第14回 日本山岳耐久レース−長谷川カップ(2006.10.08)

◆第1関門(浅間峠)まで
5分ほど前にスタート位置に並ぶ。人が多くどこがスタートラインなのか判然としないが、雑踏にのみこまれて午後1時、走り出す。ロードのスピードにきわめて欠ける私にとって、前回の初参加時、今熊神社までの道は周囲の選手達についていくのが精一杯だった。しかし今回は流れに楽に乗って何の負担も感じずに広徳寺まで走っている。寺の山門までの急坂もあっという間に走りきる。何というレベルの低い話かと思うが、出だしで1年前とはひと味違う自分を感じることができ、気持ちよく変電所の脇を通過する。
今熊神社までの道で鏑木さんに追いつく。じきに横山さんや石川さんにも追いつき、トップランナーに混じり一群の集団となって最初の急登 を進む。27分ほどで今熊山頂。ここで石川さんがすすっと抜け出し、ぐん ぐんスピードを上げていく。入山峠に着くころにはその姿はすっかり見えな くなった。

今回参加するにあたり、いくつかの課題を設定した。そのひとつは「人と競争せず、自分自身を冷静に観察して走る」こと。競争心に駆られ自分を見失うことは長時間に及ぶレースでは命取りであり、また今の自分には力の限界点で人と競うだけの強靭な底力はない。長時間継続できる範囲の上限の速度を走りながらきちんと見極め、抜こうが抜かされようが、ひたすら自分の走りに集中しようと思っていた。
しかし集団は、第1関門までを2時間37分と見定めた自分にとってちょうどよいペースで進んでいった。市道山までのアップダウンも快調にこなし、笹に覆われたおだやかな吊り尾根を走りぬけ枯れ葉に埋もれはじめた広い北斜面を登りきると、やがて醍醐丸だ。頂上に立つと斜光線がまぶしいくらいに注がれる。標高も上がりそろそろ冷たくなってきた秋の空気が、どことなく悲しいような斜めの日差しに、背景を暗く塗りつぶして浮かび上がる。やっぱり歩こうが走ろうが、山は楽しい。思わず鼻歌が口をついて出る。

残念ながら、快適だったのはここまで。連行峰を経て三国山へいたる途中で、左脚太ももに攣りを感じる。ちょうどよいペースといっても、その実、周囲の選手は登り坂を終えて走りに入るタイミングとその加速が私よりも一段速く、出遅れた私は次の登りで追いつき一緒に進む、というかたちで帳尻を合わせていただけで、その根本的な脚力の差が自分の脚に知らずに負担をかけていたのだと思う。暑さのせいかとも思ったが、周囲は平然と走っているようにみえる。単純に、今日現在の自分の筋力に十分な余裕をもてないペースで走ったから攣ったのだろう。当然の結果のペースダウン。ちょっと前に道を譲った渡辺さんの濃緑のシャツが三国山へ向かう下りのなかへあっという間に消えていった。
ここで頭を切り替える。課題のふたつめは、「余力を残した状態で後半に突入するため、第2関門までは力をセーブすること」。この長大なコースでフルに力を発揮するには、そのための余力を後半に残すことが絶対条件だ。脚の異常を天啓とし、ここからはペースを落として後半勝負にむけて体力の温存と脚の回復を図ることとした。熊倉山の3つの登りは階段状できつく感じるが、止まらずとも進めるペースを維持し、速足で進む。薄暗い樹林帯を駆け下り、第1関門を2時間40分、予定より3分オーバーで通過。大きな声援がありがたい。

◆第2関門(月夜見駐車場)まで
ここからの笹尾根は、奥多摩でもっとも好きな場所のひとつ。山登りの好みは大雑把にいって、眺望優先の岩稜好きと、そうではない樹林帯好きに別れる。沢登りの深山幽谷を好む樹林帯派の私にとって、笹尾根の落ち着いた雰囲気は初めて訪れた高校時代から好きだった。今回、樹林帯が静かに夕暮れていく中での疾走を楽しみにしていた区間である。
現実には疾走とはいかず、かなりペースを抑えた展開になった。背後の森から時折選手が現れたかと思うと、前方の森へ吸い込まれるような速いスピードで消えていく。周囲とのこの差が、今現在の自分の実力であることを受け入れ、自身のペースに集中する。

第1関門から土俵岳まで25分かかった。これはちょっと遅い。もう少し上げても大丈夫だろう、とペースアップをもくろむ。しかしスタートして3時間経過し、疲れが出始めたか、脚が重い。そして疲れというものは一度感じだすとどんどん増幅していくもののようだ。残り5〜6時間を走らねばならないという事実と連鎖して弱気の虫を呼ぶ。「15位くらいまで落ちただろうか。このまま順位は下がり続けるし、もういいからリタイヤして楽になりたい」という誘惑がちらっと胸をよぎる。
まったく不甲斐ない話だ。何のために一年間頑張ってきたというのか。登山の苦境と同じで、こういうときは思考を停止し、荒い呼吸に合わせて心の中で歌でも歌っていればいいだけの話だ。困難になると頭はろくなことを考えない。思うよりいつも時間は速く流れ、いつの間にか先ほどの弱気のことなんてすっかり忘れてしまっているのが常ではないか。

