つれづれに思うことなど

 


(自然でなくなりつつある人間)
 私は癌になって以降、犬と一緒にいることで、ずいぶん気持ちが癒された。
 病人に限らず、人が動物によって癒されることは多い。我が家では、誰もがもっとも辛い時期に生後2か月で柴犬のハナがやってきたので、ハナは家の中では末っ子の幼児のように皆から可愛がられ、ハナも自分は家族の一員だと思っている。
 人間が動物を眺めたり、動物と関わりを持つ時に癒されるのは、恐らく、動物が「自然」であり、そこに生命力を感じるからである。動物を眺めているだけで、何も考えることなくただ生命力を感じるという境地に浸ることができる。自然を眺めている時にも似たような状況がある。何も考えることなく、ただ感じることが大切なのだ。じっと動物の目を見つめ、ひとこともしゃべらなくても心の中で動物と会話をすることができる。最近では、心理療法の分野で積極的に動物が活用されている。
 人間が自然によって癒されるのは人間自体が自然物であるからであり、人間の自然性は人工的な都会文明の中でともすれば失われがちになり、現代では人間の「自然願望」はますます強くなっている。動物は、動物園の檻の中では生命力を喪失しやすいが、自然の原野に戻してやれば活力を取り戻す。人間もこれと同じように、余りに管理されたり、過度の競争は人間の自然な生存を阻害する。ストレスによって人間の自然性が損なわれる点は、競争社会の弱い部分、たとえば子供などに典型的に表れやすく、子供や少年の凶悪犯罪や不登校、家庭内暴力などに象徴される。大人でも、引きこもりや精神疾患などはその例だろう。

 おそらく、「何もない」状態の子供は、子供らしさと動物的なエネルギーに満ち溢れているのだろうが、現在の社会は、「子供の将来の幸福」という理由から子供に余りに多くのものを持たせようとして、もっとも肝心な子供らしい動物的な生命力を失わせてしまうのではないだろうか。子供は大人よりも生命力に満ちているので、本来、子供の自殺は考えられないはずだが、最近では小学生の自殺は珍しいことではない。
 「人間はなるようにしかならないもの」だが、同時に、「努力次第で、どうにでもなる」ものだと私は考えている。この両者の微妙なバランスが大切であり、また難しいところでもあり、多くの親や教師が失敗するところでもある。
 
 中国の柳宗元は、ある植木の名人が、植木の秘訣について、「私は樹木の自然の天性にしたがい、木の成長を妨害していないだけのことです」と答えたことを書いているが、現在は親や社会が子供の自然な成長を妨げることが余りにも多すぎる。長男が12歳で鬱病になったとき、そんなことを感じた。子供に対し「何もしない」ことは、教育の放棄だとか、野生児を作るだけだという批判は、ルソーの時代からあったが、何もしないのではなく、「子供の自然な成長を妨げない」ことが大切なのであり、そのための管理は必要である。例えば、小中学生の進学塾を禁止するとか(一般に先進国には進学塾はない)、小学校でのテストの禁止(小学生のテストを実施しない国でも、日本の小学生よりも学力がある)、大学への入学は緩やかでもよいが、勉強しない学生は進級できない措置、日本では学校の教師が報告書の作成、会議などの管理業務に追われているが、教師に教材研究など教育に専念できる時間を保障すること、学校の校則を学校側の管理のためのものではなく、生徒の成長の観点から見直すこと、子供に悪影響を与えるテレビ、漫画、映画、雑誌等を制限する措置などが必要ではないかと思う。日本では子供の受験競争やテスト、校則、集団行動などについて厳しく管理する一方で、子供に悪影響を与えるマスメディアは野放し状態にあり、子供の自立という点では余りに子供を甘やかしている。
 
 
(人間と動物の関わり)
 人間が動物と関わりを持つと、動物は必ず一定の反応をする。犬の頭を撫でてやれば、犬は喜ぶし、嫌なことがあれば怒る。人は、しばしば自分の心を動物に投影する。病気や悩みを抱えた人がそういう気持で飼い犬と接すると、犬は飼い主の微妙な態度によってそれを敏感に感じ取る。飼い主が悲しい気分の時は犬も元気を無くするが、時には飼い主を励ますような仕草をする。このような動物との関わりは、人間社会のしがらみとは無関係なので、人は人間社会の煩雑なものをすべて取り去って、ありのままの自分に基づいて犬と接することができる。
 人間が自分の心を動物に投影するという点でいえば、勉強や人間関係などのストレスに晒された子供や、親から虐待を受けた子供、非行少年、神経症状のある子供は、決まって動物を可愛がるということがなく、しばしば動物を虐待する。動物を虐待する大人は、自分よりも弱い人間を虐待する危険性を持った人だと言ってよい。かつて、私は勉強や人間関係などよるストレスに晒されていた高校生のころ、当時家で飼っていた犬に石を投げつけて虐待していたことがあり、当時の自分と異常な事件を起こす少年たちの間にほとんど違いがなかったことに気づく。
 犬は、同じことを人間からされても自分が納得していれば素直であるが、納得していないことには激しく怒ったり抵抗する。例えば、散歩に連れていくために犬に首輪をしようとすると、犬は素直に応じるが、犬を病院へ連れて行くことを気配で察知すると、犬は牙を向いて激しく抵抗することがある。犬が人間に従わない場合にいつも犬を殴りつけていれば、その犬は人間に平気で咬みつくような凶暴な犬になる。一般に、犬は嫌なことをされてもすぐに忘れるし、人間のようにくよくよ悩むことはないが、それでも、長い間に受けた仕打ちや生育環境は犬の人格(犬格?)形成に大きな影響をもたらす。この点は人間の子供も同じである。犬は犬に相応しい成育環境が必要であり、人間の子供も同じである。しかし、大人がしばしばしば子供のためになると信じて行ったことが、子供にとってそうではないことがある。
 最近はセラピー犬とか、動物による治療効果が言われているが、人間が動植物や自然界から学ぶべきことは多い。

(自分の「持ち時間」は限られている)
 癌が発見されてから、自分の人生の「持ち時間」が限られているということを、改めて思うのだった。
 誰でも自分の「持ち時間」は生まれたときから限られているのだが、ほとんどの人はそのことを考えることなく生きている。自分の人生の「持ち時間」を考えることは、自分の人生を真剣に生きることになり、それは決して楽なことではない。ほとんどの人が自分の人生の「持ち時間」を考えることなく生きているのは、その方が楽だからである。
 しかし、人は病気とか事故をきっかけにして、自分の人生の「持ち時間」を考えることがしばしばある。写真家の故星野道夫は、20代のとき親友を山で失った時、自分の人生の「持ち時間」を考えるようになったとどこかで書いていた。星野道夫は、そのときから人並みのサラリーマンの人生とは違った写真家としての生き方とアラスカでの生活をめざすようになった。結果的に、星野道夫はクマに襲われて44歳で生涯を終えることになる。
 癌が手術によって根治できたかどうかに関わらず、私の「持ち時間」は限られている。癌の告知を受けた当初は、自分の余命が気になって仕方なかったが、今は、たとえ癌を根治できなかったとしても、手術によって癌のほとんどは摘出しているので、すぐに死ぬようなことはないだろう。しかし、10年後か、20年後かはわからないが、いつかは死ぬことになる。それは誰にもわからないことであり、自分の残りの時間を計算しても仕方がないと思うようになった。その貴重な時間をどれだけ有意義に過ごせるかを考えなければならない。
 癌になってみて、自分の「持ち時間」の長さは「自然」によって決まるのであって自分の力ではどうしようもないのだと痛感した。この「自然の力」を、人によっては「運命」だとか「神」と呼ぶが、どちらにしても人間の力以外のところで寿命や運命が決まる面がある。それは、人間が機械でできた人工物ではなく、自然物だからであるが、これだけ科学が発達しても人間は自然のことはほとんど何もわかっていない。長女の親友が12歳で脳腫瘍になり亡くなったが、その子は家にいつも遊びにきていたので私もよく知っており、「なぜ、その子でなければならないのか」と思った。長男が12歳で鬱病になった時も、「なぜ、長男でなければならないのか」と考え、私の癌についても「何故?」と理由を考えても仕方がない。
 
(自然性を失った人たち)
 人間にとって自然がよくわからない世界であり、人間の生命は自然の気まぐれに翻弄されることになる。癌もその1つであり、人の一生を左右する自然の気まぐれは運命と呼ばれる。
 恐らく、オウムに入信した人たちも、人の運命が人間の力以外の「何か」によって決定されることを悩んだのだろう。優秀な医師であったり科学者であった人たちが、あのような狂信的な思想にまで至ったのは、人間を抽象的な理屈だけで考え、自然な感性が欠如していたからである。人間や社会の理解が非常に機械的であり、言い換えれば、発想が非常に「幼稚」なのである。しかし、その幼稚さは最近の「出来のよい子供」にしばしば見られるものであり、現在では必ずしも珍しいものではない。
 テストと受験を中心とした教育は、偏差値だけで人間を判断したり、いたずらに結果だけを追い求める機械的な発想をもたらす傾向がある。いつも他人から知識を与えられて管理されることに慣らされ、自分で考えることをしない子供たちは成人しても自分の価値観を持つことができず、簡単に教祖の世界観に洗脳されたり、自分が何をしていいかわからず「ニート」と呼ばれたりする。ゲームやテレビなどの人工的な文化に受動的に翻弄される点では、子供も大人も違いはない。恐らく、オウム教団のエリートたちは子供の頃、そのように育てられたはずだし、「エリート」と呼ばれることがないオウムの多くの若者たちも、同じ価値観の中で育てられている。
 
 私自身も「教育熱心で子供の躾に厳しい」母の価値観と、それと大同小異の学校の価値観にずいぶん苦しめられた。学校で毎日のように教師に殴られ、学校でも家でも叱られ続けていたので、自分は世の中でもっともだめな人間だと思っていた。自分が大切にされているという実感がなければ、他人を愛する気持が生まれるはずがない。
 しかし、私は小学校では教師に反抗する「問題児」だったが、中学校の途中から「秀才」になった。これは突然のことではなく、半年くらいの時間をかけて徐々に変化したもので、この年代の半年は大人の数年に匹敵する時間を意味する。この変化は私が自ら望んだことではなく、学校における評価基準の結果、いつの間にかそのようになってしまったのだ。
 中3の頃の私は教師や同級生から「○○は勉強ができる」というレッテルを貼られ、常に、「勉強ができる者」以外のものであることを許されなくなった。私が「勉強ができる者」を演じれば、親、教師、同級生は安心するので、私もレッテル通りの人間を演じる方が楽だった。
 小中学校での多くの「秀才」は、そういう者ばかりが集まって「有名進学高校」や「一流大学」に進学するので、競争の結果淘汰され、大学を卒業する頃には「ただの人」になることが多い。あるいは、企業や官庁にはいれば、そこでも競争の結果淘汰され、いつのまにか、「優秀な社員や役人」でなくなる。「優秀かどうか」以外の価値基準を自分の中に持っている人は、「優秀」というレッテルがなくなっても、精神面での深刻な影響は何もないが、「優秀であるかどうか」に価値基準を置き、それにこだわり続けた人は、「優秀な学生、社員、役人」でなくなることは、人間としての価値の喪失をもたらす。
 「優秀かどうか」という価値基準に限らず、たとえば、「親の望み通りの素直な子」、「礼儀作法や教養を身につけて良い結婚相手を見つける」、「一生を会社のために尽くす」、「親の指示は絶対的である」ことなどに価値基準があれば、それを喪失した時に価値観の崩壊現象をもたらす。
 「家族との生活」が価値観のうえで大きな比重を占めていれば、離婚すれば、その人は生きる意欲を喪失するかもしれない。
 会社での価値観に支配された人は、中途退職したり、定年退職すると、「することがない」だけでなく、生きるエネルギーまで喪失することがある。
 最近は40代、50代の男性の自殺者が多いが、リストラや会社倒産、借金などの経済的要因が大きいようだ。「生きる」ことの価値をどこに置くかが重要である。人間は、自然から与えられた生命力さえ失っていなければ、会社の倒産や借金があっても生きることができる。借金は破産手続で消せばよいし、会社やマイホームがなくても人間は生きていける。

