい頃、何度もDVDを借りて見た物です。今になって思えば気まぐれなネコさんに良くあれだけの演技をさせた物だと感心してしまいますが、山科さんの歌はそれ以上に素晴らしい物でした〜!」
「いやはや、恐縮です」
 山科さんは頭をぺこぺこさせながら、自席に戻っていった。
「では、次は大熊君です! どんなステキな歌を聴かせてくれるでしょうか!」
「はい、期待に添えるよう頑張ります」
 そう言って出てきた熊ちゃんが、テレビの前でマイクを構える。そして、流れ始めた曲は、
『サザエさん』だ、と……? 熊ちゃん、これは本気の勝負なのか!? それとも身体を張ったギャグなのか!?
 熊ちゃんはリモコンをいじっていたみっちゃんに無言で近づくと、そのまま何も言わずにマイクのおしりの部分でみっちゃんの脳天を殴りつけた(ワイヤレスなので線とか生えてません)。
 がおん!と、とんでもないでかい音が、部屋のみんなの耳朶を打つ。
 いやいや、さすがにそんな全力でブチかますと、本気でみっちゃんの頭蓋骨がかち割れるから! それにそろそろマイク壊れちゃうんじゃ無いの!?
「貢、操作が間違っているぞ」
 今更だけど、操作とかそういう問題じゃ無い気がするんだけどなぁ……?
 熊ちゃんは白目を剥いてピクピク痙攣するみっちゃんからリモコンをひったくると、改めて番号を入れ直した。
「お騒がせしました」
 そう言って、マイクを構えた熊ちゃんの背後の画面に、『CAROL』と曲名が表示された。
 おおー、キャロルだ! 激烈しっぶー!
「〜♪」
 熊ちゃん、今日は TM縛りで攻めてきたね! てゆーかそのチョイスは間違いない! とっても上手いし熊ちゃんの声の雰囲気に合ってるよー
「〜〜♪♪」
 この曲のイメージと言えば、やはりロンドンの町並みや時計塔って奴なのかなぁ? たしかこの歌を元にしたアニメとか小説とか合ったっけ?
「〜〜〜♪♪♪」
 うわー、聴き惚れちゃった! 熊ちゃん、一体何処でこんな上手く歌えるまで練習したんだろ? やっぱ一軒家だと少々騒音を垂れ流したところで問題無いから存分に歌い込んだって事なのだろうか……
 ボクン家じゃ本当に歌の練習とか無理だからなぁ? 壁が薄くて、隣の小岩井から「うるせぇんじゃボケェ!」って壁を蹴られちゃうよ!
 ボクがボロマンションの壁の薄さを嘆いていると、カラオケマシンはデロデロを開始していた。さて気になる点数はいかほど……!
 ボクらが固唾を飲んで画面を注視していると、ばばーんとゴージャスなファンファーレと共に84点と点数が表示された。おお、熊ちゃんやるな……! てゆーかボクと小岩井以外、皆80点以上じゃん……。こりゃますますボクらの立場が厳しい物になっていくようだ!
「大熊君、84点でした! キャロルは歌の中に物語があって、とってもステキですよね! 世界から失われた音を探すというのは、まさに歌の中で紡がれるストーリーとしては最高だと思います! 私、キャロルを聴いてロンドンに行きたくなっちゃったこともあるんですよー! 大熊君の歌は、私のそんな懐かしい記憶を思い出させてくれた、とっても素晴らしい物でした! ありがとうございました!!」
「光栄です」
 熊ちゃんはぺこりとお辞儀し、自分の席に戻っていった。
「3周目も半分が終わってしまいました。皆さん、例え血反吐ぶちまけても最後まで気合い入れていきましょう! では、若木さんです!」
「はい!」
 三度顔を赤くした若木さんが、おっぱいをゆさゆさ揺らしながら前に出てきた。
「最後は、アニメではちょっと珍しいカバー曲です」
 若木さんの台詞と共に、画面に曲名が表示された。
『secret base 〜君がくれたもの〜(10 years after Ver.)』
 おお、あの花のエンディングだ! 元はZONEの曲を、あの花の声優さんがカバーした物だ。
「〜♪」
 む〜〜、この曲も、若木さんの綺麗な声と合ってるねぇ……。自分が好き!というより、自分なら上手く歌える、もしくはより上手く聞こえる!って観点で曲を選択しているのだろうか!? さすが女子チーム、色々と戦略に隙が無い。ガチで殺しに来ている感じだ!
「〜〜♪♪」
 とは言っても、こりゃ本気で上手いなぁ……。せめて、せめてこの歌唱力とおっぱいが、小岩井に欠片だけでも譲り渡せる物なら……! ボクは若木さんに学食で一番高いお昼ご飯を奢るが如き、3回程度は決して厭わないであろう……!
「〜〜〜♪♪♪」
 画面はじんたん達がでっかい花火を打ち上げたところでフェードアウトしていった。それと同時に若木さんの歌声もすうっと消えてゆく。いやいや、ちょっと最終回あたりを思い出して涙が出てきちゃったよ。めんまの消えるところは感動物だったからねぇ……
 アニメを見たであろう何人かが鼻を啜る中、カラオケマシンがデロデロを響かせている。さあ、安定の若木クォリティ、点数はいかほどぞ……!
 そしてゴージャスなファンファーレが鳴り響き、画面は85点と表示された。おお、さすがだ! 淀みないっす!
「若木さん、85点でした! あの花といったら、秩父を聖地に至らしめた名作ですね! 若木さんの歌声は本当に綺麗で、私めんまが消えちゃうところを思い出してしまいました……」
 おおぅ、部長もボクと同じ感想だったようだ。
「若木さん、ありがとうございました! 次は鐘持君です、よろしくお願いします!」
「任せろビッチ共! 今から股間に手ェ当てとけよ!!」
 みっちゃんは女子に対して意味不明なディスり方をすると、前に出てきてマイクを構える。
「伊東、これ以上無い物を頼む」
「あいよ」
 伊東さんがリモコンのボタンを押して始まった曲は、『WHITE ALBUM』だった。おお、しかもこの曲はオリジナルのエチゲの方だ!
「〜♪」
 みっちゃん、今回はエロゲ縛りだったのか……。しかも全て女性歌手の歌。良くそれをここまで上手に歌えるもんだ……
「〜〜♪♪」
 WHITE ALBUMはしっとり歌う感じの曲だけど、それもちゃんと再現してるよ、芸が細かいというか、みっちゃんのキャラからはかけ離れたような歌い方だねぇ……。さっきも思ったけど、だいたいこういうガサツで自意識過剰で本能がはみ出ているキャラはどんな歌を歌ってもスピーカーが破裂するくらいにやかましく歌うのがお約束ってもんだろうに……。それを何でここまで己の美声を誇示するが如く綺麗に歌ってるんだ!? みっちゃん、自分を見失っちゃダメだ、こんな歌の上手いみっちゃんは、本来のみっちゃんじゃないよ……!
「〜〜〜♪♪♪」
 終わった……。最後まで綺麗に歌いきって終わっちゃった。がっかりだよ、こんなのって無いよ……。
「ところで優樹よ、何故さっきから俺をそんな般若の如き形相で睨んでんだ?」
「うぇぇ!? みっちゃんの美声に聴き惚れていただけだよ!?」
「何かがっかりだの自分を見失うだの聞こえたが、俺の空耳か?」
「そ、そーだよ! あ、ほらほら、点数出るよ〜?」
 ボクがそういった瞬間、カラオケマシンはばばーんとファンファーレを鳴らし、画面には84点と表示したのだった。
「鐘持君、84点でした! WHITE ALBUMといえば、私何とかみんなを幸せに出来ない物かと散々やりこみましたが、どうしてもバッドな感じで終わってしまうのが痛く心に残る作品でした……。由綺ちゃんのコンサートのシーンなんて、とっても感動的だったんですが……」
 うえぇ!? まさか部長、エロゲなのに全エンディングを見るくらいにやりこみしたの!?
「ところで鐘持君が歌ってくれた歌はゲームの中のとは違いましたが、別アレンジバージョンでしたか?」
 おう、部長のやってたのはPS3版の方か……。そりゃまぁそうだろうねぇ、びっくりした〜〜
「不勉強だなビッチ、アレがオリジナルだぜ」
「?? ……何かよく分かりませんが、とりあえずこれで全員歌い終わりました!」
「だからぶちょ〜〜〜! いい加減てんどんはやめにしましょうよぉ〜〜〜」
「男子はもうとっくに終わりましたよ?」
「私は女子です! ぴっちぴちの現役JKですって!
「人のおっぱい揉んでくる女子は居ません。居ても許しません。だから貴方はここに居ないことになっています」
「だからそういうの本気で傷つくんで〜〜〜」
「そして貴方は誰です? 皆さん、ここに不審者が紛れ込んでいます!」
「もうやだぁ〜〜〜! 本気で泣いちゃいますからぁ〜〜〜!!」
 伊東さんはマジでび〜〜〜と泣き出した。
「おぃおぃビッチよ、伊東があまりにも不憫だぜ?」
 さすがに見かねたみっちゃんが、ついに助け船を出したよ……。
「この状況は不本意です……。ところで貴方は歌う機能はついてるんですか!? 無理をすると爆死しますよ??」
「さっきから何度も歌ってんじゃないですか〜〜!」
「仕方ないですね、だったら歌ってください、声を出さずに」
「ひどいですぅ〜〜〜」
 ずびびっと鼻を啜った伊東さんは、部長からマイクを受け取るといきなり笑顔を炸裂させた。
「では最後のトリ、いっきますよ〜?」
「全く、これだからプロの劇団員は……!」
 部長が珍しく毒を噴いてるけど、いやはや伊東さん色々パネーっす。
「では鐘持、今世紀最高のを頼む」
「あいよ」
 みっちゃんがリモコンのボタンを押すと、画面には『翼をください』と表示された。おお、伊東さんは学校で習う歌縛りなのか? しかも最後の最後でこんな名曲を持ってくるなんて、百合ッ子のクセに恐ろしい子……!
 ボクが伊東さんのナイスチョイスに戦慄を感じていると、彼女はおもむろにマイクのボリュームを最小にしてしまった。何だ? もう前奏は始まっているというのに??
「〜♪」
 しかし、伊東さんが歌い始めてから、ボクらは彼女の不思議な行動の意味を理解させられたのだった。ボリュームゼロでも部屋に響き渡る、圧倒的な歌声。うわあ、さすが舞台で大声張り上げているだけのことはある! 何てェ声量だ、人間の限界超えてね!?
 しかも歌い方は合唱曲のように綺麗な裏声を響かせている。まさにプロの犯行、女子達のこの勝負に掛ける本気度がビリビリと伝わってくるようだよ!
「〜〜♪♪」
 しかもその歌声は実に伸びやかで、決して大声を張り上げているといった趣では無い。あくまで澄んだ声、余裕を持って響く歌声、丁寧かつ繊細な表現! 歌として全く欠けたところの無い、完璧な物だった。
「〜〜〜♪♪♪」
 伊東さんはきっちり二番までの歌詞を歌いきり、その歌声の余韻でボクらはついついここがカラオケ屋さんであることを失念していた。まるで、何かの歌のコンクールを聞きに来たようだよ……。
 やがてしんと静まりかえった部屋の中に無粋なデロデロが流れ出し、そして次の瞬間、ばばんとゴージャスなファンファーレが流れた。点数は、驚愕の94点! さすがすぎる!! ボリュームゼロで94点出したんだよ!? もしかすると部長よりも実力があるんじゃ無いの?!
「おおー、中々良い点貰っちゃいました〜」
 伊東さんはヒヒヒと笑いながら、自分の席に戻っていった。
「………。悔しいっ!!」
 部長はさっきまで垂れ流していた司会的台詞をすっかり忘れ、力一杯本音をぶちまけたのだった。
「お、おほん! ついつい魂の雄叫びが漏れてしまいました。伊東さん、大変素晴らしかったですね! マイクも使わずあそこまで歌いきるとか、何考えてんだって奴です。プロが素人相手に本気出して挽き潰すとか大人げないって奴です。ちっとは遠慮しろって奴です!」
「へへーんだ、プロは常に本気汁を垂れ流す物で〜す!」
「そんな汚らしいプロは引っ込んでなさいっ!!……では、若干一名部外者が歌いましたが、これで全員が3周終わりました! ちなみに3周目の平均ですが、男子チームは80.3点です!」
 おお! 平均が80超えた!! これはもしかしていけるか!?
「そして女子チームの平均は、75.6点でした!」
「あう〜〜〜〜〜!!!」
 またもや部屋には、小岩井の悲痛な悲鳴が響き渡った。
「私が一人で落としちゃった〜〜〜」
 小岩井はまたもやびえぇぇ〜〜〜と泣き出してしまったけど……確かに彼女以外の女子の点数は99、82、85、94であってその平均は90。それを一人で75点まで落とす小岩井の実力は、どうひいき目に見ても本物であった。ごめん、慰める言葉が見つからないよ……。
 とりあえずボクは小岩井をぎゅっと抱きしめ、ツインテ頭がぐちゃぐちゃになるまで撫でくり回しておいた。
「さて、それでは1周から3周までの平均の発表です! この点数を持って、文芸部での活動に於いて、男女どちらが責任を持つのかが決まります! それでは結果発表を行います!」
 ここで部長はリモコンを操作し、カラオケマシンからデロデロのドラムロールを流した。うわ、そんな機能まであったのか。
 じゃじゃーん! 豪華なファンファーレが鳴り、
「男子の平均点は、77点でした!」
 おお……ボクが2回ほど切ない点を取ったにもかかわらず、77点程度で済んだのか。でもそれは反対に言うと、ボクがもっと至っていれば、当たり前だけど80点代半ばは取れたわけで……。ああ、どうやらボクの罪は中々深いようだ……。
「そして女子チームの発表です!」
 再びのデロデロの後、じゃじゃーん!と鳴ったファンファーレに合わせて、
「女子の平均点も、77点でした!」
 そんな部長の衝撃発表に合わせて、
「「「「「なに〜〜〜!?」」」」」」
 という声が部屋の中で響き渡った。
「おいおい、本当に同じ点数だったのか!? どこかでおかしな操作してんじゃねーのか!?」
 そんなみっちゃんの声に、
「そんな事してませんよ。鐘持君も計算してみてはいかがでしょうか」
 部長から渡された点数メモを見ながら、みっちゃんが自分のスマホの電卓アプリで計算をしたようだけど、
「ぬあ、確かに両方77点だな、奇跡も大概にしやがれだぜ……」
 済まなかったと言い、みっちゃんはメモを部長に返した。
「という事ですので、文芸部の責任分担を決めるのは、またの機会ということにしましょう!」
「ま、しゃーねーなぁ……」
 みっちゃんのそんな声に続き、
「またこうやって楽しく競争できる楽しみが増えたという物です。是非とも次回もガチンコで勝負しましょう!」
 山科さんがニコニコしながら声を張り上げた。
 まぁ、確かに3回もガチで歌って喉の調子も疲れてきてるし、これ以上歌ってもお互い悔恨が残る戦いになりそうだしねー。
 結局我ら文芸部の覇権を決める争いは、前回と同様次回の部会までにそれぞれ勝負の方法を考えてきて、そこで最も良い方法を選ぶ事になったのだった。
「ほら小岩井、もう帰るよ〜〜」
「うえぇぇ〜〜」
 小岩井は未だグズグズ泣いていたけど、とりあえず今日の作戦行動はお開きになったので、ボクがいつも通り責任持って彼女の家まで輸送することになった。まぁ家隣だし、ボクの彼女だし。
 部長が料金を支払い領収書を貰っている隣で、ボクは小岩井のツインテ頭を撫でくりながら、とりあえず泣き止む程度まで機嫌を直して貰うことに成功したのだった。
「今度はボクらでもちゃんと点数が取れる競技を考えないと……小岩井分かった?」
「あうぅ、考える……」
 しかし……この女のスペックってピーキーというか、得意なことと不得意なことの差が激しいねぇ。こんな調子じゃ、ボクだってこいつに敵うことが一つくらいあるかも知れない。とりあえず歌は上手いはずだ!
 ボクはドングリの背比べという言葉に思いを馳せつつ、小岩井と手を繋いでボロマンションに帰る事とした。
「それでは、また明日学校で会いましょう」
 そんな部長のお別れの挨拶に、各人それぞれ返事をする。そしてボクらは帰る道すがら近所の商店街を仲良く並んで歩いていたのだけれど、このまま家に帰っちゃうにはちょっと早いし、それに少々寒いけどまだまだ十分遊べる時間帯だったから、ついでにデートでも決め込もうと小岩井に提案してみることにした。
「ねぇ小岩井さ、ちょっとデートでもしていこうよ」
「うん、いいよ?」
 とは言いつつ、この辺じゃ高校生が楽しく遊べるステキなデートスポットなどありゃしないし、電車で他の街に出るにはさすがに時間が遅すぎるから、駅前のデパートでも行ってウィンドウショッピングの名を借りた冷やかしでもして、フラフラ一緒に歩き回りましょう。
「デパートで良い? ジュースくらいなら奢るよー?」
「うん……あの、私たち折角お付き合いしてるんだから、お互い名前で呼ばない?」
「は? いつも小岩井って言ってるじゃん。それとも何か、特殊な識別符号が良いと?」
 小岩井という名にまつわる何か良い暗号は無いかと、真剣に考え始めたボクに、
「あうぅ、そういう事じゃ無くて、あの、そしたら私、一条君のことゆーくんって呼ぶから……」
 だから私もそういう感じで呼んでと、顔を赤くした小岩井が言ってきた。なんだ、あだ名のことだったのか……。てっきり小粋でおしゃれな、お互いでしか分からない符丁みたいな物を作ろうって事かと思っちゃったよー
「あー、じゃあボクは小岩井のことまうっちと呼ぼう。みんな言ってるし」
「うぇぇ、それもう決定なのぉ〜?」
 なんか小岩井はエラい凹んでるよ……でもまうっちって、女子チームに付けて貰ったお気に入りじゃないのー?
「だってみんなそうやって呼んでるじゃん?」
「どう考えてもハムスターみたいだもん……」
「ちっこいからちょうど良いって。という事でまうっち、早くデパート行こう!」
「あうぅ〜〜!?」
 ボクが小岩井の手を引っ張ると、彼女はいつも通りにあうあう言いながら着いてくる。足の短さはちゃんと考慮の上で引っ張ってるんだから、目的地までキリキリ歩きましょう!
 その後、デパートでお茶したりアクセサリーショップなどを覗いてひとしきり遊んだ後、流れで小岩井の家に遊びに行ってそのままえっちしちゃったのは誰もが羨むお年頃だから仕方ないよねー。ちょうど小岩井のご両親が外出しててホントに助かった〜。ボクン家は基本ママンが常駐してるから、なかなか小岩井と密な時間を送る事は出来なそうだ……。
 あと、小岩井はもうちんちん入れても痛くなくなったみたいで、今日はついにボクのちんちんで小岩井をイカせることが出来たよー! 男の子として、めっちゃ嬉しい!! ところで女の子の4割くらい彼氏とのえっちでがイクふりしてるなんて切ないデータもあるけど、さすがに小岩井はそんな器用なこと出来るタイプじゃ無いだろうしねぇ? なんせイッた後は半分気絶したような感じになってたから、到底演技なんかじゃないでしょう。……そう信じたい。お願い、そう信じさせて!


