第五話 ありのままの自分で



いつものように草むらに座って、同じくいつものように演技の練習をしている高原さんを見て思った。

やっぱ変だな・・・

高原さんの練習に付き合うのもすでに日課になってきて、そのおかげでわかったことがある。

最初に見たときより悪くなってるんじゃねえかな?

気づいたばかりの頃は気のせいかと思っていたけど、どうやら気のせいじゃねえようだな。なんか顔色も悪いし・・・

そう思った俺は立ち上がって、

「ちょっと休憩した方がいいんじゃねぇの?」

立ち上がった俺を見て練習を中断した高原さんが不思議そうに、

「どうしたの?突然・・・まだ始めたばかりじゃない」

そう言うが、近くで見ると顔色が悪いのがありありと見えたから、

「いや・・・なんか調子悪そうに見えんだよな」

付け加えると、高原さんは少しだけばつが悪そうに、

「・・・やっぱりそう見えちゃう?」

顔をわずかに俯かせて見上げるように言った。

「ああ・・・最近ちょっと無理しすぎなんじゃねぇの?だから少しは休めよ」

「うん。そうかも・・・じゃあ、休憩しよっか」

彼女は笑顔で答えて歩きだした。その笑顔はなんだか無理して笑っているようにも見えて、依然として彼女への心配を抱えたまま、先に行った彼女を小走りで追いかけた。



常磐公園の中にある鴨が優雅に泳ぎ、等間隔に吹き出す噴水が望める千鳥ヶ池の畔にある東屋の長椅子にあたしが腰掛けると、すぐに実沼くんが来て、

「俺、ジュース買ってくるわ」

そう言って自販機のある売店の方に向かって歩いて行った。

「ふぅ・・・」

あたしはため息を一つついて、

「やっぱり、そう見えちゃったか・・・」

独りごちながら目の前にある机に突っ伏して、

劇団のみんなも実沼くんみたいに気づいているのかな?・・・それとも、みんな練習や準備で忙しくて気がついていないのかな?