 高校の頃、私にとって「本当の自分」がわからないまま、文学に熱中して三島由紀夫の「夭折の美学」の影響から、自分は20歳になったら死ぬのだと確信していた。高校の頃、夏休みなどには時間が惜しいので1日2食にして部屋に籠もり18時間くらい文学や哲学の本を読んでいたが、私は書物の中の抽象と観念の世界に生きていて、生物的な意味で自分が「生きている」という実感がなかった。その頃から、次第に両親の喧嘩が減っていったような記憶があるが、関心がなかったので家族のことはほとんど記憶がない。
 生きていることを実感できない者にとって、「生きている」ことと「死」の間にはほとんど違いがなく、ほんの些細なことがきっかけになって、「生」から「死」へと移行する。そして、そのきっかけは何でもよいのである。その頃は、自分の人生が20歳で終わろうと、80歳まで生きようと同じことだった。「既に精神的に死んでいる者が、長々と無意味な生を続けることに、どれだけの意味があるのか」こんな文章を当時の私は日記に書き殴ったはずだ。
 私が法学部に入学したのは、勉強するためはなく、学校教育や学歴社会を批判するためにはエリートでなければならないというそれだけの動機からだった。生きる意味を見いだせない者が、勉強する意味を見いだせるはずがない。したがって、大学入学後、勉強意欲は全くなく、実際にまるで勉強をしなかった。大学に入学した時、私はそれまでに多くの本を読み雑多な知識は豊富だったが、自分が精神的にも人間的にも「空っぽ」だということがわかっていた。自分を支えるはずの価値観は自分のものではなかった。人が狂信的な思想や宗教、過激な学生運動に染まりやすいのは、こういう時である。
 大学では、自分の価値観がすべて人から与えられたもので、「自分」というものがないことに苦しみながら、学生運動をしていた。書物で読んだ理屈を振り回し、現実の生活体験がないまま、社会の矛盾について議論し、問題意識のない学生を「オルグ」することはある種の快感をもたらした。学生のコンパでは酒を飲んでは異常なほど大騒ぎをし、私はしばしば酒瓶を持って階段から転げ落ち血まみれになった。危うく足の指が1本や2本ちぎれていてもおかしくなかった。周囲の者は皆そういう私を見て面白がったが、私は自分の空っぽのやりきれない気持ちのはけ口が欲しかっただけである。親、学校、書物、社会などから与えられる価値観に翻弄され続け、自分というものがまったく見えなかった。
 当時は、「自分が自分ではないような感覚」、「自分を絶対に許すことができない感覚」に悩まされていたが、論理的には、その先には「死」しかないことになる。当時の私は、「二十歳の原点」(高野悦子)に描かれた心象風景と似た状況にあった。このような問題性については、「自己理論」などでしばしば指摘されている点でもある。
 当時の私の状況からすれば、重篤な病気になれば、いとも簡単に死を受け入れることができただろう。生きることへの未練など少しもなかった。現在の私が生への強烈な執着心を持っていることと何と大きな違いがあることか。死の危険に瀕した動物が死にもの狂いで反撃することに表れているように、本来、動物にとって「生きること」は本能のはずである。その意味で、自殺は人間の動物としての生命力の喪失に他ならない。
 
 その後、20代半ば頃からに山に登るようになり、山の中で自然に浸っている時、それまでに味わったことのない心の安らぎを覚えたものだ。私は、次第に「自分を許す」ことができるようになり、初めて、本気で「生きたい」と思った。生きることが何よりもかけがえのないことであるように思えるようになった。
 一時期は登山に熱中して仕事も家庭も顧みなくなったが、日本の山で、あるいは、ヒマラヤの大自然の中で、自然だけがもつ生命のエネルギーを感じることができた。そこには、かつての私の「生ける屍」状態とはまったく違う世界が展開されていた。単なる山歩き程度では私は満足できず、冬の厳しい岩壁や氷壁の登攀や、ヒマラヤの高所での困難な登山のように、生命力の限界に挑戦するような行為でなければ、私は自分が生きていることを実感できなかった。「危険な登山をするのは、死が恐くないからではなく、生への執着からである」ことを、経験したことがない人は恐らく理解できないだろう。この点で、「山岳作家」の新田次郎は、登攀者の自殺願望を好んで取り上げて書いているが、それは彼が山歩きの経験しかなく、登攀についてまったく理解していなかったからである。、
 私は危険な登山を通して、生命力の息吹を自分の体内に急激なスピードで吸収していった。かつての私が「生ける屍」だったからこそ、干からびた砂漠の大地が際限なく水を吸収するように、生命のエネルギーをいくら吸収しても満足することがなかったのかもしれない。このような全く正反対の2つの世界を体験した者だけが感じる衝撃の大きさは、経験した者でなければ理解できないかもしれない。
 このあたりのことを書き始めると非常に長くなるが、簡単に言えば、恐らく、登山が初めて自分で選択した価値観に基づく行為だったことと、登山が自然と関わりを持つ行為だったことが、私の価値観を大きく変えたと思われる。
 自分の人生を自分で選択しているという実感がなければ、生きる力は生まれない。
 
 「二十歳の原点」(高野悦子)を読み返してみた。
 20歳の頃、この本を夢中で読んだのだが、私はこの本のどこに惹かれたのか。私の大学の同級生の中に、私と同じようにこの本に非常に感銘を受けたという学生と、「全然、共感しなかった」という学生がいた。後者は、学生運動などをしていたが日本の大学生には珍しいほど精神的に自立した大人の学生だった。
 30年という年月がもたらす経験と思考の蓄積は、想像以上に、20歳の頃とはまったく違った視点からの考察をもたらす。
 この本の中で、著者のそれまでの人生における価値観の基盤の脆弱さ、価値観の崩壊、自己の価値観の選択と自己決定の模索など、私が10代の頃たどった軌跡と似た面がある。おそらく、当時の私はその点でこの本に惹かれたのだろう。また、ベストセラーになってもやがて消えていく本が多い中で、現在でもこのような若者が多いことから、この本が今でも出版され続けているのだろう。逆に言えば、日本の若者の多くが、確固たる自分の価値観を持って自分の人生を選択できていないということだろう。
 著者の思考は右に左に大きく揺れるが、実生活や現実と離れたところで観念的に思考しているので、大きく揺れ動くだけで展望が見えない。理屈だけで考えれば、生命を否定する論理はいとも簡単に導くことができる。三島由紀夫などを持ち出すまでもなく、現実から隔絶された思考はいずれ限界に到達し、しばしば人間を破滅に追いやる。三島由紀夫は、小さい頃から死ぬまで都会の人工的な文化の中で自然や社会の現実を体験することがなく、書物と理屈の中で生きていた。彼は蛙の鳴き声すら知らなかったという逸話があるが、その文学は、自然を徹底的に排除した人工的な虚構の美の世界である。小説はすべて現実ではなく「嘘」であるのは、ある意味で当たり前のことであるが、三島由紀夫の文学は現実に基づくことなく構築された虚構の世界であり、福田恒存が指摘したように、「無から有を作り出す錬金術」なのである。その現実からかけ離れた、余りにも華麗な虚構の世界は、天才的と言うほかはない。
 また、芥川竜之介の「槍ケ岳紀行」というさえない登山体験記があるが、それを読めば芥川竜之介は山岳文学や躍動感のある自然描写とは無縁の作家だということがわかる。芥川竜之介にとって自然とは煩雑で理解できない世界でしかなかったのだろう。芥川竜之介は計算され尽くした緻密さと技巧的な文章で心理描写を構築できる類稀な才能の持主だったが、生活実感に根ざした生命力や自然を描くことはできなかった。
 三島由紀夫がヨーロッパアルプスを見た時、そこに「抽象的な匂い」を感じようとし、「正確な稜線の計算」を探し、「何とかして地上最醜のもの」を見つけようとしたが適わず、「もはや美に期待しなくなった」と書いている。要するに、三島由紀夫は自然を見ても自然を感じることができなかったのであるが、それは頭の中に自然を感じるだけの感性がなかったからである。アメリカの自然保護の父と言われるジョン・ミューアが、ヨセミテの自然に触れたとき、「空気はあまい飲み物のように肺にしみわたり、からだは感じることでいっぱいになり、全身がうちふるえる」(ジョン・ミューア、「はじめてのシエラの夏」宝島社)のと何と大きな違いだろうか。同じ自然を見ても、見る人の心と感性によって見えるものが違ってくる。三島由紀夫や芥川竜之介は、自然に触れることよりも、書斎に籠もって人工的な世界を構築することに関心があったのだが、人工的な観念の世界は自然物である人間の生命力とは無縁である。三島由紀夫と芥川竜之介のいずれも自殺したのは、住んでいた世界が余りにも計算されすぎた人工の世界であり、人間が自然物であることを理解できなかったからではないかと思われる。

 
「二十歳の原点」の
著者が、価値観の崩壊と自己否定の論理的な帰結である「死」を選択したのは、恐らく、詩人であり、真面目であったが故に、いい加減な生き方ができなかったからだろう。一般に、この本は、失恋と学生運動の挫折の末の自殺として読まれるのかもしれないが、著者の死は、他人から与えられた価値観の崩壊があり、自分の価値観を見いだせないまま、たまたま、失恋と学生運動の挫折が死のきっかけになったのである。彼女は、死を選ぶ前に自分が「生きていること」を感じていなかったはずであり、彼女にとって自殺を実際に決行するかどうかは、どうでもいいことだったのかもしれない。
 自分なりの価値観に基づいて人生を自分で選択しているという実感がなければ、生きるエネルギーは生まれない。

 著者は書いている。
 「父母は若い私達を認めようとしない」
 「私は慣らされる人間ではなく、・・・・高野悦子自身になりたい」
 「自己を支える信条みたいなものが無いのにあせる」
 「集団から要請されたその役割を演じることによってのみ私は存在していた」
 「行く場所がないんだ!」
 「私は私の世界を模索し始めた」
 「独りであることは、何ときびしいことなのだろうか」
 「今までのものは絶対のものではなく現にこうしてゆらいでいる」
 「自分に自信をもたぬという生来の弱さの隙間に、アットいう間に何かが入りこんでどうしようもなくガンジがらめにしてしまう。」
 「私には「生きよう」とする衝動、心の高まりというものがない」
 「悲しいかな、私にはその「生きてる」実感がない」
 「これが私だと思っている私は私ではないかもしれない」
 「私自身がピエロなんだからしかたがないじゃないか」
 「自己を支えているものが動揺し、内部のもの自体に不確実さ、非現実を感じると、どうにもならなくなる」
 「私はなんとなく大学にきた」、「就職するのはいやだし、勉強できない方ではないし、大学にでも行こうかという気になり、なんとなくきた」
 「なんとなく学生となった自己を解体し、現存の大学を解体する闘いが生まれる」
 
