引用と自分の意見
他の文献や資料から文や語句などの表現を借りることを引用という。引用は、他人の考えや他人が提示した情報を利用することによって、自分の議論や記述を補強するために行なわれるものである。【参考→引用の方法】
そのため、引用の後では、引用の内容に対する自分の意見を述べることがある。特に(事実やデータではなく)他人の考えを引用したときには、その考えに対する筆者の立場(賛成か反対かなど)が示されるのがふつうである。
引用に対する立場
引用した他人の考えに対してとりうる立場は4つある。なお、立場を明らかにしないのは好ましくない。
- 賛成・同意する
- 一部に賛成・同意するが、他の部分には反対・批判する
- 反対・批判する
- 賛成・同意はしないが、反対・批判もしない
ここでは、引用した他人の考えに反対・批判する場合の書き方を学ぶ。また、「一部に賛成・同意するが、他の部分には反対・批判する」場合の書き方、「賛成・同意はしないが、反対・批判もしない」場合の書き方についても述べる。なお、「賛成・同意」場合の書き方は、【→賛成・同意する表現】を参照せよ。
引用に反対する・引用を批判する
引用に反対する・引用を批判する立場を示すには、次のような書き方がある。
- 直接反対・批判を述べる
- 評価によって反対・批判を示す
- 問題点を指摘することで反対・批判を示す
直接反対・批判を述べる表現
反対であることを示す表現といっても、たとえば「この見解には反対である。」「この見解を批判したい。」といった直接的表現が使われることは少ない。これは、直接的な表現で反対するのは、品がない(下品である)、あるいはスマートでないという考えがあるためだと思われる。
直接反対・批判を述べる表現には、
- 賛成・同意できないことを示す表現
- 異論があることを示す表現
の2つがある。
賛成・同意できないことを示す表現
賛成・同意できないことを示す表現には次のような書き方がある。
- この(ような){見解/意見/主張/考え/議論/説}は{支持できない/容認できない}。
- この(ような){見解/意見/主張/考え/議論/説}は{支持しがたい/受けいれがたい/認めがたい/容認しがたい}。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説}は{支持/同意/賛成}できるものではない。
- この(ような){見解/意見/主張/考え/議論/説}には{同意できない/賛成できない/従えない}。
- この(ような){見解/意見/主張/考え/議論/説}には{同意しかねる/賛成しかねる}。
- この(ような){見解/意見/主張/考え/議論/説}に{同意するわけにはいかない/賛成するわけにはいかない}。
- この(ような){見解/意見/主張/考え/議論/説}に{同意することはできない/賛成することはできない}。
- 筆者は、このような{見解/意見/主張/考え/議論/説}には与しない。
※なお、「この(ような)〜」は「山田(1999)の(ような)〜」や「山田の(ような)〜」のようになることもある。
実際の論文などでは、引用や参照の後に、逆接の接続詞「しかし」を使って反対を述べることが多い。また、反対を述べた後には、反対する理由を書くのがふつうである。
山田(1999:14)は「………である」と述べている。しかし、山田の議論には賛成しかねる。[ここに反対する理由を書く]
異論があることを示す表現
異論があることを示す表現には次のような書き方がある。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}には異論がある。
- 筆者は、(これとは){異なる/別の}{見解/意見/主張/考え/解釈}を持っている。
- 筆者は、[著者名(発行年)]とは{見解/意見/考え/解釈}を異にする。
なお、「この〜」は「山田(1999)の〜」や「山田の〜」となることもある。
実際の論文などでは、引用や参照の後に、逆接の接続詞「しかし」を使って反対を述べることが多い。また、反対を述べた後には、反対する理由を書くのがふつうである。
山田(1999:14)は「………である」と述べている。しかし、この見解には異論がある。[ここに反対する理由を書く]
また、引用・参照の内容に反論するときには、次のような書き方もある。
- [[著者名(発行年)]は……と述べている。]しかし、筆者は次のように反論したい。[ここに反論を書く]
- [[著者名(発行年)]は……と述べている。]しかし、これに対しては、次のように反論したい。[ここに反論を書く]
- [[著者名(発行年)]は……と述べている。]しかし、これには、次のように反論したい。[ここに反論を書く]
※なお、「次のように」は「以下のように」となることもある。
評価によって反対・批判を示す表現
評価によって反対・批判を示すといっても、たとえば「この説にはまったく価値がない。」とか「このような見解は論外である。」といった直接的すぎる表現が使われることはほとんどない。これは、直接的な表現で批判するのは、品がない(下品である)、あるいはスマートでないという考えがあるためだと思われる。
