原田明理



夏も終わりを迎える頃・・・

帯広にある長屋の前に一組の男女が道路に停めてある一台の車の前に立っていた。

「それじゃあ俺・・・・本当に行くよ・・・」

メガネをかけた男性の方が言った。

「はい・・・・」

黒髪を肩のあたりまで伸ばした女性、原田明理がゆっくりと頷く。

明理はこの夏、友人の家に遊びに東京から来ていた彼と出会い、何度も会っているうちに互いに好き合うようになり、ある日デートで遠出をした。

その帰りに明理の父がくも膜下出血で倒れ、その日のうちにこの世を去った・・・すでに母親を失っていた明理は一人で暮らすことになり、それを不憫に思った彼は夏休みぎりぎりまで彼女のそばに居てあげた。

そして、今・・・別れの時を迎えていた・・・

「もう・・・さよならは言いません。また、会えるんですから・・・けど、私・・・思い描いています。だって、そうしないと、未来は変えられないんですもの」

明理は彼のメガネの奥にある瞳をジッと見つめる。

「じゃあ、また・・・」

彼も明理の瞳を見つめてからそう言って車に乗り込み、エンジンをかけ、車を発進させる。

それを明理はずっと見送る。車が角を曲がり見えなくなっても、しばらく、ずっと、夕日があたりを橙色に染める時まで・・・

「もう・・帰らなくちゃ・・・」

思い出すように呟いた明理は、ゆっくりと歩き、玄関の扉を開けた。

狭かったはずの部屋はやけに広く感じ、なんの音もなく静寂を保っていた。

明理は部屋に入り、あたりを見回す・・・一部を除いて何も変わっていない部屋・・・その一部、古ぼけた母の遺影の横に並ぶ真新しい父の遺影・・・それが目に入った時・・・明理は改めて『独り』になったことを強く認識した・・してしまった・・・

「・・うっ・・うぅっ・・・」

その場に泣き崩れる明理・・・彼にはもう大丈夫だと何度も言ったけど、それでもこの悲しみはすぐにぬぐえるものでは無かった。

静かな部屋に明理の嗚咽の声を漏らす音だけが、ただただ部屋の中に響いていた。



涼しげな空気が漂う朝・・・

台所で明理が朝食のおかずを作っている・・・その目は赤く腫れていた。

前の晩、明理は泣き疲れて眠ってしまうまで泣きつづけ、気付いたときには朝を迎えていた。

おかずを作り終え、食卓に茶碗によそわれたご飯と味噌汁、それと先ほど作っていたおかずが一品、二人分・・父親の分まで並べられていた。

「あっ・・・」

食卓に着こうとした明理がそれに気付き、また泣きそうになるが・・・すでに涙は涸れ果てていた。

「ふぅ・・・」

悲しみにくれたまま、明理はご飯と味噌汁をそれぞれの器に戻し、おかずを冷蔵庫にしまい、改めて朝食を摂り始めた。



「ごちそうさまでした」

一人呟き、食器を片付けるために台所へ向かった。

一通り食器を片付けた後、明理はカレンダーに目を移す。

日付は八月十九日、その欄にバイトと書かれているのを確認してから時計を見る。

「もうこんな時間・・・準備しなくちゃ」

明理は生活費を稼ぐために柳月でバイトをしていて、今日はそのバイトがある日だった。

準備を終えた明理は父と母の遺影の前に正座をして、

「行って来ます・・・」

しばらくの間、黙祷を捧げてから玄関に向かい扉に手をかけ、

「・・・・・・」

一度、後ろ振り返ってから扉を開けた。



明理が自転車に乗って柳月に向かう途中、



ガシャンッ!!



