上越 土合〜上越国境稜線

2007.08.06 晴れ

土合橋 23:45 スタート
白毛門 1:53
笠ヶ岳 0:45 2:38
2:05 4:44
朝日岳 0:49 5:33
0:06 5:39
JP 0:20 5:59
大烏帽子山 0:43 6:42
檜倉山 1:58 8:40
大烏帽子山 2:03 10:44
JP 0:56 11:40
朝日岳 0:17 11:58
笠ヶ岳 0:31 12:29
白毛門 0:22 12:52
土合橋 0:59 13:51

朝日岳から巻機山へ至る上越国境稜線は、90年の6月に踏破したことがあった。池塘の点在する草原と笹の海を、藪に埋もれた細々とした踏み跡でつないでいく好ルートで、いつかまた訪れたいと思っていた。その当時2泊かかったところを、今回、前夜発日帰りスタイルでトライした私は、17年という歳月の長さを思い知らされることになった・・・。

ジャンクションピークからきれいな円錐形が印象的な大烏帽子山までは、膝丈の笹薮で快適だった。このまま巻機山まで行けるかと空想したのは大甘で、そこから先は、とんでもない藪が待ち受けていた。
それは、「パーフェクトな藪」だった。稜線を覆い尽くす背丈ほどのネマガリダケ(日本海側の強靭な笹)を押しのけるようにして密生する石楠花、岳樺、這松、ナナカマドなどの低潅木、とどめに蔦植物がからみつく。沢登りを主なフィールドとし、大高巻きや源流部の詰めなどで、激しい藪には慣れているはずの私をして100点を与えたくなる、身動きのとれない完全無欠の藪。
酷暑のなか、ボロボロになりながらそれでも先に期待をこめて何とか辿りついた檜倉山から柄沢山を望む。その瞬間、敗退は決まった。コース上の最高峰である柄沢山はとてつもなく巨大で、そこに至る稜線には潅木がたっぷり茂っているのが見えた。
炎天下、藪漕ぎの帰り道は、既にどれだけ辛いかが分かっているから本当に辛かった。もっとはやく見切りをつけて引き返すべきだった。もうこりごりだ。

◆敗因
・精神的な適応力のなさ。17年という歳月は、細々とした踏み跡を消し去るには十分すぎるほどだったのに、過去の記憶にとらわれた私は目の前の現実に適応することができなかった。
・出足の遅さ。寝不足に耐え切れず、笠ヶ岳避難小屋で2時間仮眠してJPを6時に発ったが、それではどうしても行動が後手にまわってしまう。この数日、午後になると雷があったようで、夏の雷は日ごとに発生時間が早まる傾向があり、稜線上には身を隠すものがほとんどないことを考えると、最難関と思われる柄沢山は遅くとも10時までには越えておく必要があったろう。事実、この日も12時頃から雷鳴がとどろきだした。
・食糧不足。カロメ8袋(16本)では予備がなさすぎ。
・水不足。ただでさえ暑い夏の上越の稜線は、笹薮で熱気がこもり、蒸し風呂状態であった。2.5リットルでは巻機山まで抜けるに不安がある。
・装備選択のまずさ。ジョギングシューズは、急斜面の笹薮トラバースでつるつるすべった。まるでふつうの靴で沢登りをしているような不安定さで、余分な力を使ってしまった。また、長袖の用意がなく、Tシャツから露出した前腕部は、藪によって無数に切り刻まれることになった。


もう二度と行くものかと思っていた下山直後の気持ちは、数日経つうちに激変した。JPから見た朝の国境稜線の美しさが脳裏から離れない。そして敗退した悔しさ。できる限りの用意をしてもう一度トライし、絶対に巻機山まで抜けてやる。この感覚は、いつ以来だろう。昔はしょっちゅう味わっていた。「こんな重い荷物を背負って辛い思いをして何をやっているんだろう、俺は。もう二度と山なんかやるものか。」 そんな思いは2、3日たつときれいに忘れ去り、猛烈に山に行きたくなる。その繰り返しで私は成長?してきたのだ。

JPから望む上越国境稜線。右から大烏帽子山、檜倉山、柄沢山と続き、左最奥、横広がりの山稜が巻機山。