上越 土合〜上越国境稜線

2007.08.12 快晴

土合橋 23:00 スタート
白毛門 02:25
笠ヶ岳 00:53 03:18
朝日岳 01:05 04:23
JP 00:14 04:39
00:29 05:08
大烏帽子山 00:52 06:00
檜倉山 01:47 07:48
00:15 08:03
柄沢山 02:17 10:21
北側池塘 00:25 10:47
00:17 11:04
米子頭山 01:04 12:08
コル 00:40 12:49
00:17 13:06
巻機山 01:48 14:54
避難小屋 00:18 15:20
ニセ巻機 00:09 15:44
清水 01:25 17:17

◆土合橋
また来てしまった。
今回、所要時間を計算する上では大烏帽子山を基準にした。この山から先は藪漕ぎとルートファインディングが必要になるため、太陽の明るさが必要だ。ヘッドライトを使わず歩けるようになるのはおおよそ朝の4:30頃であることを考えると、ジャンクションピークを3:30に出発するのがひとつの目安となる。また、土合橋からJPまでは普通に歩くと3時間くらいで着いてしまうが、それはよくない。長時間行動になるので、JPまではアプローチと考え、一切の力を使わない状態で歩きたい。

これらのことから、土合橋23時出発とし、JPまでゆっくりゆっくり歩き、大烏帽子山で夜明けを迎える計画とした。


◆ジャンクションピークまで
湯檜曽川を望む登りは重苦しい。急峻な岩場に圧せられた行き止まりの地形ゆえか、空気の流れが澱んでいる気がする。また、この谷の中でとても多くの人が亡くなっていることも影響しているだろうか。先週も今週も、水上からのタクシーの運転手に「夜中に独りで登るとはいい度胸してるねー」と言われたが、まったくだ。どんよりとした夜の重さが心にのしかかるのに耐え、帰りたい気持ちを何とか無視して歩き続けている。そしてもうひとつ、この登りが他の山域と異なる点がある。生き物の気配が決定的に薄いのだ。たとえば南アルプスなら、どの道を歩こうが夜中は獣たちの気配が身近に感じられる。鹿や狸、その他の小動物たち、もしかしたら熊。しかし、ここにはそんな気配はまったくない。山はいつも死んだように沈み込んでいる。そんなことも重苦しさを感じる大きな原因かもしれない。

やがて山は深いガスに包まれた。こうなるとまるで湯檜曽川という巨大な墓場を歩いているようで、もう前進するのが嫌でしかたがない。なんというばかばかしいことをやっているのか。今から引き返して、土合駅で朝まで眠り、水上温泉でのんびりして帰ろう―そんな思いと脚の動きとをなんとか切り離し、兎にも角にも笠ヶ岳まできた。ふと気づくと、ガスは白毛門のピークを包むようにして視界の下方で切れており、空にはいつのまにか無数の星が天の川となって瞬いていた。

◆出発まで
JPには予定通り3:30に到着。まだ迷っている。星空だからといって気持ちがすべて晴れたわけではない。目の前には暗闇の中にびっしょりと濡れた笹薮がある。この中に身を投ずる勇気が、そしてこの先何時間かかるか知れない藪漕ぎに踏み出す踏ん切りがつかない。行くことは分かっている。あと30分、4時まで待って夜明けの力を借り、少しでも前向きな気持ちで突入したい。
やがて東の山の端がうっすらと明るくなる。と同時に、二日月だろうか、糸のように細い月が薄明の中に登ってきた。そこには見えないはずの月のシルエットが丸く灰色にくっきりと見え、まるで満月であるかのようだ。なるほど、太陽の力が弱い時間帯には陽の当たらない場所までよく見えるというわけか。
月の在りようのおもしろさが、コースに対する畏れや辛さを厭う心をちっぽけなものに感じさせてくれたように感じる。このタイミングをのがしてはならない! 4:05、スタート。

