治療方針・病院の選択 

                                          

                                        

 
病院の選択

(病院の紹介)
 C中央病院は自宅から高速道路を使用しても1時間以上かかるので、私は自宅に近いD大学付属病院を希望し、C中央病院のm医師に快くD大学付属病院M助教授宛の紹介状を書いてもらった。C中央病院のm医師は、自分が懇意にしているE共済病院あるいは他県にあるF医科大学付属病院を紹介したかったようだが、私はそれを断った。

 当時、小泉源による放射線治療(内部照射法、その詳細はインターネットで検索されたい)をしているのは県内ではD大学病院だけであり、可能であれば放射線の内部照射法による治療を受けたいと考えていた。この頃、前立腺摘出手術や放射線治療に関する最新の医学論文をいくつか取り寄せて自分で検討し、早期の前立腺癌の場合、小泉源による放射線治療がもっとも後遺症の少ない治療法だと考えた。仮に、前立腺を摘出したとしても癌が再燃するケースは少なくなく(約20%が再燃)、その場合には、ホルモン治療や放射線治療を考える必要がある。放射線治療は医療機器とそれを使いこなせる技師や医師の技能に左右され、その点でD大学病院は県内では最先端だと判断された。医療は日進月歩で進歩しており、出版されている書籍は内容が古いことが多いので注意が必要である。
 私は以前A生協病院で無料法律相談をしていたことがあり、A生協病院には親しい医師が何人かいたが、そこは前立腺癌の治療を行っていなかった。D大学病院には教授、助教授など高校の同級生の医師が何人もいたが(同級生に医者になった者が多い)、泌尿器科ではないので相談しなかった。
 特に、癌のような生命に関わる疾患の場合、患者は最良の治療を受けたいと考え、病院の選択に悩む。病院の選択のうえで最も必要なことは、病院の情報公開である。どの病院を選択するかは、病院の年間の手術数、治療実績などによって判断することになる。
 
医師の技量と患者の決定権

(医師の技能)
 一般に、患者はもっとも優れた医師の治療を受けたいと考えるものだが、前立腺摘出手術のような一般的な手術の場合、一定の経験のある医師であれば技量に大きな差はないと思われる。ただし、特殊な技術を要する治療を望む場合には、それができる医師や病院を捜さなければならないだろう。例えば腹腔鏡手術など。
 平成14年に慈恵医大病院で、腹腔鏡手術による前立腺の摘出をした60歳の前立腺癌患者が死亡した事件で、手術を行った3人の医師が有罪判決を受けたが、この3人の医師は腹腔鏡手術の能力がなかっただけでなく、基本的な出血管理の能力がなかった。腹腔鏡手術は難度の高い手術であるが、基本的な出血管理の能力がなかったということは、この医師にはフツー程度の医師の技量すらなかったということだろう。恐らく、技術のない医師に練習のために病院が手術をさせたのだろう。
 また、有名病院で放射線の量を間違えて癌患者が死亡するという事故も起こっている。
 有名な病院だからといって、良い医療が受けられるとは限らないということだろう。

 大きな病院や有名な病院の方が良い治療を受けられると考える人がいるかもしれないが、臨床医師の能力を決めるのは扱った症例の数だと言われている。治療方法の判断は、医学的知識と診療経験に基づいて行われ、ある程度の手術数をこなさないと手術の技量は身につかないのだろう。難しい症例や特殊な治療については大学病院など研究的な要素の強い病院の方がよいかもしれないが、前立腺摘出手術のような一般的な手術の場合は、前立腺癌の治療を多く扱っている病院であれば医師の技量に大きな差はないようだ。
 ただし、厳密に考えれば、多くの症例を扱った医師の中でも、技量の差が多少はあるのが当然である。例えば、手術時に癌を切除するのは肉眼によるから視力の違いと経験の差によって微細な癌の見落としがあるかもしれない。医師が目に見えないような微細な癌を見落としても、医療過誤とは言えないが、普通の医師の目に見えないような微細な癌まで見つける医師は優秀な医師だろう。手先の起用な医師、目のよい医師、経験豊富な医師がよい。かつては優秀だった医師でも、加齢により技術が落ていく。論文をたくさん書いている医者が腕前もよいとは限らない。大都会の大病院でも未熟な新米医師はたくさんいる。
 レントゲン写真などの所見についても、微妙な事案では、癌に気づかない医師がいる一方で、癌の存在を疑う医師がいる。いったん切断した尿管を吻合させる場合の縫い方は医師の手先の器用さやそれに熟練しているかどうかによってその後の尿の出方に差が出るだろう。
 弁護士も経験が浅いととんでもないミスを犯すことがあるが、弁護士経験の長い弁護士が「優れた弁護士」だとは限らないし、多くの優れた論文を書いている弁護士に依頼すれば「裁判に勝てる」ものではない。法律的知識の多さと弁護士の優秀さは比例しない。有名な弁護士が優秀だとは限らないし、大きな事務所は、事務所の規模に比例して新米弁護士の数も多い。
 大都市の大きな病院は、扱っている症例数が多いだろうが、地方でも規模の大きな病院ではそれなりの症例を扱っているはずであり、信頼できる医師が多数いるはずだ。かなり進行した癌や難しい症例の場合には、そのような症例を多く扱っている病院の方が良いだろう。
 放射線治療の実績については、病院によってかなりの差がある。小泉源療法による治療を行っている病院はそれほど多くはない。放射線治療は医師の技術だけではなく、検査技師の技術や放射線設備の種類によっても左右されるようだ。
 また、遠方の有名病院を選択する患者がいるが、治療やその後のケアが長引く場合、自分が慣れた生活環境が損なわれることのデメリットを考えておく必要がある。自分が馴染み、家族や知人に囲まれた環境での治療と、そうではない環境では大きな違いがある。通院や家族の看病のし易さという点は重要である。