 これらは、20歳の頃の私に不思議なほどすべて当てはまる。
 私は小学校4年から22歳くらいまで毎日日記を書いており、高校の頃は毎日大学ノートに細かい字でびっしりと5〜6ページくらい書いていた。当時の私は観念的な思考の世界に住んでおり、実際の生活はそれほど関心がなかったので、その日記は私の人生であり、人格そのものだった。しかし、22歳の時、それまでの自分を否定し生まれ変わるために、膨大な量の日記を全て捨てたのだった(しかし、40歳を過ぎる頃から、あの日記を残しておけばよかったと後悔するようになった。それは激しい自己否定の感情が消え、間違った過去を冷静に分析できるようになったからではないかと思う)。
 人間は常に変わっていくべきものだが、脳細胞に刻み込まれた記憶を消すことはできず、過去の記憶がしばしば人間が変わることを妨げる。過去の自分を否定するためには、過去の思い出にとらわれないことが必要であり、私にとって日記を捨てることは過去の自分を抹殺することを意味した。私の人生であり人格でもあった日記が消滅することは、自分の存在が消滅することを意味するが、その時点では既に新しい自分が生まれつつあることが予感できていた。古いものを破壊しなければ新しいものは生まれないが、新しいものが見えていない状態で、古いものを破壊しても、そこには空虚な「空白」しかないことになる。
 「二十歳の原点」の著者も、死の4日前に日記を燃やそうと考えたが、「燃やしてしまったら私の存在が一切なくなってしまうようで恐くて」 それを実行できなかった。そして、本人が消滅し日記だけが残った点は、私と逆である。
 今、「二十歳の原点」を読み直した感想をひとことで言えば、「生きていてよかった」ということである。20歳の時に死ぬことができなかった私が、50歳になった今もこうして生きていることは、限りなく素晴らしいことのように思える。

 自分の内面的な価値観ではなく、社会や親から与えられる価値観に翻弄される例として、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」をあげることができる。私がこの本を初めて読んだのは、高校に合格した直後であり、当時は、まだこの本の内容を十分に理解できるほど人生経験を持っていなかった。改めて、この本を読み直してみると、主人公の人生が自分の人生と似た面があることに気づく。主人公のハンスは、親、学校、社会から与えられた勉強人生を歩んでいたが、自分の内面にある詩人としての感性に合わない生き方に挫折し、神学校を退学する。そして、自分の内面の価値観を樹立できないまま死んでしまうのであるが、これは、ヘッセ自身の体験に基づいていると言われている。受験競争の激しい日本では、「車輪の下」はヘッセの作品の中ではもっともよく読まれているが、ヘッセの母国のドイツでは、ヘッセの作品の中ではそれほど好まれる作品ではないようだ。

 私は、親の価値観に反抗し無視してきたのに、自分のためにしたこととはいえ、結果的に一流大学を出て弁護士になり、親の期待を満足させる結果になった。母はいつも他人に、自分の子供の育て方を自慢し、学校の教師が暴力で私を「矯正した」ことに感謝していた。それに対し、私はいつも激しい怒りを抱き、たまに母を非難することはあったが、だいたいにおいて母を無視してきた。それは「自分と親とは無関係」と考えるからであり、これは親から精神的に自立していたからだろう。私は、自分が親から理解されていると思ったことは一度もないし、親に理解されたいと思ったこともない。母には自分が「理解できるはずがない」と割り切り、理解し合うための努力をしないところが、私の欠点なのだろうが、このように、まったく気持ちが通じ合わない冷めた親子関係は限りなく寂しいが、親子の情愛を持てと言われても、「ない」ものはどうしようもない。
 母の友人の学校の教師の子供が小学校5年の時に自殺した事件があった。これは40年近く前のことであり、当時は、まだ、小学生の自殺は珍しかった。亡くなった子の親は、私の中学校の先生だったが(私はその先生から異常なくらい贔屓にされた)、その教師は教育熱心で厳しいことで知られていた。私の小学校の後輩でもあったその子が自殺したと聞いたとき、私は、「やはり」と思った、周囲の誰もが「やはり」と思ったはずだが、この言葉は当時も今も絶対に口に出してはならない言葉である。自殺した子の姉は私の小学校の1年後輩だったが、小学校では生徒会長をし、非常に勉強ができ可愛い子だったので生徒の間でも人気があった。自殺した子は優等生的ではあったが、少し気が弱そうな子だった。その点が、姉との運命の分かれ目となったのだろう。
 当時、既に、子供の受難の時代は始まっていたのだ(その点は、ルソーが「エミール」を書いたころから始まっていたとも言える。人一倍感受性の強いルソーは自分が体験したことに基づいて「エミール」を書いたと思われる)。

 親子の確執が、古代以降、珍しいものでないことは、多くの文学作品等を見れば明かであるが、現代では、どの家庭でも、子供に対し「教育熱心」や「過干渉」になることが可能であり、誰もがそれをしなければ競争から取り残されてしまうと思い、親の本能のおもむくままに子供に対して「教育熱心」、「過干渉」になる。
 人間の自然性の理解や人間の自然な感性が欠如したところに、一定の「理屈」を持ってくれば人間はどのようにでも感化されてしまう面がある。小さい頃から親の愛情を感じることができなかった私が、不登校、家庭内暴力、非行、オウム信者にならなかったのは、ほんの些細な偶然の結果でしかないと思っている。子供の凶悪事件が起きる度に、「親の愛情不足」が指摘されるが、実は、「親の愛情過多」が問題なのである。
 
 神戸の児童連続殺傷事件の加害少年の生育環境を見ると、明らかに「親の愛情過多」の問題性が見られるが、一般には、この事件は「親の愛情不足」の問題として受け取られ、多くの親の納得を得ている。そして、多くの親は、「自分は子供に十分に愛情を注いでいるから大丈夫」と考えて、安心するのである。
 神戸の児童連続殺傷事件の加害少年の場合には、母親は少年に対し、「強さ」を求めており、競争の厳しい今の日本で生き抜くためには精神的・肉体的な強さを求めることは理解できる。母親がそのような要求をしたことは、親の愛情に他ならない。しかし、強い子供にしようとしたところで、どうしても強くなれない子供がいるし、特別な感性を持っている子供については、余りに強さを求める親の姿勢が自然な心の成長を阻害することがある。この母親は、子供をりっぱに育てようとして、ほんの少しだけ一生懸命になりすぎ、少年が普通の子供よりも感受性が強すぎただけなのだ。
 この少年も、100年前の日本であればこのような事件に至っていないはずだ。

 「母への詫び状」(藤原咲子)の中に、作家でもある母親の藤原てい(父は作家の新田次郎)が子供(著者)に対し、「強さ」を要求することに対し子供が激しく反抗する場面がある。母親が子供に対し、「今まで、お母さんはお前のことでどれだけ苦労したことか」、「みじめだったお母さんの気持ち」などと自分の愛情を子供にぶつければぶつけるほど、子供は激しく反発し、しばしば感情的に衝突した。
 この家庭には、勉強できるかどうかを評価基準とする価値観が支配していたようであり、このような「勉強一家」の中では、兄の藤原正彦(著名な数学者)のように優秀な子供でなければ、子供に「自分の居場所がない」という状況になる。ただ、著者の場合は、父親の新田次郎が子供の良き理解者だったので、著者の「暴走」にまでは至らなかったのだろうが、このような家庭環境で育つ子供はそのような価値観に支配される。似たような「勉強一家」に育った私としては、著者に共感を覚える。
 「母への詫び状」の中では、母親が認知症になった現在、著者は母親のかつての行動を理解するようになるのだが、歳をとるこはそういうことなのだろう。若い頃は親に対し神経過敏に反応した細々としたことが、年齢とともにどうでもよいことのように思えてくる。家庭内暴力を振った子供達は、だいたい18歳くらいになると、「自然に」家庭内暴力をやめる傾向がある(ただし、20歳を過ぎてから生じる家庭内暴力や、40代以降の家庭内暴力は、「自然にやめる」ことは期待できない)。それは、子供が精神的に親から自立するからだと考えられる。
 
 それぞれの家庭には、その家庭を支配する価値観がある。それは、社会及び学校の価値観に規定されつつも、その家庭独自の価値観がある。その家庭の価値観が、他の家庭の価値観に較べてどのような違いがあるかを知ることは難しい。なぜなら、他人の家庭の価値観はプライバシーに属し、その家族も明確に意識していないものなので、それを他人が覗き見したり、体験することができないからである。
 私が育った家庭の場合は、両親が不仲だけでなく、母はいつも高齢で身体の不自由な祖母を虐待し、母に対し従順だった兄は学校では優等生で教師の評判がよかったが、私に対してはいつも威圧的であり、それに反抗する私は兄と毎日喧嘩をしていた。家の中ではいつも、両親の間、母と祖母の間、母と私の間、兄と私の間で、口論と喧嘩、ヒステリックな叱責の怒鳴り声が絶えず、常に家庭内は戦争状態にあった。この点は躾に厳しい家庭では珍しいものではないし、最近では、親が子供を祖父母に預けて再婚したり、児童虐待なども少なくないが、子供の人格形成に大きな影響を与える。
 足が不自由になった祖母は、日曜日の朝などは、しばしば母から食事を与えられないことがあったので、小学生の私が祖母に食事を作ることがあった。それは、私が母から叱られた時に祖母が庇ってくれたからとか、祖母への愛情からではなく、単に母への反発心からだった。私が今でも権威や権力を振り回す者に対し本能的に反発するのは、私の生育環境が大きく影響をしている。
 この家には、家族間の情愛というものが決定的に欠落していた。それでも、両親は外見的に「りっぱな家柄」、「教育者の家庭」としての体面を維持することに汲々とし、この家はこの地域で教育一家として有名だった。母は、かつて、その地域のすべての田畑を所有する大きな庄屋の末っ子だったが、母が丁度10代の多感な時期に農地解放により実家は田畑を失って没落し、祖父は毎日酒におぼれるようになった。母は、「学校では何をやっても一番だった」と言うのが口癖だったが、現実には母には学歴がなかった。没落した実家は5人の兄弟のうち長男しか大学に行かせるだけの資力しかなかった。長男(叔父)は大学を出て高校の教師になり、その後、実業家になった。このような母の歩んだ人生が、負けず嫌いで、教育熱心、プライドの異常に高い「母親」を作り上げたのだろう。母は、「自分は優れた人間であり、他人からいつも注目されている存在であるはずだ」という自負心があり、他方で、現実は、うだつのあがらない平凡な教師の妻であるというギャップがあったのではないか。母は私に、「いつもクラスで一番である」ことを要求したが、私は、いつもそれを実現できなかった。それどころか、私は、いつも、学年で最大の問題児だったので、母のプライドからすれば、私の行動のすべてが我慢できなかったのである。
 子供が異常な事件を起こす家庭は、教育熱心な「仮面家族」であることが多い。神戸の児童連続殺傷事件や秋葉原事件の加害者の母親像も、だいたい似たようなものである。私は、いつも、家には自分の「居場所」がないと感じていたので、小学校4年のころから、「早くこの家から逃げ出す」ことばかり考えていた。
 中学生になってからは、私は、精神的にはもはやこの家に属していなかった。いちいち親との関係で悩むのが煩わしいので、「自分には親はいらない」と割り切ったのである。中学生になった私は、たぶん、親から捨てられても平気だっただろう。
 しかし、人間は本当に不思議なもので、私の兄は「この家」に対し私とはまったく違う感覚を持っている。兄は東京の大学に入り、初めて家を離れたときに、ホームシックになったほど家に愛着を感じていたのだ。人が違えば感じ方もまったく違うのだが、人は誰でも自分の心を通してものを見るのだ。しかし、その兄も、成人して以降、母との仲は悪い。
 一般に、家庭内暴力は、「親にかまってもらいたい」という依存心と、親に対する攻撃性が同居しているが、私の場合には、親への反抗期を迎える前に、精神的に親から離れてしまったので、親とのかかわりが極めて希薄になってしまったのだ。親などの「他人のせいにする傾向」は、子供や少年だけではなく一部の大人にも見られるが、これは精神的に自立できていない者ほどこの傾向が顕著である。自分の人生を自分で選択し、人生に責任を持つようになれば、他人のせいにできなくなる。
 私の弁護士としての仕事は、このような自分の生育環境を「反面教師」とすることから出発している。事件を起こした少年が、もし、他の価値観を持つ家庭で育っていればまったく別の人生があっただろうと思うのは、弁護士としての経験に基づく感想である。私は弁護士として、法律相談よりも他人の人生相談をすることが多いのだが、弁護士よりもカウンセラーの方が向いているのではないかと思うことがしばしばある。

