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1942(昭和17)年9月、キスカ島において揚陸をすませ、出港準備中
1942.09.16 04:37 戦爆連合の大空襲を受け被弾し航行不能となる。 1942.10.01 再度の空襲により被害を受け浅瀬に移動する。 1942.10.13 船体放棄。
「解説 キスカ湾に座礁した野島丸の残骸」(岩重多四郎)
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【船首楼上のプラットフォームは砲座】 |
1番倉口の閉鎖状況がよくわかる。
開口は前から給弾用、貨物用、人間用でしょう。(岩重さん談)
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【デリックブームとウインチが残っている】
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【左舷(海)側. 野島丸の船名が残る】 | |
【右舷(砂浜)側. 船名と消磁用の舷外電路が残る.砲座の床面の構造が分かる.】
(この舷外電路を足掛かりに甲板上によじのぼるという.) | |
【船首端から後方を見る.錨鎖孔とウインドラスと砲座.】
【砲座によじ登る.砲座の床面は木張りだったらしく、ブラケットのみ残る.】 |
【 商船式のフェアリーダとボラード孔 】
| 【 鋲接のブルワーク 】
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【裂けたブルワークと島の絶壁.輸送船は空襲を避け断崖の下に擱座させた.】 | |
【 船首楼から第一船倉を見る.船倉蓋に開口あり. 】
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【 船首楼から降りる階段 】
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【 ブルワークのステー. 】
| 【 船首楼の内部. 】
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