 冬が過ぎて春になった。
 結局カラオケ大会の後、ボクら文芸部は何度も血で血を洗う凄惨な戦い(ツイスターや麻雀、果てには王様ゲームまで……)を男女間で繰り広げたのだけれど、しかし何故か毎回点数が同じになってしまい、結局未だかつてどちらが文芸部の覇権を握るか、決着がつかないままになっていた。
 その間に部長は卒業してしまい、とりあえず暫定的な部長は元々副部長だったみっちゃんが引き受けている。そういえば、去年は一年生がいなかったから、今年頑張って新入生を何人かとっ捕まえておかないと、ボクらが卒業すると同時に文芸部は無くなってしまうなぁ……。まぁ、それは今後追々考えましょう。

 で、これが一番大切なことなんだけど、小岩井を取り巻く環境についてだ。
 結局、文化祭の日から彼女は虐められることは全く無くなり、そして彼女を傷つける悪意は消え失せ平穏かつ当たり前の日常が戻っていた。ただし友達とかはあんまり居ない様だけど、まぁあんな酷いいじめ方してたのが今更友達ヅラなんて出来ようはずも無く、しかし小岩井は小岩井で上っ面だけの関係で群れて満足しているようなタイプでも無いので、一人で居ても全然気にはしていないみたい。それに文芸部の女子部員とはちゃんと仲良くしてるから、特に寂しい思いはして無いだろうし、ボクとも毎日のようにラヴラヴしてるのできっと大丈夫でしょう。
 ところで小岩井が虐められていた理由の一つに、教室とかに置いてあった財布や貴重品を盗んだってのがあったけど、結局それも後で真犯人が捕まった。あの小岩井にちょっかいを出していたクソヤンキーだった。移動教室で誰もいなくなった部屋を物色している奴の姿を、忘れ物を取りに来た複数の生徒に見られたのだ。警察に捕まって色々自白したところによれば、階段から落ちた日も盗みを行って、皆の目を逸らすために非常ベルを鳴らしたんだそうだ。それで階段を駆け下りていたところで足を滑らせ、一人で勝手に転げ落ちたとのこと。で、何でその時小岩井の名前を出したのかというと、単に熊ちゃんが追っ払った時の事を逆恨みしていて、適当にウソを言って回っただけらしい。
 とことん迷惑な奴だ!
 ちなみに盗んだ額が大きすぎて少年院行きになって、退学しちゃったけどね。後で仕返しとかされないように、ちゃんと小岩井を守ってやらないと。あと、なんでそいつが小岩井の前の学校でやらかしたことを知ってたのかという事だけど、単に向こうの学校に友達が居て、そいつからあること無いこと小岩井の悪口を聞いたらしい。その友達ってのも、向こうの学校で集団強姦とかやらかして補導されたとか何とかってニュースになってたから、世の中ってのは朱に交われば赤くなるでは無く、元々真っ赤な奴が勝手に集まってくるってもんなんだよねぇ。小岩井もそんな連中に酷いことされないうちにこっちの学校に来て良かったってもんだよ。


「オメーら今日から高校三年生だー! いつまでも春休み気分でだらだらしてんじゃねーぞー! もう受験まで9ヶ月位しかねーんだから、ちょっとでも気ィ抜くんじゃねー! お前らの人生は自分でぶんどってくるしかねーんだからな! 気合いだ気合い! とにかく気合い入れて行けよー!?」
 一学期のはじめから鬱陶しい担任である。いい加減うんざりである。憂鬱もいいところである。ボクらが3年に変わるとき、ちゃんとクラス替えがあったはずなのに、しかし世の神という奴は本当に意地悪な物で、極めて不幸なことにボクの担任はまたこの変な奴に当たってしまったのだった。……実は3年間、ずっと一緒の担任だけどね。1年の時もこいつが担任だった。なんて腐れ縁だろうか! どうせなら、天然でポケポケした良くずっこける萌えッ子で可愛い先生だったら良かったのに!! もちろんそんなエロゲにしか出てこないような女性教師は、この学校には一人もいないけどねー。
「あと、このクラスは全員進学だ! だからこの部屋にいる全員は、自動的にお前らの良きライバル達だ! うかうかしてっとすぐに置いてかれるからな! 友情も大切だが学生の本分を忘れるんじゃねー! ちなみに今更進路の変更なんか絶対受け付けねーから、ガタガタ抜かす暇があるならとにかく勉強してろ! 受験のふりしてニートになろうなんざ腐ったこと考えてる奴は、とりあえずぶちのめしてやるから前に出てこい! 俺は決してそんなモン認めねーからな! とにかく現役合格だ! 試験場で出くわす他校奴らは全員ブチ殺しに行く勢いで勉強しろ! 情け容赦なんて一切必要ねーからな!! とにかく大学行け、大学だ! 浪人なんて今から考えるんじゃねー!!」
 なんてぇ教師だ。教え子に殺人教唆をしてやがる。こいつの頭は本当に大丈夫だろうか……?
 ところで、さっきっから鬱陶しい担任の野郎がギャーギャー言ってる受験に関してだけど、ボクは身の程もわきまえず、家から近い国立を狙うことにしたのだった。もちろん両親は大喜び、すっかり受かった気でいる脳天気なバカ親は、浮いた金で新しい車を買うだの何だのと、ボクに要らぬプレッシャーを掛けてきやがる。なんでそんな事になっちゃったのかというと……まぁ理由は簡単だ。だって小岩井と一緒の学校に行きたいんだもん! ちなみに小岩井の方は、今の彼女の成績だったら合格圏内どんぴしゃなのだそーだ。とりあえずボクは、即死するくらい勉強すれば何とかなる……のは決して全否定は出来かねると、担任の野郎はそう言っていた。ちょっと前の模試では、合格率40%だったけどねー……。なんてボクらしい中途半端な点数だろうか! 絶対無理というわけでも無く、さりとて絶対安心できない数値。やるしか無いんだ、やるしか。
 でも、ボクは決して悲壮感満載ってワケでは無いんだよ? だって、うるさい担任なんて無視して、ちょっと後ろを振り返ってみたらさ……
「……?」
 ボクの席の後ろに居る小岩井が、ボクの可愛いツインテ頭の彼女が、ボクの方を見てにこっと微笑んでいる。
 こいつには、こいつにだけは、ボクの煤けた背中を見せるわけにはいかない。誰もが羨む受験生とはかくあるべしと、背中で語る男になるんだ。超やる気が出てくる。ぶっちゃけ勉強でわかんないところは、小岩井に教えて貰えるし!
 ボクは小岩井に出会えて本当に幸せだ。だってもしこいつと出会わなければ、勉強しようなんて思う事も無く、適当に名前書けば受かる大学行って、絶対だらだらとした目標の無い人生を送っていたもん。
 で、そのだらだら生活の先に待っているのは、あのいつしかの10年後の女房おねーさんとのラブラブな新婚生活などでは無く、具体的にはよくわかんないけど、とにかく酷い感じになっているのだろうことは想像に難くない。そんな人生、絶対面白く無いだろうし、きっとみっちゃんや熊ちゃんもボクに愛想を尽かして離れていってしまうよ。もしも小岩井に出会っていなければ、ボクは全部を失ってしまっていたのかも知れない……
 でも今のボクは、その選択肢に突っ込むようなことは無いはずだ。さっきも言ったけど、そんなだっさい姿、死んでも小岩井に見せられないからね! 誰もが羨むお年頃の男の子が頑張る理由としちゃ、これ以上無いくらいに最高だ!

ボクの最高の彼女

 ということで、ボクの日常を描いた物語はこれでおしまい! もちろん、誰もが羨むお年頃のボクの人生は、まだまだずっと、ダンプに轢かれるまでは続いていくんだろうけどね。
 ちなみに劇中では、ボクの高校二年生で起こった平々凡々なイベントの大半を紹介していたのだけれど、そんなんでも楽しんでいただけたのなら嬉しいよ。手に汗握るような胸熱な事も無ければ(一部、ストレスで胃が焼けそうな事はあった)、ハンカチを小岩井みたいに鼻水だらけにしちゃう感動ストーリーも無かったけど、でもボク個人では人生のパラダイムシフトと呼べるべき大きな事が結構起こったのも事実。10年後に行って先生のまねごとしちゃったり、彼女が出来たり、えっちしちゃったり……。それぞれのイベントで、ボクはそれこそのたうち回ってだましだまし何とかやってきたけど、到底クールに決めることなんて全然出来なかった。ほとんど失敗の連続だったと言っても過言じゃ無いだろう。やっぱり、いつどんなアクシデントが起こっても、それにきちっと対応すべく前もって色々準備しておくってのはとても大切なことなんだよねぇ。人生っていつ何時、泣いたり笑ったり出来なくなっちゃうか全然分からないからね〜。

 さて、いきなりだけど質問。頭の中身だけ10年先に行ったなら、あなたはどんなことをしたい? ある日突然未来に飛ばされる前に、キラキラ光る石を拾っちゃう前に、事が起こって右往左往しない為に、ちょっとだけでも考えておくことをお勧めするよ!