 「家庭内暴力」という場合に、物理的な暴力だけが問題とされる傾向があるが、最近では「言葉の暴力」に関する法律相談が多く、激しい口論も物理的な暴力を加えることも、親子の確執という問題については本質は変わらない。
 30年くらい前の有名な祖母殺し事件(著名な東大教授の孫が、教育熱心だった祖母を殺して自殺した事件、)も同じ構図を持つ(本多勝一「子供たちの復讐」)。
 マスコミを騒がしたな連続幼女殺害事件の加害者は、祖父は町会議員、父親はPTA会長などをした教育一家で、加害者は小さい頃から友人と遊ぶことができず、中学校では「秀才」、有名進学校で挫折した経歴の持ち主である。
 佐世保の小学生殺害事件の加害少女も、大人並に管理され過ぎた小学生だった。
 開成高校生殺人事件は、家庭内暴力を繰り返す息子を父親が殺害した事件であるが、親の教育熱心さだけではなく、受験競争という子供の生育環境も大きく影響を与えている。その意味では、池田小事件も、学歴社会に対する強いコンプレックスが事件の背景にある。
 子供たちが離島で互いに殺し合いの競争をするという内容の小説「バトルロワイヤル」は、実に幼稚な内容であるが、自分の価値観を樹立できていない青少年や大人に対しては、真実味をもって大きな影響力を持つかもしれない。

 日本では、親子間の殺傷事件はあげれば切りがないくらい多い。親の言いなりになって育った子供が、40代、50代になって親に暴力を振るったり、親を虐待する事件を私はしばしば扱うが、殺人事件でなければ新聞に載ることはない。
 私は日常的に親子間の暴力事件やトラブルを扱っているので、「親子間の暴力や殺傷事件は当たり前」という感覚を持っているが、時々、そのような感覚の麻痺に自分でも驚くことがある。実はそれは「当たり前」のことではなく、動物的に極めて異常な現象なのだが、異常な事件が頻繁に起これば、人間の感覚が麻痺し、「異常なこと」も当たり前に感じるようになるだけなのだ。
 ある親子の例。30歳の息子が父親に対し日常的に殴る蹴るの暴行を加えていたが、ある時、父親がこれに反撃して息子の胸を包丁で刺したという殺未遂事件があった。私は父親の弁護人になり、父親、息子の双方から言い分を何度も聞いた。息子曰く「中学生の時に自分が学校でいじめられているのに父親は無視した。このことを20歳が過ぎてから思い出すようになり、父親を見るとなぜかむしょうに腹が立ち、父親を半殺しの目にあわせたくなる自分を抑えることができない」 父親は「中学生の時に息子が学校でいじめられていたので、心配し、いろいろ努力したが、改善できなかった。自分の力不足です。このままでは自分が殺されると思って反撃した。私が刑務所から出ても息子は自分を追いかけてきて、自分を殺そうとするだろうから、できるだけ長く刑務所に入っていたい」と言った。息子、父親ともごく普通の礼儀正しい社会人である。この息子は、母親には全く暴力をふるわないが、その理由は、「母親は自分を理解してくれるから」とのこと。
 家庭内暴力や非行を繰り返すある少年は、「小学生の頃、いつも父親から殴られていた。自分が中学生になった時、母親が自分よりも弱いことに気づき、母親を殴るようになった。その頃は、まだ腕力では父親に適わなかったが、高校生になってからは父親を殴るようになった」と述べた。しかし、少年が19歳になった時に、家庭内暴力はなくなった。「父親を殴るのが馬鹿らしくなった」とのこと。しかし、その代わりに少年は家の外で事件を起こすようになった。
 ある非行少年は父親に激しく反発し、父親が家庭裁判所での少年の審判の傍聴に来た時、「なぜ、オヤジがここに来たのか」と激怒し、裁判所内で大暴れした。
 両親の依頼を受けて、警察署に留置されている少年に面会に行ったところ、少年が「親に頼まれて弁護士が来たのであれば、会わない」と面会を拒否するケースや、少年が親との面会を拒否するケースは少なくない。神戸児童連続殺傷事件の加害少年も、逮捕最初は両親との面会を拒否していた。
 家出した少年を連れ戻して欲しいという、親からの相談が時々あるが、「絶対に、家に戻らない」という少年が多く、法律上、強制的に連れ戻すのは無理である。私には、家出した少年の気持ちがよくわかるので、少年が17歳くらいで働いているのであれば、親から離れて自立した方がよいと思うことがある。
 家庭内暴力を繰り返したり、親に激しく反発して非行を繰り返す少年は、親から隔離することがもっとも有効な解決策である点は、夫婦の場合と同じである。

 親子間で殺戮し合う高等哺乳類は人類くらいのものだろう。「獣にも劣る」ということだろうか。ただし、犬の親子を檻に閉じこめてストレスを与え続ければ、殺戮し合うかもしれない。そのうち、日本では、「また、子供が人を殺したんだって」、「あ、そう」という程度の受け止め方になり、誰も驚かなくなる日が来るのかもしれない(既に、私などはそういう感覚を持っている)。
 当然のことながら、子供がそれほど管理されず、ストレスの少ない国ではこの種の事件はまったくない。この種の事件が少ないのではなく、「まったくない」という点が重要である。この点を私はブータンを訪れた時に嫌というほど実感したのだが、日本との違いは、子供たちが伸び伸びと生活していること、親子の間の信頼や愛情があることである。親子の間の信頼や愛情は、本来、動物としての自然な感情のはずである。
 1859年にイギリスの駐日総領事として幕末の江戸に着任したオールコックは、当時の日本の子供について、「イギリスでは近代教育のために子供から奪われつつあるひとつの美点を、日本の子供たちは持っているとわたしは言いたい。すなわち日本の子供たちは、自然の子であり、かれらの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ、大人ぶることがない」(オールコック「大君の都」岩波文庫、出口光朔訳)と述べている。オールコックは、イギリスでは失われてしまった子供の美点を当時の日本で見たのだが、その美点は日本では、もう、失われてしまい、私はそれをブータンで見たのである。しかし、ブータンがやがて日本を真似て国づくりをすれば、それも失われてしまうのかもしれない。
 教育は、当然のことながら優れた人間を作ろうとするが、それ自体は間違ったことではない。問題は、ひとりひとりの人間の適性に合った方法で教育がなされるべきなのだが、日本では、ともすれば画一的な発想に基づいて型にはまった人間をつくる傾向がある。その前提には、大人自身が画一的な発想や、型にはまった価値観を持つ傾向がある。
 長男が中学校に入学して間もなく、担任の教師の家庭訪問があったが、その教師が最初に言った言葉が、「公立高校に入るためには、・・・・・」だったので、唖然とした。また、当時、「不良少年の夢」(義家弘介)という本が教育関係者の間で話題になっており、妻が義家弘介の講演を聴いたことがあるので、これを話題にしたところ、その教師はその本のことを知らなかったので、がっかりした。間もなく、その教師は精神的な悩みから学校を休職した。学校の教師自身が学歴偏重の価値観の呪縛から解放されなければ、よい教育はできない。
 
 現在は、社会的な状況から「親の愛情過多」が可能な時代であり、これが親の「過干渉」となり、子供にとって親の愛情を感じることができない状況をもたらす。「親の愛情過多」と「干渉」の要因としては、それがなければ子供の将来に幸福がないという認識がある。その前提としては、今の社会では親が子供に何かをしてやらなければ、全ての子供が将来幸福になれないという前提があるのだろう。
 現在は、親が子供にかまい過ぎて、子供の自然な成長を阻害しているのであるが、「親の愛情過多」を指摘すると、世の中の母親のほとんどは激しく反発をする。恐らく、それは動物的な母性本能でもあるので、親に対し、「塾に行かせるな」、「学歴を重視すべきでない」などと言っても仕方ない。「うちの子だけは」という親の思いが、結果的に全ての子供の激しい競争をもたらす。
 学習塾を認めないとか(先進国では日本のような学習塾はない)、ドイツのように法律で小学生の夏休みの宿題を禁止するとか、学力世界1のフィンランドのようにテストのない教育などの方法によって、競争社会の弊害が子供の教育に及ばないようにするのが政治の役目のはずである。しかし、日本では、いかに経済的利益を生むかが政治の役目になっており、その結果、何の理念もないままに無規制に大学や学習塾、私立学校を乱立させ、教育に競争を持ち込んできた。日本では、大学で勉強するにふさわしい者や勉強意欲のある者を大学に入学させるのではなく、大学が存在し、その経営を成り立たせるために学生を集めているに過ぎない。学生を集めているのではなく、入学金と授業料を集めているのである。
 同様に、日本では経済的利益のためには、理念も施策も何もなく無規制に何でも認めるので、先進国では考えられないサラ金が乱立し、多くの自殺者が出て社会問題化している。そもそも最初からサラ金を認可しないこと、高金利を認めないことが「政治」の役割のはずだったのだが、日本にはその点で「政治」が存在しなかった。