 手術の予後の善し悪しは、医師の技量よりももっぱら癌のステージや悪性度、患者の免疫力、体力、薬の効き具合の個人差などによると考えられる。同じ医師が手術をしても、患者によって患部の癒着があるとか癌の部位によって手術が難しくなるなることもあるだろう。癌が相当進行している場合には、どの医師が担当しても治療は難しいだろうが、時には医師の技量の差によって治療がうまくいったり、いかなかったりする。また、同じ医師が治療をしても、成功の可能性50パーセント程度の微妙なケースではうまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もある。手術時の医師のちょっとした指先の動きの違いや判断の違いから、差が生じることがあるかもしれない。運によって左右される面はある。
 弁護士も、勝つか負けるか微妙な事件では、訴訟追行上の些細な点で勝敗が分かれることがあり、運不運がある。「勝てたかもしれない事件」で負けると、「あの時、こうすれば勝てたのではないだろうか」などと、いつまでも後悔の念に苛まれることがある。

 患者にとって、「自分で納得できる」治療や医師を選択することが重要である。しかし、医師や治療法の選択は患者の自己決定だといっても、患者には医学の専門的知識がないし、情報が限られているのであらゆることを患者が自由に決定できるわけではなく、医師のアドバイスに基づいた選択でしかない。患者がどんなに医学的なことを勉強をしても、医師よりは知識は劣る。また、専門家と素人の違いは、知識の差以上に、知識に基づいた経験の違いによってもたらされることが多い。どんなに医学的知識があっても、治療経験のない医師は的確な医学的な判断が期待できない。患者にはこのような医学的な知識と経験がないので、この点から、患者の自己決定なるものは欺瞞だという主張があるが、ここで厳密な意味の自己決定が可能かどうかを議論しても仕方がない。患者は自分が当面している治療をどうするかという問題に迫られているのであり、「完全な自己決定ができるまで決定しない」とか「自己決定は欺瞞である」などと悠長に言っている間に自分の寿命が尽きてしまう。患者にとって、治療方法を自分が決めるにせよ、医師の判断に任せるにせよ、その結果はすべて患者に降りかかってくることを覚悟したうえで、すぐにでも現実の選択を迫られる。信頼できる医師であればすべてを任せることも一つの選択だが、他人に任せる以上、そこでは「納得がいくこと」、「後で後悔しないこと」が大切である。

 病院の個々の医師の診療実績を公表すれば、もっとも判断しやすいが、それは現実には期待できないので、病院の診療実績によって判断することになる。患者はもっとも優秀な医師に治療をしてもらいたいと考えるが、いつも経験のある医師が手術をすれば、若い医師はいつまでも経験を積むことができない。優秀な医師も、最初は経験のない医師という立場で手術をして経験を積んできたのである。ベテランも必ず初心者だった時代があるということである。治療は通常2〜3人の医師がチームを組んで行うが、たまたま自分の手術の時に経験のない医師が執刀するかもしれないが、傍にいるベテランがフォローしてくれることを期待するしかない。
 巷での病院や医師の評判が、まったく見当はずれということは少ないようである。
 病院の選択は重要な問題だが、どんなによりよい選択をしようとしても限界がある。どんなに評判のよい病院や医師を選択しても、誰でもミスを犯す可能性があるから医療ミスが絶対にないとは限らない。医師がミスを犯さなくても看護士がミスを犯す可能性がある。心配すればきりがない。何ごとも、運不運があるのだ。自分で最善の選択をし、後は運に任せるしかない。


(医師と患者の信頼関係)
 患者からみてその医師を信頼できるかどうか、つまり、患者と医師の間の信頼関係(人間関係と言ってもよい)は重要である。患者の精神面は免疫力に大きく影響を与えるので、医師と患者の信頼関係の有無が治療効果に影響を与える点が指摘されている。
 医師と患者の間の信頼関係は、医師の説明の仕方や患者に対する態度、医師の治療方針と、患者の性格や考え方などに左右されるが、一般的に言えば、医師と患者の間の信頼関係を左右するもっとも大きな要素は、医師が患者の置かれた状況や患者の考えを理解したうえで、十分な説明をするかどうかという点ではないかと思う。医師が患者の気持ちを無視して一方的に医学的な説明をしても、患者が十分な説明を受けたと感じないことは多いだろう。「患者の気持ちがわかる」ことは大切なことだが、たぶん、人間はその患者とまったく同じ境遇に置かれなければ、患者の気持ちはわからないだろう。しかし、医師が少しでも患者の置かれた状況を理解しようという姿勢があるかどうかは、大きな違いをもたらす。患者にとって、自分の気持ちが医師に「受け入れられる」と感じるか、それとも自分の気持ちが医師から「跳ね返される」ように感じるかは、医師と患者の間の信頼関係のうえで決定的に重要である。
 
 また、最近は、「患者を診る」のではなく、検査機器や数値を盲信し、検査の「数値とデータを見て」治療を行う若い医師が増えていると感じることがあるが、人間の症状や回復力は千差万別であり、複雑な自然物である人間は機械や数値によって解明し切れるものではない。どんなに優秀な医師でも、患者の訴えに真摯に耳を傾けなければ、思わぬ誤診や不適切な治療を招くケースがある。
 医師と患者の間の信頼関係は、看護士など医療スタッフを含めた病院と患者の間の信頼関係でもある。
 治療がうまくいくかどうかはいろんな要因が影響するが、不幸にして治療がうまくいかなかった時、医師と患者の間に信頼関係がなければ、患者は医師の能力に不信感を抱きやすい。
 
 現在の医療は医療器機の進歩に対応しているので、病院の医療設備が古ければ治療の内容もそれによって限界づけられる面がある。放射線治療については、医療機器の種類と技師の技能などによって大きく左右されるので、その病院の放射線治療の実績が選択の判断材料になる。
 