 
 
 
 
 
 

SIDE:A

 ボクは、無粋でありながらも懐かしい目覚まし時計の音で、夢の世界から現実に引き戻された。
 いつもは女房おねーさんが「ゆーくん朝だよ〜〜」って優しく起こしてくれるのに、それが無いということは、やはり思ったとおり、今日が「あの日」だったという事だ。
 ボクは上半身を起こして自分の手を見る。いつもの見慣れた手と違って、人生の苦労もほとんど知らないピチピチお肌。近くにあった手鏡で自分の顔を見てみれば、既に記憶でも遠く薄れてしまった、いつしかの誰もが羨むお年頃の丸顔が映っている。
 あー、ボクってこんなバカ面してたんだっけ? 今更ながらに恥ずかしくもあるけど、けどこの頭の悪そうなバカ面の時分は、まだまだ人生に夢いっぱいのお年頃でもあったわけだ。あまりにも懐かしすぎる。この頃は、本当に人生ハッピーだったよねー。今更思うに、本気で辛い事なんてほとんど無かったんだから。
 さて、そろそろ起きてバイトに行かなきゃ。ここでのんびりしていたら、ママンが布団たたきで愚息を殴り殺しにやってきてしまう。
 ボクはまさに昔取った杵柄、10年前の生活を思い出しつつ、バイト用のジャージを着込んで懐かしい実家のリビングに移動したのだった。


 その後適当に新聞配りをこなし(ちなみに田中さん家のじーちゃんは10年後でも元気だ。まさかこの時点で既にサイボーグ化していたのか!? まさに人類の神秘の具現だ……)、さっさと家に戻って朝食を摂った……つもりだけど。
「ほら優樹!! だらだらしてないでさっさと食べちゃいなさい!!」
 ボクの慣れ親しんだママンより、10歳若いママンがボクを急かしているけど、しかし、この卵の殻が微妙に入り込んでいて、しかも塩分がキツすぎる焦げたフレンチトースト的何かを片付けるには、それ相応の作業時間が必要だよ!? ボク、良くこんなのしょっちゅう食べていたもんだよ……。今の女房おねーさんのご飯は本当に美味しいからなぁ……。人間って奴は、一度ゼータクを覚えてしまうと、本当に堕落する一方だ……。
「ママン、出来れば甘いコーヒーを頂きたいのですが」
「全く、朝から贅沢な子ね!」
 そうは言ってもさ〜〜。結婚してこの家を出てくまで、ずっとご飯を作ってくれたママンには、本当に感謝しこそすれ批判などするつもりは一切無いのだけれどさ〜〜。しかしこのフレンチトーストの名を騙った異形の物体を慎ましく胃袋に収納するためには、甘〜いコーヒーで微味を中和して、とりあえず一緒に流し込むしか残された道は無い様だよ!?
 ボクはママンが入れてくれたコーヒー(に見えない事も無い、薄すぎてただの茶色いお湯みたいな何か)に砂糖と牛乳をしこたまぶち込み、フレンチトースト風な物体と一緒に口に入れてとりあえず飲み込んだのだった。
「うぇっぷ」
「ほら!! 早くしないと遅刻するわよ!!」
「ヘイヘイ……」
「返事は『はい』でしょ! お隣の真由ちゃんだって、しっかり挨拶出来るんだから!!」
 あんた、まさかまだお隣の娘さんを小学生か何かと思ってるんですか……。
「ちなみにママン、その真由ちゃんはボクと同級生だって知ってる?」
「あんた、未だに自分のこと小学生だと思ってるの!? 馬鹿言ってないでさっさと学校行きなさい! 分かってるわね、ちゃんと高校の方よ!!」
「ヘイヘイ……」
「だから返事は『はい』でしょ! 私はあんたをそんな子に育てた覚えは無い!!」
 何言ってんのさ、あんたボクをそんな風に育てたからこそ、あんたの目の前にいる可愛い愚息はいつ何時たりともヘイヘイって返事をするのですよ? てゆーか今日って小岩井がこのボロマンションに引っ越してきて一ヶ月くらい経った頃だと思うけど、あの子まだ小学生だって思われてるんだねぇ、可哀想に……。まぁ隣の家に住んでるって事すら気が付かなかったボクも、到底人のことは言えないけどさ。
 ボクはこの懐かしいリビングでもう少しのんびりしていたかったのだけれど、さすがに遅刻してまで思い出に浸ってもいられないため、さっさと家を出ることにした。
 そういえば、お付き合いする前の小岩井は、ボクより30分くらい早く学校に行ってたそうだから、つきあい出すまで登校時に出くわすことは無かったんだよねー
 ボクはボロマンションの裏手に回って、懐かしい通学の友(こいつは確か、大学卒業と同時に捨てちゃったんだよねぇ。中学生の時に買って貰ってから10年間毎日の様にコキ使い、ボトムブランケットのベアリングが壊れてバキバキ言ってたから天寿を全うしたとは思うけど)を引っ張り出すと、微妙に忘れた感のある通学路を逐一思い出しつつ、懐かしの母校に向かって軽やかに動くペダルを漕いでいったのだった。


「はよ〜ん」
「うぃーす」
「ん。」
 久しぶりに出くわした懐かしの三バカトリオで、朝の挨拶である。
 おお、みっちゃんも熊ちゃんも若けぇー!! それにみっちゃん、髪の毛ふっさふさだよ! 今じゃあんな凄絶な事になってるのに!! ちなみに熊ちゃんは、実はあんまり変わって無いかなぁ? この人昔は老けてたから、今じゃ逆に若いくらいだ。
 それにクラスの中も懐かしいねぇ。しかし、こう言っちゃ何だけど、クラスメートの名前は半分も覚えてないや〜〜
 やっべー、卒アルでも見て復習しておけば良かったかも!?
「そういや優樹よ、情報教室の前の掲示を見たか?」
「は? 何それ??」
 ん〜? 何かあったっけ?? マジで覚えてないんですけど……
「ああ、情報教室の要らない備品をいくつかくれるらしいぜ! 俺もまだ詳しい事は知らないんだが、休み時間にちょっと見に行こうぜ」
「いいよー?」
 そんな話をしていると、朝のホームルームの時間になった様で、これもまた懐かしい担任が教室にやってきた。そういえばボク、とうとうこいつと同じ職業になっちゃったんだよねぇ。もちろんボクの中では、この人生の師たる担任の存在はとても偉大だ。いっつも反面教師として大切に使わして貰っているよ〜〜
「よう一条、おめー朝から担任に向かって反面教師たぁ、中々根性入ってるな? 屋上行くか? あぁ??」
「いやいや先生! 決してそんなことは全く露たりとも思っていなかったりするんですよ!?」
 やっべー、ボクっていつまで経っても思考が外にだだ漏れる奇病が治らないようだ……
「まぁ教師だってオメーらと同じ人間だぜ。俺の姿を見てだっせーと思うなら、それをフィードバックして立派な大人になれや! じゃ、ホームルームを始める! 日直、号令!!」
 きりーつという、名前を忘れちゃった日直の女の子が号令と共に、ボクらは自分の席に戻って毎朝恒例だった担任の懐かしくも鬱陶しい語りを聞くことにしたのだった。


 さて一限目の授業が終わり(先生に指されなくて良かった〜! 物理なら何が来ても大丈夫だけど、他の教科なんて何も覚えて無いもん)、休み時間になったので、早速みっちゃんと熊ちゃんと連れだって情報教室に貼り出されているという掲示を見に行った。
「……えーと、どれどれ?」
 早速みっちゃんが張り紙を見つけ、ボクらも後から紙を覗き込む。そこには、以下の様なことが書いてあった。

 下ニ示ス物品、数多ノ改善策ヲ弄ストモ旧式ノ感否メズ廃棄ト決定ス。本日壱拾伍時ヲ以テ希望者ニ対シ無償譲渡スル也。
 一、譲渡ヲ希望スル者、然ルベキ理由ヲ携エ情報教室ヘ出頭スベシ。担当教官ノ納得ヲ以テ物品授受ノ権利ヲ得ルモノトス。
 一、同一物品譲渡希望者多数ニ於イテハ、厳正ニ早イ者勝チトスル也。
 一、不埒ナ理由ヲ以テ譲渡ヲ望ム者、極刑ヲ以テ報ヲ受ケルベシ。

 イ 参百兆文字記録型固定式磁気円盤駆動装置
 ロ 八色離散表現式壱拾弐吋型表示装置
 ハ 参.伍吋型軟式磁気円盤駆動装置
 ニ PC-9801VM型個人用卓上型電子計算機一式
 ホ 八零弐八六型中央演算処理装置
 ヘ 八吋型軟式磁気円盤記録媒体壱拾枚
 ト 八零八七型数値演算補助処理器

以上

「なんだこりゃ? 何かの中国語??」
 そんなボクの正直な台詞に、
「わざと読みづらくしてやがんのか?」
 みっちゃんは参百兆って一体どんなよ? とか言いながら、指を折りつつブツブツ考えている。
「あのへそ曲がりの教諭が考えそうなことだ。そう簡単には渡せないという事だろう」
 おお、熊ちゃんが珍しく毒を噴いている。そういえばこの人、情報処理の先生と仲悪かったっけ……。
「けっ、こんなもん誰だって見りゃ分かるじゃねーか」
 そんで参百兆ってのはなぁ……と、みっちゃんはウンウン指を折々数えているけど……あの、ボクには何が何だかよく分かりませんが?
「あー、300GBって事か! おお、結構容量でかいじゃねーか! うっしっし、このハードディスクは是非とも俺様が貰ってやろうじゃねーか!」
「そんでみっちゃん、これ何なの?」
「おお? えっとな、"イ"が300GBのハードディスク、"ロ"が8色のデジタル12インチモニタ、"ハ"が3.5インチのフロッピードライブ、"ニ"が情報教室の片隅で朽ち果ててるVM一式、"ホ"が286のCPU、"ヘ"が8インチフロッピー、"ト"が8087、8086用のコプロだな」
「なるほどー! 全然わかんない!」
「まぁオメーには早すぎたんだよ……。とりあえず"イ"以外はゴミだって事だ。テラの容量のHDDがゴロゴロしてるご時世で、300ギガってのも場合によっちゃゴミかも知れねーけどなぁ」
 でも俺様にとっては十分宝物だと、みっちゃんはじゅるりとヨダレを垂らし、嬉しそうに張り紙を見つめていた。
「しかし貢。ここには役立たずの名前だけでは無く、“欲しいならイカス理由を持って来やがれ、ふざけた事抜かそうモンならソッコーぶち殺してやるぞクズ共め、ヒャッハー”と書いてある」
 熊ちゃん、ヒャッハーってあんたどんだけ情報の先生が嫌いなんだ……
「なんだと!? だったら今からその然るべき理由って奴を考えにゃあならんな! お題は、『ハードディスクを貰ったら俺様はこんなにイケた漢になる』でどうだ?」
 みっちゃんは指をパチンと鳴らしてそんな事を言い始めた。うわあ、また親友がめんどくさいこと始めたよ!?
「そもそもハードディスクを貰ったらイケた漢になるの!?」
「下郎、それを考えるのが貴様に赦された唯一の贖罪だ!」
 ボク、何かそんな辛いこと考えなきゃいけない大罪を背負ってるの? そりゃ確かに、独身のあんたを横目にさっさと結婚したけどさ……でもそれは今から8年くらい後の話だよ!?
「大人しく小遣い貯めて自分で買え」
 こんな呪われたゴミを使うとロクな事は無いぞって……。熊ちゃん……。
「それが出来たら苦労はしねーよ! つーかタダでくれるってんだぜ!? 貰ってやるのが生徒の努めってもんだろうがよ!」
 だいたい全校生徒でこのハードディスクを使い切るのは俺しかいねー!ってみっちゃん喚いてるけど……このおかしな自信とプライドの吹きこぼれッぷりって、今でも大して変わってないよなぁ? みっちゃん、淀みないっす!
「ところで、そもそも不埒ってどういうこと?」
 何か極刑とか訳のわかんないこと書いているけど……生徒に余ったガラクタくれてやるのに、そこまで理由を求めても仕方ないって思うんだけどなぁ?
「貢のようなことだ」
 どうせロクな使い方しないのは決定事項だと、熊ちゃんはさっきっからつれないなぁ?
「何だよお前ら!! せっかく親友が欲しがってるハードディスクの一つや二つを手に入れる為のアイデアが出せねーってのか? パパとママの愛情が足らなかったのか!?」
「十分足りてるしうまい飯も食わして貰ってる」
 唯一足りないのはしょうも無い理由を考えてやるだけの心の贅肉だなと、熊ちゃんはこめかみを押さえて首を横に振っている。
「うーん、そもそもみっちゃんは、このハードディスクをなんに使うのさ?」
 何かさすがに理由を考えてやらないとなあ? ボクの培ってきた勘と経験が、そろそろみっちゃんがキレる頃だと危険を告げている。
「知れたことよ。ネットから落とした動画を貯めるのに使うのだ!」
 大の男が大容量ハードディスクに求める理由って言ったらそれしかねーだろうと、みっちゃんはとっても得意げだ。ダメだこの親友、本気でどうにかしないと……。
「せんせーに大人しくエロ動画集めに使いますって言ったら? きっと感動してビンタもくれるよー」
「黙れ豚娘、正論は稀に人を傷つけるものだ!」
「お前に対する教師の評価など、これ以上傷ついても減る物はないだろう。正直に言ってこい。そして華々しく散ってこい」
「ひどい奴らだ! そこまで俺様が、あのクソ先公にぶちのめされる姿が見たいのか!?」
「悪は滅びないとねぇ。とりあえず、部活で使うとか言っとけば?」
「ふふーん。部活で使うなら私が貰うよー」
 そんないきなりの台詞と共に、ボクらの会話に割り入ってきたのは、後で知ったけどみっちゃんの彼女の伊東さんだった。おお、また懐かしい人が! とは言いつつ、この人今でもあんまり変わってないなぁ? ちなみに伊東さん、10年後でも劇団員で大活躍中。たまにテレビにも映ってるよ。独身だけどね。……いい加減みっちゃんとくっつきゃ良いのに、つかず離れず、よくわかんない関係をダラダラ続けている。本人ら曰く、恋人以上夫婦未満で独身と既婚者のいいとこ取りを実践中!だそーだけど、それって要はセフレ?って聞いたら両方に殴られたなぁ、本気で……
「だいたいさー、あんたの普段の行いじゃ、くれる物だってくれやしないよー。だから私が部活で使ってあげるわー。ここは引き下がってちょうだいねー」
「何だとこのビッチ、あのハードディスクは俺様のモンだ!」
 女子供がしゃしゃり出てくんじゃねーと牙を剥くみっちゃんに、
「ふふーんだ、あんただってオコサマじゃーん! では、ここに書いてあるとおり早い者勝ちってことで!」
 ばはは〜いなどと言いながら、伊東さんは自分の教室に戻って行ってしまった。
「我々も戻らなければな。もうすぐ授業が始まる」
 熊ちゃんの声に慌ててケータイで時間を見れば、後数分で次の授業が始まってしまうところだった。
「ちくしょー!! このハードディスクは絶対俺様がモノにしてやっかんな、この淫乱クソビッチー!」
 みっちゃんは周りに女子生徒が何人も居るにもかかわらず、既に廊下の角の先に消えてしまった伊東さんに向かって暴言を吐いていた。
 ……今から思えばこんなのの近くにいたから、ボクらも微妙に女子生徒に勘違いされて、それなりに寂しい青春を送ってたんだよねぇ……。まぁボクはすぐ後に、小岩井といちゃつくことになるから良いんだけどさ。
 その後みっちゃんは残りの授業中や休み時間中、昼食中や掃除中まで延々ソワソワイライラし続け、ボクらに精一杯とばっちりを被曝させてくれたのだった。まぁ気持ちは分かるけどさ……大人になったらハードディスク如きは10や20は平気で買えるんだし、そんなに焦ってもロクな事無いよー? なーんて事を今の彼に言っても全く通じないだろうし。まぁその一途さが、若さバカさで羨ましいってのもあるんだけどさ。