 教育熱心な親のもとで、子供のすべてが優秀な子供から優秀な大人になることが稀にあるが、多くの場合は、何人かに1人くらいの確率で出来の悪い子が生まれ、さらその中で特に「弱い子供」は事件を起こして法律事務所に持ち込まれる。今の社会は、優秀な子供を作る一方で、異常な事件を起こす子供も作りだしている。格差社会は、経済的格差だけではなく、子供の発達のうえでも格差を生み出している。異常な事件を起こす子供は排除すればよいという論理では、異常な子供が多くなりすぎ、異常な子供はやがて異常な大人になるという悪循環を生むだけである。このような悪循環はすでに始まっており、最近は本当に「おかしな大人」が増えている。今の「おかしな大人」は、20年前の「おかしな子供」が大人になっただけである。子供や大人の異常な事件は氷山の一角にすぎない。
 厳格で教育熱心な親のもとで、子供が家庭内暴力、非行、傷害事件、暴走行為、学校での暴力事件、いじめ、万引、家出、拒食症、神経症などのケースが何と多いことか。近代以前であば、子供の数も多いので出来の悪い子が家から追い出されて野垂れ死にしても、そういう人は存在したことすら歴史の記録に記載されることはなく、社会から抹殺されたのかもしれないが、現在ではそうはいかない。
 弁護士から見れば、「厳格で教育熱心な親と子供の非行」というパターンはうんざりするほど多いのだが、親の期待通りにいかなかった子供が凶悪事件を起こさない限り、周囲に知られることは少ない。家庭内暴力も、子供が何か事件を起こして初めて「発覚する」ことが多いのであって、親は家庭内暴力をできるだけ隠すので、通常は、学校や社会に知られることは少ない。しかし、子供が事件を起こせば、法律事務所に持ち込まれ、「もし、余りにも子育てに熱心なこの親さえいなければ、この子は違った成長をしただろう」と思うことが多い。そして、たいてい、そういう家庭では、兄弟のうち1人くらいは非常に出来のよい子供がいることが多いが、それはたまたま子供が「強かった」ケースなのだ。
 異常な子供の存在は凶悪事件を起こさない限り、プライバシーに保護されて人々に知られることはないが、弁護士は他人のプライバシーを聞かされることを職業とするので、このような実態をいやでも知ることになる。
 もちろん、「チャランポランな親と子供の非行」というパターンも多いが、いずれにしても、親のあり方が子供に大きく影響することは間違いない。私は離婚事件を多く扱っているが、両親が離婚する子供は不幸だが、不仲な両親のものとで子供が苦しむよりも、離婚した方がまだマシだろう。
 現在は、いろんな理由から「子供らしくない」子供が増えている。子供にとって自然とは、「子供らしさ」を意味する。大人にとって自然とは「人間らしさ」を意味する。「子供らしさ」とか「人間らしさ」は、その内容が明確でないから無意味だと主張する学者がいるが、そういう人は、たぶん、学校で「子供らしさ」や「人間らしさ」を実感できない秀才だったのだろう。誰でも、自分が体験したことがないことに価値を認めることはできない。

 自分の子供を虐待していると通報された親から相談を受けることがあるが、通常、親は、子供への暴力は愛情に基づく「愛のムチ」だと確信し、「虐待」と言われることにひどく反発する。他方で、物理的な暴力を振るわなくても言葉による叱責や干渉による「愛のムチ」が、虐待と同じ効果を子供にもたらすことがある。
 また、最近では、親や教師が何も言わなくても子供の方から親や教師の期待を先取りして自分を縛ってしまう子供が多く、そういう子供は学校では優等生であるが、大人になってから自分の本当の人生がなかったことを後悔することがある。私の大学の同級生の中に、小学生の頃から秀才と扱われ続け、大学に入ってからも「常に、他人よりも優れていなければならない」という価値観に苦しむ者が実に多い。そのような価値観は、親、学校、社会から与えられたものであって、本人が自ら悩んだ末に身につけたものではない。学校や社会で価値があるとされていることを自分の価値観にしてしまう習性が身についてしまうと、ある面では要領のよい生き方ができるが、自分の考えのほとんどは他人から与えられたものなので、どこからが自分の本当の考えや感情なのかがわからなくなることがある。こういう状況は、「自分が本当にやりたいことがわからない」状態と言ってもよいが、本来、「自分でやりたいこと」は、頭で考えて見つけるものではなく、「わかる」とか「わからない」というものではない。「自分が本当にやりたいことがわからない」状態は、まだ、頭の中で理屈で考えているのである。何かをやりたいという意欲、すなわち、生きるエネルギーは、人間的で自然な生活体験の中でしか生まれないような気がする。
 自分の人生は自分で選択すべきであり、自分の人生に責任を持つべきであるが、これは大人には当てはまるが、子供にそれを要求するのは無理である。したがって、子供に対しては大人の方で教育的な配慮が必要なのである。
 国の高級官僚が40代、50代になって家庭内暴力をふるうケースのあることが、既に30年くらい前から指摘されているが(本多勝一、「子供たちの復讐」)、少年の家庭内暴力と根は同じである。
 
 「現代の子供のストレスに対する免疫力が低下している」との指摘があるが、そうかもしれない。確かに、最近の子供は精神的にひ弱であるが、それを指摘してみたところで、ほとんど意味はないだろう。親の愛のムチを素直に親の愛情として感じることができるのは、恐らく、優等生的タイプの子供だけで、多くの子供(特に男の場合)は、親や教師の愛のムチは子供の人格を蹂躙する暴力でしかない。親や教師の暴力が激しければ激しいほど反抗的になる子供は必ずいるが、これは親や教師の熱意に反抗するのではなく、子供の人格が蹂躙されることに対する反抗である。私のように子供の反抗心が表に出て教師から徹底的に痛めつけられる場合はまだよいが、現代は子供自身が変質しているので、子供が反抗心を自分でも自覚できず無意識のうちに抑圧してしまい、それがある日突然爆発する場合は恐ろしいことになる。
 
 人間の自然な感性の欠如は、現代の人工的な文明と、その中で安易に競争を押し進めている教育にその原因があり、オウムを生み出したのは現代の日本の社会そのものだという点を深刻に受け止める必要がある。癌が人間の体内で発生し成長するように、オウムも日本の社会の中で生まれ育った思想である。今でも、潜在癌のように、別のオウムの芽が日本の子供たちの心の中に育ちつつあり、それが時々進行癌となって子供の凶悪事件として噴出する。進行癌の発生は多くの癌予備軍の中の氷山の一角でしかない。
 オウム事件が決して特殊な人たちによるものではないことを感じるのは、私が弁護士として大人や子供の異常な事件を日常的に扱っているからである。
 
 現在、次のような「現象」は珍しくない。
・親子間の殺傷事件や、親子間で刑事告訴をしたいという相談
・親子間で互いに慰藉料を請求し合う事件
・人間関係について慰藉料を請求をしたいという相談が多い。テレビでもこの種の番組が流行っている。
・精神的苦痛を受けたので慰藉料を請求をしたいというストーカーからの相談。池田小事件の加害者がそうであったように、ストーカーが弁護士に相談したり慰藉料請求をするケース.
・ストーカーは理屈を非常に好む。「彼女は絶対に間違っている。自分はその間違いを彼女にわからせたいだけであり、自分は正しい」と主張するストーカー
・恋愛問題や親子関係を法律で解決しようとする人たち
・利益になるかならないかが行動の価値基準の人たち。そういう人は、「自分がどうしたいか」ではなく、「どうするのが得か」という思考方法が身についている。
・あらゆることを金銭に換算して考えたり、「価値=有用なもの=経済的利益」という発想。これらはテレビ等の影響と利益至上主義の企業の価値観の影響か。法律はあらゆることを金銭に換算するので、このような考え方と法律は親和性がある。人間の価値、すなわち逸失利益の算定は、将来その人が生み出す経済的利益を基準になされる。
・「金のために人は平気で嘘をつく」ことは、弁護士の常識であるが、裁判の証人は、政治家以上に、法廷で平気で嘘をつく。かつては「嘘も方便」だったが、現在は嘘を正当化する理屈が簡単に考え出される。
・刑事事件の加害者が、「自分はむしろ被害者だ」と主張することは多い。
・いじめがあっても、「いじめられる方も悪い」と考える親や教師が、いまだにいる。
・道で出会った初対面の人をいきなりナイフで刺す事件。理由は「気分がむしゃくしゃしていたから」とのこと。これは前科のないサラリーマンの話
・「人を殺してみたい」という大人や子供がいる。
・友人と酒を飲んでいる時、いきなり友人に殴る蹴るの暴行を加えて殺害した事件。事件後、加害者は、「どうしてこんな暴行を加えたのかわからない」
・動機のない(解明できない)事件が増えている。
・親が教師、寺の住職、大企業の役員などの厳格な家庭に育った者の猥褻事件は多い。
・子供が他人に怪我をさせても、「子供がやったことを、なぜ親が謝らなければならないのか」と言う親がいる。
・他人に謝罪すべき時に、「弁護士に代わりに謝ってもらえませんか」という大人
・自分の意見や考えを言えない若者が多い。その理由は、「何を言っていいかわからないから」とのこと。「答え方を教えてください」と言う。
・「あなたはどうしたいのですか」と尋ねても、「わかりません」と言う人が増えている。
・「今の仕事を辞めた方がよいかどうか」とか、「私は離婚すべきでしょうか」といった類の法律相談は多いが、「そんなことは、自分で考えなさい」と返答する弁護士は嫌われる。
・最近は、結婚、離婚、就職など自分で決めることができない若者が多い。そういう人は、「自分は○○をしたい」という欲求がなく、常に、「○○するのが普通である」、「○○すべきである」という考え方をする。「普通はどうするのですか」、「どうすべきでしょうか」という相談が多いが、人生の選択に「普通」や「正解」はない。
・借金が増えた理由を尋ねたら、その大学生はしばらく考えた後で、「たぶん、金をたくさん使ったからだと思います」と返答した。バカか! しかし、この学生は学校では平均以上の学力の持ち主だった。似たような「現象」を、養老孟司が東大医学部の学生について書いていた。
・イエスかノーを尋ねても、評論家のような解説しか言えない若者たち。「あなたのことなんですよ!」
・教えられたことしかできない子供や大人が増えている。「教えてもらっていない」と言い訳する大人たち。
・やたらと正解を求めたがる司法修習生(裁判官、弁護士などの卵)。司法研修所のテストの後で、「この事件は有罪が正解らしい。無罪にした者は点数が低いぞ」という情報が飛び交っていた。
・日本の文化全体がマニュアル化する傾向。言われたことしかできない若者が増えている。そのうち「個性や創造性を身に付けるためのマニュアル」や「マニュアルに頼らないためのマニュアル」が出てきてもおかしくない。

 最近は、相談者の中に精神疾患のある者や人格異常者が多いのだが、それは世の中にそういう人が増えているからだろう(もっとも、精神疾患のある者や人格異常者の中には理屈でものを考える人が多く、そういう人は法律事務所と親和性がある)。
 こんなに多くの異常な事件があるのであれば、再び、オウムや池田小事件、神戸連続児童殺傷事件があってもおかしくはない」というのが率直な感想である。
 社会学者の佐藤敏樹氏は、「優しい社会」が自分の挫折を弱い者への加害に転化させることを指摘しているが、弁護士の経験から言えば、「厳しい社会」が、自分の挫折を弱い者への加害に転化させるのである。他人からいじめられた子供は、自分よりも弱い者をいじめる傾向がある。他人からいじめられた経験を持つことで、いじめをなくそうと心がける人は、一握りの優等生的な人であって、人間はそんなに簡単に聖人になれるものではない。
 格差社会は、自分よりも上の者に対する劣等感を生み、自分よりも下のランクの者に対する優越感をもたらす。親や教師は、子供に対し、無意識のうちに格差社会と競争社会の中で生きているだけの能力を身につけさせようとする。親や教師が真面目でればあるほど、熱心に子供を管理、訓練、矯正しようとするが、教育の内容はその子供の適性に合っているかどうかという観点から決められるのではなく、今の社会に必要かどうかという観点から画一的に定められる。したがって、教育の内容がその子供に合っていないことが起こりうるが、子供を無理矢理教育内容に適合させようとして、時々、異常で悲惨な事件が起こる。しかし、「競争社会では、子供の異常な事件の発生はある程度想定されることであって、仕方がない。その被害者は運が悪かったと思って諦める」しかないのが、現状である。「厳しい競争」、「人工的な価値観」、「不自然な子供の管理」に子供の異常な事件の要因がある。
 今の社会は、檻の中で子供たちを互いに競争させながら、厳しく躾けているようなものであり、檻の中の管理方法をいくら工夫してもほとんど意味がない。檻から出してやれば動物はどれほど喜ぶことか。
 今の日本の学校では、北欧諸国のように子供の個性に応じた教育の実現を期待できないので、子供らしさを失わないためには、競争社会や学校の価値観を無視するしかない。教育を学校や学習塾にまかせてはならないことになるが、しかし、大人自身に競争社会の価値観が自然に身についているので、大人自身が社会に影響されない自分なりの価値観を確立する必要がある。
 