(患者の決定権と情報)
 どのような治療方針をとるかを決めるのは患者本人である。医師は医学的知識に基づいてアドバイスを行うが、医師の説明の微妙なニュアンスによって患者の自己決定が左右されることがあるので、医師の説明の仕方は重要であるが、患者もある程度の知識がないと医師の説明を聞いても理解できないだろう。
 しばしば、「患者に情報が不足している」と言われるが、これは、@病院や医師の情報公開の不足、A医師の説明不足、B患者の勉強不足を意味する。医師がどんなに丁寧に説明しても、患者に理解できないことがあるし、あらゆる医学的知識を1時間で教えることは無理である。20時間分の知識の獲得には、やはり20時間かかる。
 巷には多くの医学書やインターネットなどの情報は溢れているのだが、患者が受動的な姿勢では情報に接近できない。目の前にどんなに多くの情報を積み上げても、それを患者が見る気にならなければ、情報はないのと同じである。患者が自分で努力することなく、「情報を与えてもらえなかった」と不満を抱くだけでは、いつまでたっても問題は解決できない。他方で、テレビ、雑誌などで種々雑多な情報が溢れすぎていて、患者がかえってそれらの情報に振り回されて迷う面がある。そういう情報の中で本当に必要な情報を選択することが必要である。
 一般に、外科医はやたらと患部を切りたがり、放射線医師は放射線治療に自信を持っているのでそれを勧め、内科医や外科医は放射線医師に較べれば放射線治療に対する評価が低いような気がする。泌尿器科の医師は放射線治療よりも手術を勧める傾向があるが、放射線医師に言わせれば、それは泌尿器科の医師が放射線治療のことがよくわかっていないからだということになる。医者によって、勧める治療方法が異なる場合も多い。「○○病院では放射線治療についてまったく説明してくれず、とにかく手術をした方がよいとしか言われなかった」といった類の不信の言葉をよく聞く。
 医者があらゆる分野について広い知識を持っていることが望ましいが、あらゆる分野で専門化する傾向が強い現在、1人の医者がすべての医療分野について専門的な知識を持っていることを期待することはできない。外科手術については詳しくても放射線治療のことをよく知らない外科医に、放射線治療の説明を求めても無理かも知れない(ただし、外科医は、「放射線治療もありますが、私はよくわからないので、放射線の専門医に相談してください」くらいの説明はすべきだろう)。免役学者が、免疫力をつけることが癌に対するもっとも有効な治療方法であって、薬や手術に否定的な考えをしばしば述べるのも似たようなものだろう。したがって、複数の医者の意見を聞いたり、患者がある程度の勉強をして積極的に医者に質問をすることが必要である。
 患者の自己決定は、決定に至る過程で患者が主体的に行動することを要求する。
 また、医師も患者も人間なので、その間に信頼関係がなければ治療はうまくいかない。もし、医師と患者の信頼関係が保てないようであれば、別の病院を選択した方がよい。
 治療はチームで行うので、どんなに医師が優れていても、また、どんなに最新の医療機器があっても、看護士などスタッフが不慣れだったり病院の安全管理が杜撰だと、医療事故が起こる恐れが出てくる。「医はこころ」と言うように、医療を行うのは人間であり、最新の医療機器も人間が動かす。医療機器が数値や画像を測定しても、それを見て判断を下すのはあくまで人間である。医師や看護士、技師の労働環境、病院の管理システムが悪ければ良い医療は望めない。
 患者は、公開された情報をもとにして、どの病院に「自分の命を託すか」を自分で判断することになる。
 自己決定とか自己責任が持つ意味は、患者が後で自分にふりかかってくることを精神的に受け入れることができるかどうかに関わると言ってもよい。治療内容を医師に任せ切りにしても、治療の結果が良ければ文句は出ないから、結果が悪い時にそれを自分で受け入れることができるかどうかが問題なのだ。後で後悔しても遅いので、悔いがないように医師と相談をしながら自分で最善の選択をするしかないのだ。
 
 患者が他の病院での治療や「セカンドオピニオン」を希望した場合、最初の医療機関の医師が良い顔をしないケースがあることを他の体験記で読んだことがあるが、これは医師の職業倫理の問題である。そのような心の狭い医師は、治療の途中で、人間的な狭量さから偏った判断をする恐れがあるので、治療を受けることはやめた方が賢明である。


(いわゆる代替医療・民間方法について)
 
