伝統的な文学研究の方法
伝統的な文学研究は、大きく2つに分けることができる。ひとつは作家論、ひとつは作品論である。
- 伝統的な文学研究の2つの方法
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- 作家論(さっかろん)
- 作品論(さくひんろん)
作家論と作品論
作家論とは、作家個人(たとえば、夏目漱石、芥川龍之介など)を対象にした文学研究である。
作品論とは、ひとつひとつの文学作品(たとえば、『我が輩は猫である』、『羅生門』など)を対象にした文学研究である。
伝統的な文学研究の2つの方法
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- 作家論(さっかろん)
- 創造的な作品を産みだす個性的で独創的な個人(=作家)の人格や内面を記述あるいは追求しようとする伝記的な研究のこと
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- 作品論(さくひんろん)
- 作品に反映された作家の意図(=作品の唯一の意味)を読み解き、作家の思想を記述しようとする主観的な研究のこと
伝統的な文学研究への疑問
伝統的な文学研究については、さまざまな疑問もある。
作家論への疑問は、たとえば次のようなものである。
- 「作家」の人生経験や生活体験を論じることに、どんな意味があるのだろうか?
- いくつかの作品論を寄せ集めれば、ひとつの作家論になるのだろうか?
作品論への疑問は、たとえば次のようなものである。
- 作家の意図が作品に反映されると考える理論的根拠はあるのだろうか?
- 作品に対する研究者の印象や主観的な判断を述べれば作品論になるのだろうか?
文学とは何か?
1960年代以降の文学理論(特にテクスト論)の考え方は次のようなものである。
文学とは?
文学理論は、文学という存在はないとする。
- 文学
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- 文学という不動で客観的な存在があるわけではない
- テクスト(=「ひとまとまりの書きことば」の意味)が『文学』として読まれたとき、文学としての意味が生成する
- つまり、文学とは、文学として読まれたときに文学性を持つもののことである
文学的な表現とは?
文学理論は、
文学の
表現は
特殊なものではないとする。
- 文学的な表現
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- 文学のことばと日常のことばに質的な違いはない
- なぜならば、文学のなかで使われるすべての表現は、文学の外でも使うことができるからである
- しかし、読み手が解釈するときには、文学のことばと日常のことばに違いが生じる
→文学性の創発
- いつ・どのようにして・なぜ『文学性』が生じるのだろうか?
⇒文学理論の研究課題
文学作品とは?
文学理論は、文学作品を価値のないものとする。
- 文学作品
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- 著作権者が所有する私的財産に過ぎない
- 文学作品は、書籍として売買されたり、書棚に陳列されるものである
- 文学研究にとって重要なのは、テクスト(=「ひとまとまりの書きことば」の意味)であり、文学作品ではない
作者(作家)とは?
文学理論は、作者を実在しないものとする。
- 作者(作家)
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- 作品が作者のものである(作者に属する所有物である)というのは、近代資本主義(私有財産制)による発想で、理論的根拠はない
- 作者は、読み手が慣習として(テクストの背後に)想定する架空の存在である
- 作者とは、テクストを分類するためのラベルとして機能するテクストの一部に過ぎない
たとえば、次のように考えてみよう。
あなたは、時計を見たこともないし、時計というものが何かも知らないとしよう。あるとき、あなたは道路を歩いていて時計を拾う。その見事な機械を見て、あなたは『神』が作ったものに違いないと考えるかもしれない(もちろん、それは間違っている)。
同じように、あなたは、「文学作品」を読んだときに、その見事な表現を見て、個性的で独創的な個人(=作者)が書いたに違いないと考えるかもしれない。そうだとしたら、『作者』とは『神』と同じように虚構の存在なのではないだろうか?
20世紀以降の文学研究
伝統的な文学研究が、作家論と作品論とに分けられたように、20世紀以降の文学研究も2つに分けてみることができる。
文学研究の2つの面
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- 文学批評(ぶんがくひひょう)
- 文学(=文学として読まれたテキスト)が何を意味しているか?
⇒自身の問題意識を明らかにしながら、体系的に意見を語る
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- 文学理論(ぶんがくりろん)
- 文学(=『文学』という語または概念)が何を意味しているか?
⇒社会学や言語学などを応用し、科学的・理論的に研究する