入院・手術


平成17年9月13日
(手術前の検査)

 

 D大学病院外来で、手術前の検査を受ける。心電図、肺機能、血液検査、尿検査
K医師から手術の説明 (この時の検査結果は、PSA 6.55)


平成17年9月21日
手術前の説明・勃起神経の温存について)

 

 D大学病院外来で、痲酔科検査、診察、手術の内容等の説明
 K医師 「 一部に低分化癌があるので勃起神経ごと前立腺を切除した方がよい」、「神経温存手術の適応対象は、グリーソンスコアが6以下で、かつ、癌が前立腺片側に限局している場合です」
 私の場合には、癌は片側にしかないが、グリーソンスコアが7なので、条件を満たしていない。勃起神経は前立腺の皮膜のすぐ傍を通っており、癌が前立腺の皮膜を浸潤している場合には、勃起神経付近まで癌が浸潤している可能性がある。癌が前立腺の皮膜に浸潤している可能性があれば、根治のためには勃起神経ごと前立腺を切除した方がよいのである。
 私、「生検で癌が発見されていない右側の神経を何とか残せませんか」
 K医師「生検で癌が発見されていなくても、低分化癌の場合、両側に癌がある可能性があり、神経を残すことで癌が再燃する可能性があります。ただし、どうしてもということであれば、神経を温存できないこともないが、その場合には、癌が再燃する危険を覚悟しなければなりません」
 このように言われれば、どうしても神経を温存してほしいとは言えなくなる。私は「できれば神経を温存してもらいたいが、もし、そのために予後が悪くなるのであれば、神経を切除するのもやむを得ない」と考えていた。しかし、手術時に、少しでも可能性が見いだされるならば、神経を温存することを希望していることを医師に伝えておきたかった。
 資料によれば、一般に、癌が前立腺の片側に限局している場合には、生検で癌が検出されていない側の勃起神経の温存は可能だとされている。しかし、限局癌のはずでも、開腹してみたら癌が皮膜に浸潤しているケースがあるので、手術前の判断として、癌が再燃する危険なしに神経の温存が可能な場合は極めて限られてくる。上記の「グリーソンスコアが6以下で、かつ、癌が前立腺片側に限局している場合」という神経温存手術の適応基準がその例だろう。実際には、開腹した時に、医師の判断で神経を温存するかどうかを決めることが多いようである。私は、それを知っていたので、自分の気持を医師に伝えておいたのである。
 患者が手術前に「どうしても神経を温存してもらいたい」と患者が意思表示する場合は、「たとえ癌の再燃の危険があっても必ず神経を温存する」ことを意味する。その場合には、癌が皮膜外まで浸潤していて神経を温存すれば癌が再燃することが明らかだと考えられる場合でも、医師は神経を温存しなければならないことになる。しかし、医師としてはそのような処置は躊躇されるはずだ。患者の自己決定といえども、そのような場合にまで神経を温存することを覚悟のうえで、神経の温存を望んでいるのかどうか、手術前に明確にしておく必要がある。自分の死を覚悟のうえで神経の温存を望む人がいないとは限らないが、一般には「性」よりも「生」を選択する人が多いのではないだろうか。
 最近は、癌治療は生存期間を伸ばすことだけではなく、生存中の生活の質(QOL)も重要な問題と考えられており、神経を温存できるかどうかは患者にとって非常に重要な問題である。いかなる場合に神経が温存できるのか、手術前に医師と患者の間でどのような合意を交わすべきかは、もっと議論されてよいと思われる(欧米ではこの問題の重要性が認識されているようである)。
 実際には私は勃起神経を残すことをそれほど必要としているわけではない。しかし、男性機能を失うことは、その実用面だけではなく、精神面に与える影響が大きい。人間は身体的な機能を発揮するだけではなく、精神的な活動の中でも生きており、男性機能を失うことは、その後の精神生活に大きなダメージを与える。「そんなことは気にしなければいい」というのはそういう状況に置かれていない者が言うことであり、男性機能の喪失は恐らく「失って初めてその大切さがわかる」ものの1つである。もちろん、患者の年齢も大きく影響するだろう。
 この場に妻も同席しており、妻は神経を残さないことに異論がないようだったが、この点は女性には絶対に理解できない点である。私はこの点に最後まで執着していたが、命と引き替えであれば男性機能を捨てるしかなかった。
 最後に、私は、「無理であれば神経を温存してもらわなくてもけっこうです」と返答した(私の場合、結果的には手術時の医師の判断で勃起神経が温存されたのだが、これは手術後しばらく経ってわかったことであり、この時点では私は潔く「男を捨てる」覚悟をしたのだった)。