気分転換に、暮れてきた景色を眺める。
笹尾根はおおむね稜線の右を巻いて進むが、数箇所の峠では左下の山梨県側が見渡せる。進むにつれ、いつのまにか秋の日差しは消え入るようになり、以前に沢登りで訪れた阿寺沢の集落はすでに夕闇の底に沈んでいるように見えた。ざわざわと足音をたてている自分が立ち止まりさえすれば、里を走る車の音がかすかに聞こえるだけの静謐の世界だ。
槇寄山で富士山を横目にみて、三頭山の登りに突入する。このレース、三頭山が最大のポイントのように言われることが多いが、それはどういう意味だろうか。いかに迅速にこなせるか、という意味だったらそれはどうだろうと思う。山頂をはさんだ登り下りをいかに脚を消耗させずに、かつ、遅すぎないスピードでこなして残り30キロにつなげるか、というバランスこそがポイントなのだと私は思い、行きたい気持ちをこらえて一定のペースで登り続けた。途中、望月さんが立ち止まっていた。脚に異常をきたしたらしい。彼のような強い人でもこんなことがあるのかと、このレースの厳しさを痛感する。

標高差約300m。頂上稜線に至るころには風が出始めた。辺りもずいぶん暗くなった。もう少し行けそうではあるがここでヘッドランプを出す。後ろを振り返っても木々が見えるだけだが、その木立のむこうに続く笹尾根上に、これから延々と一直線にヘッドランプの灯りがともるであろう様子を少しばかり想像してみる。
三頭山で進路を90度右に変え、第2関門までの下降を始める。と、前方に満月だ。月齢表によるとちょうど満月の山稜を走れそうなので楽しみにしていた。まだ山の端にあって、オレンジ色の弱い光をぼんやりと放つしかない丸い月は、これから上に昇るどころか、終わりかけの線香花火のようにポトッと落ちてしまいそうだ。そんな様子を見ていると楽しくなり、がぜん元気になる。しかし、ここの下りこそ全行程中もっとも飛ばさないように気をつけたいところ。登りを終えた開放感からスピードを上げてしまうと、脚はあっという間に消耗し後半の減速の原因になってしまう。かといって気を緩めるとあっという間にタイムは落ちていくので、脚にダメージを残さないですむ上限のスピードを注意深く探りながら降りていった。
進むにつれ風は強まる一方だが、常に吹いているわけではない。遠くの森が揺れ、風の到来を告げる。木々の揺らぎはどんどんこちらに接近し、ごおーっという音が落ち葉を舞い上げたかと思うと、ざわざわと遠くの森へ去っていく。その繰り返し。今年は山に行く機会がほとんどなかったため、こういう山の風の吹き方がうれしくて仕方がない。風はひとかたまりになってやってくる。
そんなことで、スタートから5時間25分、暗くなった月夜見駐車場に着くころには、心身ともにすっかり元気になっていた。

◆第3関門(長尾平)まで
どうやら10位以内に入っているらしく気をよくする。水1.5Lの給水を受けてスタート。いよいよ私にとっての核心部に突入だ。
課題のみっつめは、「月夜見から長尾平をスピードを維持して走りきる」。この区間は、実に面白い。月夜見までの前半部によって疲労した脚で御前山の急登を登り、大ダワまでのアップダウンが更に脚へダメージを与えた後、走りやすい大岳山の登り下りが出てくるのだ。その大岳山をスピードにのってこなせるかどうかで、タイムは大きく変わるだろうと考えていた。そして今、疲労はあるものの余力を残した状態で御前山に挑むことができる。自分との勝負、ここはもうやるしかないだろう。
小河内峠までのなだらかな坂道ををゆっくりとしたペースで走りきると、急登が始まる。駆け上がるのではなく、立ち止まらずに歩き続ける。山歩きをベースにした自分のスタイルでは結局はこれが一番速い。下を見下ろしても誰もおらず、前にも灯りは見えない。真っ暗な急斜面をただひたすらマイペースで歩く。やがて惣岳山。息つく間もなく御前山頂に向けて加速する。 第2関門から44分ほどで山頂着。速くはないが、疲労を考えればまあまあのペースだ。ここからの下降も脚に負担のかかる区間であるが、もう強烈な上り返しはないため、ペースアップする。大ダワ手前で先行する選手に追いつく。ここまできたらもう一息、大岳山の登りにかかる。 ここからは体力うんぬんではない。このゆるやかな登りを短時間でこなせるかどうかは、気合の有無にかかっている。この登りにすべてを出すつもりで走る。最後の急登を終えてたどり着いた頂上は、役員の人もおらず、ただ満月が明るく照るのみ。大ダワから32分。