夜明け前の大烏帽子山。笹に覆われてはいるが、踏み跡は明瞭である。最奥のなだらかな山稜が巻機山。



◆大烏帽子山まで
藪に入り数秒後には全身びしょ濡れだ。寒さに震えながらヘッドライトの灯りを頼りに進む。目の前には、大烏帽子山の大三角が夜明けの空に黒く浮かび上がる。踏み跡は明瞭で、転ばぬよう注意さえすればよい。左側が切れ落ちた細い山稜を抜け、緑色に輝き始めた大烏帽子南面の草原に着く。ここは思い出深いところだ。89年夏に巻機山までの縦走を試み、この草原で雷雨につかまった。身を隠すもののない中、雷雲は真上にやって来た。とどろく轟音とものすごい光。頭に被った金バケツをガンガン叩かれ、目の前で大光量のストロボを次々に焚かれているかのようだった。自分の意思とは無関係にあっけなく命が奪われていく恐怖とはこういう感覚なのだ、と思った。ぐっしょり濡れたテントを被って草原に伏せ、ひたすら祈りながら雷の過ぎるのを待った。ラジオから美空ひばりの葬儀の中継が流れてきていたのが忘れられない。果てしない時間ののち雷雲は去り、雨後の草原を、助かった喜びに仲間とはだしで走り回った。傾斜した草地にテントを張り、翌日清水へ下山した。
そして、96年夏。ナルミズ沢を遡行し、すっかり細くなった源頭の流れを辿ってこの場所にやってきた。朝日に輝く緑色の草原を、赤いザックを背負った坂田が四つ足になり、真っ青な空めがけて這い上がっていくのが見える。このうえない清々しさ。沢の詰めとしてもっとも爽快な経験のひとつだった。
今、目の前に広がる光景は、96年夏の続きのようだ。しかし、ここから先は別の世界が待っている。


◆檜倉山まで
この上越国境稜線は、基本的に稜線の右下部、つまり東側に草原が多く広がっているのが特徴だ。巻機山まで一日で抜けるには、藪との格闘を最小限にとどめ、稜線との距離をうまく保ちながらこれらの草原をつないでいくことが最大のポイントになる。
大烏帽子山頂北側は稜線が細いうえに藪が濃く、身動きが取れないことが先週のトライで分かっていたので、ピークに達することなく右肩を巻いて通過する。行く手を望むと、檜倉山(ひのきぐらやま)への山稜にいくつか草原が点在しているのが見える。精神的に余裕がなく正面から藪と戦ってしまった前回の反省を生かし、動物になったつもりでルートファインディングに集中する。見晴らしのよいところでしばらく先までのルートを選び藪に突入、歩きながら微調整を行う、その繰り返し。不思議なもので、集中して眺めると、自ずとルートが浮かび上がってくる。潅木帯を上手く避け、急斜面のガレ場と草付きを笹薮でつないでいく。際どい箇所もあるが、そういうところを素早く通過するのは沢屋にはお手のものだ。岩と草付き混じりの滝の大高巻きを易しくしたようなものだからである。
豪雪の圧力に耐えて冬を越してきた上越の草木は、太平洋側の山々のそれからは考えられないほどに丈夫だ。たかが小指の太さほどの潅木が、一本のネマガリダケが、束ねた草が、急斜面にあってこちらの全体重を十分に支えてくれる。
時折、踏み跡らしきものが出てくる。とは言っても何の役にもたたないが、自分の選んだコースがあながち間違っていないという、正解のお墨付きのようなものだ。
8時前、まだ朝の気配の残る檜倉山に到着。

朝の檜倉山頂。左の三角が大烏帽子山、中心の大きな山がジャンクションピーク。
檜倉山から柄沢山を望む。稜線は大きく右へ下降し、谷を巻いて柄沢山へと登っていく。



◆柄沢山まで
檜倉山から柄沢山へ、稜線は右へ大きく迂回して下ったあと、標高差350mを登り返す。谷をはさんで柄沢山の山容が立派にそびえている。所要時間は3時間とみる。はまると4時間か。おそらくこのコースの核心部である。先週は時間が遅く、沸き起こる積乱雲に雷の可能性が見えたが、今日はまだ8時だ。そして、夜から吹き続く風に、少しばかり秋の気配が混じっている。おそらく天気の心配はいらないだろう、と見込む。あとは朝の涼しいうちに少しでも先に進んでおきたい。
檜倉乗越まで下りが続く。ここも右斜面をぬって進む。密生するネマガリダケは、雪の重みのため湾曲して天に向かって生えており、その斜面を登るときにはまるで無数の槍のように感じるのであるが、下りにおいてはがっしりと地に根をおろした信頼のおけるロープのように使えるため、積極的に笹薮を利用して下っていく。
稜線が左折する地点から、祈るような気持ちで柄沢山の右半分をのぞきこむ。傾斜は急だが草付きと岩場が結構あるのが見えた。よかった、これは行ける、今日初めて確信する。
草を掴み、岩をつたい、時折藪をかきわけながら、稜線にはほとんど出ずに高度を上げる。常に右下方に急に傾いた斜面であるが、藪漕ぎ専用シューズ?ががっしりと地面を捉えてくれる。ふりかえると、檜倉乗越がはるか下に見える。もう少しだ。頂上直下で密にからまる潅木帯を抜け、ついに柄沢山に着いた。頂上は笹と潅木が密生し、あるという三角点もどこだか分からない。でもとにかくやった。檜倉山から2時間17分。最良のルートを見抜き、考えうる限りの最短時間で抜けることができたような気がする。
これで、この先に時間的な余裕ができた。このまま笹をかきわけ、柄沢山北の池塘まで下り休憩する。