何かが外れる音と共にペダルがやけに軽くなって、やがて前に進む勢いも衰え止まってしまう。

「あれっ?」

自転車から降りた明理は原因もわからず首を傾げ、自転車の前で佇んでいた。

「どうしよう・・・」

柳月まではまだ遠く、歩いて行くと間に合わなかったかもしれなかった。

「どうしよう・・・」

もう一度、同じ科白を吐き、自転車の前にしゃがみこんでいると、大きなエンジン音が明理のいる方へ近づいて来た。

その音は明理の後ろに差し掛かったところで止み、

「どうしたの?何かトラブル?」

明理が声のした方へ振り返ると、大型のバイクから降りて歩いてくる、色あせるほど履き古した青いジーンズと白いシャツの上に赤い薄手のジャケットを着た、明理より頭一個分大きい長身の女性が、

「もしかして、その自転車が動かなくなっちゃったのかな?」

ヘルメットに手をかけながらそう言い、ヘルメットを外すと、キリッとした顔立ちと黒いショートカットの髪型が表れ、そこからわずかにはみ出した小量の髪の束を模様の入った細長い布でまとめた髪がゆれていた。

「はい」

「どれどれ・・・」

明理が短く答えると女性は自転車の前で屈み込み、所々をチェックして、

「どうやらチェーンが外れたみたいだね」

ペダルを手で回しながら明理にむかって言った。

「あの・・直せますか?」

明理がおずおずと尋ねると、女性はニカッと笑い、

「ああ、これならすぐに直せるよ。ちょっと待っててね」

そう言ってバイクから工具を取り出し、修理を始めた。



五分程経って、

「よしっ!これで大丈夫だ」

ペダルを手で回し、車輪が回ることを確認してから立ち上がった。

「ありがとうございます」

明理が深々とお辞儀をすると、

「困った時はお互い様だよ」

女性は微笑みながらそう言った。

「何かお礼を・・・そうだ!私、柳月ってお店でバイトしているんですけど、そこで何かお礼しますのであとで来てください」

「ああ、わかったよ。ところでまだ名乗ってなかったね。あたしは大野美咲。こっちには旅行とついでの用事があって来てるんだ」

「私は原田明理です。大野・・美咲さんですか?私の友人にも大野って人がいるんですよ」

明理がそう言うと美咲はニヤついて、

「ふ〜ん、そうなんだ。もしかしてその大野って人は男かな?」

「はい、そうです。獣医を目指してここの大学に通っているんですよ」

明理の返答にますます笑みを深くして、

「へぇ〜、もしかしてその人は明理ちゃんのバイト先・・柳月だっけ?そこにはよく来てるの?」

「はい、そうですね。夏休みの間はほとんど毎日来ているみたいです」

美咲は更に続けて、

「じゃあ、そこに行けば会えたりするのかな?」

「そうかもしれませんね」

それを聞いた美咲は満足げな笑みを浮かべて、

「そっか、じゃあ、しばらくそこら辺を見てまわってから行くことにするよ」

美咲はバイクに跨り、ヘルメットをかぶる。

「はい、待ってます」

美咲は明理の言葉に親指を立てて答え、エンジンをかけ、走り去っていった。



「ありがとうございました」

買物を終えて柳月を後にする客に向かって、明理はいつものように声をかける。

それはいつものバイトの風景ではあったが、一緒に働いている店員や馴染みの客は一様に明理の笑顔の奥に隠れている悲しみを感じ取って、心配そうに明理を見ていた。

当の明理もそのことに気付いてはいたが、どうしてもなくすことが出来ずに今もどうにかしようと客のいない合間に手鏡で自分の顔を何度も見ていた。

そうしていると、店の外から聞き覚えのあるエンジン音がして、すぐに止み、程なくして、

「よう、明理ちゃん。約束どおり来たよ」

大野美咲が店に入ってきて、明理のいる方へ歩きながら片手をあげて言った。

「いらっしゃいませ、美咲さん」

明理の近くまで来た美咲に明理は深々とお辞儀をした。