(入院の準備)

 弁護士1人、事務員1人の個人事務所なので、1か月仕事を休むのは大変である。8月から事件の受任を断って仕事を減らし、9月27日以降の予定を全て延期ないし中止しなければならない。8月の時点で事件の受任を断る際に、「9月か10月頃に入院する予定なので」と説明するが、私が元気そうに仕事をしているので、相手は決まって怪訝な表情をする。早期の前立腺癌は病人らしくない病気である。この頃、時々10キロくらいのランニングをしては「自分は本当に癌なんだろうか」と、自分でも癌であることが信じられないような気分だった。
 入院前に、仕事の段取りを事務所の事務員に指示し、入院までに作成できる書類等は可能なかぎり全て作成した。10月10日頃が締め切りの連載中の雑誌の原稿も早めに書いて雑誌社に送る。
 アルコールは痲酔の効き目を悪くすると聞いたので、手術の1週間前から酒を断った。

平成17年9月27日
(入院)

 
 普段はぶっきらぼうな中学生の長男がひどく私の手術のことを心配し、明日見舞いに来たいと妻に言ったそうだ。しかし、明日は私は面会できるような状態ではないはずだ。長男はそれまでいい加減な生活態度だったのだが、私の病気をきっかけに生活態度が少し変わってきた。それなりに考えるところがあるのだろう。
 若くて明るく元気のよい女性の看護士が私の病室担当となった。その看護士が手術前の準備として陰毛に除毛クリームを塗ってくれる。1度で陰毛を除去できず2回クリームを塗布したが、2回とも勃起してしまった。余りに元気過ぎるムスコが哀しい。恥ずかしいものを見られてしまったという気がしたが、人間の自然な生理現象であり決して恥ずかしいことではないと思い直す。たぶん、看護士もこのような場面には慣れているのだろう。元気のよいムスコもこれが見納めかと思うと、長年の活動を慰労したいような気分になる。看護士が気をきかして、「こういうのって(除毛のこと)嫌ですよね」と言ってくれたが、私は「別に、どうってことないです」と言っておいた。
 看護士から、「気にかかることがありますか」と尋ねられる。これは悩みごとやストレスが病気の回復にマイナスに作用するためだろう。私は、「手術の結果が最も心配です。それ以外には特にありません」と答えた。
 夜、看護士が何度も、「今夜は眠れそうですか」と心配してくれたが、私は「どうせ明日は手術中痲酔で眠っていることになるので、眠れなくても大丈夫」と強がりを言う。しかし、けっこうよく眠れた。
 K医師とG医師が手術を担当することになる。


平成17年9月28日
(手術当日)


 8時15分に病室を出て手術室に向かった。
 手術前、多少の不安はあったが、今さらジタバタしても仕方ないと覚悟を決めると、不思議と平静な気持ちでいられた。手術を受ける患者の控え室で、同じ時間に手術を受ける別の中年の患者が私の横で、「恐い、恐い」としきりに言っていたのが印象に残っている。
 自分の運命が、自分の手を離れて他人の手に委ねられてしまえば、もはや自分の力ではどうにもできない。あとは、医師や病院のスタッフを信頼するしかない。自分の運命を他人の手に委ねたことで、かえって気持ちが落ち着いてきた。自分でいろいろと考え悩むよりも、自分の運命をすべて他人の手に委ねる方が気分的にずっと楽なのだ。自分の運命を占い師や教祖に委ねる人たちの気持ちはよくわかる。
 私は今まで登山中に何度も「危ない」場面に遭遇し、一歩間違えれば死ぬような経験を何度もしてきたが、なぜかいつも悪運が強いので何とかなると思っていた。運命が決定される直前までは、あらゆる心配をし、あらゆる努力をすべきであるが、そのような最善の努力をした後では、運命は自分の手を離れてしまうので運命に委ねるしかない。
 自分の身体はもやは自分のものではなかった。私の身体が手術台の上に乗せられるや否や、数名の看護士が私の身体を取り囲み、あっという間にいろんな管や器具を取り付けたが、スタッフの少しも無駄のない素早い動作は、余りにも要領がよく洗練されていた。スタッフの慣れた手つきに感心している間に、いつの間にか記憶がなくなった。

                                    
   
