文学と文学研究

伝統的(でんとうてき)文学研究(ぶんがくけんきゅう)方法(ほうほう)

伝統的(でんとうてき)文学研究(ぶんがくけんきゅう)は、(おお)きく2つに()けることができる。ひとつは作家論(さっかろん)、ひとつは作品論(さくひんろん)である。

伝統的な文学研究の2つの方法
  1. 作家論(さっかろん)
  2. 作品論(さくひんろん)

作家論(さっかろん)作品論(さくひんろん)

作家論(さっかろん)とは、作家(さっか)個人(こじん)(たとえば、夏目漱石(なつめそうせき)芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)など)を対象(たいしょう)にした文学研究(ぶんがくけんきゅう)である。

作品論(さくひんろん)とは、ひとつひとつの文学作品(ぶんがくさくひん)(たとえば、『()(はい)(ねこ)である』、『羅生門(らじょうもん)』など)を対象(たいしょう)にした文学研究(ぶんがくけんきゅう)である。

伝統的な文学研究の2つの方法
  1. 作家論(さっかろん)
    創造的(そうぞうてき)作品(さくひん)()みだす個性的(こせいてき)独創的(どくそうてき)個人(こじん)(=作家(さっか))の人格(じんかく)内面(ないめん)記述(きじゅつ)あるいは追求(ついきゅう)しようとする伝記的(でんきてき)研究(けんきゅう)のこと
  2. 作品論(さくひんろん)
    作品(さくひん)反映(はんえい)された作家(さっか)意図(いと)(=作品(さくひん)唯一(ゆいいつ)意味(いみ))を()()き、作家(さっか)思想(しそう)記述(きじゅつ)しようとする主観的(しゅかんてき)研究(けんきゅう)のこと

伝統的(でんとうてき)文学研究(ぶんがくけんきゅう)への疑問(ぎもん)

伝統的(でんとうてき)文学研究(ぶんがくけんきゅう)については、さまざまな疑問(ぎもん)もある。

作家論(さっかろん)への疑問(ぎもん)は、たとえば(つぎ)のようなものである。

作品論(さくひんろん)への疑問(ぎもん)は、たとえば(つぎ)のようなものである。

文学(ぶんがく)とは(なに)か?

1960年代(ねんだい)以降(いこう)文学理論(ぶんがくりろん)(とく)にテクスト(ろん))の(かんが)(かた)(つぎ)のようなものである。

文学(ぶんがく)とは?

文学理論(ぶんがくりろん)は、文学(ぶんがく)という存在(そんざい)はないとする。

文学(ぶんがく)
  1. 文学(ぶんがく)という不動(ふどう)客観的(きゃっかんてき)存在(そんざい)があるわけではない
  2. テクスト(=「ひとまとまりの()きことば」の意味(いみ)が『文学(ぶんがく)』として()まれたとき、文学(ぶんがく)としての意味(いみ)生成(せいせい)する
  3. つまり、文学(ぶんがく)とは、文学(ぶんがく)として()まれたときに文学性(ぶんがくせい)()つもののことである

文学的(ぶんがくてき)表現(ひょうげん)とは?

文学理論(ぶんがくりろん)は、文学(ぶんがく)表現(ひょうげん)特殊(とくしゅ)なものではないとする。
文学的(ぶんがくてき)表現(ひょうげん)
  1. 文学(ぶんがく)のことばと日常(にちじょう)のことばに質的(しつてき)(ちが)いはない
  2. なぜならば、文学(ぶんがく)のなかで使(つか)われるすべての表現(ひょうげん)は、文学(ぶんがく)(そと)でも使(つか)うことができるからである
  3. しかし、()()解釈(かいしゃく)するときには、文学(ぶんがく)のことばと日常(にちじょう)のことばに(ちが)いが(しょう)じる
    文学性(ぶんがくせい)創発(そうはつ)
  4. いつ・どのようにして・なぜ『文学性(ぶんがくせい)』が(しょう)じるのだろうか?
    文学理論(ぶんがくりろん)研究課題(けんきゅうかだい)

文学作品(ぶんがくさくひん)とは?