「あの、それでですね。お礼にこれを・・・」

明理はお菓子の入った袋を差し出して、

「ここのお菓子をいくつか用意してみました。受け取ってくれますか?」

「別にお礼なんていのに・・でも、ありがたく貰っておくよ」

美咲は差し出された袋を受け取り、

「ところで大野って人はもう来たのかな?」

相変わらず同姓の人のことを気にする美咲に明理は少し不思議に思いながらも、

「いえ、まだですけどもう少ししたら・・・」

明理が言い終わらないうちに、店の自動ドアが開かれ、

「よう、明理ちゃん」

美咲と同じ苗字の大野誠が陽気に言いながら店に入ってきた。

その顔を確認した美咲は含みのある笑みを浮かべながら誠へと近づき、

「よう、マコトォ。元気そうだ、なっ」

先ほどと同じように片手をあげるが、言い終わると同時に手を振り下ろして驚いている誠にヘッドロックをきめた。

「げっ!姉貴!なんでここに?」

「お前が親父とお袋にちゃんと連絡しないから心配して、旅行ついでに確認して来いって言われたんだよ!」

美咲は怒気をあらわにして言って、弟の頭をギリギリとしめた。

「いててて・・わかったよ姉貴。今度からはちゃんと連絡するよ」

「それならよろしい」

弟の叫びを聞いて美咲は力を緩め、今度は顔を近づけてささやくように小声で、

「ところで明理ちゃんとはうまくいってんのか?毎日のように通ってんだろ?」

それを聞いた誠は顔を赤くして、

「そっ、そんなんじゃねぇって、それに明理ちゃんは俺のダチの彼女だよ!」

「な〜んだ、つまんねぇの」

そう言って美咲はヘッドロックを解いた。

「あの・・・」

二人のやりとりの一部始終を見ていた明理は驚きながら、

「美咲さんって大野さんのお姉さんだったんですか!?」

「ああ、そうだよ。うちの馬鹿がいつも世話をかけてすまないね」

美咲が言うと、

「ばっ・・何言ってんだよ姉貴!」

弟の誠が慌てて言った。

美咲はそんな弟のことなど気にもせず、

「なあ、明理ちゃん?ついでとはいえ、せっかくだから明日、ここら辺を少し案内してくれないかな?」

美咲のお願いに明理はすまなそうな表情で、

「すみません。明日もバイトが・・・」

「行ってきなよ。明理ちゃん」

明理が言い切らないうちに別の声が言葉をさえぎった。

「店長!」

振り返ると初老の男性がすぐそばに立っていた。その目はやはり明理を心配しているようだった。

「でも・・・」

父が亡くなってからしばらくの間、バイトを休んでいた明理が逡巡していると、

「お店の方は大丈夫だから」

店長が優しく諭すように言った。

「行こう、明理ちゃん。せっかく店長がそう言ってるんだからさ」

美咲が後押しすると、

「そうですね。すみません、店長」

「気にしなくていいよ」

明理はようやく同意すると、店長はニッコリと笑って言った。

「よ〜し、決まりだ!じゃあ明日の朝、迎えに行くから待っててくれよ」

「はい、わかりました」

「それと・・・」

美咲はそう言いながら弟の方へ向き直り、

「誠、お前も来い」

「ええっ!!何で俺が?」

自分を指差し驚く誠に美咲はしょうがないといった風に、

「お前が来なきゃ明理ちゃんの家の場所がわからないだろ」

頭をかきながら言った。

「わかったよ、姉貴」

さからっても無駄だとわかっている誠はしぶしぶ了解した。

「じゃあ、また明日な」

そう言って柳月を出て、バイクに跨る美咲に、

「あの、すいません」

店長が声をかける。

「初対面の人にこんなこと言うのも変かもしれませんが・・・」

少し戸惑いながらも、

「よろしくお願いします」

それだけ言うと、

「ああ、わかってるよ」

美咲も短く答え、バイクのエンジンをかけた。



次の日の朝・・・

明理の住む長屋にエンジン音が響き渡る。

すぐにエンジン音は止み、

「明理ちゃん、迎えに来たよ」

美咲が玄関の扉を軽く叩き明理を呼ぶと、