 ある本の中で、「癌患者は手術や放射線治療はしない方がよい。癌は生活上のストレスが原因で起こるので、体によい食事、体を温めること、規則正しい生活、ほどよい体操をすれば転移癌でも治る」と書いている有名な医者がいる。この医者は多数の本を出しており、けっこう売れているらしい。この医者は、医者ではあっても免疫学者という肩書なので、癌患者の臨床的治療経験はないはずだ。そういう研究者は動物実験や検査データから理論を構築するのだと思うが、現実に多くの患者を診察、治療して、患者を治してきたという実績なしに、理屈だけで「この方法で癌がなおるはず」と言っても説得力がない。しかし、巷にはそういう類の書物が溢れており、○○大学医学部教授などの肩書で出版されると、それを信じてしまう人が多い。
 また、癌について、多くの民間療法や食事療法などについて書かれた書物も多く、それで癌が治ったという体験記も書店に溢れている。温泉療法で癌が治ったとか、放っておいたらいつの間にか癌が消えていたというテレビ番組を見たこともある。
 確かに、手術や放射線治療、化学療法をしなくても癌が治る人もいるかもしれない。しかし、人間の身体はひとりひとり異なるから、他の人がそれで治ったからといって自分も治るとは限らない。患者の立場で言えば、もっとも確率的に確実に治る治療方法を選択したいのであって、その意味で、食事療法だけとか、自然治癒を期待するだけでは、確実性に欠けるように思われる。たまたま運良くその人がその人が治ったという方法よりも、多くの患者が治癒する方法の方が重要なのだ。たとえ、その方法で100人の患者が治癒したとしても、その方法で何千人もの患者が治癒しなかったとすれば、良い方法とは言えない。
 人間の身体は理屈どおりにいくものではないし、ひとりひとり人間の治癒力が異なるので、ある人がそれで治ったからといって自分も治るとは限らない。例えば、風邪が治る過程は、大雑把に考えればみな似ているが、厳密に考えればひとりひとりすべて異なるとも言える。風邪の原因は多様であり、放っておいても自然に風邪が治る人もいれば、薬によって治る人もいるし、風邪が治りにくい人もいる。
 数多くの患者を診察、治療し、しかも、多くの患者を治してきたという診療実績の中から、もっとも確実性のある方法について医学的な判断が生まれるのではないかと思われる。そこでは、現実に患者を診ていない有名な研究者よりも、現実に多くの患者を治してきた医者の意見の方が信頼性が高い。
 弁護士としての経験からいえば、人間に関する限り、理屈は生身の人間に適用し多くの検証をしないと使えないことが多い。ある人にはうまくいくことも、他の人には妥当しないことが多いのが現実である。それは、人間はきわめて複雑でひとりひとり異なり、理屈で人間を扱うには「わからない」ことが余りにも多すぎるからである。多くの人間の臨床経験が必要となるのは、医学も社会科学、人文科学も同じである。免疫力を高めれば癌が治るのはそのとおりかもしれないが、免疫力に個人差があり、その変化も個人差があるので、やってみなければわからないのである。
 しかし、多くの人は、たまたま他人がうまくいったケースを持ち出して、自分もうまくいくはずだと自分の都合のよい方向に考える傾向がある。自己中心性は、人間の自己保存本能の一部でもある。何事も自分に合った方法を見つけだすことが大切なのであり、自分に合った方法であれば他人を真似てもよいが、自分に合わない方法は、いくら他人を真似ても駄目なのだ。
 癌の治療の経験豊富な医師に相談をしたうえで、どのような治療方法を選択するかを考えるべきであり、このような見地に立てば、手術や放射線療法は現在の医学でそれなりの実績のある治療方法と言える。ただし、それぞれの欠点もあるのでそれを十分に了解しておく必要がある。しかし、欠点があるからと言って、民間療法や食事療法、免疫療法が手術や放射線療法に替わるほどの平均的な実績はないように思える。個人的には、手術や放射線療法と、民間療法や食事療法、免疫療法などを併用するのがもっとも望ましいのではないかと考えている。
 食事療法や健康食品は、多くの経験を通じて癌の進行を抑えたり、新たな癌の発症を抑制する効果があると言われているが、それだけで癌を根治できるという保障はない。しかし、運が良ければ、それで癌を抑えることができる可能性は、もちろん、ある。私も、癌を発見して以降、毎日、Dー12、イムノエース、プロポリス、人参ジュース、玄米食などの免疫力を強めるとされる食品をとり、他方、動物性の肉類を一切食べず、脂肪や塩分を避ける、アルコールはワインを少量だけにしている(アルコールは発癌物質を溶かすのでよくないと書いてある本、少量のアルコールは免疫力を高めると書いてある本、ワインが含むポルフェノールは免疫力を高めると書いてある本、ワインは大腸癌を引き起こす可能性があると書いてある本などがある)。

 癌患者に対する登山などの「いきがい療法」も同様であり、「いきがい」が免疫力を強めることが期待されている。私の場合、25歳くらいから登山をしており、しかも、相当本格的に行ってきた。それでも癌になったので、登山などの「いきがい療法」は効果がなかったことになる。それとも、長い間、登山などの「いきがい療法」を実践してきたので、これまで胃癌や大腸癌にならずにすんだと考えるべきだろうか。


平成17年8月25日
小泉源療法を断念する


 C中央病院m医師の紹介状を持参して、D大学病院M助教授の診察を受ける。私は、放射線の内部照射法による治療などについていろいろと質問した。
 
 M医師の説明
触診異常なし
「PSA検査によって癌を発見できたケース、癌のステージはB0
 BOは、直腸診、CT、MRIなどの臨床的所見では異常がなく、PSA検査で癌が発見できた場合をいう。
MRIに癌は写っていません。初期の段階では癌がMRIに写らないことが多い」
「一部に低分化癌があり、グリーソンスコアは7
「当病院では今までに小泉源による放射線治療を40例実施しています」
「放射線の内部照射だけで治療できるのは、グリーソンスコアが6以下の場合です。あなたの場合には、内照射だけでなく外照射も併用する必要がありますが、外照射はかなり強い放射線を当てる必要があります」
「放射線治療を行えば臓器が癒着するので、その後の手術はできません。放射線治療の後はホルモン治療などになります」
「手術をして、万一、癌が再燃すれば放射線治療が可能」
「仮に、手術後に癌が再燃した場合、放射線治療は、CTで前立腺のあった位置を判定しその周辺に照射することになります」
「今後の生存年数をもっとも確保するためには手術が望ましい」
「手術をするとすれば開腹式になります」
など1時間くらいかけて丁寧な説明を受けた。
 
 前立腺の手術には、腹を切開して行う方式会陰を切開して行う方式腹腔鏡式などがあるが、それぞれ一長一短があるようだ。手術時にリンパ節を除去し、リンパ節を病理検査するためには開腹式の手術となる。私の場合には
、当然に開腹式の手術になるとM医師が言ったが、私は、それは一部に低分化癌があるためだと理解した。グリーソンスコアが7以上の場合は、癌がリンパ節に転移している可能性があるので、一般にリンパ節の除去とリンパ節の病理検査をするようである。開腹時に、1個のリンパ節に癌が転移していれば前立腺の摘出を行わないという医師の意見と、2個のリンパ節に癌が転移していなければ前立腺の摘出を行うという意見があるようだ。
 私は、治療は、延命の観点から、より確実な方法を望んでいた。
 医師と患者では、医学的知識に雲泥の差があるが、治療方針は患者自身に関わることであり、特に癌のような重特な疾患の場合には生命に関わってくる。「よくわからないので先生にお任せします」という患者は多いが、医師に任せた結果がすべてうまくいくのであれば問題はないが、前立腺癌の治療のようにどの治療方法をとっても一長一短であるような場合には、患者本人が決めなければならない。いくつかの選択肢の中で最善の治療方法は何か。医師が最良と考える治療方法でも患者にとって最良と感じない場合もある。「最良の治療方法」かどうか、何かを犠牲にしなければならないとき、何を捨てて何をとるか、それは価値観や人生観によって左右され、それを決めるの患者自身である。
 結局、私の場合には放射線の内部照射だけでは治療が無理なことが、放射線治療を断念する大きな理由になった。放射線の外部照射については、その後遺症が余りにも未知数である。手術も後遺症の問題があるが、それは既知の後遺症である。
 