 
 夢を見ていたら、突然、「○○さん、○○さん、わかりますか」と私を呼ぶ声がして夢を中断された。内容は忘れたが、楽しい夢を見ていたような気がする。「ちょうど夢のいいところだったのに」と思い、一瞬、ここがどこなのかわからなかった。しばらくして自分が手術を受けていたことを思い出し、「ああ、生きていたか」と安心する。このような手術でも、不運が重なれば医療事故が皆無というわけではないのだから。生と死の境界は紙一重なのだ。周囲の状況を冷静に観察し、医師や看護士の動きに異常事態が発生したことを示す緊張感がないことを確認し、安心した。ここまでは、順調にいっているようだ・・・・
 どこからともなく「14時手術終了」という声が聞こえた。前立腺の摘出だけであれば手術の時間は3時間くらいだと思っていたので、14時という時刻は意外だった。同時に、「もしかしたら、これは・・・・・・」という微かな希望が芽生えた(退院後に、手術時に神経が温存されていたことがわかったが、神経の温存術をする場合には、手術時間が多少余分にかかるようだ)。
 手術後、しばらく回復室で回復を待つと聞いていたが、すぐに病室に戻される。手術後の状態や血圧などの検査数値から、すぐに病室に戻すかどうかを決めるのだろう。手術室の外で出迎えてくれた看護士の笑顔がひどくまぶしく感じられた。
 家族は病室に待機していたが、病室では、普通に妻、母、兄と話ができ、冗談を言う余裕があった。妻が、「具合は、どう?」と尋ね、「別に、どうってことはない」と答える。母が「つらい手術をよく頑張ったね」と言うので、私は「手術中は眠っていただけで、特に頑張ったわけではない」と可愛らしくない返事をした。しかし、身体は私の知らないところで、確かに頑張っていたのだ。
 手術後の私が余りにベラベラとしゃべるので、妻が驚いていた。何故かはわからないが、何となく楽しい気分がしていたのだが、痲酔覚醒後の興奮状態かもしれない。手術後はしばらく記憶がないという人もいるようだが、私の場合は、麻酔から「爽やかに」目が醒めてから意識は明確であり、すべてのことを記憶している。回復室で一晩過ごす人もいるので、私の場合は手術後の体調が良かったのだろう。
 私は手術中は痲酔で眠っているので気楽なものだが、手術の終了を待つ家族は気が気ではなかったようで、妻が看護士に何度も「今、どうなっていますか」と尋ねていたらしい。後日、妻は、手術の前後の1、2日を1週間くらいに長く感じたと言っていた。 
 
 しばらくして、G医師が病室を訪れ、摘出した前立腺の塊を妻に見せながら、「輸血なしに無事手術を終えました。取り出した前立腺の病理検査をこれからしますが、摘出した前立腺を外観から見る限り異常はありません」と説明するのを、私は横で聞いていた。摘出した前立腺の塊は、私の寝ている姿勢からはよく見えなかったが、急に私を取り囲む世界が明るくなったような気がした。癌が皮膜外まで浸潤しているかどうかは、癌を根治できるかどうかのうえで決定的に重要な点である。私の場合は、生検時に左側の前立腺に5針中4本に癌があり、しかも一部に低分化癌があったのだから、癌が皮膜外に浸潤していても何らおかしくなかった。私の場合、癌が前立腺内に限局している可能性が40パーセントだったが、運よくその中に入れてもらえたのだ。自分の体内から時限爆弾を無事に取り出したような気分だった。私は自己貯血をせず、手術時に輸血もしなかったのだが、一般には手術時に多少は輸血をするケースが多いようだ。輸血の有無は医師の技量によるのか、患者の状態によるのか、おそらくその両者なのだろう。

 最初の30分くらい右手の人指指と中指の指先が冷たかったが、これはちょうど冬山での体験と同じである。冬山ではピッケルの金属部分に人指指と中指が当たり、2本の指が血流が悪くなって冷たくなり、それが進行すれば凍傷になる。手術の間、長時間腕を固定していたために血管の末端の血流が悪くなっているのだ。冬山と同じように、冷たい指先を揉む。
 その後、微熱あり。一晩中、膀胱が尿で破裂しそうな尿意に悩まされた。酸素マスクが暑苦しく、ほとんど眠れない。酸素マスクをはずすと楽になって少しは眠れるのだが、しばらくすると巡回に来た看護士が酸素マスクを口につけ直してしまう。看護士に「酸素はいらないので、マスクをとってもらえますか」と言うが、「酸素マスクをつけることになっていますから」との返事。看護士が立ち去ると私は酸素マスクをはずすというイタチごっこを何度か繰り返し、朝になった。
 その看護士は、後で、「○○さんは、すぐに酸素マスクをはずすので困った」と他の看護士に言っていたそうだ。

                                   




治療方針・病院の選択
 
    
退院後の経過