「は〜い、少し待っててください」

明理の返事が聞こえ、間もなくして扉が開かれ、

「おはようございます。美咲さん、大野さん」

明理が元気良く挨拶をした。

「おはよう、明理ちゃん」

挨拶を返す美咲に明理は、

「あの、実は朝ご飯のおかずを作りすぎちゃって・・その、よかったら食べてくれませんか?」

遠慮がちに言うと、

「ちょうどよかった。ホテルの飯だけじゃ全然足らなくてさ」

美咲は腹をさすりながら言った。

「そうなんですか、よかったです。すぐに持ってきますね」

嬉しそうに言って明理は急いで家の中へ戻り、器と箸を持って来て、

「はい、どうぞ」

美咲に差し出した。

「ありがと」

箸と器を受け取り、

「おっ、うまそうだね。いただきます」

嬉しそうに言って、器に盛られた大根の煮付けをつまんで口に運ぶ。

「うまい!ほんとうまいよ!!明理ちゃん」

嬉々として言う美咲に、

「そうですか、よかったです」

明理も嬉しそうに言った。

「ふぅ・・ごちそうさま」

美咲は満足そうに笑みを浮かべて明理に器と箸を返した。

「おそまつさまです」

明理はそう言ってから食器を片付けに一度、家の中に戻った。

「お待たせしました」

しばらくして戻ってきた明理が言った。

「よし、腹も満たされたところでそろそろ行きますかね」

「はい・・あの、ところでどこに行くんですか?」

「そうだね・・・ここで砂金の採れる川があるって来たことがあるんだけど・・」

「暦船川ですか?」

「そう、そんな名前だったかな」

「それでしたら、ここから一時間位ですね」

「じゃあ、行こうか。明理ちゃんは後ろに乗って・・はい、ヘルメット」

美咲はヘルメットをかぶりバイクに跨って、明理も同じようにヘルメットをかぶり後部座席に乗る。

「腰に腕を回して強くつかまって」

美咲が言って、

「こうですか?」

明理が言われた通りに腕を回すと、

「わぁ、すごい」

がっしりとした腹筋に感嘆の声をあげた。

「美咲さんって、モデルさん何ですか?」

明理が何となく思ったことを質問すると、

「ハハッ・・そんな大層なもんじゃないよ。ただアクセサリーをデザインしたりしてるだけだよ。それより、もう行くよ」

美咲は一笑してから言い、明理に出発を促す。

「はい、よろしくお願いします」

明理は美咲の背に顔をつけ、腰に回した腕に力を込めた。

「おい、マコトォ!聞いてただろ?暦船川だ!道案内よろしく!」

ずっと黙っていた弟に大声で言った。

「はいはい、わかってるよ姉貴」

すでに自分の役割をわかっているかのような諦めの表情で答えた。

「じゃあ、行くぞ」

二台のバイクのエンジン音が再び響き、暦船川に向かって走り出した。



左右に広大な自然が望める道路を一時間程走り、暦船川に到着した。

「はい、お疲れさん」

バイクを適当なところに停め、美咲が今だにしがみついている明理に優しく言った。

「えっ!?もう着いたんですか?」

「ああ、そうだよ。だから、もう離していいよ」

美咲はきょとんとしている明理の腰に回された腕を指差した。その言葉を受けた明理は、

「えっ?あっ!すみません」

慌ててパッと手を離し、その反動で仰け反りバイクから落ちそうになる。

「おっと、大丈夫?もしかして疲れた?」

明理の身体を支えながら美咲が言った。

「いえ、そんなことないです。ただ、初めてだったのでちょっと・・・」

「そう、それよりメット・・脱いだ方がいいんじゃない?」

美咲は自分の頭を指差すと、明理は慌ててヘルメットに手をかけ、

「すみません!すぐ脱ぎます」

「いや、そんなに焦らなくてもいいよ。それにここを外さないと脱げないよ」

美咲があごを示していった。

「あはは・・そうですね」

照れ笑いを浮かべて、明理はようやくヘルメットを脱いだ。

「じゃあ、行こうか?」