そんなことを考えながら、

どちらにしてもみんなに心配はかけたくないよ・・・だって、あたしは・・・

「ほら!買ってきたぞ!」

「ひゃあ!!」

押し当てられた冷たい缶の感触に驚いて、上体を起こすと、実沼くんが意地の悪そうな笑顔を浮かべていた。

「もうっ!何するのよ!」

「わりぃわりぃ、ほら」

怒るあたしを見て少し嬉しそうにしながら、実沼くんはスポーツドリンクの缶を差し出した。

「・・・ありがと・・・」

その悪気のなさを少し不服に感じながらも缶を受け取ると、ひんやりとした感触が手に伝わって、一口飲むと、練習と夏の暑さによって暖められた身体に心地よかった。

それから、実沼くんも向かい側の席に座ってしばらくの間、お互い会話もないまま湖面を眺めていると、

「なぁ・・・今日くらい練習休んだ方がいいんじゃねぇか?」

何度かあたしの様子をうかがっていた実沼くんが心配そうに言った。

「うん。でも、公演まであと少ししかないし・・・それに・・・」

みんなに心配かけたくないから、と言おうとしたが、

「それはわかってんだけどさ・・・なんつーか・・ほら・・・」

実沼くんがさえぎり、言葉に詰まってまどろこしそうに頭をかいてから、

「こんな時だからこそ身体を安めねぇといけないんじゃねぇの?」

やっと言葉が出たことに少し清々しそうに、

「誰か一人でも欠けたら何にも始まらねぇじゃん」

言って、照れくさそうにへへっ、と笑った。

「そうだね」

あたしは頷いた。

そう、確かにそうだ。練習を休むことよりも準備を手伝えないことよりなによりも本番で何も出来ないようになることが一番、大事なんだ。

そんなことにも気づけない自分が情けなかった。

入団したばかりの頃、教えてもらったことをなんで今まで忘れていたんだろう・・・ほんとに、情けない・・・

「うん、そうだね」

その思いを心に染み込ませるようにもう一度頷いた。



「ありがと、実沼くん。あたし、今日の練習は休んで明日からまたがんばるから。だから、また明日ね」

高原さんはそう言って席を立ち、たぶん自分の家の方へ向かって歩いて行ってしまった。

俺はその背中を見送りながら、

「あれで良かったのかな?」

なんとなく頬をかいて、

「どっかのドラマだかマンガだかにあった台詞だったんだけど・・・」

ぼそっと言って、高原さんが視界から消えるまでその場で立ちつくしていた。

「まあ、元気になったみたいだし、いいかな」

とりあえず安心して、またいつものように暇になってしまった俺は、

「堅のところにちょっかいでも出しに行くとするかな」

ほんと俺って暇人だよなぁ、とか自分でも思いながら、まだ開店前の堅の店、木工堂へと向かって歩きだした。



あたしは今、劇団『Wings』の事務所兼練習場兼倉庫の三階建ての建物の前に来ていた。

まだ練習が始まるには早かったけど、団長くらいはもう来ているだろうから電話なんかじゃなくて直接、今日の練習を休むことを告げようと思っていた。

三階にある事務所に向かって階段を上っていると、

「あれ、高原先輩?どうしたんですか、こんな時間に?」

二階の練習場で片手にモップを持った愛ちゃんが不思議そうにあたしを見ていた。

「ちょっと団長に用があって・・・団長、上にいる?」

あたしが上の事務所を指さして言うと、愛ちゃんは残念そうに、

「団長はついさっき、どっかに出かけちゃったんですよぉ。練習が始まる時間まで帰ってこないとか言ってましたよ」

「そうなんだ・・・じゃあ、愛ちゃん、団長に伝えておいてくれないかな」

「はい!なんですか?」

あたしが言うと愛ちゃんは少し嬉しそうに返事をして、

「今日、ちょっと調子が悪くて練習休みたいの。だから、そのことを団長に伝えてね」

「はい!・・・って、えぇ!先輩、今日、練習休んじゃうんですか!」

用件を言うと、一度、元気のいい返事のあと、間をおいてから大げさに驚いた。

「大丈夫なんですか?」

ひとしきり驚いたあと、愛ちゃんは詰め寄るように間近まで来て、心配そうにあたしを見ていた。

「うん。そんなにひどくないから今日一日ゆっくり休めば大丈夫だと思う」

あたしがそう答えると、

「それもそうなんですけど」

どうやら愛ちゃんが聞きたかったこととは違ったみたいで、うなるように言ってから、

「公演までもうあと数日しかないのに休んでも平気なんですか?」

愛ちゃんの危惧はもっともだと思ったけれど、それでもあたしはさっき実沼くんが言っていた言葉を思い出しながら、

「うん、それはそうだけど・・・でもね。あんまり練習で無理しすぎて本番で力を発揮できなかったら、それこそ今まで練習してきたこと全てが無駄になっちゃうと思うんだ」

優しく諭すようにゆっくりと自分の思いを語ると、

「はい・・・そうかもしれませんね」

少し不服そうにも見えたけど、それでも愛ちゃんはゆっくりと頷いた。

そんな愛ちゃんにあたしは、

「今はまだわからないかもしれないけど、いつか、きっと愛ちゃんにもわかるときが来るわよ。こうして早く来て掃除をしてくれている愛ちゃんも含めて、誰一人欠けてもいけないってことをね」

今までみんなのためと自分を追いつめていたあたしには到底考えつかなかった言葉を継げた。

「私も・・・必要なんですか?」

愛ちゃんがきょとんとしながら投げかけた言葉に、

「うん。裏方だって大事なメンバーの一人なんだよ」

あたしは笑顔で答えると、

「そうなんですか?そうなん・・・ですよね。うん!そうですよね!」

じわじわと言葉が染み込んでいくように少しずつ伝わっていき、

「私、がんばります!だから、先輩も明日からがんばってください」

意気揚々と言い、屈託のない笑顔を浮かべた。

その後、家のベッドで横になっていると団長から電話がかかってきた。

「高原は最近ずっと無理してるみたいだったからな。今日くらいはちゃんと休んで、明日からは本番に向けてがんばってくれよ」

そう言って、あたしが返事をするとお大事に、と言って電話は切れた。

あたしはいつもそうだった。

学生の時はみんなの推薦で学級委員をやらされて、それでもみんなの期待に応えようとしてよく働き、劇団に入ってから何年か経ってからも慕ってくれる劇団のみんなのお願いを聞いて、練習に付き合ったり仕事を変わってあげたりしていた。

とにかく受けた期待を裏切ることが怖くて、自分をないがしろにしてでも期待に応えることだけしか考えていなかった。

誰かの助けになりたい、支えになりたい。そればかりが頭にあって、自分を支えてもらおうなんてまるで考えずに人知れず、無理ばかりしてきた。

今回もそうだ・・・主役に抜擢され、みんなの憧れや期待を裏切りたくなくて、プレッシャーに押しつぶされそうでもずっと我慢していた。

でも、それは間違いだったのかもしれない。

弱音を吐いても、助けてもらっても、それは決して期待を裏切る事なんかじゃない。それより、肝心なところで力を発揮できないことの方がよっぽど裏切る事になるんだと思う。

だから、自分を押さえつけて我慢ばかりしないで・・・ありのままの自分で望むこと、それが大事だということを。

そんな当たり前なことを見失っていたあたしに気づかせてくれたのは、

「実沼くん・・・」

その名前を口にすると、なんだか胸が圧迫されたように苦しくなった。