 私「皮膜外に癌が浸潤している可能性はどの程度ですか」
 M医師 「アメリカでの統計によれば、あなたの場合は癌が前立腺内に限局している可能性は約40%です」
 この言葉は少なからずショックだった。私は「皮膜外に浸潤している可能性は低いと思います」といった返答を医師から期待していたのだ。もし、そういう医師の返事があれば、当分の間、少しは平静な気持ちで過ごせるかも知れないと思っていたのだと思う。客観的に冷静な医学的な判断よりも、今というこの時を平穏な気持ちで満たしてくれる言葉の方がよほど有り難かったはずだ。
 医師が患者に対し、不用意に「心配ありません」と言った後で、癌が皮膜外に浸潤していたことが判明すれば、患者はその医師に不信感を持つかもしれない。しかし、医師は患者に、「癌が皮膜外に浸潤しているかもしれません」と簡単にいうわけにはいかないだろう。こういう時、患者の気持からすれば、医師に「心配ありません」とか「治りますよ」と言って欲しいのである。しかも、患者にとって、医師の言うことがその場しのぎの気休めであっては困るのだ。そんな虫のいいことはありえないとしても、患者は「虫のいいこと」ばかりを考えたいものだ。このような患者の自己中心的な願望がしばしば客観的な状況を把握することを困難にする。人間は切羽詰まれば詰まるほど、自己中心的になり冷静な判断ができなくなるものだ。患者が自分の置かれた客観的な状況を冷静に把握することは、必ずしも簡単ではない。しかし、客観的な状況を冷静に判断することからしか、正確な展望は生まれないだろう。
 M医師「あなたは私とほとんど変わらない年齢なので、あなたの気持ちは私にもよくわかります。そういう年齢では、もっとも生存年数を確保するためにより確実な方法を選らんだ方がよいと思います」 
 さて、M医師は何歳なのだろう? 外見は若く見えるがけっこう歳なのか。私も、実際の年齢よりは若く見られることが多いのだが。
 M医師に同情されたが、私は医師のこの判断が正しいのだろうと思った。
 M医師「手術までの間ホルモン治療をしても手術の結果に影響しないので、ホルモン治療はしません。その方が手術時に癌の状態を正確に把握でき、手術後の方針を立てやすい。手術までの間にホルモン治療をするのは、ある程度癌が進行している場合です」
 ホルモン治療によって癌細胞が消滅することはないが、癌細胞が萎縮するので、手術までの間にホルモン治療を行うと、手術をした時に癌細胞の状態を正確に見ることができなくなることを考慮したものだろう。
 「癌をできるだけ萎縮させておいて手術をした方がよい」という考えから、早期発見の患者に対しても手術までの間にホルモン治療を行う医師もいるようだが、最近では、手術までの間のホルモン治療によって手術の効果が上がることはないとの考え方もある。また、手術時に勃起神経を温存するかどうかの判断や、手術後の治療方針を検討する場合に、ホルモン剤治療をしていない前立腺の方がより正確に状態を把握できるというメリットもあるようだ。ホルモン剤治療を行うと微細な癌が萎縮して肉眼で見えなくなるが、癌細胞がないわけではない。
 しかし、患者の心理としては、手術までに2〜3か月の間隔がある場合には、何らかの治療を受けた方が気分的には楽である。
 私「できるだけ早く手術をお願いします」
 他の体験記を読むと、前立腺の摘出手術の時に出血するので自己貯血をするケースが多いようであるが、M医師は、「当病院では手術中にほとんど出血しないので、輸血することはほとんどありません。したがって、うちでは自己貯血をしていません」と言う。「それでもどうしても心配なようであれば、自己貯血できますが、どうしますか」
 結局、自己貯血はしないことにした(実際の手術時にも輸血の必要はなかった)。