 さて、今は帰りのホームルームの時間である。この時間を無事乗り越しさえすれば、みっちゃんはロケットスタートをかまして情報教室にハードディスクを奪いに行くのだろう。しかし、しかしである。
 ボクはついぞ今まですっかり忘れ果てていたのだけれど、ボクらのクラスの担任は、例え何の用事が無くても延々ワケの分からない話をし続けることで、オコサマ時分のボクの中ではとても有名だったのだ。そして本日もご多分に漏れず、仕事をするとはどういうことなのかとか、心構えとある程度の諦めが肝心だとか、時は金なりなんて言うけど実はお金じゃ時は絶対買えないんだだの、なんか今の自分にとっちゃ聞き慣れたというか、そんな事言われんでも十分身に染みてわかっとるわい的なことを延々と語っていやがった。まぁボクは良いんだけどさ、久しぶりに聞くこの担任の説教もそれなりにオツなもんだし、今度自分が教室で何か語るときのネタにでもなるからいいんだけどさ……しかしボクの斜め後ろの方から、具体的に言うとみっちゃんの口から、ギリギリと歯を食いしばる音とか早くしやがれ殺すぞとかその鬱陶しい口にアロンアルファ流し込んで固めてやるぞボケとか頭の毛ェ全部むしって口に押し込めてやるぞハゲ野郎とか、聞くに堪えない罵詈雑言が延々ブツブツ響いてきていた。
 怖いなぁ! この担任はめったに怒んないんだけど、それでも万が一怒り出すと、あの部長のキレた姿がおもちゃにじゃれつくる子猫みたいにとっても可愛く思えるほど、ガチで本気でとっても恐ろしいんだよ? まぁ、ボクらがそれを思い知るのは高3の体育祭の時だけどさ……。競技中に適当に手ェ抜いてダラダラやってたら、途中で本気でぶち切れやがって、終いには校長先生が仲裁に入るほどの凄まじい剣幕だった。思い出しただけでもちびりそう。ボクも今では教師だけど、さすがにあそこまで生徒を怒れないなぁ?
 ……さて、時間表に書かれたホームルーム終了時刻まで後3分。
 ボクの回想中にも延々喋り続けたこの担任の語り方からすると、間違いなく10分のオーバーランは確実といった趣だった。だいたい、そろそろ他の教室ではホームルームが終了してもおかしくない時間だよ?
 そして時間が経つにつれて、どんどん大きくなっていくみっちゃんの呪詛の声。ボクはそれが担任の耳まで聞こえないようにとひたすら祈っているときだった。
『せんせー! 急に“あの日”が来たからトイレに行って来まーすっ!』
 と、いきなりそんな声が廊下に響き渡ったのだった。
 もちろんクラス中(担任含む)が「「「「「ぶーっ!!」」」」」と吹き出す中、
「なんだとぅ!? あのクソビッチ、ついに女の武器を使いやがったな!!」
 椅子を倒しながら立ち上がったみっちゃんに、クラスの女子達は精一杯ブーイングををぶちまけたのだった。

 もちろんホームルーム終了後(時間は13分ほどオーバーしていた)、ボク達は急いで情報教室に向かったのだけれど、結局そこには何一つガラクタは残されてはいなかった。
「つーかよー! このご時世に8インチのフロッピーなんぞ持っていったところで誰が一体何に使うかってんだよ!? しかも聞きゃあ1Sだって言うじゃねーか、今更その辺に転がってる8インチのドライブで、片面単密のディスクなんて読むんかよ!?」
 あり得ねーだろ物乞い共が全く面白くねーぜとか、とんでもない暴言を噴き出し始めたみっちゃんは、教室に戻る最中も延々愚痴を垂れ流していた。てゆーかさー、万が一その8インチフロッピーなる物が残っていたとして、あんたはそれ貰っていったの??
 みっちゃんだったらとりあえず貰っていくだろうなぁ等と絶対的な確信を得つつ、ボクらは適当に彼をなだめすかして、これ以上怒りがヒートアップして熱暴走を起こさない様懸命にフォローしたのだった。

 とりあえず怒れるみっちゃんを教室まで連行した後、ボクは「今日はちょっと用事があるから部活は遅れていくねー」とか適当な言って、部活に行く時間を遅らせて貰ったのだ。ちなみに今日は男子チームの撮影は無く、女子チームの撮影を手伝う日だったはず。ボクは役者として演技を行い、後の二人は撮影の見学やら脚本担当としてのアドバイスなんかを行うのだ。
 ボクは二人と別れて一人教室を抜け出し、周りに誰も居ないのを確認すると、制服の内ポケットからケータイを取り出したのだった。もちろんこれからが今日のメインイベント、小岩井に映画のクライマックスの曲を弾いて貰う交渉を行うのだ。
 まぁ、10年前にICレコーダーに曲が入っていたという事実を鑑みると、結局はこのミッションは失敗する様なことは無かったのだろうけど……しかし相手はあの頑固ツインテ癇癪玉というか、火力調節器が壊れてガス漏れてしてる瞬間湯沸かし器というか、はっきり言ってこの時分の小岩井っていったらもう、鬱系エロゲのヤンデレヒロインみたいに、色々あちこちぶっ壊れてたからなぁ? 一応、その後だいぶマシにはなったけどさ……。
 うわあ、そう考えるとすっごい緊張してきたよ!? 一体どんな裏技を使って、あのプッツンヒロインまうっちを陥落させたんだ10年前の10年後の自分!(ワケが分からん)
 しかし、こんなところでピヨっていてはダメなのだ! 今のボクは、中身はちょっと疲れたおっさんかも知れないけど、今だけは外見は誰もが羨むお年頃なのだ! もしこんなところでただピヨっていたら、ボクはもう誰もが羨むお年頃じゃ無い、ただの中身も外見も疲れたお年頃だ!
 ボクは気合いを入れるために自ら両頬をペチペチ叩き、根性一発、ケータイのメールで小岩井を音楽室に呼び出したのだった。

