考えとは
「感想」を述べただけでは論文にならない。論文では、まず意見があり、それが主張されなければならない。【参考→論文とは?】
考えと感情
論文では、まず、「考え」を書かなければならない。ただし、「考え」は、「感情」とは異なるものである。
感情とは、自分の「気持ち」である。《好き》、《嫌い》、《楽しい》、《苦しい》などはすべて感情である。つまり、感情とは、自分自身や他の対象への主観的な評価のことだといえる。なお、主観的であるとは、「自分だけが思う(こと)」という意味である。
考えは、感情よりも論理的なものである。考えとは、ある事柄について何らかの答えを出そうとすることをいう。私たちは、『何らかの答えを出す』ために、物事を論理的に追求してゆくのである。
根拠を示す
あなたに何かの「考え」があったとしても、証拠や根拠を示さずに述べてしまえば、感情を表わしたにすぎないものと思われるだろう。
たとえば、次の文は感情を表わしたものである。
あの先生は厳しいから嫌いだ。
次の文は、根拠が示されていないので、考えを表わしているものとはいえない。
あの先生は厳しいからダメだ。
考えを表わす文では、どのようなものであれ根拠が示されていなければならない。何らかの根拠を示すことによって、はじめてあなたの「考え」を表わすことができるのである。
あの先生は厳しいからダメだ。最近の学生は、厳しくするとやる気をなくしてしまうからだ。
上の文では、根拠が示されている。これを読んだ人は、あなたの感情ではなく、あなたの考えが表わされていると思うはずである。
説得と確証
論文の目的は、読み手を説得することではない。確証を目指すものである。【参考→論文とは?】
相手を説得したいのならば、理屈を述べたてるよりも、感情や経済的利益に訴える方が効果的かもしれない。
実際に、私たちは多くの場面で感情や経済的利益に訴える説得を行なっている。
- 「ともだちなら、わかってくれるよね。」
→感情に訴える説得
- 「今日の夕飯、オレがおごるからさ。」
→経済的利益に訴える説得
論文の目的は、確かな証拠で主張を立証することである。そのためには、まず「自分の考え」がなければならない。つまり、ある事柄について自分なりの答えを持っていなければならないわけである(論文を書く人は、その『自分なりの答え』を、論文によって立証しようとするのである)。
正しい答え
西・森下(1997:7)は、論文について次のように述べている。
論文に「正解」はない。書かれるべき正しい内容があらかじめ決まっているわけでもないし、構成法や作成手順が厳密に決まっているわけでもない。(中略)論文とは一人一人が考えていく作業そのものであり、また考えていくプロセスを他者に向けて提示することであ[る](角カッコ引用者)
論文は、「ある事柄についての自分なりの答え」と、その「確かな証拠」とを書くものである。しかし、論文が提示する問題には、あらかじめ正しい答えがあるわけではないのである。そして、あらかじめ正しい答えがあるわけではないからこそ、論文では《自分の考え》を明確に主張しなければならないのである。