(治療方針に関し検討した点

摘出手術、放射線治療のいずれも選択可能
放射線治療をして根治できない場合、臓器が癒着するのでその後の手術はできない。
・放射線治療は同じ部位には1度しかできない。放射線はそもそも危険なものであり、最近、癌患者に対し放射線の量を間違えて患者が死亡するという事故が起こっている。
今回、放射線治療を受けた場合、将来、別の癌になった時に、放射線治療を受けにくい。人体に何度も放射線をあてることは、他の癌発生の危険性などの弊害がある。
放射線の外照射の場合、副作用の未知数の部分が大きい。放射線治療による他の癌の誘発、晩期後遺症など。外照射で強い放射線を広範囲に当てれば癌は確実に死滅するだろうが、正常細胞も相当死滅するので後遺症を覚悟しなければならない。もともと前立腺癌は他の癌よりも放射線が効きにくいと言われており、外照射をする場合にはかなり強い放射線を当てる必要があるようだ(なお、前立腺癌には抗癌剤は効かないと言われている)。
外照射を併用しない小泉源療法の場合には後遺症の弊害は少ないが、小泉源療法を受けた人でたまに癌が再燃するケースがある。そういう人は、手術をしていれば根治できた可能性が高かったはずだ。
放射線治療によっても癌細胞が全て死滅するかどうか不安がある。
放射線による免疫力の低下が懸念される。免疫力が低下することにより、癌の再発や他の癌の誘発の危険性がある。
小泉源放射線療法は後遺症や患者の負担が少ないが、小泉源放射線療法
により根治できる場合は極めて限定されている。外照射と併用する場合も多い。
前立腺摘出手術は癌細胞の全てあるいはほとんどを摘出するので、仮に癌細胞が残ったとしても僅かである。その後の放射線治療、ホルモン治療ができる。ただし、手術後に癌が再燃した場合、さらに、放射線治療を受けて根治できる人もいいれば、根治できない人もいる。
根治的手術をした場合、癌が前立腺の皮膜内に止まっている場合は、再燃の危険は低いが、癌が皮膜まで浸潤している場合には、再燃する場合としない場合があるようだ。根治的手術をして癌が再燃する可能性は20〜30%と言われるが、癌が皮膜まで、あるいは皮膜外まで浸潤しているかどうかが大きく影響をする癌が再燃するかどうかは、手術後、数年経たなければわからない。
癌が前立腺の皮膜内に止まっているか、皮膜まで浸潤しているか、皮膜外まで浸潤しているか、正確なことは、開腹して前立腺を摘出して病理検査をしなければわからない。
病理検査は前立腺を輪切りにして顕微鏡で細胞を検査するようだが、すべての細胞を検査するわけではないので、病理検査でもすべての癌細胞がわかるわけではない。
癌が前立腺の皮膜外まで浸潤している場合には、手術しても再燃する可能性が高いが、それでも運がよければ癌が再燃しない人もいるようだ。
逆に、医師が「癌はすべて取れたはず」と考える場合でも、癌が再燃するケースがあるようだ。これは、肉眼では見えない癌細胞があるからである。
癌が皮膜に浸潤している場合や、癌が皮膜外まで浸潤している場合には、手術よりも放射線治療の方が効果が期待できそうな気がする。しかし癌が皮膜外まで浸潤しているかどうかは、開腹してみなければわからないことが多い。癌が前立腺の皮膜内に止まっている場合でも、放射線治療で根治できない場合がないわけではないので、やってみなければわからないのが現実である。最初から「癌が皮膜外まで達しており、手術では根治できないが、放射線では100パーセント根治できる」とわかっていれば、だれでも放射線治療を選択するだろうが、そういうことはわからない。
PSAの値や癌の分化度によって治療効果が左右されるが、治療前のPSAの値が10以下でも癌が再燃する人はいる。目に見えないような微細な癌細胞がどこにあるかによって、あるいは、放射された放射線がたまたま運よく癌細胞に当たるかどうかによって、治療効果が左右されるのだろう。
癌が皮膜外まで達していても、運よく癌細胞をすべて除去できれば、癌の再発はない。前立腺の近くに膀胱などの他の臓器があり、他の癌のように癌細胞の周辺を大きく切り取ることができないので、癌細胞の取り残しの問題が生じる。膀胱や括約筋もすべて除去すれば根治の可能性が高いのだろうが、それではその後の生活に余りにも支障をきたすだろう。
前立腺摘出手術の尿漏れなどの後遺症については個人差が余りにも大きい。この点も、手術前には予測不可能である。
 私の推測では、癌が括約筋の近くにあれば、ある程度は括約筋を傷つける
ことを避けられないのではないかと思われる。また、普段から運動をしたり、若い人ほど、もともと括約筋自体が丈夫なので、手術後の尿漏れも少ないような気がする(手術をしなくても、加齢とともに尿漏れが生じる人もいれば、そうではない人もいる)。

治療方法の選択は「賭け」である

 人間は、一般に自分の都合のよい方に考える傾向がある。根治できた人の体験記を読めば楽観的に考えて、あれもこれもと色んなことを望むが、現実はそれほど甘くはない。
 身体へのダメージや後遺症が少ない方法で癌が根治することにこしたことはないので、小泉源放射線療法で癌を根治することを望む人が多いかもしれない。私も最初この治療法に注目した。しかし、この方法の適応範囲は限定されている。
 小泉源放射線療法が最も適応があるのは、一般的にはグリーソンスコアが6以下、PSAの数値の低い早期癌の場合であり、それ以外の場合には外照射と併用することが多く、後遺症の問題が大きい。私のように早期に発見されPSAの値が低くても、一部に低分化癌があれば、外照射と併用となってしまう。放射線を外照射すれば恐らく勃起障害などの後遺症が生じる可能性があり、放射線治療を選択するメリットが半減する。事前の検査で癌が前立腺内に限局していると判断される人でも、開腹してみれば癌が皮膜外に浸潤している人もいるので、小泉源放射線療法の選択はある種の「賭け」の面がある。
 
 最近は手術による延命だけではなくQOL(日常生活の質)の重要性が指摘されており、手術時に勃起神経を温存できることに越したことはないし、最近では一部の病院で神経の移植手術も行われている。しかし、癌の再燃の危険なしに勃起神経を温存できる場合は極めて限られる。勃起神経を温存できるかどうかは、実際の手術の時に前立腺の状態を見なければ判断できないようだが、手術前にどうするかを患者が決めておかなければならない(手術時には患者は意識がない)。手術前の時点で、安全に神経を残せる場合は自ずから限られてくる。
 私のように癌を早期に発見しても、癌の再燃の危険のない神経温存を保障できないケースは多い。それでも患者が希望すれば神経温存を行うことは可能であるが、それは一種の賭けになる。私の場合には、神経を温存して癌が再燃しない可能性は5分5分くらいではないかと考えていたが、自分の命をそんな賭けの対象にすることはできなかった。その結果、「神経を温存できなくてもかまわない」ことに同意した。もし、私が60歳であれば、多少の「賭け」をしてもそれなりの寿命をまっとうできるかもしれないが、私の年齢では「賭け」をする気になれず、「手術後の生活の質」を捨て、より確実に「生きる」ことを選択したのだった。
 生検で高分化癌と判断されていても、それは、針で検査した個所についてであり、針を刺していない個所に低分化癌が潜んでいないという保障はない。当然のことながら、生検は針で検出した箇所しか検査できない。また、検査で、限局型の癌と判断されていても、開腹してみたら癌が皮膜外に浸潤をしていたというケースは少なくない。開腹して前立腺を輪切りにしてみたとしても、すべての細胞を検査するわけではないので、微細な癌をすべて発見できるとは限らない。身体の中の生成直後の癌細胞の発見は無理なのだ。一年中、毎日、朝から晩まで検査をし続けても、発見できない疾患がありうる。
 外からは癌の状態がわからないので、PSAの数値、生検の結果、グリーソンスコア、触診の結果、MRI検査 CT検査、骨シンチ検査、アメリカにおける統計資料などに基づいて、癌の状態を判断するが、実際に開腹してみると、開腹前の判断と開腹後の癌の状態の間に差異があることがしばしばあるようだ。
 癌が皮膜まで浸潤していれば神経を温存すれば癌が再燃する危険があるが、癌が皮膜に浸潤していても癌が再燃するとは限らないので、神経の温存が吉と出るか凶と出るかはその時になってみなければわからない。また、神経を温存した場合でも、勃起力を回復できるとは限らない(神経を温存しても勃起力が回復するのは20〜60%程度と言われている)。神経を温存しても、PSAの数値上昇のためにホルモン治療を行えば勃起力は失われる恐れがある(勃起力は男性ホルモンの作用による)。「それなら、最初から神経を温存するのではなかった」と言っても、手術の後ではもう遅い。
 手術に伴ってどの程度の尿漏れがあるかは個人差が大きく、その時にならなければわからない。もし、手術によって尿漏れの後遺症が生じ、さらに癌が再燃したりすれば、「手術よりも放射線治療を選択すべきだった」と後悔するかもしれない。
 