 その後、みっちゃんと熊ちゃんに出くわさないように細心の注意を払いつつ部室に移動したボクは、部屋からビデオカメラと三脚を盗み出し……もとい、ちゃんと借りて、ついでに前にみっちゃんから借りていたICレコーダーを携え音楽室に向かったのだった。(みっちゃんと熊ちゃんには図書室辺りで待っててねと言っておいたので、部室で出くわすことは無かった)
 ボクが音楽室の引き戸を開けると、中には既に小岩井が居て、ボクが来るのを待っていたようだ。
「……用事って一体何?」
 早速、小岩井はボクに向かってそんな事を言ってるけど……
 うおおおおっ! 超絶懐かしいんですけどーっ!! JKのまうっちだ! ロングのツインテだ!! 生足スカートにちっぱいだーっ!!!
 ボクはもう感動のあまり、しばし時を忘れて10年ぶりに見たJKまうっちをじっくり見つめてしまった。
「………あぅ?」
 小岩井はこちらを怪訝な顔して見ているけど……しかしこいつ、この頃ってホントにいつもこんな拗ねたような顔してたんだねぇ。まったく折角可愛い顔してるってのに、そんな四六時中眉にしわ寄せたような顔して、勿体ないというか馬鹿馬鹿しいというか。
 ボクは持ってきた荷物をその辺に置くと、なんかこっちを警戒するような目をした小岩井のほっぺを摘まみ、教育的指導を加えてやることにしたのだった。
「ねーねー、いつまでもしかめっ面してると、早く老けちゃうぞ〜〜」
 ボクがこいつの凝り固まった顔面をほぐしてやるため、摘まんだほっぺをグニグニこねくり回していると、
「ひゃふぅ〜〜〜!!」
 面白い顔した小岩井が、手をぶんぶん振り回して抵抗してきやがった。何だと、生意気な……
「折角可愛い顔してるんだから、JKらしく笑顔でいようよ〜〜」
 グニグニ、モミモミ
「ひゃふーっ!!」
 しかし、事ここに至って、ボクはとんでもねー勘違いに気がついたのだった。
 やっべー! この頃って、こいつとここまで仲良くなかったんだっけ!?!?
 たしかえっちしたのって映画撮り終わった辺りだから、うわ、もしかしてこの頃のこいつとの関係って単に知り合いってだけだったかも!
 ボクは慌てて小岩井から手を離し、とりあえず相手の出方をうかがってみた。
「あうぅ……一体何をするのよっ!」
 もちろんだけど、小岩井は真っ赤に腫れたほっぺをよりプーと膨らませて、ボクをキッと睨みつけてきた。
 しかし……けどやっぱり、JKの頃のツインテまうっちは本当に可愛いなあ! この頃のボクがこいつのこと好きになるのは本当によく分かる!
「いやいや小岩井さん、ボクとしてはその可愛い顔がより可愛くなるように、ちとお願いを込めて凝りをほぐしてみたのだけれど……?」
「意味がわかんない! ……もしかして、用事ってわざわざこんな事するために呼び出したの!?」
 いや〜、あまりにも小岩井が可愛かったから暴走しちゃった〜とか言ったら、こいつ一体どんな顔するかなぁ?
「……さっきから人の顔見て可愛いって言ってるけど……私そんなに可愛くないもん」
「何言ってんのー!! まうっちは絶対可愛いって、ボクは命かけて保証するからっ!」
「あうぅ……」
 何か小岩井は余計に顔を赤くすると、しょぼくれるように俯いてしまった。
 って! うわ!? またボク心の声が外にだだ漏れていたの!? しかも今なんて言った?? なんか脊椎反射でとんでもねー事を言ったような気がしなくも無いんだけど……
「あああ、いや、あの、何か勢いで言っちゃったけど……」
「……ウソなの?」
「いや絶対ウソじゃ無いけど!」
 うわああああ……
 何だ何だ? この訳の分からんこそばゆいばかりのやりとりは! 今ボクがここでこいつに告ったら歴史が変わっちゃうんだから! てゆーか、今はそんな事してる場合じゃ無いんだから!!
「いや、えと、だからちょっとお願いがあってね……?」
「あうぅ、あの、えと、何?」
 潤んだ瞳の小岩井が、ボクの方を上目遣いに見ている……! やべ、背筋に電気が走っちゃうよぅ……
「えええと、その、あの、そう、ピアノ! 実は、是非とも小岩井せんせーに弾いて貰いたい曲があって……」
「ピアノ? あの、どうして私なの?」
 うげげ、確かにそうだった。確かこの頃って、ボクはこいつがピアノを弾けるとか全然聞いたことなかったけど……うわあ、どうしよう!?
「ええと、確か部活の女子の誰かが、小岩井のことピアノがすっげー上手いって言ってたから……」
「伊東さんかなぁ?……あの、でも私そんなに上手くないよ?」
「いやいや、十分過ぎるくらい上手だってー!」
「あうぅ……あの、でも、私、一条君に演奏聞いて貰ったこと無いけど……??」
「あ、いや、伊東さんが信じらんねー位上手いっていってたから! きっとそうなのかなぁ、と!!」
「……伊東さんも聞いたことないはずだけど……???」
「いやいやいや、あの人プロの劇団員でしょ!? だからきっとそういうのは今までの練習量とか心構えとか聞いたら色々分かるんだよ、きっとそうだって!」
「そうなのかなぁ?? あの、でも、聞いてがっかりしちゃった悪いし……」
「大丈夫だってー! 多分小岩井はこの学校で一番上手だって! 間違いない!」
「あうぅ……あの、それでどんな曲?」
「あああ、あの、ちょっと待ってて……」
 ボクはさっき小岩井のほっぺをグニグニするときその辺に置いた道具を持ってきて、その中に入っていた楽譜を彼女に渡した。
 小岩井は楽譜を受け取ってパラパラめくって見ていたけど、しかし曲のタイトルとそこにわざわざ記された作曲者の名前を見て怪訝な顔をする。
「……これって男の子達の映画の曲でしょ? それを私が演奏したらいけないんじゃ無いの?」
「いや、全くその通りなんだけど……それを曲げてお願いしたく!!」
 ボクは両手をパチンと合わせると、腰から深々とお辞儀したのだった。
「でもぉ……」
「大丈夫、ボクが演奏したってことにするから! いや、今のはとっても失礼な言い方になっちゃったけど、実はボクが演奏頼まれたんだけど、色々あってピアノの演奏はちょっと今はしたくないってのがあって………」
「あう? 一条君もピアノ弾けるの?」
「いや、ちょっと今は演奏するのが嫌いになっちゃって……あの、自分の嫌いなことを人に頼むっていうのはとっても失礼なことは分かっているんだけど……でも、ボク小岩井しかこんな事お願い出来ないし……」
「あの、私、嫌って言ってるわけじゃ無いから、あの、だから大丈夫だから……」
「ほんとー!? じゃあホントにお願いするよー! あ、演奏はPCMレコーダーで録るけど、あと一応バックアップとしてビデオカメラでも撮るけど良い??」
「あうぅ……恥ずかしいけど、仕方ないよね?」
「大丈夫だってー! 小岩井はとっても可愛いんだから!」
「あうぅ、恥ずかしいよ……」
 やべ、ボクちょっとテンションがおかしくなって、かなり頭が悪い感じのチャラ男になってない!? 誰もが羨む男の子は、ちゃんとクールにキメないとねー!
「じゃあ、ピアノの椅子に座って演奏の準備をお願いしまーす。ボクはカメラとか準備するからねー」
「うん、わかった」
 小岩井はもう一度楽譜をパラパラめくり、音楽室の端に据えられていたグランドピアノの鍵盤蓋を開いて、譜面台に楽譜をセットした。
「あの、一度練習してみていい?」
「あ、もちろん!」
 小岩井は音を録るならふたを開けた方が良いよねと言い、ピアノの屋根(天板の部分)を開けてくれた。
 ボクはビデオカメラを三脚に取り付けながら、椅子に座った彼女が一番可愛く見えるであろう位置を探しながら音楽室をフラフラしていた。やがて一通り楽譜をチェックし終わったのか、小岩井がピアノの演奏を始めた。
 むー、やっぱりこいつ、この頃からピアノはめっちゃ上手いなぁ? しかもこの曲初めて演奏するってのに、ここまでちゃんと弾けるとかどうよって感じ? こりゃあの頃も思っていたけど、ボクが本気で弾いたとしても、絶対こんなに上手く演奏できないね!
 小岩井は一通り弾き終わると、何か気に入らないところでもあったのか、同じフレーズを何度か弾き直し、曲により豊かな表情を付けていた。
「あの、一条君、この曲って本当に鐘持君が作曲したの?」
 しばらく楽譜を指でなぞってブツブツ言っていた小岩井が、PCMレコーダーをピアノに据え付けていたボクに聞いてきた。
「えー、そうだよー? みっちゃん普段はあんなでも、曲だけはしっかり作れるんだよねー」
「あうぅ……あの、これはここだけの話だけど……これも神様のしゃっくりなのかなぁ?」
 うおお、何かいきなり懐かしいフレーズだぞ!? 神様のしゃっくり。みっちゃんの曰く「あり得ない奇跡」って事らしいけど。
「確かにこれはしゃっくりだねぇ。きっと神様がみっちゃんをこの世に落っことすとき、しゃっくりして余計な才能を付けちゃったんだろうねぇ……」
 そんなみっちゃん、今では普通にサラリーマンとかやってるから、これもまた神様のしゃっくりである。いや、彼が普通になったわけでは無いけどね? 良くあんな人類としてのはみ出ちゃイケない域を軽々突き抜けちゃった人を、喜んで雇う会社があったもんだって意味で。
 ボクが10年後のみっちゃんの有り様をディスっていると、クスクス笑った小岩井が一際可愛らしい笑顔を振りまいていた。
 そーそー、こいつは笑ってさえいれば10人が10人とも振り返るほどの可愛いJKなのだ。
「そこまで言ったら鐘持君に悪いよ……。でもあの人すごいんだね、この曲、私とっても良い曲だと思うよ?」
「まぁねぇ、きっと渾身の作曲だったんだろうねー。みっちゃんって普段はパソコン使って自分で打ち込みとかやるんだけど、この曲はシンセとかじゃ情感が出せないって泣き伏してたくらいだからねぇ……」
「……鐘持君もピアノ練習すれば良いのに」
「ボクも、昔みっちゃんにそう言った事はあったんだけど、『俺には自らピアノを習得するだけの、時間的リソースは最早残されていないのだ!』って返された。きっとエロゲーするのに忙しいんだよ……」
「あうぅ……よくわかんない……」
「ですよねー」
 ボクらはお互いあははと笑い、残った作業を片付けていった。
「あの、私は準備出来たよ?」
 小岩井はいくつかのフレーズを何度か弾いて演奏を確かめると、ボクの方を向いてそう言った。よしよし、これで準備はバッチリだね。
 ボクはビデオカメラの録画ボタンを押し、
「うんじゃー小岩井さん! このレコーダーで音録るから、気合い入れて一発演奏をお願いしまーす!」
 これで男子チームの優勝は決まったもんだぜーとか何とか言いながら、ボクは今一度ファインダーの中の小岩井の様子を確認しに行った。
 今から思い出してみれば、ボクが今の外見同様のオコサマだった頃、何でいつも小岩井を追いかけ回していたのかといえば、このビデオに映っていた小岩井の可愛い笑顔の実物を、ひたすらにもう一度見たかっただけなのだ。
 そりゃ、確かに彼女に初めて出会ったとき、小岩井のキリッとした顔を見て背中に電気が走ったさ。でも、それは単なる一目惚れみたいなモノであって、小岩井というステキな女性を心底意識し始めたのは、やはりこのビデオに映っていた彼女の最上の笑顔を見たからなのだろう。それだけは魂の存在を込めて保証出来る。
 だからこの外見の中身のオコサマがこのビデオを見たときに、ちゃんと小岩井の事を大好きになるよう、彼女の笑顔が一番可愛く映る様に誠心誠意気合いを込めて、しっかりとした撮影を行わなければならないのだ。
 ボクは今一度カメラの雲台を調整して、ニコニコ顔の小岩井が最大限に可愛く映るポジションに合わせ、フレームの位置を調整する。
「……んもう……ズルはいけないんでしょ? バレたって知らないから……」
 小岩井は譜面台の楽譜の位置を今一度直すと、ボクの方を向いた。その合図を受け取り、
「じゃあ、録音ボタン押すねー。適当に間を開けて、演奏を開始してくださ〜〜い」
 ボクはとりあえずビデオカメラの録画が開始されたことを小岩井に知らせるために適当に手をぶんぶん振ると、カメラのフレームを横切らないようにレコーダーのセッティングされている位置に移動する。
「クスクス……今日の一条君変だよ……じゃあ、適当に始めるから、よろしくね」
 果たしてそんなボクの行動が何かの壺にでも入ったのやら、小岩井は声を出して笑っていた。よしよし、何か知らないけど可愛い笑顔だ。絶対にオコサマのボクは惚れちゃうからね!
 ボクはそんな確信を得つつ、PCMレコーダーの録音ボタンを押した。小岩井はをそれを見届けると、しばらくして演奏を始める。
 音楽室には、もの悲しくも、どこか映画の中の薫ちゃんのかわいらしさを醸し出すような、みっちゃんの作曲人生の中でも最高傑作の一つに数えられる曲が、静かに流れていた。
 しかし、作曲者のしゃっくりな才能もさることながら、小岩井の技量もたいしたもんだ。こいつのアタックのキツ目な癖はそのまんまだけど、でもそれが曲調を乱す様なことは無く、市販のBGMですと言っても誰も不自然に思わない位のクォリティを持っていた。
 ボクは自分の作業目的も忘れて曲に聴き入っていたんだけど、突然廊下の方からけたたましい非常ベルの音が鳴り響いたのだった。
「あうぅ!? 何か非常ベルが鳴ってるけど……」
 小岩井はびっくりしたようで、そこでピアノの演奏が途切れてしまった。ボクはそのやかましい非常ベルの音を聞きながら、今階段の方で起こっているであろう事実を思い出したのだった。
 そして次の瞬間、あの階段ですっころんでいるクソヤンキーの所に行って、今ボクの全身を支配しているこの本気の殺人衝動を徹底的に行使し、ボクの愛する小岩井をあんな酷い状態に追い込んだ元凶を徹頭徹尾その形が保てなくなるくらいにぶちのめしてやり、自ら喜んで死を選ぶ様に冷酷極まる拷問を喰らわせ続け、奴の息の根を確実に止めるが為に荒ぶる自分の体を必死に押さえつけ、しかし顔だけは笑顔を貼り付けつつ、
「大丈夫だよ〜。すぐ鳴り止むから、そしたらまた最初っから弾いてね〜?」
 と言った。
「あ、そうだね、ベルの音が入っちゃったら使えないもんね」
 ボクの皮膚が裂けんがばかりに強く握りしめられ、そしてブルブルと震える拳は見えなかったのか、小岩井は先程と変わらない笑顔で譜面を整えている。そんな彼女の笑顔を見ていて、ボクのさっきまでは楽しかった心の奥底からは、悲しみが濁流のように溢れ出してきていた。これから小岩井は、この学校のバカな生徒共によってたかって虐められて、ボロボロにされてしまうのだ。出来る事なら彼女をそんな目に遭わせたくは無い。この笑顔のままで高校生活を送らせてやりたい。こいつの泣き叫ぶ声など、死んでも聞きたくはない!!
 けど、今ボクが自分の衝動の任せて動いてしまえば、ボクらの過去は確実に変わってしまうのだろう。このあと色々あったけど、結果的にはボクと小岩井は身体を重ねて愛し合う関係になった。今ここでボクが小岩井の無実を証明する様な行動を取った場合、ボクと彼女が今後歩む道は確実に変わるだろうし、その結果が今よりも良い事になるのか、悪い事になるのかは全く分からないのだ。
 そう、分からない。いくら考えてもさっぱり分からないのだ。
 もちろんボクは、10年前から今日一日だけ10年前に来られる可能性を考え、そこで小岩井を救う……救うという表現が本当に救うことになるのか分からないから、とりあえずクソヤンキーの罪をなすりつけられないようにするのかを、延々考えてきたのだ。
 そして、既に答えは出している。
 ボクは、何もしない。
 小岩井も、そして10年前のボクも本当に可哀想だけど、でも二人で力を合わせて、理不尽と戦って自ら幸せをつかみ取って貰う。それがボクの出した結論だった。だってボクが出来たんだから、10年前のオコサマのボクもきっと出来るはず。……まぁ、その後ボクとお付き合いしていた小岩井が、本当に幸せを感じてくれていたかはまた別の問題だけど……。
 ボクは、廊下の向こうから「人が階段から落ちた!」という声を聞きながら、しかしボクの心に渦巻く色々などす黒い感情を抑え込みつつ、笑顔を顔面に張り付け続けてチャラ男を演じていた。
「そうそう、この曲は洞窟の奥で薫ちゃんが見つかるときの感動シーンなんだから」
「……その時自分が死んでる演技中だと思うと、何か微妙にヘコむんだけど……」
「大丈夫だって、そのぶん後で出るところは出るからさ〜」
 ちなみにこの頃ちっぱいだった小岩井は、高校を卒業する頃には少しだけおっぱいが大きくなったのだ。ボクがほとんど毎日揉み続けた成果だろうか??
「あう??」
 そんなある意味ネタバレ発言に小首を傾げた小岩井は、非常ベルが鳴り止んだ廊下の方をチラチラ見ながら、外の様子をうかがっていた。
「じゃあ、もう一回最初から演奏をお願い出来るー?」
 ボクはPCMレコーダーを操作して、先程のとちった曲を削除し、もう一度録音待機状態に戻した。
「うん、大丈夫だよ」
 小岩井は楽譜をもう一度揃えると、ボクの方を見てこくんと頷いた。
「じゃあさっきと同じようにお願いしまーす! 録音ボタン押すよー?」
 ボクは小岩井がPCMレコーダーの録音ボタンを押されたことがわかりやすいように、大げさな仕草でボタンを押し込む。それを見た小岩井はニコニコしながら、何拍かおいて演奏を開始した。
 音楽室には、1回目よりもより情感の増した曲が流れ始めていた。


 一通り曲と演奏風景を収録し終わり、機材の後片付けを済ませた頃。
「えと、今更見苦しい確認というか、お願いなんだけど……」
「あぅ?」
 音楽室のドアの近くで、ボクの後片付けが終わるのを待っていてくれた小岩井に声を掛けた。
「あの、今日のことは、絶対に内緒にしておいて貰えると助かるんだけど……」
 そんな、これから起こるであろう悲劇の元凶となった、ボクの身勝手なお願いに、
「うん、もちろん。……あの、二人の秘密だね」
 小岩井はなんかニコニコしながら、そんな事を言ってきた。
 正直、ものすごい重い言葉だった。こいつはこれからいくら自分が酷い目に遭っても、この秘密をボクにバラされるまでしっかり守り通したのだから。
 ボクの心の中は溢れんばかりの罪悪感で一杯になるけど、しかしボクは先程同様顔面に醜い笑顔を貼り付け、
「うん、ボクと小岩井の秘密だからね」
 と言い放った。
 ……ごめん小岩井、頑張って乗り越えてね。
 今のボクには、そんな事を心の中でつぶやくしかなかった。ここでこれ以上余計な事を言えば、きっとボクの過去は変わってしまうだろう。
 やがて外から救急車のやってくる音が聞こえ、校内が何事かとざわつく中、ボクと小岩井はそれぞれの部活に顔を出すため、ここで一旦分かれたのだった。
「じゃ、またあとでね〜〜」
「うん、今日もよろしく」
 小岩井は、自分が音楽室にいると後で演奏がバレるかもと、辺りを見やって誰も居ないのを確認しつつ自分の教室に戻っていった。ボクはしばらく間音楽室にとどまり、彼女と一緒に居たことを他の生徒に気取られないよう時間をずらして移動したのだった。


 さて、小岩井との楽しい音楽室デートの後は、女子チームの映画の撮影である。ボクはヘタクソな大根男優として、自分のポテンシャルとの戦いを延々演じていた。というか、ぶっちゃけ脚本の細かい内容なんて全然覚えてないから、ここに来る前にちらっと脚本を読んで復習(?)していたのだけれど、さすがに学校を卒業して以来役者など一回もしたこと無かったもんだから、映画の撮影の感覚を掴むまで、エラい四苦八苦していたのだ。
「博士、軌道エレベータがダメならマイナスイオン……あ、間違った、マスドライバーだっけ??」
「ほいかーっと! む〜、ゆーくんは今日は調子悪いのかな〜?」
 カメラマンをやってる伊東さんに、本気の顔で心配された。
「あうう、ごめんなさい……」
 まるで在りし日の小岩井の自動音声をまねるが如く、ボクはぺこぺこお辞儀をしながらひたすらに謝っていた。
 やっべー、今日はこれでミスったの4回目だ。女子チームの面々は皆優しい大人ばかり(一部癇癪持ちを除く)だからボクが何度ミスっても笑顔で対応してくれるけど、
「おい優樹よ! ちったぁ気合い入れてヤレや! さすがにこれ以上迷惑掛けんのはジェントルのやるこっちゃねーぞ!?」
 ……と、みっちゃんから正論を仰せつかる始末である。
 なんてコト! あのみっちゃんに真顔でたしなめられるなんて、こんなボクでもさすがにプライドに傷がつくよ!?
「ううう、今すぐ絶対本気出す」
 ボクはその辺に置いてあった台本をひったくる様に引き寄せると、死ぬ気で台詞を頭にたたき込んだ。
「一条君、焦らなくて大丈夫だから……」
 10年ぶりに見てもおっぱいの大きいJKの若木さんが、ボクに笑顔を向けていた。そういえば10年前のボクって、この人のこと延々勘違いしてたんだよねぇ……。
 ことある度に綺麗な声でボクら(主にみっちゃん)に「死ね!」って言ってたから、ついでにボクのことも死ぬほど嫌っていたと思ってたんだけど、実は単にみっちゃんのセクハラ発言に怒っていただけだったのだそーだ。ちなみにボクのことは、実は割りと気に入っていたみたい。だからこの笑顔も、真面目に好意の現れだったんだよねぇ……。全く、モテる男は辛いぜ。
 あ、もちろん若木さんは10年後も全く変わらず、巨乳のメガネッ娘美女として元気に暮らしているよ。どこかのお役所で結構エラい役職で頑張ってる。たまに変装してコミケでBLな同人誌売ってるみたいだけど、ギョーカイの中ではやっぱり巨乳美人の作家として有名なんだそーだ。もちろんその隣には、スレンダー美人の山科さんも居るんだけどね。
 ボク、一度お付き合い(?)でコミケに行ったことあるんだけど、彼女らのサークルのテーブルの前には、腐臭を漂わせた妙齢の女性たちが長蛇の列を為していた。BL同人誌の人気は全然落ちていないみたいだねぇ……。
「………?」
 ボクが若木さんの笑顔をぼーっと見ながら回想していたら、彼女に首を傾げられた。うわ、やば! ここで変なフラグを立てたら、ボクの過去が変わっちゃう! ちっぱいじゃなくて、メガ盛りおっぱいをじっくり愛しちゃうことになる!
 ボクは慌てて台本に視線を移し、今自分が演じなくてはならないシーンの台詞を懸命に覚えていった。