最後の課題は、「大岳山からはゴール目指して、残る力をすべて出し尽くして走りぬく」こと。去年のレースでは終盤に余力と同時に精神力も失い、いつ追いつかれるかということばかり気にしつづけ、後ろを振り返りながら走った。結果的に御前山での19位をキープしたままゴールできたものの、嬉しさは皆無、ただ逃げの走りをした後味の悪さが残ることになった。そんな風にしてゴールしても何も面白くなかった。順位は何位でもいい、レースに出る以上は全力を出し尽くそう。そのときに決めた。幸いにまだ出すべき力は十分残っている。ここでザックからハンドライトを取り出し、フル回転で下りはじめる。
山頂直下の岩場の下りで1人抜く。第1関門までの集団で私の前方を走っていた選手で、5時間後にようやく追いついたことになる。ロングレースは、追いつくまでの時間もまた長大でおもしろい。
岩石園分岐からの下りで加速する。スタートして7時間34分。第3関門着。

◆ゴールまで
ここで3分前に1人と告げられる。ここからは競争解禁、前を走る選手を全員抜くつもりで突っ込む。お祭りの見物客からもすぐ前にいるよっ!と応援いただきペースを上げる。が、ここでミス。観光客の行列に隠れていた日の出山方面に右折する下り道を見逃してしまうのだ。こういうときの心理は悔しくも面白い。え、この道違うんじゃないかなと思いつつも、沈没船のネズミよろしく脚が止まらないのだ。幸いにして20秒くらい下って観念し戻る決断ができたため傷口は小さくてすんだが、高速で下った20秒分の登り返しはまったく無駄だった。
日の出山の登りは、力を振り絞って走りきろうと思っていた。だが、階段状の坂道を走ろうとするたび脚に軽い攣りのようなものがくる。どうやら登りに使う筋肉は、大岳山で使いきってしまったようだ。
なんとか日の出山を歩いて登り、下りに転ずる。このとき、山頂を走りぬけながら横目で一瞬眺めた東京の夜景はほんとに見事だった。空気が澄んでいるため、街の明かりがまぶしいくらいに瞬いている。まるで、様々な色合いに輝やく色とりどりの宝石のようだった。

ここからの11キロはもう迷うことなく走るだけ。ほどなく選手に追いつき追い越す。残り5キロ地点で、3分前に1人!といわれる。5キロじゃきびしいか。順位はどうでもいい。すべてを出し切るのだ。
金比羅山から真下の五日市の灯りめがけて急下降にはいる。舗装路の衝撃は脚にきついが辛抱だ。スピードをなんとか維持しながら静まった五日市の町に帰ってきた。住宅地であるため、コース誘導の方が口パクで応援してくれるのがおかしくもありがたい。角を曲がると明るく照らされたゴールゲートが見えた。8時間43分46秒、総合6位でゴール。
先着していた渡辺さんは8時間32分とのこと。集団から離れたあと、一度も追いつけなかった。私のようにペースダウンすることなくコンスタントによいペースで走りきれたのだと思う。見事だ。

今回は、途中のペースダウンにも集中力を切らすことなくトータルで自分の力を出し切れたと言えるレースができ、満足だ。自分の100%を出す、そんな体験をしたくてレースに参加しているのだ、と改めて思った。


◆タイム
      区間    合計
浅間峠  2:41  2:41
月夜見  2:45  5:26
長尾平  2:08  7:34
ゴール  1:09  8:44

浅間〜月夜見は2:30で行きたいと思っていたが、脚の不調を機に思い切ってこの区間を休養にあてたのは、結果として正解だったのだろう。これによって後半部を余力をもって迎えられたのだから。
ただ、これ以上のタイムを望むならば、ここのスピードアップは欠かせない。浅間峠から試走を始めると、実に走りやすい区間なのだが、本番では私を含めほとんどの人がペースダウンしてしまう。では今回、浅間峠までを2:45に抑えていれば、月夜見まで2:35位で行けただろうか。たぶん行けただろうが、結局は後半にスピードダウンしたに違いないと思う。第2関門まできっちりと走りきってもなお、後半にむけての余力が十分ある、といえるくらいの力がほしいところだ。


◆装備
◇ザックの中身
ザック(グレゴリースティミュラス)
ヘッドライト(ペツルミオ5)
ハンドライト(super fire 301)
水(メダリストを少量溶かしたもの)2L
パワージェル16個(11個消費)
パワーバー2枚(2枚消費)
梅シバ(自家製)少量
手袋(使わず)
テーピング(使わず)
ウィンドブレーカー(使わず)

食糧はこれで十分だった。ただ、第2関門を過ぎたあたりでジェルではおさまらない空腹感を覚え、御前山と大岳山を登りながら冷気で固くなったパワーバーを食べたのだが、手の熱で軟らかくしても咀嚼するのに力がいった。

◇ウェア
Tシャツ(Mello’s)
バンダナ
タイツ(CW-Xハーフ)
靴下(X-ソックス厚手)
シューズ(アシックスカヤノ)

ウェアは軽装に見えるかもしれないが、仮に雨天でもこのままで行った。10月上旬、寒さは、レース中に立ち止まる予定がないのであれば気にする必要はない。あとは自分の体力と相談して判断すればよい。


日本山岳耐久レース
アドベンチャースポーツマガジン