評価によって反対・批判を示す表現には次のようなものがある。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}は{正しくない}(と考える)。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}は正しいとは思われない。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}は正当であるとは認めがたい。
なお、「この〜」は「山田(1999)の〜」や「山田の〜」のようになることもある。また、否定的な評価を表わすものとしては「有効でない」、「有効とはいえない」、「無効である」、「成り立たない」、「成り立ちえない」などの言い方もある。
実際の論文などでは、引用や参照の後に、逆接の接続詞「しかし」を使って評価を述べることが多い。また、評価を述べた後には、その理由を書くのがふつうである。
山田(1999:14)は「………である」と述べている。しかし、この議論は正しくない。[ここに理由を書く]
ただし、これらの表現は、他人の考えが不当であると主張する『強い表現』である。そのため、他人の考えを強く批判する意図があるとき以外には使わない方がよいだろう。なお、次のように「必ずしも」や「〜ように思われる。」などの語を用いて、表現を弱めることがある。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}は正しくないように思われる。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}は必ずしも正しいとは思われない。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}は正当であるとは認めがたいように思われる。
※なお、「この〜」は「山田(1999)の〜」や「山田の〜」のようになることもある。
また、次のように疑問を述べる形にして表現を弱めることもある。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}が正しいかどうか(は)疑問である。
- これが{正当な/有効な}{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}{である/となりうる}かどうか{(は)疑問である/(は)疑わしい/(には)疑問がある/(には)疑いがある}。
※なお、「この〜」は「山田(1999)の〜」や「山田の〜」、「これ」は「山田(1999)」のようになることもある。
問題点を指摘することで反対・批判を示す表現
論文では、問題点を指摘することで間接的に反対・批判を示す表現もしばしば用いられる。
問題点を指摘することで反対・批判を示す表現には、次のようなものがある。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}には{疑問/問題/疑わしい点}がある。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}は疑わしい。
なお、「この〜」は「山田(1999)の〜」や「山田の〜」のようになることもある。
疑問や問題があることを強調するときには、たとえば、次のように書く。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}には大いに{疑問/問題/疑わしい点}がある。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}は甚だ疑わしい。
また、「疑問を禁じ得ない。」のような文語的表現が使われることもある。
逆に、表現を弱めるには、例えば、次のように書く。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}には{疑問/問題/疑わしい点}があるように思われる。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}には問題がある{のではないだろうか/のではあるまいか}。
- この{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}は些か疑わしい(ように思われる)。
※なお、「この〜」は「山田(1999)の〜」や「山田の〜」のようになることもある。
実際の論文などでは、引用や参照の後に、逆接の接続詞「しかし」を使って評価を述べることが多い。また、疑問や問題があると述べた後には、必ず問題点を具体的に指摘するようにする。
山田(1999:14)は「………である」と述べている。しかし、この議論には疑問がある。[ここに具体的な問題点を書く]
また、次のように対象(ポイント)を示しながら問題や疑問を提示する表現もある。
- [著者名(発行年:ページ)]は、AはBであると述べているが、(Aが)Bであるかどうか(は){疑問である/疑問がある}。