 劇中では、ボクらは地殻変動によって引き起こされた地震によって、あちこち崩壊した宇宙港の中(実際は近居の図書館)をかけずり回っていた。
 若木さん扮する女性科学者は、このままでは地球が滅びると確信した時、自分の家族をビデオカメラで撮影し、それをタイムカプセルに詰めて宇宙に飛ばそうとした。この星に、自分たちが生きていたのだという記録を残すためにだ。そしてボクは、彼女の助手として一緒に行動している。
 結果として、女性科学者は半壊した宇宙港の中で唯一タイムカプセルを宇宙に飛ばす事が出来る、最終調整が済んでいない建設中のマスドライバーを無理矢理動かし、カプセルを無事宇宙空間に向けて打ち出すことに成功した。
 しかし、マスドライバーが稼働するときに放った衝撃波は自身と半壊した宇宙港を吹き飛ばし、女性科学者は半身が瓦礫に挟まれ動く事が出来なくなってしまったのだ。
「博士、今すぐ助けるから! だから頑張って!!」
 体の半分を瓦礫で擂り潰され、口から血を噴きだした女性科学者に、ボクが必死の形相で声を掛ける。もちろん、巨大な瓦礫が原形を留めないくらいに体を押しつぶしたのだ、もう助けられないことなど十分承知の上である。
「もう良いから……私はやれるだけのことをやったから……だからもう逃げて、私はここで、カプセルを見送るから……」
 最早光を失い、焦点の定まらない目に涙を浮かべ、しかしその顔には満足そうな笑顔をたたえた、若木さん迫真の演技である。もちろんニブチンなボクだって、こんなガチの演技を見せられたら自然に気合いが入るってもんだよ。
「ダメだ博士!! 目を開けろよ、あんたこんなところで死ぬタマじゃ無いだろ、カプセルだって軌道に入ったか分からないじゃ無いか!」
 ボクは若木さんの肩を掴んで、既に力の抜けきった彼女の身体をメチャクチャに揺する。
「ごめんなさい……もう貴方が見えなくなっちゃった……でもそこに居るのは分かるから、だから、貴方はギリギリまで長生きして……」
「ふざけるなよ、勝手に死ぬなんて絶対許さないから! 博士、博士ぇ!」
 最早ぴくりとも動かなくなった彼女の身体を静かに横たえ、ボクは天に向かって雄叫びを上げる。
「うわあああああっっっ!!!!!」
 ほとんど瓦礫の山と化した宇宙港には、ボクの発した叫び声が幾重にも重なり響いていった。
「ほーいカット! いや〜、ゆーくん迫真の演技だね〜〜! おねーさんちょっとじんときちゃったよ〜」
「いやいや、まだまだっす」
 とりあえずボクは褒められたのでエヘエヘ笑いながら謙遜していたのだけれど、脚本を書いた熊ちゃんがやってきて、
「若木は演技が上手いな……。自分で書いて言うのも何だが、ここは演技が難しい場面だったと思う」
 普段はあまり感情を表に出さない熊ちゃんが、笑みを浮かべて若木さんに声を掛けていた。
「もうっ……そんな、褒めても何も出ないんだから……!」
 若木さんは発泡スチロールの瓦礫から這い出しながら、真っ赤な顔にうっすら涙を浮かべながら恥ずかしがっていた。
 おお、これはいつぞやの伊東さんが言ってた、うるるんの若木さんだ。懐かし〜〜!
 今もそうだけど、若木さんは素で女子力が高いね! まさかこの子が、後であんな事になっちゃうなんて……
「うんじゃー、次のシーン行くよー?」
 ボクが若木さんの未来に思いを馳せていると、監督兼カメラマンの伊東さんに呼ばれてしまった。
「次のシーンは、瓦礫の中をゆーくん一人で歩いて行くシーンだねー」
「では、演出について説明いたします」
 演出担当の山科さんが出てきて、ボクに今から撮るシーンの説明をしてくれた。
「このシーンでは、悲壮感と、しかしある種の使命感を持った助手が、これから滅びようとする世界の行く末に全力で抗う、といった意気込みで瓦礫の中を歩いて行きます。博士に長生きしろと言われた事や、好きだった博士を世界に殺されたという助手の怒りが、彼を突き動かしていると言った感じでしょうか」
 どうでも良いけど難しいことを言うなぁ……。
 もちろん、世界が滅びるついでに自分も死んでしまうのは、助手にだって分かりきったことだ。そこに敢えて逆らおうとする彼の負けん気というか、復讐心というか、怨念というか、最後の悪あがきというか……。負のエネルギーが全体の7割くらいの勢いで歩いて行けば良いのかな?
 とりあえずボクは、小岩井が学校で締めまくられていた頃の理不尽を思い出し、心に昏い炎を灯して瓦礫を模したガラクタの中をのしのしと歩いて行った。完成品では、このカットで映像がブラックアウトして終わりになる。
「ほーいカット! おおー、ゆーくんのその視線だけで人を殺せそうなその表情、めっちゃ良いねぇ〜! おねーさんついつい濡れちゃうよ〜〜」
「いやいや、まだまだっす」
 とりあえずボクが、監督に褒められたので謙遜しつつエヘエヘ笑っていると、
「……サイテー」
 ……とか、実はワリとエッチなくせして潔癖ぶった小岩井が、こっちを睨んできやがる。まったく、これから数ヶ月後にはボクのちんちんでヒィヒィ泣かされちゃうんだから、今のウチに純情ぶっておくがいいのだ。
 さて、女子チームの映画のラストシーンを撮り終わった訳なのだけれど、彼女らは映画の時間軸の通り撮影しているわけでは無いので(図書館を借り切るとかのスケジュールの都合もあるし)、次の撮影は確か研究所で若木博士とキャッキャウフフしてるシーンだったっけ? ボクはパラパラと脚本をめくって次回の撮影シーンを確かめていたんだけど、そのシーンではなんと部長が役者として出演するのだった。しかも神様もびっくり、教会のシスター役で。
 ところで、よく見る劇中でのシスターさんと言えば、信徒の欲望をその身で引き受け汁まみれの慰み者されちゃうとか、修道服の裾から取り出したマシンガンで悪漢共を蜂の巣とか、なぜか教職の幼女がう○こう○こと喚きながら校内を走り回るとか、そんなピーキー過ぎる役回りがほとんどのような気がするけど、しかし部長演じるこの映画でのシスターさんは、悩める子羊(むしろばいんばいんな羊さんであらせられる若木博士)の相談相手といった趣だ。
 そしてある日世界が滅びることを悟った女性科学者は、学生時代から友達だったシスターのところに行って、「私たちは一体何のためにここまで文明を発達させてきたの!? あなたたちの神様は、こんな結末が目的で私たちを創造したとでもいうの……!」なんて詰め寄ったりするんだけど、その時部長扮するシスターさんは、「神は私たち人間を愛されています。ですから我々の文明や肉体が滅びても、我々が築き上げてきた神との絆は必ずや次の人類にも引き継がれます。我々は、未来へ続く絆の架け橋になる使命を授かったのです。なので我々の存在は、決して無駄な物ではないのですよ」なーんて台詞を宣うのだった。ぶっちゃけ今でさえ、何が言いたいんだかさっぱりわかんない。熊ちゃんコテコテの日本人のくせして、一体どんな精神状態でこんな台詞を考え出したんだ!?
 ちなみに普段から“見た目大和撫子”な部長は、ちっこいながらシスターさんの役にはぴったりハマっていた。黒髪ロングは清楚な感じだし、物腰の柔らかさは聖職者の風格を十分に醸し出していたものだ。
 そうそう、その部長と言えば、ボクは学生時代には彼女のことを“脳味噌の大切なリミッターがぶっ壊れた口よりも手よりも足が早い突撃突貫神速攻撃を旨とする重武装殺戮兵器のちっこい女の子”とか素で勘違いしてたのけど、でもあの人はボクらバカチンと違って、部員のことを本当に大切に考えていてくれていた立派な人だったんだよねー
 あとで人づてで聞いたんだけど、ボクらが映画を作る事になったのは、実は部長が生徒会の協力を得て、裏で手を回していたからなんだそうだ。
 つまり、自分が大好きな文芸部が男女バラバラのままではダメだと思った部長は策を練り、普段から良い関係を結んでいた生徒会に頼んでボクらに廃部をちらつかせ、今のまま部活を続けたければ男女協力して映画を作るよう仕向けたんだそうだ。ぶっちゃけ、生徒会としては別に男女別で行動していてもどうでも良かったらしいし、そもそも二つに分かれて行動していたことすら、全然関知していなかったとのこと。
 それで、映画作りのレギュレーションであるお互いの脚本を入れ替えることや、映画作りに関わる全ての準備を全部自分たちだけでしなければならないといったことを考えたのも部長で、ついでに至らないボクら男子チームのフォロー(推薦取るために勉強で忙しかっただろうに、撮影場所を見つけてくれたり良い温泉を見つけて話を付けてくれたり……)も、部長は全部一人で全てやってくれていたのだ。
 結局、ボクら部員は男女が真面目に協力しないと絶対に映画が作れない環境に放り込まれ、そして裏にそんなカラクリがあることなどつゆも知らず、部長の手のひらの上でコロコロ転がされて男女仲良く映画を作ってしまったというわけだ。
 あのときの部長はまだ高校三年生だったのに、本当に良く出来た人だったと思うよ。いい年こいた今のボクに同じ事をしろと言われても、到底真似はできないよね!
 ボクは、撮影現場の端っこでニコニコしながらボクらを見ている部長に改めて敬意を感じ、そして10年後も大して変わらない背格好で、ベンチャー企業の社長として世界中を飛び回っている彼女の姿を思い出したのだった。そういえば以前に伊東さんが部長のことを「どうせ部長は干物女確定なんですから〜」とかヒドいこと言ってたけど、実際はどうなんだろうねぇ? 外で忙しくしている分、やっぱり家の中ではぐうたらな干物かも知れないなぁ……。
 まぁ、そんな感じでお互い仕事で中々会えないけど、たまにメールとか年賀状をくれるのでボクのことはまだ忘れられてはいないのでしょう。ボクはこんな立派な人と知り合いになれて、本当に幸せだ!

- Another View (God's Eye)-

 女子チームの映画の撮影が終わり、部員達が帰宅の途についた頃。
 優樹や大熊と別れた鐘持が、一人で自宅に向かって歩いていると、
「へーいそこのあんちゃん、ちょいとワシに顔貸しな〜」
 減るもんじゃ無いからよかろ〜と、後ろの方から変な声が掛かった。
「何だよ伊東、おめー家こっちじゃねーだろ……」
 わざわざどうしたんだと、鐘持は振り返って恋人である伊東に顔を向けた。
「じゃ〜ん! これ、誕生日のプレゼント〜」
 そう言って伊東が突き出したのは、緩衝材(商品名:プチプチ)に包まれた小さな箱だった。
「あぁん!? いや、プレゼントはありがたく頂くが、しかし何だよそのアグレッシブな包装はよぉ……最近の流行はこうなのか?」
 とりあえずサンキューなと受け取った鐘持は、その見た目に反してずしっとくる箱状の何かを持った瞬間に目を見開き、プチプチを引き剥がしていった。
「うおおおおっ!? なんだテメー、こりゃオメーが女の武器でふんだくってきやがったハードディスクじゃねーか!?」
 伊東が鐘持に手渡したプレゼントとはそう、今日の放課後に情報教室で放出があり、そして伊東が恥も外聞も無い大声を張り上げて一番乗りで会場に行ってふんだくってきたHDDであった。
「しかもこれ、3TBじゃねーか!! なんだあのジジイ、もしかして桁一つ間違って読んでやがったのか!?」
 ひゃっほー!!と奇声を上げる鐘持を、伊東は柔らかい笑みを浮かべて眺めていた。
 ひとしきり喜んで興奮が収まった鐘持は、改めて伊東に向き直った。
「ところでよー、なんでお前わざわざ体張ってまでしてこれ取ってきたんだ?」
 もちろんこのハードディスクは嬉しいが、俺はオメーがくれるモンなら大概のモンは嬉しいんだぜと言う鐘持に、
「だって−、あんたじゃほんとーに貰えないって確信があったも〜ん」
 やっぱ日頃の行いが悪い奴はこういう所で差がつくモンよと、伊東は形の良い胸を張った。
「ったく、ひでえ彼女も居たもんだぜ、大概当たってるから何も言えねー!! ……ちっ、今度3発くらいヒィヒィ泣かしてやっから、感謝しろよこのビッチ!」
「何が感謝よー、こっちがやらせてあげてるって事実を忘れちゃ困るな〜」
 そもそも感謝されるのは私の方よと、ニヤニヤ笑う伊東に、
「何だとテメー! いつ俺がやらせてくれなんて言ったか!!」
 びしっと中指を立てて抗議の意を示そうと思った鐘持であったが、その手にはHDDが握られたままであったため、彼はプチプチで再びHDDを丁寧に包むと鞄の中にそっと仕舞った。
「あっそー。んじゃあもう二度とやらせてあげなーい。今後はずっと、爛れたソロプレイをシコシコ楽しんでね〜」
 ばははいと手を振って自分の家に帰ろうとする伊東に、
「い、いや、落ち着け伊東! 確かに先程の俺の言葉には、貴様を勘違いさせる要素が若干含まれていたような気がする! い、いや、気じゃ無い、事実だ、勘違いさせた俺が悪かった!」
 だから今一度俺と真実の愛について研究しようと、ぺちんと両手を合わせた鐘持が怒られた子犬のような顔をして伊東に縋り付いていた。
「勘違い〜? あんた私たちの初体験の時、今みたいな顔して”後生だからやらせてくれ〜〜”なんてみっともない事言ってなかったっけ〜?」
 あの時情にほだされて簡単に許しちゃったから、今じゃつけあがってこんなになっちゃったのねぇと、伊東はため息交じりにつぶやいた。
「だからあん時のことは忘れてくれよぉ!! 俺が悪かった! はっきり言っていつもお願いしてやらせて貰ってる! だから前言は完全に撤回して謝る!! ぶっちゃけ俺、お前に感謝してるんだよ、お前のこと、本気で好きなんだよぉ〜〜〜」
 もう半泣きになって伊東の腕に縋り付く鐘持に、
「ああもう〜、あんた私の彼氏ならもうちょっとキリッとしてよー!」
 そんなんじゃホントに抱かれる気が失せるわと、伊東はげんなりとした顔をしていた。
「分かった! 俺は今以上にイケた男になってやるぜ! だからその、な? これから一発……」
「うっさいわねー……いつもの勘違いしたプライドは何処に行ったのよー……。まーいーわよ、どーせ私の体はあんたのモンなんだから、好きなだけ抱いてよー。ぎゅっと愛してくれたら、それで良いからさ〜〜」
「任された! 良し!! そこまで誘われたらとてもじゃねえが断れねー! 今から俺の部屋で3発イカす! これは決定だ!」
「……家の人居るんじゃないのー? あんたの妹が居るでしょーが」
「大丈夫だ、あいつは今なら、塾だか習い事だとかで家には居ねー! 親もまだ仕事だ!!」
「ハイハイ……じゃああんたの家に行きましょうかねー」
 はぁとため息をついた伊東は、両手を振り上げて雄叫びを上げる鐘持そっと寄り添い、二人で彼の家に向かっていった。