 以上の点を考えれば、小泉源放射線療法、外照射法、前立腺摘出や神経の温存の選択を行うことは、いずれもある種の「賭け」の面がある。どの治療方法にも絶対確実というものはなく、どれをとっても一長一短であり、やってもなければわからない面がある。
 一般的には、癌の進展度が高ければ摘出手術による根治の可能性が低くなるので、放射線治療を選択する人が多くなると思われるが、早期の癌の場合、摘出手術も放射線治療も治療効果にそれほど差がないので選択に迷うことになる。一般に、外科医は摘出手術を勧め、放射線医師や放射線治療に熱心な医師は放射線治療を勧める傾向がある。外科医は「やたらとすぐに切りたがる」傾向があるようだが、外科医は「切る」のが専門なのだから、ある意味では当然である。
 最初の医師はしきりに手術をすることを勧めたが、他の病院で放射線治療のことを聞き、最終的に放射線治療を選択して結果がうまくいったという類の記事はしばしば目にする。そのような記事は、「たまたまうまくいったケース」をとりあげているだけで、世の中には、放射線治療を選択してうまくいかなかったケースが無数にあるはずだが、ニュース性がなければ記事にならない。患者も、「治療がうまくいった」場合は公表したがるが、「治療がうまくいかなかった」場合は公表したくないものだ。放射線治療を選択してうまくいかなかったケースでは、最初の医師の言うとおりに手術した方がよかったのかもしれないが、手術をしても根治できないケースも多い。患者の立場からすれば、結果がうまくいかなければ、どんなに慎重に対応した医師に対しても些細な点を取り上げて不信感が芽生えやすいが、結果がうまくいけばどんなに雑な医師に対しても感謝するものである。そういう意味で人間はわがままなものである。誰でも、自分の都合よいことばかり考えたり、希望的観測に頼ろうとする。自分の生命がかかり、心理的に追いつめられれば追いつめられるほど人間は自己中心的になる。自己中心性は人間の自己保存本能の現れであり、当然のことだが、自分の置かれた状況をどれだけ客観的に考えることができるかが重要である。もし、自分の置かれた状況を冷静に客観的に考えることができないようであれば、判断を他人に委ねることも必要かもしれない。
 
 弁護士の経験上、法的手段にいくつかの選択肢がある場合に、それぞれの長短について相談者に説明をすると、「先生はどうしたらよいと思われますか」とか、「先生にお任せます」と言う相談者が多い。しかし、どれでも選択可能という場合にはどれがよいかを決めることは本人が決めるしかない日本では自分で決めることができず、選択を他人に任せる人が非常に多いのだがそれは自分自身に対し誠実な態度ではない。リスクを伴う決断をするには、勇気と自分に対する信頼が必要である。弁護士に任せて裁判に勝った場合はよいが、負けた場合は、「弁護士に任せたのに負けたのは弁護士の責任だ」という不満を持つ人が多い。「専門家にすべてを任せて、とにかくうまくいくようにしてもらいたい」という心理は理解できるが、裁判では、一方が勝てば必ず他方は負けるのであって、双方が「うまくいく」ことはありえない。弁護士が相談者に「どうするかは自分で決めてください」と言うと、「冷たい」とか「弁護士が相談にのってくれなかった」などと言われ、他方で、相談者に代わって決めてあげる弁護士は「親切な弁護士」だとされるが、それでうまくいくとは限らないし、うまくいかなくても弁護士が責任をとれるわけではない。すべて当人に降りかかってくるのである。
 医療においても、日本人は欧米人に較べて、病気は医師に治してもらうものという医師に対する依存心が強いことが指摘されている。ゲルソン療法(食事療法)を考えたゲルソン博士は、「癌の克服にいちばん大切なものは、患者自身の病気を治す意志である」と述べているが、他人への依存心からは「病気を自分で治す意志」や「最良の方法を自分で模索する努力」は生まれないだろう。
 
患者に代わって医師が治療方法を決めたとしても、結果的に選択した治療方法でうまくいかなければ、現実に困るのは医師ではなく患者自身である。ここでは患者が悔いの残らないように選択することが大切である。
 自分が病気になって感じることは、人間の身体や病気は「わからない」ことだらけだということである。癌が再発するかどうかは、本当によくわからないのである。医療は「よくわからない人体」を対象とするものだから、「やってみなければわからない」部分が余りにも多い。僅かでも可能性がある場合、その可能性に賭けてみるかどうかは、本人が決めるしかない。
 治療方法の選択はあくまで医学的な根拠に基づくものだから、「治療方法の選択は賭けだ」と書くと、医師から叱られるかもしれないが、患者の立場ではそのように考えておいた方がよい。「賭け」だから、常にうまくいくとは限らない。仮に、うまくいかなくても、自分で「賭け」をしたのだから仕方がない。「賭け」ということの意味は、自己決定と自己責任を意味する。自分で決めたことや自分で選択した結果はすべて自分に降りかかってくる。しかし、いろんな情報を前提に最善の判断をして、悔いのない「賭け」をしたいものだ。
 私の場合、生存の可能性(その生存期間も含めて)に最も価値を置いた。生きてさえいれば何でもできるが、死んでしまっては、どんなに能力、名誉、位置、財産などがあっても意味がない。能力、名誉、位置、財産などをあの世に持っていくことはできない。
 
