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国際語としての日本語
今から十三年ほど前のことになるが、国際日本文化会議が京都で行われたことがある。同時通訳の設備について説明があった時、「外国人の代表は原則として英語で発表します」と通訳側の誰かが言ったところ、主催者の一人である吉川幸次郎教授が怒って「そういうのは常識外れである」と述べ、かなり激しい調子で抗議された。
確かに日本で催される国際会議では外国人は英語を使うことになっている。しかし、日本語ができても英語を話せない外国人もいるし、又、国民的プライドの一つとして英語を知っていても使いたがらないこともある。ということで吉川教授が予想なさった通り、日本語で発表する外国人代表が何人もいた。
正直に言って、私が初めて欧米人と日本語で会話した時、何となくヘンな気がしたが、一旦やってみると当然のように思われてくる。
二十年ほど前にソ連旅行をしたことがあるが、モスクワやレニングラード大学の日本語科の教師や学生に会い、専ら日本語を使っていた。レニングラードのホテルから空港までのインツーリストの自動車に乗る前、三人のソ連人の女性に見送られ、丁寧な日本語の挨拶を言われた。「折角遠いところまでおいでになって下さいましたのに何のお構いもできませんでした」と言われたので、私も負けずに「いいえ、身に余るほどのご接待に与ってお礼の言葉もございません」と
やはり、日本人にとって外国人が日本語を話すのは不気味のようである。が、好むか好まざるかは別の問題として、日本語はどんどん国際語になっていっている。日本で行う国際会議の場合、日本語を使う外国人の代表が増えていっても驚くにはあたらない。
ドナルド・キーン『日本語の美』中央公論社(1993)による
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