 長男は学校では勉強ができず、自由奔放な性格はいつも教師からひどく毛嫌いされるのだが、長女はいつも教師から「心配になるくらい」よく褒められる。
 長女は、小学校、中学校の担任の教師から、「いつも、クラスをまとめてくれるので助かる」と言われ続けてきた。同級生からの信望も厚く、毎年、クラスの女子全員から年賀状が届き、年賀状には「昨年は、いろいろと助けてもらってありがとう」などと記載されていた。長女は他人の世話をするのが好きらしく、クラブの部長をしていた。学校の成績も内申も評価がよく、高校には推薦入学をした。自分で言うのも気がひけるが、長女はぶっきらぼうで愛想のない私と余りにも似ていないので、たぶん妻に似たのだろう。
 私の経験から言えば、教師から余りに褒められ過ぎることは、ろくなことにならない。私の場合、中1までの問題児が、中2の時には、担任の教師から、「どうしたらそんなに勉強ができるようになるのかしら」とベタ褒めされ、異常なくらい贔屓にされた。勉強ができるかできないかという、たったそれだけのことで、教師からの「待遇」と学校における自分の「地位」が激変したために、自分の価値観とその後の人生を狂わせる結果となった。
 他方で、長男は、長女の正反対のイメージがだいたい当てはまる。教師から嫌われるのも、理解できないこともない。ただし、長男のよいところは友達をつくる能力に優れていることであり、この点に私はいつも感心しているのだが、残念ながら、この点は学校ではいっこうに評価の対象にならない。「レッテル」を貼るとすれば長女は「優等生」、長男は「問題児」である。姉弟でこれほどまでに違うのも不思議だが、それぞれ個性的で面白い。遺伝子の組み合わせが、どこでどうなったのか。
 学校や教師に子供の個性を理解できるだけのユーモアがほしいものだ。個性を理解できず個性的でもない教師が、子供の個性に寛容ではないのは当然かもしれない。これは,小学校の頃「問題児」とされ、あらゆることに画一的な日本の学校や教師にどうしても馴染めなかった私自身の体験でもある。小学校の頃、私はクラスでもっとも教師から殴られた生徒だったが、私が不登校にならなかったのは、私がそこまで「弱く」なかったからだろう。私は、毎日学校に行くのが苦痛で仕方なかったが、「教師に叱られるので学校を休む」ことは余りに悔しいし、友人と遊ぶことがそれ以上に楽しかったので、学校に行っていた。しかし、今でも教師からの暴力が「トラウマ」になっていて、何ごとでも「教えてもらうこと=叱られる」という本能的な恐怖を感じてしまうが、恐らくこれは死ぬまで変わらないのだろう。
 「人生は短いのだから、自分のやりたいことをやればいい」、「常識は破るためにある」、「小学校では学校の勉強はほどほどにして、外で友達と遊べ」などと子供たちに言っている間に、長男はずいぶん変わった子供になったようだが、それも個性である。

 長男が鬱病になった時に、長男を学校の価値観に無理矢理適合させようとしたことに無理があったのではないかと思った。学校の教師から親にどんなに苦情が出ようと、長男は人一倍自己主張と自我が強いので、長男のペースで生きるしかなかったのではないか。長男は強い自己主張と他人から強制される価値観の葛藤のために鬱病になったのではないか。
 私は子供を完全に放任しており、「学校の規律について、それが今できなくても、10年後にできればよい」という考え方を持っているが、このような考え方は学校の教師から、「それは教育の放棄である」と轟々たる非難を浴びる。しかし、かつての私のように精神的な発達の仕方が独特である子供はどこにでもおり、それでも、5年、10年と経つうちに次第に社会に適合できるようになってくる。ひとりひとりの人間の発達の仕方はみな異なるのだが、日本の学校はそれを画一的に処理しようとし、皆と同じようにできない子供は学校から非難の集中砲火を浴びる。私が長男を放任したことで、結果的に、長男が学校の価値観に翻弄される結果になったのではないかと思うことがある(ちなみに、妻は小学校の教師であり、子供の教育に熱心である)。
 学校の規則を守らないことが、人間にとってどれだけの価値を損なうというのか。ドイツの小学校では、「規則のない学校が理想です」と言った教師すらいる。かつての私のように、授業中に少しふざけただけで、なぜ、教師から引きずり回され5〜6回も殴られなければならないのか。「規則を守る」とか「授業中ふざけない」ことよりも、教育にはもっと大切な中身があるはずだ。しかし、「規則を守る」、「授業中ふざけない」、「教師の指示に従う」ことは、「勉強のできない者や弱い者を見下す」ことよりも大切だと考える教師は多い。
 東大の学生の中に、「勉強のできない者や弱い者を見下す」者が非常に多いが、彼らは、小さい頃からの競争の中でそういう考え方が自然に身についてしまっている。「強い者が勝ち、弱い者が負けるのは自業自得」という考え方は、最近は「自己責任」という標語で政治のうえでも流行しているが、それを当然と考える学生は、どちらかと言えば権力志向が強く、高級官僚になる者が多い。彼らが「規則を守る」のはその方が得だからであり、何かと都合がよいからである。したがって、法律に違反してもそれがバレなければ、平気で汚職や職権を濫用するようになる。
 
 私は子供たちに、「人間の弱さ」を理解できる人間になってもらいたいと思っている。それは、「弱い者を助けるべきだ」といった日本的な情緒に基づく博愛主義からではなく、「人間は強さと同時に弱さを合せ持っている」という当たり前の人間性の理解が、生きていくうえで必要だと考えるからである。そして、人間が生きていくうえで、程度の差はあってもいろんな困難があるのであって、そういう状況で生きていく力が生命力である。困難を克服することができる人もれば、できない人もいるが、それでも人間は生きていけるだけの生命力が本来備わっているはずである。
 野生動物が生きていくうえで多くの困難が待ちうけているが、それでも本能的に生きようとするのが野生動物の本能的な生命力であり、人間も同じはずであるが、そのような野生の本能が現代社会では失われる危険が生じている。人間の出生率の低下は社会的、経済的要因があると同時に、生物的な意味で人間の能力の退化現象が生じているのではないだろうか。
 しばしば、学校では、「努力すれば必ず報われる」とか、「みんなで頑張りましょう」と言うが、この言葉には欺瞞がある。世の中にはどんなに努力してもうまくいかないことは、いくらでもあるし、人間に能力の差があることは明かである。努力によって超えられる能力の差と、努力によって超えることができない能力の差がある。どんなに努力しても、野球少年の全員がプロ野球の選手にはなれない。また、競争社会では、全員が同じように頑張ってもやはり勝者と敗者が生まれるので、「他人よりも頑張る」ことが要求され、他人が頑張ればそれ以上に頑張ることが要求される。「みんなで頑張りましょう」と言う時、頑張る者と頑張らない者が出てくることが当然に予定されており、その結果、「頑張った者」は「頑張らなかった者」を追い越せることになるだけなのだ。「みんなで頑張りましょう」という言葉が、ひとりひとりの子供の内面の価値の実現を意味して用いられているかというとそうではない。なぜなら、そこでは頑張る対象が、テストや宿題、指導要領の達成項目など学校が与える画一的な課題が設定されているからである。
 しかし、他方で、常に報われるとは限らないが、努力することは大切である。なぜなら、自分の意思で困難を切り開いていくという過程に意味があり、それは人間が生きていくうえでの自己実現そのものだからである。「努力すればどんな夢でも必ず実現できる」と言うことは間違いだが、「自分に合った夢を見つければ、努力すれば自分の夢を必ず実現できる」のである。
 自分の内面の価値を実現していくことが大切なのであって、これは日本的な「頑張る」こととは違う。「頑張る」という言葉は、一定の目標や成果をめざすという意味が強く、一定の価値基準にしたがってその人の行動を判定しようとするが、他人から評価されることは個人の価値の実現にはほど遠い。仮に、努力した結果がうまくいかなかったしても、人間や自然は本来そういうものであり、結果そのものにはそれほど大した意味はない。自然は、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあるものなのだ。病気なども、そういう面がある。
 自己実現の過程で最大の障害は「言い訳」である。人は、自分の思い通りにいかない時に、しばしば、自分で自分に対し言い訳をする。たとえば、「自分には能力がないからできない」、「彼は頭が良いからできるが、自分はそうではない」、「自分は運動神経が悪いから」、「身体が弱いから」、「金と暇がないから」、「学歴がないから」、「上司が認めてくれないから」、「親が勉強させてくれなかったから」などの「言い訳」あるいは、「逃げ道」を心の中に用意する。そして、自分の努力が足りないことを正当化する。中には「運が悪いから」とか「社会が悪いから」、「自分には意欲がないから」などと言う者までいる。
 しかし、自分の「やりたいこと」を見つけることができた者は、このような言い訳をしないものだ。なぜなら、自分の「やりたいこと」をすること自体が目的なので、できないことの言い訳を考える必要がないからである。

 恐らく、教育には「正解」は存在せず、ひとりひとりの子供に応じて多様な内容を持つものであり、ルソーが「エミール」の中で書いたように、ひとりひとりが模索すべきものなのだろう。

 人間が自然であることの大切さは老子やルソーなど古今東西で古くから言われているが、これは人間が自然性を失っているからこそ出てくる言葉である。そういう言葉が出ること自体、古代都市国家の人工的な文明の発生とともに人間の自然性に対する危機感が生じたことを意味している。「自然」という概念は、「不自然」があるからこそ認識できるのだ。
 人間が自然性を失うことさえなければ、生きる力は本来動物としての人間に生まれつき備わっているものだから、生き生きとした人生を送れるはずである。そして、充実した生命力は幸福のもっとも重要な前提となるものである。しかし、現在、人間は余りに余計なことを考えすぎて、自然な生き方ができず、生きる力を失ってしまうことがある。「私は樹木の自然の天性にしたがい、木の成長を妨害していないだけのことです」という中国の植木職人の言葉は意味深い。
 癌という病気になってみれば、人間は生きているだけで、十分に幸福になれることを感じている。
 