稜線左折点から檜倉乗越をはさんで柄沢山。右山腹の草原と岩場をつなぎながら薮を漕ぎ、登っていく。
柄沢山北面の草原。ここにも池塘がいくつか点在している。山頂からここまでは、普通のトレイルなら10分もかからない距離である。



◆米子頭山まで
朝の涼しさは失せた。太陽はすでに頭上に達し、草原の小さな池塘の水は、ぬるま湯のようになりつつあった。涼風の届かない笹薮の中は熱気がこもっている。藪から顔を出していると、まるで頭だけ出してサウナ風呂に浸かっているかのようだ。
米子頭山(こめごかしらやま)とのコルまでは、笹薮を中心に下る。ここで巻機山から来た3人パーティに会った。大荷物を背負い、藪の中前進するのに苦闘しているようだ。今日は檜倉まで行こうと思ったが難しそうなので、柄沢山北の池塘で泊まるとのこと。軽量速攻の私と、重量登山の彼らと、どちらが楽だということもないだろう。どっちもどっちだ。
米子頭山への登りも右の山腹をぬって進む。だが、巻機山までの目算が立ってほっとしたのと、暑さによる疲れが表れてきたためであろう、ルートファインディングがいい加減になり始めた。右下を巻けそうな気もするが、その先も同様に巻けるとは限らず、稜線づたいに登る。米子頭山頂も柄沢山同様に笹と潅木が密生し、腰を下ろす隙間もない。

米子沢山から見た巻機山。一見穏やかに見える手前の潅木帯は、背丈が没する猛烈な藪。



◆巻機山へ
巻機山とのコルへの下りは、潅木帯の強烈な藪漕ぎとなった。右山腹を巻くべきだったかという気もするが、一度潅木帯に突入してしまうと、よじ登れる高木でもない限り、斜面の下方はまったく窺い知ることができない。押しても引いても動かぬ潅木とは、闘って勝てるはずもなく、ここはあせらず、ゆっくりと枝の弱点を潜り抜けていく。時折、脚が頑丈な下枝の間にはさまって動かなくときがある。こんなときに焦って身体が前のめりになっていると、脚にてこの原理が働き、簡単に折れてしまうと思われるので、注意をする。
このあたりから植生に変化がみえ、栂(つが)の低木が藪に混じり始めた。栂は潅木というよりも、完全に「低い樹木」であり、その下に潜ると木陰があって、ふうと一息、そしてまた灼熱の藪の海に漕ぎ出していく。

笹に覆われたコルに着いた。ここまで約13時間歩き続け、さすがに疲れた。加えてこの暑さだ。笹藪にはムッとするような熱気が籠もっている。ここから巻機山までは400mほどの標高差があるが、米子頭山から見た山肌には、草地が点在していた。うまくいけば1時間強でたどり着けるかもしれない。
右下の草地へ下降を試みる。しかし、もう何時間も右下方へ急傾斜した斜面を不自然な姿勢で歩き続けてきた足の裏にはマメができ、足首は鈍い痛みを発している。痛みに耐えて右斜面を歩くか、笹の熱風稜線を進むか判断に迷うが、ルートファインディングに集中する気持ちも失せていたのだろう。時間がかかってもいいから、何も考えなくてよい熱風稜線を行くことに決め、そのまま歩き続ける。だが笹の藪は疲れた身体には思った以上に手強く、なかなか前に進まない。歩いては立ち止まり、水で口を湿らす。時間だけがどんどん過ぎていく。行く手には永遠に終わらないのではないかと思われる果てしない笹の海。
ふと、後ろをふり返ると、今朝発ったJPの大きな山容が、はるか彼方に見えた。そうだ、ここまできたらもう巻機山までは一息だ。気持ちを入れなおし、藪をひたすら漕ぎ続ける。そうして日差しが少し斜めに傾き始めたころ、稜線の傾斜も落ちてきた。そろそろ右斜面に下ってみよう。潅木をかき分けて進むと、突如、明瞭な踏み跡に出た。草原の中に細々と続く路が山頂へと続いている。終わったのだ。思わず両手を大きく横に広げ、ようやく涼しくなりはじめた空気を胸いっぱいに吸い込む。微風にそよぐ穏やかな山稜と青い空。なんという開放感だろう。