- Another View End -


 さて、時刻は夕食時である。
 もしこの世界が良く訓練された小説家によって書かれた素晴らしい物語であるならば、この辺で約10年ぶりの「母親の味」を堪能して感動爆裂!とか言って主人公が感涙にむせぶ段なのだろうけど、しかしボクのママンはその味覚に重大な瑕疵があるのか、それとも人類とかけ離れた味覚器官を持っているのか、はたまた料理の作成プロセスを格納したメモリ領域に重大なエラーを抱えているのだか、とりあえず一言で曰く「微味」な料理しか作らないのである。
 だけれどボクは敢えて、ここで声高にはっきりと宣言しておくのだけれど、そんな微味な料理しか作ってくれなかったママンには、しかし感謝こそすれ文句を言うつもりなどこれっぽっちも無いんだよ?
 ボクを股ぐらからひり出してこの世に落っことしてから、この家を出て行くまでのおよそ25年間。雨の日も風の日も毎日料理を作ってくれたことは純粋に感謝しているし、それにボクをちゃんと大学まで出して育ててくれたのだから、文句を言うことなど何一つもない。
 だけど、でも、しかしである。人間には、どうあがいても正論、そしてそれがどれだけ正しいって分かっていることでも、しかしそれに従えない瞬間ってのがいつかは訪れるものなのだ。具体的に言うと、今がまさにその時である。
 ボクが座る食卓に、ざっくばらんに並べられた数々の料理達。昔はこんなんでも我慢してちゃんと食べられたものの、しかしボクは女房おねーさんの作る本気で旨い料理にすっかり堕落してしまって、はっきり言ってこんなマズい料理は中々喉を通ってくれないのだ。
 だいたいママンは今でもそれなりに元気だから、たまに実家に遊びに行ったらちゃんと微味な料理を無理矢理食べさせてくれるし〜。なのでこれら母の味が懐かしいとか、そんな気持ちはこれっぽっちも無いんだよねー。
 ボクがちっとも進まない箸を持ったまま、微妙にぬか臭いご飯に対して食べ物を見るにはほど遠い視線を投げかけていると、
「はっはっは! 男なら黙って喰え!」
 ボクの表情を的確に読み取ったんだか、既に酔って出来上がっている親父がそんな余計なことを宣う。
 ……親父殿、ボクは一言たりともこの料理がマズいとか食えないとかあり得ないって言ってないのに(思ってるけど)。そしてあんたが楽しそうに笑ってる隣で、包丁を持ったままのママンは全然笑ってないでこっちを睨んでいるんだよ?
 親父は家に帰ってきてから風呂に入り、そのあと一人で酒を飲んでご機嫌だった。ボクの記憶の中の親父は、いつもこんな感じで酒を飲んでニコニコ笑っていた。
 しかしそんな親父は、ボクが大学生の時に死んでしまったのだ。
 酒の飲み過ぎが原因だったらしいのだけれど、ある時会社の健康診断で肝臓にガンが見つかり、その後あっという間に全身に転移して、僕たちの気持ちの整理も付かないうちに亡くなってしまった。その時の半年間くらいが、今までのボクの人生の中で一番大変で辛い時期だった。今から思い出してみれば、あの時小岩井が一緒に居てくれたからこそ、ボクはあの困難を乗り越えられたんだと思う。けど、人生の伴侶を亡くしてしまったママンは、人が変わったようにふさぎ込み、何年も間、全然笑わなくなってしまっていた。実はここ数年なのだ、ママンもようやく少しは元気になって、また笑顔を浮かべる様になったのは。
 ボクが、親父の葬式の時に泣き伏していたママンの背中を思い出していると、7年ぶりに会った元気な親父は、いつも通りに日本酒をコップに目一杯注いで、美味しそうに飲み始めていた。
「……親父、酒を飲み過ぎるのはいい加減にしてくれよ」
 ボクはついつい、そんな台詞をつぶやいてしまった。ヤバい、ここで変な事を言ったら、過去が変わってしまうかも知れない。最悪変わらなくても、ボクの中身が、この時代にとって異質なモノだってバレてしまうかも知れないのだ。
「ん? どうした、いきなり」
 親父はコップをテーブルに置くと、ボクの顔をじっと見やる。
 そんな、ボクはもう二度と見ることが出来無いと思っていた親父の元気な顔が、いつの間にか歪んで見えていた。目から熱い物が、頬を伝って一筋流れ落ちていく。
 それを合図にしてなのか、ボクの溢れんばかり感情が、ぽろぽろとこぼれ出てきてしまっていた。
「……一滴も呑むなとか言わないから、もう少し量を減らしてくれよ……! そんなもん、命を賭けてまで呑むもんじゃ無いだろ、そんなので死んだら、バカみたいじゃないかよ!」
 何年経っても、ボクは感情が高ぶると自分を抑えきれなくなる。いつまで経ってもオコサマなままだ。こんな普通の日の夕飯時に、いきなり癇癪を起こして泣き出した高校生の息子を直視して、一番困るのは親父だろうに。せめて奇跡で手に入れた人生最後の親孝行をするならば、いつも通りの笑顔でも見せてやれば良いのだろうに……。
 グズグズ嗚咽を垂らすボクの目の前で、親父は言った。
「お前、俺が酒を呑むのが泣くほど嫌なのか!?」
「嫌に決まってんだろ!!」
 せめてもうちょっと冷静なボクがそこにもう一人居たなら、ちょうど親父が呑んでる日本酒の一升瓶でビービー泣いてるボクの脳天をかち割ってやっただろうに、残念ながらそんなもう一人のボクが居るわけも無く。
「……一体どうしたんだ、学校で何か嫌なことでもあったのか?」
 心配顔でそう訪ねてくる親父に、
「学校なんて関係無いよ! でも嫌なことはあったんだよ!! もうあんな思いしたくないよ、ママンを悲しませるな、バカ親父……!」
 端から見れば、全くの意味不明な台詞である。普通の人からして見れば、そろそろ頭のネジの飛び具合が心配される頃であろう。
「……なんでかーちゃんが悲しむんだ?」
 しかし親父は、お馬鹿な息子に律儀に付き合ってくれている。
「あんたが酒を呑みすぎるからだ!!」
「………む。」
 そんなボクの意味不明な態度に腹を立てたのか、親父は立ち上がると、コップに入っていた日本酒をシンクの排水口に捨ててしまった。
 そして一升瓶を手に取り蓋を閉めると、それを戸棚の中に仕舞う。
「……大事な一人息子が泣くほど嫌って言うなら、そりゃあもうバカな飲み方は出来無いよな」
 親父はニコニコしながら、ボクの頭を撫でくり回した。こうして頭を撫でられたのは、果たして何年ぶりだろうか。しかも、もう会いたくても会えない、ちょっとごわごわしていて、でもとっても暖かい親父の手でだ。
「うぅぅ〜〜っ」
 ボクはしばらくの間、目からこぼれ落ちる涙を懸命に払いつつ、結局どうにもならずにしばらくの間泣きはらしたのだった。

 小一時間後。
 何とか平常心を取り戻したボクは、もうこれ以上親の目の前でボロを出さないように、本当は親父ともっともっと話をしたかったんだけど……しかしいざとなると何にも気の利いた言葉が出ないばかりかまた泣いてしまいそうになってしまったので、結局10年ぶりの懐かしい自室に引き籠もることにしたのだった。それにいい加減普段の10年前のボクを演じていないと、奇行を続ける我が子の脳みそを、そろそろ親が本気で心配し始めるといった懸念も顕在化しつつある。
 あーあ、せっかくのチャンスなのに失敗したなぁ! 10年前のJKまうっちに会う時の事は、今まで何度も何度も考えて幾度も幾度もしつこいくらいにシミュレーションしていたから何とか上手く出来たものの(いや、やっぱ舞い上がっちゃってほっぺ抓ったりとか色々失敗したか?)、親父の事とか完全に忘れていたからなぁ。思いの外、ボクは親不孝者だったってことか……。
 ちなみに今ボクが居るこの自室は、今では(この世界から10年後では)完全に物置と化している。家を出た子供の部屋なんて皆そんなもんだろう。しばらくは懐かしさもあってあちこち弄って遊んでいたのだけれど、ふと時計を見れば夜の11時を過ぎていた。
 おお、もうこんな時間か。ボクの中身が10年後に戻るのは何時になるかは分からないけど、でも何となく12時前には寝ていた方がいい気がするんだよね〜。それにこの外見の、誰もが羨むお年頃は、明日も早朝から新聞配りのバイトなのだ。健康と交通安全のためには、さっさと寝てしまった方がいいだろう。幸いボクは、バイトを卒業するまでダンプに轢き潰される事は無かったけど、だからといってこの外見のお年頃が睡眠不足でフラフラ自転車に乗ってても、絶対確実にダンプのタイヤの染みに変わる事は無いと、断言出来やしないのだ。人生、生きてるだけでめっけもの。不必要なリスクを冒すのはバカのやる事だ。
 ボクは自室を出て、台所で水を一口飲んだ。そして、リビングでテレビを見ている元気な親父の顔を、相手に気がつかれないようにそっと、しかし、二度と忘れない様にしっかりと、自分の心に刻みつけたのだった。

 さて、明日の朝、ここで目覚める10年前の自分のために、昼間録った小岩井のビデオの準備でもしておこう。
 確か10年前は、起きた時に、机かどこかにビデオカメラとICレコーダーが置いてあったのを見つけた気がする。だけど、それだけだとあの10年前の浅はかなボクは、意味が分からんとか言ってサクッとデータを上書きしかねないから、手紙でも残しておかなければならないのだろうね。
 ボクはビデオカメラとICレコーダーを机の上に置くと、その辺のメモ帳から紙を一枚はぎ取って、10年前の自分にメッセージを残すことにした。
 えーと、ところでボクが10年前の時って、一体どんなメモを貰ったんだっけ? 何かもう細かいことは忘れちゃったなぁ。多分ロクな事は書いていなかった気がするけど。それにもう時間もあまり無いから、さっさと書き終えてしまおう。
 ところで昨日は、10年前のお馬鹿な自分のために、覚えている限りの10年前の記憶を懇切丁寧に手帳に書き付けて置いたのだ。だいたいバカチンな10年前の自分のことだから、朝起きたらいきなり大人になっていたからって、間違いなく要らんことばかりすると思うのだ。具体的には、可愛すぎる女房おねーさんにいきなりのしかかるとか。だからそんなノータリンにも分かり易いように、注意点も交えて余計な事は絶対するなときっちり書いてやったんだよねー。そして最後のシメで、女房おねーさんに朝起きたら手帳を自分に渡してって頼んで置いたから、入れ替わりで10年後に行ってる10年前の自分も、ちゃんと手帳の記述に従って、余裕綽々で上手いことやってるのでしょう。だいたいボクの時なんか、あのクソ手帳はすっげぇ適当なことしか書いてなかった気がするしー?
 おおっと、やばいやばい。ついつい真っ白なメモを見ながら脱線してしまった。さっさと寝ないといけないのに、状況に流され昔の思い出に浸ってしまったよ。まぁ10年前の自分も、この時代に戻れば後はほっといても上手くやれるだろうから、大切なことだけ簡単に書いておけば大丈夫でしょう。
 えーと、10年前の自分へ。昨日はご苦労だった。まぁ及第点だろう。そんな貴様に一つプレゼントを残してやった。ありがたく受け取れ。以上だ。
 うん、何となく探偵さんが、正体不明な依頼者から受け取る依頼内容みたいでかっこいい。きっと10年前の自分も、こんなウィットに富んだジョークを分かってくれるだろう。……いや、やっぱ自分バカチンだったから無理か??
 何となくもうちょっと何か書いて置いた方が……せめて小岩井と一緒に困難に打ち勝てとか、親孝行しろとか書いて置いた方が良いような気がしなくもないけど、でも未来に関することをここで書いてしまうのは、きっと歴史が変わってしまうから良くない事なのだろう。それに自分だって、一人……ではなく小岩井に一杯助けられたけど、でもなんとかここまでやってこられたんだから、ボクが余計な言葉を残さなくても、きっと何とかなるはずなのだ。うん、ボクはバカチンだったけど、ちゃんと頑張れば高校教師になれる程度のバカチンだったという実績はあるわけだしね。
 さて、手紙を折って、ビデオカメラの所に置いておこう。そしてさっさと寝てしまおう。
 ボクは布団に潜り込んで、部屋の電気を消す。
 そして真っ暗になった自室でぼおっと天井を見ていると、先程の親父の笑顔がふと思い出された。何となく、もう一度親父の顔を見たくなったけど、既に親父は寝てしまっただろうし、ここで「パパぁ、ボク怖くて独りで寝られないの〜」とかいうネタで親の寝室に枕を持って突入するというのは、いささかこの外見では廃過ぎるネタという物だ。
 まぁ、いっかあ……。今日、ちょっとでも親父とお話が出来ただけでも、実はすっごい奇跡だったんだ。もっと色々言いたいことはあったけど、きっとこれで十分なのだろう……。
 ボクは目をつぶり、そして今更あれこれ考えても無駄なのはよく分かっていながらも、しかし今朝起きてから今まであったことを、順を追って思い出していた。
 朝、ママンにネグレクトじみた起こされ方をされ、その後食べた朝食が微味だった。
 学校に行って、若いみんなの姿を見て面白かった。
 ホームルーム前に、昔の担任に反面教師って言ってサラリーマン金太郎みたいな顔をされた。
 朝のホームルームで、久しぶりに聞いた説教が長くて懐かしかった。
 休み時間、情報教室の放出品で、みっちゃんたちと久しぶりに漫才をした。
 帰りのホームルームで、みっちゃんの罵詈雑言で久々に戦慄した件。
 放課後で、懐かしいJKまうっちの姿に自然に萌え狂った。やっぱり自分、ロリのケがある。
 小岩井にピアノを弾いて貰っているとき、非常ベルの音を聞いて人生最大級の殺意に捕らわれた。
 夕食時に、癇癪起こして失敗しちゃった。