「はい」

バイクから降りて、三人で川に向かって歩き始めてすぐに美咲が弟の方へ向き直り、

「おっと!誠はここでバイクの番だ」

「何でだよ姉貴?」

誠がもっともらしい質問をすると、

「女同士の秘密のお話があるんだよ。行こうぜ、明理ちゃん」

美咲はそう答えて、明理の連れ、誠を置いて行ってしまった。

「姉貴のやつ、相変わらず勝手すぎだぜ」

ぼやいて近くの縁石に座り込んだ。



「ここら辺でいいかな」

美咲が周囲を見回す。まだ朝といってもいい時間帯の所為か他の人は見かけられなかった。

「明理ちゃん、ちょっと座ろう」

そう言って美咲は斜面の芝生に座り込む。

「そうですね」

明理も同意して、隣に座った。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

しばらくの間、二人は無言で、美咲は辺りの景色を楽しみ、明理は川面をジッと見つめていた。

「あのさ・・・」

一通り周囲を見終えた美咲が、後ろに手をつき仰け反るように空を見上げながら明理に言った。

「明理ちゃん、何か悲しいことでもあったんでしょ?もし、よかったらあたしに話してくれないかな?」

「やっぱりそう見えますか?」

美咲の問いかけに明理は今まで隠していた悲しい表情をあらわにして問いを返した。

「ああ、目が赤かったし・・それに笑っているときの顔も何だか悲しそうに見えたからな」

「そうですか・・・」

「言いたく無かったら無理に言わなくてもいいよ」

明理のあまりにも悲しそうな表情に美咲が遠慮がちに言うと、

「いえ、美咲さんには話しておきたいんです。聞いてください・・・」

そう言って明理は語り始めた。この夏に起きたことの全てを・・・



全てを聞き終えた美咲は明理と同様の悲しみの表情で、

「そっか・・・あたしの親父とお袋はまだピンピンしてるから、本当にわかってやることは出来ないかもしれないけど・・・つらいよね」

「はい・・・」

美咲は頷く明理の肩を軽く叩いて、

「でも、そんな時は・・・」

すっと立ち上がり、大きく息を吸い込んで、

「がさつで悪かったな!!このバカヤローーーーーーー!!」

周囲に美咲の大声が響き渡った。

「ふぅ・・・」

満足げな表情で一息つく美咲を明理は驚いて見上げていた。その視線に美咲は照れくさそうに、

「最近ふられちゃってさ・・でも、こんな時はこうやって大声を出せば少しは嫌なものが吹き飛ぶんだよ。だから、明理ちゃんもやってみな」

そう言って明理の腕を取って、立ち上がらせる。

「えっ!でも・・・・」

明理が戸惑いながら辺りを見回していると、

「大丈夫だって!他に聞いてる人なんて、あたしと・・誠ぐらいしかいないから、なっ?」

美咲が威勢良く言うと、明理は決意とわずかな諦めの顔で、

「はい、わかりました」

頷き、大きく息を吸い込んで、

「お父さんのバカーーーーー!!押入れにあるカエルの置物、どうしたらいいのよーーーーー!!」

美咲に負けないぐらいの明理の大声が響き渡った。

「どう?少しは気が晴れた?」

美咲が肩で息をついている明理に訊くと、

「はい!もやもやしていたものがどこかにいっちゃった気がします」

何だか嬉しそうに明理が答えた。

「そう、よかった」

美咲も嬉しそうに微笑み、

「やっぱりさ・・身近な人がいなくなるのは寂しいし、悲しいけど・・いつまでもそのままじゃ、その人たちも心配になってきちゃうんじゃないかな、きっと・・」

美咲はニッと満面の笑みを浮かべて、

「だから、そんなときはこうやってどっかで叫んでそんな悲しい気持ちを全て吹き飛ばしちまえばいいんだよ」

「そうですね。私もそんな気がしました」

明理が晴れやかな表情を浮かべて言った。

「もう大丈夫?」

美咲が確認をし、

「はい」

明理は元気良く頷いた。

「また、悲しい気持ちになったら誠に言いな。あたしがあいつに言っといてやるから」