(「今」という時間を生きる)
 以前は、「自分が生きている間にそれなりのことをして、後世に何かを残したい」という気持が強かったが、今では、人間が生み出すものは所詮いつかはすべて滅ぶのだから(地球自体がいつかは消滅する)、生きている間にどれだけ充実した時間を過ごせるかが大切だと考えるようになった。地位、名誉、財産などをあの世に持っていけるわけではなく、死後何百年も経てばそのほとんどは人々の記憶から消えてしまう。そんなものよりも、「今」という時間の方がよほど大切だ。「人は死ねば、皆、ゴミになる」と書いた人がいたが、ゴミどころか最終的には全て原子、分子に分解され、大地に帰って植物の栄養となり、そして動物のエサになり、動物は人間のエサになる。そんなことを星野道夫や27歳で遭難死した登山家松濤明が書いている。
 セネカも言うように、人生は漫然と生きるには余りにも短いが、充実した時間を過ごすには十分な長さがある。自分のやりたいことをすべてをやろうとしたら、人生はあっという間に終わってしまう。今後は、残された自分の人生の時間で本当にやらなければならないことは何かを考えなければならない。「ゆっくり、急げ」これも50代で亡くなったある作家の言葉だが、今はそんな気分である。
 癌になってからと言うよりも、長男が鬱病になってから感じることだが、幸福とは何も悩みがなく平穏な気持でいる状態ではなく、不幸な状態の中にも幸せがあるのだと思うようになった。つまり、人間は何も思い患うことがないことはほとんどありえないのであって、いつも何かしら悩みや不幸を抱えているものなのだ。そういう状態にあっても、何かの機会に心の安らぎを覚えることがあるが、幸福とはそういうものではないかと思うようになった。不幸があるからこそ、幸福を感じることができるのだ。長男の病気の改善の兆しが見えない期間が続いていたころでも、長男の体調が良い時には長男とほんの少しだけキャッチボールをすることがあった。他の小学生たちが賑やかに登校している時間帯に、時々、私は出勤前に自宅の前の道路で長男とキャッチボールをすることがあった。散歩にしろ、キャッチボールにしろ、体調のよい時でも、5分もすれば長男は疲れ果ててしまうのだった。しかし、そういう時、心なしか長男の顔の表情が和らいでいるように見えて、ふと、これが幸せというものではないかと思うことがあった。長男は他の子供のように、学校に行ったり走ったり元気に遊ぶことができないが、それでも、親子の間の愛情は変わらないのだという想いがそこにはあった。
 長男はそれなりに元気に生きており、私もすぐに死ぬことはなさそうなので、私は今とても幸せを感じている。自分が幸福を感じるのは、たとえば、家族で食事をしたり、テレビを見たり、犬の散歩をしたり、ランニングをしたり、本を読む時など、日常生活のなにげない行為の時に、ふと、「ああ、自分は、今、生きている」と思う時である。思い切り呼吸をし、酸素を肺に吸い込むことができること、これ自体が身体の細胞、遺伝子、神経系統等のバランスが保てなければできないことであり、自然界が与えてくれた何よりの賜なのだ。

(幸福は平凡なもの)
 私が癌になって以降も、日常生活の端々で幸福を感じることがあるが、それは基本的に「食べることができる」、「歩くことができる」、「呼吸ができる」といった程度の幸福感である。そういう時の幸福な感覚は本当に取るに足りないちっぽけなものだが、それがひどく貴重なものに感じられることがある。「呼吸ができる」ことがどれだけ素晴らしいことなのかを、私はヒマラヤの7000メートルの薄い酸素の中で初めて実感した。何もかも満たされた平地での生活では、人間の肺の機能を実感することは少ないが、病気になることによって実感できる場合がある。私がかつてヒマラヤの7000メートル峰に初登頂した時の高揚した時に感じた至福感も、今こうして穏やかな呼吸ができることで感じる幸福感も、自分にとってそれほど大きな違いはない。社会的地位や金銭を得たり、りっぱな業績を残したとしても、日常生活を生きている幸福を感じることができない人は、限りなく不幸である。幸福の価値は、それが自分の心の中で持つ意味によって測られるのであって他人との比較の中で測られるものではないのだ。
 私が子供たちに望むことは、
 @生きていることを楽しいと感じること
 A友達と仲良く遊ぶことができること
 B自分で考え自分の意見を言えること
 C自分のやりたいことがあること
という「たったそれだけ」ことであるが、これらは、今の日本では、子供だけでなく大人にとっても途方もなく実現が困難なことなのかもしれない。
 私の大学の同級生には、小さい頃から優秀だった者が多いのだが、子供の頃、友達と無邪気に遊ぶことができなかった者が非常に多い。大学の時、友人が、「今までで一番嬉しかったことは大学に受かったことだ」と言ったので、つくづくかわいそうな奴だと思ったことがある。もっとも、私がそれまでに一番嬉しかったことは、「大学に入って親の家から離れたこと」なので、似たようなものかもしれない。
 豊かな人間的経験をしていない人は、その人にどんなに知識があっても、貧弱な思想しか生まれないものだ。哲学とか思想、理論などは理屈で考えればどうにでも言えるものであり、その根本にある価値観はその人の人生経験を通して生まれることが多い(もちろん、例外はある)。
 私の長男が鬱病に罹った時、友達と遊ぶことができなくなったが、今では非常によく遊ぶので、その遊び方にいつも感心している。子供は遊びの天才であるが、大人になるということは、子供時代の遊びの才能を失うことでもある。サン・テグジュペリが言うように、大人はみな自分が子供だったことを忘れてしまうのだ。友達と遊べることは、人間関係を作れるということであり、これが社会性や生きるエネルギーのもとになる。人間は社会的な動物なのだ。
 「食う、寝る、遊ぶ」だけでは獣と同じではないかと言われるだろうが、現在では、それが満足にできない子供や大人が増え、親子間の情愛の欠如という獣以下の現象は珍しくない。人間が病気になれば、「食う、寝る、遊ぶ」ことが十分にできなくなるのだから、「食う、寝る、遊ぶ」ことは、人間が幸福になるために最も大切なことである。養老孟が、小学校で、「子供が毎日朝食をきちんと食べる」ことを教えるべきだと言うのは当然だろう。
 それと同時に、小学校では、遊べない子供に「遊ぶことを教える」ことが必要な時代になってしまったような気がする。ここでいう遊びはテレビゲームなど機械を相手にした遊びではなく、子供同士の人間関係の中での遊びである。凶悪事件や異常な事件を起こした子供や少年は、例外なく、他の子供との人間関係の中で遊ぶことができなかったという共通性がある。ちなみに、テレビゲームなど機械を相手にした遊びは、凶悪事件や異常な事件を起こした子供や少年が、ほとんど例外なくそれに熱中する傾向がある。猿学者の河合雅雄が述べるように(「子供と自然」、「森に還ろう」など)、できれば、自然や動物と触れ合う遊びが好ましい。そのためには、教師自身が「遊び」を知っていることが必要である。ちなみに、今の大人は遊びと言えば、だいたい、夜のネオン街を練り歩くとか、遊興施設を利用するとか、ゴルフなどを意味し、「遊び=金を使うこと」という傾向が強いが、遊びそのものが市場経済に支配されパターン化されてしまっている。これでは遊びは面白くない。本来、遊びの本質は人間の創造性を発揮する点にあるはずで、この点は子供の遊びを見れば一目瞭然である。
 私が以前訪れたブータン(ヒマラヤの山麓の小さな国)では、ほとんどの子供が「食う、寝る、遊ぶ」ことを実現できていた。多くの発展途上国では、貧困のために「食べる」ことができない子供が多いのだが、ブータンは豊かな農業国なので基本的な衣食住は満たされている。ブータンの人々は子供の凶悪事件や非行を想像することがでどうしてもできない。自分たちが経験したことがないことを連想することは困難であるが、日本もかつては、どんなに貧しくても子供達が生き生きと創造的に遊ぶことができた時代があったのだ。
 遊ぶことができなかった子供は、やがて、遊ぶことができない大人になる。

 もし、子供が20歳までしか生きることができない運命だとすれば、何をすべきだろうか。生き方は子供自身の選択に任せるとしても、その20年間が子供にとって心から、「生きていて良かった」と感じられるような人生でありたいと思っている。また、子供の人生が、運、不運の違いがあるにしても、子供が「この親の子供に生まれて良かった」と思えるような親でありたいと思っている。

 現在は知的能力によって格差が生まれやすい社会構造になっているので、勉強面での競争に加わらないと社会から取り残されてしまうという不安が社会に充満している。確かに、「生きていくうえで学力は必要である」という意見は間違いではない。しかし、それ以上に、生きるエネルギーや何かをやりたいという意欲の方がよほど大切である。デンマークなどで「生のための学校」が生まれたのもそのような理由からである。学歴よりも、社会に出てからも勉強意欲が旺盛で研究熱心な人の方がよほど企業や社会に貢献できる。このような意欲は、競争ではなく人間の生きるエネルギーによって生まれるものである。

 日本で、「何もしないこと」が否定的に考えられるのは、「何かをしようという意欲がない」ことが否定的に考えられるからであるが、そのような考え方の前提には、「人間は何かをすべきである」という価値観がある。そこで言う「何か」とは「社会の役に立つこと」が想定されているが、それ自体がと特定の価値観に基づいている。そして、「社会の役に立つ」かどうかは、自分が決定するのではなく周囲の価値観に左右されるのである。
 登山や個人的な冒険のように、社会的生産に寄与しない行動は、日本では、通常、「社会の役に立たない」ものとされ、非難の対象となる。危険性のない登山は「健康によい」というメリットがあるので、賞賛の対象となるが、危険な登山は「無意味なもの」とされる。しかし、このような登山や個人的な冒険も、「世界初」などのタイトルがつき、マスコミで取り上げられると、植村直己のように途端に「国民的英雄」扱いされる。植村直己はまともに働いたことはなく(フランスでスキーができないのに相手を騙してスキー場でアルバイトをしたことがある)、外国への密入国や不法就労をした道楽者でしかなかったのだが、その冒険をマスコミが取り上げると、植村直己の行動が賞賛されるようになった。植村直己のように「まともに働かずに自分の道楽をする人間」は、日本の学校や企業にとって「もっとも見習ってはならない人間」だったのだが、彼が有名になると、学校や教育関係者、企業がこぞって講演の依頼をした。そこには植村直己の冒険精神を教育や企業活動に生かそうという功利的な意図があるのだが、本来は、植村直己の生涯は日本の教育制度や企業活動を真っ向から否定するものだった。他方で、植村直己の冒険を利用することで経済的利益を得ることができるので、企業は、植村直己の冒険精神を理解できなくても、植村直己のイメージを最大限に利用した。日本で植村直己の冒険精神が共感を得て評価されたのではなく、単に彼が「有名になったこと」が評価されただけのことである。
 また、堀江兼一がヨットで太平洋を横断した時、当初、日本の世論はその無謀な行動を非難していたが、堀江兼一がアメリカの人たちから英雄として迎えられ、世界中で「快挙」として賞賛されると、日本の世論やマスコミは急に「英雄」扱い一辺倒に変わった。それは、世界の流れから取り残されてはならないという意識からなのか、堀江兼一を企業の宣伝活動に使えば利益を得ることができることに気づいたからなのだろうか。日本という国は実に不思議な国である。
 現在でも、植村直己や堀江兼一のような冒険を行っている者はたくさんいるが、マスコミ受けしないために、企業からも教育関係者から見向きもされず、相変わらず「社会の敵」扱いされているのが実情である。しかし、彼らも、日本以外の国で大きく評価されていることが日本に何かの拍子に伝わったりすれば、日本でも突然「国民的英雄」になる可能性はある。
 もともと、日本では冒険や探検はほとんど評価されないのだが、それは、日本では個人の価値観に基づく行動が評価されず、社会の価値観に従った行動が評価されるからである。そして、日本の社会大勢を占める価値観は、何らかのメリットや利益を生むものが尊重されるという功利的、打算的、即物的な傾向がある。かつて日本人が外国からエコノミックアニマルと呼ばれたのは、全く根拠がないわけではない。
 しかし、社会が進歩するためには社会的な価値観は変わっていかなければならず、そのためには既成の価値観とは異なる新しい価値観の誕生が必要である。そのためには、社会や周囲の価値観に左右されることのない個人の価値観が尊重されなければならない.