 待ちに待った10年前へのタイムトラベルだけど、やっぱりこの頃は自分の人生にとって、最良とも呼べる素晴らしい時間だったのだと改めて認識することができた。けれどもその最高に恵まれた環境を、ちっとも活かせていなかった10年前の自分のバカさ加減にも、いい加減戦慄を覚えたけどね。
 けど、じゃあもう一度この10年をやり直したいのかと言えば……それはやっぱり違うと思う。もちろん辛いことが一杯あったというのもあるけれど、でもボクは、小岩井と一緒に過ごしたあの時間を無かったことにはしたくない。彼女との思い出は、ボクの人生にとって最高の宝物だからだ。なので、この外見のお年頃のボクには、これから本当に大変な事がいくつも起こるけれども、でも、それ以上にもっと素晴らしい宝物を得られる事が出来るのだから、ただただ必死に耐えて頂きたく。
 ボクは、だんだんと眠気が強くなっていった。
 懐かしいながらも慣れない10年前の生活に、疲れがたくさん溜まっていたのだろうか、気を緩めたら、すぐにでも意識が飛んでしまいそうだ。
 ああ、それにしても親父に出くわしたときに、掛ける言葉でも前もって考えておけば良かったよ。それは本当に大失敗だった……
 けど、過去で変な事をやらかして、歴史が変わるよりかはマシかも知れない。過去に来た未来人の責務とは、できる限り過去を変えないことなのだろう。例えそれが、どんなに辛いことであっても。どんなに変えたいことであっても。
 ふああ………
 ボクはあくびを一つして、寝返りを打つ。そして目の前には、昔ボクとJKまうっちが蹴り合った薄い壁がある。
 そういえば……ボクとJKまうっちがはじめてエッチした彼女の部屋のベッドって、たしかこの壁を挟んだ向こうにあったんじゃ無かったっけか?
 となると、この時間なら、ちょうど壁の向こう1mにも満たないところに、まだ処女の小岩井が澄ました顔して寝てるんだろうなぁ……。これから半年後くらいに、隣に住んでるバカチンなボクにメチャクチャ突かれちゃうとか、さすがにこの時期の彼女は思っても無いのだろうけど。
 ボクはJKまうっちと散々エッチしまくった時のことを思い出し、股間の一部に血液が集まるのを感じるも、しかしそれよりも、ボクが辛くて色々くじけそうになったとき、彼女は必ず隣に居てくれて、そしてボクと一緒に泣いてくれた事が、まるで昨日のことのように思い出されたのだった。
 ボクらはお互い、これからとっても辛い日々を過ごすことになるけれど……。でも、二人で手を取り合って頑張っていけば、必ずその辛さは乗り越えられるから。だって、減にボクらは乗り越えられたんだもん、だからこの外見のお年頃も、隣で寝てるまうっちも、きっと大丈夫だ。だから、とにかく頑張れ!
 そして、こんなバカチンな外見のボクだけど、でもこいつはきっと、まうっちの彼氏としては最低限は何とかなるはずだから……。
 ボクは隣で寝て居るであろう小岩井に、「これからもよろしくね」という念を込めて、コツン、と、壁を軽く叩いてみた。
 そしたら向こうからも、コツンと、本当に微かな音だったけど、壁を叩く音が聞こえたような気がした。
 それは寝ぼけた幻聴か、それともボロマンション特有の家鳴りかは分からないけど、でもボクの思いは小岩井に通じたと、根拠の無い確信を感じたのだった。

 その思いに安心したのだろうか、そこでボクの意識は、ぶっつりと途絶えたのだった。


 翌朝。

「ゆーちゃん、おーきーてー!」
 いつも通りの聞き慣れた、女房おねーさんの声で目が覚めた。
 やはりここは成年男子足る物、女房の声に喜んですぐに飛び上がるのでは無く、少々やきもきさせるくらいがちょうど良いのだろう。
 ボクは敢えて「むにゃむにゃ」とかいうワケの分からない声を発しながら、布団をぎゅっと抱きしめ目をつぶったままで居た。
「もー! 早く起きないと遅刻するでしょー!?」
 女房おねーさんはボクの肩をゆさゆさ揺すりつつ、懸命にボクを起こそうとする。
 そして今朝がいつも通りの朝であるならば、この辺で寝ぼけた風を装いつつ、女房おねーさんに抱きつきそのままベッドの中に引き入れて、朝から熱いチューなどを嗜むものなんだけど……
 しかし今日はいつもとは違うのだ。昨日は、待ちに待った10年前に行ってきたところなのだ。そして今、ボクがまだ若かりしママンに撲殺まがいに布団叩きで殴られず、女房おねーさんに優しくゆさゆさされているという事は、ボクは無事にボクの主観時間に戻ってこられたということなのだ。
「今起きるよぅ〜〜」
 ボクはそう声を掛けて、むくりと起き上がった。で、ちょうど目の前に女房おねーさんの可愛い顔があったものだから、とりあえずほっぺにチューをしておいた。
「あぁん、もう〜〜」
 口では文句を言いつつ、しかし顔を赤くしてこっちを見やる女房おねーさんにウィンクなぞして、ボクはベッドから這い出るとすぐに近くに掛けてあった背広に着替えた。
 そして、背広の内ポケットをまさぐると、そこにはボクが10年前のバカチンなボクの為に、親切心満載で書いてやったメモの手帳が入っていた。ボクは女房おねーさんの待つ台所に移動しつつ、自分が書いた分のメモの次のページをめくってみる。するとそこには、
『てめー、ジャガ子のこと絶対に何とかしろよな! そーでもしないと過去の自分がとんでもねーことやらかして、テメーの未来なんて簡単に潰してやる!! オトナ気取ってんなら、自分の学校の生徒くらい残らず面倒見やがれこのくそったれ! ばーかばーか!! いい気になってんじゃねーぞこの能なし教師め! 人にえらそーな事書くくらいなら、自らちゃんと教師の仕事しやがれこのばーかばーかばーか!!!』
……等と書いてやがった。
 なんてコト! ちゃんと高校教師にもなった未来の自分に対して、あろう事か5回も「ばか」なんて書いてある。酷くない!? それとも10年前のボクは、相当脳のあたりがよじれているのか??
 やはり10年前の自分は相当にバカチンであったと確信し、そんな過去の自分を恥じ入ると共に、女房おねーさんが朝食と共に待っているテーブルについた。
 そしてボクは食事時には行儀が悪いと思いつつも、手帳のページを再び見た。
 やっぱり隣のクラスの佐々木さんはエンコーしていたのか。彼女が高校に入学してきてから、たぶん10年前のジャガ子だろうと思ってそれとなくフォローしてきたけど、この手帳でそれがはっきりした。
 手帳によれば明日から、つまりは今日からだけど、学校ではジャガ子をバカ親から守るための活動が始まるのだろう。なぜか知らないけど生活指導なんてメンドウ……いやいや、重責を仰せつかっている我が身としては、とりあえずあの子が笑って学校を卒業できるように頑張らなければならないのだ。
「どうしたの? 難しい顔して手帳を見てるけど……」
 いつまで経っても折角作った朝ご飯を食べないロクデナシに、女房おねーさんが心配そうな顔をする。
「あ、今日からちょっと仕事が増えるから、それについて考えていて……」
「ふーん、無理しないでね。あ、仕事で思い出したけど、お父さんが仕事で一段落付いたから、今度遊びに来いって電話があったよ」
「仕事??」
 はて? たしか女房おねーさんの父親は、既に定年退職していたはずだけど……? 何か新しい仕事でも始めたのか??
「お父さんって何の仕事してたっけ?」
 確か、これからは悠々自適の人生じゃあ、がはは〜なーんて言ってたから、もう仕事なんてしないと思ってたんだけどなぁ? そんなボクの疑問に対して、女房おねーさんは増して心配そうな顔をする。
「やっぱりゆーちゃん昨日からヘンだよ、病院行く?」
 うわ、何かガチで心配されてる!? 昨日からって、もしかして10年前のバカチンは、やっぱりこっちでも精一杯バカチンをやらかしてきたのか!?!?
 10年前の自分の10年後での所業にがっかりしつつも、しかしこのままでは昨日の出来事の説明にも困るため(だってボク10年前に行ってたから、昨日の事なんて知らないもん)、強引に話題を元に戻すことにした。
「いやいや、十分まともだから! で、お父さん何か新しい仕事始めたんだっけ?」
「なに言ってるのよ、海外ボランティアから帰ってきたばかりじゃない……」
 忘れたの?とか言ってる女房おねーさんの心配顔は直るばかりか、余計に真剣みを帯びてゆく。
「え? いや、決して忘れたわけじゃ無いけどボランティア?? 定年でのんびりしてなかったっけ?」
「何を言ってるのよ、私のじゃなくて貴方のお父さんのことでしょ!? 先週帰国したじゃない……」
 あ……………
 ああ、そうなのか……。
 ボクは、未来を変えてしまったのか……。
 ほら早くご飯食べてよーとか女房おねーさんは言ってるけど、ボクはニヤけそうになり、そしてこぼれ落ちそうになる涙を精一杯こらえて、けど、うんうんと一人納得しながら、この嬉しくて仕方ない感情に、ひととき浸り続けていた。
「……ゆーちゃん、今から病院の予約するからね?」
「うぇぅ?! い、いや、大丈夫だって、ほら、久しぶりに親父の顔見るから嬉しくて、ねぇ!?」
「……そんなにお父さんと仲良かったっけ?」
 い、いや、確かにそうでも無かった気がするけど、いや、でも、まぁ、しかし、ねぇ!?
 ボクはあたふたしつつ、とり急ぎこれ以上女房おねーさんに心配を掛けないように、具体的にはヘンな病院に連れて行かれないように、さっさと朝食を食べ始めたのだった。
「うん、今日も旨いぜベイベー!」
「ハイハイ……」
 やっぱりおかしいわとため息をつきながらも、女房おねーさんも朝食を食べ始めた。
「それはそうと、今度の休みに礼服取りに行かないと」
「そうだったねぇ、もう出来たんだっけ?」
 昨日お店から電話があったよーと、パンをかじっている女房おねーさんが返す。そうそう、来月には熊ちゃんの結婚式にお呼ばれされているのだ。ちなみに相手はなんと、巨乳美人メガネッ子の若木さんである。
 あの国宝級の、伝説のメガ盛りおっぱいは、熊ちゃんの物になったのだ……! まぁボクの方が、先にあえぎ出すまで揉んだけどさ。ちなみにこのネタは、熊ちゃんの前では絶対に言うまい。何かマジで殺されそうな気がするからね……。
 思えばあの二人、高校の映画撮ってるときから仲が良くなった気がするなぁ? 実際につきあい始めたのは大学からみたいだけど、オコサマだったボクには、当時は全然分からなかったからなぁ……。
 ちなみにみっちゃんと伊東さんはいつくっつくんだろうね? いい加減セフレとかやめれば良いのに……。本人らは愛をはぐくんでいる最中だ!とか言ってるけど、いい年こいていつまで恋人気取ってるんだか。
「ごちそうでべいべー」
 朝食を食べ終わったボクは、手を合わせてこの朝食を作ってくれた女房おねーさんに感謝の意を伝えた。
「お粗末様でした。……そういえば、なんか昨日のゆーちゃんを見てたら、出会った頃のゆーちゃんを思い出したわ」
 昔の自分ですと!? いやいや、ある意味それは確かに合っててるけどさ……
「あの、具体的にはどのような所がどのように昔っぽかったですと?」
 もしかすると、10年前のバカチンなボクが、口を滑らせて要らんことを散々抜かしたのかも知れない。ボクは心配になって聞いたみたのだけれど、
「んー、落ち着きが無いところとか、お調子者のところとか……」
 うぇぇ、何それ、ボクってそんな風に見られてたの!? あんただって、出会った当初は色々酷かったじゃないの!とは思うけど、しかし今そんな事を言ったら間違い無く機嫌を損ねて癇癪起こすわけで……
「ほら、もう行かないと遅刻しちゃうよー。今日はレッスンの日だから、私も出ないといけないし」
「へいへい」
 ボクはキリッと返事しつつ、歯を磨くために洗面所に向かった。ちなみに女房おねーさんは、週に2〜3回ほど町のピアノ教室で講師をしているのだった。つくづくボクの人生、ピアノに縁が深い気がする。ところでちゃんと生徒は可愛がっているんだろうかねぇ? 知っての通り、女房おねーさんは割と厳しい性格をしているので、不出来な生徒にスパルタ教育をしていないか割と本気で心配だ……。ボクのように、ヘンなトラウマを抱えた人間をこれ以上増産することが無いよう、日夜優秀な人材育成に努めて頂きたく。
 歯を磨いてついでにひげを剃って、ボクという男自体も磨き終わったボクは、くたびれた鞄を持って玄関に移動する。女房おねーさんも、忙しいだろうに見送りに来るため後をトコトコ付いてきた。
「そんじゃ行ってくるよー」
 ボクは後ろに居た女房おねーさんに向き直り、いきなり肩を掴んで唇にチューをする。
「うむぅ!?」
 むぅ、毎日やってるのに、なぜこの人はいつもびっくりした顔をするんだろ?
「んもう! ……いってらっしゃい」
「いってきまーす」
 ぶすっとしながらも顔を赤らめた女房おねーさんは、元気よく手を振るボクに手を振り返してくれた。
 さーて、今日も一日頑張ろう。折角頑張って高校教師になったんだしねー!

 ということで、この物語は本当におしまい! もちろん誰もが羨まない疲れたおっさん……の自覚はまだ無いけど、ボクの人生はまだまだずっと続いていくのだ。とりあえず女房おねーさんを悲しませないために、ダンプに轢かれる予定は無いけどね。
 ちなみに劇中では、ボクが一日だけ10年前に戻った非凡なイベントの紹介に留まったけど、そんなんでも楽しんで頂ければ嬉しいよ。ぶっちゃけいきなり10年後に飛ばされたのと違って、勝手知ったる(?)10年前は、それこそ手に汗握るような一大スペクタクルな出来事だとかは全く無かったけどね(一時、身が焼き尽くされそうな殺意に支配されたことはあったけど)。ただ、10年前に戻ることは以前から分かっていたくせに、親父のこととか、色々と旨く対応出来なかったこともあったのも事実。やっぱり、いつどんなアクシデントが起こっても、それにきちっと対応すべく前もって色々準備しておくってのはとても大切なことなんだよねぇ。人生っていつ何時、泣いたり笑ったり出来なくなっちゃうか全然分からないからね〜。

 さて、いきなりだけど質問。頭の中身だけ10年前に行ったなら、あなたはどんなことをしたい? ある日突然過去に戻される前に、キラキラ光る石を拾っちゃう前に、事が起こって右往左往しない為に、ちょっとだけでも考えておくことをお勧めするよ!

おわり