第15回 日本山岳耐久レース(2007.10.20)

◆タイム設定
1年間トレーニングしてきたというのに、去年からほとんど進歩がない。これが現実だった。7月の北丹沢も、9月に行った試走もそのことをはっきり示していた。更に、山を走っているときに感じるスピード感は現状維持どころか落ちた気がする。
恥ずかしながら、私はこれまで走ってきたすべてのレース(富士山を除く)は、常に優勝を狙う気持ちで出場してきた。そんな馬鹿なといわれそうだが、これは可能性の問題ではない。客観的に勝ち目があろうがなかろうが、負けるつもりでリングにあがるボクサーなどいない―それと同じことだ。

今回はかなり正確に自分の力が測れてしまったがために、そんな馬鹿なことも考えにくくなってしまった。でも、これでは夢も希望もあったものじゃない。そこで、去年からの宿題である「ペースダウンせずにトータルで最も速くなるような走り」を100%完璧に遂行できた場合のタイムを目標とした。そして、少しばかり困難なそのタイムを実現するための策をあれこれと考えてみた(これが楽しい)。
そして、そのタイムをあくまでも一つの目安とし、その都度最適のペースを選択していこうと思った。

目標タイム
2:40+2:30+2:00+1:08=8:18


◆第1関門まで
カラカラに空気が乾燥していた去年と違って、森の中はほどよい湿度が保たれ、秋空の下、快適に走ることができる。ただし、ペースは徹底して抑える。CP1まで、特に市道山までは体力も十分あるため、ついスピードが出てしまうが、後々のペースダウンを招かないためにも、ここは抑えすぎなくらい抑えてちょうどよいと思っている。CP1よりもCP2のラップが遅い過去2年の自分のタイムは、どう考えてもペースダウンそのものだ。今年は必ずCP1>CP2で行きたい。
途中、何人かに抜かれ、何人かを抜いたりしながら、淡々と浅間峠を通過。

◆第2関門まで
激しい疲労もなく、まずは無事にCP1を通過できたらしい。ここから三頭山直下まで続くなだらかな笹尾根を、ほんの少しスピードを上げて進む。と言っても、ジョギングに毛の生えた程度のペースで、登りはほぼ全部歩きだ。生藤山の手前から一緒になった渡辺さんと二人旅で進む。なんと小学生の息子さんもトレイルランナーらしい。うらやましい。
笛吹峠を過ぎて大内、円井、柳下さんの先に出たあたりから、選手に追いつくことが多くなってきた。
暗くなり始めた西原峠を過ぎ、三頭山への登りでパワーバーを1本かじる。暗くなった山頂を後に、私が最も苦手とする月夜見への下りに突入。ここをダウンすることなく42分くらいで行けるような力がないと、目標タイムはおぼつかない。だが、やっぱり今年もペースダウンしてしまった。疲れはそれほどでもなかったが、1年ぶりに走るこの区間はあいかわらず厳しく、残る行程を考えると落とさざるを得なかった。やはりきたかという感じで、いつの間にか渡辺さんに代わって後ろについていた伊東さんが、風張峠へ向かう緩い登りでぐぐっと前に出て抜いていった。北丹沢同様、力強い走りだ。
三頭山から46分かけて月夜見駐車場の給水ポイントに到着。

◆第3関門まで
背中の水はたっぷり余っており給水の必要はなかったが、ポカリが余りにもおいしそうなのでペットボトルに500ml入れてもらう。ここで伊東さんをかわして再スタート。と、すぐに追いついてきた。ここから二人旅が始まった。
濃霧をかきわけるようにしてゆっくりと小河内峠への緩やかな山道を登っていく。後ろに速い選手がついてくれたおかげで、気持ちが引き締まる気がする。だからといって焦って進んではならない。自分はとばしすぎたらおしまいだ。
御前山から大ダワへ、脚に負担をかけない上限のスピードを探りながら丁寧に下り、大岳山へ登り返す。この辺りは疲れの出やすいところなのだろう、日比野さん、樋山さんと立て続けに追いつく。淡々としたペースで大岳山頂に到着。どうやら順位はいつのまにか4位にまで上がってきていたらしい。

ここで欲が出てしまった。このまま併走すると、力の差からいって金比羅尾根で伊東さんに置いていかれるのは間違いない。4位をキープするにはこの足場の悪い下りで突き放すしかない。そしてあわよくば3位を狙ってみよう・・・。
一気にギアを2段ほど入れ替え、岩場を駆け下る。あっという間に後ろは見えなくなった。スパート成功だ、このペースならおそらく2分ほどの差が開いたにちがいない。ところが!あまりにも急激に激しい上下動で体をゆさぶったため、衝撃が内蔵にきてしまった。沢筋へ下降する一歩を踏み出すごとに内臓全体ががんがん痛み、うおっうおっと大きな呻き声がでる。後ろからは再びヘッドライトが近づいてきた。スパートしたとたんにペースダウンだなんて、あーなんとも情けないやらカッコ悪いやら。こうなったら、せめて伊東さんに追いつかれる前に、呻き声だけは止めておきたい・・・。

◆ゴールへ
日の出山へ登る石段で再度の併走となったのもつかの間、金比羅尾根に入るとそのスピード差は明らかで、「先行きます!」という声とともにあっという間に暗闇に消えていった。その後姿は風張峠同様に力強く、「人間って鍛えれば7時間山道を走った後でもあんなスピードがでるものなんだなあ」と妙に感心させられてしまった。あの走りに負けるなら納得だ。