手術を選択した場合、仮にそれで再燃しても放射線治療が可能なので、手術と放射線治の根治可能性を合算すれば、根治可能性が相当高くなる。
仮に、手術後に放射線治療が必要になったとしても、手術によって癌のほとんどを除去しているので残っている癌細胞は微量であり、放射線治療の効果も大きいはずだ。つまり、私は、治療について、「手術、プラス、最悪の場合の放射線治療」というセットで、根治することをめざしたのだ。
 むろん放射線治療だけでも根治する可能性はあるが、不運にも放射線治療後に再燃した場合、もはや手術はできない(放射線による臓器の癒着のため)。再度、放射線治療をすることも無理である。「手術、プラス、最悪の場合の放射線治療」では、根治可能性を追及するチャンスが2回あり、これが私には「生きさせてもらえるチャンスが2回ある」ように感じられた。この方法を選択したのは、常に最悪の場合を想定して慎重のうえにも慎重を期するという私の性格を反映したものだが、この点は人生観の問題である。

 考えてみれば、病気に限らず、人間の一生はすべて「賭け」の連続のようなものである。いつも、重要な場面で自分で選択し、選択した結果が運良くうまくいくこともあれば、90パーセントの成功の可能性があるのに失敗することもある。90パーセントの成功の可能性があるにもかかわらず失敗した場合、「人生にはそういうこともある」と前向きに考える人と、社会と自分に対する不信感から自分を挫折させてしまう人がいる。「挫折」というのは、所詮、自分の行動に対する自己評価であり、選択の問題である。まったく同じことが、ある人には「挫折」となるが、別の人にとってはそうではないことがある。
 人は、すべてのことを予測し予め計算しようとするが、病気や人間、人生はわからないことだらけだ。私が50歳で癌が見つかることなど誰も予想がつかなかったし、私の癌が前立腺内に限局しているかどうかは、これから開腹してみなければわからない。手術後にPSAの数値がどう変化するかも、その時にならなければわからない。人生も社会も経済、政治も、世の中はわからないことだらけだが、わからないからこそ人生や社会は面白いとも言える。すべてが計算され、予測できれば、人間が生まれてから死ぬまでの過程がすべて計算されてしまい、生きることが虚しくなることだろう。わからないことだらけだの人生とはいえ、癌にかかることは運が悪い。
 何ごとも最善を尽くした後で、運を自然のなりゆきにまかせるしかない。


平成17年9月8日
(手術日の決定)
 

 D大学病院から手術日程の連絡がないので、催促の電話をして9月27日入院、28日手術を決める。天皇陛下のように、一般の患者と違って例外的に土曜日に手術をするという特別扱いをしてもらえれば手術時期は早いのだろうが、一般の庶民はそのような特別扱いしてもらえないので、順番を待つことになる。
 かつて、病院では、コネの有無とか医師への現金、贈り物などをするのが当たり前だと思われていたし、現在でも一部にはその風潮がある。しかし、現在では、国公立の病院ではこれらは厳しく禁止されている(賄賂罪に該当する恐れがある)。D大学病院では退院時にスタッフ一同へのささやかな花飾りのプレゼントすら拒否されてしまった。民間病院では、まだ一部にはコネによる特別扱いがなされているようだが(例えば、大物の政治家が入院する場合には特別に便宜を図るなど)、今後は、このような病院は一般患者から不信感を買うことになるかもしれない。
 一般に、病気を治すことで頭が一杯の患者は藁にもすがる気持で、医師に贈り物などをするのだが、それは自分を特別扱いしてもらいたいという気持よりも、医師に最善を尽くしてもらいたいという気持からであり理解できる。しかし、そのような行動は、「贈り物をしなければ、この医師は最善を尽くさないかもしれない」ことを無意識的に表明することを意味する。また、優れた医師は贈り物の有無で治療が左右されるとは思えない。
 私自身は弁護士として依頼者から御中元、御歳暮をもらう機会は多いが、そういうことをしない依頼者もいる。しかし、贈り物の有無によって事件の扱いに違いが生じることはない。弁護士は公務員ではないし、贈り物の有無によって弊害は生じないので、贈り物は依頼者の気持としてありがたく受け取っている。
 確かに、インドのように、公務員に贈り物をしなければまともに扱ってもらえない国もあるが(私はインドで2か月間生活したことがあり、インドが賄賂社会だということを実感した)、日本は一応先進国である。したがって、患者が医師に贈り物をしなければ不安を感じるようであれば、そのような医師に治療を委ねるべきではないのではなかろうか。退院時に、医師にお礼をするのは、単純な感謝の気持ちの表明であるが、やはり弊害が多いので公立病院では禁止されている(事後収賄、事後贈賄罪という犯罪がある)。感謝の気持ちは言葉と態度で示せば十分ということなのだろう。

 前立腺癌は進行が遅いので手術が2、3か月遅れても影響はないと言われるが、手術はできるだけ早い方が良いという専門家の意見もある。手術が遅くなれば患者はその間、不安な時間を過ごすことになる。
 通常は、手術の1週間前に入院して、手術に必要な検査を行うが、私は、仕事の都合でこれらの検査を全て外来で行い、手術の前日に入院することとした。その前提としては、身体に一切異常がないことが必要であり、もし、異常があれば手術を延期することになる



治療方針・病院の選択
 
    
退院後の経過