踏み跡に出た。



◆主な装備
・水3.5リットル
・カロリーメイト8袋(4袋消費)
・Soyバー6本(4本消費)
・カリマー20lザック
・雨具(上のみ)
・Yシャツ
・滑り止め付き軍手
・シューズ:レオナディバイド

トレイルランニングシューズ・レオナディバイドのソールは藪漕ぎに絶大な威力がある。これまでこのノコギリソールを必要に感じたことはなかったが、今回初めてその性能に助けられた。滑りやすいネマガリダケの茎を踏んでも足をとられることはほとんどなかったといってよい。「キング・オブ・藪漕ぎシューズ」の称号をこの靴に贈りたい。
Yシャツは仕事の使い古しである。20年ほど前の「山と渓谷」誌の藪漕ぎ特集で、藪山はYシャツに限るという記事があったのを思い出し、いけそうだと思って持参してみたのだが、果たして非常に具合がよかった。濡れてもすぐ乾き、通気性も良好、意外と丈夫で、もし破けても気になることもない(破けはしなかったが)。そして、前回普通の軍手で滑りやすいネマガリダケを掴み続け、余分な力を使った反省から、今回は滑り止め付き軍手。これも笹の藪漕ぎには欠かせない。
レオナディバイド、Yシャツ、滑り止め付き軍手、これが今回の「藪漕ぎ3点セット」だ。

こんな格好で登りました。全身泳いだようにびしょ濡れです。檜倉山頂にて。



◆コース・時期など
17年前の90年に踏破したときと比べ、踏み跡はほとんど失われたと感じた。それはそうだ。何の手入れもなされなければ、か細い踏み跡が原始に帰っていくのは自然の摂理だ。また、このルートは夏はお勧めできない。暑すぎる。仮に藪の状態が季節を問わず同じだとした場合、6月などの初夏や、初秋の涼しい時期ならば、身体の消耗もはるかに少なく済むと思われる。逆に、根性試しならば夏に限る。
JPから巻機山まで10時間にわたり、エスケープルートはない。そのため、上手くいかなかったときや悪天時の対処方法はきちんと考えておく必要がある。


◆藪漕ぎトレイルランニング
清水の集落に降りて、面白いことに気付いた。17時間歩いたにもかかわらず、脚の消耗がほとんどないのだ。このまま清水峠を越えて土合に帰れそうなくらいだ。非常に疲れたといっても、それは全身が疲れたのであって、ふつうのトレイルランニングで感じる筋肉の疲労とは質が異なることが分かった。これは自分の根本的な筋力が山を歩いていたときよりも格段に向上したことにもよるだろう。藪漕ぎのような遅々として進まないようなペースでは、いくら歩いても脚が疲れにくくなったのだと思う。ということは、トレイルランニングの観点からすると、たいしたトレーニングにはなっていないということでもある。

それにしても、よくもこんなばかばかしいことをやったものだと思う。この世には、レベルを問わず、この世界でその人しかできないこと(やらないこと?)というのが稀に存在するが、もしかしたら今回の山行はその類いかもしれない。ばかばかしいことが「ばかばかしい」ことである所以は、ひとえに社会にとって何の役にもたたないことであるからだと思っている。この上越国境稜線藪漕ぎトレイルランニングが人の役に立つわけでもなく、誰かを楽しませるわけでもない。一方、コースのレベルでいうと、山慣れしたトレイルランナーや走力をもった沢屋であれば、夜行日帰りで十分に走破可能なものだ。しかし、ここまでばかばかしい、何の役にも立たないことに執念を燃やす人間は、おそらくそうはいないのではないだろうか。
と書いてみて、思う。そうじゃない。「ばかばかしい」ことへのこだわりの方向が人によって違うだけなのだ、と。富士登山競走に夢中になる人間も、トレイルランニングにひたすらこだわり続ける人間も、他人の眼にはなんと無益で愚かしい行為にエネルギーを注いでいるのかと映るかもしれない。何かを追求し行う―それは本質的にばかばかしさと表裏一体なのだ。
そうはいっても、やっぱり自分の夢中になっていることが何かの役に立つのならば、いうことはないのだが。

巻機山からの眺め。最奥に霞んでみえるのがジャンクションピーク。標識は過ぎし日の名残である。