置いていかれて残り10キロ、さあどう走ろうか。順位を守ることはしたくない。全力を出して終わりたい。
だが、思うようにペースは上がらない。歩かずに走るのが精一杯だ。北丹沢もそうだったが、今年は疲れたときに振り絞るスピードが全然足りない。それがここでも出てしまった。頑張っているつもりなのだが。
もうごちゃごちゃ言っても仕方ない。一年の総決算だ、遅くてもいいから力を出し切って終わろう。金比羅山からの急下降をなんとかこなし、夜の街を駆け抜けて明るく輝くゴールに飛び込む。
8時間32分31秒で5位。最後は疲れた。


◆ペースとタイムを振り返る

2006 目標 2007
CP1 2:41 2:40 2:41
CP2 2:45 5:26 2:30 5:10 2:36 5:17
CP3 2:09 7:35 2:00 7:10 2:03 7:20
ゴール 1:09 8:44 1:08 8:18 1:12 8:32

タイムはまたもや想定タイムの下限ではあったが、「自分にはスピードがない」ということを自覚し、一定ペースで進むということは最後まで実行できたかなと思う。
この日は全般通して暑くも寒くもなく、適度な湿度に包まれたとても良好なコンディションだった。もし大岳山の下りで「邪念スパート」などかけず普通に走っていれば、8時間30分はぎりぎりで切れたような気がする。ただし、順位がひとつ上がったなどということは100%ありえない。こちらがいくら頑張っても必ずやその上を行かれていただろう。今年の伊東さんとは、そのくらい明確な力の差があった。すばらしい走りをみせてもらった。

ペースは、乳酸が溜まるラインの一段下のさらにその一段下くらい。9時間を切ってくる選手なら誰でも走れるゆったりとしたペースであり、仮に私を先頭にスタートからCP3まで全員がついてきて、金比羅尾根でスパートをかけたとしたなら、8時間半を切る選手が続々と出たのではないかという気がする。そのくらい、疲労の溜まらない快適なペースで走ることができたと思っている。ただし、それが楽しいかどうかはまた別の話だ。

CP3のラップはおそらく速い部類に入るだろうが、それとてゆっくりペースであることに変わりはない。この区間だけ走れば、おそらく上位はみんな1時間40分台で走れるはずで、自分の落ち込みが少ないだけなのだと思う。
CP4は、今や1時間10分を切るのは当たり前の区間だが、今回はその流れに乗ることはできなかった。終わってみて、日の出山からの夜景をまったく見ていないことに気付いた。でもそれでいいのだと思う。走りに集中していたということだ。


◆今後について
私のスタイルは、山歩きをベースにしたもので、走っても歩いても変わらないようなところは極力歩くようにしている。単にペースだけにこだわるのでなく、その時々で最も疲れない歩き方、走り方をせこせこと選択し、走力の無さを補っていくという、いわば「ごまかし走法」だ。
このままでも、あと若干の体力的上積みがあれば、来年もしくは再来年には8時間20分台、そして10分台ならば可能になるだろうという感触がある。だが、そのやり方はとりたくない。「実現の可能性が30%くらいの目標が一番おもしろい」。ずっと以前に山野井泰史さんが自身のクライミングについて、たしかこのようなことを言っていたが、これは何にでもあてはまる言葉だと思う。可能性が低すぎても話にならないし、高くてもおもしろくない。

では、実現困難な目標―例えば8時間切り―を設定したとして、それを達成するために何が必要か。私の場合、答えは明らかだ。スピード。それしかない。しかし、スピードを養成するトレーニングは私がもっとも苦手とし、嫌うところだ。それを実行する強いモチベーションを長期にわたって維持できるのか。また、今の私にとって長谷川カップとはそれだけの価値のあるものなのだろうか。考え込んでしまう。

2007年、もっとも充実し楽しかったのは、長谷川カップではなく、夏の上越国境稜線藪漕ぎトレイルランだった。先の分からない厳しいコースに加え、ひとたび奥まで踏み込んだら後戻りは許されない緊張感、そして山々の原始的な景観と開放感など、そのすべてがおもしろかった。未知の部分が多いということは山登りの重要な要素であり、オンサイトトライにこそロマンがあるのだと思う。
一方、長谷川カップの鮮度は、自分の中で来年以降さらに落ちてくるだろう。結局のところ、レースに出るということは、鮮度うんぬんではなく、他者と順位を競い、自分の身体の限界を探求し、それらを楽しむことなのだ。それははたして、自分にとって一年を投じるだけの価値があるものなのかどうか。
こんなことを考えている時点ですでに終わっている気もするが、少なくとも今のやり方を継続して少しずつレベルアップを図ることには、もうあまり意味が感じられないし、燃えるものもない。一方で、「だからやめる」というのは、限界を追求したいと言っておきながら、厳しいトレーニングが嫌でそこから逃げようとしている負け犬そのものではないかとも思う・・・。

レースを終えて相馬さんと温泉に浸かっているときに、ラントレーニングについて興味深い話をいろいろ聞かせてもらった。「ロードトレは、長時間に渡って同じ筋肉ばかり使うのがつまらなく、肉体的にも精神的にも耐えられないからほとんどやらない」と言う私に、「同じ筋肉をひたすら使うというのが最高のトレーニングなんですよ」と相馬さんは言った。

私にはまだまだ知らないことがたくさんある。未知の世界は山ばかりではない。
うーん、しばらく迷い続けることになりそうだ。


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