(他人との関わり)
 癌になってから、「人間は家族を含めた多くの人との関わりの中で、多くの人の援助を受けて生きている」ということを感じることが多くなった。当たり前といえば当たり前のことだが、癌になる前は、1人の人間の力を過信し過ぎる面があったような気がする。癌になってみて、改めて、家族や病院の関係者の援助と努力のおかげで、自分の命が存在していることをありがたく感じている。健康な間は、自分で何でもできるとしても、病気になればそうはいかず、他人に頼るしかない。「家族のために頑張る」などという大袈裟な考えはないが、もし、私に妻や子供がいなければ、病気になった時にもっと侘びしい気持になっただろう。自分が健康な時は聞き流してしまうような、病院のスタッフの何気ないひとことが、私の心の中に暖かい自信と勇気をもたらしてくれたことが何度もあった。そのような言葉をかけた病院のスタッフは、その点をそれほど意識していなくても、人が考えていることや気持は自ずから言葉や態度に表れるものである。
 また、癌になって、自分が今まで自分の健康に関して傲慢過ぎたことに気づいた。今まで、それなりに運動をし、健康を維持してきたが、食生活に関しては全く注意していなかった。食べたいものを食べても、暴飲暴食をせず、タバコを20年前にやめ、運動をしていれば健康でいられると考えてきたが、現代の欧米風の平均的な食生活そのものが必ずしも自然なものではないのだ。もちろん、食べ物に気をつけていれば癌にならないというものではないだろうが、自分なりに「最善の努力」をしてきたとは言い難い。今後は、食生活に最大限の注意をしようと考えている。


平成17年12月
(久しぶりの仲間と登山)
 所属する山岳会のハイキングにハナを連れて参加し、5時間歩いた。
 私にとって7月に2日間フリークライミングなどをして以降の例会参加である。7月の時は私は生検の直前だったが、自分が癌だと半分は確信していたので、ひどく気持ちが沈んでいた。
 
 4か月前のあの時、そこは人里離れた静かな海辺の岩場で、午後になると余りに暑く、クライミングどころではなくなった。午後は、皆、海に入って泳いだり、貝採りをした。
 燦々と照りつける夏の陽光が海に降り注ぎ、海は青く、そして深く輝いていた。私はぼんやりと海を眺めながら、海の青さは輝くものなんだなと思ったりしていた。透き通るような青い空の中に、つい先ほどまで私たちがクライミングをしていた赤茶けた岩壁が聳えていた。この暑さの中で、まだ、その岩壁にへばり付いているクライマーの姿があった。ここがあわただしい日本だとは思えないようなのんびりとした時間と空間がそこにはあった。まさに至福のひととき。ただ、病気に対する不安だけが、心の中で不気味に蠢き、私の感情を攪乱していた。
 海ではしゃぐ若者たち(中には若者ではない人もいたが)には、まぶしいばかりの健康があった。健康は、頭で考えるものではなく、人の目で見、肌で感じるものなのだ。私も皆と一緒に泳いだので、知らない人から見れば私も健康そのものに見えただろうが、実際には癌という死の病に犯された生の世界の部外者だった。しかし、それは仲間の誰も知らない私だけの秘密だった。その時、私は、自分が生きていることや健康からひどく遠ざかってしまったことを感じていた。自分の中の健康と非健康の見事なまでのアンバランス。つい数か月前まで私がいた世界は既に遠く離れてしまい、もう後戻りできないところまで追いつめられた私は孤独だった。
 その夜は知人の家で地元の大学生もやってきて盛大な宴会となったが、これも私にとって気分的にけっこうつらいものがあった。
 そして、その後の私には余りにも多くのことがあり過ぎて、一気に何年分もの経験をしたような気がする。あの時からまだ4か月しか経っていないということが、どうしても信じられない。4か月間、私の時間は止まっていたような気がする。私だけがある日突然周囲の世界から切り離され、タイムスリップして余所の世界に連れ去られ、癌という烙印を押されて、また戻されたような気分がする。元の世界に戻ってみれば、以前と変わることのない山と仲間がそこにいた・・・・・・・・いったい、何が変わったというのか。何ひとつ変わっていないではないか。変わったのは私の心だけなのか? しかし、現実には私は癌患者であり、以前のような「癌に罹患していない」状態ではなく、住んでいる世界が前とは異なるのだ。
 
 ハナは山登りに慣れているので、尻尾を振りながら元気よく歩いていた。ハナは誰にでもすぐに尻尾を振ってなつくので、皆に可愛がってもらった。
 私が入院していたことは皆知っているが、病名までは言っていなかった。前立腺癌だと言っても、私が以前とまったく変わりないので、どうやらピンと来なかったようだ。
 ずいぶん久しぶりに登山をするような感じがしたが、僅か数か月ぶりの登山である。歩いている間に、忘れかけていた以前の感覚を次第に思い出していた。「何だ、ちゃんと歩けるじゃないか」 
 隠していた自分の能力を他人に見つけられた時のような気恥ずかしさと、忘れていた過去の懐かしい宝物を発見したような喜びに耽りながら、私は歩いていた。極めて単純な、ただ歩くという行為は、何と多くの人間の複雑な器官と神経の神秘的な混じり合いの結果なのだろうか。人間の呼吸のひとつひとつ、人間の器官のひとつひとつ、人間の細胞のひとつひとつが、人智を超えた不可思議な自然の神秘の創造物であり、生命が織り成す美しい調和の物語なのだ。この点はハナも同じである。犬も、その俊敏な何気ない動作のひとつひとつが生命の神秘の結晶なのだ。

平成18年4月29〜30日
(春山で山スキー)
 新潟県の火打山(2462m)に登り、山スキーをする。積雪はまだ5〜6mあった。癌のことを忘れたわけではなく、「自分が生きていることを確認する」ために火打山に登ったのだ。大自然の中で、全身を使って、荷物を担ぎ、登り、呼吸をする時、自分の心臓と肺と筋肉の動きと血液の流れを実感できる。自分が生きていることをもっともよく感じるのは、こういう時である。
 1年前の5月連休は、小窓尾根から北アルプスの剣岳に登ったのだが、ずいぶん遠い昔の出来事のように感じる。
 スキーにシールをつけて火打山の山頂まで登り、一気に滑降してテントまで下りて、燦燦と降り注ぐ春の陽光の中でのんびりと白銀の山々を眺めていると、つい眠気が襲ってくる。何ものにも煩わされない至福の時間。初めてのヒマラヤ遠征は15年前のことだったが、ベースキャンプで今と同じように全てのことを忘れてのんびりとした時間を過ごしたことを思い出した。こういう時に感じるのは、「今、自分が生きているという至福感」である。
 恐らく、人間にとって幸福はほんの一瞬のことでしかないのかもしれない。もし、いつも幸福な状態が続けば、人間はそれを幸福だと感じることができなくなるのではないだろうか。それに対し、人間が不幸を感じる時間は何と長いことか。どんなに不幸な状態の間でも、幸福な時間をほんの一瞬でも感じることができるから、人間は生きていくことができるのではなかろうか。
 「幸福を感じる」と言えば、何か「幸福」というものが存在し、それを感じるように思えるが、そうではない。「幸福を感じる」かどうかは、自分の心の状態にほかならないのだ。「幸福」を自分の外に探し求めることは、メーテルリンクの「青い鳥」探しになってしまうのだろう。幸福は、人間の日常的な生活の中で、たとえば、犬と遊んでいるひとときとか、家族との団欒の時とか、本を読んだり映画を見て感動した時とか、友人との何気ない会話だとか、庭に植えた野菜が収穫できるほどに成長しているのを眺める時などに、感じることがある。そういう感覚はほんの一瞬のことでしかないが、誰でも日常生活の中でどこかにそういう一瞬があるはずであり、それが幸福というものなのだろう。

 しかし、そのように思っていても自分が癌患者であることが、時々、思い出され、癌が再燃するかどうかという不安がもたげることがある。

平成22年11月(手術後約5年)
 もう、5年。まだ、5年・・・・・
 癌になった者にとって、5年という年月は特別の意味を持っている。

 私の長女ともっとも仲のよかった親友は12歳の時に脳腫瘍になり、1年後に亡くなった。その家族は、離婚、破産、弟の不登校などの経過をたどった。私の長男は12歳の時にうつ病になり、学校に行けなくなった。長女と長男の仲のよかった別の友人の父親は、最近、食道癌で49歳で亡くなった。癌がわかってから半年後の死だった。本人は、おそらく、自分が49歳で死を迎えることについて心の整理がつかないまま、気持ちが混乱したまま死を迎えたのではないか。私と同じ年齢で癌が発見されたが、彼は発見が遅く、私は発見が早かった。
 私の父は57歳で骨髄腫で亡くなった。私の親友の弁護士は、弁護士になって数年後に躁病になり、弁護士を廃業した。ある弁護士は30歳で白血病で亡くなった。私の事務所の事務員の母親は46歳で膵臓癌で亡くなっている。私の義姉は40代で乳癌が発見され、現在、治療中である。その兄は50台前半で前立腺癌になった(父親は前立腺癌で死亡している)。私の親族のうち男性は、ほとんどが50〜70歳で癌で死亡している。男は早死の癌家系である。60歳でC型肝炎で亡くなった知人。毎年、何人もの裁判官が過労自殺している。弁護士の自殺やうつ病、過労死は多い。日本では毎日、90人近い人が自殺している。 
 神戸の震災や秋葉原事件の被害者など、災害や災難はどこにでもある。
 不幸はどこにでも存在し、身近なところに潜んでいるのだが、多くの人はそのことに気づかないか、あるいは、そのことについて考えることを意識的に避けている。  
 
 しかし、13歳で亡くなった私の長女の親友の家族は、その後、離婚、破産という経過をたどったが、自宅は競売にならず、家族は元気に生活しているようだ。亡くなった女の子の弟は、現在、元気に野球をしている。
 私の長男は、鬱病からの回復に数年かかったが、現在は元気に大学に通っている。49歳の父親を食道癌で亡くした一家は、その後、家族で励まし合って生きている。私の父が57歳で亡くなった時、経済的にも精神的にも家族への影響はほとんどなかった。躁病になり弁護士を廃業した友人は、それから20年間、障害年金で生活している。46歳の時に母親を膵臓癌で亡くした女性は、今では、結婚して2児の母親である。私の親族のうち女性は、だいたい90歳近くまで生きおり、女性は長寿の家系である。癌になった私も、55歳の今、ちゃんと生きている。これは幸運なことだ。
 こうしてみると、不幸なこともあれば、幸運もある。
 
 「今、生きている」ことがすべてであり、生きていることは幸運である。今の「生」をよりよく生きることが大切なのだ