文学理論(ぶんがくりろん)は、文学作品(ぶんがくさくひん)価値(かち)のないものとする。

文学作品(ぶんがくさくひん)
  1. 著作権者(ちょさくけんじゃ)所有(しょゆう)する私的財産(してきざいさん)()ぎない
  2. 文学作品(ぶんがくさくひん)は、書籍(しょせき)として売買(ばいばい)されたり、書棚(しょだな)陳列(ちんれつ)されるものである
  3. 文学研究(ぶんがくけんきゅう)にとって重要(じゅうよう)なのは、テクスト(=「ひとまとまりの()きことば」の意味(いみ)であり、文学作品(ぶんがくさくひん)ではない

作者(さくしゃ)作家(さっか))とは?

文学理論(ぶんがくりろん)は、作者(さくしゃ)実在(じつざい)しないものとする。

作者(さくしゃ)作家(さっか)
  1. 作品(さくひん)作者(さくしゃ)のものである(作者(さくしゃ)(ぞく)する所有物(しょゆうぶつ)である)というのは、近代資本主義(きんだいしほんしゅぎ)私有財産制(しゆうざいさんせい))による発想(はっそう)で、理論的根拠(りろんてきこんきょ)はない
  2. 作者(さくしゃ)は、()()慣習(かんしゅう)として(テクストの背後(はいご)に)想定(そうてい)する架空(かくう)存在(そんざい)である
  3. 作者(さくしゃ)とは、テクストを分類(ぶんるい)するためのラベルとして機能(きのう)するテクストの一部(いちぶ)()ぎない

たとえば、(つぎ)のように(かんが)えてみよう。

あなたは、時計(とけい)()たこともないし、時計(とけい)というものが(なに)かも()らないとしよう。あるとき、あなたは道路(どうろ)(ある)いていて時計(とけい)(ひろ)う。その見事(みごと)機械(きかい)()て、あなたは『(かみ)』が(つく)ったものに(ちが)いないと(かんが)えるかもしれない(もちろん、それは間違(まちが)っている)。

(おな)じように、あなたは、「文学作品(ぶんがくさくひん)」を()んだときに、その見事(みごと)表現(ひょうげん)()て、個性的(こせいてき)独創的(どくそうてき)個人(こじん)(=作者(さくしゃ))が()いたに(ちが)いないと(かんが)えるかもしれない。そうだとしたら、『作者(さくしゃ)』とは『(かみ)』と(おな)じように虚構(きょこう)存在(そんざい)なのではないだろうか?

20世紀(せいき)以降(いこう)文学研究(ぶんがくけんきゅう)

伝統的(でんとうてき)文学研究(ぶんがくけんきゅう)が、作家論(さっかろん)作品論(さくひんろん)とに()けられたように、20世紀(せいき)以降(いこう)文学研究(ぶんがくけんきゅう)も2つに()けてみることができる。

文学研究の2つの面
  1. 文学批評(ぶんがくひひょう)
    文学(ぶんがく)(=文学(ぶんがく)として()まれたテキスト)が(なに)意味(いみ)しているか?
    自身(じしん)問題意識(もんだいいしき)(あき)らかにしながら、体系的(たいけいてき)意見(いけん)(かた)
  2. 文学理論(ぶんがくりろん)
    文学(ぶんがく)(=『文学(ぶんがく)』という()または概念(がいねん))が(なに)意味(いみ)しているか?
    社会学(しゃかいがく)言語学(げんごがく)などを応用(おうよう)し、科学的(かがくてき)理論的(りろんてき)研究(けんきゅう)する
ページの先頭へ↑
←ひとつ前に戻る
目次へ
トップページへ