「はい、わかりました」

一連の会話が終わり、美咲がふと腕時計に目を落とすと、

「あっ!もうこんな時間か。明理ちゃん、悪いんだけどあたしもう行かなくちゃいけないんだ」

「もう、ですか?」

明理が残念そうに言うと、

「ああ、ごめん。旭川で待たしてる人がいるんだ」

「じゃあ、行きましょうか」

二人はバイクが停めてある場所まで歩き出した。

「ところで・・・」

歩きながら美咲が、

「カエルの置物って何?」

さっきから気になっていたことを明理に訊くと、明理は言いにくそうに、

「それはですね・・実はお父さんが酔っ払ってどこかのお店のカエルの置物を『客人だー!』って持ってきちゃって、ずっと返せずに押入れにしまったままなってるんです」

「ハハハッ、そういうことか」

美咲は納得して笑い、

「酔っ払いって、時に何をするかよくわからないからね」

「そうなんですよ!あの時だって・・・」

二人でそんな話をしながらバイクのところまで戻り、暦船川を後にした。



暦船川から戻ってきて、明理の住む長屋の前で、

「短い間だったけど、明理ちゃんに会えてよかったよ」

美咲がバイクに跨ったまま明理に言った。

「私の方こそ美咲さんに会えてよかったです。また来てくださいね?」

「ああ、今度はついでじゃなくてもっとゆっくりここら辺を見てまわりたいね」

その科白に誠が露骨に嫌そうな顔をしていたが、美咲はあえて何も言わずに、

「はい、その時はまた連れて行ってください」

「約束するよ」

約束を交わし、

「そうだ!明理ちゃんにこれをあげるよ」

後頭部に手を回し、髪を束ねていた細長い布を解いて明理に渡した。

「これは?」

差し出された布には二本の線が交差しながら中央に向かっていくたびに近くなって、真ん中で一本の線になっていく・・・そんな模様が描かれていた。

「ちょっとしたおまじないだよ。大切なものと離れていてもいつかは一緒になれる・・そんな意味が込められてるんだ」

説明する美咲に誠が口を挟み、

「おかしいだろ?あんな性格のくせにそういうのを集めるのが好きなんだぜ」

「うっせぇ、誠!お前は黙ってろ!」

美咲がこぶしを振り上げて怒鳴った。

「いいんですか?大切なものじゃないんですか?」

「ああ、それは今の明理ちゃんにふさわしいと思ってさ。遠慮無く受け取ってくれよ」

美咲は明理の方へ向き直り、

「大切にしてくれよ。それと、彼氏に早く会えるといいな」

微笑みながら言った。

「はい、ありがとうございます」

明理は渡された布を両手に持ちながら、美咲に深々とお辞儀をした。

「じゃあ、もう行くよ」

美咲がヘルメットをかぶる。

「また・・ですよね?」

「ああ、また会おうね」

バイクのエンジンがかけられ、辺りに音が響き、走り去っていった。

明理は手を振ってそれを見送った。



日付は変わり、八月二十一日・・・

高校の制服を来た明理が、食卓に朝食を並べている・・・そこには一人分の朝食しか並べられていなかった。

「ごちそうさまでした」

朝食を終えた明理は素早く食器を片付け、高校の始業式に出るために鞄を持って玄関に向かう。その前に両親の遺影の前に正座をして、目をつぶり、

「私・・・もう大丈夫だから・・・だから、もう心配しないで・・・」

黙祷を捧げ、学校に向かい家を後にした。



自転車に乗って高校に向かう途中に、他の登校する生徒の中に見知った二人を見つけた明理は、

「おはよう〜!」

手を頭上で振りながら、笑顔で挨拶をした。

その顔にはもう、悲しみが含まれていることは無かった。

次の瞬間、

「えっ!?わっ!きゃあ!!」

勢い良く手を振りすぎた所為か、バランスを失った自転車は少しふらふらと進んでから明理もろとも倒れてしまった。

どうやら、ドジなところもすっかり元通りになったようだ。



〈完〉