- [著者名(発行年:ページ)]は、AはBであると述べているが、(Aが)Bであるかどうかには問題がある(のではなかろうか)。
- [著者名(発行年:ページ)]は、AはBであると述べているが、(Aが)Bであるかどうか(には){疑問/問題}があるところである。
議論の不十分さの指摘
議論に不十分な点があるとか、議論の適用範囲に不明な点があると指摘することによっても、引用や参照の内容に反対・批判の立場を示すことができる。
たとえば、次のような書き方がある。
- [著者名(発行年:ページ)]は、………と述べているが、それでよいのだろうか。
- [著者名(発行年:ページ)]は、………と述べているが、そう断言してもよいものだろうか。
- [著者名(発行年:ページ)]は、………と述べているが、それで済む問題だろうか。
- [著者名(発行年:ページ)]は、XはYであると述べている。しかし、(Xは)Yであると断言することはできない(だろう)。
これらの表現では、具体的な誤りを問題にする(誤りの可能性がある箇所を指摘する)というよりも、議論の不十分さを批判するとか、見解の一般性を否定するとかいった気持ちが強い。
一部に賛成・同意するが他の部分には反対・批判する
引用の内容に対して、部分的に反対・批判する場合がある。これは、条件付きの賛成・同意といってもよい。ただ、論文の中で条件付きの賛成・同意がされるときには、議論の一部を認めることによって、誤りを際立たせようとする心理が働いているように思われる。「一部に賛成・同意するが、他の部分には反対・批判する」表現は、引用の内容に反対・批判を述べるものと考えてよいだろう。
一部に賛成・同意するが他の部分には反対・批判する表現
引用の内容の一部に賛成・同意するが、他の部分には反対・批判する場合は、基本的には、賛成・同意する表現と反対・批判する表現とを次のようなパターンでつなぎ合わせればよい。なお、賛成・同意する表現については【→賛成・同意する表現】を参照せよ。
- 引用を示す表現
- ……であるという点については、(賛成・同意する表現)。
- しかし、……であるという点については、(反対・批判する表現)
- 反対・批判する理由や根拠を述べる
※反対・批判する理由や根拠は、反対・批判する表現より前で述べられることもある。
※なお、「〜という」は「〜とする」に、「点」は「{見解/意見/主張/考え/議論/説/解釈}」に、「については」は「に関しては」や「(に)は」のようになることもある。
具体的には次のように書けばよいだろう。
例1:
桐島(2002:190)は、LA仮説について、「データの処理に不適切な箇所があり、理論モデルとして成立しない」と指摘している。不適切なデータが含まれているという点については、桐島の見解に異論はない。しかし、仮説そのものが成立しないとする意見には同意できない。若松(2002)やアンダーソン(2004)による実証的研究は、LA仮説の成立を強く示唆している。
例2:
井上(1986)は、「『寺』も『味噌』も朝鮮語からの借用語である」と述べている。「寺」については、正当な指摘である。しかし、朝鮮側の文献による検証が省略されているなど、「味噌」が朝鮮語由来であるという主張には疑問がある。
例3:
柳沢(1950:2f.)は、レトリックは説得術であると述べている。この点に関しては、筆者も同じ意見である。しかし、「あらゆる表現は説得のために用いられうる(同書:15)」という主張は支持できない。専ら何かを命じるために用いられる表現は、いかなる説得も表わさないと見なすべきであろう。
賛成・同意はしないが反対・批判もしない
引用の内容に対して、賛成・同意はしないが、反対・批判もしないという立場も考えられる。これは、立場を明確にしないという意味ではない。十分な判断材料が不足しているため、的確な判断が行なえない場合にとられる立場のことである。
賛成・同意はしないが反対・批判もしない表現
賛成・同意はしないが、反対・批判もしない立場を示す表現には、次の2つがある。
- すぐには結論が出せないと述べる
- 両論を併記する
すぐには結論が出せないと述べる場合
すぐには結論が出せないと述べる場合は、たとえば次のように書く。
- [著者名(発行年:ページ)]は、XはYであると述べている。しかし、(Xは)Yであるとは即断できない。
- [著者名(発行年:ページ)]は、XはYであると述べている。しかし、(Xが)Yであるのかについては即断できない。
両論を併記する場合
両論を併記するとは、引用の内容とは異なる見解を示すが、どちらが正当であるか(どちらを支持するか)をすぐには明らかにしないという書き方である。そのため、〔異論があることを示す表現〕ほど積極的に反対・批判する気持ちがあるわけではない。
- [著者名(発行年:ページ)]は、XはYであると述べている。一方、Zであるとする見解もある。
- [著者名(発行年:ページ)]は、XはYであると述べているが、[著者名(発行年:ページ)]は、Zであると考えている。
もちろんデータや根拠が乏しいまま主観的な意見を述べるのは好ましくないが、両論を併記した場合は、議論を進めていく中で筆者の立場(どちらを支持するか)が明らかになるのが望ましい。